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2月号(No.294) - 京都大学生活協同組合

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2月号(No.294) - 京都大学生活協同組合
ていよう
綴葉
'11
2
No.294
あなたが創る生協の書評誌
▶
話題の本棚
黒岩比佐子著
『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』
プルースト著
『失われた時を求めて スワン家のほうへ』
特集/少年漫画
新刊コーナー/新書コーナー/最近読んだ本/日本経済史への誘い
〒606-8317 京都市左京区吉田本町
京大生協綴葉編集委員会
Tel:771-6211 / E-mail:[email protected]
綴葉HP:http://www.s-coop.net/about_seikyo/public_relations/000696.php
話題の本棚
れなければならない。かくして編集者としての堺が蘇ってゆく。
暗闇の中にあって明日を見据える静かな気概によって、堺は記憶さ
がよく表れているという。ユーモアと諧謔、配慮と優しさ、そして
評伝を読む愉しみ、事実に触れる悦び
パンとペン
社会主義者・
堺利彦と﹁売文社﹂の闘い
黒岩比佐子の方法
ターゲットを絞ったら、著者はとにかくしつこい。手に入るだけ
の資料に目を通し、縁のある地域に足を運び、ほとんど警察の聞き
昨年来、在野の研究者による一冊の本が話題を集めている。資料
を徹底的に渉猟し、人物関係から時代の空気までを再現した優れた
は研究の足場であり、︵実は貴重な︶必要条件であるからだ。
的に調査することを以て、著者の独自性とは言えないだろう。それ
り込むことのできなかった証言もかなりあると聞く。しかし、徹底
黒岩比佐子著
講談社
評伝である。地味な外観に怯むなかれ。読み始めたら最後。事実の
込み調査のように、一〇〇年前の声を集めてゆく。結果、本書に盛
魅力に引き込まれ、ついつい頁をめくる手が止まらない。
生きることを強いられた社会主義者たちをまとめ、機の到来を待ち
たる﹁冬の時代﹂、ほとんど職に就くことさえできず社会の片隅で
当局によるフレームアップとして有名である。以後ほぼ一〇年にわ
幸徳ら一二名が処刑されたが、これは社会主義者の活動を警戒した
う名には馴染みのない向きが多いだろう。一九一〇年の大逆事件で
﹁売文社﹂社主としての堺利彦
堺利彦といえば、これまで専ら、日露開戦に抗し幸徳秋水と﹁平
民社﹂を設立した社会主義者として語られてきた。﹁売文社﹂とい
伝﹂ということを考えるとき、これは諸刃の剣ではあるのだが︵出
おいて経験せざるをえない生の場面として、立ち現れる。当然﹁評
んど小説中の場面のように、ということは私たちが今という時間に
的な眼差しの下、私たちから離れた時代の人としてではなく、ほと
つ宥め導く堺。資料を典拠に提示されるこれらの姿は、著者の感情
ら送られた義援金を分配して回る堺、血気にはやる若者を苦悩しつ
恐ろしいほどの酔態を演じる堺、大逆事件の遺族を巡りアメリカか
資料から立ち上がりつつある対象への感情移入の強さ
著者ら
しさがあるのはここである。盟友幸徳の死刑が確定した晩に珍しく
続ける堺が立てたのが、文によってパンを求めることを前面に掲げ
︵四四六頁
税込二五二〇円
月刊︶
黒岩比佐子さんは昨年一一月、膵臓がんのため永眠された。好奇
心に満ちた彼女の評伝がもう読めない。とても寂しい。 ︵一升瓶︶
るべき人として提示することに力を貸していることは間違いない。
た﹁売文社﹂の看板であった。堺による﹃読売新聞﹄の記事に曰く、 来事の評価について私には頷けない点も多々あった︶、堺を読まれ
︽⋮ペンを以てパンを求める事を明言する。然し僕等には又、別
にパンを求めざるのペンがある。売文社のペンはパンを求むるのペ
ンである。僕等個々人のペンは僕等の思ひを書現はすペンである︾
著者はこの﹁売文社﹂社主としての顔にこそ、堺の人間的な魅力
10
2
話題の本棚
運のいい国
これは僥倖である。日本人であるというだけで得をすることがあ
って、この日本という国は、とにかく翻訳が盛ん。なんとプルース
の生涯を追体験してみるのも悪くはない。
のだし、それが数年に圧縮されていると考えれば、このダメ主人公
らばこの岩波版がお勧めである。作者自身が生涯を費やした作品な
かけて読みさえすればいいのだから、買うならば今、読み始めるな
は、現時点では六年先ということになるが、逆に言えば、それだけ
ともあって、多くの時間を読書に費やしている。全冊が出そろうの
さずによいのが有難い。主人公もまた大の読書好きで、体が弱いこ
多い。注がその頁に付けられているので、わざわざ後ろの頁を見返
にあのプルーストの出版を始めた。言及される彫刻や絵画の図版も
さで手堅く古典を出版・再版している岩波文庫が、全一四冊でつい
マドレーヌを食べる度に思い出すこと
失われた時を求めて1
スワン家のほうへⅠ
プルースト著
吉川一義訳 岩波文庫
とんでもない古典
これは古典である。二〇世紀の小説を語る上で、どうしても外せ
ない作家・作品の一覧みたいなものがあって、マルセル・プルース
ト﹃失われた時を求めて﹄はその筆頭。この本を読むためなら大学
トに関してはすでに完全個人全訳が二通り、さらに現在進行中の個
を休学してもいいんじゃないか⋮⋮この本を読む以前と以後では世
の 作 品 の 常。 と は い え、 ど こ か の 文 豪 に 言 わ せ れ ば、 古 典 と は、
人全訳が二通り。日本人は、よりにもよって四つのプルーストに出
界の見方が変わる⋮⋮等など、何やら大仰な文句で語られるのがこ
﹁誰もが読んでおけばと思いつつ結局だれも読もうとはしない作品﹂
角をとった読みやすい訳文に仕上がっている。
いこと私は早めに寝むことにしていた﹂となる。全体的に、適度に
会えることになる。今回の訳は、たとえば冒頭の名高い一文が﹁長
のことなのだから、その意味でも古典中の古典なのだった。
主人公は作者を思わせる﹁私﹂。寝る前にお母さんにキスしても
らえないがためにメソメソ泣いてみたり、作家になる夢を抱きなが
らついつい女の子にうつつを抜かしてやきもち妬いて眠れなくなっ
注目は、全編の鍵を握るマドレーヌのエピソード。紅茶にひたし
たマドレーヌのかけらが舌先に触れる。遠のいた記憶が一瞬で主人
様の体験が読者を襲うのは間違いない。その一瞬、その感動のため
たり、しかし家が裕福で金には困らないという、ダメなやつである。
に、この膨大な作品は今も新たな読者を求めている。
︵投稿・玉井︶
月刊︶
公を震わせる。第一巻をこえてさらに読み進めるにつれ、これと同
空気を読まない岩波
これは事件である。ガチガチの古典ばかりに見えて、岩波文庫に
も弱点というものがあり、どういうわけかフロイトはいまだに入っ
︵四六八頁
税込九四五円
3
ていないと聞くし、また、多くても精々全五∼七冊程度に収まるよ
うに配慮しているらしい。とはいえ、近年不況らしからぬ元気の良
11
No.294
綴 葉
王ドロボウJING
あしたのジョー
熊倉裕一作
講談社
少年漫画とは覚めない夢である
かつて『コロコロコミッ
ク』(小学館)と双璧をな
していた、対象年齢低めの
少 年 誌『 コ ミ ッ ク ボ ン ボ
ン』(講談社)にて90年代
後半に連載。その独特の絵
柄と物語性は、同誌最盛期
(評者私見)においてすら「場違い漫画筆頭」
とまで評されるほどである。
NHKでアニメになったりゲームボーイカラ
ー(懐かしい!)でゲーム化していたりと、
講談社のメディアミックス展開の萌芽期に位
置づけられる。しかしこうした方向性は、よ
りその路線を主軸に据えた同社『マガジン
Z』に移籍したあと拡大は見られない。
「星さえ盗む」伝説の泥棒一族の末裔ジン
と、その相棒の鳥キールが行く先々で盗みを
繰り広げる。目的地は城塞都市や砂漠の鉱山、
上空10,000mの空中都市と縦横無尽であり、
目当てのお宝も不思議なものばかり。幾度も
死線をくぐり、時に収監され、飄々と旅は続
いていく。
いわく表現しがたい独特の世界観を、極め
て詳細な細部が支える。ストーリー性には乏
しく、章間の関連もほとんどないが、それだ
け読者を顧みないかのような主観が冴える。
引用やオマージュの類も枚挙に暇がない。そ
して時に視認性さえ度外視する精緻な絵柄に
よって、この複雑な物語の途方もないスケー
ルが強く印象付けられる。
ちなみに固有名詞はほとんど各地の酒から
とられている。大人になったかつての読者は、
キャラクターのイメージを名前の主の酒に重
ね合わせずにはおれまい。評者がベルモット
とカンパリを愛すのは、この作品の影響をお
いて他にない。
(峰)
(全 7 巻 税込各580円)
5
高森朝雄原作 ちばてつや漫画
講談社漫画文庫
少年漫画とは力石の死までである
1959年に創刊された『少
年マガジン』で『あしたの
ジョー』の連載が始まった
のは68年。漫画の作られ方
からすれば暴挙とも思われ
る週刊の少年漫画雑誌がテ
ヅカと時代の絶妙の配剤に
よって定着し、各誌の競い合いの中でジャン
ルの生成がダイナミックに進みつつあったそ
の只中の事である。
そして40余年。これは時代風俗の変化にと
って相当な年月であり、その点では「ジョ
ー」も古びている。作中人物たちの科白や舞
台背景はいまや社会史の史料であり、それに
応じて「ボクシング」と「ドヤ」という物
語・状況設定の時代との(意図的な)ズレ具
合も汲み取り難いものとなっている。しかし、
それでいて「ジョー」は今日改めて映画化さ
れうるほどに「新しい」。端的に言えば、主
人公・矢吹丈のライバル・力石徹の「死」に
よって。
宿命的なライバルの死が少年漫画のお約束
のひとつであることは勿論である。しかし、
「週刊」「少年」「漫画」誌という強力な諸制
約のため、それらの死は死として表現されず、
実際には物語の進行のための趣向として、人
物は必要とあれば何度でも生き返りうる。
ところが力石は決定的に死ぬ。漫画的な設
定を介しながらも、思い余って葬式をしたく
なるようなリアルな死を死ぬ。当然ジョーも
只事ではすまず、作者の端正な絵は長編漫画
につきものの経年変化の枠を超えて激しく動
揺し、そして作品は「少年漫画」を振り切っ
て半ば亡霊譚のようにして名高いラストに向
かって驀進する。傑作? いや、ここで起こ
る何事かの前では、その言葉も軽い。(韓図)
(全12巻 税込各756円)
綴 葉
手
漂流教室
楳図かずお作
小学館文庫
少年漫画とは恐怖である
ある朝、母親とケンカし
たまま学校に行った小学6
年生の翔は突如、巨大地震
に巻き込まれる。気づくと
彼らは学校ごと荒廃した未
来世界にワープしていた。
水も食料もない世界で、教
師たちは発狂した同僚に全員絞殺され、少年
たちは自分たちの力で過酷極まりない現実を
生き延びていくことになる……。
飢餓、内紛、伝染病、未知の生物、未来人
類の襲撃と次々と襲い来る困難と、それに対
処しようとする翔たち子どもたちの姿が、楳
図かずお独特のみっしりと書き込まれた絵で
迫ってくる。想像力が乏しく世界を受け入れ
られず自滅する大人に代表される人の心の弱
さと、良心を捨てず行動する子どもたちの強
さが印象的だ。
映画「エイリアン」を先取りしているとも
言われる、グロテスク極まりない未来の人類
や生物のビジュアルイメージも怖いが、恐怖
に歪む人々の顔が一番怖い。楳図作品の登場
人物の顔は、他の漫画と比較しても何よりも
ギャーという叫びが似つかわしく思える。
70年代の作品(サンデーコミックス初収録
作品!)ということで母親たちのファッショ
ンなど古臭い面も確かにあるが、今読んでも
古びない。グループが対立して石斧や槍で殺
し合う事態に陥る描写には鬼気迫るものがあ
る。しかし手が離せなくなる。善悪を越えて
生きようとする必死さに胸が熱くなるのだ。
恐怖とは原初的な感情と言われる。ならば
恐怖することは生きることに直結していると
いえるだろう。その意味で、生きることの熱
さを感じさせてくれる作品だ。 (夏太郎)
(全 6 巻 税込各610円)
2011. 2. 10
治虫文庫全集
ジャングル大帝
手
治虫作
講談社
少年漫画とは教科書である
いかなる分野でもオリジ
ナル(もしくは教科書)を
作ることに意味があるとす
れば、手塚ほど少年漫画に
(あるいは少女漫画にも)
寄与した人物はいないだろ
う。完成されすぎたストー
リーに裏打ちされた圧倒的な構想力によって、
今 な お 漫 画 文 化 の 中 心 に 君 臨 し て い る。
『YAWARA!』や『20世紀少年』などで名高い
浦沢直樹もファンの一人であるが、とあるテ
レビ番組で語っていた。アイディアが浮かん
でも手塚の作品に書かれているという場面に
出くわすのだという。だからそのアイディア
はボツだと。
前置きはこれくらいにして、手塚の初期の
作品『ジャングル大帝』を取り上げる。ご存
知レオだ。ジャングルの王様として生きるレ
オがジャングルを守り、その果てに共生を見
出すストーリーはやはりその当時の漫画のオ
リジナルたり得た構想であった。とりわけ面
白いのは手塚治虫文庫全集版の最後に手塚プ
ロダクションにより書かれた「読者のみなさ
まへ」である。黒人やアフリカのデフォルメ
に対して差別表現があると、一部で指摘され
ていることを挙げつつ、手塚には憎悪と対立
が悪であるという「人間愛」が根底に流れて
いると言及している。博愛、人間として守ら
なければいけないもの、それ以上に守りたい
もの。自分の想いを貫き通すことがどれだけ
難しく、けれど重要なことなのか。ライオン
の姿を通してそれを伝えたかったのだろうか。
手塚の作品は文化としての漫画の教科書で
ある。それと同時に、少年が美しい大人にな
るための教科書でもある。
(星の屑)
(全 2 巻 税込 1 巻840円 2 巻 977円)
6
綴 葉
No.294
神のみぞ知るセカイ
若木民喜作
小学館
少年漫画とは恋愛成就の回避である
『ジャンプ』の三大標語
にも「努力」があるように、
少年漫画は少年の成長を描
く。『ジャンプ』ならば、
戦いの中で成長していくの
が基本だが、もっと現実的
な成長の方法がある。恋愛
である。が、恋愛とは厄介なもので、成就す
ると話が終わってしまう。さらに強い敵を出
していけばいいバトル漫画とは話が違う。別
の女の子を出して、恋愛させれば続けられる
のではないか。普通にしたらそれは二股にな
ってしまう。では、どうやって?
『神のみぞ知るセカイ』はその法則を逆手
にとったユニークなラブコメだ。落とし神の
異名を持つ、重度のギャルゲーマー桂木桂馬。
二次元にしか興味がない彼だったが、悪魔エ
ルシィのせいで現実の女の子を「攻略」せざ
るをえなくなってしまう。つまり順番に出て
くる女の子との恋愛を成就させていくことに
なる。これがおおまかな設定だが、恋愛を成
就させない仕組みが二つ仕掛けられている。
ひとつは攻略された女子は桂馬のことを忘れ
てしまうということ、もうひとつは桂馬が二
次元にしか興味がなく攻略に積極的でないこ
とだ。だが、この設定には綻びが入る。また、
桂馬も三次元と強制的に触れ合ううち、いつ
までも画面の向こうばかり見ているわけには
いかなくなる。いつまで桂馬は現実を無視し、
ギャルゲーにひきこもり続けることができる
のか。本当に攻略されているのは誰なのか。
ややマニアックな設定だが、攻略の過程にも、
ラブコメ先行作品への惜しみない愛が詰まっ
た良質な作品である。
(道祖)
(既刊11巻 税込 1 ∼ 7 巻420円 8 ∼ 11巻440円)
藤子・F・不二雄大全集
オバケのQ太郎
藤子・F・不二雄、藤子不二雄Ⓐ作
小学館
少年漫画とはオバケである
少年時代から共同で作品
を発表してきた安孫子素雄
と藤本弘が、「藤子不二雄」
の名前で発表した最後の作
品。二人はその後、それぞ
れ 藤 子 不 二 雄 Ⓐ と 藤 子・
F・不二雄として別々の道
を歩み始める。「オバQ」は長らく絶版状態
にあったが、最近「藤子・F・不二雄大全集」
シリーズとして復活。多くのファンの好評を
呼んでいる。
無芸にして大食のご存知「Qちゃん」が少
年正太と繰り広げるこの愛すべきドタバタ劇
は、「おへそも、笑う、ゆかいなマンガ」と
して1964年に『週間少年サンデー』で連載開
始。当初は反響も呼ばず程なく打ち切りとな
ったというが、連載終了後に殺到した再開要
望を受けて復活の後、アニメ化ブームの波に
も乗って、ほとんど「国民的」ともいうべき
地位にまで登りつめた――なんて説明しても、
この漫画を語ったことにはならないだろう。
「オバQ」の魅力は、何といってもその日
常性にある。Qちゃんはオバケのくせに化け
ることが出来ず、後のドラえもん等と比べて
徹底的に鈍くさくて、愛嬌の他に取り柄らし
いものもない。そんな居候オバケが悪戯やヘ
マによって日常をかき回してゆく過程で、読
者を少年的な日常へと運び、気づけば相好は
崩れたまま。空想といえばそれまでなのだが、
それは決してutopia的ではなく、いやしくも
少年にとってはそれそのままが日常という、
絶妙な立ち位置を得ている。
真に愉しい空想は、世界がそのままオバケ
になること。漫画にはそれが出来るからいい。
(一升瓶)
(既刊8巻 税込 1 ∼ 5 、8 巻1,575円 6 巻1260円 7 巻1,470円)
7
綴 葉
幽☆遊☆白書
2011. 2. 10
ピューと吹く!ジャガー
冨樫義博作
集英社
少年漫画とは格闘である
人気漫画は商業的価値を
持つゆえに掲載誌の事情、
読者の意向に物語が大きく
左右される。「90年代ジャ
ンプ黄金時代」を代表する
『幽遊白書』も幾度となく
路線変更を重ね、壮絶な状
況で連載が続けられた作品だ。
連載当初は主人公・浦飯幽助による心霊絡
みの人助けから出発し、やがてジャンプの主
流であるバトル路線へと移行した。そして、
少女漫画的な心理描写を取り入れつつ、派手
な必殺技から頭脳戦まで戦闘描写を描き分け
ることで見事にヒット作としての地位を確立
したのだ。直情派の幽助、人情家の桑原、孤
高の飛影、知性派の蔵馬――この主役級の四
人も熱い絆に結ばれつつ、最後まで馴れ合い
に堕さない。中盤以降は、他のライバルも彼
らの姿に魅せられ、仲間として集っていく。
そんな王道展開を描きつつも、悪の描写に
は少年向けを超えた狂気が漂う。だからこそ
残虐な妖怪との対決は問答無用で熱くなる。
しかし、幽助たちが戦う敵は、戸愚呂弟や仙
水などの複雑な内面を持つ存在へと変遷して
いき、主人公側の行動も非情なものとなって
いく。だが、そんな危うさをはらみながらも、
『幽遊白書』は常に狙い澄ましたようにケレ
ン味溢れる演出を決めてみせた。
しかし、その均衡は終盤で崩れていく。霊
界という「正義」が機能を失い、主人公四人
は各々の選択を行う。王道とはほど遠いが、
打ち切りも許されず変貌を遂げた展開は鬼気
迫るものを感じさせる。人気漫画という制約
の中で疾走しきった『幽遊白書』は、間違い
なく熱い格闘の痕跡なのだ。
(黄金虫)
(全19巻 税込各410円)
うすた京介作
集英社
少年漫画とは人生の相方である
皆さんご存知、あの『ジ
ャンプ』の最後のほうに、
長年こっそり連載されてい
たギャグ漫画。地味なピヨ
彦、超人(?)ジャガー、
死ぬほどうざいハマーとい
った登場人物たちが、だい
たいは一話で完結する話を展開する。『すご
いよ!マサルさん』(集英社)以来の不条理
ギャグを引き継ぎつつ、最初のころの爆発ぶ
りは前作を凌ぐ(かも知れない)。
しかし爆発感は途中から失速。どうも作者
の関心が「いかに読者を笑わせるか」という
ところから「いかに既存のキャラクターを使
いまわすか」というところに移っていったよ
うにも思える。ジャガーといいピヨ彦といい、
中心的な人物たちの性格や位置づけはマサル
時代からほとんど変わっていない。ジャガー
の笛へのこだわりや変な服装なんかも、マサ
ルさんのヒゲへの思い入れや肩の変なアレに
そっくりだったりする。
十年間続いたこの漫画も、昨年の秋に終わ
った。この漫画を読むためにジャンプを買う
人はまずいなかっただろう。しかし、この漫
画がなくなったからジャンプを読まなくなっ
た人は意外と多いんじゃないだろうか。メイ
ンにはならないけれど、なくなったら寂しい
漫画。『ジャガー』の終わりとともに何かが
終わったと感じる人がいるなら、それはきっ
と、いつも何となく傍にあった何かがなくな
り、意識していなかったけれども一緒に過ご
した年月の思い出が残ったからかも知れない。
興奮も感動も与えないけれど、いつも隣にあ
る。そういう少年漫画もあっていいはず。
(大福)
(全20巻 税込420円)
8
新刊コーナー
骨狩りのとき
エドウィージ・ダンティカ著
佐川愛子訳 作品社
して、ハイチという国家が歩んできた歴史の
記憶継承でもある。
表題作﹁少女禁区﹂は﹁痛み﹂の描写が特
徴的な騙りの技術を堪能できる和風ホラー。
ジャンルでいうなら、ファンタジーになるだ
ーは﹁彼女の故国を彼女ぬきに考えることは
﹂だ。大企業のアイコンたるべ
biscuit hearts
く育てられた双子の姉弟。一挙手一投足があ
のはその併録の書きおろし﹁
ろう。甘美な痛みを味わえる秀作だ。SFな
で き な い。﹂ と 評 し た そ う だ。 故 郷 を 離 れ た
らかじめ決定され、監視される二人の生きに
著者はハイチ生まれ、一二歳でアメリカに
移住した移民作家である。アリス・ウォーカ
者が、土着的な物語を紡ぐことに、動乱のハ
﹁ぼくは、ぼくたちは旅人の集団だと思う。
だからきみは、ぼくに逢うためにこんなに遠
現代科学の最前線がもはや遠未来の技術と違
る。現代SFの前線が近未来だというのは、
月刊︶
︵満潮︶
クラークの言うように魔法と区別のつかない
いを感じられないことも原因となっている。
くさは、ホラーであり、現代的な感覚に通じ
い道のりを旅してこなければならなかった。
chocolate blood,
イチ現代史が集約されている。
二つの国がある。
カリブ海のイス
パニョーラ島には
西はハイチ共和国、
それがぼくたちだから。﹂
科 学、 本 作 な ら ば YouTube
や Ustream
を中心
としたリアルタイムの配信文化。監視の中で
生きてきた二人は、反対者によるテロによっ
たハイチ人の虐殺事件によって狂ってゆく。
人、伊藤計劃、円
次いで登場した新
日本SFの最前
線は、近未来にあ
る生活。この倒錯こそが、紛れもなくSFで
あるのは自らを監視させ、人生を切り売りす
生活に不自由はなさそうに見える。かわりに
少女禁区
て自由を得るが、生きるために今度は自らを
撮影した動画を売ることになる。監視とは、
ストーリーの根幹にあるテーマは幾重にも
重なっている。愛と喪失。生死を分かつ運命
城塔、樺山三英の三氏、特に伊藤によるとこ
しか書き得ない現代の姿だ。
伴名練著
角川ホラー文庫
︵三三二頁
税込二五二〇円
東はドミニカ共和
国。国境となる川は﹁虐殺の川﹂と呼ばれる。
二国間の暴力の悲劇を象徴する名前だ。
物語の舞台は一九三〇年代のドミニカ側の
国境地帯。主人公はスペイン系の裕福な家庭
に仕える一人のハイチ人女性である。下女で
はあるが、恋人と愛を誓い平穏であった彼女
の残酷さ。我々は人間の普遍的な悲しみを共
ろが大きいが、本年度の重要な成果は意外な
月刊︶
︵道祖︶
視社会の悲哀と生きにくさはここにはなく、
った形で現実に訪れてしまった。かつての監
マだが、こと現代にいたって、監視社会は違
有する。同時に、一つ一つの言葉に込められ
ところから出版された。角川ホラー文庫、短
﹃一九八四年﹄
︵早川書房︶以来の古典的テー
た無数のイメージは、貧困のためドミニカで
︵一七三頁
税込四六〇円
10
る。これは近年相
労働者となった無数のハイチ人移民のナラテ
編賞を受賞した新人の作品集である。
の人生はしかし、一九三七年に実際に起こっ
12
ィブであり、サトウキビ畑の風景であり、そ
9
綴 葉
No.294
エロスの文化人類学
癒しとイヤラシ
田中雅一著 筑摩書房
こそがエロスであるという。世間に蔓延する
が転換し、自他の変容を可能にする人間関係
を読み取る。相手とのやりとりで能動︲受動
ら、相手を信頼し任せる﹁能動的な受動性﹂
器結合を伴わないチャネリング・セックスか
たのではないか。哲学者として従来の学問成
時に優れた記憶強化装置としても機能してい
を2 信 じ る こ と と、 宗 教 的 言 説 を 信 じ る
E=mc
ことは違うのか。宗教儀式は象徴的機能と同
宗教を信じることにいかなる利益があるのか。
念を用い、宗教現象を捉える。各行為主体が
また、﹃呪縛を解く﹄という本書の原題か
らも分かるように、イラク戦争後のアメリカ
果を踏まえながらも、あくまで進化生物学や
性の世界には支配︲被支配関係が満ち満ち
ている。ただそれを指摘して終わりでない。
で発表されたこの本には単なる﹁解明﹂以上
常識を少し疑いあえてずらすことで、二人で
どう乗り越えるかという越境的実践について
︵夏太郎︶
的対立をどう解決するのか。切実な問いであ
の意図が含まれている。文明間における宗教
青土社
的な態度には強い魅力と同時に感情的反発も
は至極まっとうだが、評者自身、本書の実利
いる状況をデネットは問題視する。その批判
ィーに関わるために、議論自体が制限されて
りながら、人々の信念体系、アイデンティテ
月刊︶
︵二三八頁
税込一六八〇円
進化論的アプローチ
解明される宗教
ダニエル・デネット著 阿部文彦訳
側と与えられる側が固定された関係を指す。
エロスを掲げる。反エロスとは快楽を与える
者は述べる。そして第三のスタンスとして反
のような二項対立的な構図だけではないと著
人々と関わってきたのか。本書はそんな謎を
つけられるのか、そして、宗教はどのように
ぜ人は宗教に惹き
るものである。な
中の文化に見られ
宗教は西洋、東
洋を問わず、世界
この本には数多く含まれている。 ︵黄金虫︶
いのかもしれない。その作業の手がかりが、
ならば﹁改良﹂することも恐れるべきではな
教はミームとして時代とともに変遷してきた。
覚えた。信念体系の問題だけに、そんな反応
気持ちイィから少し嫌でも言いなりになる状
﹁解明﹂してくれる本だ。デネットは、ドー
況では快楽はあってもエロスはない。反エロ
情報学的な視点で著者は宗教を捉えなおす。
れない。タイトル
考えさせられる。性の研究に一石を投じる革
生みだす快楽が癒しの実践につながる。
はアレだが、中身
表紙を観てエッ
とかイヤッとか思
は真面目なものだ。題材は、パンパン、アダ
新的な一冊だ。
う人もいるかもし
ルトビデオからロスでの女体盛りをめぐる論
争まで、イヤラシい世界の多岐に渡る。
これまで人類学が性の世界を探求して来な
かったわけではない。ジェンダー人類学では
男性中心主義を、セクシュアリティ人類学で
は異性愛偏重主義を批判してきた。これら支
配的な性の言説を問いただすことの必要性は
スへの抵抗やその可能態を追求していく。
キンズの提唱するミーム︵文化的遺伝子︶概
︵六〇九頁
税込三三六〇円
月刊︶
違いを超えて議論されるべき内容だろう。宗
つ﹁正の可能性﹂を信じる人々にこそ、立場の
は避けられない。それでも、そんな宗教の持
たとえば、AV監督代々木忠の主張する性
言うまでもない。しかし、性差別の批判はこ
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9
2011. 2. 10
綴 葉
10
そして、この本を読んだ後には是非海外の
美術品が集まる展覧会に一度訪れてみてほし
﹁ウラガワ﹂を垣間見ることができる。
ような私たちが何気なく見ている海外展の
ったトラブルでてんやわんやしたり⋮⋮その
り、いざ美術品を輸送するとなった時に起こ
を傷つけないよう安全に輸送するかで悩んだ
を海外の美術館と交渉したり、借りた美術品
説だという。しかし、物語が失効した現代、
な物語を否定し、個人の生を描くのが近代小
を与えるのは、起源神話などの物語だ。そん
主体は対象を認識するのに、媒介という核を
わりという観点から文学の系譜を描き出す。
辻原は近代文学の議論を踏まえて、主体の
中で立ち上る自然を重視し、客観と主観の交
俯瞰しながら、自らの文学観を語っている。
川賞作家の辻原登は、国籍を問わずに名作を
今、大阪の国立
国際美術館で﹁ウ
足澤るり子著 柏書房
一枚の絵がここにくるまで
い。﹁ウラガワ﹂を知ったことによってきっ
どんな小説を描くことができるのか。彼は登
展覧会をつくる
フィツィ美術館
と、今自分の目の前に本物の海外美術品が展
︵ねこた︶
る。そして、世界文学のさまざまな名作を、
場人物や読者の﹁現実発見﹂の瞬間を強調す
みを提示した上で、辻原は最後の二回では、
自作を解説する。構想過程の説明は、実作者
ならではの趣向だろう。そこで語られるのは、
主体と物語と現実という三者の緊張関係だ。
また、講義の第三、四回では具体的な短編
を掲載した上で、辻原はそれぞれの核となる
認識の転換点を指摘する。文学を読む楽しさ
ているのも世界文学を語るときの定番という
向くだろう。扱っ
式で学ぶことができるのだ。
うした名作から辻原が培った文学観を講義形
もとより望みようはない。だが、本書ではそ
回の講義で世界文学のすべてを知ることなど
辻原登著
集英社
そんな視点から解読していくのだ。そんな読
月刊︶
必要とする。媒介=モデルとして対象に意味
自画像コレクシ
示されていることにとても感動するに違いな
本書を手にとっ
た人はまずキャッ
東京大学で世界文学を学ぶ
︵一八二頁
税込一六八〇円
いから。
巨匠たち
ョン
の﹃ 秘 め た 素 顔 1664
︲ 2010
﹄
﹂という展覧会
が開かれている。この展覧会のテーマは、イ
タリア・ウフィツィ美術館の一般には公開さ
れないベルニーニなど巨匠たちの﹁自画像﹂
を日本で初めて公開するというものである。
このように海外からの美術品を集めた展覧
会は近年、日本各地で盛んに開かれている。
そのため、日本から遠く離れた海外からやっ
て来た美術品であっても物珍しいという感覚
はあまりない。
外展のコーディネーター︵日本と美術品を貸
べき作家たちで、評者自身も最初は企画本と
と難しさを再認識させてくれる趣向だ。全十
してくれる海外の美術館とを結ぶ役割︶をフ
いう印象を拭えなかった。しかし、それだけ
そんなあなたに是非この本を読んでほしい。 チーだが、少々あ
この﹃展覧会をつくる﹄はその名の通り、海
ざとい題名に目が
リ ー で し て い る 足 澤 さ ん が﹁ 展 覧 会 を つ く
︵三六八頁
税込一六八〇円
月刊︶
︵黄金虫︶
る﹂中で経験したことがつづられている。こ
で本書を済ませるのは公平ではあるまい。芥
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の本では日本で開く海外展で借りたい美術品
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綴 葉
No.294
最近読んだ本
取る意味や文脈が変わったり、以前はよく分からなかった箇所を実
自分を発見する。前とは違う文章で共感したり、同じ言葉でも汲み
る。自分自身、何度も読み返しているが、そのたびに以前とは違う
語りえぬことを語ろうとした古典
シッダールタ
感を伴って読んでいたりするのだ。作品自体は変化しない。けれど、
読み手の変化に応じて映し出されるものは色合いを変え、深さを増
す。古典とは自分の心の変化を映す鏡のようなものかもしれない。
簡単に言うとシッダールタという若者が悟りを得るまでを描いた
小説である。本文は一五〇ページほどの薄い本。物語は簡潔な文体
さん。いったいどんな凄い小説なんだろうと、期待は膨らんだ。
葉だと思う。しかも推薦文を書いているのはギタリストの村治佳織
バッハのシャコンヌのような小説︱︱
帯に書かれていたこの言葉に惹かれて、思わず手に取った。クラ
シック音楽を愛好する者、殊に弦楽器奏者にとっては最高のほめ言
タが何をどう悟ったのかと問うことは、書き手であるヘッセの思索
感じたことを伝えるために書かれている。作品を読み、シッダール
の教えを説くためではなく、あくまでもヘッセ自身が実際に考え、
かったことを書くのは無意味だという経験をした﹂と彼は述べたそ
ろう。あとがきによれば、﹁いつよりもきびしく、自分の生活しな
手であるヘッセが自分の実感が届く範囲の言葉で語っているからだ
ヘッセ著 高橋健二訳
新潮文庫
で静かに淡々と語られてゆく。人生についての本質的な問いに真摯
と対話し、自分の人生への認識を問うことになる。
本質に届いたシンプルな言葉だからこそ、誰にでも伝わる普遍性
と、どこまでも汲んでいける深さを持つ。その秘密はきっと、書き
に向き合っているのにもかかわらず、非常に読みやすい。バッハの
もいい。言葉の連なりを追ううちにいつしか引き込まれている。こ
の場所に散歩に行くように、適当にめくったところから読み始めて
とりで流れを眺めることの違いである。ふと思い立ってお気に入り
例えるなら、荘厳な大聖堂の中で一心に祈ることと、静かな川のほ
きっと何度も読み返したくなるはずだ。
問いは常にそこにありつづける。ぜひ一度手に取ってみてほしい。
なり、普遍的な命を得たのだと思う。生きている限り、答えのない
してそのことによって、この作品はより多くの人に開かれたものと
語りえぬことを語るために、ヘッセは悟りを得る過程を描いた。そ
本文の中で、知恵を伝えることはできない、悟りを教えによって
得ることはできないという言葉が何度も繰り返される。悟りという
うだ。シッダールタとは釈迦の出家前の名前だが、この作品は仏教
シャコンヌを聴くときは、大げさにいえば作品と向き合う覚悟のよ
んな風に何度も読み返したくなるというのも特徴だ。読み返すたび
︵一六四頁
税込三八〇円︶
︵投稿・紅︶
うなものがいるが、シッダールタの世界には気軽に入っていける。
に新たな味わいがあり、何度でも読むのに堪える、そういう作品を
﹁古典﹂と呼ぶのだとすれば、シッダールタはまさにその典型であ
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日本経済史への誘い
﹁裏﹂から見る日本経済の歴史
そのような意識を克服する上で、一九九七年刊行の本書は日本の
近代化の過程で作られた経済・社会格差に着目した有意義な一冊で
という﹁暗い﹂側面が軽視されているため、話が不明瞭なのである。
が持ち合わせていた、植民地や大幅な地域間格差を含んだ経済構造
留まっている点に原因があると思われる。戦前の日本の資本主義化
﹁裏﹂からこそ見える日本経済史の奥深さ
裏日本
近代日本を問いなおす
古厩忠夫著
岩波新書
編集委員会で却下された裏話が紹介されている。委員からは、通史
武田氏自身の専門である経済史を中心に組み立てた当初の目次案が
対外強硬論等の思想にも影響する。そして戦後、地域間格差の解決
れてしまい、﹁裏﹂はその対応に苦慮し、それは県民性や、一部で
れて以降進んだ、﹁表﹂との決定的な経済格差は構造的に埋め込ま
日本からの視点で描いてゆく。鉄道敷設が﹁表日本﹂中心に進めら
ある。著者は、工業化の遅れた北陸・山陰地域を示す﹁裏日本﹂と
どこかとっつきにくい経済史、その理由
いう戦前の言葉が、いつしか無色な﹁日本海側﹂という言葉に置き
二 〇 〇 八 年 刊 行 の 武 田 晴 人﹃ 高 度 成 長 シ リ ー ズ 日 本 近 現 代 史
﹄︵岩波新書︶のあとがきには、高度成長というテーマに対して、 換えられた戦後の報道の例を挙げる。そして近代日本の産業化を裏
﹂を選ばざるを得なかったと、やや悲観
として政治史や社会史など、より広い視野で考え直すように指示さ
結、そして格差の残存と現在の原発問題等の関連にまで言及する。
のために﹁日本列島改造論﹂をひっさげた田中角栄の登場とその帰
れた結果、氏は﹁プラン
的に振り返っている。シリーズ物という性格を差し引いても、経済
一つだと理解できたのは大学入学後だったが、とにかく経済史は地
欄外に︶存在した。これが日本の産業資本確立過程の重要な指標の
業に関して国内生産量が輸入量を超える年﹂との記述も︵おそらく
議会﹂等が重要用語の代表だろう。と同時に教科書には﹁綿糸紡績
﹁一八九〇年﹂の暗記事項といえば、﹁教育勅語﹂や、﹁第一回帝国
れる、奥深い日本経済史の入門書としてお薦めしたい。 ︵もずく︶
置づけられる。冷静な視点の中にも著者の﹁裏﹂への愛情が感じら
の二極化という歴史のダイナミズムの中で、非常に分かりやすく位
などの経済指標も、単に意味のない経済分析に終始せず、
﹁表﹂と﹁裏﹂
張は本書で一貫している。そのため、
﹁米の生産率﹂や﹁対外貿易額﹂
ダイナミックな日本経済史の入門書
二〇世紀の中央集権化と経済効率主義化の中で﹁ヒト・モノ・カ
ネ﹂の供給地として裏日本が﹁必要﹂とされていた、という鋭い主
︵二一六頁
税込七三五円︶
味でとっつきにくく後回しにしていた印象がある。
評者は経済史の専門ではないが、自身の経験でも高校時代の日本
史 の 勉 強 で は 経 済 史 分 野 が ひ ど く 苦 手 だ っ た 記 憶 が あ る。 例 え ば
史の一般受けの悪さと肩身の狭さを象徴している。
B
それは、高校教科書等の説明が、表向きの経済現象のみの記述に
15
8
綴 葉
2011. 2. 10
当てよう!図書カード
編集後記
今月号から綴葉委員に新しく参加させていた
今回の特集「少年漫画」にちなんだ問題で
だくことになった(ねこた)と申します。よろ
す。石ノ森章太郎は、中高生時代から「東日
しくお願いいたします。
本漫画研究会」を組織して創作を行っていま
2 月といえば、バレンタイン。これは女性が
した。では、石ノ森らが「肉筆回覧誌」とし
男性にチョコを贈るという慣習です。しかし、
て制作した同人誌は次のうちどれでしょう?
日本以外の国では男性が女性に対して贈り物を
1.『ファンロード』
する日であるというのをご存知でしょうか。
2.『宇宙塵』
このように、世の中にはまだまだ私たちの知
3.『COM』
4.『墨汁一滴』
らない世界が広がっています。それを気軽に体
(黄金虫)
験できるのが「本」だと私は思っています。
《応募方法》読者カードに答えを書いて生
まずはこの『綴葉』を読んでみることから、
協のひとことポストに入れてください(また
世界を広げてみてはいかがでしょう。
(ねこた)
はe-mail: [email protected])
。正解者の中から
今月号から編集委員に参加させていただきま
抽選で 5 名の方に図書カードを進呈いたしま
す(道祖)と申します。趣味の読書が高じて、
す。締切りは 3 月15日です。
こうして編集委員になったわけですが、本を読
む習慣ができたのは、毎週の『ジャンプ』を読
10 月号の解答
むようになってからだったように思います。改
10月10日、田の神様が帰っていく日の収穫
めて「少年漫画」を特集としてみてみると、そ
祭の名前。答えは「十日夜」でした。応募者
の幅の広さに驚かされます。しかし、漫画は少
7 人中 6 人の方が正解でした。図書カードの
年漫画だけではありません。青年漫画やさらに
当選者はついむさん、風霊守さん、みやさん、
アメコミをはじめとする海外のコミックもあり
佐間瀬務さん、パスタ屋さんです。おめでと
ます。少年漫画ともまた違う、日本ではなじみ
うございます。まだまだ寒いですがいつの間
のないアメコミやバンド・デシネなども紹介し
にか節分です。梅の香の先に仄かに春の匂い
ていけたらと思っております。
がしませんか。
(道祖)
(星の屑)
読者からひとこと
○初めて読んでみました。おもしろそうな本
を知れてよかったです。自分が読んでおもし
ろかった本を、人の興味をひくように紹介す
︵法・つなかん︶
る の は 大 変 だ と 思 い ま す。 が ん ば っ て 下 さ
○かなり読みごたえのある書評で驚きました。
い!
︵工・キヨエ︶
編集者の方々がどんな人たちなのか知りたい
⋮⋮
︱ありがとうございます。読者の皆様の応援
が私たち編集委員にとって大きな支えとなっ
ております。これからもご愛読よろしくお願
いいたします。
○吉田ショップに特集した本のコーナーがあ
りましたが、毎月してくれたらうれしいです。
いちいち探すのはかなりめんどうです。
︵総人・ yuzumike
︶
︱﹃綴葉﹄では生協の書籍部と連携して店頭
での書籍紹介を行ってきましたが、まだ不十
分な点が多いのも事実ですので、皆様の貴重
なご意見を参考に今後も書籍紹介の機会を拡
充していきたいと考えております。また、書
籍の注文に関しましては生協ホームページか
らのオンライン注文も便利ですので、ぜひご
活用ください。
︵
︵
︶蓋し︶
https://mall.seikyou.ne.jp/s-coop/
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