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第 7 章 タンパク質の高品質結晶生成宇宙実験の今

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第 7 章 タンパク質の高品質結晶生成宇宙実験の今
第7章
タンパク質の高品質結晶生成宇宙実験の今
宇宙航空研究開発機構
宇宙環境利用センター
小林智之、佐野智
High quality protein crystal growth experiment using “Kibo”
Japan Aerospace Exploration Agency
Space Environment Utlization Center
ABSTRACT
Tomoyuki Kobayashi, Satoshi Sano
Protein crystallization experiment in space environment has been
performed for more than 20 years. Japanese experiment module “Kibo” was assembled
to ISS(International Space Station) in 2008 and now beeing used. JAXA has started
protein crystallization project in space since 2003. In this project, we developed
the technology to obtain the high quality crystals in space. We introduce the
achivement of past mission and new JAXA protein crystallization project onboad Kibo.
1.
緒言
国際宇宙ステーション International Space Station:ISS)を構成する「きぼう」日本
実験棟(以下、
「きぼう」)の建設が 2008 年 3 月から始まり、6 月から「きぼう」日本実験
棟船内実験室の利用が始まった。
タンパク質構造解析とその応用のための結晶生成の取り組みは、我が国では 1999 年か
ら精力的に取り組んでいる領域の 1 つである。
宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、「きぼう」の利用に先駆けて、これまでに 2003 年 2
月から 2008 年まで ISS ロシアサービスモジュールを利用して 9 回のタンパク質結晶生成実
験を実施してきた。2009 年 7 月から JAXA では、
「きぼう」を利用した本格的な実験を開始
する予定である。本章では、これまでの宇宙実験で得た技術や成果と今後の展望について
述べる。
2.
経緯
JAXA は、国際宇宙ステーションの民間企業利用の促進に向けて、
「応用利用推進委員会」
を有人宇宙環境利用ミッション本部の下に設置して、社会状況の変化と科学技術政策の変
遷に呼応しつつ、推進方策を設定して宇宙実験を実施している。中でもタンパク質結晶生
成宇宙実験計画は、後述する先導的応用化研究制度を通じて創出された 2 つの宇宙実験計
画の1つであり(もう1つは第6章の3次元フォトニック結晶生成実験の今)、大阪大学蛋
白質研究所に ISS 応用利用研究拠点を設置するなど、具体的な利用成果が社会に貢献し得
る対象として精力的に推進している宇宙実験の 1 つである。図1に本章に述べられる制度
及び宇宙実験計画の推移を示す。
(1)先導的応用化研究制度
宇宙環境でのタンパク質の結晶生成実験は、1983 年に Littke らによるスペースラブ 1
号で初めて行われた。その後も、欧米を中心に精力的に行われて、スペースシャトルのフ
ライトの約半分でタンパク質の結晶生成実験が行われてきた。
当時欧米では民間企業が宇宙実験に簡単にアクセスできるように具体的な制度や支援方
策が整備され、民間企業の宇宙環境利用が推進されていた状況下で、日本では、平成 10
年に宇宙開発委員会宇宙環境利用部会の下に設置された応用化研究利用分科会が、目的指
向型の先導的な応用化研究を速やかに推進することが必要と報告し、宇宙開発事業団(現、
宇宙航空研究開発機構)は平成 11 年 4 月より先導的応用化研究制度を開始した (1) 。
JEM利用
FY(平成)
10
11
12
13
14
15
16
JEM応用利用
推進委員会
先導的応用化研
究制度
17
18
改編
19
JEM利用開始
20
21
22
FY18.11~
(終了)
FY11.4~FY16.3
・宇宙環境利用応用化研究推進グループを核に、 戦略会議・評価委員会
宇宙実験計画
高品質蛋白質結晶
生成宇宙実験
3次元フォトニック結
晶生成宇宙実験
ISS応用利用研
究拠点推進制度
先導的応用化研究制度の
研究会のにおける研究テー
マ群から、重点課題
として選定。
(H14.6/15.6)
FY14.7~FY18
FY18~FY20
JEM利用(6回)
・外部評価委員会(時限的)
FY16.4~FY20
TBD
・外部評価委員会(時限的)
研究拠点を核として、
企業が参画しやすい制度
への見直し。(H16.6)
推進委員会に機能を移転
FY16.10~
・ISS応用利用研究拠点推進委員会
「蛋白質結晶生成」
FY16.12~FY20
「新素材の創成」
FY16.3~Fy20
「界面ダイナミクス」
FY18.5~FY22
きぼう利用
フォーラム
H20.6.1設置
図1
応用利用分野の変遷
本制度は、宇宙実験で得られた成果を地上の製品開発等に応用することが明確であり、
宇宙環境利用の有効性を早期に実証し得ると判断されたテーマを対象として、地上から軌
道上実験を経て取得成果の応用に至るまでの一貫した研究を標榜した。これにより、宇宙
環境利用の有効性を早期に実証することによって国際宇宙ステーションを中心とする宇宙
環境利用の民間企業等の参加促進を目指すものであった。
タンパク質の結晶成長実験は、宇宙で得られた高品質なタンパク質結晶の構造解明を行
い、医薬品の開発や新たな医薬品等の開発に繋げることを目的としており、先導的応用化
研究の趣旨に合致していた。そのため、最初の実験機会として、シャトルミッション
STS-107(コロンビア号)のタンパク質結晶成長実験が設定された。表 1 に選定された 5
つの実験テーマの概要を示す。2003 年 1 月 16 日の朝に打ち上げられたコロンビア号は、
打ち上げから 16 日後の帰還の事故により喪失し、宇宙開発の歴史に刻まれた (2) 。
代表研究者
/所属機関
テーマ名
睡眠物質及びアレルギー物質合
成酵素の血漿成長実験と医薬品
への応用
新規抗寄生虫薬の結晶解析に基
づく分子設計
裏出 良博
(財)大阪バイオサイエンス研究所
北 潔
東京大学
加齢性疾患の原因蛋白質に対す 杉尾 成俊
る特異的阻害剤の創薬支援研究 三菱化学(株)
石黒 正路
光受容膜蛋白質の結晶化研究
(財)サントリー生物有機科学研究所
鈴木 榮一郎
高分解能結晶解析に基づく未来
志向型酵素の開発
味の素(株)
表1
テーマ概要
睡眠物質及びアレルギー物質合成酵素の結晶化を目的とした宇宙実
験を行い、居眠り防止薬や抗アレルギー薬等の開発に繋げる。
宇宙実験で得られた蛋白質の立体構造解析の結果により、新規の抗
寄生虫の開発に繋げる。
加齢性疾患等の病因蛋白質の結晶化を目的とした宇宙実験を行い、
蛋白質の立体構造解析の結果から医薬品の開発に繋げる。
宇宙環境を利用して光受容膜蛋白質の結晶化を行い、立体構造の解
析結果から、受容体の立体構造と機能を解明し医薬品の合理的設
計・開発に応用する。
近未来の食糧、生活必需品、医薬、環境等のニーズに則し、宇宙実
験で得られた高品質結晶の構造データと、地上実験や計算科学情報
とを組合せて、高機能な酵素を設計・開発する。
STS107 ミッションに搭載した先導的応用利用研究制度テーマ
(2)ロシアサービスモジュールを利用した宇宙実験計画
先導的応用化研究制度を通じて、民間企業利用に資するための具体的な宇宙実験計画が
2 つ立ち上がった。その1つが「高品質タンパク質結晶成長宇宙実験計画」である。平成
14 年 6 月の宇宙開発委員会報告書「我が国の宇宙開発利用の目標と方向性」において、タ
ンパク質結晶育成分野で宇宙実験機会を確保し早期に成果を創出することが報告され、平
成 14 年 7 月から当該実験計画を開始した。ISS 計画の推進に伴い、JAXA はロシアとの協力
を進めて、プログレス打ち上げ・ソユーズ回収の機会を利用し、ISS ロシア・サービス・モ
ジュール、US ラボ等での定期的な宇宙実験を具現化した。コロンビア号の事故という悲劇
的な結果を受けたテーマのうち、再実験が可能なテーマもロシアモジュールで行われた。
JAXA は 2003 年から 2008 年までに、計 9 回の宇宙実験を通じ、ISS を利用したタンパク
質結晶生成技術及びそのための宇宙実験プロセスを確立し、合計で 338 種類、2529 サンプ
ルのタンパク質の宇宙実験を実施した。
この実験計画は、ポストゲノムに対応した国の研究であるタンパク 3000 プロジェクト
(理化学研究所、8 ヶ所の大学拠点)や、農業生物資源研究所、及び日本製薬工業会の下
で製薬企業 22 社で構成される蛋白質構造解析コンソーシアムと連携し、宇宙環境でのタ
ンパク質結晶生成実験を行った (3) 。
(3)ISS 応用利用研究拠点推進制度
平成 16 年 6 月の宇宙開発委員会利用部会報告書で、先導的応用化研究制度を発展的に
解消し、民間企業が参加しやすく、かつ応用展開に資する成果を継続的に創出する産官学
連体制の構築が示された。
ISS 応用利用研究拠点推進制度は、宇宙実験の優位性を見込める「研究領域」を設定し、
その領域で、関連する民間企業や公的研究機関を取りまとめて具体的な成果を創出し得る
人材を「研究リーダ」として選定する。その研究リーダが所属する機関/組織を応用利用研
究拠点とし、具体的な企業ニーズを喚起・発掘し共同研究等を推進する。
現在 3 つ設定されている研究領域のうちの1つが「タンパク質結晶生成」領域である(他
の 2 つは「新素材の創成」と「界面ダイナミクス」)。大阪大学蛋白質研究所の中川敦史教
授をリーダーとして、
「病因タンパク質」や「機能性タンパク質」を対象とし、合理的な薬
剤設計やタンパク質の機能改質等に向け、サブオングストローム(1Å以下)レベルの高
分解能なタンパク質の構造解析・機能解析の技術を確立し、応用成果の創出を目指した。
本拠点からはロシアサービスモジュールを利用した 9 回の宇宙実験のうち後半の 4 回の宇
宙実験を実施した。
これまでに、高分解能なタンパク質構造解析のための技術開発として、試料発現、試料
精製、結晶化、回折データ取得、構造解析の各技術に関し高度化を図り、地上で 0.83Å(リ
ゾチーム)、宇宙で 0.85Å(アルファアミラーゼ)の結晶生成・構造解析に成功し、精密
構造解析技術の有効性を確認した。これらの技術開発の結果を基に、疾病関連タンパク質
(ウィルス・寄生虫・疾病関連)及び機能性タンパク質を対象に、宇宙実験による結晶生
成を実施し、高グリシン血症関連タンパク質、ナイロン分解関連タンパク質、糖の異性化
関連タンパク質で、0.88~1.1Å分解能の構造解析を実施し、精密構造を決定することがで
きた。
地上及び宇宙での結晶から構造が取得できたタンパク質については、応用に向けた検討
を進めており、ペニシリン関連タンパク質の医薬品候補の開発やナイロン分解関連タンパ
ク質の工業的利用について、検討を行っている (4) 。
3.
「きぼう」利用宇宙実験計画概要
(1)ミッション概要
「きぼう」を利用した高品質タンパク質結晶生成実験は、これまで JAXA が、ISS のロシ
アのサービスモジュールを利用し技術を蓄積してきた、高品質タンパク質結晶生成技術を
適用し、
「きぼう」でタンパク質結晶生成実験を実施するものである。宇宙実験機会は、ロ
シア連邦宇宙局(FSA:Federal Space Agency)との協力の下で「きぼう」への往還輸送と
「きぼう」利用リソースをバーターすることにより、2009 年度より 2012 年度の 3 年間、
半 年 毎 に 6 回 の 実 施 を 予 定 し て お り 、「 き ぼ う 」 に 搭 載 さ れ て い る PCRF ( Protein
Crystallization Research Facillity)を利用し、以下の 3 つを目的とする実験を行う。
①社会的にインパクトがあり重要な成果に繋がるタンパク質を対象に宇宙実験を継続
して、「きぼう」での成果の創出を図る。
②今後の宇宙環境を利用したタンパク質結晶化実験に不可欠な技術開発を対象とし、宇
宙実験での検証を含む技術開発を実施する。
③これまで実証してきたビジネスモデルを基に、民間企業等による成果専有利用の拡大
を図るとともに、当該分野における「きぼう」利用機会を事業として展開する取り組
みを形成する。
本 実 験 は 、 ESA(European Space Agency) 及 び グ ラ ナ ダ 大 学 が 開 発 し た GCB(Granada
Crystallization Box) 、及び JAXA が開発した JCB(JAXA Crystallization Box)に搭載し、
FSA との協力によりプログレス補給船、ソユーズ宇宙船での輸送手段により、ISS/「きぼ
う」にてタンパク質の結晶生成実験を実施する。
GCB 及び JCB を搭載した結晶生成セルユニットは、カザフスタンのバイコヌール宇宙基
地からプログレス補給船により打上げられ、
「 きぼう」
( 軌道高度 400~500km、軌道傾斜 51.6
度)内に設置された PCRF でのタンパク質結晶生成を実施した後、ソユーズ宇宙船を利用し
て試料をカザフスタン地域内で回収し、ロシア側から JAXA へ返却される(図2)。JAXA へ
返却された試料は、日本国内へ輸送した後、各利用機関へ引き渡される。
搭載するタンパク質試料については、利用機関から提出されたタンパク質試料を用いて
カウンターディフュージョン法での結晶化条件が設定し、その条件をもとにタンパク質試
料を装置に搭載する。本実験のための飛行機会は表2を予定している。なお、これらの実
験計画は状況により変更・見直し等もある。
<第1回運用>:
打上 2009 年 7 月
回収 2009 年 10 月
<第2回運用>:
打上 2010 年 3 月
回収 2010 年 5 月
<第3回運用>:
打上 2010 年 8 月
International Space Station
回収 2010 年 11 月
<第4回運用>:
打上 2011 年 3 月
回収 2011 年 5 月
<第5回運用>:
打上 2011 年 8 月
Launch
©JAXA
Landing
Progress
©FSA
Soyuz
©FSA
回収 2011 年 11 月
<第6回運用>:
打上 2012 年 3 月
回収 2012 年 5 月
表2
宇宙実験スケジュール
図2
宇宙実験概要
(2)利用カテゴリ
JAXA では、各回ごとに以下のカテゴリで「きぼう」利用ユーザーの募集を行っている。
現在、募集を行っているカテゴリは以下の通りである。
・カテゴリ1: 成果占有による利用
利用経費をお支払い頂くことにより、実験成果を占有して利用することを希望されるタ
ンパク質が対象。
・カテゴリ2: JAXA の技術開発利用(技術開発)
宇宙での結晶生成技術開発を目的とし、以下の技術領域に関連するタンパク質が対象。
-膜タンパク質の結晶生成技術
-化合物-タンパク質複合体の結晶生成技術
-超大型分子タンパク質の結晶生成技術
・カテゴリ3: JAXA の技術開発利用(先導利用)
これまで JAXA が蓄積してきた宇宙実験に関連する各種技術を適用し、「きぼう」での重
要な成果を創出することを目的とし、以下の分野の産業への応用が期待できるタンパク
質が対象。
-医薬分野
-環境分野
-エネルギー分野
・カテゴリ4: 国のプログラムとの連携による利用
文部科学省が推進しているターゲットタンパク研究プログラムに選ばれているタンパ
ク質が対象。
(3)実験装置
高品質タンパク質結晶生成用セルユニットは、GCB 及び JCB を搭載し、
「きぼう」のタン
パク質結晶生成装置に搭載するための供試体である。キャニスタバッグ及び打上用バッグ
に入れた状態で打上げられる。また、装置の中には、打上時・結晶生成時・回収時の温度
を記録できる、温度データロガーを搭載している。
また、セルユニットはフライトモデルを 2 式、予備を 1 式、整備している。セルユニッ
トは、新規に開発した PCRF の供試体である。最大 3 個の JCB(4 段タイプ)又は 9 個の GCB
が搭載可能であり。PCRF への取り付け後、温度制御が可能となるよう、ペルチェ素子が搭
載されており、セルユニット毎に温度制御が可能となっている。
また、温度サーミスタも搭載されており、リアルタイムでセルユニット内の温度のモニ
タが可能である。セルユニットは、内部の実験サンプルの封入のため、密閉容器の構造に
なっている。セルユニットには、JCB/GCB の他に、温度記録のため、温度データロガーを
搭載している。セルユニットの概要を、図3に示す。
また、結晶生成実験は温度制御が重要であり、打上・回収時は真空断熱材でセルユニッ
トを覆い輸送するとともに、セルユニット内には相変換物質としてヘプタデカン(22℃で
相が変換する)を搭載している。
図3-1
システム構成
図3-2
4.
(1/2)
システム構成
(2/2)
技術開発
(1)微小重力効果
微小重力環境のように溶液の対流や沈降が抑えられた環境では、成長中の結晶周辺のタ
ンパク質や不純物の欠乏層が乱されることなく存在していると考えられている。そのため、
微小重力環境では、拡散場が維持され、結晶付近の濃度は低くなり、ゆっくりとした結晶
成長が実現するとともに、不純物や微結晶の取り込みは減少し、ディスオーダーの少ない
結晶格子が実現できる。JAXA では、このタンパク質欠乏層形成時の結晶表面のタンパク質
濃度について、タンパク質の拡散係数及びタンパク質取り込み係数の値から、地上で生成
する結晶と宇宙で生成する結晶の駆動力の比、及び不純物の取り込み比を推定できる方法
を確立した。
本手法により、拡散係数が小さい、即ち溶液の粘性が高く拡散が遅いほど、微小重力下
では、タンパク質欠乏層効果及び不純物取り込み抑制効果が期待できることが明らかにな
った。そのため、宇宙実験では、本手法による推定をもとに、粘性の高い溶液を用いて微
小重力の効果を高めている。
実際、これまでのJAXAの宇宙実験でも、意図的に溶液の粘性を高めることにより、粘性
の低いサンプルよりも高品質な結晶を取得することに成功している。粘性の高い溶液を使
用すれば微小重力環境での拡散場形成が促進され、拡散場の効果をより高められ、高分解
能のデータにつながる。従来、このような条件検討はこれまで十分なされていなかったが、
より宇宙実験の特徴を生かし、高品質な結晶を取得するためには、このような積極的に溶
液の粘性を高めるなどの工夫は大切である (5) 。
(2)結晶生成セル
タンパク質結晶生成技術について、JAXA は、各フライトごとに様々な技術的改良を行い、
より高品質な結晶を宇宙で取得できる方法を検討してきた。
2003 年から開始した JAXA のタンパク質結晶生成宇宙実験では、スペインのグラナダ大
学と欧州宇宙機関(ESA)が開発した GCB を使用し、液液拡散法(カウンターディフュージョ
ン法:図4)による結晶生成を行っている。加えて、これまでの計 9 回の宇宙実験のうち、
4 回目(平成 16 年度)以降のフライトでは、JAXA が独自に開発した新型結晶生成セル、JCB
も併用し、宇宙実験での高品質な結晶の取得に成功している。
GCB(図5)は、タンパク質溶液を充填した内径 0.5 mm のガラスキャピラリーを最大 6
本収納できるが、1 つの GCB に 1 種類のタンパク質しか搭載できなかった。しかし、JCB(図
5)は、タンパク質を充填したキャピラリー毎に異なる沈殿剤を接触させることができる
ため、JCB の開発により、同じ容積で最大 12 種類のタンパク質を搭載できるようになり、
一度の宇宙実験で、より多種類のタンパク質試料を用いた実験ができるようになった。
Protein solution
Crystal
Capillary
(approx.0.5mm in diameter)
Crystallization
agent solution
Diffusion of crystallization
agent molecules
Gel layer
Gel layer
Diffusion of protein
molecules
Time change in concentration of protein and
crystallization agent solution in capillary
Gel tube method
図4
カウンターディフュージョン法の原理
Precipitant
protein
Precipitant
+
10cm
10cm
Capillary
Protein
Gel
図5-1
GCB
図5-2
JCB
(3)核生成
宇宙実験においては、結晶の核形成が抑制される傾向が強く、地上でクラスター化する
結晶も、宇宙実験で良好な単結晶が得られる場合が多い。しかし、地上において結晶生成
に時間がかかるタンパク質では、宇宙実験では結晶が得られなくなり、地上への帰還後に
結晶が生成した例も観察されている。このような、核形成の確率が低いタンパク質におい
て、核形成の促進を促すため、ミクロシード法、マクロシード法の検討や核の代替となり
物資の検討等を行い、確実な結晶生成に向けた核形成技術の検討を進めてきた。
本技術の開発においては、大阪バイオサイエンス研究所との協力により、これまで宇宙
実験で結晶が得られていないタンパク質を用い、ミクロシード法、マクロシード法を適用
した宇宙実験を実施し、良好な結晶を得ることに成功した。その一例として、アレルギー
関連タンパク質で、宇宙で初めて結晶が生成し、1.06Åの精密な構造を取得することがで
きた。
(4)タンパク質試料の精製度確認
高品質なタンパク質結晶を生成するのに最も重要な技術の 1 つに、タンパク質試料の精
製がある。これまでの宇宙実験でも、試料の精製度が高く、地上で結晶が生成している結
晶は、75%以上の確率で、タンパク質構造データの最高分解能が改善している。精製にあた
っては、サンプルに含まれる不純物の排除だけでなく、試料の均一度が結晶品質の向上の
要となる。
タンパク質試料の精製度は、SDS-PAGE(SDS-ポリアクリルアミドゲル電気泳動)で単一
と評価できても、Native-PAGE や動的光散乱(DLS)ではばらつきが出るというサンプルが
散見される。これらは、不純物の混合は少ないが、アイソザイムや折り畳みのずれ、化学
修飾、変性などにより、タンパク質試料が一様でないものである。これらは結晶が生成し
なかったり、回折分解能が向上しなかったりすることが多いため、注意が必要である。
そのため、試料の精製にはタンパク質が変性しにくい方法であるイオン交換カラムや疎
水カラム、ゲル濾過等の方法で行うことが望ましい。
JAXA が技術開発用として搭載している、アルファアミラーゼでは、通常の精製の後、HP
クロマトグラフィーにより精密な精製を行ったところ、更に 3 つの異なるフラクションに
まで分離できた。これらのフラクションごとに結晶生成を行ったところ、異なる結晶系で
結晶が生成することが明らかになった。また、精密な精製を行った、これらのサンプルの
うち 1 つから、宇宙実験により、1Åを超える超高分解能の構造データを得ることに成功
した。なお、本プロジェクトを通じて、宇宙実験では地上とは異なる結晶系、例えば、よ
り回折データの取得に適した結晶系の結晶が生成することがあることがわかってきている。
このように、タンパク質試料の精製度の確認技術及び精密な精製技術を整備することによ
り、地上では到達することのできない、超高分解能のタンパク質構造データを宇宙実験に
より取得することができるようになった (6) 。
5.
有効な成果例
(1)α-アミラーゼ
α-アミラーゼは、地上実験により 2.1Å分解能で構造が解かれ、PDB(Protein Data Bank)
に登録されている。JAXA では、微小重力効果をより引き出すために、ポリエチレングリコ
ール(PEG)を結晶化試薬とした条件にて宇宙実験を試みることとした。過去の報告では、
この条件では非常にクラスター結晶になりやすく、単結晶を得ることは困難であったが、
微小重力環境でのタンパク質欠乏層形成の効果により、単結晶が生成した。
また、α-アミラーゼには、通常、若干構造の異なるアイソマーが含まれており、それ
が分解能の低下にもつながると考えられた。そこで、イオン交換クロマトグラフィーと疎
水性クロマトグラフィーを組み合わせて精製し、アイソマーを含まない試料に精製した。
こ の 結 果 、 宇 宙 実 験 で は ク ラ ス タ ー 化 が 解 消 さ れ 、 空 間 群 P21212 で 0.89 Å 分 解 能
(SPring-8BL12 B2)を示す単結晶が得られ、電子密度図では水素原子及びマルチ構造の可
視化が可能になった(図6)。なお、同条件での地上生成結晶はクラスター化が激しく、や
はり X 線回折実験には供用できなかった (7) 。
この分解能の改善は主に、タンパク質試料に含まれるアイソザイムが除かれたことによ
ると思われるが、宇宙実験で得た結晶ではさらに良好な回折分解能値を示している。宇宙
生成結晶で得た X 線回折データより求めた電子密度図を図6に示す。水素原子に由来する
電子密度が同定されているほか、これまで生化学的には知見がなかった、糖鎖の付加と思
われる構造が見つかっている。
この試料の回折分解能の改善、ならびにクラスター化の抑制は、成長中結晶の周囲に形
成されるタンパク質ならびに不純物の欠乏層によることが推測された。また、その主たる
理由としては、結晶化試薬に PEG を用いているため、溶液の粘度が高いことが考えられた。
地上生成結晶の電子密度図
宇宙実験で得られた結晶の電子密度図
図6
α -アミラーゼの電子密度図
(2)プロスタグランジン D 合成酵素
本タンパク質は、大阪バイオサイエンス研究所分子行動生物学部門の裏出良博研究部長
のもとで研究されているタンパク質である。プロスタグランジン D 合成酵素(PGDS) は、造
血器型(H-PGDS) 及びリポカリン型(L-PGDS)があり、前者はアレルギー反応等に、後者は睡
眠の誘発等に関わっていることが知られている。 このため、これらの酵素の、それぞれに
選択的な阻害薬物の創出は、選択性の高い治療薬物の創出に重要である。
これら PGDS の結晶化は、1997 年打ち上げの STS-84 、ならびに 2003 年打ち上げの S T S
-107 においても搭載され、蒸気拡散法による宇宙実験が試みられてきた。また、ロシアサ
ービスモジュールを利用した宇宙実験でも複数回、宇宙実験での結晶化を試みた。しかし
ながら、結晶生成の確実性や、回折分解能の向上には、改善の余地があった。このため、
我々は上述した技術的成果を応用して、再度宇宙実験を試みた (7) 。
1)H-PGDS
H-PGDS は PEG を結晶化試薬として、結晶生成する。溶液の粘性は高いことから、宇宙実
験には適した試料であると考えられた。しかしながら、実際の結晶化では、細かな結晶が
大量に生成するという性質があり、X 線回折実験に供用可能な大きさの結晶の生成は容易
でなかった。そこでこの問題を回避するため、従来からの実験室での結晶化実験では、ミ
クロシーディング法を適用した。さらに、この酵素に対しては様々な構造の阻害剤を多種
入手できたため、その複合体を 10 種以上、宇宙実験に供用した。結晶化は JCB 容器を用い
た CD 法で実施した。
この結果、生成結晶の回折分解能やその他の指標で表される品質は、いずれの複合体で
も 宇 宙 実 験 に よ り 改 善 し た 。 地 上 生 成 結 晶 の 回 折 分 解 能 が 阻 害 剤 の 種 類 に 応 じ て 1.5~
2.0Åであったのに対し、宇宙生成結晶では特に、H-PGDS に対する阻害活性が高い阻害剤
が結合した複合体ほど、回折分解能の改善が著しく、1.1~1. 8Åであった。このことは H
-PGDS の場合、宇宙実験による結晶中の分子の配向性は充分高くなっており、結晶の回折
分解能の改善には、さらにタンパク質分子自身の構造揺らぎを抑制できることが重要であ
ることを示唆している。ちなみに、宇宙実験で得た最高分解能の結晶では、タンパク質に
結合する阻害剤の電子密度が、原子レベルで識別できており、阻害剤設計者の意図通りに
タンパク質に結合しているか容易に確認可能である。
宇宙実験で生成した高品質結晶の解析から、反応中心での水分子の存在が判明した。大
阪バイオサイエンス研究所では、宇宙実験結果を用いて、製薬企業との協力により、筋ジ
ストロフィーに有効な薬物候補化合物を開発し、動物による有効性・毒性の評価を実施し
ている(図7)。筋ジストロフィーは、筋萎縮と筋力低下が進行していく遺伝性筋疾患で、
未だ根本的な治療法が確立していない難病である。
図7
プロスタグランジン 概要
2) L-PGDS
L-PGDS はもともと、飽和濃度に近いクエン酸を結晶化試薬とする結晶化条件しか知られ
ていなかった。また、結晶生成の確率が低く、良好なシーディング条件を見つけることも
困難であった。このため、過去複数回の宇宙実験では、いずれも地上対照実験では結晶生
成が認められるものの、宇宙実験で核形成が抑制される印象があり、結晶を得ることがで
きなかった。ちなみにこの際の地上生成結晶の回折分解能は 2. 2Å程度であった。宇宙実
験の有効性について考えると、クエン酸溶液は粘性が低いので、微小重力の効果は期待し
にくい。このため、PEG を基本成分とする結晶化条件を探索しなおしたところ、良好な結
晶を生成する条件を見つけることができた。この条件でも、自発的な核形成の確率は高く
なかったが、ミクロシーディング法を適用することができ、JCB を用いた CD 法で結晶生成
が可能となった。また L-PGDS 試料に関しては、H-PGDS 同様、イオン交換クロマトグラフ
ィーで極限まで精製した。この試料を、JAXA-NGCF にて宇宙実験に供したところ、最高で
0.98Åの回折分解能を示す結晶を得ることができ、現在構造解析中である。
この結果は、宇宙実験で有用な成果を確実に得るためには、地上での結晶化の経過を踏
まえつつ、場合によっては大胆に宇宙実験に適した結晶化条件を探索したほうが良いこと
を示している。
(3)ナイロンオリゴマー分解酵素
本タンパク質は、兵庫県立大学大学院生命理学研究科の樋口芳樹教授のもとで研究され
ているタンパク質である。合成繊維やプラスチックなどの人工合成物は自然に分解しない
ため、廃棄物などによる環境影響が大きな問題となっている。そこで、人工合成物の 1 つ
であるナイロンオリゴマーを分解する酵素の構造と機能を研究し、高活性の新規酵素等の
開発を目指している。宇宙実験により、本酵素の水素原子を含む詳細な構造が明らかにな
り(図8)、酵素触媒メカニズムの理解が格段に深まった。現在、兵庫県立大学では、酵素
としての高性能化を図り、目的の変換反応に適した新規酵素の構築を目指している。
地上
図8
宇宙
ナイロンオリゴマー分解酵素の電子密度図
と
ペニシリン結合タンパク質概要
(4)インフルエンザ菌のペニシリン結合タンパク質
本タンパク質は、横浜市立大学大学院国際総合科学研究科の朴三用准教授のもとで研究
されているタンパク質である。インフルエンザ菌は、小児の気道感染症の3大起炎菌であ
り、髄膜炎、中耳炎、肺炎などの感染症を引き起こしている。インフルエンザ菌の細胞膜
にあるペニシリン結合タンパク質にペニシリンが結合すると、インフルエンザ菌は外的環
境から自身を守る細胞組織を生成できなくなり死滅する。宇宙で生成した結晶から高分解
能(1.7Å)構造を解析できた(図8)。また、横浜市立大学では、医薬品候補の化合物を
開発し、特許を出願した。抗菌作用に関する生化学的なデータと合わせて、企業と創薬に
向けた計画の調整を行っている。
(5)高グリシン血症【非ケトーシス型】
本タンパク質は、大阪大学蛋白質研究所の中川敦史教授のもとで研究されているタンパ
ク質である。高グリシン血症【非ケトーシス型】は、重篤な中枢神経障害を呈する遺伝疾
患で、患者のほとんどが新生児期に死亡し、生存しても重篤な精神発達の遅れを伴う(25
万人に 1 人が発症)。そのため大阪大学では、高グリシン血症を引き起こす、グリシンの分
解に関わるタンパク質のメカニズムの解明を行っている。宇宙実験を行ったところ、0.79
Åのこれまでの最高分解能の構造データを取得でき、水素原子や多重構造など、高グリシ
ン血症状に関する医薬品開発に向け、有用な情報が多数得られた。現在、次の展開を検討
している。
(6)セルラーゼ
本タンパク質は、株式会社丸和栄養食品の伊中浩治社長のもとで研究されているタンパ
ク質である。大量のエネルギーを必要としている現在、石油に代わる新たな資源として、
食物ではない草、わら、樹木、廃パルプ等を利用してエネルギーを創出できる酵素触媒が
必要となっている。JAXA では、宇宙実験により、植物細胞の細胞壁や繊維の主成分である
セルロースを触媒反応により分解する酵素(セルラーぜ)に関する、世界最高の詳細な構
造データ(0.92Å)を取得し、酵素の糖鎖を含む詳細な構造を解明した。
この詳細な構造から、食物を原料としないバイオエネルギーの生産に利用可能な機能性
触媒の開発に重要な情報を取得している。また、環境負荷の少ない機能性触媒を利用した
反応系でのバイオエネルギーの生産法の開発が可能となり、より高効率で安定な機能性触
媒の開発を進め、今後のエネルギー問題へ対処するインフラ技術のキーテクノロジーとし
て、3~5 年程度での実用化を目指している。
6.
今後の課題
これまでの取り組みを通じて、JAXA は「きぼう」を利用するための効果的・効率的な技
術基盤を確立した。今後のタンパク質解析研究分野に一層の貢献するためには、
「きぼう」
で のタ ン パ ク 質結 晶 生 成 実験 に 不 可 欠な 下 記 の 技術 開 発 を 行な う 必 要 があ る と 考 えて い
る。
・次世代の中心的課題である膜タンパク質結晶化技術
・医薬品開発に直結する化合物-複合体結晶化技術
・超大型タンパク質結晶生成技術
・微小重力効果を見極める技術
上記新規技術及び ISS 応用利用研究拠点(大阪大学蛋白質研究所)で確立した超精密構
造解析技術を適用し、社会貢献が期待される分野(医薬や環境、エネルギー等)のタンパ
ク質の結晶生成・構造解析を行い、如何にして社会に還元し得る成果を創出していくのか
が今後の JAXA の課題である。
また、JAXA では、アジア各国の要望に応じタンパク質結晶生成実験の利用機会を提供し、
アジア諸国との国際協力推進の一環と将来的なユーザの拡大を目指す。そのため、当面は、
利用を希望しているマレーシア宇宙機関に利用機会を提供する予定である。今後は、各国
への PR を進め、随時協力関係を構築していく。
7.
結言
JAXA では、これまで実施してきた 9 回のタンパク質結晶生成宇宙実験を通じて、ISS を
利用した高品質なタンパク質結生成に係る実験装置、結晶生成技術、実施プロセス及び実
施体制を整備するとともに、微小重力環境の有効性が確認できた。
今後は、この実験計画で得られた成果を活用し、「きぼう」での本格的な利用に向け、
タンパク質の結晶生成宇宙実験への取り組みを継続して進めると共に、社会に還元し得る
具体的な成果の創出に向けた外部との連携を図って行く予定である。
8.
謝辞
タンパク質結晶生成実験計画の実施にあたり貴重なタンパク質試料をご提供いただいた
各利用機関、高精密構造解析技術の開発にご協力いただいた大阪大学の中川教授とその研
究グループ、核形成技術の開発にご協力いただいた大阪バイオサイエンス研究所の裏出部
長とその研究グループ、GCB による結晶化実験への有用なアドバイスを頂いたグラナダ大
学の J.M. Garcia-Ruiz 教授とその研究グループ、欧州の宇宙実験機会を提供いただいた
ESA ならびにベルギー政府、宇宙実験のためにロシアサービスモジュールを提供いただい
たロシア連邦宇宙局及び RSC エネルギア社、放射光施設の利用にご協力いただいた(財)高
輝度光科学研究センター、及び、宇宙実験の実施をサポート頂いた(財)日本宇宙フォーラ
ム、日揮(株)、(株)コンフォーカルサイエンス、(株)丸和栄養食品、ファルマアクセス(株)
の皆様に感謝申し上げます。
参考文献
(1) 小林智之、佐野智:日本マイクログラビティ応用学会誌、Vol25.2.107 ページ
(2) 桑原啓一:日本マイクログラビティ応用学会誌、Vol21.1.14 ページ
(3) 佐藤勝:日本マイクログラビティ応用学会誌:Vol25.2.117 ページ
(4) 中川敦史:日本マイクログラビティ応用学会誌:Vol25.2.123 ページ
(5) 田仲広明、他:日本マイクログラビティ応用学会誌、Vol25.2.101 ページ
(6) 佐野智、他:日本マイクログラビティ応用学会誌:Vol25.2.157 ページ
(7) 高橋幸子、他:日本マイクログラビティ応用学会誌:Vol25.2.141 ページ
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