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3月号 No.158
8号 5 第 1 慎天堂大学 J 三木郷 2-1-1 I 〒 113東京都文京 i 5円発行 下3刀1 1 2 昭和5 仁 目 次 噌 目 具 、 ,A ・ A u n ソ h L 円 1zA ト hソ ぷ 品 ι 会だろ だよ 同古ひ δqδ ソ h 窓学 内 っ ソ h よよ網野 だだぶ 入学本山行 法大 第 1回順天堂看護専門学校卒業式 =有 山 登 記 念 館 講 堂 法人だより 人 一 =法 り一一 よ だ │白:植t,久留裕,日下部一子,熊本記,倉本千恵ム栗原 新年賀詞交換会 要子,黒田稔、桑原書作,郡司うたよ,小酒井望,小声 保夫雌,小島茂,小島茂男 、小沼恭子,小林教推,小林 本学恒例の新年賀詞交換会は, 14H(火)午後 4時 1} 郁一、近!藤健吾.佐藤節男,佐藤 r'j も佐藤~~,角:藤知 J利 n 学長, )工島英信,石1 長,懸、悶克身j から,有山号理・h [-,板ふ;;払洞井、ンヅ,洞見邦子,清水市太郎‘的水文 の , ' 91 1 学部長,小酒井望病院長をはじめ教職員等 2 品j r l f 持 門平,柴崎松男,渋谷点治,由箆彦 彦,取川俊一, 1 1席のもとに,有山記念館ホーノレで・凶保された。 1 1 九 た 1r~Jl にあたり,有山理 !h~ 長から次のように挨拶があっ H l :沼 催 , 鈴 木 車 九 鈴 木 附 礼 駿 河 敬 次 郎 、 瀬 川 f i ' j ; 受,高須秀彦,尚凹道 改J j r' 弘 削t li . I lI [-,凶t!t~を光, F 夫、高梨きん,高崎享f,高橋博元,滝沢!績f,滝沢洋 「今年は,長年の懸案の解決に向って,牒をすえて第 子,竹内久祢s 竹沢正士,立川綾子,丹下一郎、沖田 g,~ 凶 r l' l f : ' 1 徳永光雄, e 1 l沢孝チ,中島 l '沢品 f, r l r 容を踏み出す大切な年である。 e 月村正!と,土民 在述l 彦,塚田 i h坊の改革 : ) ・ ( 明,ね海栄子,名山尾克政, 大乍設立以来初年間に'l=_じた慣性的 1 弛緩状態から脱却すること 存1 的 北瀬依 , '1 鳴r~~義蛾,長浜徴,浪久利彦,惜林博太郎, I 市 の改革病院には改革すべき問題が山航し {斗臨床面i 払橋広 範I t 勝司、二階堂太郎,新品佐,新 N 久f-,南部i I辛子, J f 長谷川倫也,品 I 敬祐,橋本武次,長谷川尚 , ているが,以下その主な項目を挙げるとー a) 内科及び外科の専門分科を再制成して新体制を作 , JJf~ボ美 f 京ルり ご , 1 雄 貞 京 . 浜浦大吉,林周一,林康之, J 千~',般東丈夫,平井盛徳,平山忠造、広瀬朝次,深町w ずること ! : りl b) 医川口数及び在同年放の│限定 .,雌沢武占,藤fIl紘ー ; H [,藤 J 5 !日 j f,福日J:i 次,深山佳 - c) 1均述病院の充実 t英 i, 8谷博、逸見修次, h 郎,船協イツェ,船協孝M 顕彰,前原旭,哨島新ー, [-,期聡よ[-,其島英{iJ,以前a d) その他 {ゴ特別管理職について 2月の次期医学部長候 昨年1 補者に引き統き 1)jには病院長候補者の選挙が行われる 三宅伊予五水野 l,宮崎克明,宮下五 l R光・) ':究守・三 n I 1芳文,本山 1 ',付山宇美技,村 1 位,宵│討ちか,村上正 1 が,これら特別職の選任規訟には改正を要すると忠われ 甘尚之,安尿 博倍、物井誠次,縁側哲次、灘下綾1-,安 i る点があるので,今後検討する」 -,倒it~英夫,山岸久ム山口正弘、山口瑞穂 f ,山 [ 病1 易浅晋治,横llJ健,横削 二段,山本感ー ,t HT I和広、山 I H 出席者氏名 (卸青膨1 敏弥時) 阿部イネ,東俊郎、 , 乞 完 弘 な 山f .吉、浅}t!.ー羊 e } w木 f {井敏夫,若 ' J 和栄,荊] : I V H仁,和 J 除之、庁附昭正ー脊 I 3 待母'布 秋元i t Ji允、井上令ー, V ) J : I mJ : 来義継, . I佳 也 事H I tJ # . 撤 倒ズ:立教 1 ) ニ康吉,渡辺・七郎,渡辺祈男,以.1! 林長生、渡 J 。 , 卒業生等計 210名 t 職 H,学生父 J 工{-,伊藤タカ,伊藤英雄う猪狩淳,飯島敏彦,池本秀 イ ・ j J _) : 1 海野重男,浦中孝彦,小畑1'1・男、陰山茂、桐 ' I利賀、石援司 i r ,石念式雌,石 f l i三,石川一良j 雄,石井 J 玄 白石喜男,高野重丈,野口聖司,矢代知弘,以上順天1 法丸石原則夫、糸井ぷーラ今井忠一,今成附f~ ,忠崎 J ( 関係持 9名合計 219/ ( f t f ミ治,宕下スス‘エ‘乎悶川方 f、上西守夫、上原進, , 成人を祝う会 節夫、梅沢ハノレ、梅原行弘,小川鼎三,小 山統子,海里f , 男,小野舟一郎、緒万博丸事大詫健、大 ' i g 川秀興,小川 I 島平~ì雄,大竹敏郎;、大野忠子,大野正尚、大野}" 恒例の l成人を祝う会」は, A~f 日鉄男,岡野ふく 、太郎,大橋峰、大家情,太 1 1 J 満.大助,1. れ附flI純夫、何回孝男,附田恒枯, N1LU 英 i也押切)'~ 5Hに成人を迎 j1 本年 1) Hされた。 : t -館ホールで開 f J 3 ら8 えた職員は, 長男,加藤克代,加藤忠雄?加藤哲之,加藤 代、加藤A I t 英夫、鹿島郷、各務正、懸川克射、笠原貞夫、片山仁, 恵、鎌川部一, j",糸消~j,川〉乙勝, : 門脇見トv 、 E三 J村1 n ? ~Hll;! 、木村領子 3 城所f払菊池正一,北見啓之,狐崎 ]月初日 (水)午後<1J待か ,)であった。 :f98"( ; , ! t 1名(男子 3; 0 1 J学長,小柄引:望病院 克封I h長,懸位l 日は、有山登理 2 1 ! f J I ! も宵出ちか総婦長をはじめ学内関係者か b新し L、 j : 1 1 を祝う祝詞が述べられ,あわせて記念訂1の閑語辞典 ( g~林)が各人;こ贈られた。 - 2ー ) 郷 HHJ 本 よ だ 学 大 成 人 を 祝 う 会 目新 し い 門 出 を 祝 う 成人者名 凶山尖~f1: 子,秋本久美子 (以七総務課), 滝 沢 順 子 1 -,野 1 俊J 川 く ) (文占謀), / 京子(以 k医務課),分道ツ t ヨ(右護事務課),吉久多 H 節子, 3土 子 , 石 m i 下品 7 J 原H1敦j-,浦山 1伴 , 1 U1 1 たか子,宗像スミイ,佐 雌 扶美 f, mL'&LX~ {-,阿部 敬子,一瀬瑞枝,石川恭 t晶子,平出芳子,川手康 f f [,八舵1 昆ツノレミ,金納彩 i f,今里ょうf,武丘!願 f I J l中澄江, I H尻槌 jヘ H 野満恵,佐藤久子,有村af{{-, I 下主主ム小久保益{-,工藤愛子,谷川白子, l趨チ,内石浩子,樋口技尖j-,附川友J-,増山嵐 f, l l { J i 野敏美、村上 t f , 1 1ñn美知子,速水久美子,久保 ~flt T 1 1 :橋典 f l ' f,大脇とし t l 小林美 i '島し 1 広一-[',小同和子, ' f, m 1 1 f,1 な子,藤[:l1信+,山口満子,土ffIまきそ(-,対馬忠- 山紀子, 却i j J 忠子) l 良r-. 小 林 寿 J 子、藤原;白¥宵下点弓 i ' 道すみ校,寺問久:比鳴海,ぶ 1 , C て 慌 J 代(栄長課),石岡友明(調理課), 井 上I 横田恵子,新山伝子、 能渡点紀, ォy、 j t l J 的. 1中梅 , 1 1 f 中山まり :.1:美智E 1 ) 忠肱黒千代美,手塚京開 代,大友ミツ子.西山た つJ 央放射線 r1 藤京ず ( Jn k中央臨床検査定), ) f (診療録中央管理室),鈴木節子(右越専 宝).船出徳 L三 恨 瑞 J郁 i I f 藤I H由美 , 久見瀬まき子,林洋子, 橋 I t~, 桃原里子, i藤ユキ子, I 鈴木茂(以 人小棚!道{-,竹特千駄,西原奈保[-,東敦子,杉原材 H恵 左 f,}接間的 f, 船 作 孝 J f 忠夫,野中三沖子, { , { J 宵崎線 , . : C副清子(以上ヨJ設業務課), 汗 藤1 t J町i 敏魚崎} I J M 門学校),石井夫佐子(鰭康管即.室)0 (所k 1栄 子 , 正 納 1 1n野 f,三卜牧子、山下 1 1 1 --~ 大 よ 、 JT-_ 急 だ て守主 年E医学部・体育学 部入試状況 5 F 年度本学体育部ならびに 係学部の入学試験か 2 昭和5 <の通り実施された。本年 度の大きな特長は,両学 部と 1 , も受験者が大幅に附えて いることである。本学で 学ばん り一一 な審査にもとづき選考が 行われ,若干名が採用さ れる 2月 5H 1年 1 31;の被推薦者があり、昭和 5 5 ふ・年度は 2 J 体育実技,耐接ならびに 健康診断が災施 ι (U)に 小 論 l14名の合格おが発友された 。試験選 : f O 1 2月 J年 1 i l , I れ 与ーについては左ぷの通りである。 医学部では,受験者の急用 により一部試験場を日ゐ: 大 とする正人が年々附加していることは喜ばしし、。 体育部では,本年度から 体育学科のみ一部推薦選 考か i大久保)校合を借用して 実施し 学生産工学部(1守中;野 d この制度は本学の定める 推薦条件に 分という 0 た。幸い本学:押ぶ野キャ ンパスから徒歩で約 1 より,出身高等学校長の 推薦のあった者のうちか ら厳正 Jにより何等の事故 Jと協 ) 五近距離にあり,関係者 の努 ) はじめて行われた 年度体・医両学部入試状 況 2 昭 和5 ( )内:t女子うむ もなく実地する乙とができ た。 学部 「本 1 0 .3 1 2 9 1 ﹂ 十 ﹂ つ η 郷 務a ) 7 2 2 9( 4 5 . 1 1 1 .3 1 210α8) 医学部長,病院 長改選 , 6 3 6( 9 1 ー ) 5 1 5( 9 ω -、ずれも本年 3 ¥ 真島英信医学部長と小満井盟病院長I, i 1日をもって任期満了(第 1期 3年 、 第 2期 2年 計 5 月3 -3- 大学だより ( 本 郷) 年)となるので,それぞれの選任規程に ll~ づき、教授会 1n 1 8日病 .位得点者各 31'.を候補 l 1 i と 主5 1 年1 2 } 11 4日医学部長候補者を 、 また 5 2年 院長候補者の選挙を行い, して学長に推せんした。学長はJ!Il' J i 会の l 承認を得て近く !聞にはいらいろなことがありました。 教授人・) 1の I ( r iでは 4 7 年にみ:同1.11 豆 , , I {谷博、飯塚礼ての 3教授に占│胡勝哉 存 n教授が就任され,私が医学部長になってからも 1 1 7 年 こ城所 ( J J 教授, 4 8 { ドに久留 J 札 } ¥ i l l(:,鈴木市 jとの 3教 授 , , 1 9 年に新 J H A t允教授, 50年に浪久利彦、池_.f.:秀雄 次期限学部長および探院長の任命を行う。 里吉光 f,緒方博丸,古 I r 1-"伝次の 5教授、 5 1 年に悩晶一 郎、小川梢男の 2教段と, 1 2 f .が就任されております。 また, ) . 1 1験された万は村上忠 i孔 林 周 一 , 故 占 1 1令 : 次 , 医学部長任期 抜東丈犬, 小谷新太郎の 5教綬でした。 これらの人事か 満了に当たって らみて切らかなように,新館落成に伴 う臨床系の充実が m nもこの時期に行われております。1 I 頂天'なのような1'1 1 1 1 日立ちます 院学部長真 : J i :: 英{宗 一 . aI E 司 . 教授だけでなく,臨床み師,助手の大 和 な大'γ: では,i8t&.~I~J の不!'I rtl な形式を I/il執する必要はあり l 別 手1 14 7年 4) 1以来 5年が梓.過しょうやく民学部長の ません c 1f北!告に臨数教授の形,あるいは数"位陣がチェ 汀:を解かれることになってほっとしております。 医学部 アマンのドに教宅としてまとまる}惨なと'が行われるよう 長は医学部の教育,研究の舵とりとし て,ヨr n : 斉 で ト はf l. l こなりました きれなし、 j'Hf:がかかりますが,とくに 11阪天'~~~は優秀なノ1 付が ~.. 'l託な別にスベースや予算が作わないために,いろ その他とくに力を花いたのは研究主制 度でした。特妹 な分野の立派な 4門家がいても,前向制ではなかなか独 とくにスペ 立の活動を認めることができませんが,研'先'主なら I J能 ースの問題は深刻なのですが,事いこ の 5年間は絶えず です。 これは他λ ;学にはない制度だと思います。 4 7年;こ 建設 [ ' ] iが進められ,次第にスベースが広くな って来た は医学教育、 4 81 f .には病院管理学, 4 9年には1 ' : . 理化'千:の ことは救いでした。昭和 4 7年には新館と伊豆長岡の新病 各研究京が新しくポ;認されております。 いろ処理問難な!日j 題が今かったと思います 棟 , 4 9年には 9り釘!附築, 51 年には災計医学研究所と有 去とんど,~\'l' で過した 5 年間でしたが,もちろんその 官 官 戸 司 F同 r = 1 ~~H.!!.U"I 岡 i ベど め(:_, ・ ~/ 任,さらに 5 1年 8) 1には│民j 恨室長の後任とし て東大医学部放射線他国t 管理''{:教室から本学 アイソトープ管理室 A"¥¥ γI' S ' 1 ミミ‘ U -J'fぶ向の新カリキ品ラムか災地に移されました ‘この 、ンリース 四月型幽 IW¥ノ 医学教育の r ( I I から娠り返ってみますと, 4 7年から専門 課程の新試験制度が発足し, 4 8 年の民進入学 ' 1 :から 6年 1 1 1,記念館が法成しています。 アイソトープ ( RI)実験の m 山 も に , RI取り扱いの氏 令判i が一段と求められるように ! なり) RI委民会制度による管理から,専任者常 駐の 医学部 RI管理室組織となったのは昭和:16 年 8月で, l本院中央政射線宝から政射線技師の立花係はが出向 初代室長, 1均恨数段のもとで本絡 (1':J~'f期e 実務が開始さ │ れた。 l 昭和 5 0{f~;:は 9 ~J'館用築によって, 8階に管理 ; 定および P 欣射体を J : _とするトレーサー尖験のための ! 共lí.jU~ レベル実験忠 公衆衛生学f;~tlA'::に'{'l}任された今掛111拶肪数段を 宅j 毛に迎えた。 本学で行われる RI :J~験は、 RI 元誕の行動を追跡す るトレーサ一実験がそのほとんとであ る 科についてみると, 一例をー般外 1 f t 抜熱f 1 l jの初期治療時の輸液の体内 循 環 をJ 5 7 察するため,麻酔を地した成犬に第 3度の熱艇 をおわせ, I f{ちに 2 51などの 35S, 1 RIを添加した輸放 を 静 往 し こ れ を 時 間 の 経 過 ご と に 係l 血し液体シンチレ ーシ J ンカウンターなどにより測Aし,体液の変動を ; 5 跡分析するのである 。 6階 に 杭 1 : 虫をえf ' :魚とし これら RI ソ~~!のÆ-IJ た第 1低レベル ; i験室事 1 0 階に細菌を対安とす } ! l訟は,市首Iに健康診 │る第 2紙レベル実験室, 2階に貯蔵室 ・ 路東京が 断と ~l~tW を受け.個 J. l . i J地階の 被保管理のためのフィ i化学分析主とあわせ胞設の充実がはか られた。 ルムパ ッヂ測定料にあ 新設され 、 5り館 6階の動物災験室、 その年の 8月,研究者へのサービス向.1二をはか │ るため 1 2 時 却時勤務体制l の石本勝ヂ係 n' ,9 J}}こ中放から 4 代 n~u 向者の渡辺推三係はが此 たる(年間 3, 0 0 0 1 I I ) 町 制 - _ i 左から今堀室長,石本さん,渡辺さん = サー ベ Jメ ト・-l : るr ωA 作ー ミ刊し『 K3金守 4 登録料を納め、登録を しなければな bな十こ 本 郷) 大学だより ( 聞を本郷でやるようになり , 年 1月からの冬学j 0 学年は 5 こ切り替えたことは良かったと思って います。日本故古 年度にやっと全学生が新カリキュラム になること Eる53 h研究会の伝統を守:り,現代になお,かつ,意義あ の医 ' になります。新カリキュラムの H標は臨床実符の充実に Jを結集するほかない らしめるためには卒業生の方々の ) 向けられていますので,ここ 2, 3年が最も困難なとこ と忠っています。有山記念館必金を機 として起った同窓 ろへ来ているわけです。この間,医学 教育研究室を中心 会の問結や,父兄会,後援会の前発な 活動を見るにつけ として教務委員会,カリキュラム委員 会で討議された内 ても/1慎天吃の伝統の大きな力を感じたものでした。振り 0年から実臨 容は慌めて密度の濃いものでした。それと 5 J足らず,悔いのみ多い 5年でしたが,宰い有能 返れば ) されるようになった夏季の医学教育ワ ークショップは医 な教授会その他の持様に助けられ,大 過なく過して来ら 頂天堂の箆学教育 J 進,基礎,臨床の教員が一堂に会して l れたことを,今は,ただ探く感謝しております。 ('i:_~学第二[iil~座教授) を考える場を提供する試みとして,他 大学からも設望の 限で見られました。もっともこれらの 努力が蚊近の国家 をもったとは}[!,えませ 試験合絡本の向上に雌接高い柑!ヌj ..・・・..・.・.~. .・・・...・ー.....・ー白......・・-・・・・ a ・・・・ ι・・・ー..岨守..~.... ・ . ・ ・・ . . ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ . . . . . . . . . . . . ー ー ・ ー ・ ・ , 司 ・ ・ ・ ・ ・ . . . 4 。 ん 院長の任期満了 故後に研究の面を見ますと,中央共同 研究室の成果が 問わ札ていました。これに対しては技 術ぬと設備の充実 に当たって 三全力を尽したつもりです。技術良に 対しては研究技師 あるいは助手,講師への道を闘いたこと, 2度にわたる )1蹟天堂医院長小酒井望 研究室の移動に当たっても,中央共同 研究室優先の姿勢 を崩さなかったことなどが思い出されます。)1頂天堂の狭 '1央化である以上,それら 隆さをカパーする唯一の策が1 の成果は将来必ず研究レベルの向上と いう芽をふくもの と期待しております。その他若手研究 者育成のためのプ 年から始められましたが,その成 8 ロジ且クト研究費は 4 果はまだト分ではありません。 順天堂医学会については,あくまで卒 業生主体の運営 . ー ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ー ・ ・ ・ ・ . . . . . _ . ・ 闘 . . . . . ・ ・ ー ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ . . . . . ・ ・ ー . . . ・ ‘ . . ・ ・ . . ・ 開 . . . . . . . . . ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ‘ 1日に終了致し i3 2期 5年間の病院長の任期がこの 3J J,ご援助を ますが,この 5年間の教職員の符様のご協 ) 心から感謝致します。 l詐教綬)のあとを 7年 4月,水野重光先生(現 r 昭和 4 罰天堂 J 5月に新館が完成, I 継いで院長に就任してから, 0床の大病院へと発展しました。 0 0 , 0床から 1 0 医院は 6 400床の新館はそう簡単にはーばいになら ないだろうと いう他大学や他病院の方々の予想を呉切って, とになっている。登録者は現在, 持 l i l 基鍵 9,臨床 l Iの購入手配とその保管,使用状況のチ では R z I ' ~,計 98人で,常時犯人が研究を続けており,管理室 6月末に 酒天堂たと驚嘆され 0.t,を誕え,さすがj 0 は入院患、歯が 3 ましたが,これひとえに許さまのご努力のお践でした。 大学当時の配慮で歩道橋がかけられ, 新館,本館の連 ック 絡はよくなりました二, と汚来検査,廃棄物の処理などが白常の茶碗である。 すべての路棄物は可燃,不燃¥,液体(有機 ・無機), ばならず, Uな比;設は 2つ持たなけれ 2失h 7 1 1 つですませた部門~主 illb線が長くなり,その ためいわば余分の人民も必安となりま した。新館の開設 掛ビソ等に封入しアイ : ; ; , 動物とにそれぞれ区分,陶 r まれて処理がされて ソトープ協会により東海原研へ述 l とともに、職員数も念、 ι増加しましたが,各部門の立任 いるが,昨年からは司燃物以外法協会が引き取らなく 隊員の職場教育を行いながら,順天堂 者の方々が,新入i なり,廃棄物は貯蔵J.I~にたまる一方となっている。こ の伝統である高い医療水準を維持すベ く哲闘していただ の問題が解決されなけれぽ遠からず RI尖験は中止と Uしても頭の下る思いが致します。 いt 、 l t いたことは,今 j l立つよ 新館が出来てみますと,本館の建物の 占さが f いうが態も懸念されている。 うになり,医療関係の改張,職場環境 改持のための改装 I管理室が設位されて以来, 管理組織,諸規程, R 手引ふ施設等の盤備により火全の確 保は高まったと を随分やっていただきました。しかし ,もう改装は限界 I決験室の過密お はいえ,利用者の増加にともなう R へきています。なるべく早い改築が必要だと思います。 慎天堂の医療内容も 5年 間 で 随 分 変 化 し ま し 1 さて ,I Iも利用 I施設が分散しているため,管理する制J よび R CU,中央政射線室が本館,新館の 2カ所 た。手術室, I する側も不都合であるという多くの問題をかかえて L る。限られたスペースと設備を有効かつ安全に利用す 、 こ なったこと,また医療内容の復雑化に 対応して,麻酔 l Jが 必 要 ! るには,管理室と利用者 1人 l人のー胞の協 ) 学,放射線医学の両端肢が多教授制に なり,緒方,里吉 である。 (麻酔学),久留,片山(放射線医学)各教授の 就任によ り,これら中央部門が一段と充実致しました。 胸部外科林教設の退徒に当たって,心 臓外科の専門家 -5- 本 郷) 大学だより ( を後任に迎えることがきまり,鈴木教段が着任されまし た。心臓外科を始めるということで,私は「大変なこと 芸第 200回 学 術 集 会 E E こなるぞ」と心配しました。説れた心臓外科医が来られ ただけで,心臓外科が出来るものではありません。いろ 国天堂の医師による集談会 } 7年より行われていたi 明治 1 いろな専門職積の十分な協ノJが必要だからです。従来 日本では, 1人の患者:こ対して,専門の迷う医師をはじ め,各種の医療の専門職が協力することが,欧米先進国 こ比べて,どうもうまく行っていません。そこで,この t,今次大戦 (現在の順天堂医学会学術集会にあたる) I lと n 1r 月を第 0 1 年 2 2 たが,昭和 のため一時中断されてし、 j23日(水)開 して再苅され,以来継続して行れ,さる 2) 頂天堂の医療の飛躍的な発 1 機会に協力体制が出来れば、 1 lを迎えた。当日は,主題を l l 0r 0 催の!J)集会をもって第 2 展につながると考えました。故初はなかなかうまくいき - Jとして,学外から 「臨床栄養一一過栄長と低栄lTf は k子栄養大 ・香川教侵,厚生約高原技官を招き,研究 ませんでしたが,必近,漸く軌道に乗り始めました。 l 人の患者のために各専門職稀が,その能力のすべてを出 しあう協力体制をも推し進めて行っていただきたいと思 います。 勤監視装抗は,研究段階を終了して n 発去とパネルディスカッションを行った。 集会後,引き統き午後 6時より学術集会加O凹記念〆' ーティが有山記念館地下食堂において行れた。福島一郎 実用化の段階に人りました。最先端の医療機器として 学長の挨拶,次いで 教授の司会で, J'J;品医学部長,懸旺l Jl頂天堂医学 1鼎 三 教 授 に よ る i 1 h長の祝辞,小) 有山理 ' 心疾患患者のために,活用されることを祈ってやみませ (雑誌)の歩み j と;題する講話があった。 コンヒュータと 。 ん ご承知のように日本の医療は保険制度によって制約さ れています。保険制度を卜分理解して医療を行わなけれ まなりません。卒後教育としてすべての医師に周知徹底 I貢 1J 天堂医学会学術集会 0回 を 記 念 、 し て 0 第2 させる必要があります。それには H常診療の中で医療保 険のしくみを教育していかなけれぽなりません。そこで 医史学研究生 客員教授 在桔の医療保険室を設置しました。内科 h会が,院長 i 理' の岡田講師が専任の室長となって,医療保険室の整備を していただきましたが 、 着々実flc を挙げ、私の理・J~会に 対する氏任を果たし得たと感謝しています。 日本の病院管理学の始祖ともいうべき守屋博前管理部 長が退任されてから、私が管理部長(現在は管理部門担 1北 1 当副院長)事務取肢をしていますが,実務:土すべて ) 副院長補佐にやっていただきました。管理部長という仕 jCは,叱られることはあっても褒められることのまずな い職務です(院長も同じですが)。そんな立場を理解し て,今後ともご協力をお願いします。 順天堂でなければ出来ない医療,日本の最先端の医療 を,と L 、う有山理・l~ 長のご方針にそって,新院長のもと で一致 d結,一周のご努力を期待します。診療部長をし ていただいた加藤,塩川 1,河村 3教授はじめ持様方に, 学長,その J 重ねて感謝するとともに,有山理'}i・長,懸I:1 他各理・j~ のご指導?ご鞭鑓に心からの謝意を表し,私自 身の本務に焔らせていただきます。 (臨床病理学識世教授) 小川鼎三 を迎えた J 1 l [ 願天堂医学会の学術集会が第初o このたびj ので,その日(2月23日)の午後 6時から有山記念、おの 食堂で記念パーティーが湖かれた。この機会に学術集会 天笠 の今までの歩みを頗ると,昭和 22年 10月「第 1四時i 集談会 Jの名で・行われたものを最初として,敬えて今回 11可となる。残念ながらその初まりの様子が分っ 0 0 が第 2 蹟天掌医科大学が設 J こi ? 5日 ていなし、。その前年の春 5月1 l生の入学式が 6月 9日にあり i i l 立され,その年子科第 l 年4 9 学長には有山登先生が就任していた。また,昭和 1 月から開校の願天堂医専もすでに先頭の学生は第 4年で あり臨床教育もかなり進んでいたはずである。戦後のひ どい混乱のなかであったが、学内には新興の',((運が満ち ていたと思う。 第 1[~IJ だけでなく第12jPJ 集談会までの記録が今のとこ 以後の集談会の記録が東京 l J . r f 3 ろ全くみつからな L、。第 1 医・J}:新誌に ~J在っている。その第 13回は昭和 24年 11 月 11 日 年 10月から数えてほぼ 2年間に こ行われたので,昭和 22 1だから,年に 6fuJほどの集談会だったかと思う 。 9 r 2 1 東京医・j~新誌は太問雄3容が明治 10年に創始した;j(1. 頁天堂職員では内科の佐 } 史をもっ定期刊行物で,当時のi 藤亨博土、耳鼻科の松本本松博士らが同社と親しく、そ 実ることになったかと推測す 係で集談会の記録が,1 の出j る。しかし,各国の演者と演題と抄録が載るたけで,会 一 6ー 本 郷) 大学だより ( 。 J とあり, た 順天堂医学 真 門 1 3 古事 9 ~J-) 6 7年 1月(第 1 頃天掌医事研究会報告,これが明治2 1 1 CJ'ιJω制 品 π暗 。 附 田I f r U J 3耗脱 殺見 │ J 1けと印 9 第 1巻 第 1号の表紙に通巻第 5 年 1月から始まった 0 則されている。その伝統とは明治 2 h研究会雑誌となり,全国の会員に頒布 関天堂医 ' J 以後はI l汗?の大半から大正 10年ごろまで日本の伝学界に Y されて r 大きく氏献した出版物のことである。この雑誌は太平洋 . . . ,. .‘・ . _ . ・ A.lI'市~,,,. . .~. ' V 90けを出して終った。 戦争のさなか昭和国年 9J]に第 5 . t . " . ' 領夫 1 0年 1月に)l慎天堂医学雑誌がではじめると, 1 昭 和3 官民学の例会記事は当然、こに雑誌に岐った。例会の回数 , 8同と,か 0回をピークとして 1年十こ 9回 0年の 1 は昭和 3 " 、 ト 1 .1 . . . . Fみ さ . . ‘玉 [ 1 I I 1であった。 I 1 ( l ,5 なり頻繁にわたり,少ない年で 6恒1 . ~陸 , . J EE . . _ fが附和 32年 7}]であり,新市1]のそれ 制の学位規定の認 n 医事雑誌J表紙裏と ,最 1の学位制度の移行は例会 1 年 4月であった。新 1 6 が昭和 3 願天笠民学雑誌が 1年 に の頻度には影押していないが, J 蹟天堂内のどこであったかも示されていない。払は 1 場が1 1月にできた 6年 1 , 2 年 6月にできた 11J館の 2階 4 昭和 2 年 9月に落成の 5り館 3階の講堂などが用 8 臨床講堂, 2 いられただろうと思う。 J28Hである。実 9年 4J 願天堂医学会の創立は、│昭和 2 闘天堂医学会の名 1 5Uの集談会にすでに1 0月 1 はその前年 1 8 を冠しているので,ふしぎに思ってしらべると,昭和 2 ¥して多数の学位論文を岐せ I 6冊のほかに,特別号まで l 3 6 ,1 6年)は 1冊に製本すると 1 た。特に第 7巻(昭和 3 ¥い大冊となっている 。 ページの部j 在、が坂本蛇俄先生のあとを受けて,この雑誌の制集点 5周年特 2 Jの順天堂創立 1 任者となったのは第 9巻第 2Y 頃天 I J 0巻第 1サから誌名を i 年の第 1 9 集からである 。翌 3 i d ndoMe e unt は尤のまま J 1 堂際学J と変えた。英文.:1" 年 7 月に í11頂天堂医学会 j の設立 ì~tvlli 委員として,土屋 .射,高橋吉正の 4教授が選ばれてい [ 毅,伴俊男,!Mi問 g 順天堂アイバンク rに1蹟天堂医学会の創立総会が聞かれ る。そして上記の l 表彰される ,迩営委員は編集と集会記録と庶務 I沓. て,初代会長有 W 会計の三つに分れて,それぞれ 2名の委員かきまり,評 議員は 50~1 であった。 換 。 ) 調 , 11関天 'rr~ アイパ γ クを代表してベ 1 島 8日 2月 1 昨 年1 1口達夫助手に,東京小平ライオンズクラ 1 常教授と 1 ~I:lの記録を東京医・Ji:新誌でみると, 阪 1 今般新たに1 i t 0月以来1f 年1 天堂医学会が設立され,その例会は昭和 22 された順天堂集談会,願天堂医大集談会, 領夫堂sR学会 I 1 継ぐことになっ 足談会を順天堂医学会例会の才1称で,, 1 ブより感謝状が附呈された。 ほとんど視力のなかっ 1年 5月に令.肘角候拶植術をし,同年 12 たー患者に 5 復させた治療に対して,全 1 l ! 月には視力 0.9にまで 1 Jを惜しまなかったことへのお礼である。 面的協) 兼ねたことを明記し たJので,創立総会が第47例例会を J 人 よ な r司と数えるのにはこれが大切 1 凶 ている。今同を第おo このことから推してわかるように,本学でも角膜 慎 J 人にもなっています。 I 0 5 . . . . . . . 0 移隙待ち患者が年間 3 である。 年ぷ 年に創立されてから 51 8 堂アイパンクが昭和 3 昭和 順天堂医'干:雑誌Jは i l 顕天堂民学会の機関誌 i 1 さて1 初年 i月から発刊され始めた。 その第 1巻第 1サの巻頭 れ、ている 。 こ有山登学長がだいじな内容の党刊の府を J i までの総登録省数は 7,却8才Iにのぼっていますが, 恨 のうち,登録者からは年 0I 0 年間に提供される約 1 f 齢の若いこともあって 5%程に止まり,ほとんどが 「…今や医学の進歩に伴い各科の研究成果はそれぞれ 病理解剖患者からの提供に頼っているのが実状で の専門誌に発表することが望ましいと~.・ えられる 。 然る 人。 しか 印 , . . . . . 0. す。学内での角膜移相手術は年間約 3 J態依 こ戦後なお多くの機関誌が各科の業紙を混"突する H 却持していることについては検討の繋があ 然たる体践を l 応した ると思う。本誌の復刊に際してもこの点を再三宅・ のであるが,発表の 由及び迅速, n ï~jfj 負担の軽減等の ( f i 1日 諸理由により今後当分の間はこの形式の雑誌も発行(1 あるものと思う。 ) t f も他院の要請に応じて斡政する数も年間利用の 31 を IJ~ めている状況です。このような現状を皆様にお 知らせして,を録される万の善意、を待つばかりでな Jに感謝するとともに,広く く,病理学教室のごは } 臨床各科およびご倒業の諸先生方のご協力をお願い する次第です。 本蒜は第 1巻・第 1号を以て新発起するが,旧誌に引続 き通巻り教をも併記して伝統のあるところを切らかにし - 7- (眼科 ・アイバンク係) ﹂ ﹂ ﹁ 「習 l擦とす Rに月に進歩する際学の現状を紹介することを f 野 だ土砂 ournalである。その第 1~J. に私が巻頭雷を 3 いて, alJ c '心にする行き方をやめて,綜説を主とし + 従来の原著を 1 η 一 習志野)一 大学だより ( る,そして光郎ある順天堂の歴史をこの出版物において 望を述べている。 j も続けたいという:{f │司じりの終りに Kという略ず1で制集後記を占いたのは J古にちが L、ないが, Y :条消 ' 1 i一度は雌同案も …数年iI r 箱根駅伝四位入賞 山先生のご裁断で漸 1たことがあるが,当時医学会長イJ 1 1 く存続と決まり爾来持さんに説んで貰えるものを作りた 武その他いろいろの いと念願しながらも,学位論文の鈎,1 事情もあって忠 うように 出来なかった。こんど小川編集 長のお付折で委 uの顔ぶれも揃い,本絡的な民学雑誌を 出そうという気運になったことは自びにたえなし、 Jとあ ~~53rlll 東京-~日以問 1 1:1江大学!駅伝競走 (t , 1J2, 3 j評判通 i i 校,こよって熱戦が展開され, l 5 日の両日,参加 1 協を飾り,本学チームは, り1本体育大学が G皮 1の桜j 二位の 4位となった。 昨年度・より lつ l 本大会におけるふ-学チームのマスコミによる 。 る 年から,従来の例会は学術集会とよばれて年 4 6 昭和 4 回の開催となり, 慎天堂医学 Jはそれと歩調を合せて l l r 師向特集を主とし,若 Jだ i 氏せたものを年 4f ,1 を t t . 原 Fのj f:W順位 .ながら駅伝初出場の中距離 ; 1 ド1 4{ てる健 ,に l 立 の竹本英利の区!副賞の))ノむ等により一時は 2( jにおいて昨年の桜勝校, )dU i i 闘を示しながらもコール l よ化大学に抜かれ,惜しくも 4位に終った。 0!Il]記念、パーティーにて管台が演説したも 0 学術集会第 2 h ~ II~ 1 岨V . : J ている。 7 /島吟げ I .I ' ~ ~ 器械運動研究室 ~I=I ~ I'r.--=",,",,~ r~1 /1.#= 体 l "F 1 " 1 l f j rnlHl'JnxJ?-/I'- II"l"lA, l 究室」として教育 ・研究に悦 • らアフプ.口一チ . . 砂形態学的な観点か ~ 兵~QI' ・r~ ~ 鰍 男 の 2れ 大 学 J t f m品秀,講師 f 太 体操J(Gymnastik)と「捺械 I " 合計23名の予定である。 ' 51 1 . = J I )としづ n e n r u t t a r e G 運動J( 接続妓における運動を 械巡励や体f 2 研究分野は,主に 2 <;.r'-.> 2れ 研 究 生 時 , ゼ ミ ナ ー パ . t : 院1 対象として,形態学的な観点からアプローチするもので ;まったく異質の領域が同情していた。 i 合 ぬ ,笠,竃-習~ 、 。 ^ 〆' . ‘ 図 よ会 わってきたがぺ恥「徒手 l w-大野大 のと内容が別である) 力走 H鉛 ともに今後もよろしくお願いする次第です。(この文は 4年 )の 8区 竹 本 英 利 君( して今日にいたっている。持さまのご協力に感謝すると 5位であったが, , は 大正の初期,欧州防、ら移入された体操は,陸上競技 の定,銚,投などの運動や徒手体操,そして,鉄俸, ある。人間の動きは,簡単な 1常的な動きや,作業なと における動きに始まり,スポーツにおける尚度な動きま jマット,跳箱などの器械運動等の述動領域が雑居し, で多数存在する。これらの巡動を与える射には,運動 ュごく暖昧にとらえられていた。!被後,米国の学校カリ 経過や運動質が│問題となり,さらに孜々は人間の運動を ?キュラムに基づき内容が整理され,体操は,階上競技, 純系の問題をぬきにして与えるわけにはいか 怠味系や仰i )徒手体操,器減運動に分,れたが,現在の学校カリキュ ない。 . h ; d J' I ] J} ; : ; ラ ム で は 体 凡 タ 川 バ ー ツ の さ 領 域 に, 助基礎的な研究山・能力の限界へ挑戦するよ うな高度な技までを含め,現象学的な方法によりアプロ 器械迎動はスポーツの領域となっている。 現在,本学では「基礎運動 Jと「器械迩動 Jの領域 jが別になり,それぞれ専門の研究・教育活動がなされ l ーチすることが極めて主要なことであり,近年欧州を q 心にこのような研究が盛んに行われている。 - 8- 大学だより ( 習志野) 4 いることである。毎年のことながらトレーニングの航み " 1 1 1 3 分1 3 秒 2分 22秒 8分 16 秒 " 7分 51秒 " " 1 9 分 6砂 1 1分 9秒 h 2 1 .8 高 橋 秀 一 " Aせ 円 , 部選手で編成されていることと 1 4年生が多数出場して 22.2 竹 本 英 利 お. 2 竹島克己 ' u 本大会における本学チームの特色は,正規の陸上競技 21 .9 元山潤次郎 A吐 円 得合戦が繰り広げられているのが現状である。 2 2 d培 ナーを作り出すために毎年プロスポーツまがいの新人獲 3 2 1 .4 ) 1 1口 暗 突 1時 間 4分 4 6秒 qdd 叫 1 0 人のラソ 1 4 2 1 . 4 新原保徳 36615m はなく駅伝部と言う大学さえ出現しており 21 .9 木 椅 和 夫 4せ 456789m 各大学における駅伝への取り組み方を見ると,年間を 通して駅伝のためのトレーニソグを行い,陸上競技部で 3 4 重ねにより,走行人が少なくとも上級生の活断j によりカ〆 ーしている。現状では,我々が取りこぼしさえしなけれ 第 ば他大学のスキをついて上位 3技の仲間入りが出来得た だけに,まことに悔まれてならない。(if(木啓祐) 9回卒業生研修会 第9 1叫卒業生研修会は,昨年 1 1月 2 0日から 2 3日までの 4日間にわたり,長野県下諏訪町において闘催された。 .試 合 結 果・ l位 2位 東段大 3位 大東大 4位 順大 5立 { 日大 現地準備委員会と本学との十分な打ち合わせのもとに充 1 1時 間 3 1分 1 1秒 1 1時 間 34分05秒 1 1時 間38分45秒 1 1時 間 39分 04秒 1 1時 間 4 6分3 7秒 自体大 実した研修プログラムが組まれ,参加者は 1 0 0名を超え る盛会であった。 研修会は山川体育行の ~I~ 演,ンド学高橋 ・ 山本 IJÎj教授の 理論研修,笠原助教綬の実技研修,卒業生の!日j 題錠起 ・ 研究発長に加え,特に今 l 司は,原敏(長野県立諏訪二葉 高校教頭 ・第 l期)の公開授業が行われ,つづく班7JIJ討 -本 学 選 手 記 録。 区間 km 区間タイム順位総 性 " 9分 12秒 先殺を中心に参加者側が自主的に企画を立てたことが挙 マ ' " 16分36秒 で組んだスケジュールで‘行われたのに対して,今回は原 にU 1時 間 6分 43秒 穫ともに紋も大であった原悶は,従来の研修会が,大学 QU noFOAMJ qd434 22.2 学年 史跡霊平 敏公 3 車問箱 2 2 5. 2 氏 名 成中的 1 2 1 .8 議も白熱した議論が交された。今同の研修会が規脱,収 げられる。 なお,飯田風越高校油井久典教諭(第印刷)から,次 のような所感が寄せられた。 ‘ ・ , 当研究室において は,現場で生じた問題 を取りあげ,研究活動 をf f ¥ .、,その結果をで - . . i .w 司 ・ ・ ‘ ; ' ; ' ,' ・ ・ ・・ ・. ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・・ " きるだけ多く i 直接現場 ・ ・ ・ 凶 ・ ・ H 考えている。 ・体操競技部の指 導・ ! 全 人 教 事干 の 実 戦 ~ 、 l r . . " . . . . .. . f " o 司 A ー もうひとつの R I 5 ~..'!~ i ・・・・ ~: j \(~ - ~, ~ a に還元されるようにと ¥ 私.." :::;~". I I L二 • 4 9年 卒 油 井 久 典 j ' 太郎 nn 助教波と D t t 事孜男税関 1 0 0人を走遣す向窓生が, 信州諏訪湖畔に集い 4日間を i 議外活動においては研究室のスタッフが体操競技部 i の監骨(太田)およびコーチ(伊藤)の仕事.こ従冨I J Cし : ともにした。ぎっしり詰った H躍の r l 'での講演,現場報 告,研究発表,公開授菜参観等は,通常ではとても消化 ている。部は近年著しい進歩を遂げ,特に大学院生の} しきれないほど位広で充実したものがあり,今,fl-が現 加納実君の技は日本体操界の若手ホープの一人としてさ 場で直面している問題点を解決するに十分な内容であっ 注目されている。~ たといえる。また,初対面の先端とも同じ保健体育の遊 問書は昭和5 1年度全日本優秀選手に選ばれ,フラソ E スのストラスブノレグ世界選手権大会(即断および 間であるという意識が強くあるからであろう。 モスクワ ・オリンヒック大会(19 8 0年)の強化選手と しても選ばれており,現在,日本代表として他の 3人 i の選手と共にソ述のリガ国際大会に遠征中である。) (太田昌秀) を歩むものとして,肢を : ' f Uってお互いにかかえている問 i 題を討論することができたのは,やはり I~ïj じ願天設の仲 i 医学部の地元同窓生を交えた懇親会では 1 r 地軸を n け j と題する懸聞学長の青学説話や,懐しくお会いした 東俊郎先生の力強い熟凹節の舞などを拝見しているうち に,大学がこれほどまでに卒業生を想っていて下さった - 9ー 同窓会だより のだと L、ぅ配 l 訟に胸が熱くなった。ここに私は, 1 I 頂天堂 かった。世間は狭いものといわれるが,こうして順天主 のもうひとつの姿を見た。-建学の主旨である「全 A. が大きく発展してきた現実の婆を見ると,母校を怨う念 生漉教育 Jの実践がこうして統けられているのだーと。 はいっそう強くなる。この研修会のよりいっそうの発展 教育の荒廃が語られる中で,この精神はぜひ現場に持ち を願うとともに,準備,五 常に銑わっていたたいた大学 対らなければならないと確信した。 の諾先生および同郷の諸先就方に心から御礼申し上げる 過日,私の ~t徒の父親は医学部の先椛で‘あることがわ u 次第です。 体育学部卒業生研修会 l込 ~ このたび, 51 年1 1月から 2年間の :医 よ 一同 窓 だ り 会総会が聞かれ,次のように役誌が決定した。 学 部 ;任期で小生が会長を引き受けること 会 長 角 間 泰 造 氏 ( 一 期 卒 .! J . -子美大教段) になりました。 I r i J窓会として種々の 三戸正維氏(二期卒 ・都立 4 2島高校教諭) 副会長 問題があります。多くの卒業生が!.x j . 心のある本学卒業生 宵下佐治 が学内において満足のゆく所を得ているかの点は,今ま (七期卒 ・I J 慎太法師) 会計監査 でにいろいろと議論されてきた問題である。懸田学長, 藤原三良氏(六期卒 ・区立小岩三中教諭) 大野総務局長の計らいで,大学主催による医学習教授と 三原照礼氏(八期卒 ・県立成東南等教諭) 同窓会全理・hとの懇談会が 1月2 9日 , I .l!ノ上ホテルで開 任期は,昭和52年 4月から 2年間である。 i 寵された。懸 I U学長の技拶のあとをうけて,小生なりに なお, 考えを敏 i 怪しました。その後個人的にいろいろと全理 ' j i ζ の総会において来年度卒後研修会について候 討され,その後の大学当局ならびに担当の高橋記三教授 が怠見の交換をして有意義に終了しました。次ぎは I I l J 窓 との折衝の結果, J~J 日は 昭和52年 8 月 9 ・ 10 ・ 11 日,山 会主催による学内の本学卒業の助教授,講師,医局長ク 形県天童温泉を中心とした会場において開催されること ラスの先,t:_と全理リトを含め,教授の方々と懇談会をもつ となった。内容につし、ては,現在,地元山形県,東北地 ことを 4 5 ・えてます。 方支部長会,大学担当者が中心となって原案を作成中で また,先日 r~J 窓会三役と医学部父兄会の役員との懇談 ある。 会を開きましたが,大学発展のため一致問結してゆく方 針を確認し各種のーH 業の話が進みました。詳報は茶 mで ご紹介します。新しい役員になってから求だ 4カ月です ご意見,ご要望があれば担当身宛早急にご連絡をいた だきたい。 (体育学部同窓会理・l~ 長 ・ 川合武司 ・ 八期卒 ・ コーチ学講師) が,全理,' t~ の努力により一歩々々前進していることを報 告して終りとします。(大林功 2 4卒 整 形 開 業 沼 H ! :市) 厳しかった冬も去り,再び(13.の使 ;高 看 本 科 ;りをきく頃になりました。会員の皆 昨年 1 1月初日から 2 3日まで長野県 ;体 育 学 部 .' . . ・ … 一;様にはお変りなく,ご活艇のことと 諏訪市で開催された卒後研修会の第 思います。この一年闘を振り返ってみていかがですか。 2日目に,昭和5 1年度体育学部同窓 昨年 4月に新しく会員になられた方々も 7 業務に慣1 , . 1 - 1 0ー ~ 零学だより 任の Ll1:さを ~r出産していらっしべ2 ることでし ょ う 。 1I 々 fU 雑化する肴護業務,その職能を迷成しょ~のむ頼 主主だまり1 「 .の手で ; 1 J窓 ' 1 r 護婦になるために,そして,状々 I ; . ; r を得る ; 顕天 'ì:~~ J1~ f設の航立に八剛、できるようにと考えてはみるも ザ.いことでしょう 。 し か し ゆ のの,成ゾミの暗はなんと j っくりとお・実に進もうではありませんか どんな問題でも悩みでも品し会える場を,少しでも役 入 試 状 況 }りますが、親時;会 l f に立つことをと枝々役目も汗心して I '1の勉強会にしろ,常に会 Hの参 にしろ,いくつか実施1 加が少ないのは,和!とも残念なことです Uし J J i f Iわったためか) j I J ) 作去に「化学 I が J f 1 t~'l~ )JP~ n 記 J i1 1年半より有l 1 金)午後 5 2日 ( は 4月2 J i I 今,役 n-I iにとりかか r i ,v y z子'ぷの定例総会の, 念館食'なにおいて│瑚 m って附ります g 万怖くり介わせのうえ う、ご案内殺します ψ 川征枝 t I ( ( 再び新会 時 年度入試では、入試科 1の数学, 1 2 先に実施された 5 w席下さレますよ . 新館 11階) : 1 ' "1 1 3 を迎える帯びの頃とな n ]に別科同窓 ) 1ド4 7 {和4 t I 高 看 別 科 : りました。 I 会か設立されてから 5年を続過しま ι つつあった, 願者・教が, 笠?!;:科合せて昨年度 ,i f n・2, i t 行中もそれに Jとなり, f ( の 298/ 域 j J l i 4名と比べ 4? 9 4 ! i i . l ( 9f;~へ, 2科も 3倍から 2た 行から 3. 伴ない節 1科は 7f i L 年以来の i 5 明和4 ilを50名とした l 入学A へと減少した 願有合パ政では少ない万から 4番 1の教である 。 j;( としては例年と r,~様で r . また,別友の通り受験再・の 1 l部地 j n科については聞東地方出身持が 50%,次いで r f t jを境として北からの '部地 ) 1 , ' 方 30%,東北地ブj16%と J学校以校名変更と l 扇天宝石岐点 r l 上校がi 1 したが,昨年. : ぶ願省か多い 告から会名の変史 なった乙とを機に .役員や一部関係: めてし いで-九州地方となっており, I 同点以内が 90% を ~f i J窓会とすべきカ i l ひいては順天常抗議学校卒業生全体の I '均 ' " ' 8 2科ては 1 r i t . % 5 放が 9 8 る 年齢別では,第 1科は 1 J題等がクローズア l l 品 本 科 と の 合 併I J U のn 0載の人がそれぞれ 1名 , 4 歳 0 jめるものの 3 J 成か 84%を r y プされてお nj!邸主,今までにも話題とな っていた 屯世q ります。 この; jめ沙 ,( ¥身持か 56%を H J J京地 J j 第 2科も I l格していることが大きな特徴といえよう 。 H I 受験し,見 ' のですが,現在ほとの切泊した埋山もなく関心が柑く そのまま経過したように忠われます 「入 状 況〕 !ぷ附│受験持「次合品│ヲイ?絡 よ、会 n 持様のご立見を持ちよりご tll 昨'~ 1.、ただきたいと {(.じます 0分より有 土)午後 2時 3 6日 ( 4月1 l:t,引き続き 5時より,持政 iこれからの 山;記念館食i 1 ). , 1: ' 1 1 症の科学化 J (講師 ・佐雌殺f.:.・6 J 7 J おか議 -l 窓会総会 J i I 科I I J 百 6時からテ ィーパーテ ィの子定。 れませんが, 総会開催時間等は多少変更があるかも知l 洋しくは会 試 来たるべき総会に n宛通知致します }今!日lの講師、ふ:会々員で ii!1tlされ句現在の勉強 l Wに i r 共f く ・ ム , ある佐藤登美さんは, J 性に対応した棋倒 lの「泊誕計画一忠おの個別j l r l l 会で使 J I 90~1 科 学 説 " 1 : ( 第 1; 1名 6 '1 1 ( { 9 1 U~ 2 うn~史学科 0 I 0 1 5 I 9 . ' : 1 5: 5 4 I 8 5 5 〕 受験者の背景 〔 。第 1看護学科 県 名 数 ぶ回 ι (合総計) . 名 r , ) 6 (1 ) 3 (4 2 ) 9 (8 1 ) 1(1 9 (3) ) 1 (0 。 等の持岳でもあります。 ご期待下さ L、 (会長立川綾子新館 7階) 医学部父兄会総会 !I日平1152fl~ 度医学部父礼会総会は,きたる 4 月 11 日 (JD 午後 5 時 30分から「有山枝記念館I;,~t~~しにお L 議 交付改選などの i :・決算および 1 I T 制限される 。 r てl は,また民学部入 定審議が予定されている 。 この n 学式当 H であるので,総会に引き続き医学部新人 ~l. 父兄倣迎懇談会があわせて開催されることになり 5 5 1 - 1 ひろば 。第 2看護学科 ゆ 受 験 資 格} J I Jぶ以内と合格行政 1I li身地 J 1 ' , i ;t ll ' iと合絡有数 ぷ{阪会総行広E 史 ) 1A-11111111L ・ ・ -一 辺 一 川 端 保 山 知 県 川 ド ル 町 仙 削 川 県 a H - 一⋮泌一校形ぬ総ぷんが川町ぷ -北一川 H山一知荻崎市川千 3 吋 jqdq"hul bL" , k t - ばk 1﹂ l 1111REBEl- ¥ ' 1 ' . 1名 1名1 。 1 3 9 一 8 l l 6 4 3 : A と 鴻校卒採制 │村見込 卒 採 再n ;不i$両校 ~!;μ4込 z f ' 'fX~ 前校卒実見込 ìf(l~; 本梁比込 進'.fi"字~後 ~rm3 ^'FY.~ 。 4 1名 ( 3 6 )名 1 3 (6) 1 7 (2) 5 (5) 6 (3) 9 (1 ) 3 (2) 6 (0) ∞(55) 1 183 '一一一ー ι ∞l i 百1 1 一 =て ム 4 1 1 81 51 1 4 3 2 1 3 1 1 合格荷数(名 ) 3 5 7 4 4 3 0 0 0 0 1 1 1 ろ J 5号館解剖学実習室 5 5 ∞ 5 5 C ま へ¥ νど { ¥ ¥ ' ., A7d; 医進学唱を迎えて,ことしの尖刊が始ま った。医ヴソ i ニだけが ' 1 : ,肝にー [ I I J経験する機 ー';:~"\~ 会である。小字仙の発見とまでいわれた). 体のしくみを,各 n の手と IU~ でっきとめよ うと,かぶりつくほどの嬰勢でとりくんで いる~ f 咋I Jまでの長髪を短く刈りこんで現 : ; . ' ¥ れた学生もある。待望の拡張工 ' h ・が成り, ¥ー._ 換気設備も改修された ~t"'11室に L 、ま爽やカ " ' = シ な熱%がたちこめている ( 文 と 絵 解 剖j 学・浅見一羊) あること,ツアーコ{スの r l問点にあり, 医進スキー実宵 断篇 f tるにも降り るにも良しそれに加えて温泉街のような遊興場を持た ないことから,集団訓練には舷適なのである。 地 蔵 峠 横 禽 ゲ レ ン デ 聞 を 1時間 蔵王スキー場と 1慎天堂 1月 8Hから 14日まで行われた 51年度の実習は,総勢 I 史学部進学課程の 110名(医進 1年 9 1名、阪進 2年去下名,物理学の j ; . H H fさん,民師 3ず1>教官 8名 体訂正認であるスキ 治子数段,学生課の I H骨 友 l 一災 t ; . }I , ま ~H 和 36 年に開始されて以来、 16 有余年の開 指滋 n ,パッヂテスト検定 n の古ボ,光永 j J . j先生)の“ でスキー jおを尖神地として行われてきてし、る。 成である。天候条件も絶好で,ツアーは毎年地球峠かり せんべ L百 、I H 司に泣かされ、?存頭の11<火を短継に運ぶ背 横f tゲレンデまで際尚蓬 1,000mを 2"""'3時間要してい I : & _ こ1をさますという頃から, r 辻原旅館 Jとは誠に切っ たが,今 l u lは{噴か 1時間,医.進スキー実狩初めての新記 1 ' 1 " 折. f i ても切れない馴染み深いものがあったが,その後旅館い 録である。学生の午前態度も良く守靴擦少々、 いつのまにか売却されて,やむなく現在の前件「樹氷の 挫なし病人なしの医者いらずの災胃であった。終了式 家 lへと移ったや ζ 乙の良さは、パラダイスゲレンデに には雪合戦,そしてお l H ;話' t こなった各班の教官の腕あげ -12- ひろば が始まる始ぷであった。 舵の合併症が起りやすく軽倒することはできません。乳 スキーツアーに思う 0歳以上では肺炎の合併占拠が高くなり,気管支哨 幼児や 6 今年 1班を担判した水野議師(指都民)は「滑るツアー 以脱症などの慢性呼吸器疾患や心 ふ 慢 性 気 管 支 炎 , 附i J f尿病なとの基礎疾患のある人は特に注意が必要 W 1かれているのは残念だ,シーノレ(滑止め)を このみ屯きが i 疾患, まいて登るツアーが忘れ去られようとしている。また,基 です。その他,最近は呼吸器以外の臓鴻にも注怠を向け 礎訓練中にも林の中を縫ってゆく方法には,突に変化に る必要があるとされています。 と強調される。そういう 富んだ退屈しない面白さがある J かぜ症候群と ~t) 急性の i二%道のカタル性炎症を起こ 意味からも,来年はゲレソデスキーの基礎的技術をツア す疾患の総称であり,その病原は,非感染性と感染性に -IU1:,かした其の醍醐味を体験させてあげたいと考えて ( j J 分けられます。非感染性のものは本冷などの物理的 J いる。医師としての生涯にわたる生活の中で,これらの 悶,ガスなどの化学的原悶,アレルギー性原因などであ 体験が r奄で,また喜びにつながるものであってほしい t 体育管見学助教授) 浪越信夫 ・ と望むものである。(団長 ・ り,感染性のものは主としてウイルスで,その他にりケ ッチア,マイコプラズマ,細菌,抗菌などがあげられま 。 す . ' _. 一~ . .みんなの健康.… … ・ … … なかでも毎冬流行のインフ/レエンサ'はち症状の激しさ ・っても,短期間に械めて多数の患者が発生すると 3 から 7 , . , “かぜ症候群" i Ul題からも故も大規模のものです。歴史的 いった疫学的 I こ大凶行のスペインか :界的 i H , t ) 乙も 1918~r (大正 7年 :界人 nの半分に吋る 5億人の権患者と, u ぜは均時の t 内科校医 2 渡辺一功 千万人以上の死亡島を出したと L、う悲劇的記録を残して 昔から「風邪は,万病のも ている/タインフルエンザ (A-Swine 型) に近似した とJと雷われていますが,積 ウイルスか米関で発見され,スペインかぜ再米騒ぎがお います。昨年,このスペインかぜの病原ウイノレ久とされ =竺一一一ーーーー-・ ・ E H 1博士の桜 I r r研究会雑詩、の 341りに“十U. J 願天笠原 ' Hn博士とは東大の 談"と題する一点か載っている f i 年のある 1 . 解剖学の初代教俊の削口和夫である。明治3 、 日 買天設の関り合い I 頂天堂にータ縮かれて,日分と 1 J I Fにし かれたこの[剖諮を : m に1 こともない杭慌で、詳細i て勝出したのであった。 大久保卿がこの必益什をドイツに運んだときの隙 f 1想録にでてくる。明治 4年のこと岩倉 I 1 1 が佐藤進の [ を諮った。そのなかに,これから述べる偶憾の話がで 伎の一行がヨーロァバ観察で,ベルリンにもやってき てくる : f ' た。随L1の一人の大久保利通からベルリンノ〈乍に在 ' から J口のもとに佐藤尚 11 ある H, U i什のきれい W r なのを一つ都合がつくまいか j とし、う使いがきた。!日 姐るか,学 ,の料用に使うのは i : 1 F Uはそれを,I めなら都合のつかないこと もないと返・J~ をした。する Uのためであるとし、 と,学 H j人早速、手持ちのな 話1 うi ,_ J 宅三三 7 a ・ . ; p 弓 ; ' / ' . . 綾子 S 告 蕊¥u mのた r 1があるから取りに来るよ J i '1' の進に尚 r~ ,かうの依頼の I うにと知らせがあった。早速,ホテルにたす'ねると附 の ~íí が差し出された。大久保卿は rl' 味は何か知らぬ| 1 慎天堂史余話シリーズ i I 1 トタ ドイツに渡った鰯鰻 ~-\''")~京詩、 かでも整った頭骨を持参す 1弘 司医史学研究室講師消井シツ ' ると,尚1 1~ま黙って受け取った , が れ、旅路ゆえ峡れてい J るといけないかウ改めよと いう言葉。はじめ進も附 かなと思いながら聞けると 自K:f1に包まれた慣1m.さす がの大久保卿もギ司ツとした様子だった。そこで,進 '1から暇があ j,尚1 それから一年あまりたったある f 土 ライヘルト教綬がベノレリン大学の標広三〈に日本ノ 、 l 1 j3,速tHかける ったら米るようにという使いが来た。 r の ~Ji益什がないからぜひ入手したいと L 、う再三の頼み と,ー附のよ~'J~ な解剖図譜を差し出して,三れがまえ に民った頑竹へのお礼だと L、う。そして誤ったのは, '1に知lらせたところ,こういう があり?その宵を父尚 1 1 ,' 次第になったのだと説明したのであった。 4 の頭説' あの頭',';'は大久保利通卿の予でドイツに渡り,ベルリ がし、まどうなっているかわからない。もし,第二次).:. ン大学の解剖学の教凌ライヘルトに贈られた。その;お . 戦の戦火を無・J~ にくぐり抜けていれば、フンボルト).:. 礼にこのハイツマンの解剖凶諸'をくれたから,これを )怨しているかもしれ先 1 1 :の標本史で静かにむかしを 1 l " _ : ! Iはそれまで見た 制iIこやろうと L、う話であった。[HI い - 13- ひろば こり,フ 4 ードjく統領か防疫対策を指示したことは押さ 良の r'~)nl~ として,過労をさけi睡眠を充分とり守栄建を んもご({匁 l だと思います。その後,流行の 3 4配がないの 充分に桜ること。そして?かかってしまったら充分な安 は幸いなことです。円本でも今年の初めは B1 香港型によ 静と I C 4 1 長 白 , るインフルエンザで学級閉鎖が mついで行われたことで Z Jカロリー(すきやき等の鍋料理), ピタ ミン A(ヤツメウナギ, νパ一等),ビタミン c(ほうれ ん中(,ピーマン》人参,果汁等)に 1 2んだ食物をとり す 。 いまだに 1'~l1.1:されない疾病ですから、何といっても段 平 1に限師に相『決することか第一でしょう。 開b ホ イ 関 シリーズ@・ と W4 rh 「 病 理 学 一l -松 本 道 学生時代には数多く有ったマイホビー 5 ',- も,今や毎 [ 1の勉強に追われ,無趣味に 近い有様だが,それでも小ヴソ".時代からあ,' G t、ているもの も1 時間をかけるのはデ 二本版l 輔がある。とはいっても同!万ぶ巧ばりの大作では サ'インである。なるべ なく, 1:.として年賀状に時々見られるあれで・ある。記憶 く木版として敏い幼い L~ Wiを n 分の技術に fT せて作るの では,年 1 1状を送るという抑制があることを知った松初 がコツである。版本の!サf!,まなるべく正 Hの も の を 選 の 1とに作ったのが,例の「イモ、 lJであったが,これは ぶ。節があると鋭くて彫りにくい。絵具は水彩絵具,ポ 大1 1 1 :に相I 1 るためには Hづまりや破損が起き劫いため具介 スターカラ一、 U4 正 副m 顔料など 7 1 1 1絵具以外ならほとん n が良くない・・…ということで、次の 1 fから木版印刷とい と使える うことになった。 の少し紡っか H lる科度に出ぜること。あまり;j(っぽ L、 絵 この本版l掛は松初から~色 ~~II りであったが,毎年一 1"1 コツは糊~)くはf-l本曲i 川のニカワを絵具にほん 具では l 由u r ( L Iの調1 1 部がつぶれてしまう。版に色をのせる時 しかやらないのに版画作りの技術および内特はどフいう は少 1 1 1 ;の絵具をず・早くするのも一つのコツ わけか年々向上してきたようだ。やはり I l i J様のことをや4 らぷ早く紙を延べてきずれないよう軽く押え,その i て か かの I~li~r( で読んだことがある その文取は大体次のよう であったと e記憶している J 色をおいた ら別の紙(どんなものでもよしうをかぶせ、入レン ( r l i }JUのものでよ L、)で少し t強めに l 尚I I削全体・をこする。紙の 「毎年版i 酎の年 t ' i状を i 去ってくる友人が t、るが , ìl~ 段 版 l I i s t r.どやっている様子もないのにどういうわけか年々 腕があがっている。乙れは一体どういうことなのだろう 慣としては、ややl 伝手の和紙がM.も良いようで,洋紙は どうも絵 J ' ! :の写りが J E iいョまた多色村1 1りの j劫f ?は色す:れ が起らないよう、1'1分の好みの隅,例えば, ,,(. j下関の f i j かj というものであった。在、はこの版併をやる友人の気 (かど)および好みの辺、例えば左側 J . ! 1を「見、町 Jとし 持が1 ' ,リるような%がした。きっとその友人は一陣の義務 (Jtての色の版本をこの見吋を基準.こして彫り‘色刷 f )の 感にとらわれていたのだろう。一度,木版l 酎の年 状を 時もこの見当に紙を当てて刷るのが,きれ L、 な イ l :1 : げの 送る 3 そして,その反刊はまんざらでもな L、。次の年も コツである。さあ,米年も頑唱えらなくては n 版刷にしよう。第一、活版印刷より暖か味がある J その 順 天 堂 だ よ り く1 5 8号> うちになにかの部作で版l 剥ができないことがある b そう )1関天堂大学広報 すると折角待っていたのに,今年はとうしたのかと聞か 昭和52 年 3月1 5H発 行 1 J しその年~ 1 悔み,よし米 '.f.はまたやるぞ B それに i ! jっ ている人かいるのでは‘ もう少し良いものにしなければ 発行 と号えるわけである。こ Ju t :' 1 1分の場 f ?にもちてはまる *点都文京区本郷2 さて,弘の本版は特別に技術1' 1 りに慨しいものではな L、。全て!'Ie慌で、小、 11 学' [ ; で も: f diできるものであ るー!'I分たりに F J心した点をあげてみると、や!と 5 .司て JIIf[ 天堂大学総務部え:/r- I~~ 1・ 1 干 1 1 3 宮 03( 8 1 3 )3 1 1 1大f t点 i 7 0 3 2 , -14- 内総 115,1161~