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博物館だより No.85 2013.

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博物館だより No.85 2013.
岐阜市歴史博物館
№
85
2013 . 11
能取の馬 加藤東一
1971 年(昭和 46 年)
24.5 × 35.6(P 5 号)
紙本着色、水彩絵具、パステル、額装
北海道網走郊外の能取湖畔で描いた素描(スケッチ)です。
厳しい冬に当地を訪れた東一は、流氷を背に雪原の中で、道産子が雪を搔き分け
僅かな草を食べて、一冬を一頭だけで生きている、そのいじらしさに感動して描い
たといいます。
小さな素描ですが、
「素描の達人」と美術関係者から高い評価を受けている東一
ならではの素晴らしい作品です。
「生命の尊厳 栄三・東一と生き物たち」に展示
企画展
ちょっと昔の道具たち
2013.12.10
(火)
〜2014.3.2
(日)
今年度で 18 回目を迎える展覧会。本展は小
学校 3 年生の社会科単元「古い道具と昔のくら
し」と連携し、今と昔の生活の違いや変化、過
去の生活における人々の生活の知恵を紹介しま
す。本展では「具体物を通して」学習する場を
提供し、体験やジオラマ形式の展示で「五感で
楽しく」学ぶことを目的にしています。また、
会場内にはボランティアの「ものしり博士」が
各コーナーで解説や体験補助を行っており、毎
年好評をいただいています。
展示コーナーは、
「学校」
「まちかど」
「家の
なか」「家のまわり」があり、いずれも児童の
生活に関連した内容になっています。
「学校」
「家
のなか」は 90 〜 60 年くらい前、
「まちかど」
「家
のまわり」は 50 〜 30 年くらい前の時代設定と
し、ジオラマ形式に資料を展示することで、当
時の様子を理解しやすくしています。
蓄音機の説明をする「ものしり博士」
本展では、展示内容や見学方法等について、
岐阜市小学校社会科研究会の先生方と開催する
博学連携委員会において協議するとともに、来
館者アンケートも参考にしながら毎年見直しを
行っています。今年度は「家のなか」コーナー
の五右衛門風呂の改修と、座敷の新設を行いま
す。
五右衛門風呂は昨年度から設置しましたが、
風呂とカマド部分の再現だけでした。今年度は
ものしり博士のわくわくワークショップ
焚口などのまわりの部分も加えて、風呂の空間
を再現します。
座敷は従来の板の間の隣に設置し、両部屋を
行き来できる形にします。座敷内には蓄音機や
布団箪笥などを設置します。
なお、土曜・日曜・祝日(12 月の日曜・祝日
を除く)には「おもちゃづくり教室」
、
「ものしり
博士のわくわくワークショップ」
、お手玉・メン
コ・ベーゴマの各大会など、各種イベントがあり
ます。世代ごとに様々な見方が味わえる「ちょっ
と昔」を、ぜひご家族でお楽しみください。
関連行事
〈一般来館者向け〉
●新春独楽回し 1 月13日(月・祝)11:00・13:00・15:00
●和みの唄会 1 月13日(月・祝)10:00・14:00・16:00
●おもちゃづくり教室 (各日 11:00 〜、14:00 〜)
「うぐいす笛」
[200 円]1 月 5 日(日)
・
「羽子板ストラップ」
[300 円]1 月 12 日(日)・「親子でチャレンジ!お花のピ
ンクッション」
[800 円]1 月 19 日(日)
・
「都どり」
[500 円]
2 月 2 日(日)
・
「親子でチャレンジ!布で作る飾り梅」
[800
円]2 月 9 日(日)・「まゆびな」[400 円]2 月 23 日(日)
※[ ]内は材料費、定員各回 20 名(
「親子でチャレンジ!お
花のピンクッション」
・
「親子でチャレンジ!布で作る飾り梅」
は各回先着 10 名)
、開始 30 分前より整理券を配布します
●ものしり博士のわくわくワークショップ(各日 10:00 〜
12:00、13:00 〜 15:00)12 月 14・21 日、1 月 4・11・
18・25 日、2 月 1・8・15・22 日、3 月 1 日の各土曜日
●糸つむぎ&綿くり体験(各日 13:00 〜 16:00)2 月 1・8・
15・22 日の各土曜日
●みんなあつまれ!お手玉大会 1 月 26 日(日)13:30 〜
●みんなあつまれ!メンコ大会 2 月 11 日(火・祝)13:30 〜
●みんなあつまれ!ベーゴマ大会 3 月 2 日(日)13:30 〜
〈学校団体向け〉
■学校利用説明会(小学校教諭対象)12 月 27 日(金)10:00 〜、
14:00 〜
■たぬきの糸車 SPECIAL DAYS 2 月 6(木)・7(金)・19(水)・20(木)・21 日(金)
※都合により内容・時間等が変更になる場合があります
※学校団体見学の申し込みは、随時受け付けております。ご
希望の見学日時が満員となる場合もありますので、お早め
に博物館までご相談ください。
― 2 ―
(2)木の実を食べる
企画展
縄文土器の登場は、煮炊きを可能にし、食材
タイムスリップ!
大昔のくらし
が増え、豊かな縄文文化を築きました。土器を
2014.3.25
(火)
〜2014.5.25
(日)
◆土器のもようつけにちょうせん! など
観察し、石皿によるドングリの加工などの体験
を通じて、当時の採集活動を探ります。
◆石のさらでドングリをつぶそう
遺跡からみつかる出土品は、当時の人々が創
意工夫をこらして作り出した生活必需品です。
それをつぶさに観察し、その作り方や使用法を
考えることは、当時の人々の生活を知ることに
なります。原始・古代の生活道具は、主に石や
動植物など自然の恵みを材料にして作られてい
ます。また火の使用は、粘土や金属の加工を可
能にし、土器や武器、農具などを生みだし、現
代の私たちが使用している道具の原型になるも
のも作られ始めました。
稲の穂首刈り(イメージ図)
本展では、岐阜市及び近郊の遺跡から出土し
た実際に使われていた道具を展示し、その道具
(3)米をつくる
からくらしの様子を探ります。そして体験コー
弥生時代に入ると、大陸から稲作の技術が伝
ナー(◆印)で当時のくらしを追体験していた
来し、岐阜の地でも米作りが始まりました。こ
だきます。狩猟採集や稲作など原始古代の人々
こでは石庖丁など、新しく登場した農具やまつ
のくらしに関する以下の 4 つの場面を中心に、
りを紹介し、農耕文化の原点を考えます。
当時の人々の知恵と技術、社会状況や時代背景
◆稲の穂をつみ、米をとりだそう
に迫ります。
◆まつりのかねをならそう など
(4)いのりの世界
(1)動物や魚をつかまえる
弓矢の登場は、狩りを容易にしました。やじ
食糧の生産や大陸文化の導入により、ムラの
りや漁に使われた石錘(網のおもり)などを展
リーダーが出現し、やがて古墳が築かれるよう
示し、当時の狩りの様子を考えます。
になりました。古墳に納められた副葬品を紹介
◆シカのつのや毛皮にふれてみよう
し、古代国家成立への歩みを探ります。
◆矢をつかってみよう など
◆銅のかがみを観察してみよう。 など
会期中のイベント(予定)
◇「石器をつくろう」
◇「火おこしに挑戦しよう」
◇「ミニチュア土器をつくろう」
◇「石のアクセサリー(まがたま)をつくろう」
(開催日時未定。詳細は本展のポスター・チラシをご覧
ください。
)
◆石のさらでドングリをつぶそう
― 3 ―
加藤栄三・東一記念美術館
は旅から帰ってきて、子供は元気だったかと聞
生命の尊厳
栄三・東一と生き物たち
してもそうでしたけど、小さな鳥や花に対して
2013.12.10
(火)
〜2014.4.20
(日)
加藤栄三・東一作品の共通点は何かといえば、
く前に、小鳥は達者かって言うんです。人に対
も優しい人でした。
」と語っています。
栄三の描いた鳥、魚、昆虫などにその優しさ
が溢れています。
本展では
「きびたき」
「背黒せきれい」
「めじろ」
「千鳥」などの小鳥を描いた作品を展示します。
一貫して「生きること」の大切さ素晴らしさを
描いてきたように思います。
昨年の 3 月、市川市の東山魁夷記念館で日展
参与:川崎鈴彦と日展常務理事:土屋礼一の特
別展記念対談が開催されました。
これは、栄三と魁夷が東京美術学校(現東京
芸大)の同級生であったことから、東山魁夷記
念館で「栄三の軌跡」という展覧会が開催され、
その記念として二人の対談が実現したのです。
その対談で川崎鈴彦は「魁夷は自然の命を、
栄三は人間の命を描いた日本画家として高く評
価できるのでは。
」と二人の相違を語られまし
た。
「きびたき」加藤栄三
また、土屋礼一は「絵は心の鏡であり、作品
を通して画家の心の奥を感じることができま
す。魁夷・栄三とも生命の喜びを描いた日本画
家であったと思います。
」と話されました。
東一はある対談で「私にとって“絵とは何か”
と問うことは、生とはなにか、死とは何かとい
うことにつながります。生と死はまったくの紙
の表裏でしょう、生があれば絶対に死がある。
だから逆説的かも知れないけれど、生きる意味
は死があって初めて出てくるのではないでしょ
うか。
」と語っています。
東一は、生と死を真正面からとらえ作品を描
きました。特に栄三の突然の死に接しその傾向
は強くなります。
栄三の死後、
東一は生と死をテーマに
「離」
「弓
す」
「ある行進」
「蒼」など、栄三への鎮魂歌と
もいえる作品を数多く発表されました。それら
「鯛」加藤東一
この生命の喜びを描く画風は、10 歳年下の
弟:東一にも受け継がれました。一貫して人間
の業をテーマに命の尊さを描き、兄:栄三と共
通した制作意図を感じることができます。
栄三夫人の美保子(故人)は「主人(栄三)
の作品の素描・下絵を初公開します。
二人の作品から「生きる喜び」を感じ取ると
ともに、我々が避けて通れない「生と死」とい
う永遠のテーマを今一度、見つめ直してみてく
ださい。
― 4 ―
博物館ニュース
信長公の金箔瓦、岐阜市重要文化財に指定される!金色に輝く復元品も完成!
岐阜市では、国史跡岐阜城跡の保存と活用を図るため現在発掘調査を行っていますが、平成 20、
22 年度の出土品を整理・分析するなかで漆を接着剤に用いて、金箔を貼った瓦(金箔瓦)が見つ
かりました。出土地点は金華山ロープウェー山麓駅の南側、信長公居館の中心部分で、礎石も発見
されていることから礎石建物に使用されたと推定されます。数多く出土した破片を丹念に接合し
ていくと、ひとつは菊の花をかたどり、ひとつは牡丹の花をあらわした縦横 28cm の方形の瓦が復
元できました。四隅に釘穴があることから建物の棟に並べる飾り瓦であることが判明、永禄 10 年
(1567)に造られた信長公居館を飾っていたと推定されます。従来、城郭建築への金箔瓦の導入は
天正 4 年(1576)の安土城と考えられていましたが、今回の発見はそれをさかのぼる最初の事例と
なりました。これは日本の城郭建築の歴史を考える上で大変重要な発見で、
「史跡岐阜城跡(織田
信長館)出土飾り瓦」として、平成 25 年 11 月 6
日に岐阜市重要文化財に指定されました。
この度、金箔瓦 2 枚について、
「日本いぶし瓦
株式会社」により、出土品を忠実に再現した復
元品が作られ、岐阜市に寄贈していただきまし
た。出土品は、火災で変色し肉眼で金箔を確認
することは難しいのですが、その輝きを取り戻
した復元品は、華やかな安土桃山時代の幕開け
を語ってくれます。
(12 月 27 日(金)まで展示
中。なお復元品については 11 月 22 日
(金)
はじゅ
うろくプラザで展示します。
)
展示の様子(手前から牡丹文金箔瓦と復元品)
■分館 加藤栄三・東一記念美術館の展示■
本誌 4 ページで紹介した以外の分館展覧会は以下のとおりです。
10月29日(火)〜 12月 8 日(日)創立30周年記念 岐阜県現代美術家協会推薦展
12月10日(火)〜 3 月 2 日(日)マイルドアニマルズ 奥村晃史展
3 月 4 日(火)〜 4 月20日(日)美の追求に絵筆をにぎりしめて60年 高橋義一回顧展
■特集展示( 2 階 総合展示室内)■
2 階の総合展示室の一角に特集展示コーナーを設置し、1 〜 2 ヵ月ごとにテーマを設定し資料を公開し
ています。これからの日程は次のとおりです。
11月15日(金)〜 12月23日(月・祝)
南蛮─西洋古地図と南蛮漆器
1 月 4 日(土)〜 3 月 2 日(日)
岐阜の年中行事
3 月 7 日(金)〜 岐阜の大名─錯綜する江戸時代の領主
■分室 柳津歴史民俗資料室の展示■
柳津歴史民俗資料室(岐阜市柳津町下佐波西1−15 もえぎの里 2 階)では、次の日程で展示を行います。
観覧は無料です。
10月 8 日(火)〜 12月 1 日(日)大正時代の岐阜
12月 3 日(火)〜 2 月 2 日(日)博物館の馬大集合
2 月 4 日(火)〜 3 月30日(日)岐阜の名所図
上記の日程は、都合により変更する場合もございます。ご了承ください。
― 5 ―
16 年に織田備後守信秀(信長父)が、斎藤道
研究ノート
三を攻めたが、
討ち取られてしまい「備後守塚」
あ
たたり、これ在り
─江戸時代に織田塚を供養する
望月良親
とも一説では、称されているとしている。いず
れにしても、300 年ほど前の「古跡」であり具
体的な様子はわからないが、織田家に関係する
塚であることは間違いないとしている。
はじめに
織田塚の由来が 2 説併記されているが、史実
天保 2 年(1831)6 月 18 日、織田塚の供養
としては、天文 13 年に織田信秀が斎藤道三を
が行われた。織田塚の周辺では、織田塚の「た
攻め、大敗を喫したことが知られている。その
たり」や、その「業」が原因と考えられる「乱
死者は、2 〜 3 千人であり、信秀はようやく逃
心」が生じていた。人びとは、織田塚の「たた
げたとされる。その死者を葬ったのが、織田塚
り」に戦いていた。同年 6 月 4 日、織田塚を供
であった。このように、江戸時代には、すでに
養する動きがはじまった。
織田塚の由来は、曖昧なものとなっており、正
本稿は、「織田塚供養一件」
(大竹家文書)と
確には伝承されていなかったのである。江戸時
いう史料を用い、供養の過程を紹介し、戦国時
代に書かれた「岐阜志略」
、
「濃中風藻」などの
代に建立され、従来明らかになっていない「織
織田塚に関する記述も諸書によって異同があ
田塚」への近世社会における対応を考察するも
る。
のである。「織田塚供養一件」
(以下
「供養一件」
)
現在では、織田塚は岐阜市霞町と岐阜市円徳
は、美濃国厚見郡上加納村(岐阜市)において
寺(安永 5 年〈1776〉に霞町から転葬されたと
代々庄屋を勤めた篠田家に伝来し、天保 2 年 6
される)
にある。両塚ともに岐阜市指定文化財。
月に篠田忠邦の「手控」として作成された史料
本稿は、霞町の織田塚の供養を扱う。
おのの
である。本稿で初公開となる。
1 .織田塚とは
織田塚とは、
「供養一件」によると、天文 13
年(1544)に「清洲城主」織田与十郎(寛近)が、
岐阜城主斎藤「龍興」を攻めたが、与十郎は敗
れ、多くの兵士が戦死した。兵士の遺骨を集め、
上加納村に埋葬したところ、雨の深夜には「亡
魂」がでるなど、近くには往来するひともいな
現在の織田塚(岐阜市霞町)
くなってしまった。これを按じた高桑村(岐阜
市)慈恩寺の雲外和尚が、永禄 7 年(1564)に
「回向」をし、死者を慰めた。その後、慶長 5
2.
「乱心」する人びと─天保 2 年の供養 年(1600)の岐阜城落城時には、織田秀信(信
慈恩寺雲外により、死者の霊は慰められたは
長孫)軍において戦死した兵をも埋葬したので、
ずであったが、
江戸時代になると、
織田塚の「た
織田塚と称されるようになったとしている。し
たり」
・
「業」が問題となった。
かし、一方で「供養一件」には「愚案」として、
「供養一件」によると、天保 2 年の 70 〜 80
以上の記述は円徳寺(岐阜市)の「縁起」にあ
年ほど前に南上加納村庄屋(上加納村は東西南
るものであるとし、上加納村の伝承では、天文
北に分かれ、それぞれに庄屋がいる)佐左衛門
― 6 ―
が、
「人足」を連れて、織田塚の竹木を打ち払っ
町・観音堂の住人のみならず、上加納村全体の
た。「人足」には怪我などはなかったが、佐左
問題として、加納藩の役人までもが知ることと
衛門には「色々たたり」が降りかかった。その
なった。
「手軽」といえども、広く人々を巻き
ため佐左衛門は、織田塚へ生涯に亘り毎月お参
込んだ出来事であった。それほど、織田塚のた
りをしたという。さらに、20 年ほど前には上
たりが恐れられたのであろう。
加納村上中町の伝吉が「乱心」
、以降も作兵衛
が「乱心」、近年では上加納村観音堂(上中町
に隣接)の喜兵衛女房、上中町の楢八女房、観
音堂の武八忰、
源内忰の又六・半平が次々と「乱
心」した。乱心後の経緯が分かる者として、作
兵衛、源内は快気、喜兵衛女房は「中快」した
が、伝吉・楢八女房は死去してしまった。この
ように織田塚の周辺で「乱心」が続き、死に至
る人物までいた。ひとびとは、これは織田塚の
天保 2 年ころの織田塚
(上加納村上中町/「供養一件」)
「業」の仕業ではないかと思うようになった。
この時には、織田塚がある土地を所有していた
仲右衛門が、毎月 1 日・15 日・28 日には、塚
おわりに
の掃除をし、神酒を献じ、雨天時には仲右衛門
以上のように、6 月 18 日の織田塚供養の準
の自宅にて供物を献じていたが、織田塚の周辺
備が進められていった(
「供養一件」には、供
では、8 人に及ぶ者が、以上のようにたたりに
養が行われる前日の 17 日までの記述にとどま
あったのであった。
り、18 日の施餓鬼の様子は現状では判明しえ
天保 2 年 6 月 4 日、仲右衛門が上加納村の庄
ない)
。織田塚は、織田信秀と斎藤道三の戦が
屋 4 人へ近年織田塚周辺の人たちが「病気相煩
あった戦国時代のみならず、約 300 年後の江戸
難渋」しているので、
「供養」を行いたいとい
時代にまで、そのたたりは恐れられ、上加納村
うことを申し出た。同様の願いは、
他の上中町・
の人びとによって供養され、曖昧な部分があり
観音堂の住人からも庄屋たちに告げられた。8
つつも戦の記憶が継承されたのであった。
日に庄屋たちが寄合を開き、上加納村で供養す
織田塚のたたりは、
現在まで伝えられている。
ることが決まった。しかし、詳細な理由は定か
2001 年に刊行された『岐阜のつたえ話』に「織
ではないが「時節柄」なので「手軽」に行い、
田塚」
についての話が掲載されている。本書は、
供養に金 2 分を供出することが決まった。同月
遠い昔から語り継がれてきた民話や伝説を集め
11 日には、上中町での寄合があり、
「手軽」に
た書物であり、
現在においても巷間で「織田塚」
行うことが再確認され、導師に天沢庵(瑞龍寺
は伝承されている。
塔頭)の棠林和尚、瑞龍寺・西覚寺・円徳寺な
どが供養するための施餓鬼に関わることとなっ
【参考文献】
た。供養を行う日は、6 月 18 日と決まった。
平塚正雄『織田氏興亡と岐阜円徳寺』
(円徳寺、1964 年)
16 日には、上加納村を治めていた加納藩の代
『 岐 阜 市 史 通 史 編 原 始・ 古 代・ 中 世 』
( 岐 阜 市、
官へも織田塚の施餓鬼をする旨が伝えられ、
村々へその知らせが廻状によって伝えられた。
織田塚の供養は、織田塚のたたりにあった上中
1980 年)
岐阜のつたえ話編集委員会編『岐阜のつたえ話(Ⅵ)
おもかるさま』
(岐阜市教育委員会文化振興事業団、
2001 年)
― 7 ―
紙本墨画 鷹図
曽我二直庵 桃山〜江戸時代初期
二曲一隻 押絵貼り屏風 各 縦 112.1㎝、横 52.3㎝
二直庵(生没年不詳)は、和泉国(現・大阪府)堺の人で慶長(1596 〜 1615)頃の作品が知ら
れる曽我直庵の子といわれ、鷹図を得意としたことで知られています。2 曲の押絵貼り屏風となっ
ている本作品は、直庵の号を継いだ二代直庵の作で、左右両扇共に朱文方印「二直菴」と朱文二重
方印「包胤」を上下に並べて押印しています。
父と同様に水墨による表現を主としており、本図も向かって右の一扇目に波間の岩上で体を低く
して上方をうかがう鷹を、二扇目には枇杷と思われる樹木にとまり、首をめぐらせて周囲をうかが
う隼を墨で描いた作品です。岩や樹木を肥痩のある筆遣いと墨の濃淡によって表現しているのに対
し、鷹についてはごく細い均一な太さの輪郭線で
全体の姿を表わすとともに、各部分の羽の文様を
墨の暈しと毛描きで丁寧に描き分け、嘴や爪は鋭
さや硬さを感じさせる濃い墨であらわすなど、鷹
の姿形や羽の美しさを表現することに細心の注意
を払って描かれています。
鷹を主題とする作品には、二直庵らのように自
たか ほこ
然景観に鷹を配した構図のほか、鷹 架 に繋がれた
鷹狩りの鷹を描いたものが多く見られます。屏風
や掛幅のほか奉納絵馬にもしばしば描かれた画題
であり、鷹狩りを行う武家に好まれたというだけ
ではなく、鷹や鷹狩りについて記した書物に「い
ずれの鷹もみな仏体なり」という記述がみられ、
信仰とも深い関わりを持っていたようです。
利用の御案内
■ 開館時間 午前 9 時〜午後 5 時
(入館は午後 4 時30分まで)
■ 休 館 日 毎週月曜日と祝日の翌日
(月曜日が祝日の場合はその翌日)
年末年始(12月28日〜 1 月 3 日)
※特別展・企画展開催中は変更することがありますので、ご
注意ください。
■ 観 覧 料(団体は20名以上)
歴史博物館総合展示、加藤栄三・東一記念美術館
高校生以上 300円(団体240円)
小・中学生 150円(団体90円)
両館共通で観覧される場合
高校生以上 500円(団体400円)
小・中学生 250円(団体150円)
◎次の方は無料でご入館いただけますので、手帳等をご提示
ください。
・岐阜市在住の70歳以上の方
・身体障害者手帳、精神障害者保健福祉手帳、療育手帳の
交付を受けている方、およびその介護の方 1 名様
・家庭の日(毎月第 3 日曜日)に入館する中学生以下の方
・家庭の日(毎月第 3 日曜日)に入館する中学生以下の方
に同伴する家族(高校生以上)の方(特別展を除きます。)
・岐阜市内の小中学生の方(特別展は除きます。)
企画展は、総合展示料金でご覧いただけます。
特別展は、その都度料金を定めます。
■ 交通案内 JR岐阜駅・名鉄岐阜駅から岐阜バスにて長良方
面行きに乗り、「岐阜公園歴史博物館前」で下車、すぐ東に
歴史博物館があります。
岐阜公園内金華山ロープウェー乗り場すぐ隣に加藤栄三・
東一記念美術館があります。
博物館だより №85 2013.11
編集・発行 岐阜市歴史博物館
〒500−8003 岐阜市大宮町2−18−1 ☎058(265)0010
(分館)加藤栄三・東一記念美術館
〒500−8003 岐阜市大宮町1−46 ☎058(264)6410
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