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8/12 ~ 8/21 イタリア・スイス・フランスの峠を走ってきました。
5 月の連休明けに、妻から旅行の許可をもらい、それから行き先の検討を開始。当初、イギリスでもと思っ
ていたが、何か大きな目玉が欲しいと思ってたところに、「サイスポ」のツール/ジロ特集が出たので、アル
プス行きに気持ちが大きく傾いた。それから準備を開始。まず、航空券がないとお話にならないので、
JAL に電話し空席の確認。まだ 3 ヶ月前だというのに、お盆頃は既にほぼ満席状態。お盆を僅かにずら
した 8/12 と 8/21 にようやくフランクフルト行きとパリ発のチケットがそれぞれ数枚残っているとのことで、途
中の移動のことも考えずに予約を入れた。
スケジュールの最初と最後が決まったのでひとまず安心。それから、ミシュランの地図やトマスクックのヨ
ーロッパ鉄道時刻表を購入してルート検討をした。当初、ツール・ド・フランスのコースでも走れればいい
かなと漠然と考えていたが、サイスポを見ているとイタリアの峠も捨てがたい。更に、インターネットでヨーロ
ッパ自転車旅行の情報を収集していたときに、スイスの峠の情報もあり、スイスの峠も捨てがたく、どうせ
ならイタリア・スイス・フランスの峠を廻れないかということになった。それから、鉄道の時刻表や地図を検
討したところ、どうもフランクフルトから夜行でミラノに行き、それからイタリアアルプス→スイスアルプス→
(列車移動)→フランスアルプス→(列車移動)→パリのルートならどうにかスケジュールが立てられるよう
だったので、途中変更もあるということで、大まかなスケジュールをつくる。その間、高祖さんに相談してツ
ールのビデオを見せてもらうなどいろいろな情報を揃え、準備をした。
8/12 北九州空港→羽田空港→成田空港→フランクフルト(ドイツ)
朝 8 時 15 分北九州発ということで、6 時前には目を覚ました。なかなか落ち着かず、荷物の確認などし
ていると、家を出る頃には疲れてしまった。前回、オーストラリアに家族で行ったとき、同じ北九州空港か
らの出発で遅刻しそうになったので、うちの奥さんはしきりと時間を気にする。というわけで、7 時半前には
家を出発、朝食も食べず空港に行く。出発前に子供達に声をかけると、智子(長女)は部活のために家
に残り、妻と明子(二女)が自転車を運びがてら北九州空港までわざわざ見送りにきてくれた。途中明子
は車の中でとても気持ちよさそうに寝ていた。妻が「よっぽどあなたのことが心配なんだろうね」と言う。僕
も、こんなにまでして見送りに着てくれることがうれしかったし、妻も口には出さないが、あのツール・ド・フ
ランスのビデオでみたガリビエのガードレールのない坂道の連続のことが頭から離れず、心配なんだろ
う。
北九州空港では朝食を取ってなかった明子と僕はおにぎりを買って 1 つずつ食べた。自転車の荷物預
けは、折角用意していた「Caution Bysicle」の布切れは使わず、代わりに、日本航空が「取り扱い注意
自転車」の札をつけてくれた。それに、普段ターンテーブルから出てくる荷物は、私の荷物(自転車)だけ、
係りの人が台車で個別に運んでくれた。日本航空だからか、今の航空業界ではそれが普通なのかは分
からないが、とても安心した。
羽田空港から成田空港への乗り換えは、直通のバスを利用。3000 円だったが、以前、列車を乗り継いだ
時にとても疲れたことに比べれば、楽に移動ができた。成田からフランクフルトまでは、エコノミーの席がい
っぱいということで、急遽Exectiveクラスに変更になった。
Exectiveクラスの椅子は、完全に体が延ばせ、すごく楽だ
った。なんてラッキーなんだろうと、とてもうれしく、しきりに
椅子を調整した。それに、映画も好きなものを選んで見る
ことができるようになっていたので、全く退屈をしなかった。
フランクフルトには 12 時間ほどで到着したが、現地時間は
17 時 45 分。出発したのは 13 時だが、時計上は 5 時間ほ
どしか進んでいない。時差とは恐ろしいものだ。フランクフルトの空港では、地下からバックがゴトゴトとあ
がってくるのを心配そうに見守っていると、自転車は別に持ってこられた。かなり気を使ってくれているよう
だ。ミラノまでは輪行袋に入れたまま移動するので、外見だけでも見てみると、何とか大丈夫そうだった。
さあ、これで自転車は届いた。今度は、今夜の夜行列車でミラノに行かねばならない。とても心配だった
が、突然ドイツ語だらけになった空港の中を何とか列車の乗り場まで行き、フランクフルトの市内まで出て、
夜行列車の予約を取る。最初並んだところは、在来線だったらしく、国際線に並びなおし、何とか二等の
クシェット(寝台)をゲット。既に 20 時近くになっていたが、こ
れでようやくアルプスにまた一歩近づいた。列車の出発 22
時 47 分まで時間があったので、マクドナルドに入り、コーヒ
ーを頼んで荷物の整理と日記書きをした。この駅も何度目
だろう。最初来たのは学生のときで、確かカツを食べたよう
な記憶があるが、今回はビュルストとビールを頂いた。やは
り、ドイツはこのセットか。
フランクフルトの駅もまた、多くのヨーロッパの駅と同じように
突き当たり式になっており、ハリーポッターで出てくる駅のよ
うにプラットフォームの片端から輪行袋を担いでクシェットに
向かう。途中、自転車を積む車両があり、1 台が立てかけられていた。僕もああした方が良かったのかもし
れないが、とりあえずクシェットに持ち込み、両側の壁際にあるベッドの間に輪行袋を置き、倒れないよう
にベッドのバーにつなぐことにした。ただ、出発後、列車の揺れでそのバーが時折倒れる音で何度も目
を覚ますこととなった。その他にも、時折目を覚まし、少し寝不足が心配になった。
8/13 ミラノ(イタリア)→ Edolo
今朝は 6 時前にはあたりの物音で目を覚まし、自転車のウエアに着
替える。皆既にデッキに出て、外を見ている。僕も同じくデッキに出て
ぼうっと外を眺める。ちょうどスイスからイタリアに入るところで、平地の
中に急な山が立ち上がっている。今日からの走りは、きっとこんなとこ
ろを走るんだろうとなんとはなしに考える。
8 時前に予定通りミラノ中央駅に到着。自転車を列車からおろして、
ホームで組み立てていると、ノルウェー出身のカップルも一緒に自転
車を組み立て始めた。彼らの自転車はよくヨーロッパで見るように、マ
ウンテンバイクの後ろにキャリアをつけ、サイドバック 2 個をつけてい
た。ミラノに住んでいるそうで、僕の鍵を見て、「それじゃとても細い。
気をつけたほうがいい。」と教えてくれる。おかげで、とても不安になり、
今日一日、自転車から離れる都度、しっかりと自転車を支柱などにつ
ないでおくことにした。ただ、不安はそれでも納まらず、おちおち買い物もできない始末だった。
自転車を組み立てると、今日は土曜日で店が開いてないとまずいので、駅の売店で水とピザ、チョコレー
トなどを仕入れて出発。先ずは、レオナルド・ダ・ビンチの「最後の審判」が描かれているという教会に向
かう。「地球の歩き方」には予約なしでは厳しいと書かれているが、折角なので行ってみる。途中、まとも
な地図がないため、1 時間近く迷った挙句、ようやくついたのだが、やはり今日はだめ。火曜日ならOKだ
そうで、今日が土曜日だから、3 日間も予約でいっぱいだそうだ。すごい。イタリアは歴史遺産の宝庫で、
他もこんなだったら、工業製品を作らなくても自然にお金が入り、国民はその収入で食っていけるんだろ
うなとうらやましく思う。それにしても、このミラノの中心街は石畳だらけでとても走りづらい。ミラノの中心街
を 10 時に出発し、今日の目的地 Edolo に向かう。
ミラノから市外に出る道もまた地図がなく分からないため、人に聞きながらである。おかげでどこに向かっ
ているのかさえさっぱり分からず、不安だった。そこで、まずは途中の Bergamo を目指していたが、途中
標識を間違い少し名前の違う街に入り込んでしまった。「うーん、へたをするとこのまま道に迷って今日は
終わり?」という不安もあったが、何とか Bergamo への道を知っているという人に出会い、道を教えてもら
う。Bergamo まで数キロと書いた標識を見たときにはとてもほっとする。それにしても、イタリアの人たちと
いうか、今日走ってきた街の人たちはほとんど英語をしゃべれ(ら)ない。イタリア語が全てってな調子で
ひたすらしゃべる。ところが、僕はイタリア語がさっぱりで全く会話にならず、身振り手振りになってしまう。
これからどうなるんだろう。。。ただ、救いは、少し英語をしゃべれる人がたまにいることで、彼らにいろいろ
な情報をもらい、とても助かった。
そんなこんなで、なんとか Bergamo を目指して走っていたところ、河のほとりに古い街(オレンジ色の屋
根にレンガでできた壁が崩れかけていた)があり、標識に「Bergamo」と書かれている。少し距離が足りな
いようだが、きっとここが Bergamo なんだろうと思い、既に正午を過ぎていたので、この街で昼食を取るこ
ととした。なんと、今日 160Km の予定がまだ 50Km も走らずに昼だ。Bar でコーラを頼み、駅で買って
おいたサンドイッチで昼食をとった。それにしても腹がへらないのはどうしたことだろう。朝食を食べ過ぎ
たせいだろうか。昼食をとり出発。走っていると、本当の Bergamo に着く。どうもさっきの街は Bergamo
ではなかったようだ。うーん分からない。Bergamo のから次の街 Lovere に行く道に入ると、高速みたい
に車がハイスピードでとばしていく。「これは高速かも」と引き返したのがそもそもの間違い。また道に迷っ
てしまった。ところが、道を探している最中、レーサーに乗った人に道を聞き、ようやくたどり着いたのもこ
の道。結局、この高速みたいな道を数時間走ることになった。Lovere への道は、よく整備されアップダウ
ンがないものの、僕の脇を通る車は、100km/h ぐらいでとばしており、本当に怖い。それに、少し時差ぼ
けが残っているのか、走っている最中に一度トンネルの中でぼうっとしてしまい、危うく壁にぶつかりそう
になる。ただ、途中、深く切れ込む谷沿いに、オレンジ色の屋根をしたレンガ作りの家がたくさん並んで
いる街が見えた。あの「ラピュタ」で、ルシータが飛行船から落ちてきた街に良く似ており、雨の中、しばら
く休憩がてら眺めていると、イタリアに着たことを実感した。午前中にはあんなにいたサイクリストには全く
会わなかったが、屋根に自転車を積んだ車はたくさんいた。次にくるとしたら、ここはカットして列車にした
方がよいだろう。
その様子が変わるのが、Edolo まであと 30Km のところにある Breno という街になったときだった。高速道
路みたいな道を終え、昔からの道を川沿いに上っていく。しかし、ここに来て脚はつりそうになり、雨は相
変わらず降リ続き、初日から大変なツーリングになってしまった。それでも平均速度 20km/h∼30km/h
で走っているとようやく Edolo の街に到着。予想していたとおり、ホテルもありそうな大きな街だった。この
街は、Como 湖からオーストリアに抜ける道と Bergamo から北に抜ける道がちょうどぶつかる地点にあり、
ツーリスト(バイク)も多く、活気に溢れていた。イタリアの田舎の街だなあと大満足。ところが、ツーリストイ
フォーメーションに行ってびっくり。お姉さんは、「この街は今日
ホテルがないから、今きた道を引き返し、Breno 方面に行って
みてくれ」と人ごとのようにいうではないか。車ならまだしも自転
車の僕にはどうしたものかと途方にくれる。すでに 170Km 以上
走っており、これから 30Km 離れた街に行くには大変だろうし、
もし着いたとしてもこの街より小さな街に部屋が残っているか疑
問だ。それに、時計は既に 18 時を過ぎている。その様子をみ
ながら、インフォーメーションのお姉さんも「一人か?」と聞いて
電話をかけてくれたが、やはりだめのようだ。途方に暮れ、近く
の Bar で先ず用を足し、その Bar のお姉さんにホテルを 2 つ
聞き出し、直接あたることにした。1 つ目はダメ。ホテルのマスタ
ーは親切に「インフォーメーションで聞くといい」と教えてくれるが、それがダメだった僕には力にはなれな
い。イタリアの人は本当に親切で、この人のほかにも今日、一生懸命道を教えてくれようとしたりして、今
日は精神的にとても満ち足りていた。残るホテルは 1 つ。だが、Bar のお姉さんが教えてくれたところには
ホテルらしいものがないので、Bar で飲んでいたおじさんに聞くと、「この右だ」と隣の家に声をかけてくれ
た。中からおかみさんが出てきて、「一人か?」と聞くのでやはり「そうだ」と答えると、「それならない」と言
われた。やっぱりこれから 30Km?と思っていると、なんと、「二人用の部屋の部屋代をだしてくれるなら
OK」というではないか。つまり、「シングルはないが、ツインはある」ということのようだ。これから 30Km 走り、
明日また同じ道を上ってくることには代えられず、金額を聞くと、朝食つきで 50 ユーロなので、7000 円ほ
どか。本当にうれしく、自転車を倉庫の中に入れ、部屋にとおして
もらう。床が板敷きでシャワーまでついて、言うこと無し。部屋に荷
物を運ぶと、まずシャワーを浴び、着替えてから夕食に外に出か
けることにした。19 時だというのに外はまだ明るく、店も開いている。
絵葉書や、途中重くて捨てたスリッパの代わりのイタリア製スリッパ、それに夕食用のワインと惣菜などを
買って帰る。Bar もいいが、あるのはピザとビールなどで、おなかが満たされそうになかった。途中買った
ワインは冷えているものをわざわざお店のご主人が出してくれ、コルクを抜いてくれたりとここでも本当に
親切にしてもらう。気分よく部屋に戻り、夕食にしたが、食事がなかなか進まない。疲れによるものか。子
供とかみさんに絵葉書を書くと、ベッドにダウンした。本当に疲れた一日だった。
8/14 Edolo(699mm) →Passo Gavia(2621mm) → Bormio(1125mm)
朝食が 8 時からだったが、6 時 30 分頃に目覚めた僕は時間を持て余してしまった。ホテルの玄関がまだ
閉まっていたので、ベランダから抜け出し、ホテルに隣接している山にある菜園やブランコなどを見ながら
時間をつぶす。そうこうしているうちに、7 時 30 分頃に玄関が開いたのを幸いに街に出た。まずは、昨夜
切手の金額が足りないのに気付いていたので、店に行って切手を交換してもらった。おじさんは少し渋っ
ていたが、快く交換してくれた。ポストがインフォーメーションの前にあったので早速投函。そして、昼食の
ための買出しを肉屋さんでする。肉屋といっても果物やクッキーなどもある。昨日は果物を食べてなかっ
たので、りんご 1 つとバナナ 3 本を買う。確か、昨日のパンとチョコ、それにかみさんと明子が持たせてく
れたビーナッツおかきが残っていたので、昼食はこれで十分だろう。8 時 30 分からの朝食は僕が一番。
パン 3 個とコーヒー、そしてミルクだった。よく分からないが、これがイタリア北部の普通の朝食だろうか。
パンを 2 つしか食べられなかったが、コーヒーとミルクはほとんど飲んでしまえた。他にお客もいないし、
つかの間、ゆっくりした時間だった。荷物を整理し、自転車の整備と荷物の整理(輪行袋やチェーンキー
をハンドルにつけた)をしてをして 9 時に出発。先ずは、Passo Gavia のふもとの村を目指す。20Km 程
上り、1 時間半ほどで到着。少し休憩した後峠を目指した。峠までは 17Km で 1400m ほどを上るのだが、
Gavia というのはフランスの Galibier に名前が似ているが何か関係があるんだろうかとか考えながら非
常にきつい坂を上りつづける。途中には1車線しかないところをバイクや車が高速で飛ばしていきとても
怖い。激坂を荷物を背負って上っていくのは非常につらく、途中何度も足をつく。腰は痛いし大変だった。
数 Km おきの休憩が次第に短くなり、ついに1Km おきぐらいになる。森林限界を超えたところにある30
0m ほどのトンネルでは、明かりとりの窓さえなく、トンネル出口のあかりを目標にしてしばらく歩くことにな
った。途中昼になったのと、清水が岩の割れ目から湧き出ていたので昼食を取る。道脇の草の上に座っ
て食べる昼食はとてもうまかった。それにしてもなんてきつい坂なんだろう。そんな坂を僕の脇を何十人も
の人が抜いていく。ついには僕よりももっと年配そうな人や、マウンテンバイクの人にも抜かれる。すごい。
よくもこんなに自転車人口があるし、こんな坂を上るパワーをもっているものだ。
ところで、彼らは荷物をほとんど持っていない。どこかに荷物を預けているんだろうかとぼんやりと考える。
昼食後も、途中、霧がでて廻りが全く見えなくなったりするが、雨もなく天気は良好。でも、相変わらずの
激坂と格闘。1Km おきに道標があるのでそのたびに小休憩をとる。こんなんじゃとてもこの後 Stelvio な
んて上れない。スケジュールの大幅見直しが必要だ。
1時過ぎにようやく峠までのぼりつく。とてもたくさんのサイクリストがいる。こんなにいたのかなと思うがきっ
と反対車線から上ってきたんだろう。このあたりは木がなく、少しの草があるだけだった。峠にある店に入
るといきなり自転車レースのゴールの写真が何枚も飾られている。ここ数年に何度かここでジロ・デ・イタリ
アがあったようだ。Stelvio のほんの途中と思っていた峠は実は有名な大きな峠だったようだ。コーヒーを
飲み、絵葉書を買ってから出発。体が冷えてきたのでウインドウジャケットを着る。このジャケットは本当に
風をシャットしてくれたので、下りはほとんど寒くなかった。少し下ったところで、上の方に氷河が見える。
下界の景色を眺めながら走るといいが、50km/h 以上の速度で狭い急坂を下るのはとても怖く、それどこ
ろではない。必死に前を見て走ると、数分後にはふもとの村に到着した。この村には自転車が何台もあり、
ウエアを着た人もいる。みんなきっとこうした麓の村まで車で来て、峠に上っているんだろう。この村を通
過した時、まだ 14 時だったので、これから Stelvio に上れるかもしれないと少し色気がでる。しかし、この
まま荷物を持って上るのはもうこりごりだし、少しでも身を軽くしなければならない。そこで、Stelvio の麓の
街 Bormio を目指した。この街でホテルをとり、荷物を預けることにする。
Bormio はとても大きな町で、すぐにホテルをみつけることができた。ホテルで荷物を整理し、15 時には
出発。ところが、途中から小雨が降り出した。強くなければ途中で下りればいいと上りつづけるが、峠まで
1/3 程のところにある大きなトンネルに着くころには
ほとんど土砂降り。とても寒いし、これ以上行っても
雨の中の急坂の下りがどうなるか心配で、仕方なく
今日のところは引き返すことにした。大雨の中を車
に追われて下る。体も冷え切ってしまい、ガタガタ
震える始末。挙句の果てはホテルが分からなくなり、
道に迷う。あいにくホテルの名前「Aurola」を覚えて
いたので、地図をもらい道を教えてもらう。ホテルに
帰るとすぐに湯船にお湯をためて体をあたためた。
ところが、風呂から出て外をみると、雨は止んで晴
れているではないか。昨日もそうだが、どうやらこの
あたりは夕方に一度雨が降り、それからまた晴れる
ようだ。一日に何度も天気が変わるのが普通なのかも知れない。夕食が 19 時半からというのでそれまで
明日以降のスケジュールを見直すことにした。こんな坂ではとてもいくつも越えるのは無理だ。それよりも
時間の余裕を持って峠を楽しむことにする。夕食はやはり 20 ユーロだけのことはあり、コース料理になっ
ていた。サラダやケーキ、果物はバイキングになっていた。ところが、疲れているのか食欲がなく、ほとん
ど食べれなかった。まだ少し慣れが必要なようだ。
8/15 Bormio(1125mm) → Passo Dello Stelvio → Passo Foscagno → Livigno
朝食が 7 時 30 分からだというので、しばらく外を散歩することにした。さすがにこの高さまで来ると、朝、
半ズボンだと寒い。街の中を歩いていると、スキーのワールドカップの看板が幾つかある。それに、
Stelvio があるのと反対側の山にはスキーリフトがある。もしかしたら、ここは冬の間スキー客が集まり、夏
には自転車や山登りの人たちが集まっているんだろうか。いずれにしてもこのホテルの多さからして、結
構有名なリゾートなのかも知れない。
散歩途中にあった「Jolly Bar」という Bar でコーヒーをいただく。お客が一人いたが、僕が注文している
うちにカプチーノを飲んで出て行ってしまった。まだイタリアの数の数え方が分からず、小銭をガチャガチ
ャと出して、おかみさんに勘定してもらった。大きいのといって頼んで出てきたコーヒーにはミルクがたくさ
んついてきたので、たっぷり入れて飲む。200 円ほどで朝からのんびりとコーヒーを飲めるのは素晴らし
い。それからホテルで朝食をとり、荷物を整理してスタート。まずは Passo dello Stelvio。荷物をホテル
で預かってくれたので、体もとても楽になった。10km/h ほどでひたすら上る。昨日一度上りかけた時とは
違い、天気もよいので、少し楽なような気がした。「今日は今日の体になったんだな。」なんて思いながら
上っていると、結構年配のレーサーに抜かれる。荷物がなくてもやっぱり同じか?イタリア人、恐るべしだ。
少し後ろをついていっていたが、だんだんと離され、ついには見えなくなってしまった。あたりの景色は木
から草になり、岩肌が露出し始める。昨日上ってきたトンネルのところまではかなり楽に上れた。今日は休
みなく上れたらいいななんて思い、次第に高度を上げていく。トンネルを過ぎると、有名な九十九折れに
かかる。はるか上の方にまで道がくねくねと曲がりながら上っているのが見える。道路は昨日の Gavia と
違いきちんと車線があるが、時間の経過とともにバイクや車が次第に多くなり、とろとろと上って行く僕に
はあぶなくて仕方がない。途中、女性を含む集団に抜かれる。しばらくして、今度は僕の方が彼らを抜き、
マウンテンバイクに乗った人に追いつく。その人は、それからずっと僕の後ろをついてきて、峠まで 2Km
ほどのところから一気に置き去りにされてしまった。やはりすごい。九十九折れを過ぎて下を見ると、はる
か下のほうに自分の上ってきた道がくねくねと見える。あんなところを上ってきたんだと思うが、道標では
まだ 7∼8Km ある。まだスタンディングができるので、休まずにさっきのマウンテンバイクの人と上って行く
と広い草原に出る。そこから、はるかかなたに建物が見えた。それが峠のようだった。草原をだらだらと上
り、更に再度くねくねと斜面を上るとついに Stelvio 峠だった。とても寒く、少し雪まで降っている。急いで
Bar に入り、コーヒーとケーキをいただく。服を着て温まるが、外に出るとすぐにかなり寒くなる。体がガタ
ガタ震えるが、下らなくてはこの状況から脱出できない。Giro de Italia の選手はよくぞこの寒い中をそ
のまま下れるものだ。なんて思いながら凍える手でブレーキをかけながら下る。草原も九十九折れも寒い。
バイクや車がすごいスピードで抜いていく。九十九折れで一度止まり、よくぞここまで上ってきたなと感慨
にふけるが、寒さとこれからの恐怖ですぐに現
実に戻る。下りに 30 分ほどかけ、ようやくホテル
に到着。2 時間半かけて上ったから、下りとして
はとても効率が悪い気がする。
ホ テ ル で 荷 物 を 引 き 取 り 、 朝 行 っ た 「 Jolly
Bar」でまたコーヒーを飲みながら荷物の整理
をした。それから日航にレコンファームをし、多
分子供達がいっているだろうからかみさんの実
家にも国際電話をしたが、子供達は 2 日ほど
いて帰ったあとで、とても残念だった。
ここから今日の目的地、Livigno は 40Km ほど
だろうか。2291m の Passo Foscagno と 2208m の Passo Eira があるが、ここ Bermio が 1125m だ
から少しは楽だろうとこのときまでは余裕だった。ところが、途中ゆるやかな上りを快適に上っていたところ、
なんだか胃のあたりがむかむかする。どうもおかしい。コーヒーの飲みすぎで胃がやられたのかもしれな
い。そういえば、ここ数日食欲がなかったのもそのせいだろうか。
なんて考えながら、上って行く。荷物を背負っていたので、朝
よりもきつく感じる。体調も悪いので途中何度も休みながら
Passo Foscagno についた時にはもう 17 時前になっていた。
ここもまた非常に寒く、外の景色を楽しむどころではない。Bar
に入り、紅茶を注文すると、ダージリンのパックとお湯、そしてレ
モンを切って出してくれた。レモンをたっぷりしぼった紅茶を飲
んで少し楽になったような気がした。この Bar から峠の看板の
写真をとり出発。ここから Passo Eira には、一度下ってから上
る。Passo Eira まではほんの少しの上りだったが、非常にき
つくつい足をついてしまう。峠の途中では、はるか下のほうに
家が点在しているのが見える。もっと暖かければゆっくりのんび
りと見れるんだがなと思い、再び峠を上りはじめる。なんとか峠
にたどりついたので、写真だけとって出発。後は下りで
Livigno までまっすぐだ。一気に下まで下る。
Livigno はホテルも多く、今日はホテルに苦労しないだろうと思っていたが、ところがなんと、ホテルを 6
軒ほどあたったがどこもいっぱい。ここはリゾートになっているようで、人がやたら多い。一体こんな寒いと
ころで何をするんだろう。6 軒目のホテルで途方にくれていると、そこのお姉さんが知っているホテルがあ
るからあたってあげようということで電話してくれた。電話で話しをしてみると、シングルが空いているとのこ
と。少し高い(88 ユーロ)がもう体が動かないし、この人ごみで空いているホテルをこれ以上探せるか心配
だったので、今日はここにすることにした。
ホテルに入ると体が非常にきつく、息をするのにも大変。もしかして高山病じゃないかな。なんて思いな
がら体を動かすのも億劫なため、ベッドに 1 時間程横になっていた。息は少し楽になるが、相変わらず胃
がむかむかする。このままじっとしていても仕方がないので、果物でも食べようとロビーのお姉さんに聞い
て、果物屋を探すがみつからない。途中であきらめ、Restrante で暖かいスープでも飲むことにした。お
店のお兄さんが、「ここが景色がいい」と親切に席まで案内してくれ、ほっと一息。温かいスープとビール
をいただくと、少し体が楽になったような気がしたので帰ろうとすると、あのお兄さんが、「俺に一杯おごら
せてくれ」というような身振りをするので、少し体調が心配だったが、快くいただくことにした。小さなグラス
に入ったのは、確か「グラッパ」といっていた。本当にありがたいものだ。お兄さんにお礼をいい、気持ち
よく店をでようとすると、こんどは、レジのおじさんがレモン味のグラッパを飲ませてくれた。更に気持ちよく
なり、ホテルに帰る。アルコールが回ってきたこともあり、もうそれ以上起きてられなく、ベッドに横になった。
まだ体調は十分ではないようで、相変わらず、胃がムカムカするし、吐き気もある、息をするのも少しつら
い。夜中に目を覚まし、ベッドの中をいったりきたり。海外保険に救援の事項を入れといてよかったななん
て考えながら、ごろごろと転げながら夜をすごした。Livigno からはどこに行くにしても 2000m 以上の峠
がある。次の日のことが心配でならなかった。
8/16 Livigno → Realp(スイス)
朝早く目を覚ますと、やはり胃の調子が悪いものの、昨夜に比べるとかなり楽になった。
このホテルは立派だからきっと果物やジュースなどが朝食に出るだろうから朝食が楽しみだ。何せ、昨夜
はスープだけだ。とても空腹だった。7 時を過ぎたので食堂に行くと、すでに数十人の人がいた。背中に
ITALIA と書いている。体格も立派で、見るからにスポーツマンだ。きっと何かのスポーツのイタリア代表
の合宿なんだろうと思いながらジュースをコップに入れていると、突然ミーティングが始まってしまった。一
般のお客さんも見えない。きっとこの団体が早めの朝食をとったんだろうとコップを持ったまま部屋に戻る。
いただいたグレープフルーツジュースはとてもうまく、胃がすっきりしたようだった。30 分程で出発の準備
をし、8 時になったので再度食堂に下りていくと、まだ 5 人ほどが残っていたが、もう大丈夫そうだったの
で彼等の横で朝食をいただく。さすがに高いだけあり、果物やヨーグルト、それにジュースやハムなど豊
富だ。胃のことを考え、果物やヨーグルト、ハム、ジ
ュースをいただく。まだ胃がムカムカするので、今日
はパンやコーヒーは止めておくことにした。30 分ほ
どかけてゆっくり朝食を食べた。出発前に地図をよ
く見てみると、なんと、峠を通らずにトンネルで抜け
る道がある。ただし、4km の長さのトンネルだ。イタ
リアではトンネルの中に電灯がないところが多いの
で、少し心配だが、このトンネルを抜ければ、比較
的簡単に次の目的地 Samedan まで出れそうだっ
た。そこで、ロビーのお姉さんに確認すると、自転車
も OK だそうだ。よし、今日はオフ(峠を上らない)の
日にしようと、そのトンネルを通ることにして出発した。
トンネルまでは湖のほとりをひたすら進む。途中向かい風で大変だったが、数人のサイクリストが向こうか
らくるので、トンネルも通れるんだろうと安心。トンネルの前では車が並んでいるのでなんだろうと近づくと、
スイスとの国境だった。お姉さんにしばらく待たされるが、問題なく入れた。これまで日本のパスポートを
見せるとすぐにパスしていたのに、今回は少し待たされた。やはりスイスは入国をきちんとチェックしてい
るようだった。トンネルは一車線しかなく、交互通行だった。車が自転車の脇を通り抜けるのはかえって危
険そうだったので、僕はひたすら車線の真ん中を力いっぱいこいで進む。後ろを車がいるが、これも仕方
ないだろう。トンネルから抜けて止まっていると、国境線のところで後ろにきていたレーサーの集団が抜い
ていく。「ITALIA」と書いている自動車が伴走しており、女性の集団だった。これまたなにか国の選手な
のか、それにしても彼女達は速かった。
それから少し上ってから下りになる。ひたすらの下りはとても怖い。路面が濡れており、少し間違うと帰れ
なくなるのではないかという心配が頭をよぎる。Zermec について T/C をスイスフランに交換した。というの
は、スイスではユーロを使えないとおもっていたからで、その後、どこででもユーロを使うことが出来るのが
分かった。国が違うのに通貨が同じなのは、とても便利だ。Zernec から Samedan はセガンティーニが愛
した OberEngadin である。景色は素晴らしいし、よ
く整備された牧草地が広がっており、ガードレール
がないので、疲れると自由に草地に入って休憩をす
る。地図を見ると、Bever から氷河特急に乗れるよう
だったので、残り 20Km ほどになる。結構余裕を持
ってのんびり走る。ところが、いざ地 Bever にいって
みると、駅が小さく、主要な駅のような気がしない。
やはり一度隣の Samedan まで行く必要があるようだ。
ということで、Samedan まで走ると、丁度、列車が待
っていた。残念だが、その列車に乗るのをあきらめ、
ゆっくりと昼食をとることにした。鶏肉とスパゲッティのセットを注文する。暖かくて、とても美味い。暖かい
昼食はこの旅行で初めてだった。これまでは冷たいものを走る合間にとっていたので、体が疲れてしまっ
たのかもしれない。今日は体を大切にするためにも、ゆっくりと時間を使うことにする。30 分程で食事をと
ると、列車が来たので自転車を乗せて席につく。スイスもそうだが、ヨーロッパでは自転車をそのまま列車
に乗せられるのでとても楽だ。確かにサイクリストが多いから需要も多いわけで、日本ももう少し自転車で
移動する人が増えればこうしたサービスもできるんだ
ろう。
当初、Samedan から Furka を越え、Fiesch まで列車
に乗るつもりだったが、ベルベットのような牧草地が覆
う女性的なスイスの山を見ていると、やはり最初行く予
定にしていた Furka 峠を上ってもいいのではないかと
い う 気 に なっ てき た 。 そ こ で 、 Furka 峠 の 手 前の
Realp という街で途中下車することにした。この街は
Furka 峠の上り口になっており、Furka を越えると
Grimsel と Susten といったスイスの大きな峠を巡り、
一日でここに戻ってくることも可能だし、途中疲れても
列車に乗れるので、一日かけて明日廻ることにする。
Realp の駅で降り、明日早朝から夕方まで荷物を預かってもらえることを確認してから、ホテルを探す。
運良くホテルもすぐに見つかる。スイスでは、昔の郵便局(ポスト)が宿屋として使われていた名残があり、
今日宿泊したホテルも、昔ながらの古い建物に、外装だけきれいになっていた。宿泊代は、48SF だから
昨日の半分だ。田舎だけあり、物価の高いスイスでも非常に経済的だった。ホテルの一階にあるレストラ
ンで日記を書きがてら夕食にする。レストランのお姉さんに聞き、スイスの伝統的な料理(ジャガイモの千
切してゆでたものにチーズをのせ、温めたもの)を紹介してもらい、ビールと一緒に頂いた。温かくて、胃
にとてもやさしかった。これで明日も体がかなり回復するに違いない。今のところ、右のアキレス腱と両方
のふくらはぎが筋肉痛になり、結構きている。今日はのんびりと寝て、明日に備えることにしよう。
ところで、このホテルは安いだけあり、内部は昔のままだった。部屋の床はへこんで凸凹しているし、部屋
の中にトイレやシャワーもない。でもこれで十分。ヒーターもきちんと動き、温度設定だけ 30 度になって寒
いままだった昨日のホテルに比べ、僕はこちらの方が気に入った。
8/17 Realp → Furka pass(2451m) → Grimsel pass(2165m)
→ Susten Pass(2259) → Realp
今朝はとても暖かい部屋で気持ちよく起きることができた。時差にもかなり慣れてきたのだろうか。これま
で 3 時頃に起きて日記を書き、再度寝るといった生活をしていたが、今日は朝までぐっすり眠れた。朝 7
時ごろ目を覚まして外を見るが誰も通りを歩いておらず、ホテルの廻りを昨日すでに散歩していたので、
今朝は朝食まで部屋で本を読むことにした。本をゆっくり読むのは旅行に来て初めてだし、Livigno で本
当に死にそうだったのに比べ、とても体調がよくなったようだ。ただ、胃だけは心配なので、今日一日はコ
ーヒーをまだ飲まないようにした。朝食は 7 時 30 分とこれまでで一番早いがその時間に食堂に下りると、
もうすでに数人が食事を食べようとしていた。皆朝から早い。オレンジジュースとミルク、パンを 3 枚、チー
ズ、ハムとたっぷりの朝食をいただいた。胃の調子もいいみたいで、ようやく物を食べれるようになった。
本当にあのイタリアのきつさがうそのようだ。ただ、ここに来て下半身筋肉痛になってしまい、両足のももと
ふくらはぎ、右足のアキレス腱が痛む。右のアキレス腱には今までシップを貼ってきたが、ほとんど効果な
し。果たして今日は大丈夫だろうか。
今日は、3 つの峠にチャレンジするので、駅で荷物を預けた。重い荷物を持っていては腰が痛くなるし、
すぐに疲れるので峠上りを楽しむことができない。3SF で預かってくれ、身軽になり、まずは Furka
Pass に挑戦。この村が標高 1400m ぐらいなので、1000m
程上ることになる。途中、下のほうに見える Andermattから
Realp の村に続く谷とそこに落ち込んで行く山の様子は素
晴らしくて見とれてしまうほどだった。峠を上っていると、まる
で自転車を使った山登りのようで、下界の景色を楽しむこと
ができるのが、ここの峠上りのよさのひとつかもしれない。まず九十九折れを上り、そこからはだらだら上り
が続く。はるか下には、フルカを上ってくる蒸気機関車のための線路が見える。この機関車は途中途絶
えていたのが復活したそうで、峠を上っていると蒸気が見えた。多分駅だろうと思うが、残念ながら、実際
に走っている様子をみることは出来なかった。
1 時間半ほどで峠について写真をとり、そのまま下る。ここでは氷河からの水が湖をつくっている。今まで
走った峠では気づかなかったが、今日走った 3 つの峠ともに結構大きな氷河湖ができていた。下ってい
ると、下のほうに小さな街が見え、その向こうに九十九折れが上っているのが見えた。それが、Grimsel
Pass だった。一日かけてゆっくり峠まわりをするつもりなので、斜面を上っていく道を見ると、少し変だが
それはそれでうれしいような気になる。一気に街まで下りると、Gletsch という名前だった。ホテルが一軒
あるだけで、あとは列車の駅だけだった。峠で一緒だった 2 人が先にそのホテルのテラス(Bar)で飲んで
いた。Bar といっても峠を望む大きなテラスにテーブル
と椅子が出ているだけで、みんなその椅子に腰掛け、
峠と氷河をゆっくり眺めている。子供たちやおじさん、
おばさんなど明らかに普通は峠のぼりをしないような人
たちまでが、マウンテンバイクや普通の自転車で峠に
チャレンジしているのが見える。日本では考えられない
文化にびっくりだ。僕も今日はゆっくりと峠めぐりの予定
だったので、ここに席をとり、コーラを注文して、みんな
が峠を上っていく様子や山の上の氷河を見ながらのん
び り と し た 。 30 分 ほ ど ゆ っ く り と す ご し 、 そ れ か ら
Grimsel Pass を上り始めた。Gletcsh から Grimsel Pass は 6km で 300m∼400m を上っただろう
か。ここもまた頂上に湖を持つ峠だった。売店に行くが、イタリアの峠で見たような自転車の写真やバッチ
などは全くなかった。やはり、イタリアとスイスではこうしたことも違うようだ。激坂を上って、ようやくたどりつ
き、ひたすら寒いイタリアの峠と、まるで避暑地のようなスイスの峠、国が違えばこんなにも違うのかと、次
のフランスの峠が楽しみにもなる。
Grimsel の峠を下りはじめると、はるか彼方に道が続いているのが見える。途中、映画の撮影ということ
で 10 分程足止めにあう。通行できるようになるのを待っていると、2 人のサイクリストがやってきた。うち一
人は、僕と同じ TREK の 2300 で 05 年モデルに乗っていた。赤のフレームにリアがカーボンになってお
り、僕のよりとても高価そうに見える。自転車が取り持つ
縁ということで、少しだけ話をした。Brig(隣街)から来た
そうで、その後、峠の下りをずっと一緒だったが、僕が
Susten Pass に行くために右に曲がったとき、彼らは
反対の Interlaken の方に行った。
Grimsel を下りた街で昼食。1 時間ほどをかけ、ゆっくり
と食事をとる。ここからもはるか彼方に氷河をたたえる山
が見える。天気が良く、本当に素晴らしい景色だった。
あんまりゆっくりもできないので、Susten Pass に向か
う。Susten までは 28km で 1500m ほどを上る。本当に
ゆっくりとしただらだら上りだが、右のアキレス腱が痛い。
途中何度か休みながらも 3 時間程をかけて峠につく。ここは雪が残っており、数日前は雪だったようだ。
イタリアの寒かったことを思い出し、幸運に感謝だった。この峠を越えると、19km 続くひたすら長いくだり。
途中、60km/h ほどまでは出せるが、怖くてそれ以上だすことができない。形だけあるガードレールらしき
ものから一気に数百メートル下の谷底を見ると、バーストが心配で、少しでも自転車が不安定になるとブ
レーキをかけてしまう。何とか大丈夫なうちに Wassen に到着。ここから Realp まで列車で移動するつもり
だったが、この Wassen には駅員さんがおらず、どうしたものかと思っていると、脇を両サイドに荷物を積
んだ中学生ぐらいの集団が通り過ぎていくのが見えた。Andermatt 方向に行っていたので、僕も追いか
けることにした。ただ、Goschenen といところで、大きな駅があったので、彼らにお別れして Realp までを
列車に乗ることにした。Realp に着き、駅で荷物を受け取った後、荷物の整理をした。Fiesch まで移動し
ようと列車を待っていたが、列車が来ない。駅員(おばさん)に尋ねると、曜日の関係で、僕が乗ろうとした
列車は今日は走らないそうだ。20 時過ぎまで列車がないというので、Fiesch に行くのをあきらめる。とい
うことで、それから今朝出発したホテルに戻ると、空いているとのことだったので、今日もまたこのホテルに
宿泊することにした。
8/18 Realp → Geneve → St_Michel-de-Maurienne(フランス)
トマスクックの時刻表を調べると、朝 8 時 15 分に Realp を出る列車があったので、7 時 30 分少し前にホ
テルを出る準備をして食堂に下りる。おじさんがまだ朝食の準備をしていたが、尋ねると大丈夫だという
ので、今日もまたオレンジジュースを一番にいただく。この食堂では、スイスの山の上の風景を描いた大
きな油絵が壁にかけられている。写真のなかった時代はこうして絵を画き、壁に飾ったんだろうか。写真と
は違う何かほっとしたものをこの絵を見ていて感じる。
食事を済ませ、自転車を車庫から出してもらい、駅に向かう。まだ朝早いせいか、空気も冷たく、ひんやり
していて気持ちがいい。駅で今日のチケットを購入し、自転車と荷物をホームに移動させて列車がくるの
を待つ。駅のホームから左手の山をみると、もうすでに車の行き来があり、昨日僕が上った峠がはるか上
の方に見える。今日も天気がいいみたいだ。結局スイスでは雨に遭わなかった。イタリアに比べ、気候が
温暖なのだろうか、やはり自転車で旅するにはスイスは素晴らしかった。道の勾配はイタリアに比べ緩や
かだし、車に追われる(心理的に)心配もない。適度な距離をおいて街があり、飲み物も購入できる。イタ
リアがすごく野性的だったのに対し、スイスはホスピタリティに溢れている。スイスをキャンプして廻ろうとは
思うが、イタリアはちょっと考える。こうして峠を見ているうちに列車が来て出発。列車で越える Furka
Pass はトンネルになっており、出発してすぐに列車はトンネルに入る。ぼうっと本を読んでいるうちにトン
ネルから出ると、景色は一変していた。これまで絨毯のようだった山に木が生えている。これまでの世界と
はまた違う、現実の世界になったような気がした。更に列車が次第に高度を下げ、Brig に着く頃には山と
いうより平野になり、都会になってしまった。やはり、こんな都会には来るもんじゃない。自転車で走っても
どうかなという気がしてならない。
途中 Brig で乗り換えには 1 時間程あったので、家に
電話してみたが、まだ夕方の 5 時すぎだからか誰も
電話にでなかった。プラットホームでのんびりとビー
ルを飲んで時間をすごす。今日は 1 日 Off。太田くん
が言ってた様に、やっぱり途中一日の Off は必要だ
な。足はぼろぼろ。明日はこの旅行のメインの
Galibier 峠だが、どこまで復活できるか心配だ。ビー
ルを飲んで列車に乗ると日差しも暖かく、本を読んで
いるとつい眠ってしまう。そのうちにフランスとの国境、
Geneve に到着。ここ Geneve はフランスとスイスの国
境になっており、T/C を現金に換えたり、アルベールビルまでの列車のチケットを買ったりした。ここでも
家に電話するが、こんどはスイスの電話の使い方がよく分からず、日本まで電話できなかった。びっくりし
たのは、クレジットカードで電話がかけられるようになっていることだった。試してみたが、だめだった。一
度ぐらいは家に電話しないとな。。と思う。
Geneve からフランスに入るが、とても暑い。途中湖があり、釣りをしたり、泳いだりしていた。まだこの時点
で Madrene 峠に上るべきかどうか迷っていたが、アキレス腱は相変わらず痛く、果たして楽しく峠上りが
できるか心配だったので、Madrene 峠を止めることにした。そこで、アルベールビルに行くのをやめ、
Telegraphe 峠に上るべく、St.Michel-de-Maurienne を目指した。
夕方 St.Michel-de-Maurienne に着き、近くのスーパーで夕食を買い、ホテルにいくと、なんとひさしぶ
りに「Finish」と言われてしまった。こんな小さな街で、ホテルも空いてるだろうと夕食まで買い、安心しき
っていたので、かなりのショック。ところが、併設しているレストランの人たちが一人を指差し、「まってろ」と
言う。待っていると、ホテルを取ってくれたようだった。とてもありがたい。ここから 1km 程のところだという
ので、夕食を持って自転車で行くと、なんとホテルの名前は「Hotel Galibier」だった。
それにしても、このあたりはとてもフランスとは思えない。岩が切り立っていてなんとなく薄暗いイメージだ。
どうもこの辺りは鉱山になっているようだった。ただ、このホテル、今までで一番安く、25 ユーロだった。そ
れに途中、Madrene 峠から下りて来る道を見るが、とても高いところから下りてきており、やはりやめとい
てよかったかも知れない。とにかく、今雨が降っており、明日が心配だ。
8/19 St.michel-de-Maurienne – Col du Telegraphe(1566m) – Col du Galibier(2646m)
– Col du Lautaret – Alpe-dHuez
夜通し車が通る際に水をはねるような音がする。こんな急に岩山が立ち上がっているところだから、雨に
なってもおかしくない。雨がふったらおとなしく引き下がろうかな、なんて思いながら夜をすごす。朝食が
7 時 30 分だというので、その時間に下りていくが、宿泊客らしい人が2人ほどいるだけで、まだ準備なし。
日本のドライブインみたいなところで、結構、危なさそうな人たちが出入りしそうな様子だった。彼らと一緒
に待っていると、ようやくおじさんが現れて準備が始まった。朝
食はフランスだからか、パンとコーヒーとオレンジジュース 1 杯だ
け。確か 6 ユーロだったから非常に不満。こんなこともあるよなと
思いながら、特大(20 ㎝ほど)のクロワッサンとフランスパンを食
べる。今日は峠を上るので、早めに出発したかったため、8 時
30 分までに準備をして出発する。準備の途中、レーサーウエア
を着た女性のサイクリストが上の階から食事に下りて来た。彼女
は僕よりも大きな荷物を持っており、車庫で見かけたきれいに整
備されたフラットバータイプの自転車は彼女のだった。彼女より
早く出発。St.Michel-de-Maurienne の市街に入ると、高台に
古い教会や城跡が見えたので、古いもの好きの私はいそいそと
石畳を上っていく。この石畳の道は、狭いがとても趣があり、素
敵な空間だった。教会にはカギがかかっていて入れなかったが、
噴水など、辺りを少し散策してから下りる。スーパーのレジのお
姉さん達がツールの T シャツを着ていた(多分協力スポンサー
の一つだろうか)ので、売ってくれないか聞いてみたが、「ノン」とのことだった。それはそうだろうと、街を
出て峠に入る。
まずは Telegraphe 峠だ。川を挟んで高台に見晴らし台がある。もしかしてあれがそうだろうか。しかし、
道がない。どうして上っていくんだろうと思いながらも上っていく。途中、果樹園らしき畑をもつ小さな家が
点在している辺りを抜けていくと、朝ホテルで見た女性がとても重そうに荷物を背負って上っているところ
だった。「Morning」といいながら抜いていく。しかし、あんなにきつそうに上って、峠までたどり着けるか
心配だった。峠に着くまでに数人のサイクリストから抜かれる。後ろや屋根に自転車を積んだ車などもあり、
今日もサイクリストがとても多いようだ。一体ヨーロッパの人たちはいつ仕事をしているんだろうなんて考え
ながら峠を上っていると、あの Gabia 峠でもあったように、道路に字が書かれていた。「Lance」やその他
多くの選手の名前がチョークやペンキで書かれていた。とてもきれいな色彩で書かれている選手の名前
を眺めながら上っているうちに Telegraphe 峠に着く。ここには多くの自動車が止まり、何人かの人はここ
で準備をして Galibier 峠に上ったりしているようだ。僕は峠の写真をとり、すぐそばの Restrante でコー
ラをいただきながら到着する自動車やサイクリストを眺めながら小休憩。こうして、あのスイスであったおじ
さん達みたいに自転車や峠上りを楽しむのは素晴らしい。少し休憩した後、峠を下る。数 Km の下りがあ
って、Valloire の村に着く。ここでは教会の周りが市場のようになり、多分近郊の人だろうか、ハムやパン、
チーズなどの食品を売っていた。とても人が多く、溢れている。店の間を抜け、教会の中に入ると、ここの
ステンドグラスは青の色が印象的だった。やっぱり教会にはステンドグラスがいいななんて思いながら外
にでると、さっきの峠で抜いていったあの女性がいるので、挨拶する。彼女は、Geneve の南の街から 1
週間ほどでニースまで行く予定だそうで、昨日、Iseran 峠(2764m)を越えてきたそうだ。これから
Galibier 峠を越えて、今日は Brianson まで行くとのこと。とても疲れてきついということだった。あんな荷
物を背負ってたいしたもんだと思うと、少しは僕の荷物も軽く思えてきた。
街を出ると、また何人かのサイクリストに抜かれながら Galibier 峠までの 17km の道をひたすら上り続け
る。8km ほど上ったところで、右の岩山をくねくねと上って
いく道が見えた。これからが本格的な上りのようだ。ボトルの
水がなくなりかけていたので、道の脇にあった売店で水を購
入してから出発。地図では 15%と書いているが、もうこんな
坂もかなり慣れてきた。大抵 7∼9km/h で上るので、約 1 時間程この坂と格闘することになる。ぽっちりぽ
っちりと上っていくと、くねくね坂を抜け、山の上に出る。平らになったように見えるが、実際はまだ上り続
けている。しばらく上ると、左手上方の彼方に峠らしきものが見えた。サイクルメータの距離からすると、こ
こからでも 4km あることになる。もう木などなく、いつものように高原の峠になっていて、右手には谷を隔
てたはるか向こうに、氷河をたたえた山が見える。何人ものサイクリストが途中休憩したり、ゆっくりと走っ
たりしている。ここでもサイクリストの数は多い。上り続けると、右手にトンネルがあるが、ここを通らずにさら
に上っていくと Garibier 峠だった。車が下のトンネルを抜けるからか、めずらしく峠には何もない。レスト
ランは、トンネル手前の 1 軒のみだった。峠の頂上では多くのサイクリストが思い思いに休憩しており、下
の方からかなりの人が上ってくるのが見える。途中抜かれた TREK の田尾さんモデルの人もすでに到着
し、他の人を待っているようだった。おじさん達の集団もこんなところまで上ってきており、サイクリスト人口
の裾野の広さを感じる。峠の写真を撮り、峠を下る。
相変わらずガードレールのない道を楽しんでいるうちに Lautaret 峠につく。峠というものの、Garibier
峠からは上りがなかった。多分、Brianson から Alpe-dHuez 方向に抜ける際にちょうど頂上になってい
るからだろう。3 つの道が合流するこの峠には多くの Restrante やおみやげ屋が集まっており、ここでか
みさんと子供にお土産を買った。昼を過ぎていたので、ビールとサンドイッチを買ってテラスでいただく。
天気はいいが、太陽の光をたっぷり浴びないと少し寒く、ゆっくりしていると次第に寒くなった。サンドイッ
チはやたら大きく、ハムとチーズが挟んであり、美味しそうだったが、疲れているから食欲がなくて半分ほ
どしか食べれなかった。残りをバックに入れて出発。Alpe-dHuez を目指す。
Alpe-dHuez までの道はほとんどが下りで、小さな村を抜けていく。途中、Garibier 峠から見えていた氷
河を蓄えた山が左手に覆い被さるように近くに見えるようになる。その氷河を見ながら下っていくと、広い
ところにでる。かなり下ってきたからか、この辺りではかなり温かい。広い一本道を進んでいると、右手に
「Alpe-dHuez」と標識が見え、右手の山のかなり高いところにまで道が見えた。高祖さんが「ツールドフラ
ンスでは有名なところで、誰でも知っている(けど僕は全く知らなかった)」といっていた Alpe-dHuez はこ
れか。Alpe-dHuez がどんなところかも知らないので、多分かなりの高さまで上るだろうし、16 時くらいに
なっていたので荷物を置いて行くか迷う。しかし、上で宿泊するかも知れないので、荷物を持って上ること
にした。上っていると、、なんだかやたら速い人が多い。ここは有名だそうだから、きっとプロやそれを目
指す人たちが、トレーニングに来ているんだろうかと思いながら、10%はあるという坂をひたすら登る。こ
こには、コーナーに 21 から 1 まで数字と標高が書かれていた。一つ上る毎に 60m 程の標高を増してい
く。そのくねくね道をひたすら上ると残り 9 のところでついにダウン。腰が痛くなり、これ以上我慢できなく
なった。しばらく休んで再スタート。次は 4 のところでダウン。再スタートして 1∼2km 走ると今度は極度に
空腹を感じて力が入らなくなった。そういえは、昼食はサンドイッチ半分だった。力になるか分からないが、
休憩してサンドイッチを少し食べるが、やはり食欲がなく、少しし
か食べれなかった。水で流し込んで再再再スタート。
Alpe-dHuez は 3 度休憩してようやく上りきることができた。本当
に疲れたので、今日はここで走るのを終ることにした。ただ「ツー
ルでは有名だ」という情報のみでやってきたが、ここは避暑地とで
もいったらいいのか、高原にはスキー場やスケート場、おみやげ
屋、スーパーなどいろいろなものが揃っており、各チームのチー
ムジャージや T シャツなど自転車関連のおみやげ物もかなり準
備されていた。
ホテルを取ってから辺りを見て廻り、おみやげを少し買い、夕食と
朝食をスーパーで買ってからホテルに戻る。ここ数日はできるだ
け自分で準備するようになった。今日の夕食は、キャビアにビス
ケット、ハム、オイルサーディンと果物だ。キャビアをビスケットに
山盛りにして食べる夕食もなかなかだった。夕食後は部屋につい
ていたテレビを見ていたが、かなり疲れており、すぐに眠ってしま
った。
8/20 Alpe-dHuez → Grenoble → Paris
いに走るのも最後だ。Grenoble まで下り、それから Paris に夕方入るか、それとも、北へ抜ける峠を走っ
て夜に Paris に入るか迷うが、とりあえず、Grenoble 経由の道を取ることにする。昨日街を歩いていると
き、自転車関連のお土産になりそうなものを置いていそうなスポーツ店があった。そこで、この店でお土
産でもさがそうと、朝、日記を書きながら近くの Bar で 9 時頃まで待っていたがなかなかオープンしない。
この辺りは観光地なので朝も遅いのだろうか。仕方なく、9 時にスタート。昨日上って来た道を下る。昨日
のテレビで天気が悪そうなことを言っていたが、山はすごくガスっていた。Grenoble まで持つか心配だっ
た。下っていると、もうすでに上ってきている人たちもいる。マウンテンバイクで上っている人やチームらし
く数人が競争するように上っている人たちなど様々だ。下を見下ろすと、昨日はとても見る余裕のなかっ
た九十九折れが見事に自分のところまで続いている。下の谷を挟んだ向こう側の山は、大きなへびのよう
にうねった地層が大きくあらわれていた。
朝の冷たい空気の中を下まで下りてゆくと多くのサイクリストがいる。ここには今日もかなりの人たちが集ま
って来ているようだった。天気は良くなったり悪くなったりで、Grenoble までの長い下りを下っていく。途
中天気がよくなると、やはりもう一つ峠を越えてみようかいう色気が出てくるが、今日は早めに Paris に着
いて久しぶりに街を見て歩きたかったので、峠は止めることにした。
Grenoble には 11 時半頃に入るが、ここも駅が分からない。比較的大きな街になると、駅がさっぱりわか
らない。フランスもやはり英語がほとんど通じない。駅というフランス語を知らず思案した挙句、「TGV」と
言うと、分か ってくれた。変に英語で説明するよ り、「ボ ンジュール TGV? 」と尋ねながらよ うやく
Grenoble の駅に到着。チケット係りのお姉さんにチケットを頼むと、12 時 23 分の列車があるが、TGV に
は自転車を乗せられないというではないか。え?ってな感じで、それから自転車の分解を始める。もう 12
時をまわっているので、10 分程で分解するはめになる。昼食を買う余裕もなかったので、いそいで乗った
TGV の車両間でバックに入っていた昨日のクラッカーとりんご、ポテトチップスなどが昼食になった。しば
らく外を眺めるうちに 3 時間ほどで Paris に到着。Paris まではノンストップだった。フランスの南から北へ
の移動に 3 時間少しだから本当に速い。Pari Lyon 駅に到着し、駅のインフォメーションで地図を入手。
両替をしようとするが、休日なのでレートが非常に悪い。現金がないのは怖いし、市内で両替できるか心
配だったのでしかたなく駅で両替した。16 時には自転車を組み立ててスタート。バスチーユ近くで 30 ユ
ーロの安宿を見つけ、荷物を置く。それから、シャンゼリゼを通って凱旋門に行き、エッフェル塔などを自
転車で見て廻った後、スーパーで買い物をしてホテルに戻ったのは 23 時前。途中暗くなり、いつものよう
に道に迷い、途方にくれながらのようやくの帰還だった。今日はあまり走ってないが、Paris の石畳を車を
避けながら走るだけでも本当に疲れてしまい、両方のアキレス腱がはれ上がってしまった。
この次の日にルーブル美術館を一日かけて見てから、シャルル・ド・ゴール空港に行き、無事日本に帰り
着くことができた。日本に帰りついたときには、これまでの疲れからか、はたまたパリの石畳を自転車で走
り回ったからか、両方のアキレス腱が炎症を起こして腫れ上がり、アキレス腱のくぼみがなくなってしまっ
た。
足の回復には 2 週間ほどかかってしまったが、とても楽しく、印象的なな旅だった。日本に帰って新聞を
見ていると、「スイス・ドイツで洪水が発生」といった記事が目にとまった。ちょうど私がフランスの峠をあと
にした頃と重なり、私の走った後に大雨が降ったことになる。あれだけ晴れていたのは、ほんのわずかな
期間だったのか、今回の旅行が非常にラッキーだったようだ。
イタリアの峠をバックを背負って上っているときには、もうこんな旅は十分だなとも思ったが、やはり是非ま
た行きたい。それに、海外もいいが、まだまだ日本にも行ってないところが多く、これから時間を見つけて
は、峠に挑戦していきたい。
以上
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