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Instructions for use Title Thomas A.Cowan "Decision

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Instructions for use Title Thomas A.Cowan "Decision
Title
Author(s)
Citation
Issue Date
Thomas A.Cowan "Decision Theory in Law, Science and
Technology"(紹介)
能勢, 弘之
北大法学論集, 15(2): 195-234
1964-11-14
DOI
Doc URL
http://hdl.handle.net/2115/16044
Right
Type
bulletin
Additional
Information
File
Information
15(2)_p195-234.pdf
Instructions for use
Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP
ThomasA.Cowan “
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Bg ﹀・ハリ。当ωロ
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出
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之
(法、科学、及びテクノロジーにおける決定理論﹀
5
よ
ジユデイジアルプロセス
から、法におけるのみならず又科学におけるそしてさらに現代テクノロジーにおける﹁決定及び決定理論﹂をそれぞ
け な い の で あ っ て 、 白 か ら 積 極 的 に そ の 開 発 に す べ て の 情 熱 を 傾 け な け れ ば な ら な い 。 そ の た め に は 、 まず法の立場
剣な努力はまだほとんど払われていないといっても過言でない。だからといって我々はただ手をこまねいていてはい
科学化を意味する。しかし、十分な問題意識と豊富な知識と着限をもってその機能を科学的なものにしようとする真
定﹂にある。法の科学、特に裁判科学の開発(その必要性については論ずるまでもない)は、まさにこの法的決定の
私がこの論文の紹介を思い立った動機は次の理由による。即ち、法的過程なかんずく司法過程の主導的要素は﹁決
(
吋
hogmE 教授(米国問三官ロ大学法学部・法哲学教授)の論文は、﹁ω
n
g
n巾
こ こ に 紹 介 し よ う と す る 叶TogS ﹀-
。ω)wg--ECZ0・ω可YH)℃HOBE討﹂に掲載されているものである。
-F55
勢
れ検討し理解することが必要である。その深い理解の上に立ってこそ、真に創造的発展的な裁判科学の開発がきずか
北法 1
5
(
2・
1
9
5
)4
1
1
古
色
れていくといえるからである。
ところで、この論文はわずか十一頁にしか満たないものではあるが、その論題が示すごとく、﹁法、科学及びテク
ノロジ l における決定理論﹂の幾多の重要な問題に深い哲学的洞察力をもって鋭くメスを入れたものであり、我々法
律家にとって(又科学者にとっても) 一読に価するものである。
本論文は、 まず法律的思考の方法と科学的思考の方法というように全く相容れない二つの相反する思考の方法が存
在するのかという根本的問題を提起し、その検討を通じて法における﹁決定﹂も科学における﹁決定﹂も共通の問題
を持っていることを明かにする。そして、その問題の解決は、法にあっては科学の成果を理解し導入することによっ
て、又同時に、科学にあっては法の直面する問題に十分に関心を払いそれを考慮に入れることによって、始めてもたら
コンピューター
されるのであり、その結果、法と科学は互に接近していくものであることを強調されるのである。かくして、教授は、
科学及び現代テクノロジーの成果である電子計算機がかかる科学的﹁決定﹂にいかなる役割を占めていくのかを、大
きな希望をもって展開されるのである。本論文がそのいたる所で我々に投げかける示唆は、豊かにしてかつ重要であ
る
。
それに加えて、本論文は、節を改めて、先人達の諸々の研究及び文献を、適切な解説を加えながら体系的に整理し、
我々が、 より一層の理解と研究を進める資料として、我々に伝達する。その豊富な資料的情報を又多くの人に頒つこ
とは、 たまたま本論文を手にした私に与えられた責任と信じたからである。
そこで、以下、本論文の本文を出来るだけ原文に忠実に邦文にし、思の科学及びテクノロジーにおける決定理論に
×
×
X
X
対する賓しい注釈を加えながら、その全文を紹介しよう。叉、教授の指示する文献をリストに摘要して付記しよう。
X
介
紹
北 法1
5
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において、真実を確めるための法律的方法の冷静な評価を科学者
なぜなら、もし我々が、判決、立法あるいは行政命令のいずれか
めてしばらくの聞は、我々はそのようにしていられるとは思う。
りの方法があるとの標語を掲げていられるであろうか。前払は、せ
な弁証法 (
ι
E
2
5
) にもかかわらず、我々はまだ、思考には二通
の主張の衝突を解決すべき立場におかれるからである。この明か
らない。そして科学は、常に、理論家遠の真実についてのそれぞれ
コンテックストのなかにあって、何が真実であるかを知らねばな
自体、真でもなく叉正しくもない。なぜなら、法は、法的状況の
ぃ。不幸にして、この都合の良い法と科学に関する記述は、それ
るために異った方法を用いる、と我々は敢えて述べるかもしれな
目的とする。真実と正義は呉った目的を持ち、その目的を達成す
にあるといわれてきた。法は人聞の紛争の正しい
初戦 mu目的は真実 (
E
H
r
) を明かにする諸方法を探究すること
A 思考の二通りの方法
解決を
実際存在するであろうか。
がある。しかし、この相反するこつの思考の方法といったものが
るとするならば、確かに存在するようになったことの十分の理由
ろう o したがって、もしこの相反する二つの思考の方法が存在す
としばしば思われているということはつけ加える必要はないであ
でかかる障害物を取り除かんがためにかかる障害物を創造する、
掃き除くために必要というわけである。法律家は報酬に応じて後
ぎない。即ち、科学的もくろみの路に横わる古風な法的障害物を
す。多くの科学者達にとって法律学は単に一つの必要悪にしかす
的知識を与えようとしている明白な証拠を、我々は容易に見い出
界において商人と軍人がその機能をフルに発間作するに必要な科学
世界を支配しようとしている、叉全くテクノロジカルになった世
る。さらに悪いことには、科学者が軍人や商人と結托して明日の
の敵対ともうけとれる)は、多くの法律家達にとって無情に思え
な態度(しばしば芸術・道徳・宗教に対する無視、あるいは全く
破壊的怪物に対して一示す所の一見したところ(名宮月三可)無責任
ても、原始的思考様式の専門家である人類学者の助けを呼ぶに違
て、まさか直ちに古生物学者のもとに行くようなことはないとし
原告の説明が同一のそれについての被告の説明と一致することは
(5502)を探すことを教えられる。ある一連の出来事についての
法律家は、はじめから、すべての現象の背後にある人聞の利害
91MNル・シチユエ t シオン
(﹂日切る
に求めようものなら、我々は、科学者が絶望してお手上げとなっ
いない、と思えるからである。他方、科学者が自分の作り上げた
北法 1
5
(
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9
7
)
4
1
3
介
紹
ぅ。科学者は、かかる素材を取り扱う(心理学者あるいは社会学
見・強欲・虚偽あるいはまさにありのままの気質的な差異を取扱
実に一致した結果を残さねばならない。法律家は人間の利害・偏
(mgmB3 ・そして現代の科学方法論において解される意味での真
3 gzm) ・一般的な
法論が許す公的な(匂己主主、実証し得る(︿
過程において洗い落さねばならない。そして、通用する科学的方
自身の偏見をえこひいきすることである。かかる偏見は、研究の
として避けるべく期待されることは、彼の同僚の偏見よりも自分
果に達するということが確められねばならない。科学者が科学者
が存在し、それに従えば研究に値するすべてが相体的に類似の結
のそれと同一であることは期待されるのみならず、詳細な方法論
の相乗積に正比例する﹂といった一般化とは極めて異っている。
に処す﹂といった一般化は、﹁引力は距離の自乗に反比例し質量
ち、とにかく、﹁家宅に不法侵入した者はすべて夜盗罪 (
r
白色 ω
ミ)
りにも知りすぎている。今私、がいえることは次のことである。即
どう考えるのか。私はかかる異議のあることを知っている。あま
するすべての人を名宛人とし得る行政命令・判決あるいは決定を
どう考えるのか。そして最後に、一人・多数あるいは司法権に服
なお悪いことには、一億八千万の人民を同時に規制し得る立法を
んどすべて﹂が固守しなければならない基準をどう考えるのか。
している法の一般法則をどう考えるのか。﹁すべてあるいはほと
をどう考えるのか。世界あるいはすくなくとも人間の行為を支配
ないから、私は次の様に簡略な記述をするにとどめる。即ち、
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
立法(一内聞広三5ロ)は個別化することを目的とする。そして、司法
、、、、、、、、、、、、、、、、、
過程 GCLRH}
22m) はユニークな紛争状態をユニークに処置
印Y
、、、、、、、、、、、、、、、
する時に最もアット・ホームである。それでは、先決例(
Y2丘自同)
期待されない。さらに、原告の代理人のそれと同一であるとは期待
者として)場合に、偏見を取り払ってそれを処理する。法律家は
両者共一般法別である。しかし、前者はできるだけそのユニーク
バイアス
﹃︼
ぃ。他方、ある一連の出来事についての科学者の説明が他の科学者
されない。あるいは正確にいえば、必ずしもそうとは期待されな
そうはしない。そして叉、科学者がそうできるのだとも信じない。
な伺別性を保つような仕方でユニークな伺別化された主体を名宛
スタンダード
する。法律家は個別化合邑互合同庁)
人としているのに対して、後者はその一般性の広汎な範囲にかか
NO)
する。この単刀直入の (gE) の主張を確証するには一生涯を必
わる客体の特殊性を包摂する。私が、前者についてそれは一つの
科学者は一般化(問
g白色
要とするであろう。しかし我々のだれもそのために一生涯を捧げ
北 法1
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者は注意してほしい。私は両者共規定であると考えたのである。
の﹁描写 22E35ロ)﹂である、と述べることを抑えたことを読
﹁規定(官gn
ユ
宮
山 Oロ)﹂であり、そして、後者についてそれは一つ
事件はまったく同様ではないのである﹂という格言にあるといえ
とは同じものではない。法における真の平等の本質は、﹁二っか
ぃ。しかし、法の前の平等は科学者にとっての均等性(
5
F
B
F
Q
)
もし、思考の二通りの方法が確かにあると仮定することが許さ
る
。
それは﹁それにたずさわる﹂すべての科学者を名宛人としてい
れるならば、法律家がそのことについてなすだろうと私が考える
法律的なそれは法のすべての主体を名宛人としており、科学的な
る。つまり、科学的それは、真に自然の描写なのではなくして
ことについて話を進めることができる。
は、まずいろいろの感情、例えば正義感、論争の正しい(ユm
E
)
呼ばれる所の、人間精神の自律機能を取り上げることである。法
n
R一の5S︿甘口問)に従えば感情(同2Em)と
グスタフ・ヤング (
個別化 (
ロ
) を問題にする一つの仕方は、カール・
5丘三仏 EZO
しかし、両者がうまくいくことを必ずしも保障するものではな
ち、両者は互に補い満し合うものであると信じる。このことは、
-Eユ
﹃乙 FωECE) において異っているとは思う。即
可 yof
方(胃2
信じる。実際、私は、この二通りの方法はある独自に役に立つ仕
強調することからは、法律界はほとんど得るものがない、と私は
まず第一に、科学的方法と法律的方法との聞に存在する差異を
むしろ科学者が他の方法ではなくある特定の方法で行動すべき一
(
註 1)
配置、苦痛、損害、損失を最小にするための人間関係の最善の
ぃ。完全に補い満し合っている二人が手をにぎるのはまれであ
つの規定なのである。
秩序、そしてそのような諸結果を得るのに最も好ましい
る。したがって、時には、互に注意をうながし合うことが必要で
~ー
(
註 2)
手続に関心を持つ。そして法は、もし必要なら、正当
ある。しかし、まず、いかに苦しい詮議が我々にかかっているか
) ‘ )
る。ある一人の人にとっての正義はすべての人にとっても正義で
始めよう。例えば、法における事実認定過程は西洋文明の幼年時
法自身の科学的努力は恐しく古風であることを認めることから
北法 1
5
(
2・
1
9
9
)
4
1
5
~
~
あることは確かなことである。無情に差別することは正当ではな
をみよう。
結果と考える所のものを得るために、時には明かに被
i
' 3
廉恥な仕方で事実を歪めこじつけようとする、と私は信じてい
な、合
5
・
3
、
,
.
,
ト
えば、まったく赤面のいたりではなかろうか。このことは、わが
代の遺物である。陪審制度は事実を発見するためにありますとい
似物をみてそれから一般化する所の機能とは相反する。
こと(決定すること)である、この精神的機能は、人間の心が類
中すること、あるいは被選択集団のなかからその一つを選び出す
はない。私のいいたいのは、その機能を、事実を発見する実験に
感情の流れに従う。そして、人間聞の争いを少なくすることをそ
法はかかる諸止の感情の基礎の上に立って区別する。法は社会
デイグジョン・メ 1キング
陪審が枢要な機能をはたしていないということを音山味するもので
基づいた諸方法に対する科学的信心が非常に確固となっている時
の目的とする所の諸法規及び諸手続によって、その流れを通すの
の上に基づけられた諸原則に合った人間関係の平穏な処理にとっ
である。この巨大な事業にあって、法はやむをえず事実認定過程
代において、もはや﹁事実を発見すること﹂と呼べなくなってい
(
仏
を用いる。しかし、その過程は、この主たる巨大な事業即ち感情
(
5
U
R
E
]
) 感情に動わされない
ついてみれば、カーテンを引いてごちゃまぜにしたなかから静か
2) ・争いの迅速なそして十分
-相互関係(ヨ巳E口々)・秩序(﹃2
性(円ESEEgg) ・誠実
て、副次的なものである。公正 (
2
E
q
) ・平等 (25ES ・合理
2
m
)
(mcaEF) ・適正手続 (
E
o胃2
に取り出すのが最良の方法である。法の科学的局面である事実認
し、もしそれ等が事実の誤解の上に、あるいはさらに悪いことに
な処理等々は、感情の上に基礎づけられた諸原則である。しか
他方、法は価値判断、あるいはより正確にいえば感情価値判断
法的解決が依存する所の正しい事実認定はそれ自身あらゆる先進
義を永続させるものであることは確かである。なぜなら、実際
緒はあらゆる精神状態及び機能を色どるからである。私の意味す
文明の根本的感情価値であるからである。そして、もし問題にな
と解さない。なぜなら、情
(
長
田
己
ロ
ロ C︿ぬ君。ヱ﹃)が現わ
︺
るのは、ある個人のもつ特質的価値
っている文明がテクノロジーと科学の諸方法において高度に発達
CCC口)
(何回出
は事実の曲解の上に基礎づけられているならば、法は諸々の不正
2
される過程、つまりある特殊な客体に焦点を集める、あるいは集
ハ吐誌
(
Z
Z口問)﹂を情緒
﹁感情
(
円
。
何
一5
ml5riEmmEg門)をするのに高度に熟練している。私は
定は明らかに法の誇りとする所のものではない。
(CZ2音。)なものではない。立法者が事実を発見するやり方に
公平な
tEEq) として
るということである。行政命令の準備手続(司吋m
の事実の認定は、より一一層﹁科学的﹂、即ち制御された(
Bロ可。-一色)
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ε ・客観的
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ゴ
紹
北 法1
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は、一入手をこまねいて、反科学的
うか。テクノロジカルな生活の仕方に向けられた抵抗のなかから
頓挫させてしまっている事実に対して責任を感じているのであろ
を、無数の労働者の努力をオ lトメ化し凡化することによって、
泊らす原因になっているという明白な事実、即ち職人技術の直観
代テクノロジーが芸術的イソスピレ l シオソ及び職人気質の源を
て、いくらかでも責任を感じているであろうか。換言すれば、現
力、即ち今日地球上のすべての生命を容易に破壊し得る力に対し
で展開すれば、次の様になる。科学者は、自分達の創り上げた
とをほとんど必要としない問題の一つである。このことを問の形
まりつつこんで述べたくない。この問題は科学界が心に留めるこ
の最も弱い所の局面である。私は、このデリケートな問題を、あ
科学はこの点に関してどうであろうか。感情は確かに現代科学
たと思えるから、又世界的範囲での広汎な変化への刺戟は法律的
かし、今や十九世紀の諸々の大きな法律改革が多少とも過ぎさっ
項を除いては科学に関係した条文をみつけることはできない。し
た。例えば、アメリカ合衆国憲法の条文を探しても、パテント条
一ポさないで、十八・十九世紀の諸々の大革命を生みそして導い
法は、科学が法に与えることができた所の助けに何等の関心をも
心を示さないように思える。このことは驚くべきことではない。
会科学者ですら、法律家からみればこの危険に対してほとんど関
確信できない。確かに、科学及び科学者は、法律家に最も近い社
いかなることになるか、を考えるためにたたずみ得る、とは私は
ワ1 ・エリート﹀は、もし自分達が完全に権力的地位を得たなら
な状態にあると思える。日の出の勢いの人達(つまりいわゆるパ
対して、科学に何らかの助けをかすことも明らかにできないよう
態度をとろ
しているならば、その矛盾は堪えることができなくなるであろ
うともしないし、又科学がみじめに奈落へすベり落ちて行くのに
わき上ってきた始まったばかりの抑えられた人間感情の大きなう
なものよりもむしろ科学的なものであるから、法律界は、新しい
(山口門︼山口庁ロ丘町一円)
ぅ。法の力はその感情的生命に在るのである。
ねりはどうなるのであろうか。かかる法の懐のなかに投げ込まれ
科学的社会を理解するための手段と方法を探究し叉取調べるべき
科学的社会と積極的に共同するためにではないとしても、新しい
宗教及び道徳は、テクノロジーの偶像に対して、その広大な力
である。もし、山の様なテクノロジーが法に向って押し寄せてこ
た圧倒的諸問題のすべては解決され得るであろうか。
をゆっくりとではあるが配列しているように思える。しかし、法
北 法1
5
(
2・201)417
ないなら、法はこの山に近づいて行くことを考えるべきである。
ことである、と宣言した。科学と道徳は全く同一の目的をもって
あるのではない。しかし、二つの根本的なそして(私は望むに)
の方法と科学的思考の方法というように、二通りの思考の方法が
ないであろう。新宗教の創造のために、西洋人は、物理的世界か
宗教への西洋諸国民の増大した専心について長々と述べる必要は
この簡単な記述において、紀元前及び紀元後の数世紀における
いる。悪徳と不正義は無知である。
人間の諸問題を方向づけていくことの補い満し合う二つの様式
ら目を背けることが必要であると思ったのである。その結果はギ
私はこの節をその見出しを訂正することでとじる。法律的思考
(BEUFEEgqED仏
) があ
2 0問。ロ巾口Sruzc FEgロ ℃3rr旨ω
リシァ科学の崩潰であった。そして、帝国形成をその目的とする
の宗教の教義を教えることのみならず、叉彼等に法及び秩序の諸
﹃
る。即ち、一つの方法をこの二つの様式のなかに入れて考える。
ローマ文明が、その後のヨーロッパ諸文化によっては達成されな
西洋文明の初期にあっては法と科学は一つであった。ソクラテ
原則を教え込むことを意味した。ルネッサンスにあって今再びよ
門
あるいは、一つの方法をこの二つの様式から取り出して感じるこ
かった程の高さに、法及び行政技術を高めたのである。ローマ世
界の分解は、それと共に、ローマ以外の諸国民をキリスト教化す
とである。それぞれ互に他方を必要としているのである。
Bas-g) は、宇宙の創造
ス以前の哲学者達の大宇宙進化論(円g
り強く物理的世界に注意が向けられた時に、新しい科学者達にと
る千年の仕事をもたらした。このことは、かかる呉邦人達に共通
主たる神の古い神聖な神話に直接挑戦した宇宙の物理的自然に関
って、既存の宗教を崩すことのみならず、物理的環境及びそれが
法と科学の歴史
する単に大謄な科学的思弁にとどまるものではなかった。それら
支配される諸方法に注意を集中するために、人間の研究及び人間
必要であると思われたのであ一る。法という言葉の意味にまっこう
は又正義が世界を支配しているという永遠の確信の再確一言でもあ
ギリジア人の関心の焦点は物理的宇宙から人間の本位へ移った
から挑戦することが必要になったのである。以後、科学者にとっ
が自分自身を支配する諸方法の研究から決然と目を背けることが
とはいえ、ソクラテス自身、善なるものを知ることはそれを行う
った。
B
介
正
召
北法 1
5
(
2・
2
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て、法という言葉は、物理的自然のある法則を意味するようにな
このことよりもより重要なことは、これらの発展が科学と法と
F
E
ι
g一﹂の理論にすら拘束されて長いこと止ま
法は﹁EREロ
の分裂に直面したという事実であった。したがって、哲学者カン
ではないのであって、最も低級な生物に属しているということで
るということはなかったということを我々は知っている。一世紀
るのである。そして、自然の諸法則は、人間の意志とは無関係で
ある。人間の真の本性及び他のすべての事物の本性は、ある巨大
前、法学は卒直にそして公然と﹁目的論的科学(EgrmE-522)﹂
トがこのことを追究して、実在の領域は義務の領域から分離され
な機械の盲目な配置、つまり物理的全宇宙そのものによって説明
になった。即ち、法は社会統制の一つの意識的に作られた様式
ている、即ち﹁在る﹂は﹁ベき﹂とは切りはなされていると大胆
され得るというのである。このような概念形成は、人聞はその自
(
5
0門主として-認識されるようになってきたのである。それは、
あるのみならず、人間の宿命が支配されている所の諸法則である
由なる意志の行使によって自分自身の運命を決定するという理念
法の宗教からの解放を成し果したと共に、叉法をして当時のメカ
に確言した時、多くの人々にとってその分離はまったく最も白然
と相反するものであったし叉いぜんとして相反するものである。
一カル・サイエンスに相対立せしめたのである。それ以後、法は
と再び考えられたのである。西洋科学は、ソクラテス以前のモデ
法(法律的法﹀の概念は西洋科学の諸理念あるいは諸モチーフ
宗教及び道徳から(法の非宗教的強調によって)のみならず、叉、
の道理に基づくことであると思えたのである。
によって影響を受けずじまいであったと言えば言い過ぎになるだ
メカニカル・サイエンスから(法は人間の智力の意識的産物であ
ルと張り合いながらまず次のことを問題にした。即ち、人聞は宇
ろう。科学は、結局の所、明らかに世界に注目していた。法に及
るという法の言い張りによって)鋭く区別されねばならなくなっ
宙の極点であり神によりその生命を与えられたというようなもの
ぼした科学の間隙の効果は莫大であった。ロスコl・バウンド
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ア
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たのである。
メヵ=カルユリスプ
聞の欠くべからざるものである
(Egmロロ22E5ω) とのカント
現在の眺めはどうであろうか。科学はまだ、自然の諸法則は人
E
ι
)は多くの時間と注意を﹁E2E22こzzmUEPR己
(
m
O
R
o C
︾
乙
の興起と発展に捧げた。ここでは彼の研究及びその基礎を与えた
多くの文献に注意を呼び起せば十分であろう。
北 法1
5
(
2・
2
0
3
)
4
1
9
法を意識的に作られるものであると認識するが故に、したがっ
科学者のせいにする危険をおかすものであると思えるのである。
じるかもしれない何物かを﹁自然の法﹂の一つにしてしまう力を
い。そう呼ぶことは、現代の科学者にとって、おろかな空想が命
諸法則を人聞が案出したものと呼ぶことはまだ良い表現ではな
は少なくとも描写しようと試みているのだと称している。かかる
宙自身を支配する所の普遍的一般的諸原則を描写しているあるい
な諸々の測定が可能になった時、その諸々の測定は叉、それ自
きることであるということを知ったのである。そして、より正確
さをもって今や測定行為(白ええヨ22358H) を行うことがで
が真に意味することは、人聞が過去においは不可能であった正確
だ。この新しい道具に純粋に驚きそして喜んだ後で、かかる道具
めて、人間の視界に人聞の想像の及ばなかった対象をもち込ん
の発明にほとんど一致する。かかる道具は、人間の観察能力を高
モダン・サイエンスの起源は望遠鏡、顕微鏡に著しい精密機械
決定形成者としての科学者
て、﹁おろかな空想﹂が命じるものも法にされ得ると主張する法
体、必要になった。科学の重大なもくろみは測定方法(同門え
哲学の洞察を持つてはいない。科学者はまだ、自分達は宇宙が宇
律家はいまだいない。この狂気は絶対的独裁者の用に取って置か
速度を測定すること、又これに類似した諸操作は、科学者がそれ
球、が傾斜面を転がる、振子が振れる、叉地球が太陽の閤りを動く
BEEEEg円)の完成にあると思われた。注意に注意を重ねて金属
の理由を述べてきた。勿論、私はそこでかかる状態を正当化しょ
によって自然から自然の未知の諸法則を涙じり取る手段である。
である。しかし、いかに評価の仕方が理論づけられたもの (ωOBl
(522252H) が附随するのは勿論
態度ではないと思う。したがって、科学におけるより新しい諸々
EHERL) になり得たかを実証する同時代の諸道具の出現を待つ
(
n
oロロ江口開) には測定
の発田肢が法と科学はついには互に接近し合えるであろうという信
ことが必要であった。とにかく、ルネッサンスの理想は明らかで
あった。即ち、測定可能なるものを測定すること、そして、これ
念に導くこと、を示すことは我々を励ますものである。
ないのであるならば、拡がその相違を一爪すことはまったく正しい
うと試みたのではない。実際、もしその相違をなくする可能性が
私は、なぜ法と科学は一つではないのかということのいくつか
れる。
C
評
価
介
紹
北法 1
5(2・
204)420
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ThomasA.Cowan “
ったということを、科学界は異口同音に同意しない。まず第一
測定のその理念は、その後、稀薄になり大いに加減されてしま
ろう。この学問は新しいが急速に発達しつつある。そして、この
にしても、現実に行われる仕方に興味を抱いていると答えるであ
決定が、合理的になされるにしてもあるいは合理的になされない
らば、彼等は、自分達は諸々の決定が合理的になされ得る諸々の
に、普通の応用科学者はこの理念の意味することにほとんど注意
過程の研究が科学自身の仕事になるのは時の問題である。そして
まで測定されなかったものを測定されたものにすることであっ
を払わない。もし法律界がその日々の仕事を法の哲学的合意を考
その時がくれば、科学者も又その時聞を決定形成に費やすという
方法を研究している、又より広い範囲において、自分達は諸々の
慮することなしに行うことができるならば(法哲学を専門家の小
ことを知るであろう。
た
。
集団にまかせきりにして可科学哲学の発展への科学的(哲学的
て測定が演じる役割は現下の研究の対象ではないということを、
ということを知れば驚くであろう。この事実は、法なかんずく司
現下の努力は法における決定過程をほとんど不問に附している、
法律家以外の人はだれでも、決定形成過程の研究に向けられた
私は述べるものではない。私は、科学的調査の焦点が移りつつあ
いうこと、そして、法の本質は決定にあるという認識がまさに現
Z
L同)をもっていると
法はその決定過程についての知識の大系 (
でない)な関与は明らかによりわずかである。科学的手続におい
ること、そしてこの移行は法と科学が一致する (
5301) 興奮さ
恐らく、ここで、白からを決定理論と名づけている研究活動に
在の決定理論家達の意識にあまり入らないということである。
せる可能性をもった方向に向っているということを述べたいので
、デイシグヨ y メ ー カ ー
と呼ばれる
ある。要約すれば、科学者は決定形成者としてその存在が認めら
22ESHrgq)
ついての簡単な説明を挿入することは役に立つであろう。この活
同
門 ζRmO552) による一冊の著書の公けと共に始め
(
O協
北法 1
5
(
2・
2
0
5
)4
2
1
れつつあるのだ。現在、決定理論
学問の大系は、まさに、科学者が科学的諸決定をいかに行うか叉
動は、今世紀一九四四年、数学者ジオン・フォン・ノイマン
ボディ
いかに行うべきかを把握しようとするものなのである。このこと
色刷・4
(
c
rロ ︿SZ258口)及び数理経済学者オス刀 l ・モルゲソシュテ
ユ
/
は決定理論家達の、現在払われている大多数の、関心事とはいえ
ない。しかし、もし彼等に彼等は何をやっているかとたずねるな
ノ
レ
のmgggL
られたということができる。この著書は、﹁吋Zcqo刊
(
註 3)
吉宮内o
q5mrmgnm) ある原告には損害賠償請求権は認められな
ロ}出口円。)・自発的危険引受 (
5-Egq 日EEロ
5 口広E
r
)
ぃ 。 不 法 妨 害 宮EEZE55巾)・損害回避即近機会(一同凹:一宮門
この二人の著者は、高度に形式化された又厳密に数学的方法で闘
推定則(円26g一
﹄巳百円)を考えてみよう。これ等は比聡であ
o
ωicH﹂ と名づけられたものである。そのなかで、
回巾}戸
争状況(円。巳一江巳門Etc
ロ)を研究することの提案を展開した。
り、たとえ話しであり、キャッチ・フレーズである。しかし、そ
HunD
口OBW
その理論は、諸々の闘争要素を一つの骨格のみにされた形式的模
れ等がとる多種多様の形態は、しばしば、この上もなく固い裁判
事実
型にして(即ちかかる諸要素の数学的に最も単純化された構造を
官の頭を割るに十分である。
法律家は第一原理、即ちそれから具体的事件の解決が厳密な訴
モデレ
作り﹀、次で、ゲームがそのプレーヤーによって前もって考えら
れた合理的行動の理想通りに最も可能に終るにはプレーヤーはい
訟手続法則によって演縛され得る所の演伴の第一原理、の大系と
言ず
基礎づけられていると古くから考えられてきた所の﹁法的安定性
いるのである。二十世紀の法リアリズムは、自己の任務を、法が
(
2
5
D
r
L
)、と考えて
ボディ
かなる戦略を用いねばならないか、を詳細にそして厳密に数学的
な事
い実
か状
ら況
ツプイステイケ 1シオン
いうものを持っていない。事実、彼等は、法における厳密な演料
かま
その種々の原理(℃ユ5
6ε ・法則
理的注意義務をもって行為しなければならない。助成過失
ボディ
(
g守
﹂の様に、法と科学は、その方法論の最も重要な局面の一つに
(
﹃
官
一n
qzE可)﹂の体系を剥ぎ取り投げ棄てることにあると解し
ト
i
: I土
である。全く錯雑した人聞の気質、叉全く種々様々の形態を取り
目
豪
た。しかし、ゲ I ム理論はその演終的厳格性の主張を全く誇りと
Z皆
※(訳者註 1)
雪q
な仕方で展開することにある。このゲ I ム の 単 純 性 と 理 論 づ け
日
得る人間の紛争は法律家の問題である。その形式的模型、つまり
る主
している。我々が述べた争いは、諸々の紛争状況を定型化しよう
子う
(
E
r
) ・命令(胃O
RE- の大
口L. d1)
的手続というその理想は定型化されない
がで、
は、法律界が行う﹁ゲ l ム﹂に伴うそれとは呉るものであること
祭
主
b
2
蓮
しJ
さよお
こ
E
と
ι
とするより以前の試みとは異った一つの数学的型に、その数学的
~つ
系、及びこの豊かな大系を処理するそのやり方は、それ自体相対
えく
厳密さによってぴったりはめ込まれている。
出 カ1
的に単純である。過失法の﹁基本原理﹂を考えてみよう。人は合
会は
E気
分
紹
北法 1
5
(
2・2
0
6
)
4
2
2
ThomasA.Cowan “
D
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i
o
nTheory i
n Law,S
c
i
e
n
c
e,and Technology"
単に片付けることを意味している。その主張が単純素朴にみえる
的に現代の科学的決定理論家遠の主張を単純素朴であるとして簡
かできない。このことは、冷徹なアメリカの法リアリストが本能
の追究す﹄定型化されない又理論づけられないもの、とみることし
関して、互に仲違いになっている。法は、科学者の形式的厳密性
一つの長いそして複雑な過程であることがわかる。
の行動に向けられるなら、科学の実行は、それ自体、決定形成の
面に決定形成を見るのである。そして、もしこのメガネが科学者
び決定理論のメガネをかけると、我々は人間行動のすべての諸局
の活動をまず諸決定の系であるとみるからである。事実、ひとた
交政策の形成にも侵入した。なぜなら、それはこの外交政策形成
るいは一つの争いに関する規則の集りを指している。よりはっ
意味で考えられ、スポーツの一種ではなく、競争状態、闘争あ
(訳者註 1) つまり、官記において、最適戦略 (D
立
毎号室
を 選 択 す る 数 学 的 方 法 で あ る o﹁
ゲ l ム﹂という言葉は広い
55
ことは否定できない。しかし、現代文化の諸々の驚くべき所業
は、まさに、かかる科学的な単純素朴性に基づいていることも又
否定することは出来ない。この種の素朴性は結局より一一層深い理
論づけを与えるものなのである。
とにかく、諸々の科学的決定理論は取り消し難くゲlム理論と
きり言えば、そこには対立する利益がなければならない。ゲー
ムは、また一連の動きとしてとらえられる。ある動き (
E
0
2
)
一線になっているものではない。叉同様に、機械の領域における
ゲlム理論の類推、つまり電子計算機と必ずしも結ぼれたもので
における一人のプレーヤーが得た量または失った量は﹁利得﹂
o 最大化競
(BZHgRZm 立ミ2 即ちゲ i ムに勝とうと欲し、しかも
最大限の勝を得ょうとするプレーヤー)の最適戦略はマタスミ
技者
以外の戦略をとると損になるという性質が出てくる
う。鞍点の持つ性質として、どちらの側のプレーヤーも、これ
のプレーヤーの最適戦略の交点を﹁鞍点 (SEr-uoE円)﹂とい
の利得を最大あるいは最小にする戦略が最適戦略である。二人
ームの利得はゲ I ム・マトリックス中の数字で表わされる。こ
と呼ばれる。利得は相手の選んだ戦略によってきめられる。ゲ
はない。決定理論は、ゲーム理論あるいはコンピューター・テク
ノロジーよりもより一般的なものである。いかにそしてなぜ人々
はその日々の諸決定を行うのか、を明らかにしようとする努力に
向けられた非常に多くの実験的研究が存在している。かかる研究
は決定過程のあらゆる局面に十分にわたっている。それは学習理
論(一gHEロ
mpgq) を 含 ん で い る 。 な ぜ な ら 、 学 習 理 論 は 学 習
の過程を決定形成の一つの過程とみるからである。それは叉、外
北法 1
5
(
2・
207)423
ン(マトリヅグスに最大化競技者の戦略に対する最小の利得を
書き出した時に、そのうちで最も大きな値は最小の最大、即ち
EZ55と呼ばれる)を狙ったものであり、最小化競技者(ロニ
巳BHN5m-aR 即ち負けを最小限にしようとするプレーヤー)
の最適戦略はミンマックス(最小化競技者の最大の利得を書き
出したときに、そのなかで書も小さな利得は最大の最小、即ち
5552 と呼ばれる)を狙ったものである。この二つの利得マ
クスミンとミンマヅクスが等しい時には鞍点が存在し、これが
ゲ l ムの値である。これ可が、ノイマンとモルゲンシュテルンの
定理である。ゲーム理論は、少しちがった角度からみれば、要
るかをみるために手短かに立法について調べてみよう。大方我々
は、次の様に述、へたくなるだろう。立法府制定法は、緊張と歩み
よりの差を少なくすることを目的とする所の叉立法者がみて評価
したその適用を受ける人の最大利益を代表する所の定式(﹃2ECF)
(
2
m
E
C
S
)
のために現
における相争う圧力団体の和解である。そして、立法府制定法及
び司法過程において定立された法が執行
ボディ
れる時には、かかる法に基づくその執行行為は、執行するかある
いはしないかの決定の一つの長い系である。
配間品館内いおいての決定に関する学問の大系は想像力を動揺さ
せる。もし、いかに法の代理人は決定を行うかについての文献
(
m
EロFtc乙 で あ る 。
に、法的諸決定はいかに行われるべきかについての驚くほど多く
するに、競争過程のシミユレ l シオン
ジミュレ l シオンについては、本論文でもI で論及される。そ
という問題の理想に関しての権威的なあるいは一般に承認された
についてはいうまでもなく、いかにそれらは現実に到達されるか
成り立っているが、法的諸決定はいかに到達されるべきであるか
あろう。法の様々に彩られた生活の非常に多くの部分は決定から
保存の素朴な諸権利のすべての悪夢を忘れることが必要になるで
に行われた諮決定の報告の雪崩の内に埋れさすならば、人は自己
の文献を加えるならば、そして次に、もしその幾多の文献を現実
の際の(訳者註臼)及び(訳者註3) を参照されたい。なお、
ゲ l ム理論、したがってゲ I ム・マトリックスの取り扱い方に
D-N・コラフアス
ついて、邦文でわかりやすく説明している文献を一つだけあげ
ておこう。植木繁訳﹁企業経営とオベレ l シオンズ・リサーチ﹂
現代経営科学全集 4 (紀伊国屋﹀¥て主0 0
ヂ イ シ ゾ ヨ y・
プロセス
一つの決定過程としての法
学問の大系は存在していないということは言うまでもない。さら
ポヂイ
ついてはふれないで、立法においていかなる部分の決定が行われ
ある、と容易にいいたくなるほどである。しばらくの問、司法に
法は決定の仕事に全く没頭するため、決定がその唯一の行動で
D
介
紹
北法 1
5
(
2・
208)424
Thoma.A.Cowan “
D巴c
i
s
i
o
nTheoryi
n Law,S
c
i
e
n
c
e,andTechnology"
に、その論議はある一つの問題のあらゆる側面について思いめぐ
特殊な事件の諸事実によって補足されると、論理的推論法則が回
るいは理性(耳目。ロ) の手続によって精神の本性自体から分析さ
守されているかぎり有効な帰結を獲得するのである。
れた正義の合理的諸直観である。かかる直観は、決定されるべき
らされているこよを知ることができる。その問題とは、即ち、法
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
的決定は合理的諸考慮に基づいているかどうか、そしていかなる
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
程度に法的決定は合理的諸考慮に基づいているか、ということで
きる。即ち、我々が観察し得る所の法的決定メーカーには、莫大
ことが許されるならば、このことは次の様に言い換えることがで
の後の一世紀の法学理論は、上述の可法上の決定の性質に関する
ある。しかし、ヨーロッパにおいても、アメリカにおいても、そ
一般の多くの基礎に同様にあることは、十分に興味のあることで
上述したことに似たあることが現代のゲ lム理論及び決定理論
5口三)が入る。そして叉、我々は、
なそして複雑なイ γプヅト (
合理的説明に批判を加えることに従事した。そして、その過程に
﹀
決定という型におけるアウトプヅト万三宮門) と我々が観察した
おいて、この説明のほとんどすべての要素は取換えられてしまっ
(ω3RBP25g) の用語を使う
※(訳者註 2
いと欲するそのすべての諸結果、を観察することができる。法的
た。まず第一の要素は、論理の諸手続が司法上の決定過程を支配
ある。もし、システム理論家達
決定メーカーは、インプットとアウトプットの聞のブラック・ボ
するという仮定であった。一世紀前、ドイツの法学者達は、初期
クユヂイ γア
山w-デイシ〆オン
である。このブラック・ボヅクスは
DH)
社会学者及びマルキスト経済学者達のリ lドに従って、意識的に
ヅグス(暗箱・回一山岳切
合理的諸原理に従って作用するであろうか。そして、もしそうだ
選ばれ叉目的的に作られた社会統制の一つの媒介としての法の理
gg
とするならば、その合理的諸原理とは一体何であろうか。
・プロセス
論を構成し始めた。それは、非合理性(ロ
C
ロ佐々)という要
戸
門
素をその理論の最も重要な要素にした。決定は、もはや、現行法
MN
達は、このブラック・ボヅグスは実際合理的諸原理に従う。と述
の大系を与える一組の合理的諸原理と矛盾しない(論理的要請)
ゾ ユ ヂ イ Yア
べるのが常であった。そして、この合理的諸原理とは何かという
ことを必要としないことになる。社会的必要がある変更を、その
一世紀前にあっては、司法過程に対する多くの思慮深い観察者
聞に対する答は﹁論理学﹂であった。法体系の基礎を形作る諸原
変更が現行法の合理的諸原理に照せばいかに不合理にみえようと
ボディ、
理それ自身、慈悲深い正義の神によって我々の心に啓示されたあ
北法 1
5
(
2・
2
0
9
)
4
2
5
介
紹
も命じ得るのである。精神の合理的諸原理ではなくして、全く非
合理的な社会の諸々の必要及び利益が決定の基礎として認められ
るようになってきたのである。
複雑なものである。
法律家達は、現代の科学的決定理論家達に﹁もしあなたが決定
紀の法律学の文献を見て下さい﹂と言うことを、本当に鴎聴聞する
形成の合理的理論に何があり得るかを知りたいならば、過去の世
(
R
2
5
5
-
w
- デイグイジヨソ
グユヂイシア
ボディ
であろう。このことはまったくひどす、きるように思える。しか
yクス
についての諸理論がいかにのびてきたかを我々は知って
プヲアクポ
hH
し、もし理論家達がこの学問の大系に偶然に出合ったならば、彼
りーガ
いる。法社会学及び新しいアメリカの法リアリズムは法的階箱の
等は容易に、恐らく、決定形成の非合理的諸要素は少なくとも合
によ
かつて我々の先輩達が事件の決定のための合理的基礎であると考
の合理性あるいは﹁推算可能性(﹁2
70EEε)﹂は、それ自身、
合理的な性格へのその信仰を改めて肯定する。しかし、この現実
起り出してきた。法学者達は、今一度、司法上の決定の究極的に
るとみられたのである。現在、かかる過度な理論に対する反動が
全に予測不可能な直鋭、あるいはさらに盲目的な偶然の産物であ
ラック・ボックスはそれ自身の不合理性を加え得た。判決は、完
の影響のもとに作用を受けていると思われた
な決定の研究にまで及んでいかないで、決定利学を、決定形成のメ
って謀せられる諸々の束縛は、本質又は効果からみて、真に創造的
るから、決定諸手続に関する一般理論及び一般化をなす数学によ
ゆる真正な決定は個々人の選択の要素を含んでいると私には思え
つけ加えたい。即ち、推論 (5PZR内)とは別のものとしてのあら
るということ、を学び得るであろう。私は、私自身、次のことを
割をたとえ単純な明らかにつまらない決定においてすら演じてい
直観は現在の決定手続が与える合理的諸束縛よりもより重要な役
はその論理よりも決定の進路を形作るのにより強力であること、
可)
(E2一
c
m
ε
R
えた所のわずかの単純な一般諸原理とは非常に臭ったある恋しく
o加うるに、このブ
内容をあばき出そうという趣旨であった。それらは、このブラヅ
~
二十世紀に入って、司法上の決定の不合理な性質
め
)
理的なそれと同じほと重要であると結論し得るだろう。彼等は、
~
ク・ボックスは不合理に(可255一一三あるいは少なくとも非合
戸
決定メーカーは決定の型よりも決定の諸々の働き(丘町
『
理的に(ロggzc口町一一三作用する、という結果を得たのであった。
F
り関心をもっていること、即ち、決定形成の目的論
'
い
戸
この決定メーカーは、絶望的に入り組んだインプットの多種多様
】
北法1
5
(
2・210)425
ThomasA.Cowan “
D
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n Law,S
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n
c
e,and Techno¥ogy"
ある種々の事件を取り扱わないであろう。したがって、この節を
確に言えば法的決定過程において行われること、についての興味
し、もし改造され得ないならば、かかる手続は決定、即ちより正
ことについては、私は勿論ここで述べることはできない。しか
かる諸手続は個別的事件を処理するために改造され得るかという
作用に従った手続、に限ろうとするということである。いかにか
要請、定まった理論、蓋然性さらにはばらばらな手続を統一する
起ることの多くは法的ビジョンの狭さによるよりはむしろ政治的
の性質により束縛されていること、を知るであろう。法の場合、
が、他の職人達と同様に、想像力の貧困によるよりも彼等の道具
を傾けることをしないで彼等の行動を観察するならば、科学者達
リアリズム法学の信条に従って、科学者達のいろいろな理論にヰ
は、科学者を理解しようとすれば十分である。法律家は、もし、
は、まさに法律家の責任にかかっている。現在の法律家にとって
とにかく、科学者逮が法的決定形成の研究をするかしないか
ある。
次に述べる示唆をもって閉じることは適当であろう。即ち、ロi
直観の諸々の制限によるものである。決定科学者達についても同
カニカルなしたがって退屈な反復的な諸手続、即ち論理の一般化
マ法の時代から首尾一貫した歴史をもった一つの手続である﹁理
※(訳者註 3)
様である。彼等の道具は(電子﹀計算機である。決定理論及びそ
の最も現代的分派即ちシステム・サイエンス
(m3SER-25 に
出された個別化された
(82SEE-と 5EiE巳丘)諸々の決定
性(円EEロ)﹂によって説明され叉弁護される所の結果として導き
おいて何が現実に行われているかを理解するためには、コ γピユ
ボディ
r
o
の﹁同,
の形成に関するこちつけられた学問の大系が存在しているが、科
FF2巳一同口)
ーターによって何が行われるかを眺めることが必要である。
(同月一
するために、ォベレーシオンズ・りサ!チ
とは周知の通りである。即ち、決定のための合理的基礎を提供
(C
匂再三55H222r)、
訟の開発に関心が払われ、そのめざましい発展をとげているこ
(訳者註3﹀ 最 近 、 経 営 者 や 技 術 者 の ﹁ 決 定 ﹂ を 助 け る 科 学 的 方
(訳者註 2) 訳者註3 を参照のこと。
学的決定メーカーはそれを自己のに役立たせることができるだろ
うと。例えば、故カール・ルエリン
(い
ι
M
H
F
Cロ﹂をまず取り上げることができるであろ
GEBGロ ピ 者 吋E
う。叉、先決例の相対的に高度にコントロールされた教義(それ
自身決定過程における一つの合理的束縛である﹀が別に決定に影
響を与え得る所の多種多様の方法の研究は最も啓発されるべきで
北法 1
5
(
2・
2
1
1
)4
2
7
入れられ、現存の体系の改善、その目的の決定、将来の体系の
ツ ス テ ム ・ ン ミ ュ レ 1 シ オ ン 令 官ZE 巴自己白巳 Oロ ) 等 々 が 取 り
象とするものに、システム・ェンヂニアリング(勾恒常
5 2巴 1
に、生産的な、人間リ機械
体を観察・記述・分析し、各要素の相互作用を関係づけて一般
される。即ち、一群の互に関係し合った要素が共通の目的のた
、、、、
めに有機的に一つにまとまった、つまり組織化された作用体全
の選択、情報の移動等々の操作は人間よりもずっと円十く正確に
ない。しかし、その読み書き、演算、比較、イエスまたはノウ
るが、想像力を持っていない。また問題を考え出すえともでき
なる理由によるのであろうか。コソピュlFーは情報機械であ
﹁体系﹂の設計と分析を対
最適設計、開発のための体系分析などのために用いられ出して
れた自然・人間・機械の体系に挑んでいるのである o 所でこれ
525m) が あ る 。 こ こ で は 、 相 互 作 用 、 相 互 依 存 に よ り 結 合 さ
1 環 境1
きた。そこでは、まず﹁体系(々回耳目ごということが問題に
化し、理論を構成し、その理論をもって現象を説明し、さらに
件。自由
し て 考 察 さ れ る 。 体 系 の 分 析 ( つ ま り 々ω
E 守弘ω) は 、 そ
力 (5匂ロ円)を受け内部で処理し出力
る。つまり、現在あるいは将来の体系についての諸々の条件を
ば、膨大なデlFに関して無限の記憶と計算の能力を発揮す
ーッォ γ に よ っ て 数 学 的 モ デ ル を 機 械 内 部 に 記 憶 さ せ て や れ
行うことができる。したがって、考える方法、つまりシミユレ
作 成 が 行 わ れ る 。 体 系 の 予 測 の 方 法 と し て は 、 シ ミ ユ レ i シオ
なるからである。
レI シ オ ソ を 短 時 間 に 何 回 も 繰 り 返 し て 計 算 す る こ と が 可 能 に
いろいろと機械の内部で組み合せてそしてその合理的なシミユ
(O
三官庁)として出す、と
の目的を達成するための最善の方法をきめることなのである。
等 の 研 究 の 道 具 と し て コ γピ ュ l F ー が 問 題 に さ れ る の は い か
将来を予見確認しようとするものである。そこでは、体系は入
そのために、体系を数学的に解析して、そのモデル(模型)の
ン(丘ヨ己主5ロ ) が 行 わ れ る 。 シ ミ ユ レ l シ オ ン と は 、 要 す る
のことは驚くべきことではない。なぜなら、コンピューターの狂
をいった当人の人柄を吐露することにならぬともかぎらない。こ
ソピュ l タ ー と い う 機 械 の 性 質 を 明 か に す る よ り は 、 む し ろ そ れ
コンピューターについて、誰かが何かいうと、その発言は、コ
コンピュ l 伊 ! の 性 質
に、作用に関するモデルの作成である。特性または関係のよく
似ている事物を利用してモデルとなる体系を作り上げ、この体
系についての観察や測定によって他の体系の変化を予測しよう
とするものである(なお、シミユレlシオンについては後でさ
らにふれる)。ォベレ l ツ オ ン ズ ・ リ サ ー チ の 分 野 に お い て 、
ごく最近発達してきた手法に、﹁戦略ゲlム﹂がある。それは、
の競争を含む体系の状態をシミュレートしたものである。さら
われわれの決定能力を向上させるために作られたもので、現実
E
介
紹
北 法1
5
(
2・
2
1
2
)
4
2
8
ThomasA.Cowan “
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i
o
nTheoryi
n Law,S
c
i
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n
c
e,and Technology"
信者の種々の主張のごく限られた一部分だけでも実現し得ると認
して、それらの考慮から第三の考慮が出てくる。即ち、全く計算
機化された社会の文化的、精神的な結果はいかなることになるか
予言することはできない。かかる考慮は根本的なことである。そ
的にではなくとも、いんぎんに跳めてきた人々のほとんどがより
についてはだれも知らないのである o
められさえすれば、これまでテクノロジーの発達を、たとえ熱狂
心の奥からの関心を持たざるを得なくなることはまったく明白で
屈な反復的諸々の手続を解放するものである。土日から、人聞の分
る。ォ lトメ化は、人々からある本質的に非個性的性格をもっ返
トメ l ジ オ ン ・ プ ロ セ ス の 諸 々 の 効 果 は 進 歩 の 方 向 に 向 い て い
おいてよりわずかの人々にしか縁がなかった。さらにまた、ォ l
コンピューターが到来するまでは、オートメ I シオンは大体に
γピュ Iタlは簡単な機械的な作用しかできないのだと考えるこ
るがそれ以外のものではあり得ない。しかし、この事実から、コ
ト (
σ
=
) の配列であり、そのそれぞれは O か あ る い は ー で あ り 得
に基づいているということである。コンピューターの基礎はピヅ
25百円内吋)は、究極的に数 lと0 によって表わされた二進法数字
づけている。即ち、現下のディジタル・コソピュ lタ12-mE-
の何物でもないと信じている。彼等はこの信仰を次の事実に基礎
多くの人々は、コンピューターは高速度で計算をする機械以外
別は、可能な最も安易な方法を得ょうとしている。馬ですら馬具
とは単純すぎる。それは、最も妙なるヴァイオリンの演奏が弦楽
あるからである。
が軽くされれば喜ぶのである。人聞は、喜んで筋肉力を、もしで
最近のディジタル・コンピューターは、恐しいほどの四則演算
※(訳者註 6
かほどあるいはいか。なる種類の頭脳の働きとコンピューターは置
機であることは真実である。そして、それ等の加・減・乗・除算
※(訳者註 4)
きさえすれば、機械的エネルギーに置き換える。しかし、コンピ
器の馬の毛をこすりあわせること以外の何物でもないとするのと
※(訳者註5)
ュlタ 1は頭脳の働き (rgEH53H) を節約する。そして、この
同様の素朴な知識である。
き換えられ得るかということを先見することはできない。第二
H
r
)
L
の作用は、まさに人間の退屈な反復的な﹁手仕事(ご品句者D
︺
﹂とは木当に容易ならぬ事柄なのである。まず第一に、だれもい
に、だれもその置き換えによってだれの仕事が不用になり、そし
に 十 分 に と っ て か わ る こ と の で き る も の で あ る o これは話のごく
※(訳者註7)
て、それによりいかなる種類の経済性がもたらされるかについて
北 法1
5
(
2・
2
1
3
)
4
2
9
介
紹
一部である。
より話を進めて、コンピューターは論理演算機であることを述
※(訳者註8}
べよう。コンピューターは要素的・基本的論理操作を行う。即
えトア
されな円ctFEZL) 得る一つの操作である。非常に多泣の格納さ
れた知識の呼び戻しが効率良くコンピューターで処理され得ると
いうことは全く明かである。
ぶ作用を行う。同様に、両立(口
gYRgコ
)l これそして (
g
L
)
、、、
あれ、推論(百円202)
もしこれならばあれ(広L
73)、否定
巾l
の一つである。そして、それは、勿論法律界だけではないとして
はデータ・リトゥリlパルする人のかつて取り組まなかったこと
ポ リ シ ィ ・ タ ス ス チay
この際、即ちコンピューターのデータ・リトゥリ lパルの可能
g
)リこれでない(ロ♀)をも行う。かかる論理操作は、勿
(
2
) あれかを選
(口認さ
かなるデータが保存されるべきであるかを決定すること、そして
も、本質的に法律界に関係を持つ所のことの一つなのである。い
ち、選立 (LM4ZEE-z) つまりこれかあるいは
論計算とのコンピネlシオンにおいて用いられ得るのではある
でないならYを行え)。今まで、われわれはコンピューターの風
(これはあれと同じであるか。もし同じならXを 行 え 。 も し 同 じ
ぃ。例えば、コソピュ lタ lは、比較の作用を行うことができる
等だけで、コンピューターの能力は決して枯渇するものではな
は、コン戸、ュ l タl に非常な活動力を与えている。しかし、それ
のであるとするならば、さらに彼等は、保存されているデータの
(
m
g
L
)
の専門家は、ためらうことなく、データはそれ自体信頼できる
るという事実を私は述べたいのである。デlF・リトゥリlパル
データの呼び戻しが許されるかということ、は全く政策問題であ
また、保存されているデータのなかからいかなる場合にいかなる
性を考える際に、一つの非常に重要な政策問題が出てくる。それ
が、計算とは直接関係はないかかる数学的及び論理的諸々の作用
がわりな記憶格納能力については何にも述べなかった。しかし、
すべてが急の呼び戻しに応じるべきであると思っているといって
﹃
(
5255SHEDq) 家達は、情報はそれ自体
※(訳者註ロ)
と仮定する。もしこのことは専門家達の素朴性に帰すも
ポリジイ・マタ1
その作用もあることはよく知られている所である。実際、それは
もよい。情報理論
I Yオン
※(訳者註 9)
木質また効果からみてもすごく早いまた高度に精確な呼抗戻しを
信頼できるもの(凶間
g
L
) であり、より多くのあるいはより正確
ストア
※(訳者註日﹀アプリケ
ヱキス,、 1 ト
伴った無阪の記憶格納の可能性をもっているといってもよい。デ
な情報はより少ないあるいはより正確でない情報よりもより信頼
※(訳者註叩)
ータ・リトずリlバル(合5252乙)はその充用が無限に逆成
4
3
0
~tfl、 15(2 ・ 214)
ThomasA.Cowan “
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i
o
nTh
巴o
r
yi
n Law,S
c
i
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n
c
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がら、争いをはらんだ状況下にあっては、情報は武器である。そ
できる 22Z司)との仮定の上に立っているといえる。しかしな
ば、コンピューターは未だ﹁無意識
でいこうとは未だしていないのである
造的忘却すめさ︿口 5-225四)というより困難な問題に取り組ん
o
アナログ型では、数は物理的
(訳者註4) 計算機はアナログ(白S
Fm) 計 算 機 と デ ィ ジ タ ル
されてあることに留まる。
て未だ関心をそそる命令として、受け取られるべき、あるいは残
選択的であらねばならないすべての人々にとって)、いぜんとし
lパルは、法律家にとって(叉その格納した知識の使用が高度に
{戸ニ問。﹁町内戸
C=
同)がより良く理解されるまでは、データ・リトヮリ
(558R55)﹂を取得して
o精神分析学の用語で一一一コム口え
して、より多くのしたがってよりベタ!な武器の逆説はたちまち
パラドック λ
に作用し始める。開業弁護士は事件に関連性あるすべての情報を
いない。この風変りな困難が引き受けられ目的的忘却(宮弓2
0l
歓迎するとは簡単にいえないし、またその相手方が彼と同じ量の
データあるいは情報を持っているかあるいはいないかということ
も簡単にいえない。
法廷技術及び判決の巧妙さは、まさに、関連性あるデータある
いは情報の莫大な量を無視する能力にあると大体においていい得
宣伝吉一)計算機に分類できる
量によってあらわされ、結果は物理的な量で求められるように
るであろう。この点について要約すれば次のようになる。即ち、人
問精神の働きにアナロジーなコンピューターにあっては、明かに
なっている。このような物理的量としては、例えば、はぐるま
同
F
戸川d
)o
したがっ
て、計算は工作の精度と機械の部品相互の働きに直接関係し、
nhU20
ものでは、数 Zはついボルトであらわされるように
υ
圧の単位のボルトが数の単位に対応するように設計されている
解決を与えるにようにその構造が設計されている。(例えば、電
り、機械に使用される部品と仕組の働きが一体となって問題の
の回転速度、電圧、シアフトの回転角度等があげられる。つま
関連性がないからとしてではなく、関連性はあるが都合が良くな
いあるいは厄介だから等々として忘れる、無視するあるいは見す
ごすことはしない。私は、コンピューターをそれが記憶した時と
同じように効率良く忘れるように設計し、叉プログラミング(℃3
※(訳者註日)
mEBB-口 問 ) を 行 な う こ と は で き な い 、 と 決 し て 言 っ て い る の
また物理的、機械的な仕組とも対応した関係になっている。こ
れに対して、ディジタル型では、数をあらわすのに物理的な量
ではない。私が言いたいことは、コンピューターの設計者達は最
近この問題に注意していないということなのである。彼等は学習
を利用してはいるが、その数をあらわす方法がアナログ型とち
※ハ訳者註は)
するコンピューターに関心をよせてはいるが、しかし、彼等は創
北 法1
5
(
2・
2
1
5
)
4
3
1
介
紹
印
︼
吋
ロ
o
lvCHHHW
1vooo--M1vooHCWω1vccHHW
AF!vCHOO-
。vccoo-
1vOHCHW ∞lvCHHCW
ソロパソの機構はディジタルである。即ち、ソロバンによる計
vH000・由!vHCC]{
と OR に 対 応 す る O と1 の 二 進 法 数 字 に 基
づ い て い る 。 し た が っ て 、 コ γピ ュ l F l に あ っ て は 、 0 と ー
C口
のディジットのみによって計算が進められる。そしてこの Oと
の配列、即ち
(訳者註 6) デ ィ ジ タ ル ・ コ ン ピ ュ ー タ ー は リ レ l の Dロ と
∞
がって、ディジタル、即ち離散的な機構になっている。例えば、
算は、珠の大きさ等によるのではなく、単に珠の位置つまり珠
を上げるか下げるかのいずれかに動かされる。ディジタルな電
なっている。 0 と1 の 二 つ の 符 号 だ け を 使 う よ う に 設 計 さ れ て
子計算機では、電気的インパルスの系列が数に相当するように
い る と き に は 、 ー に 相 当 す る と き は パ ル ス の き た と き 、 0 に相
数 ﹂ を 意 味 す る ﹁ZEミ 会 担 己 を 略 し た ﹁ ビ ッ ト ( ﹃ 早 ) ﹂ と い
1 の三進法であらわされた数字には、﹁二進法であらわされた
かあるい
cR の 二 つ の 組 み 合 わ せ 回 路 に
ロ
(
CC﹂ 等 で 結 合 さ れ た 命 題 の 真 あ る い は 偽 ( 真 理 値 ) を 部 く
E己):・﹂、﹁:・ならば(広ユ百三:﹂、﹁・・でない
﹁・:そして (
とって、要素命題が結合された、つまり﹁・:あるいはする:・一、
演 算 を 意 味 す る o 即 ち 要 素 命 題 の 真 理 値 ( 可Erg-ロ巾)を受け
(訳者註 8) 論 理 操 作 あ る い は 論 理 演 算 は 命 題 ( 望 。 宮mECロ)の
る
。
O-HUH-OHOWH-HHH)の法則にしたがって行われ
OHHWHlHHCwglHHH)乗法の場合(。・0HC・
。 H C + H H H - H 十回 H H O ) 減 法 の 場 合 ( 。 l c H 。 ・ H
)(G
口
)
ロ)(CD)(ロ
0 )(CR)(C
﹃
﹃
)
(
ロ
ロ )(c=)(O )(C
口)(C
口)(D
(D
﹃
﹃
C
﹃
﹃C H O O O H H O H H H
(訳者註7) そ の 作 用 の 原 理 は 、 加 法 の 場 合 ( 。 + 。 H C - H十
十二のピットの配列によって次のようにあらわされている。
であらわされた数Nω叶はコンピューターの内部にあっては、
う特別の名称が与えられている。したがって、例えば今十進法
当するのはパルスのこないときというふうにきめておかれる。
(
C
S
合
、 0123456789の 叩 個 の 記 号 を 用 い る o 所 で ス イ ッ
(訳者註 5) わ れ わ れ が ア ラ ビ ア 数 字 を 使 っ て 通 常 計 算 す る 場
チ回路 (
M2HRE口
問 2R三 円 ) の ス イ ッ チ は 開 く
ロ)の二つの状態のうちのいずれかになっている。
(C
つまり電気的インパルスがくるかこないかのこつの状態であ
は閉じる
ロと
C
る。この事実に着服して、コンピューターの設計者は、 012
:9の 叩 個 の 記 号 を
対応させて数の計算をエレクトリカルに機械にさせ得ることを
知ったのである。(スイッチを開閉させる装置には、リレーと
して知られている鉄芯コイルによって鉄片を吸引して電気接点
を入れたり切ったりする継電器があり、また真空管および半導
体からなるフリップ・フロップがある)。即ち、。ロの状態を
0 で あ ら わ せ ば 、 デ ィ ジ ッ ト の0
D R の状態を
・
9 はい川と附の二つの記号(電気接点の状態)で次の
ーであらわし、
123
ように置き換え得るからである。
5
(
2・
2
1
6
)
4
32
:
北法1
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n Law,S
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gL
)w(
)w(
O
H を記号+、EL
作用である。(匂 O
ロ♀勺)の真理表 (
H
H
E
r
g
r
r
)は
H﹄ 匂
︼
門
それぞれ次のようになる(命題旬ゐの真理値を戸ρとし、真の
場合を記号H偽の場合を記号。であらわし、
を記号・、口三を記号ーであらわずと﹀。
HU一ρ一司+ρ岡山一ρ一司・ρ吋一引
]戸一回一回同一]戸一回同一。
]﹁一O十回同一。一。。一回
。一戸一回。一回一C一
。一c-00一C十。一
所 で 、 例 え ば ﹁Pな ら ば q﹂ の 真 理 表 を 作 っ て み る と ( な ら ば
司一ρ 百 ! v C M U - ρ 一 刻 一 間 十 ρ
を記号lvであらわすと)
凶i寸﹁﹁J11 同 様 に ? 十 ﹄ の │ ﹁ ﹁ ﹁ ﹁ ql
﹁│円l
2・
(T1V2) と ( 司 + ︽ 乙 は
H一φ一。真理表は同一φ一O一。
。一回一戸。一回一-一回
。↑φ一回。一C一-一回
ムア作怯ヲ也。
この二つの真理表から、二つの命題
可能な二つの真理値と類似している
(ωSFmg口
ω) こk に基づ
(可)
(匂・ρ
)
(勺
+ρ)
く。この類似が回路のオベレlシオソと命題に関して行う演算
を対応させるのである。即ち、
つ
{
い
い
い
守
口
口
門
戸 Oロ は 並 列 的
ω
円
凶
︽
回路のォ.ヘレlシオン
Z
Z
N
m
w
t
c
=は
2
つまり論
同十CHO+回目HWH4回目戸
o 即ち論理的
かかる回路の特性を研究する数学的方法として、ブール代数
w
cc-22P一聞各E) が 知 ら れ て い る
(
切
理的和の演算はφ+HH戸
-H0・同-HHHの法則で、論理的ロ♀つまり論理的逆は
L つまり論理的積は。.。HH・0Heの 法 則 で 、 論 理 的E
同一の真理表を持っていることがわかる。即ち両者は互に
能である。このような置き換えによって、あらゆる命題結合関
。HH・HHOの法則で、この一一つの数。と同からかる代数系
己
︿PFE である。 2己SFE な 命 題 は 互 に 置 き 換 え る こ と が 可
係 は 単 に 三 つ の 要 素 的 、 基 本 的 な 接 続 語 ﹁c己、﹁き丘、﹁ロ♀﹂
cR の 二 つ の 状 態 は 真 あ る い は 偽 と い う 命 題 の
(訳者註 9﹀ 比 較 の 作 用 は 、 簡 単 に 記 述 す れ ば 次 の 様 な 機 構 に よ
の上にコ γピ ュ ﹁ タ l の 論 理 操 作 が 行 わ れ る の で あ る 。
レlあるいは電子管回路は同一の代数をもっていることの基礎
で処理するのである。このように、命題計算、プール代数、リ
BETa-﹂ の 演 算 を リ
コ ン ピ ュ ー タ ー は こ の 論 理 的 ﹁2﹂﹁
のみを用いる結合関係に還元することができる。
ロと
C
レI回 路 や 電 子 管 回 路 に よ っ て 行 う の で あ る 。 そ れ は 、 回 路 の
可能な
北法1
5
(
2・
2
1
7
)
4
3
3
介
紹
二つのインプットと﹁等しくない﹂と呼ばれる一つのアウトプ
って行われる。その仕掛を仮りに比較機と呼べば、出較機には
置がとくに普及している。
が 、 磁 気 テ lプ や 磁 気 ド ラ ム ヤ フ エ ラ イ ト 磁 芯 を 使 っ た 記 憶 装
現象、ゲル効果などを利用した記憶装憶がそれぞれ発明された
ンパルスを出すような性質を持っている。論理代数の言葉で比
ら構成されている。記憶回路は直接数の記憶を実施する素子
図にしてみると次のようになる。装置は記憶回路と選択問路か
装置内で書き込みと読み取りがどのような機構で行われるかを
わかりやすくするために、極めて一般的な型ではあるが、記憶
装置がどのような仕組みにな号ているかにふれる必要がある。
それはいかなる機構で行われるのかを説明するには、再び記憶
は書き込まれた記憶を呼び戻すあるいは読み取る操作である。
( 訳 者 註 日 ) デ l F ・リトウリ l パ ル は 、 記 憶 装 置 に 格 納 あ る い
ットがある。比較機は二つのインプットが異ったときにだけイ
較 機 に 入 っ て く る 情 報 を a-bと し 、 比 較 機 か ら 出 て く る 情 報
H V H寸 ( 山 北 寸 )
をP と し た と き 、 し た が っ て 、 比 較 機 の 式 は 次 の 様 に な る 。
︿なお、ここに﹁吋(・:)﹂は﹁:・の真理値﹂を、﹁・・﹂は申し立
て を あ ら わ し 、 ま た 正 し い 時 の 真 理 値T は1 、 正 し く な い 時 そ
VIT--)
の真理値は O と す る ) 。 こ れ ら の 関 係 を 簡 単 な 図 で あ ら わ せ ば
次のようになる。
戸川川ハ日凶品丁
数↓(例えば磁気テ
l プ、フエライト
る一
れ一磁芯など)をもっている。選択
り号防↑回路は与えられたアドレス(記
(訳者註日)コンピューターはその欠くことのできない装庭とし
て記憶装置を持っている。記憶装置は、情報を貯え得る物理的
レジスターと呼ばれている。その最も簡単なレジスターについ
HWHOw-
0 0 ・。
動作は次のように行われる。則
性一ち、選択回路のインプットに剣
UU 一
L一
る一を探す回路である。この装抗の
治五-
心則一日一内の必要な記憶素子のグループ
い一一端一一肌一円られている﹀により、記憶回路
i
な道具からできている。一個の情報を貯える物理的な道具は、
HH
は演算の対象となる数そのものをあらわすこと
zv
取剖一意装置の各々のロケ
l シォ γ つ
1
み読一
ーー一まり記憶すべき記号の入る単位
読 信1 J I L - 一各一一各一ス
一山号一間﹁ 一町一→レの区域にはいちいち番地がっけ
0 0 ・。
て述べれば、例えばサイモンのレジスターは、それぞれ二個の
リレーからできている。各レジスターは
同 0
・
-のいずれかの数を貯える。レジスターに貯えられる
H-
吉一御回路(制御装置はどんな操作
も、またその数に対してどんな操作をさせるかをあらわず﹁命
の振動、磁性被膜、フエライト磁芯、陰極線管、磁歪現象、圧電
令﹂をあらわすこともある。最近の十年間の聞に、可聴周波数
北法 1
5(
2・
218)434
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c
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o
nTheory i
n Law,S
c
i
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n
c
e,andTechnology"
て 他 の 装 置 に 働 き か け る ) か ら ア ド νスが与えられる。示され
をさせるかをあらわず﹁命令﹂を呼び出してきて、それによっ
るのである
報の質の評価を情報が受理される確率によるべきことを提案す
な構成つまり情報のあらわれる確率分布によってきめられ、情
論は、メッセージ(通信文)のもつ情報量はメッセージの統計的
オンの内容を読み取るときには、制御装置から読み取りの命令
(信号)が与えられ、ロケ J シ オ ン に 書 き 込 ま れ る 。 ロ ケ i シ
ケl シオンに書き込む場合には、制御装置から書き込みの命令
ュニケ l シヨ γ の科学i 、春秋社、¥一六O
蒲 生 秀 也 ・ 桝 本 セ ツ 編 ﹁ サ イ バ ネ テ ィ ッ ク ス と は 何 か ﹂ l コミ
の知識を得るに適した文献をいくつかあげておこう。
は紙面が足りないので我々素人にわかりやすく読め、かっ一応
o それらの詳細な内容について、ここで説明するに
ループ(あるいはロケ l ツオン)をさがし出す。今、指定のロ
たアドレスにより選択回路は記憶回路の中にある記憶素子のグ
(信号﹀が与えられる。ロケ1シオソの内容を消去するときに
中 野 道 夫 ﹁ 情 報 理 論 ﹂ ( コ ト パ の 科 学 第 6巻 ﹁ コ ト パ の 工 学 ﹂
る新しい科学の分野が生れてきた。それほ、自動機械と生物体
エイヤ l他 ・ 市 井 三 郎 訳 ﹁ コ ミ ュ ニ ケ l シヨ γ﹂現代科学双章一間
書回、みすず書一一男、¥四0 0
ヤグロム・井関清志・西国俊夫訳﹁情報理論入門﹂現代科学双
一
一 O 頁以下﹀、中山書応、¥四八O
は 、 た だ 簡 単 に 0 を書き込むだけである。
における制御と通信の問題と取り扱う理論、仮説及び見地を綜
お 、 み す ず 書 房 、 ¥ 二 八O
F325) と 称 せ ら れ
(訳者註ロ)近年サイバネティックス(わ可
合したものである。情報理論はこのサイバネティックスの一分
な論理である。情報理論は、任意の情報
出版、¥五0 0
国 沢 清 典 他 ﹁ 情 報 理 論 ﹂ オ ー ト メ ー シ ョ ン ・ シ リ ー ズ 1、 共 立
(1何 ら か の 未 知 の 事
派であり、主として、通信文の作成とその伝送に関する統計的
象の結果についての知識)をその具体的性質に関係なく唯一の
﹀ -・
H関
回目Z
(VE﹃
ZEζ えZEm時片ω一明。ロコ与え3 2 0﹃
y
同
,g .
(
F
E
E
S
H
N・﹀・辺一︿253h伊豆・り・司=E55) 2
ハ2
HZh
﹃)戸ゲ・古ロニロ内君 MRvpMmgo(沙端)
ると、まず問題を分析して数学的に解析して問題の数式化を行
(訳者設臼﹀電子計算機による問題解決の一般的手順を考えてみ
﹃
M
M
コ
コ
コ
ロ
叶5
方法であらわす可能性を確立する。つまり、個々の二進法的要
素(いわゆる情報量子)即ちその要素のうちの一つが必らず二
、
司
つことができるという要素の総合体の形で情報をあらわす可能
個の可能な数値﹁イエス﹂又は﹁ノウ﹂のうちの一つだけをも
性を確立するのである。そして情報理論は次の一一つの基本問題
情報の質、
程で、つまりどのような仕事の流れに従って計算機にかけてい
ω
情報量の測定に関する問題、
わ ね ば な ら な い (H① ﹀ 。 次 に 、 そ の 問 題 の 解 決 を い か な る 過
ω
即ちその確実性に関する問題の二つである。かくして、情報理
を研究する。
北 法1
5(
2・219)435
介
紹
)o
所で、電子計算機はそれぞれ機械語と呼ばれる
BEE-口問と 20耳 25三宮間)を考える必要が
くか(巴cnrD3悶
ある (H②
固有の言葉をもっている。
したがって我々が日常使っている言葉で計算機に命令を与えて
P
E
l タI のデータ処理 (
データ I処理
ヨγピュ
5
口問)の諸制約はあ
匂 35
る が 、 も し 法 が コ ン ピ ュ ー タ ー に よ る デ ー タ ・ リ ト ゥ リ Iパルを
事に応用されるために出番を待っている。
り、命令に基づいて法的情報の格納とその効果的な呼び戻しの仕
ストアリトウリ?プ
利用したいと思うならば、すでにそのための機能は実在してお
(なお、日常使用している数式や一言語を書けば、求める結果を
将来の見込みは興奮させるものであり、ユートピアの夢をもた
せる。この空想にしばし枇けようではないか。かつてロ 1 7法 大
わたって積み上げられた混乱を除こうと決心したと仮定しよう。
ぅ。即ち、法律家は、 A7ゃ、法律図書館にほこりと共に数世紀に
全を生み出した動きと同様の動きが法律界に起ったと仮定しょ
ミング(司円DmB555m) という。このあとの手順は、。。岳ロ閲さ
法律家達は、今や、したがって、中央記録保存所に一組のかかる法
あろう。関連性の問題は直ちに不一致をまねくかもしれないが、
持ち続けるもののみがカlドあるいはテlプの上に保存されるで
的残存物をひっくるめて保存することができるのである。意味を
ネズミ﹂がトライアル・ア γド・エラーであちこち動きまわっ
明白な消去及び非関連性については驚くほど多くの不一致がある
巴)∞﹀(いというケンブリツヂ大学の計算機で動物の条件反射に
すぎる立法及び束の間の行政上の諸決定、をためていくのを大い
い諸々の悪気(え﹃一ミE)、即ち定型的な司法上の諸決定、冗長な多
と思われる。その後で│これが要点であるが 1 法 が そ の 重 要 で な
密接な関係のあるモデルを作っている。
な 機 械 を 設 計 し て い る 。 あ る い は 、 イ ギ リ ス の エ ッ テ ィ ガ lは
った所であれば誤りを犯すことなしに一気に餌に到着するよう
て、ようやく餌のある所に到達すると二度目からは前に一度通
(記者註H) 例 え ば 、 シ ャ ノ ン は 、 迷 路 の 中 央 に お か れ た ﹁ 機 械
(
河
2 昂耳)(H⑤)ことで問題の解決がはかられるのである。
れ (H④ ) 結 果 が 出 て く る 。 か く し て 、 そ の 結 果 を 検 討 す る
tcD) が行わ
O宮E
算 機 に か け ら れ る 。 つ ま り オ ベ レ 1 シオン (
れた命令はテ lプあるいはカ lドにパンチされ(司己完広口問)計
られるようになってきた)。以上の手順において、回onru-aEBB-口
問
・ 20巧ハリ官三百四及び(いOL5聞の仕事を称してプログラ
NZ 等 自 動 プ ロ グ ラ ミ ン グ が 考 え
。。戸とか阿国玄の明。対叶, H﹀
自動的に計算機が求めてくれることが望ましいので、近年﹀問、
の流れの命令を線訳してやる(わ C︽出口問)必要がある (H③
)
。
も読むことができないのである。その機械が読める言葉に仕事
F
北法1
5
(
2・220)436
ThomasA
.Cowan “
D
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nTheoryi
n Law,S
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れていくべきなのである。残存したものは、非常に効率良く電子
に抑えていくことができるのであり、叉その大なる抑止が及ぼさ
ない。私はただ、非常に多くの時聞を費いやす多くの退屈なそし
判官の前に立ちはだかる最大の障害物である。私は、この苦悩を
するかは、恐らく、裁判事務の現代的計画をもくろむあわれな裁
て反復的な仕事から裁判所の人々を解放すべく、いくつかの機械
与える人間の当惑に対していかなる答えがあるかについては知ら
と手続きが存在していると言うことができるだけである。裁判所
的に処理され得ると共に、叉最大の効果をもって呼び戻され得る
ので、データ・リトヮリ lパルの問題において法律界が直面して
であろう。将来の見込みはこのように非常に心を引くものである
いる最も重要な問題は何を呼び戻さないかということであるとい
はもし望むなら、コンピュターを含めてビジネス・マジンに、現
うなばかげたことはかつてなされ得なかった。かかる混乱をだれ
判官の痛々しい抗議に、人は単に同情できるだけである。そのよ
費あるいは空費をさげるための工夫として考えてきた。このコ γ
ちビジネス・マン及び科学者が定型的仕事に使う頭脳の働きの浪
﹂れまで、我々はコンピューターを労力節約の機械として、即
科学的道具としてのコンピューター
ができるであろう。
を引継がせることによって、はるかに効率良くその任に当ること
在法的熟練及び分別の問題と考えられていることのかなりの部分
うことを忘れてしまうほどである。
裁判所の流線化
裁判事務には全くメカニカルな能力が欠けていることはよく知
々の障害物に対するロスアンヂェルス上位裁判所のハイドウン裁
られている所である。裁判事務の効率の良い処理につきまとう諸
かあるいはどこかの集団の各とするのは愚かなことであろう。そ
テックストにあっては、コンピューターは、生活をより楽にする
(
註 4)
れは、単にその仕事に従事している同業者の悪しき精神である。
入することに積極的に反対するとは、 私 は 信 じ な い 。 今 や 正 義
多くの裁判官 n
達は裁判に効果の良い諸々の事務機械と手順を導
機械をその火急の必要性からとり入れたが、その結果、重荷にな
と何ら異なるものではない。人間の性質の逆説的性格は、かかる
ことを目的として発明されたおびただしい数にのぼる諸々の機械
ピシ、ネス・マ
の廃れた機械になろうとしている忠実な下僕の軍勢をいかに始末
ゴ
t
法1
5(
2・
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介
主
沼
る怪物にしてしまうことがある。あるいは、簡単にみずててしま
は、同様にして、生物科学を根本的に変革した。意識的に望遠鏡
の少ないやり方にもどることができなくなったのである。望遠鏡
しかしながら、根本的な変化が生じている。コンピューターは、
ばならないという種類の強行的手目白rlFEar)な道具であると
を棄てようとすることは考えることもできなくなったのである。
、、、、、、、、、、、、、、、、、、
コンピューターは、もしそれが使用され得るならば使用されね
ヲイフ・サイヱンス
うこともある。
物理学及び生物学の歴史と発展における遠望鏡及び顕微鏡の能力
いうべき理由がある。そして、科学研究のあらゆる分野へのその応
目を転じて、科学的道具としてヨンピュ!ターをみるならば
と似た能力をもった所の一つの全く新らしい科学的道具としての
用の可能な範囲は、望遠鏡のあるいは顕微鏡のあるいは科学史上
他のいかなる道具のそれよりも、全くより広いものである。なぜ
性格をもっている。
しばらくの問、このアナロジーについてみよう。ルネヅサンス
なら、コンピューターは、単に人聞の知覚神経の一つあるいはい
ンピューターは推論 (EF月号。)を行う。コンピューターによる
の望遠鏡について、それは単に人間の視界にある因数を乗じたに
は、文字通り全宇宙を改造した。今や、一木の長い街と二枚のレ
推論の仕事は量的な
くつかの働きを増加させるのみならず、頭脳の働き SEEM ℃C22)
γズがそれ自身ひとりでにそして又ひとりで世界の眺望を根本的
仕事は質的 SErst︿め)に変化する。コンピューターに一組の
を増大させるものであるからである。非常に一般的な仕方で、コ
に変革したと主張することは全く無誌なことであろう。そのよう
諸命令(官官ロ宅 C228m) を入れてやりさえすれば、コンピュ i
の非常なる役割のかんじんかなめな点をついていない。望遠鏡
な主張はされてはいない。望遠鏡は、人々がそれを必要とした時
ターは即座に、そのもつロジック、機械のプログラミング能力及
すぎないというのでは、モダン・サイエンスの誕生にはたしたそ
に、その人々によって作られたのである。しかし一度望遠鏡が作
ひその操作の許す範囲において、その命令から何が出てくるかを
25己旨︿め)効率をともなう。その結采その
られるやいなや、又科学革命を起こさせる為に用いられるやいな
答えてくれる。
もし今、我々が、意識的決定形成は常に、あるいは少なくとも
オペレ T Yオン
ゃ、人々はそれ以後はもはや望遠鏡を棄てることができなくなっ
た。そして叉、宇宙の動きを観察するより以前のそしてより苦労
北法 1
5
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ぇ、その諸々の事実のつながりを明確にする。したがって、誤り
どに入り組んだ事実状況であるのが常であったものに秩序を与
せん﹂と。要約すれば、コンピューターは、かつてあり得ないほ
所の Qを何んとかしないならば、あなたは Xをすることはできま
次の様に答えるかもしれない。即ち、﹁私が答を出せなくされた
ち、﹁Yそして Zそして W:::﹂ と 。 あ る い は コ ン ピ ュ ー タ ー は
ろうか﹂と。その答えは、すぐさま次の様になって出てくる。即
めて、もし私がXをすると決定するとすれば何が起ってくるであ
することができる o 即 ち 、 ﹁ あ る 種 の 無 数 の 事 実 を 記 憶 に 呼 び 留
ぅ。我々は、コンピューターに次の様な種類の問題について質問
成過程においてコンピューターが演じる役割を理解するであろ
通常、推論することを含んでいると考えるならば、我々は決定形
るのか。
ンピュ iタ lは、以上に述べてきた所のものより以上のものであ
種類の反復性をもった量的諸研究の高度に有能な道具である。コ
では考えられない学問分野である。コンピューターは、あらゆる
と照し合せるのである。情報理論は、今日、コソピュlタ!なし
即ち、機械が学習する仕方を研究し、その結果を人間の学習過程
ことによって、心理学者達に学習過程を研究する手段を与える。
ピューターは、人間と機様の相互作用 (55223) を注目させる
チを押せば良い。そうすれば機械はねむってしまうだろう。コン
と、かできる
警告をくりかえしながら、子供達に理論やフラソス語を教えるこ
しい答を強め誤りを正しそしてしんぼう強く先生が有効と思った
龍の内に投げ棄てることもできるだろう。コンピューターは、正
oも し 、 こ の 様 に し て 学 ぶ の が き ら い な ら え ﹃ ス イ ツ
は極小にされるし、これまではもやもやしていた諸々の可能性は
明るみに出され得る、そしてもくろまれた行動の諸結果は劇的に
※(訳者註日)
社会実験の焦点としてのコンピューター
北法1
5(
2・2
2
3
)
4
3
9
はっきりと示され得るのである。
確かに、コンピューターは以上に述べてきた所のものより以上
ユレ l シ オ ン リ
の平凡なパリエ l シオンを大量生産することができる。作曲家気
のものである。コンピューターは、研究者が諸々の事件の動きの時
HU シ ミ
どりの人は、その様にして得たなかからインスヒレ i シオンを得
E
E
E
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)す
聞のある断片における現実生活状況をシミュレート (
コンピューターは、ほぼ数分間のある音楽旋律についての無数
るかもしれないし、あるいは、そのコンピューターの印字を紙屑
I
介
紹
主題によって与えられる選択の自由の制約は未だきわめてきびし
-計算に非常に時間をかけることが必要である。叉、実験の諸々の
る。その方法論的なむずかしさはこのうえもない。コ γピュ Iタ
る。かかるタイプの研究は、未だ始められたばかりのものであ
段を与える所の、政策的諸問題に関する諸々の決定を行なってい
かを予測する基礎を与えその決定の諸結果を照し合せて調べる手
に直聞しているとともに、研究者にいかなる決定が行なわれるの
2丘 l口一円EXE255ロ)の砲列
配された閉鎖国路テレピジオン(円-
の能力である。個人の諸々の集団は、コンピューターによって支
ールの大きい社会的相互作用をシミュレートするコンピューター
コンピューター研究の一つの局面にたどりついた。それは、スケ
現在使われている。我々は、今やついに、法にとって最も重要な
このようなゴ γピュlタlの能力は現在すでに実在しており、又
ミユレlトされた絵に書かれた姿を導き出すことが可能である。
それは附随する諸装置は、メトロポリタン空港の一九七O年のシ
は変災すら、発見し拭い消す手段を与える。コンピューター及び
る手段を与える。そして、研究者が、その誤り及び誤算をさらに
らかにすることは行なうべきことの一つである。しかし、決定形
における彼等の可能な将来の行動、との聞の諸々の相互関係を明
てすでに厳重にしばられている所の諸状況のある限られた範囲内
の行動と、その可能な諸変化は明らかにされた決定諸法則によっ
(例えばアメリカ合衆国最高裁判所裁判官のような﹀人々の過去
子を予測したいと考えることは望ましいことである。ある一組の
入ってくる高度に専門化されたそして微妙に入り組んだ諸々の因
グノロジlの見地からすれば、ある事件の司法上の決定のなかに
の決定の予測の方法について述べているものではない。今日のテ
的決定であるということを仮定している o恕 は 、 こ こ で 、 司 法 上
とは、あらゆる法的処置(牛石o己 と が あ る 意 味 に お い で あ る 法
仲介となるものをも含めて、最も広い意味で用いている。このこ
という言葉を、あらゆるそれによって法的仕事が行なわれる所の
されることになる。私は、法的決定形成(一。岡山-仏RESH575 問)
状態に到達され得るなら、法的決定形式の経験科学的研究が開始
えるものである。そして、もし社会科学がこのように経験科学的
である。シミユレ l シオ γは、社会学にある真の実験研究室を与
学的なより高次の段階に発展し得る明るい見とおしを与えるもの
パリェ l yオン
グ ヂ ユ ヱ luvオy
ピゾネ λ
いものである。しかし、その道具つまりジミユレlジオンは、社
成の現在の技術と科学は、たまたまある人が A社かあるいは B社
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会科学が現在の経験によるデータ l収集の状態から、宴に経験科
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社会的行動の一般共通面がいかなる程度の蓋然性をもって与えら
たかった。しかし、私は未だ出合ってはいない。現在の関心は、
のこの問題に対する科学的関心が実在していると報告できたらし
o私はいくつか
的決定(戸E E含 日 目 仏25FO
ロ)が科学的な研究の対象にどうしても
理論においてもさらに決定形成の研究者の精神においても、個別
とを知ることは容易である。実際、現在のテクノロジーにおいても
の無限に分岐した諸局面を明らかにする手段は実在していないこ
論においても、たとえ最も単純な法的処置についてさえその処置
仕事を前にしても不十分なものであるから、実務においても又理
かのいずれかの新聞級を買う時になすだろう決定のような単純な
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ろ、現実主義者達(UE口片山口
丘宮毛 o
) に与えた、現実に
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d︿)にとっての一つの規定ではまったくなかった。それはむし
えてみれば、ホームズ判事の有名な言葉は、法の科学(目2250
うとする所のものであると言われることを好まない。実際よく考
何であるかについて助けを求めるが、法とはまさに君が決定しょ
ずかしい事件に取り組んでいる判事は、その仕事を支配する法は
を最も必要としている人即ち裁判官にとって何の効用もない。む
様に、この法の定義は決定的な点で失敗している。それは、それ
的基礎はほとんどない。ロスコ l ・バウンドがしばしば指摘した
なかった。そして、今日においても、かかる見解を裏づける科学
ふけった。しかし、そこにはかかる見解を裏づける科学的基礎は
なうだろうことについての予測以外の何物でもないという空想に
なるだろうということを示す何物もないのである
れた(白羽ロヨ邑)諸規範にしたがうかを明らかにするために考え
行なわれる裁判を研究する素朴な一つのヒントであった。それは
プリスクリア Yオy
られる一般的な実験に基づく諸方法に向けられている。
叉他のいかなる機関により制定された法よりも裁判官によって創
のプログラムにあって、法は諸々のコントロールを、社会科学は
であったことを示すだけである。予測(買え 3
8
) という言葉
うことは、単にそれが当時の最もすぐれた法思考に一致するもの
られた法
私は、私の別の著述において、法と社会科学は社会実験の一つ
モデルをデザインし実行することによって手をにぎり合うであろ
、、、、、
うと述べた。しかし、このことは、個々の事件 (
ELELE-E招)
は当時においては、そして今もまだそうだが、その科学的意味に
白
号2
) を高位に上げることであったとい
における予測とは異なるものである。ほとんど一世紀前、ホウム
おいて理解され得なかったのである。決定理論を裁判所の諸決定
(﹄邑何
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ズ判事 (222宅E
E-zcrzFT) は、法は裁判所が実際行
同
北法 1
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に適用させようとする最近の諸々の努力は、ホームズ判事が白山を
大系が未だ存在しない現在、かかる試みは未だ始められたばかり
きものでもある。決定形式に関する一致した科学的諸原則の︿船戸
ボディ
吹き込んだ法リアリズムにおける諸々の努力よりもより科学的で
のものより以上のものではほとんどありえない。しかし、かかる
モ
チ 17
あるということは、いかなる意味においていわれ得るのであろう
アメリカ合衆国最高裁判所のごとき高度に訓練を積んだ集団の
発育の法の科学を発展させようとするかかる真剣な諸々の努力を
科学的伝統にしたがうものである。したがって、法律家達は、未
試みを行なわせる動機は非難できない。この実行は最もすぐれた
諸々の意見に観取される諸々の因子を収集しようとする試みには
ばかにしてはいけない。はげしいがしかし感激に満ちた批判は実
3 yクタ 1
何ら悪いことはない。そうすれば、諸々の経験則 (
}
q百円﹃包与を
際より良い味がするものである。
能である。研究者がより多く訓練、堅忍不抜そして鋭い眼識をも
てばもつほど、その結果はより良いものになっていくであろう。
しかし、人は、係属中の事件の正しい決定に追いつくために、ア
※(訳者註M)
メリカ合衆国最高裁判所の最近行った公民権 (25
ご
釘E
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) に関
する事件のすべてについて調査した政治学者を信用して良いか
の体系の変化を予測することである。目的とする物理的体系の
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O
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) となる体系
がよく似ている事物を利用して模型 (
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(
ZB) を作り上げ、この体系についての測定や観察によっ‘
て
ヨ他
特性や関係をあらわすような実用的な数式モデルゃ、計算機モ
して物理的な装置を実際に作らなくても、モデルについて実験
デルを作り上げることもシミユレ l シオンの一種である。こう
行史あるいは当事者のいずれか一方の弁護士の方を、 人 が 彼 を
先例がない場合には、過去の一ア l Fを検討することによって、
る。モデルを初めて作る場合、即ちその問題についてモデルの
の類似性から、不慣れな体系の動作状態を予見することができ
ルを作ることにより、慣れた体系の動作状態と二つの体系の問
を行い、最適決定を予見することが可能になる。又数学的モデ
とである。それらは奨励されるべきものであるが叉理解されるべ
諸研究は本当に非常に一試験的(芯ロ互宅内)なものであるというこ
(
註 5)
摘したい点は、そのような裁判所の行動に関するいわゆる科学的
いかによく知っているかによって、 信 用 す る で あ ろ う 。 私 が 指
どうかまようであろう。人はむしろ、裁判所書記官あるいは執
(訳者註お)シミユレ i シオン(丘自己巳宮口)とは、特性又は関係
摘出することができ、将来行なうだろう決定を予測することが可
カ
ミ
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研究の対象となっている体系について今までの動作状態を分析
する。この分析に基づいて一応数学的モデルを作って、これに
現実のデ l Fを代入して検討することによりモデルを修正して
いくのである。したがって、シミュ ν lシオンとは、実験の目
くの読者に知らせることである。つまり、広汎な領域にわたった
決定形成という人間行動の知識の学問なのである、第二に、本稿
は、決定形成の科学的研究も、おそかれはやかれ、法の実務が不
断に決定の諸問題と取り組まなければならないときに遭遇してき
たヂレンマに直面しなければならないことを明らかにしたのであ
的に合う完全な物理体系を作ることが出来ない場合とか、まだ
りたいような場合に、研究と実験の場を提供するものである。
実物が出来ていない体系について最終設計以前に動作状態を知
のである。
現在、科学的決定理論と裁判官による事件の実際の決定との関
係について、二・三の素朴な真相(宮自己可町三ゲ) を要約するこ
とは役に立つであろう。コンピューターで処理された正義がコ l
ナーを取り巻いているという主張に接して驚くのは専門家自身に
ほかならないであろう。そして、もしそうならあるいはさらにそ
れに類似したことが存在するならば、彼等はそれをみたいと思う
であろう。﹁素朴な真相﹂のうち、心に留めるべきことは次の諸
点である。
Eω-RCD
口)に関する一般理論は存在していない。諸々の集団(人
社会科学者の聞にさえ、広く受け入れられた社会行動 (ωDi
私は希望する。即ち、まず第一に、科学的決定理論はますます電
て述べてきたのであるが、本稿、が次の二つのことに仕えることを
日に法と科学を互に接近させるであろう、という希望がでてくる
る。このことから、決定形成に伴なう共通の諸問題がおそからぬ
シミュレ l シオン研究として行われているものには、例えば、
計算機による模擬戦争がある。それは、戦車の設計に関し、各
種の型からどれを選ぶかという問題に対して、実際に戦車を製
造して実験することをしないで、シミュレ l シオンによって最
適の選択に成功したものである。
(訳者註日)アメリカ合衆国最高裁判所、裁判官の公民権に関す
る事件における司法的行動の尺度表分析については、早川武夫
教授による詳細な紹介がある(神戸法学雑誌、第九巻第四号、
員同
民・軍人・牧師・裁判官﹀がなぜ(当}弓)彼等が行なう所のこと
北法1
5(
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2
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四回九頁以下)。
ヲム
以上にみてきたごとく、私は法と科学における決定理論につい
結
子データ処理装置の使用に関心をもってくるという事実をより多
付
J
を行なうことを決定するかについて、だれも知っていない。
ほとんどできていない。
これらのすべてが認められたとLても、未だなぜ法律界のいく
人かの構成長がコンピューターの狂信者の度をこした主張に目覚
) に関する一
個人の人間的な動機づけ (ZESECH宅50ロ
般理論は存在していない。個々人がなぜその行なう所のことを行
めさせられたかは理解しがたい。かかる人々は、新しいそして正
ながらも、幸福感をもってその研究を押し進め、世界を改造しつ
確な道具をもっている。その道具は、彼等が日夜の研究につかれ
いは決定であろうとも、ある個別的な存在 (
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H︿広E-g長可)を
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かる動きに法の﹁一つの世界、 一つの法 (20522一
つあるのだという確信をもつことを許すものである。法律界は、か
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の動きを合わせていくことができるであろう。卒直にいって、そ
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しかし、一般科学理論(問。口問。-mDOE-popgq) は未だ個体を
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A。思考の二通りの方法に関して。
×
のことがなぜ悩ますのかは私にはわからないのではあるが。
吉田) 即ち行動の諸特性を数学的統
因子分析 (F2Rms-
計的テクニックを用いて摘出しそれを結びつけようとする試みは
重要な臨床的応用性をもっている。しかし、それは科学的調査で
はない。それは、実験に基づく検証を受けなければならない所の
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官D
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g門広三 である。
いくつかの仮説を見つけ出すのに役に立つという意味において、
プロ iト・サイエンティフイック
なぜ最高裁判所の過去の諸実行が因子分析にかけられてはいけな
いかという理由は何もない。しかし、我々には、因子分析の結果
をテストするために、あの尊厳な集団を被実験集団にする準備は
×
取り扱うことはできないのである。
術及び応用科学は個体
研究するための初期的な科学装置すら存在していない。諸々の技
人であろうと、出来事であろうと、状態であろうと、ある
なうかについて、だれも知らない。
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改めて本論文より教えられた。しかし、本論文は、その必要性、可能性を論じたに止まり、 し か ら ば 我 々 は 法 の 具 体
的な問題にあたって決定理論をいかに応用しその道具をいかに導入すべきかあるいはし得るのかについては何等解答
を与えるものではなかった。勿論、本論文の目指す所はそこにあるのではなく、我々に問題を提起することにこそ眼
目があったといえる。その意味において、本論文の我々に及ぼす力ははかりしれないものがあろう。強い衝撃と明る
い見通しを与え、大いなる情熱をかきたてるものである。そこで得た一示唆を組み入れ、個々の具体的問題に決定理論
を発展させて導入するのは、 したがって、我々自身なのである。
その時のくるのを一番待ち望んでいるのは司法過程であろう。特に、最近の異常なほどの交通機関の発達により激
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増してきた交通事故に基づく争訟の処理にかかる科学及びテクノロジーの決定理論及びその道具を利用することが考
えられるべきであり、又その効果的な実現可能性がある、 と私には思われる。情報理論、 ゲーム理論、
オンあるいはコンピューター等々はいずれもただ一つの目的、即ち合理的なかっ正確にして迅速な決定のために、そ
のそれぞれの側面からアプローチしているものである。したがって、具体的問題の解決は、決定諸理論のそれぞれの
成果を総合的に検討してはじめて可能になるものである。
私なりの理解で、
導入することの可能性を検討してみた
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を求めて、科学及びテクノロジーの決定諸理論の成果を、
(その試みの第一報は﹃司法上の決定とコムニケ1シオンリ交通事故に基づく業務上過失致死傷事件に対する略式手
続の合理化のために1 ﹄北大法学論集一五巻一号二九頁以下に載せた)。
そのことを付言して、本論文の紹介を終らせたいと思うが、私のたどたどしい紹介のなかから問題をみつけ出して
いただければ幸いである
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