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「平和の大切さと 戦争の悲劇」

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「平和の大切さと 戦争の悲劇」
「平和の大切さと
戦争の悲劇」
1991 年日本で生まれ、1996 年に家族とウガンダに
行き 8 年間過ごし、2004 年再来日。日本の中学校
に転校し、今年小山城南高校に入学しました。
サッカーをするのが趣味ですが、勉強も忘れずに
ダヴ ロンゴ
頑張っています。
Mr. Dave LONGO
(コンゴ民主共和国・高校生)
私がこのタイトルを選んだ理由は、多くの人に希望を持たせることと平和の大切さを知ってもらいた
いためです。
私は日本で生まれました。四年間日本で過ごしました。私の国籍はコンゴ民主共和国、元ザイー
ル共和国です。アフリカの中心部あたりにあります。帰国をしようとした時、今後の東の地域で内戦が
あったので危険すぎて戻ることができませんでした。そこで私たちは、コンゴの東どなりの平和なウガン
ダに行ったのでした。
ウガンダの首都カンパラに住みました。ウガンダでの生活は、それほどひどいものではなく問題も多く
ありませんでした。私達は、しあわせな生活を過ごしていました。けれども、ウガンダの北で内戦があり
ました。その内戦は、カンパラの北でありましたがカンパラに近づく予想がありました。そして、私たちは
日本に戻ってウガンダの状況がよくなるまで日本で待つことにしました。
この内戦は、十六年間続きました。この内戦のはじまりはLRA(ローズ・レヂスタンス・アーミーのヨセ
フコニという人が大統領をめざしたからです。その時から、内戦がはじまりました。その内戦は静かな
内戦だったので世界の人が気にしなかった。普通の人々が、その時死んで行きました。死者の多くは、
女性と子供たちでした。反政府のぐんたいが、ある時村に来ました。そこに住んでいる人の家をやい
たりしていました。それがおわると村の人々まで殺してしまいました。コニの軍隊は、あるとき学校に来て、
先生を殺して、子供を兵士にしたりしていました。十四歳の女の子をかれらの妻にしてしまいました。一
番最あくなことはコニの軍隊が人を殺し、人体を切断したことでした。
コンゴ民主共和国も東の地域では、戦争が行われていました。この戦争のはじまりは、ルワンダの
反政府の人々がコンゴに逃げて来て、多くのコンゴ人を殺しはじめたことからです。そこで、私たちの大
統領が国を守るために軍隊を東の地域へおくりました。でも、コンゴの軍隊もルワンダ人にたいし、多く
のわるいことをしました。ルワンダ人が死ぬまでやいたりしていました。ルワンダ人がコンゴ民主共和国
に住むことができなくなりました。
このようにアフリカでは、内戦が今でも続いています。この問題をかいけつするために国際連合があ
ります。でも、お金がたりないので問題をかいけつするのはとてもむずかしいです。一人一人が平和の
ためにはたらくことが大切です。多くの日本人が戦争を忘れているそうですが、もっと知ってほしいと思
っています。
私はニュースキャスターになりたいです。私は全ての人々にアフリカの生活と戦争の悲劇を知らせ
るとともによりよい世界をめざしていきたいと思います。
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