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財政学Ⅱ
1
第11回
財政と経済安定化政策(4)経済のグローバル化と財政金融政策
2014年12月12日(金)
担当:天羽正継(経済学部経済学科専任講師)
2
戦後の国際通貨体制(1)
 1929年の世界大恐慌後、各国が近隣窮乏化とブロック経済に向かった結果、第二次世界大戦という「破局」に。
 こうした反省から戦後に、自由で安定的な国際通貨体制の構築がアメリカ主導によって図られる。
 1944年7月に調印され、翌年発効したブレトンウッズ協定によりIMF(International Monetary Fund, 国際通貨基金)設立。
 IMF体制(ブレトンウッズ体制)
 金1オンス=35ドルと公定し、金またはドルによって自国の通貨を表示する。
 アメリカは上記の公定価格で、金とドルを交換する義務を負う。
 表示された値を基準にして為替レートの変動を上下1%の範囲内に抑え込む(固定相場制の採用)。
 為替レートの変更を理事会の承認事項とする。
 アメリカ以外の国が、国際収支に「基礎的不均衡」が生じた場合に可能。
 加盟国に対して、割当金額を上限に為替市場への介入資金を融資する。
 IMF体制とは結局、金の裏付けを持つ「基軸通貨」ドルに支えられながら、管理通貨制度の下で通貨価値の安
定を図る体制。
 管理通貨制度:一国の通貨供給量を、金の保有量などによって決めるのではなく、通貨当局が通貨価値の安定、完全雇
用の維持など、経済政策上の目標に従って管理する通貨制度。
 戦前の国際通貨制度であった金本位制度の下では、各国の通貨供給量はその国の金保有量に制約されていた。
3
戦後の国際通貨体制(2)
 IMF体制発足時は世界の金準備の約7割をアメリカが保有していたため、金とドルの交換性に問題はなかった
が、アメリカの金準備に比して各国が保有するドルが過剰になるにつれて、交換性に対する信頼が次第に失わ
れていくことに。
 「ドル過剰」の要因は、アメリカの経常収支赤字。経常収支赤字抑制のためにはマクロ的な引き締め政策を行う必要が
あるが、アメリカはそうした政策を行わず。
 アメリカ以外の国々はドル準備が不足すると、固定相場制を維持できなくなる恐れがあるために引き締め政策を余儀なくされるが
(国際収支の天井)、アメリカは基軸通貨国のため、そうした政策を行う動機に乏しいという「非対称性」。
 アメリカ以外で蓄積された過剰なドルは「ユーロ・ダラー」と呼ばれ、これを用いた大規模な投機が発生。
 為替レート変更によって見込まれる為替差益を狙う。
 アメリカの経常収支赤字の深刻化により、金・ドルの公定価格の切り下げを予想した投機が生じ、アメリカか
ら大量の金が流出。その結果、1971年8月にニクソン大統領は金・ドルの交換停止を発表(ニクソン・ショッ
ク)。
 同年12月に各国の通貨政策担当者が集まり、ドル価値の切り下げを含む新たな固定相場制が決定(スミソニア
ン体制)。
 円・ドル相場は「1ドル=360円」から「1ドル=308円」に。
 しかし、その後もドル安が続いたため、1973年2月より各国は固定相場制を放棄するようになり、なし崩し的
に変動相場制へ移行。
4
グローバル化と財政金融政策(1)
 固定相場制から変動相場制に移行すると、国際資本移動を規制する必要がなくなるため、金融の自由化・国際
化が急速な勢いで進行。
 国際間の資金移動が効率的になるという利点がある一方で、「逃げ足の速い」資金が金利や為替などの経済指標に過剰
に反応して移動し、その国の実体経済に大きな影響を与えてしまうという大きな負の側面も。
 1973年10月の第4次中東戦争勃発により、アラブ産油国は原油公示価格の大幅引き上げ、原油生産削減、非友
好国への輸出禁止を実施(オイル・ショック)。
 ニクソン・ショックとオイル・ショックという二つの危機を受けて、先進諸国は失業率とインフレが共に上昇するとい
うスタグフレーションに見舞われることに。
 アメリカではインフレの進行による名目所得の上昇により、個人や企業の租税負担が上昇。これに対処するた
めに、1981年に誕生したレーガン政権は、連邦政府支出の抑制、減税、規制緩和等を実施(レーガノミクス)。
 同時に連邦準備制度理事会(FRB)は、インフレ抑制のために金利の引き上げ、マネー・サプライの抑制等を実施。
 しかし、金利の引き上げはドル高を招き、減税による個人消費の拡大とともに経常収支の赤字を、さらに、減
税、軍拡および社会保障の拡充は財政赤字をもたらすことに。
 アメリカは「双子の赤字」に転落。
5
グローバル化と財政金融政策(2)
 1985年9月の「プラザ合意」
 先進国間の対外不均衡是正のため、アメリカの財政赤字縮小と日本・西ドイツの内需拡大を政策目標とする。
 ドル高是正のため、各国が協調して利下げと為替相場への介入を行う。
 「プラザ合意」がもたらした影響
 急激な勢いでドル安が進行。
 円・ドル相場は合意直前の「1ドル=242円」から1986年7月には「1ドル=160円」に。
 その結果、日本は1985年に「円高不況」に見舞われる。
 ドル以外の通貨の需要を高めるために各国の資本規制が撤廃された結果、金融市場の規模が急激に拡大。
 アメリカは対日貿易赤字是正のために、日本に対して公共投資の拡大を要求。
 「X-M = S-I 」の関係より、公共投資を増やせば貿易黒字は縮小するはずという議論。
 1989年から翌年にかけて日米構造協議が開催される。最終報告において、日本は1990年代までに総額430兆円の公共投資を行うこ
とが決定。
 その後の巨額の財政赤字の形成の背景に。
 資本規制の撤廃、金融自由化、過剰投資などを背景として、1989年から91年まで日本でバブル経済が発生。
 土地や株式などの資産価格が急上昇。その一方で、消費者物価は安定的に推移。
 バブル経済崩壊後、日本経済は長期不況に。
6
世界的金融危機と財政金融政策(1)
 ブレトンウッズ体制崩壊後はドルの発行量に対する歯止めがなくなり、アメリカは経常収支の赤字をいくら生
じさせても、対外的な支払いをドルで行うことが可能に。
 アメリカ以外の国々に過剰にドルが蓄積され、その運用先を確保するために金融自由化圧力が絶えず発生。そうして生
じた短期資本による投機と逃避によって、世界的な金融危機が繰り返されることに。
 繰り返される金融危機
 中南米債務危機:オイル・ショックで生じた石油価格の急上昇により、産油諸国は巨額の収入(オイル・ダラー)を獲
得。その運用先として目を付けられたのが、資金を必要としていた非産油途上国。リスク回避のために、多数の銀行に
よる協調融資(シンジケート・ローン)が実施され、アメリカの多国籍銀行も積極的に参加。
 しかし、1982年8月のメキシコを発端として、途上国の債務不履行(デフォルト)が連鎖。これをきっかけとして、アメリカの金融
機関も連鎖的に破綻や危機に陥る。
 ヨーロッパの金融危機:1980年代後半から90年代初頭にかけて、バブル経済の崩壊によって金融危機が発生。
 イギリスでは投機によって高騰していた地価の暴落で、不動産を担保としていた中小の金融機関が次々と経営危機に。
 北欧諸国では、ソ連・東欧諸国の崩壊による輸出の低落、乱脈経営等を背景とする金融危機が相次いで発生。
 アジア通貨危機:タイが通貨バーツをドル・ペッグ制から管理フロート制に移行させると、バーツが暴落。フィリピン、
マレーシア、インドネシアに伝染し、それらの通貨も次々に暴落、多くの金融機関が閉鎖に追い込まれる。
 その後、危機はさらに台湾、香港、韓国、ロシア、ブラジルにも波及。
7
世界的金融危機と財政金融政策(2)
 金融危機に陥った国に対して積極的に活用されたのが、IMFによる救済融資。
 IMFの融資には条件として「コンディショナリティ」が付される。
 為替レートの下落を阻止し、インフレを抑制するため、金融自由化を促進して自国通貨の需要を高め、金融引締めを行う。
 財政赤字は通貨の信用を損ねるため、増税と財政支出の削減を行う。
 しかし、景気後退時にこうしたコンディショナリティに基づく政策を行うことは、危機をより深刻化させる結果に。
 ヨーロッパ通貨統合の試み
 域内の取引円滑化と、ドルの不安定性に対抗するため。
 1999年に一部を除くEU加盟国が、単一通貨ユーロを導入。
 それに伴い、ユーロ導入国から構成される欧州中央銀行(European Central Bank, ECB)とEU加盟国の全中央銀行から構成され
る欧州中央銀行制度( European System of Central Banks, ESCB)が設立される。
 ユーロの通貨価値安定のために、1993年にマーストリヒト条約が発効。
 ユーロ導入の条件として、財政赤字の対GDP比が3%以内であること、政府債務残高の対GDP比を60%以内にすることなどを「経
済収斂基準」として設定。
8
世界的金融危機と財政金融政策(3)
 グローバル・インバランス:ある国や地域で経常収支の赤字が累積する一方で、他の国や地域で経常収支の黒
字が累積している状態。
 2008年にかけてグローバル・インバランスが拡大(スライド9)。
 経常収支赤字の大部分はアメリカによるもの。それによる貯蓄不足は、経常収支黒字国が蓄積したドルを再びアメリカに
還流させることによってファイナンスされる。
 リーマン・ショック
 2000年代初頭よりアメリカで住宅バブルが発生。
 還流した大量のドルが、サブプライム・ローンに向かった結果。
 サブプライム・ローン:低所得層に対する住宅ローン
 住宅着工件数は2005年にピークを迎え、これ以降、住宅の売れ残りや価格の低下が発生。その結果、サブプライム・
ローンが不良債権化。
 これにより、2008年春に五大投資銀行第5位のベア・スターンズ、政府系金融機関のファニー・メイとフレディ・マック
が破綻し、9月には五大投資銀行第3位のリーマン・ブラザーズが破綻。
世界的金融危機と財政金融政策(4)
9
グローバル・インバランスの推移
(10億米ドル)
1500
1000
500
0
2000
2001
2002
2003
2004
2005
2006
2007
2008
2009
2010
2011
2012
2013
-500
-1000
-1500
United States
Germany and Japan
China and Emerging Asia
OPEC Countries
Other Current Account Deficit Countries
Rest of the World
注:「China and Emergin Asia」は中国、香港、インドネシア、韓国、マレーシア、フィリピン、シンガポール、台湾、タイ、「Other Current Account Deficit Countries」
はブルガリア、クロアチア、チェコ、エストニア、ギリシャ、ハンガリー、アイスランド、ラトビア、リトアニア、ポーランド、ポルトガル、ルーマニア、スロバキア、ス
ペイン、トルコ、イギリスを示す。
出所:IMF, World Economic Outlook Database, October 2014 より作成。
10
世界的金融危機と財政金融政策(5)
 欧州ソブリン危機
 ヨーロッパの金融機関がサブプライム・ローンを組み込んだ金融商品を大量に購入していたため、金融危機はすぐにヨー
ロッパに波及。各国は大規模な景気対策を実施し、それに伴い国債が大量に発行され、財政赤字が拡大。
 2009年10月にギリシャで新政権が誕生した際に、同国の財政赤字が従来発表されていた水準よりも大きいことが明るみ
に。これをきっかけとして同国の国債の格付けが引き下げられ、それが他のPIGGS諸国(ポルトガル、イタリア、アイ
ルランド、ギリシャ、スペイン)にも波及。
 EU域内において、 PIGGS諸国のように経常収支赤字を抱える国が存在する一方で、ドイツのように経常収支黒字を抱える国が存在
(リージョナル・インバランス)。
 前者はEU加盟によって後者から資金調達が容易になった反面、いざ財政危機に陥るとそれらの資金は簡単に逃避してしまう。
 2010年5月、ユーロ圏15か国とIMFによる合計1,100億ユーロのギリシャ支援策が決定するとともに、ユーロ加盟国と
IMF共同による7,500億ユーロの金融安定化メカニズムの創設が決定。
 リージョナル・インバランスの根本的な解決のためには、経常収支黒字国から経常収支赤字国への財政移転制度の創設が
必要不可欠であるが、ドイツ国内の反対等により実現せず。
 リーマンショック以降、各国の中央銀行は相次いで大規模な金融緩和政策を実施。
 日銀は2010年10月に「包括的な金融緩和政策」を、2013年4月には「量的・質的緩和政策」を導入。
 しかし、こうした大規模な「金融緩和競争」が、バブル経済と金融危機を再び招く危険性に対して注意が必要。
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