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3. 魚を育む森を守る 4. 禁伐の森を守った村人の掟 5. 駿河平の

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3. 魚を育む森を守る 4. 禁伐の森を守った村人の掟 5. 駿河平の
3
魚を育む森を守る
−伊東市の漁業協同組合− 城ヶ崎海岸の魚つき保安林(伊東市)
魚つき保安林を守る海の男たち
城ヶ崎海岸沿いの森は、魚つ
き保安林に指定されています。
森が栄養分の豊富な水を海に流
したり適度な木陰をつくったり
して、魚の住みやすい環境をつ
くっているのです。そのため伊
東市漁協富戸支所と隣の八幡野
漁協では、この森の保護育成に
取り組んでいます。また近海で
は、シイの木の枝を利用してア
オリイカの産卵場所づくりも行
われています。
■シイの枝を利用し、
アオリイカの産卵場所をつくります。
シイの枝はイカの
産卵場所になります
新しいマツが
育っています
漁協の人々は、植
林の他にも、魚つき
伊東市周辺の近海
は、アジ、イカ、ブリな
どがとれる豊かな海です。地元の漁師
保安林が荒らされていないか見回る山
の人々は、古くから近海の環境を左右
する海岸付近の森を重要視してきまし
見を行っています。また、地元の山で
伐採したシイの枝などを譲り受けて、
た。しかしこの恵みの森にも昭和の終 そだ魚礁というアオリイカの産卵場所
わり頃から松くい虫の被害が発生し、 をつくっています。毎年 5 月、シイの
古いマツの木が枯死するようになり 枝におもりをつけたそだ魚礁を海底に
ました。このため富戸と八幡野の漁
協組合員は、市からマツの苗木の支
沈めると、アオリイカが枝に卵を産み
つけます。木の枝を有効に活用したこ
給を受け、昭和 59 年から毎年約 400
∼ 500 本のマツを植えています。
の魚礁によって、減少していたアオリ
イカの漁獲量が増えました。
中伊豆
バイパス
伊
豆
ス
カ
イ
ラ
イ
ン
川奈港
南
伊東駅
135
伊東市
城ヶ崎海岸の
魚つき保安林
富戸
漁港
城ヶ崎
海岸
東伊豆町
■枝に産みつけられたアオリイカの卵。
八幡野漁港
●データ BOX ●
● 所在地/伊東市富戸・八幡野 ● 面積/
74ha
●樹種/クロマツ、
ヒメユズリハ、シイ、クヌギなど
■アオリイカ。
7
4
禁伐の森を守った村人の掟
−箱根山禁伐林組合− 函南原生林(函南町)
江戸時代から
受け継がれた禁伐の森
この森から流れ出す来光川は、函
南町や三島市など下流の人々の大切
な水資源です。水をもたらすこの森
は、江戸時代から「生立木は絶対伐
らない」とされ、禁伐林として守ら
れてきました。そのため昔ながらの
天然林の姿をよくとどめ、樹齢 700
年以上のブナの巨木などが見られま
す。500 種以上の植物や 200 種以上
の動物・昆虫類が生息し、学術的に
も貴重な森です。学習の道が整備さ
■原生林を見る会。根の保護のため巨木に近
寄ることはできません。
れ、自然観察や学習の場として活用
されています。
自発的に禁伐を
守る禁伐林組合
藩政時代から
立入禁止でした
8
昭和 30 年以降に
国立公園などに指定
かつてこの付近は
一面ススキの原でし
たが、この森だけは木々が青々と茂
っていました。地域の人々はここを
唯一の水源の森として大切にし、江
戸時代には幕府がこの森の木材資源
を利用しようとするたびに強く反対
して阻止しました。村々の間には厳
しい掟があり、伐採はもちろん立ち
されるまで、この森に法律的な禁伐
の規制はありませんでしたが、箱根
山禁伐林組合では昔と同様、自発的
に保護活動を進めてきました。現在
でも倒木などを処理する他は自然の
ままの状態
を保つよう
入りも禁じられたといわれています。 努め、伐ら
明治 13(1880)
年に民有地となると、 ないことが
人々はこの掟を守り抜くため箱根山 森づくりの
禁伐林組合を組織しました。
箱根峠
方針となっ
ています。
また一方、
三島市
函南原生林
東海道新幹線
1
三島駅
函南駅
来
光
川
至熱海峠
町民に森の
大切さを知 ■函南原生林遠景。
ってほしいと、毎年「原生林を見る
会」を開いています。
函南町
新丹那トンネル
丹那トンネル
東海道本線
●データ BOX ●
●所在地/田方郡函南町桑原字大樹立外
● 面積/ 223ha
ケヤキ、ブナなど
● 樹種/ヒメシャラ、
5
駿河平の自然をそのままに伝える
−湧水の森を愛する人々− 駿河平自然公園(長泉町)
かつての貴重な湧水が眠る森
現代的な美術館や文学館
に隣接する駿河平自然公園
は、昔ながらの自然の姿を
とどめた小さな森です。林
内には 2 カ所の水源があり、
そこから流れ出す水を集め
た池や吊り橋などが整備さ
れています。この森の水は
はるか昔からこの地域の
人々にさまざまな形で利用
され、生活に欠かせない湧
水として重要な役割を果た
してきました。
■ 2 カ所の水源から水がたたえられています。
時代ごとに
暮らしを支えた水
この森の近くでは
縄文時代の遺跡が多
数出土しており、当時から人々がこの
9
森の湧水を利用していたことがうかが
い知れます。また平安時代以降は馬を
育成する牧となり、この湧水が使われ
たといわれています。さらに中世には
下流域に長久保城が築かれ、湧水は堀
にたたえられて、城の飲料水としても
利用されました。そして明治 32
(1899)年からは開墾者がこの地で生
活を始めました。昭和の初めには水源
付近にワサビ田がつくられていたほど
豊富な水がありました。
懐かしい自然と
ふれあう人々
大規模な宅地開発
の進む中、この森だ
けは従来の姿をそのままに伝える自
然公園として昭和 47(1972)年から
整備されてきました。懐かしい自然
駿河平自然公園
ビュフェ
美術館
井上靖文学館
■レクリエーションを楽しむ人々。
場
殿
御
至
を身近に楽しめるスポットとして地
域住民から愛されています。また、
清らかな水を利用してホタルのえさ
東
名
高
速
長久保城跡
となるカワニナの生育実験に取り組
む人々もいます。
246
県立長泉高校
津
沼
至
●データ BOX ●
北小
●所在地/駿東郡長泉町東野八分平
城山
● 面積/ 4.3ha ● 樹種/ミズナラ、ク
ヌギ、アカマツなど
6
源頼朝ゆかりの森を守り継ぐ
−裾野市十里木の人々− 頼朝の井戸の森(裾野市)
富士山麓の
貴重な水源でした
富士山周辺の地質は水が
浸透しやすく、大きな川が
できません。昭和 34
(1959)年に水道が敷かれ
るまで、この森の湧水が十
里木周辺で唯一の大切な生
活用水でした。そのため
人々は水源に水神社を祀っ
て昔から大切に守ってきま ■下草刈りをする地域住民。
した。鎌倉時代には源頼朝
もこの湧水を飲んだとされています。
林内には樹齢約 200 年と推定される
巨木もそびえ、歴史の重みを伝えて
います。この森そのものが裾野市の
天然記念物です。
源頼朝の
のどを潤した名水
10
建久 4(1193)年、
源頼朝は富士山麓で
大規模な巻き狩りを催し、その際十
里木付近に本陣を構え、この森の湧
水を利用したとされています。頼朝
はこの水を飲んで生き返る心地がし
たとほめたたえ、朱塗りの椀を水底
に沈めて泉の水神に供えました。そ
■頼朝の井戸の森。
巨木の森を守る
十里木の人々
れ以来泉の水は増え、日照りの年に
井戸の水はもう使
も絶えることがなかったという伝説
が残っています。現在は井戸を残す
われなくなりました
のみですが、昭和の初め頃までは水
量が多く、泉となっていました。
富士山
南富士
エバーグリーンライン
裾野IC
至富
469
士宮
街
士市
至富
富士市
が、今も十里木の人々は美しい天然
林を守る活動を続け、年 1 回総出で
下草刈りを行っています。また近年
は、森周辺で開発が進んだ影響か、
一部の木々の立ち枯れが起こるよう
になりました。そのため裾野市内の
ボランティア団体がブナなどの植樹
を行っています。
頼朝の
井戸の森
裾野市
愛鷹山
沼津市
東
名
高 246
速
長泉町
●データ BOX ●
● 所在地/裾野市須山 ● 面積/ 1.9ha
●樹種/コナラ、ケヤキなど
7
マツ林の大切さを子供たちへ
−田子浦海岸の保安林を守る会− 田子浦海岸の潮害防備保安林(富士市)
災害を教訓にした森づくり
田子浦沿岸の地区はこれまで何度も
津波や高潮の害を受けてきました。地
域の人々はその経験から、沿岸のマツ
林が強風や高潮の軽減に役立つことを
よく知り、手厚く保護してきました。
明治 32(1899)年の大津波の際には、
マツに取りすがって高波から救われた
人もいました。防潮堤が建設された今
も、人々は災害から街を守ってくれる
マツ林の大切さを忘れることなく熱心
に保護し、その尊さを子供たちにも語
り継ぐよう努めています。
■推定 20m の高波に襲われた昭和 41
(1966)年
の台風被害。
森林を守る心を
育てる
地域ぐるみの
「守る会」
戦前、このマツ林
は木々が今以上に数
多く密集していましたが、高度経済
保安林を守る会に
は田子浦沿岸地区全
世帯が加入し、全体での保育活動を
成長期に公害などの影響で荒れ果て
てしまいました。さらに昭和 45
年 2 回行う他、道具を分配して地区
よく知る人々は林を守り続けるべき
だとマツの再生を叫び、昭和 49
を教えたり、入学・卒業記念の植樹
ごと自主的に手入れをしています。
(1970)年に防潮堤が築かれると、 マツの育成方法の研修や視察も活発
人々のマツ林に対する関心も一時薄 です。また、会の代表者が地元小中
らぎました。しかし、過去の災害を 学校で災害の歴史や保安林の大切さ
(1974)年に田子浦海岸保安林を守
る会を発足させ、地域ぐるみでの活
動が始まりました。
11
や清掃活動の世話をするなど、マツ
林を大切にする心の育成も積極的に
行っています。今後は森づくりを楽
しみながら進めたいと考えています。
東名高速
富
士
川
富士IC
富士市
富士駅
東海道本線
東海
道新
幹線
新富士駅
田子の浦港
1
■保育活動には地域の全世帯が参加します。
田子浦海岸の
潮害防備保安林
駿河湾
●データ BOX ●
●所在地/富士市田子浦沿岸の各地区 ●面積/ 8.3ha ●樹種/クロマツ
8
木と思いやりの心を育てる
−静岡市立井川中学校・大里中学校− 井川中の学校林とその周辺(静岡市)
■みどりの少年団の制服を着た井川中の生徒が大里中の生徒にアドバイスしながら植林します。
山の学校と街の学校の交流
12
静岡市街にある大里中学校の生徒
たちは、昭和 59(1984)年から、
約 60km 北の大井川上流に位置する
井川中学校の生徒と森づくりを通じ
た交流を行っています。
大自然に恵まれた井川中では、昭
和 53(1978)年から全生徒と教師
を団員としたみどりの少年団を結成
し、ヒノキの植林や森の手入れ、環
境美化などさまざまな体験・奉仕活
■井川湖近くの静岡市立井川中学校。
動を展開してきました。井川財産区
から借り受けた学校林やその周辺の
森林を活動の場として、ふるさとへ
の愛情と豊かな感性を育み、友達と
切磋琢磨することができる生徒の育
成をめざしています。一方、都市部
の大里中では、仲間と助け合いなが
■市街地の静岡市立大里中学校。
ら大切な自然を守ることができる思
いやりの心を育てたいと考え、井川
中との交流活動を始めました。年 1
回井川中の生徒とともに井川の森林
へ出向き、植林や下草刈りを実施し
ています。最近では井川中の生徒が
大里中で一緒に授業を受けるなど、
交流の輪が広がっています。
●データ BOX ●
●所在地/静岡市井川字下堂平ほか
●面積/学校林 0.55ha ほか
●樹種/ヒノキ
荒川岳
長野県
赤石岳
聖岳
南
ア
ル
プ
ス
山梨県
井川中の
学校林
大
井
川
井川中
井川ダム
静岡市
■大里中を訪れた井川中生徒(右)
。
安
倍
川
静岡県庁
「木の文化追求」
をめざす大里中
静岡市役所
大里中
大里中では、校庭の
木 々 に名 前 をつ け た
1
東名高速
東海道本線
駿河湾
井川中学校
みどりの少年団
井川中のみどりの
少年団活動は今や地
域に欠かせない存在です。植林・育
林活動の他、学区クリーン作戦を実
施したり、夏休みには生徒の保護者
や山岳会の協力のもとで南アルプス
清掃登山を行うなど自然環境の保護
に努め、平成6
( 1994)年には緑化推
進運動功労者として内閣総理大臣賞
を受賞しました。こうした活動は PTA
や老人クラブ、森林組合など地域の
り、各教科の学習の中でも木をテーマと
するなど、さまざまな角度から「木の文化
追求」を実践しています。日本に根づく
木の文化を知ることで、自然の尊さを知
り、思いやる心を育てるのが目的です。
井川中との合同植林もその一環で、
1年生はヒノキの植林、2 年生は前年
植林した場所の下草刈りを行います。
3年生も修学旅行でヒノキの木造建築
を見学し、木の文化を学んでいます。
最近では卒業生が自分で植えた木を
見に出かけたり、森をテーマにした
論文を書くなどしており、植林体験
の成果が確かに現れ始めています。
また、新しい試みとして、公民館
人々のさまざまな協力によって支え
られています。また奉仕活動の際に
で活動する各種サークルの人々へも
植林活動の案内を始め、一般の人々
は多くの人が「ご苦労様」と声をか
も参加するようになりました。開か
れた学校として、地域とともに教育
け、生徒の励みとなっています。
生徒たちのふるさとへの愛情も着
実に育まれ、
「何十年かしたら自分で
植えた木を見てみたい」とい
った感想も芽生えています。
また大里中との合同植林の際
は、井川中の生徒が大里中
の生徒に苗木の表と裏の見
分け方などをアドバイスす
るなど、森づくりをリード
できる生徒が育っています。
■大里中生徒にとっては慣れない
山仕事です。
方針を実践したいと大里中では考え
ています。
13
9
献木による森づくり
−照葉樹の森をつくった人々− 静岡県護国神社境内林(静岡市)
県内各地の木が見られる
人工の照葉樹林
静岡市の中心、谷津山の南斜面に
広がる護国神社の境内林は、約 80
種 15,000 本の樹木が見事な照葉樹
林を形成しています。しかしこの森
は昭和初期に人の手でつくられた森
です。戦時中の献木によって、県内
全域から各地の特色を表す木々が集
められており、現在は森林学習の森
としても利用されています。森は、
「お宮の森・お寺の森 100 選」(静岡
県)にも指定されており、木々には
地元の大学生がつくった札がさげら
れています。
■昭和 16(1941)年の農学校の生徒による
勤労奉仕活動。
たった 3 年で
生まれた鎮守の森
14
護国神社の谷津山
移転が決まったのは
太平洋戦争直前の昭和 14(1939)
■神社裏手の見事な照葉樹林。
年です。その頃の谷津山周辺は茶畑
や水田が広がり、樹木はほとんどあ
りませんでした。この地に荘厳な境
森を
自然にかえす試み
内林をつくるため全県民に献木が呼
神社では、神殿裏
びかけられ、約 4,000 本もの苗木が
県内各地から集まりました。また境
手の山を神域と位置
づけ、人の手でつくられた照葉樹林を
内の整地は青年団や学校の生徒らが
勤労奉仕で行いました。こうした
天然林に近い状態に戻すよう管理して
います。ここでは、この 50 年間人の
人々の努力により、約 3 年という早
立ち入りも禁止し、倒木などの処理も
さで鎮守の森が誕生しています。
あえて行わずに、昆虫などの生態系を
保護しています。また神社の前方の森
では、参道に県内各地の花木を植える
などして、都市で暮らす人々の心を清
静岡県護国神社境内林
静岡市
め、自然の大切さを語りかける森にし
谷津山
静岡
新静岡駅
長沼駅
鉄道
ていきたいと計画中です。
柚木駅
1
東海道線
静岡駅
至清水
●データ BOX ●
長沼大橋
● 所在地/静岡市柚木 ● 面積/
10ha
●樹種/クスノキ、シイなどの照葉樹
10
観音様を守る森をつくる
−霊山寺仁王門保存顕彰会− 鷲峰山霊山寺境内林(清水市)
重要文化財の眠る森
霊山寺は天平勝宝元
(749)年に行基によっ
て開山されたといわれ
る歴史ある寺で、駿河
七観音の一つに数えら
れています。車道から
徒歩で 20 分ほどハイキ
ングコースを登った境
内には、国の重要文化
財に指定された仁王門
や江戸時代に建立され
た本堂などが残されて
いますが、現在は無人
■霊山寺本堂に集まった保存顕彰会員。
の寺です。しかし檀家
の人々が代々寺を守り続け、もっと多
くの人に霊山寺へ来てほしいと、美し
い境内林づくりに取り組んでいます。
15
檀家の人々に支え
られてきました
霊山寺の檀家の
人々は明治26
( 1893)
年に 7,700 本以上ものスギやヒノキ
を植林しました。しかしそれらが太
平洋戦争中に伐り出されてしまった
ため、昭和 20 ∼ 30 年代に現在の霊
山寺仁王門保存顕彰会の会員が県や
市の助成を受けて再び植林を行って
います。檀家の人々で構成された保
■茅葺きの屋根が特徴の仁王門。
花の絶えない森を
めざしています
保存顕彰会では、
森の下草刈りや補植
存顕彰会は文化財保護と森づくりに
作業を実施する他、毎週日曜日には 2
人の当番が区域を見回り、森や文化財
積極的で、地域の人々の協力を得な
がら参道にサクラやツツジを植樹す
の保護や清掃を行っています。一方、
植樹した300本のサクラが咲く4 月に
るなどの活動を展開しています。
はさくらまつりを開き、地域の人々と
ともに花を楽しみます。森づくりは
今後も続け、自然の野に咲く花木を
霊山寺
鷲峰山霊山寺境内林
清水IC
清水市
至静岡市街
用いて一年中花の絶えない参道を整
備したいと構想を練っています。
大内
東名高速
長崎IC
静
イ
清バ
パス
●データ BOX ●
清至
1 水
駅
● 所在地/清水市大内 ● 面積/ 9.6ha
●樹種/スギ、ヒノキ、シイ、サクラなど
11
暮らしを守る保安林を育む
−相良町相良地区の人々− 相良海岸の飛砂防備保安林(相良町)
飛砂・潮害から人々を救った保安林
駿河湾に臨む相良町相良地区
のマツ林は、昔から高潮の害や
飛んでくる砂を和らげる役割を
果たし、住民の生活や農作物を
守ってきました。江戸時代の享
保年間に植林が始められたこの
マツ林は、潮害・飛砂に悩む地域
住民の強い要望から、大正から昭
和初期にかけて植林が続けられ
てきました。今では相良海水浴
場に美しい景観を添えるまでに
成長し、住民や海水浴客の憩いの
場としても親しまれています。
■地域住民の巡視管理が行われています。
親しまれる森に
成長しています
荒れ地を緑に変え
る努力
16
江戸時代に人々を
植林から約 60 年
守ったマツ林は現在
より約 150m も陸地側にありました
を経た今、人々の手
が、次第に地形が変わり、海沿いに
は草や灌木しかない荒れ地ができあ
がりました。それにつれて防災の役
割が薄らいだた
め、大正時代に
は相良・福岡地
区 480 戸の人々
が現在の位置へ
の植林を強く要
望し、海岸砂地
の払い下げを行
政に願い出まし
た。努力の末に ■人 々 の 永 年 の 努 力
が決議文に残ってい
ようやく払い下
ます。
で大切に育まれたマツ林は、白砂青
松の美しい景観を形づくるようにな
りました。植林された当時からマツ
とともに成長してきたとなつかしむ
地元住民もおり、郷土に欠かせない
財産として愛着を持って見守られて
います。しかし、このマツ林にも昭
和の終わり頃から一部で松くい虫の
被害が出たため、苗木を補植するよ
うになりました。現在地区では、森
林保全巡視員が年 6 回ほど保安林の
巡視管理を行っています。
150
相良町
萩間川
げが決まると、
昭和 10(1935)年から 3 年間、地
域の人々の手で植林が行われました。
天雨神社
漁協
473
相良町役場
相良海岸の飛砂防備保安林
相良港
相良サンビーチ
●データ BOX ●
●所在地/榛原郡相良町相良字浜
●面積/ 0.97ha ●樹種/クロマツ
浜岡町
駿河湾
12
子供たちとともに成長する森
−財団法人ボーイスカウト静岡県連盟維持財団− 雲見山周辺の分収林(川根町・森町)
自然教育の森づくり
榛原郡川根町・周智郡森町の山々で
は、(財)ボーイスカウト静岡県連盟
維持財団がスカウトの手による森づく
りを行っています。この活動は、郷土
の緑化と自然教育を趣旨として 40 年
以上も続けられてきました。子供たち
が毎年街頭で行う緑の募金活動の交付
金などにより、造林は今も続けられて
います。植林を子供の自然教育の場と
し、長期的な視野で進められる活動に
は、学ぶべきことが
たくさんあります。
■子供たちが植える苗木に
はたくさんの夢が託さ
れています。
人が森を育み、
森は人を育てる
現在は、昭和 39
(1964)年に設立し
た(財)ボーイスカウト静岡県連盟
■植林地全景
地域の人々の協力に
維持財団で分収林の管理を行ってい
支えられています
ます。通常の保育管理は、川根町森
昭和31
( 1956)年、 林組合および森町森林組合などへ委
当時のボーイスカウト 託していますが、植林には毎年スカ
静岡県連盟長・川井健太郎氏と各委 ウトが参加してきました。分収林は、
員の未来を見越した発案により、ボー 造林者と土地所有者が森林を伐採し
イスカウト分収造林は計画されまし
た。翌年の昭和 32
(1957)年には、川
た時の利益を分け合います。この森
は将来のボーイスカウト活動やスカ
根町雲見山の土地所有者の理解と協 ウトの海外派遣などに必要となる財
力により、スカウト100名が入山して、 源の役割も担い、子供たちのすこや
第 1 回の植林が行われています。以 かな成長を見守っています。
来継続してスカウトによる植林が行
われ、当初目標としていた 100ha を
越える分収林を造成しました。
雲見山の
分収林
大井川鉄道
ぬぐり
川根町役場
抜里駅
川
根
町
■ 交付金で森づくりが行われます。
駿遠橋
森町
●データ BOX ●
野守の池
家山駅
473
大
井
川
● 所在地/榛原郡川根町・周智郡森町
●面積/ 115ha ●樹種/スギ、ヒノキ
17
13
林業を目覚めさせた森づくり
やまずみだいぜんのすけしげたつ
−山住大膳亮茂辰と林業を受け継ぐ人々− 山住山(水窪町)
18
■ 後継者たちは森づくりの最新技術を学んでいます。
天竜美林を育てた先覚者
水窪町の東南、標高 1,107m の山住山頂に鎮座する山住神社。奈良時代の和
おおやまずみ
銅 2(709)年、この地に伊予国の大山祇神社から大山祇神を移し祭ったのが
始まりと伝えられています。その頃に山住神社の御神木として境内に植栽され
たとされる 2 本の老杉は樹齢約 1,250 余年という巨木で、県指定の天然記念物
であり、森は「お宮の森・お寺の森 100 選」
(静岡県)にも選ばれています。
林業発展の先覚者として今でも敬われている山住大膳亮茂辰は、この山住神
社の 23 代目の当主として宮司を務め
た人でした。水窪町だけでなく、天竜
長野県
足神神社
地域で初めてといわれる大膳亮の造林
は、時代とともに受け継がれ、この地
152
から多くの優れた林業家を輩出してき
水窪町
ました。
現在、天竜地域は全国に知られる林
業先進地となっていますが、これは先
人の遺志を受け継いだ多くの山林経営
者たちが長年の努力で築き上げてきた
成果です。
草木
トンネル
水
窪
町
役
場
水窪
ダム
水窪駅
山住山
河内浦川
山住神社
至春野町
大膳亮の功績
大膳亮茂辰は、当
時の幕府御用材の乱
伐を憂え、荒れた山
に植林することを決意し、元禄 9
(1696)年、伊勢(三重県)から苗
木を運びました。当時は今のような
■山住杉の伐根。
材は東京の木材市場で高く評価されました。
現在も受け継がれる
森づくりの意志
毎年 11 月 17 日に
は山住神社の例大祭
が行われ、水窪町内外から多くの参
■今も残る「山住日記」からは、天竜地帯の
林業発展の足跡がうかがえます。
道路も乗り物もない不便な時代です
から、大変な日数と労力が必要でし
た。にもかかわらずスギ、ヒノキの
苗木 3 万本を運んだのです。まず伊
勢から海上を船で吉田(豊橋市)ま
で運び、そこから新城まで川船を使
って上りました。新城からは人や馬
の背で運ぶしかなく何日もかけて山
拝客が訪れます。御神木の堂々とし
た姿を目にし、その偉大さと魅力に
感化される人々も少なくありません。
大膳亮が植えたスギは明治以降に東
京の木材市場で高い評価を受け、山
住杉の名声を高め、林業振興の基礎
を築きました。現在も大膳亮の意志
は地域に受け継がれ、若手林業家が
育っています。
また近年は、スギやヒノキの植林
だけでなく、広葉樹を中心とした自
然林の育成も行われるようになりま
住まで運んだことが記されています。 した。水窪町では平成 7 年度からこ
その後、長い年月をかけ植林が行わ の地で民有林の一部を借り受け、毎
れ、これが天竜地帯で最初の造林だ 年モミジ、シラカバなどの広葉樹を
といわれています。大膳亮が一代で
植林したスギとヒノキは 36 万本に
植林して、「水源の森」
、「野生生物と
共生の森」として保護しています。
及ぶともいわれています。
大膳亮の功績は国からも認められ、
従五位という高い位を贈られました。
大膳亮が育んだ由緒あるスギは山住
神社の境内外に残り、歴史をしのぶ
ことができます。
●データ BOX ●
所 在 地 / 磐 田 郡 水 窪 町 山 住
●面積/ 76ha ●樹種/スギ、ヒノキ、
コナラ、シラカバ
●
■「水 源の森」を育てる子供たち。町全体で
森づくりを実践しています。
19
14
農業用水の源を育む森づくり
かんよう
−寺谷用水土地改良区− 寺谷用水土地改良区水源涵養林(水窪町)
農業用水と森づくり
1588 年、
徳川家臣の平野重定公が
現在の磐田市寺谷に新田開発を目的
として用水を開削したのが寺谷用水の
始まりです。以来、現在に至るまで人々
の生活にとって欠かせない歴史ある水
源となりました。昭和31(1956)年に
「寺谷用水開祖三百五十年祭」が行わ
れると、
これを記念して当時の寺谷用
水顧問だった鈴木正一氏の発案で水
源涵養林育成事業が計画されました。
そして全組合員の賛成のもと、上流の
水窪町大字奥領家夏焼で分収造林を
■現地視察を行って森の成長を見守ります。
行いました。現在では、水源涵養林と
して立派に成長しており、組合員が定期的に調査して森を守り続けています。
「生きた記念塔」
を守る人々
玄米の寄付で
森をつくる
20
現在の水源涵養林
水源涵養林の植林
は、農業形態の近代
は植林から約 40 年
化にあわせた設備改善にも対応でき
る用水の基礎づくりと、この用水の
が経過しており、スギやヒノキが成
長して水源涵養に大きく役立ってい
財産として子孫に引き継ぐことを目
的としたものです。昭和32
(1957)年
ます。保育作業は水窪町森林組合に
委託していますが、寺谷用水土地改
から数カ年に渡り、79,000 本のス
良区でも、隔年で造林地担当理事と
ギ・ヒノキの植林を行いました。また
この事業は、
組合員の意識高揚をもう
事務局あるいは役員全員が、また 4
年おきに総代が現地踏査を行い、森
ひとつの目的としていました。水窪町
森林組合に委託された造林と下刈作
林の適切な管理に努めています。こ
の森は、寺谷用水の歴史における
業の費用は、組合員たちの玄米の寄 「生きた記念塔」として組合員の結束
の証となっています。
付によって捻出されたものでした。
愛知県
天
竜
川
大嵐駅
夏焼トンネル
大原
トン
寺谷用水土地改良区
水源涵養林
水窪町
佐久間湖
■暮らしに息づく寺谷用水。
亀ノ甲山
県道
288号線
佐久間町
ネル
水窪町
役場
水窪駅
●データ BOX ●
●所在地/磐田郡水窪町奥領家字夏焼 ●面積/ 46ha ●樹種/スギ、ヒノキ
152
15
天竜川治山と治水の第一歩
−金原明善と財団法人金原治山治水財団− 明善の森(佐久間町)
「暴れ天竜」から住民を守る使命感
古くから暴れ天竜として恐れられていた
天竜川。その天竜川河口近くの安間村(現
在の浜松市安間町)で生まれ育った金原明
善は、小さい頃から何度も水害を体験し、
名主として村政に携わるようになってから
は、天竜川の洪水をいかにして少なくする
かという使命感を持ち続けていました。天
竜川下流域に住む人々の生活の安定は、上
流域の植林にあると考え、私財を処分売却
しながら、治山治水事業に生涯をかけて取
り組みました。
明善の心を
受け継ぐ人々
■金原明善翁。私財を投げ打って
植林を行いました。
し ょ い こ
明善自ら背負子を
担いで植えた森
はじめ
明善翁が精魂を傾
けて植林を展開した
ことで、周辺の山主が刺激を受け、
急激に地域の造林が進みました。明
治 37(1904)年に明善の手で設立さ
れた金原疏水財団(現在の金原治山
治水財団)は、森林の持つ
治水に取
り組んでいた明善翁は、
公益性に主眼を置き、一
部の木だけを伐る択伐施
業を進めて、明善神社付
治山の大切さを悟り、54
歳の時から本格的な植林
活動を始めました。天竜
近を明善の森(永久保存
記念林)としています。
川に面し、険しくしかも
土砂崩れの危険性もある
毎年 10 月 14 日の明善祭
には、明善翁の心を受け
継ぐ多くの人々が明善神
龍山村瀬尻で、明善は作
業員と共に背負子を担ぎ
社を訪れます。
率先して官有林(現在国
有林)の植林を行いまし ■100 年以上昔から人々の生活を守り続ける明善の森。
た。明治 24(1891)年
佐久間ダム
には、自らの資金で購入した「金原
林」の植林を行い、森づくりの大切
152
愛知県
佐久間駅
473
さを人々に訴えました。また、天城、
富士山麓など県下各地で造林事業の
中部天竜駅
模範を示し指導も行いました。
下川合駅
早瀬駅
●データ BOX ●
所在地/磐田郡佐久間町半場
●面積/ 17ha ●樹種/スギ
佐久間町
役場
浦川駅
明善の森
佐久間町
天
竜
川
明善
神社
龍山村
●
相川
林道和山間線
林
有
国
21
16
山村振興のための森づくり
−掛川市倉真財産区− 倉真の森(掛川市)
住民の暮らしを潤す森
倉真財産区は、その昔、倉真村
と呼ばれた頃の山林財産を管理す
る自治体です。明治の初め、この
地の先覚者だった岡田淡山(良一
郎)らが、村の財産づくりを目的
とする植林を提唱しました。明治
14(1881)年、5ha の植林を実施
しましたが、3 年後には防火対策
不備で焼失してしまいます。しか
し淡山はあきらめず、村長ととも
に、反対する住民を説得して、再
■植林事業は校舎、道路、消防、福祉などに貢献
度造林を行ないました。この造林 してきました。
が倉真の森の基礎となっています。
区民の共有財産
この植林の目的
は 、「 営 林 を 行 な い
22
森の恵みを受けて
森を育てる人々
倉真の森から伐り
出された木材は、地
これに随伴する道路
の改修及び改良をし、木材の運輸を
域内の教育、道路、消防、老人福祉
容易にして植林事業を成功させ、水源
涵養洪水氾濫の害を除却し村の福利
施設などの整備に貢献してきました。
また、現在この森は地域の簡易水道
を増進するにあり」というもので、事
の水源にもなっており、500 戸以上
に水を供給しています。掛川市立北
業の推進には巨額の起債が行われま
した。植林後は倉真村民が中心とな
中学校の学校林もこの森の一部が開
って森林の管理を続けました。昭和
29(1954)年には隣の西郷村と合併
放されたものです。人々はこの森が
将来に続く財産となるよう、毎年 1
し三笠村(現在は掛川市と合併)と
回、下草刈り、枝打ち、間伐などを
行い、森を育てています。
なりましたが、森林管理は倉真財産
区が引き続き行い、区有財産として
今日まで適切に管理されています。
県
道
掛
川
掛川市
川
根
線
法泉寺温泉
倉真の森
松葉の滝
倉真
温泉
森線
焼津
県道
パス
バイ
掛川
西郷IC
掛川市役所
掛川城
掛川駅
東海道線
掛川IC
■財産区の役員の皆さん。
1
東海道新幹線
●データ BOX ●
つま恋
東名高 菊川町
速
●所在地/掛川市倉真 ●面積/ 123ha
●樹種/スギ、ヒノキ、クロマツなど
17
郷土の伝統を受け継ぐ森を守る
−浅羽町梅山地区の人々− 梅山八幡神社の森(浅羽町)
や
ぶ
さ
め
平安時代から続く流鏑馬の森
梅山八幡神社は、12 ∼ 13 世紀
(平安時代後期∼鎌倉時代)頃に浅
羽荘が形づくられて以来、浅羽低
地の中心的役割を果たす神社でし
た。神社の神事である「稚児流鏑
馬」は創建以来続けられてきまし
たが、太平洋戦争末期(昭和 19 年)
から中断していました。しかし平
成元(1989)年に「梅山流鏑馬振
興会」の努力で復活し、梅山八幡
は全国からも、多くの参拝者が集
■伝統ある「稚児流鏑馬」が毎年10 月に行われます。
まる森となっています。
町のシンボルの
森を守る
梅山八幡神社は広
く分布する氏子の信仰
の場として存在してきました。そして、
四季に変化する自然の森として古来か
ら人と自然の共生がはかられてきまし
た。境内には氏子総代が神事のための
サカキを数年毎に植栽しています。昭和
60(1985)年「町文化財」に指定を受
■梅山八幡神社の森。
けたほか、
「お宮の森・お寺の森100 選」
心の
よりどころの森
江戸時代から、浅羽町
は現在の水田地帯とほ
ぼ同じ景観であり、穀倉地帯でしたが、
そこにはたび重なる洪水、日照り、大潮
など、水との闘いの歴史がありました。梅
山八幡神社の森は、平野部のどこからも
遠望でき、
地域の人々の心のよりどころ、
憩いの場でした。毎年、流鏑馬が行われ
る「馬場」を守るため「馬場削り」と呼ば
(静岡県)にも選ばれています。森林の
少ない浅羽町で、唯一森らしい森として
町民に愛されてきたこの森は、今後も
大切に守られていくことでしょう。
袋井市
浅羽町役場
郷土資料館
浅羽町
浅羽中
大
須
賀
町
梅山八幡神社の森
浅羽南幼稚園
れる整備を区民総出で祭りの前に行い
ます。また森を守るため、当番が毎月順
番で草刈りなどを行なっています。
浅羽南小
150
遠州灘
●データ BOX ●
●所在地/磐田郡浅羽町梅山 ●面積/ 0.45ha ●樹種/アラカシ、モッコクなど
23
18
いつも身近にある避難地の森
−舞阪町岐佐神社を支える人々− お山の森(舞阪町)
住民避難地の森づくり
人々から「お山の森」と呼
ばれて親しまれている岐佐神
社は、舞阪町の中央に位置し、
こじんまりとした境内林に囲
まれています。海抜 7 ∼ 8m
と、海抜の低い舞阪町の中で
は比較的高い場所にあるた
め、昔から風水害が起こった
際の避難地の役割を果たして
きました。毎年旧暦 9 月 14、
15 日には大漁を願って大太鼓
まつりが盛大に開かれ、多く
の参拝者が訪れるなじみ深い
森となっており、地域の人々
に大切に守られています。
24
■子供から老人まで参加して豊漁を祈願する
「大太鼓まつり」
。
風水害から生まれ
た森と町
森の世話は
毎月行われます
舞阪は昔から風水
害に悩まされてきた
岐佐神社では大太
鼓祭りの他にも、4
月の水産祭り、6 月と 12 月のおはら
代には、浜名湖が外海とつながった いなど、一年を通じて暮らしに結び
といわれるほどの大地震が起こり、 ついた神事が行われています。その
当時象島郷(きさしまごう)と呼ば ため岐佐神社の鎮座する砂町では、
れていた舞阪周辺の町なみが津波に 毎月 1 回と大太鼓祭りの前に、隣組
町です。今から約 500 年前の室町時
ごとでお山の森の掃除や落ち葉がき
水 没 し を行なっています。樹木の手入れや
ました。 整地の費用は祭礼の寄付金の中から
そ の う 捻出されて森づくりに役立てられて
ち 36 戸 おり、神事に使われるサカキの植樹
よって
の人々
■海抜 7 ∼ 8m の岐佐神社
(町の平均海抜は 2.8m)
。
が小さ
な砂丘
地にあ
ったお山の森付近に定住し、それが
現在の舞阪町を形づくるもとになっ
たといわれています。
などが行われています。
渚園公園
東海道新
1
弁天島温泉
舞阪町
役場
浜名湖
脇本陣
線
舞阪小
舞阪駅
岐佐神社
所 在 地 / 浜 名 郡 舞 阪 町 舞 阪
舞阪町
●面積/ 0.26ha ●樹種/クロマツ、マ
キ、サカキなど
幹線
東海道本
●データ BOX ●
●
浜松市
弁天島駅
至新居町
浜名バイパス
19
21 世紀につなぐ森づくり
−広がる森づくりグループ−
21 世紀に向けて、生活環境としての森林の存在が
重要になってきました。緑の大切さに気づき、森づ
くりに取り組む人々の活動が目立っています
■富士山フォレスターズ 下刈りを終えてみんないい顔、スマイル、スマイル!
増える森づくりグループ
環境問題への関心が高まり、富士山麓や身近な森林で
森づくりを行う民間グループや団体が多数あります。森
とのふれあいを通して森づくりの輪が地域や職場の仲間
などに広がっています。
安倍藁科川非出資漁業協同組合/天城の自然を守り育てる会/柿田川東富士
の地下水を守る連絡会/狩野川倶楽部/国際ロータリー第 2620 地区(静岡、
山梨のロータリークラブで組織)/御殿場ライオンズクラブ/静岡県厚生年
金受給者協会連合会/静岡県青年団連絡協議会/静岡ライオンズクラブ/静
岡ワンダーフォーゲル会/志太榛原夢づくり推進企画委員会/島田「夢の
森」/清水みどり情報局(S-GIT) /ずしゃ立/住友林業まなびの森林(も
り)/東京電力(株)御殿場営業所/(財)ニッセイ緑の財団/浜松アドベンチ
ャークラブ/富士急行株式会社/富士山自然の森づくり/富士山と自然に親
しむ会/富士山ナショナルトラストの会/富士宮西ロータリークラブ/富士
宮ライオンズクラブ/三島自然を守る会/三島ゆうすい会/みんなでビオト
ープシティ/森づくり愛好会/連合静岡/伊豆フォレスターズ/富士山フォ
レスターズ/ホリデーフォレスターズ体験隊、活動隊(静岡県中部流域)/
ホリデーフォレスターズ体験隊、活動隊(天竜流域)
25
■緑の少年団 活動を通じて仲間づくり
緑の少年団等
森づくりを通して豊かな心を育てる子供たちの自主
26
的なグループが緑の少年団です。学校などを中心に小中
学生により結成されています。明るい未来を開く子供た
ちが植林などの森づくり活動に取り組んでいます。
東伊豆町稲取ふるさと学級緑の少年団/城東ふるさと学級緑の少年団/松崎町
みどりの少年団/湯ヶ島小学校緑の少年団/月ヶ瀬小学校緑の少年団/狩野小
学校緑の少年団/八岳小学校緑の少年団/大東小学校緑の少年団/大見小学校
緑の少年団/大仁東小学校緑の少年団/丹那小学校緑の少年団/桑村小学校み
どりの少年団/清水町水と緑の少年団/長泉小学校緑の少年団/小嵐中学校緑
の少年団/三島市坂緑の少年団/沼津市西浦みどりの少年団/今沢緑の少年
団/ふじもと緑の少年団/富士市今泉緑の少年団/しらいと緑の少年団/井之
頭中学校緑の少年団/あわくらみどりの少年団/人穴緑の少年団/柚野緑の少
年団/清水市羽衣文化財緑の少年団/両河内地区みどりの少年団/井川中学校
みどりの少年団/梅ケ島小学校みどりの少年団/玉川小学校みどりの少年団/
朝比奈第一小学校緑の少年団/藤枝小学校れんげじ緑の少年団/小川小学校み
どりの少年団/東益津中学校緑の少年団/相賀小学校みどりの少年団/五和小
学校みどりの少年団/南部小学校緑の少年団/中川根町立中央小学校緑の少年
団/中川根町立中川根第一小学校緑の少年団/東富田みどりの少年団/加茂み
どりの少年団/西方みどりの少年団/高松みどりの少年団/池新田みどりの少
年団/小笠山緑の少年団/原泉緑の少年団/笠原みどりの少年団/高南みどり
の少年団/月見の里緑の少年団/三倉小学校みどりの少年団/敷地緑の少年
団/竜洋町緑の少年団/上阿多古みどりの少年団/竜川みどりの少年団/熊緑
の少年団/春野町杉川みどりの少年団/春野町熊切みどりの少年団/ 龍山村緑
の少年団/佐久間町みどりの少年団/水窪小学校みどりの少年団/川名小緑の
少年団/浜北市立大平小学校みどりの少年団/ 浜松市立砂丘小学校緑の少年団
小中学校、高等学校には、森づくりを体験できる学校林を所有する
ところがあります。児童・生徒の学習に役立っています。
●小学校
南伊豆町立南上小学校/沼津市立今沢小学校/沼津市立片浜小学校/伊東市立
西小学校/伊東市立旭小学校/御殿場市立印野小学校/御殿場市立御殿場小学
校/御殿場市立東小学校/裾野市立須山小学校/裾野市立向田小学校/天城湯
ヶ島町立湯ヶ島小学校/函南町立桑村小学校/函南町立函南小学校/函南町立
丹那小学校/富士市立鷹岡小学校/富士宮市立白糸小学校/富士宮市立人穴小
学校/富士宮市立富士根北小学校/富士宮市立富士根北小学校粟倉分校/静岡
市立玉川小学校/静岡市立竜南小学校/静岡市立千代田東小学校/清水市立小
河内小学校/清水市立中河内小学校/清水市立西河内小学校/清水市立和田島
小学校/島田市立相賀小学校/島田市立伊久美小学校/岡部町立朝比奈第一小
学校/中川根町立中川根第一小学校/袋井市立笠原小学校/袋井市立袋井南小
学校/掛川市立東山口小学校/掛川市立原田小学校/森町立三倉小学校/森町
立飯田小学校/菊川町立河城小学校/天竜市立鏡山小学校/春野町立北小学
校/浜松市立五島小学校/浜北市立北浜東小学校
●中学校
賀茂村立賀茂中学校/沼津市立大岡中学校/沼津市立片浜中学校/熱海市立小
嵐中学校/天城湯ヶ島町立天城中学校/函南町立函南中学校/富士市立田子浦
中学校/富士宮市立富士宮第三中学校/静岡市立井川中学校/静岡市立梅ヶ島
中学校/静岡市立玉川中学校/由比町立由比中学校/焼津市立焼津中学校/島
田市立初倉中学校/吉田町立吉田中学校/相良町立相良中学校/掛川市立北中
学校/天竜市立上阿多古中学校/浜松市立高台中学校
●高等学校
県立下田南高等学校/県立三島北高等学校/県立御殿場高等学校/県立修善寺
工業高等学校/県立土肥高等学校/県立田方農業高等学校/県立静岡農業高等
学校/県立静岡高等学校/県立清水東高等学校/県立藤枝北高等学校/県立川
根高等学校/県立磐田農業高等学校/県立天竜林業高等学校/県立農業経営高
等学校/県立浜松北高等学校/県立浜名高等学校/県立浜北西高等学校/県立
引佐高等学校/県立気賀高等学校/清水市立商業高等学校/三島高等学校/不
二聖心女子学院/静岡英和女学院高等学校(中学校)/清水国際高等学校(中
学校)/聖隷学園高等学校/オイスカ高等学校 (静岡県緑化推進協会資料 平成 9 年 3 月)
27
事例収集に携わって
いかがでしたか、静岡の森は。静岡の森は多彩な顔をしていま
したね。地域の人々が様々な方法で森づくりにかかわっているこ
とが理解できたでしょうか。昔の静岡の人たちは森の恵みや働き
を暮らしに活かしていくワザと心を持っていましたね。意外では
ありませんでしたか。
静岡の森は天竜美林や大井川や安倍川上流域に広がるスギやヒ
ノキの人工林というイメージが色濃くあります。しかし、我々の
周りにはまだ豊かな自然林や雑木林が残されています。巨木や古
木の森がゆったりと我々の暮らしを見守っています。まち・里の
子供たちがやま・むらの子供たちと協力して森づくりに励んでい
ましたね。まだまだ若い森ですがいずれは 1,000 年の森になるか
もしれません。木を植えた子供たちの、その子供たちの家の材料
として役に立つかもしれません。少しだけ地球の温暖化の抑止に
貢献できるでしょうし、熱帯雨林を無駄に伐採しなくてもよいか
もしれません。森づくりは木を植えることではありますが、時代
の文化の一面を示しているのです。
森の姿や形には歴史と文化があります。歴史とは時間の長さを
いうのではなく森と人の交流時間の長さを、文化とは森と人の交流
28
のあり方、関わり方をいいます。歴史と文化の森づくり顕彰事例は
僅か 19 例しか取り上げていません。静岡の森はこれだけではあり
ません。もっとたくさんあるはずです。みなさんの身近なところに、
古い森、新しい森があるはずです。本書を読まれたみなさん、これ
らの森を訪ねてみませんか。もうすでに訪れた森があったかもしれ
ませんね。歴史と文化の森という見方で改めて訪れると新しい森を
発見できるかもしれません。昔の静岡の人、今の静岡の人の息づか
いが、樹木のささやきが聞こえてくることでしょう。
森は生き物です。森は人より長生きします。若い森は子供の森
です。急激に大きくなります。時には周りの木と競争です。自然
の力だけでなく親の、人の手助けが必要です。人は 20 才をすぎ
ると大人になり、自立の時代に入ります。しかし森は 20 才でも
子供です。大人になるには 50 年以上の時間が必要です。それで
も森は若い頃ほど活発ではありませんが、ゆったりと生長を続け
ます。森は時間の推移とともに恵みを豊かにします。生き物は寿
命が尽きる瞬間まで恵みを与え、次の世代に命を与えます。森と
人の共生を目指した森づくりが新しい静岡の文化の創造に貢献で
きることを期待します。
歴史と文化の森づくり顕彰研究会座長 小嶋睦雄
歴史と文化の森づくり
顕彰研究会委員
小嶋睦雄
杉山
学
塚本こなみ
中村羊一郎
服部重之
静岡大学農学部教授 静岡新聞社編集局文化部長
(株)環境緑化研究所代表取締役 樹木医
静岡県教育委員会県史編さん室長 静岡県森林整備課長
森づくりの問い合わせ先
◎最寄りの県の相談窓口
●静岡県環境部自然保護課森づくりスタッフ
〒 420-8601 静岡市追手町 9-6 (TEL:054-221-2682)
●静岡県伊豆農林事務所林業振興課
〒 415-0061 下田市中 531-1 (TEL:0558-24-2082)
●静岡県東部農林事務所林業振興課
〒 410-0055 沼津市高島本町 1-3 (TEL:0559-20-2170)
●静岡県富士農林事務所林業振興課
〒 416-0906 富士市本市場 441-1 (TEL:0545-65-2202)
●静岡県中部農林事務所林業振興課
〒 422-8031 静岡市有明町 2-20 (TEL:054-286-9066)
●静岡県志太榛原農林事務所林業振興課
〒 426-0075 藤枝市瀬戸新屋 362-1 (TEL:054-644-9243)
●静岡県中遠農林事務所林業振興課
〒 438-0086 磐田市見付 3599-4 (TEL:0538-37-2301)
●静岡県北遠農林事務所林業振興課 〒 431-3313 天竜市二俣町鹿島 559 (TEL:0539-26-2327)
●静岡県西部農林事務所林業振興課
〒 430-0915 浜松市東田町 87 (TEL:053-458-7234)
●静岡県林業技術センター
〒 434-0016 浜北市根堅 2542-8 (TEL:053-583-3121)
◎その他 ●(社)静岡県緑化推進協会 〒 420-8601 静岡市追手町 9-6 県庁西館内 (TEL:054-273-6987)
県民参加の森づくり事例 森づくりの人々
平成10 年3月31日発行
監 修 歴史と文化の森づくり顕彰研究会
編集・発行 静岡県林業・水産部森林整備課
印 刷 中部印刷株式会社
29
静 岡 県
Fly UP