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2016年 8月 297号

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2016年 8月 297号
発 行 じゃおクラブ
責任者 村尾 篤彦
編 集 事務局
URL
297号 2016年8月
http://www.ne.jp/asahi/jao/club
▌2016年8月じゃおサロン
8月は運営委員会とじゃおサロンは休みです。
▌2016年9月じゃおサロン(予告)
日時
9月25日(日)13:30∼15:30
やりたいことを、さらっとやろう
講師
略
歴:1970年
修氏
早稲田大学法学部卒
1970∼2000年
株式会社ケンウッド 宣伝部勤務
2000∼2008年
株式会社久栄社 営業企画部勤務
2010年
髙久
有限会社事業組合 喜多方プロバンス研究所設立に参加
講演内容:友人の一人が喜多方市の郊外に古い民家を買ったのがきっかけで、男同士が隠れ家気分で
集まるようになりました。そのうち、山菜とりや小さな畑を耕すだけでは満足できなくな
り、「葡萄を育てて、ゆくゆくは自分たちのワインを作ろう」という話が持ち上がり、近
くの農家から休耕田を借りて苗木を植え始めたのですが・・・
▌2016年7月じゃおサロン報告
『ナイジェリアの文化と人々』
講師:イファニー・アカオリサ氏
じゃおクラブ会員の皆様、アフリカ大陸のナイジェ
リア連邦共和国と聞いて、即座にその場所を地図で示
す事ができますか?理解を助ける為に赤道付近にあ
るナイジェリア連邦共和国付近の地図を添付してお
きました。世界地図の区域では西アフリカと呼ばれ、
赤道の北(北緯 7 度∼16 度)に当たります。かって
は、奴隷海岸と呼ばれた海岸地域を含む国で国土面積
、人口
は 923,880km2(日本の国土の 2.44 倍)
182,000,000 人(日本の 1.45 倍)で 240 の民族が住
む多民族国家です。首都は高原都市アブジャです。気
候は 2 つ{雨期と乾期:気温は 26∼33℃、雨季(4 月∼10 月、乾期 11 月∼3 月)}。同国の沖に石油
や天然ガスを産する油田(輸出量は OPEC 加盟国中 5 位)が発見されたため、国民所得はアフリカ内
でエジプト、南アフリカについで 3 位(1200 ドル/y)とのことです。
今回のじゃおサロンはナイジェリアから来られたイファニー・アカオリサ氏に同国の現状について話
-1-
をしていただいきました。アカオリサ氏はカナダの大学を卒業され、13 年前に日本に来られたと言いま
す。卒業時、ベトナム、中国、あるいは韓国の何処に行くか迷ったとのことです。氏の考えでは,若い時
は色々、世界を見て回り、その後に自国(あるいは他国)で落ちつくのがよく,とりあえず、日本に来て
いた先輩の意見で日本に来たとのことでした。来日後一時、株のトレーダーもやりお金をも儲けたが、
その後企業や学校の英会話教育に従事し、現在は綾瀬市城山中学校で英会話の教師(非常勤)をしてい
ます。ナイジェリアの文化と人々の暮らしについての話に入ります。まず、ナジェリアでは一夫多妻制
度がいまだに認められ、お金があれば複数のワイフを持つことは可能だそうです。彼が例に出したもの
では新郎 71 才,新婦 16 才といった自分の孫のような相手とも結婚が可能だそうです。結婚式の衣装は
民族衣装ですが頭に色鮮やかで大きな布を巻き付けは花嫁は魅力的です。家庭は女系家族で一夫多妻制
度という事はどのような事なのでしょうか?彼はイボ族(アフリカのメジャーな種族)に属しキリスト
教を信仰しているといっています。イボ族はナイジェリアではメジャーな種族(2000 万人)ですが大
昔に中近東の方から来たという伝説があるそうです。
彼は 4 年前に日本人と結婚し現在は湘南台のマンションに住み 4 才の子供さんがおります。ナイジェ
リアは基本的には大家族主義で,始終親族が集まり生活するのが習慣で、彼も将来帰国したいと思って
おります。しかし、奥さんが反対し、中々帰国できず、子供が高校生になったら話し合うと言ったモラ
トリアム中とのことです。食事は長粒米のごはん、チキン、バナナと餃子、スープいった日本人にもな
じみやすいものと思いました。ヤシを家庭内で栽培することが多く、ここから取れる果汁を発酵させた
やし酒はポピュラーに飲まれています。このヤシの果汁は甘く赤ん坊でも飲みますが、通常、発酵した
ものはパームワインとしてレストランで飲むことが出来ます。又、これを蒸留したものは非常に強いア
ルコール飲料になります。物価は低く日本の1/10 程度(湘南台の 2DK の家賃は 8.5 万円/月が母国
では1年分の家賃)で暮らしやすいとのことです。海岸部のラゴス(同国最大都市)からそれ程、遠く
ない所には Ikogosi Warm Spring&Resort という広大な温泉施設があり彼が福島の企業で英会話講師を
していたときは、福島の温泉に入って故郷を思い出したと言っていました。又、首都アブジャの東には
広大なヤンカリ動物保護区があり観光客はサファリ体験が出来ると言っていました。
外国人の企業活動については、現在は中国人、韓国人がおおく多くの企業活動を行っているとのことで
す。日本もかって、千代田化工が活躍していました(多分、石油・ガスの製造プラント建設のため)が
日本の企業活動は活発ではありません。トヨタはノックダウンで組み立てた車を販売しているそうです。
教育制度は 6・3・3・4 制で日本と同じ、初等教育の就学率は 88%(低所得層と高所得層で異なる)
ですが奨学金は無いと言っていました。政治的には、ナイジェリアはかって英国領で 1960 年独立、1963
年大統領制に移行したが 1966 年大統領が暗殺されて、軍事政権が樹立された。1976 年ビアフラ
戦争という内戦が勃発、その後、数度の軍政と共
和政を繰り返し 1999 年に民主化が行われると、
これまで政権を握ってきた北部が中央への反発
し急進化した。これに反対する中央政府との対立
が暴動に発展し、北部各地で暴動が頻発する状況
となっています。彼はあまり言及しませんでしたが、
国内の治安あまりよくないようです。国の東北部地域
にイスラム原理主義派「ボコハラム」が跋扈し 2014
年 4 月、女子高校が襲われ、276 人の高校生が拉致さ
れたことは記憶に新しい事です。外務省の海外安全
-2-
HP によればナイジェリアは安全レベルは 2∼4 で「旅行を控えてください」のレベルです。
書記(村尾)は最近耳が遠くなったことやアカオリカ氏の十分とは言えない日本語の所為もあり、彼
の講演を十分理解することは出来ませんでしたが、一生懸命説明している姿勢には共感しました。尚、
思い出しましたが、外人タレントのボビーオロゴンもナイジェリア生まれで、容貌も彼に似ています。
(添付写真は民族衣装を纏ったアカオリサ氏)
(ベイサイド 村尾篤彦 記・湘南 望月蕃 写真)
▌事務局だより
7 月運営委員会報告
会員動向(7 月 1 日現在)
「入会」 荒谷俊一氏(ベイサイド)、新保邦光氏(県央)、守屋 悟氏(南多摩)、齋藤 浩氏(湘南)
[退会] 澤村 豊氏(田園) 橋本 雄吉氏(東京) 三砂 崇氏(湘南)
[湘南]
[県央]
[田園]
[ベイサイド][南多摩][東京]
42
43
17
24
28
1
計 155 名
じゃおクラブ創立からかかわっておられた澤村さん、田園調布から藤沢の農園までよく参加されてい
た橋本さんがご逝去されました。心よりご冥福をお祈りいたします。
じゃおサロン 9 月 25 日(日)予告
「やりたいことを、さらっとやろう」
講師:高久 修氏
討議事項報告
①
運営委員会とじゃおサロンのあり方について、引き続き討議がありましたが毎月開催の意見が多
数でした。結論は 9 月の予定です。
② 会費関係も継続審議ですが、現行維持、入会金廃止が多数意見です。
▌会員だより
私の健康法
県央 早川 士
皆さんこんにちは、会員だより執筆の順番が廻ってきました。さて、何を書こうかと種々考えました
が、皆様にご紹介出来るような事は何もないことに気づきました。昨年古希を迎えいよいよ残りの人生
を大事にしなければと思う今日この頃です。どなたも同じと思いますが、
「元気で、楽しく、長生きし
たい」をモットーに日々健康管理に留意しております(本人の評価)。現役の時の体重は 83∼85 キロあり
(ちなみに身長は 170cmです)
、人間ドックでは毎回太り過ぎを注意されておりましたが、一向に反
省せず毎晩飲んだくれの生活でした。さすが退職 2 年前にはこんな生活ではまずいと思い、まずはウオ
ーキングにチャレンジし、通勤の行き、帰りに一駅歩くことにしました。朝は実行出来ましたが、帰り
はどうしても飲み屋に足が向いてしまい、歩くどころか時にはタクシーで帰る始末でした。完全リタイ
アの 3 年前から顧問となり 3 日/週勤務に成りました。これを機に休みの日は毎朝 2 時間程歩くことに
しました。これが習慣となり完全リタイア以後は、毎朝マンションの皆さんとラジオ体操をし、それか
ら(6 時 40 分)散歩に出かけ 1 時間半程(約一万歩)歩いております。歩数計は健保組合からの支給
品でUSBになっており、パソコン経由でセンターに登録される仕組みです。年間一万歩以上の日数が
100 日を超えると組合から図書カードが貰えます。退職後毎年頂いております。このシステムはいくつ
-3-
かのコース(例:四国八十八箇所巡りなど)を提供しておりその中から自分の好きなコースを選びます。
自分のデータがグラフでも見る事が出来ます、また本システムに参加されている方の中での順位等も閲
覧できます。月間でなんとか 100 番以内にとチャレンジした月も有りましたが、到底無理な順位で、そ
れ以降はマイペースで歩くことにしました。第二は筋力トレーニングで、ジムの会員となり約1時間程
マシンを使っています。病院の先生からまずは筋肉をつけなさいと言われたのがきっかけです。3 回/
週を目標にしておりますが、なかなか難しい状況です。第三は日々の生活で何か身体に異変があった場
合は、パソコンに登録しております。何らかの異常で病院に行く羽目になった場合は、一応このデータ
を持参します。数年前血圧を測ったら 170 有りびっくり、病院に行ったら薬を処方され、それ以来飲ん
でおります。従って、血圧はほぼ毎日測定しパソコンに入力、受信時に持参します。
第四は 5 年前から大和市の健康普及員(昨年から会長)に推薦された為、まずは自らが健康でなければ
まずいと思うようになり、健康に対しては今まで以上に気をつけるようになり、普及員になって良かっ
たと思っております。
五番目はメンタル面の健康です、基本は「亭主元気で留守が良い」を実践することだと思い、地域に密
着したいろんな組織に入り活動しております。従って自宅に閉じこもっていることはほとんどありませ
ん。このような事が役立ってかどうか体重は 10 キロ以上減の 70∼72 キロをキープしております。この
結果、今迄のスーツは総てダメになってしまいました。果たして良かったのか?悪かったのか?
最終目標は 70 キロを切ることで年内に達成する事が目標です。
さ く
ら
県央 原 建吾
季節外れと思いますがちょっとがっかりした事がありましたので書きたいと思います。まあそんなに
大した事ではないのですが、さくらの好き人は多いと思います。僕も西行程ではないにしても大変好き
です。それで思い出等書きたいと思います。まだ仕事をしていた時は関東の里山によく出かけました。
場所はよく覚えていませんが、フウフウしながら坂道を登っていた時も、足元を注意しながら下ってい
た時もあったと思います、あたり一面にさくらの花びらが散っている所が有り、ほんのり明るくなって
いるのです。見上げると、周りの木々の上に人知れず静かに花を付けています。懐かしい様な哀しい様
な気持ちになりました。東京国立博物館の庭園は春、秋に公開されます、毎年さくらの満開をねらって
行くのですがなかなか思う様にいきませんが、有る年さくらの満開に偶然会ったのです。そのさくらは
枝垂桜で散ったさくらの花びらの渦の中に立って居ました。何が起った分からないくらい感動し忘れら
れません。国立博物館の本館の前に余り大きくない八重桜が有ります。お椀を伏せた様な形の良い木で
す。6 月初め、じゃお南多摩の施設見学「紙の博物館」
があり参加させて頂きました。その帰り近くですか
ら久しぶりに寄ってみました。ところが木のあった
所が芝生になっているのです、枯れたそうです。ま
だ若い木だと思っていたので考えてもみませんでし
た。
「三日見ぬ間の桜かな」とは言いますが、しばら
く行かない間に木自身が無くなっていたのです残念
な出来事でした。そこで良寛さんの辞世の句を思い
出しました。
‘散るさくら残るさくらも散るさくら’
-4-
陋 屋
雑 感
南多摩 張替 圭二
今年も暑い夏がやってきました。汗をかきかき、熱中症にならぬようと用心しながら、家の片隅の机
で、この原稿を作っております。
現在の住まいである町田市の当地に住み始めてもう 35 年余になりました。土地を求めたのは、結婚
して 2∼3 年の頃です。あまり大した考えも無く、そして安給料にもかかわらず、とりあえず買ってお
こう・・などという不穏当な考えから土地を探し始めたのですが、安くて条件の良い分譲地は、抽選と
なりなかなか当たらずようやく当地で年貢をおさめました。
購入した土地は、大手証券会社系の不動産会社が地主、農協と手を組んで区画整理方式で造成分譲し
た住宅団地で総区画 2,800、計画人口 1 万人という大規模団地でしたが、交通や買い物の便が悪く、回
りからは「あそこは陸の孤島だ」などと陰口をたたかれていたことを後になって知りました。
土地購入後数年して建物を新築し現在に至っております。その当時は、田無の社宅マンションに住ん
でおりましたが、今から考えても家賃、環境、交通条件などとても条件の良い社宅でした。何でそんな
に急いで社宅から退去し、家を建てるつもりになったのか今もってはっきりしません。
ただ、結果的にはその時に家を建てて良かったとは思っております。その頃以降急に仕事が忙しくな
りとても家まで手が回らなくなってきましたし、土地や住宅の価格も上昇しました。
どこかに「住まいは夏をもって旨とすべし」ということがあると思いますが、
近年の住宅は断熱性が非常に良くなっております。それに比べ、現在の我が家は、断熱性能が悪いの
かそれとも、このところの高温傾向からなのか、何が原因かはよく分かりませんが、それにしてもなか
なか厳しい夏の連続です。
今まで 2 回ほどリニューアル工事を施し、だましだまし暮らしてはおりますが、今後また何が必要と
なるか分かりません。
建て替えの計画などもあったのですが、何となく現在の建物への愛着があるのと同時に、経済的余裕
が無くまた生来の無計画人間であることも相まって、ついタイミングを逸してしまいました。
これからの人生の最終章に向かって、こんな住まいとどどのように付き合っていくかを模索している
今日この頃であります。
じゃおクラブ湘南の農園活動紹介
湘南 桧垣 邦夫
じゃおクラブ湘南ではメインの活動として農園活動をしている事はご承知おきのことと存じますが、
敢えて紹介させて頂きます。
現在、開催日には平均すると 22・3 人程が参加されて居ります。朝 9:30 に集合場所(寒い時期は 10:
00)に当日参加された方々が集まったところで、世話役(3 人の世話役が月交代で務めております)が
当日の作業と大まかに各人の役割分担をお伝えします。伝達事項が終わったところで、CD で NHK の
ラジオ体操第一を流し体を解して貰い、怪我防止や当日の本人の体調の自覚などをして作業開始となり
ます。基本的に作業は午前中で終わり仕舞にして、収穫物の分配後昼食を取ります。昼食は円団を組む
様に椅子に座り、冷たい飲料も用意して雑談しながらそれぞれが持参した弁当を頂きます。午前中の作
業疲れも取れた午後は、要請があれば、永田農園さんのお仕事のお手伝いを最長 2 時間位腹ごなし程度
に行い解散となります。
農園は 3 か所に分かれており、当日の作業分担で施肥、畝造り、植付け、雑草取り、収穫などの作業
-5-
をしております。この農園の他にチャレンジ農園と称して各人が思い思いの農作物を自由に作る事が出
来る所が有ります。
農作物は基本的に有機栽培、無農薬(一部低農薬)を
標榜して居りますので、虫達にも大人気で、最近では
鎌倉から出張して来ていると思われるアライグマ(残
念ながら夜行性なので昼間の顔合わせは未だして居り
ません)にも、特に夏場のトウモロコシなどは大変喜
ばれており、我々と競って食しております。蛋白質(虫)
などは余り好まない一部の家庭に収穫物を持ち帰る時
は、丁寧に取り除いてやると喜ばれます。
市販されている野菜の外観はなんと素晴らしい出来
栄えかと感心しております……。それに比べてじゃお
農園の野菜は痘痕の多いこと(私はエクボと呼んでおります)。
そんな精魂込めて作った野菜を具材にして、年 3 回程収穫祭、芋煮会、納会を盛大(50 人程集まりま
す)に開催して居ります。
農園に来られる方々は皆さんとっても元気です。参加に垣根は御座いません。じゃおクラブ湘南以外
からも多数参加されて居ります。興味の有る方は是非一度体験に足をお運び下さい。
お待ちして居ります!
▌特別寄稿
前立腺癌の治療法の紹介
近年、前立腺癌を発症したり、その疑いがある中高年の男性が非常に多くなっているように感じる。
前立腺癌は進行速度が遅く、70 歳以上の場合、平均寿命のことを考えると体に負担のかかる手術をする
必要はないという考え方もあるようだ。私の場合、60 歳代後半に癌が発見され、担当医の勧めもあり治
療を行ったので、その事例を紹介したい。
平成 20 年 2 月に職場で突然めまいを起こし各種検査をした。その中にPSA(前立腺特異抗原)検
査があり、10ng/ml(基準値は 4ng/ml 以下)を超えていた。早速泌尿器科のある病院(長津田厚生総
合病院)を紹介され、生検(肛門から直腸に細長い機器を挿入し、細い針で前立腺の組織を採ってきて
癌細胞の有無を調べる)を行った結果、10 か所採取した中には癌細胞は見つからなかった。その後、3
か月毎にPSA検査を続けたところ、24 年 4 月に 30ng/ml を超えたため、再度生検を行った。その時
は 14 か所中 3 か所から癌細胞が検出され治療することになった。治療法は、全摘手術療法、放射線療
法、ホルモン療法など多岐にわたり、どれを選択するかは患者が決めることになる。私の担当医は小柴
健博士で、先生からは自ら開発したという「A−M−R療法」を紹介された。先生から詳細な説明を受
け、体への負担が少なく、術後に尿漏れして困ることもなく、副作用が少ないということだったので、
お任せすることにした。私は 202 番目の患者で、今迄死亡した人はいないということだった。
「A−M−R療法」とは、Aは「抗男性ホルモン療法(anti-androgen therapy)
」で皮下注射(月 1
回)と投薬(毎日1錠)で男性ホルモンの分泌を抑えることにより、前立腺の体積を縮小させるもので
ある。3 か月間で約 35%縮小するそうだ。Mは「経尿道的マイクロ波高温度療法(microwave
thermotherapy)」でウロウェーブというマイクロ波照射装置を用いて、尿道から挿入したマイクロ波
-6-
アンテナから前立腺に 45 ℃
以上の熱を 60 分間加えることにより癌細胞を死滅させるものである。Rは
「経尿道的前立腺切除術(resection of the prostate)」で尿道から内視鏡を挿入してループ状の電気メ
スを用い前立腺の外周部を残して中の組織を除去するものである。
私の場合、平成 24 年 7 月にMRI検査等で骨に癌細胞が転移していないことを確認したのち、「A」
の治療を開始した。月 1 回通院して注射をし薬を処方してもらった。この治療では体や顔が時々火照る
という副作用が生じた。同年 11 月に前立腺が縮小したことを超音波検査で確認したのち「M」の治療
を行った。1 時間局部に 45℃以上の熱が加えられるため熱さと尿意を我慢するのに苦しい思いをした。
先生から「あと何分だ。癌細胞はあなた以上に苦しんでいるのだから我慢しなさい」と励まされた。終
了後、すぐに帰宅できたが尿道にはコック付のカテーテルが挿入され、それを通して排尿した。そのカ
テーテルは 2 日後に病院へ行き除去してもらった。平成 25 年 3 月に「R」の治療を受けた。局部麻酔
なので、意識ははっきりしており、TVモニターで手術している状況を見ることができた。手術には 1
時間半程度かかった。手術後は麻酔が数日間効いていて全く痛みは感じなかった。ただ、出血が多く、
1 週間入院した後も 3 か月位は血尿に悩まされた。また、同年 7 月に「M」の 2 回目の治療を実施した
が、1 回目ほどの苦痛は感じず、カテーテルも入れずに排尿できた。
「A」の治療は平成 25 年 10 月ま
で継続して行われた。したがって、治療期間は 1 年 4 か月だった。その後は 3 か月ごとにPSA検査を
行っている。PSA値は「R」の直後は 0.008 未満に下がったが、徐々に上がってきており、現在は 2
程度になっている。
この治療方法は小柴教授が開発したもので、一般には行われていないが、患者にとっては負担が少な
く、この治療法を受けたいと思われる方は長津田厚生総合病院に問い合わせて頂きたい。
(南多摩 石井 武則 記)
▌じゃお湘南
大相撲鑑賞をより楽しく
7 月 9 日(土)大相撲名古屋場所の始まる前日のこと
ですが近所にお住まいの相撲愛好家である永田春夫
さんをじゃお湘南のCSSにお招きして普段テレビ
では見られない「大相撲のお話」を聞かせて頂きま
した。講師の永田さんは秋田県出身、元国鉄OBで
当年 82 歳になります。私のパワーポイントの操作に
合わせて1時間半、熱弁を奮われました。本日の参
加者は新会員の斎藤さんを含めて 14 名でした。内容
は①大相撲の起源と歴史②大相撲の組織と構成③お
相撲さんの報酬と褒賞金④関取と幕下力士の待遇⑤
過去三場所を振り返って⑤歴代力士の優勝回数⑥外国人関取のこと⑦神奈川県出身力士のこと、⑧その
他の順番に気さくな口調で話して頂きました。
日本相撲協会には現在十両以上の関取が 70 名、幕下以下序の口までの力士が 576 名いること、行司・
呼び出し・床山はすべて親方率いる相撲部屋に所属していること、それぞれ格式序列があり、たとえば
行司は立行司、三役格、幕内、十両、幕下で履物や装束、持物が違うこと、勝敗の決定だけでなく、番
付の書記や巡業時の交通機関や宿泊先の手配まですることなど興味深く伺いました。横綱の月給は約
-7-
282 万円、報酬は年収 4000 万以上、本場所手当が一場所で 20 万円、褒賞金が 150 万円、優勝すれば 1
千万、さらに驚きは 28 年夏場所に白鵬が獲得した懸賞金は 486 本 1458 万円だそうです。十両の月給
103 万円、幕下は本場所手当が 15 万円出るだけで月給なし、十両の頭には大銀杏を結い、付き人が付
くが、幕下はまげのみ、足元ははだしに下駄で、朝 6 時に起床してから寝るまで洗濯、掃除、食事支度
に追われ自由時間は殆どなく、十両関取と幕下力士の待遇は天国と地獄だそうです。近年外国人力士の
人数は制限されて来て平成 4 年には一部屋 2 人以内であったものが、現在は一部屋一人と決められたそ
うです。じゃお湘南の皆さんの中にも相当な相撲通が居り、活発で難しい質問が飛び交い、講師も対応
に苦労されているご様子でした。
今日は肩の凝らない楽しいCSSでした。なお、神奈川県出身関取が 22 年ぶりに誕生したそうです。
高砂部屋の朝弁慶(十両)です。皆で応援しましょう。
(湘南 島村 忠男 記・山本 健介 写真)
▌じゃお県央
ピンポンの合宿
ピンポン合宿は初めてなので楽しみにしていました。集合場所は強羅駅 14 時 10 分ごろ送り迎え用の
バスで行き、本来なら 8 名の参加予定でした が、1 名体調不良で欠席されました、強羅までの登山電車
は紫陽花祭りで混んでおり、途中駅大平台は綺麗に咲き誇り写真を撮る人が多くおりま した。14 時 40
分頃保養所「みやぎの」へ到着、着く前までは宿は民宿に毛がはえた程度と思っていましたが、ホテル
の様な立派な建物で驚きました。手入れの行き届いた庭園があり、散策することは、雨のためできませ
んでした。風呂も大きく強羅温泉を楽しむことが出来ました。夜は食事後カラオケで昔のお嬢さん達 4
人組と踊りとカラオケを楽しみました。ピンポンの
練習は、体育室で冷房があり、台3台使用して約2
時間練習を堪能する事が出来ました。次の日は元気
な 3 人は 9 時よりお昼ごろまで、練習をしたようで
す?、私たちはチェッ クアウト後箱根湯本まで行き、
おいしい蕎麦とビールを堪能して帰宅しました。た
だ残念なことは一人の人が連絡ミスで宿の人と倉島
さんに迷惑をおかけし申し訳ない事をしました。
この合宿で練習した結果、少しは卓球に近づければと思っています。
(県央 鈴木 寿一 記・大場 幸雄 写真)
▌じゃお田園
グラファーズ撮影会・小網代の森
7 月 5 日の撮影会は「小網代の森」へ行ってきました。小網代の森は、三浦半島の先端で油壷の東側に
広がる約 70ha の森林から湿地、干潟、海までが連続して残された所です。
平成 26 年に一般開放されたばかりで、引橋側からの入口からはウッドデッキの階段、木道が深い森の
中に設けられ、自然を保護しながら子供から老人まで散策が楽しめるようになっている。
-8-
グラファーズの全員(9 名)が 10 時に京急三崎口に
集合。バスで 5 分ほどの停留所・引橋で降り森へ入
って行くと、いきなりウッドデッキの階段をつづら
折りに降りて行く。だんだんと深い森の中へ入って
行くような感じだ。この季節、あまり花は咲いてい
ない。ヒメジオンや、ヤブミョウガの白い花の群生、
湿地には半夏生(ハンゲショウ)も多く見られ、カ
メラで切り撮る。
鳥のさえずりが近くで響き、木の間にオレンジ色の
小鳥が姿を見せ、嘴を上に叫んでいるようにさえずる。何処だ!何処だ!とレンズを向け追いかける。
動いている鳥は撮りなれていないと難しい。
森を抜け、湿地に伸びる木道を行くと小網代湾が見えてきた。丁度干潮の刻となっていて、干潟に降り
る。ボランティアの監視員がいて、あまり中へ入らないようにと注意しながらも干潟の説明をしてくれ
る。地面には無数の小さな穴が開いていて水色のチゴガニや茶色のコメツキガニ、ヤマトオサガニ等が
しきりに手(ツメ)を振っている。雌に求愛のアピールする「カニダンス」だそうで望遠レンズで狙う
もタイミングが合わない。目当ての「アカテガニ」はというと、干潟には見られず、小網代港へ行く道
端の土手の穴に生息していて近づくと穴に入ってしまう。これも撮るのが難しい。小網代港に着くとボ
ートのような漁船(タコ漁)が繋留されている沖には中型のヨット数十隻が帆柱を並べて浮かんでいる。
思い思いに港の風景をカメラに収め、シーボニア(リゾートマンション)の前を抜け、坂道を喘ぎなが
ら登ってバス道に出る。歩いても行けるがバスで油壷のホテル京急・観潮荘へ行き、昼食・反省会を行
う。先ずは生ビールで乾杯。マグロ切符で来た人はお決まりの料理(まぐろづけ丼とから揚げ)で、切
符でない人は刺身定食でそれぞれお腹を満たす。マグロ切符には、日帰り入浴が付いていて相模湾を眺
めながら露天の海水風呂で汗を流し、湯上りの缶ビールで締めくくり帰途に就いた。
今日は梅雨の最中、前日までの猛暑と打って変わって、曇天で 23℃位と快適な気候。2 時間ほどのハイ
キングのような撮影会も無事終了。
(湘南 望月 蕃 記・写真)
▌じゃおベイサイド
7月ベイサイド料理研究会 「夏の旬の味」
7 月 8 日(金)17 時にオルタ館の調理室には、「旬の味」を探究する研究生が15名も集合した。ベ
イサイド 10、ベイサイドサポーターの田園 1、県央 1、南多摩 2 の研究熱心な面々、中にはお酒の探究
が主の人も。
今回も佐分利主任研究員によるメニューによるテーマは
①ゴーヤチャンプル
②太刀魚の照り焼き
③ミョウガと溶き卵の澄まし汁
④枝豆のご飯
佐分利さんからのメニューのそれぞれの調理法の説明、わかったかな?わからなくても実戦で何とか
なるだろう。3 つのグループに分かれて挑戦開始。
ゴーヤは苦みを残すように少し厚めに切るか、炒めるのにゴマ油、溶いた卵もゴマ油で半熟に、風味
が出るよね。全体に創味つゆをかけ回す、お酒を加えるとまた風味がます。
余分に入れておこう。お酒は料理酒を使わないのでどんなお酒を使うのか味見をする。
-9-
味見が多いんじゃない、目元が色づいてるよ。
太刀魚は佐分利さんが市場で仕入れた一匹もので
す。身が反らないように皮目に包丁をいれ、皮側よ
り焼き両面こんがりと焼き上げる。ミョウガと溶き
卵の澄まし汁は溶き卵の回しいれ、固まり具合が微
妙だ。
枝豆のご飯は枝豆を入れるのが珍しい。ゆでた枝
豆を鞘から出していれて炊き上げる。炊き上がった
らお酒を一振りして蒸らす。ここでもお酒が活躍す
る。
さて結果は、それぞれのグループの味に微妙な違いがでたが美味しい。佐分利主任研究員による講評
は「それぞれに個性が出た」と皆に気を使ってくれてるんだ。
自分たちの料理に酒もはずんだ、ビールから始まって日本酒、ワインまで。話題も豊富都知事選まで
及んだ、俺たち都民じゃねえよ。都民が居た。南多摩は都民だ。
枝豆ご飯が好評,お代わりしょうと思ったらお釜空っぽ。 ご馳走様。
秋の旬の味をお楽しみに!
(ベイサイド 率川 清昭
記・郡司 和昭 写真)
落語鑑賞会(第 8 回)
久しぶりの横浜にぎわい座での落語鑑賞会。当時はあいにくの雨模様でしたが 11 人の参加がありま
した。
今回は上方落語(そう、昔は大阪、京都が文化の中心地、上方でした)、米朝・枝雀につながる桂南
光(べかこ)と弟子の南天によるふたり会でした。
最初は爆笑オープニング師弟トーク、二人が着物姿で舞台に立ち、掛け合いで話をすすめる。落語家
は一人で座布団に座って話をする姿しか目にしていないため、なんとなく違和感があったが、そこは大
阪人の喋くり。米朝師匠が薬師寺管長の高田好胤(アポロが月に行ったときにテレビに出てなぜか合掌
していた坊さんです)から言葉巧みにせしめた「本来無一物」の掛軸、その掛軸を南光が形見分けとし
て米朝から貰った時のいきさつを面白おかしく紹介するなどでトークショーが進められた。
さて、本題の落語。弟子の南天が「千両みかん」と「幽霊の辻」、南光が「京の茶漬け」と「どうら
んの幸助」
。前に小さな机を置いて、拍子木で合いの
手をとったり、三味線などの鳴り物が入ったりと関
東ではなじみのない場面が見られました。
「どうらん
の幸助」は、落語の中で義太夫節を唸らなくてはな
らず、相当の技量が必要といわれているそうですが
さすがに南光、見事でした。顔の表情、声の出し方
など大げさに振る舞うところなどは枝雀の系統。泥
臭く、ドタバタしたところもありますが、これが上
方落語、関西人には大いに受けます。
南天は、アウェイである関東の聴衆の反応を気に
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して、受けない場面があると、
「知りません??・・・では話題を変えます」などと関西と関東の差を
逆手に取り、観客を笑わせていました。
鬱陶しい梅雨空の下、上方落語で大いに笑わせてもらった 2 時間半でした。
演のあとは例により野毛へ
・・・今年の夏もこの調子で乗り切ろう・・・乾杯!
(ベイサイド 諏訪 隆三 記・写真)
▌じゃお南多摩
南多摩 蕎麦うち会
今年2回目の"南多摩 蕎麦うち会"が 7 月 17 日 10:00-13:00 町田フォーラムで開催されました。
この日 集ったのは総勢 24 名、半数が南多摩のメンバーで他は県央の方と、一般の方に何と 5 名の女性
が参加されました。市民病院でのボランティアグループだそうです。
今回の構成は 信州産そば粉による二八蕎麦です。蕎麦打ちベース、ABCD の 4 卓 4∼6 名、調理班
(天ぷら、天つゆ、薬味、その他)3 名 、テーブルマネージャー、 A 卓:小俣、B 卓:山本、C 卓:
玉木、D 卓:今村、調理卓:飯田、
各テーブル 360g を 2 回、A 卓のみ 600g を 2 回打ちました。主任の玉木氏から挨拶と講師の紹介、
本日の工程の説明などの後 一斉にスタートです。
さて、これを報告する私は既にヨレヨレなれども、今年参加のピカピカ?の 一年生です。蕎麦打ち
で"じゃお"に入れてもらった筈が、あれこれ首を突込み早くもトウが立つ体でもあるらしく、たまたま
コンデジを持ち合わせたことから集合写真を撮ったが故に、この記事まで振られてしまいました。前以
て仰せ付かればキャスター、スパイも努めて隣のテーブルの情報収集くらいは果たしたでしょうが・・・、
私のデータベースにはなにもないのに・・・、 さて どうしたもんじゃろの∼。と、言うことで 我が
C 卓でのドラマを報告しましょう。
水回しの初パナ、計量カップに残したはずの水が殆ど無い、ゆるゆる、あーァ! やっちゃった。蕎
麦を始めた頃は確実にゴミ箱を太らせたものだけれど、もうこれくらいでは動じない。打粉たっぷり、
ペーパーナプキンが無いなら、 延し板に吸わせちゃえ!とまァ、なんとかセーフ。ごまかしも技の内。
それにしても 50cc 単位のカップはいただけない。次回は持参しよう。
申し遅れましたが、我が卓はこじんまりと、玉木講師に蕎麦打ちは初めてと言う女性二人、
「包丁はね、
重心に力が掛かるように、で、垂直に・・・、引かないで押切・・・、」何てね。恐れ多くも料理プロ
の主婦に向かって、
・・
(ふと頭を過る)うちのカミさんなら 3 倍返しは確実だな!・・。切り工程完了、
わ∼オ! ソーメン?
キシメン?
語らずとも苦労
の程が・・・。バラエティに富んでて変化があって
良いんじゃない。
(これぞ建設的思いやり発言、流石
は講師)
終段の茹では 水回しと共に重要な要素であるが、
やはり火力が足りない。50 秒を目安のところ、3 分
強 掛かってしまった。
案じた通り一寸弱腰の仕上がりだ。これは"ゆるゆる
"のせいではない。(と、先のごまかしのダメ押し)。
要改善、次回は釜をダブル使用にして、茹でる回数
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を倍加することにしよう。蕎麦打ちを語るとすればスピード、手際の良さでしょうか?各マネージャー
の気配りで、作業の進行が全卓ほぼ同期が取れていた様に思います。特に打合せもなく次工程の準備と
片付けが同時進行して、蕎麦が茹で上がるタイミングで天ぷらが届き、調理班も手慣れたものです。
更に、入室時より退室時の方が 心なしか綺麗になっていた様に思え、気持ちを豊かにしました。
3360/24=140? 本日一人平均の蕎麦の量です。(一寸多いかな?)
天ぷらも盛り沢山、食べている時のあの笑顔、この分だとデザートがあっても完食ですね。
皆さん、ますます元気、未だまだ育ち盛りです。
これも蕎麦ゆえのこと、つるつる、かめかめ、めでたい、めでたい。ご覧いただき有難うございました。
( 南多摩 山脇 哲郎 記・写真)
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