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ハンセン病フィ-ルドワ-ク 群馬ジャンボリ
駿1 初めての﹁病院たんけん隊﹂ 東京・柳原病院 蓑 幽響箋 難 藝 ・難鷲齪載⋮ 轍 嚢難 ときは、利用者のみなさん﹁ま た来てやー﹂と名残惜しそうで した。 ︵大槻順子︶ 命な園児さんたちの姿に感動し や歌に、終始ニコニコ。一生懸 寄りは、元気なかわいいお遊戯 に遊びに来ました。通所のお年 あいデイサービスセンタi此花 北部会場を皮切りに一三日中南 年の健康まつりが一〇月六日の 医療生協さいたま合併一〇周 埼玉・医療生協さいたま 合併一〇年の発展を実感 も晴天に恵まれ、アイデアを競 いて行なわれました。どの会場 部二一月一〇日西部会場と続 ふだんレクレーションに興味 った企画も好評で、のべ四万人 ました。 て泣かれる方もちらほら見られ 保育所の園児二〇人が、ふれ 大阪・此花診療所 天使がやってきた ︵大同操子︶ いっぱいに広がりました。 あうと手遊びを楽しそうに。園 鐵 生徒さんもいっしょに歌いだし 鰹 .垂 韓羅 嚢 醗・難難、弼 睡 児一人ひとりが握手をして帰る 嚢 て、温かい歌声と笑顔がホール 再 再器 . 藝羅灘睡, 灘撫、触 ・器 驚 餐再 再灘 燕奪 罐 再 カメラの操作を体験しました。 院内を探検、職員の説明に目を 嫉轟灘 柳原健康まつりの企画﹁こど 鵬… きらきら輝かせました。 霧難瀟 内視鏡室では院長も手伝い胃 ず臨…輯轍 八人が低学年と高学年の二組に 》繍翻 も病院たんけん隊﹂。小学生一 7饗顧㈱捌騨驚 わかれ、隊長︵看護師︶について 検査室では心エコーで心臓の動 ャの輪切り写真を撮って現像。 きを、レントゲン室ではカボチ 友の会役員さんの協力でおやつ に﹁するめ﹂をいただきました。 ﹁看護師になりたいと思った﹂な ﹁勉強して医者になりたい﹂ ど主催者を喜ばせる感想文が多 くみられました。 ︵柏葉長一︶ かわいい体験学習 京都・丹後健康友の会 地元中学の女子生徒さん二人 がボランティアサークル﹁陽だ まり﹂で体験学習をしました。 ﹁いつでも元気﹄の赤いエプロ ンをして、コーヒーをはずかし と、﹁まあかわいいわ﹂﹁若い子 そうにお客さんにもっていく が持ってきてくれるとドキドキ きもちええわあ﹂。ごきげんで あんまをしてもらい、﹁あ∼、 患者さんで指圧師のUさんは するわ﹂の声。 嚢 のない方も、園児さんと向かい 2003.2 いつでも元気 MIN−IREN 36 通信はEメールでも受けつけています。アドレスはmin−genki@min−iren。gr.lp 纏一 音程バラバラの歌も飛び出し、 羅 署[』 1『r自曽融 」 懸 灘 懸麟轍一 鯉灘臨曝 以上が参加。若い家族連 れ も 目 ンターの石黒昌孝所長です。 話されたのは農民連食品分析セ して健康相談、歯科衛生士によ 芝居と手踊り、民謡ショー。そ 芸、女子高校生による猿倉人形 た。﹃いつでも元気﹄に吉祥院病 拡大は百世帯近くに達しまし このまつりを目標にした会員 た﹂という感想もあり、みんな 見て、涙が出るほどうれしかっ ﹁小さい子が精一杯踊るのを た。 ︵笠井嗣夫通信員︶ 楽しいひとときを過ごしまし 中国産ホウレンソウからは使 る無料検診、熟年美容コーナ 立ちました。 埼玉県をはじめ五六自 治 体 か 用禁止のはずの強発がん性農薬 ﹁講演で大いに笑い、女子高 ら後援を受け、地域の諸 団 体 と 校生の若さ溢れる踊りにエネル ー、野菜くだもの即売会と、盛 という話もありました。 ギーをもらった﹂などの感想が りだくさんの内容でした。 約百人の参加者の三割は根室 寄せられ、一一人が入会しまし がみつかり、冷凍枝豆からは安 や釧路管内から集まった農民や 全基準のない農薬が検出される 漁民。昼食はそれらの生産者の た。 ︵長澤昭通信員︶ 協力も広がり、一〇年の発展を 手による牛乳、チーズ、ヨーグ ルト、焼きたてパン、野菜の漬 ング方式で食べることができま 物、コンブの煮物などをバイキ した。 ︵中村勝男通信員︶ 秋田・大曲中通病院友の会 シフォンケーキ作りました 読者も大きくふやそうと奮闘し 院の記事が掲載されたのを機に ﹁笑ってしゃべって心を清め 北海道・勤医協札幌丘珠病院 静岡・浜北医療生協 安全な食品に満足 日開催されました。来賓の仙北 開催され、患者さんなど二百人 珠病院﹁文化祭﹂がリハビリ棟で 北浜支部は一一月、﹁ケーキ 柿崎洋悦氏︵元平鹿町教育 一一月一七日、友の会の﹁元 京都・吉祥院健康友の会 ぼ﹂﹁三六五歩のマーチ﹂で息の 病棟ごとに﹁青い山脈﹂﹁赤とん ステージでは入院患者さんが が参加しました。 町議会議長をはじめ七百人を超 ﹁貝殻の粉をまぜてカルシウ 長︶の特別講演は﹁人生は六〇 気まつり﹂を開きました。参加 そろった合唱を披露。手品愛好 鳥取支部 北海道・道東勤医協友の会連合会 ﹁涙が出るほどうれしい﹂ ています。 ︵清原巳治通信員︶ 健康まつりで我が家は青空﹂を 一一月一六日、勤医協札幌丘 ﹁ことしも感動、ありがとう﹂ さいたまのオリジナルソ ン グ も 梅原司平さんによる医療生協 テーマに、第一六回大曲中通病 実感しあえたまつりでし た 。 生まれました。 院友の会健康まつりが一一月九 煽 ︵愛場たみ子通信員︶ 気﹄読者をふやそう ム を ふ や し 、 骨 太 牛 乳 をつくっ 歳から﹂と題して、六〇歳から 会の見事なマジック、保育園児 す参加がありました。 ている﹂ ﹁ ノ ル ウ ェ ー 原 産 の 魚 介 ー、健康チェック、健康相談コ たちの元気な﹁よさこいソーラ 者は千人以上。模擬店、バザ ーナーは満員の盛況です。吉祥 ン﹂踊り。トリを飾った林成道 心が健康でなくてはならない。 そのためには、朗らかに笑い、 院病院院長、地域の健康を守る た美しい音色に涙を流す患者さ 氏の尺八演奏では、哀調を帯び 第二の人生であり、体とともに 添加物が加えられる﹂など大変 より多く外出して自分を意識す ル討論にも熱心に耳を傾けてい 会代表、地元議員らによるパネ 類を中国で加工し、冷凍して日 衝撃的な 報 告 を 聞 き ま した。 る機会をつくることなどの大切 本で販売する。この間に何回も 釧路市内で開かれた﹁それで さが話されました。 んの姿も。 アトラクションはしろうと演 ました。 で、怖ろしい輸入食品の実態を もたべますか!﹂と題する集会 37 いつでも元気 MIN−iREN 2003.2 『一 二四人が集まり、講師のてい 作り班会﹂を開きました。 の八瀬周辺を散歩し、つり橋を い食べたあと、紅葉まっさかり とか。職員さんから聞いた話で 人は用事をする時間がとれる﹂ 群馬・はるな生協 冬を迎える北八ヶ岳 詰将棋 ハイキングクラブの一〇月例 会は北八ヶ岳へ、参加者は一二 玉自3四角まで。 ・2四桂合同歩●2三金自同 すが、私の下手な写真でも、患 者さんをなぐさめ、家族の方に 人でした。早朝五時半に高崎中 は紅葉も落ち山は冬を迎えよう 降りて山登りです。白駒池付近 すすべがありません。 黒1とツケルのが正解。ワタリ とキリを見合いにされ、白はな 詰碁 リ。 で、合同歩に畠2三金がピッタ る。●2四桂は手筋の捨て駒 玉●3四角自2四玉で逃げられ 解説 初手畠2三金は合同 も役立っていると聞いて、ちょ ゆらしキャーキャー童心にかえ って楽しみました。 ︵大石紀代子通信員︶ ︵中初弓﹃通信員︶ つとうれしく思いました。 央病院を出発。麦草峠でバスを ねいな指導で、紅茶の香り豊か な、きめ細かいスポンジ ケ ー キ ができました。診療所の庭で育 ﹃元気﹄通じてうたこえ交流 てているハーブを使ったハーブ ティーを飲みながらの試食は、 心はんなり、湯ったり 大阪・耳原友の会 北海道・道南勤医協第一友の会 ﹁うたう会・きずな﹂ マスには、このケーキを家庭で ﹃いつでも元気﹄n月号に千葉 耳原友の会東西支部は]一 院、滋賀院では、きれいに手入 としていました。防寒準備で気 般公開されたばかりの旧白毫 れされた名園の紅葉に一同驚嘆 候もまずまずでしたが、山頂付 月、バスツアーをしました。一 私たちの﹁うたう会・きずな﹂ の声。野だてでいただいた抹茶 ﹁コールカリーナ﹂が紹介されて のことをお便りしたところ、 に、心もはんなりとなりまし 譜が送られてきました。みんな ﹁医療のうたごえ﹂での活動と楽 いました。 健生病院健康友の会のコーラス おいしさにうっとり。﹁クリス つくろう﹂と張り切っています。 ︵北島美佐江通信員︶ お い し か っ た よ パ ー ベ キュー 京都・京都民医連第二中央病院 健康 友 の 会 しました。前日来の雨も上が 八瀬の河原でバーベキューを ﹁いつか交流したいね﹂と大喜 強風と寒さで早々に下山。昼 舞ってきました。 近はマイナス四度で白いものが り、病院の栄養課の若者 た ち も び。﹃元気﹄誌を通じて交流で た。 参加してくれて、老若男女で会 食は縞枯山荘に入りこみ、思わ 私たちは二一月一五日の﹁道 ぬ﹁生き返るようなおいしいみ き、うれしく思いました。 南のうたごえ﹂に出演、荒木栄 した。 ︵塚田量三通信員︶ そ汁﹂にありつくことができま やわらかくおいしいお肉、ア ルミ箔に包んで焼いた ほ く ほ く 没後四〇周年なので彼の作品を 話もはずみました。 のおいも、持ち寄りのおにぎ うたいます。 ︵大田夏美︶ 一一月一日から契約事業がスタ いて自治体交渉を重ねてきまし デイサービス﹁からさわ﹂につ 栃木保健医療生協安蘇支部 デイサービス、自治体と契約 ムに興じて二時半ごろおやつを 昼食、誕生祝い、合唱やゲー 担です。 道代、電気代、食器などは町負 会所を無料開放し、ガス代、水 ンティアニ六人で出発。町の集 ートしました。 たが、このほど田沼町と﹁生き 写真が役にたってるー・ リに通う患者さんの写真。数が 週に一回か二回、通所リハビ 湯元館では、﹁近江生湯葉﹂の がい活動通所事業委託契約﹂を 月四回、利用者二八人、ボラ 患者さんに差し上げます。 たり﹂と温泉にも。まさに、秋 懐石料理に舌鼓をうち、﹁湯っ 眺めている。その間は、家族の もとにおくと、何回もくり返し た。 ︵井上善雄通信員︶ の一日を思う存分満喫しまし にオープンして]年、いよいよ 交わしました。二〇〇一年九月 ードを弾ける人に合唱の伴奏を いただいておひらきに。キーボ たまると一人ひとりに区分して しいとき、患者のまくら元や手 ﹁その写真を、家で家族が忙 石川・中央西健康友の会 り、おふくろの味をお腹いっぱ 4 2003,2 いっでも元気 MIN。IREN 38 生活をしていた利用者は、楽し で進めています。一人で淋しい お願いしたり、毎回違った内容 きます。マンホールが多く車い が低くなり車いすが端へ端へ動 装のくり返しでまん中が高く端 内音頭や阿波踊り、﹁赤トンボ﹂ 好をたたえました。日本は、河 踏、長白アリランで韓国との友 れ、タバコ三悪人対ヘルスマン 隊﹂による﹁禁煙寸劇﹂が上演さ 交流会では、﹁禁煙すすめる すを豊富に語りました。 るまちづくりを広げているよう ました。 ︵高橋明子通信員︶ に元気よく代々木公園に向かい 日でしたが、平和への思いを胸 平和と医療でがんばった など合唱。 千葉健生病院健康友の会 この交流会には多くの友の会 わが会の平和・社保部は一一 で恐かった﹂ということでし の対決に会場は沸きました。 月に六日間アメリカのイラク攻 すに乗っている方も﹁ガタガタ 会員が参加しました。韓国高齢 翌日は﹁水中エクササイズ﹂ 撃反対と医療改悪反対の署名に って帰ります。 ︵福嶋操通信員︶ 者問題研究所の朴在侃所長との 展をめざす﹁秋の大運動﹂も一五 を初体験。討論では、友の会発 そうな笑顔で﹁また来るよ﹂と言 た。 ︵谷口嘉代子通信員︶ 同組織の活動が話題になり、持 とりくみ、のべ一六人が参加し 話し合いでは、民医連運動と共 〇〇人拡大と五〇部普及の月間 六三二人の署名を集めました。 ソウルで高齢者文化祭 参した学習ハンドブックなどを 目標を達成しようと意思統一し 千葉・船橋二和病院友の会 第二回国際高齢者文化祭が一 贈呈しました。 ︵科野総通信員︶ Tさんは自宅近くの会員宅を 〇月一二日と二二日、韓国ソウ 北海道・道東勤医協 まちづくりの経験など交流 STOP1有事法制12・1大 千葉健生病院健康友の会 戦災資料センターも見学して ませんか﹂のチラシを渡し、 あなたは医療費を払いすぎてい 負けじと共同薬局前で﹁ご注意 燃えています。私たち事務局も まわって署名とカンパを集め、 ました。 ︵坂上雅春︶ 国、韓国から参加した四九〇人 第一四回友の会活動宿泊交流 集会に千葉からバスニ台八0人 ルで開かれました。日本、中 のうち日本代表は八三人。 日、川湯温泉で開催され、友の た。案内役の友の会会員さんの で、膳所の町を歴史散策しまし 一〇月一〇日、一〇人の会員 滋賀・膳所診療所健康友の会 膳所の町を歩こうカイ 同して、安心して住み続けられ 協が購買生協、農協や漁協と共 と題して記念講演。庄内医療生 理事が﹁共同のあるまちづくり﹂ 庄内医療生協の松本弘道専務 しました。 会員、職員あわせて百人が参加 していました。小雨の降る寒い 争はいやだね﹂と何度もくり返 り住んだ九一歳のKさんも﹁戦 空襲で焼け出され、幕張に移 を見学しました。 ﹁東京大空襲戦争資料センター﹂ で参加する途中、江東区にある 史を正しく若い世代に伝える責 心からおわびするとともに、歴 力づくで両国の主権を侵した。 ています。 ︵伊藤則子通信員︶ 聞きながら医療改悪反対を訴え らどうするの﹂など切ない声を くになった、お金がなくなった た﹂﹁診察料金と薬代で三万円近 ﹁薬の支払いが一〇倍にもなっ 集会が一一月九日∼一〇日の両 説明はくわしく、かわら一枚に 高齢者日本NGO会議の上坪 も意味があることがよくわか 文化祭は、韓国の優雅な古典 任をはたしたい﹂とあいさつ。 中国の文化を学んだが、近代は 議長は﹁日本は古代から朝鮮、 り、住みなれた町もこれから見 舞踊で幕があき、中国は、舞 方 が 変 わるかもしれませ ん 。 街の点検もしました。道は舗 39 いつでも元気 MIN−IREN 2003.2 まだおわりじ ゃ な い 伝えていくのは私たちだー ン病の歴史とたたかい﹂を。﹁明 治時代、ハンセン病は汚れの象 風化させてはいけない 堕胎までさせられて⋮﹂という 核より感染力が弱いのに断種・ くられました。ハンセン病は結 んあります。でも確信をもって うことも落ち込むこともたくさ めにはどうあるべきか”って迷 入職一年目で、 ”患者さんのた ﹁困難ななかでも、力をあわ 欲さんの話に参加者はじっと聞 がんばってる衙さんの話を聞い 徴、醜いから国の恥だ、天皇の の間題意識が深まりました。裁 き入りました。 った箭さんたちはすごい。私は た。 はたくさんある。元患者さんや 判は終わっても、残された課題 て元気をいっぱいもらった﹂と せて国を相手に命がけでたたか ﹁なぜこの企画を?﹂の問いに ◇ 衙さんの案内で園内見学も。 て絶滅させようと、療養所がつ ついて﹁みて、聞いて、学ぼう﹂ 家族はまだまだつらい思いをし 国にふさわしくないから隔離し と、民医連の青年職員ら が 栗 生 運営委員の坂田朝輝さん︵前橋 ハンセン病フィールドワークin草津∼群馬ジャンボリー∼ 楽泉園を訪間しました。群馬民 協立病院︶は、﹁昨年、ハンセン こだま んとさせるとともに、このこと ています。支援保障を国にきち った﹂という﹁納骨堂﹂。 ﹁患者みずからお金をだして作 ﹁実際に体験した人の話は思 尾島さくらさん︵埼玉協同病院︶。 ってたよりずっと説得力があ 病元患者の研雄二さんの講演を 12月14∼15日、ハンセン病に 医連の青年ジャンボリi運営委 患者たちに燃料にする木を切っ を自分たち若い世代が多くの人 る。温泉豊かなこの草津で過酷 きく機会があり、ハンセン病へ てまきにさせ、何キロものまき となど、地元の人間はちゃんと な強制労働を患者にさせてたこ も呼びかけ、檜人が参加 し ま し に伝えていかなくては﹂と話し な強制労働を強いた﹁地獄谷﹂。 を背負って運ばせるという過酷 たことも。それでも一人でも多 ざ行くこともないよ﹂といわれ と、﹁関心はあるけど、わざわ 青年職員に参加を呼びかける た実態がそこにありました。 ちと人権をまったく無視し続け 別療養室︶跡﹂⋮、患者のいの めに患者を監禁した﹁重監房︵特 者が暴動をおこすことを防ぐた そんな仕打ちに耐えかねた患 これで二度目。元患者さんたち ﹁元患者さんの話を聞くのは しかったなあ﹂と羽鳥雅志さん もっとたくさんの人に聞いてほ 知って、伝えていかなくちゃ。 かばんの中にいれられちゃった でも小さいから読まないですぐ るところでは必ず配ったり⋮。 紙でチラシを作って、人が集ま け取りやすいようにと、小さい 言ってたみたいにここを医療と まうんじゃないかな。餌さんが 何もなかったかのようにしてし を更地にして公園にでもして、 くなってしまったら、国はここ も高齢なので、いつかみんな亡 いよくあつし ︵協立歯科クリニック︶。 国の恥だといわれ⋮ 栗生楽泉園ではまず、﹁らい 予防法によって苦しめられまし た﹂という勧さんから﹁ハンセ ゃいけない﹂と芹沢美和さん︵は ︵斉藤千穂記者︶ い企画となりました。 積雪の寒さを吹き飛ばすアツ るな生協歯科︶。 餌さんの話を真剣に 福祉の拠点にして、風化させち かな﹂と運営委員の伊欲淳さん ︵あおば薬局前橋店︶。 くの人に参加してほしくて﹁受 ミニチラシを作って てくれました。 員会が主催したもので、近県へ 「このずっと先に重監房跡があるんだよ」。謂さん(中央車イスの人)の案内で園内を見学 2003.2 いっでも元気 MIN−IREN 40