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紫香楽宮出土木簡の概要と問題点

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紫香楽宮出土木簡の概要と問題点
Nara Women's University Digital Information Repository
Title
紫香楽宮出土木簡の概要と問題点
Author(s)
乾, 善彦
Citation
乾善彦:紫香楽宮歌木簡について(奈良女子大学21世紀COEプログ
ラム報告集vol.21), pp.10-15(講演内容), pp. 53-56(当日配布資料)
Issue Date
2008-11-30
Description
2008年度奈良女子大学21世紀COEプログラム特別シンポジウム「紫
香楽宮歌木簡を考える」の講演内容および当日配布資料
URL
http://hdl.handle.net/10935/3156
Textversion
publisher
This document is downloaded at: 2017-03-31T16:21:55Z
http://nwudir.lib.nara-w.ac.jp/dspace
常春 寮 官 出土木 簡 の親 身 と間選 点
関西大 学数 段 ・乾
阜彦
乾です。私 は、「
紫香楽宮 出土木簡の概要 と問題点」 についてお話 しします。記者発表 され
る前 の 3月に、奈良文化財研究所で、 この紫香楽宮の木簡 についての検討会が行われ、私 も参
加 させて もらいま した.実際に赤外線の映像 と現物を見比べなが ら文字一字一字 を確定 してい
き、 これをどう読 めばよいのか、 どういう意味があるのかが検討 されま した。 その ときの こと
2日
を踏 まえ、 この木簡 に書かれている文字 と仮名 の用法 につ いて話 します。写真 は、 5月 2
の記者発表の ときの資料です (
本書 5
6ペー ジ参照)0
9mm。下が約 1
4
0m 。幅 は、一番大 きいところで約 2
2mm。 厚 さ
まず、大 きさです。上が約 7
は、1mmとあ りますが、実際 には 1mmあ りません。 1mm弱 と思 って もらえればよいです。
縦 に割れ目がた くさん入 っているので、現状では、 さわればば らば らにな って しまいます。
ですか ら、 これをさわ って裏返す ことはで きません。 ガラスに挟み、そのまま動かさずに、裏
を向けた り表 を向けた りして見 ま した。
次 に、文字の現状です。難波津面 には、「
難波津 に 咲 くや この花」の歌が書かれています。
2
0
0
3年 に紫香楽宮木簡 の報告書が出て、上 に難波津 の歌 の面、下 に安横 山の歌 の面が写真 で
載 っていますが、間違えて反転を掛 けたかたちになっています。
上端 に 「
奈」の字の 「
示」 の部分の一番下 の 3画だけが見えています。 これ らの状況か ら、
これが難波津の歌の 「
奈」 だ と確認で きます。
「
迩」 は、写真では非常 に見 に くいですが、 5画の下 に之続 (しんに ょう) の横棒がはっき
りと見えます。「
奈」 の字 とのバ ランスを考えて もそ うです し、左のほうをよ く見 ると、墨痕
が縦 に少 し伸 びてお り、之続があ ったことが はっきりと確認で きます。之綾があるのは大変大
きな問題です。
次は 「
波」 です。 この時代 の少 し前 の藤原京木簡で は、 「
皮」 とい う字 を 「-」 と読むのが
よ く出て きます。 そ こで、 これが果た して三水偏があるのかないのかが話題 にな りま したが、
二水のような形で、 はっきりと見え、その次 に縦の 1画が、やはりはっきりと確認で きるので、
これは 「
波」の字で間違 いあ りません。
「ツ」 は、現在 の片仮名 の 「ツ」 に非常 に近 い形 になっています。例えば徳島の観音寺遺跡
か ら出た難波津の木簡 にも、 この 「ツ」があ りますが、 あの場合 は最終画が非常 に大 きく長 く
書かれています。それに対 し、 この 「ツ」 は、やや扇平 にな っています。
「
ホ」 は、之綾があるかないかを一所懸命探 しま したが、之練 の形跡が見当た りませんで し
た。従 って、之綾がないと推定 しま した。
そ こか ら消えていて、次 の 「
久」 は、 2画 と 3画が見えます。現在の 「
久」 は、 2画 目か ら
3画 目を下 ろ しますが、古代 の 「久」 は、交差す るのが普通です。 ここは、交差 しているか ビ
ー 10-
うか、 はっきりわか りませんで した。 しか し、 ここの位置 と、 ほかにどんな 「ク」があるかを
考えた結果、 この 「
久」 とい う字 しか考え られないとい うことです。「
久」 とい う字が はっき
り見えるわけで はあ りません。
「
夜」 は、右半分がはっきりわか っているので、「
夜」 という字で間違 いあ りません。
「己」 は、下 のほうにも同 じよ うに 「己」 という字が見えます。下の 「己」 は、最終画が右
へ曲が るときに直角 に曲が っていますが、上 の 「己」 は、現在 と同 じよ うに緩 く丸 く曲が って
います。ですか ら、下 の 「己」とは雰囲気がだいぶ異 な っています。
その次が一番問題 になった文字です。 これは、最初 は 「
濃」ではないか とい うことが示 され
ま したが、平安時代 の ものを読んでいると、 この形 の 「
能」 とい う字が しょっち ゅう出て きま
す。 ですか ら、 これ は 「
能」 で間違 いあ りません。 「濃」 だ と、上代特殊仮名遣 いの甲類 の
「の」 になって しまい、具合が悪 いです。 しか し、難波津の歌以外の歌では、普通 は 「
乃」 が
書かれるので、「
能」 は非常に珍 しいです。 この 「
能」 は、検討会ではっきりしま した。
「
波」 は、や はり三水偏があるか どうかを問題 に しま したが、 はっきりとあ ります。二水 に
近 い形です。三水偏のように見える上のはうに、点が一つ見えるという話 もあ りま したが、そ
れが墨痕 なのか汚れなのかはわか りません。
「由」 は、非常 に四角張 った形 にな ります。 はかの難波津の歌の木簡の書 き方 も、同 じよ う
に非常 に四角張 っています。 この辺 りは、やや古 い書体 なので、全体が初唐 の雰囲気ですが、
この 「由」 と次 の 「己」辺 りには、やや古 い六朝風 の形 も見 られます。
最後 の 「
母」 は、右肩 の四角 の部分が見え るだけで、 はっきりとはわか りません。 ここに
毛」が考え られますが、それはあ り得 ません。 そ うすると、
「も」が来 るとい うことであれば、「
やはり 「
母」 で間違 いないと考えま した。
写真では、そのほかの字 も犬飼先生が一所懸命考えてお られますが、はかの字が こんな字だ っ
たという保証 は全 くあ りません。特 に、その次 の 「リ」が果た して 「
理」であるか どうかは、
歌の木簡 にはあ らわれに くい字母ですので、 わか らないとしか言 いようがあ りません。
次 は安横山面 です。 これは、最初か ら 「阿佐可」 と見えたので、安横山の歌であろうとい う
ことにな りま した。
「阿」 の字 は、最終画の縦棒が途中で曲が っています。 1本引 っ張 って、 くるっと回 して書
く形がよ くあ り、一見そのように見えます。 しか し、 これをよ く見 ると、最初 に 「口」の部分
を書 いて、そのあ と、横棒 に触れ るところか ら縦 を引 っ張 って きて、最終的にその縦を曲げて
書 くとい う非常 に変わ った書 き方です。 これは、 この人 の癖だ と見 ま した。 1字飛 ば したあと
の 「
可」 の縦棒 も、やはり縦 に入れてか ら途 中で くるっと回 る独特 の形 を採 っています。
「
佐」 は、非常 にとが った形 の右上が りの線です。 「咲 くや この花」 ですか ら、難波津の歌
の木簡 には 「さ」がよ く出て きますが、 ほかの木簡 と同 じように、人偏 をぽんぽん と書 いて、
右側 の 「左」の横 の 1画を上 のは うにば っとはね上 げ、 引 っ張 り、点 を二つ打っ とい う形 の
「
佐」 です。 これ は、古 いもの としては非常 によ く出て くる文字 の形です。
ェi
l
H-
「
阿佐可」 と来れば、次 は恐 らく 「や」が見えるという目で見 ると、見 ようと思えば 「
夜」
の字が見えます。最終画が はっきりわか りませんので、最終画が右下 まで どれだけ伸びていた
かが少 し気 にな りま した。上 のほうが、ややわか る程度です。
流」です。 この字 の三水偏がっなが っている点
そ こか らだいぶ下 に行 き、下か ら 3宇 目が 「
は、難波津面 の 「
波」 と共通 しています。 しか し、筆致が明 らかに異 なっています。三水偏が
はっきりあるか どうかを見 ると、 この写真でははっきりしていませんが、上のはうに黒い墨痕
のよ うな ものがあ ります。ですか ら、 3画 の三水偏か と思われていま したが、1画 目は墨で は
な く、 どうも汚れであると判断されたので、 これは二水 と同 じ形の三水偏です。
この 「
流」 と 「
夜」の間には何字かが入 るので、読 めるものがないか と思 って一所懸命探 し
ま した。真ん中辺 りに墨があ り、「
佐」 に見え るよ うな ところが若干 あ りますが、わか りませ
んで した。「かげさへ」の 「
佐」が見え るのではないか と思 いま したが、位置がおか しいとか、
いろいろな問題があ り、 はっきりと読 める文字 はないということにな りま した。
その次 に、「
夜」 とい う字があ ります。 これは、前 の 「
夜」よ りも少 し大 き く書かれていま
す。 はっきりわか りませんが、難波津面 の 「
夜」 と比べ ると、やはり別の筆者ではないか とい
う感 じを受 けま した。感 じだけです。
最後 は 「
真」 です。 これ は 「
十」 の部分が見えたので、「
真」 でよいだろうとい うことにな
りま した。「
麻」 も考え られ、本当はそち らのほうが都合がいいのですが、「
麻」ではないと判
断 しま した。 ここが 「
真」だ と、訓仮名 (
訓を用 いた仮名) にな りますが、 はかの難波津の歌
でも 「
真」が書かれているので、訓仮名であると判断 しま した。
この両面 の文字が同筆か別筆かが非常 に問題 にな りますが、安横山面 には、先 はど言 いま し
た縦棒 の癖があるのに、難波津面 には、その癖がはっきりわか る部分があ りません。その点 を
考え、恐 らく筆者 は異な ります。少 な くとも、筆が違 うということは言えます。
また、難波津面 は、「
波」 という字の偏 とつ くりのバ ランスが非常 によいことと、之綾が真 っ
す ぐ真右へはねていることか ら考え、 どち らか というと初唐の書風 に属 します。初唐の書風 は、
天平十二、十三年 ごろか ら盛んになるので、年代的にも、その当時の非常 に新 しい書風を採 り
入れています。
それに比べ、安横山面の 「阿」や 「
佐」の字 のバ ランスが悪 いのは、下手 なのではな く、六
朝時代の書風です。つまり、初唐 よ り以前 の書風 ということにな ります。ですか ら、書風 に差
があ ります。
ただ、先 ほど坂本先生が挙 げ られた新聞の記事 の中で、村 田正博先生 はこ「
難波津面 のほ う
が稚拙だ」 と書 いています。 これは私 とは全 く逆です。私 は、難波津面 のほうが筆 の使 い方 に
め りはりが利 いていて達筆だ という気が します。 その点で も、 まず先 に難波津面が書かれてい
た と考え られます。之綾の書 き方や 「
波」 の字 は、筆を比較的 うま く操 って書かれているとい
う印象を受 けます。
字母の特徴 に移 ります。 まず、難波津面では、「
迩」 と 「
能」 に注 目 します。「
迩」 は、万葉
-
12 -
集と 『
古事記』 の歌謡 と 『日本書紀』 の β群 の歌謡 に使用例が見 られますが、現在 までの とこ
ろ、 まだ歌を書 いた木簡で は発見 されていません。人偏 の付 く字 は、難波宮か ら出た非常 に古
い用例があ りますが、之綾 の 「
迩」 は、 まだ発見 されて いません。
「
能」 は、万葉集 と記紀歌謡 と、 これ と同 じぐらいの時期 の船王後墓誌銘 に見 られます。木
簡 では、平城宮木簡 に 1例 だ け報告 されています。 ところが、 この 1例 は非常 に特殊 な文字遣
いを しています。 「目毛美須流安保連紀我許等乎志宜見賀毛美夜能宇知可礼弓」 うんぬん と読
安」 の右側 に 「レ」 のよ うな形 の ものがあ ります。 これ は転倒符、つ
まれ ますが、6宇 目の 「
ま り、 「引 っ繰 り返 して読 め」 とい う印が書かれて いるとい うことで、 この こと自体 も問題 に
な ります。 そ こで、 ここは 「め もみずある」 と読 むわけです。
この木簡 は、非常 に流麗 な書風 ・筆致で書 かれています。 さっき、「
難波津面 の字 はうまい」
注1
)には、すべて写真が載せ ら
と言 いま したが、比較 にな りません。 栄原先生 の歌木簡 の論文 (
れているので、 それを見て もらえればいいと思 いますが、 これ は、 ほかの歌木簡 に比べ ると非
常 に達筆で、 しか もよ く考え られた字で、 はかの歌木簡 の書 き方 とは全 く異 な っています。
「め もみず ある」 の 「あ」 には 「
安」 が使 われて いますが、 「あ」 に 「
安」の字が使 われ る
の は、 この木簡 だ けです。 「はれ さが ことを」 の 「こ」 には 「
許」 が使われていますが、 これ
も、 ほかの木簡ではあま り見 られません。先 はどの木簡 では、すべて 「己」が使われていま し
た。 「しげみか も」 の 「か」 には 「
賀」が使 われて います。 これ は、音か ら言 えば 「か」 が正
しいですが、 「
賀」 が使 われ るのは非常 に少 ないです。今 の字母 は、すべて万葉集 には出てい
ますが、木簡で はほとん ど見 られない文字です。
「はれ さが」 の 「が」 には 「
我」 が使われ、「しげみか も」 の 「げ」 には 「
宜」 が使 われて
いますが、 この辺 りは、清音 と濁音 をはっきりさせてい ると考 え られます。そ うす ると、 この
歌木簡 は万葉集 の仮名書 きの歌 の文字 の使 い方であ り、 はかの木簡 に出て くる歌 の文字 の使 い
よ うとは全 く違 うことにな ります。
この木簡で 「
能」 と 「
迩」が用 い られている点 は、 ほかの難波津 の歌 の文字 の使 い方 とは非
常 に異 な り、 どち らか とい うと万葉集 に近 い文字 の使 い方が されていることにな ります。
逆 に、 「ツ」は木簡 に しか出て こな くて、万葉集 には出て きません。 徳島の観音寺遺跡 の難
波津木簡 と、 同 じく観音寺遺跡か ら出た音義木簡 の 「ツ婆木」の 「ツ」 に、 この文字が用 い ら
れています。 また、藤原京か ら出て きた難波津木簡 に も 「ツ」が見 られます。 その程度で、 は
か には見 られ ません し、 もちろん記紀万葉 には見 られません。 ただ し、恐 らくこの 「ツ」が、
のちの平安時代 の平仮名 の 「つ」 の基 にな っているので、 この 「ツ」 は、平安時代 の平仮名 に
続 いているわ けです。
「も」 は、歌木簡 で は 「
母」 が使 われ ることが多 く、 「
毛」 のほ うが少 ないです。少 ないで
夜」が使 われ ることは非常 に多いですが、 どち らか
すが、「
毛」 も使 われています。「や」に 「
とい うと新 しい ものに多 いです。古 い難波津木簡で は、 「
矢」 を用 いるものが認 め られ ます。
そ うい うことで、 その辺 りの文字 の使 い方 は、 なかなか どち らとも言えません。
-1
3-
安横山面 に移 ります。「あ」 には 「阿」 を用 いるのが普通で、先 はど言 いま した 「
安」 を使
うのは非常 に少 ないです。
「
安」 に して も 「能」 に して も、 「あん」、 「のん」 とい うふ うに母音 の後 ろに子音 の韻尾
「
n」や 「
ng
」が付 きます。ですか ら、 日本語 の 「あ」や 「の」 とい う音 に充て るには、 あま
り適 しません。その点 で、万葉集以降にはよ く使われますが、古 い ものでは、 こういう子音韻
尾で終わる文字 は、で きるだけ使わないほうがいいとされていま した。その点か らいって も、
「
能」が使われているとい うことは非常 に新 しいです。逆 に言えば、韻尾 を伴 わない 「阿」 の
ほうが古 いので、安横山面 は、現行の文字遣いを採 っていることにな ります。
ちなみに、「る」 は、歌木簡では 「
留」のほうがやや多 く、「
流」 は少ないです。 しか し、 い
くつかは 「
流」 も認 め られ るので、量の 「
多い ・少 ない」 の問題 にな りますが、その点では、
やや特徴的です。
その下 には、参考 として、今までわか っている木簡 にはどんな文字が使われているかをず らっ
と書 いておきま した。 これがすべてではあ りませんが、大体 こんな ものが用 い られているとい
うことをわか った うえで、「
能」 と 「
迩」が非常 に珍 しいとわか って もらえればいいです。
紫香楽宮歌木簡の意義 としては、 まず、万葉集 に載 る歌が初めて発見 さTL
たということです。
安横山の歌 は、万葉集 にはあ ります。 しか し、古今集 には序文 に 「
安横山の歌」 とあるだけで、
安横山の歌 自体 は載せ られていません。従 って、古今集 にもないということです。 そ して、巻
十六の歌 は訓字主体表記ですが、木簡 は仮名書 きです。
また、古今集仮名序 のセ ッ トが初めて見っか りま した。ただ し、 これは仮名序だけで、真名
序 は別の組み合わせにな っています。真名序の場合 は、難波津之什 と富緒川之篇が対 にな って
います。富緒川之篇 は、聖徳太子説話 にまつわる、「いか るがの富 の小川 の絶 えば こそ我が大
君の御名な忘れめ」 という歌だろうと思われます。 ここには紀貫之の営為が働 いていたはずで、
私 は非常 に感動を覚えま した。やはり貫之の営為 を もう一度考え直 さなければいけません。 た
だ単 にセ ッ トがあったか ら使 ったのではな く、貫之の何 らかの意図を考えなければいけないと
いうことです。
さらに、 はっきり言 って、 この木簡 は、今 までわか っていた歌木簡 と万葉集 の仮名書 きの歌
のち ょうど中間的な ものです。先 ほど、「め もみずある」 の歌 は万葉集 の仮名書 きの歌 に非常
に近 いと言いま したが、その点でい くと、 これは中間的な ものです。
そ うす ると、 日用 の仮名 とはどうい うものか。犬飼先生 は (
注2)
、「
万葉 は特殊 なんだ。 それ
に対 して木簡の仮名 は日用の ものなんだ」 ということをはっきりとお っしゃっています。私 は、
犬飼先生 の本 に対 して書評 を書 く機会があ ったので (
注3
)
、「それ は決 して別個 の ものではない
だろう。 そこの連続面 にも注意 しなければいけない」 と書 きま した。 これは、 まさにその連続
面を考え る一つの史料 にな ります。
今後の課題 としては、1m
mという薄 さの問題があ ります。1mですか ら、6
0皿 になると、 きっ
とぺ らぺ らにな ります。少 な くとも、持 って字 を書 くことはで きません。恐 らく下 に下 ろ して
-1
4-
書かないと書 けないです。 そ うす ると、今 までの歌 の書 き方 とどのよ うに違 うのか、 なぜ こう
い う薄 さの ものであ り得 たのかが問題 にな ります。栄原先生 の リス トで厚 さを見てみ ると、2
m
mか ら 1
3mmの幅があ ります。持 って書 ける最低 の厚 さが恐 らく 2mmだ と考 え ると、書 き初 め
のよ うな ものかなとい うことをち らっと恩 いま した。
それか ら、表裏 の問題です。 どち らが先 に書 かれ たかについて、私 は難波津 の面 だ と思 って
いますが、わか りません。 しか し、 そ こにどれ ぐらいの時間差があるのか は考 えないといけま
せん。
もう一つは、歌木簡 とい う考え方 の是非です。是非 と言 うと言 い過 ぎですが、典礼の場だ と
す ると、具体的 にどんな場 なのか とい うことと、 もう一つ は、典礼 の場か らだれが どのよ うに
持 ち帰 り、 どのよ うに して次 に裏面 に書 いたのか とい う経路です。栄原先生 の論文 の中にも、
持 ち帰 って利用 された と書かれていますが、その辺 りの具体化が必要です。
そ して、何 よ りも国語学的に見て、木簡の仮名 は、平安時代の平仮名字母 に非常 に近 いです。
万葉集 にある仮名 の字母 は、平安時代 の字母 とやや離れていることがず っと指摘 されていま し
たが、 ここに来 て万葉集 に近 い文字使 いが確認 された。 それ と古今集が仮名 で書かれていた こ
と。では、古今集 はどのような仮名で書かれていたのか。万葉集の仮名を崩 したよ うな仮名だ っ
たのか。 そ うで はな く、木簡 の仮名 を崩 したよ うな仮名だ ったのか。文字 の使 い方 の面で、奈
良時代か ら平安時代 にか けて平仮名が どのよ うに展開 してい くのか。今回のよ うに万葉集 に近
い木簡が現れた ことによ り、「- レ」対 「ケ」 とか、 日用 と文学的営為 とい う二極対立でない
考え方 を もう一度 しない といけません。以上が課題 として残 るものです。以上 です。
■奥村和
ど うもあ りが とうございま した。紫香楽宮歌木簡を ご自分 の 目で ご覧 にな った、そ
のお立場 か ら、表記 や文字遣 いにつ いて、大変意義深 い指摘 と問題提起が され ま した。
0分 の休憩 に入 ります。
それで は、 1
(
休憩)
注
1)栄原永遠男 「歌木簡 の実態 とその機能」
(
『
木簡研究』3
0
、2
0
0
8年)
2)犬飼隆 『木簡 による日本語書記史』 (
笠間書院、 2
0
0
5年)
3)乾善彦 「書評 犬飼隆著 『木簡 による日本語書記史』
」(
『日本語 の研究』3
3
、2
0
0
7年)
-1
5-
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