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「献舎人皇子歌」と「舎人皇子御歌」(万葉集巻九)覚え書き

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「献舎人皇子歌」と「舎人皇子御歌」(万葉集巻九)覚え書き
1
本 田:「 献 舎 人皇 子歌 」 と 「舎 人 皇 子 御 歌 」(万 葉集 巻 九)覚 え書 き
①
②
③
︹ ]︺
舎 人 皇 子 御 歌 一首
条本
田
義
寿
43ば た ま の夜 霧 は 立 ち ぬ 衣手 の高 屋 の上 にた な び くま で に (9 ・
一七〇六)
無 心 所 著 歌 二首
我 妹 子 が 額 に生 ふる 双 六 の こ と ひ の牛 の鞍 の上 の瘡 (16・
三 八三八)
我 が 背 子 が た ふさ ぎ に す る つぶ れ 石 の吉 野 の山 に氷 魚 そ さが れ る
(16 ・三八三九)
ヘ
へ
右 歌者 舎 人親 王令 侍 座 日 、或 有 作 無 所 由 之 歌 人者 、 賜以 銭 吊 。
二千 文 給 之 也 。
干 時 大 舎 人 安 倍 朝 臣 子 祖 父 、 乃 作 斯 歌 献 上 。 登時 以所 募 物 銭
ら れ た 例 が み え る 。 題詞 あ る いは左 注 に ﹁献 ﹂ (
献歌 ・献上 ・奉献など)
万 葉 集 中 に は そ の舎 人 皇 子 に献 ぜら れ た 歌 だ け で な く 、他 にも 献 ぜ
とあ り 、舎 人 親 王 (
舎人皇子)に ﹁献 上﹂ さ れ た と み え る。
⑤
歌 集 所 出 で は な いが 巻 一六 の有 由 縁 井 雑 歌 に
と いう の が あ り 、 ① ② ④ は雑 歌 、 ③ は相 聞 と な って いる 、 ま た 人麻 呂
④
出 の ﹁献 舎 人 里 子 歌 ﹂ で あ る 。 そ の舎 人皇 子 に か かわ って、
万 葉 集 巻 九 の ﹁柿 本 朝 臣 人 麻 呂 之 歌集 ﹂ (
以ド ﹁人麻呂歌集 ﹂と賂) 所
﹁献 舎 人 皇 子歌 ﹂ と ﹁舎 人 皇 子 御 歌 ﹂ (
万葉集巻九)覚 え 書 き
献 舎 人 皇 子 歌 二首
妹 が 手 を取 り て ひ き よ ぢ ふ さ手 折 り 我 が かざ す べく花 咲 け る かも
(9 ・一六八三)
春 山 は散 り 過 ぎ ぬ とも 三輪 山 は いま だ ふ ふ めり 君 待 ち か て に (9・
一六八四)
献 舎 人 皇 子 歌 二首[
ふ さ手 折 り 多 武 の山 霧 し げ み かも 細 川 の瀬 に波 の さわ け る (9二
七〇四)
冬 こも り 春 へを 恋 ひ て植 ゑ し 木 の実 にな る 時 を か た 待 つ わ れ ぞ
(9 ・一七〇五)
献 舎 人 皇 子 歌 二首
た ら ち ね の 母 の 命 の 言 に あ らば 年 の緒 長 く頼 み過 ぎ む や (9 ・一
七七四)
泊 瀬 川夕 渡 り 来 て我 妹 子 が 家 の か なと に近 づ き に け り (9 ・一七
七五)
と あ る例 は 次 の と おり であ る。
受 理)
国 文 学 研究 室(昭 和56年9月29日
2
⑧
⑨
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
天皇 遊 猫 内 野 之 時
ヘ
ヘ
ヘ
へ
ヘ
へ
⋮(
略 )⋮
ヘ
ヘ
へ
中 皇 命使 間 人連 老 献 歌 (1 ・三、四)
し
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
(3 .二 一
二五)
へ
へ
献 忍
葬河嶋皇子 越智野之時、 献泊瀬部皇女 歌
柿 本 朝 臣 人 麻 呂 献泊 瀬 部皇 女 忍坂 部皇 子 歌 一首 井 短 歌 (2・一九
四、 一九五)
⋮(
略)⋮
ヘ
柿 本 朝 臣 人麻 呂 作 歌 一首 の左 注)右 或 本 云
(
同右左注)右 或本 日
ヘ
へ
へ
ヘ
山上憶良
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
⋮(
略 )⋮
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
古歳漸晩
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
(5 .八九 四 ∼ 八 九 六)
償有 此集 之巾
ヘ
ヘ
ヘ
へ
ヘ
ヘ
へ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
へ
ヘ
へ
争 発 念 心 々和 古 体
理宜共尽古情 同唱古歌 故 擬此趣轍
ヘ
風流 意 気之 士
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
へ
へ
へ
怨恨
ヘ
へ
柳 作 斯 歌 献 上 (16 ・三 八〇 九)
献 新 田 部 親 王 歌 一首 ︿未詳﹀ (
16 ・三八三五
無 心 所 著 歌 (の左注)← ⑤
⑳
(
冬 日幸子靱負御井之時
歌 専轍吟詠也)
⑳
へ
⋮略 ⋮ホ乃婦人作此戯
於是諸命婦等不堪作歌
而此
因 以此 日太 上 天 皇 勅 侍 嬬 等 日
内命婦石川朝臣応詔賦雪歌 一首 の左注) 子 時
⑳
ヘ
水 主 内 親 王寝 膳 不 安 累 日不 参
(20 ・四四三九)
為 遣 水 主 内 親 王賦 雪 作 歌 奉 献者
石 川 命 婦 独 作 此 歌奏 之
以上 の よう に⑥ ∼ ⑳ の 二十 一例 が認 めら れ る。 そ の中 で ⑧ の例 は⑦ の
例 の ﹁或 本 日﹂ であ る 点 か ら は 、大 体 二十 例 と し ても よ い であ ろう 。
そ れら の巾 で、 十 例 が 柿 本 人 麻 呂 の作 歌 あ る いは 人 麻 呂 歌 集 所出 の例
であ る こと は 注 目 に価 す る 。 し かも そ の中 で ⑨ の例 が 題 詞 に ﹁天 皇 御
遊 雷 岳 之 時 ﹂ と あ り 、 左 注 に ﹁献 忍 壁 皇 子 ﹂ (3 .二一
二五) とあ る疑 問
を 除 け ば 、 他 の九 例 は す べて皇 子 皇 女 に ﹁献 ﹂ ぜ ら れ て いる の であ る 。
そ の中 で 七例 が 巻 九 に集 中 す る。 忍 壁皇 子 に 一例 、 舎 人 皇 子 に三 例 、
弓 削 皇 子 に三例 が そ れ で あり 、 そ れ ぞ れ に問 題 を含 ん で は い るが 、 舎
人皇 子 に つ いて は ﹁無 心 所 著 歌 ﹂ (16 ・三八三八、三八三九、⑤) の 左 注
に み え る よ う に 、遊 戯 的 に歌 を 作 る こ と に懸 賞 を つけ た り す る こ とが
み え て、 他 の皇 子 と は や や 異 った側 面 が 認 め ら れ る 。 小考は そ う いう
こ と を手 が かり にす れば 、 ﹁献 舎 人皇 子 歌 ﹂ と あ る 歌 群 の背景 が お ぼ
時有所幸娘子也
寵 薄 之 後 還 賜 寄物
於是娘子
ま た 口 本 紀 編纂 の総 裁 とも いう べき 地 位 (
養老四年五月) にあ った 。 こ
年)で あ り 、新 田 部 親 王 と と も に皇 太 子 を 輔 佐 (元正続紀養老三年 一〇月)、
舎 人 皇 子 は 天武 天 皇 と 新 田部 皇 女 と の間 に 生 ま れ た 皇 子 (
天武紀 二
︹二 ︺
人麻呂歌集)
へ
へ
献 舎 人 皇 子 歌 二首 (9 . 一六 八 三、 一六 八四
ヘ
ヘ
ろげ なが ら も み え てく る ので は な いか と思 った 、 そ の覚 え書 き で あ る。
ヘ
ヘ
人麻 呂 歌 集 )
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
献 弓 削 皇 子 歌 三首 (
9 . 一七 〇 一∼ 一七〇 三
ヘ
ヘ
人麻呂歌集)
へ
へ
(
左 圧)右 伝 云
献 舎 人 皇 子 歌 二首 (
9 .一七七四、 一七七五 人麻呂歌集)
献 弓 削 皇 子 歌 一首ス9 . 一七 七 三 人麻呂歌集)
へ
献 弓 削 皇 子 歌 一首 (
9 . 一七 〇九
人麻呂歌集)
献 舎 人 皇 子 歌 二首 (
9 .一七 〇四 、 一七 〇 五
ヘ
献 忍壁 皇 子 歌 一首 く詠仙人形V(9 ・一六八二 人麻呂歌集)
ヘ
(6 ・一〇 一一、 一〇 一二)
献 古 曲 二節
比来古僻盛興
冬十 二月十 二日 歌擁所之諸 王臣子等集葛井連広成家宴歌 二首
日
(好 去好 来 歌 一首 反 歌 二首 の左 注 )天 平 五 年 三 月 一日 良 宅 対 面 献 三
献 天 皇 歌 二 首 く大 伴坂 上郎 女 在 春 日 里作 也 V (4 ・七 二五 、 七 二 六)
献 天 皇 歌 一首 ︿大 伴坂上郎女在佐保 宅作也﹀ (4 .七 二 一)
八代 女 王献 天 皇 歌 一首 (
4 .六二六)
柿 本 朝 臣 人 麻 呂 献 新 田 部 皇 子 歌 一首 井 短 歌 (3.二六 一、二六二)
壁 皇 子也
(
天 皇 御 遊 雷岳 之時
也
O
⑭ ⑱ ⑫ ⑪ ⑩
⑯
⑳ ⑳ ⑳ ⑳ ⑲ ⑱ ⑰ ⑯
一
第10j,'一
要〔
糸己
大e艶
卦乏
芳ミ
3
「献舎人皇 子歌」 と 「舎人皇 子御 歌」(万 葉集巻九)覚 え書 き
本田
れ ら の こと は 舎 人皇 子 の 日常 の周 辺 を推 測 す る手 が かり と な る であ ろ
う 。新 田 部 親 王 と の関 係 は ﹁献 新 田部 親 王 歌 一首 ︿未詳﹀﹂ (
16 ・三八
三五⑳)
勝 間 田 の池 は わ れ知 る蓮 な し然 言 ふ 君が 髪 な き ごと し
と あ り そ の左 注 に 、
新 田部 親 王出 遊 干 堵 裏 御 見 勝 間 田之 池 感 緒 御 心
今 日遊 行 見 勝 間 田池
ホ 乃 婦 人 作 此 戯ヘ歌へ 専 轍
於時語婦人 日
何 怜 断 腸 不可 得 言
還自彼池不忍怜愛
右 或有 人聞 之 日
之中
水 影 濤 々 蓮 花灼 々
吟詠也
一二年正月)
、凡 そ諸 の 歌男 .歌女 ・笛 吹 く 者 は 、 即 ち 己 が 子孫 に伝 へて、 歌 笛
・鼓 吹 を発 し て葬 る。 (
同 一二年六月)
を習 は し め よ 、 (
同 一四年九月)
月)
・侶 優 等 に禄 賜 ふ こ と差 有 り 。 亦 歌 人等 に抱 袴 を 賜 ふ 。 (
朱鳥元年正
った。 そう み る と舎 人 皇 子 が ﹁無 心 所 著 歌﹂ に懸 賞 を つけ た こ とも 唐
等 の記 事 に み え る よう に、 歌 舞 音 曲 等 の 芸能 を奨 励 育 成 し だ 天 皇 で あ
突 で は な いと い え る であ ろう 。 そ の 一方 で は 日本 紀 編 纂 の大任 を 成 し
遂 げ て い る の であ る。 遊 戯 性 は 遊 戯 性 と し 、芸 能 性は 芸 能 性 と し て戴
然 と意 識 的 に区 分 され て いた であ ろ う こ とも 想 像 に難 く な い。 人 麻呂
と あ る よ う な、 ﹁戯 歌 ﹂ を 楽 しむ こ と の でき る人 々と の関 係 でも あ っ
た こと を 暗 示 す る。 そ の こと は舎 人 皇 子 が ﹁無 心 所 著 歌 ﹂ に懸 賞 を つ
歌 集 所 出 ﹁献 舎 人 皇 子 歌 ﹂ は 、 そ う いう舎 人 皇 子 に献 ぜ ら れ て いる の
そ の他 の ﹁献 ﹂ ぜ ら れ た 歌 の場 合も 、多 く は遊 戯 的 ・芸 能 的 な様 相
け た こ と とも 無 縁 で はな い であ ろう 。 ま た 日 本 紀 編 纂 の総 裁 であ った
を 含 ん で いる と も いえ る であ ろ う 。小 島 憲 之 博 士 が 万 葉 集 にお け る戯
であ る 。
ろう 稿 本 を 通 覧 し た であ ろう こと も 推 測 でき る 。 そ の善 言 集 の稿 本 が
歌 や 巻 十 六 の ﹁あ そ び の文学 ﹂ に ふれ て、
と い う点 から は、 善 言 集 と でも いう べき 、 日 本 紀 の資 料 と な った であ
であ る こと を 思 えば 、 伝 承 が 単 に言 語 詞 章 だ け のも の で な く 、 劇的 所
萬 葉 文 學 の典 的 流 れ よ り み て 、戯 歌が 個 人 より 相 互 關 係 へ、更 に
志 貴 皇 子 を 筆 頭 と す る ﹁撰 善 言 司﹂ (
持統紀 三年六月)の 編集 に よ るも の
作 と 製 .し た 伝 承 と し て 芸 能 的 に整 序 、
、れ て いた で あ ろ う こ とも 考 え
ま た 文 學 集 團 の座 へと流 れ て ゆ く黙 に、 そ の文 學 的 展 開 を み るも
(2 )
ら れ る 、 そ う いう点 か ら す れば 舎 人皇 子 の 日常 の周 辺 に は 、遊 戯 的 な
の と 云 へる 。
と 述 べて お ら れ る こ とも 、
萬 葉 ら しく て よ い﹂ と述 べて おら れ る よ う に 、 ﹁親 愛 感 ﹂ を ﹁風 流 ﹂
(3 )
つ いて澤 潟 久 孝 博 士が ﹁天皇 に封 す る親 愛 感 と 率 直 な表 現が さす が に
とも あ る よ う に 、 ﹁献 ﹂ は ﹁風 流 ﹂ と も か か わ る の で あ る。 こ の歌 に
(4 ・七二 一、⑫献天皇歌、大伴坂 上郎女)
あ し ひき の山 に し居 れば 風 流 な み我 が す る わざ を とが めた ま ふな
みや び
含 ん で今 の場 合 に あ て て考 え る こ とが でき る であ ろ う 。
﹁献 新 田 部 親 王 歌 ﹂ (16 ・三 八 三 五) な ど を
側 面 や 芸能 的 な側 面 が ご く身 近 に あ った と考 え て よ い であ ろう 。 し か
も 舎 人皇 子 の父 天武 は 、
た てま つ
。所 部 の 百 姓 の 能 く 歌 ふ 男 女 、 及 び 條 儒 ・伎 人 を 選 び て 貢 上 れ 。
(
天 武 紀 四 年 二月 )
(
同
。(
天 皇 )試 に 鼓 吹 の 声 を 発 し た ま ふ 。 侃 り て 調 へ習 は し む 。 (
同 一〇
年三月)
・種 々 の 楽 を 奏 す 。 (同 一〇年 九月 、 = 年 七月 )
。小 墾 田 擁 及 び 高 麗 ・百 済 ・新 羅 、 三 国 の 楽 を 庭 の 中 に 奏 る 。
4
要
大
第10号
学 紀
艮
ノ父
ノ:J、
ら れ よ う 。 人 麻 呂 が 天 皇 に では な く皇 子皇 女 にの み ﹁献﹂ じ た のも 、
によ って象 徴 的 に表 現 す る と こ ろ に、 ﹁献 ﹂ の実 体 が あ った とも 考 え
(20 .四四三九左注 ⑳)と あ る のも 、 病 に臥 す 内 親 王 への親 愛 の情 感 に
の こ と を暗 示 す る 。 内 命 婦 石 川 の ﹁為 遣水 主内 親 王賦 雪 作 歌 奉 献 ﹂
(
あ るいは忍坂部 皇子をも含んで) の心 情 の 代 作的 な表 現 であ る こと も そ
へ
そ う いう 親 愛 感 とか か わ る の であ ろう か 。 現実 を 現実 と し て 写実 的 に
いわば ﹁献 ﹂ とあ る歌 は相 互 の 親愛 感 の 上 に なり た つ敬 愛 の心 情 を 基
支 え ら れ 、ま た石 川 と (
元正)天 皇 と の親 近 性 も 重 な る の であ ろ う 。
底 にも ち 、素 材 を ﹁風 流 ﹂ に つつみ こ ん で 歌 わ れ る交 歓 の歌 で あ った
ヘ
って ﹁献 ﹂ ず る 歌 と な り 得 た の であ ろ う 。 ﹁歌 憐 所 之諸 王臣 子等 集 葛
表 現 す れ ば よ い と いう の では な く 、 そ こ に ﹁風流 ﹂ を重 ね る こと に よ
井 連 広 成家 宴 歌 ﹂ (6 .一〇 = 、 一〇 一二、⑮)にも み え る よう に、 ﹁歌
と いう こ とが でき る であ ろう 。
ら れ 、 ﹁献 上 ﹂ され た 歌 に ﹁所募 物 銭 二千 文 ﹂ が 給 さ れ た の であ る。
さ れ たも の であ る。 ﹁或 有 作無 所由 之 歌 者 、 賜 以 銭 吊﹂ と懸 賞 が かけ
﹁無 心 所 著 歌 ﹂ (16 .三八三八、三 八三九 ⑤) は舎 人 親 王 に ﹁献 上﹂
侮 所 之諸 王臣 子 等 ﹂ 、 ﹁風 流意 気 之 士﹂ が ﹁古 憐﹂ ﹁古 歌﹂ に か かわ
宴 にお け る 風流 な る も のと し て 古体 に和 し た はず な の で あ る 。 ﹁古 曲
そ れら の こ と に ついて 澤 潟博 士が
り ﹁古体 ﹂ に和 し て いる の であ る 。古 憐 ・古 歌 の そ の ま ま で は な く、
二節 ﹂ を ﹁献 ﹂ じ た と いう 場 は 、小 島 博 士 の述 べて お ら れ る よ う な、
⋮ ⋮意 味 の無 い歌 のや う であ るが 、 た だ 無意 味 な 歌 でな く 、 部分
へ
い。 し かも な お そ こ に は ﹁風流 な み我 が す る わざ ﹂ と あ る ﹁風 流 ﹂ あ
部 分 を とれ ば 關 係 が あ り さ う で、 そ の實 、 意表 を つぎ つぎ と つい
ヘ
文学 的集 団 の 座 にお け る 文学 的 展 開 を 必然 と し た場 で あ った に違 い な
る ﹁わざ ﹂ や 、 ﹁風流 意 気 之 士 ﹂ の 歌舞 な ど の芸 能 的 な様 相 も 必 然 的
白 さが あ る と こ ろ に懸賞 の便 値 が あ ると い ふ事 に なら う 。
(7 )
て行 く 歌 でな いか 、 と 橋本 君 は云 はれ る 。 そ の意 表 の つき 方 に面
へ
に重 な る の であ る。
ヘ
と述 べ て おら れ る と ころ であ り 、 ﹁男 女 の問 答 歌 の やう にし た 作者 の
そ う い う見 方 をす れば ﹁天 皇 遊 鶉 内 野 之 時 中 皇 命 使 間 人 連 老 献 歌 ﹂
(
記 ・志都
技 巧 ﹂ に面 自 さ を求 め て おら れ る ので あ る が 、 ﹁な ほ考 ふ べき であ ら
(4 )
(1 ・三、四 ⑥)も 、 雄 略 と 哀 析比 売 の伝 承 に み え る原 歌謡
ヘ
ヘ
ヘ
へ
ヘ
ヘ
へ
ヘ
へ
左手捧膓右手持水
へ
﹁⋮ 不 肯 宴
撃之王膝而詠此 歌
楽 飲 終 口 ﹂ (一
.
一
八 〇七 左 注) が あ り 、 口 に 歌 う こ と や ﹁宴
ヘ
風流娘子
左 注 等 に み え る と こ ろ で も 、 ﹁裁 歌 口 号 ﹂ (
三 八 〇 四題 ) や
ヘ
実 際 で あ った こ とも 考 えて よ い の では な いだ ろ うか 。 巻 十 六 の 題詞 ・
歌 を 口 で読 む の で は な く、 声 に出 し て 歌 わ れ たも のを 聞 く と いう のが
う ﹂ と し て お ら れ る の であ る。 これ ら の 歌が 、概 し て言 え ば 書 か れ た
(6 )
歌) の祝 祭 にか か わ る舞 唱 曲 の印 象 を含 み つ つ、 あ る象 徴 的 な香 気 を
(5 )
持 ち 、 本 田 義 憲 が 指 摘 し た よう に ﹁長 歌 の宿 命 であ る 形 式 を 充 た し た
美 し さ﹂ を 持 つが ゆ え に、 反 歌 の母 音 の ひび き の快 さを も 重 ね て ﹁献
歌 ﹂ であ り 得 た と いえ る であ ろ う 。中 皇 命 に ついて は さ だ か でな いに
楽
し ても 、 中 皇 命 と 天 皇 と いう 関係 は 、 人麻 呂 と 天皇 と の 関係 に は認 め
ら れ な い親 近 感 を含 む で あ ろ う 、 そ の 関係 も ま た 歌 を ﹁献 ﹂ ず る と い
小乃王意解
於是有前采女
う 条 件 にか か わ って いた よ う に思 わ れ る の で あ る 。
楽﹂ の様 子 が みえ 、 そ の ﹁風流 娘子 ﹂ の所 作 と歌 と によ って ﹁楽 飲 終
目 ﹂ であ った こと が み え る 。 ﹁墨 江之 小 集 楽 ﹂ (三八〇八) の ﹁野 遊 ﹂
(2 ・一九四、 一九五
⑦) は 挽 歌 で は あ るが 賭 宮 の そ れ で は なく 、 いわ ば 私 的 な 弔慰 の歌 と
も 同 様 に考 え てよ い であ ろ う .
﹁柿本 朝臣 人麻 呂 献 泊 瀬 部皇 女 忍坂 部 皇 子 歌 ﹂
し て 親 し く ﹁献 ﹂ ぜ ら れ た の であ ろう 。 そ の言 語 詞 章 が 、 泊 瀬 部 皇 女
5
「献舎人皇子歌」 と 「舎人皇子御歌」(万 葉集巻九)覚 え書 き
本田
左注)
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
・穂 積 親 王宴 飲 之 日
ヘ
ヘ
ヘ
酒酪之時
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
へ
ヘ
へ
以為 恒 賞 也
ヘ
ヘ
(
三 八 一六
(
三 八三
左注)
以為 常 行 也 (
三 八 一八 左注)
好 諦斯 歌
ヘ
ヘ
ヘ
左注 ⑳)
弾 琴 而即 先 諦 此 歌
ヘ
ヘ
・河 村 王宴 居 之 時
ヘ
ヘ
取琴 登時 必先 吟 詠 此 歌也 (三八二〇
ヘ
諸 人酒 酬 歌 擁 酪 鐸 ⋮ ⋮
へ
・小 鯛 王宴 居 之 日
ヘ
⋮ ⋮饗 宴 ⋮ ⋮
・圷 乃婦 人 作 此 戯 歌専 轍 吟 詠 也 (一
一
天 三五
ヘ
・多 能 歌 作 之 芸 也
七 左注)
皆 川 達 夫 氏 が 西洋 音 楽 の バ ロ ック期 に おけ る 歌 劇 に つい て述 べら れ た
よ う に 、 あ れ こ れ を借 り て き ても っとも ら し い新 し い筋 を 思 わ せ る
﹁つぎ は ぎ オ ペ ラ﹂ (勺oωユ090) ほ ど極 端 で は な い にし ても 、 オ ペ ラ
が そ の 場 か ぎり の楽 し み の た め のも ので あり 、 一切 の理 窟 抜 き で搦 々
と 流 れ る な め ら か な旋 律 美 を強 調 す る美 し い歌 (
bdΦ一8 口8)の旋 律 に
(9 )
ひた り き れば よ い の で あり 、物 語 の進 行 と か作 曲 者 の名 前 な ど は 二の
次 、 三 の 次 の問 題 で あ った と いう こ とは 興味 深 い指 摘 であ る 。 ﹁無 心
いた と類 推 す る こ とも でき る の で はな いだ ろ う か。 ﹁無 心 所 著 歌﹂ が
へ
所 著 歌﹂ の面 臼 さ は声 楽 曲 と し て の美 し い歌 であ る こ とが 要 求 さ れ て
ヘ
男 女 の問 答 歌 の よ う な様 相 を示 し て いる こ とも 、 個 人 的 な 感情 表 現 の
ヘ
左注) な ども あ り 、 題 詞 ・左 注 等 に ﹁口 吟 ﹂ な ど の説 明 は な く ても 、
相 聞 で は なく 、男 であ り 女 であ る と いう類 型的 な約 束 に従 って 、男 女
ヘ
﹁乞 食 者 詠 ﹂ (
三 八八五、三八八六)な ど のよ う に、 言 語 詞章 の み な らず
の対 応 す る美 し い歌 を意 図 し たも の であ った の かも し れ な いと 思 わ れ
ヘ
な ど と も あ って 、 そ の 後 に こ の ﹁無 心 所 著 歌 ﹂ が み え る の で あ る 。 ま
劇 的 所 作 も 融 合 し て いた で あ ろ う も の が 認 め ら れ る の で あ る 。 こ う い
る の で あ る。 小 山 内 薫 氏 が 近 代 のも ので は あ るが 実 例 を あ げ て お ら れ
ヘ
た ﹁高 声吟 詠 此 歌﹂ (三八五七左注)、 ﹁聯 作 此 歌 口 吟為 喩 也 ﹂ (三 八七八
う 点 か ら す れ ば ﹁無 心 所 著 歌 ﹂ も ま た そ の系 列 のも の で あ る と考 え て
(
幻ΦO一
叶
鋤梓一
くO) に対 応 す
る よ う に 、聴 衆 を感 動 さ せ る た め に は名 人 芸 が あ り さ えす れ ば よ く 、
そ の 上 に 、 短 歌 の 形 式 が長 歌 形 式 の叙 唱性
美 し い歌 の競 演 の主 査 で あ った の かも し れ な い。 懸 賞 が ﹁所 募 物 銭 二
の要 求 で あ った の かも し れず 、舎 人 皇 子 は そ れ に か か わ る歌 唱 技 術 、
い。 ﹁無 心所 著 ﹂ ﹁無 所 由 ﹂ と いう のは そ う いう言 語 詞 章 であ る こ と
台 詞 は 掛算 の 九 九 や食 堂 の メ ニ ュー でも よ か った と いう こ とも 興味 深
よ いで あ ろ う 。
(8 )
の面 白 さ ば か り で な く 、 声楽 曲 と し て の 側 面 も ま た考 慮 さ れ て よ いの
期 で あ る こ と を 思 え ば 、 この ﹁無 心 所 著 歌 ﹂ も 単 に言語 詞章 の続 き方
上 ﹂ し た ﹁大 舎 人 安倍 朝臣 子 祖 父 ﹂ が ど のよ う な 人 で あ った のか は さ
千 文 ﹂ と い う相 当 高 額 で あ った こ とも そ れ を暗 示 す る。 こ の歌 を ﹁献
る詠 唱 (
﹀ユロ) と し て の位 置 を 、 ほ と ん ど 確 立 し て いた と 思 わ れ る時
﹁侶 優 等 に禄 賜
で は な いか と 思 わ れ る の で あ る 。 ﹁所 部 の 百 姓 の 能 く 歌 ふ男 女 、及 び
條 儒 ・伎人 ﹂ (
天武紀四年) を選 ぶ こ とも 既 に行 わ れ、
﹁献 ﹂ は 親愛 な相 互 関係 の中 で敬 愛 の情 を ﹁風 流 ﹂ に表 現 す る場 のも
舎 人皇 子 の周 辺 と 、 ﹁献 ﹂ と あ る歌 の場 を 空 想的 に描 い て み た 。
だ か で な いが 、 ﹁大舎 人﹂ で あ った こ とを 思 えば 、 こ の よう な 歌 唱 あ
に か か わ る な らば 、 公 的 な ハ レ (晴)の 場 のも のに対 し て 、 比 較 的 自
の で あ り 、遊 戯 性 ・音 楽 性 ・芸能 性 など を 総 合 的 に含 むも の であ ろう
る いは舞 唱 の習 練 を つみ え た であ ろ う と思 わ れ る の であ る。
由 に舞 唱 し得 た の で は な いだ ろ う か。 そ の舞 唱 に あ た って最 大 公約 数
と いう こと で あ る 。 そ し て舎 人皇 子 はそ こ に大 き く か か わ って いた の
ふ﹂ (
朱鳥元年)こ とも 既 にあ った 。 そ の 歌 う 男 女 や 侶優 の実 体 は さだ
的 な約 束 は あ った に し ても 、 そ の範 囲 の中 で な らば 舞 喝 者 の即 興 性 あ
か で な いに し ても 、前 に述 べた よ う に ﹁献 ﹂ の 場 が 親愛 感 や ﹁風 流 ﹂
る いは即 寛 性 が許 容 さ れ た で あ ろ う し 、 む し ろ要 求 さ れ た であ ろ う。
6
要
紀
良
奈
第10号
学
大
纂 者 の文 芸 観 にか か わ る で あ ろう 。 こ の 歌 の前 にあ る ﹁献 弓 削皇 子
こ の ﹁献 舎 人皇 子 歌 二首 ﹂ は、 第 一首 目が 女 の歌 、 第 二首 目 が そ れ に
で あ ろ う。
歌 ﹂ (一七七三)は 一首 だ け であ って 、 ﹁献 ﹂ に な お問 題 を 残 し は す る
応 ず る男 の 歌 の様 相 を示 し、 あ る女 性 と舎 人 皇 子 と の相 聞 で は な い。
が 、 いわ ゆ る相 聞 の 一首 であ る と み る こ とも でき る であ ろ う 。 し か し
万 葉 集 巻 九 の人 麻 呂 歌 集 所 出 の ﹁献 舎 人 皇 子 歌﹂ 群 (①②③) は ど
︹三 冒
う であ ろ う。 こ の献 歌 群 が 同 じ 箇 所 に配 列 さ れな か った の は 、森 淳 司
舎 人 皇 子 以 外 の男 女 の相 聞 を 舎 人皇 子 に ﹁献 ﹂ じ て いる の で あ る。 そ
そ れ な ら ば 具体 的 に ど う み る こ とが でき る で あ ろ う。 第 一群 第 一首
さ れた であ ろう こと と も 類推 的 な の であ る 。
か わ る伝 承 が 、 そ の 二人 に扮 す る舞 唱 者 (海人語部らか) に よ って舞 唱
い であ ろ う 。 そ う いう 点 か ら み れば 、前 に述 べた 雄略 と衰 仔 比 売 にか
であ る。 第 一首 目 は男 の歌 、第 二首 目 はそ れ に応 ず る女 の歌 と み てよ
の こ と は雑 歌 に みえ る 第 一群 (一六八三、 一六八四 ①)に お い ても 同 様
氏 が 要 約 さ れ たよ う に、
(11 )
そ れ は おそ ら く 、 時 を 異 に し たり 、他 の何 ら か の事 由 が そ こ には
介 在 し て かく 収 めら れ る こ と に な った の であ ろ う 。
と いう べき であ ろう し 、 ま た原 資 料 の切 り 継 ぎ が あ った こ とも 認 め な
け れば な ら な い であ ろう 。 そ う いう 点 か ら す れ ば こ の三群 は そ れ ぞ れ
別 の時 に ﹁献 ﹂ ぜ ら れ た も の であ る のか も し れ ず 、 あ る いは 人 麻 呂 歌
集 ま た は 原 資 料 に 一箇 所 にあ った と し て も 、巻 九編 纂 者 の意 図 に よ っ
(13 )
目 の ﹁妹 が 手 を 取 り て ひき よ ぢ﹂ に つい て、 ﹁序 の 用法 にし ても如 何
毎歳春秋
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
携手 登 望
ヘ
ヘ
ヘ
楽飲歌舞
へ
にも 低 俗 で あ り 、 ヒキ ヨヂ の如 き は煩 項 にた へぬ句 で あ る﹂ (
私 注) な
て切 り 継 が れた も の であ る のか も し れ な いの で あ る 。 同 じ く巻 九 所載
ヘ
ど と い わ れ る に し て も 、 ﹁妹 が 手 を 取 る ﹂ (
3 ・三 八 五) ﹁仙 柘 枝 歌 ﹂
ヘ
の高 橋 虫 麻 呂 歌 集 所 出 の ﹁詠 上 総末 珠 名 娘 子﹂ ﹁詠 水 江浦 嶋子 ﹂ ﹁詠
ヘ
勝 鹿 真 間 娘 子 ﹂ ﹁見 菟原 処 女 墓 歌 ﹂ が 、前 二首 は雑 歌 、後 二首 は穐 歌
ヘ
提酒抱琴
(の内 )の 場 面 や 、 ﹁杵 島 が 岳 ﹂ (
肥 前 国風 土 記 逸文 ) の
郷間士女
と し て採 録 され て いる こと も類 推 的 で あ ろ う。 こ れ らが 虫 麻 呂 歌集 あ
る いは原 資 料 にど のよ う な順 で 記載 さ れ て いた か は さだ か で な い に し
と あ る場 面 は そ の まま に重 ね ら れ る で あ ろ う 。続 い て ﹁ふ さ手 折 り 我
ヘ
ヘ
へ
ヘ
抹手折
ヘ
小鈴もゆらに
枝も と を を に
ま き持 て る
わ
手
が か ざ す ﹂ と こ ろも 、 ﹁ふさ 手 折 ﹂ の原 文 ﹁球 手 折﹂ が 集 中 三例 で あ
(2
1)
伝説
愛 のか な し み﹂ と でも いう べき組 曲 を構 成 す る四 部 作 であ った
ても 、作 者 であ ろ う虫 麻 呂 の意 図 とし て は、 ﹁古 代 民 俗 的 舞 踊 劇
秋 のも み ち葉
組曲
⋮ ⋮ みつ 枝 さす
ヘ
ヘ
へ
り 、内 二例 が ﹁献 舎 人 皇 子歌 ﹂ 群 にみ え 、他 の 一例 は
ヘ
ヘ
﹁花 さ け る ﹂ 春 の 場 を 謳 歌 す る 。
き よ ぢ て ﹂ 、 ﹁ふ さ 手 折 り ﹂ ﹁か ざ す ﹂ 慣 習 が 第 一首 目 の 背 景 と な り 、
と み え る の で あ る 。 こ う み る と 婚 姻 に か か わ って ﹁も み ち 葉 ﹂ を ﹁ひ
君 が か ざ し に (13 ・三 二 二三)
ヘ
ひき よ ぢ て
ヘ
は ず な の で あ る ﹁献 舎 人 皇 子 歌﹂ 三群 も 同 様 に考 え る こ とが でき る の
で は な か ろ う か。 巻 九 はも と より 、人 麻 呂 歌 集 あ る い は原 資 料 の記 載
れ は持 ち て行 く
99 女 にわ れ はあ れど も
ヘ
順 ま でも 、極 端 に いえ は ど う あ っても 差 し支 え は な い と い え る の で は
ヘ
な か ろ う か 。 いわ は舎 人 皇 .
寸の 主 題 に よ る組 曲 を構 成 す る意 図 が 、 こ
の三群 の背 景 に認 め ら れ る か ど う かが 問 題 な の であ る。
﹁献 舎 人皇 子 歌﹂ 三群 は冒 頭 に記 し た と おり 、 第 三群 (
9 ・一七七四、
一七七五 ③) だ け が 相 聞 とし て 採 録 さ れ て い る。 そ の こ とも 巻 九編
7
ヘ
ヘ
ヘ
へ
赤 れ る嬢 子
いざ さ かば 良
﹁いまだ ふ ふめ り 君待 ち か て に﹂
第 二首 目 (一六八四) に つい ては ﹁寓 意 のあ る歌 であ ろう が 未 詳 ﹂
(14 )
(
小学館本)とあ る と こ ろ であ るが 、
ヘ
ふ ほ ごも り
は ﹁君待 ち か て に﹂ を ﹁ふ ふ めり ﹂ と具 体 化 す る 。
中 つ枝 の
(
応神紀 コニ年)
⋮ ⋮ 三栗 の
な
そ の こ と は万 葉 集 巻 頭 歌
(18 )
(1 . 一、雄 略 ) の 場 合 と も 同 様 で あ ろ う 。 神
武 の皇 后 選 定 にか かわ る伝 承 の構 成 も 類 推 的 に 思 わ れ る。 求 婚 と 婚約
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
一宿 御 寝 坐 也﹂ (
記神
の成 立 に つい ては 歌 謡 を 残 し な が ら 、最 も 重 要 な結 婚 に ついて は 地 の
文 にわ ず か に ﹁天 皇 幸 行 其 伊 須 気 余 理比 売許
武 ) と 記 す にと ど ま る ので あ る 。 いわば そ の部 分 は 聖 な る 秘儀 な の で
第 二群 第 一首 目 (一七〇四)は 、 ﹁抹 手 折 ﹂ 三 例 の中 の 一例 を含 ん で
る。
い る。 こ の例 が 枕 詞 であ る にし ても 、 ﹁こ の 二群 の献 歌 が意 図的 な対
芦原 の し け し き小 屋 に菅 畳 いや さ や敷 き て我 が 二人 寝 し (
神武)
し て異 例 であ る ﹁舎 人 皇 子 御 歌 一首 ﹂ (一七〇六 ④)が 、第 二群 に続
そ の よ う に み る と、 巻 九 の人 麻 呂 歌 集 所 出 歌 と し て は作 者 名 を 明記
と結 婚 の 喜 び を披 露 す る 歌 を記 す の であ る 。
応 を も つこと を 示 す ﹂ (新潮本) と いわ れ て いる こと は動 か し 難 いであ
い て採 録 さ れ て い る こ とも 意 味 を も って いる よ う に思 わ れ る 。 ﹁ぬば
へ
ろう 。 古 く 狭 井 川 の雲 や 木 の葉 のさ や ぎ を ﹁風吹 か む と﹂ す る 前 兆
たま の夜 霧 ﹂ が ﹁ふ さ手 折 り 多 武 の山 霧﹂ に応 じ て歌 わ れ た で あ ろ う
ヘ
(
記神武) と し て、 事 件 の起 る こと を 颯 す る物 語 歌も 歌 わ れ て い た。 そ
こ とも 指 摘 (
新潮本)され て いる と こ ろで あ る。 ﹁衣 手 の高 屋 ﹂ は 二人
(17 )
う いう こ と を 思 え ば 、 ﹁多武 の山 霧 ﹂ 深 き あ たり 、 ﹁細 川 の瀬 に﹂ さ
へ
の共 歓 の場 を 歌 った 神武 の場 合 と 類 型的 で あり 、 ﹁衣 手 の﹂ が 枕詞 で
へ
わ ぐ 波 と とも に 、 ﹁ふさ手 折 り﹂ かざ す 期 待 と不 安 と に胸 さわ ぎ した
ヘ
示 す る 。 ﹁高 屋 ﹂ が 地名 であ る のか ﹁高 ﹂ ﹁屋 ﹂ であ る のか あ いま い
情 景 と し て ﹁た な び く ﹂ ﹁夜 霧 ﹂ に深 々 と包 ま れた であ ろ う こ と を暗
手 交 へて己 妻 と た のめ る今 夜 ﹂ (
4 .五四六) など とあ る よ う な歓 喜 の
ヘ
あ る にし ても 、 ﹁娘 子 を 得 て作 ﹂ った と あ る笠 金 村 の ﹁し き た への衣
第 二首 目 (一七〇五)は 、 そ の ﹁さ わ け る﹂ 思 いに耐 え て 、 ﹁実 に
な る時 を か た待 つ﹂ の で あ る 。 ﹁恋 の 成 就 を こ め た比 喩 の 歌 か﹂ (
小
学館本等) な ど と いわ れ る と おり であ ろ う。
は 、 ﹁献 舎 人御 子 歌﹂ 群 の意 味 を 完結 さ せ るも のと し て 、 ﹁献 ﹂ ず る
い る こ と にち が い は な い。 そ の ゆ え に こ そ第 二首 目 (一七七五)は ﹁我
き 歌 で あ った こ と を示 す の で あ ろ う 。婚 約 成 立 ま で が伊 須気 余 理 比 売
佐 士野 の伝 承 や 、雄 略 と衰 仔 比 売 に かか わ る伝 承 とも 類 推 的 に思 わ れ
と 大久 米 命 に よ って展 開 さ れ 、結 婚 の披 露 が 神武 に よ って 歌わ れた 高
舞 唱者 に よ って 歌 わ れ る に し ても ﹁舎 人 皇 子 御 歌﹂ と し て 歌 わ れ る べ
そ の後 そ の結 婚 が ど う な っだ か は 何 とも 歌 わ れ ては いな い。 し か し
はず む の であ る。
妹 子 が 家 の か な と に 近づ き にけ り ﹂ と 、念 い か な って逢 え る歓 喜 に胸
は男 の歌 (
注釈)か と いう 疑 問 を 残 し つ つも 、
ヘ
の で あ ろ う。
(16 )
(19 )
では あ る が 、 地名 で あ る に し ても ほ め詞 と し て の ﹁高 ﹂ の意 は含 み得
あ った 。 巻 頭 歌 の 場 合 も 同様 に考 え て よ い であ ろ う 。 そ し て古 事 記 は
第 三 群 第 一首 目 (一七七四) は女 の 歌 (
新潮 本) であ ろ う が 、 あ る い
る で あ ろ う 。 こ の 歌 が ﹁献﹂ 歌 で は な く ﹁舎 人 皇 子御 歌﹂ と さ れた の
め ﹁たら ち ね の母 の命 ﹂
の意 ま でを 広 く は思 わ せ なが ら 、 求 婚 を待 つ女 の媚 態 が う か ぶ の であ
の許 しが 近 い こ と 、あ る いは 既 に許 さ れ て いる であ ろう 喜 び を歌 って
な ど の よ う に 、 ま だ 問 題 を含 ん で は いるが 、 ﹁野 合 ・情 交 ﹂ (
全注釈)
「献舎人皇子歌」 と 「舎人皇了御歌」(万 葉集巻九)覚 え書 き
そ の後 、
本田
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要
学
大
良
奈
第10一
紀
る の であ る 。
成 意 図が あ いま いに な ってし ま う こ と に よ る の であ ろ う 。 そ う いう 事
い結 婚 の最 も重 要 な場 面 は 劇的 所 作 に よ って 、聖 な る秘 儀 の芸 能 と し
景 と な る 意 図 であ った の で あ ろ う 、 そ の後 、 言語 詞 章 に は朋 記 さ れ な
決 、第 三 群 にお け る 婚約 の成 立 と いう構 成 が ﹁献 舎 人 皇 子 歌 ﹂ 群 の背
と す る 求 婚 の舞 唱曲 で あ り 、第 二群 は 求 婚 にか か わ る 忍耐 と問 題 の解
舎 人皇 子 の 主 題 によ る祝 婚 の舞 唱 組 曲 と し て再 構成 さ れ た の では な い
し て 整序 さ れ た 、 通 過 儀 礼 の 一環 とし て の季 節祭 式 ・成 年 式 の様 相 が 、
れ る前 段 階 の、 言 語 詞 章 と 劇的 所 作 の融 合 し た 音 楽性 をも 含 む 芸 能 と
﹁舎 人 皇 子 御 歌 ﹂ を め ぐ って み た と こ ろ であ る 。 人 麻 呂 歌集 に筆 録 さ
以 上 あ ら あ ら と巻 九 の人 麻 呂 歌集 に み え る ﹁献 舎 人 皇 子 歌﹂ 群 と
情 は当 時 自 明 であ り 、異 例 では な か った であ ろう 。
て 象 徴 的 に舞 わ れ だ の で あ ろ う 。 そ し て ﹁舎 人 皇 子 御 歌 ﹂ が ﹁衣 手 ﹂
か と 思 った ので あ る 。 そ れが 人 麻 呂 歌 集 に筆 録 さ れ た こ と によ って 、
要 約 す れば 、第 ]群 が 春 の野 遊 な ど の季 節祭 式 、成 年 式 の場 を背 景
の だ な び く か と み え る共 歓 の舞 唱 (
○鎚巳 窓 ω ユΦ 山Φ琵 ) と し て 結 婚
言語 詞章 を主 とす る 歌 と し て、 巻 九 編纂 者 の文 芸 観 によ って万 葉 集 に
の示 す 親 近性 を み る こ とも でき る であ ろ う。 いわ ば 日 常 性 の身 近 な 婚
ま さ に恣 意 的 に空 想 を たく ま し く し た に とど ま る。 御 叱 正 を乞 う次 第
ら の歌 の背 景 と な った 人 麻 呂 歌集 あ る い は原 資 料 の構 成 意 図 に つい て、
採 録 さ れ る に至 った の であ ろう 。 そ の過 程 を逆 に さか のぼ って 、 こ れ
姻 の規 範 と し て の整 序 の意 味 も 含 ま れ て いた の であ ろ う 。 そ のゆ え に
であ る 。
こ れ ら が天 皇 に か か わ るも の で なく 、舎 人 皇 子 であ る と こ ろ に﹁献 ﹂
の歓 喜 を み せ た の であ ろ う。
こ そ前 に述 べた よう な 意 味 を持 つ舎 人 皇 子 に ﹁献 ﹂ ぜ ら れ る べき な の
であ った。 こ れら 三 群 と 皇 子 の歌 は 、 舎 人 皇 子 の主 題 に よ る祝 婚 の舞
た に違 い な い と思 わ れ る の であ る 。 し か も な お そ れ だ け で は な く 、第
②
①
拙 稿 ﹁雄略 と裳 仔 比 売 (
古 事 記 ) の伝 承 ﹂ (国崎 望 久 太 郎博 士 古 稀 記 念
澤 潟 久 孝 ﹃萬 葉 集 注 繹 ﹄巻 第 四 、 七 二 一の ﹁考﹂
小 島 憲 之 ﹃上代 日本 文 學 と中 國 文 學﹄ 中 、 一〇 七 〇頁
拙 稿 ﹁藤 原 宮 讃歌 と志 貴 皇 子﹂ (﹃芸能 史 研 究 ﹄ 四 七号 ) 二七頁 等
注
三 群 が 相 聞 に採 録 され た よ う に、 巻 九 編 纂 者 の文 芸観 に適 応 す る 文 芸
⑧
唱 紐 曲 と し て、 万 葉 の若 き 人 々 に親 し ま れ つ つ人 麻 呂 歌集 に筆 録 さ れ
性 をも 含 む と こ ろ に、 万 葉 集 の文 芸 的 な場 の歌 への 過 程 を 認 め る こ と
⑧
⑦
⑥
⑤
拙 稿 ﹁万 葉 集 にお け る ﹃長 歌 + 短歌 ﹂ の様 式﹂ (
﹃奈 良大 学 紀 要﹂ 四号 )
澤 鴻久 孝 ﹃萬 葉 集 注 繹﹄ 巻 第 十 六、 ﹁題 詞﹂ 、 ﹁考 ﹂
高 安 国世 ﹃万 葉 の歌 を たず ね て ﹄ 三 一頁
本 田 義 憲 ﹁万 葉 小 記 ﹂ (
﹃国 語 ・園文 ﹄ 一四 巻 三号 ) 三 .頁
﹃口 本文 学 の 重層 性 ﹄) 四 一頁
④
も でき る と思 う の であ る 。
︹四 ︺
﹁献 舎 人 皇 子 歌 ﹂ 群 が 舞 唱 す る場 所 (○容げΦω茸9) のも の で
な お いく ら か 付 加 的 に いえ ば 、 異例 と み え る ﹁舎 人 皇 子 御 歌 ﹂ と い
う題は、
⑨
小 山 内 薫 ﹃芝 居 入 門﹄
皆 川達 夫 ﹃バ ロ ック音 楽 ﹄ 九 四頁 等
一五。
頁
﹁献 ﹂ ぜ ら れ る 立 場 で あり 観 る場 所 (
↓ゲ8 #①) に い る の であ って、
⑩
あ り 、 皇 子 の歌 も ま た そ こで舞 唱 され た はず な の で あ るが 、 皇 子 は
皇 子 の歌 を ﹁献 ﹂ と し た の で は 、舎 人皇 子 の主 題 に よ る舞 唱 組 曲 の構
9
本田
「献舎人皇子歌」 と 「舎人皇 子御歌」(万 葉集巻九)覚 え書 き
performingartsbyre-constructingthem.
森淳司 ﹁巻九人麻呂歌集抄﹂ (﹃万葉集 を学 ぶ﹄五) 一五〇頁
princearenotonlyoftheceremony,butalsohaveavalueoflyricsmplyingithe
拙稿 ﹁
高 橋虫麻呂伝説歌小考﹂ (﹃
大阪城南女子短期大 学研究紀要﹂七)
ceremony,andIhaveconsideredthatthesongsdedicatedto,andthesongbythe
⑪
performingarts.Thearts・areaboutthesubjectofacomi二ng-of-agearinitiation
⑫
performingarts.Alsothesongdedicatedtotheprinceiswell-orderedinviewofthe
土屋文明 ﹃萬葉集私注﹄ 一六八三 ﹁作者及作意﹂
Inthenextplace,myexplanationisthattheImperialprincepossessedakindof
二 一頁
whichissensuouslywell-polished.
⑬
andthepersonwhoisdedicatedthesong.Andtheotherisasensationofintimacy,
小島憲之木下 正俊佐竹昭広 ﹃萬葉集﹄ (
﹃口本古典文学 全集﹄)頭注。前
songswhichcontain`献'Thatis,oneisafeelingofintimacybetweentheauthor
項 ﹃私注﹄等も同様。
InconsequenceIhaveconfirmedthattwothingsareneededinthescenesofthe
⑭
usedinthetitlesornotes.
橋本四郎 ﹃萬葉集﹄ (﹃新潮口
FirstofallIhaveexaminedthesongsinwhichtheword'dedication,献is
伊藤博 清水克彦
andasong,byToneri-no-miko.
土橋寛 ﹃古代歌謡全注釈﹂日本書 紀編 =二七頁
Thisreportisononeaspectoftheperformingartsaboutsomesongsdedicatedto,
青木生子 井手至
土橋寛 ﹃古代歌謡全注釈﹄古事記編九九頁
Summary
⑮
拙稿 ﹁
高佐士野 の伝承覚え書き﹂ (﹃
奈良大学紀要﹄六号) 八頁等
YoshinagaHONDA
⑯
⑰
(ManyoshuVol.9)
本古典集成﹄)頭注
⑱
(56 ・9 ・29)
⑲ 拙 稿 ﹁万葉集巻頭歌の芸能的側面﹂ (
阪倉篤義博士還暦記 念 ﹃論集口本
文学 ・口本語﹄上代)五九頁
付
き く 影響 す る と は思 わ れな い ので 、 訓 は塙 書 房 本 によ った 。
。歌 の 訓釈 に いく ら か ら 小 異 があ り 問題 の残 ると ころ も あ る が、 主 旨 に大
6 ・ 一〇 二 八 の題 詞 に ﹁
献 上﹂ 、同 左 注 に ﹁献 歌 ﹂ と あ る例 が 脱 漏 し て
。 ﹁献 ﹂ の例 を⑥ ∼⑳ の 二十 一例 と し たが 、大 伴 坂 上 郎 女 作 と左 注 にあ る
い る 。そ れ を 追 加 し て 訂 正 す べ き であ るが 、 大 体 のと ころ は変 動 が な い
の で、 いま は こ の こと を記 し て御 寛 容 を乞 う 。
本 文 学 談 話 会 ・55 ・11 ・15 、 後 に ﹃立命 館 文 学 ﹄ 昭 和 56 年 9 ・10月 号 所
。小 稿 は、 真 下 厚 氏 の ﹁人麻 呂 歌 集 ﹃献 舎 人 皇 子 歌 二首 ﹄考 ﹂ の発 表 (口
べ た と ころ を 、 と り と め も な く 記 し たも の であ る こと を付 記す る。
載 ) に ついて の質 疑 討 論 の時 、芸 能 的 側 面 にか か わ る 思 い つき と して 述
Songsdedicatedto,andasongby,Toneri-no-miko
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