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ミャンマーの投資環境とリスク - 東京海上日動リスクコンサルティング株式

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ミャンマーの投資環境とリスク - 東京海上日動リスクコンサルティング株式
ミャンマーの投資環境とリスク
~ビジネス展開とリスクマネジメント~
東京海上日動リスクコンサルティング株式会社
2012年7月27日発行
はじめに
2011 年 3 月 11 日に発生した東日本大震災、2011 年秋に発生したタイにおける大洪水、更には
昨今の円高傾向等を背景に、日本企業はリスク分散と資本の有効活用を目指し、海外進出を加速
させている。また、日本政府も経済連携協定(EPA)の拡大を積極的に進めており、日本企業の
海外進出を加速させる要因となっている。特に、新興国(BRICs・VISTA・NEXT11・ASEAN
等)への進出が顕著となっている。一方、これら新興国の優位性の代名詞であった「安価で豊富、
かつ優秀な若年層」は、経済成長に伴う急速な賃金上昇により、優位性が薄れつつある。特に、
中国・インド・ベトナム等では、ストライキが頻発している等、日系企業の収益にも大きな影響
を与えている。そのため、昨今ではミャンマー・ラオス・カンボジア等、これまであまり進出機
会のなかった国への進出が検討されている状況となっている。
特に、ミャンマーは昨今急速に注目を集めている。ミャンマーは 1962 年以降、軍事独裁政権
が続いていたが、1990 年に実施された総選挙で、軍事政権が大敗し、民主化を求める国民民主連
盟(NLD)が議席の約 8 割を獲得した。しかし、軍事政権は選挙結果を無視し、政権移譲を拒否
したため、国際社会から大きな反発を呼び、欧米諸国等を中心に経済制裁が課せられることとな
った。ミャンマーは 1988 年に市場経済復帰を宣言し、外資導入等、経済政策を大きく転換し、
それ以降、高い GDP 成長率を維持している。だが、1962 年から 26 年間におよぶ経済低迷の影
響は大きく、国民 1 人当たりの GDP は 181 ヶ国中 154 番目(831.91 ドル:2011 年)となって
おり、1988 年以降の成長にもかかわらず、ASEAN 諸国の中でも最も低い水準となっている。
このような状況の中で、ミャンマー政府は 2010 年 11 月 7 日、総選挙を実施し、2010 年 11 月
13 日には、NLD の指導者であるアウン・サン・スー・チー(Aung San Suu Kyi)氏の自宅軟禁
措置を解除した他、2011 年 3 月 30 日には民政移管が行われた。それ以降も、新政権は民主化に
向けて、雑誌等の検閲廃止、特定インターネット・サイトへの接続禁止の解除、政治犯への恩赦・
釈放を実施し、スー・チー氏との直接対話、政党登録法の改正を経て、NLD の連邦議会補欠選挙
への参加等が実現することとなった。
2012 年 4 月 1 日に実施された補欠選挙では、全国 45 の選挙区で 17 政党が参加し、43 選挙区
で NLD の候補者が当選し、NLD の国政復帰がなされた。これにより、国際社会のミャンマーに
対する評価も大きく好転した。日本政府も 2012 年 4 月 21 日、28 年ぶりに国家元首として訪日
したテイン・セイン(Thein Sein)大統領と野田首相との首脳会談を経て、円借款の債権放棄、
経済協力等、広範囲にわたる協力関係を表明する等、対ミャンマー政策が大きく転換しているこ
とを内外に印象付けることとなった。また、ミャンマーの外交姿勢も 2014 年の ASEAN 議長国
就任を控え、それまでの中国寄りの姿勢から、ASEAN 諸国や欧米諸国との関係改善を図る等、
外交の多元化に向けた姿勢が見られる。更に、ミャンマー政府は長年問題視されていた多重為替
1
相場の一元化(2012 年 4 月)
・改正外国投資法の最終決定(2012 年 5 月)等、外国資本の導入を
促進するための施策を矢継ぎ早に打ち出しており、投資環境は良好化していると言える。
これまでの日本企業によるミャンマー投資は非常に少額であり、1998 年 4 月から 2011 年 5 月
までの投資累計額は 2.1 億ドルに過ぎない(アパレル等が中心)
。また、2010 年 10 月 1 日現在の
日本企業進出数は 65 社で、在留邦人数は 516 人(日本外務省の統計)に止まっているが、昨今
の情勢変化、更に、日本におけるミャンマーに対する評価の好転に伴い、日本企業によるミャン
マー投資の検討も進んでいる状況である。
しかしながら、高い自然災害リスク・脆弱なインフラ・未整備な法令制度・テロ・汚職体質・
政府発表統計に関する信頼性の低さ等、数多くのリスクを抱えていると言える。また、現政権が
進めている民主化路線が今後停滞する可能性も否定できないことから、政治・経済・社会の全て
の面で不透明な状況も存在している。本稿はミャンマーでのビジネス展開に伴うリスクを中心に
まとめたものである。皆様にとって本稿がミャンマーでのビジネス展開におけるリスクマネジメ
ント体制構築とその先にあるチャンスをつかむ一助となれば、幸甚である。
執筆:東京海上日動リスクコンサルティング株式会社 上席主席研究員 茂木 寿
目次
Ⅰ.ミャンマーの特徴
1.地理的・文化的多様性
2.自然災害が頻発
3.少数民族問題
4.長期間にわたる軍事政権
5.民主化の兆候
6.安価で豊富な労働力
7.豊富な資源
8.未整備なインフラ
9.多重為替相場
10.投資環境の整備
Ⅱ.特徴的なリスクの概要
1.自然災害
2.産業事故
3.医療・感染症
4.インフラに関わる問題
5.人的リスク
6.治安問題
7.労務管理に関わる問題
8.経済問題
9.政治問題
10.社会問題
Ⅲ.リスクマネジメントのポイント
(本内容は、2012年6月20日時点の情報に基づいて作成したものです。)
2
Ⅰ.ミャンマーの特徴
海外でビジネス展開する場合、政治・経済・社会・風土等の特徴を把握した上で進出国・地域の
リスクを考えることが不可欠となる。下記はミャンマーの特徴について、まとめたものである。
【図表 1:ミャンマー地図】
マンダレー
ネピドー
ヤンゴン
【出典:国連】
3
【図表 2:ミャンマー略史】
年月日
概要
1886 年 1 月 1 日
1937 年 4 月 1 日
1942 年 3 月 8 日
1943 年 8 月 1 日
1944 年 3 月 8 日
1945 年 3 月 27 日
1945 年 5 月末
1947 年 7 月 19 日
1948 年 1 月 4 日
1962 年 3 月 2 日
英国がビルマ(ミャンマー)を英領インドに併合
ビルマが英領インドから分離(英連邦自治領)
日本軍がラングーン(ヤンゴン)占領
ビルマ国独立(バー・モウ国家元首)
日本軍によるインパール作戦(~7 月 3 日)
アウン・サン国防相によるクーデター
日本軍がビルマからほぼ撤退
アウン・サン元国防相が暗殺される
ビルマ連邦(Union of Burma)独立
ネ・ウィン将軍によるクーデター(ネ・ウィン将軍が最高指導者に就任)
ビルマ連邦社会主義共和国憲法制定(ビルマ連邦社会主義共和国(Socialist Republic
of the Union of Burma)に国名変更)
高額紙幣廃止令等を契機に学生を中心に反政府運動(8888 民主化運動)
ネ・ウィン大統領退陣
アウン・サン・スー・チー氏がシュエダゴン・パゴダ(仏塔)前で演説
国家法秩序回復評議会(SLORC)による軍事クーデター(再度ビルマ連邦(Union of
Burma)へ国名変更)⇒社会主義の放棄と市場経済復帰を宣言
外国投資法公布
ミャンマー連邦(Union of Myanmar)に国名変更
政府がアウン・サン・スー・チー氏を自宅軟禁
連邦議会総選挙(国民民主連盟(NLD)が大勝⇒軍政側が「民主化より国の安全を優
先する」として権力移譲拒否)
ノーベル委員会がアウン・サン・スー・チー氏のノーベル平和賞受賞を発表
タン・シュエ上級大将が最高指導者に就任
米国・EU が経済制裁発動
ASEAN 加盟
SLORC を国家平和発展評議会(SPDC)に改称
米国が新たな経済制裁発動
キン・ニュン首相が民主化に向けたロードマップ発表
キン・ニュン首相辞任(後任:ソー・ウィン)
EU がミャンマーに対する制裁措置強化を発表
政府がネピドーへの遷都を正式発表
政府によるエネルギーの公定価格引き上げ⇒学生・反政府活動家・僧侶等による大規
模デモ(~9 月末)⇒ミャンマー国軍による武力鎮圧⇒米国 EU 等による制裁強化(10
月)
サイクロン Nargis がミャンマー上陸
■政権側が提出した新憲法案(2008 年憲法)を問う国民投票(92.93%が賛成し承認)
■ミャンマー連邦共和国(Republic of the Union of Myanmar)に国名変更
NLD が総選挙への不参加を決定
連邦議会総選挙(軍事政権側政党が圧勝)
アウン・サン・スー・チー氏の自宅軟禁解除
テイン・セイン大統領就任(民政移管)
ミャンマー政府が ASEAN 首脳会議の議長国(2014 年)に立候補
政治犯を含む全受刑者に恩赦実施
娯楽・スポーツ・児童文学・情報科学・健康の週刊誌・月刊誌の事前検閲廃止
アウン・チー労相がアウン・サン・スー・チー氏と会談
アウン・チー労相とアウン・サン・スー・チー氏との 2 回目の会談(会見後、民主化
に向けた協力に関する共同声明発表)
■国営新聞 3 紙が VOA・BBC 等の外国メディア批判紙面を削除
■政府が国外にいる民主化運動家に帰国を呼びかけ
政府が少数民族武装組織に対し和平交渉を呼びかけ
テイン・セイン大統領がアウン・サン・スー・チー氏と会談
タイを拠点とする民主化勢力系誌「イラワディ」のサイト・BBC のニュースサイト・
1974 年 1 月 3 日
1987 年 9 月
1988 年 7 月 23 日
1988 年 8 月 26 日
1988 年 9 月 18 日
1988 年 11 月 30 日
1989 年 6 月 18 日
1989 年 7 月
1990 年 5 月 27 日
1991 年 10 月 14 日
1992 年 4 月 23 日
1997 年 5 月 21 日
1997 年 7 月 23 日
1997 年 11 月 15 日
2003 年 7 月 28 日
2003 年 8 月 31 日
2004 年 10 月 18 日
2004 年 10 月 25 日
2006 年 10 月 10 日
2007 年 8 月 15 日
2008 年 5 月 3 日
2008 年 5 月 10 日
2010 年 3 月 29 日
2010 年 11 月 7 日
2010 年 11 月 13 日
2011 年 3 月 30 日
2011 年 5 月 7 日
2011 年 5 月 16 日
2011 年 6 月 10 日
2011 年 7 月 25 日
2011 年 8 月 12 日
2011 年 8 月 17 日
2011 年 8 月 18 日
2011 年 8 月 19 日
2011 年 8 月 26 日
4
年月日
2011 年 9 月 5 日
2011 年 9 月 9 日
2011 年 10 月 11 日
2011 年 10 月 12 日
2011 年 10 月 27 日
2011 年 11 月 25 日
2011 年 11 月 30 日
2012 年 1 月 3 日
2012 年 1 月 12 日
2012 年 1 月 13 日
2012 年 1 月 14 日
2012 年 4 月 1 日
2012 年 4 月 4 日
2012 年 4 月 21 日
2012 年 4 月 23 日
2012 年 5 月 9 日
2012 年 5 月 17 日
概要
Youtube・ヤフーでのメールサービス等への接続が可能に
政府が国家人権委員会の設立を発表
ミッチェル米特使兼ミャンマー問題政策調整官が訪緬(~14 日:12 日にアウン・サ
ン・スー・チー氏と会談)
政治犯を含む 6,359 人の服役囚に恩赦
労働組合法公布
改正政党登録法公布
NLD が政党登録を申請
クリントン米国務長官が訪緬(~12 月 2 日:テイン・セイン大統領、アウン・サン・
スー・チー氏等と会談)
政治犯を含む約 6,000 人の服役囚に恩赦(~1 月 4 日)
ミャンマー政府とカレン民族同盟(KNU)が停戦に合意
政治犯 302 人を含む 651 人が恩赦により釈放(キン・ニュン元首相も自宅軟禁解除)
ノルウェー外務省が対ミャンマー貿易・投資の自粛解除を発表
■管理変動相場制に移行
■連邦議会補欠選挙(NLD が 45 選挙区中 43 議席獲得)
クリントン米国務長官が対ミャンマー経済制裁緩和を表明
野田首相とテイン・セイン大統領との首脳会談(東京)
EU が一部項目を除いてミャンマーに対する制裁措置を 1 年間停止することで基本合
意
英フィナンシャル・タイムズ紙がミャンマーの改正外国投資法が最終決定されたと報
道
クリントン米国務長官が対ミャンマー経済制裁措置を停止すると発表
1. 地理的・文化的多様性
① 概要

現在の国名はミャンマー連邦共和国(Republic of the Union of Myanmar:以下「ミ
ャンマー」
)であるが、国名は過去に 4 度変更されている。
·
ビルマ連邦(Union of Burma:1948 年 1 月 4 日~1974 年 1 月 3 日)
·
ビルマ連邦社会主義共和国(Socialist Republic of the Union of Burma:1974
年 1 月 3 日~1988 年 9 月 18 日)
·
ビルマ連邦(Union of Burma:1988 年 9 月 18 日~1989 年 6 月 18 日)
·
ミャンマー連邦(Union of Myanmar:1989 年 6 月 18 日~2008 年 5 月 10 日)
·
ミャンマー連邦共和国(Republic of the Union of Myanmar:2008 年 5 月 10
日~)

ミャンマーは東南アジアの西部に位置しており、東側はタイ及びラオス、北東部は中
国、北西部はインド、西側はバングラデッシュと国境を接している。海岸線はアンダ
マン海、マルタバン湾、ベンガル湾に臨んでおり、海岸線は約 2,400km に達している。

中国・インドにはさまれ、アンダマン海・ベンガル湾等に面していることから、地理
的要衝となっている。例えば、中国にとっては、ミャンマーから陸路で中国南部に輸
送路が確保された場合、マラッカ海峡等を通らずに物流を確保できることとなる。ま
た、タイにとっても、同様のことが言える。

ミャンマーの面積は 676,577 平方 km で、南北に長い地形(南北最長 2,052 km・東
西最大幅 937 km)となっており、日本の約 1.8 倍の面積があり、東南アジアの大陸
5
部諸国の中で最大の面積を有している。

ミャンマーの 2011 年の人口は 6,241.7 万人となっており、ASEAN 諸国 10 ヶ国中、5
番目の規模となっている。また、2011 年から 2017 年にかけての人口増加率(予測)
は年平均 2.01%となっており、ASEAN 諸国中で最も高い部類となっている。
② 地勢

ミャンマーは起伏に富み、北部から東部・西部に山脈が広がっている。高地は北部か
ら南部に延び、中央部は大きな平原・峡谷となっている(東部高地・西部山岳地帯・
中央平原・沿岸地域の 4 つに大別される)。

河川のほとんどは、北部の高地から南部の沿岸部に流れており、大河川としてはエー
ヤワディ川・タンルウィン川・チンドウィン川・シッタウン川がある。なお、エーヤ
ワディ川は全長 1,992 km で最長であり、アンダマン海に流れ込み、ヤンゴン等があ
るデルタ地帯を形成している。
③ 気候

ミャンマー国土の大半は熱帯性気候で、暑季(2 月中旬~5 月中旬)
・雨季(5 月中旬
~10 月中旬)・乾季(10 月中旬~2 月中旬)の 3 つの季節がある。西部沿岸部にある
ラカイン州及び南部海岸部のタニンダーリ管区は降雨が多く、年間の降雨量は
4,000mm~5,600mm に達する。

また、デルタ地帯での年間降雨量は 2,000 mm 程度、乾燥地帯では 1,000 mm 程度と
なっている。

例年、12 月~1 月が最も涼しく、4 月~5 月が最も暑くなる。
④ 民族・宗教

ミャンマーの主要民族はビルマ族(68%)である。その他の民族としてはシャン族
(9%)・カレン族(7%)
・ラカイン族(3.5%)・華僑(2.5%)・モン族(2%)・カチン
族(1.5%)等がおり、少なくとも 135 の少数民族を有する多民族国家となっている。

宗教は上座部仏教(90%)が全体のほとんどを占め、その他、キリスト教(4%)・イ
スラム教(4%)
・精霊崇拝(1%)
・ヒンズー教(1%)等となっている。なお、少数民
族においては、キリスト教が相対的に多くなっており、カレン族の約 30%、カチン族
の約半分はキリスト教徒であると言われている。

言語はビルマ語が公用語となっており、その他、少数民族諸語(シャン語・カレン語
等)が話されている。
2. 自然災害が頻発

既述の通り、ミャンマーは地理的に多様性に富んでいることから、様々な種類の自然災
害が発生している。

特に、サイクロンについては、ミャンマーを通過することも多く、これまでも甚大な被
害が発生している。また、大河が南北に流れていることから、洪水も慢性的に発生して
いる。

更に、ミャンマーは地震多発地帯となっている。これは、ミャンマーの複雑な地殻構造
によるところが大きい。
6
3. 少数民族問題

既述の通り、ミャンマーは多民族国家である。特に、山岳地帯には多くの少数民族がい
る。

これら山岳少数民族は英国統治時代(1886 年~1948 年)には、軍・警察として徴用さ
れ、ビルマ族等の統治に利用された歴史を持っており、ビルマ族との間で根深い感情的
対立があるとされている。

ミャンマー独立(1948 年)以来、これら山岳少数民族が武装組織を設立し、分離独立等
を標榜し、軍事行動・テロ等を継続している。特に、東部山岳地帯のカレン族はカレン
民族同盟(KNU:Karen National Union)
・カレン民族解放軍(KNLA:Karen National
Liberation Army)を設立し、ミャンマー国軍等に対するゲリラ攻撃の他、都市部等での
テロ活動も行っている。これに対し、ミャンマー国軍も掃討作戦を繰り返しており、多
くのカレン族難民が隣国のタイに逃れている状況である。

それ以外でも、シャン族等を含め数多くの少数民族武装組織が存在している状況である。
4. 長期間にわたる軍事政権

1044 年、最初のビルマ族による統一王朝(パガン王朝:1044 年~1287 年)が成立した。
その後、タウングー王朝・コンバウン王朝等を経て、1886 年に英領インドに編入された。

ビルマ人による対英独立運動は第一次世界大戦中に始まり、1942 年には独立の父である
アウン・サン(Aung San)将軍がビルマ独立義勇軍を率い、日本軍と共に英国軍を駆逐
し、1943 年 8 月 1 日、ビルマ国が建国された。その後、日本軍が敗退したため、再度、
英領となったが、1948 年 1 月 4 日にビルマ連邦として、独立を果たした。

独立直後からのカレン族による独立闘争、ビルマ共産党の政権離脱等、政権は当初から
不安定な状態であった。また、シャン族が多く居住するシャン州は半独立状態となって
いたが、1950 年代半ばまでに武力により、政権の治世下となった。このような過程で、
国軍が権力を増大させたが、それが軍事政権の下地となったと言われている。

1962 年 3 月 2 日にネ・ウィン(Ne Win)将軍による軍事クーデターにより、軍事政権
が誕生し、ビルマ社会主義計画党(BSPP)の実質的な一党独裁体制となった。同軍事政
権はビルマ式社会主義を標榜し、1974 年 1 月 3 日にビルマ連邦社会主義共和国憲法が制
定され、ネ・ウィンは大統領に就任した。

ネ・ウィン政権は農業を除く主要産業の国有化等、社会主義経済政策を推進したが、こ
の閉鎖的経済政策等により、外貨準備の枯渇・生産の停滞・対外債務の増大等、経済問
題が顕在化し、1987 年 12 月には国連から後発開発途上国(LLDC)の認定を受けるに
至った。

また、民主化を求める大衆運動が高揚し、1988 年 7 月 23 日にはネ・ウィン政権が退陣
した。その後、1988 年 9 月 18 日には、政権を離反した軍部が再度クーデターにより、
国家法秩序回復評議会(SLORC)を組織し、政権を掌握した(1997 年 11 月 15 日、SLORC
は国家平和開発評議会(SPDC)に改組された)
。

新軍事政権が公約した国民代表院(下院)の総選挙は 1990 年 5 月 27 日に実施され、ア
ウン・サン・スー・チー氏率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝したものの、政府は民政
移管のためには堅固な憲法が必要であるとして政権移譲を拒否した。また、この総選挙
7
以降、政権側はスー・チー氏に自宅軟禁措置を課した。これに対し、同氏は政府を激し
く非難し、両者の対立が続いた(スー・チー氏は 1991 年、ノーベル平和賞受賞)
。

新政権は社会主義政策を放棄する旨発表すると共に、外国投資法の制定等、経済開放政
策を推進した。しかしながら、非現実的な為替相場・硬直的な経済構造等が発展の障害
となり、外貨不足が顕在化し、2003 年 2 月には民間銀行利用者の預金取付騒ぎが発生し
た。また、これに伴い、民間銀行・一般企業が深刻な資金不足に陥った。

2003 年 5 月には、スー・チー氏が政府当局に拘束され、同年 9 月以降、3 回目の自宅軟
禁下に置かれた。これに対し、米国は 2003 年 7 月 28 日、新たな対ミャンマー経済制裁
措置を発動したことから、国内産業が大きな打撃を受けることとなり、経済の鈍化を招
いた。更に、2004 年 10 月 25 日には EU がミャンマーの民主化状況に進展が見られない
としてミャンマー国営企業への借款の禁止等を含む制裁措置の強化を決定した。

一方、政権側は 2003 年 8 月 31 日、民主化に向けた 7 段階の「ロードマップ」を発表し、
その第一段階として、憲法の基本原則を決定するための国民会議を開催する旨表明した。
また、同年 5 月には国民会議が約 8 年ぶりに再開され、民主化への兆候も見られた。し
かしながら、これらを推進したキン・ニュン(Khin Nyunt)首相が 2004 年 10 月 18 日
に解任されたことにより、民主化の道は再度途絶えることとなる。

2007 年 8 月、政府によるエネルギーの公定価格引き上げ(最大 5 倍)が引き金となり、
9 月には大規模なデモに発展した。これに対し、政府はデモ参加者に対し、実力行使を行
い、邦人 1 人を含む多数の死傷者が発生した。これに対し、米・EU は経済制裁措置の強
化策を相次いで発表し、オーストラリアも金融制裁措置を発表した。

2008 年 5 月 10 日、新憲法草案採択のための国民投票が実施(一部地域は 24 日に実施)
され、92.93%の賛成票で新憲法が承認された。この新憲法下で初となる総選挙(連邦議
会:上院(民族代表院)及び下院(国民代表院)
)が 2010 年 11 月 7 日に実施されたが、
スー・チー氏率いる NLD は同総選挙をボイコットした。

このような状況下、ミャンマー経済は成長を続けたものの、他の新興国との格差は拡大
することとなった。そのため、ミャンマー政府も軟化の方向に向かい、2010 年 11 月 13
日にはスー・チー氏に対する自宅軟禁措置が解除された。

また、2011 年 1 月 31 日には総選挙の結果に基づく連邦議会が召集され、2 月 4 日、正
副大統領が選出された。2011 年 3 月 30 日には、国家平和開発評議会(SPDC)から政権
を移譲されたテイン・セイン(Thein Sein)文民政権が発足し、民政移管が実現した。

しかしながら、1962 年以降、現在まで実質的な軍事政権下にあることに変化はない。社
会主義体制・軍事政権が長期間にわたっていることから、政府機関の非効率化・汚職体
質が蔓延しているとも言われている。そのため、ミャンマーに進出する外国企業にとっ
ては、各種許認可の取得等が煩雑(輸出入は契約毎にライセンスを取得する必要がある
等)かつ、長時間を要する場合も多く、ミャンマーに進出する場合の障害ともなってい
る。また、政府が発表する統計資料も貧弱・不正確であることも、外国企業によるミャ
ンマー進出の足かせとなっている。
8
5. 民主化の兆候

2011 年 3 月 30 日の民政移管後、新政権は民主化に向けて、雑誌等の検閲廃止、特定イ
ンターネット・サイトへの接続禁止の解除、政治犯への恩赦・釈放を実施し、スー・チ
ー氏との直接対話、政党登録法の改正を経て、NLD の連邦議会補欠選挙への参加等が実
現することとなった。

2012 年 4 月 1 日に実施された補欠選挙では、全国 45 の選挙区で 17 政党が参加し、43
選挙区で NLD の候補者が当選し、NLD の国政復帰がなされた。テイン・セイン大統領
も、この補欠選挙を「公正に実施され、非常に成功だった」と発言する等、ミャンマー
民主化の進展を国際社会にアピールした。これにより、国際社会のミャンマーに対する
評価も大きく好転することとなった。

日本政府も 2012 年 4 月 21 日、28 年ぶりに国家元首として訪日したテイン・セイン大統
領と野田首相との首脳会談を経て、円借款の債権放棄、経済協力等、広範囲にわたる協
力関係を表明する等、対ミャンマー政策が大きく転換していることを内外に印象付ける
こととなった。

米国政府も、この補欠選挙を好意的に受け止め、米国のクリントン国務長官は 2012 年 4
月 4 日、経済制裁を段階的に緩和する方針を表明した。また、EU は 2012 年 4 月 23 日、
ミャンマーの民主化進展を評価して、武器の輸出禁止等、一部項目を除いて、ミャンマ
ーに対する制裁措置を 1 年間停止することで基本合意した。

更に、カナダ・オーストラリアも経済制裁停止を発表しており、国際的な経済制裁が徐々
に緩和される方向となっている。また、国際社会から大きな非難を受けていた少数民族
問題についても、現政権による停戦交渉が行われ、2012 年 1 月 12 日には最強硬派であ
るカレン族との間で停戦合意がなされた。
6. 安価で豊富な労働力

ミャンマーは 1988 年に市場経済復帰を宣言し、外資導入等、経済政策を大きく転換し、
それ以降、高い GDP 成長率を維持している。しかしながら、26 年間におよぶ経済低迷
の影響は大きく、2011 年の国民 1 人当たりの GDP は 181 ヶ国中 154 番目(831.91 ドル)
となっており、ASEAN 諸国の中でも最も低い水準となっている。

また、最新の統計が 1997 年のものになるが、労働人口に占める農業就労者は 51.1%に
達しており、第一次産業従事者が非常に多い(農村部の居住者数は全人口の約 3 分の 2
と言われている)という状況である。このことは、農村部の余剰労働者を活用すれば、
労働力不足が当分発生しないことを意味している。

労働者の平均賃金はカンボジア・ラオスと比べても、格段に低くなっている。JETRO の
2012 年 4 月発表の「アジア・オセアニア主要都市・地域の投資関連コスト比較」によれ
ば、ヤンゴンのワーカー(一般工職)の月給基本給は 68 ドルであり、調査対象都市中、
最低となっている。ちなみに、中国の上海が 439 ドル、ベトナムのホーチミンが 130 ド
ル、カンボジアのプノンペンでも 82 ドルとなっており、ミャンマーにおける労働コスト
が極めて低廉であることが分かる。

一方、ミャンマーでは伝統的に僧院での寺子屋式教育が普及し、歴代政府がビルマ語の
普及に務めてきたため、識字率は約 80%と開発途上国の中では高い水準となっている。
9
また、旧英国植民地であることから、初等教育より英語教育が行われており、ビジネス
上で英語が広く使用されている。

また、国民性が勤勉・温和であり、かつ、親日的であることも、日本企業にとっては大
きなメリットとなっている。更に、労働関連法令が十分に整備されていないことから、
労働争議も相対的に少なく、労務管理上の利点も多い。
7. 豊富な資源

ミャンマーに天然資源が豊富なことは、日本統治下においても知られていた。現在、金・
銀・銅・錫・亜鉛・タングステン等が生産され、海外にも輸出されているが、これ以外
にも豊富な天然資源が存在するものと期待されている。

MOGE(ミャンマー石油ガス公社)によれば、2006 年 4 月現在のミャンマーの原油確認
埋蔵量は陸上で 1 億 1,512 万バーレル、海上で 1 億 89 万バーレルであり、生産も行われ
ている。一方、天然ガスの確認埋蔵量は 16 兆 1,547 億立方フィートであり、比較的大規
模な埋蔵量を有しており、2010 年の実績で 121 億立方メートルが生産され、そのうち、
88.1 億立方メートルがタイに輸出されている(これが外貨収入の大部分を占めている)。

また、国土の半分以上が森林であり、チーク材・硬木等の豊富な森林資源を有している。
更に、農業については、第二次世界大戦前のミャンマーが「アジアのライスボール(米
櫃)
」と呼ばれた程の米作地帯である。なお、2010 年における GDP に占める農業部門比
率は、近年徐々に低下しているが、それでも 36.36%に達している状況である。

一方で、このことは工業化が進んでいないことの証左であると言える。既述の通り、軍
事政権下での経済政策の失敗と国際的な経済制裁により、他の ASEAN 諸国のように
ODA(政府開発援助)によるインフラ整備及び外資の導入を基にした輸出主導型の経済
発展がなされなかったと言える。

なお、ミャンマーは国土の南北を複数の大河が流れていることから、水力発電において
も、高い潜在性を有していると言える。
8. 未整備なインフラ

ミャンマーに進出する際に最も大きな障害となるものが、インフラが脆弱な点である。

現在、ミャンマーには開発中を含め、数多くの工業団地が存在するが、外資系企業が入
居できる状態となっているのは、1 ヶ所のみと言われている。

ミャンマーの発電能力はベトナムの 10 分の 1 以下となっており、恒常的に電力不足とな
っている。

また、物流に関するインフラについても、道路の舗装率は低く、港湾設備も極めて貧弱
である。

更に、通信インフラも極めて貧弱であり、固定電話回線数・携帯電話台数は他の ASEAN
諸国に比べても極端に少ない状況となっている。
10
9. 多重為替相場

ミャンマーでは長年、チャットの多重為替相場の存在が海外企業進出の足かせとなって
いた。

これに対し、ミャンマー政府は 2012 年 4 月 1 日、チャットの管理変動相場制を導入した。
これにより、多重為替相場の一本化が図られ、それ以降、ほぼ実勢レートに近い為替相
場で推移している。

その意味では、海外企業が進出する場合の足かせとされていた多重為替相場は、解消さ
れつつあると言える。
10. 投資環境の整備

ミャンマーにおける外国企業の進出・投資に関しては、1988 年 11 月 30 日に制定された
「ミャンマー連邦外国投資法」がある。また、具体的な規則については、1988 年 12 月 7
日に制定された「ミャンマー連邦外国投資法に関する施行細則」で規定されている。更
に、2011 年 1 月 27 日には、「ミャンマー連邦共和国経済特区法」も制定された。

ミャンマー連邦外国投資法の規定内容は簡潔であり、世界の外資法の中でも最も開放的
かつ、多くの優遇措置が設けられていることが特長となっている。例えば、製造業・非
製造業を問わず、100%外資の進出も可能となっている。

更に、日本から見た場合、日本との間で経済連携協定(EPA)が 2008 年 12 月 1 日に発
効しており、更に、ミャンマーは日本政府より発展途上国に認定されていることから、
一般特恵関税制度(GSP:Generalized System of Preferences)が適用されている。そ
のため、ミャンマーから輸入される一定の農水産品・鉱工業産品に対し、一般の関税率
よりも低い税率(特恵税率)が適用されている等の利点も多い。

ミャンマーでは今年(2012 年)に入り、外国投資法の改正作業が終了し、最終決定がな
されている。これには、外国企業に対する 5 年間(一定の条件を満たせば 3 年間の延長
が可能)の免税措置も含まる予定である。また、外国企業の土地利用条件・法的な枠組
み、進出企業優遇策等も盛り込まれる予定である。

また、貿易手続の改善、2012 年 5 月中旬には完成車の輸入が実質的に解禁される等、ミ
ャンマー政府は矢継ぎ早に政策変更・決定を行っており、外国企業の投資に関する法制
度の整備は今年(2012 年)大きく進展するものと期待されている。
11
Ⅱ.特徴的なリスクの概要
1. 自然災害
ミャンマーは地理的に多様性に富んでいることから、各種自然災害の発生頻度が高い。特
に、サイクロンについては、ミャンマーに上陸することも多く、これまでも甚大な被害が
発生している。また、大河が南北に流れていることから、洪水も慢性的に発生している。
更に、あまり知られていないが、ミャンマーは地震多発地帯となっている。なお、2003 年
以降では、下記のような自然災害が発生している。

2003 年 9 月 22 日:タウングドゥウィンギュイ地震(M6.8):死者 7 人

2004 年 12 月 26 日:スマトラ沖地震:死者 61 人(津波)

2006 年 4 月 25~29 日:サイクロン Mala:死者 37 人

2008 年 4 月 28~5 月 3 日:サイクロン Nargis:死者 84,537 人・行方不明者 53,836
人(ミャンマー上陸日は 5 月 3 日)

2010 年 10 月 22 日:サイクロン Giri:死者 45 人

2011 年 3 月 24 日:2011 年ミャンマー地震(M6.9):死者 120 人以上・行方不明者
150 人・負傷者 200 人以上

2011 年 10 月 20 日:マグウェ管区での洪水:死者 151 人
① サイクロン

インド洋北東部のベンガル湾はインド・バングラデシュ・ミャンマーに囲まれた湾で
あり、サイクロンが発生する場所となっている。

一般的にベンガル湾で発生したサイクロンは西に向かい、インド東部に上陸すること
がほとんどである。しかしながら、途中で東に転向する場合があり、この場合には、
ミャンマーに接近又は上陸することとなる。

サイクロンの主な被害としては、暴風雨・豪雨・高潮が挙げられるが、ミャンマーに
おけるサイクロン被害の大部分は高潮によるものとなっている。

既述の通り、ミャンマーの農業就労者は 51.1%(1997 年)に達しており、そのほと
んどは、南部海岸地帯の海抜の低い稲作地帯(デルタ地帯)に集中している。そのた
め、サイクロンが接近・上陸する場所は農業就労者が密集する地帯であり、被害も甚
大になる傾向がある。

ミャンマー政府の発表によれば、1887 年から 2005 年にかけての 119 年間にベンガル
湾で発生したサイクロンは 1,248 個(年平均 10.5 個)であり、そのうちの 80 個(全
体の 6.4%:年平均 0.67 個)がミャンマーに上陸している。

サイクロンの発生時期は 4 月から 12 月の間であるが、ほとんどは雨季の前の 4 月~5
月及び雨季の後の 10 月~12 月である。

このようにミャンマーに上陸するサイクロンは年平均 0.67 個と少ない数値となるが、
実際にサイクロンがミャンマーに上陸した場合には、これまでも、甚大な被害をミャ
ンマーにもたらしている。

2008 年 5 月 3 日にはサイクロン Nargis がエーヤワディ管区及びヤンゴン管区に上陸
し、約 1 週間にわたりミャンマーの人口密集地を直撃し、死者 84,537 人・行方不明
12
者 53,836 人・被害総額 13 兆チャットに上る甚大な被害をもたらした。なお、このサ
イクロン Nargis 上陸に伴い、高潮が 7.02m に達した地点もあった。
【図表 3:ミャンマーにおける主なサイクロン被害】
年月日
上陸地点
ラカイン州
シットウェ県
ラカイン州
シットウェ県
1948 年 10 月 6~8 日
1952 年 10 月 22~24 日
1967 年 5 月 15~18 日
ラカイン州
チャウッピュー県
1967 年 10 月 20~4 日
ラカイン州
シットウェ県
1968 年 5 月 7~10 日
1975 年 5 月 5~7 日
1978 年 5 月 12~17 日
1982 年 5 月 1~4 日
1992 年 5 月 16~19 日
1994 年 5 月 2 日
2006 年 4 月 25~29 日
(サイクロン Mala)
2008 年 4 月 28 日~5 月 3 日
(サイクロン Nargis)
2010 年 10 月 22 日
(サイクロン Giri)
ラカイン州
シットウェ県
エーヤワディ管区
パテイン県
ラカイン州
チャウッピュー県
ラカイン州
グワ県
ラカイン州
サンドウェ県
ラカイン州
モンドウ県
ラカイン州
グワ県
エーヤワディ管区及
びヤンゴン
ラカイン州
シットウェ県
被害概要
死傷者有・被害総額 1,000 万チャット
死者 4 人・被害総額 1,000 万チャット
■エーヤワディ管区パテイン県:被害総額 1,000 万
チャット
■ラカイン州チャウッピュー県:被害総額 2,000 万
チャット
■シットウェ県:死者 2 人・90%の家屋倒壊・被害
総額 1,000 万チャット
■チャウッピュー県:90%の家屋倒壊・被害総額
500 万チャット
■ザガイン管区モンユワ県:死者 100 人以上
死者 1,037 人・家屋倒壊 57,663 棟・被害総額 1,000
万チャット
死者 303 人・家屋倒壊 246,700 棟・被害総額 4 億
4,650 万チャット
チャウッピュー県:90%の家屋倒壊・被害総額 2 億
チャット
グワ県:死者 27 人・90%の家屋倒壊・被害総額 8,240
万チャット
死者 27 人・被害総額 1 億 5,000 万チャット以上
被害総額 5,900 万チャット
死者 37 人・被害総額 4 億 2,856 万チャット
死者 84,537 人・行方不明者 53,836 人・被害総額
13 兆チャット
死者 45 人・被災者総数 26 万人
【出典:Hazard Profile of Myanmar(ミャンマー政府:2009 年 7 月)等】
② 洪水

ミャンマーにおいて、サイクロンと共にリスクの高い自然災害として、洪水を挙げる
ことが出来る。

ミャンマーには大河川として、エーヤワディ川・タンルウィン川・チンドウィン川・
シッタウン川があるが、ミャンマーの大都市のほとんどは、これら大河川の近くに位
置している。そのため、これら大都市は、河川による運輸が発達しており、経済活動
の大動脈となっている。

一方、これら大都市は洪水のリスクが高い。特に、昨今の都市部への人口移動、宅地
開発等により、洪水のリスクが更に高まっており、ミャンマー政府も洪水対策・治水
対策を急いでいる状況である。
13


ミャンマーにおける洪水は主に下記のように分類される。
·
河川の堤防決壊・ダム決壊等による洪水(外水)
·
山間部における土石流
·
都市部における洪水(内水)
·
サイクロン等に伴う洪水
上記 4 つの類型による洪水は、ミャンマーのほぼ全域で発生しており、特に、大河川
の周辺地域が高い発生頻度となっている。

1997 年から 2007 年にかけての 11 年間に、主なものとして、ミャンマーでは 21 回の
洪水が発生しており、ほぼ、年に 2 回は洪水が発生していることとなる。
【図表 4:ミャンマーにおける主な洪水被害】
年月日
1997 年 7 月 8 日
1997 年 9 月 25 日
1997 年 7 月 11 日
1997 年 7 月 13 日
1997 年 7 月 9 日
1997 年 6 月 7 日
1997 年 7 月 7 日
1997 年 8 月 1 日
1991 年 8 月 31 日
1997 年 7 月 10 日
2001 年 6 月 2 日
2002 年 8 月 18 日
2002 年 8 月 18 日
2002 年 8 月 19 日
2002 年 8 月 19 日
2002 年 9 月 8 日
2003 年 7 月 3 日
2006 年 10 月 9 日
2006 年 9 月 11 日
2006 年 10 月 9 日
発生場所
ザガイン管区
ホマリン県
ザガイン管区
ホマリン県
ザガイン管区
パウンピン県
ザガイン管区
モーライク県
カチン州
ミッチーナー県
ヤンゴン管区
カヤン県
バゴー管区
バゴー県
カレン州
カレン州
パアン県
ラカイン州
チャウットー県
マンダレー管区
ウンドゥーイン県
ザガイン管区
モンユワ県
ザガイン管区モンユワ県
(Salingyi)
ザガイン管区モンユワ県
(Kani)
モン州
チャイクマロー県
ヤンゴン管区
シュエーピィター県
ザガイン管区
カムティ県
マンダレー管区
チェウセ県
ザガイン管区
マンダレー管区
チャウパダン県
14
被害家屋数
(棟)
被災者総数
(人)
死者数
(人)
被害総額
(チャット)
9,916
59,594
-
9,900,000
3,867
28,399
-
23,800,000
6,652
44,143
2
-
3,622
21,897
-
-
4,254
30,615
4
3,300,000
1,189
5,878
-
-
6,629
33,768
50
-
18,804
109,840
-
-
2,669
14,488
-
-
1,030
5,983
-
5,000,000
463
2,172
42
-
9,178
48,746
-
253,500,000
1,647
10,216
-
-
2,042
12,048
-
244,700,000
829
4,686
-
41,400,000
886
4,541
-
-
1,230
8,131
-
-
1,443
7,045
-
35,100,000
770
5,372
-
-
14
97
16
年月日
2007 年 7 月 24 日
2009 年 7 月 4 日
2010 年 6 月 16 日
2011 年 10 月 20 日
発生場所
カチン州
バンモー県
カチン州
ラカイン州
チャウットー県
マグウェ管区
被害家屋数
(棟)
被災者総数
(人)
死者数
(人)
被害総額
(チャット)
600
3,167
-
-
-
1,000
-
-
-
-
25
-
2,500
35,734
151
-
【出典:Hazard Profile of Myanmar(ミャンマー政府:2009 年 7 月)等】
③ 地震

あまり知られていないが、ミャンマーは地震多発地帯となっている。これは、ミャン
マーの複雑な地殻構造によるところが大きい。

ミャンマー西部からバングラデシュ及びインドにかけて、インド・オーストラリアプ
レートとユーラシアプレートの境界があり、同地域から東部にかけて、地震が頻発し
ている。但し、ミャンマー国内で発生する同境界面に起因する地震は、震源の深さが
深いという特徴がある。

一方、ミャンマー中央部を南北に走る大規模な断層である Sagaing 断層(ビルマ中央
断層)は横ずれの活断層であり、過去にも M7.0 以上の地震が数多く発生している。

この Sagaing 断層は、南はヤンゴン東部のバゴー管区のバゴー県から首都ネピドー、
更には第二の都市であるマンダレーを貫き、中国国境のカチン州まで伸びており、全
長 1,200km に達する断層帯である。

今後、この断層帯で地震が発生した場合には、政治・経済・社会に大きな被害をもた
らすことが危惧されている。なお、この断層の東部では、1912 年 5 月 23 日に M8.0
の地震も発生している。

なお、下記図表はミャンマー国内で発生した主な歴史地震の一覧であるが、そのほと
んどは、Sagaing 断層帯で発生しており、今後も、同断層帯では M6.8~8.0 クラスの
地震が発生する可能性が高いことに留意が必要である。

なお、ヤンゴン市内を含め、地震対策は、それ程、講じられていない状況であること
から、発生した場合の被害は甚大になる可能性が高いことにも留意が必要である。
【図表 5:ミャンマーにおける主な歴史地震】
年月日
震源
マグニチュード
主な被害
868 年
875 年
1429 年
1467 年
1485 年 7 月 24 日
1501 年
1564 年 9 月 13 日
1567 年
1582 年
1588 年 2 月 9 日
1591 年 3 月 30 日
1620 年 6 月 23 日
バゴー管区バゴー県
バゴー管区バゴー県
マンダレー管区インワ県
マンダレー管区インワ県
ザガイン管区
マンダレー管区インワ県
バゴー管区バゴー県
バゴー管区バゴー県
バゴー管区バゴー県
バゴー管区バゴー県
バゴー管区バゴー県
マンダレー管区インワ県
-
シュエモード・パゴダ(仏塔)倒壊
シュエモード・パゴダ倒壊
防火壁が倒壊
パゴダ等が倒壊
3 つのパゴダが倒壊
パゴダ等が倒壊
シュエモード・パゴダ等複数のパゴダ倒壊
チャイッコ・パゴダ倒壊
マハーゼディー・パゴダの天蓋倒壊
パゴダ等が倒壊
バゴーの涅槃仏被害
地割れ等の被害
15
年月日
震源
マグニチュード
主な被害
1637 年 8 月 18 日
1646 年 9 月 10 日
1648 年 6 月 11 日
1660 年 9 月 1 日
1690 年 4 月 3 日
1696 年 9 月 15 日
1714 年 8 月 8 日
1757 年 6 月 4 日
マンダレー管区インワ県
マンダレー管区インワ県
マンダレー管区インワ県
マンダレー管区インワ県
マンダレー管区インワ県
マンダレー管区インワ県
マンダレー管区インワ県
バゴー管区バゴー県
-
1762 年 4 月 2 日
ラカイン州シットウェ県
7.0
1768 年 12 月 27 日
1771 年 7 月 15 日
1776 年 6 月 9 日
1830 年 4 月 26 日
1839 年 3 月 21 日
バゴー管区バゴー県
マンダレー管区インワ県
マンダレー管区インワ県
マンダレー管区インワ県
マンダレー管区インワ県
-
1839 年 3 月 23 日
マンダレー管区インワ県
-
1843 年 2 月 6 日
1848 年 1 月 3 日
ラカイン州チャウッピュー県
ラカイン州チャウッピュー県
-
1858 年 8 月 24 日
バゴー管区 ピエ県
-
1888 年 10 月 8 日
バゴー管区バゴー県
-
1912 年 5 月 23 日
マンダレー管区メイミョー県
8.0
1913 年 3 月 6 日
1917 年 7 月 5 日
1927 年 9 月 10 日
1927 年 12 月 17 日
1929 年 8 月 8 日
バゴー管区バゴー県
バゴー管区バゴー県
ヤンゴン管区
ヤンゴン管区
バゴー管区タウングー県
7.0
1930 年 5 月 5 日
ヤンゴン管区カヤン県
7.3
1930 年 12 月 3 日
バゴー管区ニャングレビン県
7.3
1931 年 1 月 27 日
カチン州ミッチーナー県
7.6
1931 年 8 月 10 日
1931 年 3 月 27 日
1931 年 5 月 16 日
1931 年 5 月 21 日
1946 年 9 月 12 日
1956 年 7 月 16 日
1976 年 7 月 8 日
マンダレー管区ピンマナ県
ヤンゴン管区
ヤンゴン管区
ヤンゴン管区
マンダレー管区タガウン県
ザガイン管区
マンダレー管区バガン県
マグウェ管区
タウングドゥウィンギュイ県
7.8
7.0
6.8
シャン州
6.9
川が決壊
4 つのパゴダが倒壊
パゴダ等が倒壊・川が決壊し洪水発生
シュエモード・パゴダ倒壊
ラカイン州からバングラデシュにかけて
甚大な被害
パゴダ等倒壊
パゴダ等倒壊
旧王宮等を含め多くの建物が倒壊
多くのパゴダ等が倒壊・川の決壊で洪水
発生・300~400 人が死亡
沖合のラムリー島の泥火山噴火
建物等に被害
数多くの建物倒壊・ヤンゴンでも建物倒壊
等の被害
パゴダ等倒壊
死者を含め甚大な被害があった模様である
が詳細不明
シュエモード・パゴダ倒壊
シュエモード・パゴダ被害
ヤンゴンの他、エーヤワディ管区でも被害
(スワ地震)地割れ・道路・橋等の倒壊
バゴーで死者 500 人・ヤンゴンで死者 50
人
死者 30 人
(ミッチーナー地震)地割れ等の被害
(詳細不明)
同日に M7.5 の余震も発生
複数のパゴダ倒壊・死者 40~50 人
複数のパゴダ倒壊・死者 1 人
(タウングドゥウィンギュイ地震)
建物等に被害
(2011 年ミャンマー地震)死者・行方不明
者 270 人以上・負傷者 200 人以上
2003 年 9 月 22 日
2011 年 3 月 24 日
6.8
【出典:Hazard Profile of Myanmar(ミャンマー政府:2009 年 7 月)等】
④ その他

干ばつ
·
ミャンマーにおける自然災害として、干ばつが挙げられる。
·
しかしながら、干ばつが発生する地区は限定的であり、ヤンゴンの北北西約 400km
16
の谷間の地帯である。場所としては北緯 19 度から 23 度の間で、東経 94 度から 96
度の間に挟まれた地域(南北約 400km・東西約 120km)である。また、標高 150
~400m の場所となっている。
·
なお、ヤンゴン・ネピドー・マンダレー等の大都市周辺では干ばつ等の可能性は極
めて低い状況である。

山火事
·
ミャンマーは東南アジアでも最大の森林地帯を有する国であり、全土の 50.87%は
森林地帯となっている。
·
山火事の原因としては、干ばつ等による極度の乾燥に伴うものよりも、人為的な原
因によるものがほとんどと言われている。
·
山火事の発生時期は主に乾季であり、3~4 月が最も多い。なお、森林地帯が多い
割には、山火事がそれ程、広範囲に広がらないという特徴もある。

地すべり
·
ミャンマーは起伏に富んだ地形となっており、西部にアラカン山脈、中心部にペグ
ー山脈、北東部にはタイ・ラオス・中国との国境地帯の高原地帯がある。
·
そのため、地すべりの発生頻度も高くなっている。
·
原因としては雨季の豪雨・地震・サイクロン等によるものであるが、大都市周辺等
での発生の可能性は低いと言える。

高潮
·
ミャンマーの海岸線は 2,400km に及んでおり、高潮の頻度も高くなっている。
·
特に、サイクロン等の熱帯性低気圧に伴う高潮で、これまでも大きな被害が発生し
ている。
·
例えば、サイクロン Mala(2006 年 4 月 25~29 日)ではラカイン州グワ県で 4.57m、
サイクロン Nargis(2008 年 4 月 28~5 月 3 日)ではエーヤワディ管区ピンサル県
で 7.02m の高潮が記録されている。

津波
·
ミャンマーの海岸線は 2,400km に及んでおり、海岸線の南部はインド洋・アンダ
マン海に面している。そのため、津波の被害も発生している。
·
過去の津波の記録としては、1881 年 12 月 31 日のニコバル諸島地震(M7.9)及び
1941 年 6 月 26 日のアンダマン諸島地震(M7.7)がある。
·
また、2004 年 12 月 26 日のスマトラ沖地震では、エーヤワディ管区及びラカイン
州を中心に 61 人が死亡している。
·
今後もインド洋での地震発生に伴い、津波の被害が発生することが予想される。
2. 産業事故
① 火災・爆発

ミャンマーでは防火・消防については、長い歴史を有しており、パガン王朝時代の 11
世紀に、消防隊が組織されたとの記録も残っている。

年間平均約 900 件の火災が発生しており、被害総額は年間 10 億チャットに達してい
る。なお、火災の原因としては、台所での失火と火の不始末がほとんどである。
17

発生する場所としては人口の多いヤンゴン管区・マンダレー管区・ザガイン管区が全
体の 64.28%(2000~2007 年)を占めている。

管区・州を火災の発生頻度で分けると以下の通りとなる。
·
·
·
可能性大
-
ヤンゴン管区
-
バゴー管区
-
エーヤワディ管区
-
マンダレー管区
-
ザガイン管区
可能性中
-
マグウェ管区
-
モン州
-
シャン州
可能性低
-
ラカイン州
-
カチン州
-
カヤー州
-
カレン州
-
チン州
-
タニンダーリ管区
② 安全意識・安全水準

ミャンマーにおいては、統計等があまり整備されていないことから、工場等における
火災の発生件数等は不明である。

しかしながら、火災の最大の原因の一つが火の不始末となっていることから、工場等
の火災の原因も、日本ではあまり想定されないものも多いと推定される。

そのため、現地従業員の防火・防災・安全に関する認識もそれ程高くないとも想定さ
れることから、従業員に対する防火を含めた教育・訓練は極めて重要であると言える。
3. 医療・感染症
① 医療事情

一般的に、ミャンマー人の医師の医療技術は東南アジアでは高い方であると言われて
いる。しかしながら、医療施設は先進国から 30 年以上遅れているとも言われている。
例えば、下記のような点が指摘されている。
·
ヤンゴンの医療施設には冠動脈造影のできる器具・設備がほとんどない(そのため、
急性心筋梗塞の重篤な例では死に至る場合もある)
。
·

手術室等の衛生管理体制にも問題がある。
このようなことから、ミャンマーで日本人が手術・集中治療を要する病気になった場
合、バンコク又はシンガポールへの緊急搬送となる場合が多い(そのため、海外旅行
保険への加入は不可欠)
。
18

なお、ヤンゴン市内には、ある程度設備の整った外国資本の医療機関もあることから、
緊急の場合には、このような医療機関で受診することが望まれる。

また、ミャンマーで輸血を受けるような治療行為を受診することは、高いリスクを伴
うことにも留意が必要である。そのため、このような治療行為を受診する場合には、
海外で受診することが強く望まれる(輸血される血液に HIV 等のウィルスが混入して
いる可能性があること、更に、輸血器具の衛生状態が劣悪であるケースが多いことか
ら)。
② 感染症

ミャンマーでは雨季に高温多湿となるため、食中毒を含む消化器系の病気が多発する。
また、ミャンマーでは、日本ではほとんど感染することのないような感染症が数多く
流行しており、感染症対策は極めて重要である。

特に、ミャンマーとタイとの国境付近はマラリアの濃厚流行地域となっているため、
蚊に刺されないようにすることは極めて重要な対策となる。

ミャンマーで感染する可能性ある感染症は以下の通りである。
·
·
経口感染
-
可能性大:下痢・A 型肝炎
-
可能性中:コレラ・腸チフス
-
可能性有:E 型肝炎・ポリオ(急性灰白髄炎)
虫等からの感染
-
可能性大:デング熱
-
可能性中:チクングニア熱・日本脳炎・マラリア・フィラリア症・リンパ管糸
状虫症・ペスト
·
動物等からの感染
-
·
人からの感染
-
·
·
可能性中:結核
性行為・医療行為
-
可能性大:新生児破傷風・エイズ(HIV)・B 型肝炎
-
可能性中:C 型肝炎
その他
-

可能性中:狂犬病
可能性中:住血吸虫症
上記のような状況から、ミャンマーにおける感染症対策としては、下記のような点に
留意が必要である。
·
赴任者・帯同家族・長期出張者については、下記の予防接種が望まれる(帯同家族
に乳幼児がいる場合には、BCG・ポリオと 3 種混合の 1 期を済ませておくことが
肝要である)。
-
A 型肝炎
-
B 型肝炎
-
破傷風
19
·
-
狂犬病
-
日本脳炎
アメーバ赤痢等、食中毒に容易に感染するため、屋台等での飲食・加熱されていな
いものの外食はなるべく避ける。
·
単なる下痢ではなく、今まで経験したことのない腹痛・発熱を伴う場合は抗生物質
等の投与が必要となる(下痢自体は一般的な菌の排出により回復することが多いこ
とから、下痢止めはなるべく飲まず、水分を多く取ることがよい場合もある)。
·
重篤な食中毒で多いのはアメーバ症である。今まで経験したことのない腹痛・発熱、
頻回な粘液便・血便があれば、アメーバ赤痢の可能性が高い。その場合には、メト
ロニダゾール等の特殊な抗生物質の服用が必要である。
·
70 度瞬間加熱で食中毒菌は死滅するため、なるべく加熱したものを摂取する。
·
卵については、サルモネラ菌が付着している場合もあることから、生食はしない。
·
雨期には蚊が発生し易く、デング熱にも感染し易くなる。特に、縞模様のある蚊(ネ
ッタイシマカ・ヒトスジシマカ等)には注意が必要である(デング熱のような発熱
があるチクングニア熱も、この蚊で感染する)。
·
デング熱はミャンマーでは子供の頃に複数回罹患し、免疫があるため、大人はほと
んど感染しないとされている。一方、日本人は免疫がないので、注意が必要である。
主な対処方法は以下の通りである。
-
既述の縞模様のある蚊(ネッタイシマカ・ヒトスジシマカ等)に刺されないよ
うにすることが最大の予防となる。
-
万一、刺された場合は、医師に相談の上、重症化しないよう気を付ける。
-
デングウィルスの特効薬はないことから、解熱鎮痛薬であるアセトアミノフェ
ン及び水分摂取で 1 週間耐えれば、ほとんどの場合、後遺症もなく完治すると
言われている(デング熱の重篤化の割合は非常に低い)
。
-
デング熱には 1 型から 4 型があり、複数回感染する可能性もある。
-
ミャンマーではデング熱様発熱疾患と呼ばれるチクングニア熱に感染する可能
性もある(出血熱もなく、死亡例もほとんどない)
。
③ エイズ問題

国連が 2009 年に発表したミャンマー国民の HIV 感染者数は 24 万人である。

これは、感染率としては、アジアではタイ・パプアニューギニアに続いて 3 番目に高
い状況である。

また、国連の報告書では、主な感染経路として男性同性愛者による性行為及び売春労
働者と顧客との性交渉を挙げている。

このような深刻な状況となっている一方、ミャンマー政府の対策は非常に貧弱である。
特に、エイズに関する教育・対策等は、敬虔な仏教徒の国での風潮の要因もあり、ほ
とんどされていないのが実状である。

そのため、上記国連の感染者数 24 万人は、過小に見積もられていると言われており、
駐在員・帯同家族・長期出張者は特に留意が必要である。
20
4. インフラに関わる問題
ミャンマーに進出する際に最も大きな障害となるものが、インフラ整備が貧弱な点である。
例えば、世界各国のインフラ整備状況を見る場合、World Economic Forum の"The Global
Competitiveness Report 2011–2012"を参照する場合が多い(世界 142 ヶ国の各種インフラ
の整備状況がランキングされている)が、ミャンマーはランキング外となっており、その
点からも、インフラ整備が貧弱であることが分かる。
① 交通インフラ

道路網
·
道路については、2010 年にヤンゴンとマンダレーを結ぶ高速道路が開通している
が、それ以外の道路は整備が遅れている。アジア開発銀行の「Key Indicators for
Asia and the Pacific 2011」によれば、1,000 平方 km 当たりの道路は 39.9km と
なっており、ベトナム(483.3km)の 10 分の 1 以下で、ラオス(147.8km)の 3
分の 1 以下となっている。
·
また、道路の舗装率は 11.9%に止まっており、物流インフラの未整備が指摘されて
いるベトナムの 47.6%を大きく下回っている状況である。
·
ミャンマーの場合、舗装はアスファルトによる舗装ではなく、コンクリートによる
舗装も多い。そのため、コンクリート舗装の道路では、雨季等に水溜りが発生し易
い状況ともなっている。
·
ヤンゴン市内中心部の道路はアスファルト舗装であり、補修も比較的高い頻度で行
われており、道路の凸凹はほとんど気にならない。一方、ヤンゴンの郊外(ミンガ
ランデン工業団地(詳細後述)
・ティワラ経済特別区(Thilawa Special Economic
Zone)等の周辺を含め)は、舗装はされているものの、補修の頻度が低く、道路
は凸凹している場所が多い。そのため、工業団地から精密機械等を搬入出する場合
には、注意を要する。
·
また、ミンガラドン工業団地及びティワラ経済特別区に隣接するティワラ港周辺は
大型トラックが数多く行き交うが、周辺道路は狭い上に、凸凹が多い状況となって
いる。
·
現在、ヤンゴン中心部はバイクの乗り入れが禁止されており、自動車の普及も途上
段階であることから、他のアジア諸国のような交通渋滞は少ない。但し、今後急激
に自動車が普及することが想定されることから、今後、交通渋滞が恒常化する可能
性もある。

港湾
·
ヤンゴン郊外にヤンゴン港があるが、河川港のため、水深が浅く、1 万トン以上の
船舶は入港できない状況である。
·
そのため、ヤンゴン港で船積みされた貨物は、シンガポール等で積み替えられ、日
本まで輸出される場合も多い。
·
ヤンゴンの約 20km 南にあるティワラ港は大型船舶も荷役できるが、途中の道路状
況は悪く、利便性が低い。

鉄道
21
·
ミャンマーは英国の植民地時代・日本軍による占領下の時代に、鉄道開発が進めら
れたことから、比較的鉄道の普及率は高い状況である。
·
アジア開発銀行の「Key Indicators for Asia and the Pacific 2011」によれば、1990
年当時の 1,000 平方 km 当たりの鉄道路線距離は 5.1km であり、マレーシアと同
等となっている。
·
しかしながら、機関車・線路等は老朽化が進んでおり、ダイヤも不正確である。そ
のため、外国人(日本人を含む)が鉄道を利用することは、非常に少ない状況であ
る。

航空
·
ミャンマーにはヤンゴン・マンダレー・ネピドーの 3 都市に国際空港があり、地方
都市を中心に 46 の地方空港がある。
·
その意味では、空港はある程度整備されていると言える。但し、地方空港の多くは
ターミナル設備等が貧弱である。
·
また、10,000 フィート(3,248 m)以上の滑走路を持つ空港は 11 ヶ所に限られて
いる。
·
更に、ミャンマーにはミャンマー航空(Myanma Airways)の他、国際路線専門の
ミャンマー国際航空(MAI:Myanmar Airways International)を含め、7 つの航
空会社が運航しているが、保有機数はミャンマー航空の 12 機を最大に、それ以外
の 6 つの航空会社は数機程度となっている(7 つの航空会社で計 34 機)
。
·
ミャンマーにおける旅客機の死亡事故としては、1998 年 8 月 24 日に発生したミャ
ンマー航空機墜落事故(乗客乗員 36 人全員死亡)を最後に、その後、発生してい
ない。その意味では、ある程度の安全性が担保されていると見ることも出来るが、
英国外務省等、複数の欧米政府は、自国民にミャンマー航空の安全性に問題がある
として、使用しないように勧告している。
② 電力

ミャンマーの発電能力(66 億 kwh:2008 年)はベトナム(730 億 kwh:2008 年)
の 10 分の 1 以下となっており、恒常的に電力不足となっている(アジア開発銀行の
「Key Indicators for Asia and the Pacific 2011」)。

そのため、ヤンゴン市内でも 1 日 10 時間以上の停電も珍しくない。また、ミンガラ
ンデン工業団地でも停電が恒常的に発生している状況であり、ミャンマー進出におけ
る最大の問題点となっている。

電力供給量の 60.8%は水力発電(天然ガス 35.7%・石油及び石炭 3.5%)となってい
ることから、雨量が少ない場合、更に電力供給が逼迫する可能性もある。2010 年には
雨季の降雨量が少なかったため、停電が高い頻度で発生する事態ともなった。

更に、ミャンマーにおいては、少数民族武装組織等によるテロが頻発(詳細後述)し
ているが、電力施設(発電所・送電塔等)・橋・電話施設(電話局・電話交換局)・道
路・郵便局・テレビ局等の社会インフラを標的としたテロが多いという特徴がある。
その中でも、特に電力施設(発電所・送電塔等)に対するテロが多く、停電の増加要
因となっている。
22

そのため、ミンガラドン工業団地に入居した場合でも、自家発電設備が不可欠な状況
である。なお、ヤンゴン市内のサービスアパート・主要ホテル・主要テナントビルで
は自家発電装置を設置しており、それ程、停電の影響はないが、オフィス等では UPS
(無停電電源装置)等は必需品となっている。
③ 通信インフラ

通信インフラも極めて貧弱であり、固定電話回線数は国民の 103.22 人に 1 回線の割
合であり、カンボジア・ラオスに比べても非常に少ない状況である。更に、携帯電話
台数は国民の 105 人に 1 台の割合であり、他の ASEAN 諸国に比べても極端に少ない
状況である(アジア開発銀行の「Key Indicators for Asia and the Pacific 2011」)
。

回線数が非常に少ないことに伴い、電話料金が高いことも企業にとっては負担増とな
っている。特に、国際電話料金(ヤンゴン:8.1 ドル/日本向け 3 分)はベトナム(ホ
ーチミン:0.54 ドル/日本向け 3 分)の 15 倍となっている。

インターネット回線も不足(ブロードバンド回線にいたっては全国で 16,400 回線の
みとなっている)しており、更に、許可制となっていることも問題である。

固定電話敷設料・携帯電話加入料・基本料金・インターネット接続の初期費用等、全
てが高額であり、アジア諸国の中でも最高額となっている。

なお、日本の携帯電話をミャンマーで使用する場合、一部キャリアは海外ローミング
が可能としているが、実際につながることは希であり、現状ではほとんど使用出来な
いと認識する必要がある。
④ 工業団地等

現在、ミャンマーには開発中を含め、7 つの管区と 2 つの州に合計 32 の工業団地が存
在している。その中で、外資系企業が入居できる状態となっているのは、ヤンゴンの
北に位置するミンガラドン工業団地(Mingalardon Industrial Zone)のみと言われて
いる。同工業団地の概要は以下の通りである。
·
ミャンマーで初めての国際水準の工業団地として日本の三井物産(株)とミャンマ
ー建設省住宅局が共同開発
·
第 1 期販売区画として 90h を開発
·
開業:1998 年 2 月
·
開発実行:建設省住宅局及び Kepventure Pte. Ltd.(シンガポール)
·
運営:東京エンタープライズ(株)
·
電力:高圧 33KV で 20 メガワット給電(第 1 期区画分)
·
給水:15 基の深井戸により 1 日 5,000 立法メートルを給水
·
排水処理設備:廃水処理能力は 1 日 5,000 立法メートル
·
コンクリート舗装:8m 幹線道路・7m 支線道路
·
電話:電話回線 300 本の IDD と Fax 回線
·
外周堤防・雨水溝及び調整池:外周堤防、雨水溝及び調整池により工業団地を防護
·
消火栓及び消火用ポンプ:200m 間隔で設置
·
その他:24 時間警備
23

ミンガラドン工業団地には現在、日本企業 5 社が入居済みであり、もう 1 社の入居も
決定済みである。しかしながら、第 1 期販売区画内の 41 区画全てが入居又は契約済
みであることから、今後新規での入居は極めて困難な状況である。

そのため、今後日本企業が新規に入居する場合には、ミンガラドン工業団地以外に入
居することとなる。なお、ミンガラドン工業団地の直ぐ近くにある Yangon Industrial
Park も比較的整備されていると言われている。また、ミンガラドン工業団地以外の工
業団地に進出している日本企業もあることから、進出企業・業種によっては、他の工
業団地でも十分初期の目的を果たせる可能性もある。

なお、日本政府は 2012 年 2 月 28 日、ティワラ経済特別区の開発に全面的に協力する
ことを表明しているが、現状の進捗状況は不明である。

また、工業団地以外の問題としては、下記人的リスクでも述べるが、オフィスの確保
が非常に困難になっていることが挙げられる。現在、ヤンゴン市内中心部のオフィス
は大幅に不足しており、新規のオフィススペースを確保するのに、半年を要した日本
企業もある。また、家賃もこれに伴い、大幅に上昇しており、今年更改の賃貸契約で
は、家賃が 2 倍・3 倍に跳ね上がった例も多い。そのため、このオフィススペースの
確保も、進出における大きな足かせともなっている。
5. 人的リスク
① 交通事故

ミャンマーでは 1990 年代後半以降、民間における自動車輸入が実質禁止されていた
ことから、自動車の保有台数(2010 年における三輪以上の車両は 412,544 台)は人
口 1,000 人当たり約 6.6 台と、ASEAN で最も低く(2010 年:ラオス 21.0 台・ベト
ナム 14.7 台)なっている。

また、既述の通り、ヤンゴン市内中心部にはバイクの乗り入れが禁止されていること
から、渋滞の発生も他のアジア諸国に比べて、非常に少ない。そのため、交通事故は
少ない状況である。ちなみに、国際道路連盟(IRF)の 2010 年の報告によれば、ミャ
ンマーにおける人口 10 万人当たりの交通事故死亡者は 3.36 人であり、タイの 19.87
人、ベトナムの 13.46 人、ラオスの 10.48 人と比べ、非常に低いのが分かる。また、
アジア開発銀行の「Key Indicators for Asia and the Pacific 2011」によれば、人口 10
万人当たりの負傷事故の発生件数は 10.9 件で、アジア全体でも最も低い部類となって
いる(ベトナム 14.9 件)
。

ミャンマーにおいては、他のアジア諸国に比べても交通事故の発生件数は少ないと言
える。一方、ミャンマー政府は 2011 年 12 月、自動車の輸入規制を大幅に緩和し、中
古車の輸入が急増した。また、2012 年 5 月には、新車の輸入も実質的に解禁された(こ
れに伴い、ミャンマー国内の自動車価格が急落する事態となっている)。

そのため、今後、急激に自動車台数が増えることが予測されることから、渋滞及び交
通事故は増える可能性が高い。

また、ミャンマーでは 1990 年代に、日本から大量の中古車が輸入されたが、自動車
が右側通行であるにも関わらず、右ハンドルのまま使用されている。また、ミャンマ
ーでは隣国タイ(自動車は左側通行)からの輸入右ハンドル車も多い。そのため、今
24
後、自動車台数が増えるに従い、事故が更に多くなる可能性もある。
② 住環境

ミャンマーには親日家が多いと言われるが、それに伴い、日本食料理店も多い。この
中には、日本人が経営する店も多く、日本食材の購入も出来ることから、単身者を含
め、日本人にとっての食生活に関する環境は良いと言える。

しかしながら、生活する上で最も大きな問題は住居の確保である。現在、ヤンゴン市
内には、日本人が数多く入居する設備の整ったサービスアパートメントが 5 つあるが、
いずれも満室の状況であり、中には 400 人以上が入居待ちの状況とも言われているも
のもある。そのため、新規に、設備の整ったサービスアパートメントに短期間のうち
に入居することは極めて困難な状況である。また、賃料の上昇も激しく、今年(2012
年)に入って 2 倍になったとの話も聞かれる。

日本人の中には、一軒家に入居する例も増えているが、一軒家においては、少なくと
も 5 人程度(一般的にはガードマン・料理人・掃除人・洗濯人・庭師等)は雇う必要
があり、かつ、停電等に備えた自家発電設備の設置等、コスト面・セキュリティ面の
問題も発生する。当然ながら、これら一軒家の家賃も高騰しており、その点も大きな
問題となっている。

駐在員・長期出張者の中には、ホテルを長期契約するケースもあるが、このホテルの
客室利用率も非常に高く、料金の高騰を助長している(日本人が多く利用するホテル
の料金が今年に入り、約 3 倍となった例もある)
。

当然ながら、これらの高騰が長期化する可能性は低いが、現状における住居の確保は
非常に難しくなっていることは明らかである。
③ その他

クレジットカード・現金
·
ミャンマーではホテルを含め、各種クレジットカードが利用できる場所は極めて限
られている(2012 年 5 月末時点で、全土でクレジットカードがほとんど使用出来
ない状況となっていた)
。
·
そのため、出張等の渡航に際しては、必要額の米ドル現金を持参する必要がある。
なお、ミャンマー国内において米ドル紙幣を使用する場合、新札と同じ程度の紙幣
しか通用しないので、この点も留意が必要である(少し折り目が付いていたり、メ
モ書き等のある紙幣は使用不可)。

国外持ち出し禁止品
·
ミャンマーのお土産品としては、宝石類が挙げられるが、国営店又は政府公認店以
外で購入した宝石類を国外へ持ち出すことは出来ない。また、宝石類を購入した場
合、販売店が発行する証明書を受領する必要がある(無断で持ち出した場合、没収・
処罰されることもある)
。
·
また、金・銀・象牙・仏像・指定の野生動植物についても無断持ち出しが禁止され
ている。

禁制品
25
·
ミャンマーでは不法薬物・銃器の所持に対して、厳しい取締りが行われており、こ
れらに関し、逮捕された場合には、重い処罰となることに留意が必要である。
·

特に、不用意に他人からものを預かる等のないように、注意する必要がある。
撮影禁止場所
·
軍事政権の国では一般的であるが、政府庁舎・刑務所・軍及び警察の関係施設等に
ついては写真・ビデオの撮影は禁止となっている。
·
そのため、野外で写真を撮る場合には、留意が必要である。なお、国外持ち出しの
ビデオテープは内容を検閲される場合もある。

交通機関
·
ミャンマーでは路線バスとタクシーが主な交通手段になっているが、路線バスは複
雑な系統で走っているため、事前に確認をしてから乗車する必要がある。また、ス
リに留意する必要もある。
·
また、タクシーは全て事前交渉制であり、乗る前に行き先と値段の確認をしっかり
行い、後でトラブルが起こらないように注意する。
6. 治安問題
① 治安状況

政府等による犯罪発生率等の統計がないことから、実際の犯罪発生状況は不明である。
しかしながら、軍事政権下の体制が長かったことから、一般的に治安は安定しており、
日本人が凶悪な犯罪に巻き込まれるケースは非常に少ないと言える。

但し、人口当たりの発生率では、殺人事件及び強姦事件は日本よりも高いとの報告も
あることから、留意が必要である。

また、空き巣・スリ・置き引き等の犯罪は日本人も被害にあっており、十分に留意す
る必要がある。

なお、2011 年 9 月には、日本人観光客(女性)がバイクタクシーの運転手に殺害され
る事件も発生している。

一般的に、ミャンマーは親日家の多い国であり、日本人に対して好感を持っている。
特に、ミャンマー人男性は日本人女性に憧憬の念を持つことも多く、日本人女性が被
害に遭うケースも多いことに留意が必要である。

当然ながら、「親日家が多いから安全である」との認識は持たないことが肝要である。
② テロ

ミャンマーは数多くの少数民族を抱えているため、長年にわたり、数多くの少数民族
が独立・自治権の拡大等を求め、ゲリラ活動・テロ活動を行っている。

特に、最大の反政府組織であるカレン民族同盟(KNU:Karen National Union)は
1947 年に結成され、同年、カレン族の国家「コートレイ(Kawthoolei)
」の独立を宣
言した。コートレイの首都はミャンマー政府の行政区域名では、カレン州・パアン県
にあるマナプロウ(Manerplaw:ヤンゴンの北東約 200km)であった。

1949 年 1 月からはミャンマー政府に対し、武装闘争を開始し、1976 年 5 月 10 日に
はマナプロウでカレン族等 12 の少数民族組織の連合体である民族民主戦線(NDF:
26
National Democratic Front)も設立された。

KNU の勢力は約 2 万人で、武装部門のカレン民族解放軍(KNLA:Karen National
Liberation Army)の勢力は約 2,500 人とされている。

KNU は 1992 年頃からミャンマー政府と和平交渉を開始したが、1994 年、KNLA 内
の仏教徒が中心となり、民主カレン仏教徒軍(DKBA:Democratic Karen Buddhist
Army)が設立された。DKBA はミャンマー国軍と連携し、1995 年 1 月、KNU の根
拠地であるマナプロウを陥落させた。そのため、KNU の少数民族内での求心力は急
速に衰え、KNU を除く他の諸少数民族はミャンマー政府との間で和平合意を締結す
るに至った。

一方、DKBA は 2010 年の総選挙以降、急速にミャンマー政府に対する反発を強め、
2010 年 11 月から 2011 年 2 月にかけて、ミャンマー軍との間で大規模な衝突に発展
した。また、DKBA は、この衝突を契機に、それまで敵対していた KNU と連携する
こととなった。

この他、シャン州軍(SSA:Shan State Army)がある。SSA はシャン州の独立を目
指し、1964 年に結成された反政府組織であり、勢力は約 5,000 人とされている。1999
年 6 月、KNU・カレニ民族進歩党(KNPP:Karenni National Progressive Party)
等、5 つの組織と同盟を結び、共闘を目指すと表明し、現在に至っている。

また、強壮なビルマ学生戦士(VBSW:Vigorous Burmese Student Warriors)は 1999
年 8 月、穏健な学生組織である全ビルマ学生民主戦線(ABSDF:All Burma Students'
Democratic Front)に対抗する形で形成されたテロ組織であり、1999 年 10 月 1 日に
は、在タイ・ミャンマー大使館占拠事件を引き起こしている。その後も、ヤンゴンを
中心に数多くの爆弾テロに関与していると言われている。なお、VBSW も KNU 等と
も共闘しており、協働でテロを実行することも多いと言われている。

これに対し、ミャンマー政府は硬軟織り交ぜて、これら組織と対峙して来ている。一
方、米国等の欧米諸国は従来から、経済制裁解除のための条件として、民主化等と共
に少数民族との停戦を挙げていた。これに伴い、ミャンマー政府は 2011 年以降、KUN
とも和平交渉を続け、2012 年 1 月 12 日に停戦に合意した。これらを含め、ミャンマ
ー政府はこれまで、
少なくとも 18 の主要少数民族武装組織と和平合意に至っており、
ミャンマー国軍が主導する国境警備隊への編入準備を進めている。

しかしながら、現在においても、いくつかの少数民族武装組織がテロを実行しており、
更に、麻薬等に関わる犯罪組織によるものと見られるテロも頻発している状況である。

2002 年から現在までのミャンマーにおけるテロ動向は以下の通りとなる(2002 年以
降のテロ事件は計 92 件)
。
·
テロの発生場所としては、ヤンゴン管区(27 件:29.35%)及び隣接するバゴー管
区(10 件:10.87%)で全体の約 4 割を占めている。また、KNU・SSA・VBSW
が活動拠点としているカレン州(18 件:19.58%)
・シャン州(14 件:15.22%)が
高い発生頻度となっている。
·
世界的な傾向を見た場合、少数民族が独立・自治権の拡大等を求めゲリラ活動・テ
ロ活動を行う場合、標的としては政府関係施設が最も多く、不特定多数の一般市民
を標的とするテロが最も少ないのが一般的である。しかしながら、ミャンマーの場
27
合には、一般住宅地・市場・競技場・サッカー場・ゴルフ場・公園・公衆トイレ等、
一般市民等の不特定多数が利用する場所でのテロが 26 件に達しており、全体の
28.26%を占めており、政府関係施設等は 12 件(13.04%)に過ぎないことは大き
な特徴である。
·
更に、死傷率が高くなる傾向のあるホテルでのテロ事件が 5 件(5.44%)
、学校の
場合が 2 件(2.17%)
、お祭り等の祭典におけるテロが 2 件(2.17%)となっており、
上記の一般市民等の不特定多数が利用する場所でのテロと併せると、 35 件
(38.04%)にも達することは特筆される。
·
また、ミャンマーにおいては、電力施設(発電所・送電塔等)・橋・電話施設(電
話局・電話交換局)・道路・郵便局・テレビ局等の社会インフラを標的としたテロ
が 21 件
(22.83%)
で、特に電力施設(発電所・送電塔等)に対するテロが 8 件(8.70%)
に達していることが大きな特徴である。
·
更に、バス・駅・船舶・鉄道・バスターミナル・空港・タクシー等の公共交通機関
に対するテロが 19 件(20.65%)で、特にバスに対するテロが 8 件(8.70%)に達
していることも大きな特徴である。
·
ミャンマーにおけるテロ動向で最大の特徴が、ほとんどのテロ事件が爆弾テロ(76
件)であり、全体の 82.61%を占めていることである。また、この 76 件の内、23
件が同時に複数の爆弾を使用した同時多発型の爆弾テロ事件であることも特徴的
である。

これまでに、ミャンマー政府は主要少数民族武装組織と和平合意に至っていることか
ら、今後、ミャンマー国内でのテロ事件は減少するものと想定される。しかしながら、
民政移管により、それまでの既得権益を喪失する可能性のある政府・軍内の反体制派、
更には、麻薬等に関連する犯罪組織等によるテロも想定されることから、今後もミャ
ンマー国内でテロが頻発する可能性は否定出来ないことに留意が必要である。
【図表 6:ミャンマーで発生した主なテロ事件(2002 年~)】
年月日
2002 年 1 月 7 日
2002 年 4 月 15 日
2002 年 5 月 9 日
2003 年 3 月 27 日
2003 年 5 月 21 日
2003 年 8 月 4 日
2003 年 10 月 6 日
2004 年 6 月 26 日
2004 年 11 月 18 日
2004 年 12 月 21 日
概要
ヤンゴン空港で時限式のロケット砲が発見され、当局により
処理された。
タイと国境を接するミャワディで国境の橋で爆発があり、7 人
が死亡、30 人が負傷。
タイと国境を接するタチレクのホテルで爆発があり、4 人が死
亡、7 人が負傷。
ヤンゴンの電話局の前で爆発があり、1 人が死亡、3 人が負傷。
タイと国境を接するタチレクで町中の数ヶ所で爆弾が爆発
し、4 人が死亡。
サガイン管区モンユワの 3 ヶ所で爆弾が爆発したが、死傷者
はなかった。
タイと国境を接するミャワディで国境にかかる橋の近くで爆
発があったが、死傷者はなかった。
ヤンゴン中央駅近辺で小型爆弾 3 個が爆発したが、死傷者は
なかった。
ヤンゴン市内中心部にあるヤンゴン地区裁判所の前で爆弾が
爆発。
ヤンゴン中心部のボージョー・アウン・サン市場の外国人も
28
発生場所
ヤンゴン
カレン州
ミャワディ県
シャン州
タチレク県
ヤンゴン
シャン州
タチレク県
サガイン管区
モンユワ
カレン州
ミャワディ県
ヤンゴン
ヤンゴン
ヤンゴン
年月日
2004 年 12 月 24 日
2005 年 4 月 21 日
2005 年 4 月 26 日
2005 年 5 月 7 日
2005 年 10 月 21 日
2006 年 1 月 3 日
2006 年 1 月 8 日
2006 年 4 月 6 日
2006 年 4 月 20 日
2007 年 1 月 15 日
2007 年 6 月 21 日
2007 年 6 月 22 日
2008 年 1 月 11 日
2008 年 1 月 11 日
2008 年 1 月 13 日
2008 年 1 月 16 日
2008 年 4 月 20 日
2008 年 7 月 1 日
2008 年 7 月 16 日
2008 年 8 月 2 日
2008 年 8 月 12 日
2008 年 9 月 6 日
2008 年 9 月 9 日
2008 年 9 月 11 日
2008 年 9 月 11 日
概要
発生場所
多く利用するレストランで爆弾が爆発し、店員 1 人が負傷。
カレン州パアン県でカセットレコーダーを拾った学生がスイ
カレン州
ッチを入れたとたんにレコーダーが爆発し、この学生が死亡、
パアン県
周りにいた学生 3 人が負傷。
タニンダーリ管区ダウェイ県からヤンゴンに向かっていたダ
ウェイ大学の学生が乗っていたバスがカレン民族同盟(KNU) タニンダーリ管区
のメンバーに襲撃され、銃撃戦となり、8 人が死亡、15 人が
ダウェイ県
負傷。
マンダレー中心部ゼイジョー市場(マンダレー最大の商業施
マンダレー
設)で爆発があり、市民 2 人が死亡、10 人以上が負傷。
ヤンゴン中心部のヤンゴン貿易センター及びショッピングセ
ンター2 ヶ所の計 3 ヶ所で、ほぼ同時に爆弾が爆発し、20 人
ヤンゴン
が死亡、192 人が負傷。
ヤンゴン市内中心部のトレーダーズ・ホテル前において小型
ヤンゴン
の爆弾が爆発したが、死傷者はなかった。
バゴー管区バゴー県にあるバゴー高校の正面で爆弾が爆発し
バゴー管区
た。また、バゴー銀行の正面でも爆弾が爆発したが、死傷者
バゴー県
はなかった。
インドと国境を接するタムで 2 回(Nantphalon Market にあ
ザガイン管区
る食堂・市場の外にある Shwe Kaung Lyan Tea Centre)に
タム県
わたって爆発があり、2 人が負傷。
ヤンゴンにあるヤンゴン国際学校のトイレ内で教師が爆弾の
ヤンゴン
ような不審物(手製爆弾)を見つけ、警察に通報。
ヤンゴン中心部の郵便局前等 3 ヶ所で爆弾によるとみられる
ヤンゴン
爆発があり、郵便局の窓等が破損。
ヤンゴン東郊の郵便局内で爆発があり、1 人が負傷。また、中
ヤンゴン
央郵便局でも、爆発物の入った小包が見つかった。
カレン州でカレン民族同盟(KNU)が小型バスを爆破し、無
カレン州
差別に銃撃し、僧侶 1 人を含む 10 人が死亡、3 人が負傷。
カヤー州ロイコー県でカレン民族同盟(KNU)がバスを襲撃
カヤー州
し、17 人が死亡、8 人が負傷。
ロイコー県
バゴー管区ピュー県の競技場で爆弾が爆発し、カレン民族同
バゴー管区ピュー
盟(KNU)メンバーの男性 1 人が死亡、4 人が負傷。爆弾を
県
仕掛けようとしていた際に誤爆した模様。
ネピドーの国鉄駅で爆弾が爆発し、女性 1 人が死亡。この女
ネピドー
性が爆弾を仕掛けようとして誤爆死した模様。
ヤンゴン中央駅の女性用公衆トイレで爆弾が爆発し、73 歳の
ヤンゴン
女性が負傷。
バゴー管区内で路線バスで爆発があり、車掌 1 人が死亡。
バゴー管区
ヤンゴンの中心部で 2 回の爆発があり、複数の車が大破した
ヤンゴン
が、死傷者はなかった。
ヤンゴン管区シュエピター県で軍事政権の翼賛組織である連
邦団結発展協会(USDA)の事務所に仕掛けられた爆弾が爆発
ヤンゴン管区
したが、死傷者はなかった。
カレン州でバス車内で爆弾が爆発し、1 人が死亡、1 人が負傷。
カレン州
カレン州で送電塔 1 基が爆破された。
カレン州
カレン州パアン県にある電力施設で爆発があり、パアン県の
カレン州
全世帯が停電した。
カレン州ラインブウェ県の水力発電所で爆弾が爆発し、職員 1
人が負傷。また、発電機が損傷し、事務所・車の窓ガラスが
カレン州
割れる等の被害が出た。
ヤンゴン市内を走行中の路線バスが爆発し、乗客 3 人が負傷。
ヤンゴン
バゴー管区チャウッチー県で 10 分間隔で爆弾 2 個が爆発し、
バゴー管区
2 人が死亡、9 人が負傷。
チャウッチー県
バゴー管区のビデオカフェで爆弾が爆発し、2 人が死亡、10
バゴー管区
29
年月日
2008 年 9 月 25 日
2008 年 10 月 18 日
2008 年 10 月 19 日
2009 年 3 月 3 日
2009 年 3 月 26 日
2009 年 5 月 27 日
2009 年 9 月 16 日
2009 年 10 月 24 日
2009 年 11 月 10 日
2009 年 12 月 16 日
2010 年 2 月 15 日
2010 年 2 月 19 日
2010 年 4 月 15 日
2010 年 4 月 17 日
2010 年 4 月 27 日
2010 年 8 月 6 日
2010 年 9 月 29 日
2011 年 1 月 7 日
2011 年 1 月 19 日
2011 年 1 月 26 日
2011 年 2 月 10 日
2011 年 2 月 17 日
2011 年 2 月 27 日
2011 年 3 月 5 日
2011 年 4 月 3 日
概要
発生場所
人が負傷。
ヤンゴン中心部の市役所前で爆弾が爆発し、通行人ら 7 人が
負傷。(2007 年 9 月の大規模デモ弾圧から 1 年というタイミ
ヤンゴン
ングに合わせたテロ事件の可能性あり)
ヤンゴン市内のサッカー場近くで爆発があったが、死傷者は
ヤンゴン
なかった。
ヤンゴン管区シュエピター県で住宅街に仕掛けられた爆弾が
ヤンゴン管区
爆発し、男性 1 人が死亡。
シュエピター県
ヤンゴン市内西部の公園で爆発があったが、死傷者はなかっ
ヤンゴン
た。
ヤンゴン市内の Taw Win Nan Inn(ホテル)の部屋で爆弾が
爆発し、20 代と見られる男 1 人が死亡。この男が時限爆弾を
ヤンゴン
準備していたところ、爆発したと見られる。
モン州モーラミャイン県で政府建物近くで爆弾 2 個が爆発し
モン州
たが、死傷者はなかった。
モーラミャイン県
ヤンゴン管区ヤンゴン北部県内の 7 ヶ所(ミンガランデン等)
ヤンゴン管区
で爆弾が爆発したが、死傷者はなかった。
ヤンゴン北部県
シャン州クンロン県でテレビ局・カジノ等で少なくとも爆弾
シャン州
10 個が爆発したが、死傷者はなかった。
クンロン県
カレン州で国営連絡船 Saw Ohmma 号がカレン民族同盟
(KNU)武装グループ 20 人にハイジャックされ、3 人が死亡、
カレン州
2 人が負傷。
カレン州で少数民族のお祭りで時限爆弾が爆発し、7 人が死
カレン州
亡、11 人が負傷。
シャン州ラウッカイン県にある麻薬撲滅記念館近くで爆弾が
シャン州
爆発し、11 人が負傷。
ラウッカイン県
カレン州コーカレイ県の市場で爆弾が爆発し、1 人が死亡、2
カレン州
人が負傷。
コーカレイ県
ヤンゴンで正月を祝う「水かけ祭り」で多くの市民が集まっ
ていた市内中心部のカンドージ湖畔で爆弾によるとみられる
ヤンゴン
爆発が 3 回あり、24 人が死亡、150 人以上が負傷。
カチン州ミッチーナー県にある水力発電所建設現場で爆弾 4
カチン州
個が爆発し、1 人が負傷。
ミッチーナー県
バゴー管区バゴー県で建設中の水力発電所で手榴弾が爆発
バゴー管区
し、作業員 4 人が負傷。
バゴー県
カレン州ミャワディ県の市場で爆発が発生し、男性 2 人が死
カレン州
亡、4 人が負傷。
ミャワディ県
バゴー管区バゴー県の選挙管理委員会事務所前で爆弾が爆発
バゴー管区
したが、死傷者はなかった。
バゴー県
カレン州の道路で地雷が爆発し、車に乗っていた 6 人とバイ
カレン州
クに乗っていた 2 人の計 8 人が負傷。
カレン州
コーカレイ県でバスにロケット弾が着弾し、乗客 3 人が負傷。
コーカレイ県
エーヤワディ管区でガスパイプラインに時限爆弾(TNT 換算
エーヤワディ管区
200g)が仕掛けられているのが見つかり、処理された。
カレン州ミャワディ県で爆弾 2 個が爆発し、2 人が死亡、5 人
カレン州
が負傷。
ミャワディ県
バゴー管区バゴー県でカレン民族同盟(KNU)が発砲し、農
バゴー管区
民 4 人が死亡、3 人が負傷。
バゴー県
ヤンゴン市内で爆弾が爆発し、3 歳の少女 1 人を含む 4 人が負
ヤンゴン
傷。
カレン州ミャワディ県のガソリンスタンドで爆弾が爆発した
カレン州
が、死傷者はなかった。
ミャワディ県
ヤンゴン市内のスレーパゴダ通りのバス停付近で爆弾が爆発
ヤンゴン
したが、死傷者はなかった。
30
年月日
2011 年 5 月 14 日
2011 年 5 月 18 日
2011 年 5 月 19 日
2011 年 6 月 10 日
2011 年 6 月 19 日
2011 年 6 月 21 日
2011 年 6 月 24 日
2011 年 6 月 29 日
2011 年 6 月 29 日
2011 年 7 月 12 日
2011 年 8 月 2 日
2011 年 10 月 5 日
2011 年 10 月 21 日
2011 年 10 月 25 日
2011 年 10 月 30 日
2011 年 11 月 6 日
2011 年 11 月 10 日
2011 年 11 月 13 日
2011 年 11 月 15 日
2011 年 12 月 3 日
2011 年 12 月 21 日
2011 年 12 月 29 日
2012 年 2 月 15 日
2012 年 3 月 24 日
2012 年 3 月 28 日
2012 年 4 月 20 日
概要
発生場所
モン州モーラミャイン県の電話交換所で爆弾が爆発し、警官 1
モン州
人が死亡、民間人 1 人が負傷。
モーラミャイン県
ネピドーの北方 48km 付近でヤンゴン発マンダレー行の特急
ネピドー
列車の普通車両内で爆弾が爆発し、2 人が死亡、9 人が負傷。
カレン州ミャワディ県の電話交換所の入口近くで爆弾が爆発
カレン州
したが、死傷者はなかった。
ミャワディ県
ネピドー市内の Myoma 市場の洗面所で爆弾が爆発し、2 人が
ネピドー
負傷。
バゴー管区タウングー県で建設中の水力発電所に手榴弾が投
バゴー管区
げ込まれ、火災が発生。
タウングー県
カチン州ミッチーナー県の駅近くの橋が爆破され、列車の運
カチン州
行が停止した。
ミッチーナー県
マンダレー市内にあるゼイチョー・ホテル前に駐車していた
車輌に仕掛けられた爆弾が爆発し、警察官 1 人を含む 2 人が
負傷。また、その約 5 分後、マンダレー市の北東 70km に位
マンダレー
置するピンウールウィン県の軍施設付近にある民家で爆弾が
爆発し、民家が大破。
バゴー管区タウングー県の草地で爆弾が爆発したが、死傷者
バゴー管区
はなかった。
タウングー県
モン州モーラミャイン県で武装グループ約 20 人が車約 20 台
モン州
を停め、そのうち路線バス 2 台に放火、乗客 6 人を誘拐。
モーラミャイン県
シャン州チャウッメー県の軍検問所で爆弾が爆発し、4 人が負
シャン州
傷。
チャウッメー県
カチン州で電気技師 2 人を護衛していた警察車列にロケット
カチン州
弾が着弾し、警官 6 人と技師 2 人が死亡。
シャン州タチレク県に近いラオスとタイとの国境に接するメ
シャン州
コン川で、ミャンマー船籍と中国船籍の商船 2 隻が武装勢力
タチレク県
の襲撃を受け、中国人船員 13 人が殺害された。
モン州で政府の道路整備工事の請負会社の労働者 4 人が宿舎
モン州
から誘拐された。
ヤンゴン市内でタクシー車内で爆弾が爆発し、1 人が死亡、2
ヤンゴン
人が負傷。
ヤンゴン市役所前のバス停で爆弾が爆発し、更に、同市役所
ヤンゴン
前に駐車した車の下から手投げ弾が発見された。
カレン州パアン県で貨物船が爆破され、他の貨物船 2 隻にも
カレン州
被害が発生。
パアン県
シャン州の警察署前で爆弾が爆発し、警官 1 人が死亡、警官 1
シャン州
人と女性 2 人が負傷。
カチン州ミッチーナー県で爆弾が爆発し、少なくとも 10 人が
カチン州
死亡、23 人が負傷。
ミッチーナー県
カチン州ミッチーナー県にある橋近くの料金所に迫撃砲が着
カチン州
弾したが、死傷者はなかった。
ミッチーナー県
カチン州内で地雷 3 個が爆発し、警官 1 人が死亡、6 人が負傷。
カチン州
ヤンゴン市内の公衆トイレに仕掛けられた爆弾が爆発し、女
ヤンゴン
性 1 が死亡、1 人が負傷。
ヤンゴンで政府が所有する薬品貯蔵庫で爆発があり、少なく
ヤンゴン
とも 17 人が死亡、約 80 人が負傷。
シャン州で産業省の車が地雷を踏み、送電塔の修理に向かっ
シャン州
ていた 1 人が死亡、3 人が負傷。
シャン州タチレク県にあるゴルフコースで爆弾 2 個が爆発し、
シャン州
ゴルファー2 人が負傷。
タチレク県
シャン州ラーショー県の橋で爆弾 2 個が連続して爆発したが、
シャン州
死傷者はなかった。
ラーショー県
シャン州ムセ県の国境検問所近くで爆弾が爆発し、政府職員 1
シャン州
人が死亡。
ムセ県
31
年月日
概要
発生場所
2012 年 4 月 25 日
カチン州ミッチーナー県の警察署近くで爆弾が爆発し、3 人が
負傷。
2012 年 5 月 3 日
カチン州ミッチーナー県で線路が爆破された。
2012 年 5 月 5 日
2012 年 5 月 19 日
カチン州で 40 分間隔で爆弾 2 個が爆発し、警官 2 人が負傷。
シャン州でカチン独立軍(KAI)がトラック 2 台を爆破した。
シャン州で送電塔が爆破され、ヤンゴンへの送電に影響が出
た。
シャン州で送電塔が爆破され、ヤンゴンへの送電に影響が出
た。
カチン州
ミッチーナー県
カチン州
ミッチーナー県
カチン州
シャン州
2012 年 5 月 19 日
2012 年 5 月 25 日
シャン州
シャン州
③ 暴動・デモ

2007 年 8 月 15 日、政府によるエネルギーの公定価格引き上げ(最大 5 倍)が引き金
となり、9 月に入り、学生・反政府活動家、更には僧侶も加わり、大規模なデモに発
展した。特に、9 月 24 日にはヤンゴン市内で約 10 万人規模のデモに発展したことか
ら、ミャンマー政府は強硬姿勢に転じ、大規模な鎮圧作戦を実施した。

また、9 月 27 日には、邦人ジャーナリスト 1 人を含む多数の死傷者が発生した。これ
に対し、米・EU は経済制裁措置の強化策を相次いで発表し、オーストラリアも金融
制裁措置を発表した。

その後、ミャンマーでは大規模な反政府デモ等は発生していない。また、民政移管に
より、野党の活動も落ち着いており、今後、大規模なデモ等の可能性は、それ程高い
とは言えない。
④ 宗教対立

既述の通り、ミャンマーの宗教構成は上座部仏教(90%)が全体のほとんどを占め、
その他、キリスト教(4%)・イスラム教(4%)
・精霊崇拝(1%)・ヒンズー教(1%)
等となっている。

英国統治時代、ミャンマーにはイスラム教徒のインド系住民が移住し、金融を中心に
従事し、また、華僑は商売に従事、更に、治安関連は主に少数民族があたっていた。
また、治安関連に従事した少数民族の中には、キリスト教に改宗したものもいた。

そのため、キリスト教・イスラム教の住民の地域的偏りはそれ程、強くないが、一般
的に、バングラデシュと国境を接する西部にイスラム教徒が多く、ヤンゴン市内及び
少数民族内にキリスト教徒が比較的多いという傾向がある。

また、ミャンマーでは仏教以外の宗教がそれ程多くないことから、宗教対立は非常に
少ない状況であった。

しかしながら、2012 年 5 月、ミャンマー西部のラカイン州で、仏教徒の女性が暴行事
件により、殺害され、イスラム教徒男性 3 人が警察に逮捕される事件が発生した。こ
れに対し、仏教徒の住民が 6 月 3 日、イスラム教徒の乗ったバスを襲撃し、イスラム
教徒 10 人が死亡する事態に発展した。その後、仏教徒とイスラム教徒の対立が激化
したことから、ミャンマー政府は 6 月 10 日、ラカイン州に非常事態宣言を発出し、
軍が治安維持にあたっている(6 月 11 日までに 21 人が死亡)。
32

今次、仏教徒とイスラム教徒との対立の背景には、ラカイン州に居住するイスラム教
徒の少数民族ロヒンギャ族の存在を挙げることが出来る。ロヒンギャ族は長期にわた
り、イスラム教徒として、迫害を受けて来たとの認識を持っており、バングラデシュ
には 20 万人以上のロヒンギャ族が難民として滞在しているとされており、今後も予
断を許さない状況であると言える。
7. 労務管理に関わる問題
① 労働法関係

ミャンマーにおける法令体系は英国法(Common Law に基づく慣習法が主)の影響
を受けているものの、基本的には成文法主義である。特に、1885 年に最初に制定され
たビルマ法典(全 13 巻)は、その後も改訂等が加わり、現在でも相当部分が適用さ
れている。

例えば、ビルマ法典第 9 巻にはビルマ(ミャンマー)会社法があるが、1913 年インド
法第 7 号として、現在でも適用されている。

労働法関連では、ビルマ法典第 5 巻に賃金支払法(1936 年ビルマ法第 4 号)・労働者
補償法(1923 年インド法第 8 号)・労働組合法(1926 年インド法第 16 号)
・労働紛
争法(1929 年インド法第 7 号)等があり、現在でも適用されている。

しかしながら、これら法令はいずれも古く、昨今海外企業の進出が増えている状況に
はそぐわないとの指摘が多い。例えば、ミャンマー人の雇用義務については、経済特
区においては存在するものの、それ以外では規定はない。また、最低賃金については
精米業及び煙草製造業においては規定があるものの、それ以外では規定はない。なお、
これらについては、現在進められている改正外国投資法において、規定されていると
想定される。

なお、ミャンマー労働省が 1976 年に発表した告示 No.55(雇用契約書モデル)が現
状のミャンマーにおける労働規定を具現化しているとも言われている。
② 労働組合・労働争議

ミャンマー政府は 2011 年 10 月 12 日、58 条からなる労働組合法を発表した。軍政下
では組合活動は禁止されてきたが、労働者の権利を保護し、良好な労使関係を維持す
るため、1926 年制定の労働組合法を改訂する形で公布された。

同法で労働者は日雇い労働者・臨時雇用労働者・農業労働者・メード・公務員・見習
工等を含み、国軍・警察・その他武装勢力関係者は含まれていない。労働組合を組織
するには最低 30 人以上の労働者が雇用されていること、更に、全労働者の 10%以上
の参加が必要とされている。

ミャンマーにおいては、長期間軍政下であったことから、労働組合が主導的に労働争
議等を行うことは稀であった。しかしながら、昨今では労働争議に近い形態で労働者
が待遇改善を求める行動に出ることも増えている。

いずれにしても、現在改訂が進められている改正外国投資法、更にはミャンマー政府
が外国企業の進出を念頭に入れた労働法規の整備を急いでおり、早い段階で整備が進
むものと見られる。
33
8. 経済問題
① 多重相場制度

ミャンマーにおいて、海外企業が進出する場合の足かせとなっていたものが、多重為
替相場の存在であった。ミャンマーでは長年にわたり、下記 3 つの為替相場が存在し
ていた(最大で約 130 倍の開きがあった)。

公定レート:1SDR=8.5085 チャット(固定相場):SDR は IMF の特別引出権
(Special Drawing Rights)の単位であり、対ドル為替相場は SDR とドルの為替
相場で変動(2011 年末当時:1 ドル=6 チャット前後)


政府公認レート(2011 年末当時:1 ドル=450 チャット前後)

実勢レート(2011 年末当時:1 ドル=約 800 チャット)
そのため、外国企業がミャンマーの企業と合弁事業を行う際の出資額が実際より低く
評価される等の弊害が出ていた。また、輸入した商品を国内で販売する場合、この多
重為替により、チャット建てでは仕入れ価格が極端に低く算定されることとなり、決
算上は多大な利益が出ることとなり、それに伴い多額の法人税が発生する等の弊害も
あった。

一方、公定レートで商取引ができるのは、ミャンマーの国有企業に限られており、国
営企業が潤う構図となっていた。

また、この多重為替相場が存在する最大の理由がドル等の外貨を国内に留めることで
あったことから、委託加工業者が輸出代金の支払いのために外貨を送金することは問
題ないが、それ以外の理由による外貨送金は実質的に困難な状況であった。

なお、2000 年以降、天然ガスのタイ向け輸出が増大したことにより、外貨不足も解消
され、経常収支も大幅に黒字化した。また、外貨準備も拡大し、2012 年 3 月末現在、
輸入の 6 ヶ月分に達した。しかしながら、この恩恵が民間部門には、あまり行き届か
ない状況となっており、チャット安の実勢レートが是正されない状況となっていた。

このような状況から、外国企業の誘致・投資を促すため、ミャンマー政府は 2012 年 4
月 1 日、チャットの管理変動相場制を導入した。これにより、多重為替相場の一本化
が図られ、それ以降、ほぼ実勢レートに近い為替相場で推移している状況である。

その意味では、海外企業が進出する場合の足かせとされていた多重為替相場は、解消
されつつあると言える。
② すそ野産業の弱さ

ミャンマーでは現在、外国企業進出を奨励しているものの、実績として、その数は少
ない。そのため、製造業を中心として、ミャンマー進出における最大の問題点の一つ
が、すそ野産業の脆弱さであると言える。

また、工業団地の整備も発展途上であることから、急激に状況が好転する可能性は非
常に低いと見るべきである。

同じ様な状況はベトナムでも見られるが、ベトナムでは進出企業がすそ野産業の育成
のため、これら中小企業を支援・育成した例が多い。今後、ミャンマーでも同様の支
援・育成が必要になるものと見られる。
34
③ 国営企業の脆弱な体質

ミャンマーでは長い軍事政権下において、国営企業が重要な位置を占めており、民間
企業の発達は遅れていた。

しかしながら、昨今、ミャンマー政府は国営企業の民営化を図っており、今後国営企
業の 9 割以上が民営化されるとの見方もある。

一方、これら国営企業はドル取得等において、特権的地位を占めていたことから、経
営基盤は弱く、外国企業が合弁を組む等の例は少ない。

今後、これら国営企業が民営化され、活性化する可能性もあるが、それにはまだ時間
を要するものと推定される。
④ 金融インフラ・システム未整備

1990 年までの軍事政権下では、金融機関は国営銀行のみであったが、同年(1990)
に銀行法が制定され、国内に 15 の民間銀行開設が認可された。2011 年末現在、ミャ
ンマー国内には、国営銀行 4 行と民間銀行 19 行がある。

各銀行、特に民間銀行は支店の拡大、ATM の設置等、サービス体制を拡充しつつある
が、その規模は極めて小さい。また、商取引には銀行口座も利用されているが、現金
決済が現在でも多いとされている。また、小切手・手形等もないことから、決済シス
テムの整備が遅れている。

更に、ミャンマー国民は金融機関・自国通貨への信頼が薄いため、外貨等によるタン
ス預金も多いとされている。

また、金融機関の預金・貸出金利も硬直化しており、企業等への融資についても、整
備が遅れている状況である(ミャンマーでは金融機関であってもシステム化が大幅に
遅れており、各種処理に大幅な時間を要している)
。

証券セクターについても、ミャンマー証券取引センター(店頭取引所)が 1996 年に
開設されているが、ミャンマーでは証券取引法が制定されておらず、正式な証券市場
の創設には至っていない(東京証券取引所等は 2012 年 5 月、ミャンマー中央銀行と
同国における証券取引所の設立支援に関する覚書を締結した)。
⑤ 人件費の急激な上昇

農村部の住民が全体の約 3 分の 2 を占めるとされ、都市部の労働者の減少は農村部か
らの流入により解決されるとの認識が持たれている。その一方で、現在でも約 400 万
人が出稼ぎ労働者として近隣諸国で就労しており、この状況が今後も続くならば、決
して現在でも十分な労働力が確保されるとは言えない。

また、昨今の急激な経済の拡大に伴い、賃上げ圧力が高まっていることに留意が必要
である(ミャンマー政府は 2012 年 4 月、公務員給与を一律 3 万チャット引上げる決
定を行ったが、このことが民間部門の給与引き上げ圧力ともなっている)
。

何れにしても、今後、人件費が急激に上昇する可能性があることに留意が必要である。
⑥ 貿易・為替等の問題
35

ミャンマーは長期間にわたる軍事政権下において、欧米等からの経済制裁等により、
外貨不足が深刻であった。そのため、外貨を中心に為替・送金等、大きな制約があっ
た。多重為替相場については、昨今解消が図られているが、送金等の問題は現在でも
顕在化している。

外貨送金については、輸入代金の外貨送金は輸出により獲得した外貨(輸出外貨:
Export Earning Dollar)の保有が前提となるが、貿易取引に絡む外貨の対外送金の制
限はない。

一方、貿易取引以外の外貨の対外送金は、以前よりも規制が緩和されているが、一定
額以上は、その都度の判断となる上、制約が多いのが実状である。

外国為替業務は国営商業銀行 2 行のみ(ミャンマー外国貿易銀行(MFTB)
・ミャンマ
ー投資・商業銀行(MICB)
)が行っている。なお、ミャンマーに外貨を持ち込む外国
人投資家には、この国営銀行 2 行にのみ外貨口座の保持が認められる。

2,000 ドルを超える外貨の持ち込み・持ち出しは通関の際に申告し、外国為替申告フ
ォーム(Foreign Exchange Declaration Form)に国内での両替の記録を記載するこ
ととなっている。また、持ち込まれた外貨を国内で使用する際は、外貨兌換券である
FEC(Foreign Exchange Certificate)に交換して使用することができる。また、外
為銀行に振り込まれた米ドルを現金化する場合にも、原則、FEC での引き出しとなる
(1FEC はミャンマー国内に限り 1 ドルと同等の価値を保証される)
。

輸出入を行う企業は、まず輸出入業者登録を済ませる必要があるが、ミャンマーにお
ける輸出入手続において特徴的なのが、輸出入の都度、輸出入ライセンスの取得が義
務付けられていることである。

輸出入ライセンスの取得は従来、ネピドーでしか出来なかったため、企業にとって大
きな問題であった。しかしながら、現在では、ほとんどのライセンス取得がヤンゴン
でも出来るようになり、大きく改善されている。

なお、2011 年 1 月 1 日より輸入者に対して新たな源泉徴収税(Withholding Tax)が
課税される等、昨今、急激に変更・改訂等が発表されている。そのため、実際の手続
においては、詳細を確認の上、行う必要がある。
9. 政治問題
① 政治問題

ミャンマーでは 2011 年 3 月の民政移管以降、急速に内政・外交の両面で、民主化・
解放路線が進められている。特に、テイン・セイン大統領は清廉な政治家であり、国
内外の評価も高い。そのため、この政権が続く限り、この方向性は堅持されるものと
見られるが、一方で、このような方向性が変更又は頓挫するような状況となった場合
には、投資環境が急激に悪化する状況ともなる。そのため、ミャンマーにおける政治
問題は非常に大きな問題として捉える必要がある。特に、下記のような状況が想定さ
れる。

まず、現状の方向性からの揺り戻しの可能性である。例えば、ミャンマーでは 2002
年、キン・ニュン首相の下、スー・チー氏の自宅軟禁が解除(2002 年 5 月)され、民
主化ロードマップが発表(2003 年 8 月)される等の民主化の動きが加速した。しかし
36
ながら、急激な改革が保守層からの反発を招き、2004 年に同首相は失脚し、改革が頓
挫した過去がある。今後もこのような可能性は否定出来ない。

現在のテイン・セイン大統領は 1992 年 4 月 23 日より同国の軍事政権のトップであっ
たタン・シュエ(Than Shwe)上級将軍の後に大統領に就任した。その意味では、テ
イン・セイン政権の誕生にはタン・シュエ上級将軍の意向が強く働いているとも言わ
れており、現政権においても強い影響力を有していると思われる。一方、テイン・セ
イン政権による昨今の急速な改革については、軍及び保守派等の批判も増大している
可能性があり、一部では、タン・シュエ上級将軍の保守派との間で、権力闘争となっ
ているとも言われている。しかしながら、タン・シュエ上級将軍は退任後、公式の場
にはほとんど登場せず、政治的影響力も行使しない姿勢を堅持しており、テイン・セ
イン政権の改革も黙認している状況である。そのため、今後、軍・保守派等がテイン・
セイン政権の崩壊につながるような行動に出る可能性は低いと見るべきである。

それよりも、大きな政治問題としては、テイン・セイン大統領の健康問題が挙げられ
る。同大統領は心臓の持病を持っており、ペースメーカーを付けていると言われてい
る。今年 2012 年に入っても、体調を崩し、入院したとの報道もあることから、現在
改革を進めているテイン・セイン大統領の健康問題は非常に大きな要素であると言え
る。

また、2012 年 4 月 1 日の連邦議会補欠選挙では、ほとんどの議席を野党が獲得する
状況となったことから、次回総選挙(2015 年)においては、与党が敗北し、野党が勝
利する可能性が高まった。しかしながら、一般のミャンマー国民、特に、中間層にお
いては、スー・チー氏の政治的能力を疑問視する向きが多い。特に、同氏が政治的経
験をほとんど有していないこと、更に、現政権下においても、十分な民主化及び発展
が期待出来るとの考え方も広がってきている。そのため、政治的状況が急変する可能
性は、それ程高いとは言えない。
② 法制度の不備

ミャンマーでは 1885 年にビルマ法典(全 13 巻)が制定されており、法制度はある程
度整備されていると言える。しかしながら、長期間の軍事政権下において、政治・経
済・社会の変化に適応していない点も多い。

そのため、昨今、急速に法制度の整備が進められている。特に、外国企業については、
改正外国投資法が承認され、早ければ 2012 年 7 月中に公表される可能性もある。

また、労働法関連の法制度も整備されつつあり、その意味では今年中にはある程度の
法整備がされる予定である。

一方、ミャンマーにおける法制度において留意する点が、法令開示に関するミャンマ
ー政府の姿勢である。既述の通り、ミャンマーでは昨今、法令制定・改訂等が急増し
ているが、一方で、ミャンマー政府は、これら制定・改訂された法令の開示には消極
的である。そのため、これら情報については日々、新聞等でチェックする必要があり、
細かな法令については都度、政府に照会する必要がある。

このような状況から、最近では日系の法律事務所がヤンゴンに事務所を開設する等が
報じられている。何れにしても、ミャンマー政府がこれら制定・改訂された法令の開
37
示には消極的であることは、常に留意する必要がある。
③ 公務員の汚職

ドイツに本部のある民間団体である国際透明性機構(Transparency International)
が発表した 2011 年度の汚職認識指数のランキングにおいて、ミャンマーは 182 ヶ国
中、180 番目となっており、極めて汚職の多い国とされている(ちなみに、ミャンマ
ーよりも汚職が進んでいるとされる国は北朝鮮とソマリアの 2 ヶ国のみである)
。

また、ミャンマーは 2010 年度の同指数においても、世界 178 ヶ国中、176 番目とな
っており、ほとんど改善されていない状況である。

なお、2011 年度の同指数のランキングにおいては、新興国の中で政府機関等での汚職
が大きな問題となっているインドネシアが 100 番目、ベトナムが 112 番目となってい
ることから、ミャンマーにおける政府機関等の汚職は極めて深刻であると認識するべ
きである。
④ 外交問題(中国・国境紛争)

ミャンマーは過去に中国・タイ等との間で国境問題が発生したが、ほぼ解決済みであ
る。また、従来からバングラデシュとの間で国境及び領海問題があったが、現在、国
際司法裁判所及び国際海洋法裁判所で審議が進んでいることから、今後、両国間の新
たな外交問題に発展する可能性は低いと言える。

1950 年代以降、東西冷戦が激化したが、一方で、これら両陣営に属さない外交姿勢を
模索する動きが拡大した。これに影響を受け、1955 年 4 月にアジア・アフリカ 29 ヶ
国が集まり、アジア・アフリカ会議(バンドン会議)が開催された。また、この当時、
世界各地の植民地でナショナリズムが高揚し、独立する国が増加したことに伴い、
1961 年 6 月には第 1 回非同盟諸国首脳会議(ユーゴスラヴィア・ベオグラード)が
開催された。この 2 つの国際会議でミャンマーは中心的な役割を果たす等、従来から
全方位外交を中心とした非同盟諸国としての立場を堅持していた。

ミャンマー出身のウ・タント(U Thant)氏が 1961 年 11 月 30 日にアジアで初の国
連事務総長(~1971 年 12 月 31 日)に就任したことは、ミャンマーの外交的姿勢が
国際社会でも高く評価されていたことの現れでもある。しかしながら、軍事政権下で
の欧米諸国からの経済制裁等に伴い、次第に中国等との関係が深まることとなった。

現状においても、中国はミャンマーに対する対外投資額が世界一となっており、ミャ
ンマーにおけるプレゼンスは非常に高いと言える。この背景には、ミャンマーが中国
にとって、インド洋への進出路としての地政学上の利点、また、旧来から敵対関係に
あるインドに対するけん制、更には天然ガス等の天然資源が豊富である等、戦略的見
地を挙げることが出来る。

しかしながら、2011 年 3 月の民政移管以降、ミャンマーの中国に対する姿勢に変化が
見られる。特に、中国が支援を表明しているプロジェクトに対し、ミャンマー側が一
旦白紙にする等の事態が発生しており、中国としても憂慮していると言える。今後、
両国間の関係が悪化した場合には、国境問題の再燃等の可能性も否定出来ない。
38
⑤ 統計資料未整備

ミャンマーにおける問題として、政府等が発表する統計資料が未整備であることが挙
げ ら れ る 。 ミ ャ ン マ ー に お い て は 、 中 央 統 計 局 ( CSO : Central Statistical
Organization)が各種統計資料を発表しているが、発表している統計の種類は他の新
興国に比べても少ない状況である。

また、経済・貿易に関する統計においては、従来の多重為替相場の影響もあり、基に
なる為替レートが明確化されていない等、発表統計自体の信頼性も疑問視されるもの
が多い。

また、ミャンマー政府が軍事政権下において、国家の統計を積極的に公表しなかった
ことも、この問題を助長する要因となっている。特に、財政統計については発表する
こと自体、極めて希な状況である(2000 年以降の高い経済成長率については、ミャン
マー政府による統計操作であるとする専門家も多い)。
10. 社会問題
① 社会の不安定化の要素

現在のミャンマーでは僧侶・尼僧等は「宗教者」と定義され、法的には政治への関与
が認められておらず、選挙権もない。

僧侶の集団としてはサンガと呼ばれる僧団があるが、中央集権的な組織となっていな
いことから、その意味でも、僧侶等の宗教者が政治的関与を深める可能性は低いと言
える。但し、2007 年 9 月の政府によるエネルギーの公定価格引き上げ(最大 5 倍)
を引き金としたデモにおいては、学生・反政府活動家に僧侶も加わり、大規模なデモ
に発展したケースも発生している。

このデモ活動においては、従来から尊敬を集めている僧侶が参加したことにより、軍
事政権側が想定していた以上にデモ活動が拡大した例でもあり、今後も同様の動きを
否定することは出来ない。
② 未成熟なメディアと市民社会

パリに本部を置くジャーナリストによる非政府組織である「国境なき記者団」が発表
している報道自由度指数のランキング(2012 年)において、ミャンマーは 179 ヶ国
中、169 番目となっており、同組織より中国・ベトナム等の 11 ヶ国と共に「敵国」に
指定されている。但し、2011 年 3 月の民政移管以降、徐々に改善されているとして、
前年の 174 番目からはランキングが上がっている。

ミャンマーには新聞・テレビ等の報道機関が複数あるが、1964 年以降、全て政府の検
閲下にある。その意味では、ミャンマーの報道機関は政府による発表をそのまま報道
することがほとんどである。また、インターネットの普及率は低いが、ネット等の検
閲も行われている(但し、2011 年 3 月の民政移管以降、検閲等は大幅に改善されてい
る)。

そのようなことから、反政府的な情報が流れることは非常に少ないと言える。しかし
ながら、2011 年のアラブの春に代表される昨今の国際的な民衆運動の盛り上がりがミ
ャンマーでも起きる可能性は否定出来ない。
39
③ 市民生活の困窮化

既述の通り、2007 年には軍事政権がガソリン等の燃料価格を急に引上げたことにより、
市民等による大規模なデモに発展した。

この背景には、高い経済成長が続いているにもかかわらず、市民生活がそれ程改善さ
れていない状況が挙げられる。ちなみに、経済成長が進み、市民生活が改善されると
家計に占めるエンゲル係数は低下するのが一般的であるが、ミャンマーにおいては、
一般市民のエンゲル係数はほとんど変わっていないとの報告もある。

1998 年 5 月のインドネシア暴動においては、スハルト政権が崩壊したが、東南アジア
では、これまで、物価の上昇又は価格の引き上げに端を発して、デモ等が発生するケ
ースが多い。そのため、今後も物価の上昇等に伴い、市民生活が困窮し、社会が不安
定化する可能性は否定出来ない。
40
Ⅲ.リスクマネジメントのポイント
ミャンマーをはじめとして、海外ビジネスにおけるリスクマネジメントのポイントとして
は、①明確な方針・戦略の確立、②十分な調査・準備、③詳細なリスクの把握と日常的な
国際情勢に関する情報収集・分析、を挙げることが出来る。
① 明確な方針・戦略の確立

日本企業が海外進出する理由としては、資本の有効活用、事業リスクの分散、国際競
争力の維持・拡大(市場支配力の強化)
、成長市場の開拓(売上の極大化)、コスト削
減等が挙げられる。しかしながら、件数的に最も多い理由としては、納入先の依頼で
あると言える。つまり、自らがグローバル企業としての方針・戦略がないままに、海
外進出を決定することが多いのが実状である。

また、日本企業においては、海外でのビジネス展開について、本社が目標を定め、現
地拠点がそれに責任を持つやり方が主流である。その場合、海外での事業展開を戦略
的に位置付けずに進出することは、その企業の経営方針・目的をも違えてしまう可能
性を秘めている。

つまり、リスクの多い海外でのビジネス展開においては、計画の段階から基本戦略を
明確にする必要があるが、ビジネスの評価において、目標(5 年以内の黒字化等)の
みでの評価は、その後の企業の活動を危うくする場合もある。

そのため、グローバル企業としての方針・戦略を明確に打ち出すことは最も重要であ
ると言える。
② 十分な調査・準備

海外ビジネスを展開することは、企業の多くの経営資源を投入することであり、場合
によっては、その企業の存亡をも左右する場合もある。しかしながら、既述の通り、
明確な方針・戦略もなく、納入先の依頼等により、決定してしまうことが多いのが実
状である。

一般的に、海外進出を行う場合には、下記のような点は少なくとも、十分に調査・把
握・実施することが不可欠である。そのためには、十分な準備期間を設けることが望
まれる。

世界経済概況(含:対内直接投資動向)

進出国の基礎情報(一般国情・政治状況・経済概況・社会情勢・治安状況・カント
リーリスク等)

日系企業進出状況(規模・業種等)

投資環境・制度(インフラ整備状況・投資コスト・労働事情(人材・労働争議等)・
投資規制(外資規制業種等)
・外資優遇制度・貿易・為替管理制度・EPA/FTA 締結
状況・税制・会計制度等の概略等)

日本との政治的問題点の有無(対日感情・歴史的認識等)

自社産業・製品に関する情報(海外産業動向(含:進出国内産業動向)・生産(原
材料・部品調達)・販売(市場規模・市場特性・流通事情・輸出入状況・関税・規
制等)
)
41

進出国での実務(法務・税務・労務・知的財産権制度(工業所有権・著作権・技術
移転等)・環境保護・省エネ規制等)

各種現地調査(含:進出場所での時間・時期等を変えた複数回の調査)の実施

その他(各種契約書・リスクマネジメント(撤退マニュアル)・ビジネスパートナ
ー・駐在員のビザ・生活事情についての情報等)
③ 詳細なリスクの把握と日常的な国際情勢に関する情報収集・分析

上記「Ⅱ.特徴的なリスクの概要」では、ミャンマーにおける主なリスクについて記
載している。当然ながら、リスクは地域によって千差万別であり、これ以外にも数多
くのリスクがある。更に昨今の世界的な政治・経済・社会の流動化・不安定化におい
て、リスクも変化・多様化している。

そのため、これらリスクを把握するには、膨大な時間・労力を必要とする。しかしな
がら、このことが新興国ビジネスの成功には不可欠であることを強調したい。

当然ながら、全てのリスクに対して対策を講じる(マネジメント)必要はないし、不
可能である。万一、全てのリスクをマネジメントしてしまうと、機会(チャンス)が
なくなることにもなる。そのため、放置した場合には、会社の存亡にまで影響を与え
る大きな問題(重大なリスク)を見つけ出して、そのリスクに経済的・合理的な手法
で対処することが肝要である。

つまり、本当に重要なリスクに対策を講じ、逆に、それ以外のリスクについては、リ
スクがあることを認識(リスクを把握)しておくことの方が、はるかに重要である。
言い換えれば、
「このようなリスクがあることを認識した上で、そのリスクをとる」こ
とが重要であると言える(特に、経営層においては、これらのリスクの認識は不可欠)
。

これらリスクを認識しておくことは、状況が大きく変化した場合、リスクが顕在化し
た場合等において、より適正・迅速な対応を可能にすることとなる。一方、海外ビジ
ネスにおいては、リスクが常に多様化していることを肝に銘じ、ミャンマーのみなら
ず、世界的な政治・経済・社会全般について、日常的に情報収集・分析する機能が不
可欠であると言える。
以 上
42
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