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はじめに チェーホフの『三人姉妹』は丶 初演 (ー90ー年) から

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はじめに チェーホフの『三人姉妹』は丶 初演 (ー90ー年) から
『三 人 姉 妹 』 と 『萩 家 の三 姉 妹 』
齋藤 陽 一
は しめ に
チ ェー ホ フの 『三 人姉妹 』は、初 演 ( 1 9 0 1 年) か ら約 1 0 0 年 た つ た現 在 で も、
たび たび舞 台 にのせ られ る。 しか も、決 して、古 くさ い 過 去 の 芝居 と して で は
な く、現代 的 な課 題 を内包 した芝居 と して上演 されて い る。そ の 演 出 も、また、
多様 で あ る。鈴 木 忠 司 に よる、 日本 的な背 景 を持 つ て演 じられ た利 賀 山房 で の
演 出 ( 注 1 ) や 、蟷 川幸雄 に よる、 まるで姉妹 達 の生 活 を直接 、現代 日本 の生
活 に結 び つ け よ う とす るか の ような、芝居 の 最後 で 後 ろ の 幕 を開け、舞 台裏 を
見 せ る とい う演 出 ( 注 2 ) も あ つ た。逆 に 、松 本修 は、戦前 の 旭 川 を舞台 に し、
軍 隊 と して 日本 陸軍 を登場 させ る演 出 ( 注 3 ) を 行 つて い る。映画 で も、例 え
ー
ば、 マ ル ガ レー テ ・フオ ン ・トロ ツタ監督 に よる、 チ エ ホ フの作 品 を下敷 き
に しな が ら、舞 台 を現代 の イ タリ́ア に移 しか えた映 画 が あ る。
今年 、 2 0 0 4 年はチ エー ホ フ没後 1 0 0 年 に あ た り、そ の 記念事業 と して、別役
実 の 脚 本 に よる 『千 年 の三 人姉妹 』 の公 演 が予定 され てい る。予告 によれば 、
年 老 い た三 人 の 姉妹 が、 いつ か 京 の 都 に帰 る こ とがで きるであ ろ う と、夢 を見
て 暮 ら して い る とい う内容 の ようで あ るが、 この作 品 の 場合 には 、 おそ ら く、
演 出 とい うよ りは翻 案 とい う こ とにな るだ ろ う。翻 案 と して、最近 、 す ぐれ た
・
成 果 を上 げた も の と して、 2 0 0 0 年 の 1 1 月 に初演 され た、永井 愛 の作 演 出 に
よる 『萩 家 の三 姉妹 』 ( 以下 、『萩 家』 と略 記 す る ) を 挙 げ る こ とがで きるだ ろ
う。 日本 の 、 あ る地 方都 市 に暮 らす二人姉 妹 を主人公 と した この作 品 では 、 チ
ェー ホ フの三 人姉妹 がモ ス クワ に暮 ら して い た こ とを懐 か し く振 り返 り、 モ ス
クワ を生 きて い く上 で の 希望 の よ う に感 じて い る の に 対 し、 か つ て東京で姉妹
が 暮 ら して い た とい う設 定 は あ る ものの、 東京 は三 人全 員 に共通 す る夢 と して
ー
は 存 在 して い な い 。 その他 に も、チ エ ホ フの原作 の 設定 を借 りて い る部分 が
-75-
あ るが、 この 小論 では、 チ エー ホ フの 『三 人姉妹 』 ( 以下 では 、 「原作 」 と記 す
『萩 家』 とで、何 が 共通 で 何 が大 き く異 な る のか 比較対照 した
上 で 、『萩 家』 に 対 す るチ エー ホ フの 影響 をさ ぐってみ た い 。
こ とが あ る ) と
『萩 家』 のテ ー マ
『萩 家』 の三 姉 妹 は、萩 鷹子 、荏 田仲 子、萩 若子 と呼 ばれて い るが、 それ ぞ
れ原 作 の オ リガ、 マ ー シ ャ、 イ リー ナ に 該 当す る。 その他 に も登場 人物 の 多 く
が 、原 作 の 設定 を借 りて描 かれて い る ( 注 4 ) 。 また、永井 は 、 昨年、 2 0 0 3 年
には 、 ロ シアの風 刺作 家、 シチ エ ドリンの 小説、『ゴ ロブ リョフ家 の 人 々』 を脚
色 してお り、ロシア 文学 へ の 関心、翻 案 の 経験 もつ んで い る。さ らに、永 井 は 、
夏 目漱石 の 『明暗』を 『新 0 明 暗』 と題 し、この未 完 の 作 品 に結末 をつ けて 作 ・
演 出 も してお り、 まさ に翻 案 とい うスタイルは得意 とす る と こ ろで あ る。
永 井 自身 は、 チ ェー ホ フの枠 組 み を利 用 した こ とは、 当然 の こ となが ら認 め
つ つ 、細 部 にお い ては、 それほ ど意 識 は して い な い ように言 つて い る。本 人 の
発 言 を引用 しよ う。
『萩 家 ∼ 』 の とき には 原作 を読 み返 す こ ともな く、 それ ほ ど神経 質 に な る
こ ともな く、頭 と終 わ りだけ を くつつ けて ……… ( 笑) 。( 注 5 )
こ こ で い う、 「頭 」 と 「終 わ り」 とは 、 冒頭 が 三 姉 妹 の 父 親 の 一 周 忌 で あ る こ
と、 そ して 、 幕 切 れ が 、 三 姉 妹 の そ れ ぞ れ の モ ノ ロ ー グ で あ る こ と を指 す と思
わ れ る 。 しか しな が ら、 とて も 「読 み 返 す こ と も な く」 書 い た とは 思 え な い ほ
ど、 原 作 を下 敷 き に して い る部 分 が 他 に も あ る。 そ こで 、 ま ず 、 原 作 と類 似 す
る 部 分 を ま とめ て お き た い と思 う。
原 作 の 設 定 と類 似 す る部 分 は 、 主 に 、 次 女 の 仲 子 と三 女 の 若 子 に 関 す る部 分
で あ る 。 仲 子 は 、 マ ー シ ヤ と 同 じ く、 す で に 結 婚 して お り、 夫 の 宏 和 は 歯 科 医
で あ る 。 マ ー シ ヤ の 夫 、 ク ル イギ ン とは 職 業 が 違 うが 、 自分 の 熱 中 して い る こ
と に つ い て 他 人 へ の 配 慮 な く語 り出 す と い う点 で は 非 常 に よ く似 て い る 。 そ し
て 、 何 よ りも、 別 の 男 と不 倫 関 係 に 陥 る こ と、 そ の 男 が 、 か つ て 首 都 ( 東 京 と
モ ス ク ワ ) に 暮 ら して い た こ ろ の 知 り合 い で あ る と い う点 が 共 通 して い る 。 ま
-76-
た、『萩 家』 の 方 で は、原作 の 舞 台 に登場 しな い 不倫相 手 の 妻、つ ま り、 日高聡
史 の 妻 で あ る文絵 が登場 す るが、 童話 を書 い て い る とい う彼 女 は 、 その 「ど こ
か、メル ヘ ンに 出 て くる少 女 の よ うな服 装」( 注 6 ) が 示 す よ う に、他 者 との コ
ー
ミユニ ケ ー シ ヨンに若 干、 問題 が あ る女で、 これ は、 原 作 に お け る マ シャの
不倫 相 手 、 ヴ エル シー ニ ンの 妻 が 、何度 か 毒 を飲 んで 夫 を困 らせ る女性 で あ つ
た こ とを、 ど こ とな く思 い 出 させ る存在 で あ る。
若 子 の 場合 は、鷹 子 か ら 「バ ラサ イ ト ・シ ングル ! 」 ( 1 5 頁 ) と 呼 びか け ら
れ て い る よ う に、未 だ 自立で きず、漸 く物 語 の 最後 に独 立で きる か も しれな い
とい う こ とが ほ の めか され て い るが、 これ も物語 の 進行 ととも に正 式 に仕事 を
ー
ー
見 つ け る こ とにな るイ リー ナ と同様 であ るぎ さ らに、 イ リ ナが トゥ ゼ ンバ
フ とソ リ ョー ヌイ に 愛 され る よ う に、若 子 も池 内徳 次 と神 原鈴 夫 とい う二 人 の
―
男 と肉体 関係 を持 つ 。勿論 、原 作 の トウ丁 ゼ ンバ フが ソ リ 当 ヌイ との決 闘 で
命 を落 とす とい う事件 は、現 代 日本 を舞 台 とす る 『萩 家』 の 場合 には起 こ り得
な い 。 そ して、 そ の 結 果 と して、若子 の 二 人 との関係 の 結末 も大 き く異 な るの
だ が 、 それ に つ いて は、 また最後 で触 れ た い 。 この よ う に仲 子、若 子 の 場合 に
は、 総 じて 『萩 家』 と原作 では共 通 す る点 が多 い 。
次 に 、原 作 と異 な って い る部分 に触 れてお こ う。原 作 で は 存在 す る長 男 のア
ー
ン ドレイ に あた る人物 が全 く登場 せ ず、 その結果、 その妻 に あた るナ タ シャ
ー
も出 て こな い 。 ナ タ ー シ ヤが、 プ ロ ゾ ロフ家 で 次第 に 力 を持 つて い く姿 が全
く出て こな いの だ。 そ の 分 、長 女 の 鷹子 がず つ と この 萩 家 を支配 す る こ とにな
る。 そ して、 そ の 鷹 子 の 姿 が 、原作 のオ リガ とは大 い に異 な つて い る。
原 作 で はオ リガは女学校 の 教 師 ( 最後 は校 長 ) で あ るが、鷹子 は大学 の 助教
授 で あ る。 それ も、 「フ エ ミニ ズ ムの立 場 で 女性 差別 を批 判 的 に分析 して い る」
( 2 3 頁 ) よ うな女性 で あ る。オ リガに男性 の 影 は な い が 、鷹 子 は妻 帯者 で あ る
同僚 と不倫 の 関係 に あ っ た。 そ して、 この 同僚 と、 自分 た ち の 関係 を学 問 の 対
象 と して振 り返 り、 また、 ゼ ミの 学 生 とは、 男性 像 、 女性像 、或 いは 、新 しい
ー
女性 の生 き方 をめ ぐつて 議 論 をかわ す。 つ ま り、原作 も女性 の生 き方 がテ マ
とな って い たが、『萩 家』で は、それ が さ らに前面 にで て きて い る。次女 の 不倫 、
三 女 の 二 人 の 男 との 恋 愛 関係 はそ の まま保 ち、兄 弟 の 存在 は 消 し、長 女 に も恋
愛 を体 験 させ て い る。 しか も、 フ エ ミニ ス トと して。
-77-
永井 愛 と フ エ ミニ ズム
永井 は 、女子師範学校 を舞台 に した 『見 よ、飛行機 の 高 く飛 べ るを』 とい う
作 品 を書 い た こ とで分 か る よう に、 女性 の生 き方 につ い て 、 芝居で取 り上 げ る
こ とが多 い 。 この 作 品 は、 明治末 期 の新 しい 女性 の生 き方 を描 い た も の だが、
直接 、 そ う した問題 を題材 と しな い 作 品 の 場合 で も、 フ ェ ミニ ズム的な 思想 が
顔 を出 す こ とが あ る。『ら抜 きの 殺 意』とい う作 品 を取 り上 げて、その こ とにつ
いて 考 えてみ よ う。
この 作 品 は、 永井 が主 催 す る二 兎社 の ためで はな く、他 の 劇 団、 テ ア トル ・
エ コ ー の ため に書 かれ た作 品 で あ る。題 名 が示 唆 す る よ う に、若者 を 中心 に広
ま つて い る 「ら抜 き言葉 」をめ ぐる喜劇で、通信販 売会社 、ウ ェル ネス堀 田へ 、
勤務 先 に秘密 で アル バ イ トに入 つ た 中学校 の 国語教師 が、 その職 場 に蔓延 す る
ら抜 き言葉 に我慢 がな らず、徹底 的 に矯 正 しよう とす るが、無 断 でアル バ イ ト
を して い る公務 員 とい う立場 が 露 見 し、逆 に 「ら抜 き言葉 」 を しゃべ る こ とを
強 要 され る とい う物語 で あ る。この作 品 の 中 に、「ら抜 き言葉 」を しゃべ る若 い
O L が 、 恋人 、上 司、 同性 の友 人、相手 に よ りそれ ぞれ言葉 を使 い 分 け る とい
うシー ンが 描 かれ て い る。携 帯電 話 を三 つ 所 有 す る この O L は 、同時 に、恋 人、
上 司、 同性 の友 人 と電話 で 話 す とい う状 況 に追 い 込 まれ、瞬 時 に言葉 を使 い 分
け る。 少 し長 くな るが、次 に 引用 してお こ う。
遠 部 ( 恋 人声 で ) 私 い。 ね え、枕 持 つて何 して んの お ? … …… だあれ も
戻 つて 来 な い わ よお つて 言 うか あ、 あな た こ そ早 く戻 つて 来 て よお。私 、 す
つ ごい 思 い して抜 け 出 て きた の よお、こ んな の 、あん ま りつて 言 うか あ ………
油 ギ ッチ ヨ ンか ら の 電 話 が 鳴 る。
遠 部 課 長 か ら電 話 み た い 。ち よ つ と待 つて ね 。切 つ ち や い や よ。( と 伴 か
らの 電 話 を 置 い て 、油 ギ ッチ ヨ ンの に 出 る ) 遠 部 で ご ざ い ま す 。企 画 説 明 書 ?
も ち ろ ん 持 つ て ま い りま した け れ ど … … … 課 長 お 、 ご 心 配 な ん で す か あ、 私
が ち ゃ ん とや つ て る か つ て え、 う う ん 、 嬉 しい の つ て 言 う か あ … … … ( 急 に
-78-
笑 い ) や だ あ、 課 長 つ た ら、 お だ て る の お 上 手 な ん だ か ら あ、 は あ い 、 じや
頑 張 りま あ す 。 ( と 、 置 い て ) 切 り抜 け た ぜ い 。 ( 別 の 携 帯 電 話 を取 り) 今 ど
・
こ お ? も しも し、 も しも し 。… … ( 切 れ て い る )
そ れ を 置 い て 、 ま た 別 の 携 帯 電 話 を 取 り、
遠 部 ち よ つ と お 、 ム チ ャ ン コ カ ツ ア ゲ もん だ よ、 あ い つ 、 電 話 切 りや が
っ て よ お、 ヒ トに ゃ あ 電 話 番 さ せ お つ て 、 オ ノ レは 待 て ん の か つ つ ∼ か 、 こ
っ ち ゃ ∼ 油 ギ ツチ ヨ ン に 猫 な で こ い て 鳥 肌 も ん だ つ つ ∼ に ぃ 、 ど マ ジ で ガ ン
… … … え つ、 あ な た な の
ギ レ した ぞ つ つ ∼ か ∼ 、 ボ コ る ぞ テ メ ∼ つ つ ∼ か ぁ
ぉ ! … … … 違 う の 、 あ な た に 言 つ た ん じゃ な い の 、 宇 藤 だ と思 つ て 、 も しも
し、 も しも し 0 … … ・ ( 切 れ て い る ) ( 注 7 )
由
こ こ で は 、遠 部 は 、恋 人 で あ る伴 と電 話 を して い る と こ ろ に 、上 司 の 課 長 ( ツ
ギ ッチ ョ ン と い う あ だ 名 で 呼 ば れ て い る ) か ら電 話 が か か る 。 さ ら に 、 伴 よ り
一
も前 に 電 話 で 話 して い た 友 人 の 宇 藤 と話 して い る つ も りで 、 伴 に 番 最 後 の よ
うな 口 調 で 話 しか け て し ま う。 こ の 部 分 で は 、 ら抜 き言 葉 は 使 わ れ て お らず 、
ー
む しろ 女 性 の 言 葉 の 使 い 分 け が テ マ に な っ て い る 。 これ を見 て い た ウ エ ル ネ
ス 堀 田 の 副 社 長 、社 長 夫 人 の 八 重 子 は 、「女 言 葉 を つ か う の が 女 に と っ て 自然 な
こ とで あ る な らば 、女 同 士 が しや べ る と き に ゃ、女 言 葉 だ らけ に な る は ず だ ろ。
そ れ が 逆 な ん だ も ん 。ど う した こ とな の か ね ? 」 ( 1 1 0 頁 ) と 遠 部 に 問 い か け る。
そ して 、 「( 遠 部 の 「汚 い 」 言 葉 の 方 が ) 本 音 が 出 せ る か らだ ろ う ? 女
言葉 を
つ か っ て ち ゃ、 も う本 音 が 出 せ ん の だ ろ う が 。」 ( 同 頁 ) と 言 う。 こ の あ と、 八
重 子 は 日本 語 の 女 言 葉 に は 、命 令 形 が な い と指 摘 し、「日本 人 は 女 に 命 令 して ほ
し くな か つ た ら し」( 1 1 3 頁 ) い 、「日本 の 女 が 多 重 人 格 に な る の も無 理 は な い 。
これ だ け 言 葉 を つ か い 分 け て りや 、 ど う した つ て そ うな る わ 。 男 の 本 音 と建 前
な ん ぞ 、 女 の 多 重 人 格 に 比 べ りや 可 愛 い も ん よ。」 ( 1 1 6 頁 ) と 続 け る 。 若 千 、
本 筋 か ら脱 線 した よ う な 台 詞 ( 八 重 子 が 外 れ て い る と い う よ りは 、 永 井 の 筆 が
若 千 脇 道 に そ れ て い る ) だ が 、 そ れ だ け に 、 こ う した 主 張 を 書 き入 れ た い と い
ー
『
う作 者 の 気 持 ち が 伝 わ つ て くる 。 そ して 、 こ う した テ マ が 萩 家 』 で は 、 中
-79-
心 に来 る こ とにな る。
自 ら、 フ ェ ミニ ズ ムの立 場 に立つ こ とを公 言 して い る ( 注 8 ) 永 井は、 この
よ う に登 場 人物 に 自 らの主 張 に近 い もの を語 らせ る こ とがあ る。 それでは、 鷹
子 の 場合 は どうだ ろ うか ? 自 分 の 思想 を語 らせ、 肯定 的 に描 い て い るの だ ろ
うか ?
「
鷹 子 は 、フ ェ ミニ ス トと して、人 間 の 多様 な生 き方 を肯定 して い る。女性 が 、
あ る固定 的な役 割 を強 い られ る こ とに反 対 で あ るの と同様 、男性 が い わゆ る「男
ら しさ」 を求 め られ る こ とに も、反 対 の立 場 に あ る。 と こ ろが、第 4 幕 で 同僚
の 本所 武雄 の 女装 姿 を見 せ られ る と仰 天 して しま う。若子、 仲 子 に あんな男 と
つ き合 うの をやめ る よ う に 言 われ る と、 必 死 で反 論 す る。 引用 す る と次 の よ う
にな る。
若 子 … ……変態 だ。
仲 子 た ∼ ち や ま、駄 目よ、 あんな変態 と これ以上 つ き合 つ ち ゃ ………
鷹 子 変 態 だ と思 つ た。認 め ます。 で も、 変態 だ と思 い た くな い 。 ああ い
う人 の 存在 を、心 か ら認 め られ る人間 に な りた い 。私 は 、 その ため に
闘 い ます。 そ うい う 自分 だ け を認 め ます。
若子 た ∼ ち やま、や せ 我慢 や めな あ。も つ と楽 して生 きよ うよ ……… ( 1 5 4
頁)
この あ と、「楽 す る こ と」の よさ も認めなが ら、理 論 と行 動が 一 致 す る 自分 に
なれ る可能性 を、他 の 女 の 可能性 を信 じる よ う に信 じた い と鷹 子 が 言 う た直後
に、 それ まで右 半 身が麻痺 して茶碗 を持 て なか っ た家政 婦 の 品子 が、 茶碗 を持
て る よ う にな る とい うシー ンを書 き入れて い るので、永井 自身 が この鷹 子 の「可
能性 」 に肯定 的 な気持 ち を抱 い て い る こ とは 確 かで はあ る。 しか しなが ら、 こ
う した 姿勢 が 、「楽 」ではな い 、む しろ無理 して い る とい う こ とはは っ き りと描
いて い る。また、 1 幕 では、「嫁 入 り前 」、「行 か ず後 家 」、「男な んだか ら」 とい
う言葉 に、 い ち い ち、過 剰 とも言 え る反応 をす る鷹子 の 姿 を描 き、 それ を他 の
登 場 人物 に呆 れ させ て い る。
この よ う に、永 井 自身 がお そ ら く支持 す るであ ろ う生 き方 を して い る人 間 で
-80-
す ら、 そ の 思想 を過 度 に押 し進 め よ うとす る と他 者 か らは滑稽 に見 え る、 とい
うよ う に描 いて しま う。そ れが永井 の 特徴 で もあ る。『ら抜 きの殺 意 』で 、それ
を さ らに確 認 してお こ う。『ら抜 きの 殺 意』の 「あ とが き」に永井 は次 の よ う に
記 して い る。
敬 語 は しよつ ち ゆ う間違 えて つ かい 、時 々の 流行 語 は 面 白が つて 取 り入 れ
て きた私 が 、『ら抜 き言葉 』 にだ け抵抗感 を覚 えるのは なぜ だ ろ う。( 1 4 9 頁)
本来 、永井 に と っ ては、ら抜 き言葉 は否定 され るべ きものであ る。と こ ろが、
そ の 否定 、根絶 に あ ま りに と らわ れて しま う人間は、 む しろ滑稽 に描 かれ る。
主 人公 の 海 老 名 は、 中学校 の 国語教 師 で 、若 い 人 々の ら抜 き言葉 に我慢 がな ら
な い 。また、「チ ヨー ザ の ガ ンブー の メ ッシ ヤー めが 」 とい う若 い 女性 が使 う言
葉 ( こ の 場 合 は、実 際 に は、 中年 の 男 が 若者 の 言葉 を まねて 使 つ た もので あ る
が ) の 意 味 が分 か らな い と、携 帯電話 で息子 に聞 く。
だ って 、 これ、 コ ギ ヤル語 つ て んだ ろ う ? お 前 まさか、 そ うい う言葉 の
ガ ー ル フ レン ド…… … 一 太郎、ガ ー ル フ レン ドを選 ぶ基準 はや は り言葉 だ よ。
ち ゃん と した女 言葉 で 話 せ る人 に してお くれ。 日本 の 女 言葉 の たおやかな優
しさ とい っ た ら世界 に類 がな いか らね。 それ を 自 ら捨 てて しま う女 の 行 く末
は … … …ああ、食 事 中だ つ たか い 、 悪 か つ たね。 ( と、切 る ) ( 3 7 頁 )
自分 の 関心領 域 に夢 中 で 、 と らわれて しま い 、子供 が食 事 中で あ る こ とも意
識 の 外 に 出 て しま う。 この 他 に も、 ら抜 き言葉 に過剰 に反応 して い る姿が描 き
込 まれ て い る。
こ う した何 か に と らわれ た人物 の 滑稽 さは、実 は、 チ ェー ホ フ も しば しば描
い て い る こ とで あ る。『二 人姉妹』の 中で も、例 えば ソ リョー ヌイや クル イギ ン
ー
とい つ た人物達 は 、 この よ うな人物 に あ た るだ ろ う。 ソ リ ョ ヌイは、第 2 幕
で、 チ ェハ ー ル トマ とい う コ ー カサ ス料 理 の 話 をす るチ エ ブ トイキ ンに 「チ ェ
レム シ ャー 」は ネギ の よ うな植 物 で あ る と、何 度 も強調 す る。或 い は、「モス ク
ワには 大学 が 二 つ あ る」 とい う誰 も が分 か る ような嘘 を、正 し くな い こ とを指
-81-
摘 され て もつ き とお す。
一 方、 クル ィギ ンは 、所 か まわ ず、 自分 の 勤務 す る学
校 の些 事 について 話 し始 め る。
また、短 篇 小説 の主人公 や、 チ エー ホ フの 創作活 動 の 初期 に書 かれ た笑 い 話
的 な 小 品 の 中 に も、 こ う したタイ プの 人 間 を見 か け る こ とがあ る。
『す ぐり』 に登 場 す る、 ニ コ ラ イ ・イ ワ ー ヌ イチは、貧 しい 小役 人 だが、地
主屋 敷 を買 う こ とが夢 で あ つ た。 そ して、 その屋敷 を様 々に空 想 す るのだが、
何 故 か 、 そ の 空想 上 の 屋敷 には 、 必 ず、 す ぐりの本 が あ るのだ つ た。 そ して、
結 婚 す ら金 目当 てで し、 そ の 妻 に つ らい 暮 ら しをさせ て 、 その 妻 が 、 つ い には
や せ 衰 えて死 ぬ とい う と こ ろまで 倹 約 して、屋敷 を手 に入れ る。そ して、早速 、
す ぐりの 木 を植 え る。この 物語 の 語 り手 で あ る兄 が 、そ の後 、弟 に会 つ た 時 に、
ニ コ ライは 満足 げ に す ぐりの 実 を食 べ て い るのだが、 そ の 実 は す つ ぱ い 。 そ し
て 、深 夜 、弟 が 起 きあが つては す ぐりの 実 を 一 粒 ず つ 食 べ て い る ら しい 音 を聞
いて 、 兄 は 幸福 とは い つ た い 何 なの だ ろ うか と問わ ざるを得 な い 。
或 い は、『小役 人 の死 』 とい う小品 に登場 す る小役 人は、観劇 の 最 中 に、前 に
座 って い た地位 の 高 い 役 人 に く しゃみ を して、唾 を浴 びせ て しま つ た こ とを気
に病 む 。 そ して、何 度 も謝 りにい き、 そ の こ とで逆 に うるさ が られ、冷 た く追
つ払 わ れ る。 つい には 、 そ の こ とが き つか け とな つて 死 んで しま う。 この よ う
にチ ェー ホ フは 、何 か に過 度 に と りつ かれて しま っ た人 々は 、 あ ま り肯定 的 に
は描 いて い な い 。
結語
.け
最初 に述 べ た よ う に、永 井 は、 チ エー ホ フの 原作 の 「頭 と終 わ りだ を くつ
つ けて 」、この作 品 を書 い た と発 言 して い る。ここ まで、検討 して来 た こ とを振
り返 つて み る と、 それ に しては、 多 くの 点 で 、 チ ェー ホ フ と共通 す る こ とが あ
っ た。そ うであ りな が ら、「終 わ り」 とい う言葉 がわ ざわ ざ 出 て くるのは 、最後
に姉 妹 達 にモ ノ ロー グを語 らせ る こ とが、初 めか ら永 井 の 意 図 と してあ つ た の
だ と推 測 で きるだ ろ う。 そ して、 この終 わ りの 部分 を比較 してみ る と、永 井 が
意識 的 にチ ェー ホ フの 台詞 を、 フ ェ ミニ ス トの立 場 で 発展 させて い る こ とが分
か る。
原 作 の 幕切 れの台詞 は 、 軍 隊 が遠 ざか るの ととも に 、彼 女達 の 希 望 が つ い え
-82-
て い く、 希望 の 象徴 で あ つ た モ ス クワも遠 ざか る、 そ う した絶望 的な状況下 で
の 「生 きて い きま しよう」 とい う台詞 で あ つ た。 そ れ に対 し、『萩 家』 の 姉妹
達 の 場合 は、 む しろ、選択 で きる、 自ら決定 す る こ とがで きる状 況 下で の 台詞
で あ る。 1 幕 の 導 入 か ら 4 幕 まで、 そ の 流 れ を確 認 してお こ う ( 注 9 ) 。
1 幕 で、 それ ぞれ の 紹 介 が な され、 2 幕 で は、 それ ぞれ の 関心領 域 で 、 その
ー
発展 が あ る。 そ して、第 3 幕 で は それ に ブ レ キが か け られ た り、疑 間符 が付
け られ た りす る。若子 の 場合 には 、 すで に 2 幕 で 、 その時、恋 人で あ つ た徳 次
に、 鈴 夫 と肉体 関係 を持 つ た こ とを知 られ るが、 さ らに第 3 幕 で は、鈴 夫 に徳
学校 に行 つ
次 との関係 を知 られ、 また鷹 子 に 行 つて い る と嘘 を つ い て い た専 F 号
て い な い こ とも発覚 、彼 女 の生 き方 その もの に疑 間符 が つ け られ る こ とに な る。
一 方 、仲 子 の 場合 には 、聡 史 との 不倫 をめ ぐって それ がお こ る。彼 女 が 、不倫
を具体 的 に実 行 に移 す のは 、 2 幕 の 幕切 れで あ る。 旧家で あ る萩 家 の蔵 へ と二
人 で 姿 を消 す ので あ る。 そ して第 3 幕 、鷹 子 との 共 同研 究 のため 、蔵 を使 お う
と して先 に入 っ た武雄 が 裸 の 2 人 を発見 、不倫 が 発覚 す る。 また、鷹 子 の 場合
は、 彼 女 の フ エ ミニ ズ ム 的な女性 観 、恋 愛観 をめ ぐつて それ がお こ る。 2 幕 で
自信 を も つて 学 生達 を指 導 して い たが、 3 幕 では、「女性 美 を戦略 的 に使 」( 1 3 6
頁 ) う とい う舟木 の主 張 に、混 乱 す る。
この よ うな 3 幕 まで の 流 れ を受 けて、 4 幕 で 、姉妹 達 は選択 を迫 られ る。三
女 の 若 子 は、徳 次、鈴 夫 ととも に 東京 で 暮 らす こ とを計 画 しな が ら、「働 かな き
ゃね 。働 か な きや い けな い つて 、ず う つ とそ う思 つ て たんだ。で も、自信 な い 。
頭 悪 い し、根性 な い し………」( 1 5 9 頁) と 迷 い 始 めて い る。 しか しなが ら、 ト
ー
ゥー ゼ ンバ フが 殺 されて、 家 を離 れ て働 くしか選択肢 が なか つ たイ リ ナ に比
べ るな ら、 自分 で選択 す る余 地 は残 されて い る。 また次 女 の仲 子 は、夫 の も と
を離 れ、 実家 で 新 年 を迎 え よ う と して い る。妻 の 文絵 か ら離婚届 が 送 られて き
た 日高聡 史 に、「一 緒 に暮 らそ う」 と言われ て い る の だ。仲 子 は、どうす るつ も
一
りか 若 子 に 間 わ れ、「決 め られな い ……… 馬、さお り、私 のチ ビた ち ! 私 は
マ マ な の に、母親 なの に …… …」( 1 5 8 頁) と 完 全 に 家 を出て しま う こ とに は躊
ー
躇 して しまう。 しか しなが ら、 これ も、 ヴ エル シ ニ ンが去 つて い き、 すで に
ー
愛 を感 じて い な い 夫、 クル イギ ン との生 活 に戻 らざるを得 な いマ シヤに比 べ
れ ば、 選 択 の 余地 があ る。 そ して、頭痛 に悩 まされ、 ただ 日 々の生 活 に追 わ れ
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て い るだ け と言 っ て もよ い オ リガ に 比 べ 、鷹 子 は 、「二 十 一 世紀 には 、フ ェ ミニ
ズ ム な んて も のは 、 な くな って しま ってほ しい 。女 た ちが集 ま って 、 女 の ため
に ワイ ヮイ気張 らな くて もすむ 日が 、 いつ か必 ず来 て ほ しい 。」 ( 1 6 0 頁 ) と 、
未来 に希 望 をた くして い る。勿論 、それが いつ 来 るのかは彼 女 に も分 か らな い 。
以上 、 見 て きた よ う に、 永井 は、 チ ェー ホ フの 『二 人姉妹 』 の 枠組 み を使 い
なが ら、長 女、鷹 子 の 姿 を大 き く変 え る こ とに よ っ て 、作 品 全 体 を、 女性 の生
き方 を フ ェ ミニ ズ ム 的 な視 点 か ら語 つ た もの へ と翻 案 して い る。 そ の 際 に、声
高 に フェ ミニ ズ ムの主 張 をす るのではな く、 む しろ、 フ ェ ミニ ズ ム に過 度 に と
らわれ て い る場合 には 、 そ の 行動 を滑稽 に 描 き出 して い る。 その ような 描 き方
は 、チ ェー ホ フに も よ く見 られ る も ので あ っ た。つ ま り、「頭 と終 わ り」以外 に
も、 この 作 品 が 、 チ ェー ホ フ的 な もの に 負 つ てい る部 分 は 、 多 いの では な い か
と思 わ れ るのだ。
注
(1)
鈴木忠志は この演 出 について 、次 の ように記 して い る。
ですか ら、現代 の 日本で、『生 きて行かなければ』 とい う言葉が生 きる演 劇
的なシチ ュエ ー シ ョンは、 はた して 白樺 と庭 で いいの か とい う こ とを考 えるの
が演出な ので す。劇作家が考 えた 言葉 が生 きるのであれば、月 が 出て い て もい
い し、 食 堂でや って もいい し、寝室で喋 つて もいい、 とい うように さまざまに
考 え られ るのが演 出 なのです。ロ シア らしい 日常風景 を出す必 要 はあ りませ ん。
観客 も俳優 も二 十世紀 の 日本人なのですか ら。
鈴木忠志 『演劇 とは何 か 』 岩 波新書 1 9 8 8 年 1 6 頁 よ り
(2)
筆者 が 、 2 0 0 0 年 4 月 2 2 日 に、彩 の 国さい たま芸術 劇場小 ホ ー ルで観 た演出
に よる。
(3)
筆者 が、2 0 0 0 年 1 月 2 9 日 に、世 田谷 パ ブ リックシアター で観 た演出 に よる。
-84-
(4)
原 作 と 『萩 家』 の 登場 人物 を次 に比 較 対照 す る。原 作 を優 先 し、『萩 家』 に対
応 す る人物 がい る場合 に 、 それ を右 に記 す
原作
『
萩 家』
ア ン ドレイ
ナ タ ー シ ャ そ のいい な ず け、 の ち に妻
オ ー リガ ア ン ドレイの姉妹
萩
鷹 子 萩 家 の 長 女 大 学助教授
マ ー シャ ア ン ドレイの 姉妹
イ リー ナ ア ン ドレイの姉妹
荏
田仲 子 萩 家 の 次 女 専 業 主 婦
若子 萩 家 の三 女 フ リー ター
萩
クル イギ ン 中 学教 師、 マ ー シヤの 夫
荏
田宏和 歯 医者 仲 子 の 夫
ヴ エル シー ニ ン 陸 軍 中佐 、砲 兵 中隊長 日高聡 史 脱 サ ラ農 民
トゥー ゼ ンバ フ 男 爵、 陸軍 中尉
内徳 次 家 具職 人
池
ソ リ ョー ヌ イ 陸 軍 二 等 大尉
原鈴 夫 家 具職 見 習 い
チ ェ ブ トィキ ン 軍 医
次 と鈴 夫 は左 の 2 人 の どち らで
(徳
もよ
フ ェ ドー チ ク 陸 軍 少尉
ロー デ 陸 軍少尉
い
)
フ ェ ラポ ン ト 県 会 の 守衛 、老 人
ア ンフ ィー サ 乳 母、 8 0 歳 の老 婆
崎 品子 萩 家 の 家政婦
韮
本所 武雄 大 学教 授
日高 文絵 聡 史 の 妻
南 ちは る 鷹 子 のゼ ミの生 徒
舟木理 美 鷹 子 のゼ ミの生 徒
(5)
『コ ロ ヴ リ ョフ家 の 人 々』 の公 演 バ ンフ レッ トに収録 され た座 談会 の記録 に
よる。発 行 は、財 団法 人新 国 立劇 場運営財 団。
(6)
永 井 愛 『萩 家 の三 姉妹 』 白 水 社 2 0 0 0 年
用 は、 頁 数 のみ 括 弧 に入 れ て 記 す。
(7)
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30頁
以 下 、この 著作 か らの引
永 井 愛 『ら抜 きの殺 意』
而立書 房 1 9 9 8 年
1 0 7 ∼ 1 0 8 頁 以 下、この 著作
か らの 引用 は、 頁数 のみ 括 弧 に入 れて記 す。
(8)
2 0 0 3 年 9 月 1 日 に、新 潟 市民芸術 文化会館 で 行わ れ た、永井 愛 と松 岡和子 の
対談 で の 発言 に よる。
(9)、
1 幕 か ら 4 幕 まで、季節 は、 それ ぞれ、 春、夏、秋、 冬 にな ってい る。 これ
は、 チ ェ∵ ホ フ と一 致 して い るわ けでは な いが 、1 幕 が 導入、 4 幕 が物 語 の 終
わ りとい う以外 に、『萩 家』の 2 幕 で 夏祭 りの 踊 りが 出 て くる の に 対 し、原 作 で
は 謝 肉祭 の シー ズ ンで 、 そ の 仮 装踊 りについて 言及 されて い る。原作 の 3 幕 で
は、火 事 が 起 こ るが、『萩 家』 では 、そ れが 「火遊 び 」 に化 けたかの ように、 こ
の 幕 で は不倫 が 発覚 す る。
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