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S.Freud により提唱されたリビドー概念変遷の探究:S
大阪府立大学人間社会学部人間科学科森岡研究室レポート
2011年度
S.Freud により提唱されたリビドー概念変遷の探究
S.Freud 存命時のウィーン社会に焦点を当てて
鮎本一貴
はじめに
オーストリアの精神分析医で精神分析の創始者とされる S.Freud は自身が治療にあたった症
例を基にリビドーなる概念を提唱した。リビドーとは「性の欲動は対象との関連(リビドー備給
の移動)、目標との関連(たとえば昇華)、性的興奮の源泉との関連(性感帯の多様性)においてさ
まざまに変容してあらわれるが、その根底にあるものとしてのエネルギーをいう(1)。」
S.Freud の理論は主に前期・中期・後期の三期に分類され、その理論は時期によって異なると
される。先ず S.Freud 理論の前期に相当するとされる 1894 年の「「不安神経症」として分離する
ことの妥当性について」に於いて充当されなかった性的エネルギーは不安に変わると述べている。
ここでの充当されなかった性的エネルギーとは性的興奮が発散されないと不安になるというこ
とである。ここで肝要なことは S.Freud は性的エネルギーを生理的にのみ捉えている点である。
また、1895 年の「心理学草案」に於いては不快がリビドーの抑圧に繋がることが記されている。
第二に S.Freud 理論の中期に相当するとされる 1909 年の「ハンス」、1910 年代の「欲動」、「無意
識」に於いては充当されなかったリビドーが不安に変化することを述べているが、ここでの性的
エネルギー(リビドー)を心理的側面から述べている箇所が初期の理論とは異なるものである。そ
して第三に S.Freud 理論の後期に相当するとされる 1926 年の「症状、不安、制止」に於いて充当
されなかったリビドーが不安に変わるとした自身のそれまでの理論は誤りであることを言及し
ている。また、ここで 1895 年の「心理学草案」に於いて述べられた不快はリビドーの抑圧に繋が
ることを再び採用するような形で、抑圧の原動力についても詳述している。
上記に挙げた S.Freud 著作に焦点を当てながらリビドー概念の変遷について触れ、何故彼は自
身の理論の誤りを認め、新たな理論構築を行ったかについて S.Freud の社会的背景を参考に推察
していく。本論文の展開としては 1.S.Freud 理論前期に於けるリビドーと不安の関係性、2.
S.Freud 理論中期に於けるリビドーと不安の関係性、3.S.Freud 理論後期に於けるリビドーと不
安の関係性について述べ、4.ではオーストリア・ウィーンの社会背景から性の受け入れについ
て述べ、最終の 5.に於いて S.Freud より提唱されたリビドー概念変遷意について前述を踏まえ
て究明する。
1.S.Freud 理論前期に於けるリビドーと不安の関係性
充当されなかった性的エネルギー、即ちリビドーは不安に変わることが 1894 年の「「不安神経
症」として分離することの妥当性について」で述べられている。以下にどのような場合について
1
それがいえるのかについて不安神経症(2)が出現する病因的理由に焦点を当て、述べる。
第一に「処女不安あるいは思春期不安として。数多くの他に解釈の余地がない明らかな観察か
ら私が分ったのは、大人になりかけている少女が性的な問題と最初に出会う場合、それまで覆い
隠されていた事柄がいくぶんなりとも突然にその覆いを外されることで、不安神経症が引き起こ
される場合があるということである。具体的には、性的行為を直接目にすることもあれば、人伝
えに聞いたり、何かの記事を読んだりすることもあろう。この種の不安神経症はほとんどの場合、
典型的な仕方でヒステリー(3)を合併している(4)。」このことから、性的な知識がそれまでなか
ったと思われる少女が何らかの理由によって性的な問題に直面した際に、性的な欲動、即ちリビ
ドーは処女不安あるいは思春期不安へと転換され、不安神経症を引き起こすことがわかる。第二
に「新婚不安として。最初の性交において不感症であった若年女性が、不安神経症になることは
稀ではない。しかし、正常な感受性が不感症に取って代わると、この不安神経症は消失する(4)。」
不感症とは女性が性交の際に快感を催さない病症のことである。つまり、結婚して最初の性交に
於いて女性がオルガズム(性的絶頂)に達しないにしても、快感を得ない場合にはそのリビドーが
新婚不安として不安神経症を引き起こすことがある。しかし、男性側の問題の解消などによって
女性が快感を得た場合には、発症した不安神経症が消失する、と解釈できる。第三に「早漏であ
ったり、性的能力が非常に減退している夫をもつ女性の不安として(4)。」このことはしばしば第
二に挙げた事柄と関連すると思われる。即ち、女性の有しているリビドー、性的欲動が自身をオ
ルガズムに達せさせる能力に乏しいと思われる夫をもっている際に不安に転換され、不安神経症
を引き起こすと考えられる。第四に「夫が体外射精や延引性交を行う場合(4)。」体外射精とは男
性がオルガズムに達する寸前に膣外に射精することである。これら四つの事柄からわかることは、
女性のリビドーが不安に転換される、即ち不安神経症を引き起こす決定打は性交渉に於いて女性
が興奮を覚えるか否かであると考えられる。現に S.Freud はこうも述べている。「早漏癖のある
夫であっても、早漏後すぐにより上手に性交をやり直すことができれば、女性は神経症にならず
にすむのである。コンドームを用いて延引性交を行う場合でも、女性が速やかに興奮し、夫が性
的能力に満ちているのならば、女性に対する有害性はない。しかしそうでない場合には、この種
の避妊をした上での性交は、体外射精などと問題性において大差はない。体外射精はほとんど常
に有害である。しかし女性にとってそれが有害性を持つのは、夫が性交を思いやりを欠いた形で
中断した場合、すなわち、自分の射精が近いとみるや、妻が最後まで興奮したかどうかを顧みず
に性交を中断した場合のみなのである。反対に、妻の側が満足するまで夫が待っていた場合には、
妻にとってはその性交は正常な性交を意味することになる。ところがそうなると今度は夫が不安
神経症に罹患するのである(5)。」このことから、リビドーが不安に転換される一つの手段として、
男性が性的能力を確かに有し、女性に対し愛のある性交を行い、且つ両者が共にオルガズムに達
することが考えられるのではないだろうか。尚、これからも述べていくのであるが、これまで述
べた不安とは対象の殆ど確定していると思われる不快とは異なり、かなりの程度の抽象度を帯び
漠然としたものであるが、その不安の原因を限定することによりその抽象度については緩和さし
たものとしている。
2
S.Freud は同論文で以下のようにも述べている。「自らの意思による禁欲者の不安は、しばし
ば防衛の症状(強迫表象、ヒステリー)と結びついている。自らの意思による禁欲にとっては動機
が決定的に重要であることから、多数の遺伝的素因者や変人などがこのカテゴリーに数え上げら
れることになる(6)。」性的欲動、即ちリビドーを行使しないことによってそれが不安へと転換さ
れ、不安神経症へと導かせることとなり得ると思われる。「(新婚期間中であるため)性的興奮を
最後まで充たせないまま終わった男性、あるいは、(性交渉の結果に対する恐れから)女性を触る
だけあるいは見るだけで我慢しているだけの男性の不安。この決定因子のグル-プ――婚約中で
あるとか、性交が回避されている関係であるとか――は、神経症の最も純粋例を供するものであ
るが、ちなみに女性の場合にもそのまま当てはまる(7)。」このことから、フェティシズム(たと
えば、女性の脚を見ているだけで性的快感を得ることのできる人物)は不安神経症に陥ることは
少ないと思われるが、その相手が妻である場合、妻は、妻のリビドーは不安へと転換され、不安
神経症を引き起こすこととなる。「体外射精をする男性の不安。すでに触れたように、体外射精
は、女性の性的満足に配慮なしで行われた場合には、女性にとって有害である。しかし、女性の
満足を得るために、性交を意図的に誘導して、射精が先延ばしにされると、体外射精は男性にと
って有害事象となる。こう考えると、体外射精を日常的に行っている夫婦において、片方だけが
通常は罹患するのが理解できることになる。男性においては、体外射精は通常は極めて稀にしか
純粋な不安神経症を生じることはなく、大抵は、神経衰弱との混合を生じる(7)。
」このことから
夫婦である人たちにとって、少なくともどちらかは不安神経症になる可能性を有していることが
わかる。しかし、後の S.Freud(1915-17)は「不安神経症になった者には確かに満足されなかっ
たリビドーが存在するが、満足されなかったリビドーを有している人物が必ずしも不安神経症に
なるという定式は存在しない」としている。「老年期にある男性の不安。女性と同様に更年期を
示す男性が存在し、こうした男性は、性的能力が減退しながらリビドーが亢進する時期に不安神
経症を生じるのである(7)。
」一般に男性女性両性ともに年齢を重ねるに従って、性欲は減退して
いくものと思われるが、一時的にリビドーが亢進する時期が存在するとされる。その際に自己の
性的能力の無力さという不安あるいは性的能力の無さによる性的満足を得られない、与えられな
いという不安が生じ、不安神経症に陥るのである。「マスターベーションの結果、神経衰弱にな
った人は、マスターベーションによって性欲を満足させることをやめるや否や、不安神経症に陥
る。こうした人びとは自ら禁欲に耐えるのをことさらに難しくしている(7)。」手淫に関わらず自
慰によって自らのリビドーを満たしていたが、その行為によって神経衰弱になり、自慰を辞する
と不安神経症になると思われる。
以上に述べてきた事柄の妥当性を示す S.Freud のことばを挙げる。「全ての症例において不安
神経症は、性的リビドー、心的快の極めて明確な減退を伴って生じているということである(8)。」
また、S.Freud は 1894 年の「「不安神経症」として分離することの妥当性について」を書きあ
げた二、三年後に作成されたその論文要約に「リビドーというのは基本的に無意識的なものであ
るという考え方を認め、「神経症的不安は、性的リビドーのなれの果てである」という言葉を書
き付けている(9)。
」
3
次に 1895 年の「心理学草案」から不快がリビドーの抑圧(10)に繋がることについて述べる。
「心理学草案」では専ら生理学的にその殆どが述べられており、ニューロン理論や慣性原理とい
った難解な事柄がしばしば使用されている。そもそもこの「心理学草案」の英訳者であるストレイ
チやジョーンズも問題をそのままにしている箇所もあるので、筆者自身も理解不可能な部分も有
ったが本論文に於いては簡潔にリビドーと不快についての関係事項のみを摘出し、述べる。
「心理学草案」第一部の総論的構想で「あらゆる性的経験は、その個体が性的感覚を知らない
限り、一般的には性的成熟が始まるまでは、効果を発揮しないのである(11)。」と記されている
ことを踏まえて、不快はリビドーの抑圧に転換されることをエマの症例に沿って述べる。
「エマは現在、一人では店に行けないという強迫のもとにある。この強迫の根拠として十二歳
(性的成熟期に入ってすぐ)だった頃の想い出。彼女は何かを買いに店に行き、二人の店員が笑い
合うのを見て、何らかの驚愕の情動に襲われて店から走り去った。店員の一人は想い出すことが
出来る。このことに関して呼び起こされた考えは、二人は彼女の服装を笑ったのだということ、
店員の一人が性的に彼女の気に入ったというものである(12)。」
「八歳の頃に彼女は二度、ある食料店主の店にお菓子を買いに一人で行ったことがある。その
ときに普段は廉直な店主が衣服の上から彼女の性器をつまんだ。最初の経験にもかかわらず、彼
女は二度目も出向いた。二度目の後彼女はその店に姿を見せなかった。ここまで話して彼女は、
あたかも襲われるのを挑発したかったように二度目に出向いたことで自分を責めた。実際、「の
しかかる良心の咎め」の状態はこの体験に帰せられるべきものである(13)。」
「彼女自身、結び付けは笑いによって与えられると述べている。店員の笑いは彼女に、食料店
主が自分を襲ったときに浮かべていたほくそ笑みを想い出させたのだと(13)。」
「想起は八歳当時には確かに出来なかったこと、つまり性的迸出を喚起し、これが不安に転換
された(13)。
」これらのことから、性的成熟に達しているか否かが不快やリビドーの抑圧に大き
な役割を果たしていることがわかる。ただここで重要なのはエマが笑う店員に対して性的に好意
を抱くという通常では殆ど考えられないような状況であったので極端な事例であるとも解釈で
きる。いずれにせよエマは性的に店員を気に入るという性的迸出、即ちリビドーの迸出をし、そ
れが店には行きたくないという不安を引き起こし、そのことはまたリビドーの抑圧ともいえる。
「「神経症性不安は、変換された性的リビドーである。」という有名な定式化をしている。当時
の Freud はこのように、一、性的興奮が不安に変換されるという不安神経症からの考えと、二、
性的興奮は何らかの機制で不快に逆転され、それが抑圧を発動するという精神神経症の抑圧の規
制を巡る考え、以上の二つを平行して抱いていたようである(14)。」更に、
「なお「身体的リビド
ー」ではなく、
「心的なリビドー」の不安への変換というフロイト中期を代表する見解には症例「ハ
ンス」での観察が寄与しており、論文「抑圧」
、「無意識」での情動の理論に結実する(14)
。」
以下に挙げることからもエマの理解し難い情動について説明される。
「性的迸出もまた意識に至ったことは、笑った店員が彼女の気に入った通常では理解しがたい
考えによって示されている。襲われる危険のために一人では店に留まらないという推論帰結は、
連合過程のあらゆる部分を考慮して全く正しく形成されたものである。しかし、過程からは「衣
4
服」の部分以外には何も意識には到達せず、意識を伴って作業している思考は、手持ちの材料(店
員、笑い、衣服、性的感覚)から二つの誤った結合を形成している。衣服のために笑われたのだ
ということと、一方の店員が性的な好意を引き起こしたということである(15)。
」つまり、「何
かある表象が抑圧されるには、苦痛であると同時に性的でもあるということが必要(16)」として
いることから、単に不快がリビドーの抑圧に繋がるのではなく、そこには性的な事柄も必要であ
ることがわかる。
「「心理学草案」の二冊のノートをフリースに送った一八九五年十月八日付の書簡でフロイトは、
未送の第三のノートが扱っている「抑圧」の機制の説明が不十分であることを述べている。これに
連関していると思われるのが、本来快であるはずの性的充足が抑圧されるためには不快の迸出が
必要であり、これがどのような機制で発生するのかが謎というフロイトの言葉である(17)。」の
ように未だ問題のままのものかあるので、少なくとも、リビドーが満たされること、性的充足の
抑圧のための不快の迸出の発生プロセスについては不明である。
2.S.Freud 理論中期に於けるリビドーと不安の関係性
1909 年の「ハンス」、1910 年代の「欲動」、「無意識」に於いては充当されなかったリビドーが不
安に変化することを述べているが、ここでの性的エネルギー(リビドー)を心理的側面から述べて
いる箇所が初期の理論とは異なるものである、とはじめに述べた。ここでは以下、「ハンス」に焦
点を当てながらリビドーと不安の関係について述べる。
ハンスは「三歳半のときにペニスに手をやっているのを母親に見つかっている。母親は次のよ
うに脅した。
「そんなことをしていると、A 先生に来てもらっておちんちんをちょん切ってもら
いますよ。そいたらどうやっておしっこするの?」ハンス「おしりで」。ハンスは未だ罪の意識な
しに答えているが、これをきっかけに「去勢コンプレックス(18)」を獲得している(19)。」去勢
コンプレックスもまた不安であるといえるので、ここの描写から性的エネルギー、即ちリビドー
が不安へと心理的に転換されたことが読み取れる。また、ハンスのここでの去勢コンプレックス
の獲得は発達の上で至極重要性を帯びていると思われる。
「通りで馬が自分に噛みつくんじゃないかという恐れは、彼が大きなペニスに驚愕したことと
どこか関連しているように思われます。以前に書き留めたものからご存知のように、彼は早くに
馬の大きなペニスに気づいており、また当時、ママはこんなに大きいのだから馬のようなおちん
ちんを持っているはずだと推論を下していました(20)。」ハンスは初めて馬のペニスを見てその
大きさに驚いた。ハンスは大人は男女ともに馬のような大きなペニスを持っているんだと思い込
んでおり、通りで馬が自分に噛みつくのではとする彼の不安はペニスに対するリビドーが不安へ
と変換されたと思われる。このことは以前のエマの事例で述べた類似性を今回は伴っているので
はないだろうか。つまり、大人は皆巨大な男性器を有しているという通常では考えられない事柄
がハンスには当たり前のように感じとられており、それ故にその性的リビドーが不安へと転換し
たのであると。
「ハンス(四歳九カ月)が朝、泣きながら起きてきて、どうして泣くのとママに聞かれると、
「ぼ
5
く、眠っていたときに、ママがどこかに行ってママに甘えられなくなる(=愛撫する)って思った
の」と答えました。つまり不安夢です(21)。」このことは以下のことから説明されている。
「母親に対するこの高まった情愛こそ、不安へと転換したものであり、我々の言葉では抑圧に
服したわけである。抑圧された性的な憧憬に対応するこの不安は、子供の不安がどれでもそうで
あるように、当初対象を欠いており、まだ不安であって恐れではない(22)。」後半の「不安であっ
て恐れではない」というものは対象が未だ不明確であるとすることからも理解できる。
「不安は抑圧された憧憬に対応しているが、しかし不安は同形と同一のものではない。(中略)
憧憬は、切望された対象を与えてやれば、完全に満足に転換される。不安の場合にはこの治療は
もはや役に立たず、憧憬であれば、満足されうる場合でも不安は残り、もはや完全にリビドーへ
と再転換されることはない。リビドーは何らかのものによって抑圧のうちに留められている
(23)。」ここでの場合、ハンスのリビドーは母親への自身の癒されることのない憧憬のことを指
している。このことにより、ハンスのリビドーはある程度ましではある不安へと転換されていた
のである。
「ハンスは現在四歳九カ月の一年前からマスターベーションを毎日していたと想定される
(24)。」
「不安の状態はマスターベーションによって、一般的に言えば満足によって引き起こされ
ることはない(24)。」
「少年の病前史によれば、彼のリビドーがママのおちんちんを見たいという
欲望に固定していると想定される(24)。」このことは以前に述べた自慰の禁欲からも容易に想定
が可能であろう。
「いったん不安状態が生み出されたとすれば、不安はあらゆる他の感覚を食い尽してしまう。
抑圧が進み、情動を担うかつて意識されていた表象が無意識へと退くにつれ、あらゆる情動は不
安へと転化しうるのである(25)。」不安へと転換された本来のリビドーは他の情動をも不安へと
転換させうるとする考えを S.Freud はここでは採っていると思われる。
「いかなる影響によってリビドーを帯びた憧憬が不安へと転化し、変容するということがハン
スに生じたのか、そのどの時点で抑圧が始まったのか、このことを言うのは難しく、幾つもの似
た分析治療との比較によってのみ決定されうるだろう。これを左右したのが、子どもを作るとい
う困難な問題を解き、その解決へと近づくことで迸出される攻撃的な衝動を利用するにはこの子
供の知的な能力が十分でなかったことなのか、それとも身体的な能力不足、習慣的に為されたマ
スターベーションによる満足に対する体質的な低さだったのか、或いは単に性的興奮がこのよう
に強い強度で持続したことでリビドーが不安へと転換するに至ったのか、更なる経験が助けてく
れるまで未解決のままおいておきたい(26)。」このことから、S.Freud はこの時点では確かな、
つまり論理的に説明することは困難に感じていたようである。もっとも、後期の理論に於いて彼
はかつて抱いていた考えが誤りだとする記述をしているのであるが、その点については 3.で述
べることとする。
「一八九〇年代、フロイトは神経症の患者から性生活の様子を聞きだすことで、神経衰弱に自
慰や夢精、不安神経症に禁欲や中絶性交などが規則的に見出せると考えた。ここから「不安神経
症」を神経症の独立した単位として取り出し、そこに見られる不安という情動やその等価物は、
6
性的興奮が心的欲動(リビドー)に転換されて性的行為を通じて処理されることなく、生物学的興
奮のまま大脳皮質に到達したものと見なした。こうして「神経症的不安とは転化した性的リビド
ーである」という、一八九五年に示され、一九二〇年代まで維持されるテーゼに至る。こうした
臨床的経験の背景にはしかし、同時期の「心理学草案」に集約された、心的緊張の増大が不快を、
低減が快を生むとするエネルギー論がある(27)。」
「本来の抑圧によるリビドーの不安への転換と
連動して抑圧を被ったものは、かつて快の源泉であった自慰や排泄に関係する幼児的な性活動で
ある(28)。」これらのことから、ハンスのリビドーが不安へと転換された理由については説明さ
れる。
3.S.Freud 理論後期に於けるリビドーと不安の関係性について
上述したように、S.Freud 理論の後期に相当するとされる 1926 年の「症状、不安、制止」に於
いて充当されなかったリビドーが不安に変わるとした自身のそれまでの理論は誤りであること
を言及している。また、ここで 1895 年の「心理学草案」に於いて述べられた不快はリビドーの抑
圧に繋がることを再び採用するような形で、抑圧の原動力についても詳述しているのであるが、
そのことについて以下、「症状、不安、制止」に焦点を当て、述べる。
「自我(29)が不安の本来の座であるという考えを堅持しつつ、抑圧された蠢きの備給エネルギ
ーが自動的に不安へと転化するという旧来の考え方を退けるのは正当なことである。私がかつて
一度そのような見解を述べた折には、私はこの問題を現象学的に記述したのであり、メタサイコ
ロジー(30)的に描き出したのではなかった(31)。」
「不安こそが抑圧を作り出すのであり、私がか
つて考えたように抑圧が不安を作り出す、のではない(32)。」
「私は、自分がリビドーから不安へ
の直接的置き換えという、メタサイコロジー的過程を認めたと想定したのである。従って、今日
の私はもはやこの立場にとどまり続けることはできない。私は当時でさえ、そのような転換がど
のように行われるかを説明できなかったのである。(中略)私は、中絶性交、不満に終わる興奮、
強いられた禁欲など、特定の性的実践によって不安の発作性出現と一般的な不安準備性がもたら
されることを見出した。すなわち、性的興奮がその満足への経過において制止され、押しとどめ
られ、あるいは方向を変えられたりするときには、いつもこれらの現象が生じるのである。性的
興奮はリビドー的欲動の蠢きの表現なので、リビドーがそのような妨害の作用を受けて不安へと
転化するのだと推測するのは、さして大胆なことには思われなかった(33)。」これらのことから
S.Freud は以前に採っていた考えを誤りだとはっきりと認めていることがわかる。また、一度は
「心理学草案」に於いて採っていた不快はリビドーの抑圧に繋がることを再び採用する体になっ
ていることも読み取れられる。
以上より、S.Freud により提唱されたリビドー概念の変遷については述べた。
4.Sigmund.Freud の思想を支えた社会的背景~オーストリア・ウィーンに焦点を当てて~
それまで人間が深く立ち入ることのなかった無意識という領域に自ら足を踏み入れ、精神分析
の創始者となった S.Freud はどのような社会的背景のもとに育ってきたのであろうか。
彼は 1856
7
年にモラヴィアのフライベルクに生を受け、1939 年に亡命先のロンドンにてその生涯を終えて
いる。S.Freud はその生涯の殆どをオーストリア・ウィーンにて過ごしたのである。本論文で狙
うところは何故 S.Freud は自身のリビドー理論の訂正を行ったのかについてであるので、その点
を浮き彫りにするためだけの材料について以下に述べていく。
1886 年に内科学会に提出した男性ヒステリーの論文。学会での S.Freud の執筆した論文につ
いて他の学者や研究者たちは殊更に冷たい態度であったという。そもそもこの時代にヒステリー
に対する解釈が現在ほど浸透していなかったのも明らかではあるが、これを機にウィーン医学会
とは殆どの生涯を通して確執的なものになっていくのである。「心理学草案」を執筆するまでの
S.Freud はシャルコーという内科医に非常に魅せられていたこと、また、自らの名をどのように
して売るかについて常に考えていたと思われる。1889 年頃には S.Freud は患者不足に苦悩して
いた。しかし幸運だったのが、親友であるブロイアー、彼はウィーンに最も富裕な患者層を持つ
医者の中の一人であり、S.Freud に患者を回してくれたのである。ここから S.Freud は自身の努
力によって社会的地位を高めていくのである。一九一四年に勃発した第一次世界大戦後、S.Freud
の患者は激減したとされる。このことが S.Freud が様々な研究者を弾劾したことにより、反感を
買っていたことと関連があるかは不明である。しかし、皮肉と捉えても問題はないであろうが、
戦争によって戦争神経症について人々が関心を寄せ始め、そのことは必然的に精神分析への関心
の復活ともいえることであった。このことから、それまで性的な事柄を重要視する精神分析に対
して嫌悪感とまでは言うまでも、受け入れようとしなかったウィーンの人々は戦争を機に性的な
事柄を受け入れる、即ち精神分析を受け入れるという体を採るようになったのである。このこと
は筆者としては戦争による負の遺産というよりもむしろ、もっと何か喜ぶべきことなのではと感
じられた。そのようなことも束の間、オーストリアは第一次世界大戦に敗れるや否や、オースト
リア・ハンガリー複式君主国は解体され、ウィーンには経済破滅及び飢餓の時代が到来したので
ある。S.Freud はその翌年に相当する 1920 年に漸く教授へと職級を伸ばした。そのこともあり、
彼はヴァーグナ・ヤウレック裁判に関係することとなり、国際的連携を取り戻し、更なる社会的
地位を得たのである。それにより、S.Freud のもとには彼のこれまでの業績や人々の間に蔓延る
噂を手掛かりに海外からの患者も多く訪れるようになった。本論文でも紹介した「症状、不安、
制止」が発表された 1926 年には精神分析はもはや英国で大衆的なものであり、アメリカ合衆国で
はそれ以上の熱気を帯びていたといわれていることから、オーストリア・ウィーンでは途轍もな
い精神分析の風が吹いていたのではないだろうか。
5.S.Freud より提唱されたリビドー概念変遷意について
4.で述べたとおり、S.Freud はウィーン社会の風に揉まれながら自身の研究を進めていった
ことに疑いの余地はないと思われる。決定的に理論を翻した 1926 年の「症状、不安、制止」の執
筆開始の時期と思われる頃には既にこれまでと違い、精神分析は、S.Freud は社会的に認められ
ていた人物であったから、より、自身の理論を翻した理由について筆者を悩ませる。だがここで
確かに言えることは、殆どの研究者は自身の一度構築した理論が論破されたり、自身でその理論
8
の大幅な修正を嫌うものと考えられる。S.Freud がリビドー概念の変遷を行ったことは偉大であ
り、心理学界にも医学界にも多大なる影響を及ぼしていることは間違いないだろう。当時のウィ
ーン社会が精神分析が個人の性生活に重きを置くことについて受け入れの姿勢を見せていたこ
とは間違いない。ただ、そのことが理論の変更に直接的に関わっているのであろうか。S.Freud
自身、自己分析を行っていたのであるが、「症状、不安、制止」が発表された 1926 年より遡るこ
と 3 年。1923 年に彼は死に至るまで闘うことになる癌を口蓋と上顎に患った。筆者はこのこと
が社会的背景もさることながら、自身の嘗ての理論の誤りを認めた主たる要因の一つであると考
える。S.Freud 自身医者であったわけだが、死に直面することによって何か少しでも彼の眼が捉
える景色が変わったのではないだろうか。もしかすると、社会的に性的な事柄がいぜんとして受
け入れられなかったにしても、彼は理論の誤りを認めていたのかもしれない。しかし、筆者はウ
ィーンという S.Freud の人生の一部が、精神分析を歓迎したウィーンが、彼に新たな発見、即ち
嘗ての理論の誤りを認めるとともに新たな理論の発表に拍車をかけたのであると睨んでいる。結
果として S.Freud は理論の誤りを認めたことについて社会から咎められるどころか、今日に至る
まで世界中にその名が知られている。偉大な医者として。そして偉大な心理学者として。
一般的に研究者などが自身の理論の誤りを認めるのは以下に挙げる二点が想定される。一点目
は自身の考え、物事を捉える見方が大きく変わった際、即ち当該人物の内面変化によるもの。二
点目に当該人物の背景、即ち社会的背景によるもの。この二点が考えられる。S.Freud の場合、
癌を患ったことによるもの、ウィーン社会の精神分析の受け入れによるもの、この二点が輻輳的
にではなく、相互作用的に彼に作用して、1926 年の「症状、不安、制止」に於ける嘗ての理論の
誤りの記述を行ったと筆者は結論付ける。
さいごに
本論文を作成するにあたって、2011 年度前期の人間学演習 1 の担当教員である森岡正博先生
をはじめ、当該講義の受講生の皆様、『フロイト全集』に於いて翻訳を担当されている本学の教
授である総田純次先生には貴重なご意見、ご感想をいただくとともに、非常に適切な指導を行っ
てくれたことに深く感謝の意をここに記します。本論文は上記の方々の協力なしには決して結実
しないものでした。
編注
(1)Jean Laplanche et J.-B.Pontalis(1976):『VOGABULAIRE DE LA PSYCHANALYSE』 Presses
Universitaires de France, Paris, 1967 1976: 村上仁監訳(1996):『精神分析用語辞典』みす
ず書房 p485 引用
(2)S.Freud によると 2 つの観点から分離し、区別した病型。1.病状論的観点からいえば、不安
が特に顕著であるという点で神経衰弱から区別される(慢性的不安に満ちた期待、不安発作、あ
るいは身体代理症)、2.病因論的観点からいえば、ヒステリーと区別される。つまり不安神経症
は現実神経症であって、何らの心的媒介過程を経ることなく、直接に症状に変換される性的興奮
9
の蓄積がその特性である。
Jean Laplanche et J.-B.Pontalis(1976): 『 VOGABULAIRE DE LA PSYCHANALYSE 』 Presses
Universitaires de France, Paris, 1967 1976: 村上仁監訳(1996):『精神分析用語辞典』みす
ず書房 p407 引用
(3)きわめて多彩な臨床像を呈する神経症の一つ。二つの型の症状がとりわけはっきり識別され
ているが、それは転換ヒステリーと不安ヒステリーとである。転換ヒステリーでは、心的葛藤が
多様な身体症状として象徴化される。それは発作的(演技性を伴った感情的発作)であったり、持
続性(知覚脱失、ヒステリー性麻痺、咽頭「球」感覚など)であったりする。不安ヒステリーでは、
不安が多かれ少なかれ外部の対象に結びつけらる(恐怖症)。
Jean Laplanche et J.-B.Pontalis(1976): 『 VOGABULAIRE DE LA PSYCHANALYSE 』 Presses
Universitaires de France, Paris, 1967 1976: 村上仁監訳(1996):『精神分析用語辞典』みす
ず書房 p393 引用
(4)兼本浩祐・中村靖子ら[編](2009):『フロイト全集1』 岩波書店 p425 引用
(5)兼本浩祐・中村靖子ら[編](2009):『フロイト全集1』 岩波書店 p425-426 引用
(6)兼本浩祐・中村靖子ら[編](2009):『フロイト全集1』 岩波書店 p426 引用
(7)兼本浩祐・中村靖子ら[編](2009):『フロイト全集1』 岩波書店 p427 引用
(8)兼本浩祐・中村靖子ら[編](2009):『フロイト全集1』 岩波書店 p433-434 引用
(9)兼本浩祐・中村靖子ら[編](2009):『フロイト全集1』 岩波書店 p561 引用
(10)A)原意では、個体が、ある欲動と結びついた表象(思考、イメージ、記憶)を無意識の中に押
し戻すとか、無意識に留めようとする精神作用。抑圧は、欲動の充足――それ自身は快感を与え
るものである――が他の欲求にたいして不快を誘発する恐れのあるような場合に生じる。抑圧は
とくにヒステリーにおいて顕著であるが、正常心理や他の精神疾患においてもまた重要な役割を
果たしている。それは、その他の精神現象とは分離された領域としての無意識の構成を基礎づけ
ているという意味で、普遍的精神過程と考えられる。B)漠然とした意味では、抑圧という語は、
時にはフロイトによって「防衛」という語に近い意味で用いられている。一方では、A の意味で
の抑圧の作用が、複雑な防衛の無数の過程のうちに、少なくとも一つの段階として見出せるから
であり(この場合、部分が全体と見做されている)、また他方では、抑圧の理論的モデルが、他の
防衛作用の原形として利用されているからである。
Jean Laplanche et J.-B.Pontalis(1976): 『 VOGABULAIRE DE LA PSYCHANALYSE 』 Presses
Universitaires de France, Paris, 1967 1976: 村上仁監訳(1996):『精神分析用語辞典』みす
ず書房 p459 引用
(11)新宮一成ら[編](2009):『フロイト全集3』 岩波書店 p46 引用
(12)新宮一成ら[編](2009):『フロイト全集3』 岩波書店 p64 引用
(13)新宮一成ら[編](2009):『フロイト全集3』 岩波書店 p65 引用
(14)新宮一成ら[編](2009):『フロイト全集3』 岩波書店 p410 引用
(15)新宮一成ら[編](2009):『フロイト全集3』 岩波書店 p66 引用
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(16)新宮一成ら[編](2009):『フロイト全集3』 岩波書店 p406 引用
(17)新宮一成ら[編](2009):『フロイト全集3』 岩波書店 p408 引用
(18)去勢の幻想を中心とするコンプレックス。これは子供が性の解剖学的相違(ペニスの存在と
不在)についてもつ疑問への答えとして生じる。この相違は子供の考えでは、女児ではペニスが
切りとられたものだとされる。去勢コンプレックスの構造と効果は男児と女児とでは異なる。男
児では去勢を、彼の性的活動にたいする父親の強迫が実現するものとして恐れる。そこから去勢
への強い不安が生じる。女児では男根のないことを不公平だと思い、これを否定し、代償し、ま
たは修復しようとする。
Jean Laplanche et J.-B.Pontalis(1976): 『 VOGABULAIRE DE LA PSYCHANALYSE 』 Presses
Universitaires de France, Paris, 1967 1976: 村上仁監訳(1996):『精神分析用語辞典』みす
ず書房 p87 引用
(19)総田純次ら[編](2008):『フロイト全集10』 岩波書店 p5 引用
(20)総田純次ら[編](2008):『フロイト全集10』 岩波書店 p22 引用
(21)総田純次ら[編](2008):『フロイト全集10』 岩波書店 p23 引用
(22)総田純次ら[編](2008):『フロイト全集10』 岩波書店 p25 引用
(23)総田純次ら[編](2008):『フロイト全集10』 岩波書店 p26 引用
(24)総田純次ら[編](2008):『フロイト全集10』 岩波書店 p28 参考・引用
(25)総田純次ら[編](2008):『フロイト全集10』 岩波書店 p37 引用
(26)総田純次ら[編](2008):『フロイト全集10』 岩波書店 p163 引用
(27)総田純次ら[編](2008):『フロイト全集10』 岩波書店 p379 引用
(28)総田純次ら[編](2008):『フロイト全集10』 岩波書店 p403 引用
(29)S.Freud は心をエス、自我、超自我の三つから成るとした構造論を提唱した。エスは無意識
の層に属し、口唇期に発達する。本能的衝動があり、快楽原則が支配している。自我は意識の層
に属し、肛門期に発達する。エスによるリビドーの解放を調整し、現実原則に従っている。超自
我は無意識及び前意識の層に属し、男根期に発達する。エスによるリビドーの解放を禁止、抑圧
する道徳原則を有している。
(30)フロイトが創始した心理学の理論的側面を指すために、フロイト自身が考案した述語。メタ
サイコロジーは、実際経験からいくぶん離れた概念的モデルを構築する。たとえば、心的装置を
審級に分けるという約束的やり方、欲動の理論、抑圧の過程などがそれである。
Jean Laplanche et J.-B.Pontalis(1976): 『 VOGABULAIRE DE LA PSYCHANALYSE 』 Presses
Universitaires de France, Paris, 1967 1976: 村上仁監訳(1996):『精神分析用語辞典』みす
ず書房 p436 引用
(31)加藤敏ら[編](2010):『フロイト全集19』 岩波書店 p18 引用
(32)加藤敏ら[編](2010):『フロイト全集19』 岩波書店 p35 引用
(33)加藤敏ら[編](2010):『フロイト全集19』 岩波書店 p36 引用
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参考文献
Jean Laplanche et J.-B.Pontalis(1976): 『 VOGABULAIRE DE LA PSYCHANALYSE 』 Presses
Universitaires de France, Paris, 1967 1976: 村上仁監訳(1996):『精神分析用語辞典』みす
ず書房
Martin
Freud(1958):『SIGMUND
FREUD:Man and Father』 The Vanguard Press 藤川芳朗訳
(2007):『父フロイトとその時代』 白水社
伊藤整訳(1994):『チャタレイ夫人の恋人』新潮社
加藤敏ら[編](2010):『フロイト全集19』
岩波書店
鹿取廣人ら(2008):『心理学[第 3 版] 』 東京大学出版会
兼本浩祐・中村靖子ら[編](2009):『フロイト全集1』
岩波書店
重野純(2008):『心理学 現代心理学のエッセンス キーワードコレクション心理学』新曜社
新宮一成ら[編](2009):『フロイト全集3』
岩波書店
総田純次ら[編](2008):『フロイト全集10』 岩波書店
高橋義孝ら訳(2004):『精神分析入門(上)』新潮社
高橋義孝ら訳(2001):『精神分析入門(下)』新潮社
竹田青嗣[編](2006):『自我論集』筑摩書房
中山元[編](2009):『エロス論集』筑摩書房
松橋李奈(2011):「A Study of Lady Chatterley’s Lover」大阪大学卒業論文
森本哲郎(1998):『ウィーン 世界の都市の物語』 文藝春秋
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