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2~3ぺージ(PDF形式2750KB)
こ
漉 き 娘 の「 生 の 声 」
60
こ
23
80
○
「紙
す き は と に か く 大 変 な 仕 事、
この苦労を覚えれば、どんなこと
もできると思う。」
○「 家
族 総 出 で 紙 す き を し て き た。
その作業の大変さを見学者に伝え
たい。」
「 美 濃 和 紙 」を 後 世 に 伝 え る
先人の知恵とたゆまぬ努力、伝統
を守る力によって引き継がれてきた
美濃和紙。わたしたちは、この美濃
和紙の文化を後世にしっかりと継承
していきます。
2
広報みの 2016.9.15
美濃手すき和紙の家を見に行こう!
旧古田行三邸 定期公開が始まりました
こ
和紙をすいていた経験がある女性らで
す
す
運 営 を 始 め た の は「 漉 き 娘 の 会 」
す
旧古田行三邸は、住居に紙屋を備
え た 伝 統 的 な 作 業 場 が 残 る 建 物 で、
美濃和紙の伝統を次代に引き継ぐ大
切な建物として、平成 年1月に美
濃市が寄附を受けました。
今年4月に改修が完了し、4月
日から限定公開がされましたが、こ
のたび、地域の女性の力を借りて定
期公開を開始しました。
29
「漉き娘の会」は 代〜 代の女性
人で構成され、7月 日から案内
をしています。蕨生地区には古くか
ら多くの紙すきの家があり、紙のす
き手として多くの女性が従事してい
ました。
そのような女性たちの「生の声」を
聞くことができると、好評を得てい
ます。
18
○「 昔
は、 朝 の 3 時 か ら 起 き て、 紙
をすく準備をしました。一月に2
回しか休みがなかった。紙すきの
家に嫁入りはいやじゃと言われて
いた。」
旧古田行三邸は明治5年に建てられ、本美濃紙保存会初代会長の故古
田行三氏が住居兼作業場として使用した家屋です。故古田氏は「本物の
美濃紙は本物の建物で漉いてこそ」という哲学の下、その建物の維持管
理にも尽力され、今に残されています。
27
つくる﹁ 漉 き 娘の会 ﹂が、旧 古 田 行 三 邸
す
こ
の運営を始めました。
「漉き娘の会」の皆さんと旧古田行三邸の前で
第
回少年の主張岐阜県大会〝わたしの主張2016〟
今年7月、県内の中学生を対象にした第 回少年の主張岐阜県大会
“わたしの主張2016”中濃地区選考会が開催され、昭和中学校の生
徒が美濃市代表として臨みました。惜しくも県大会出場はなりません
でしたが、次代を担う若者が、さまざまな経験を経て、力強く人生を
切り開いていく姿をみずみずしく自分の言葉で綴っています。
今回はその作文を紹介します(一部要約)。
﹁仲間と共に﹂
備運動や呼びかけの声に大きな声で
「はい」と応えてくれるS君。落ち着
い た 走 り。 そ し て、 第 四 走 者、 僕。
落ち着いていこうと皆に言っていた
けれど、実は、一番緊張していたの
は僕。バトンを受けとった、そのと
き力がふつふつとわいてきた。仲間
の思いのつまった重いバトン。倒れ
てもいい覚悟をして、ゴール。第3
位の手ごたえはあった。仲間の姿が
見えると、親指を立ててグッドのサ
イン。近くまで歩み寄り、ハイタッ
チ。こみ上げる涙。バトンを仲間と
繋ぐことができたこと、こんなに嬉
しいことはないと思った。
このアスリートという活動を通し
て、僕が学んだことは、仲間と共に
目標に向かうことです。一つのこと
を、共に一生懸命頑張ろうとしてく
れる仲間がいれば、自分も頑張ろう
と思える。また、仲間が見つけた一
生懸命やろうとしていることを、自
分もいっしょに努力する。お互いの
思いを分かり合い、一生懸命な思い
を繋いでいくことで、投げ出したく
なることものり越えることができる
ということです。これから、僕たち
は、新しい進路に向かって進んでい
きます。目標に向かって一生懸命努
力を続ける仲間の思いを繋ぐ、そん
なバトンパスが、アスリート以外の
活動でも見せられるような誇らしい
昭和中の仲間でありたいです。
僕は、仲間と共に、走ることが好
きになったのだ。
3 広報みの 2016.9.15
直人
中学2年の秋、その努力の甲斐も
あり、4人も仲間が増えたのです。
僕は、実は、走ることはあまり好
きではありませんでした。特に長距
離走の練習はとにかくきつかったで
す。でも、なぜ必死に走り続けるの
か。練習に行くのか。目に入るのは、
苦しそうだけど走りきろうとする仲
間の姿。自分もここでくじけていて
はいけないと思いました。
こうして、仲間と活動を続けてい
くうちにいつの間にか、僕は走るこ
とが好きになっていきました。
そして、6月 日。ついに美濃地
区陸上競技大会の日がやってきまし
た。400メートルリレーは、予選
では7位でした。6位との差は、0・
3秒。決勝では、6位入賞で県大会
出場権が得られます。決勝が始まり
ました。「オン、ユアマーク」「セッ
ト」
、 第 一 走 者、 い つ も 僕 と 隣 で 走
り続けてきたR君。緊張と不安で張
り 裂 け そ う。 そ れ で も ス ピ ー ド に
の っ た 順 調 な ス タ ー ト。 第 二 走 者、
先生に指名されて、「えっ走るの」と
言うくらい緊張せず笑顔のH君。安
定の走り。第三走者、いつも僕の準
毎年6月に開催していました「わたしの主張美濃市
大会」は、2月に開催することになりました。
この大会は、市内の小中学生が、自分自身の夢に加
え、今まさに自分に起こっていることや将来の展望、
今育っている美濃市のことを考え、自分の言葉で、声
を出して発表することで、未来を担う子どもたちを大
きく成長させることを目的にしています。
主催 美濃市青少年育成市民会議
昭和中学校三年 高
橋
「 僕 は 走 る こ と が 大 好 き だ。 い や、
走ることが好きになったのだ。
」
(陸上活動)
に入っ
僕がアスリート
た理由は二つあります。
一 つ 目 は、 小 学 校 4 年 生 の 時 に
入 っ た 陸 上 ク ラ ブ で す。 二 つ 目 は、
兄の影響です。中学時代に同じアス
リートに入っていて、美濃地区大会
でリレーや200メートル走で入賞
しています。兄を越えたいという気
持ちでいっぱいでした。
中学一年生のころ、練習に参加し
ていた同級生は二人だけでした。
「いっしょに行こうぜ」
と、
毎朝、
誘っ
てくれるS君。この一言がなかった
ら、きっとどこかでくじけてしまっ
ていたと思います。
いろんな場面で声をかけあい、と
きには、
「走ることってえらいけど、
記録が出るの楽しいよ」と、走るこ
との楽しさを語ったりして、クラス
メイトをアスリートに誘ったことも
ありました。
わたしの主張美濃市大会
平成29年2月に開催予定!
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