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モラル・マジョリティの形成過程についての考察

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モラル・マジョリティの形成過程についての考察
2003 年 度 久 保 ゼ ミ リ サ ー チ ペ ー パ ー
学籍番号10079
梅川
健
モラル・マジョリティの形成過程についての考察
(目次)
はじめに
(一)キリスト教ニューライトの誕生
(二)ニューライトの活動家と宗教的指導者
(三)ジェリー・フォルウェル
(四)モラル・マジョリティの全国組織
(五)全国組織を形成した保守的宗教者たち
(六)モラル・マジョリティの州組織
(七)全国組織と州組織の関係
(八)モラル・マジョリティの綱領
(九)モラル・マジョリティの支持者
(十)モラル・マジョリティによる動員
おわりに
(註)
モラル・マジョリティの形成過程についての考察
梅川
健
はじめに
1970 年 代 か ら 1980 年 代 に か け て 、 南 部 の 保 守 的 白 人 層 が 従 来 の 民 主 党 支 持 か
ら共和党支持へと移り変わり、アメリカ政治に大きな変化を起こしたと考えられ
て い る 。1980 年 代 に モ ラ ル・マ ジ ョ リ テ ィ が 関 心 を 集 め た 理 由 は 、こ の 組 織 が ま
さに、保守的白人層の動員に成功したためであった。
従 来 の モ ラ ル・マ ジ ョ リ テ ィ の 研 究 に は 、そ の 思 想 を あ つ か っ た 佐 々 木 毅 の『 現
代 ア メ リ カ の 保 守 主 義 』、『 ア メ リ カ の 保 守 と リ ベ ラ ル 』 を は じ め て と し て 、 キ リ
スト教ニューライトという運動に焦点をあてた上坂昇『現代アメリカの保守勢力
- 政 治 を 動 か す 宗 教 右 翼 た ち 』や 、森 孝 一『 宗 教 か ら よ む「 ア メ リ カ 」』な ど が あ
る 。 (1)
これまでの日本の研究では、政治的運動としてモラル・マジョリティを捉え、
その意義を分析するというものが中心であった。このレポートでは、政治という
枠組みの中でモラル・マジョリティを理解するための土台を提供するために、モ
ラル・マジョリティがどのように形成され、どのような組織的特徴を持っていた
かについて論じる。
(一)キリスト教ニューライトの誕生
モ ラ ル・マ ジ ョ リ テ ィ は 、1980 年 代 の キ リ ス ト 教 ニ ュ ー ラ イ ト と 呼 ば れ る 運 動
において中心的役割を担った団体であった。キリスト教ニューライトとは、聖書
に基づいた秩序をアメリカに復活させようとする運動として定義されている。
(1)
この運動は「
、ファンダメンタリストやエヴァンジェリカルといった保守的なプ
ロテスタント」によって担われた。エヴァンジェリカルとは、プロテスタントの
一派であり、個人の救済の体験と聖書の無謬性を信じるという点で定義され、バ
プティストやメソディスト、ルター派などの宗派の一部である。ファンダメンタ
リズムは「エヴァンジェリカルの極端な形であり、聖書の理想を実現するために
社 会 的 規 制 を 追 求 す る 」 と 定 義 さ れ て い る 。 (2)
エヴァンジェリカルはそもそも高度に個人的な形態の宗教なので、世俗の政治
な ど の 出 来 事 は 、精 神 的 体 験 を 乱 す も の と 考 え て い た 。例 え ば 、1965 年 に 、フ ォ
ルウェルは「私たちは、現実の世界に大きな関心を持っていない。私たちの関心
事 は 、 キ リ ス ト を よ り よ く 知 り た い と い う こ と だ け で あ る 」 と 述 べ て い る 。 (3)
政治から離れていた保守的プロテスタントが、政治に参加するようになった理
由 と し て 、長 期 的 原 因 と 短 期 的 原 因 の 二 種 類 が 考 え ら れ る 。長 期 的 原 因 は 、60 年
代 か ら 70 年 代 に か け て の 市 民 権 運 動 、女 性 運 動 、同 性 愛 者 運 動 に よ る 社 会 の リ ベ
ラル化によって、保守的プロテスタントは疎外されマイノリティとなっていった
ことである。彼らは、このような変化を社会の腐敗として受け止め、それに「対
抗するためには政治的に組織化するしか方法はない」と考えるようになっていっ
た 。 (4)
短期的原因は、ニューライトの活動家たちが、保守的な宗教者たちに働きかけ
組織をつくるための援助をしたことである。次の節では、ニューライトの活動家
と宗教者の関係という短期的原因に焦点をあてて、モラル・マジョリティの設立
の 過 程 を 見 る こ と に す る 。 (5)
(二)ニューライトの活動家と宗教的指導者
ジ ェ リ ー ・ フ ォ ル ウ ェ ル Jerry Falwell の 主 張 に よ れ ば 、 モ ラ ル ・ マ ジ ョ リ テ ィ
という組織は、政治活動家の助けを借りずに、彼の独力によって設立されたこと
に な っ て い る が 、 一 般 的 に は ハ ワ ー ド ・ フ ィ リ ッ プ ス Howard Phillips、 リ チ ャ ー
ド・ヴ ィ ゲ リ Richard Viguerie、エ ド・マ カ テ ィ ア Ed McAteer、ポ ー ル・ウ ェ イ リ
ッ チ Paul Weyrich ら の ニ ュ ー ラ イ ト の 指 導 者 た ち が 、 1978 年 か ら 1979 年 に か け
て 保 守 的 宗 教 者 た ち を 政 治 に 参 加 す る よ う に 説 得 し 、設 立 し た と 考 え ら れ て い る 。
(1)
上述した活動家について簡単に紹介しておくと、フィリップスとマカティアは
Conservative Caucus を 主 催 し て お り 、 ヴ ィ ゲ リ は ダ イ レ ク ト メ ー ル の 会 社 を 興 し
て い た 。ウ ェ イ リ ッ チ は 、Committee for the Survival of a Free Congress と い う 団 体
を 組 織 し て い た 。 (2)
ニ ュ ー ラ イ ト の 活 動 家 た ち は ゴ ー ル ド ウ ォ ー タ ー の 1964 年 大 統 領 選 か ら 政 治
に関わるようになっていた。しかし、彼らは二大政党のどちらもが中道の路線か
らはずれることを望まないことに失望し、上の独自の政治組織を作り上げていっ
た。
ヴ ィ ゲ リ た ち は 、1976 年 頃 に は 、保 守 的 キ リ ス ト 教 徒 の 支 持 を 得 る こ と が で き
れば、大きな資金と多くの票によって勢力を拡大できると考えるようになってい
た 。 1977 年 に 、 ヴ ィ ゲ リ は ロ バ ー ト ・ ビ リ ン グ ズ Robert Billings を 通 し て フ ォ ル
ウェルにキリスト教徒の政治団体の指導者になるように頼んだが、断られた。
それから 2 年間の説得の後に、フォルウェルは団体のリーダーになることを受
け入れ、ニューライトの経験豊かな活動家たちによって、組織が設立された。モ
ラ ル・マ ジ ョ リ テ ィ の 法 人 申 請 の た め の 書 類 は 、1979 年 の 3 月 に 、ニ ュ ー ラ イ ト
の 組 織 で あ る Conservative Caucus の 法 律 家 た ち に よ っ て 準 備 さ れ た 。
モラル・マジョリティはニューライトの援助によって設立されたが、いったん
組 織 が で き る と 、 組 織 運 営 の 中 心 は フ ォ ル ウ ェ ル へ と 移 っ て い っ た 。 (3)
(三)ジェリー・フォルウェル
ここで、モラル・マジョリティの中心的人物であるフォルウェルとは、どのよ
うな人物なのか述べておきたい。
ジ ェ リ ー ・ フ ォ ル ウ ェ ル は 、 1933 年 8 月 11 日 に ヴ ァ ー ジ ニ ア 州 リ ン チ バ ー グ
の中流階級の家庭に生まれた。フォルウェルの家族は、何世代ものあいだこの町
に住んでいた。リンチバーグは、住民の平均所得がヴァージニア州全体の平均よ
りも低いが、住むには快適な町だと言われており、典型的な地方都市である。
フ ォ ル ウ ェ ル の 父 親 は 勤 勉 で あ っ た が 、1931 年 に 事 業 に 失 敗 す る と ア ル コ ー ル
依 存 症 に な り 、フ ォ ル ウ ェ ル が 15 歳 の と き に 肝 硬 変 で 死 亡 し た 。フ ォ ル ウ ェ ル の
父 親 は 信 仰 を 持 た な い 人 で あ っ た 一 方 で 、母 親 は 信 心 深 い バ プ テ ィ ス ト で あ っ た 。
フ ォ ル ウ ェ ル 自 身 は 、18 歳 ま で 宗 教 に 興 味 を 持 っ て い な か っ た 。フ ォ ル ウ ェ ル
は 、非 常 に 優 秀 な 学 生 で 、高 校 で は 飛 び 級 し て 、18 歳 で 地 元 の リ ン チ バ ー グ 大 学
Lynchburg College に 入 学 し 、 機 械 工 学 を 専 攻 し た 。
し か し 、 1952 年 の 1 月 20 日 に リ ン チ バ ー グ の バ プ テ ィ ス ト の 日 曜 礼 拝 に 参 加
したときに、
「 神 に 人 生 を 捧 げ る 」決 心 を す る 。フ ォ ル ウ ェ ル は 、ミ ズ ー リ 州 の バ
プ テ ィ ス ト・バ イ ブ ル 大 学 Baptist Bible College に 進 学 し 、成 績 最 優 秀 で 卒 業 し た 。
1956 年 に リ ン チ バ ー グ に も ど り 、 新 し く ト ー マ ス ・ ロ ー ド ・ バ プ テ ィ ス ト 教 会
Thomas Road Baptist Church を 開 き 、そ の 一 週 間 後 に は 毎 日 ラ ジ オ で の 説 教 を す る
よ う に な り 、半 年 後 に は テ レ ビ 放 送 も 始 め た 。こ の テ レ ビ 放 送 は 、1967 年 に は オ
ー ル ド・タ イ ム・ゴ ス ペ ル・ア ワ ー Old time Gospel Hour と し て 毎 週 放 送 さ れ る よ
うになった。
そ の 後 、フ ォ ル ウ ェ ル は 、1967 年 に リ ン チ バ ー グ・ク リ ス チ ャ ン・ア カ デ ミ ー
Lynchburg Christian Academy を 開 校 し 、 1971 年 に は リ ン チ バ ー グ ・ バ プ テ ィ ス ト
大 学 Lynchburg
Baptist College を 開 校 し た 。フ ォ ル ウ ェ ル は 、1979 年 に モ ラ ル ・
マジョリティに参加する以前から、宗教的指導者としての地位を確立していたと
い え る 。 (1)
(四)モラル・マジョリティの全国組織
一般にモラル・マジョリティと呼ばれる団体は、4 つの全国組織と全ての州に
置 か れ た 50 の 支 部 か ら 構 成 さ れ て い た 。全 国 組 織 の 本 部 は 、ワ シ ン ト ン と ヴ ァ ー
ジ ニ ア 州 リ ン チ バ ー グ に 置 か れ て い た 。 (1)
4 つ の 全 国 組 織 と は 、 モ ラ ル ・ マ ジ ョ リ テ ィ Moral Majority, Inc、 モ ラ ル ・ マ ジ
ョ リ テ ィ 財 団 Moral Majority Foundation、モ ラ ル・マ ジ ョ リ テ ィ 法 律 弁 護 財 団 Moral
Majority Legal Defence Fund、モ ラ ル・マ ジ ョ リ テ ィ・パ ッ ク Moral Majority Political
Action Committee で あ る 。
Moral Majority, Inc は 中 心 的 組 織 で あ り 、連 邦 議 会 の 立 法 活 動 に ロ ビ ー イ ン グ す
るための免税組織であり、ワシントンに 8 人のロビーストを雇用していた。この
組 織 は ダ イ レ ク ト メ ー ル を 発 行 し て お り 、毎 年 500~ 600 万 ド ル の 資 金 を 調 達 し て
い た 。一 度 に 平 均 25 万 通 出 し 、平 均 4% の 人 が 献 金 を し て い た と 推 計 さ れ て い る 。
Moral Majority Foundation は 、 モ ラ ル ・ マ ジ ョ リ テ ィ ・ リ ポ ー ト Moral Majority
Report と い う 隔 月 の 機 関 紙 を 発 行 し て い る 他 、有 権 者 教 育 を す る 免 税 組 織 で あ る 。
モ ラ ル ・ マ ジ ョ リ テ ィ ・ リ ポ ー ト は 、 1980 年 3 月 14 日 か ら 、 1985 年 ま で の 6 年
間続いた隔月の新聞である。リポートは組織の活動報告と、信心深い人に好まれ
そうな話題から構成されていた。
Moral Majority Legal Defence Fund は 税 控 除 団 体 で あ り 、 訴 訟 を 担 当 し て い た 。
Moral Majority Political Action Committee は 、 保 守 的 候 補 者 の た め の PAC で あ る 。
(2)
(五)全国組織を形成した保守的宗教者たち
モラル・マジョリティの形成のきっかけはニューライトの活動家であったが、
実 際 の 組 織 の リ ソ ー ス を 有 し て い た の は 保 守 的 宗 教 者 た ち で あ っ た 。 Moral
Majority, Inc の 初 代 代 表 理 事 は ボ ブ・ビ リ ン グ ズ Bob Billings が 務 め 、フ ォ ル ウ ェ
ル 、テ ィ ム・ ラ ヘ イ ヤ Tim LaHaya、グ レ ッ グ・デ ィ ク ソ ン Greg Dixon、チ ャ ー ル
ズ ・ ス タ ン レ ー Charles Stanley と ジ ェ イ ム ズ ・ ケ ネ デ ィ D. James Kennedy の 5 人
がが、初代の理事であった。
ビ リ ン グ ス は 、 ウ ェ イ リ ッ チ の 援 助 を 受 け て 、 National Christian Action
Committee と い う 団 体 を 主 催 し て い た 。 こ の 団 体 は 、 政 府 が キ リ ス ト 教 系 の 学 校
へ 介 入 す る こ と に 反 対 す る 団 体 で あ っ た 。1980 年 に ビ リ ン グ ズ が レ ー ガ ン の 選 挙
キャンペーンに宗教問題のアドバイザーとして参加するためにモラル・マジョリ
ティを離れると、フォルウェルが代表理事になった。ビリングズはレーガン政権
下 で は 、 教 育 省 の 私 立 学 校 担 当 の 役 職 に つ い て い る 。 (1)
理 事 と な っ た 5 人 は 、 そ れ ぞ れ が ア メ リ カ で 信 徒 の 数 が 多 い 上 位 100 番 に 入 る
の教会の聖職者であり、それぞれがファンダメンタリストとして有名であった。
フォルウェルは先に述べたように、トーマス・ロード・バプティスト教会の司
教 で あ っ た 。 こ の 教 会 は 、 町 の 人 口 の 三 分 の 一 に あ た る 21000 人 の 信 徒 を 有 し 、
毎年 1 億ドルの献金を集めていた。この献金額は、アメリカの教会で第 2 位であ
った。また、フォルウェルの教会は献金をつのるダイレクトメールを多量に郵送
し て い た た め に 、 独 自 の 郵 便 番 号 を 割 り 当 て ら れ て い た 。 (2)
フ ォ ル ウ ェ ル の オ ー ル ド・タ イ ム・ゴ ス ペ ル・ア ワ ー は 、毎 週 日 曜 日 の 朝 に 30
分 の 説 教 を す る 番 組 で あ っ た 。 1979 年 に は 、 373 の テ レ ビ 局 で 放 送 さ れ 、 年 間 で
3500 万 ド ル の 寄 付 を 集 め 、1980 年 に は 5400 万 ド ル を 集 め た 。視 聴 者 に つ い て は 、
オ ー ル ド・タ イ ム・ゴ ス ペ ル・ア ワ ー の デ ィ レ ク タ ー に よ れ ば 、1800 万 人 か ら 2000
万 人 い た と さ れ て い る が 、1980 年 の 2 月 に は 140 万 人 が 視 聴 し た だ け だ っ た と い
う 調 査 が あ る 。 (3)
ラヘイヤは有名なファンダメンタリストであり、ファンダメンタリズムに関す
る多数の本を出版している。ラヘイヤは伝統的な家族を取り戻そうとする運動に
加 わ り 、ア メ リ カ の 家 族 Family America と い う 団 体 を 主 催 し て い た 。こ の 団 体 は 、
後にモラル・マジョリティに吸収されている。
デ ィ ク ソ ン は 、イ ン デ ィ ア ナ ポ リ ス に 8000 人 の 信 徒 を 抱 え る バ プ テ ィ ス ト の 教
会 の 司 教 で あ り 、1970 年 代 か ら イ ン デ ィ ア ナ ポ リ ス に お い て 、同 性 愛 反 対 運 動 と 、
ポルノの厳しい取締を求める政治運動をしていた。
ス タ ン レ ー は 、ア ト ラ ン タ の フ ァ ー ス ト・バ プ テ ィ ス ト 教 会 Fist Baptist Church
の 司 教 で あ り 、70 年 代 か ら キ リ ス ト 教 徒 に 対 し て 政 治 に 参 加 す る よ う に 説 い て い
た。
ケ ネ デ ィ は 、 フ ロ リ ダ の コ ー ラ ル ・ プ レ ス ビ テ リ ア ン 教 会 Coral Presbyterian
Church の 司 教 で あ る 。 こ の 教 会 は 最 も 多 い と き で 9000 人 の 信 徒 を 抱 え て い た 。
ケネディは、モラル・マジョリティだけでなく、リリジャスラウンド・テーブル
Religious Roundtable の 理 事 も 務 め て い た (4)
モラル・マジョリティの全国組織は、これらの宗教的指導者のリソースに立脚
して形成されており、指導的な保守的宗教者のネットワークを組織化したものだ
っ た と い わ れ て い る 。 (5)
(六)モラル・マジョリティの州組織
モ ラ ル・マ ジ ョ リ テ ィ は 50 州 に 州 組 織 を 持 っ て い た が 、こ れ ら の 組 織 も 従 来 の
保守的プロテスタントのネットワークによって形成された。
50 州 の 支 部 の 代 表 を 務 め る 聖 職 者 の 宗 派 を 見 る と 、す べ て バ プ テ ィ ス ト も し く
はバプティストに属する古典的な宗派であるバイブル・バプティスト・フェロー
シ ッ プ Bible Baptist Fellowship で あ る 。 (1)
このようなバプティストの聖職者たちのネットワークは、長期的に発生したネ
ットワークと、短期的に生成されたネットワークとから成り立っていた。
長期的ネットワークは、バプティストという宗派の持つ二つの特徴によって形
成 さ れ た 。第 一 に 、バ プ テ ィ ス ト に は 、チ ャ ー チ・プ ラ ン テ ィ ン グ Church-Planting
と 呼 ば れ る 運 動 が あ り 、ア メ リ カ の 各 地 に Baptist Bible College と い う 、聖 職 者 た
ちに、いかに新しく教会をつくり運営していくかを教える大学があった。この大
学が全国のバプティストの教会のネットワークの基盤を提供していた。
第二に、メインラインのプロテスタントの場合、新しく教会をつくった場合は
中心的な教会から援助をうけることができたが、バプティストの場合そのような
制度はなく、新しく教会を造ろうとした場合、その聖職者個人のコネクションを
頼るしかなかった。この結果、聖職者間の相互援助のネットワークができあがっ
て い た 。 (2)
短期的に作成されたコネクションとは、フォルウェルによるものである。フォ
ル ウ ェ ル は 1976 年 か ら 、I Love America と い う 集 会 を 全 国 の 州 都 で 行 っ た 。フ ォ
ル ウ ェ ル は こ の 集 会 に お い て 、過 去 の 道 徳 的 で あ っ た ア メ リ カ へ の 回 帰 を 訴 え た 。
こ の 全 国 を 巡 る キ ャ ン ペ ー ン の 間 、フ ォ ル ウ ェ ル は 全 国 の 保 守 的 な 聖 職 者 と 会 い 、
ネ ッ ト ワ ー ク を 作 っ て い っ た 。 (3)
し た が っ て ス テ ィ ー ブ・ブ ル ー ス Steve Bruce も 言 う よ う に 、モ ラ ル・マ ジ ョ リ
ティは、
「 社 会 的 争 点 に 関 す る 運 動 や 組 織 の ネ ッ ト ワ ー ク 」す な わ ち 、従 来 か ら 存
在していたバプティストの聖職者間のネットワークを州組織として統合したとい
え る 。 (4)
(七)全国組織と州組織の関係
バ プ テ ィ ス ト の 聖 職 者 に は 、上 に 述 べ た よ う な ネ ッ ト ワ ー ク が 存 在 し て い た が 、
モラル・マジョリティの全国組織と州組織は一枚岩の構造にはならなかった。
バプティストの聖職者たちは、教会を設立した後それぞれのローカルな教区で
いかに信者を獲得するかについては、おのおのの才覚に頼っていた。それぞれの
独自の努力で信者の獲得をしていくために、それぞれの教会は強い自立性を持っ
て い た 。 (1)
エヴァンジェリカリズムがそもそも個人的であり、それぞれの教会のカリスマ
的な聖職者によって組織化されていたので、バプティストのようなエヴァンジェ
リカルの教会は、カトリックやエピスコパル派の教会のようなヒエラルキーの構
造 を 持 た な か っ た の で あ る 。 (2)
自立性をもつというバプティストの教会の伝統は、モラル・マジョリティが全
国組織の下に州組織を組織化するというヒエラルキーをつくることを不可能にし
ていたのである。
フォルウェルは、
「 モ ラ ル・マ ジ ョ リ テ ィ の 州 の 支 部 は そ れ ぞ れ 自 律 的 に 活 動 す
ることができ、全国組織に拘束されるものではない」と述べており、モラル・マ
ジョリティは、このローカルな自立性を許容するような組織の形態をとった。
全国組織と州組織の関係で、最も印象的な特徴は、全国組織から州組織への資
金援助がないことである。それぞれの州組織は、独立した教会のように各自で資
金 を 調 達 し な け れ ば な ら な か っ た 。 (3)
結果として、モラル・マジョリティの全国組織は州組織に対して大きな影響力
を持っていなかった。全国組織がリストアップしたイシューについて、州組織は
それぞれの州で注目を集めるイシューを選択して、各自の運動方法によって活動
していた。
全国組織と州組織はこのような関係であったが、モラル・マジョリティが設立
さ れ た 当 初 は 、両 者 の 足 並 み は そ ろ っ て い た 。1980 年 に は 、そ れ ぞ れ の 州 組 織 は
独 自 の 問 題 を 横 に お い て 大 統 領 選 挙 に 取 り 組 ん だ の で あ る 。 (4)
し か し 、次 第 に ワ シ ン ト ン に 本 部 を 置 く 全 国 組 織 が 議 会 を 監 視 す る こ と で 、様 々
なイシューに精通していく一方で、各州組織はモラルに関するイシューにしか興
味をもたないままであった。ついには、全国組織が様々なイシューについて州組
織に活動するよう働きかけても、一握りの組織しか歩調を合わせないようになっ
た 。 (5)
こ の よ う な 州 組 織 の 状 況 は 、デ イ ヴ ィ ッ ド・ス ノ ウ ボ ー ル に よ れ ば 、
「少数の支
部 だ け が 活 動 し て お り 、 ほ と ん ど の 支 部 は 名 目 上 存 在 す る だ け 」 で あ っ た 。 (6)
(八)モラル・マジョリティの綱領
次に、モラル・マジョリティがどのような綱領を掲げ、どのような人々を動員
していたのかについて論じる。モラル・マジョリティの配布していた『モラル・
マ ジ ョ リ テ ィ と は 何 か ? 』What is the Moral Majority と い う パ ン フ レ ッ ト に は 、ど
の よ う な 綱 領 を 持 っ て い た か が 書 か れ て い る 。 (1)
1.我々は、教会と政府との分離を支持する
2.我々は、プロライフである。
3
我々は、伝統的な家族像を擁護する
4
我々は、アメリカ国内での違法な麻薬の取引に反対する。
5
我々は、ポルノに反対する。
6
我々は、イスラエルとユダヤ人を支持する。
7
我々は、強力な軍事力を持つことが、戦争を抑止すると信じている
8
我々は、女性が平等な権利を持つことを支持している
9
我々は、ERAは女性へ平等な権利を付与することにはならないと考えてい
る。
ま た 、こ の パ ン フ レ ッ ト の 中 で フ ォ ル ウ ェ ル は 、
「 モ ラ ル・マ ジ ョ リ テ ィ と は 何
百 万 も の ア メ リ カ 人 と 、 72000 の 聖 職 者 か ら な る 組 織 で あ り 、 ア メ リ カ の モ ラ ル
の低下に嘆く人々のあつまりである。我々は、カトリック、ユダヤ、プロテスタ
ント、モルモン、ファンダメンタリスト、黒人、白人、農民、主婦、ビジネスマ
ン か ら な る 集 団 で あ る 」 と 述 べ て い る 。 (2)
このパンフレットは五つのアピールをしている。第一に、モラル・マジョリテ
ィは社会的問題をモラルのタームで理解しており、その解決方法もモラルの回復
に求めているということ。
第二に、世俗的なヒューマニズムとリベラリズムによって伝統的なモラルが破
壊されており、それに対抗することが、モラル・マジョリティの活動目標だと主
張している。
第三に、モラル・マジョリティは伝統的な家族像を重視しているということ。
第四に、モラル・マジョリティは偏狭な集団ではなく、あらゆるモラリティッ
クなアメリカ人を代表する組織であると主張している。
第五に、モラル・マジョリティは多元的な秩序に対抗するものではなくて、そ
の 秩 序 の 中 で 、一 つ の 団 体 と し て 活 動 す る こ と を 受 け 入 れ て い る と 主 張 し て い る 。
(3)
モラル・マジョリティの綱領は、モラル・マジョリティ・リポートにも見られ
る。モラル・マジョリティ・リポートは、モラル・マジョリティに寄付をした人
に 配 布 さ れ て い た 。 (4)
1
人間の尊厳ある生を守ること
2
伝統的な一夫一婦の家族を守ること
3
良識、習俗を守ること
4
勤労の精神を守ること
5
アメリカは、神によってつくられた国であり、アメリカを守らねばならない
6
神を中心とした教育をすること
パンフレットとリポートの綱領を見比べると、そのアジェンダについては大き
な差異は見られないが、アジェンダに関するレトリックが異なっている。パンフ
レットでは、アメリカのモラルという世俗的なレトリックが用いられていたが、
リポートでは宗教的なレトリックが用いられている。
これらのことから、モラル・マジョリティは支持層を広げるために、異なる聴
衆 に 対 し て 異 な る レ ト リ ッ ク を 用 い て い た こ と が わ か る 。 (5)
(九)モラル・マジョリティの支持者
モラル・マジョリティの支持者の数は論争の的になっている。モラル・マジョ
リ テ ィ は 400 万 人 だ と 主 張 す る 一 方 、 モ ラ ル ・ マ ジ ョ リ テ ィ に 反 対 す る 組 織 か ら
は 15 万 人 だ と い う 推 計 が 提 出 さ れ て い る 。 (1)
ス ノ ウ ボ ー ル は 、モ ラ ル・マ ジ ョ リ テ ィ・レ ポ ー ト が 75 万 戸 に し か 配 布 さ れ て
い お ら ず 、ダ イ レ ク ト メ ー ル は 25 万 人 に し か 送 付 さ れ て い な い 点 か ら 、モ ラ ル ・
マ ジ ョ リ テ ィ の 支 持 者 は 、最 も 多 い 時 期 で 80 万 人 程 度 で は な い か と 見 積 っ て い る 。
(2)
モラル・マジョリティは、各地の教会を通して動員を行ったので、中心的な支
持者は保守的キリスト教徒であった。彼らは社会的特徴から見た場合、小規模な
町 に 住 む 白 人 で 、ブ ル ー カ ラ ー の 人 々 で あ り 、教 養 や 富 を も た な い 市 民 で あ っ た 。
(3)
(十)モラル・マジョリティによる動員
モラル・マジョリティと支持者の関係には、二つの見方がある。一つは、モラ
ル・マジョリティは、支持者との間にグラスルーツの結びつきを持たなかったと
いう見方であり、もう一つは、モラル・マジョリティはグラスルーツの基盤を持
っていたというものである。
前者は、モラル・マジョリティの組織と支持者の間には、組織からのダイレク
トメールや機関紙の送付と、支持者からの献金というコミュニケーションが中心
で あ っ た と い う 見 方 で あ る 。 (1)
後者は、モラル・マジョリティの設立者は、ローカルな教会で成功を収めた聖
職者たちである点と、各州支部の代表たちも、モラル・マジョリティに加わる前
から政治運動をしている者が多かった点に注目し、モラル・マジョリティの動員
は 、 ロ ー カ ル な 教 会 を 通 じ て 行 わ れ た と 理 解 す る も の で あ る 。 (2)
この二つの見方は、前者が全国組織に重点を置き、後者が州組織に重点を置い
ていると思われる。前者については、モラル・マジョリティの理事たちの教会に
は、ローカルなグラスルーツの基盤があるが、アメリカ全土に広がるものではな
く、全国組織と支持者はダイレクトメールや機関紙を中心とした関係にならざる
を得ない。
州組織に視点をおく場合、もともとローカルな支持基盤を持つ教会をモラル・
マジョリティの州組織として取り込んだという経緯があるので、グラスルーツの
基盤を備えているのは当然である。
おわりに
このレポートの骨子をまとめておくと、モラル・マジョリティの全国組織と州
組織の全体像は、グラスルーツの基盤を持つローカルな教会が、ゆるやかなネッ
トワークにより結びついたものであり、全国組織はそのネットワークの中心にあ
ったと理解できる。そこに動員された人々は、社会のリベラル化の流れに乗るこ
とを拒んだ南部の比較的貧困で信心深い白人層であった。
最後に、モラル・マジョリティのこのような性格を把握した上で、先行研究で
分析されてきた政治的な意義を論じたい。モラル・マジョリティとは、アメリカ
全土で団結して行動できる組織ではなく、動員することができたのはアメリカ社
会のマイノリティの人々であった。
こ の よ う な 組 織 が 1980 年 代 に 注 目 を 浴 び た の は 、ソ リ ッ ド サ ウ ス と 呼 ば れ た 南
部の民主党一党支配が崩れた要因であり、レーガンが大統領選挙に勝利した原因
だと考えられたためであった。
し か し な が ら 、モ ラ ル・マ ジ ョ リ テ ィ な ど の キ リ ス ト 教 ニ ュ ー ラ イ ト だ け で は 、
政党の勢力範囲の地図の南部の変化しか説明することしかできないし、大統領選
挙 に つ い て は モ ラ ル ・ マ ジ ョ リ テ ィ が 決 定 的 だ っ た と い う 証 拠 は な い 。 (1)
このようにモラル・マジョリティを理解したとしても、この組織には政治学的
な意味があった。モラル・マジョリティは、社会的にマイノリティであった南部
の保守的白人層にとって、利益抽出のチャンネルになっていたと考えられる。
いかに特殊な利益であっても、政治の場から排除されている状態よりは、取り
込まれて政治に参加している状態のほうが、デモクラシーとしては安定している
のだ、と考えた場合、モラル・マジョリティはアメリカの秩序形成に役立ってい
たと評価できる。
(註)
はじめに
(1)佐 々 木 毅 『 ア メ リ カ の 保 守 と リ ベ ラ ル 』( 講 談 社 、 1993 年 ); 佐 々 木 毅 『 現 代
アメ
リ カ の 保 守 主 義 』( 岩 波 書 店 、 1993 年 ); 上 坂 昇 『 現 代 ア メ リ カ の 保 守 勢
力-政治
を 動 か す 宗 教 右 翼 た ち 』( ヨ ル ダ ン 社 、 1984 年 ); 森 孝 一 『 宗 教 か ら
よむ「アメリ
カ 」』( 講 談 社 、 1996 年 )。
(一)キリスト教ニューライトの誕生
(1) David Snowball, Continuity and Change in the Rhetoric of the Moral Majority(New
York:
Praeger, 1991), p.40.
(2) A. James Reichley, Religion in American Public Life(Washington, D.C.: The
Brookings
Institution, 1985), pp.312-313.
(3) 上 坂 『 現 代 ア メ リ カ の 保 守 勢 力 』( ヨ ル ダ ン 社 、 1984 年 )、 122 頁 、 222 頁 ;
David
Snowball, p.2 ; A. James Reichley, Religion in American Public Life,
p.322; James L. Guth,
“ The New Christian Right” , in Robert C. Liebman, Robert
Wuthnow (ed.), The New
Christian Right: Mobilization and
Legitimation(New York: Aldine Publishing Company,
1983), p.31.
(4) A. James Reichley, “ Religion and the Future of American Politics” , Political
Science
Quarterly, Vol.101, No.1(1986), pp.24-25; Charles W.Dunn and
J.David Woodard,
“ Ideological Images for a Television Age: Ronald
Reagan as Party Leader” , in Dily M. Hill,
Raymond A. Moore, Phil Willams
(ed.), The Reagan Presidency: An Incomplete Revolution?
(London: Macmillan,
1990), p.120.
(5) Snowball, p42.
(二)ニューライトの活動家と宗教的指導者
(1) Robert C. Leibman, “ Mobilizing the Moral Majority” , The New Christian Right:
Mobilization
and Legitimation, p.53.
(2) Jerome L. Himmelstein, “ The New Right” , The New Christian Right: Mobilization
and
Legitimation, p.15; 上 坂 、 170 頁 。
(3) Snowball, pp.50-52.
(三)ジェリー・フォルウェル
(1) Vernon O. Ray, A Rethorical Analysis of the Political Preaching of the Reverend
Jerry
Falwell:the Moral Majority Sermons, 1979(University Microfilms
International, 1985), p.213
; Snowball, pp44-47; 上 坂 、 157-160 頁 。
(四)モラル・マジョリティの全国組織
(1) Snowball, pp.9-10.
(2) Ray, A Rethorical Analysis of the Political Preaching of the Reverend Jerry
Falwell:the Moral
Majority Sermons, 1979, p.87 ; Leibman, p.54 ; Snowball,
pp.10-12.
(五)全国組織を形成した保守的宗教者たち
(1) Leibman, p.58-60.
(2) Ray, p.2; Snowball, p.11.
(3) Leibman, p.58; Ray, p.105; 上 坂 、 152 頁 。
(4) Leibman, pp.59-60.
(5) Leibman, p.58.
(六)モラル・マジョリティの州組織
(1) Leibman, p.61; Snowball, p.20.
(2) Leibman, p.66.
(3) Leibman, p.58.
(4) Steve Bruce, The Rise and Fall of the New Cristian Right: Conservative Protestant
Politics in
America 1978-1988(Oxford: Clarendon Press, 1988), p.64.
(七)全国組織と州組織の関係
(1) Leibman, p.68.
(2) Reichley, “ Religion and the Future of American Politics” , p.28.
(3) Leibman, p.69, p.73.
(4) Leibman, p.70.
(5) Leibman, p.72.
(6) Snowball, pp.9-10
(八)モラル・マジョリティの綱領
(1) Snowball, pp.16-17;Ray, p.88;森『 宗 教 か ら よ む「 ア メ リ カ 」』、209-210 頁 。
(2) Snowball, p.13.
(3) Snowball, pp.13-15.
(4) Snowball, p.12.
(5) Snowball, pp.16-18.
(九)モラル・マジョリティの支持者
(1) Ray, p.87; Snowball, p.9.
(2) Snowball, p.9.
(3) Ray, p.107; Matthew C. Moen, The Cristian Right and Congress(Alabama: The
University
of Alabama Press, 1989), p.3.
(十)モラル・マジョリティによる動員
(1) Snowball, p.3, p.152.
(2) Leibman, p.67, p.72.
おわりに
(1) A. James Reichley, “ Religion and the Future of American Politics” , Political
Science
Quarterly, Vol.101, No.1(1986), p.30.
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