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メディアを通じた情報操作に関する研究 太田 敏雄(02SL014) 指導:教授

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メディアを通じた情報操作に関する研究 太田 敏雄(02SL014) 指導:教授
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感性文化学通信 第11号
2006.03.08 感性文化学研究室・発行
〒350-0314 埼玉県比企郡鳩山町石坂・東京電機大学理工学部 石塚正英研究室
編集:川島祐一(平成17年修士修了生)
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メディアを通じた情報操作に関する研究
太田 敏雄(02SL014)
指導:教授 石塚 正英
第1章 はじめに
私がこのテーマにした理由として、3つの事が言える。
まず、1つ目に私たちが経験した事の無いだろう、非日常的な出来事である戦争を通し、メ
ディアがどのように影響してきたかという事、メディアによって操作される事の恐ろしさや、
操作する側の巧みさを知りたかったためである。
なぜかと言うと、以下の事柄が理由である。現在私たちの身の回りでは色々なたくさんの情
報を受け入れる事が出来る環境にいる。例えば、ラジオ、新聞、テレビ、インターネット、学
校、友達、広告、本、雑誌・・・・・・。すぐに思いつくだけでもこんなにある。また、これ
らを知らないという人はほとんどいないだろう。インターネットなどは利用する、利用しない
にも関わらず名前だけでも聞いた事はある。これらたくさんのメディア、情報を発信する場所
がある。ほんの50数年前にはインターネット、テレビなどまだ普及していない。そんな中、
私は戦争報道という分野でのメディアの情報と接した事がある。
「昔、ラジオから日本軍が圧し
ている、勝利間近だ」など、という放送が流れた。これは私がテレビや学校の先生から聞いた、
あくまでも調べていない私にとっては噂である。これが本当か、本当にそれで人々を操作でき
ていたのか、影響したのかを知るためという事が理由である。
2つ目に1つ目のところでも少し触れたが、その報道、情報は本当のことなのかというとこ
ろである。前述した、
「昔、ラジオから日本軍が圧している、勝利間近だ」という放送は、嘘と
して流したという話を聞いた事がある。つまり情報のねつ造である。それが、戦争ではどのよ
うな役割を果たして来たかに興味を持った。
なぜかというと、次の理由による。前述した通り現在私たちはたくさんの情報を簡単に手に
入れる事が出来る環境にいる。今だからそんなに強烈な印象を得ないが、日本で戦争があった
頃と比べるとその差は歴然である。今普及しているインターネットはここ10年くらいの話だ
ろう。また、携帯電話なんてすばらしい発明だ。携帯電話はパソコンのような物になり、電話、
メールをして情報を得るのではなく、インターネットとしても活用できるのだ。そのような環
境の中で何が大切か、何が怖いかというと、情報を真に受けることである。確かに信頼でき、
確実な情報の方が多いだろう。しかし、テレビでよく問題となっている、やらせだったり、ま
た現在では,動画や静止画は編集できるので、ディレクターの言いたい事だけをメインとして
報道し、視聴者を洗脳したりする事も可能である。近い話で言うと、ライブドアの堀江貴文社
長はその対象となった人という印象を私は持った。編集という情報操作によって堀江社長は悪
者だという印象を与えられた人もいるだろう。芸能人で言うとその人のキャラクターだ。その
ような作られた情報があることも十分考えられる。
戦争報道を通し、メディアの種類や、情報を手に入れる方法が少なかった時と比べ、報道の
1
仕方などの変化に興味を持った。
最後に私は今後、これらのメディアをつかって、人々を操作するには、どのようにメディア
を使ったら効果的だろうか。ということを考えたいからだ。
また、主題とはそれるが、どのようにそれぞれのメディアの利点を生かしフォローをしてい
くかを考える事によって、報道という場面から見た影響力だけではなく、流行を作り出す方法、
作り出してきた例、また、話題を集中させる方法などを知る事が出来たなら、違うところでも
活かせる事が出来る。
例えば、プレゼンテーション1つにしてもそうである。パソコンを使いMicrosoft PowerPoint
でプレゼンを行った方が良いのか、動画を準備し、おもしろおかしく見せた方が良いのか。な
ど、このような場でも活かせるのではないだろうか。
現在では一番影響力のあるメディアはテレビだ。よって、テレビがあった時代とテレビが無
かった時代の情報操作を比べ、人々に与える影響力を考察していきたい。
第2章 年表
2.1 テレビの歴史
放送は今年で80周年を迎えた。1925年日本でラジオから第一声が流れた。いつの時代
にも人々の生活の中心にあり、大正、昭和、平成と激動する時代の中で放送は時代や文化を鮮
やかに映し出して来た。
放送開始からほぼ四半世紀、1952年8月に受信契約数が1000万件を突破し、ラジオ
は黄金期を迎えた。1953年はテレビ放送が始まった年。ラジオは一家団欒の娯楽の座を、
次第にテレビに受け渡し、個人聴取の傾向を強めていく事になる。
遠くを見るという人類の夢の実現のための研究は19世紀から始まり、日本では1924年
に浜松高等工業学校助教授の高柳健次郎が研究をはじめ、1926年12月25日に受像機に
「イ」の文字を映し出した。
日本のテレビ本放送が、1953年2月1日午後2時に始まった。
「テレビは文化のバロメー
ター」として普及への努力を約束した。現在でもテレビは文化のバロメーターである。時代を
映し続けているテレビは現在一番身近な娯楽ツールである。世の中が便利になり嬉しい物とし
て、テレビは存在するだろう。白黒がカラーになり、ブラウン管がプラズマになったり液晶に
なったり、テレビのオプションとしてビデオ、DVDなど記録できるようにもなった。そういった
面でのテレビは文化のバロメーターとしてふさわしい。それにつれて、テレビの影響力が増大
する。テレビの価格においても東京タワーが完成した頃は、テレビが街頭から家庭に入って、
お茶の間で見るようになり、番組内容もお茶の間が重視されてくる。より人の目に触れ、影響
力の強さが認められてくると、批判も強まった。暴力シーンや低俗番組を生むとして批判が定
着する。しかし、それに対抗し、見応えのあるドキュメンタリーなどが作られるようになった。
娯楽としてのテレビだけでなく、情報を発信し受け取る側に、考えさせるといった、お茶の間
が対象でありかつ、個人も対象にした番組が作られ始めた。
1990年代になると湾岸戦争では開戦がテレビの生中継で伝えられたのは、世界でも初め
てで、テレビ戦争と後に呼ばれるようになった地球規模の報道合戦の口火が切られたのも、ま
さにこのときだった。湾岸戦争においては、イラク政府によって唯一、同国内の取材を許可さ
れたCNNが流す情報や、米軍による取材記載のもとで各局が伝えたニュースのあり方について議
論が起こり、報道の独自性が問われた。
1994年の松本サリン事件では、新聞・テレビとも第一通報者を容疑者と断定するかのよ
うな報道を行った。テレビ、新聞ともに影響力が強いメディアなので判断のミス、まして新聞
は文字として残ってしまう。双方とも謝罪をしたが、警察情報に頼りきった取材が誤報の原因
だった。
2
今後テレビは見るだけではなく使うテレビとして発展していくだろう。利用者の事をもっと
考え、番組だけではなくテレビの機能性においても発展をしていく。
2.1.1 テレビの利点、欠点
〈利点〉
テレビと新聞の一番の違いが、映像として情報を受け取るか活字、写真などで情報を受け取
るかということだ。テレビの利点は映像だろう。映像を使い時には生で情報を伝えられる。今
起こっていることをすぐに伝えられるのだ。動く映像を使い、それに加え人が説明してくれる
ことからとてもわかりやすく伝えることができる。映像と音声にすることにより新聞と比べ断
然伝える時間がはやい。
また、ニュースを例に挙げると自分が知らないことでも浅くだが広い分野の情報を得ること
ができる。
情報を受け取る側もとても楽である。画面を見ていれば、たとえ見ていなくても情報がテレ
ビから与えられる。自ら情報を取り入れようとしなくても向こう(テレビ)から情報が来るの
だ。
〈欠点〉
利点をふまえての欠点だが、
「生」であるということの欠点がある。受動的ではなく自分から
この情報が欲しい。という場合にはどうするか。テレビの場合視聴者の都合に合わせることが
できない。一方通行のメディアだからだ。もし、見たい番組、聞き逃せない情報があった時も
う一度放送するまで待たなくてはならなくなる。
また、持ち運べないということも大きな欠点である。新聞と比べ持ち運んでテレビを見ると
いうことは今の時点で考えにくい。携帯電話にテレビを付けた機種が発売され、一度見たこと
があるが見にくかった。
近い将来デジタル放送になりこれらの欠点は、技術でなんとか解決するかもしれないと思う
が、今現在の欠点として挙げておく。
利点でも挙げた通り、テレビの特徴として映像、動画が大きい。しかし、その映像から欠点
と考えられるようなこともある。映像というのは人間にとても大きな影響を与える。例えば、
戦争を挙げる。そこで起こっている状況を映像として放送する。視聴者はそれを見て現実を知
り、そこで撮った映像なのでその場でそれが起こっていると感じてしまう。しかし、テレビに
は編集作業という仕事がある。映像のせいで逆につくられた情報が起こりやすくなる。また、
視聴者にも影響がある。その映像を信じてしまい、勘違いが起こりやすくなる。私は、これが
テレビの一番の恐さだと感じる。とても扱いやすいメディアなので老若男女利用する今一番の
影響力があるメディアである。だからこそ恐い。
2.2 新聞の歴史
日本に初めて新聞が誕生したのは幕末の事だ。新聞に似たものとして瓦版が存在していたが、
新聞として扱われたのはこのときが初めてだ。
日本に最初に現れた新聞は、文久2年正月、幕府の蕃書調所が発行した「官板バタヒヤ新聞」
である。これは正月から2月にかけて発行されている。また、地方の中心地に新聞が出現した。
(明治4年頃)(p7 L1∼3)
明治10年に西南戦争は、新聞の報道機能を人々に認識させる絶好のチャンスだった。明治1
2年1月大阪で創刊された「朝日新聞」は、小新聞ながら報道を重視して部数をのばした。明
治10年3月には最初の夕刊紙「東京毎夕新聞」が発行された。(p40 L16∼17)
明治11年頃から広告新聞が盛んになってきた。新聞が広まる事で、新聞に広告を載せるとい
う考えがこの頃から始まった。当時の新聞広告として主なものは、売薬広告であった。また、
3
黒枠の死亡広告も載せられてきた。
明治18年には初の朝夕刊セットで発行された。
「東京日日新聞」は、日本で初めて朝夕刊連続
発行を始めた。欧米に類のない日本独自の試みがここで始まった。(p58∼59)
日清戦争(1894年∼1895年、明治27年∼28年)において新聞は企業として経営が
成り立つようになった。
「戦争は新聞を発達させる」といわれる理由にもなった。
(p64∼p6
5)
新聞にとって明治30年代に入ると、新聞は資本主義的企業として発展してゆく。この時期の
新聞界の特徴として、新聞の発行部数が急激に増加している。一例を挙げると、日清戦争前、
明治26年頃の1日の新聞総発行部数は約35万部前後と推定されるが,これがほぼ10年経
った37年には163万部と約4.7倍に増加する。しかもこの特徴は地方紙にも見られた。
二つ目に、印刷方式が変わっている。この頃までの新聞社はほとんどが平版の足踏み式印刷機
を使用していたが,明治23年、東京朝日が初めてマリノニ輪転機を輸入して以来,東京,大
阪の有力新聞は徐々にマリノニ輪転機を使用し始めた。
(p90 L1∼5)三つ目に、印刷技術
が進歩した。四つ目として、広告が増加するとともに広告にもこったものが出てきた。逆さ広
告や横向き広告をはじめ、広告で最も重要な、人の目をひく企画が現れ広告技術も進歩してき
た。現在の「電通」が誕生したのも、明治34年の事である。(p91)明治32年になると、
広告に全ページを使う新聞なども登場した。
大正時代に入ると新聞も次第に成熟期を迎えた。この頃の大事件として関東大震災が挙げられ
る。
(1923年9月1日)新聞社もほとんど被災した。メディアが混乱し、色々な情報が流れ、
朝鮮人が襲って来るなどという噂がながれもした。混乱に乗じた警官や憲兵は、朝鮮人数千人
を虐殺し,社会主義者や労働組合員を次々と逮捕し,日本の歴史上にぬぐい去る事のできない
汚点を残したのである。
(p169 L4∼6)この事から分かる通り、メディアが混乱する事で
私たちに大きな混乱を生み、様々な噂が流れる場合がある。そういう意味でもメディアの存在
感は大きいのである。
新聞界に与えた影響も大きく、被災した新聞社は衰退していった。このように見ると関東大震
災は、日本の新聞史上無視できない重要な意味を持つものであった。
大正14年3月1日、日本最初の試験放送が社団法人東京放送局によって開始された。
(p17
3 L2∼4)この放送の出現は、新聞界にいろいろな影響を及ぼしている。初期の頃は両者と
もとても協力的で、ニュースの原稿は全て地方の新聞、通信社から無償で提供されていたのが
多かった。ラジオの聴取者も予想以上に増加したした事もあり、新聞にラジオ版をもうけたの
が「読売新聞」である。これは東京の有力紙の中では一番早かった。
昭和10年代に入ると、国内は戦時体制に入った。軍事関係の報道は陸海軍大臣の許可がない
かぎりいっさい報道を禁止する措置をとった。このような報道制度は16年12月米英との戦
争が始まるにつれてますます厳しくなり,時局に差し障りがある記事を掲載した新聞は(たと
えそれが真実であっても)いつでも発行許可を取り消す事ができるようになった。戦争が拡大
するにつれて、紙面から外電がほとんど消え、国民は全く外界の情報(国内を含めて)から遮
断され、軍部の宣伝におどらされることになったのである。(p199∼200)この頃から情
報の操作が始まり、戦争とメディアの関係を重要視する政府の考えが見えてくる。戦争の情報
を国民に伝えない事により、国にとって都合の良いものしか発行しない。新聞での情報操作と
してはこれが最初だろう。
第2次世界大戦後の新聞の復興として、GHQが五か条の報道取り締まり要領を出した。その内容
は次の通りである。
真実に反しまたハ公安を害すべき事項を掲載せざること
4
日本の将来に関する論議は差し支えなし、ただし世界の平和愛好国の一員として再出発せんと
する国家の努力に悪影響あるが如き論議は取り締まるものとする
公表去られざる連合国軍隊の同性および連合国に対する虚偽の批判または破壊的批判ないし流
言は取り締まるものとす
当分の間ラジオ放送はニュース,音楽、娯楽番組に限られ,ニュース,解説、情報番組は東京
のスタジオ制作に限られる
第一項に反するが如き報道をなしたる新聞その他の出版物に対しては連合国軍最高司令部はこ
れが刊行を停止することあるべし
(p227 L5∼12)
新聞の発展期として、昭和30年代は歴史に残る10年になった。この間に新聞は様々な変化
を遂げたのである。
まず報道面では、今までの政論、報道主義にかわり、言論の主張という形式が生まれた。技術
面では、機械化され、さらにファクシミリという送信手段の登場によって、20年前には想像
も地下なかったような新聞製作が行われるようになった。
昭和40年代に入るとテレビがメディアとして圧倒的な存在になってきた。その事件として、
アポロ11号月面着陸の映像である。21日午前5時17分の月面着陸成功のニュースを最初
に知ったメディアも、テレビが83.6%人の話6.3%新聞4.6%とテレビが圧倒的な威
力を発揮した。(NHK放送世論調査所=東京23区調査)(p292 L10∼14)
新聞の転換期として昭和49年∼61年だろう。地方紙よりも全国紙がお互いに競争しながら
力を付けた時代でもあった。速報はラジオ、テレビといわれるようになり、新聞は徐々に衰退
していく。速報の花形といわれた号外も時代遅れのようにいわれている。しかし、時と場所に
よってはまだまだ有効な速報媒体である事を表したのが昭和51年だった。田中角栄前首相逮
捕など号外が活躍した年だった。
今後の新聞の役割の変化と課題として、現代の新聞というと、基本的に日本や世界での時事や
ラジオテレビなどの番組表が掲載されている。ちょっと堅い情報誌のようだと私は思う。新聞
というメディアと新聞に似たような雑誌とを比べてみると、どのような違いがあり、どのよう
に新聞が扱われていくのか自分なりに考えてみたい。現代、新聞を読むという事よりも、世間
に流通している雑誌を読む方が気軽で良いし、分からない人には雑誌で読む方が詳しく書かれ
ていて分かりやすいのではないか。また、この五年間あまりで急速に普及してきたインターネ
ットを通して、情報という物を気軽に見たい情報のみを検索し、得る事ができるようになって
きている。実際に新聞で書いてある事やテレビ、ラジオなどのラテ欄はインターネットで見る
事ができる。また朝日新聞でいうと、社説や天声人語などの新聞ならではの記事においても新
聞社のホームページで見る事ができる。新聞なんて取らなくてもインターネットが新聞の代わ
りを果たしているのである。ではなぜ新聞という物がなくならないのだろうか。私が考えでは、
メディア全体にいえる事だと思うが、例えばラジオなど他の物ができて、衰退してきたメディ
アだが今まだ残っている。いくら衰退していってもそのメディアそのものの特徴が最小限ない
し、最小限でなくても必要な部分だけでも残っている。そこが我々の求める物であると思う。
引用文献(2.2 新聞の歴史の中の引用全て)
日本新聞通史:春原 明彦,株式会社 新泉社,2003年
2.2.1 新聞の利点、欠点
〈利点〉
5
新聞の最大の特徴でもあること、それが、活字や静止画でつくられたメディアだということ、
また、紙でできているということだろう。つまり、紙でできているということで、持ち運んで
利用することができること、さらに、折り畳んだりもでき、紙といった資源から見るとその分
手に入れることは簡単になり、手軽に利用することができる。情報を発信する側にとっても、
テレビと比べると格段に低コストで利用できる。また、自由に発行できるというような点も一
つの特徴でもある。ここでは新聞とともによく新聞に挟まれている広告も含めて考えていきた
い。手軽に利用することができるという点ではテレビでも同様だが、より身近に売っている、
しかも1部あたり100円ちょっとという安さにおいてもテレビよりも手軽に利用できるメデ
ィアである。紙という媒体を使うことにより良いことはもっとある。自分の知りたいことを知
れる。つまり、知りたい情報だけを探し、読んだり、見たりするだけで良いのだ。しかも自分
のペースで利用できる。電車内で読んでいる人、職場で読んでいる人、トイレで読んでいる人
など利用場所は多岐にわたる。つまり、情報を受け取る側が情報を選ぶことができるのだ。情
報を発信する側も、もちろん選ぶ事が出来る。本のように何回も見直すこともできる。過去の
記事などをとっておき、資料としても使える。いろいろな分野の情報、ニュースを知ることが
できる。興味のない記事は見なくても良いのだが、社会面、経済面、国際面、スポーツ面、テ
レビ・ラジオ番組欄など、まんべんなく見ることができる。
〈欠点〉
新聞では活字が主である。その部分が前述した通り利点である場合が多いが、 活字には映
像を使う場合より制限されることが多い。例えば悲惨さ、うれしさなど、人の喜怒哀楽が大き
いだろう。メールよりも電話の方が、感情が伝わりやすいということと同じである。また、活
字という点により、インターネットで利用されやすいといった欠点もある。現在インターネッ
トを利用して新聞を読むことができるようになっている。利点でもある持ち運びという点では
適さないが、インターネットを利用していれば新聞を取る必要がないという人が現れる場合も
ある。
また、活字、印刷なので新聞で情報を得る側にとっては時間がかかり、他のメディアと比べ
情報の新しさにおいて劣っている。情報を発信する側にとっても同じ事が言えるだろう。せっ
かく作った記事が実は違う情報だったと言った場合、すぐに差し替えたりしなくてはならない。
私の新聞に掲載してある情報の印象としては、前の日のニュースを次の日の朝刊にのせるとい
う感覚がある。紙といった残る物というメディアにとって、間違えなどをしてしまうと残って
しまう事が欠点である。
新聞が若い人にあまり人気がないのは次のような理由があるからだ。1つ目に、新聞は利用
する人が読もうとして読んでいる。つまり、テレビと違い読むという行為をしなくてはならな
い。自分から時間を作り、新聞を読む時間を作らなくてはならないのだ。それが面倒くさいと
いった印象を与えるのではないか。
また、新聞のイメージも影響しているのではないか。新聞を読んでいると、「おやじっぽい」
といったイメージを持つ人も多いとだろう。新聞を読むということはとても大切なことである。
それは誰でも分かっている。しかし、新聞を読んでいることが恥ずかしいことだという時期や
場合も少なからずあるのではないか。
テレビと違い情報をそのまま伝え、生で中継するのでもない新聞にはそれぞれ各紙の意見が
ある。事件についてコメントを付け加える事によって新聞社ごとに意見がちがう。社説におい
てこれはよく見られることである。つまり、他のメディアよりも、情報が記者による主観・立
場に左右されるということだ。∼新聞を読んでいる人、…新聞を読んでいる人といった各紙、
新聞同士の意見の違いが他のメディアよりも、とても強く表れる。
6
第3章 現在
3.1 メディアが充実してきた段階での報道
現在は様々なメディアが存在する。特に代表的な種類としてテレビ、新聞、インターネット
がある。インターネット、テレビはまだまだ情報を伝える機能としての可能性が広がるが、新
聞はほぼ確立したメディアだろう。ここでは私の生活を参考にどのように情報を得ているかを
考えてみたい。
例えば、私がいる所で地震が起きる。そうすると私の行動はテレビをつける。それは今の地
震の震度はいくつか、震源はどこか、などというような情報を得たいからだ。地震が起きた時
にその日の新聞を読んで情報を得ようとする人はいない。新聞を参考にする時は、昨日何があ
ったのかというような意識の中で新聞に触れるのではないか。報道に置き換えても同じような
事が言えるだろう。テレビの特徴としても挙げたが即座の対応が魅力だ。メディアが充実した
時にその機能を選ぶ私たちが重要になってくるという事だ。即座の情報をしりたいならばテレ
ビ、ゆっくり大量な情報を知りたいのならばインターネットを使う。また、昨日の出来事をじ
っくりしりたいのならば新聞を利用する。これは自然と行っている事だろう。しかし、とても
重要な事だと言える。
今、私たちが利用している最大の情報伝達手段として、携帯電話がある。会話はもちろんの
事、メールやインターネット、いまはゲームまでできる。ものすごく良い道具だ。しかし、携
帯電話に頼ってしまうと問題が起こる。連絡が取れると思っていたら充電がない。こんな経験
をしたことがある。その時に私は何もできなくなる。連絡しようにも電話番号をメモしてある
という事がない。そうなったらどうしようもない。電話番号をおぼえておく必要のない携帯電
話では一つのメディアがなくなっているのだ。それはアドレス帳のような紙を使ったメディア
だ。
これは一般的な報道でも言えるだろう。人々がメディアに対し、ある程度の期待をするのな
らそれは生き残るだろう。しかし、期待されなくなったメディアは消えてなくなってしまうの
である。メディアが他のメディアを食べてしまうのだ。メディアは充実する事と同時に衰退し
ていくのだ。
メディアと言われて思い浮かべる物はテレビ、ラジオ、インターネット、新聞、本と大体同
じ意見が出てくるだろう。それはなぜかと言うと、そのメディアで十分なのである。私たちが
欲する情報をどんな場合でも、そのメディアどれかを使用すれば手に入れる事ができるのだ。
外では本や新聞、家ではテレビやインターネットなどと使い分ける事でとてもシンプルになっ
ていく。この事で放送する側、情報を送る側もとてもシンプルな対応ですむのだ。
ところで、シンプルになるからといって、全ての情報を同じにし、大切な事を隠せばすぐに
情報操作は容易にできるのだ。その点について次の節で戦争と絡め検討していきたい。
3.2 戦争報道の必要性とその影響
戦争ニュースの法則として、戦争が起これば最初の犠牲者は真実である(The first casualty
when war comes is truth)この言葉は、英新『サンデー・タイムズ』で活躍したオーストラリ
ア出身のジャーナリスト、フィリプ・ナイトリー記者が著した『戦争報道の内幕』で有名にな
った名言である。注7この言葉は、19世紀半ばのクリミア戦争(1853年から56年にかけ
て行われた、ロシアとトルコ・イギリス・フランス・サルデーニャ連合軍との戦争)から、ベ
トナム戦争までの約120年間の戦争報道について検証し、このような事を指摘している。
戦争と聞くと国、宗教、人種など色々な対立・抗争が挙げられる。なぜ戦争報道が必要なの
かと同時に、誰の為の戦争なのかを考えながら考察してみたい。
戦争を起こす時には必ず理由がいる。原因があるから戦う。現在のような平和を大切と考え
る時代において戦争を起こす場合、その理由が最も大切であり、それを納得させるという事が
7
難しい。ベトナム戦争や湾岸戦争では、トンキン湾事件や少女ナイーラの証言などを使い、な
ぜ戦争を始めるかという理由を国民に説明し、ある程度の指示を得る必要があった。注1しか
し、記憶に新しい9.11テロからイラク戦争。これにははっきりとした理由があった。とい
うよりも、作られた理由のようにも感じられる。9.11テロによってアメリカ国民はショッ
クとともに異様な興奮状態に陥った。注2アメリカ政府は、その興奮状態を上手く利用し、国
の誇りなどと称して国民を、イラク戦争という、いかにもアメリカ国民好みのドラマに誘った。
その際、興奮状態が戦争への派手な前宣伝やきっかけとなり、理由を作る機能を果たしたとも
言える。
例えば、次のような情報が流れた。9.11テロを起こした、アルカイダのグループをイラ
クがかくまっている。アルカイダとイラクが繋がっている。炭疽菌テロは、アルカイダやイラ
クとも繋がっている。イラクは大量破壊兵器を所有し、開発を進めている。こういった情報が
ながれた。その情報を得た国民は9。11テロの悲惨さや、怒りを抑えられず、国の誇りを尊
重し考えもせずブッシュ政権を後押ししていた。こういった情報が、ブッシュ政権強硬派やメ
ディアを通じてしきりに宣伝され、悪の権化フセイン独裁体制を、正義の国、アメリカが打倒
し、イラクに自由と民主主義をもたらす筋書きが、巧みに作られていった。
注3確かに9.11テロをテレビだけで見ていた私にとっても、とても衝撃的な事件であっ
た。そのテログループがイラクに繋がっている、という情報もテレビを見て知った。第一章で
述べた通り、その情報を疑い自分自身で調べるといった行動をとる人はごく少数だ。与えられ
た情報を受け取るだけ、受動的なところが特徴のメディアがテレビである。そのテレビを巧み
に利用し、国民だけではなく、他の国々にもテロを指示するのか、アメリカを支持するのか、
という白か黒かの「踏み絵」を全世界の政府に迫ったように見えた。注4
興奮状態に陥ったのは政府や世論だけではない。メディアも同じだった。CNN、FOXなど各テ
レビ局は、テロ事件報道には決まって画面上に星条旗をあしらった。会見の際も必ず国旗をバ
ックに撮影しているのが印象に残っている。NBCの報道番組「ミート・ザ・プレス」でも、司会
者が赤、白、青の星条旗リボンを胸に付けて愛国心を堂々と強調していた。
「賢人グループ」と
いわれるニューヨーク・タイムズでさえ紙面の最終ページに一面大カラーの星条旗を印刷し、
「窓にはってください」とやった。国民の心を愛国心に集中させアメリカの誇りを意識させた
行動だった。貿易センタービルの現場では、無惨な死体をけっしてテレビには映さなかった。
また、ジェット機がビルに衝突した映像も一時放送中止とされた。戦争をする際「敵を作る」
ことこそが、唯一その目的を実現するという歴史の教訓を、あらためて見せつけるかのようだ
った。注5
イラク戦争では、かつてディーバー元補佐官が用いた情報操作の手法が使われている。それ
は、アメリカ政府が最も伝えたい印象的な内容を、何度も何度も繰り返す、という手法である。
イラクやサダム・フセインがいかに悪いか、繰り返すうちに、その根拠が多少曖昧であっても、
人々はそう信じ込むようになる。戦争を行う時に国民の意見はとても重要になってくるのであ
る。その国民の意見を情報によって操作し、一つの目標に向かわせる事、また敵をはっきりさ
せる事で支持を得たのである。また、意識を集中させる為に、向かい風になるだろう、ブッシ
ュ政権批判の封じ込めの圧力はすさまじかった。コネティカット州の地方紙では、アフガニス
タン空爆で命を落とした赤ちゃんと、悲嘆にくれる父親の写真を一面に掲載し、抗議が殺到し
た。
「ブッシュ大統領がテロ当日、ネブラスカで穴の中に隠れていた」とオレゴン州の地方紙に
書いたコラムニストは解雇された。注6
戦争において、
「いかにメディアに好意的に描いてもらうか」も大切である。なぜなら戦争が
起こった後での戦争報道も重要である。国民が現場で何が起こっているのかを知る為にメディ
アが使われるのである。その映像を通じて兵士の内面の葛藤などをみせ、
「若者がつらい戦争を
8
戦っている」と敵への怒りをかきたてる。また若者には軍隊の素晴らしさ、国に貢献し、使命
をまっとうすることの正義などを刷り込んでいく。このように、メディアが好意的な報道をす
る事で、兵役志願を増大させる結果を生んでいる。報道としてではなく、イラク戦争では※プ
ロパガンダのための短編映画も作られた。敵をはっきりさせ現地で働く事への大切さを見せる
道具として、メディアを使うのが一番容易で影響力が大きく、また、映像を編集することによ
って情報操作が容易にできるのである。やはり、一番衝撃的だったことが、イラク戦争ではそ
の戦争の目的とされた生物兵器や、大量破壊兵器などの情報がCIAのねつ造であった事が判明し
た事だ。これは、2005年3月に米独立調査委員会が発表し、明らかとなった。これから分
かるように、9.11からイラク戦争へと続くアメリカの「侵略戦争」であることが分かる。
このように戦争報道は戦争が起こる前、戦争が起こっている時にもとても重大な役割をする
のだ。
語句説明
プロパガンダ【propaganda】…宣伝。特に、主義・思想の宣伝。
引用 広辞苑
引用文献(3.2 戦争報道の必要性とその影響)
1)川上和久:イラク戦争と情報操作,株式会社 宝島社,2004年8月13日 発行
注1 p173 L1∼2
注2 p172 L1
注3 p179
注4 p181
注5 p182
注6 p183
2)戦争ニュース 裏の読み方 表の読み方:保岡裕之,講談社,2005(p3 L4∼8)
9
第4章 過去
4.1 テレビのない時代の戦争報道
戦争報道は、テレビなどの多メディアで行われている現在と異なり、情報を伝達する事が出
来る手段が少なかった時代にはどのように報道がされて来たのか。また、映像、動画による伝
達ではなく、新聞・ラジオ放送などによる場合どのような影響の違いがあるのだろうか。その
点について考察する。
日本での1930年代における戦争報道の主要なメディアとしてラジオがあげられる。
1930年∼34年頃ラジオが100万件を突破し、国民に不可欠な存在となった。その事
をより強くした理由のひとつに戦争があった。
きっかけは「満州事変」の発端となる1931年9月18日の柳条湖(りゅうじょうこう)
事件だ。柳条湖事件とは、関東(かんとん)軍は自らの謀略による南満州鉄道爆破を中国軍の
犯行として全面攻撃を開始した。政府の不拡大方針を無視した軍は、満州全域を占領した。翌
32年には日本の手で「満州国建国」が強行され、泥沼の日中戦争からアジア太平洋戦争への
道を歩む。ラジオの速報性に新聞・通信社は脅威を感じ、異議を唱えた。その後の戦況速報で
は写真号外に力を入れ、“見る号外”で対抗した。ラジオのニュースは概略を伝え、新聞が文字
で詳細を伝えるという意味で“ラジオは玄関、新聞は奥座敷”とNHK側は説明した。
(注1)テレ
ビが無い時代でも新聞のあるべき位置は同じである。ラジオが一瞬一瞬の記憶であり、聞き逃
したり電源を入れてないなどの失敗があると取り返せない。しかし、新聞は文字で表現された
メディアである。奥座敷でゆっくり自分の時間に触れる事の出来るメディアとして確立してい
た事が分かる。
ラジオは19日朝の第一報を含め9月中に17回の臨時ニュースを伝えたが、それが軍の謀
略によるものだとは知る由もなかった。
「5・15事件」
(1931年5月)が起き、このときもラジオは臨時ニュースで伝え、今ま
で新聞頼りだったがその速報性が浸透していった。戦況を伝えるラジオは国民の必需品となっ
た。ニュースは従来、新聞者頼りだったが、1930年に通信社の素材を自主的に編集する「放
送局編集ニュース」を開始した。だが、軍事機密を理由に報道は制限され講座番組などで現役
軍人が時局解説などを行い、ラジオは戦時意識高揚のための役割を高めていくのであった。新
聞と比べ当時影響力が強いラジオでは、ラジオが国策周知の武器として使われていた。ラジオ
を普及させるポスターとともに「挙国一致」などの戦時へ向けての精神を流し、聞いている人
に戦争へ向けての精神をラジオを利用して徹底させたい思惑があった。
1937年7月に中国北京郊外盧溝橋(ろこうきょう)で起きた日中両軍の衝突により、日
中は全面戦争に入った。このときもラジオは戦況を伝える情報伝達として国民の必需品となっ
た。しかし、このときは報道は管制された。人々の心を戦争に向けるため、放送も毎朝〈国民
朝礼の時間〉を設けた。流される歌謡や演劇も軍事一色に染まっていた。
アジア太平洋戦争開始の一報を全国に伝えたのもラジオであった。
「対本営陸海軍部、12月
8日午前6時発表。定刻陸海軍は本8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘
状態に入れり」と臨時ニュースが流れた。これに続いて、真珠湾攻撃、シンガポール爆撃、香
港攻撃などを伝え、日本中を沸き立てた。報道統制は徹底され、大本営の許可したもの以外は
いっさい放送禁止となった。特例をのぞき天気予報も禁止された。ここで、大本営は放送に脚
色し始めた。始戦の勝利は束の間で、戦局は悪化し、大本営発表は撤退は“転進”、全滅は“玉砕”
と放送した。開戦から敗戦までの45ヶ月間に846回もの発表があったが、次第に嘘で固め
られていった。国民にはラジオから流れる空襲警報がとても役に立ち、国民の命綱となった。
(注2)
海外放送ではわざと相手の戦意を喪失させるために祖国の音楽などを放送した。
10
現在のような多メディアの時代と比べると、この頃は、情報を受け取る側にとって、正しい
情報の選択が出来ない。選択するほどに種類が無いのはもちろん、放送全てを管理されていた
のではそこから来る情報が正しいと思うしか無い。信じるしか無い、疑う事も考えなかっただ
ろう国民が、ラジオ放送を聞き、嘘で固められた大本営発表を聞いていた。この頃は個人のラ
ジオというよりも一家に一台の受信機しかない。みんなで集まって聞き、精神を軍事的な方向
に持っていく。個人で聞いている影響力と集団で聞いている影響力では後の方が強い。この時
代のメディアとして一番の影響力を持ったものだろう。
海外放送で暗号を流し、極秘の暗号指令を流した。終戦の際もラジオから聞こえて来る天皇
の肉声(玉音)を放送し、国民のもとに届けられた。この時代天皇が国民に向け肉声を発する
こと自体タブーの時代だった。昭和天皇の肉声(玉音)がラジオから聞こえる。これは全国民
が共有した、放送市場に残る“劇的瞬間”だった。(注3)
この時代、ラジオ体操(1928年11月1日開始)やニュースを放送局自主取材や、娯楽
番組とともに最も喜ばれたスポーツ中継も始まった。1927年8月13日、甲子園球場の第
13回全国中等学校優勝野球大会を最初として、東京六大学野球、1928年1月には大相撲
が放送された。水泳、陸上競技中継もこの頃始まった。このような番組の中でラジオ体操は当
初、国民の健康増進の為にという目的ではじまったが、次第に号令一つで全国民が同じ動きを
する「挙国一致 国民統一」が強調されていった。このことからみても分かるように、この時
代ラジオが草創期にも関わらずメディアを利用し、国民を操作していることが分かる。メディ
アを使い容易に国民の意思を同じ方向に向かせ意思統一ができるということを、ここで自然と
行っていた。この後、満州事変などが起こり、ラジオが戦争報道として頻繁に使われるように
なった。報道する内容や政府から国民に対するメッセージが違っていても、政府が行ってきた
国民操作はメディアを使ったものであった。
4.2 過去と現在のメディアツールが増えた事での影響力の違いと、新聞やテレビの報道の
違い
今までのように、過去(第二次世界大戦頃)と現在(イラク戦争)を比べて比較した所、特
徴として次のような事があげられる。
メディアが変わるにつれて情報を受け取る側はどう変わってきたか
過去では主にラジオや新聞、現在では主にテレビを使用している。
現在でのインターネットの普及と、インターネットの存在の大きさ。
これらに注目しながら述べていきたい。
まず始めに、過去と現在を比べ影響力の違いを考えた時に、私はメディアツールが増えてい
ようが、いまいが、私はそれほど変わりがないのではないかと考えた。なぜなら私たちは、過
去なら過去、現在なら現在の限られたメディアのみ触れる事しかできないからだ。それは情報
を伝える側も同じことだ。つまり、与えられたメディアを使用し、その時代時代に合わせそれ
が最高のメディアだと考えているからだ。過去にインターネットという道具が現れるという事
を国民は予想できただろうか。現在もそうだ。インターネットからもっと発展したメディアが
現れる、と考えだすだろうか。また、情報を送る側も今あるメディアを利用し、それを最大限
に使おうと考えるのが普通である。いちいち新しいメディアを企画し、開発してからそれに宣
伝をのせてなどやっていたらいくらお金や時間があっても足らない。今ある物で一応満足して
いる。ということは、メディアが充実しようがしまいが、信じる力、メディアに触れた時の国
民への浸透力は同じだろうと私は思った。大体の国民は同じメディアから情報を受け取る。つ
まり、メディアが増えようが増えまいが関係ないことだ。自分で調べようとする人以外は、メ
ディアの使用する種類が変わってしまうということはよほどのことが起きない限り起こらない
のではないか。よって、多メディアになろうが(現在)、多メディアでなかろうが(過去)、あ
11
まり関係のない事だろう。
しかし、それは情報を受け取る側にとっての考え方と言えるだろう。
情報を送る側にとっては、影響を考えて発信しなくてはならない。影響される方にとって、
つまり情報を受け取る側にとっては、あまり変わらないのではないかと先ほど前述した。しか
し、何かしら考えられる過去と現在の影響力の違いを、情報を発信する側から述べていきたい。
また、情報を発信する側からみた受け取る側の利点も考察していきたい。
②にあげたメディアの主役の違い。ラジオが主役かテレビが主役か。私は突然「テレビでは
なくラジオを主に利用し、生活しなさい」と言われたら物足りなく感じる。私は自分の周りと
比べ比較的ラジオに触れる時間は多い。しかし、ラジオの役割としては、やはり脇役だった。
脇役を主役として使いなさいと言われても物足りなく感じるのは当たり前だ。主にテレビをみ
て情報を得る。ラジオは寝ながら好きな番組を聞く、主に娯楽番組という感じだ。
ところで現在、広告費の面で考えると、去年ラジオはインターネットに抜かれている。つま
り情報を送る側にとってみると、あまり重宝するメディアではなくなってきているのだ。前の
章で述べた通り、そのようなメディアは吸収されていくか、必要最小限の機能しか果たさなく
なる。現在インターネットでラジオを聞いたりもできる。現在で考えるとラジオだけの生活は
考えられないのだ。情報を送る側にとっても最小限の機能しか果たさなくなる。ラジオで広告
や報道を頑張ってするよりも、実際に動画が利用でき、最も利用されているテレビに力を入れ
た方が賢い。
では、過去ではどうか。新聞だけでは物足りない人々がラジオの声に群がり、戦争で日本が
勝っているという情報を聞き、盛り上がる。新しい道具を使っていい知らせをする。その当時
はもの凄く良い娯楽だっただろう。しかも、今のラジオには劣るが、娯楽番組も充実していた。
メディアが違っているだけで、同じことが起こっていることが分かる。
以上の問題を戦争報道で限定して考えてみたい。ラジオ、テレビ双方ともに情報操作は容易
にできる。違う所はやはり音声のみか、動画と音声で伝えることができるかだ。そこで影響力
が違ってくるのではないか。主にアジア太平洋戦争とイラク戦争で比べてきたが、イラク戦争
よりもさかのぼりテレビが発展期であった頃の戦争と比べてみたい。
世界中からの衛星中継が可能になった1960年代のビックニュースとしてアポロ11号が
月面着陸に成功した映像がアメリカから世界に向けてテレビで衛星中継された。それと共に、
ベトナム戦争の放送中継の様子も放送された。1965年(昭和40年)の米軍による北爆開
始以来、米国の介入はエスカレートした。テレビが伝えた戦争のリアルな現実は米国民に衝撃
を与え、介入反対の声が高まった。米国は最終的に「敗北」した。この時示された映像の‘力’
が、後の湾岸戦争やイラク戦争時の情報管理に繋がったと指摘する声は多い。
(注4) その湾
岸戦争では、開戦直後、NHKは21時間にわたりニュースを放送した。
この時期、テレビはメディアとしての影響力を日々増しつつあった。もし、過去にテレビや
インターネットがあったらそれらが使われる。しかし、その時、その時代に存在するメディア
を使えば何も問題ないのだ。ラジオならラジオ、テレビならテレビが主役の時代には、その主
役を使いこなす事によって、国民に影響力のある情報を流す事は簡単なのだ。
引用文献
放送80年 それはラジオからはじまった 発行所、編集、発行:NHKサービスセンター
発行人:山田勝美 編集人:青木 勉
注1 p28
注2 p37
注3 p36∼p37
12
注4
p95
l.7∼16
第5章 未来
5.1 考えられる事件の伝え方
私は過去から現在と調べていくうちに、メディアの怖さ、面白さ、また発展が分かる気がした。
中でもやはり身近なメディアとしてテレビの影響力の大きさには改めて驚いた。この章ではこ
の先のメディアを考え、そのなかでどのように報道が進化していくのかと言ったことを想像し
ていきたい。あくまでも自分の頭の中にある想像である。
90年代以降、急激に普及を遂げたコミュニケーションメディアといえば、インターネット
と携帯電話だ。個人情報保護法ができるくらいに情報が大切になっていく中、個人情報とテレ
ビ・新聞などの発する公的な情報が入り交じり、よくも悪くもメディアのボーダレス化が進ん
でいる。私の周りでも「ブログ」というものを始めている人が多い。この数年で「ブログ」が
大流行している。
「ブログ」とは日記感覚で気楽にホームページが作れ、今までの日記帳をイン
ターネットを利用し公開できるような印象だろうか。日記帳というものは他の人に見られるの
が嫌なものだが、公開することにより個々の情報を発信している。つまり、公開することでパ
ーソナルな事件を伝えているともいえる。このようなコミュニケーションメディアを使用し、
事件や情報を伝えることができるということである。いままでは、情報を発信する側と情報を
受信する側と二つに分かれていた。しかし、このようにどちらにもなれるということは、間違
った情報を容易に流すことができる。また、携帯電話でもそうだ。人と人とをつなぐものとし
て利用されている。これは最大のコミュニケーションツールである。何か事件が起きたりする。
すると、その事件の情報を人に伝える方法として携帯電話が利用される。人といっても自分に
関係する人達だけだが、それが大きい影響を及ぼすのだ。人から人へつながり広がることが情
報伝達において一番怖い。
例えば年越しを考えてみよう。携帯電話や携帯でのメールの発展の影響で、一つ目に年賀状
というメディアが衰退した。これも携帯電話の影響力だ。また、年賀状の代わりにメールを送
ったとする。しかし、全国の人が同じことを考えている。そんな中、メールを送ろうとすると、
パンクしていて送れない。これは携帯電話の普及と、とても多くの人に利用されているという
証拠だ。携帯電話やインターネット(ブログ)の発展で、よりパーソナルな事件を伝える力が
大きくなっているのだ。
先ほど現在では、影響を与えるものとしてインターネット、テレビが大部分を占めていると
述べた。メディアを巡った事件も後を絶たない。
2000年にはフジテレビの「めちゃ×2イケてるッ!」とテレビ朝日「おネプ!」内のコ
ーナーが、「放送と青少年に関する委員会」から「青少年に悪影響を与える」と指摘を受けた。
(注1)日本テレビの社員による視聴率回収工作事件も起きている。視聴率をより多く獲得で
きれば、スポンサーから大きな利益がもらえるという事もあり、視聴率という情報を操作する
事で、スポンサー並びに我々視聴者にも迷惑を与えていた。影響を与えるのがとても大きい多
メディア時代は、番組の質が真に問われる。
5.2 新聞、テレビ、インターネットなど、現在のメディアを使い、一番影響が大きい報道
の仕方
現在、前述した通りインターネット、携帯電話の普及が進んでいる。携帯電話が今までの新
聞の役割をし、インターネットが今までのテレビの役割をしてきている。最近でも堀江貴文氏
(ホリエモン)が「インターネットがテレビを追い抜く」と言っていた。
報道をする際によく使おうが悪く使おうが何かしらの影響がある。その影響を最大限にする
には、新聞・テレビを使い、どうすれば良いのかこの章で考えてみたい。
13
メディアの種類を新聞・テレビ・インターネット・携帯電話として考えてみる。
今まで書いた中で、情報を受け取る側は主に、送られてきた情報を信じるしかない状況だと
感じた。送られてきた情報が真実なのか、それとも情報操作や映像の編集によって変えられた
情報なのか判断するには難しい。報道、情報を受け取る側に伝える場合、先にあげたメディア
ツールを見ると、全てのメディアが繋がって使われている。例えば、地震の報道で考えてみよ
う。地震が起きた時に情報を得たいと思う人は何で得るかというと、大部分の人がテレビで得
ようとする。もしくは、ラジオを聞くという人も稀にいる。大地震になったときはラジオを使
いラジオを情報源として利用していたという例もある。その情報を受け、次の日に新聞で情報
を伝える。インターネットでも最新ニュースとして伝える。テレビ・ラジオと比べ、早さは期
待できないが新聞よりも浸透性、情報伝達の早さには期待できる。つまり、そう考えるとどの
メディアツールを使おうが全てのメディアに通じ、メディアどうしで影響を与えることができ
る。
報道だけではなくCMでも考えられる。テレビで流したCMを新聞に広告として載せる。すると、
インターネットで話題になる。そういった一連性が見える。また、最近ではCMの続きをインタ
ーネットを使い放送することで、テレビを通しホームページを見せることも考えたCMがあった。
そう考えると、情報を伝える手段、影響力の差として一番最初に利用するメディア、それが
大切なのではないか。つまり影響力が大きいメディアは現在やはりテレビが一番だ。最初にテ
レビで情報を取り上げることによって、その時間数が多ければ多いほど他のメディアにも影響
を及ぼす。注目させることができる。また、情報を受け取る側にも利用者が多い分影響力とし
て大きい。つまり影響を大きくしたいのならば、テレビを使うことが近道である。その近道(テ
レビ)を使うことにより、他のメディアにも浸透させていける。
しかし、インターネットが問題になる。その理由として2つ考えられる。1つ目は、インタ
ーネットの情報を本当に私たちが信頼して見ているのかという点である。テレビやメディアリ
テラシーなどでインターネットの情報を鵜呑みにするのは良くないことだ、というようなこと
が取り上げられる。情報を自分で確かめることの大切さの教育だ。つまり、見ている人の中に
はこの情報は怪しいなという見方でインターネットを利用している人が、テレビよりもいると
いうことだ。2つ目に、送る側にとって良い影響を与えるように情報を操作することで、イン
ターネットのようなある程度自由な空間により、良い影響を与えられない場合がある。掲示板
やチャットという場だ。中傷や批判の声が高まる場合がある。しかも匿名で書かれる。そうす
ると今までテレビを見て信じてきた人も違った見方をするようになる。
「∼らしいよ」といった
曖昧な情報が流れやすいのだ。場合によっては、情報操作に気がつく危険性が増えるのだ。
新聞はその分信頼できる情報があるが、違う章でも述べた通り、利用する人がテレビに比べ
少ないし、時間数も少ない。ラジオもそうだ。
携帯電話では、仲間同士で情報の伝達をすることが多い。情報の伝わり方が途中で変わって
しまう可能性がある。携帯電話では情報の広がりが少ないとともに、真実性に欠けてしまう。
そう考えると、テレビから情報を流すことが今考えられる一番影響力が大きい報道の仕方だ
ろう。
第6章 結論
メディアを通じた情報操作として、私は3つの事を述べたい。
1つ目は、戦争を通してメディアを調べていくと戦争にとってメディアとは利用できる道具
の1つだという事だ。メディアの種類に関わらず、全てのメディアにとって言える事だ。現在
は表現の自由など人々がメディアに対し積極的な環境に置かれているが、調べた通り9.11
後のイラク戦争でも情報操作が行われている。新聞が主役の時代、ラジオが主役の時代、テレ
ビ・インターネットが主役の時代全てにおいて戦争の道具とされている。目的は、敵をつくる
14
ことや、国民の意思を統一する為だ。操作された情報を編集したり、偽りの情報を流したりす
る事によって、政府にとって良い筋書きになるように国民を操作していった。意思統一を強調
する為にテレビでは国旗を目立つ所に映したり、伝えたい印象的な内容を、何度も、何度も繰
り返すといった方法も変わっていない。また、政府に反抗した人(オレゴン州の地方紙のコラ
ムニストとして紹介した)が解雇された。メディアを使い好意的に描いてもらう事が戦争を通
してメディアが道具として使われていることが分かる理由になる。
その情報を受け取る側も、今も昔も変わりがない。利用できるメディアが増えたものの、ラ
ジオが主役の時代、テレビ・インターネットが主役の時代双方で同じような事を政府にやられ
ている。その情報を自分で調べるというような人々は少数である。その情報が真実なのか、そ
の情報が嘘なのかといった判断は自分自身に変わりはない。よって受け取る側もメディアを道
具として受動的に扱ってきた。
2つ目にメディアから流れた報道を信頼していいのかという点だ。これははっきり答えられ
ない。戦争を通してみた場合、そのまま信じる事は良くない。また、テレビの意見を聞き、流
されるのも良くない。現在それはみんなが分かっている事だろう。しかし、真実もある。また
その情報でしかその場を知る事ができない場合、よくも悪くも信じてしまうのは仕方ない事で
はないか。
嘘の情報を流す方も信じる方も悪いというのが結論だろうか。そう考えると大切な事はその
情報を確かめる、判断するという事だ。戦争を通し政府の情報を流す方法を考えると、情報操
作することはまた起こりうる。そうなると受け取る側が用心するしかない。現在はインターネ
ットや、ブログなどでより、パーソナルな情報発信もできる時代である。そのような情報を集
め、判断する事が大切だ。実際そのような事をする人は少数だ。本編でも、
「メディアが充実し
ようがしまいが、信じる力、メディアに触れたときの浸透力は同じだろう。国民は同じメディ
アから情報を受け取る。つまり、メディアの種類、メディアの多さは関係ない事だ。」と述べた。
このように、メディアが何であろうと受け取る側の判断が大切なのだ。
現在では「情報戦争」と言われるくらい情報が大切とされている。
「情報戦争」とは、全世界
に張り巡らされた通信ネットワークを使って、軍事秘密や民間情報を傍受し、その情報を戦争
に使っていく事である。コンピュータ技術を駆使した戦場では卓越した情報収集能力や通信技
術能力がとわれる。こうした状況下の中,メディアは戦争開始にあたって,必要不可欠な役割
を感じさせられている。注1
前述した通り、情報通信機器(メディア)が高度に発達しても、戦争ではジャーナリズムは
質的には変化していないのだ。ただ、問題となるのは、事実をありのまま伝えようとするジャ
ーナリストの情報を政府などの権力によって歪めた情報、そのどちらの情報をマスコミがより
多く伝えているのかという一点である。そして、それが明らかになったのが現在のイラク戦争
だろう。マスコミがメディアを通し伝えている報道・ニュースは権力によって歪められた情報
の方が多く含まれている。
3つ目に現在あるメディアを使って、人々に情報を広める為にどのようにメディアを使用す
ると効果的かという事を考えた。
現在ではやはりテレビが強い。今までいろいろなメディアが発展し、衰退した。私たちはメ
ディアに対し、ある程度の期待をするのなら生き残る。しかし、期待されなくなったり、他の
メディアで十分になった時、衰退していく。代表的なものではラジオである。まだラジオの利
点を私たちが必要としているから残っているが、テレビが出てきた事により、急激に衰退して
いった。テレビが今考えられる一番の影響力をもったメディアだとすると、その特徴を違った
もので活かすことも考えられる。
テレビの利点は動画、手軽という事をあげた。そこから考えると、プレゼンテーションでは
15
動画を使い伝えた方が分かりやすく見ている側も集中できる。このことは色々な場で活かせる。
授業をやる際、立体模型をつかって数学を説明したり、ビデオなどを使い見せたりする事で人々
の心をつかめる。印象的な事はおぼえているが、淡々とやったものに関しては忘れている。テ
レビの利点を生かす事により他の分野でもその良さを活かす事ができるのである。
引用文献(第6章)
戦争ニュース 裏の読み方 表の読み方:保岡 裕之,講談社,2005(p7 L9∼13)
謝辞
本卒業論文を書くにあたって、貴重な指導をご協力いただきました石塚正英教授をはじめ、
4年間ご指導をいただきました情報社会学科の先生方、石塚正英教授の元で共に研究を進めて
きた皆さんにお礼を申し上げます。
参考文献
1)NHKサービスセンター:放送80年 それはラジオから始まった,NHKサービスセンター,
2005
2)川上和之:イラク戦争と情報操作,株式会社 宝島社,2004
3)草野厚:テレビ報道の正しい見方,PHP新書,2000
4)ノーム・チョムスキー,鈴木主税 訳:メディア・コントロール∼正義なき民主主義と国
際社会∼,集英社新書,2003
付録
放送年表
1920年
世界初のラジオ局放送開始(アメリカ)
1925年
東京放送局(JOAK)
、芝浦の東京江東工芸学校仮放送所から 仮放送開始(3
月22日)
。聴取契約数3500件
1925年
大阪放送局(JOBK)、大阪市・三越支店屋上の仮施設により仮放送開始(6月
1日)
東京放送局、本放送開始(7月12日)
名古屋放送局(JOCK)西区南外堀町から本放送開始(7月15日)
1926年
東京・大阪・名古屋の旧3法人解散、社団法人・日本放送協会発足
本部を東京市有楽町に置く(8月20日)
高柳健次郎、ブラウン管に「イ」の文字を映し出す実験に成功
1927年
甲子園から初のスポーツ実況
(全国中等学校優勝野球大会)
1928年
札幌、熊本、仙台、広島各放送局開局〈ラジオ体操〉放送開始
全国中継網完成「時報」
「気象通報」などの全国放送開始
1930年
技術研究所設立、テレビジョンの調査研究など開始
金沢、福岡放送局開局
1931年
東京放送局、第2放送開始
1935年
世界初のテレビ定期放送始まる(ドイツ)
『学校放送』全国向け放送開始
海外放送開始、日本語と英語1時間
東京局、中央気象台の提供で「気象通報」全国放送
1936年
2・26事件で「兵に告ぐ」を放送
ベルリン五輪を中継、「前原ガンバレ」
1938年
内幸町に東京の放送会館完成
16
1939年
1941年
1942年
1945年
テレビ実験放送に成功
松山、福島、青森などの放送局開局
東京発空襲に空襲警報を放送
8月15日正午、
「終戦の 書」を玉音放送
〈紅白音楽試合〉放送。
〈NHK紅白歌合戦〉の原型
1946年
放送文化研究所設立/「放送記者」の名称誕生
初の選挙放送実施
1950年
放送法に基づく特殊法人日本放送協会発足
1951年
第1回〈紅白歌合戦〉放送(1月3日)
初めての民放ラジオ局開局
1952年
ラジオ聴取契約数1000万件突破
1953年
2月1日、テレビ本放送開始(東京)1日4時間放送、受信契約数866件
初の民放テレビ、日本テレビ開局
1956年
放送博物館、開館
1958年
テレビ受信契約数100万件突破
東京タワー完成
1959年
1月10日、教育テレビ放送開始
皇太子殿下結婚の儀を皇居賢所から中継(4月10日)
1960年
総合・教育テレビでカラーテレビ本放送開始
日本テレビ・ラジオ東京・朝日放送・読売テレビ、アラーテレビの本放送開始
1961年
連続テレビ小説〈娘と私〉放送
1962年
テレビ受信契約数1000万件突破
1963年
‘大河ドラマ’第1作〈花の生涯〉放送
初の日米間テレビ衛星中継でケネディ大統領暗殺速報
1964年
東京オリンピックで初めて欧米へ映像を発信
1965年
東京・渋谷の放送センター運用開始
1967年
テレビ受信契約数2000万件突破
1969年
FM本放送開始(NHK、民法)
公選法による初のテレビ政見放送(徳島県知事選)
「アポロ11号」月面からテレビ中継
1970年
日本万国博覧会で,随時世界各国へ衛星中継
1971年
総合テレビ番組、全時間カラー化
1972年
沖縄復帰に伴い沖縄放送協会の業務を継承
1976年
〈NHK特集〉スタート
1977年
教育テレビ、全番組カラー化
1980年
〈NHK特集 シルクロード〉シリーズ開始
1982年
テレビ受信契約数3000万件突破
1983年
連続テレビ小説〈おしん〉放送。(後に約60か国で放送)
1989年
衛星放送本放送を開始(BS-1 BS-2)
〈NHKスペシャル〉放送開始
1992年
宇宙飛行士・毛利衛スペースシャトルから宇宙授業
1993年
衛星放送受信契約数500万件突破
1994年
NHKと民法6社によるハイビジョン実用か実験放送開始
1995年
阪神・淡路大震災でNHK、民法ともに空前の報道体制
17
1997年
2000年
2003年
総合テレビの24時間化ほぼ達成
BSデジタル放送、本放送開始(NHK・民放)
衛星放送受信契約数1000万件突破
地上デジタル放送開始(NHK・民法 東京・大阪・名古屋の三大都市圏)
18
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