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資本主義経営と『労働の人間化』
村田, 和彦
一橋大学研究年報. 商学研究, 22: 157-200
1980-06-30
Departmental Bulletin Paper
Text Version publisher
URL
http://doi.org/10.15057/9754
Right
Hitotsubashi University Repository
﹁労働の人間化﹂ の理論的基礎
﹁労働の人間化﹂ の具体的施策
﹁労働の人間化﹂ の歴史的背景
﹁労働の人間化﹂ の意義と問題点
資本主義経営たる企業において労働者が遂行して.いる
結
資本主義経営と﹃労働の人間化﹄
村 田
和 彦
一五七
﹁労働の質﹂︵2毘蔓Oh︵O詩︶ ないし﹁労働の内容﹂
資本主義経営と﹃労働の人間化﹄
目 次
序
﹁労働の人間化﹂ の理念
七六五四三二一
序
一橋大学研究年報 商学研究 22 一五八
︵>旨魯巴旨巴一︶に着目するとともに、﹁人間に適合した労働の形成﹂︵08梓巴叶9の山RヨΦ虜9①おR8耳①︾旨oδ
を可能にするような形態に企業の作業組織︵毛o詩oお寒冒鉢δ錦≧幕冴o品p巳ω豊9︶と労働者の職務︵す豆︾ぴΦ一−
冨碧おぎo︶を編成しなおす必要性が、近年、﹁労働の人間化﹂︵9ヨ塁凶鐸録29ミo詩㎞=ロ旨彗邑o歪おαR︾号簿︶
の標語のもとに提唱されている。のみならず﹁労働の人間化﹂に関する努力もまた、すでに多くの国において現実に
︵1︶
展開されつつあるようである。
本稿は、こうした﹁営働の人間化﹂の主張の基本的性格と、それが企業の存続と発展に対してもっている意義とを
解明することを、その課題とするものである。このために以下においては、われわれはまず、ω﹁労働の人間化﹂の
理念、③﹁労働の人間化﹂の理論的基礎、および⑧﹁労働の人間化﹂の具体的施策を究明し、ついで鰯﹁労働の人間
化﹂の歴史的背景を究明し、その後に⑤﹁労働の人間化﹂の意義と問題点を考察することとする。
︵1︶ ﹁労働の人間化﹂の動向ならぴに事例については、つぎを参照のこと。
奥林康司︵稿︶、ヨーロッバにおける労働人間化の動向、神戸大学経営学部﹃研究年報﹄図図H<、昭和五三年九月。
武沢信一︵編著︶、労働の人間化ー始動したΩWL革命1、総合労働研究所、昭和五〇年九月。
二 ﹁労働の人間化﹂の理念
﹁労働の人間化﹂の主張は、企業において労働者が現実に遂行している労働の内容が非人間的なものであるという
現実認識のもとに、作業組織の編成ならびに職務の設計に関する新しい原理を提唱しようとするものであると解され
る。そこで﹁労働の人間化﹂が志向しでいる理念を明らかにするためには、それに先立って、まず、現実に労働者に
よって遂行されている労働の内容が非人間的であるとする基本認識そのものの内容と、﹁労働の人間化﹂の主張の基
礎にある、現行の作業組織ならぴに職務の編成原理に関する現実認識とを明らかにしておくことが必要となる。
われわれの理解するところによれぱ、労働者が現実に遂行している労働の内容が非人間的であるとする基本認識の
︵1︶
内容は、これを大きくつぎの三つに整理することが可能である。その第一は、﹁労働が極度に細分化されていること﹂
︵①蓉8ヨ。>き簿鴇毘お=お︶が労働を非人間的なものにさせているとする認識である。第二は、﹁管理職能ないし処
理職能と作業職能ないし執行職能とが分離されていること﹂︵げ2昌お︿曾∪厨宕降凶8目区>5まぼ昌σq︶が労働
を非人間的なものにさせているとする認識である。そして第三は、労働の領域において労働者が﹁社会的孤立化﹂
︵8N芭o討島臼昌σq︶にさらされていることが労働を非人間的なものにさせているとする認識である。この揚合に、
﹁労働の極度の細分化﹂が労働の非人間化を生ぜしめると解されるゆえんは、それによって、労働者に対して、きわ
めて短い作業周期と単調な作業リズムのもとに不断に反復される単純な部分作業を遂行することが要請されることと
なり、その結果としてつぎのような事態が発現をみることとなるからである。その第一は、労働者が関与しうる作業
対象ならぴに作業工程が極度に限定されることから、﹁労働の無内容化﹂︵ω日ま算一8ヨお匹R≧冨δが発現をみる
ことである。その第二は、労働を遂行するにあたって専門的知識や経験が不必要となることから、﹁労働者が潜在的
に有する肉体的ならぴに精神的能力が活用されないという事態﹂︵。言団雷。茎お窪山8峯も。島3窪目ασQ。馨碍雪
■。一ω言お唱o富旨芭の︶が生ずることである。そして第三は、労働能力がきわめて限定された方向にのみ発揮され、し
資本主義経営と﹃労働の人間化﹄ 一五九
一橋大学研究年報 商学研究 22 一六〇
かも機械化の進展にともなって機械の運転速度に労働者の作業速度が拘束されること︵象。製且旨⑳αR>3簿ω8,
ヨ宕目山巽円毘一ロR冒島3一目︶から、一面的な身体的ならぴに神経的作業負担︵島。蝕島。三鳴嘗器冨o竃琶α
ぎ建影ぽ︾び簿号。すω言話︶が増大することである。これに対して﹁管理職能と作業職能の分離﹂が労働の非人間
化を生ぜしめると解されるゆえんは、それによって﹁労働の他律性﹂︵卑雪己訂駐目ヨ昌αqαR>ぴ。δが発現をみ
るからである。すなわち、作業目的の設定活動と作業目的の執行活動とが分離されるとともに、作業の実施のために
必要とされる準備活動にかかわる思考活動も労働者とは別の管理者ないし管理事務部門によって事前に行われ、労働
者に対しては、これらの指図に従って作業を遂行することのみが要請されることとなり、ここに﹁労働という行為に
おける精神的労働と肉体的労働の分離﹂︵象Φ岸魯目お<8αq。巨凶αq臼β&まも。島&R︾ぴ。写ぎ≧げ簿路耳︶が生
ずることが、非人間的事態として把握されているのである。さらに労働者の﹁社会的孤立化﹂が労働の非人間化を生
ぜしめると解されるゆえんは、それが、企業において展開される労働がもっている協働的性格、すなわち﹁労働の社
会的性格﹂︵畠段σq8①房9鉱岳3。O富β算RαR叶訂δに背反すると解されるからである。ところで、労働者の社
会的孤立化は、われわれの理解するところによれば、﹁労働の細分化﹂と﹁作業職能と管理職能の分離﹂とから派生
して生ずる事態である。とするならば、﹁労働の細分化﹂と﹁作業職能と管理職能の分離﹂こそが、労働の非人間化
を生ぜしめている根本的事態として把握されうることとなる。しかも﹁労働の細分化﹂と﹁作業職能と管理職能の分
離﹂とを作業組織の編成原理として最初に措定するとともに、こうした二つの原理に依拠して作業組織を編成する必
要性を力説した人は、テイラー︵牢&窪鼻≦一島一〇≦円p箪P一〇。ま1這賦︶である。これらのことからわれわれが確
認しうるのは、﹁労働の人間化﹂の主張の基礎には、現行の作業組織ならびに職務の編成原理をなしているものは、
︵2︶
依然としてテイラーによって提示された原理であるとする基本認識が存在していることである。なおプライス︵Oげ.帥、
㎝訟器写。﹄︶は、テイラーの作業組織の編成原理を﹁時間節約原理﹂︵匿ωギ言N萱号.○犀。昌。巨。α。吋N。δとし
て特徴づけている。けだしテイラーにおいては、作業過程を部分作業に分解するとともに、部分作業を構成する基本
動作の時間測定と動作研究を通じて﹁無駄な動作﹂︵ま①旨冴巴αq①国塁詠ユ留︶と﹁浪費時間﹂︵一。叶。N。一け。ロ︶とを除
甘げ屈言9覧。︶ともよぱれている。けだし、それはあくまでも作業者個人を単位として個人に細分化された唯一の職
去することによって、,部分作業の最も時間節約的な遂行と、作業過程全体の時間節約原理にもとづく統合とが意図さ
︵3︶
れていると解されるからである。またテイラーの作業組織の編成原理は、﹁一人一職務の原理﹂︵9。。昌。,ヨ自,9①,
ハ レ
務を割り当てるものであって、集団を単位とする作業を原則として認めるものではないと解されるからである。
以上が、﹁労働の人間化﹂の主張の基礎にあるとわれわれが解する﹁労働の実態﹂に関する現実認識である。.︸れ
を要するに、労働という領域における人間の﹁自由な行動範囲﹂︵ωロ。マ雲ヨ︶が、﹁作業活動という水平的次元﹂
︵色。﹃o言8琶。U言目ω一8留m月鐘讐。蕊もす一ββ目①ω︶においてのみならず、さらに﹁管理活動という垂直的次
元﹂︵象oお議犀巴oU巨8巴9α窃図馨8訂一身お。n−冒山民○算8房覧一葺窪ヨ8︶においても極度に制限されていると
する認識が、労働者が企業において現実に遂行している労働の内容が非人間的であるとする現実認識を生ぜしめてい
るのである。
︵5︶ ,
とごろでこのことは、﹁労働の人間化﹂の主張が労働という領域における人間の自由な行動範囲を拡大する必要を
資本主義経営と﹃労働の人間化﹄ 一六一
一橋大学研究年報 商学研究 22 一六二
提唱していることを意味する。それでは、こうした意味における﹁労働の人間化﹂を実現するためには、作業組織な
らびに職務の設計にあたってどのような要件が充足されねばならないのであろうか。こうした要件として、エメリー
︵卑a国旨Φ蔓︶とソースラッド︵国営零円げ興胃区︶は、つぎの六項目を挙げるとともに、これらを職務内容に関す
る﹁一般的心理的要件﹂︵言①σq。昌R巴℃馨90一禮8巴器ρ巳話旨窪諾︶もしくは﹁心理的職務要件﹂︵霧聴ぎ一〇αq一8二3
︵6︶
括ρ包お目鍍︶とよんでいる。
①職務の内容が、たんなる忍耐とは別の意味で適度に努力を必要とし︵挑戦しがいがあり︶、しかも︵必ずしも
新規である必要はないとしても︶何らかの多様性を提供しうるものである必要性。︵円訂幕a︷9夢。8鼻①暮
。=訂喜8訂暴ω。奏げ一鴇留暴区凝︵。巨雪の凝︶58﹃暴。ぎ二7§旨R§身﹃舅g呂蚤冥。亭
良⇒αqωoヨ①!、pユoな︵昌o峠器8u。。。畳一鴇昌oく〇一蔓﹀︶
働 職務を通して学習が可能であるとともに、さらに学習の継続が可能である必要性。︵このためには、適切な標
準の設定と、標準と結果の双方を知りうることが必要とされる。︶再び、これも程度が問題となる。︵目お需巳
8﹃σ①冒αq3一Φ8一8ヨo⇒9。一〇げp呂σQoo昌一$ヨ言σq︵︵臣9目℃ξざo≦口p昌α竜冥o﹃馨。。。鼠且帥巳ω㌧
帥民巨o註aσqoo囲話ω巳誘︶・>鴨言#誌即2Φω試o昌o︷需一葺R80目ロ98㎏80=梓二〇■︶
㈲ 各人が自分のものとよびうる意志形成の何らかの領域が存在する必要性。︵目ぎ器9hR8旨。舘$9号阜
ω一g,目p匠お守簿90一呂貯置口巴o睾8=ま。。o譲F︶
回 職揚内に最低限度何らかの作業者相互の互助と互敬が存在する必要性。︵日訂諾a8賊8ヨ。ヨ巨ヨ巴留oq器。
o︷琶風巳目①器p民§。鮫鼻一。三昌些①ぎ蒔℃一p8・︶
㈲ 彼の活動とその生産物とを彼の社会生活に関連づけることができる必要性。︵目プ。βΦ8け。σ。臼σ一。8.。一簿。
善暮ぎ山。。。・帥巳≦プ舞ぎ冥。98の8宴ω。。芭ま①・︶
㈲ 何らかの種類の好ましい将来を職務がもたらしてくれると感ずることができる必要性。︵目ぎ含&88巴窪碑
跨Φ一〇σ一①aω酔oωo旨oωoH梓ohα8凶βσ一〇誉εHρ︶
これらの六つの﹁心理的職務要件﹂は、原理的には﹁労働の人間化﹂を志向した作業組織の新しい編成原理、した
がってまた新しい職務設計原則をなすものなのであるが、いまだあまりにも一般的で抽象的である。そこでエメリー
とソースラッドは、より詳細で具体的な﹁職務再設計の原則﹂︵℃ユ琴旦窃h霧岳。冨α婁09巳品oユ09︶を、さらに
個人の段階と集団の段階とに分けて提示している。
︵7︶
まず個人の段階における職務再設計の原則から取り上げることとする。
ω﹁職務に含まれている仕事に最適な多様性が存在すること。﹂︵○℃菖ヨ露ヨく暫.一。蔓。︷鼠、犀。。一<一跨5夢。一。σ■︶
あまり多様性に富みすぎると、訓練および生産が非能率となりうるし、また労働者に挫折感を与えるア︼とともなる。
しかしながら逆に少なすぎると、退屈や疲労を生ぜしめることともなる。最適な水準とは、恐らく、作業者が努力を
必要とする活動に高度の注意もしくは努力を一定時間傾注した後で、別の関連はしているが、しかしそれほどの努力
を必要としない仕事に従事することによって一息つくことができるようなものか、もしくは逆に、一定期間常規的活
動についた後に、作業者に自己の全力をあげることを要求するようなものであろう。
資本主義経営と﹃労働の人間化﹄ 一六三
一橋大学研究年報 商学研究 22 一六四
図﹁単一の全体的な仕事の外観を一っ一つの職務に付与するような仕事の有意味な様式が存在していること・﹂
水準、努力の程度、および熟練の種類において異なるものを含みながら、なおかつ相互に依存しているようなもので
︵>目。帥p一昌鷺q一℃帥ヰΦ賊昌。︷什即の犀の爵鉢αQ貯雷8雷9置げ騨の①目三導89ゆωぼ匹oo奉β一=器ぎ︶仕事は、注意の
あるべきである。すなわち一つの仕事を遂行することによって、同時につぎの仕事の達成をより容易にさせたり、あ
るいは仕事の全体によりよい最終的成果をもたらすようなものであるぺきである。こうした様式が存在している揚合
には、労働者は.︾れらの要請に適合した作業方法をより容易に見い出すことが可能となるとともに、彼の職務を他者
のそれにより容易に関連づけることが可能となる。
圖﹁作業周期が最適な長さであること。﹂︵○讐ぎβヨ一2αq葺9毒日犀29ρ︶作業周期があまり短かすぎると、
作業の終了と開始があまりにも多すぎることとなる。逆に、作業周期があまり長すぎると、作業のリズムをつくり出
すことが困難となる。
バックが存在していること。﹂︵のoヨΦ。。8需8賊器豊おω富呂碧房9ρ轟暮一蔓費昌q2豊な9嘆98鉱89口畠帥
㈲﹁生産の量と質に関する標準の設定に対する何らかの自由裁量の余地と、結果に関する知識の適切なフィード
の娼律卑琶Φ噛ΦΦき費。閥。︷ぎ。琶Φ凝。。︷域霧色貫︶ただし、最低限度に関する標準は、一般に、管理者によって設定され
なければならない。けだし、このようにしてのみ、労働者が職務を遂行するのに十分なだけの訓練や注意力をもって
いるか否かを管理者が判定することが可能となるからである。しかし労働者は、最低限よりも高い標準を設定する自
由をもっている場合には、こうした標準を達成する貴任をすすんで負担するし、またフィードバックが存在している
場合にのみ、職務を通してすすんで学習しようとするものである。逆に結果についての知識に関して迅速でかつ十分
なフィードバックが存在していない揚合には、労働者は、標準を効果的に設定することも学習することも可能ではな
い。
㈲﹁職務の中に何らかの補助的ならびに準備的仕事を含めること。﹂︵目冨首2島凶25践。一〇σ98ヨ。9些。
窪益昼受雪山屈名巽緯o蔓寓鴇ε労働者は、彼の統制の枠外にある諸問題に対して貴任を負担する.︶とはできな
いし、またその意志ももってはいない。第五の基準が満されているかぎりにおいて、その場合には、こうした﹁境界
的仕事﹂︵ぎき3曙3ω5︶を含めることは、労働者の貴任範囲を拡大するであろうし、また労働者が職務に専心す
ることに役立つであろう。それらの仕事はいまや労働者の責任範囲に属しており、もはや口実とはなりえない。
㈲﹁職務に含まれている仕事は、社会において尊敬の念を獲得するに足るだけの、何らかの注意力、熟練、知識、
もしくは努力を要するようなものであるぺきである。﹂︵目冨寅降ω置巳区a5一げ。ぢげ旨o巳匹言9且。8ヨ。α。σq、
§。言弩﹄窪一ぎ。註。壽ρ9&。﹃茸訂二。・ぎ#ξ。=暑。g5身8ヨヨ目芽・︶
ω﹁職務は、消費者のための製品の有用性に対する何らかの確認可能な貢献をなしうるようなものであるべきであ
る。﹂︵りε。ゴぎ監暴ぎω舅呂§弩畳g8斤旨葺g8酵琶ξ。︷葺①℃﹃。9。二。円豪。。屡垂。﹃・︶
以上が、個人の段階における職務再設計の原則として提示されているものである。そこでつぎにわれわれは、集団
︵8︶
の段階における職務再設計の原則を取り上げることとする。
①﹁︵技術的もしくは心理学的理由のために︶職務間の相互依存的関連が必要とされるところでは、仕事の連結、
資本主義経営と﹃労働の人間化﹄ 一六五
一橋大学研究年報 商学研究 22 一六六
職務交替、もしくは物理的接近を可能にすること。﹂︵零o≦島お脇9.言8ユ8置詣、僧塁﹃乙38鼠菖89℃7協一8一
℃円O邑ヨ詫曳毒げRo什げ段oδ帥ロ08器霧網旨3﹃αo℃oコαo昌oo9すげω︵h日807三〇鉱9℃の︾oげO一〇四〇巴器器O昌ωy︶このこ
とは、最低限、意志疏通を維持したり、仕事が相互に関連している労働者の間の相互理解をつくり出し、このように
して摩擦、罪のなすり合い、およぴ責任転嫁を少くするのに役立つ。さらに最良の揚合には、このことは、協力や互
助という標準を実行するような作業集団をつくり出すことに役立つ。
ω﹁個々の職務が相対的に高度のストレスを含んでいるところでは︵’葺R。9。5島く崔轟二〇び8琶一ω卑増Φ蜂貯。−
ぐ匡αqげα品お。9降器器︶、仕事の連結、職務交替、もしくは物理的接近を可能にすること。﹂ストレスは、肉体的
要求、退屈、注意の集中、騒音、もしくは孤独といった一見単純な事柄が長期間にわたって持続する揚合に、これら
のものから生じうる。人た自身の工夫にまかせておくと、入々はこれらのことに慣れてくるのであるが、しかしスト
レスの結果は、誤りや事故や怒りの多発となってとかく現われがちとなろう。しかしこうした事態における他者から
の援助は、ストレスを減少させる作用をもっている。
③﹁個々の職務が最終製品の有用性に対する明白に確認可能な貢献をなさないところでは︵譲箒お爵o言貸≦量巴
甘房3ロ9目爵①雪呂くδ臣℃R8一毒巨oo9#一σ暮一98島o暮旨受9夢①o呂冥099︶、仕事の連結、職務
交替、もしくは物理的接近を可能にすること。﹂
側﹁多数の職務が、仕事の連結もしくは職務交替によって結ぴつけられるところでは、それらは一つの集団として
つぎのものをもつべきである。すなわち、①製品の社会的有用性に貢献する一つの全体的な仕事としての何らかの外
観︵。qoヨ①器日三嘗80剛塁oくR巴一梓器犀≦匡3目騨8即08鼠げ暮一88仲げoω8芭暮臣蔓oh些Φ℃同aロg︶、②
標準を設定したり、結果についての知識を得ることに対する何らかの自由裁量の余地︵8目38需8.。。。豊お。。σ昌,
ユ霞房琶畠お8三夷ざ〇三。凝①9おω巳富︶、および③﹁境界的仕事﹂に対する何らかの統制︵8巳08算3一〇<R
島o♂o昌ロ畠p蔓鼠ω訴、︶がそれである。﹂
以上が、エメリーとソースラソドによって﹁労働の人間化﹂を志向する職務再設計の原則として措定されているも
のの内容である。
さて以上の論述から﹁労働の人間化﹂の基本理念としてわれわれが確認しうることは、つぎのとおりである。すな
わち、﹁時間節約原理﹂に指導された﹁労働の細分化﹂と﹁作業と管理の分離﹂が現行の作業組織の編成原理をなし
ていることによって極度にせばめられている、労働領域における人間の自由な行動範囲を拡大することが、それであ
る。しかも労働領域における人間の自由な行動範囲の拡大は、﹁労働の人間化﹂においては、ω職務の多様性、③職
務における学習の可能性、③職務における意志形成の可能性、㈲作業仲間の問の互助と互敬、㈲職務の社会的有用性、
およぴゆ職務の将来性という労働者の六つの心理的要求を充足するという見地から意図されているのである。ただし
ここでわれわれは、労働者の行動範囲の無制限な拡大を﹁労働の人間化﹂が意図するものではけっしてないことに注
意しなければならない。すなわち、﹁拡大の問題﹂は、﹁多すぎても少なすぎてもいけないという問題﹂︵㊤2。ω試8
0h昌①一夢震εo目β3”980ロ叶二。︶として把握されているのである。したがって最適な拡大の程度をどのように
して確定するかという間題が、﹁労働の人間化﹂には内在していることとなる。
資本主義経営と﹃労働の人間化﹄ 一六七
一橋大学研究年報 商学研究 22 一六八
︵5︶<σq一・蜀<一ぎ胃︵ξω職●y四る●○‘ω﹄。。’
︵4︶9︾φ田o一壽中oや。一けこマβ
︵3︶<σq一。ρ刃①一P鋭PO‘ooψ旨占Q鐸ω薗一轟甲
ぎ9の葺巴u昏。。β2 浮Φ9の①o︷20ヨ曙 ㌧■邑窪一窯ひも。8’︶
畢畠奉運算葺・。茎曽。8鼠ざ夢①3巨器言巴9号ω雪℃﹃ぎ昼窃ぎH且巨望︵︾男国o響。σqこoσu婁のg&
奮κ。一霞ぞ一邑一。器ω芸簿些①ぎ蒔。h閏﹃a。H葵円琶。﹃慧α募の。尋ま。欝冨σq。馨耳麟電﹃89語おぎ一。舞
訂跨8爵①目菖量鼻陣自。雰峯=8毎§昌貫a目讐。昌﹂霞急お鉱馨﹄民聾。㎝竃田g曽奉5︵マ号9①自
■巨一号讐ぎ8暮。暮。h芸2&三身と、ω一。び≦器。冨。;ぎ豊α凝℃円募苞窃嘗目舅8ヨ富昌房目箒窪マ
メリカ合衆国において行った職務設計基準に関する調査結果を取り上げて、つぎのように述ぺている。
として、デーピス、キャンター、およぴホフマン︵い国U帥く量刃塑O騨幹R帥昌q旨男国O頃ヨ雪︶が一九五五年に
︵2︶ ボルペーク︵い男ωoぎ品︶は、現行の作業組織の編成原理が依然としてテイラーのそれであることを示す実証的研
一︷・国環”り。吋ωg巴℃o豪凶胃畠Rq馨Φ葺魯ヨ目αq一男①ぎげ。胃げ①一国弩どお一sざoりψgーヌ
§σQ。。げaぎσq昌碧p身二訂。曇一ω9窪国o旨。ヌ。巨匹層舞富3窪客a毘① 一国α﹃6ヨoりooー置占圃■
ρ刃o一P国ロヨ器凶ω一①葺おα①﹃≧げ①酵毒o洋 ∪碧降。一一善σQ目且Uぴざのω一gqR80ぎぢo亨鮮go三ωO一一魯国暮緯魯−
爵属8穿暑三?国昌冥。乞昌の曾︷萄島。甲貴冨 ﹄い区三αqωご﹃①昌︵菊7。5︶這ヨ鴇・おー。。一■
閏・op邑①斜ヌ一︽。一σ﹄・ω・び屠︾国目旨駐ω一。暑おα。﹃≧蜜匿毒一ご&勺89窪<一憂 寓①韓・β邑旨。もβ下
凶&霧ε①一一①昌≧げ卑ω壽F園。3げ。犀げ9属帥ヨげξαq這鐸ooω・一?N一●
︵−︶<σq岡・劉≦一冨﹃︵ヶ露・︶レn。房9曾さ﹃山。冒ω。三。げ。§匹。=①ユ。﹃聖暴昌鉱。目お目畠u。ヨ。醇毘。。富目の轟R
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’民o一プ鐸閃■い冒σqサ鉾mO;ωoo。刈OI謹甲
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一〇圃9マ一轟沖や一軌O■
︵6︶On国国ヨ。q陣 国,↓70冨屋“U①きoR騨o網緯≦R犀1↓70
℃﹃oαq睡ヨー噌びo鼠oコ
︵7︶ Oい男国旨臼鴇簿 国,↓げo誘昌ユ一〇や9f唱℃■一凱1一9
︵8︶ Oh■劉国ヨR鴫馳 国、目70話醤“oや9一‘℃やまー一ぎ
三 ﹁労働の人間化﹂の理論的基礎
閑o℃o#o[爵o客o暑oσq置昌一昌師臣峠ユp一UoヨoR8図
われわれは、前節において﹁労働の人間化﹂の理念を明らかにした。ところで﹁労働の人間化﹂の理念が実現され
るべき揚所をなすものは、もちろん企業である。それでは一体﹁労働の人間化﹂の主張は、どのような企業理解のも
︵1︶
とに展開されているのであろうか。フィルマール、ボルベーク、プライス、およぴガウグラi等の所論にもとづいて
われわれが知りうることは、﹁労働の人間化﹂の主張は、企業を﹁開放的社会・技術体系﹂︵9魯890−話9三昂尻﹃ゆ,
器目︶として把握するとともに、こうした特質をもつ企業の存続と発展とのかかわり合いで展開されていることであ
る。すなわち、﹁労働の人間化﹂の主張の理論的基礎には、﹁開放的社会・技術体系論﹂︵9①名魯890み8ぎ8鉾一
ω協8ヨも冥89︶が存在している。そこで本節においては、われわれは、この﹁開放的社会.技術体系論﹂の特質
を、エメリーとトリスト︵国冒り韓︶の所論およびエメリーとソースラッドの所論にしたがって究明することと
︵2︶ ︵3︶
資本主義経営と﹃労働の人間化﹄ 一六九
する。
一橋大学研究年報 商学研究
一七〇
︵些。.。αq巳鉱ぐ98ヨ日①﹃8三夢跨。①p<一8ロ目o馨︶を確保してその定常状態を維持しうるためには、﹁産出市
能な方法で能率的に組織することができなければならない。他方において、企業は、環境との取り引きの恒常性
た企業は、その﹁物的基礎﹂を能率的に活用するとともに、その﹁人的要因﹂︵ど目きおΦ導︶を合理的かつ予測可
ともにそなえた﹁労働力﹂︵毛o詩8零。︶とを直接的に自由に処理することができなければならない。したがってま
路曙目&臨8試o諾言9。ヨ鉢窪巴♂ぼo品9耳、︶もしくは必要とされている用役の提供を行いうる能力と意欲とを
︵日暮窪巴ωロ竈。.邑である職揚、原材料、工具、およぴ機械と、物的生産に関して必要とされる改善︵9。幕8甲
もとめることができる。すなわち、一方において、企業は、自己の活動を展開するために必要とされる﹁物的基礎﹂
ところで、企業と環境との間の﹁取り引き﹂が恒常的に行われるための条件は、これを企業の内部と外部の双方に
鎖的体系﹂︵。一〇。。a磐簿①日︶をなすものではけっしてなく、あくまでも﹁開放的体系﹂として把握されねぱならない。
れは、こうした取り引きが継続されているような状態でなければならない。したがって企業は、自己完結的な﹁閉
ることを必要とする。もしも企業に関して﹁定常状態﹂︵ω叶$身。・替3︶ということがいわれうるとするならば、そ
よび人間との間に、財貨および用役に関する﹁恒常的な取り引き﹂︵8σq三巽8ヨ日震8︶を何らかの形で成立させう
保するためには、企業を取りまく外的社会環境︵霞8旨巴。。8芭。暑片o目§菖を構成している他の企業、制度、お
︵8自。。場げ。ヨ︶として特徴づけることが可能である。すなわち企業は、みずからの存続︵8導3器α臼茸98︶を確
エメリーとトリストによれば、企業は、それを取りまく環境との関係に着目するならぱ、これを﹁開放的体系﹂
22
揚﹂︵2な暮ヨ帥詩。岱︶をなす製品市揚における相互依存的外的変化︵冒富同留速区。馨Φ蓉の.昌巴3塁σq。︶と﹁投入
市場﹂︵凶ε暮ヨ帥詩①誘︶をなす労働力・原材料・技術等の市揚における相互依存的外的変化に対処して、適切な揚所
と時点において適切な製品を引き渡すことができなければならない。しかもこの揚合に、産出市揚および投入市揚に
おける外的変化に対して、企業が構造的変更なしに対処しうるか否かは、もっぱら企業の保有する﹁技術的生産機
構﹂︵89三。巴層029貯Φ昌雇βεω︶ないし﹁技術的要因﹂︵富9ぎ一お8巴8ヨ℃9。旨︶の弾力性︵ヲ圏げ罠蔓︶
の程度に依存している。なお、この点に関しては、つぎの二点がとくに注意されねばならない。その第一点は、投入
の側における変更︵く胃置菖8︶と産出の側における変更との間には、単純な一対一の対応関係は存在していないこと
である。すなわち企業が保有している物的基礎の体系としての﹁技術体系﹂︵言99一お一。帥一の冤.富陶一一︶の内容に応じて、
投入の構成を変えることによって類似の産出物を生ぜしめることも可能であるし、逆に、製品の構成を変えて生産す
ることも、類似の投入から可能なのである。しかもこれらのことを、企業は、できるかぎりその組織に構造的変更
︵警昌。ε声一9塁鴨︶を生ぜしめるような道を避けて行おうとする傾向をもっている。そ.︶で、﹁開放的体系﹂として
の企業のいま一つの特質として、企業が環境との恒常的取り引き︵8房$再8窪・一。.。。︶において選択の余地をもち
︵・。①一8訟お︶、限度はあるにしても自己規制力をもっている︵ωΦ一障お三暮一昌の︶ことを挙げるア一とが可能となる。第二
点は、投入を産出へ転換させるにあたっては、技術的要因が﹁企業の自己規制的特質﹂︵9①。・①罵,.①の一一一pユお℃.名㊦.,
幕ω9雪窪富弓冨①︶を決定する上で主要な役割を演じていることである。すなわち技術的要因は、企業が保有して
いる人的要因の体系としての﹁社会体系﹂︵ω8巨蔓馨①日︶の主要な﹁境界条件﹂︵σ05昌畠p.鴇。。且三。昌︶の一つと
資本主義経営と﹃労働の人間化﹄ 一七一
して機能するとともに、企業の目的と外的環境との間を媒介する機能をはたしているのである。
一橋大学研究年報 商学研究 22 一七二
さて、このように技術的要因が、﹁開放的体系﹂としての企業がその定常状態を達成する上で、鍵をにぎる媒介的
役割︵印犀2昌一8一豊夷同o一。︶を演じているとするならば、﹁開放的体系﹂という概念は、単純に企業の﹁社会体系﹂
に結ぴつけられねばならないこととなる。
にのみ結ぴつけられてはならず、かえって﹁企業の社会・技術体系﹂︵葺。ω8δみ⑦3昆8尻蕩富旨良塁2酔。む旨o︶
︵4︶
そこでわれわれは、つぎに企業が﹁社会・技術体系﹂として把握されねぱならないゆえんを明らかにしていくこと
とする。
エメリーとソースラッドによれば、企業は、その内部構造に着目するならば、﹁技術体系﹂とよぴうる部分体系と
﹁社会体系﹂とよびうる部分体系の二つの部分体系から構成されている﹁生産体系﹂︵冥09&9。n器8ヨu℃﹃09&お
亀ω岳ヨ︶として、すなわち﹁社会・技術体系﹂として特徴づけることが可能である。われわれの理解するところによ
れば、技術体系は、企業の物的基礎をなす労働対象および労働手段の体系であり、これに対して社会体系は、企業の
人的基礎をなす労働力の体系であって、それは具体的には企業の構成員に対して遂行することが期待されている﹁役
割の体系﹂として把握されるものである。エメリーとソースラッドによれぱ、この二つの部分体系は、それぞれ異な
る法則︵一②薯︶と過程︵冥08霧︶とによって規制されている。すなわち技術体系は、﹁自然科学の諸法則﹂︵夢o鼠壽
o︷芸。暴言β一ω9目8ω︶によって支配されているのに対して、社会体系は、﹁動機づけ・学習等に関する諸原則﹂
︵些。層言。覚留良目o試く辞δ戸〇二$毒冒鯨器匹88︶によって支配されている。前者においては、各要素間の
相互依存関係は確定されており、普遍的に妥当する諸法則に依拠して完全に説明可能である。例えば、石油の粘度と
温度との間の相互依存関係にもとづいて、石油がどのように径路を流れるかは説明可能である。しかしながら後者に
おいては、これとは全く性格の異なる諸原則にもとづいてのみ、例えば、入間によって構成されている情報網の中を
情報がどのように流れるかという問題、あるいは、財貨およぴ用役の交換は、どのようにして﹁公正な交換﹂とみら
れるかという間題は、説明可能である。
︵5︶
ところでエメリーとトリストによれば、企業は、既述のように、外的環境の変化に絶えず適合して自己の定常状態
を維持しなけれぱならないのであるが、その際技術的要因は、ただたんに企業がなしうることに各種の﹁限界﹂を設
定するのみならず、さらに﹁適合の過程﹂︵夢。冥8窃ω9碧8目o計試9︶において企業の内部組織や企業の目的に
反映されねばならないような﹁要請﹂︵魯ヨρ呂︶をも提出する。そこで﹁生産体系﹂としての企業の研究においては、
﹁技術体系﹂と﹁社会体系﹂の双方に対して緻密な注意が向けられねばならないこととなる。エメリーとトリストに
よれぱ、技術体系の分析から、﹁技術体系によって要請された仕事と仕事相互の関係とに関する一つの体系的構図﹂
︵3量弩壁。嘗葺。亀9。醇冨目α馨三暮。冥①一鮭8箕8爵a身㊤富。ξ。一茜亀超る・雪・︶を描くことは
可能である。しかしながら諸種の実証的研究によれぱ、現実には、技術体系による要請︵お2ぎ日。暮︶と社会体系
︵6︶
との間には、厳密に規定された一対一の関係︵㊧ω鼠9ぐ山9R日日区o器み06房邑豊9︶が存在しているのではな
くて、かえって存在しているのは、論理的には一つの相関関係︵㊤8旨巴舞貯o邑四江8︶とよばれうる関係である。
すなわち、同一の技術のもとではただ一つの形態の社会体系しか存在しえないのではなくて、逆に社会体系の設計に
資本主義経営と﹃労働の人間化﹄ 一七三
一橋大学研究年報 商学研究 22 一七四
関しては選択の余地が残されているのである。しかしながら、このことは、どのような形態の社会体系が選択されて
もかまわないことを意味するわけではけっしてない。けだし、技術体系は、その社会体系に対して何らかの要請を提
出するのであり、そして﹁生産体系全体の有効性﹂︵葺①鑑8註話器誘9夢①8巨嘆o身&8ω器器旨︶は、社会体
系がこうした要請にどの程度正確に即応することができるかに依存していると解されるからである。しかも社会体系
の優位性︵器隠二9蔓︶は、それが技術体系によって提出された要請に適切に対処しうる程度にただたんに依存する
のみならず、さらに、労働者の﹁基本的な心理的要求﹂︵夢Φ冨旨霧饗ぎ一〇咀。巴9。房︶をよりよく充足しうるよう
︵7︶
な規定︵肩o<邑曾︶を社会体系の編成にあたってもりこみうる程度にも依存しているのである。
そこで、エメリーとソースラッドは、生産体系としての企業全体の業績の向上は、﹁社会体系と技術体系の同時的
最適化﹂︵一9耳o讐巨冒巴9鉱叶﹃080芭き匹富9三8一ω遂ぢヨ︶によってはじめて可能となるという命題を設定す
ることとなる。すなわち﹁いずれの部分体系も、もしもその各ルが他との関係において最適化されなけれぱ、全体と
しての体系の業績︵爵。需鼠自ヨき89浮。o話琶一ω届8日︶にその最大の貢献をなすことはできない。技術体系
の発展は、もしもそれが人間によるその操作がその公然たる目的と有効に結ぴつけられうる限度を超えるならば、か
えって自滅的行為︵ω&ム鉱$賦お︶となる。また社会体系の構成員が、公然たる技術的目的を生産的な社会・技術体
系︵騨唱&9試語890−富3巳8一蔓降Φヨ︶の創出に結びつけることに対する関心を失うまでに社会体系を発展させ
ることも、等しく自滅的行為である。﹂
︵8︶
さて、以上のように企業が﹁開放的社会・技術体系﹂として把握される揚合には、エメリーとトリストによれば、
企業が環境から影響を受けるその仕方と、逆に企業が環境に対して及ぽしうる反作用の仕方の双方に関して、より現
実的な構図︵帥目08器巴馨8ロ9日。︶が描かれることとなる。すなわち、企業のこうした把握は、まず第一に、企
業がいわば﹁体系の定数﹂︵。。旨$旨8暴言馨ω︶をなす自己の構造的ならびに機能的特性︵ω#8貫2包畠賞9菖o冨一
9巴8一毘畳8︶を用いて、その利用可能な環境における﹁不足﹂︵一8悶︶や﹁過剰﹂︵匹暮︶に対処しうる諸種の方法
を明らかにする。この揚合には企業は、内部変化︵冒3導2。募品$︶によって環境の変化に対処することを通じて
﹁定常状態﹂を達成しうることとなる。しかもその際にも、企業は単純な量的変化や均一性︵巨ぎ同巨身︶の増大に
限定されることなく、新しい構造に改造したり、新しい機能を引き受けることが可能であるし、また現実に行ってい
る。主として﹁内的精練化や内的分化﹂︵ぎぎ旨巴o一39稗一9目島象浄器暮す試9︶による企業の対処の累積的効
果は、一般に、次第に増大する供給面およぴ販路面における予測可能な変動から生産体系としての企業を独立したも
のにすることにもとめられる。しかしながらこうした過程は、同時に、企業の資本や熟練およぴエネルギーのますま
す多くのものを特定の方法で拘束し、企業の第一次的目的︵筈①唱嘗四qぎ房良些。①韓R屈墓︶に挑戦をせまる
新規の予測されざる環境の変化に企業が対処しうる能力をますます減少させることとなる。しかしながら、﹁開放的
社会・技術体系﹂としての企業の把握からは、第二に企業が他の﹁攻撃的戦略﹂︵品σq器巴話ωぼ鉢お鴫︶を環境に対し
て採用することが可能であることが明らかとなる。すなわち、﹁環境を変形すること﹂︵けβ島︷R量品夢o①暑冒8,
ヨo旨︶によって定常状態を達成しようとする戦略を企業はとりうるのである。こうした戦略によって、企業は、ω新
しい市揚に参入したり、あるいは古い市揚に変化を導入したり、ω企業の環境によって提供された一連の労働力、資
資本主義経営と﹃労働の人間化﹄ 一七五
一橋大学研究年報 商学研究 22 一七六
源、およぴ技術の中から異なるものを選択したり、訓練したり、新しいものを創り出したり、さらに③新しい消費需
︵9︶
要を開発したり、古い需要を刺激する可能性をもつこととなる。
さて、企業が﹁開放的社会・技術体系﹂として把握される揚合には、同時に、経営者およぴ監督者の任務に関して・
従来とは異なる把握の仕方がなされねばならないこととなる。まず経営者の任務についてみるならば、全体としての
企業を管理する経営者の本来の任務は、あくまでも生産体系としての企業全体を環境に関係づけることであって、内
的規制︵凶馨①目巴器αq巳豊9︶それ自体にあるわけではけっしてない。すなわち、もしも経営者が企業の内的成長や
内的発展︵言岳醤巴噸o≦9きα畠①︿。一8ヨ。馨︶を統制しようとするならば、経営者はまず第一に﹁境界条件﹂
︵ぎ昌計q8民庄9︶、したがってまた﹁企業とその環境との間の交換の諸形態﹂︵島象9ヨω03誉富お。訂箸。8
些088弓誹・費且房自≦8昌旨窪什︶を統制しなければならないのである。したがって経営者の戦略的目標は、企
︵珊︶
業が成長のための何らかの確固たる条件を確保しうるような環境の中に企業を位置づけることにもとめられねばなら
ない。
これに対して監督者の主たる任務は、作業者ができるだけ挽乱されることなしにその職務を遂行しうるように、担
当の下位体系の統制や調整を行うことである。すなわち作業集団の段階における監督者の役割は、それが担当する単
︵11︶
位の境界における交換の規制︵些①おαQ巳鉢一89臼3程鴨ω暮爵。轟詫のσo巨3曙︶を介して、その単位を取り
まく環境に単位を関係づけることに、主としてかかわるのである。したがって、作業集団の構成員が﹁内的規制﹂
︵言言旨巴8窄一毘9︶に対してできるだけより完全に責任を負担しうるように、﹁外的規制﹂︵。幹段召=囲三暮一9︶
を行う二とが監督者の主たる任務である。より実践的見地からみるならば、監督者は、彼の時間の大部分をより大き
な組織とかかわる活動に費すぺきであって、作業者の作業の仕方に関する厳格な監督︵。一〇器跨需宅巨8︶に費すべ
きではない。
︵12︶
これを要するに、企業全体にしてもその内部の一単位にしても、それぞれの境界条件は不変ではなくして、常に不
安定であるので、経営者および監督者は、企業ならびに一単位がそれぞれを取りまく環境の中でその機能を遂行して
繁栄しうるように、﹁外的世界との交渉﹂︵δβ岳8ぎ諾三夢夢。oβ琶段妄oユq︶を規制することに努めねばならな
いと解されるのである。しかもその際にとくに経営者が留意するべきは、﹁もしもこうした適応︵器も富江自︶の持
続的過程において困難が生ずる揚合に、この困難を経営者が克服しうるか否かは、企業内の種々の部門内部、もしく
は部門相互の間の自己規制の程度︵夢①3讐8亀。。&ら品鶉一蝕8三夢5器α富牙oΦP夢o<碧δ5階饗雰ヨ臼8︶
に決定的に依存している﹂ことである。すなわち、環境の変化に対して企業を経営者が適応させうるか否かは、企業
︵B︶
が保有している﹁技術の弾力性﹂と並んで、﹁企業の構成部分の自己規制の程度﹂に依存していることを経営者は銘
記しなければならないのである。
︵14︶
以上が、﹁労働の人間化﹂の理論的基礎をなしているといわれる﹁開放的社会・技術体系論﹂の概要である。それ
では一体どのような根拠にもとづいて、﹁開放的社会・技術体系論﹂が﹁労働の人間化﹂の理論的基礎をなしている
といわれうるのであろうか。
われわれの理解するところによれば、その根拠は、まず第一に、﹁開放的社会・技術体系論﹂においては社会体系
資本主義経営と﹃労働の人間化﹄ 一七七
一橋大学研究年報 商学研究 22 一七八
に対して技術体系と同等の地位が与えられていることから、社会体系の形成に関して、つぎのような要請の導出が可
能となるところにもとめられる。すなわち、社会体系の形成にあっては、ただたんに技術的条件のみを考慮に入れる
のでは十分ではなくて、さらに社会体系に固有な基準をも考慮に入れなければならないという要請がそれである。換
言すれば、技術体系に対する社会体系の相対的独立性が﹁開放的社会・技術体系論﹂においてはみとめられることに
よって、職務設計の基準に関して、既存の確立された技術的ならぴに経済的基準に加えて、これまで長い間無視され
てきた新しい次元が新たに追加されうる理論的基礎が与えられるところに、第一の根拠が見い出されるのである。し
︵15︶
かもこの揚合に新しい次元の基準というのは、具体的には、われわれが前節において取り上げた﹁心理的職務要件﹂
によって代表されるものなのである。
第二の根拠は、﹁開放的社会・技術体系論﹂においては、生産体系としての企業の全体的業績は、社会体系と技術
体系との同時的最適化によってはじめて向上されうるという命題が措定されていることから、技術体系の要請に即応
した社会体系の形成の必要性のみならず、さらに社会体系の要請に即応した技術体系に技術体系自体の内容を変更す
る必要性と可能性が導き出されることとなり、その結果として、職務設計にあたって技術を必ずしも与えられたもの
としてのみみなす必要はなくなり、このようにして﹁労働の人間化﹂の余地の大幅な拡大が可能となることのうちに
もとめられる。なおボルベークによれば、﹁技術が変更可能である﹂という認識は、職務設計の分野における﹁概念
上の飛躍﹂︵騨88εε巴訂$葬腎og讐︶を意味する。監けだし彼にしたがえば、テイラーの科学的管理論︵の。一〇旨臨o
冒雪お。日。耳竜屈89︶は労働者を技術に適応させたものであり、人間関係論︵どヨ程邑辞δ田︶と参加的管理論
︵饗註9短ユく。目弩品Φ旨。旨︶とはあまりにも気楽に技術を無視しており、そして﹁職務充実論﹂︵一〇げ①p円一。﹃ヨ。昌σ
は一定の技術の枠内で職務内容を変更することに努力を注いでいると解されるからである。これらに対して、社会.
技術体系論は、リーダーシップの型の変更や権限の伝統的委譲を超えるような﹁構造的変更﹂を達成しうる潜在的力
をもつものと彼は解している。
︵16︶
第三の根拠は、﹁開放的社会・技術体系論﹂においては企業が開放的体系として把握されることにもとづいて、経
営者ならびに監督者の固有の任務が、体系全体ならびに下位体系と外界との境界条件の規制による体系全体ならびに
下位体系の定常状態の達成に見い出されていることから、体系の内的規制の問題を体系の構成員が自己規制するため
の理論的基礎がそれによって提供をされることとなり、かくして労働領域における労働者の自由な行動範囲の拡大が
理論的に可能とされているところにもとめられる。
第四の根拠としてわれわれが挙げうるのは、﹁開放的社会・技術体系論﹂のもつ﹁開放性﹂︵。℃。口,。昌α。q口①の。。︶が、
この理論を広くいろいろ異なる作業情況︵≦o詩器窪お︶に一般的に適用する可能性を増大させているア一とである。
けだし、﹁開放的社会・技術体系論﹂においては、企業は還境の変化に対処して自己の定常状態の維持に努める開放
的生産体系として把握されることによって、技術体系と社会体系の同時的最適化も常に環境の変化に対応しうる内容
のものでなければならないからである。すなわち、﹁開放的社会・技術体系論﹂は、あくまでも一つの重要な分折用
具︵睾言℃9$耳899塁巴器芭をなすものであって、職務設計の領域におけるあらゆる問題に対する唯一の明
解な解決法︵。一。賃。暮ぎ一暮δ房︶ないし既成の解決法︵弓臼身旨&。毘暮一。昌.︶として特定の変更の導入を要求す
資本主義経営と﹃労働の人間化﹄ 一七九
一橋大学研究年報 商学研究 22 一八○
るものではけっしてないのである。
︵∬︶
以上において、われわれは、﹁労働の人間化﹂の理論的基礎をなすといわれている﹁開放的社会・技術体系論﹂の
概要と、それがそもそも﹁労働の人間化﹂の理論的基礎とされるゆえんとを明らかにした。そこでつぎに節を改めて、
﹁労働の人間化﹂の具体的施策を取り上げることとしたい。しかしその前に、われわれは、ここでつぎのことを確認
しておかねばならない。それは、﹁労働の人間化﹂が﹁開放的社会・技術体系論﹂をその理論的基礎として保有する
かぎりにおいて、あくまでも開放的社会.技術体系としての企業の全体としての業績の向上のために、作業組織の再
編成の必要性を強調するものこそが、﹁労働の人間化﹂にほかならないということである。
︵1︶ くσq一・閂≦ぎ巽︵ξ茜・︶︾言雪ω9窪≦σ&o 一目ω。貫①ダooの。一〇?一〇〇。◆
ド劉切oξo鱒︸oσUo巴σq昌目畠冒儀場嘗一巴Uo旨oR8ざ℃℃。い令ま■
ρ℃邑Pコβヨ程邑①昌5⑳畠o﹃>&o房≦oFωψ§もo。■
国・O碧αq一實鍔園o葦;閃■ぴぎαq鵯国ロヨき邑o昌おα雲>&簿署葺口&℃﹃o魯ζ三銭ρωψ一gム零■
︵2︶閏﹄﹄露H葦&国﹄絹﹃糞の鼠?§ぎ邑。。鴫寮塁旦劉国蜜3︵。山ω■︶あ遺。暴臣甚轟竃匿一①翼
一〇〇〇■
︵3︶劉国馨蔓¢且φ↓ぎ房昌斜u弩9冨受m砕譲。量■&曾一S9
︵4︶9団φ国馨蔓四&国■。日号ダ8■鼻‘署,卜。。。一−b・。。轟。
︵5︶o渉男閃幕曙四区国,霧o韓且りo︾鼻‘℃。器ド
︵6︶ ここで、エメリーとトリストが依拠している実証的研究とは、つぎのものである。
↓ユoo汁
四鼠国忌賃§ぎ蒔。餐β匿梓δ言窪ぎ§=§憂8ξ欝馨霧言身。h目三お・ゆ冤ω沖。ヨ切遍四、
窪畠客ゑ■田良9葺o。。旨①8鼠ξ鼠噛饗ぎ一品ゆ8一。昌ω①2g。窃o=富一昌睾巴一旨①9ag8巴,
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国’い■ 目ユω梓
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質 男o﹃該o屋噛くo一■轟這蟄9
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労働の人間化﹄ 、 一八一
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資本主義経営と
一橋大学研究年報 商学研究
一八二
第二の﹁職務拡大﹂は、労働の質の改善のための努力の第二段階をなすものと解される施策である。﹁職務拡大﹂
を通じて、労働者の活動範囲を拡大することが意図されているのである。
いては、企業の技術体系自体には何らの変更なしに、労働者がその職務を一定の時間的経過にしたがってかえること
第一の﹁職務交替﹂は、﹁労働の人間化﹂を志向する努力の第一歩をなすと解される施策である。﹁職務交替﹂にお
施策の特質を順を追って明らかにしていくこととする。
︵2V
︾ぴo凶8σq﹃目℃隠o阜菊9響貯ω巴9叶σq8富β雪8︾び色岳αqヨ℃℃⑦︶とがある。そこで、以下においては、こうした四種の
︵−︶
げ。箆3①旨おoP︾息撃げ窪竃邑9。暑鑛︶と㈲﹁半自律的作業集団﹂︵冒往﹃目8ぎヨo島≦o目凝3ロ質目亀窪89旨。
ある。これに対して後者に所属する施策として把握されているものには、㈲﹁職務充実﹂︵一〇σo目一9ヨ9#≧訂蕊−
〇阜>忌撃び窪薯8訂&と図﹁職務拡大﹂︵宣げ9σお①旨呂ご︾号。一富Φコお一3吾おo阜>鼠⑳ぎ魯話お3爵旨昌σ⇒︶とが
このうち、前者に所属する施策として把握されているものには、ω﹁職務交替﹂︵甘σ33江o豆︾びo詩℃一緯N≦8冨①一
と、﹁管理活動という垂直的次元﹂における人間の行動範囲の拡大を志向する施策とに大別することが可能である。
働の人間化﹂の具体的施策は、これを﹁作業活動という水平的次元﹂における人間の行動範囲の拡大を志向する施策
のみ蛮らず、さらに﹁管理活動という垂直的次元﹂においても拡大することのうちにもとめられた。したがって﹁労
﹁労働の人間化﹂の理念は、労働領域における人間の自由な行動範囲を、﹁作業活動という水平的次元﹂において
四 ﹁労 働 の 人 間 化 ﹂ の 具 体 的 施 策
22
においては、構造的に同一もしくは類似の作業要素︵のぼロ写弩Φ=吼色9霞一おo&R菩昌3①>.獣。叶。。①一〇ヨ①馨。︶、な
いしは同一の階暦段階に属する職務︵>鼠αq号聲σq蚕9R匡Φヨ容三ω号曾団げ8曾︶がいくつか連結されて、一つの職
務として労働者に与えられることとなる。そのことの結果として、労働者の作業範囲︵≧σ。詩ロヨh㊤昌頓︶ならびに学
習過程︵>巳①ヨ冥oN&︶の拡大と﹁作業周期﹂︵>旨Φ房曙記島︶の延長とが発現をみるとともに、揚合によっては、
技術体系の変更が必要とされることとなる。以上の二つの施策においては、﹁作業と管理の分離﹂の原則に関しては
依然として何らの変更も生じておらず、ただ作業活動の水平的拡大が意図されているにすぎない。
第三の﹁職務充実﹂は、労働の質の人間化のための努力の第三段階として位置づけられうる施策である。﹁職務充
実﹂においては、労働者に管理的活動、すなわち計画活動および統制活動が委譲されることによって、労働者の執行
的活動の水平的拡大を超えて、労働者の行動範囲のいわば垂直的拡大が試みられる。そのことの結果として、経営階
層制の短縮化︵①日。<R匡旨目σqαR望鼠。富巨R曽3巨o︶が生ずることともなる。ただし﹁職務充実﹂においては、
作業組織の編成単位は依然として集団ではなくして個人の担当する職務であるために、労働者の﹁社会的孤立﹂の克
服の問題はいまだ十分には解決されえない。
第四の﹁半自律的作業集団﹂は、﹁労働の人間化﹂を志向する施策の中で、労働の人間化の基本理念のより具体的
な内容をなす﹁心理的職務要件﹂を最もよく充足しうる施策として提唱されているものである。その中心的な考え方
は、エメリーとソースラッドによれば、一人一職務の原則︵9甲目き−o器−すげ冥言・一ロ。︶によって指導された従来の
︵3︶
﹁官僚制的組織形態﹂︵げ日883ぎh9ヨ鉱o昌窓三墨ユ9︶にかえて、作業集団を作業組織編成の基本単位︵ヨ。q,
資本主義経営と﹃労働の人間化﹄ 一八三
一橋大学研究年報 商学研究 22 一八四
包。︶とし、この作業集団に相互に機能的に関連を有するまとまりのある作業からなる職務を割り当てるとともに、
こうした職務の計画、執行、およぴ統制に関する﹁自律性﹂︵器88ヨ冤︶を作業集団に与えようとするものである。
換言すれば、それは、﹁職務を現実に遂行する人々に、個人の担当する作業の量と質を統制する責任と、個人相互の
間の調整を行う責任とを付与すること﹂を志向するものである。
ところで作業集団に認められる﹁自律性﹂の程度は、エメリーとソースラッドによれば、作業集団の置かれている
情況によって異なる。すなわち、自律性の最も低い段階においては、作業集団は単に﹁作業方法﹂︵毛o詩冒⑳ヨ97
0島︶および集団構成員の間での﹁作業の配分﹂︵箔08鉱89妻o詩︶に関する決定権のみをもっているにすぎない。
自律性のより高い段階においては、作業集団は、集団構成員、設備と工且ハ、保全活動、作業計画と作業評価、および
箒︶のいくつかを統制することが可能である。さらにより一層高度の段階においては、作業集団は、﹁作業目標の変
投入される原材料の品質等の、﹁集団が作業を開始する際の前提条件﹂︵9。8邑三〇房ヰo睡≦臣9些。吸3唱ω
。。
︵。。①一げω黄Φω8器ユo>吾o房αqε唱。︶は、企業の部分である。後者の目的の達成が前提としているのは、前者の活動が
ていることに注意しなければならない。この点に関して、ラソトマンはつぎのように述べている。﹁自律的作業集団
ただし、ラットマンとともに、われわれは作業集団に対して認められうる自律性には﹁制限﹂︵ω9β爵①︶が画され
︵4︶
8昌も帥曙︶により深く関与することとなり、また他方でより低い段階において可能な自律性も増大することとなる。
性の段階へと進むにつれて、作業集団は、同時に、一方で企業のより長期的関心事︵葺oδお雪βお089R霧a
更﹂︵お留ぼ三99≦o詩署鈴一ω︶にまで関与することが認められることともなる。このようにしてより高度の自律
び
後者の目的を基準として調整されることである。このことから生ずるのは、作業集団の自己規制︵ω。一げω茸雲。盆お︶
には必然的に制限が画されねばならないということである。すなわち作業集団は、常に相対的にのみ自律的でありう
るのである。こうした制限は、上位体系に対して作業集団がなすぺき寄与を確定する、重要な境界条件︵9自昌aぎ−
撃話︶としての意味をもつこととなる。すなわち自己規制に対する唯一の制約は、上位体系に対する集団の義務の
履行のうちにもとめられるのである。境界条件がとくにかかわりをもつのは、集団が何を︵名錺︶どれだけ︵&①≦9︶
寄与すべきかである。しかしながら、それはまた、寄与がいつ︵≦p目︶どのようにして︵註。︶なされるべきかに関
する確定にまで及ぴうる。ただしこうした規制︵勾囲①ごお︶は、﹃集団に対する体系からの投入と体系に対する集団
からの産出とに関する決定﹄︵eoω①旨旨馨巨のα$コ℃暮号ωoo務ざヨω言象①O旨毛o昌q山窃○ロな暮αRO鍔℃需
雪O錺ω懐岳ヨ︶に限定されるかぎりにおいて、あくまでも外的規制︵ぎω器お国Φ鴨ビ夷︶であって、これに対して
集団自体の内部で展開する諸事象は、自己規制という方法で処理されるのである。
こうした境界条件に集団の目標が由来するかぎりにおいて、自己規制は境界条件の確定に対する参加︵↓亀冨げヨ①︶
︵5︶
を前提としており、逆にそうした参加の排除は、自己規制に対する制約を意味することとなる。﹂
なおラットマンによれぱ、自己規制の実現は、伝統的管理形態の相当広範囲にわたる変更を前提とするものである。
けだし、管理者による規制行為︵菊。鴨言おωご民ξお︶は、作業集団がその目的を達成しうるための、境界条件の確
定と、前提の創出とに制限されるとともに、とくに、上位体系による統制はすべて、作業集団の自律的領域の外部に
︵6︶
おいて、すなわち投入と産出の把握を通じて行われねばならなくなるからである。
資本主義経営と﹃労働の人間化﹄ 一八五
一橋大学研究年報 商学研究 22 一八六
以上において、われわれは、﹁労働の人間化﹂を実現するために企業において採用されるべき施策として提示され
ている四種の施策を明らかにした。こうした四種の施策に関してわれわれが共通に見い出しうる点は、それらは、程
度にちがいはあるにしても、いずれも、従来の作業組織においては﹁単能工﹂化される傾向にあった労働者を、﹁多
能工﹂︵ヨ巨駐琶一a≦o詩①H︶化する道を歩んでいるということである。
︵1︶ <撃国■O程屯o斜三,国巳ダ雰中ロコ鱒属βヨ窪互①讐昌の含R>﹃げ巴岱≦o犀信昌匹勺3身罧一≦蘇ρωしoー§アご曾
ρギ9P寓目ヨ帥巳ω凶Rg茜畠R>吾巴富≦o犀︾oQon,o。o。も曾
︵2︶ これらの四種の施策については、本節の注︵1︶に挙げた文献の他に、つぎのものも参照のこと。
男■≦一ヨ胃︵ご黄,︶﹄冒o霧o箒昌≦麟三〇巨弱㊦鼠の戸ωoc。一〇〇。1=軌■
ρいp洋ヨ雪戸U一〇国貸一声一旨一〇置夷山R>ぴo詳仁昌畠巳oUoヨo国声はω一R∈嶺画Rd暮oヨ魯ヨ琶のlN帥o一P≦品o唱昌島
03ロNo⇒1”国R一3一〇翼︸ωω,ほOI一いN
︵3︶ 自律的作業集団の構成員の人数については、エメリーとソースラッドは、つぎのように述ぺている。
oo蓉げαq貝8陽8昌の簿帥器屋ooh勲50︿R−鼠象お﹃oぞo屋ま一=ぐo昌ぐ罵芸2鼠く①暮一〇霧け8霞ヨΦヨげo誘︵三島
葺吋8淳一ω梓ooo津曾帥ヨ簿酔梓臼o二島二耳①弓o屋gp一おσ鉱o畠み≦opoq9言。ゆけoき﹀一︷9①σq吋o仁窟畦oぎ冥89σq耳o肖
目づ山震昏薯畦o一霧ω冥oコoε、讐○もoヨ9δ召一、︵ヨoげ︶げ9帥≦o貫■い貫鵯目讐8霧8昌げ①<①qo蔚9ぞo罵夢醸
ω訂8即α8マ3ga毛o詩2一げ巳。き創9Φ蜜碁oh爵①αq3一も言降貰。巨讐ぐ一p叶。&。℃Φ乱①暮︵。■σq甲島①。一〇q算①窪
旨器一8ヨ冒>岳鉾巴一窪閃三①。。hooσ巴一︶■︵男■国旨①蔓斜&φ円げo冨讐斜U。旨o。壁q鉢譲o﹃ぎ℃﹂ひご
︵4︶謹一・男国目。蔓昏q国醤。韓&辱uΦヨ8壁q暮︵9ぎ電甲頃。。占ひ。。■
︵6︶
︵5︶
くσq一。ρい”ヰ目臼昌P勲黛 O‘ω。一ωO■
O■■螢簿β帥βPp費O‘ ω。嵩ρ
五 ﹁労働 の 人 間 化 ﹂ の 歴 史 的 背 景
われわれがこれまでに明らかにしてきたことの一つは、﹁労働の人間化﹂とは、今日においてもなお支配的な作業
組織の編成原理をなすテイラーのそれにかえて、労働領域における人間の行動範囲の拡大、したがってまた労働者の
多能工化を志向する新しい編成原理にもとづく新しい作業組織の形成の必要性を提唱しようとするものであるという
ことであった。ところで、テイラーの原理に依拠する作業組織が、今日においてもなお支配的作業組織たりうるため
には、それを必要とレている歴史的基盤があるはずである。さらにテイラi式作業組織がそもそも企業において採用
されるためには、それを要請している歴史的背景があったはずである。もしもそうであるとするならば、企業におけ
る﹁労働の人間化﹂の必要性、なかんずくその企業的必要性が人々に理解されるためには、テイラー式作業組織を必
要とさせた当の歴史的背景自体の内容的変質が人々によって認識されることが必要となる。そこで本節においては、
われわれは、プライスの所論を一つの手がかりとして、まず、テイラー式作業組織を必要とさせた歴史的背景を明ら
パェレ
かにし・ついでこの歴史的背景そのものの内容的変質が、新しい原理にもとづいて作業組織が再編成されるア一とを要
請している事情を解明することとする。けだし、われわれは、プライスとともに﹁生産領域における人間的ならびに
社会的関係の新形成に関する理論的ならびに実践的要請としての﹃労働の人間化﹄は、技術的、経済的、ならぴに社
資本主義経営と﹃労働の人間化﹄ 一八七
会的領域において不断に生じている変動の結果である﹂と解するからである。
一橋大学研究年報 商学研究 22 一八八
︵2︶
プライスの理解にしたがうならば、テイラーリズム︵目窩δ誹目霧︶が登揚した時期は、一九世紀の最後の一〇年
間、つまり﹁自由競争の資本主義から組織された資本主義への過渡期﹂︵息。⇔冨嶺き。Qω菩霧。くo旨国竜一邑置ヨ農
α臼聴9窪国o嘗目器目N=ヨa撃巳。。一Φ拝9国竜一芭一ωヨ島︶にもとめられる。この時期は、技術の新しい水準に即応
した機械設備の導入のために巨額δ資本投資が必要とされたために、資本の集中・集積の過程が加速された時期であ
った。しかも、生産およぴ利潤に対する参入︵︾耳色︶をめぐる競争に個々の企業が勝ちのこりうるのは、ただ、投
下された資本ができるだけ短期間に再び利潤という形をとって回収される揚合のみであった。そのためには、個々の
企業は、﹁原価の低減﹂︵島oω呂ざ夷αRω芽畠犀o簿自︶にその努力を傾注しなければならなかった。しかも﹁原価
の低減﹂が可能となるのは、ω企業の生産能力が完全に活用される揚合、およぴ図作業速度の増大によって生産量が
増大される揚合のみであった。ところが、こうした二つの条件は、当時、いずれも企業にはそなわっていなかったの
である。すなわち、前者についてみるならば、ω景気変動による生産制限と側組織的怠業に代表される労働者自身の
意識的施策によって、生産設備は完全には稼働しておらず、また後者についてみるならば、企業管理者は、生産過程
に対する統制力を手中にはもっていなかったのである。換言すれば、当時の管理制度は、テイラー自身によって﹁成
行き制度﹂︵酵弊一夷聲ωεヨ︶とよばれるような内容のものであったのである。けだし、﹁一般にこれまで行われてき
た管理制度に共通な欠陥は、テイラーによれば、その出発点ないし基礎が無知と虚偽と︵曲窄9窪8き畠号8δに
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ
依存しており、使用者と労働者との双方にとって最も重要な一つの要素である作業の速度に関して、なんらこれを知
、、、 ︵3︶
的に指導し統制することなく、もっぱら成行き︵騨窪︶にまかせていることに見出される﹂からである。
そこでこうした二つの条件を、一方において﹁作業と管理の分離﹂を通じて企業管理者の﹁支配の安定化﹂︵頃韓.,
a岱旨訂毎夷︶に努めるとともに、他方において﹁時間節約原則﹂︵α器犀営N首α雪Oぎき日一Φ3HN。δにも
資本主義経営と﹃労働の人間化﹄ 一八九
済的変化、働社会構造的・社会政策的変化、およぴ個経営的支配構造上の変化という視点から考察している。
かにしていくこととする。プライスは、﹁労働の人間化﹂の歴史的背景を、三つの視点から、すなわちω技術的.経
そこで以下においては、ひきつづきプライスにしたがって、﹁労働の人間化﹂の主張を登場させた歴史的背景を明ら
以上において、われわれは、プライスの所論に依拠して、テイラーリズムを登揚させた歴史的背景を明らかにした。
ところにもとめられる。けだしテイラーにおいては、労働の知的機能および創造的機能︵凶旨亀躊言毘o冒住ざ①壁話
︵5︶
男章葬凶自窪匹R≧富δのすべてが、資本に従属している管理機関に委譲されているからである。
イスによれば、﹁何が時間節約的に最適であるか︵N①苓穿89訴380鷲言琶一︶に関する決定に労働者が影響を及
︵4︶
ぽすことができず、その決定が資本主義的利潤原理︵匿営夢房駐号80雲一嘗屈冒N首︶にもとづいてのみ行われる﹂
三畠ぎおαRギo身葬貯ξ餌津。︶を推進せしめたことのうちにもとめられねぱならない。ただし、その欠陥は、プラ
≧訂δを高めるという目的のもとに、労働過程を科学的方法を用いて分析することによって、生産力の発展︵国暮,
の原理の質的新しさ︵器需O轟浮痒︶と貢献は、プライスによれば、人間労働の効率︵2ロ梓、①幣耳ヨ①ロ.。宴。冨円
テイラーリズムであると解されるのである。したがって、テイラー以前に使用されていた作業組織に対するテイラー
とづいて﹁労働の集約化﹂︵冒8島三。旨話山臼≧富δに努めることによって、満たすぺく登場したものこそが、
Gn
一橋大学研究年報 商学研究 22 一九〇
第一にわれわれは、技術的・経済的変化としてプヲイスが提示しているものから取り上げることとする。その揚合
にまず注目されねぱならないのは、﹁技術的合理化水準の高度な経営﹂︵ω。鼠9巨叶ぎ訂ヨ富9巳の9呂男豊o屋亭
旨”αq雪貯。碧︶においては、しかもとくに装置産業に属する経営の揚合には、機械装置に拘束されている巨額の資
誉げεお︶の利用が経済的に困難であって、そのために、労働生産性を高める方法としては、組み立て工具の改良
や事情が異なっている。けだし、この産業においては、しばしば﹁機械的組み立て装置﹂︵ヨ霧9ぼ亀。竃o旨品8す
イスは解するのである。以上のことは、とくに装置産業に妥当するのであるが、しかし組み立て産業の揚合には、や
﹁労働編成の新しい形態﹂︵冨5閏9唐窪山段9撃三。η吋暮σq<9>旨Φδとしての﹁労働の人間化﹂であるとプラ
た﹁統合方策﹂︵一暮①鵯呂8弩。夢&。︶として、奨励賃金︵℃毎昌。巳o巨︶や昇進機会の確保と並んで登揚するのが、
算。︶が未然に防止されうるような形に管理者と従業者との関係を形成する努力が必要とされることとなる。こうレ
匿一P営ぐRヨoこ雪︶とがそれである。このためには、生産の中断に導く恐れのある公然たる対立︵o留器区9由−
に起因しうるあらゆる挽乱要因の回避︵甘讐9窪望酵壁葬曾一α震<9山角旨。冨9ぎぎ昌≧訂詩犀舜津窪韻魯曾
不可避となってくるのである。すなわち、ω労働者の統合の促進︵象。ぎ言茜声江928且①ヨ︶と、図人間労働力
る。しかもこうした経済的強制に経営が応えるためには、つぎのような二つの人事政策︵評誘o轟首o年蒔︶の採用が
術的特質からも、﹁連続的生産の技続的維持に対する要請﹂︵黛。閏o巳。昌お轟9α窪Rヌ津段︾鼠お。算R鼠一εお
!
ざ暮ぎ包。岳9R即aβ葬一9︶が、経済的強制︵簿90昌ω9RN毛弩敬︶として作用するようになっていることであ
本量の回収のためにも、また生産工程のいずれか一箇所の支障が生産工程ないし生産装置全体を摩痺させるという技
ω凶
およぴ部品輸送の機械化と並んで、とくに﹁作業組織的合理化施策﹂︵帥旨。詳の○吋σqρ巳、即8﹃一、。げ。園帥菖。ロ帥=の一。同ロお。。,
目葛冨げヨ撃︶に企業は頼らねばならないからである。こうした施策として登揚するものが、プライスによれぱ、﹁労
︵6︶
働の人間化﹂の諸施策なのである。
第二にわれわれは、社会構造的・社会政策的変化としてプライスによって指摘されているものを取り上げることと
する。その第一点は、第二次世界大戦後における﹁外延的拡大再生産から内包的拡大再生産への移行﹂︵αRq竃品帥,
韻く8αR霞8島貯N自日富冨貯。暑①一8降魯菊。冥&爵菖8︶にともなって、肉体的およぴ精神的作業負担の加速
的増大の問題、すなわち労働集約化︵≧訂冴凶暮。房三。旨昌σq︶の問題が、労働者の第一次的関心事となってくるとと
もに、労働者の欠勤率および移動率が増大していることである。しかも欠勤率や移動率の増大は、企業が無視するこ
とのできない経済的負担を企業に課するようになっているのである。第二点は、教育制度の充実にともなって、労働
者の期待水準︵国暑彗ε昌αq号巴εお︶が変化し、労働者が、次第に、一方における直接的生産過程における彼らの役
割およぴ責任と、他方における労働強化の対象としての自己の存在や社会における非特権的地位との間の矛盾を感ず
るようになっていることである。すなわち、労働人口の増汝増大する部分が、彼らが現実にもっている権利と彼らの
現実の地位とが即応していないという事実に気づくとともに、﹁非人間的作業条件、無内容な労働、忙しさ、およぴ
労働集約化に対する反対運動﹂︵色。>島・言昏留湯9昌ロ碧ロσq品曾首ぎB婁。諏﹃げ①詳ωげ。象おβ夷。PαQ①σq聲5げ巴琶。の⑦
>き①登σq品臼国卑8目山H旨①島三。旨お︶を意識的かつ組織的に展開するようになっていることである。第三点は、
生活水準・所得水準の向上、およぴ社会保障の充実にともなって、﹁労働領域と消費領域とを結びつける媒介要因と
資本主義経営と﹃労働の人間化﹄ 一九一
一橋大学研究年報 商学研究 22 一九二
しての賃金﹂︵山Rピo巨辞<R巨ヰ言ロαqおa溶N三。。9窪昌畦誰賊ぎ諺−目自内8誓目ぞ鼠周。︶が、これまでのよう
に非人間的な作業条件に対する相殺機能をはたしえなくなっていることである。第四点は、−﹁潜在的労働力の不足の
増大﹂︵o営。N巨魯ヨ臣号<。鱒轟電彰σq号ω>ぴ緯罫轟︷畠宕富旨巨ω︶にともなって、人的生産力の合理的投入とそ
︵7︶
の育成的処理が、資本主義的価値増殖戦略の重点項目となっていることである。
第三にわれわれは、経営的支配構造の変化としてプライスによって指摘されているものを取り上げることとする。
ここで注目されるぺきは、生産の集中、生産の科学化︵<R&ωω自鴇ぎ窪§冒夷α臼勺︻o身算凶8︶、技術的基礎の拡大、
およぴ﹁生産の社会化﹂︵<R鴨ω。評号鉱εおα震ギ&爵試8︶の結果として、生産の複雑性が増大するにつれて、
一方において企業の管理構造の変更が要請されるとともに、他方において従業者の協力︵切。一。σqの9a誘ざ8震暮一8︶
と従業者の﹁創造的能力の開発﹂︵国厨9常穿夷o阜国暮げ一区巨・qω99h。計9震凝三讐oぎ昌︶が必要とされてきて
いることである。このうちまず前者についてみるならば、ω﹁資本所有と資本運用の分離﹂︵げ92おく9国昌7
欝一。お窪昌ヨ巨α区署器巴h呂葬一8︶のみならず、さらに図﹁管理の社会化﹂︵<。お雷。房3践ξおα。同需ぎ品︶が必
要ときれているのである。すなわち、多様な階層段階と人間への決定職能、管理職能、および統制職能の分割と、こ
れらの職能を遂行するために必要とされる能力を育成する必要性が生じているのである。つぎに後者についてみるな
らば、複雑な生産過程を統御するためには、労働者および職員は、ただたんに非常に狭く細分された特殊な部分作業
を遂行する能力のみならず、さらにこうした部分作業を、他の同僚との不断の協力のもとに遂行する能力をももって
いることが要求されるのである。しかもそのことに加えて、個人は次第に自律的に︵ωo一σω鼠一乱貫︶行動するとともに、
資本主義経営と﹃労働の人間化﹄ 一九三
︵1︶ <σq一,ρ勺3お一頃目日四巳匹o旨昌opqR︾&o一富︵ΦF民Oぎ一〇Mド
背景を明らかにした。 −
以上においてわれわれは、プライスにしたがって、﹁労働の人間化﹂の主張を登揚せしめていると解される歴史的
寄与する効果をもつと解され為のである。■
ト 邑 . ︵8︶,
よって、問題の一面的考察にもとづいてなされた決定によって経営にもたらされる危険要因を事前に排除することに
は、個々の集団構成員の情報の質を高め番とともに、相異する見地を適切な時点で交換することを可能にすることに
した内容のものにすることが必要とされるのである。しかもその際﹁集団制度﹂︵O毎電①房岩3ヨ︶を採用すること
単縮化をはかるとともに、図環境の変化に適合するために必要とされる決定をできるかぎり迅速で、かつ情況に即応
のためには、具体的にはω処理的活動ないし計画的活動と執行的活動との間の極端な分離を廃止して意志疏通径路の
の必要性、したがってまたより弾力的な管理構造︵浮首匡①お富淳§碧嘗=犀ε﹃︶の形成の必要性を意味している。こ
︷9日αRε8ぎ昌8ぎ昌田。βこ営巨匹一ぼ①<。馨雪色昌αq日。旨ぎ。需声馨窃霊げ同琶αq雌旨ヨ濡ま昌目弓窃y
官僚的階層制という支配形態の廃棄と新しい型の協力的管理制度へのそれの転換﹂︵象。>島σ旨おαR国Rお。冨諄・
定している従来の﹁階層的管理構造の時代遅れ﹂︵qげ。吾o一夢簿臣①声3匿ω3震いΦ一言品の琳崖写旨︶を示すとともに、
る。こうした事態は、プライスによれば、個々の労働者の相当する職務を命令・指図・文書等で厳密かつ硬直的に規
枠内で生じた困難はすべて、それが発現した直接の現揚で、可能なかぎり臨機応変に克服されねばならないからであ
自己の仕事において個人的創意︵℃R8昌9①冒庄緯凶︿o︶を発揮することが必要となる。けだし、経営の全体組織の
”
︵2︶
一橋大学研究年報 商学研究 22
0,剛﹃9⇔ P 鉾 ○ 、 ω ω 。 O i 一 9
︵6︶
︵5︶
︵4︶
︿屯りO・℃器 陣 P p p O ‘ o o ω ’ ≒ ー ひ 9
<αq一。ρ勺器一P騨騨○こωuワ。&1&﹃
くαq一■ρ唱犀一PppO‘ωω■一轟i8甲
O■勺Ho一P鋭野○‘ψ一か
ロ●ωψ ひOIN一■
藻利重隆、経営管理総論︵第二新訂版、 千倉書房︶、昭和四一年、五二頁。
魍 ︾
︵7︶
<σQ一,ρ旧﹃o一ρ費費○;ooω。ひ一1ひ9
︵3︶
︵8︶
六 ﹁労働の人間化﹂の意義と問題点
一九四
われわれは、これまで﹁労働の人間化﹂の理念、理論的基礎、具体的施策、およぴ歴史的背景を明らかにすること
に努めた。そこで本節においてはわれわれは、﹁労働の人間化﹂の企業的意義と、﹁労働の人間化﹂の主張に含まれて
いる問題点とを考察することとする。
﹁労働の人間化﹂の企業的意義としてまず第一に指摘されうるのは、﹁労働の人間化﹂は、﹁企業をとりまく環境の
変化に対する企業の適応能力の向上﹂に寄与しうる側面をもっていることである。なぜならそれは、労働者の多能工
化による、企業の内部間題に対する鍔働者の自己規制の能力の向上を通して、企業管理者をして企業の内部規制活動
に取り組む必要性から解放させて、その時間とエネルギーの大部分を主として環境の変化に企業全体を適応させるこ
とに集中的に使うことを可能にさせる側面をもっていると解されるからである。したがってわれわれは、﹁労働の人
間化﹂は、企業の全体的業績、したがってまた市揚における企業の競争能力を無視して、もっぱら労働の質の人間的
改善のみを志向するものではけっしてないことを銘記しなければならない。
第二に﹁労働の人間化﹂の企業的意義として指摘されうるのは、資本の有機的構成の高度化した今日の企業に対し
て、生産技術的にも経済的にも課せられている﹁生産設備の持続的稼働﹂という要請に応えて、そのための前提条件
をなす﹁企業への労働者の統合﹂の実現に寄与しうる側面を﹁労働の人間化﹂はもっていることである。なぜなら、
それは、労働者の肉体的ならびに精神的作業負担の減少と、労働者が潜在的に有する能力の全体的向上とを可能にす
ることによって、企業への労働者の統合の大前提の一つをなすと解される﹁労働に対する労働者の一体化﹂︵置臼窪,
ゆ匿試9α窃>び簿o拐ヨ一仲αR≧げ簿︶の実現に寄与する側面をもっているからである。
第三に﹁労働の人間化﹂の企業的意義としてわれわれが指摘しうるのは、生活水準および教育水準の向上した今日
の労働者を労働力として企業が吸引するとともに、一度雇用した労働者の移動率、欠勤率、および怠業の増大にとも
なう人件費、とくに募集費および教育・訓練費の増大を防止することに寄与しうる側面を、それがもっている.︾とで
ある。なぜならば、それは、そもそもただたんに企業の経済的・技術的見地のみならず、さらに労働の内容に関する
労働者の心理的・社会的要求にも考慮を払って、職務の設計を行うところにその特徴をもつものであるからである。
第四に﹁労働の人間化﹂の企業的意義としてわれわれが指摘しなければならないのは、﹁労働の人間化﹂の主張は、
﹁労働の極度の細分化﹂と﹁作業と管理の分離﹂とをその内容とするテイラーの作業組織の編成原理に対する批判を
資本主義経営と﹃労働の人間化﹄ 一九五
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出発点として展開されているのであるが、しかし、それは、われわれの理解するところによれぱ、﹁労働の細分化﹂
の原理と﹁作業と管理の分離﹂の原理の全面的な否定とその放棄を意図するものではけっしてなくて、かえってテイ
ラーの原理を登揚させた歴史的背景の内容的変質に対応させて、その内容を今日の企業が置かれている歴史的情況に
即応したものにすることに寄与しうる側面をもっていることである。なぜなら、それは、技術体系と社会体系の同時
的最適化の主張から知られるように今日の企業の置かれている歴史的情況に即応しない﹁極端な形態の労働の細分化
の回避﹂︵く。門ヨ。こ自お。×#ΦヨR男9ヨαR≧訂諺砕。5お︶を志向するものであって、﹁生産性の確保のために必要
とされる分業の原理の放棄﹂︵①一昌>鼠σqさ窪畠ωh響島。盟。ぎ謹お自Rギ09耳三叶餌げぎ牙。且貫魯牢ぼ﹄窟αR
>﹃げ。房鼠ごお︶を志向するものではけっしてないからである。換言すれば、テイラーにおいては時間研究によって
不必要な無駄な動作を排除することによって人間労働の合理的利用をはかることが志向されたのであるが、その揚合
に何を不必要で無駄な動作とみなすかに関して、すなわち何をもって時間節約的に最適とみるかに関してテイラーが
考えているところの基準と、﹁労働の人間化﹂において考られているところの基準との間の相違のうちに歴史的発展
が反映されているとわれわれは解するのである。さらに、﹁労働の人間化﹂の具体的施策のうちで最も高度なもので
あるとされる﹁自律的作業集団﹂において作業集団に対して認められる﹁自律性﹂の程度にほ、いろいろの差異があ
るのであるが、いずれにしても、自律性がみとめられる範囲を決定するのは、あくまでも企業管理者である。すなわ
ち、作業集団にみとめられる自律性は、絶対的自律性をなすものではけっしてない。こうした制約を作業集団の自律
性がもつかぎりにおいて、﹁作業と管理の分離の原理﹂も依然として厳存しているのである。
以上が﹁労働の人間化﹂の企業的意義としてわれわれが理解するものである。そこで以下においては、﹁労働の人
間化﹂の主張に含まれている問題点について考察することとする。
まず﹁労働の人間化﹂の理念の核心をなす﹁心理的職務要件﹂にかかわる間題点として、われわれはつぎの三点を
挙げることができる。その第一点は、心理的職務要件として提示されたものがいまだ経験的に確証されていない仮説
︵−︶
にもとづいているとする批判が存在していることである。第二点は、労働者の心理的.社会的要求のみをあまりに強
く前面に押し出すことは、労働者の﹁経済的要求および安定に対する要求﹂︵①88巨。騨邑、。。ロ.一ぐロ。.α、︶を理論
ハ レ
的に軽視する危険性をもっていることである。第三点は、﹁心理的職務要件﹂の充足に関しては、適切な程度をどの
ようにして決定するかという問題が常に存在しているのであるが、もしも客観的な判定基準が存在していない揚合に
は、その決定にあたって、何らかの形での労働者の意向の反映が必要となってくることである。
つぎにわれわれは、﹁労働の人間化﹂の理論的基礎をなす﹁開放的社会・技術体系論﹂にかかわる問題点として、
つぎの四点を指摘しなければならない。その第一点は、﹁開放的社会・技術体系論﹂においては、社会体系と技術体
系の同時的最適化は、生産体系としての企業全体の業績を最適にするために必要不可欠とされ︾さらに前者の実現の
ために労働者の心理的・社会的要求の充足を可能にする職務設計が必要とされているのであるが、しかし生産体系全
体の業績を最適にするために設計された職務が、はたして労働者の心理的.社会的要求をどの程度に充足しうるかに
ハヨレ
ついて、さらに検討の余地が残されていることである。第二点は、﹁開放的社会.技術体系論﹂においては、社会体
系と技術体系とは、それぞれその規制原理を異にするとされているのであるが、こうした異なる原理を調整して社会
資本主義経営と﹃労働の人間化﹄ 一九七
一橋大学研究年報 商学研究 22 一九八
体系と技術体系の同時的最適化を実現するためには、さらにこれらとは次元を異にする別の調整原理が必要とされる
と解されるにもかかわらず、こうした調整原理については十分には解明されていないことである。第三点は、﹁開放
的社会.技術体系論﹂においては﹁技術﹂は変更可能であるとされているのであるが、しかし他方で﹁技術﹂は﹁社
会.技術体系論﹂が想定するほどには操作可能︵唐磐ゼ三号εではないとする主張もあり、したがって﹁技術﹂の
変更可能性についてさらに吟味する必要が残されていることである。第四点は、﹁開放的社会・技術体系論﹂はしば
︵4︶
しば職揚民主主義︵路8旨9号ヨ8ββ︶の実現のための理論的基礎をもなすものとして論じられているのである
が、それはあくまでも企業の全体的業績の改善を志向するものであり、したがって﹁管理者の能率志向への偏向﹂︵帥
露器冒§。良8&自o協日きお①旨。暮。臣。一魯昌置竃お降︶を有しており、それゆえに、﹁開放的社会・技術体系論﹂
の適用それ自体は、﹁労働の人間的形成﹂に対する労働者の影響力の増大を必ずしも保障するものではないというこ
とである。﹁︵管理者によってー村田︶一方的に導入された職務設計に、企業の職揚段階における民主主義に対する寄
与を期待することはほとんど不可能である。民主化の過程との結びつきが確立されうるのは、︵職務の1村田︶再設
︵5︶
計過程に対する労働者の統制がみとめられる揚合のみなのである。﹂
最後にわれわれは、﹁労働の人間化﹂の具体的施策のうち、とくに﹁自律的作業集団﹂にかかわる問願点として、
つぎの二点を挙げなければならない。その第一点は、作業集団の導入が技術的に不可能な領域があるのか否かの検討
がいまだ十分には行われていないことである。第二点は、資本主義経営である企業において作業集団に認められうる
︵6︶
﹁自律性﹂の程度、したがってまた作業集団に認められる﹁自律性﹂を制約する要因の究明がなされる必要性が残さ
れていることである。
︵7︶
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︵6︶
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七 結
これまでの検討から﹁労働の人間化﹂の基本的性格に関してわれわれが導き出しうる結論は、﹁労働の人間化﹂は、
心理学的原理ならぴに社会学的原理に依拠して人間労働の利用を合理的に行おうとするものであるということである。
したがって、企業における労働者対策としての労務管理に関する藻利重隆博士の分類、すなわち、ω労働力としての
労働者を対象としてその能率的利用を志向する﹁人事管理﹂と、図労働力の所有者としての労働者を対象として労働
︵1︶
意欲の根源的高揚を志向する﹁狭義の労務管理﹂という分類にもとづいて﹁労働の人間化﹂を位置づけるとするなら
ば、あくまでも﹁人事管理﹂のうちに﹁作業管理﹂の一形態としての位置を占めるものとして、それは把握されねば
資本主義経営と﹃労働の人間化﹄ 一九九
一橋大学研究年報 商学研究 22 二〇〇
ならないこととなる。しかもその揚合に﹁人事管理﹂の一方策としての﹁労働の人間化﹂の内容的新しさは、われわ
れの理解するところによれば、それが、一方において、一つの明確な企業観に依拠して、すなわち﹁開放的社会・技
術体系﹂としての企業の維持という基本的思考に依拠して人間労働の合理的利用を企図するとともに、他方において、
企業の置かれている環境の歴史的変化、なかんずく技術水準および労働者の要求内容の歴史的変化に即応して、ω職
務の多様性、③職務における学習の可能性、偶職務における意志形成の可能性、四作業仲間の間の互助と互敬、㈲職
務の社会的有用性、および㈲職務の将来性という六つの内容を包摂する﹁心理的職務要件﹂の充足を人間労働の合理
的利用の基準として措定するとともに、こうした基準を最もよく充足する施策として﹁半自律的作業集団﹂の育成を
提唱しているところにもとめられる。
︵1︶ 藻利重隆、労務管理の経営学︵第二増補版︶、千倉書房、昭和五三年。
︵昭和五四年一〇月三〇日 受理︶
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