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保障国家と公法理論 : ドイツ規制緩和における国家任務の位置

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保障国家と公法理論 : ドイツ規制緩和における国家任務の位置
社会科学論集
論
第 126 号
2009. 1
文》
保障国家と公法理論
ドイツ規制緩和における国家任務の位置
三
宅
雄
彦
はない。 判例法理解釈の問いは別にし, 郵政改革
一
序
論
を憲法違反と断言するのは, それほど単純ではな
いのではないか, これが本稿の問題関心である。
郵政改革を憲法学からみるならば, それは憲法
日本より先にドイツで郵政改革が実施されたこ
違反である, となる。 つまり最高裁判所の判例法
とは周知のことだが, 自衛隊が違憲かのごとく,
理では, 憲法は, 福祉国家的な理想の下, 社会経
民営化自体を違憲かを論ずる日本と異なり, ドイ
済の均衡のとれた調和的発展を企図し, それゆえ,
ツでは改革をめぐる個別論点で憲法上の議論が交
積極的な社会経済政策の実施を国の任務としてい
わされている。 改革前に憲法改正を準備した国と
る, とされるのだが, 国の郵政民営化は, 憲法が
の比較は無理との批判もあろうが, また, 改革の
(1)
予定する国の任務を放棄することを意味する 。
背景に EU 法の要求があることを忘却すべきでな
郵政民営化法 2 条の設定する理念には, 社会経済
いが, ドイツ国法学での学界, 論文は, こうした
情勢の変化への即応, 経営の自主性・創造性・効
改革一色の雰囲気もあり(4), ドイツ連邦憲法裁に
率性の向上と公正かつ自由な競争の促進, 国民の
上がる事件にも, 関連するものが増えつつある(5)。
利便の向上と経済の活性化という, 大略 3 つがあ
とりわけドイツ国法学で注目されるのは, 保障国
るとしても, 「地域社会の健全な発展及び市場に
家なる概念である。 現在もドイツ公法を刻印づけ
与える影響」 は, 上記の目的に精々付随的に考慮
る法治国家, それと対抗しつつも発展してきた社
される事由でしかない。 ゆえに, 違憲である, と。
会国家, この 2 概念の狭間を縫ってこれは登場し
とはいえこの結論は, 憲法の守備ラインを下げる
てきた。 もっとも興味深いことに, この保障国家
ことで変わりうる。 いわば, 福祉国家の理想や積
は, 個別解釈に影響せずに, むしろ公法解釈の方
極目的の任務が憲法に予め決定されて, これを突
法論に決定的なインパクトを及ぼしているのだ。
破すれば違憲, 自重すれば合憲, という判断が導
本稿は, 究極的にはわが国の構造改革論議を射程
出される。 あるいはこうだ。 国家任務または国家
に入れることを目指して, この保障国家概念をめ
目標が憲法上確定されていて, このコアな領域を
ぐるドイツの議論を追うことにする。 第 1 に, 郵
侵さない限りで民営化は憲法拘束なく実行でき
政改革など各種民営化の中で保障国家が担う役割
る(2)。 規制緩和は無規制でなく再規制であること
を問う。 まず, そもそも保障国家の概念にはいか
(3)
は, 行政法学の指摘だが , 上記の発想では, こ
なる意味が付与されるのか, 次に, その理念は基
の再規制自体が憲法と無関係に採用可能となる。
本法や行政法の中でどのように実現されたのか,
だがこの憲法の守備ラインは, 憲法改正により,
そして, この概念は公法学方法論でいかなる役割
または解釈により上げ下げできる。 この改正や解
を期待されるのか。 第 2 に, 公法教義学の諸概念
釈のメタ尺度となるのは国家論だが, 法治国家で
に与えた保障国家のインパクトを問う。 1 つは,
あれ社会国家であれ, 客観的な線を引けるわけで
基本権教義学におけるいわゆる三段階審査図式へ
31
社会科学論集
第 126 号
の影響を, 2 つは, 保障国家の各種活動を統制す
触れる 「新行政法科学」 派, 特に W・ホフマン るはずの法律の留保の変遷を, 3 つは, 保障国家
リーム, G・F・シュッペルト, A・フォスクー
が前提とする国家概念それ自体の必要性を, 診る。
レらがこれを積極的に論ずるし(12), 多くの若手に
より, 保障国家を取扱う学位論文も続々と公表さ
二
1
保障国家と方法論議
れる(13)。 流行する保障国家コンセプトは, 「生産
国家」 や 「規律国家」 とも換言されるが, だが
保障国家概念の意味
ゲヴェールライストゥンクスシュタート
「保
障
国
家 」 とは一体どんなものか。 こ
保障国家コンセプトを登場させたのは, 元々現
こでは, その主要人物ホフマン リームを参考に
して, 構想の概略を見よう(14)。 まずホフマン リー
実政治の流れである。 その原因の一つは 98 年成
ムは, 保障国家を次のように簡潔に定義している。
現実政治と保障国家
(6)
立の SPD/緑の党連立政権の政策にある 。 閣
「自身の具体的な公共福祉責任をがっちり保持す
議決定された 「現代国家/現代行政
連邦政府
るが, 自分の手で直接的に任務を実現する道具を
の理念と綱領」 によれば, G・シュレーダー内閣
部分的に放棄しており, それでいて, 社会の中の
アクティフィーレンダー シュタート
(7)
は 「活発化させる国家」 を目指す 。 つまり, 国
特定の積極的な諸関係や諸状況を目掛けて, 引き
家と行政を国家の像の変遷や行政任務の変化に合
続いてこの諸関係や諸状況への最終責任を負う,
わせること, すなわち国家と行政の近代化が, 連
そのような意味で自身の社会形成的な原理的要求
邦政府の目標なのである。 だがこの目標を実現す
を続けて提起する, そうした国家である」(15)。 彼
る方法は, 任務削減や組織縮小
つまり, 国家
自身はこの保障国家概念が, 後述する如き記述機
撤退を促す CDU/CSU 的な 「スリムな国家 」(8)
能を持つと言い, 行政法改革を目指す法学者らの
には見出せない。 国家のみが任務を背負込む, 国
間で議論対象となってきたと言うが, 本稿流にま
家が固有任務を放棄する, ではなく, 国家と社会
とめれば, この定義は次の要素 3 つから成立つ。
が共通目的の達成のため応分の任務を遂行する,
つまり, 第 1 に, 保障国家は社会全体での公共善
である。 ここでは, 社会が独自の規律ポテンシャ
実現に最終責任を負うこと, 第 2 に, そのとき保
ルを保持することを前提に, 国家が社会の自律能
障国家は社会による自主的規律に期待すること,
力を促進し, 必要な自由空間を創造するわけだ。
第 3 に, そして保障国家は公共善を直接実現する
ならば国家は, 介入や規律か, 完全な撤退か, の
手段は放棄するが, 社会による公共善実現のため
二者選択ではなく, その中間を進まねばならない。
の枠組を保障する任務を引受けること。 以下では,
国家と社会の責任配分は見直される。 国家は 「活
この観点 3 つから保障国家概念を分説することに
発な社会」 のため, 一方で市民の自由と安全を保
しよう。
護する。 だが他方で, 公的任務の大部分を国家自
保障国家の各種責任
シュランカー シュタート
らが実施するべきではない。 国家がするべきは,
ゲヴェールライステン
まず, 保障国家は, 依然として公共福祉に配慮
社会が公的任務を実施するのを 保障する こと
しなければならない。 確かに, 近時の行政手法は規
だ(9)。 1990 年代後半以降の欧州各国の左派政権に
制緩和や民営化など一歩退いてはいる。 だが, 公
共通だが, なるほど, 自ら公的任務を実現する大
共福祉や個人利益を確保すること, 現代の各種社
戦後のハードな社会国家を放棄する点で, 保障国
会問題を解決するため現代社会を支援することが,
家論は, CDU/CSU 流の 「スリムな国家」 とも
国家活動に依然期待され, 世の人々が不安定性の
共通する。 だが, 「活発化させる国家」 は単なる
拡大を見て, 危機意識を高めていくとなれば, そう
(10)
新自由主義ではない面を持つ
。
こうした事情もあり, ここ 10 年で保障国家概
した国家活動にはブームのように益々期待が向けら
れるだろう(16) 。 当然ながら, 私人活動を強制的手
念は一気に普及した。 その発端は, マルティン・
段で嚮導する領域 (規制・監視), 給付を実施す
アイフェルトの学位論文であるというが(11), 後に
る領域 (福祉), 不当な結果を阻止する領域 (安
32
保障国家と公法理論
エアフュールンクスフェアアントヴォルトゥンク
全) など, 国家が直接的な 充
足
責
任を
のだが, 公共善の一元独占が破られ, 公共善の多
果す既存の領域は存続するのだが, しかしこの
・・・・ ・・・・ ・・・・
他に, 調達責任, 受皿責任, 緩衝責任を保障
元的実現が開拓されるのだ(20)。 その結果, 保障国
家には従来の国家にない新しい役割が期待される。
国家が担う。 ホフマン リームが言う責任のう
つまり, 国家と社会, 国家と世界との境界と分断
ち, ここではまず後二者が重要だ。 つまり第 2
が解消されていく。 まず, 現代国家は, 私人や官
アウフファンクスフェアアントヴォルトゥンク
の 受
皿
任 とは, 保障国家の補充的
責
コオペラチオン
民融合主体と協
働で国家任務を遂行し, 私人が
活動に関連するもの。 言わば保障国家は, 公益を
定立した法 (労働協約等) を国法秩序に編入する
実現する最終責任として受皿責任を負う。 サッカー
ようになる。 また, 国内的な任務は EU や WTO
で言うと保障国家とはリザーブ選手である。 試合が
など国際機構に影響を受けたり, 商 慣 習 法や
順調に進む限りベンチで待機し, 戦況に応じてばアッ
電 脳 慣 習 法など 「国家なき世界法」 の存在も認
プして交替するのだ。 「試合」 には警察法的手段が
められる(21)。 要するに保障国家では, 公共福祉の
レックス メルカトーリア
レックス エレクトロニカ
投入される。 環境法の大半がそうだが, この手段
担い手が国家以外にも容認され, これら公共福祉
がもつ私人を望ましい方へ向ける圧力が当てにされ
アクターの脱境界化とネット化が進行しているの
ている(17)。 もう 1 つの 緩
だ(22)。
アップフェデルンクスフェアアントヴォルトゥンク
衝
責
任 も, 保
エントグレンツンク
フェアネッツンク
障国家が持つ補充的な責任領域に関わる。 つまり
結局, 保障国家とは社会の自己規律と公共福祉
国家はサッカーの救護員でもある。 選手が負傷す
の実現に信頼を寄せ, その意味で, 市民の自発的
れば試合を止めずに治療する。 救護員がいるから
意思が息づく市 民 社 会 論に依拠している(23)。 そ
選手は安心してプレーできる。 例えば, 労働法や
うなれば, ともかく保障国家の役割は従来にはな
社会法がこうした緩衝法の役割を演ずるであろう。
いものになろう。 さて, 論及したが未検討の保障
経済のプロセスから脱落した者 (例:失業者) に
国家の責任がある。 調
援助が用意される(18)。 だが, リザーブや救護員が
ある。 たった今, 社会自身の公共福祉実現が当て
出る前のサッカー選手とは一体誰なのか。
にされると述べたのだが, 保障国家は, この社会
実はホフマン リームが言うサッカー選手と
は, 私人のことである。 つまり保障国家は, 先
的自己規律が順調に進展することを保障する。 つ
発選手がプレーすることを期待しているのだ。
維持するべきで, さらに, 個別利益追求に向くが,
ただし先発選手の目標は個人技の披露でなく,
同時に公共善の実現にも役に立つ, そのような行
チームの得点にある。 ここでは個別利益の追求
為が選択されるよう, 刺激を創出しなければなら
のみならず, 全体利益の考慮も必要となる。 す
ない。 各種組織の法的枠組を用意し (商工会議所
なわち人が自由に人格発展するとき, 他者の個
など組合や社団や財団), 諸制度を機能不全か
別利益にも配慮し, 安全や環境や文化など全体
ら保護し (カルテル法で市場を歪みから守る),
の公共福祉にも留意しなければならない。 その
各種の法令の遵守を監視する (建築行政における
展と
監視制度), など, 自己規律のための枠組条件・
フライエ ゲゼルシャフトリッヒェ エントファルトゥンク
点, 保障国家は自
由
ゲゼルシャフトリッヒェ ゼルプストレグリールンク
な
社
会
発
ツィヴィルゲゼルシャフト
ベライトシュテールンクスフェアアントヴォルトゥンク
達
責
任で
まり, 公共善を推進する構造を創造しその機能を
社 会 の 自 己 規 律を信じている(19)。 そう
インフラを, 保障国家が調達するのだ(24)。 勿論,
なると, ここで注目すべきなのは, 公共福祉の実現
ここでは国家自身が公共善を実現するのでなく
態様である。 そもそも, 公共福祉の如き曖昧な概
(充足責任), 国家の受皿/緩衝責任が発動される
念は具体化せずして把握できぬ。 だが保障国家構
まで, 私人が公共善を実現する。 けれども, 保障
・・・・・・・ ・・・・・
国家は, 国家責任の解消や国家の撤退を意味しな
想では, その定義権能は国家に独占されるのでなく,
それ以外にも, 政治家や報道家や科学者, 営利企
加する社会的プロセスで, 産出される。 このプロセ
い。 国家は保障を通じ, 私人や半官組織の自己規
・・・・・・・・
律力を利用するだけだ。 これは国家制禦の形式転
・ ・・・・・・・・・・・・・
換, 国家と社会の責任配分の変更に過ぎぬ(25)。 ホ
スは, 最終的に国家に彫琢され立法で認証される
フマン リームは言う。 現代社会ではこの任務変
業や市民団体など, 多様な公共福祉アクターが参
33
社会科学論集
第 126 号
更は当然である。 投入可能な資源に限界があるの
に期待して, その自律のための枠組条件を保障す
に, 社会からの要求は次々と現れる。 この条件下
る責任を果す国家, なのである(30)。 もっとも保障
で国家活動を維持し, 状況変化に対応しなければ
国家の重要性は, その思想的体系性にあるのでは
ならぬ。 任務充足する形式の, 取壊しでなく建替
ない。 つまり, 保障国家とは, 国家概念の変遷を
(26)
えが必要となる所以である
示す記号であり(31), 国家の過少と過多の中間, 国
。
保障国家構想の要点
家と市民の新しい責任関係を表現すればよい(32)。
つまり, ホフマン リームの語る保障国家とは
こういうことである。 第 1 に, かつての社会国家
国家が公的任務を抱込むのでなく, 社会とこれを
は公共福祉の実現を自らの任務とし且つ, その任
るならば, 概念的厳密さは不要である。 保障国家
務を国家自身の手で実行する充足責任を引受けた
を任務とする点は変わらないが, 受皿責任や緩衝
が別概念に代替可能なのは, この事態の証左かも
・・・
しれない。 さらには, 公共福祉の決定者でなく,
・・・ ・・・
最適者・保持者としての国家(33), 国家の保障責任
責任は残すが, この充足責任から基本的に撤退す
に準備される 「規律された自己規律」 としての社
る。 その意味では, 限定的に 「国家の撤退」 があっ
会(34)。 保障国家の内実を想起させる各種スローガ
たと言うべきである。 第 2 に, では国家が放棄した
ンだけで十分なのである。 しかしこの希薄な意味
その公益実現の任務は誰が充足するかというと, そ
内容でも, それは保障概念では重過ぎないか。 元々
れは, 市民や企業からなる市民社会がこれを遂行
「保障」 とは, 基本法に 18 回も登場する特殊でな
・・
い概念だが, 「プレスの自由は…保障される」 (基
のであるが, しかし保障国家は, 公共福祉の実現
する。 すなわち, 公共福祉の実現を目指すのはもは
や国家だけに限られず, 本来私益を追求する私的
アクターも公共善追及に参画するのである。 別言す
れば, 公益実現は社会の 「自己規律」 に一旦委託
されたのだ。 第 3 に, だがこの社会の自主規制が
共有するわけだが, この責任の再配分が表現であ
本法 5 条 1 項 2 文) の保障は, 「既存のものがそ
・・
の状況のままに保証される」 という意味であるし,
・・
「所有権は…保障される」 (基本法 14 条 1 項 1 文)
予定調和をもたらすはずがなく, 社会の公共福祉
での保障でも, 立法者に形象化の自由はあるが,
・・
基本的に保証機能が前提とされる。 だが, 行政サー
実現の最低限が一定程度確保されなければならな
ビスの 「確保」 という, これまでと全く違う意味
い。 すなわち, 国家から社会への委譲された公共
で 「保障」 に論及する条項が存在する。 それは基
善が実現されるように, その枠 組 条 件を整備す
本法 87 f 条である(35)。
インフラストルクトゥーア
る保障責任を国家が引受けなければならない。 この
レグリールテ ゼルプストレグリールンク
意味で, 社会の自己規律は 「規律された自己規律」
なのである(27)。 要するに, 公共善を自ら実現する
2
民営化と保障行政法
ドイツ郵政事業改革
充足責任を捨て, 私人の公共善の実現に前提枠組
この条項は, ドイツ連邦郵便を郵便業務と郵便
を提供する保障責任を負う国家が, 保障国家なの
銀行とテレコムへと, 三つの公企業へと分割した
(28)
。 又はこうも言える。 高権国家の規制原理か
だ
1989 年の第 1 次郵便改革に引き続き, 94 年に,
社会的経済的競争構想か, 一方を誇張するのでな
連邦郵便民営化のために (第 2 次郵便改革) 新設
く, 両者を結合させるのが, 保障国家なのだ。 或
された。 それまでの旧基本法 87 条 1 項 1 文は,
いはこうも言える。 侵害行政の法治国家か給付行
連邦郵便は連邦行政として実施するとしていたた
政の社会国家か, 一方に決断するのでなく, 両者
め, 基本法を改正する必要が生じたのである(36)。
(29)
の中間を行くのが, 保障国家なのだ
。
現行基本法 87f 条は下記の通り規定する。 同 1 項
結局 「保障国家」 とは, 現代国家のどのような
「連邦は, 連邦参議院の同意を要する連邦法律を
容姿を表現するのか。 それは, 主権国家以来の最
尺度として, 郵便制度及び遠隔通信の領域で, 適
終的公共福祉責任を従来通り保持しつつ, だが,
切かつ十分なサービスを全国に保 障 す る」。 同
その責任の直接的実現を放棄し社会の自発的規律
2 項 「前項の意味のサービスは私経済として, 特
34
ゲヴェールライステット
保障国家と公法理論
別財産たるドイツ連邦郵便の後継企業及びその他
義務が含意されている。 1 つめは, 競争構造を維
の民間サービス業者により, 実施される。 郵便制
持するオルドー・リベラル的な任務であり, 2 つ
度及び遠隔通信の領域における高権任務は, 連邦
めは, 最低サービスの量と質を確定して, 保証す
による行政として施行される」。 同 3 項 「連邦は
る任務である(41)。 結局, この市場原理の社会国家
前項 2 文に関わらず, 連邦所轄の公法上の営造物
的な調整こそが, 1 項のいう 「保障する」 の意味
の法形式により, 特別財産たるドイツ連邦郵便の
であるが, これが 2 項や法律により具体化される
後継企業に関する個別任務を, 連邦法律を尺度と
のだ(42)。 だからこそ, マージンクは基本法 87f 条
して施行する」。 まず, 郵便業務と遠隔通信の実
が原則規範であると言う。 本条項を国家目標(43)
施は連邦行政ではなく, 民間企業により実施され
や制度保障(44) と呼ぶ見解も, これと同趣旨であ
なければならぬ (2 項 1 文)。 だが, 私経済活動
ろう。
では質的量的に満足いく, しかもユニバーサルな
この条項を原則規範とする理解を仮にそのまま
サービスは確実でない。 公共福祉を実現する民間
わが国に持ち込めば, 郵政改革の憲法判断におけ
企業の郵便業務と遠隔通信に期待しつつも, 先の
る審査基準は, 経済的自由権を制約する公共の福
受皿責任・緩衝責任・調達責任を, 連邦が引き受
祉の充填ではなく, 各種の社会権を実現する抽象
けるのである。 つまり連邦行政は自ら給付しは
的権利の具体化に依拠することになろう。 それに
しないが, 郵便と通信の条件整備を保障し (1
は, 具体的には生存権等がサービスの全国均一性
項), 場合により高権手段を投入するのだ (2 項 2
や一定の品質を要求するか, 吟味するべきだ(45)。
文)(37)。 この条項が, 先の保障国家の構想を反映
さて, ともかく連邦が 87f 条を受け実行したのは
しているのは明白であろう(38)。
保障責任だった。 同条項は, 「適切かつ十分」 で
連邦憲法裁の新任裁判官の論及を借りて, 本条
「全国」 のサービスを求める。 連邦行政は郵便業
項を再説してみよう。 すなわちマージンクは言う。
務と遠隔通信につき, 競争秩序の確立と全国共通
基本法 87f 条は原 則 規 範である, と。 これによ
サービスの確立を, 第 2 次および第 3 次の郵便改
り, 第 1 に, 市場原理に基本法上初めて拘束力が
革で目指すことになる。 まず第 2 次改革 (1994
付与され, 憲法裁の確定判例であった基本法の経
年) では, 連邦郵便新秩序法が制定され, 従来の
済政策的中立性が廃棄された。 また第 2 に, 国家
ドイツ連邦郵便はドイツ郵便株式会社に移行, 民
自身が給付する伝統的な生存配慮思想が放棄され,
営化される。 だが株式全ては連邦が管理するので,
社会の自己規律を信じて国家が行動する規制行政
民営化は形式的なものであり, 2000 年までにそ
思想が採用された(39)。 ここには先の 2 項 1 文と 2
の半分を放棄するものとされた (143b 条)。 書簡
項 2 文の間に, 緊張と均衡の関係がある。 つまり,
配達業務では期限付きでドイツ郵便に一部独占権
2 項 1 文は郵便/通信サービスが私経済的になさ
を承認したが (郵便法 51 条), 許可制度を導入し
れること, 2 項 2 文はサービスの規制が連邦行政
新規参入を可能にして (同法 5 条以下), この分
により高権的になされること, この両者の間に矛
野に業者間の競争を導入し促進することとした。
盾対立があり, この関係に調整が加えられるのだ。
他方, 新規参入者にユニバーサルサービスの提供
グルントザッツノルム
2 文 1 項がサービスに要求するのは, 組織と行為
を法的に義務づけ (同法 11 条以下), 地域間格差
が私法によること, 目標が利潤獲得に向くこと,
が生まないための仕組を整備した(46)。 遠隔通信分
市場経済的競争が起こること, である。 これによ
野の民営化はさらに進んだ (第 3 次改革 (1996
り, サービス供給が職業自由など基本権保護の対
年))。 遠隔通信法により, ここでも競争秩序と全
象となり, 他方, 行政自身は給付行政の主体から
国サービスが目標となり, テレコム社の回線接続
侵害行政の主体へと転換する(40)。 では, 高権的な
と通話業務の独占権は廃止され, 許可制度とユニ
規制を要求する 2 項 2 文にはいかなる意味がある
バーサルサービス義務が規定される (同法 6 条,
か。 マージンク曰く, この条項には連邦の 2 つの
17 条以下)(47)。
35
社会科学論集
第 126 号
や 87f 条に保障国家は固定されてはいる。 だが,
ドイツ鉄道事業改革
この通信制度の民営化ですでに明らかなように,
そもそも憲法の適用自体が国家権力の行使を前提
実は保障国家とは, 結局は, 民営化や規制緩和の
としている。 例えば公私協働の際に, 最終決定権
潮流を弁証するための論理なのである。 保障責任
限を握るのは行政官庁なのだが, 必要な知識や資
を語る条文は, 93 年新設の基本法 87e 条 4 項に
源を投入して任務に当たるのは, 勿論, 私人であ
もある。 「連邦は, 連邦鉄道の路線網の拡張及び
る。 しかしだからといって義務を課すなら, 社会
維持, 並びに, 近距離鉄道旅客運行を除く, この
独自の活力は失われる(50)。 保障国家のコントロー
路線網への鉄道運行の供給にあたり, 公共の福祉,
ルで憲法にそれほど決定力がないのであれば, 公
特に運行需要を考慮することを保障する。 詳細は
私両部門の役割分担には, 行政法上の既存の制
連邦法律でこれを定める」。 当然この規定の前提
度が有益であろう。 行政契約を始め, 権力委託,
は, 連邦鉄道の民営化である。 同条 3 項 1 文は次
行
の如く規定する。 「連邦鉄道は, 私法形式の経済
ためだ。 けれどもこれら教義学上の概念はそのま
企業として行われる」。 通信行政と違い鉄道行政
までは役に立たない。 これだけでは, 協働する私
では, 鉄道所有は連邦が行い, その株式も半分超
人の選抜や資格の基準は決定できないからだ。 こ
が連邦に残される (同 2 文, 3 文)。 すなわち,
れらの概念は, 法的体系に依拠しさらに具体化し
基本法 87e 条と 87f 条とは基本的に同じ構造を持
なければならぬ(51)。 そこでフォスクーレがうち出
つ。 まず, 鉄道自体は, 鉄道整備と鉄道運行の上
すのが, 保障行政法の概念なのである。 すなわち,
下分離を採って, これらを, 連邦に全株式を留保
公的任務と私益追求の協働は, 教義学上の個別概
したままだが, 民営化する (3 項 1 文)。 だが,
念でも, 危険防禦中心の侵害行政や生存配慮志向
十分なインフラと必要な運行業務が切下げられぬ
の給付行政の体系でもなく, 第三の柱として, 保
よう, 運行需要を特に勘案する保障責任を連邦が
障行政法を体系化することにより, 解決される。
引受ける, のだ (4 項 1 文)。 ただし, 鉄道改革
公的任務の分業的遂行過程を, 公共善の最大実現
の内実は郵便改革のそれと異なるのも確かである。
の観点から誘導し, 具体的解決策を選択する際の
民営化されるのは鉄道全体ではなく連邦鉄道のみ
方針を行政や立法に付与するのである(52)。
だから, 87e 条 3 項 1 文は, 競争秩序の実現を必
ずしも要求していないことになる。 また鉄道所有
の連邦への留保を求めれば (3 項 3 文), 鉄道整
ベ ラ イ フ ン ク
フェアヴァルトゥンクスヒルフェ
政
援
インディーンストナーメ プリヴァータ
助, 私
人
徴
用の語はその
レヒツレギーメ
3
新行政法科学の構想
新行政法科学の構想
備に新規参入を期待するのは無駄だから, 結果的
さて, この保障国家を積極的に論証するのは,
には連邦の保障責任は競争秩序の行過ぎの恐れの
実は行政法学である。 とりわけその中心にあるの
ある, 鉄道運行の供給に限定されてくる(48)。 とは
は, 1990 年代の 「行政法総論改革」 の運動を継
いえ, 保障責任の構造は鉄道改革と郵政改革で本
承する, 「新
ノイエ フェアヴァルトゥンクスレヒツヴィッセンシャフト
行
政
法
科
学」 と自らを
(53)
。 連邦憲法裁での, ホフマ
質的に等しい。
名乗る潮流であろう
保障行政法の教義学
ン リームの後輩の見解を引用してみよう(54)。 そ
そして, こうした規制緩和や公私協働を弁証す
のフォスクーレ曰く, 「新行政法科学」 とは, 従
る新たな学問体系を, 保障国家論は要求する。 そ
来の行政法学が 「法 学 的 方 法」 を維持したこと
の候補に多種多様な構想が提出されるが, マージ
への反省として登場してきたものだ。 彼の述べる
ンクと同時に連邦憲法裁に入ったフォスクーレの
法学的方法とは, 法的行為や規範言明のみに関心
説を見よう。 国法学者大会を機に彼が打ち出した
を持ち, 国家諸機関に法律拘束をかけるため司法
法のプランであ
審査中心的な見方を採用し, さらに, この法律拘
。 まず, 保障国家の構想を立憲主義化で固め
束を継続的に保障すべく, 実定法や法実践の中反
るには限界があるという。 確かに, 基本法 87e 条
復される言明や過程を取集めて, それを概念や制
ゲヴェールライストゥンクスフェアヴァルトゥンクスレヒト
のは保
る
障
行
政
(49)
36
ユリスティッシェ メトーデ
保障国家と公法理論
度へと形象化し, そして定義や原則を体系化して
(55)
く, 行政法学者も作業方法を変化させる。 いわば,
法教義学の構築を目指す思考である 。 フォスクー
欧州化や国際化による要求や期待は規範レベルを
レによると, この法学的方法の支配が 19 世紀半
重層化・連続化させ, しかも EU 法・国際法の規
ばから 20 世紀末まで続き, 1990 年代から作業方
定自体が目的的性格を持ち, そのため, 法化の進
法の変化が始まった。 法学的方法克服の既存の試
展と反比例して, 認識の指針となる教義学上の構
みに無言及なのには大いに疑問があるが(56), 「新
造枠組が貧弱なものとなってしまう。 正しい決定
行政法科学」 を必要とする原因として彼は三つ
を産出する前に, その法的で組織上の枠組条件を
に論及している。 第 1 が, 命令や禁止, 許可留
行政法学が提案する, というわけだ(60)。
保や刑罰威嚇で名宛人に行動せしめる旧来から
では, 新行政法科学はこの課題にいかにして解
ある規制的な法, つまり広義の警察法が危機に
決策を提示するのか。 最初にフォスクーレは, 新
陥ったこと。 特徴的な現象は 2 つある。 現行環
行政法科学を 「制
境法の多くは実際には強行されず, その意味で
このアプローチは, 計画が政治を合理化するとの
フォルツークスデフィツィッテ
「執
行
欠
損」 があること, 行政が所轄する
シュトイエルンクスヴィッセンシャフト
御
科
学」 と特徴づける。
楽観主義の衰退後, 政治機構の内部構造でなく,
企業や私人と, 問題を共通に解決するため多様な
政治とその環境との関係に視点を移す。 そのとき
調」 を選ぶこと, これである。 だが, 行政
の政治審級による環境形成が, 「政 治 的 制 御」
法学がこの行政実務の分析から対応を採るわけで
と呼ばれる。 ただし, 1970 年代以降のこの制御
はない。 インフォーマル活動に法的限界を引く
概念と制御理論は様々である。 行政法学で支持を
コーオペラツィオン
「協
パトロギーオリエンティールテ ベトラハトゥンクスヴァイゼ
「病 理 学 志 向 の 考 察」 に留まる
(57)
。
ポリティッシェ シュトイエルンク
集めた制御アプローチとは, 下記のようなものだ。
シュトイエルンク
変遷と公法の欧州化と国際化が, 肝腎だ。 まず挙
御」 というとき, 制御するものと制
・・・・
御されるものがいる。 そしてこのとき, 制御主体
・・・・
・・・・ ・・・・
は制御客体に対し制御目標と制御手段で, 制御活
がるのが, 知識問題すなわち 「知識ジレンマ」 の
動と制御結果の相互作用に関する制御知識を用い,
克服である。 一方で, 消極的な法治国家から積極
制御する。 しかしこの制御行為が成功するかは,
的な福祉/予防国家への変遷は, 行政目的実現の
個々の制御条件や制御媒体や制御道具に決定され
ために, 膨大な量の情報や知識を必要とするに至
る。 とりわけここで注目すべきは, 主体である。
る。 だが他方で, 環境や情報や技術の分野では,
すなわち, 制御の語義に反しここにいるのは, 単
規律領域の複雑さやリスク評価の困難等, 行政の
一の主体ではなく, 単元的自我である。 多様なア
情報処理能力が簡単に超えられてしまう。 この問
クターが相互にネットワークをつくる。 要は制御
題を克服するべく, 十分な情報フローを確保し,
アプローチとは, この相互作用に着目する視座な
状況に適う柔軟な指示を示すため, 規律戦略や組
のである(61)。 加えてフォスクーレ曰く, この制御
織形式の提案が必要となろう。 実際に機能し問題
アプローチには効能三つがある。 第 1 に, 考察対
に適った法秩序を行政法学は形成するべきなの
象を多様に幅広くできる。 つまり, 強制を伴う法
だ(58)。 近時ヨリ重要なのが, ドイツ憲法/行政法
的行為のみならず, 指導や誘導や協調その他の活
の欧州化と国際化である。 自由貿易や環境保護や
動型式も検討できる。 第 2 に, 多様な制御主体,
ネット規制など国際問題が EU 法や国際法を通じ
制御客体, 制御媒体, 制御道具, これらの間の包
て, 各国国内法の改革を強制する。 それには既存
括的作用連関を考察して, これらの長所短所を検
法律の新解釈などでは不十分で, 全く新種の道具,
討できる(62)。 第 3 に, 特定の制御領域 (経済など)
規律類型, 構想が必要なのだ。 そのとき各国は,
での作用連関や真理や法則を提示する説明手段を
独自に提案を考案し世界に提示しなければならぬ。
用いることで, 別の隣接科学へと接合できる(63)。
つまりここに, 各国独自の法秩序につき国際競争
キー概念の保障国家
従って, フォスクーレにとり重大であるのは残
り 2 つの原因である。 つまり, 社会および技術の
が展開されるのだ(59)。 この提案競争に参加するべ
まず, 「制
つまりフォスクーレのいう制御アプローチを採
37
社会科学論集
第 126 号
る新行政法科学とは, 積極的政策提言のため, 解
て, 国家現象に関わる基本潮流や機能変更を立体
釈のみならず立法や執行にも考慮を払い, その意
・・・・・・・・・
・・・・・・・
味で, 適用関連の解釈科学でなく立法志向の決定
・・
科学であり, しかも, 法自体を制御目的の実現手
的に可視化し, 現実と理念の乖離を解析する分析
段と見つつ, この制御に関わる多元的諸アクター
・・・・・・・・・・・・
を観察する, 行為志向の制御アプローチを採用し,
まる(67)。 もっとも, キー概念と嚮導イメージの区
そして, 法的行為以外の非規範的決定要素の科学
念に認めた諒解機能, 説明機能, ネット化機能,
的合理化を目指し, 基礎法学や隣接科学の知見を
方向づけ機能を, フォスクーレは嚮導イメージの
(64)
枠組を成すとしても (分析機能), 政治機能ゆえ
に, 科学的討議での分析役割は限定的なものに留
別は, 必ずしも明確でない。 まず第 1 に, キー概
。 ここで
中に認めているし, 第 2 に, 決定科学としての行
は, 法政策, 比較法, 立法学, 外国法などの重要
政法学が提言をするとき, このキー概念がインス
性も語るが, 中でも, 法学内部では, 民法・公法・
ピレーションのための展 望 台として働く, その
刑法を分かつ障壁に拘泥せず, 横断的法領域 (環
点自体に, 生産的ながらも不明確である, という
法)
危険性を見ているからである。 とりわけ後者が肝
を求め, 法学外部では, 経済諸科学, 社会諸科
腎で, キー概念に法原理としての性格を与えれば,
学, 技術研究, 行政諸科学等, 他の科学分野と
なるほど, キー概念は公法教義学の中でも取扱い
の, 間分野的・超分野的・多分野的な対決を求め
可能なものになる。 だがそれでは, 当該キー概念
る(65) 。 さて, この学際性の文脈で登場するのが
が記述概念か理念型概念か規範概念か, その概念
法的討議に導く, 学際性をも強調する
ゲヴェールライストゥンクスレヒト
境法・情報法) や全体的な考察(保
障
シュルッセルベグリッフェ
プラットフォーム
「キ ー 概 念」 の概念である。 つまりこれは, 各々
に如何なる内容が含意されるか, 一致した説がな
特殊の関心や方法で刻まれた専門討議の間の中,
いままに, 法律や行政が違憲/違法判断の強烈な
人が共通に注意や作業が振向けるべき領域を指し
サンクションを受けてしまう(68)。 結局のところ,
示し (諒解機能), 多数の情報や思想をたった 1
キー概念と嚮導イメージの差は余りないことにな
つの語句で束ね構造化し (説明機能), 様々な視
る。
座をまとめ (ネット化機能), 未来への手引きを
このキー概念の一つが, すでに我々が検討した
提示する (方向づけ機能)。 キー概念は思考に答
保障国家なのである(69)。 キー概念と嚮導イメージ
えでなく, 道筋を指し示す。 これは, 社会学的分
を一応区別するフォスクーレとは異なるが, ここ
析と法学的教義学の間に位置するものであるが,
で嚮導イメージ=保障国家の効能を探るシュッペ
学問領域相互間のコミュニケーション活性化を担
ルトを見よう。 彼は, 嚮導イメージの重要機能と
う役割を意識して, 制度や規律の既存レパートリー
して分析機能と政治機能を挙げる(70)。 第 1 に, 現
を, 実在条件の変化を考慮に入れて新たに検討し
代国家の任務が, その分量と性質につき分析可能
直し発展させるための必要な上位基本観念なので
となる。 つまりシュッペルト曰く, 1 つに, 近時
ヴェーク
(66)
ある
の民営化や規制緩和動向は, 国家/民間/第 3 セ
。
さて, キー概念と同類機能を持つものに
クター間の領土獲得戦でなく, 各セクター間の作
「嚮導イメージ」 があるが, これは, 前述の 「ス
業・機能・責任の新たな配分と見るべきだと, 保
リムな国家」 や 「活発化させる国家」 のように,
障国家は教える。 またもう 1 つ, 保障国家概念か
名宛人となる者の思考や行態を, 特定目標へと嚮
らは, 変化するのは国家任務でなく, 任務了解そ
導するものである。 いわば, イデオロギー的・政
れ自体であり, すなわち国家にインフラ責任があ
治的な強い衝撃力と示唆力を装備して, 特定のイ
るとき, それは, 全て国家が実現する充足責任で
メージを望ましいものに (「環境国家」, 「事前
なく, 最終責任はあっても非国家部門に委任しそ
配慮」), 又は疎むべきものに (「太った国家 」,
れと協力する保障責任であることが, 分かる(71)。
「お役所主義」) 仕立てる。 その意味でイデオロギー
第 2 に保障国家は, 或る国家像を体現する政治的
的・政治的で強い衝撃を持つ (政治機能)。 従っ
メッセージである。 つまりこの嚮導イメージは,
ラ イ ト ビ ル ダ ー
フェッター シュタート
ビューロー クラティー
38
保障国家と公法理論
現代国家はネオリベラルな国家でなく, 次の 4 つ
政策を裏書し, 精々その軌道修正する程度かもし
の観点で保障国家となれと求める, 政治的通告な
れぬ(79)。 既述の通りホフマン リーム, フォスクー
のである。 1 つに, 直接充足でなくとも公共福祉
レ, さらにマージンクが連邦憲法裁判所入りした
に責任を持つアクターであれ, 2 つに, 公共福祉
ことも, この文脈上で議論の余地もあろう。
を実現する市民社会の力量を引き出す主体であれ,
3 つに, 私人の誤った任務遂行はこれを正す公共
福祉の番人であれ, 4 つに, 私人との協働を実現
するための多種多様な役割を駆使せよ。 法律制定
や政策提言に以上の要求実現を保障国家は求める
三
1
保障国家の憲法理論
基本権論と保障内実
保障国家と基本権論
のである(72)。 新行政法科学を唱えるフォスクーレ
ところで, 保障国家を含む新行政法科学が決定
も, 保障国家というキー概念にこの分析機能と政
志向であるとしても, その方法論は, 飽くまで憲
治機能を期待していると見て差し支えないだろ
法秩序を前提とした限りであるに過ぎぬ(80)。 基本
(73)
。
う
法, つまりドイツ憲法は, 保障国家をどのように
保障国家概念の難点
論証するのか。 さて先に, 保障国家とは, 社会の
さて, 保障国家の概念が新行政法科学構想を基
自己規律に, すなわち私人による公共善実現に期
礎に持つのであれば, 保障国家の概念はこの構想
待するものと述べたが, 自己規律や公共善実現自
の長所も短所も抱込むことに, 必ずなる。 利点は
体, そもそも, あらゆる人間に発展の自由がある
この構想自身が語るものとし, ここではありうる
ことを前提としている。 つまり, 全ての個人が自
問題 2 つを, すなわち, 方法論上の問題と政策論
分の利益を追求することは当然なのであり, それ
上の問題を, 簡単に瞥見しよう。 さてフォスクー
と同時に, 他者の利益の実現やその他目的の達成
レは, 上記の如く, 方法と対象の双方につき大幅
が配慮される。 個人発展を可能にし, 公共福祉を
に戦線を拡大した自身の構想に, 合理性喪失の危
確保する枠組条件を揃えることが保障国家の調達
(74)
。 そのための処方箋は, 法
責任=保障責任であることは, 論及した通りであ
学的方法の維持と方法論議の活性化である(75)。 つ
る(81)。 ホフマン リーム曰く, この責任を定礎す
まり, プラグマティックな 7 段階モデルという作
るのが基本権なのである。 勿論それは, 社会発展
業方法がそれで, 公法学者に, ①自身の認識動機,
を国家侵害から守る防禦機能のことではない。 そ
②問題の背景事実, ③解決提案の現状, ④その理
うでなく, 自由の行使が他者利益や公共福祉をも
論的前提, ⑤法枠組との適合, ⑥決定案の基礎づ
配慮するという, こうした市民相互の関係を規律
け, ⑦自分の案の結果, これらを順序立てて分析
する法的秩序が必要なのであるから, そうした秩
せよと, 彼は要請する(76)。 だが, この主張が法学
序を形象化してくれる, 客観法的次元が肝要とな
者の研究の心構え以上のものを含むだろうか。 他
るのだ(82)。 これ以外にも, 法治国家・社会国家・
方, 新行政法科学が, 情報化や技術化, 欧州化や
民主主義など国家目標規定も憲法規範による保障
国際化の文脈で, 政策提言を支援するために登場
国家を定礎すると, ホフマン リームは言うが,
したことを想起しなければならない。 法を政策実
これらや基本権が, 自由秩序を確保し保障する立
現の手段と見ることに問題がある点はここでは問
法委託として働き, 拘束抜きで私法秩序や私的自
わぬが, これを新自由主義と同視するかはともか
己規律へと浸透して, その結果私人が私人同士の
く, 制御科学アプローチや新制御モデル (NSM)
関係において基本権の価値尺度に嚮導されること
の思考に立脚し, 新公共経営 (NPM) や公私協
になる(83)。 要するに, 基本権の価値秩序や各種国
働 (PPP) の流れを弁証したのに, 疑念の余地は
家目標規定が, 保障国家論が念頭に置く私人によ
機がある点を認める
(77)
ないのだ
。 その他にも, 電子政府 (E ガバメン
(78)
ト) などが話題に挙がるものの , 結局, 政府の
る公共福祉の追求に, 法的根拠を付与するのだ(84)。
ところが保障国家は, 基本権規範の支持をとり
39
社会科学論集
第 126 号
付けるばかりでなく, 基本権教義学そのものの構
の自由も考慮した発展自由を意味することになるが,
造にも重大な影響を付与することになる。 さて,
ホフマン リーム曰く, この他者なるものが, 基本
法律など或る国家施策による基本権違反をチェッ
クする場合, ドイツ憲法実務では, 周知の通り 3
権現実化で二重の観点で配慮されている。 つまり
・・・ ・・・・
基本権の形象化と制約設定, 2 つの高権的規律が
段階審査図式が採用されてきた。 ①法律に規律さ
それである(90)。 まず, 基本権の形
れる行為は基本権保護領域に当たるか (保護領域)。
自由行使の法的条件を確保することだ。 ここで
②法律による規律はその基本権保護領域への介入
は, 同一の基本権に複数の者が関わるとき, 利益
となるか (侵害)。 ③保護領域への介入は比例原
と負担とが混合した状況が法律により整序される
(85)
アウスゲシュタルトゥンゲン
象
化とは,
則により正当化できるのか (正当性) 。 けれども,
のだが, これは制約ではない。 自由行使のチャン
保障国家コンセプトの重要性を説くホフマン リー
スに, 保障内実に照らし形
シュッツベライヒ
ゲヴェールライストゥンクスゲハルト
ムは, 保護領域の概念を保
障
内
実の概念
(86)
ゲシュタルト
象を与えるだけであ
(91)
。 自由に制約を課すのは, 形象化とは一応別
る
シュランケンゼッツンゲン
に代えることを提案するのである 。 まず第 1 に,
の制 約 設 定の過程である。 ここでは, 自由行
保護領域の保護概念が持つ限定的な意味に理由が
使と, それと衝突する法益とが法律で調整される。
ある。 元々保護領域は, 国家活動から防禦すると
すなわち, 法律を根拠として, 基本権を侵害する
の論から出発するのだが, 基本権は, その発展か
国家活動を授権し, しかも同時に, とりわけ比例
ら見ると, 近代に移行する立憲主義初期では, 自
原則を用いてこの侵害活動を制限する (92) 。 この
由な法秩序をまずは打ち立ててみる立法者への委
形象化と制約設定に先立つのが, 保障内実把握
託の役割を担い, その後も, 手続保障や保護義務,
(具
シュッツ
ベシュレンケン
コンクレティジールンク
全法秩序の基礎原理 (第三者効) といった, 防禦
体 化) だが, 要するにホフマン リーム
では, 保護領域→侵害→正当化ではなく, ①基本
権や参与権以外にも様々な次元を得るに至ってい
権の具体化→②形象化/②制約の図式が採用され
る。 この基本権構想を記述するには, 最早 「保護」
るのである(93)。
領域では適切でない(87)。 ホフマン リーム学説の
中でもホフマン リームが強調するのは, 保障
第 2 の根拠は, 保護領域の領域概念にある。 つま
内実の具体化である。 つまり, 各種の基本権の特
り, 領域という言葉には, 国家に侵害される前か
殊な保障内実を確定しなければならない。 しかも
ら, 各個人に予め境界線で仕切られた空間が配属
その保障内実を論ずるのは, 国家が侵害する場合
されているとのイメージがある。 しかし, 協働や
に限らない。 基本権とは自由な発展としての全て
協力など国家と社会の責任と活動が多様にネット
人の行為を刻印づけるのだから, 保護や給付の保
化している現代社会に, こうした 「空間思考」 は
障, そして万人の自由行使の可能性を配慮する保
ベライヒ
(88)
適合的とはいえない
。 保障内実概念へのこの転
換を, 保障国家の観点から詳述してみよう。
障, こうした基本権の客観法的内実の場合にこそ,
具体化が重要なのだ(94)。 基本権規範の構成要件解
既に見た通り, ホフマン リームのいう保障国
釈という前提問題が優先的に処理された後, 次の
家とは, 国家任務を直接充足する国家でなく, 市
に, これを可能にする枠組を整備する国家のこと
審査段階, すなわち, 侵害審査と正当性審査に進
・・・
むのであるが, この保障内実が, 現実化のための
・・
憲法規範上の指針として作用する, つまり, 後続
だった。 つまり保障国家は, 私人による公共善確
審査のための基本法規範上の方針として影響する
保を信頼するのであるから, 或る基本権行使が基
のだ(95)。 実はこれは, 連邦憲法裁判所判事ホフマ
本権に保護された他者利益を切り詰めないよう,
ン リームの見解でもある。 彼は, 勿論彼自身が
強者の権力投入を枠付け緩和し, 全ての人の自由
・・
を守らねばならぬ。 その指針を提供するのが, 保護
・・
領域ならぬ基本権の保障内実なのだ(89) 。 そうなる
参加したグリコール決定とオショー決定を引く。
と基本権保障は孤立した主体の発展でなく, 他者
本法 12 条 1 項) の侵害ではないとし, 後者は,
民が公共善をできる限り自ら実現することを前提
40
前者は, グリコール混入ワインリストを公表した
連邦政府の行為が, ワイン業者の職業の自由 (基
保障国家と公法理論
瞑想団体 「オショー」 をカルトと述べた連邦政府
ある。 市民の自己責任に依拠する政治秩序では,
の情報が, 当該団体の思想良心の自由 (基本法 4
市民がその責任を果たし諸問題克服に参加できる
。 ホフマン リー
(96)
条 1 項) の侵害でないとした
ムが語るに, 2002 年 6 月 26 日のこの両決定は,
ため, 政治自身が情報提供をするのである(102)。
この第 1 法廷の傾向は, 2003 年 10 月 7 日判決
最初に保障内実を具体化し, そこから法律留保の
にも見て取れる。 ところで, 先に見た基本法上の
射程を導き出した。 従って, 憲法教義学の反転や
郵政自由化は硬直したものではなく, 87f 条以外
(97)
。 結局の
に 143b 条 2 項 1 文で, 連邦郵便の後継企業に連
ところ, 各人の自由行使のためにはその条件の整
邦郵便の独占権限を付与することが, 移行期間に
備が肝要で, この方向づけのためには当該基本権
限り容認されている。 これを受け, 郵便法 51 条
の保障内容の確定が重要である, これが保障国家
がドイツ郵便に独占権を付与したのだが, 本来
の要請する基本権教義学の内容だということにな
2002 年末までのその期限が, 同法の 3 次に渡る
三段階図式の放棄はここには存しない
(98)
る
改正により結局 2007 年までに延長されてしまっ
。
憲法裁と保障内実論
た(103)。 同法 5 条による免許を得て新規参入した 6
果たして憲法裁の立場は, ホフマン リームの
言う通りなのである。 その第 1 法廷はグリコール
つの郵便サービス企業が, この独占権延長で基本
決定でかく判断した。 異物混入ワインのリスト公
を提訴したのだ。 そこで, ホフマン リームを擁
表は, これに記載されたワイン業者に不都合に働
する連邦憲法裁判所の見解であるが, それによる
くことは否定できぬが, 市場参入者の競争行為に
と基本法 143b 条 2 項 1 文は, 連邦郵便の後継企
有意味な情報につき, その内容が個々の競争者に
業に独占権限を承認して, 87f 条 2 項の競争秩序
不利に作用する情報であっても, その情報が市場
の例外を設定するが, この 143b 条の適用ある限
に出回らないように要求する権利は, 元々基本権
り 12 条 1 項が排除されるのだと言う(104)。 だが,
ではない, と(99)。 つまり保護領域が狭く設定され
143b 条 2 項 1 文の独占権限は当然限定されるべ
て, 業者の利益は入口で退けられた。 ここで第 1
きである。 ただ第 1 法廷は, この独占権限の内容
法廷が重視するのは, 市場や競争が機能する条件
に 87f 条から限定を加える。 本条項の構造はすで
である。 市場で活動する企業は皆, 商品を販売す
に見た。 その 2 項は民間業者の活動を, 1 項は国
るために広告を打つだろう。 だが己に不利な情報
家の保障責任を規定するが, 一見矛盾する両者は,
法 12 条の職業の自由を侵害されたと, 憲法異議
が出たときも, 自社製品の品質を宣伝するはず。
結合している。 憲法裁は, 87f 条が規定する競争
他方で消費者の側から製品を購入するか決定する
原理と保障委託とのこの調和を, 143b 条 2 項 1
には, 当該製品の品質や種類につき十分に情報が
文がまさに国家の保障責任として求める, と言う。
必要である。 兎にも角にも情報, だ。 つまり, そ
したがって独占権限は, 連邦郵便の後継企業が自
もそも市場が機能するに, 売る側買う側, 市場参
由競争を生存するため, 郵便サービスの量と質と
加者が必要事項につきできる限り多くの情報を持っ
を確保するためにのみ, 承認される(105)。 143b 条
ていなくてはならない。 情報が十分に流通して初
の保障責任が働く限りで 12 条の保障内実が退く
めて, 市場の自己制御力が十分に機能する
(100)
。
だが, 市場独力でそうした十分な情報状況を保証
できるわけがない。 不正情報対策, 競争ルールの
わけだ。
ベッケンフェルデ説
さて, この保障内実の構想は基本権固有の領
整備, 消費者保護など, 市場の透明性, つまり,
域でも反響を見出だす。 例えばベッケンフェルデ
競争の機能条件を法的秩序により確保しなければ
は, 保護領域と侵害の二段階審査 (正当性を含
ならない(101) 。 そこで国家が, この公的コミュニ
めれば三段階) に代えて, 三編成審査 (同四編
ケーションへの参加権を持ち出す。 国家は, 政治
的正統性を探求する国家嚮導の任務を持つからで
成) を提唱する。 すなわち, 彼は保護領域を
ザッハ・ウント レーベンスベライヒ
ゲヴェールライストゥンクスインハルト
事 物 / 生 活 領 域 と保
障
内
容 とに分割
41
社会科学論集
第 126 号
する(106) 。 彼は保護領域の概念の中に, 当該基本
国家的視点が重要になるわけである。 ベッケンフェ
権に関連する領域を指示する記述的モメントとそ
ルデも実在領域に触れるが, 補充的なものに過ぎ
の関連領域の保護を保障する規範的モメントと,
ない(113) 。 第 2 に, ベッケンフェルデは基本権解
2 つの要素を見出すのだが, これらを別々に判断
釈の合理化を目指しているが, ホフマン リーム
しようというのだ。 つまりこの区別が曖昧な保護
は飽くまで保障国家構想に立脚して論を展開する。
領域の概念では, 規範的要素の意味も曖昧となり,
彼は, ベッケンフェルデのアプローチを肯定的に
保護されるべき自由が包括的な自由の意味に理解
紹介しはするが, それとは違い, 侵害/正当性問
され, その結果, 享有主体が自分で決めた任意の
題がなくなるわけではないと示唆する。 また, 保
内容が保障されてしまう。 そうなると, この保護
障内実把握でも抽象的比較衡量がある点を正面か
領域の拡張は侵害の拡張で帳尻が合わされて, さ
ら認める(114) 。 ヨリ決定的なのは, ベッケンフェ
らには, この侵害の正当性を測る審査に負担がか
ルデは防禦権を前提としているが, ホフマン リー
(107)
。 本来は, 侵害の根拠は実定
ムは基本権の客観的な次元から出発していること
憲法上は厳格に制限されているはずだが, いわゆ
だ。 保障国家が, 私人による公共善実現に期待し
る憲法内在的制約の発明で正当性審査の範囲は大
ていることからすでに, 客観法秩序に批判的なベッ
幅に拡張し, ついには, 裁判官が自身の比較衡量
ケンフェルデと矛盾するのは予想がつく(115) 。 保
をもって基本権違反を判断するとの, 憲法に内在
障国家と保障内容は無関係だとの指摘は, 彼につ
する権力構造に大幅な変更が起こる, のだとい
いてなら正しい(116)。
かることになる
う(108) 。 それを回避するために, 事物/生活領域
この保障国家と保障内実の関係で, メラースの
と保障内容を分割するのだ。 曰く, 事物領域はた
指摘が正当であろう。 つまり判例では, 集会自由
だ単に当該基本権の関連領域を記述するのみで,
の行使が民主主義の実現に仕えるごとく, 個別の
保障内容が, その関連領域で保障される保護や自
職業自由の行使も市場メカニズムの実現に奉仕し
由や参加の内容や範囲につき規範的に要請を行う
ている, と。 メラース曰く, 保護領域が保障する
のであり, そして, この保障内容を, 自由という
のは個人的自由それ自体でなく, それとは別であ
抽象的・統一的な観点でなく, 各基本権固有の個
る市場, 個人的自由が実行された結果としての市
別的・特殊的な観点から, その権利の成立史を踏
場, この市場という制度の機能なのである。 保護
まえて解釈するのである(109)。
領域は機能保護となる。 ならば, 職業の保護領域
結局ベッケンフェルデの 「新しい教義学」 では,
が市場の成立条件に制限されるのは当然で, 政府
侵害審査に先取り, 成立史解釈を中心に保障内容
・・
・・
が狭く解釈されることになろう。 さて, この保障
・・
内容概念に, 保障内実概念との一致を予想するの
情報がこの条件を構成するとき, この情報にも制
は易しい。 実際, ホフマン リーム自身もベッケ
の弁証を企図した保障国家と結びつくのは, 必然
(110)
限されてくる(117) 。 この意味で, 一見ただの広狭
を語るのみの連邦憲法裁の保護領域が, 規制緩和
, ベッケンフェ
的である。 だがメラースの指摘は, 判例理論にお
ルデの側も事物領域と保障内容を区別する事例と
ける憲法強化の傾向にも及ぶ。 すなわち, 保護領
して, 連邦憲法裁判所によるグリコール決定を既
域確定にあたり, 関連する法律規定の全体像から,
に提示しているのである(111) 。 だがしかし, この
必要な尺度が引出されている。 これは実質的に正
判断にはいくつかの留保を付けなければならな
当化の問題である。 法律から審査基準を引出すの
い(112) 。 第 1 に, ベッケンフェルデが強調するの
は違憲審査の否定だ, ともいえようが, 法秩序全
は規範的モメントであるが, ホフマン リームは
体という体系的正義を論ずるには, そもそも外か
基本権の実在領域への関連に力点を置いている。
ら尺度を援用しなければならず, その意味で憲法
だからこそ, 自由行使の条件整備, 例えば, 社会
内在的目的が必要となろう。 その点で, 民主的規
経済発展のためのインフラ整備が, すなわち保障
律余地が憲法規範により制約されることにな
ンフェルデをそう理解するし
レアルベライヒ
42
保障国家と公法理論
る(118) 。 憲法拘束のこの強化傾向には, 基本権を
ムが保障国家下で法律留保の転換を語る所以であ
社会問題解決の尺度とする, 第三者効力論や一般
る。
的自由権といった, 立憲主義化の傾向が重なる。
結局, 国家活動の拡張や私人の立法参画にも正
だがこの流れは, 現代民主主義でなく戦後復興時
統性が必要なのだが, これをどうするか。 まず,
代にこそ相応しい(119) 。 であれば, 基本権の能力
法律留保の射程範囲の拡張が予想される。 すでに
や機能の拡充を支えた F・ヴェルナーの語, 「憲
著名な本 質 性 理 論は, 従来の法律留保に備わっ
法法の具体化としての行政法」 は, もはや廃棄す
た権利保護と民主主義の 2 要素のうち, 前者を一
るべきだろう(120)。
旦外して後者に特化することで, 法律根拠を要す
2
ヴェーゼントリヒカイツテオリー
る国家活動の範囲を大幅に拡張することに成功し
法律留保の意味変化
た。 つまり, 基本権の保障内実を侵害する行為の
法律留保の縮小傾向
みならず, 自由行使の法的条件を整備し確保する
さらに保障国家の構想は, 法律の留保の概念に
行為も, 議会法律が必要となるのである。 もっと
も変革を迫るだろう。 この問いについても, ホフ
も周知の通り, この理論では, 法律を制定するか
マン リームの考え方を追尾してみよう
は明瞭でも, 規律の深さと濃さをどこまで求め
(121)
。 さ
て, 保障国家が社会による規律された自己規律を
るかは確定する基準が存在しない。 その結果,
信頼することは, すでに述べたが, これは新種の
規律する強度と細部を決める指針を決めるのは
国家活動の増大をもたらすことになる。 例えば保
連邦憲法裁判所で, 議会自らは本質的なるものを
障国家の行政活動は, フォーマルで命令を下す古
何も具体化できないとして, 結局, 議会実務には
典的活動でなく, インフォーマルで人々を方向づ
逆 さ ま の 本 質 性しかないと揶揄される程で
けるものへと拡大している。 日本流にいえば行政
ある(125) 。 それゆえ, 厳格な本質性説から憲法裁
指導など, インフォーマルな行政の活動形式は,
はすでに撤退したとも言うが(126) , 実際, 先に見
高権的手段の投入前に実施されるが, 一方的な権
たグリコール決定やオショー決定にもその兆候が
力行使を中和させ, 行政と私人の情報不均衡を直
ある。 連邦政府の情報提供は, 保護領域→侵害→
し, 情報共有の手続を確保してくれる。 さらに注
正当性の三段階審査の中, 侵害段階でなく保護領
目の環境税など, 経済的刺激を用い政策目的へと
域段階で, 憲法上保障されないと言うのだが, そ
嚮導する刺激付与的行政活動は, 私人の自己判断
こで言う侵害とは法律を根拠とする国家活動を意
を尊重し, その私益の追求のみならず公共善追及
味するのだから, この決定は, 情報提供には法律
を促進する, 保障国家典型の活動形式である(122)。
留保の適用はないと述べたに等しい(127) 。 基本権
これも言及済みだが, 公共善の国家独占が解除さ
の保護内実は基本権毎その都度確定するべきとの
れ, 私人も公益を推進するなら, この主体双方の
立場からは, 保護領域を一般的自由権の如く扱い,
協力, つまり公私協働が通常となり, さらに, 国
侵害を本質性概念で見て取り, 正当性を包括的な
家による高権的な承認や変換を条件に, 私人が定
比例原則で推し量る見解は, 非難さるべきなのだ。
立する規範も正規になる。 これは保障国家が前提
すなわち, ホフマン リームの基本権理論は本質
とする自己規律であった
(123)
。 だが, こうした新
種の行政手法を従来の法律留保は想定していない。
ウムゲケールテ ヴェーゼントリッヒカイト
性理論を排除する(128)。
法律留保概念の改鋳
すでに言い尽くされた論点だが, インフォーマル
では, 新種の国家活動には法律留保が不要だと
で間接的な作用を古典的法律が敵視する, 古典的
いうことになるのか。 必ずしもそうではない。 ホ
な侵害行為と評価はできないのだし, 行政と協働
フマン リームの立論を続き見てみよう。 彼曰く,
する市民や組織は法律による正統化の射程には入
法律とは, 自由確保の品質を規範的に保障する手
らずに, その意味で憲法上のフォーマルな手続が
段である。 したがって法律留保とは, 問題解決の
出し抜かれてしまうからだ(124) 。 ホフマン リー
品質を規範的に確保せよとの要請と理解される
43
社会科学論集
第 126 号
ものとなる。 それゆえ, 国家の侵害が主題とな
律であれ法律適用であれ間接手段であれ, 多種多
る自由主義法治国家では, その侵害からの十分
様な制御ファクターを含む規範プログラム全体の
な程度の保護が問われ, 間接的行為が注目され
制御力なのだ, とホフマン リームは述べる(137)。
る現在の国家では, 高権的任務実施や私人の任
ならば, 法律の留保ならぬこの規範の留保は, 国
務遂行を望ましい程度に保障することが, 要求さ
家的制御の品質を最良に保障する者とは一体誰か,
れるわけである(129) 。 そうなると法律は, 以上の
で判断されるのだ (規律の選択)。 議会の最高の
クヴァリテーツ ゲヴェールライストゥンク
レギュラトリィ チョイス
障のための一手段にしか映ら
権威と行政の柔軟の判断, などが基準となるであ
ない。 法律が品質保障の手段ならば, 問題の錯綜
ろう(138) 。 しかし法律以外のものが国家行為の根
状況を適確に洞察した上, 一般法律の制御力の限
拠でもよいのなら, その国家行為の正統性が欠け
界を知り, 別制御因子の活性化を図るべきで, 結
はしないか。 実は必要なのは全体的考察である。
局のところ, 問題に適した品質保障の道を探求し
元々国家行為の正統性を法律で手配することは,
品
質
保
(130)
。 この要請は, 要件効果図式
国民から機関へと, 正統性の連鎖を直線的かつ
の古典的な法律の制定以外にも波及して, 法適用
下降的に導出する, 形式的な正統化だが, これは,
の場面では, 問題や手続を志向する考察方法の適
開いた規範定立や複雑な制御装置の下では不十分
用を迫るし(131) , 法類型の場面でも, 私人を特定
となった。 むしろ, 規範的正統性とは, 透明性,
なければならぬ
アンドローウンクスゲセッツェ
ジュンボリッシェ ゲゼッツェ
律等,
インプットの正しさ, 手続の正しさ, 機会の正義
多様な制御要素を考慮した新しい法律類型論の発
など, 様々な実質的要素も想定するべきであ
行為に向ける威
嚇
案と構築を促すし
(132)
法
律や象
徴
法
ヒエラルヒッシュ
, 法形式の場面では, 議会
る(139)。
や条例など制御の品質を最良に保障する法形式の
結局, ホフマン リームが示唆する, 法律留保
の変化とは次の通り。 つまり, 保障国家が要請す
選択を命じる(133) 。 もちろん, 規範が必要な対象
る国家の間接作用や私人の規範定立にも, 規範的
は何かを決定する大権は議会に残るし, 法律優位
正統性は必要であるが, それは規範の留保でさえ
の原則を見ると, 一旦法律となった事項を改定す
あればよい。 本質性理論の論ずる議会留保を直接
る権限も議会に残るから, その意味で議会法律に
適用すれば全部留保となるから, それより, 個別
法律以外にも法律下位の規範を念頭に置き, 命令
(134)
。 しかし, 法律留
法律でない, 規範全体による正統化を求めるべき
保では, 以上の規範多様性も承認されねばならな
で, それは, 単なる形式的でない実質的正統性を
い。
もって実行される, と。 もっとも, 法律留保から
一定の優位性は承認される
ここでのホフマン リームの見解は少々断片的
規範留保への, この 「法律留保」 の変化は, 統制
だが, 強引に言えば, 保障国家に伴う間接的作用
手段全体の中から法律を選択する基準を変更した
や私人の立法を念頭に置く法律の留保は, これら
上で成り立つ。 つまり, 議会は憲法上最高権威を
国家活動に法律根拠を直接求める, 議会の留保の
持つ多元的な代表機関であること, 全知全能の立
拡張でなく, 規律の種類や強度の多様性を認める,
法者でないが, 制御への要望を取集め, その解決
規 範 の 留 保 となるべきとなる(135) 。 実は, もし
策を選別し, 人々を行為へと振向ける, 諸アクター
仮に法律留保をそのまま全部留保へと拡張したと
の調整者であること, 議会のこうした特色ゆえに,
しても, 射程を拡張されたその法律自体が, 規律
法律が制御手段に選択されるのである(140) 。 そう
対象たる実在を単純化して適法か違法かと二極的
であれば, 法律が持った, 基本権を保護する自由
に裁断する, その古典的構想では機能しない(136)。
主義的機能や正統性を供給する民主主義的機能は,
だが, 法律のこの制御力の低下は議会法律の欠陥
量的差異はともかく質的には, その他の規範行為
と見るべきでなく, 投入すべき制御媒体や制御要
や事実行為から法律を区分する意味は見出せない。
素の多様性の現れと見なければならぬ。 つまり問
むしろ, 国家制御に対する人々の多種多様な期待
題であるのは, 個別法律の制御力でなく, 議会法
が公のものとなり, しかも, この諸々の期待が立
ノルミールンクスベハルト
44
保障国家と公法理論
法手続の進行の中で徐々に調整されて, その上,
の保障義務だけだ, とフランツィウスは言う(143)。
直接規制であれ間接規制であれ一定の制御手段へ
国家概念蒸発の指摘は, とりわけ EU との関係
と収斂し, 場合によっては, その規制効果を法律
で厳しいものである。 すでに触れた, 郵便制度と
改正にフィードバックさせる, この固有の立法手
遠隔通信の民営化, 連邦鉄道の民営化は, EU 上
続が, 規範全体から法律を際立たせるわけである。
の自由競争のための市場経済開放の原則を現実化
ホフマン リームは明言するわけでないが, 法律
しただけだ。 近年の EU 命令や EU 指令が各構成
留保の意味変更は法律概念の意味変更も含意して
国に対して義務づけたこととは, これまで国家に
いる(141)。 この問題は, ひとまず措こう。
より統制され独占された市場を開放することであ
3
り, 公共善を志向するサービス供給を民間業者に
保障国家と国家概念
義務づけることである。 つまり EU 法は, 適当な
欧州化と国家の喪失
品質と適正な価格で, 最低限のサービスを利用者
ところで, 以上の保障国家論が, 国家と社会の
全てに保障するという, ユニバーサルサービスを
責任配分を再定義し, 基本権理論の改鋳を促進し,
求めている(144) 。 先のフォスクーレの出す例に,
法律の留保の変革を要請するとしても, だが, 肝
EG 条約 16 条と 86 条 2 項がある。 16 条 「……共
腎の保障国家論の国家はどのように変化するので
同体と構成国は, 本条約の適用領域でのそれぞれ
あろうか。 ホフマン リームは, 密かに次の如く
の権限の枠内で, [一般的経済利益を持つ] サー
定義し問題を処理してしまう。 「私は国家の概念
ビスがその諸任務に合致できるよう, このサービ
を, 高権的諸権限を持つ行為主体全体を意味す
スが機能するための諸原則と諸条件を形象化する
る略号として, 使用する」。 追って彼は言う。 直
ことを, 配慮する」, 86 条 2 項 1 文 「一般的経済
接/間接行政の主体 (連邦, 州, 自治体など),
利益を任された企業または財政独占の性格を持つ
相対的独立性を所持するエイジェント, 高権権力
企業には, この条約の諸規定, 特に競争規則を,
を持つ民間の被委託者, これらが国家概念に含ま
この諸規定を適用してもこの諸企業への委譲任務
(142)
。 しかしこれでは, 国家の変遷とは
が法的にまたは事実上妨害されぬ場合に限り, 適
任務の変遷に過ぎないではないか。 つまりここで
用する」(145)。 つまり, 16 条は構成国に市場構造の
は, 国家任務の性質や分量が社会との関係で変更
機能保障を積極的に義務づけ, 86 条 2 項 1 文は
されはするが, 初めから国家概念が所与のものだ
公的任務が阻害される限りで EU 法排除を認める。
れる, と
フォアゲゲーベン
フォアゲゲーベンハイト
と決めてかかっている。 国家の前 所 与 性を問う
後者に該当する企業を定義する権限は構成国にあ
べくドイツ憲法理論が登場したのではないか。 実際
・・
・・
のところ, 保障国家理論にとり保障国家概念は不
り, その点従来の独占企業が存続し市場開放が頓
要なのである。 新行政法学派の 1 人といってよいフ
定の排除は, 最終手段に過ぎず, その意味で, 引
ランツィウスは, こう主張する。 第 1 に, 私人や団
き続き規制つき競争の原理が, 特権的企業に原則
体など公共福祉の実現主体が分散化した現在では,
優位したままなのである(146)。
この決定レベルの多元性を表現するに, 国家概念
挫するかに見える。 が実態は反対だ。 EG 条約規
ところが, 国家概念の蒸発の中で国家科学の復
では十分ではない。 従って第 2 に, 今や国家は,
興が唱えられている。 例えば, 先の新行政法学の
私人諸活動により成立つ, 任務として課されたも
論者が, 一般国家学のルネサンスを語る(147) 。 す
のだが, であれば, 固定した国家概念は蒸発して
なわちフォスクーレ曰く, 公法の欧州化と国際化
しまう。 第 3 に, 国家の保障責任は実は EU の決
の時代における, 一般国家学への多様な批判があ
定機能に拘束され, 国家は不完全な主権単位から
るとしても, その再生が緊急である。 この学には,
体 」 EU の一部でしか
もはやその研究対象たる国家それ自体が, 公私協
ない。 必要であるのは結局, 責任配分に関する規
働や技術社会や国際社会の中で, 型落ちモデルと
律構造を公法上の保障法, これを具体化する国家
なってしまった, とか, また, その国家とは, そ
ア
ウ
フ
ゲ
ゲ
ー
ベ
ン
ゲヴェールライストゥンクスゲマインシャフト
なる, 「保
障
共
同
45
社会科学論集
第 126 号
もそも憲法により初めて構成される存在で, なら
る(155) 。 では, 文書閲覧が権利保護に限定される
ば, 国家自体でなく実定憲法を考察するべきでは
理由とは。 それはドイツが誇る主観的権利の学説
ないか, とか, さらに, 一般国家学には, 適切な
にある。 私益を実体的に分厚く保護し裁判所によ
方法 1 つが欠如しているのであり, 社会学や政治
り保障する, 個人保護のシステムだ。 だがここに
学や国制史の寄集めではないのか, と攻撃がなさ
は欠陥がある。 具体的な私権の保護が問われぬ限
れる(148) 。 しかし彼は, もちろん欧州化は国家の
り, 情報公開を要求できないのだ。 つまり情報ア
地位を相対的に低下させるが, だが, 国家学の歴
クセスは, 私用のみに許される非政治的なものと
史を紐解くと, 共通の国家概念は存在しなくとも,
なる(156)。 そこで, 私権保護の限定を外すための,
社会全体の構造やその一部たる支配権力が探求さ
改革圧力がここに作用する。 1 つが, 欧州議会の
れたのは, 確かだ。 社会全体であれ権力組織であ
透明命令など, 欧州化による外的な要請であり,
れ, これらを探求するべきなのは今も変わらない。
1 つが, 法律が持つ制御力の低下から出現する,
それを適切に表現する概念は, 国家以外に存在し
内的な圧力であり, そしてもう 1 つが, マルチメ
ない(149)。 また, 実定憲法学が重要としても, EU
ディア化による情報社会の発展である。 これらか
内の民主的正統性の調達や民営化から留保される
ら, 行政公開に関する新しいコンセプトが誕生す
国家任務につき, 実定憲法は教えてくれない。 さ
るという(157)。
らに, 一般国家学に方法が欠如しているとしても,
これら情報公開の改革圧力の中から, 第 2 の観
むしろそれは, 他の諸学問を包括する学際的な反
点に注目してみよう。 まず先の内的な圧力とは,
省枠組という役割を与えるだろう(150) 。 しかしこ
「制御科学による視座の拡張」 に基づく。 つまり,
のフォスクーレの国家学擁護では, まだ不十分で
法律を制御手段として考察すれば, 法律が行政に
(151)
。 ここでは, 権力組織や公的任務や
授権してこれにより行政がピンポイント的に介入
学際研究が研究に重要だとしても, なぜそれを一
するというかつての図式は, 今や現代行政任務の
般国家学が引受けるべきかが, 実は論証されてい
特徴を適確に把握していないことが, 判明する。
はないか
ない
(152)
。
事前配慮し規制する行政の下では, 法律の制御力
透明行政をめぐって
は縮小したわけだ。 むしろ法律以外の手段で, 私
結局, 保障国家であれ新行政法科学であれ, さ
人の活動枠組を間接的に確保すべきで, それには,
らに新国家学でさえ, 公法の欧州化や国際化を推
多元的関係的な利益構造が一層複雑に調整される
進し, 規制緩和や公私協働を正当化する近時のド
過程を, どう促進させるかが肝要で, 法で縛る思
イツ公法学の傾向には, 国家概念は要らないので
考は捨てなければならない。 そのためには, 私人
はないか。 国家概念や国家理論の要否という, 巨
の主導や参加を許す情報交換が必要なのであ
大な問題に直接には触れずに(153) , ここでは,
る(158)。 しかも今や情報社会である。 マルチメディ
2003 年ドイツ国法学者大会の第 4 テーマ, すな
アで情報が時空を超えて利用可能となり, その情
わち 「透明な行政」 から, 国家をめぐる議論の端
報が相互に接合されて新しい価値が生れる。 情報
緒を探すこととしよう。 報告者は, ヨハンネス・
が GDP の 3 分の 1 を生出すこの時代に, 行政が
マージンクとロルフ・グレシュナーの二人。 まず
情報を隠せば, 市民から多様な選択肢を奪い, ド
は連邦憲法裁判所の新裁判官, 先のマージンクに
イツから経済的繁栄を奪うだろう。 こうした展開
(154)
ご登場願おう
。 彼において透明性問題の中心
の帰結が, 全ての人のアクセス権, 情報の自由な
を占めるのは, 情報公開請求権である。 曰く,
のだ(159) 。 以上の論理は, 我々がすでに見た行政
EU 諸国の殆どで, 市民の情報アクセス請求権に
改革弁証の論理と同系だろう。 確かに, マージン
限定がない。 だがドイツはその例外であり, 環境
クは保障国家の概念には懐疑の目を向けてはい
情報法を除いて, 手続当事者が自己の法的利益を
る(160) 。 しかし, 社会への強制的介入を行う伝統
保護する場合に限り, アクセスが承認されてい
的な法律のイメージを捨て, 上の情報と経済の関
46
保障国家と公法理論
係など, 社会自らの自律的な利益調整に期待し,
主権が民主政で具体化される, のでなく, 政治的
その活動構造の間接的調達を求めるのは, まさに
に同権の市民がポリスの秩序につき共に決定する,
保障国家であろう。 だが, この制御科学的観点で
のである。 この市民は, 共同体の良き憲法 (ポリ
も, 法律が制御力を失うまでに至るか, そうでな
テイア) に人格的責任を持ち, そして公共の場で
いなら法律を作る国家とは何か, これは不明なま
演説し決議する能力を持つ, 完全なる市民である。
まである(161)。
すなわち, この市民が全て普遍に=一般的に政治
共和主義的透明行政
参加するのである(167) 。 次に第 2 に, ローマでは同
代わって, 透明な行政を共和主義的に理解する
(162)
じ公共性概念が共和主義的に理解される。 つまり,
レ ス
プ ブ リ カ
。 このときの彼が採るア
ローマ共和政では公共の関心事とは 「国民の事柄」
プローチとは, 教義史であり教義哲学である。 す
である。 共同態の決定にあたり, 公共善に向けて
なわち, 基本概念をその背景の歴史と哲学に遡行
論証することが肝腎であり, 全ての公権力も, 共
のはグレシュナーだ
(163)
する態度である
。 けれども, 「透明な行政」 の
和国憲法原理として公共善へと義務づけられる。
歴史にいきなり踏み込むわけではない。 透明な行
公共善を示すために弁論の場所では一二表法が掲
政は様々なレベルで要求されるが, その理由は一
げられたというが, ローマでの公共性とはまさに
様でない。 例えば, ドイツ環境情報法は無限定の
公共善への方向づけを意味したわけだ(168)。 だが,
情報アクセス権を承認するが, その根拠は法治国
私的個人の主観的権利を保護する法治国家では事
と民主政でなく, ただ環境保護の厳格実施であ
情は異なる。 例えば, 行政訴訟当事者は自身の利
(164)
。 また, EU 法は, EU 議会, 評議会, 委員
益に関して情報公開を求めるが, この透明性要求
会の文書公開を求めるが, この原則が原則なのか
は, まさに個人の権利を実現するためのものであ
例外なのか, 構成国間で意見の違いがあるし, 手
る。 しかし, この透明性では, 公的利益は秘密の
続公開が EU 機関の民主政的性格を強化すると前
ままでよいことになる。 全データへのアクセス権
提するとしても, その民主主義のドイツ的理解と
を認めるには, 法治国家的透明性ではなく, 民主
EU 的理解とがヨリ乖離するだろう。 ドイツ人は
主義的一般性や共和主義的公開性を包含する公共
EU 統合政策の正統性欠損を民主性欠損と考える
性が要るのだ(169) 。 秘密司法は法治国家に, 秘密
のだが, EU 的には仮に正統性欠損があるとして
議会は民主主義に抵触し, 秘密行政は共和主義に
も透明性欠損の解消により民主性欠損が解消され
抵触する, とグレシュナーは言うが, 政治的法と
る
(165)
。
しての公法を復権させ, 公共性と一般性と透明性,
だが, 透明性の理由づけに何とも統一がない。 そ
これらの公共性作用の上位概念を誕生させようと
こで教義史である。 確かに透明性は近代的な術語
いうのが, この共和主義者の主張である(170)。
る
透明性が民主性を補う, と考えるのだ
だが, その内容はそれよりずっと古い。 透明性を
ならば, グレシュナーにおいて透明性とはいか
欧州共通の法理念の地位に高めたのは法治国家の
なる意味を持つのか。 難解ゆえ多分に解釈を含
みでない。 アテネ民主政とローマ共和制の公共性
んだ上だが, 彼の見解を簡単に紹介しよう。 さ
の経験を追加するべきである。 つまりグレシュナー
て彼によると, 情報技術の展開で情報社会の進
が言うに, 透明性は公共性から帰結するのだが,
展があるとしても, この情 報 化 さ れ た 社 会 が
これとは別に一般性や公開性からも帰結する。 こ
情報を身につけた社会であるとは限らない。 情報
こで教義史を出す。 一般性はギリシャ, 公開性は
を身につけるには, 情報受領者独自の解釈が必要
ローマ, 透明性は近代に由来する, と。 つまり,
だからである。 ならば, 情報提供者のみでなく情報
彼は欧州連合でなく, 古い欧州伝統を援用するわ
受領者の地平も考慮に入れつつ, 情報は, 情報と
けである(166)。
解釈の解釈学的相互関連から把握しなければなら
まず第 1 に, ギリシャに言う民主政とは全市民
の参加のことである。 前もって存在する統一体や
インフォルマティジールテ ゲゼルシャフト
インフォルミールテ ゲゼルシャフト
ぬ。 その結果, 情報とは, 二者の関係に基づく対
レヒツフェアヘルトニッセ
話的概念と理解される。 彼は, この法
関
係,
47
社会科学論集
第 126 号
インフォルマチオンスレヒツフェアヘルトニッセ
情
報
法
関
係から情報法を体系化しよ
うとするが, さらにこれを, 一般情報法関係と特
(171)
たときは, 星を手掛かりに森から抜出せばよい。
我々はその星に辿り着けはしないが, その星に手
。 まず一般情
引かれるのである。 定義困難な公共善こそ, 私益
報関係とは, 行政官庁と公衆全体との権利義務関
から抜出すための 「導きの星」 なのだ。 意思形成
係だが, 厳密には, 公衆全体は情報主体でないか
過程の正統性は, 私益志向の純民主主義的な教義
ら, 行政官庁の一方のみが, 公衆全体を参加させ
学でなく, 全ての人に関与する問題, 全ての人の
発言させ決定させる, 権利ならぬ任務を背負う。
福祉を要請する問題, つまり, 全体的なるものに
もっともやはり, この任務遂行は公衆により強制
向かう純共和主義的な教義学により, 論証される。
されることはない。 しかも, ここでは公的情報秩
公共善の現実化は民主国的・法治国的に把握する
序に体系性が付与されることになるが, その体系
のでなく, むしろ, この共和主義の視点から, 公
性は, 人を情報の勝者や敗者にせぬ情報配慮の任
共の福祉と職務を見なければならない(175)。
別情報法関係に分けて整理する
ライトシュテルン
務であり, 自由な民主政の基礎となる客観的法原
そしてグレシュナーは, 公共福祉は職務の中で
則としての情報の自由である(172) 。 他方, 官庁と
実現される, と言う。 さて彼曰く, 共和国が君主
市民の権利義務関係を指すのが特別情報法関係で
国の否定, 独裁制の否定を意味するなら, そこで
ある。 ここで目的不問の回答請求権を法律が承認
は, 全ての権力関係の法的関係への転換が必要と
する場合, その公権には, 共通事項に関して政治
なるだろう。 この法的関係の中でのみ, 支配や専
的に責任を負う市民の地位が想定されている。 さ
制の行使が排除されるのである。 これはさらに,
て重要なのは, この権利が, 行政法上の特別の職
全市民と全権力主体の間に成立する一般的法関係
務法関係の中でコミュニケーションによる共同善
と, 相関する特定の法的主体の間の特別的法関係
(173)
現実化のために用いられることだ
。
とに区別されるのだが, これは先の, 一般情報法
関係と特別情報法関係との区別に対応する(176) 。
公共福祉と職務国家
留意すべきは, グレシュナーにおける公共福祉
とはいえここで肝腎なのは, 職務法関係による公
と職務の関係である。 ところで, わが国のかつて
共善の実現である。 つまり, 公共善は, 個々の市
の最高裁判例法理を持ち出すまでもなく, 公共の
民, 複数の市民, 市民の全体に向けて, 一般的決
福祉や共同善観念は, 定義付与が難しく不安定な
定, 個別的決定, 規範的決定, 事実的決定など,
ものである。 つまり, 所与のものでなく任務とし
実定法上体系化された作用や権能を通じて, 職務
て課されたものが公共善である。 しかし, これを
の制度の中で具体化される。 基本法で言えば, ま
政治的意思形成の多元的プロセスの産物と見るの
ず市民は等しく市民としての権利と義務を持ち,
は, 或いは, 多様な私的利益から始まるただ民主
その点 「包括的な国家=市民=関係」 に置かれる
過程の産物と見るのは, 公共善の問題核心を見失
が (33 条 1 項), さらに市民はその特性や能力や
うことになると, グレシュナーは指摘する。 つま
業績により等しく職務に就くとされ, その点 「基
り, 確かに民主制の観点からすれば, 基本法上の
本権的地位から共和制的地位へと」 移行する (同
各種基本権の保護領域内部で, 政治的な意見表明
2 項)。 つまり, そもそも市民は, 政治的意思形
など様々な自由が行使されるが, けれども, この
成への参加の点で民主制的に活動し, 公共福祉を
市民の民主的諸権利が実現するには, 職務所掌者
志向する点で共和制的に活動するのであるが, ま
の共和主義的な諸義務が補充されることが, ぜひ
さに職務に就くことで, 法的な拘束を受けない基
とも必要なのである。 すなわち, 職務は国民福祉
本権的市民から法的な拘束を受ける職務=市民へ
のために (基本法 56 条, 64 条 2 項), しかも法
と, その地位が変化するのである(177) 。 この職務
律上の職務義務に転換された憲法上の職務倫理に
に就く者は, 首相であれ大臣であれ判事であれ官
基づいて (33 条 4 項, 5 項, 97 条 1 項), 遂行さ
僚であれ, 共和国の制度上の代表なのであり, 任
れなければならぬのだ(174) 。 深く暗い森で彷徨 っ
務を遂行する義務を負うのだ。 彼らには基本権,
さ ま よ
48
アムツ・シトワイアン
保障国家と公法理論
ましてや, 官憲的な高次の権利は付与されえな
担するが, 2 つに社会の規律された自己規律によ
(178)
る公共善実現にも期待しつつ, 3 つにその社会の
。
い
結局, 共和国とは制度化された職務秩序を必要
公共福祉実現の枠組を準備する, 国家であること,
とし, しかもそれは, 人格がその職務中で全体に
この保障国家は, 郵便改革を実現した基本法 87f
奉仕するよう組立てられなければならぬ。 その意
条中に反映され, さらには, 規制緩和などを弁証
味で, 職務とは共和国の条件関係だとグレシュナー
する新しい法教義学を要請すること, そして, そ
(179)
。 否, この論理からは, 全ての国家
の背後には, 裁判統制志向の法学的方法の克服を
は共和国であり職務国なのである。 つまり, 公共
目指し, 制御科学の視点から行政を分析し, キー
善を目指す職務があればこそ, 支配は国家となる
概念を通じて行政諸科学の連携に向かう, 新行政
のだ。 まず, 職務によりその職務保持者はその人
法科学の構想があること, これらが判明した。 第
格を封印し地位に就任し, これにより, 権力は人
2 には, 保障国家概念が憲法理論に与えたインパ
格でなく職務を通じて行使されることになる。 そ
クトを測定した。 すなわち, 公共善実現のための
れは, 剥き出しの支配が職務を通じて正義と合致
公私協働を前提とする保障国家では, 個人領域を
するのを促すが, そのような職務秩序や職務体系
予め領域的に区切り, これを侵害行政活動から保
こそがやがては国家を生出すわけだ。 つまり, 古
護するという, 古典的な防禦権志向の保護領域の
代であれ中世であれ近代であれ, 国家なるものは,
発想は克服するべきこと, しかも, 私人の公益実
全てこの職務秩序や職務体系を媒介に現れてくる,
現を促す新手の活動にも正統化根拠は必要で, し
職務国家なのである。 職務を破壊する大衆文化や
かし, それは法律根拠の拡張という本質性理論的
全体主義やナチズムによる断絶はあるが, 基本法
な解決ではなく, 形式的な規範と実質的な正義と
に基づくドイツ連邦共和国も, この意味で共和国
の総合的な解決を要求していること, そして, と
なのである(180) 。 さて既述のとおり, 透明な行政
はいえ保障国家概念とは, 公私間の責任配分のみ
がまさに, この共同善実現のための職務法関係の
を語り, 国家そのものの弁証を不要とする概念で
中のコミュニケーションに向けたものであるとす
あること, これらを導いた。 この他, この保障国
れば, それは, 全国家史を貫く職務国家の構造を
家概念が, いかなる公法解釈方法論を求める
何ら放棄するものでない。 ところが, 保障国家論
か(184), いかなる学際研究の手法を求めるか(185),
の前提, つまり, 国際化や欧州化の諸潮流が国家
など, 重要問題は通過したが, 公法理論において
と社会, 国内と国外の間の任務再配分を要請して
保障国家概念が占める意味は明確になったと思う。
いるとの前提, これが既存の国家概念を留保した
国際的な改革競争に駆り出される心配が少ない
は述べる
(181)
。 けれども,
わが国では, 以上の保障国家論により規制緩和の
この主張が公共善実現の役割分担として展開され
緻密な憲法論議ができるかもしれない(186) 。 だが
る限り(182) , 職務秩序の構造, 共和主義の伝統に
本当は, 保障国家概念の意味が, 難題を解決する
は何らダメージは見受けられず, さらに, 国家理
点にではなく, 難題を惹起する点, 少なくとも難
論は無傷のままであるようにも, 思われるのであ
題を指し示す点にあると思われる。 それは, 最終
まま, 承認されているのであった
(183)
る
。
章で検討した国家概念それ自体の問いに限定され
ない。 例えば, 郵便民営化を正当化する基本法
四
結
語
87f 条の法的性質は結局, 原則規範や国家目標や
制度保障など既存の範疇で説明されるのだが, こ
ドイツにおける保障国家論を概観した成果は,
れでは, これら範疇相互の関係の混迷が益々進行
下記のとおりである。 まず第 1 に, 諸改革にて果
するに違いない(187) 。 更に, 新行政法科学が志向
たすべき保障国家概念の任務を検討した。 つまり,
する, 立法志向や学際志向の考察態度が解釈学で
保障国家とは, 1 つに公共善実現の最終責任を負
あれトピクであれ戦後法学方法論とどう関係する
49
社会科学論集
第 126 号
Aus
ubung von Staatsfunktionen. Zugleich
eine Rekonstruktion der Legitimationsdog-
か不明で, また, 行政学復興を目論み挫折し古い
行政法学も忘却されている
(188)
。 まだある。 こう
matik, 2004 ; Andreas Musil, Wettbewerb in
した方向を規定する制御科学アプローチも, 法律
der staatlichen Verwaltung 2005 ; Michael
を目的=手段の連鎖の中に見る, 或る意味伝統的
Anderheiden, Gemeinwohl in Republik und
な視座に立つままで, 結局, 法解釈の図式を法政
Union, 2006 ; Claudio Franzius, Gew
ahrleistung
策の次元にシフトさせただけかもしれぬ(189) 。 基
im Recht. Grundlagen eines europ
aischen
Regelungsmodell offentlicher Dienstleistun-
本権理論や法律の留保という教義学のレベルにも
gen 2008 (im Vorbereitung).
爪あとを残した。 保護領域概念の放棄は比較衡量
を全面拡大させる危険を所持するし, 法律留保の
(5)
例えば, 最近のドイツ連邦憲法裁判所の決定か
ら列挙するとすれば, 州立病院全てを民営化する
変容も侵害という明快で単一な尺度を縮減させて
ニーダーザクセン州の決定への異議を却下した
しまう。 おそらく, この保障国家概念のブームが
2005 年 9 月 21 日決定 (2 BvR 1338/05), 2 つの
しばらく止むことはないが, 所詮, 拡散しがちな
大学病院を民営化するとのヘッセン州法への異議
学際研究を方向づけるべく導入された, 単なるキー
を 却 下 し た 2005 年 12 月 27 日 決 定 (1 BvR
概念では, こうした難題を一挙に解決することは
1725/05), 連邦郵便の民営化の後に連邦郵便の
後継企業に付与された独占権の期限を延長するこ
期待できまい。 だが, そもそもこの保障国家概念
と を 合 憲 で あ る と し た 2003 年 10 月 7 日 判 決
の意図が, ホイリスティッシュな点にあるなら,
それはそれでその目的が達成されたことにはなろ
(BVerfGE, 108, 370)。
(6)
う。
Vgl., Aufbruch und Erneuerung. Deutschlandsweg ins 21. Jahrhundert. Koalitionsvereinbarung zwischen der sozialdemokratischen
最大判昭和 47 年 11 月 22 日刑集 26 巻 9 号 586
Partei Deutschlands und B
UNDNIS 90/DIE
GR
UNEN, Bonn, 20. Oktober, 1998, S. 40.
( 7 ) Die Bundesregierung, Moderner Staat-
頁 (小売市場判決), 最大判昭和 50 年 4 月 30 日
moderne Verwaltung. Das Programm der
《注》
(1)
Bundesregierung, 1999.
民集 29 巻 4 号 572 頁 (薬事法判決) など。 参照,
(信山社, 2001 年) 337347 頁, 同 「日本的秩序
Sachverst
andigenrat ,,Schlanker Staat“
(Hrsg.), Abschlussberichte, 2. Aufl., 1998,
と
Materialband, 2. Aufl., 1998. Vgl., Ruppert
棟居快行 「規制緩和の憲法論」 同
見えない憲法
の可視化」 同
憲法学再論
憲法学再論
(8)
4865 頁, 石川健治 「ラオコオンとトロヤの木馬」
Scholz, Schlanker Staat tut Not !, in : R.
論座 145 号 (2007 年) 6775 頁, 巻美矢紀 「経済
Ruland/B. Baron
活動規制の判例法理再考」 ジュリスト 1356 号
(Hrsg.), Verfassung, Theorie und Praxis des
(2008 年) 3339 頁。
Sozialstaats. Festschrift f
ur Hans Friedrich
Zacher, 1998, S. 987ff. ; 米丸恒治 私人による行
(2)
なお, 赤坂正浩 「憲法からみる “公共サービス
の民間委託”」 法学セミナー 619 号 (2006 年) 17
Maydell/H. J. Patpier
(日本評論社, 1999 年) 811 頁。
Die Bundesregierung, a.a.O. (Anm. 7), S. 1f.
政
(9)
21 頁。
von
原田大樹 「民営化と再規制」 法律時報 80 巻 10
さらに, この 「活発化させる国家」 構想を連邦政
号 (2008 年) 5460 頁。
( 4 ) Vgl., Martin Burgi, Funktionale Privatisier-
府が引受けるとき, 公共福祉の任務遂行を共に担
ung und Verwaltungshilfe. Staatsaufgaben-
連邦・ラント・自治体の複数の国家レベルの協調
dogmatik Ph
anomenologie−Verfassungsrecht
1999 ; Wolfgang Wei, Privatisierung und
も必要で, 人員投入や財源投入につき, より効果
Staatsaufgaben.
Privatisierungsentscheidun-
現代行政」 という当時の連邦政府のコンセプトは,
gen im Lichte einer grundrechtlichen Staat-
責任配分の改善, 市民志向の行政, ラント等の協
saufgabenlehre unter dem Grundgesetz. 2002 ;
力, 効率的な行政という 4 原理, ほかに, 4 改革
(3)
う, 市民を志向しなければならないし, 同じく,
的効率的でなければならない。 結局 「現代国家/
領域, 15 プロジェクトから成立つ。
Hans G. Dederer, Korporative Staatsgewalt. Integration privat organisierter Interessen in die
50
(10)
Vgl., Gerhard Schr
oder, Der aktivierende
保障国家と公法理論
多大な影響力を持つ, 代表的国法学者の 1 人であ
Staat aus der Sicht der Politik, in : F.
Behrens/R. Heinze/J. Hilbert
(Hrsg.),
る。 ハンブルク大学に長年勤め, 先のアイフェル
Den
Staat neu denken, 1995, S. 277291.
(11)
ト等の人材を輩出した。
Martin Eifert, Grundversorgung mit Tele-
Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 14), S. 89. Vgl.,
(15)
ClaudioFranzius,Der,,Gew
ahrleistungsstaat“−
Ein neues Leitbild f
ur den sich wandelnden
kommunikationsleistungen im Gew
ahrleistungsstaat, 1998, S. 18.
(12)
Staat?, in : Der Staat, Bd. 42 (2003), S. 493517,
Vgl., Gunner Folke Schuppert, Vom produzierenden zum gew
ahrleistenden Staat, in :
K. K
onig/A. Benz (Hrsg.), Privatisierung und
staatliche
Regulierung,
1997 ;
ders.,
Der
494.
Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 14), S. 91.
(16)
(17)
modernen Staat als Gew
ahrleistungsstaat, in :
E. Schr
oter (Hrsg.), Empirische Policy- und
Eine Herausforderung des Gew
ahrleistungsstaat, 2001, S. 25f. サッカー用語を用いた比喩は,
Verwaltungsforschung. Lokale, nationale und
internationale Perspektiven. Festschrift f
ur
Wollmann, 2001, S. 399414 ; ders., Verwalt-
元々はシュッペルトが持出したもの。 Gunnar
Folke Schuppert, Die offentliche Verwaltung
im Kooperationsspektrum staatlicher und
ungswissenschaft, 2000, S. 933f., 990998.
(13)
Vgl.,
Matthias
Freund,
privater Aufgabenerf
ullung, in : Die Verwaltung, Bd. 31 (1998), S. 415, 426 ; ders., Staats-
Infrastrukturge-
w
ahrleistung in der Telekommunikation.
Staatliche
Gew
ahrleistungsverantwortung,
Universaldienst, Wegerechte, 2001 ; Mathias
wissenschaft, 2003, S. 291.
Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 14), S. 97 f. ;
(18)
Knauff, Der Gew
ahrleistungsstaat : Reform der
Daseinsvorsorge. Eine rechtswissenschaftliche
Untersuchung unter besonderer Ber
ucksichtigung des OPNV, 2004 ; Reinhard Ruge, Die
Gew
ahrleistungsverantwortung des Staates
und der Regulatory State. Zur ver
anderten
Rolle des Staates nach der Deregulierung der
Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 14), S. 95f., 97 ;
ders., Modernisierung von Recht und Justiz.
ders., a.a.O. (Anm. 17), S. 26.
Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 14), S. 9092.
Vgl., Marin Eifert, Regulierungsstrategien,
(19)
W. Hoffmann-Riem / E. Schmidt-Amann / A.
Vokuhle (Hrsg.), Grundlagen des Verwaltungsrecht, Bd. 1, 2006, S. 12371310, 12991303.
(20)
Hoffmann-Riem,
a.a.O.
(Anm. 14),
S. 92f.
nien und der EU, (Jena) 2004 ; Christoph
Vgl., Georg M
uller, Rechtssetzung im Gew
ahrleistungsstaat, in : M-E. Geis/D. Lorenz
Werthmann, Staatliche Reulisrung des Post-
(Hrsg.), Staat- Kirche − Verwaltung. Fest-
wesens, 2004 ; Michael Helinger, Die Re-
schrift
Stromwirtschaft in Deutschland, Grobritan-
f
ur Hartmut Maurer zum 70.
Geburtstag, 2001, S. 227237 ; 山本隆司 「公私協
働の法構造」 金子宏古稀記念 公法学の法と政策
gulierungsverantwortung des Bundes aus Art.
87f Abs. 1 GG f
ur die Allgemeinen Gesch
aftsbedingungen der Deutsche Post AG am
Beispiel der AGB BRIEF NATIONAL, 2007 ;
(有斐閣, 2000 年) 531568, 533539 頁。
Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 14), S. 98100.
(下)
(21)
Astrid Karl, Offentlicher Verkehr im Gew
ahrleistungsstaat. Der OPNV zwischen Regulier-
Vgl., Gunter Teubner, Globale Zivilverfass-
ung und Wettbewerb 2008. Vgl., Kay Waech-
Verfassungstheorie, in : Za
oRV, Bd. 63 (2003),
S. 1ff.
ungen,
ter, Verwaltungsrecht im Gew
ahrleistungsstaat, 2008.
(14)
(22)
zur
staatszentrierten
脱境界化については, ディーター・グリム (三
宅雄彦訳) 「21 世紀の挑戦に直面する憲法」 (早
Wolfgang Hoffmann-Riem, Das Recht des
Gew
ahrleistungsstaates, in : G. F. Schuppert
(Hrsg.), Der Gew
ahrleistungsstaat in Leitbild
Alternativen
大) 比較法学 36 巻 2 号 (2003 年) 121138 頁。
Vgl., Franzius, a.a.O. (Anm. 15), S. 493? ;
(23)
auf dem Pr
ufstand, 2005, S. 89108. 後述する通
り, W・ホフマン リームは, 連邦憲法裁判所
Gunnar Folke Schuppert, Der Gew
ahrleistungsstaat−modisches Label oder Leitbild sich
裁判官も務め (1999 年∼2008 年), その後も連邦
wandelnder Staatlichkeit?, in : ders., Der Ge-
政府の代表として欧州評議会ベネチア委員会委員
w
ahrleistungsstaat − ein Leitbild auf dem
Pr
ufstand, 2005, S. 1152, 20f. ; ders., Aktivie-
(2007 年∼) として活躍する等, 政治や実務にも
51
社会科学論集
render Staat und Zivilgesellschaft − Versuch
einer Verh
altnisbestimmung, in : G. Winter
(Hrsg.), Das Offentliche heute. Kolloquium zu
第 126 号
Schuppert, a.a.O. (Anm. 23) (,,Gew
ahrlei-
(33)
stungsstaat“), S. 12.
Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 14), S. 92. 規
(34)
Ehren von Alfred Rinken, 2002, S. 101126 ;
律された自己規律につき, 原田大樹
Friedrich Schoch, Gew
ahrleistungsverwaltung : St
arkung der Privatrechtsgesellschaft?,
公法学的研究
ウスは言う。 瑕疵担保責任規定を 「保障法」 と呼
Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 14), S. 96. Vgl.,
ぶのがドイツ民法学では普通となってはいるが,
Schuppert, a.a.O. (Anm. 23) (,,Gew
ahrleistungsstaat“), S. 16f.
(25)
Hoffmann-Riem,
a.a.O.
Franzius, a.a.O. (Anm. 23), S. 496. フランツィ
(35)
NVwZ, 2008, S. 241247.
(24)
(Anm. 17),
この民法上の保障概念は, 物の欠陥を対象とする
のに, 公法上のそれは任務実現を対象とする。 積
S. 26f.
極的なものを確保するこの意味でも, 公法上の保
Vgl., Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 14), S. 100
障は特殊である。 Franzius, a.a.O. (Anm. 23), S.
496f.
105.
Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 17), S. 27f.
(26)
Wolfgang
(Hrsg.), Grundgesetz Kommentar, Bd. 3, 2000,
Hoffmann-Riem,
S. 254f.
ung am Beispiel regulieter Selbstregulierung,
(37)
Wieland, a.a.O. (Anm. 36), S. 258283.
in : H. Bauer / D. Czybulka / W. Karl/A.
(38)
Franzius, a.a.O. (Anm. 30), S. 55 ; Hubertus
Vokuhle (Hrsg.), Wirtschaft im offenen
Gersdorf, Privatisierung
offenlicher Aufgaben−
Verfassungsstaat.
Festschrift f
ur Reiner
Schmidt zum 70. Geburtstag, 2000, S. 447466,
Gestaltungsm
oglichkeiten, Grenzen, Regelungsbedarf, in : JZ, 2008, S. 831-, 840, 834f. ;
448f.
Joachim Wieland, Der Wandel der Verwalt-
(28)
ungsaufgaben
Wolfgang Hoffmann-Riem, Verantwortungsteilung als Schl
usselbegriff moderner Staatlichkeit, in : P. Kirchhoff (Hrsg.), Staaten und
als
Folge
der
Postprivati-
sierung, in : Die Verwaltung, Bd. 28 (1995), S.
315ff. 以上に関する邦語文献として, 米丸恒治
Steuern. Festschrift f
ur Klaus Vogel zum 70.
Geburtstag, 2000, S. 4764, 5256.
(前掲注( 8 )251307, 特に 274278 頁, 同 「ドイ
Vgl., Friedrich Schoch, Gew
ahrleistungsverwaltung : St
arkung der Privatrechtsgesell-
清・晴山一穂編
schaft, in : NVwZ, 2008, S. 241247, 241243.
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ツにおける民営化と公共性の確保」 原野翹・浜川
(29)
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(1997 年) 3639 頁, 手塚貴大 「調整行政法の意
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が国再規制制度を分析する文献として, 人見剛
律学・公法Ⅱ
(39)
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Claudio Franzius, Vom Gew
ahrleistungsstaat zum Gew
ahrleistungsrecht, in : G. F.
(30)
Schuppert (Hrsg.), Gew
ahrleistungsstaat−ein
Leitbild auf dem Pr
ufstand, 2005, S. 5361, 53.
(31)
Franzius, a.a.O. (Anm. 30), S. 53.
(32)
Franzius, a.a.O. (Anm. 15), S. 495f. ; Schup-
慶應の法
(2008 年, 慶応義塾大学出版会)
207233 頁。
「公権力・公益の担い手の拡散に関する一考察」
公法研究 70 号 (2008 年) 174185, 176180 頁。
(法律
文化社, 2003 年) 211238, 特に 214218 頁, 同
なお, 保障責任の観点から, 民間委託後の行政
kation,
in :
J. Isensee/P. Kirchhof
(Hrsg.),
Handbuch des Staatsrechts Bd. IV, 3. Aufl.,
2006, S. 811841, 829 f.
(40)
Masing, a.a.O. (Anm. 39), S. 830 f.
(41)
Masing, a.a.O. (Anm. 39), S. 833f. ; ders.,
Grundstrukturen eines Regulierungsverwal-
pert, a.a.O. (Anm. 23) (,,Gew
ahrleistungsstaat“), S. 15f. ; ders., Ge
andertes Staatsverst
andnis als Grundlage des Organisations-
tungsrechts.
Regulierung
netzbezogener
M
arkte am Beispiel Bahn, Post, Telekommunikation und Strom, in : Die Verwaltung,
Bd. 36 (2003), S. 132, 47.
Masing, a.a.O. (Anm. 39), S. 834.
wandels offentlicher Aufgabenwahrnehmung,
52
Joachim Wieland, Artikel 87f, in : H. Dreier
(36)
Gew
ahrleistungsrecht und Gew
ahrleistungsrechtsprech-
(27)
自主規制の
(有斐閣, 2007 年)。
in : D. Bud
aus (Hrsg), Organisationswandel
(42)
offentlicher Aufgabenwahrnehmung, 1998, S.
19ff.
(43)
例えばフロイントは, 基本法 87f 条 1 項は一般
目標を規定しても, その目標達成の手段や方法を
保障国家と公法理論
(Anm. 23), S. 241.
指定しないこと, さらに本条項は枠組調達への主
Vokuhle, a.a.O. (Anm. 49), S. 291298.
Vokuhle, a.a.O. (Anm. 49), S. 299304.
(52) Vokuhle, a.a.O. (Anm. 49), S. 304306. フ ォ
観的権利を認めぬことから, これを国家目標規
(50)
定とする。 Matthias Freund Infrastrukturge-
(51)
w
ahrleistung in der Telekommunikation, in :
NVwZ, 2003, S. 408415, 409f.
例えばヴィントトロストは, 基本法 87f 条 1 項
(44)
スクーレの保障行政法は未完だが, その体系指針
はすでにある。 彼は自身の保障行政法について,
の最低限度配慮が, 骨格が憲法で保障されつつそ
期待される機能, 基礎となる構想, この 2 つに基
の他は形成余地を承認されていること, この基本
づく教義学の基本礎石, これらを詳細に報告して
法改正より前に法規範的に形作られ事実上も存立
いる。 期待される機能については, 国家と社会の
してきた, 国家給付の核心領域も, 同条項は立法
独自性を損なわないこと, 個別規律でなく保障構
措置による廃棄や変更等から保障しようとするこ
造の編制という全体構想の実現を目指すこと, 公
とから, これを制度的保障とカテゴリー化する。
私双方の知識を創造的に繋ぎ合わせる対話を構築
Kay Windthorst, Art. 87f, in : M. Sachs (Hrsg.),
することを挙げ, 基礎となる構想については, 保
Grundgesetz Kommentar, 4. Aufl., S. 17451766,
障行政法の体系のための観点を出し, 協働する私
1753 ; ders., Der Universaldienst im Bereich der
人が一定レベルの給付を行う結果責任の義務を負
Telekommunikation, 2000, S. 346349.
うこと, 私人の権限や信頼や能力を保証する資格
(45)
Vgl., Masing, a.a.O. (Anm. 39), S. 837f.
や選抜方法を構築すること, 保障コンセプトの具
(46)
Wieland, a.a.O. (Anm. 36), S. 258f. ; Peter
体化の中で第三者らの権利も考慮に入れること,
Badura, Wirtschaftsverwaltungsrecht, in : E.
私的アクターの活動条件を維持するため保障監視
Schmidt-Assmann (Hrsg.), Besonderes Ver-
制度を設けること, 私人参加による活動成果につ
waltungsrecht, 11. Aufl. (1999), S. 219326, 304.
いて定期的評価と学習を導入すること, 私人の任
Wieland, a.a.O. (Anm. 36), S. 259 ; Badura,
務遂行が失敗したら参加を国家が終了できること
(47)
a.a.O. (Anm. 46), S. 304 ; Freund, (Anm. 43) S.
411415.
(Vgl.,
Wolfgang
Hoffmann-Riem,
をあげる。 Vokuhle, a.a.O. (Anm. 49), S. 307
326. 彼はその上で, この保障行政法の法典化の
Telekommunikationsrecht als europ
aisiertes
Verwaltungsrecht, in : DVBl, 1999, S. 125134 ;
可 能 性 に も 言 及 し て い る 。 Vokuhle, a.a.O.
(Anm. 49), S. 327f. Vgl., Vokuhle, Zur Bedeut-
桜井徹 「郵便事業の民営化・自由化とユニバーサ
ung der Kodifikationsidee in heutiger Zeit
ル サ ー ビ ス の 確 保 」 公 益 事 業 研 究 54 巻 4 号
unter
(2002 年) 113 頁。
Gersdorf, a.a.O. (Anm. 38), S. 835. 参照, 米
(48)
丸 (前掲注( 8 )251307, 239250 頁, 桜井徹 「ド
besonderer Ber
ucksichtigung der
Arbeiten an einem Umwaltgesetzbuch, in : H.
Schlosser (Hrsg.), B
urgerliches Gesetzbuch,
18961996, 1997, S. 7795.
イツ鉄道の民営化」 ドイツ研究 28 号 (1999 年)
保障国家の行政法学構築をめぐりドイツでは構
6470 頁, 同 「ドイツにおける鉄道改革の理念と
想が種々提出される。 フォスクーレ説の他, 例え
実際」 鉄道史学 20 号 (2002 年) 7175 頁, 同
ば, ルフェルトらの民営化帰結法がある。 まずル
「ドイツ鉄道改革と実質的民営化」 運輸と経済 68
フェルトは, 郵便改革や遠隔通信改革で出現した
巻 7 号 (2008 年) 5866 頁。 しかし, 鉄道改革は,
規律行政を, 行政の活動形式の既存の体系に, 具
基本的に失敗に終わったと理解されつつある。
体的には, 規制行政と給付行政, 計画行政の体系
Vgl., Eckhard Bremer, Gew
ahrleistungsverantwortung als Infrastrukturverantwortung
に, どのように組み入れるか, という問いを立て
am Beispierl der Eisenbahnreform in Deut-
手法が, ユニバーサルサービスでは給付行政の手
(Hrsg.),
る。 だが, 上記改革中, 許可制度では規制行政の
Der
法が, 周波数割当では計画行政の手法が, それぞ
Gew
ahrleistungsstaat, 2004, S. 133144; Schoch,
a.a.O. (Anm. 23), S. 244.
れ採用され, 規律行政の中に異質要素が混在する
Andreas Vokuhle, Beteiligung Privater an
der Wahrnehmung offentlicher Aufgaben und
式の問いでないことを意味する。 つまり, 活動形
staatliche Verantwortung, in : VVDStRL, Bd.
い。 ところで, 行政法各論の各種領域が継続発展
62 (2003), S. 266335, 282286. Vgl., Gersdorf,
a.a.O. (Anm. 38), S. 836838 ; Schoch, a.a.O.
し分化進展するに伴い, この各種領域に共通する
schland,
in :
G. F. Schuppert
(49)
のが分かる。 これは, そもそも規律行政が活動形
式のみを語る行政法総論では規律行政は分からな
体系的な規律構造が括り出されてきている。 すな
53
社会科学論集
第 126 号
ルが形成され, ここで, 各論の特定領域に限られ
E. Schmidt-Amann/W. Hoffmann-Riem
(Hrsg.), Reform des Allgemeinen Verwal-
ぬ法的な道具や原則が展開される。 要するに規律
tungsrechts, 1993, S. 115175. 参照, 村上博 「ド
とは, 民営化を基本原則として決定した後の法的
イツにおける行政法改革論議」 (名大) 法政論集
問題, つまり, 民営化帰結法に典型的な行為形式
149 号 (1993 年) 93107 頁, 山本隆司 「開かれ
た法治国」 公法研究 65 号 (2003 年) 163174 頁。
わち, 行政法総論と行政法各論の間に中間的レベ
in :
と組織形式を纏めたもの。 この下でルフェルト曰
く, 規律行政には, 適切で十分な全国一律のサー
Andreas Vokuhle, Neue Verwaltungsrechtswissenschaft, in : W. Hoffmann-Riem/E.
(54)
ビスの保障, サービス独占の廃止に伴う競争制度
Schmidt-Amann/A. Vokuhle (Hrsg.), Grundlagen des Verwaltungsrecht, Bd. 1, 2006, S. 1
の設定と促進, 民営化の帰結から生ずる危険の防
御, すなわち保障責任, 独占廃止責任, 危険防御
61.
責任の, 三つの意図が規律行政には備わるので
Vokuhle, a.a.O. (Anm. 54), S. 46.
あり, そして, インフラの規律と, そのインフ
(55)
ラに基づくサービスの規律, すなわちインフラと
(56)
構造化法学を創始したフリードリヒ・ミュラー
サービスの規律手段も規律行政には包含される。
門下のロットマンは, 実証主義や概念法学への批
Matthias Ruffert, Regulierung im System des
判, 事実と規範の二元論図式への批判は, 1960
Verwaltungsrechts. Grundstrukturen des Pri-
年代∼70 年代で決着済みであり, 新行政法科学
vatisierungsfolgerechts der Post und Tele-
の意味は, 行政法上の法学的法学をヨリ強固に批
kommunikation, in : A
oR, Bd. 124 (1999), S.
237281, 244
251. Vgl., Martin Burgi, Kom-
判した点程度である, という。 Frank Rottmann,
munales Privatisierungsfolgenrecht, in : NVwZ,
Neuen Verwaltungsrechtswissenschaft, in : R.
2001, S. 601 ; Joachim Wieland, Der Wandel von
Christensen/B. Pieroth (Hrsg), Rechtstheorie
Verwaltungsaufgaben als Folge der Post-
in rechtspraktischer Absicht. Freundesgabe
Bemerkungen zu den ,,neuen“ Methoden der
privatisierung, in : Die Verwaltung Bd. 28
zum 70. Geburtstag von Friedrich M
uller, 2008,
(1995), S. 315, 332335. 関連してフランツィウ
S. 207216, 210f.
スも同様に, 保障法という構想を示している。
Franzius, a.a.O. (Anm. 23), S. 510515. Vgl.,
Vokuhle, a.a.O. (Anm. 54), S. 911. なお参
照, ディーター・グリム (三宅雄彦訳) 「21 世紀
(57)
Christian Bumke, Kapitalmarktregulierung.
の挑戦に直面する憲法」 (早大) 比較法学 36 巻 2
Eine Untersuchung uber Konzeption und
Dogmatik des Regulierungsverwaltungsre-
号 (2003 年) 121138, 128129 頁。
chts, in : Die Verwaltung, Bd. 41 (2008), S. 227
Vokuhle, a.a.O. (Anm. 54), S. 1113. 社会学,
情報理論, 法と経済学など隣接諸科学との対話も
257.
大事だが, だが, この種の知識をそのまま法教義
(58)
学に移植するのは困難であり, 結局, 問題解決の
わが国では, 保障責任や公私協働をめぐる行政
ための行為的な観点も法学に入れるべきとも言う。
法学の構築において, 第三者の権利保障の確保,
だが例えば, 前者につき, 亘理格 「公私機能分担
Vokuhle, a.a.O. (Anm. 54), S. 1517 ; ders.,
Methode und Pragmatik im Offentlichen
の変容と行政法理論」 公法研究 65 号 (2003 年)
Recht, in : H. Bauer/D. Czybulka/W. Kahl/A.
188199, 195196 頁, 岸本大樹 「公私協働と行政
Vokuhle (Hrsg.), Umwelt, Wirtschaft und
Recht, 2002, S. 171195, 177179 Vgl., Mattias
民間活動の公共的統制などが中心となる。 極一部
(59)
上の契約」 法律時報 80 巻 10 号 (2008 年) 114
176180 頁, 田村達久 「地域公共事務事業におけ
Ruffert, Die Europ
aisierung der Verwaltungsrechtslehre, in : Die Verwaltung, Bd. 36 (2003),
公共性 」 公法研究 70 号
S. 293319 ; Brun-Otto Bryde, Konstitution-
117, 116117 頁, 後者につき, 人見 (前掲注(27))
る
市場
の可能性と
(2008 年) 163173, 170171 頁。
(53) Vgl., Wolfgang Hoffmann-Riem,
des V
olkerrechts und Internationalisierung des Verfassungsrecht, in ; Der
alisierung
Eigen-
Staat, Bd. 42 (2003), S. 6175 ; Armin von
st
andigkeit der Verwaltung, in : ders./E.
Schmidt-Amann/A. Vokuhle (Hrsg.), Grundlagen des Verwaltungsrecht, Bd. 1, 2006, S. 623
Bogdandy, Beobachtungen zur Wissenschaft
von Europarecht, in : Der Staat, Bd. 40 (2001),
714, 694697 ; ders., Verwaltungsrechtsreform ―
Ans
atze am Beispiel des Umweltschutzes,
54
(60)
S. 39, 4043.
Vokuhle, a.a.O. (Anm. 54), S. 17f. ; ders.,
保障国家と公法理論
の責任領域の確定や, 法的行為型式や組織型式の
アルな行政法は必然的に欠缺を含むがゆえ, 常に
確定につき, ガバナンス・アプローチは制御アプ
改革の圧力, 現代化圧力, 革新の圧力を受けると
ローチに比べ, 全体思考に過ぎ概念的厳密さを欠
指摘している。 Vgl., Rolf Stober, Methodische
Anforderungen an ein modernes Verwaltun-
く と 言 う 。 Vokuhle, a.a.O. (Anm. 54), S. 23.
Vgl., Stober, a.a.O. (Anm. 60), S. 609. Vgl.,
gsrecht, in : M.-E. Geis/D. C. Umbach (Hrsg.),
Gunnar Folke Schuppert, Was ist und wozu
Plannung ― Steuerung ― Kontrolle. Festschrift f
ur Richard Bartlsperger zum 70.
Geburtstag, 2006, S. 599616, 607.
Governance?,
(61)
a.a.O. (Anm. 59), S. 179f. シュトバーも, アクチュ
in :
Die
Verwaltung,
Bd. 40
(2007), S. 463511 ; ders., Verwaltungsrecht und
Verwaltungswissenschaft im Wandel. Von
Vokuhle, a.a.O. (Anm. 54), S. 2023 ; ders.,
Planung uber Steuerung zu Governance?, in :
Schl
usselbegriffe der Verwaltungsrechtsreform, in : Verwaltungsarchiv, Bd. 92 (2001),
A
oR, Bd. 133 (2008), S. 79106, 9597, 99f. ; ders.,
Governance im Spiegel der Wissenschafts-
184215, 194f. ; ders., Die Reform des Verwal-
disziplinen, in : ders. (Hrsg.), Governance-
tungsrechts als Projekt der Wissenschaft, in :
Forschung. Vergewisserung uber Stand und
Entwicklungslinien, 2005, S. 371469.
Die Verwaltung, Bd. 32 (1999), S. 545554, 547
549. もっとも, 制御概念に共通なものが存在す
Vokuhle, a.a.O. (Anm. 54), S. 23f., 2632 ;
ders., a.a.O. (Anm. 59), S. 181.
(62)
るわけでは必ずしもない。 シュトバーは, 既存の
行政活動とは質的に別種のもの, 新種のもの, つ
Vokuhle, a.a.O. (Anm. 54), S. 24f., 3235 ;
ders., a.a.O. (Anm. 59), S. 181. 制御アプローチ
(63)
まり, 行政改革やら行政革新やら行政動態やら行
御に置き換えられている, と述べる。 Stober,
の欠点につき, Vokuhle, a.a.O. (Anm. 54), S.
25f. ; Oliver Lepsius, Steuerungsdiskussion,
a.a.O. (Anm. 60), S. 608f. 制御概念については,
Systemtheorie und Parlamentalismuskritik,
政の現代化やら, こうした表現がひとくくりに制
1999.
詳細な注も含めて, 次の文献も参照するべき。 高
橋雅人 「ドイツにおける行政の民主的正当化論の
Vokuhle, a.a.O. (Anm. 54), S. 1720, 22 ;
ders., a.a.O. (Anm. 59), S. 179181.
(64)
一断面」 早稲田法学会誌 59 巻 1 号 (2008 年)
295344,
298300 頁 。
Schuppert,
Vgl., Gunnar Folke
Vokuhle, a.a.O. (Anm. 54), S. 3235. Vgl.,
Christoph M
ollers, Theorie, Praxis und
(65)
Verwaltungsrechtswissenschaft
Interdisziplinarit
at in der Verwaltungsrechtswissenschaft, in : Verwaltungsarchiv, Bd. 93
als Steuerungswissenschaft, in : HoffmannRiem / E. Schmidt-Amann / G. F. Schuppert
(Hrsg), Reform des allgemeinen Verwaltun-
(2003), S. 2261, 46ff. ; Vokuhle, a.a.O. (Anm.
gsrechts, 1993, S. 65ff. ; ders., Grenzen und
59), S. 188.
Grimm (Hrgs.), Wachsende Staatsaufgaben-
Vokuhle, a.a.O. (Anm. 54), S. 35f. ; ders.,
a.a.O. (Anm. 49), S. 282286 ; ders., a.a.O. (Anm.
sinkende Steuerungsf
ahigkeit, 1990, S. 1421 ;
ders., Steuerung, Steuerungsmodelle, in :
61), S. 196 ; ders., ,,Dienstleistungsstaat“. Uber
Nutzen und Gefahren von Staatsbildern, in :
Evangelisches Staatslexikon, 2006, Sp. 2383
Der Staat, Bd. 42 (2001), S. 495523, 508f. この
概念は, 結合概念, 架橋概念, 指示概念, 媒介概
Alternativen der Steuerung durch Recht, in: D.
2390 ;
Claudio
Franzius,
Funktionen
des
(66)
der neuen Verwaltungswissenschaft, in : Die
念とも, 言う。 Vokuhle, a.a.O. (Anm. 54), S.
35, Fn. 217.
Verwaltung, Bd. 39 (2006), S. 335371, 344347.
この制御アプローチの発展型がガバナンス・ア
Vgl., Susanne Baer, Schl
usselbegriffe, Typen
und Leitbilder als Erkenntnismittel und ihr
プローチだともいう。 これは, EU 化や国際化の
進展が政治行政システムの断片化を齎し, それゆ
Verh
altnis zur Rechtsdogmatik, in : E.
Schmidt-Amann/W. Hoffmann-Riem (Hrsg),
え, 制御主体と制御客体の区別がしばしば消滅す
Methoden
Verwaltungsrechts im Steuerungsparadigma
ると指摘し, 制御の代わりに, 各種レベルの国家
的アクターと非国家的アクター, この両者の協力
・・・・
を定める規律構造を分析することを提案するもの
だ。 もっとも, フォスクーレ自身は, 個別アクター
der
Verwaltungsrechtswissen-
schaft, 2004, S. 223250, 225228.
(67) Vokuhle, a.a.O. (Anm. 54), S. 3235 ; ders.,
a.a.O. (Anm. 66), S. 509. Vgl., Bear, a.a.O. (Anm.
66), S. 232247.
55
社会科学論集
第 126 号
Vokuhle, a.a.O. (Anm. 59), S. 186188, 187,
Fn. 85. キー概念が法原理になった例に, フォス
確実なものしか存在しない。 その上, 公法学は経
クーレは協調原理を挙げる。 これは両独統一条約
経験知識があってもそこから何の結論を導くのか
(68)
験的素材の扱いについて方法論的に無頓着だし,
34 条 1 項等で明文で環境保護原則となったが,
明晰とはいえない。 4 つ, 既述のキー概念を把握
その性格と内容につき学説上一致した見解を発見
する方法にも確実なものが存在しない。 このキー
することはできぬ。 けれども連邦憲法裁は, ラン
概念は不明確ゆえに学際研究で威力を発揮するの
ト廃棄物賦課金法や自治体の包装税を協調原理に
であるが, これが法原理として扱われれば恣意的
違反することを理由にして, 憲法違反であると
な法的判断を下すことになる。 Vokuhle, a.a.O.
判 断 し た 。 Vokuhle, a.a.S. 187f. ; ders., das
Kooperationsprinzip im Immissionsschutz-
(Anm. 59), S. 182188.
(75)
Vokuhle, a.a.O. (Anm. 59), S. 175f.
recht, in : Zeitschrift f
ur Umweltrecht, 2001, S.
2328 ; BVerfGE, 98, 83 ; 98, 106. この判決につき,
(76)
Vokuhle, a.a.O. (Anm. 59), S. 188194.
(77)
Vokuhle, a.a.O. (Anm. 54), S. 4150.
清野幾久子 「カッセル市包装税条例の違憲性」 栗
(78)
フォスクーレによると, E ガバメントとは, 行
ドイツの憲法
政改良を目標とした情報技術や通信技術の積極的
判例Ⅲ (信山社, 2008 年) 272278 頁。 しかし,
この結合概念を用いることにより, 法規範的に確
な投入を定式化した概念のことであり, 行政の透
実ではない, 「評価的なサブテキスト」 が輸入さ
スなどを約束する, 多種多様な措置や領域や構想
れる危険性もある。 Rottmann, a.a.O. (Anm.56),
の総称を指した概念である。 例えば, 「ヴァーチャ
S. 208, Fn. 7. ; M
ollers, Verwaltungsarchiv, Bd.
93 (2002), S. 22, 31ff. ; Jestaedt, Selbstverwalt-
ル市役所」 や 「メディア@コム」 等がそれで, こ
ung als ,,Verbundbegriff“, in : Die Vewaltung,
ニケイトでき, また複数官庁を回らずに自動的に
Bd. 35 (2002), S. 293ff.
正しい申請先へと到達できるなど, ポータルサイ
城壽夫・戸波江二・嶋崎健太郎編
Vokuhle, a.a.O. (Anm. 54), S. 36 ; ders., a.a.O.
(69)
明性や効率性の向上, ヨリ価値の高い行政サービ
れにより, 第 1 に, 行政とオンラインで直接コミュ
トから行政サービスへの市民のアクセスが容易に
(Anm. 49), S. 284 ; ders., a.a.O. (Anm. 66), S. 498.
なる。 第 2 に, この外部関係以外でもペーパーレ
Gunnar Folke Schuppert, Der Gew
ahrleistungsstaat ― modisches Label oder Leitbild
ス化, 作業過程の標準化, 統一フォーマット化,
sich wandelnder Staatlichkeit?, in : ders., Der
政官庁内部での事務処理プロセスを組織し直すこ
Gew
ahrleistungsstaat ― ein Leitbild auf dem
Pr
ufstand, 2005, S. 1152, 12.
とも可能になる。 以上は, E ガバメントにより実
(70)
行政情報の関連化が情報技術により進展して, 行
現される行政実務上の帰結であるが, 制御手段と
(71)
Schuppert, a.a.O. (Anm. 70), S. 1318.
しての新情報技術の導入により, 行政法自体も変
(72)
Schuppert, a.a.O. (Anm. 70), S. 1822.
遷する。 ここで彼は, 包括的な情報行政法の体系
(73)
フォスクーレ自身は, 「サ ー ビ ス 国 家」 の
を構築することを提案する。 その内部には, 4 つ
ディーンストライストゥンクスシュタート
嚮 導 イ メ ー ジ を 検 討 す る 。 Vokuhle, a.a.O.
の規律部門が存在しうるとフォスクーレは言う。
(Anm. 66), S. 511522. Vgl., Schuppert, a.a.O.
第 1 が, 市民と国家の情報関係を取扱う行政コミュ
(Anm. 70), S. 1822.
ニケーション法, 第 2 が, 新情報技術に適合した
Vokuhle, a.a.O. (Anm. 59), S. 181f. ; ders.,
行政組織を構築する情報行政組織法, 第 3 が, 民
a.a.O. (Anm. 61), S. 195 ; ders., a.a.O. (Anm. 54),
間部門が持つ情報ソースへの市民のアクセスを保
S. 25f., 3840. 解釈科学から決定科学への転換か
障して, インターネットの能力と経験を持つ市民
ら以下の通り合理性喪失が生ずる。 1 つ, 学際研
を育成する, 私人の間の法, 第 4 が, これら 3 部
究では他科学理論の輸入が不十分な情報下で行わ
門を包括するデータ取引法, つまりこれである。
れる。 現下の研究状況をヨリ正確に知らぬまま他
Vokuhle, a.a.O. (Anm. 54), S. 5256. Vgl.,
Vokuhle, Der Wandel von Verwaltungsrecht
(74)
の学問分野を参照したり, 理論導入の決定を有用
性の観点からのみ判断したりすることが多い。 2
つ, 比較法研究でも他国制度の輸入が無反省のま
まで実施される。 外国制度を国内の法秩序への輸
入する際の判断基準が曖昧であるし, 元々法秩序
なる比較対象自体が複雑で制度の有用性の判断が
難しい。 3 つ, 経験的現実を把握する方法には不
56
und Verwaltungsprozerecht, in der Informationsgesellschaft, in : W. Hoffmann-Riem/E.
Schmidt-Amann (Hrsg.), Verwaltungsrecht
in der Infomationsgesellschaft, 2000, S. 349
404, 355361 ; Martin Eifert, Electronic Government, 2004.
保障国家と公法理論
例えば, 基本法 87e 条制定手続で連邦議会法務委
in: M. B
auerle / A. Hanebeck / C. Hausotter /
M. Mayer/J. Mohr/M. Mors/K. Preedy/A. Wall-
員会にシュッペルトが参加している。 Vgl., Gun-
rabenstein (Hrsg.), Haben wir wirklich Recht?
nar Folke Schuppert, in : Deutscher Bundestat,
Rechtsausschuss, Protokoll 12.117, Anlage S.
Zum Verh
altnis von Recht und Wirklichkeit.
Beitr
age zum Kolloquim anl
asslich des 60.
68ff., 74ff.
Geburtstags von Brun-Otto Bryde, 2003, S. 53
(79)
各種委員会の参加で証明とする意図はないが,
76, 57, 60f.
しかし関連して, ヴァールが新行政法科学に次
の批判を向けている。 つまり, この公法の新潮流
Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 86), S. 56f., 75f.;
(87)
はリスク管理や規制緩和や再規律化など, 新しい
ders., Grundrechtsanwendung unter Rational-
問題状況や国家任務に目を向ける余り, 既存の任
t
atsanspruch, in : Der Staat, Bd. 43 (2004), 203
233, 226.
務や法律も継続して存立することを忘却し, 新現
象を一面的誇大に眺めている。 行政なるものは国
Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 86), S. 57, 73 ;
(88)
ders., a.a.O. (Anm. 87), S. 226.
家任務や行政任務の全体として概念把握すべきで,
その点, 新行政法科学は公法史の内在的記述を目
Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 86), S. 60f., 71f.;
(89)
ders., a.a.O. (Anm. 87), S. 227f.
標としてはいるが, 既存のものを批判する反対運
動や対抗地位でしかない, と彼は言う。 Rainer
(90)
Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 86), S. 57f.
Wahl, Herausforderungen und Antworten :
(91)
Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 86), S. 58. さ
Das Offentliche Recht
Jahrzehnte, 2006, S. 9294.
der
f
unf
letzten
らにここでは, 形象化と制約設定の上位概念が現
実化と呼ばれる。
Vgl., Christian Bumke, Die Entwicklung der
Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 86), S. 58f. こ
(92)
の制約では, 意見表明の自由と人格権との衝突が
verwaltungsrechtswissenschaftlichen Metho-
例とされている。
dik in der Bundesrepublik Deutschland, in: E.
Schmidt-Amann/W. Hoffmann-Riem (Hrsg.),
Methoden
der
Verwaltungsrechtswissen-
schaft, 2004, S. 73130, 124f.
Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 86), S. 59. 詳
(93)
述すれば, ホフマン リーム説では, 形象化に制
限の段階はなく, つまり, 制約設定の場合は, ①
(80)
Vgl., Rottmann, a.a.O. (Anm. 56), S. 211, 213.
具体化→②制限→③正当化の順序で, 形象化の場
(81)
Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 14), S. 92.
合は, ①具体化→②形象化→③正
(82)
Hoffmann-Riem,
性審査の
順序で進む。 そして形象化では②と③の双方につ
Vgl., Martin Gellermann, Grundrechte in
き , 同 じ 保 障 内 実 が 尺 度 と な る 。 Hoffmann-
einfachgesetzlichem Gewande, 2000 ; Martin
Riem, a.a.O. (Anm. 87), S. 223f. ただ, 制約設定
Ruffert, Vorrang der Verfassung und Eigen-
と形象化の二本立ては, 学説的インパクトに欠け
st
andigkeit des Privatrechts, 2001.
(83) Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 14), S. 104.
(84)
当
S. 93f.
a.a.O.
(Anm. 14),
レヒツメースィヒカイト
Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 14), S. 94f. こ
る。
なお, 形象化と制約設定につきブムケとゲラー
マンが挙げられるが, 前者は, 基本権に関わる
アウスゲシュタルトウンク ベグレンツンク
の他に, 基本権保護義務から保障責任を導出する
国家活動を基本権の形
論者も存在する。 Franzius, a.a.O. (Anm. 30), S.
後者は, 基本権の内容決定と限界づけを不可分
58f. ; ders., a.a.O. (Anm.), S. 509 ; Gersdorf, a.a.O.
一体と把握した上で, 基本権形
(Anm. 38), S. 896.
範的構
成
的具
化 と に 区 別 し て い る 。 Christian
(85)
Vgl.,
Bodo
Schlink,
化と限界化に分け,
アウスゲシュタルトウンク
コンスティトゥティールンク
コンクレティジールンク
Pieroth/Bernhard
象
体
象
化 を, 規
コントゥリールンク
化と規範的輪 郭 化と規範
Grundrechte, 19. Aufl. (2003), S. 5672, Rn. 226
Bumke, Der Grundrechtsvorbehalt, 1998, S.
313 ; 宍戸常寿 「 憲法上の権利
104108 ; Martin Gellermann, Grundrechte im
安西文雄ほか
の解釈枠組み」
憲法学の現代的論点
einfachgesetzlichen Gewande, 2000, S. 90268.
とりわけゲラーマン基本権論を検討するものとし
(有斐閣,
2005 年) 203231, 214217 頁;松本和彦 「基本
的人権の 保護領域 」 小山剛・駒村圭吾編 論
点探求憲法
て, 小山剛 「基本権内容形成の概念と類型」 同
(弘文堂, 2005 年) 94104, 94102
基本権の内容形成
(86)
Wolfgang Hoffmann-Riem, Enge oder weite
Gew
ahrleistungsgehalte
(尚学社, 2004 年) 111147,
120136 頁。
頁。
der
Grundrechte?,
(94)
Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 86), S. 71f.
(95)
Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 86), S. 7174.
57
社会科学論集
第 126 号
Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 86), S. 7274 ;
ders., a.a.O. (Anm. 87), S. 217219. 両決定につ
での職業とは, 競争原理に依拠した市場での企業
いては, 丸山敦裕 「市場競争に影響ある情報の国
を可能にする法的規律により, この自由が持つ射
による公表」 栗城・戸波・嶋崎編
ドイツの憲法
程範囲は予め決定がされている。 したがって基本
(信山社, 2008 年) 292303 頁, 西原博
史 「政府の情報提供活動における〈警告〉と信教
法 12 条が保障するのは, 競争への参加のみであ
(96)
判例Ⅲ
の自由の保障」 同書 117122 頁を参照。
Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 86), S. 72f. ;
(97)
ders., (Anm. 82), a.a.O., S.215.
(98)
職業の自由と良心の自由以外のホフマン リー
活動を意味するのであり, その点, 競争そのもの
り, 競争条件が変遷するリスクから免れた成功へ
の請求権などではない。 BVerfGE 106, 275, 298f.,
Vgl., BVerfGE 110, 274, 288. だがこの連邦憲法
裁の傾向で, 保護領域該当性が皆無にはならない。
後掲注(114)参照。
ム 説 は , 以 下 も 見 よ 。 Wolfgang Hoffmann-
2005 年の連邦憲法裁判所の転向より以前から,
Riem, Gesetzliche Gew
arleistung der Freiheit
der Kommunikation im Internet?, in : K.-H.
保護領域を狭く捉える判決は, 芸術の自由や集会
Ladeur (Hrsg.), Innovationsoffene Regulier-
芸術の自由から排除したチューリヒ・スプレー団
の自由につきあるとの指摘もある。 落書の自由を
ung des Internet, 2003, S. 5382 ; ders., Zum
判決 (BVerfG NJW 1984, S. 1293, 1294.), 商業
Gew
ahrleistungsgehalt der Petitionsfreiheit,
in : Staat, Wirtschaft, Finanzverfassung. Fest-
目的イベントを集会の自由から除いたラブ・パレー
schrift f
ur Peter Selmer, 2004, S. 93108.
(99) BVerfGE 105, 252, 265. 参照, 丸山敦裕 「情報
ど 。 Vgl., Wolfgamg Karl, Neuere Entwick-
提供活動の合憲性判断とその論証構造」 阪大法学
55 巻 5 号 (2006 年) 121150, 124128 頁, 土屋
A
oR, Bd. 131 (2006), S. 579620, 608610 ;
Christoph M
ollers, Wandel der Grundrechts-
武 「国家による情報提供活動と基本権」 中央大学
judikatur, in : NJW, 2005, S. 19731979, 1974
大学院年報 37 号 (2008 年) 326 頁。
1976. ただし, ホフマン リーム自身が実際にそ
ド判決 (BVerfG NJW 2001, S. 2459, 2460f.) な
lungslinien
der
Grundrechtsdogmatik,
in :
(100) BVerfGE 105, 252, 266f.
う把握するかは別である。 例えば, イスラム流動
(101) BVerfGE 105, 252, 267f.
物屠殺を宗教の自由の埒外とした判決がある。
(102) BVerfGE 105, 252, 268270. 連邦憲法裁判所は,
BVerGE 104, 337. 参照, 近藤敦 「イスラームの
同日のオショー決定でもほぼ同様の指摘を行う。
作法に則った屠殺の規制」 栗城・戸波・嶋崎編
つまり, 現代の情報通信技術や情報サービスの発
えずにおかぬ。 伝統的な政府公表は, 政府措置の
ドイツの憲法判例Ⅲ (信山社, 2008 年) 285
291 頁。 Vgl., Wolfram H
ofling, Kopernikanische Wende r
uckw
artz?, in : S. Muckel (Hrsg.),
公表や説明や宣伝であったが, 現在ではその領域
Kirche und Religion im sozialen Rechtsstaat.
を超え, 必ずしも政治過程の内部にない, その外
Festschrift f
ur Wolfgang R
ufner zum 70.
Geburtstag, 2003, S. 329340, 339334. だが, ホ
フマン リーム曰く, 本判決は動物屠殺を職業活
展は, 政府による情報提供のあり方にも影響を与
部またはその前段階にある重大諸事象について報
告することも, 政府任務の 1 つに数えられる。 市
が屠殺につき競合関係に立ち, ただ前者を優先さ
105, 279, 301303. ここから, 基本法 4 条から国
その限りで, 宗教自由の保護領域の理解は依然広
家の宗教上の中立義務があるとしても, 宗教集団
いままだった。 Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm.
やその構成員らの行動事実を世俗的な基準により
87), S. 219f.
せ, 憲法上職業があるが宗教はないとしただけだ。
評価するとしても, その国家の中立性が放棄され
保護領域が狭まれば, 憲法異議の訴訟要件のハー
たことにならない, とした。 BVerfGE 105, 279,
ドルも厳しくなる。 例えば, 環境税が持つ租税負
294. さらに連邦憲法裁第 1 法廷は, 2002 年 12 月
担者に対する影響も保障内実ではなく, そこで,
17 日判決の中で, 健康保険での医薬品等の上限
訴訟要件を充たすべく平等原則が動員されること
価額を定める固定価額につき, これを健康保険団
にもなる。 BVerfGE 110, 274. 参照, 三宅雄彦
体が決定する連邦法を, 製薬会社等が持つ職業自
「環境税 (エコ税) の合憲性」 栗城・戸波・嶋崎
由とは関連がないとしたが, その中で職業自由と
編 ドイツの憲法判例Ⅲ (信山社, 2008 年) 92
97 頁。
市場の連関に触れている。 つまり, 既存経済秩序
58
動とした。 否, 厳密には, 基本法 4 条と 12 条と
民の自己責任に依拠する政治秩序では, 市民がそ
・
の責任を果たし諸問題克服を実行できるよう, 情
・・・・・・・・・・・・・・・
報 普 及 が 政 府 任 務 と な る の で あ る 。 BVerfGE
保障国家と公法理論
(103) もともと問題となる郵便法 51 条 1 項 1 文で,
1997 年の段階で, 200 グラム未満の書簡を取扱う
ドイツ郵便株式会社の独占権限は, 2002 年末ま
a.a.O. (Anm. 102), 606f., Fn. 157.
(109) B
ockenf
orde, a.a.O. (Anm. 106), S. 174f. Vgl.,
M
ollers, a.a.O. (Anm. 102), 1978.
で承認されたが, 2001 年の第 1 次改正法律では,
(110) Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 86), S. 68.
まず 2007 年末まで延長され, 2002 年の第 3 次改
正法律では, 100 グラム未満を取扱う独占権限
(111) B
ockenf
orde, a.a.O. (Anm. 106), S. 178.
(112) ホフマン リームとベッケンフェルデの説には
が 2005 年末までに変更され, 50 グラム未満を取
多くの非難があるが, とりわけ, W・カールと
扱う独占権限は 2007 年末までに変更された。
ホフマン リームの論争が興味深いだろう。 カー
BVerfGE 108, 370, 370376, 377f.
ルは, ホフマン リーム説を, 次の 7 つの点から
(104) BVerfGE 108, 370, 388f., 403.
批判している。 ①基本法 1 条 1 項の人間尊厳が,
(105) BVerfGE 108, 370, 392397. 基本法 143b 条 2
人間の個性と自律と平等を認めたなら, 保護内実
項 1 文を独占権限の内容の点から制限する他に,
の判断は, 基本権主体本人の自己理解によるべき
この特例の移行期間の点からも限定を加えようと
だ, ②狭い保護領域では, 個別人権を元とする憲
連邦裁判所は言う。 つまり, 文言からは移行期間
法異議や行政手続での申立てが困難となり, その
の延長回数の上限は発見できないこと, また, 連
結果, 基本権体系に欠缺が生じてしまう, ③その
邦郵便の後継企業が移行期間経過後にも競争力を
とき実際は保護内実への該当・非該当が決断によ
持つよう, また EU 域内市場各国の郵便市場開放
り処理され, その結果, 当該判断の合理性と透明
の動向に歩調を合わせるよう, また, この後継企
性が重大なダメージをこうむる, ④同じく内実へ
業が税制上社会保障上の負担能力を持てるように,
の該当性がただ判例との適合性を基準に判定され
移行期間を決定する立法者の裁量は行使されるべ
て, 個別事件の事物と正義に根ざした事件の処理
きことを, 述べる。 BVerfGE 108, 370, 389392.
が困難となってしまう, ⑤保障内実の狭い解釈の
以上を踏まえて, 移行期間が延長された前提に,
採用は従来の広い解釈の放棄を示すもので, さら
当初 EU 指針では 2003 年初頭から EU 全域内で
に恣意的判例変更を許し, 規範明確性と法的安定
郵便事業が自由化されるはずだが, だが, フィン
性を傷つける, ⑥保障内実説は具体的論証を任務
ランドとスウェーデンの極一部を除き未達成のま
とする裁判官に, 本来は立法者が所持する抽象的
まで, そのままドイツ郵政事業のみ一方的に開放
決断を認め, 悪しき憲法裁判所実証主義を推進す
されれば, ドイツ郵便は, 他国で独占権限を維持
る, ⑦欧州共同体の従来の基本権教義学自体がド
する別の独占企業と不利な競争を強制されて, ひ
イツ流の三段階審査を採用しており, 保護領域論
いてはドイツ郵便制度のユニバーサルサービスが
の放棄はこの潮流からの乖離をもたらす。 Karl,
危うくなるとし, 結局, 移行期間延長はこの郵便
a.a.O. (Anm. 108), S. 184199. これを受け, ホフ
事業保障のため必要だった, とした。 BVerfGE
マン リームはカールに以下の如く反論している。
108, 370, 397403.
⑥司法国家の問いに敢えて論及しないなど, その
B
ockenf
orde, Schutzbereich, Eingriff, Verfassungsimmnente Schran-
反論は限定的だが, 狭い保護領域は基本権保障を
ken. Zur Kritik gegenw
artiger Grundrechtsdogmatik, in : Der Staat, Bd. 42 (2003), S. 165
の採用は三段階審査の放棄だとの批判には (⑤,
192, 174 ; Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 87), S.
を放棄したわけではなく, 支配的な侵害ドクトリ
215f., Fn. 46. また, 小山 (前掲注(93)) 141142
ンについてもその核心を侵害したわけでない。
頁, 丸山 (前掲注(99)) 133143 頁。
Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 87), S. 214, 215,
(106) Ernst-Wolfgang
ockenf
orde, a.a.O. (Anm. 106), S.167 f.
(107) B
(108) B
ockenf
orde, a.a.O. (Anm. 106), S. 168170.
減殺するとの批判 (①∼③など), 狭い保護領域
⑦), 連邦憲法裁判所は基本権審査の三段階図式
221. 狭い保護領域の採用は恣意的な判例変更で
あるとの批判には (⑤), そもそも憲法解釈や基
ここに爾来の比較衡量, 司法国家批判が現れてい
本権解釈は固定的でなく開かれたものであり,
るのは自明だろう。 文献は多いが差し当たり, 三
「伝統的」 防禦権自身が基本法制定後に現れた比
宅雄彦 「例外状態について (3・完)」 (早大) 法
較的新しいので, 「古典的」 侵害概念自身も判例
研論集 82 号 (1997 年) 214215 頁注(62). Vgl.,
Wolfgang Karl, Vom weiten Schutzbereich
変更により従来拡張されてきている。 Hoffmann-
zum engen Gew
ahrleistungsgehalt, in : Der
Staat, Bd. 43 (2004), S. 167202, 180184 ; ders.,
ホフマン リームのこの反論には, カールは次に
Riem, a.a.O. (Anm. 87), S. 205208, 211f., 220.
こう反駁している。 ホフマン リームの論ずる狭
59
社会科学論集
第 126 号
い保護領域は, エルフェス判決以来の包括的な一
(115) Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 86), S. 71f. ;
般的行為自由を放棄するものだが, これは基本法
固有の, 国家権力は正当化を要するとの配分原理
B
ockenf
orde, a.a.O. (Anm. 106), S. 166. さらに
は, 一般的自由権 (基本法 2 条 1 項) への評価の
を全く逸脱するものである。 また基本権形象化の
違いもある (前掲注(112)も参照)。 ベッケンフェ
観念そのものが, 空虚であるがゆえに実質的な審
ルデは, 保護内容を狭く解すれば基本権保障が薄
査基準とならず, 立法者のフリーハンドを承認す
まるとの批判に, 零れ落ちた部分は一般的自由権
ることになるし, 社会の現代的変化への基本権の
がカバーすると言うが, ホフマン リームの場合
順応が不可避であるならば, むしろ伝統的解釈方
は, そもそも保護内実が無内容となるなら, 侵害
法や継続形成の手法を用いてこれに対応すべきで
や正当性の審査の指針となる基準がなくなる, と
ある。 Karl, a.a.O. (Anm. 102), S. 602604, 611
の立場だから, 一般的自由権は基本権のインフレ
619.
化に繋がるとの, 森林乗馬事件のディーター・グ
(113) Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm.86), S. 55f., 68f. ;
リム連邦憲法裁判事の見解 (BVerfGE 80, 137,
B
ockenf
orde, a.a.O. (Anm. 106), S. 174, 187f.
(114) Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 86), S. 71, 74.
164170) に 賛 成 す る 結 論 に な ろ う 。 B
ockenf
orde, a.a.O. (Anm. 106), S. 188190 ; Hoffmann-
保障内実の確定には, 当該事件から離れた抽象的
Riem, a.a.O. (Anm. 86), S. 6668 ; ders., a.a.O.
衡量が必要であり, 保護内実の関連と侵害行為の
(Anm. 87), S. 214f. この点につき, 丸山 (前掲
存在が個別事例で確定されたその後に, 当該事件
(116) Vgl., Renata Martins, Grundrechtsdogmatik
だと言う。 Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 86), S.
im Gew
ahrleistungsstaat. Rationalisierung der
74. Vgl., ders., a.a.O. (Anm. 87). S. 209f. なお,
Grundrechtsanwendung, in : D
OV, 2007, S. 456
オショー判決の連邦憲法裁判所も, 確かに保護領
域で問題を処理はするが, それは飽くまで俎上に
乗る問題の一部のみのことで, 宗教団体を 「破壊
的だ」 や 「擬似宗教」 とする政府の形容につい
て, 伝統的侵害概念のメルクマールを緩和してこ
464, 460462.
ollers, a.a.O. (Anm. 102), 1976.
(117) M
(118) M
ollers, a.a.O. (Anm. 102), 1976f.
(119) M
ollers, a.a.O. (Anm. 102), 1978.
(120) Christoph M
ollers, Methoden,
in :
W.
れを間接的事実的作用, 「基本権の該当」 と呼
Hoffmann-Riem / E. Schmidt-Amann / A.
称し, さらに比例原則を適用して違憲とした。
Vokuhle (Hrsg.), Grundlagen des Verwaltungsrecht, Bd. 1, 2006, S. 121175, 131133. Vgl.,
BVerfGE 105, 279, 298301, 308310. 侵害概念を
相対化した上で比例原則の審査まで到達したこの
Fritz Werner, »Verwaltungsrecht als konkre-
判決は, 比較衡量の回避を狙うベッケンフェルデ
tisiertes Verfassungsrecht«, in : ders., Recht
の主張と明らかに反するが, 彼による同判決への
und Gericht in unserer Zeit, 1971, S. 212226.
(121) Wolfgang Hofmann-Riem, Gesetz und Geset-
評価は, グリコール判決と違い明らかでない。
Vgl., B
ockenf
orde, a.a.O. (Anm. 106), S. 181
183. また, 憲法裁第 1 法廷は, 出版社の憲法敵
zesvorbehalt im Umbruch, in : A
oR, Bd.
130 (2005), S. 570. Vgl., Karl-Heinz Ladeur/
対性を疑うラント政府の憲法擁護情報を違憲と判
Tobias Gostomzyk, Der Gesetzesvorbehalt im
断した 2005 年 5 月 24 日決定において, グリコー
ル決定とオショー決定を再確認しつつ, 次のよう
Gew
ahrleistungsstaat, in : Die Verwaltung, Bd.
36 (2003), S. 141169 ; Christian Bumke, Publi-
に述べる。 もちろん, 情報活動により公的意見の
kumsinrofmation. Erscheinungsformen, Funk-
形成へ国家が参加することは, 02 年の両判決の
tionen und verfassungsrechtlicher Rahmen
論理では, それ自体で基本権侵害とはならないが,
問題は, 古典的侵害か間接的影響かでなく, 保護
einer Handlungsform des Gew
ahrleistungsstaates, in : Der Staat, Bd. 37 (2004), S. 333.
領域の問題にある。 憲法秩序への特別の危険を警
(122) Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 14), S. 102f. ;
告する憲法擁護情報の性格からすれば, 新聞発行
それ自体が妨害はされぬが, 潜在的読者が離れて
出版社に不利益が生ずることになる。 その意味で
ders., a.a.O. (Anm. 121), S. 15, 43.
(123) Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 121), S. 1921,
59f.
基本権侵害が成立する, と。 BVerfGE 113, 63,
(124) この点につき, 三宅雄彦 「国家目的としての安
7478. 最後の 「ユンゲ・フライハイト」 決定に
全」 法学教室 329 号 (2008 年) 1617 頁。 もっと
も, ホフマン リーム自身はアドバンスドレベル
ついては, 土屋 (前掲注(99)) 1113 頁を参照。
60
注(99)) 149 頁注(84).
の衝突する法益につき具体的衡量がなされる, の
保障国家と公法理論
で議論する。 つまり, 公私協働では実は民の側に
schaft, in : E. Schmidt-Amann/W. Hoffmann-
情報が集まり, それゆえ有利で, その上, 法律拘
Riem (Hrsg.), Methoden der Verwaltungs-
束は一般に公の側に働き, それゆえ柔軟性に乏し
rechtswissenschaft, 2004, S. 972, 46ff.
(132) Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 121), S. 15f., 49;
い。 そのために法律は, 外的枠組や方向づけを付
与できなければならぬ。 Hoffmann-Riem, a.a.O.
(Anm. 121), S. 3638.
(125) Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 121), S. 50f., 54.
Vgl., Franz Reimer, Das Parlamentsgesetz als
Steuerungsmittel und Kontrollmastab, in :
W. Hoffmann-Riem / E. Schmidt-Amann / A.
Vokuhle (Hrsg.), Grundlagen des Verwaltungsrecht, Bd. 1, 2006, S. 533621, 572581.
(126) Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 121), S. 51.
Vgl., Dieter H
omig, Grundlagen und Ausgestaltung der Wesentlichkeitslehre, in : E.
ders., Verwaltungskontrolle ― Perspektiven,
in : E. Schmidt-Amann / W. Hoffmann-Riem
(Hrsg.), Verwaltungskontrolle, 2001, S. 325
366.
(133) Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 121), S. 55, 57
59 ; ders., Risiko- und Innovationsrecht im
Verbund, in : Die Verwaltung, Bd. 38 (2005), S.
145176.
(134) Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 121), S. 54, 56f.
(135) Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 121), S. 43.
(136) Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 121), S. 2325,
Schmidt-Amann / D. Sellner / G. Hirsch / G.-H.
Kemper/H. Lehmann-Grube (Hrsg.), Festgabe
28 ; ders., a.a.O. (Anm. 14), S. 101. Vgl., Chris-
50 Jahre Bundesverwaltungsgericht, 2003, S.
tungsrechtswissenschaftlichen Methodik in
tian Bumke, Die Entiwicklung der verwal-
273288, 286f. ただし, 第 2 法廷では本質性理論
der
堅持の傾向が強く, ある判決では, 第 1 法廷の考
Schmidt-Amann/W. Hoffmann-Riem (Hrsg.),
えに拠るディ ファビオ, イェンチュ, メリング
Methoden
ホフの少数意見を除き, 第 2 法廷独自の立場が採
schaft, 2004, S. 73130, 76, 106, 105ff.
用されたともいわれる。 BVerfGE 108, 282, 309
313, 316320.
Bundesrepublik
der
Deutschland,
in :
E.
Verwaltungsrechtswissen-
(137) Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 121), S. 2830,
27f. ここに先に言及したガバナンス研究が有用
(127) Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 121), S. 53. もっ
なものとして登場する。 Hoffmann-Riem, Gov-
とも, 法律留保問題の処理はオショー決定ではや
ernance im Gew
ahrleistungsstaat, in : G. F.
Schuppert (Hrsg.), Governance-Forschung,
や複雑である。 つまり, 政府の情報提供のような
間接的事実的作用は, 規律対象の直接的反応でな
く, 第三者の間接的な制約に期待して実施される
が, すなわち, 情報提供は, それを受領した市民
が自ら行動することで, その情報の対象者にとっ
て間接的事実的な打撃となるのであるから, そう
であれば, この第三者の行態を法律で規律するの
は, 精々計算可能性を欠いた一般条項を用いて規
律するのが想定可能な点である。 そうなるともは
や法律留保の原理は, 政府の情報提供に法律授権
を要求するものでなく, 憲法上の限界を審査する,
ということになる。 BVerfGE 105, 279, 303307.
(128) Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 121), S. 54.
(129) Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 121), S. 45f.
2006, S. 195219.
(138) Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 121), S. 57f.
Vgl., Eifert, a.a.O. (Anm. 19), S. 13031309.
(139) Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 121), S. 6668 ;
ders., a.a.O. (Anm. 14), S. 105107. Vgl., Fritz
Ossenb
uhl, Gedanken zur demokratischen
Legitimation der Verwaltung, in : H.-D. Horn
(Hrg.), Recht im Pluralismus. Festschrift f
ur
Walter Schmitt Glaeser zum 70. Geburtstag,
2003, S. 103118.
(140) Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 121), S. 60f.
Vgl., BVerfGE 109, 279, 328ff.
(141) 法律留保概念の変遷と並び, 行政組織の正統化
(130) Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 121), S. 46 ;
が一元型モデルから二元型モデルへと移行するド
ders., Aussprache, in : VVDStRL, Bd. 63 (2004),
イツの学説と判例を検討する次も見よ。 高橋 (前
S. 326f. Vgl., Arno Scherzberg, Risikosteuer-
掲注(61)) 特に 304331 頁。 また法律留保と関連
ung durch Verwaltungsrecht, in : VVDStRL,
して, 三宅雄彦 「公布の本質 」 社会科学論集
109 号 (2003 年) 91104 頁, 同 「法律・措置法
Bd. 63, S. 214263, 257.
(131) Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 121), S. 47f.
Vgl., Hoffmann-Riem, Methoden einer anwendungsorientierten Verwaltungsrechtswissen-
律・ノモス」 社会科学論集 116 号 (2005 年) 23
33 頁。
(142) Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm. 14), S. 91, Fn.
61
社会科学論集
8, S. 100. Vgl., Vokuhle, a.a.O. (Anm. 66), S.
271273.
(143) Franzius, a.a.O. (Anm. 15), S. 495f., 515517 ;
Hoffmann-Riem, a.a.O. (Anm.), S. 126. なお,
本文の 「前所与性」 と 「任務として課される」 の
第 126 号
とか, 他国にも一般国家学の基本問題を扱う同種
の学問分野があるのだし, ドイツ固有のこの法文
化はかえって他国の参考になる, と反論する。
Vokuhle, a.a.O. (Anm. 147), S. 3f. また, 19 世
紀的な政治単位としての近代国家が最早ないとし
相違につき, 三宅雄彦 「例外状態について 」
(早大) 法研論集 79 号 (1996 年) 216224 頁。 た
ても, この 「大きな物語」 は現在の諸変化を測る
だし, 憲法理論の諸大家は 「任務として課される」
るには十分な事実知識と歴史/理論的思考が必要
ことをもって国家の基礎づけを企図したが, フラ
で, 国家はそうした学際研究のためのキー概念に
ンツィウスは同じものをもって国家概念の不要を
もなるという。 Vokuhle, a.a.O. (Anm. 66), S.
論証しようとしていることに, 注意すべきである。
504f., 506511.
(151) ここでフォスクーレは, さらに一般国家学の方
(144) Vokuhle, a.a.O. (Anm. 49), S. 286288. Vgl.,
精神科学的基礎となるし, 現代的諸問題を解決す
Franzius, a.a.O. (Anm. 15), S. 502504 ; ders., Die
europ
aische Dimension des Gew
ahrleistungsstaates, in : Der Staat, Bd. 45 (2006), S. 547581.
法を列挙するのだが, それは, すでに検討した新
(145) Vgl., Peter Badura, ,,Dienste von allgemei-
の欧州化や国際化現象に対応する新しい正義構想
nem wirtschaftlichem Interesse“ unter der
や規律手段が要求されること, 公法学自身も国内
Aufsicht der Europ
aischen Gemeinschaft, in :
C. D. Classen / A. Dittmann / F. Fechner / U. M.
法に囚われずに EU 法・国際法・外国法に熟知し,
Gassner/M. Kilian (Hrsg.), ,,In einem vereinten
換しあうべきこと, 法的枠組の中で合理的に基礎
Europa dem Frieden der Welt zu dienen. . .“
付け可能な実践的決定提案を提出する, 適用志向
Lieber amicorum Thomas Oppermann, 2001, S.
的な解釈科学でない操舵思考的な行為科学となる
571582 ; Siegfried Magiera, Gef
ardungen der
offentlichen Daseinsvorsorge durch EG
べきこと, 現状や解決提案やその根拠を分析し,
Beihilfenrecht, in : J. Ipsen/E. Schmidt-Jortzig
ニケーションの制度化を行うべきことを主張し,
(Hrsg), Recht ― Staat ― Gemeinwohl. Festschrift f
ur Dietrich Rauschning, 2001, S. 269
他方テーマ的には, 超国家的文脈の中で民主的正
289.
ト教とイスラム教のぶつかりの中で, 社会が許容
行政法学の方法論と実は同じものである。 新国家
学の対処すべき挑戦として, 方法論的には, 公法
法的論拠や経験等を国境を超えて問題志向的に交
様々な視座を法に関連させて束ねる, メタコミュ
統性をどのように調達するべきか, 例えばキリス
(146) Vokuhle, a.a.O. (Anm. 49), S. 288291.
する差異性, 社会が要求する共通性, 価値の調整
(147) Andreas Vokuhle, Die Renaissance der
の方法など, 憲法国家の多元性と同一性をどのよ
,,Allgemeinen Staatslehre“ im Zeitalter der
うに確保調整するべきか, EU の東方拡張ととも
Europ
aisierung und Internationalisierung, in :
JuS, 2004, S. 27 ; ders., a.a.O. (Anm. 66), S. 502f.
に EU 域内での福祉格差の拡大が進行しつつ, 富
Vgl., Gunnar Folke Schuppert, Staatswissen-
不可欠となると, 国外では配分的正義をどのよう
schaft (en), in : Evangelisches Staatslexikon,
に実現するべきか, を問おうと言う。 Vokuhle,
2006, Sp. 23452348, 2347f.
a.a.O. (Anm. 147), S. 47. フォスクーレ自身, 新
国家学と新行政法学の境は流動的であるとし, 前
(148) Vokuhle, a.a.O. (Anm. 147), S. 2f. その他,
普遍性を目指すがゆえに具体的問題に肉薄できな
者は社会の秩序形成や正当な支配行使の前提や形
い, とか, ドイツ語圏以外に一般国家学なる学問
式を問うのだが, 後者はその国家秩序の特殊断片,
分野はない, とかも言われる。
つまり行政と行政法を問うと言う。 Vokuhle,
a.a.O. (Anm. 54), S. 4, Fn. 16.
(149) Vokuhle, a.a.O. (Anm. 147), S. 3, l. Sp.
(150) Vokuhle, a.a.O. (Anm. 147), S. 3, r. Sp. 4. ;
62
める構成国から貧しい構成国への財政援助も必要
(152) Vgl., Oliver Lepsius, Braucht das Verfas-
ders., a.a.O. (Anm. 66), S. 503f., 594506. Vgl.,
Franzius, a.a.O. (Anm. 30), S. 54. また先の批判,
sungsrecht eine Theorie des Staates? Eine
つまり過度に抽象的だ, 外国法学に例がない, に
zur
は (前掲注(148)), 一般国家学の狙いは, 抽象的
EuGRZ, Jg. 31 (2004), S. 370381.
deutsche Perspektive : Von der Staatstheorie
Theorie
der
Herrschaftsforrmen,
in :
な概念定義でなく, 国家考察のために比較の考察
ollers, Staat als Argument,
(153) Vgl., Christoph M
方法で, 個別現象から距離をとることにあるのだ,
2000 ; ders., Der vermisste Lebiathan, 2008 ; 林
保障国家と公法理論
知更 「国家論の時代の終焉?①②」 法律時報 77
巻 10 号 (2005 年) 113121 頁, 11 号 (2005 年)
6173 頁, 同 「立憲主義と憲法の保障」 安西ほか
憲法学の現代的論点
(有斐閣, 2006 年) 5991,
(154) Johannes Masing, Tranparente Verwaltung :
eines
J.
Isensee/P. Kirchhof (Hrsg.), Handbuch des
Staatsrechts, Bd. 2, 3. Aufl. 2004, S. 369428,
403405; ders., Republikprinzip der Weimarer
特に 7382 頁。
Konturen
(173) Gr
oschner, a.a.O. (Anm. 162), S. 365367.
oschner, Die Republik, in :
(174) Rolf Gr
Informationsverwaltungs-
rechts, in : VVDStRL, Bd. 63 (2004), S. 377441.
Reichsverfassung und des Bonner Grundgesetzes, in : E. Eichenhofer (Hrsg.), 80 Jahre
Weimarer Reichsverfassung, 1999, S. 4970, 64
(155) Masing, a.a.O. (Anm. 154), S. 381f.
68. 以下につき, 三宅雄彦 「企業倫理の憲法的基
(156) Masing, a.a.O. (Anm. 154), S. 386388.
礎」 戸波江二編
(157) Masing, a.a.O. (Anm. 154), S. 388395.
社, 2009 年近刊) も参照。
(158) Masing, a.a.O. (Anm. 154), S. 389, 390392,
395.
企業の憲法的基礎
(日本評論
(175) Gr
oschner, a.a.O. (Anm. 174) (,,Republik“),
S. 405f., 412. Vgl., Wilhelm Henke, Die Repu-
(159) Masing, a.a.O. (Anm. 154), S. 392394.
blik, in : J. Isensee/P. Kirchhof (Hrsg.), Hand-
(160) Masing, a.a.O. (Anm. 154), S. 391, Fn. 42 ;
buch des Staatsrechts, Bd. 1, 1. Aufl., 1987, S.
ders., a.a.O. (Anm. 41), S. 31.
(161) 続けてマージンクは, データアクセス権の諸
基礎, この権利による行政構造の変遷につき検討
するが, これについては差し当たり措く。 Vgl.,
863886, 879883.
(176) Gr
oschner, a.a.O. (Anm. 174) (,,Republik“),
S. 413416. Vgl., Gr
oschner, Das Uberwachungsrechtsverh
altnis, 1992, S. 141f.
Masing, a.a.O. (Anm.154), S. 396436.
oschner, Tranparente Verwaltung :
(162) Rolf Gr
Konturen eines Informationsverwaltungs-
oschner, a.a.O. (Anm. 174) (,,Republik“),
(177) Gr
S. 415417. この地位移行の学説は, 自由体系と
rechts, in : VVDStRL, Bd. 63 (2004), S. 344376.
官僚制における制度と身分」 (新潟大) 法政理論
(163) Gr
oschner, a.a.O. (Anm. 162), S. 351. 曰く教
義とは, 教会権威が告知した信仰命題のように反
論を許さぬ概念の集合でなく, 元々はヒポクラテ
39 巻 4 号 (2007 年) 337350 頁。
(178) Gr
oschner, a.a.O. (Anm. 174) (,,Republik“),
S. 417f. この特殊な代表理解は, 行政官僚を国民
ス学派の古代医学に由来する, 観察を土台として
代表と見る説を想起させる。 三宅 (前掲注(124))
一般化で獲得され術として伝達可能な, 経験命題,
学説意見である。 この意味の教義をその由来と展
1718 頁, 同 (前掲注(177)) 345348 頁。
oschner, a.a.O. (Anm. 174) (,,Republik“),
(179) Gr
S. 419f.
開から考察するのが, 教義史であり, その教義を
(180) Vgl., Wilhelm Henke, Recht und Staat, 1988,
哲学的核心に遡って分析するのが, 教義哲学なの
S. 364386.
(181) グレシュナー本人の指摘ではないが, 彼の参加
つまり, 科学で基礎づけられ暫定的に承認された,
で あ る 。 Gr
oschner, Einf
uhrung, in : ders./C.
Dierksmeier / M. Henkel / A. Wiehart, Rechtsund Staatsphilosophie, 2000, S. 35.
(164) Gr
oschner, a.a.O. (Anm. 162), S. 348f.
(165) Gr
oschner, a.a.O. (Anm. 162), S. 349f. なお,
EU の二重の正統性について, Claus Dieter Cla-
身分体系の二元論を想起させる。 三宅雄彦 「職業
した国家理論の中で, カントは, その共和国理論
の延長線上に, 共和国の共和国としての (世界国
フェルカーシュタート
家ではない) 国際国家のコンセプトを持った, と
いわれる。 Gr
oschner, a.a.O. (Anm. 163), S. 227
232.
ssen, Europ
aische Integration und demokratische Legitimation, in : A
oR, Bd. 119 (1994), S.
(182) Vgl., G
unter Frankenberg, Die Verfassung
der Republik. Autorit
at und Solidart
at in der
238260, 259.
(166) Gr
oschner, a.a.O. (Anm. 162), S. 350f.
oschner, a.a.O. (Anm. 162), S. 351353, 355f.
(167) Gr
Zivilgesellschaft, 1996 ; Hans-Heinrich Trute,
(168) Gr
oschner, a.a.O. (Anm. 162), S. 353f.
(169) Gr
oschner, a.a.O. (Anm. 162), S. 354f.
Gemeinwohl ― Auf der Suche nach Substanz,
(170) Gr
oschner, a.a.O. (Anm. 162), S. 355, 357f.
(171) Gr
oschner, a.a.O. (Anm. 162), S. 358-361.
M
oglichkeiten und Grenzen der Privatisierung
von Gemeinwohlvorsorge. Uberlegungen zu
oschner, a.a.O. (Anm. 162), S. 361365.
(172) Gr
Gemeinwohlverantwortung
im Gew
ahrleistungsstaat, in : G. F. Schuppert/F. Neidhardt (Hrsg),
Geminwohlsicherung
2002, S. 329347 ; Gunnar Folke Schuppert,
und
Staatsver63
社会科学論集
st
andnis, in : H. H. von Arnim/K.-P. Sommermann (Hrsg.), Gemeinwohlgef
ahrdung und
Methoden, in : W. Hoffmann-Riem/E. Schmidt-
Gemeinwohldefinition, 2004, S. 269299 ; ders.,
Verwaltungsrecht, Bd. 1, 2006, S. 121175.
(185) Vgl., Christoph M
ollers, Theorie, Praxis und
Interdisziplinarit
at in der Verwaltungs-
Gemeinwohl und Staatsverst
andnis, in : H. K.
Anheier/V. Then (Hrsg.), Zwischen Eigennutz
Amann/A. Vokuhle (Hrsg.), Handbuch des
und Gemeinwohl. Neue Formen und Wege der
rechtswissenschaft,
Gemeinn
utzigkeit, 2004, S. 2559.
なお, 公共善実現をめぐる公私の役割をめぐり,
Bd. 93 (2003), S. 2261 ; ders., a.a.O. (Anm. 184)
毛利透 「行政法学における
距離
についての覚
in :
Verwaltungsarchiv,
(,,Methoden“), S. 161168.
(186) すでに示唆したが, いかなる脅威を規制緩和が
書 (上) (下)」 ジュリスト 1212 号 (2001 年) 80
人権保障に及ぼすか, いかなる憲法条項がその脅
86 頁, 1213 号 (2001 年) 122129 頁, 山本隆司
威を禁止し当該人権を促進するか, など, 憲法解
「日本における公私協働」 藤田宙靖退職記念
釈学上の論点の探索で保障国家論を手掛かりにで
政法の思考様式
行
(青林書院, 2008 年) 171232,
221224 頁注(74)も見よ。
in : H. Steinmann/A. L
ohr (Hrsg.),
Unternehmensethik, 1989, S. 93113, 9597, 101
sethik,
104.
憲法のレシピ (尚学社, 2007 年) 234
236 頁, 同 (前掲注(124)) 1718 頁, 同 (前掲注
新井編
(177)) 341345 頁。
(188) 行政法と行政学の連携を語る E・フォルストホ
フや A・ケットゲンの業績がその例である。 法
(184) Vgl., Christoph M
ollers, Braucht das offentliche Recht einen neuen Methoden- und
Richtungsstreit?, in : Verwaltungsarchiv, Bd.
90 (1999), S. 187207 ; ders., Der Methodenstreit
als politischer Generationskonflik, in : Der
Staat,
きるだろう。
(187) 関連して, 三宅雄彦 「人権と制度」 小山・山本・
oschner, Zur rechtsphiloso(183) Vgl., Rolf Gr
phischen Fundierung einer Unternehmen-
64
第 126 号
Bd. 35
(2004),
S. 399423 ;
ders.,
実証主義克服は前世紀全体の課題だった。 参照,
三宅雄彦 「公法学・行政学・精神科学」 早稲田法
学 77 巻 1 号 (2001 年) 285318 頁, 同 「ドイツ
行政学教科書の誕生」 社会科学論集 117 号 (2006
年) 2946 頁。 なお, 注(56)も参照せよ。
(189) 関連して, 三宅 (前掲注(124)) 20 頁。
保障国家と公法理論
Summary》
Die Rolle der Verfassungslehre im Zeitalter des Gew
ahrleistungsstaates
MIYAKE Yuuhiko
Die Reform der Bahn, der Post und der Telekommunikation seit den 90er Jahren in
Deutschland hat nicht zu einem ,,R
uckzug des Staates“ oder ,,Sterben des Sozialstaates“ gef
uhrt,
sondern statt dessen das Konzept des Gew
ahrleistungsstaates geschaffen. Mit diesem Begriff
wird der an seiner konkreten Gemeinwohlverantwortung festhaltende Staat bezeichnet, der auf
die Instrumente zur unmittelbaren Aufgabenerf
ullung verzichtet, aber mit Vertrauen in die
Selbstregulierungsf
ahigkeit der Zivilgesellschaft die Infrastruktur f
ur die Verwirklichung
offentlicher Interessen bereitzustellen sucht. Um den Forderungen nach Verwaltungsreformen
wie Privatisierung oder Deregulierung nachzukommen, die durch den Druck der Europ
aisierung
und der Internationalisierung entstehen, ist es notwendig, die Kr
afte der gesamten Sozialwissenschaften einschlielich der Rechtswissenschaften in diesem Projektbereich einzusetzen.
Daher stammt das neue Leitbild vom Gew
ahrleistungsstaat, um das herum ein interdisziplin
ares
Kooperationsnetzwerk aufgebaut wird.
Insbesondere in der Rechtswissenschaft entstehen
verschiedene Versuche von Reformen der Rechtsdogmatik, die sich als ,,Neue Verwaltungsrechtswissenschaft“ bezeichnen. Um einige bedeutende Beispiele zu zeigen, soll der Begriff des
Schutzbereichs der Grundrechte durch den des Gew
ahrleistungsgehalts der Grundrechte ersetzt
werden. Dabei ist aber die Wesentlichkeitstheorie des Gesetzesvorbehalts zu strikt f
ur die
heutige Politik, die eine Public-Private-Partnership f
ordern will. Diese neuartigen Meinungen
sind vom Bundesverfassungsgericht teilweise bereits anerkannt, zu dessen Richtern einige die
neuen Str
omungen unterst
utzenden Staatsrechtswissenschaftler ernannt werden. Ist jedoch das
Konzept des Gew
ahrleistungsstaates uberhaupt ein Konzept von Staat? Vergeblich sucht man
eine Betrachtung uber den Staat selbst in diesem Konzept. Jede Staatstheorie muss aber eine
Theorie vom Staat sein.
Keywords : Gew
ahrleistungsstaat, Privatisierung, Methodenlenre der Staatsrechtslehre
65
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