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コンテンツ文化史研究 - Researchmap

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コンテンツ文化史研究 - Researchmap
 筆者は、今和次郎による考現学の考え方や、アクロス編集部の定
点観測等の蓄積に感銘を受け、若者のストリートファッション観測
に焦点を合わせ、一九九四年からファッションの定点観測を実施し
ファッションに関する研究は、服飾史を軸とした研究、デザイナー
の作品研究、民族学・民俗学による衣装形態や製作技法等の研究を
をホームページで公開している︵ 1︶。
ンをランダムに写真に収めることであり、各地点の分析結果の一部
で、各地点毎月一回、週末に定点観測を行い、通行人のファッショ
一 は じ め に
中心に進められてきた。これに対し、現在の進行するファッション
てきた。その方法は、東京都内の原宿、渋谷、銀座、代官山の街頭
そのものを研究対象とすることは、あまり重要視されてこなかった。
社会を把握する手法が取られてきた。こうした取り組みは一九八〇
会や現代風俗研究会などにより引き継がれ、人々の装いの営みから
他方、明治初頭の坪井正五郎や昭和初期の今和次郎によって、考
古学に対応する現在の風俗を調査・分析する試みがなされ、生活学
ション・コンテンツの特異性があるからかも知れない。
加えたり、定義めいた結論を与えることは困難であるというファッ
シーンや着用者によってさまざまに変化するため、何らかの解釈を
ションのオルタナティブな役割を果たしているのではないか?と考
るという視座にたち、ストリートファッションが、これまでのファッ
トリート発の若者から生まれ、流行の波及図式が大きく変容してい
クションや内外のアパレルメーカーが発信する流行だけでなく、ス
りまく環境が変容し、新しいファッションは、必ずしも海外のコレ
成要因、構成要素、流行の法則、伝播方法などを考察してきた。こ
り、ファッションの変遷の調査・分析を通して、ファッションの生
これに併せて、一九七〇年代から二〇一〇年代までの四〇年間に
およぶストリートファッションの写真資料約十五万点を所蔵してお
それはひとえに、現在形のファッションは、その意味内容が時代や
年代以降、マーケティングの対象として、博報堂生活総合研究所や
のなかで筆者は、一九九〇年代を分岐点として、ファッションを取
アクロス編集部などにより継続して行われ、現在に至る。
88
コンテンツ文化史研究 Vol.8
えるに至った。 そこで、本稿では、ストリートファッションの変遷を概観した上
で︵ ︶︵ ︶︵ ︶、一九九〇年代以降に広まりをみせているストリー
一九四六年にクリスチャン・ディオールが提案したニュー・ルック
を模した、細いウエストで豊かに広がるスカートの落下傘スタイル
が流行するなど、欧米を参照するものが中心であった。
一九六〇年代には、団塊世代を中心に、ヤングファッションが展
開し、マリー・クワントやアンドレ・クレージュの発表したミニス
トファッションに関する写真を軸とした作品の代表的なものを紹介
カートが日本でも大流行し、若者のみならず大人の女性にも広まっ
た。銀座のみゆき通りを闊歩しアイビー・スタイルを標榜したみゆ
き族、ビートルズなどのグループ・サウンズに影響を受けた変形スー
ツ・スタイルのモッズやGSルックなどが広まり、続く一九六八年
ズなどが流行するが、いずれも欧米発祥のものであった。
ピーの思想が流入し、長髪にカフタンシャツ、ベルボトム・ジーン
頃からは反社会的な立場から平和主義や自然賛美を主張したヒッ
ストリートファッションは、ひと言で表現するならば、﹁おもに
若者たちが集うストリートから自然発生的に生まれる流行現象﹂と
な組織から意図的に発信される流行との対比で用いられることが多
い。こうしたファッションが日本で見られるようになるのは、第二
次世界大戦以降ととらえるのが一般的であろう。具体的には、洋装
がもてはやされ、ジャズやマンボを奏でるミュージシャンを真似た
ちの間で進駐軍たちの普段着を真似たアロハ・シャツやサングラス
一九五〇年代のファッションは、敗戦の影響が色濃く現れ、日本
の生活は多くを欧米文化の模倣に依拠した。アメリカ崇拝の若者た
意義を見いだすようになった一九五〇年代後半頃より始まる。
人が眉をひそめるような服を纏って自己主張することで自身の存在
ンが提案され、DC︵デザイナーズ&キャラクター︶ブランドの礎
新興の小さなマンション・メーカーが登場し、独創的なファッショ
しく新しいファッションが提案された。さらに、原宿や青山界隈に
サンローランによるパンタロンやフォークロア・ルックなどの若々
頂点であったコレクションにも変化が現れ、オート・クチュールに
変化の早いファッションに関心を向けるようになった。流行発信の
一九七〇年代に入ると、アパレルメーカーの台頭、既製服の需要
拡大、大量生産・大量消費の確立を背景とし、人々はより新しく、
化の進展とともに、反体制的な思想を持った若者たちが、あえて大
マ ン ボ ズ ボ ン な ど が 登 場 し た。 ま た、 ア メ リ カ 映 画 の 影 響 を 受 け
代わり、プレタポルテが主導権を担うようになり、高田賢三やイヴ・
て、女優のオードリー・ヘップバーンのサブリナ・パンツやシュー
をつくった。
二・二 一九七〇年代・既製服化 と大量消費時代 の幕開 け
いうことになるが、パリ・コレクションに代表されるような商業的
二 ス ト リ ー ト フ ァ ッ シ ョ ン の変遷
二・一 戦後 と日本 の洋装化 し、オルタナティブなファッション・コンテンツが果たしている役
4
割について考察してみたい。
3
ズが求められたり、パリのオートクチュールが憧れの対象となり、
89 論文 〈ファッション〉のオルタナティブとしてのストリートファッション
2
﹄︵一九七〇
an・an
観を共有するというコミュニケーションが図られるようになった。
が支持を集める。フーテン、ヒッピー、アングラ、サイケ、全共闘
ピーの台頭などを背景として、ジーンズやユニセックスなスタイル
然志向、倹約志向が広まり、アメリカの反戦・平和を標榜するヒッ
他方、若者によって生み出された自然発生的なファッションが登
場したのも一九七〇年代である。オイル・ショックの影響から、自
店が台頭し、ファッションに関心の高い顧客層を生み出した。
コレクションの分野では、欧米のクリエーションの発信力がさら
に高まる一方、その優位を揺がす出来事も生じた。一九八一年、パリ・
お嬢様ファッションや個性的なDCブランドが支持された。
法︵一九八六年︶を背景としたキャリア・ファッション、さらには
などのトラッド、ボディ・コンシャス・ルック、男女雇用機会均等
細分化が始まる。一九七〇年代とは対照的なニュートラ、ハマトラ
バブル経済に突入した一九八〇年代、豊かな時代のファッション
の 担 い 手 と な っ た の は、 一 九 六 〇 年 前 後 生 ま れ の 新 人 類 世 代 で あ
二・三 一九八〇年代・ フ ァ ッ シ ョ ン の細分化
の学生などが、長髪、バンダナ、ベルボトムのジーンズの格好をし、
コ レ ク シ ョ ン で 川 久 保 玲、 山 本 耀 司 は、 後 に﹁ ミ ス テ リ ア ス・ ブ
のファッションは、ジャー
服飾美学を否定した彼ら
ナリストには批判の対象
と な っ た が、 前 衛 的 な 若
手デザイナーや若者の支
持 を 受 け、 街 に モ ノ ト ー
た。 か く し て、 日 本 の デ
ンのカラス族を生み出し
て、 従 来 の モ ー ド 規 範 を
ザイナーの創造性によっ
90
コンテンツ文化史研究 Vol.8
これらのファッションを伝える媒体として、﹃
年創刊︶、﹃ non-no
﹄︵一九七一年創刊︶、﹃JJ ﹄ 一
( 九七五年創刊 )
などの雑誌の創刊が相次ぎ、アンノン族やJJ ガールが登場するな
ど、雑誌がファッション伝播に強い影響力を持つようになった。さ
大人や社会への反抗のメッセージを表現したのである。こうして、
ラック﹂と称される全点真っ黒の作品を発表する。伝統的な西洋の
らに、﹁パルコ﹂や﹁ラフォーレ原宿﹂、﹁丸井﹂等の新業態の専門
新宿のフーテン族、原宿の竹の子族やフィフティーズ族など、スト
図2 DC ブランドのモノトーンルック
(一九八六年)撮影:東京 FIC
る。彼らの感覚的な価値観や消費行動が注目され、ファッションの
リートという場において、同じファッションや音楽・ダンスで価値
図1 ベルボトム・ジーンズ
(一九七三年)撮影:箱守廣
米がお手本というテーゼに変化が現れた。
越えた、新たなファッションが提案され、日本のファッション=欧
リートファッションから影響を受ける例さえ見られるようになっ
いには、海外のデザイナーまでもが創作のヒントにするようになっ
パレルメーカーが企画の参考に街の若者を参照するようになり、つ
た。
91 論文 〈ファッション〉のオルタナティブとしてのストリートファッション
た。こうして、流行発信の中枢であったコレクションが、逆にスト
八〇年代には竹下通りや﹁ラフォーレ原宿﹂、﹁原宿テント村﹂を
中心に、原宿がファッションのメッカとなり、渋谷も﹁パルコ﹂、
﹁丸
で あ る。 レ ー ス や フ リ ル を ふ ん だ ん に 使 っ た ド レ ス な ど を 着 た ロ
かたや、流行よりむしろ、ファッションによる自己表現や仲間と
のコミュニケーションを試みる若者が登場したのも九〇年代のこと
リータ、蛍光色やビニル素材のボディスなどを着た近未来的なサイ
井﹂、﹁西武﹂、﹁渋谷 109
﹂などを中心にファッション・エリア化が
﹄︵一九八二年創刊︶や﹃ Hanako
﹄︵一九八八年創刊︶が、
Olive
それぞれ Olive
少女、 Hanako
族を輩出し、街や雑誌から発信され
る流行がクローズアップされた。さらに、一九八九年、団塊ジュニ
バー、チープで装飾的なデコラなど、過剰な装いが街で展開される
進んだ。
﹃
ア世代を中心に、渋谷センター街から渋カジ︵渋谷カジュアル︶が
及として現れるようになった。
たファッション・トレンドは、水平方向、あるいは下から上への波
ようになった。こうして、かつて、上から下へ流れるのが常道であっ
登場し、九〇年代以降のファッションの基点となった。
二・四 一九九〇年代・ カ ジ ュ ア ル化 と ス ト リ ー ト化
一九九〇年代は、バブル経済の崩壊、長引く平成不況、オウム事
件や阪神大震災などが続く混迷期であった。一方で、ポケベル、携
帯、口コミによる情報伝達が拡大し、街発信のファッションに注目
が集まると同時に、渋カジを筆頭に、カジュアルなスタイルが主流
となった。さらに、渋谷ではルーズソックス、金髪、厚底靴のギャ
ルが登場して話題となり、原宿ではスポーツ、音楽、ゲームなどを
アイデアソースとした裏原系と呼ばれるジャンルが生まれ、若い男
性の熱い支持を得た。
れまで読者を先導してきた雑誌が、街の等身大の若者ファッション
こ う し た 動 向 を 掴 ん で、﹃ zipper
﹄︵ 一 九 九 三 年 創 刊 ︶、﹃ mini
﹄
︵二〇〇〇年創刊︶などのストリート系雑誌の創刊が相次いだ。こ
を取り上げる媒体となり、役割を変化させたのである。やがて、ア
図3 渋谷のギャル・ファッション (一九九五年)筆者撮影
タクト、そして、ダイエットや整形をして自らの肉体を改変する行
テンション、ネイル、タトゥー、ピアス、付けまつげ、カラーコン
92
コンテンツ文化史研究 Vol.8
よりみんなで楽しめるファッションが享受されるようになった。そ
の結果、流行の加速化は進展を続けていても、異なる装いが同時多
発的に現れるようになり、時代を象徴するような、画一的な流行が
二〇〇〇年代初頭は、不況ムードが続きながら、地価の値下がり
や銀行、企業の社屋撤退を好機として、海外ブランドの路面店が相
めまぐるしく、衣服による新規性では飽き足らなくなり、皮膚や身
二・五 二〇〇〇年代・流行 の加速化 と フ ァ ス ト化
次いで出店し、ブランド・ブームを生んだ。停滞期を反映してか、
体そのものの変容に関心が向かったためと考えられる。
確認できない状況へと変化していった。また、ヘアカラー、エクス
ファッションは、保守的な装いが流行し、雑誌﹃ CanCam
﹄の人気
モデル発の﹁エビちゃん・もえちゃん﹂スタイルが話題となる。と
為を含め、身体のファッション化が進んだ。これは、流行の変化が
ころが、二〇〇八年のサブプライム・ローン問題を端緒とした世界
同時不況を迎えると、安くて手軽なファストファッションが支持さ
れるようになり、誰もが容易に最新のファッションが入手できるよ
うになり、流行の加速化に拍車がかかった。
九〇年代ファッションが七〇年代回帰であったように、二〇〇〇
年代には、八〇年代のリバイバルが起こり、神戸エレガンス系や名
古屋嬢などのエレガンス・スタイルや、お姉系、コンサバ・ギャル
などが登場した。他方では、綿のチュニックやゆったりしたワンピー
ス な ど を 着 た ナ チ ュ ラ ル 系 ス タ イ ル や、 ソ ー シ ャ ル ネ ッ ト ワ ー ク
サービスの一つである mixi
のコミュニティ発といわれる森ガール
など、コンサバ・スタイルとは対極の装いを好む層も台頭した。レ
イヤード・ファッションが最盛期をむかえ、ファストファッション・
ブームと相まって、チープに見えない工夫として、古着と合わせた
り、リメイクしたり、アクセサリーに凝るなどして、アイテム本来
に備わるイメージや価値をずらして楽しむ着こなしが展開された。
かくして、ブランドの価値観にとらわれ、ファッションはお金が
かかるものといった考え方に代わり、安くて、おしゃれ、そして何
図4 ファストファッションの
ショップ袋を持った若者
(二〇〇九年)筆者撮影
る。企業のファッション室長だった箱守は、来シーズンのファッショ
ビジュアルなストリートファッションの紹介を試みた先鋒と考え
られるのは、一九七〇年代のファッションデザイナーの箱守廣であ
三・一 箱守廣 の﹃ フ ァ ッ シ ョ ン・ ア イ﹄
以上、戦後から現在までの日本のファッションを概観した。次に、
こうしたファッションの変化をつぶさに観察し、公開してきたスト
ン予測と企画、制作のヒントを得るために、一九七〇年の夏から、
ン 情 報 は、 欧 米 フ ァ ッ シ ョ ン の 紹 介、 著 名 デ ザ
はいえ、戦前・戦後までのおおかたのファッショ
のファッションの記録・公開がなされてきた。と
箱守によるストリートファッションの
記 録 は、 一 九 七 九 年 に﹃ フ ァ ッ シ ョ ン・
ある。
いトレン ドの萌芽を探ろうと試みたので
レンドの予測資料として位置づけ、新し
93 論文 〈ファッション〉のオルタナティブとしてのストリートファッション
三 ス ト リ ー ト フ ァ ッ シ ョ ン・ メ デ イ ア の現在
リートファッションに関連するメディアを紹介し、その変遷と意義
分析という視点だけでなく、次に来るト
ション観察を、単に現在のファッション
毎土曜日、原宿の交差点に立ち、写真を撮り続け、ストリートファッ
わ が 国 で の ス ト リ ー ト フ ァ ッ シ ョ ン 研 究 の 試 み は、 今 和 次 郎 の
﹁考現学﹂などに端緒がみられる。また、﹃アサヒ
について考察してみたい。
グラフ﹄︵ 5︶などの報道媒体により、一般の人々
イナーの最新ファッション紹介などが大半を占
ア イ ﹄︵ 7︶ と し て 刊 行 さ れ、 一 九 七 〇
みであった。
ファッション の波及に繋がる意欲的な試
で あ っ た が、 こ れ は 今 日 の ス ト リ ー ト
場に立った極めて実践的で感覚的な記録
は、ファッション・クリエーションの視
的に記録した書籍となった。箱守の視点
年代に始まる消費者の意識変化を視覚
め て お り、 第 二 次 大 戦 後の 洋 装 化 の 定 着 を 経 て、
ここでは一部をのぞき割愛する。
いては、渡辺︵二〇〇七︶︵ 6︶に示してあるので、
ト リ ー ト フ ァ ッ シ ョ ン を主 要 と し て 扱 う 雑 誌 に つ
し、その意義を考えてみることにする。なお、ス
本稿では、ストリートファッションを、おもに
写真資料をもとに解説したものを時代順に紹介
なった。
一 般 人 の フ ァ ッ シ ョ ン に関 心 が 寄 せ ら れ る よ う に
一九七〇年代の既製服の普及をもって、ようやく
図5 箱守廣『ファッション・アイ』
三・三 テ ッ ド・ ポ レ マ ス の﹃ ス ト リ ー ト・ ス タ イ ル﹄
人類学者であり写真家のテッド・ポレマスによる、﹃ストリート・
スタイル﹄︵一九九四︶︵ 9︶では、ストリートに根付いてムーブメ
三・二 ア ク ロ ス編集室 の﹃流行観測 ア ク ロ ス﹄
﹄
︵一九九五︶
アクロス編集室﹃ストリートファッション 1945-1995
は、﹁ストリートファッション﹂という用語を広く伝えた書籍とし
の手法を多くの図版をまじえて紹介している。一九四〇年代のズー
ントになったものを、著名なデザイナーがモードに取り入れる、そ
代 の テ デ ィ ボ ー イ、 ロ カ ビ リ ー、 一 九 六 〇
ティー、ウエスタン・スタイル、一九五〇年
て知られている。この本が出版される以前から、アクロス編集室は、
ナント各社に向けて一九七四年に﹃月刊パルコレ
ファッション・ビルであるパルコおよび、パルコに出店しているテ
ポート﹄を創刊し、一九八〇年から若者のストリー
ピー、一九七〇年代のスケーター、パンク、
年 代 の モ ッ ズ、 サ イ ケ デ リ ッ ク ス、 ヒ ッ
一九八〇年代のゴス、B ボ
- ーイ、一九九〇
年 代 の ア シ ッ ド・ ジ ャ ズ、 サ イ バ ー パ ン ク
トファッションの観察・分析をスタートさせてい
こ う し た 成 果 は、﹃ 月 刊 ア ク ロ ス ﹄︵ 一 九 九 三
年 よ り﹃ 流 行 観 測 ア ク ロ ス ﹄ に 名 称 変 更 ︶、
的 な 観 点 か ら そ の 変 遷 を 整 理 し、 そ の 後 の
れ て き た ス ト リ ー ト の ス タ イ ル を、 人 類 学
こうしてポレマスは、これまで個別のジャ
ン ル ご と、 あ る い は 個 別 の 時 代 ご と に 語 ら
ルの歴史が展示される機会をつくった。
﹂展示の外部キュレーター
Street style
を 務 め、 多 岐 に わ た る ス ト リ ー ト・ ス タ イ
での﹁
ポ レ マ ス は、 一 九 九 四 年 に 開 催 さ れ た、
ロ ン ド ン の ビ ク ト リ ア& ア ル バ ー ト 博 物 館
を提示した。
チャーと密接な結びつきを持っていること
な ど を 紹 介 し、 フ ァ ッ シ ョ ン が 音 楽 や カ ル
﹄で
1945-1995
は、こうした定点観測の記録に加え、調査を開始
という視点での観察を続けている。
﹁ web
アクロス﹂となりウェブ・マガジンとして
継続され、今日までストリート・マーケティング
ズに合わせて一九九八年に廃刊、二〇〇〇年より
いる。なお、
﹃流行観測アクロス﹄は、時代のニー
の ス ト リ ー ト フ ァ ッ シ ョ ン研 究 の ベ ー ス と な っ て
者たちの変遷がまとめられており、その後の日本
する以前の、戦後から一九九五年までの東京の若
さらに、﹃ストリートファッション
一九八九年の﹃東京の若者﹄等で紹介されてきた。
る︵ 8︶。
図6 テッド・ポレマス『ストリートスタイル』
94
コンテンツ文化史研究 Vol.8
ストリートファッション研究の模範や参照点となる功績を残した。
ポレマスの新版﹃ストリート・スタイル﹄︵二〇一〇︶︵ ︶では、
一九九四年版にはなかった、 EASTERN STYLE
の項が設けられて
おり、一九九〇年代以降の原宿や渋谷のロリータやギャル、デコラ
あって、雑誌がアパレルのファッションを紹介して、その格好
フ ァ ッ シ ョ ン が 変 わ っ た ん で す よ。 そ れ ま で は、 ア パ レ ル が
それが、当時原宿に住んでいたんですが、急に原宿の若い子の
のようにコメントしている。
スタイルの若者の写真と解説が掲載されている。加えて、こうした
を出したんです。︵ ︶
FRUiTS
て、雑誌を作ることにしたのです。で、半年くらい準備して、
自分でアレンジしている。︵中略︶これも一つの革命だと思っ
かが全盛でしたが、そのミルクにしても、そのまま着ないで、
なファッションが生まれていた。ブランド的には、ミルクなん
ど、気がつくと、全然何からの影響も受けてないような創造的
を目指してみんなおしゃれするという形だったと思うんですけ
最初の頃僕は日本のファッションには興味なかったんですよ。
日本ファッションに憧れて、ロリータやギャルを模倣している欧米
の若者の姿も取り上げられており、日本のファッションが注目を集
めていることを知ることができる。
三・四 青木正一 に よ る﹃ STREET
﹄、﹃ FRUiTS
﹄
日本のストリートファッションが、そのユニークさやオリジナリ
テ ィ ー か ら、 海 外 か ら 称 賛 の 眼 差 し で 見 つ め ら れ る よ う に な っ た
き っ か け を 作 っ た の は、 一 九 九 〇 年 代 に 発 行 さ れ た、 ス ト リ ー ト
ティーが模倣対象となることが現前のものとなった。ファッション
青 木 が い う よ う に、 九 〇 年 代 は、 そ れ ま で の ブ ラ ン ド が フ ァ ッ
ションを呈示し、それを雑誌が広めるという構図ではない、若者の
﹄、﹃ FRUiTS
﹄による功績が非常
STREET
に大きい。
の波及方法は、街を介在とした若者間の横方向の伝播となり、従来
ファッション誌である﹃
﹄は、ストリートファッションが注
一九九七年創刊の﹃ FRUiTS
目を浴びた一九九〇年半ば以降のストリート系雑誌の創刊ラッシュ
のコレクションを頂点としたファッションの波及過程とは異なる流
間で服を工夫して着こなすという、コーディネート上のオリジナリ
を牽引した雑誌であり、これまでのファッション誌とは一線を画し
た冊子を発行していたが、東京のファッションが変化したことに注
のある服が選ばれ、これに自らの創意工夫によってヘアスタイルや
﹄ の 誌 面 に は ほ と ん ど 文 字 が な く、 被 写 体 が 一 ペ ー ジ
﹃ FRUiTS
に一点ずつ淡々と紹介されている。そこには、色やデザインに特徴
れが決定的に現れたターニングポイントであった。
目し、東京のストリートスナップを集めた冊子を新たに発行するこ
アクセサリーやバッグや靴が組み合わされ、ふさわしいポーズも自
正 一 は、 一 九 八 五 年 創 刊 の﹃ STREET
﹄ で、 す で に ロ ン ド ン や パ
リコレ会場周辺のファッション業界人やモデルのスナップを掲載し
た雑誌であった。この雑誌を創った編集人でありカメラマンの青木
11
﹄ 創 刊 の 経 緯 と し て、 青 木 は 次
FRUiTS
と を 思 い 立 っ た と い う。﹃
95 論文 〈ファッション〉のオルタナティブとしてのストリートファッション
10
分で演出した状態で写っている。そして﹃ FRUiTS
﹄をはじめとす
るストリートスナップの特徴は、原宿を中心とする建物やストリー
トファニチャーや通行人や街路樹などの街の背景をも、被写体のア
ウターの一部であるかのように、コーディネートに取り込んでいる
点にある。
三・五 水谷孝次 に よ る﹃ Merry
﹄
されたヘアやエクステンション、ピアスやペンダントの重ねづけ、
マスコットの形をしたバッグ、ピンクや蛍光オレンジ、金髪に着色
れている。被写体が着用しているタータンチェックのワンピースや、
に対する西欧からの強い興味が影響した﹂と述べている︵ ︶。
となった反響について、ゴドイは、﹁日本の現代ポップカルチャー
伝えられている。二〇〇八年九月の時点で、二万部近くの刷り上げ
﹁パルコ﹂などのファッション・ビルや広告、﹃ FRUiTS
﹄や﹃ KERA
﹄
などのファッション雑誌が紹介され、原宿のもつ雰囲気が十二分に
等を紹介しており、海外の読者に日本のゴシックスタイルを伝える
ファッション、人形などさまざまなジャンルのアーティストの作品
媒体を手がけている。
96
コンテンツ文化史研究 Vol.8
える機会を与えたのである。
三・六 テ ィ フ ァ ニ ー・ ゴ ド イ に よ る
﹃ Style Defict Disorder
﹄
﹄
︵二〇〇七︶
︵ ︶は、ファッションエディ
﹃ Style Defict Disorder
ターやコンサルタントとして活躍しているティファニー・ゴドイに
を使ったレイアウトにより原宿のポップなスタイルが紹介されてい
自分でリメイクしたようなワッペンやボタンのついた古着のデニム
る。﹁ヒステリックグラマー﹂、﹁スーパーラバーズ﹂、﹁ア・ベイシング・
﹄︵ 二 〇 〇 〇 ︶︵ ︶ は、 ア ー ト デ ィ レ ク タ ー で あ る 水 谷
﹃ Merry
孝次が一九九九年にスタートさせた笑顔と笑顔を繋ぐコミュニケー
など、ポップなスタイルが次々に目に飛び込んでくる。
﹄︵ 二 〇 〇 九 ︶ で、
ゴ ド イ は、 こ の 本 の 他 に も、﹃ Japanese Goth
日本のゴス、ゴスロリ、ロリータの各分野の絵画やイラスト、写真、
た展覧会を観たロンドンのテートモダンギャラリーのスタッフが興
ロンドンのセルフリッジ百貨店で開催された﹁ Tokyo Life
﹂のメイ
ン企画として﹁ Merry Project
﹂が呼ばれ、ロンドンの人々に、日
本の若い女性の笑顔と共にカラフルで個性豊かなファッションを伝
味を持ち、日英同盟締結百周年の記念イベントとして二〇〇一年に、
﹄ならびに﹁ Merry Project
﹂の影響は国内だけでなく、
この﹃ Merry
海外にも広まりをみせた。二〇〇〇年にラフォーレ原宿で開催され
14
代くらいの女性たちが、歯を出して満面の笑顔をした写真が納めら
エイプ﹂などの海外でも評判の日本ブランドや、﹁ラフォーレ原宿﹂、
、 GOTH-LOLI
、 URA-HARA
、 POST-HARAJUKU
の
& BEYOND
六章からなり、二〇〇点以上もの写真と解説文、タイポグラフィー
よる書籍である。本の構成は、 THE ROOTS
、 KAWAII
、 CYBER
13
ション﹁ Merry Project
﹂の一環として撮影された若い女性たちの
笑顔を集めた写真集である。おもに原宿で撮影された十代から二十
12
シューマンのブログはほぼ毎日三∼四点ほどのスナップが更新さ
れるが、画面にはアップした日付とともに、﹁ On the Street
⋮ .Via
﹂、﹁ On the Street
⋮ .Advanced Style, New York
﹂
Pontaccio, Milan
などのごく簡単なキャプションがついているのみである。
被写体の年齢や人種、職業の説明もなければ、コーディネート解
説やブランドの紹介もなく、被写体が掲載された理由の一切を排除
している点が特徴的である。しかしながら、服と着る人とその表情
と、背景となる街の絶妙なバランスのおかげで、ブログは非常に魅
力的な体裁となっている。ブログを閲覧している人それぞれが、写
真が語る言語に拠らない雄弁なメッセージを、思い思いの形で享受
しているであろうことが想像される。
類 似 の 媒 体 に、 写 真 家 の イ ヴ ァ ン・ ロ デ ィ ッ ク が 二 〇 〇 六 年
か ら は じ め た ブ ロ グ﹁ FACE HUNTER
﹂︵ ︶ が あ り、 同 様 に、
二 〇 一 〇 年 に は 書 籍﹃ FACE HUNTER
﹄︵ ︶ が 刊 行 さ れ て い る。
イヴァンが手がけたブログおよび誌面では、ヨーロッパ各国の個性
17
18
的な装いや、コレクション会場周辺のストリートスナップが紹介さ
図7 Scott Schuman『The Sartorialist』
97 論文 〈ファッション〉のオルタナティブとしてのストリートファッション
三・七 ス コ ッ ト・ シ ュ ー マ ン に よ る﹃ The Sartorialist
﹄
﹄︵二〇〇九︶︵ ︶は、写真家スコット・シュー
﹃ The Sartorialist
マ ン が パ リ や ニ ュ ー ヨ ー ク、 ミ ラ ノ な ど の 都 市 の 街 頭 で 撮 影 し た
リスト﹂︵ ︶をスタートさせる。﹁サルトリアリスト﹂は﹁着こな
二〇〇五年にスナップショットを掲載したブログ﹁ザ・サルトリア
五 〇 七 人 に も 及 ぶ 被 写 体 を 集 め た 写 真 集 で あ る。 シ ュ ー マ ン は、
15
し上手な人﹂という意味のシューマンの造語である。
16
れている。被写体からは、流行に乗ろうとも、我が道を貫こうとも、
自分の好きな服で表現を試みているそれぞれの人とストリートの空
気感が隅々まで伝わってくる。また、多くの写真は、被写体の占め
る割合は二割程度で、背景の方が圧倒的に大きく扱われている。人
だけを納めているのではなく、被写体とストリートとのセットでフ
98
コンテンツ文化史研究 Vol.8
れているが、被写体の年齢層は子供から老人と幅広く、人種もさま
ざまである。しかし、被写体が自ら選んだアイテムやコーディネー
トは、実にクールであり、全く個別のおしゃれなスタイルが展開さ
れている。
三・八 シ ト ウ レ イ の﹃ STYLE from TOKYO
﹄
﹄、﹃ FRUiTS
﹄、
写 真 家 で あ り モ デ ル の シ ト ウ レ イ は、﹃ STREET
﹃ TUNE
﹄で活躍後、二〇〇八年に東京のストリートファッション
を 海 外 に 向 け て 発 信 す る サ イ ト﹁ STYLE from TOKYO
﹂︵ ︶ を
開 始 し た。 ブ ロ グ の ほ か、 二 〇 一 〇 年 に は 電 子 書 籍 写 真 集 と し て
された。
﹃ STYLE from TOKYO for iPad/ iPhone
﹄ の リ リ ー ス を 手 が け、
さ ら に 二 〇 一 一 年 に は 書 籍﹃ STYLE from TOKYO
﹄︵ ︶ が 刊 行
19
シ ト ウ の ブ ロ グ は、 ほ ぼ 一 日 に 一 人 の 写 真 が 掲 載 さ れ、 フ ァ ッ
ションの特徴、今のファッションの状況等が短い詩のように加えら
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図8 シトウレイ『STYLE from TOKYO』
レーミングをしているからであろう。
るといった説明が与えられているが、こうした理由以外に次のこと
が考えられる。それは、ファッションの創作が、過去のスタイルを
たたき台にして新しい形を生みだしたり、巧みなマーケティングや
販 売 戦 略 に よ り 購 買 に 繋 が る も の を 輩 出 す る と い っ た、 こ れ ま で
に街を援用した、総合的なビジュアルとなる。それは、整ったモデ
ティーを照らし合わせ、衣服に個々の解釈を加えアレンジし、さら
こ う し た ス ト リ ー ト ス ナ ッ プ を 中 心 と し た 媒 体 は、 デ ザ イ ナ ー
や ブ ラ ン ド の 意 図 と は 無 関 連 に、 着 用 者 が 自 分 自 身 の パ ー ソ ナ リ
か ら 逸 脱 す る と い う 新 し さ が、 ス ト リ ー ト ス ナ ッ プ を 紹 介 し た メ
イルの新しさや、頻度の新しさとは異なる、ファッションシステム
則ったゲームであることは不変だが、これまで支持されてきたスタ
するからである。ファッションは新しさを追求するというルールに
法とは異なるアプローチが、日本のストリートファッションに存在
三・九 オ ル タ ナ テ ィ ブ な フ ァ ッ シ ョ ン・ メ デ イ ア の可能性
ルが最新のファッションを身にまとった美しい、しかしどこか空虚
ディアに登場する思い思いに装った若者たちによって呈示されはじ
培ってきたファッションのシステムを存続させるための合理的な方
なイメージとは異なり、読者に強いリアリティとインパクトを与え
選択も含め︶という営みが前提であった。しかし、考えてみれば、
既製服が登場した以降のファッションは、トレンドの服の影響を
受け、それに自分を合わせる︵もしくは合わせないという、せざる
めているのだろうと考えられる。
る媒体となる。
本稿で紹介した雑誌や写真集は、ビジュアルを見せることが主目
的であり、言語を異にする人々にも広く共有されるという利点があ
る。 も ち ろ ん、 本 稿 で 取 り 上 げ る こ と の で き な か っ た ス ト リ ー ト
プが、異なる言語圏の人たちに感覚的に受け入れられ、欧米やアジ
産されていく。言葉による説明の必要性の少ないストリートスナッ
ば、当該ストリートへの関心やファッションの模倣がなされ、再生
どの SNS
で展開されるビジュアルも当然含まれるが、あるストリー
トのリアルなファッションが紹介され、これらの媒体に関心を持て
閉ざすことなく回し続けるための魔術だったとしたら、こうしたス
えてくる。これまでのファッションは、商業資本主義のシステムを
こ う し た ス ナ ッ プ を み る と、 フ ァ ッ シ ョ ン・ ト レ ン ド が 人 々 の
ファッションを先導する根拠はどこにあるのだろうと疑問にさえ思
たのか。
に、なぜいっせいにトレンドの服の影響を受けなければならなかっ
体型も肌の色も、しぐさや生活習慣も一人として同じ状況がないの
ア諸国から﹁日本のファッションはクール﹂と言わしめることになっ
、 twitter
な
facebook
たことは、おそらく偶然ではないだろう。
り戻すための、ひとつのきっかけを与えているといえはしないだろ
ファッションに関する個人の無数のブログや
日本のファッションがなぜクールと評価されているかについて
は、西欧のファッションが成熟した大人志向であったのに対して、
うか。
トリートスナップは、魔法を解きほどき、豊かなファッションを取
日本のファッションの未成熟でカワイイ点に新鮮な興味を抱いてい
99 論文 〈ファッション〉のオルタナティブとしてのストリートファッション
四 ス ト リ ー ト フ ァ ッ シ ョ ン が拓 く も の
イバルであり、回帰に回帰を重ねるにつれ、確固とした時代のイメー
る動きはあまり多くない。それは既に、九〇年代も七〇年代のリバ
性を見いだせるものの、今のところ、九〇年代リバイバルを推奨す
よさそうである。ファストファッションによるカジュアル化に共通
ど、興味深い逆転現象が生じている。
ら、逆に新しい着こなしが生まれ、これが参照されるようになるな
を頂点とするヒエラルキーとは異なるストリートファッションか
と成り得たこと、ファッションの主導権を握っていたコレクション
戦後長きにわたって、欧米を参照してきた日本のファッションが、
逆にストリートファッションのレベルで欧米から注目を集める存在
の助成を受けたもので
) 23700874)
100
コンテンツ文化史研究 Vol.8
制的な姿勢とは無関連に享受されるようになり、アンチ・ファッショ
ンという自らの性質を脱ぎ捨ててつつ、これまでの︿ファッション﹀
の枠組みを超えた、オルタナティブとしての役割を担っている点は、
ジが薄れ、共有できなくなっているからだろう。さらに、トレンド
過去のソースに従えず、新しいものを生み出すことが困難な時代
であるが、街の息吹や若者の装いを注意深く見ることで、次のファッ
注目すべきところであろう。
の加速化が進み過ぎたせいで、新しい流行も、少しだけ過去のもの
二〇一〇年代に入った現在、二〇〇〇年代が一九八〇年代回帰で
あったように、二〇一〇年代は一九九〇年代調が取り沙汰されても
でしかなく、新規性を打ち出しにくい現状がある。
との重要性が、より高まっていることは確かであろう。
本研究は科研費 若
( 手研究 B(
ある。
ションの様相、ひいては人々の営みや社会の進む方向性を感じるこ
これまで見てきたように、ファッションの変容においては、 年
代のDCブランド、九〇年代のカジュアル化、二〇〇〇年代の高級
してきたものだ。ところが、九〇年代以降の日本を見る限り、反体
ストリートファッション自身も、もとは社会や大人に抗う形で登場
ションの発信源として注目を集め、少なからず影響を及ぼしている。
以降、さらにその外縁のストリートファッションが、新たなファッ
を越えたモードが最先端となる逆説が起こりえた。そして九〇年代
超えた作品を提案した日本のデザイナーの仕事を通じ、モード規範
や魅力を感じられるだろうか。一九八〇年代、西洋服の既成概念を
向きもあるだろうが、過去をなぞり過ぎたファッションに、新しさ
カジュアルなものが注目されるのだろうか。そうした回帰を試みる
とが交互に循環してきた。そう考えると、二〇一〇年代には、再び
ブランド人気など、コンセプチュアルなものと、カジュアルなもの
80
[
http://fashionjp.net/highfashiononline/hf_selected/book/shoichaoki100809.
]
、二〇一二年十月三十日。
html
﹄バウハウス、二〇〇〇年。
︵ ︶ 水谷孝次﹃ Merry
︵ ︶ Godoy, Tiffany, 2007, Style Defict Disorder : Harajuku Street Fashion_
12
Tokyo, Chronicle Books.
︵ ︶ ゴ ド イ の コ メ ン ト は﹃ 渋 谷 経 済 新 聞 ﹄
﹁増殖を続ける無国籍ガールズパ
ワー世界を変える ﹁カワイイ﹂カルチャー最前線﹂を参照した。[ http://
]、二〇一二年十月三十日。
www.shibukei.com/column/11/
︵ ︶ Shuman, Scott, 2009, The Sartorialist, Penguin.
︵ ︶ ﹁サルトリアリスト﹂スコット・シューマン[ http://www.thesartorialist.
]
、二〇一二年十月三十日。
com/
︵ ︶ ﹁フェイスハンター﹂イヴァン・ロディック[ http://facehunter.
]、二〇一二年十月三十日。
blogspot.jp/
︵ ︶ Rodic, Yvan, 2010, Face Hunter, Thames & Hudson Ltd.
︵ ︶ ﹁ STYLE from TOKYO
﹂シトウレイ[ http://stylefromtokyo.blogspot.
]
、二〇一二年十月三十日。
jp/
﹄ディスカバー・トゥエンティワン、
︵ ︶ シトウレイ﹃ STYLE from TOKYO
二〇一一年。
101 論文 〈ファッション〉のオルタナティブとしてのストリートファッション
注
年史﹄
︵ ︶
渡 辺 明 日 香﹃ ス ト リ ー ト フ ァ ッ シ ョ ン 論 ﹄ 産 業 能 率 大 学 出 版 部、
二〇一一年。
﹃ ア サ ヒ グ ラ フ ﹄ は、 一 九 二 三 年 創 刊、 二 〇 〇 〇 年 終 刊 の 週 刊 グ ラ フ 誌。
︵ ︶
な か で も、 昭 和 五 年 か ら 二 〇 年 の 終 戦 ま で 朝 日 新 聞 社 で カ メ ラ マ ン を し て い
に受容されたかを知る貴重な資料である。
た影山光洋の撮影した街頭の風俗写真は、当時のファッションがいかに人々
︵ ︶
渡 辺 明 日 香・ 城 一 夫﹁ フ ァ ッ シ ョ ン を 伝 播 さ せ る 雑 誌 メ デ ィ ア の 変 容 ︱
http://
年代以降の雑誌とファッションの関係を中心として︱﹂意匠学会誌﹃デ
1990
ザイン理論﹄五〇号、二〇〇七年。
︵ ︶
箱守廣﹃ファッション・アイ﹄繊研新聞社、一九七九年。
アクロス﹂のサイトを参照した。
[
︵ ︶
アクロス編集室については、﹁ web
]
、二〇一二年十月三十日。
www.web-across.com/about.html
︵ ︶
Polhemus, Ted, 1994, Street style from sidewalk to catwalk, Thames
︵ =
福田美環子訳﹃ストリート・スタイル﹄シンコーミュージッ
and Hudson.
ク、一九九八年。
︶
︵ ︶
Polhemus, 2010, Street style, new edition: Pymca.
︵ ︶
青木のコメントは以下のインタビュー内容から引用した。ハイファッショ
ン・オンライン編﹁マルジェラから原宿まで。青木正一のファッション観﹂
!?
︵ ︶
﹁ストリートファッションレポート﹂渡辺明日香、
[ http://www.kyoritsu ]
、二〇一二年十月三十日。
wu.ac.jp/nyusi/street/index
若者スタイルの
︵ ︶
アクロス編集室﹃ STREET FASHION 1945-1995
パルコ出版、一九九五年。
︵ ︶
難 波 功 士﹃ 族 の 系 譜 ユ ー ス・ サ ブ カ ル チ ャ ー ズ の 戦 後 史 ﹄ 青 弓 社、
二〇〇七年。
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学会誌の発行が遅れたことをお詫び申し上げま
す。今号は四本の投稿論文を掲載することができ、
さらには、特集として 2011 年に行われました例
会発表のうち二本を論文として収録しました。歴
史的な事象から、現代社会の様々な事象を追究す
るものまでバラエティに富んだ内容となっており
ます。また、今回掲載しました書評二本とも投稿
されたものになります。今後も、会員の皆様の投
稿をお待ちしております。
(玉井)
コンテンツ文化史研究第 8 号
Journal of Contents History Studies Vol.8
印刷 2013 年 7 月 31 日
発行 2013 年 7 月 31 日
編集・発行 コンテンツ文化史学会
〒 990-9530
山形市上桜田 3-4-5
東北芸術工科大学デザイン工学部
吉田正高研究室気付
表紙イラスト・デザイン こさ ささこ
デザイン 飯田 幸次郎
デザイン協力 大橋 正司
印刷 本学会は下記賛助会員の皆様にご支援を
いただいております。
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