...

パモジャ2008年1月号

by user

on
Category: Documents
5

views

Report

Comments

Transcript

パモジャ2008年1月号
J
JI
IC
CA
Aタ
タン
ンザ
ザニ
ニア
ア事
事務
務所
所ニ
ニュ
ュー
ース
ス
パモジャ
2008年1月、新年号
~未来のきりん探しの旅に出よう!~
タンザニア
1)今月の 1 枚:
「キリマンジャロの日の出」
★ 1月 予 定 イベント情 報 ★
2)援助のツボ:
「包括的マラリア対策プロジェクト」
3)特集;タンザニア協力隊派遣 40 周年記念
4)次長の目~牧野次長
5)カリブ・クワヘリ
1/4~1/11 北海道教師海外研修
1/9
協力隊員 19 年度 3 次隊 4 名着任
1/12~2/9 現地国内研修:「教育行政管理能力強化」
1/14~1/26 現地国内研修:「小児急性期医療」
☆ コラム「~おもしろタンザニア人~」
(1)今 月 の 1 枚 :
『 キリマンジャロの日 の出 』
(2)援 助 のツボ ;
『包 括 的 マラリア対 策 プロジェクト』
(西 所 員 )
昨 年 11 月 に 3 年 間 のマラリア対 策 プロジェクトが
終 了 しました。タンザニアにおける死 亡 原 因 No.1
のマラリアへの予 防 対 策 を援 助 してきた JICA の
動 きを担 当 、西 所 員 から説 明 してもらいます。
~「包 括 的 マラリア対 策 プロジェクト」保 健 サービス
の 質 を 確 保 す るための 自 立 発 展 的 なシ ス テ ム構 築
支 援 。モデルから全 国 展 開 へのシナリオ。~
マラリア、それは
長 年 に渡 ってタン
5895m。アフリカ大 陸 最 高 峰 のキボ峰 です。
ザニアの死 亡 原
「キリマンジャロ」とは「スワヒリ語 で『輝 く山 』の
因 第 一 位 を占 め
意 」という説 が一 般 的 ですが、ヘミングウェイは
ている感 染 症 です。
「マサイ語 で『ヌガイエ・ヌガイ(神 の家 )』と呼 ば
日 本 は、タンザニ
れ」と「キリマンジャロの雪 」の冒 頭 で述 べ、地 元
ア に お け る マ ラ リ ア 対 策 の た め の 協 力 を 1989
の チ ャガ 族 の 言 い 伝 え に は 、 「 植 民 者 が 入 って き
年 から実 施 してきました。その集 大 成 とも言 え
て山 の名 前 を聞 いたとき、チャガ人 は『たどり着 け
る協 力 が 2004 年 11 月 から 2007 年 11 月 の 3
ない山 だ(キリマ・キャロ)』と答 えたのが『キリマン
年 間 実 施 された「包 括 的 マラリア対 策 プロジェ
ジャロ』となった」というものもあります。
クト」です。このプロジェクトは、タンザニア保 健
年 の 初 め、 最 高 峰 を 目 指 す勢 いで スタートした い
福 祉 省 ・国 家 マラリア対 策 プログラム(NMCP)を
ですね! (写 真 提 供 :タカハシアズサさん)
実 施 機 関 として、(1)マラリア診 断 強 化 、(2)マラ
JICA タンザニア事務所ニュース「パモジャ」2008 年1月号
リ ア 患 者 の 看 護 強 化 、 (3) ハ マ ダ ラ カ 生 息 地 の
能 力 を備 えることは、現 実 には非 常 に困 難 です。
環 境 マネジメントに取 り組 みました。
そこでプロジェクトは、講 師 となる看 護 士 の能 力
今 回 は、このプロジェクトの成 果 のうち、特 に
(2)マラリア患 者 の看 護 強 化 に関 する成 果 を
振 り 返 り 、 「 能 力 ( Capacity ) 」 、 「 シ ス テ ム
(System) 」 、 「 質 ( Quality ) 」 、 「 結 果 ・ 成 果
(Result) 」 、 「 自 立 発
展 性 (Future)」この 5
つの観 点 から“援 助
差 に よ って 内 容 ・ 質 が 大 き く 左 右 さ れ な い 研 修 モ
ジュール、講 師 用 台 本 、教 材 等 の構 築 を行 いま
した。また、プロジェクトの限 られた時 間 と資 金 の
中 で裨 益 効 果 を最 大 限 にするために、今 あるリソ
ースや能 力 を最 大 限 に活 かすためのシステムを
構 築 し た の で す。 誰 で も使 え る モ デル 開 発 は 、 全
国 展 開 と自 立 発 展 性 への最 大 の布 石 でした。
のツボ”を抑 えたいと
Quality(質 )
思 います。
研 修 はしかし、あくまでプロセス(過 程 )であるとい
能 力 (Capacity)
開 発 援 助 を通 じて、特 定 の社 会 や、組 織 、個 人
の「能 力 」の開 発 を目 指 すことは多 くあります。
「能 力 開 発 」を語 るとき、「(支 援 の結 果 としての)
あるべき能 力 」はもちろん議 論 されるべきですが、
「現 在 の能 力 」の把 握 を丁 寧 に行 った上 で、能 力
開 発 のための具 体 的 対 応 策 (研 修 等 )を講 じて
いる援 助 が大 事 なのではないでしょうか?「求 め
過 ぎ る 」 援 助 。 タ ン ザ ニ ア と い う 文 脈 で どこ ま で の
レベルを求 めるのか?この見 極 めは開 発 の成 果
と自 立 発 展 性 を大 きく左 右 します。看 護 士 の能
力 と 様 々 な 制 約 要 件 を 見 極 め た う え で 、 「 求 めす
えます。現 場 の保 健 施 設 の看 護 サービスの質 が
向 上 してこそ、協 力 の成 果 があったといえます。
(カウンターパートが研 修 へ行 っているためにいつ
も不 在 だが、研 修 成 果 の活 用 は現 場 で見 られな
い・・という状 況 はタンザニアではよく聞 く話 です。)
プロジェクトでは、研 修 が現 場 の看 護 士 のパフォ
ーマ ン ス 向 上 に 役 立 っ て い る か を 継 続 的 に チ ェッ
クし、現 場 での適 切 な看 護 の実 践 を支 援 する体
制 を、県 保 健 行 政 の日 常 的 な保 健 施 設 巡 回 指
導 の一 環 として位 置 づけ、定 着 させました。現 場
での看 護 サービスの質 の向 上 を確 実 なものとする
ための、包 括 的 なシステムを構 築 したのです。
ぎず」、「現 実 的 に」最 大 限 の能 力 を引 き出 せる
結 果 ・成 果 (Result)
研 修 を実 施 する、これがプロジェクトの出 発 点 で
プロジェクトは協 力 効
した。その上 で、プロジェクトは、約 1 年 半 に渡 る
果 として、保 健 施 設 の
研 修 実 施 支 援 を通 じて、研 修 の有 効 性 を継 続 的
看 護 サービスの質 の
にモニタリングし教 材 の改 訂 を行 いました。プロジ
変 化 を客 観 的 に測 り、
ェクト終 了 後 にタンザニアが能 力 に見 合 った自 立
マラリア看 護 研 修 の有 効 性 を実 証 しました。結 果 、
発 展 的 かつ効 果 的 な研 修 を継 続 していくための
プロジェクトが対 象 とした 16 県 のうち 2007/08 年
システムを作 る、継 続 的 な商 品 開 発 と改 善 のプ
度 予 算 において看 護 研 修 の予 算 を確 保 した県 は、
ロセスだったのです。
予 算 確 保 有 無 の 確 認 が で き た 県 (50 % ) の う ち
システム(System)
「誰 でも使 える看 護 研 修 モデルの開 発 」。プロジェ
クトが目 指 したものは人 を育 成 するためのシステ
ムの構 築 でした。人 の育 成 には、時 間 がかかりま
す。 数 週 間 の研 修 で 看 護 士 が 講 師 としての 教 授
87 % に 至 り ま し た 。 良 い もの は 県 予 算 を 使 って で
も買 う、このある意 味 当 たり前 ではあるインセンテ
ィブを働 かせたこと、これはプロジェクトの大 きな
成 果 でした。 プロジェクト活 動 の中 に評 価 を内
在 化 し、 結 果 説 明 への 責 任 を 持 つ ことに プロジ ェ
クト開 始 時 から取 り組 んだ結 果 です。
2
JICA タンザニア事務所ニュース「パモジャ」2008 年1月号
自 立 発 展 性 (Future)
力 を行 いました。タンザニアの未 来 に活 きる「包
パイロット事 業
括 的 マラリア対 策 プロジェクト」の結 果 を見 守 って
方やモデル形
いきたいと思 います。
成 型 の技 術 協
力 プロジェクトに
とっては、モデ
ル普 及 のシナリ
オを協 力 開 始
時 に 描 けて いる か 否 か が、 自 立 発 展 性 の 鍵 を 握
ります。前 述 のとおり、プロジェクト対 象 州 におい
てプロジェクトが開 発 した看 護 研 修 モデルは、県
(3)特 集 : タンザニア協 力 隊 派 遣
40 周 年 記 念
&広 報 セミナー
1966 年に協力隊派遣取極締結が行われ、1967
年に初めてタンザニアに 30 名の協力隊員が派
遣されました。2007 年は「タンザニア協力隊派遣
40 周年記念」の年でした。
が予 算 を確 保 して独 自 に研 修 を実 施 しています。
それ以 外 の県 は、当 初 想 定 していた訳 ではあり
2007 年 11 月 22 日 、JICA タンザニアとして「広
ませんが、今 後 2 年 間 、タンザニア保 健 社 会 福 祉
報 セミナー」を開 催 しました。これは、普 段 から
省 が USAID の支 援 を受 け、全 国 展 開 することが
JICA 業 務 に関 係 のあるタンザニア省 庁 の方 や
決 まっています。
マスコミの方 に JICA 事 業 を理 解 してもらい、今
自 立 発 展 性 の確 保 に貢 献 した第 一 の点 は、「誰
後 の JICA 活 動 への支 援 を強 化 し、またタンザ
でも使 える 研 修 モ デル」 であり、研 修 パッケージと
ニア一 般 市 民 へ JICA 活 動 を紹 介 してもらう目
予 算 さえあれば、研 修 の複 製 が可 能 であったこと
的 で行 いました。午 前 中 は、JICA 事 業 全 般 に
です。質 の高 い研 修 パッケージと実 施 体 制 を確
わたる概 要 説 明 と現 在 進 行 中 の道 路 工 事 プロ
立 したことで、専 門 家 による丁 寧 なマネジメントは
ジェクト現 場 視 察 を行 い、午 後 は「タンザニア協
難 しいが資 金 力 はある USAID の支 援 による全 国
力 隊 派 遣 40周 年 」記 念 セミナーとなりました。
展 開 を可 能 にしました。
「タンザニア協 力 隊 派 遣 40周 年 」記 念 セミナー
第 二 の点 は、財 政 面 の自 立 発 展 性 です。県 保
には、協 力 隊 受 入 に協 力 してくださっている大
健 予 算 から拠 出 可 能 な最 低 限 の研 修 費 用 に見
統 領 府 公 共 サービス大 臣 を来 賓 として、また伊
合 った研 修 とすべく調 整 を重 ね、2 週 間 15 名 を
藤 駐 日 大 使 の参 加 をいただくことができました。
研 修 単 位 とする約 20 万 円 (地 方 部 )の研 修 パッ
セミナーでは 70 年
ケージを作 りました。この研 修 予 算 書 とともに、研
代 及 び 80 年 代 に
修 モ デル を 県 保 健 局 に 周 知 し た こ と に よ り 、 県 は
隊 員 としてタンザニ
費 用 対 効 果 を含 めた判 断 を行 うことが可 能 となり
アで活 躍 し、現 在
ました。県 保 健 局 は同 予 算 書 をそのまま予 算 計
もタンザニアで活
画 に積 めばよいという事 務 手 続 き上 の簡 便 性 も、
動 をしているお二
県 での予 算 確 保 に貢 献 したと言 えます。
人 が登 場 し、当 時
「 包 括 的 マ ラ リ ア 対 策 プ ロ ジ ェ ク ト」 は 、 自 立 発 展
性 と 現 場 で のイ ンパ クトを 保 証 する ための 工 夫 を
協 力 当 初 から取 り入 れたことにより、モデルを展
開 に導 くシナリオを現 実 化 したといえます。技 術
協 力 の効 果 発 現 の場 として、未 来 を見 据 えた協
大 臣 、大 使 と JICA 所 長
の写 真 を交 えて流 暢 なスワヒリ語 でタンザニア
での活 動 の様 子 、タンザニアから学 んだことな
どを話 してくれました。そして現 役 協 力 隊 員 3名
の自 己 紹 介 と活 動 報 告 の後 、現 在 タンザニア
で活 動 している 75 名 の隊 員 の紹 介 ビデオが流
されました。
3
JICA タンザニア事務所ニュース「パモジャ」2008 年1月号
セミナー後 は、参 加 した多 くのマスコミが新 聞
心 は 椿 さ ん に と って 大 き な 支 え と な りま し た 。 そ
やテレビで JICA の活 動 を報 道 し、タンザニアの
の後 、妻 を亡 くして一 人 暮 らしのお父 さんをタン
人 たちに JICA 活 動 を知 ってもらう良 い機 会 と
ザニアへ迎 え、ボランティアで農 業 指 導 などを手
なりました。
伝 ってもらっていましたが、そのお父 さんもタンガ
ここでは、70 年 代 の協 力 隊 員 ・椿 さん、80 年
代 の鵜 澤 さんの話 を紹 介 します。
70 年 代 JOCV ~椿 延 子 さん~
農 業 の道 で
り 越 え ら れたの は、 周 囲 の タ ンザ ニア人 の 温 か
な心 のおかげでした。
隊 員 の任 期 終 了 後 、健 康 維 持 のためには食
のあり方 と同 時 に農 の あり方 を問 い直 すことを
椿 さんは 1973~75 年
実 践 していた医 者 と日 本 で出 会 い、日 本 の自
ダルエスサラームで、
然 農 法 や有 機 農 法 も知 りました。そして、タン
75~79 年 タンガで協
ザニアのシンプルな農 法 や生 活 様 式 が意 味 の
力 隊 (農 業 省 人 材 育
あることを確 認 した後 、父 の眠 るタンザニアで援
成課栄養改善係栄
助 をする側 としてではなく一 般 住 民 として農 業
養 士 )として活 動 しま
した。協 力 隊 になる
の地 で帰 らぬ人 となりました。大 きな悲 しみを乗
タンザニアのママとして支え
てくれたカウンターパート
前は、北 海道職 員
(生 活 改 善 普 及 員 )として働 いていました。実
家 は農 業 を営 んでいました。椿 さんは、当 時 の
日 本 で行 われていた、農 業 技 術 の発 展 によっ
て農 家 の生 活 は改 善 されたかのように見 えて
実 は経 済 的 な負 担 と健 康 へ害 を与 えるような
農 業 の実 態 を目 の当 たりにして、農 業 のあり
方 への疑 問 を感 じていました。反 面 、農 業 国 タ
ンザニアに派 遣 後 目 にした農 業 は、大 きな農
機 や農 薬 散 布 などもない、とてもシンプルな農
業 でした。
農 業 に 関 し て 大 き なイ ンパ クトを く れた タ ン ザ ニ
の道 で生 きていくことを決 め、タンザニアの人 と
同 じ条 件 で 1981 年 に農 業 省 で働 き始 めました。
農 業 学 校 で教 えることや NGO の活 動 を通 して、
地 元 にある 植 物 を 有 効 に使 って商 品 化 を 目 指
すこと、地 元 の人 の力 を生 かして農 業 を発 展 さ
せることに取 り組 んできました。
現 在 では、子 供 二 人
にも恵 まれ、「タンザニ
ア、ありがとう」という
気 持 ちで一 杯 です。
80 年 代 JOCV ~鵜 澤 幸 二 さん~
「1987 年 から」
アは、椿 さんの心 にも人 間 としてのインパクトをく
私 の 11 年 間 のタンザニアとのかかわりの中 で、最
れました。2度 目 の隊 員 派 遣 直 後 の 1975 年 末 、
も印 象 深 く残 っているのは、今 でも協 力 隊 員 時 代
北 海 道 のお母 さんが亡 くなりました。当 時 の
の経 験 です。1987 年 8 月 に 62 年 度 1 次 隊 、自 動
JOCV では親 の忌 引 きでも休 みは10日 間 、しか
車 整 備 隊 員 と し て 赴 任 し 、 ダ ル エス サ ラ ー ム バ ス
も旅 費 は自 費 とい
公 社 ( Shirika la Usafiri Dar es Salaam / 通 称
う厳 しい条 件 でした。
UDA ウダ)で 3 年 間 活 動
葬 式 にも駆 けつけ
し ま し た 。 UDA は 、 当 時
られない悲 しみの
のダルエスサラーム市 民
中 で、周 囲 のタン
にとって貴 重 な公 共 の交
ザニア人 が与 えて
通 機 関 でした。現 在 は民
くれた慰 め、温 かな
間 小 型 バス(ダラダラ)の
タンガにあるお父さんのお墓
4
JICA タンザニア事務所ニュース「パモジャ」2008 年1月号
台 数 が増 えたために、大 幅 に規 模 は縮 小 されまし
たが、先 日 久 しぶりに訪 れてみると、今 でも隊 員 の
時 に 導 入 し た機 材 が 大 切 に 使 われ、当 時 の 整 備
士 たちがバスの整 備 作 業 を行 っていました。
その後、1993 年から 4 年間 JOCV シニア隊員 とし
(4)次 長 (Jicho)の目 ;
「Corruption」 (牧 野 次 長 )
今 回 は、タンザニアの汚 職 問 題 ?!
の話 題 です。
てセルー・ゲームリザーブで活 動 しました。自 動 車
整 備 隊 員 、土 木 施 工 隊 員 の業 務 を支 援 、および
最 近 タ ン ザ ニ ア で 、 汚 職 問 題 が 取 り ざた さ れ て い
JOCV グ ル ー プ 派 遣 の
ます。電 力 危 機 への緊 急 対 応 で大 型 発 電 機 を
基 礎 調 査 が業 務 でした。
買 ったのはいいがなかなか稼 動 しない。よく調 べ
昼 夜 を問 わず職 場 のま
たら売 った米 国 の会 社 は実 は怪 しい会 社 (本 当
わりに象 がやってくるよう
は 印 刷 会 社 らし い ) で 、そ もそ も政 府 調 達 手 続 き
な大 自 然 の中 で仕 事 が
が不 透 明 ということが判 明 。オーストラリア本 社
できたことは貴 重 な体 験
洗 濯 中 に ゾ ウ が ・・・
の金 発 掘 会 社 と 担 当 大 臣 がロ ンドン で契 約 に 調
でした。
印 、怪 しい。タンザニア中 銀 の外 貨 口 座 が不 正
そして 2002 年 から 4 年 間 、業 務 調 整 員 、および
使 用 の影 あり、などなど。
情 報 普 及 専 門 家 と し て モ ロ ゴ ロ 、 ソコ イ ネ 農 業 大
学 における技 術 協 力 プロジェクトに参 加 し、今 回
は、AICAD(アフリカ人 造 り拠 点 )プロジェクトの計
画 ・ 運 営 の 短 期 専 門 家 として 、 再 びモロゴ ロ に 赴
先 日 行 われた援 助 関 係 の大 きな会 合 (一 般 財 政
支 援 年 次 会 合 )でも、汚 職 問 題 について様 々な
議 論 (要 はドナーからの糾 弾 )がありました。
任 する機 会 に恵 まれました。
本 当 にこの国 は汚 職 にマミレテイルのか?
これまでの 11 年 間 のタンザニアでの技 術 協 力 の
10 年 以 上 前 にケニアに赴 任 していました。その頃
経 験 か ら 学 ん だ こ と は 、 第 一 に 、 HIARI
はまだ子 供 が居 なく(というか殆 ど新 婚 )家 内 との
YASHINDA UTUMWA 「 押 し 付 け る の で は な く 自
二 人 だけの赴 任 でした。着 いて早 々、家 に電 話 が
由 意 志 こ そ が 人 を 動 か す」 。 すなわち、技 術 協 力
無 かったので電 話 会 社 を呼 んで電 話 を配 線 しても
を進 めるためには、先 ず、タンザニア人 の意 思 を
らいました。呼 ぶのは私 がやったのですが、工 事
尊 重 した上 で協 力 の仕 方 を考 えることが重 要 で
の立 会 いは家 内 がやりました。後 で聞 いたところ、
す 。 そ し て 、 ADA
HUNENA
技 術 者 のおっちゃんが来 て 15 分 ほど何 やらやっ
MUUNGWANA NI KITENDO 「言 葉 より行 動 が語
ていたら、矢 庭 に、家 内 に「お茶 (チャイ)をくれ」。
る 」 。 タ ン ザ ニ ア で は 、 「 有 言 実 行 」 、 すな わ ち 、 説
まだ若 かった家 内 は、「まだ朝 だから茶 が飲 みた
明 するだけではなく、自 らが行 動 し実 際 に見 せる
いのか、気 が利 かなかった」と思 い、いそいそと台
という協 力 のあり方 が大 切 だと思 います。
所 でお茶 を沸 かして持 っていたといいます。さて茶
私 の国 際 協 力 活 動
を持 っていくと、おっちゃんいわく「そうじゃない」、
の出 発 点 となった青
家 内 「そうだわ、ミルクを入 れるのを忘 れていた(ケ
年 海 外 協 力 隊 と
ニアでは殆 どロイヤルミルクティーが基 本 )」。ミル
UDA が こ れ か ら も 発
クを入 れて家 内 が持 っていくと、お茶 を憤 然 として
展 することを願 ってい
飲 むおやじ。それから 1 時 間 ほどして電 話 設 置 工
ます。
YA
MJA
村の女性たちへのトレ
ー ニ ン グ ( AICAD)
事 が終 わりました。そうです、アフリカ通 ならわかる
でしょ。「チャイ」とは賂 (まいない。小 金 )をくれとい
5
JICA タンザニア事務所ニュース「パモジャ」2008 年1月号
う隠 語 です。別 の時 にはバナナ警 官 に会 いました。
く と 、 昔 か ら 汚 職 問 題 な ど多 か れ 少 な か れ あ っ た
車 で走 っていると警 官 に呼 び止 められて、「スピー
といいます。つまり前 は臭 いものに蓋 をするとい う
ド違 反 だ」。「そんなはずはない、だったら証 拠 を見
文 化 だったのが、最 近 では透 明 性 が上 がって表
せろ」と自 分 。するとバナナの木 陰 から警 官 が出
に出 てきたともいえそうです。
現 し(隠 れていた)、手 を見 ると何 とスピードガンを
持 っているではありませんか。しかも日 本 の援 助
のマーク。結 果 、わずか3キロオーバーだったので
目 こぼしとなりました。が、要 は小 遣 いかせぎでわ
ざとスピードを出 しやすくなる場 所 (でもサバンナで
すぜ)で待 ち伏 せ、後 日 裁 判 所 に出 頭 せよと脅 し、
面 倒 くさいドライバーは、その場 で何 がしかの金 を
警 官 に握 らせるとききました。
警察長官
先 日 、大 統 領 が怒 りました。ある村 に大 統 領 が行
ったら、水 開 発 プロジェクト反 対 というプラカードを
持 った村 人 達 がいたのです。大 統 領 は「そのよう
なことをするのは勝 手 だ、だったら君 達 はその水 を
使 わなければいい!」と不 快 感 をあらわに。私 の
友 人 達 は、この記 事 を見 てびっくり。数 年 前 までだ
ったら信 じられないこと、大 統
領 や 政 府 に 正 面 か らク レ ーム
タンザニアに約 1 年 半 ほど住
をつけるとは時 代 は変 わった、
んでの感 覚 は、「タンザニア
とショックを隠 せない有 様 でし
はそんなことない」。夜 、公 道
た。実 は最 近 は大 統 領 そして
に車 を駐 車 した際 、警 備 員
首 相 の訪 問 先 で、このようなこ
が近 寄 ってきた場 合 、ナイロ
とに出 くわすことが出 てきたそ
ビでは「金 くれ」、ダルエスサ
うです(一 件 だけではない)。
ラームでは「こんばんは」。着 任 直 後 にはわからず
身 構 えたものです。こちらで電 話 もつけましたが、
チャイ事 件 は起 こりませんでした(あるいは家 内
が 、 歴 戦 の 勇 士 に な っ た の か ・ ・ ・ ) 。
水 プロジェクト竣 工 式
で のキ ク エ テ 大 統 領
何 の評 価 をするにもバランスが必 要 です。タンザニ
アの移 り変 わり、そしてアフリカの移 り変 わり、広 い
視 点 をもって物 事 を見 て行 きたいものですね。
以上
Transparency International という各 国 の汚 職 問
題 などを調 査 し、ランクを公 表 している世 界 的 に
`Jicho’は ス ワ ヒ リ 語 で ’目 ’を 意 味 し ま す 。
とても有 名 な NGO(シンクタンク)があります。その
汚 職 ラン キングに よれ ば、周 辺 国 に比 べてタ ンザ
ニアははるかにクリーン。順 位 は上 に行 くに従 っ
(5)カリブ・クワヘリ
~ようこそタンザニアへ!
てクリーンとなりますが、タンザニア 94 位 、ウガン
お元 気 で!さよなら~
ダ 111 位 、ケニアはなんと 150 位 (あのジンバブエ
も 150 位 です)。ちなみに 1 位 にランクされ、もっと
もクリーンとされた国 はデンマーク、で我 が日 本 は
17 位 (うーむ)。
タンザニアでも、経 済 成 長 のため経 済 至 上 主 義
がはびこって本 当 に汚 職 が増 大 傾 向 にあるかも
しれません。でも最 近 マスコミなどで汚 職 問 題 が
取 りざたされる理 由 の一 つには、やはり、一 定 の
【カリブ】
・ 櫻 井 晶 さん (経 理 支 援 要 員 )
・ 協 力 隊 19-3 4 名 (1 月 9 日 )
【クワヘリ】
・ 五 十 嵐 和 代 さん(企 画 調 査 員 )
・ 仲 里 麻 也 子 さん
(短 期 :保 健 省 2 ヵ月 半 )
民 主 主 義 の深 化 、マスコミの自 由 化 などが挙 げ
られるのでしょう。年 配 のタンザニアの友 人 達 にき
6
JICA タンザニア事務所ニュース「パモジャ」2008 年1月号
~!!ようこそ!!~
経 理 担 当 で 1 月 21 日 赴 任 予 定 の 櫻 井
さんです。
みなさんこんにちは。経 理 支 援 要 員 として派 遣 さ
れます、櫻 井 晶 (サクライアキラ)と申 します。
字 のイメージから?たまに女 性 に間 違 われますが
男 性 ですので念 のため。
12月にキャンペーンをしているトナカイ青年。
(なぜかスコットランド風にキルト?!)
私 は隣 国 ウガンダの JOCV の OB(13-3 コンピュ
すごく楽しそうに、
ータ 技 術 ) で 、 帰 国 後 は ( 社 ) 青 年 海 外 協 力 協 会
「いろんなスーパーを
で主 に募 集 要 項 の 作 成 や「青 年 海 外 協 力 隊 メ ー
ルマガジン」の編 集 等 を行 っていました。
経 理 という重 要 な仕 事 に携 わるので少 々緊 張 気
味 ?でもいろいろなことを吸 収 したいと思 います。
どうぞよろしくお願 いします。
回ってるんだよ!」
と教えてくれました。
最後に聞かれたのは
「トナカイの肉を
日本では食べるのか?」
でした。。
うーーん、やっぱり肉ネタ?!
~!!お元 気 で!!~
(竹 下 協 力 隊 調 整 員 )
3年間教育担当企画調査員として活躍した
五 十 嵐 さ ん が 12 月 21 日 離 任 し ま し た 。
2004 年 末 から教 育 セクターの開 発 状 況 を追 って
きました。ドナーの顔 ぶれも、事 務 所 の面 々も、そ
して、援 助 の取 り組 みも、この 3 年 間 ですっかり様
変 わりしました。援 助 効 果 を高 めるための枠 組 み
作 りに躍 起 になっているドナーを尻 目 に、タンザニ
ア人 は、ゆ っくりと、で すが、 実 は 着 実 に 前 進 し て
きたのではないかと、今 更 ながらタンザニア人 の
底 力 に恐 れ 入 っています。あらゆる面 において反
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
省 ばかりの 3 年 間 でしたが、なんとか無 事 任 期 を
パモジャ(Pamoja)とはスワヒリ語で「一緒に(together)」
終 了 できたのも、歴 代 の所 長 、次 長 、担 当 所 員 、
という意味です。皆様からのご意見や写真、Goodな情報
そして事 務 所 の皆 さんの温 かい励 ましがあったか
の提供をぜひお願いいたします!!
ら こそだ と 心 から感 謝 し て おり ま す。 またい つか ど
[email protected]
こかで皆 さんとお会 いできることを今 か ら楽 しみし
JICA ホームページ上でパモジャが見れます!!!
ています。
http://www.jica.go.jp/tanzania/newsletter/
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
7
Fly UP