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1 教育長挨拶

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1 教育長挨拶
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教育長挨拶
御紹介いただきました県の教育長の鈴木です。本日は、有馬朗人先生の記念講演会に 県 内
からたくさんの方々に御出席をいただきまして本当にありがとうございました。
さて皆様も御案内のように、有馬朗人先生におかれましては、昨年秋に旭日大綬章を受賞
されました。加えまして物理学の御功績により、文化功労者の選出をも受けることになり ま
した。先生の多面にわたる御功績のゆえと、私ども心からお喜びを申し上げます。
そして、有馬先生はこの静岡県に大変ゆかりが深く、折に触れて私どもも御指導をいただ
いてきたわけですが、特に昨年度は「確かな学力育成会議」の座長をお務めいただき、そ の
成果を昨年3月に提言としておまとめをいただきました。静岡県教育委員会では、現在、 い
ただいた提言をもとに様々な教育施策を進めているところでございます。このように先生 に
御指導いただきました私どもにとりましても、今回の受賞は大変名誉で誇りに思うところ で
ございます。
そこで、県教育委員会といたしまして、今回のこの受賞を心よりお祝い申し上げたいとい
うことで、ぜひこれを記念して、先生の研究や教育に寄せる思いをお聞かせいただきたい と
無理なお願いをし、この講演会の開催となることができました。
先生は今、ゆったり座られていますが、実はほんの5分前に九州からここへ到着されたば
かりです。そのことをおわび申し上げましたら、「狭い日本の中ですから」と、そうおっし
ゃっていただいて、さらに恐縮してしまいました。本当にこの講演会のために駆けつけてい
ただいたということで、心からお礼を申し上げます。
有馬先生は、改めて御説明するまでもありませんが、日本の研究・教育の多方面にわたり
まして御活躍をされておりますが、その御活躍の御経歴等はお手元のレジュメに御紹介を さ
せていただきました。特に、先生は世界的な物理学者でいらっしゃいます。そして同時に 俳
句の世界でも大変御高名な先生でいらっしゃいまして、こうした先生の幅広い魅力を私ど も
は感じずにはおられません。さらに、昨今の子どもの心の問題の解明に取り組むため、文 部
科学省が本年1月に立ち上げました「情動の科学的解明と教育等への応用に関する検討会 」
の座長に御就任されるなどの御活躍もうかがっております。
本日は、「研究・教育を楽しんで」という演題で御講演をいただくことになっておりま
す。有馬先生が長年歩んでこられた研究・教育の世界の醍醐味に私たちをいざなってくれ る
ものと御期待を申し上げます。
それでは有馬先生、よろしくお願いいたします。
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有馬朗人氏講演
※小見出しは事務局で施しました。
(1) しかるより褒めなさい
皆さんこんにちは、有馬朗人でございます。今、鈴木教育長さんから御丁重な御紹介 賜 っ
た次第でありまして、大変ありがたく思っております。
何の話をしようかと思いましてね、皆さんに睡眠剤を差し上げようかと思ったんですよ。
それは物理学の特に原子核構造論とかね、ビッグバンから始まった宇宙の進展はどうなっ
て、今どこまでわかったかなんてやったら間違いなく皆さん寝ちまうだろうと。それから も
きょ
う一つは、今朝の新聞を見て、急遽 東京から資料を取り寄せてつけ加えようと思っているこ
とがあります。ですから、前半と後半、ややつながりが悪いかもしれません。お許しいた だ
きたいと思います。
もちろんよく使っている資料を取り寄せたんですが、今朝、中教審にいよいよ指導要領を
見直せというようなことの諮問がおりた、そのことについて私の感想をつけ加えようとい う
気持ちに急遽なりまして、終わりの方に、その辺をめぐった問題点についてお話をしてみ よ
うと思います。
しかし、その前に、もともと私がなんで研究者になっていったかとか、そういうことにつ
いての話をさせていただこうかなと思ったものですから、鈴木教育長さんから「何か話を す
るように」という御用命いただいたときに、「じゃあひとつ教育・研究について、どうか か
わってきたかについて少しお話してみようか」と申し上げまして、演題もそうなっており ま
すから、前半の方は、というか主にその話をさせていただこうかと思います。
まず初めは、私自身が受けた教育ということに関して考えてみたい。その教育を受けた、
受け方の影響で中教審以来いろいろ考えてきた、実現しようとしたこと、それの原点があ
る、それは浜松時代の教育であるという話を最初にしてみたいと思います。
まず最初に申し上げてみたいことは、褒めることの重要さということであります。自分自
身の体験を通じて、私は盛んに「けなすより褒めなさい、しかるより褒めなさい」という こ
とを申しますが、そのことについてまず最初に申し上げてみたいと思います。
私自身が今でも文章を書いたり読んだりすることが比較的平気だという、うまい文章 で あ
るとかそういうことじゃないんですが、文章を比較的こだわらずに書けるということは、 出
発点は小学校の1年、及び特に2年のときの担任の先生の影響であったと思いました。私 以
上の年齢の方の中には、「綴り方教室」を覚えておられる方がおられると思いますが、私 が
習った鈴木福三先生という方は、「綴り方教室」を一生懸命進めようとしていた人の1人 で
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ありまして、そういうこともあったのでしょう。
そのころは、千葉県の銚子にある小学校に3年生の半ばまでいましたけれども、2年 生 の
時に、幼稚園時代にいた対岸にある波崎というところのこと、そこからぽんぽん蒸気で銚 子
に渡ってきたようなことを子ども心に懐かしく思って、波崎というのはこういうところだ っ
たというような話を、短い作文にいたしました。それを、その鈴木先生が大変褒めてくだ さ
って、多分県の何かに出してくださったんじゃないかと思います。その後も、時々放課後 に
なると「また作文書いてごらんよ」というふうな指導をしてくださった。このことが「作 文
というのはおもしろいもんだな、自分の思ってることを自由に書けばいいんだな」という ふ
うな気持ちを植えつけてくれました。
その次に、今度は小学校の3年生の秋に、銚子から神奈川県の橋本というところに引っ越
しいたします。今で申しますと相模原市というところ。この橋本というのが、驚くべき田 舎
であったんですが、そこに3年生の半ばから5年生を終わるまでいるわけですね。そこで 専
ら遊んでばっかりいました。本当によく遊びましたね。木登りとか、陣取り合戦とかそう い
うことをよくやりましたし、こま回しもやって、ほとんどあらゆる子どもの遊びをやりま し
た。
そのころから理科が好きで、ものを作ることが好きでしたものですから、小学校の4 年 生
の夏休みにモーターを自分で作りました。今のようにモーターのキットを買ってきて組み 立
てりゃいいというもんじゃなくて、本当にブリキ板を切りましてね、おふくろに怒られる わ
けですよ、「どうしてこの花ばさみ、こんな切れなくなったんだろう」と。当たり前でね 、
何十枚とブリキ板を切ってしまうわけですから。そしてそこに銅線を巻いて、そのころは 絹
で巻いた絹糸線と言われたものですが、その絹糸線を何百回と巻いて、そしてモーターを 作
る。
苦労してモーターを作って夏休みの終わったときに学校へ持っていく。そしたら、そ の 4
年生のときの担任は青木徳恵先生でしたけども、3年生のときの担任の田所長義先生が理 科
好きな人で、私の作っていったモーターを見て、「よく作ったね」と。それで校長先生に そ
れを見せてくれて、校長先生が朝礼のときに、「こういうものを作った人がいるよ」と言 っ
て褒めてくださったんですね。これでモーターを作ることはおもしろいことだと思いまし た
し、またモーターが回ったときというのは大変感激したもんですね。
その後もいろいろな研究でうまくいったときにも感激してますけれども、子どものこ ろ の
モーターが回ったときの感激というのは大きなものでした。そしてまた先生が褒めてくだ さ
る。しかもそのモーターを、ちゃちなモーターでしたけれども廊下に飾っていてくれたと 思
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います。そういうことがあって、ものづくり、特に電気的なものづくりということに興味 を
持つわけであります。これを褒めてくれたということが、やはり、私の現在の物理を志す 原
因をなしてくれたと思います。
そこで、学校以外の場所で、土曜日や日曜日を使って、子どもたちが来て自由にものを作
ったり理科の実験をしたりするようなところがあちらこちらにできるといいなと思ってい ま
す。科学博物館とか科学館とかでやろうとしますとね、あるいは学校で土曜日、日曜日に や
ろうとすると、けがをしたら大変だ、事故を起こしたら大変だというのがまず最初に出て き
て、なかなか子どもたちが自由に実験をやれない。ものづくりができない。工作機械は普 通
の家庭にはありませんから、どこかにあるものを使おうとすると危険だというふうなこと に
なる。
ですから、ボランティアでもどなたでもいいですから、指導員が1人2人いて「注意して
やってください」と言いながら、子どもたちが自由にものを作ったり、実験をしたりするよ
うなところがあるとよいなと。もちろん学校にもありますから、それを活用することもいい
んですけれども、特に土曜、日曜には、先生方だけに御負担をかけてもいけませんので、ボ
ランティアのような方がやっていただけるといいなと思います。
そして、小学校6年生のときに浜松の西小学校に移ってまいりますが、そこは専ら入学試
験の準備でした。それまで遊んでばかりいて、静岡県に来る前、すなわち神奈川県の橋本 に
いたころは勉強なんてしたことなかったですから、もう大いに閉口しましたけど、ともか く
1年間必死で勉強すれば中学校ぐらい入れるんだなということがわかりました。
そのときに、もう一つ私が自信を得たことがあります。私は5つぐらいのときに、カ リ エ
スという恐ろしい病気になりましてね、小柴さんは小児麻痺だったが私はカリエス。隣り 合
わせて2人とも「手がうまく動かないな」とよく言ってたものですが、私はこの右手が真 っ
すぐ伸びませんし、それから左足が自由に動かない時代がありました。今でも覚えてるの
は、銚子にいましたから大きな病院というと今の千葉大学の医学部、当時千葉医専という と
ころに行って、レントゲンをかけて見てもらう。そうすると「足を切れ」と言われたんで す
よ。「左側の足のカリエスは治りそうもないから切れ」と。よく切らないで済んだと思う ん
ですね。
そういうことがありましたので、小学校時代はそれほど運動というものが好きであり ま せ
んでしたので、雨が降るとうれしかった。ですが、浜松の西小学校に行きますと、中学校 に
入るために運動ができなきゃいけない、まず鉄棒ができなきゃいけないというんで、やっ と
逆上がりができるようになった。
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ですが、もう一つ、足が悪かったですから、駆けることは非常に不得意だと思ってたんで
すが、夏休みに、夏の学校のようなところに行って、そこで十分駆けられることがわかり 、
2学期に西小学校に戻ってきましたらば、担任の有川正美先生が「どうもおまえは駆ける こ
と が で き そ う だ な 、 駆 け て み ろ 」 と 。 そ れ で 100メ ー ト ル や っ た ら 速 い と い う こ と で 自 信 を
持たせてくれました。それからがいけないんですよ。みんなはね、浜松一中に入るための 試
験勉強を午後やるんですよ、小学校でね。私はね、やらせてくれないの。「用意ドン」と
100メートルのスタートダッシュからね、ゴールインの練習、それから400メートルリレ ーの
アンカーの練習を毎日午後やらされてました。
ただ、私はそこで、その有川先生に大変ありがたかったと思うことは、それまで健康 に 自
信がなかった、特に運動に自信がなかったのが、大変自信がついたんです。今でもやって る
のかもしれませんが、一つの小学校の運動会へ、近所の小学校の選手を連れてって競争さ せ
るというようなことをやってまして、それに参加したり、西遠地区の方に運動場ができま し
てね、そこで西遠地区の運動大会があって、それに出るというようなことで、大変自信が で
ました。そういう意味で、小学校時代に一番自信がついたのは体力であると思います。
これもやはり、先生が「おまえはそんな足が悪いと言っているけれども大丈夫なんだ 」 と
いうような自信をつけてくれて、実際その先生が、本当は教室で入学試験の勉強をさせな き
ゃ い け な い の を 、 そ の 先 生 自 身 、 私 と く っ つ い て 駆 け 足 を や っ て く だ さ っ た り 、 100メ ー ト
ル や 400メ ー ト ル を 一 緒 に や っ て く だ さ っ た 。 こ う い う こ と で 、 私 の 体 力 に 対 し て の 自 信 が
ついたということはありがたかったと思います。
(2) 子どもの努力を正しく見てほしい
そうやって中学校に入っていくんですが、中学校の1年生、2年生は専ら真空管式のラジ
オ作り。それから変圧器を作る。変圧器も先ほど申しましたように、キット買ってきて、え
いと作りゃいいもんじゃなくて、はさみでブリキ板を100枚か1,000枚切って、そしてそれに
ニ ス を 塗 っ て ね 。 そ う や っ て 絶 縁 し た 板 を 1 枚 1 枚 重 ね 、 そ こ に 絹 巻 き 線 を 1,000回 も 巻 い
て変圧器を作る。このときも自分のところには万力という締めるような機械もなきゃ、もう
何もないですから、ペンチか何かでぎゅっと無理やり締め付けて、それを強い糸で縛りつけ
るというような苦労をして作りましたが、ともかく変圧器ができました。
ラジオが鳴った。ラジオが鳴ったときというのはこれまたうれしかったですね。本当にび
っくりしました。設計図通りなんだけども、自分で作ってみたらラジオが突然「JOAK」
と言ったと思いますがね、そういった放送が聞こえてきた。本当うれしかった。
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ですから、ものづくりのおもしろさ、それから設計図通り、科学的にきちっとつくれ ば も
のが鳴ったり、変圧器の電圧がちゃんと10分の1の電圧になるというようなことを、中学 校
時代、1年、2年で学ぶわけです。
そういうことを見てても、やはり、先ほどの理科教室と同じように、しかるべきとこ ろ に
簡単な万力だとか、安全な旋盤とかを置いといて、そこで工作したり、実験をしたりする こ
とができると大変いいと思うわけです。
そこで、今度は教育者の方々にお願いでありますけども、子どもの努力を正しく見てやっ
てくれと。がっかりさせないでくださいと言いたいのです。思いがけないことを子どもが や
ったときに、「そんなのはだめだよ」と言わないでいただきたいと。なぜそういうことを 言
うかというと、身をもって体験したことが少なくとも2回あるからなんです。
一つは図画の時間でありました。中学校の2年生だったと思います。ある先生が宿題 を 出
した。ちょうど秋だった。「落ち葉を使って画用紙に模様を描いてらっしゃい」と。私は い
ろんな落ち葉を集めて、私なりに赤の落ち葉、黄色い落ち葉といろいろ並べて、そしてま た
結構しゃれてたと思うんだけどね、柿の葉っぱの虫が食ったのなんかわざわざ置いてね、 そ
れでやって、持って行った。
そしたら、先生が全部批評をしてくださる。私の番がきたらばね、「これは本人のも の で
はないな、お父さんかお母さんが手伝ってくれたに違いない」、それで終わりなんですね 。
確かにね、私の描き上げたのを見て母親が「いいね」って言ったのは確かなんです。でも 、
「こうしたらどうだ」とかなんかは一言も言わなかった。だけど、その先生が一見のもと に
ね、「これよくできてるようだけども、母親かだれかが手伝ったに違いないからだめ」と 。
これはやっぱり教育者としてはいけないと思う。自分の先生の悪口を言うようだけれども 、
この点について申し上げておきましょうね。
やはり、子どもが本当にやったのか、あるいはカンニングなのか、それともだれかが 手 伝
ったのかというのはちょっと聞けばわかるわけですね。もちろん「自分でやった」と答え る
のが普通であるにしても、よく聞けば本当かどうかわかる。ちょっとそこのところが足り な
かった。そういう意味で、教育においては、ある子どもがある面を見せたら、それは本当 に
その子どものものかどうかというのを確かめて、それでむしろ励ますように持っていって い
ただきたいと思います。
それから、もう1点は、中学校のやっぱり2年生の1学期の終わりで、夏休み直前の試験
がありました。そのころ、浜松工業専門学校(現
静岡大学工学部)の中に教員養成所が あ
って、そこの人たちが、19歳ぐらいでしょうかね、学校に教えることの練習に来てました 。
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ちょうどその時にやってたのが、2次関数の最大、最小でした。
御存じのように、y=ax2+bx+cというのが一番大きくなるのはどういうときかと
か、一番小さいのはどういうときとか、これは、今では高等学校でやるのかしらね、でも、
そのころは中学の2年のときにやるわけですね。
平 方 に して 、 す な わち 、 y = a(x − p) 2 + q に 変 形し て 、 そ のカ ッ コ の 二乗 の 中 を 0 に
したらいいということを教わるわけですが、もちろんそれは私も理解したんですけどね、何
だか面倒くさいですよね、いちいち平方にしてやるなんてね。何かもっとうまい方法あるん
じゃないのと思ったわけですよ。
そしたら、近所の本屋さんにね、「考え方」という雑誌が出てたのです。もう今なく な り
ました。でも戦争中それから戦後の一時期にも、「考え方」という、いわば予備校みたい な
ところが出してる雑誌がありました。その雑誌をふっと見たら、まさに最大、最小のこと が
書いてあって、しかもそれは微分っていうものをやれば、さっと答えが出るんだと書いて あ
る。
それで私も、それはもともと中学校用に書いてある雑誌ですから読めばわかるわけで 、 そ
れを見て2次関数の最大、最小というのはそんな難しく考えなくても微分というものをや り
ゃ一遍に答えが出るなと。一回不精なことを覚えちまうとね、いちいちね、「xマイナス 何
と か の 二 乗 は 」 な ん て や ら な い で 、 「y ’= 0 」と 。 ち ょ う ど そ れ が 試 験 に 出 た か ら 、 4 題 の
うち1題がそれだったから、「y’=0」と瞬間的に答え出しちゃった。
答案が返ってきたんです。75点なんだ。どうしてかと聞いたら、要するに「こんなこ と は
教えてない。教えてないことを使って答え出したって偶然だけかもしれない」と。
これ、やっぱりいけないと思うんですね。明らかに教生の先生は微分を知ってたはず で 、
いくら中学校の2年生だって、自分で勉強してそういう答えを出したら、それは間違った ら
間違ったでいいんだけども、合ってればですね、「正しいんだよ」と。「だけどどうして こ
れでやったのか」あるいは「普通のやり方はできるか」というぐらい聞けばいいのにね、 も
う問答無用、ぱんと75点。
ですから、これは先ほどの絵の場合もそうだけども、教える側に立つ人には、私、お 願 い
がある。そういう子どもたちが努力をして、ある方法を見つけたときには褒めていただき た
い、むしろね。ただ、同時に、教育の上で一つの思想があればですね、「先回りしちゃい け
ないよ」と、「ちゃんとこれもやってろよ」とか、あるいは「先回りするならするでいい け
ども、同時に普通のやり方もちゃんと勉強しておけ」とか、そういう指導をされたらばい い
と思いますね。
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(3)
習熟度別教育をやるべし
こういうことがあって、中央教育審議会の会長になった直後に言い出したことは、習熟度
別の教育をすべしと。要するに、非常によくできる、得意な分野を持ってる人がいたら、そ
れをほかの人と一緒にやるんじゃなくて、少し進んだ教科書を使ってでも別なクラスで勉強
させてくださいと言うわけです。
それからまた、私がどうしてもわからないことがあったんです。そういうときに、私 は 自
分で勉強してわかるようにしましたけども、そのときに、ほかの人と一緒にすっと行っち ゃ
うんじゃなくて、「わからない子集まって来い」と言って、そして特別にクラスをつくっ て
くださって指導してくだされば非常によかったと思います。
私は、決して、エリートだけを教育しろとか、落ちこぼれだけやれとか、そう言って る ん
じゃないんです。人それぞれには能力があります。運動のすごくできる人もいれば、音楽 の
すごい人もいる。同じように国語のすごい人、英語のすごい子、算数のすごい子、いろん な
人がいるわけですが、全部の面ですぐれてるということはまずない。どこかがすぐれてる 。
そのすぐれてる面だけ共通な人を何人か集めて特別クラスで教える。あるいは、数学なら 数
学で、どうしてもわからないという人がいれば、それを集めて別なクラスでやる。しかし 、
ほかのときにはまた一緒になるというふうにやって、クラス分けということを言ってるわ け
じゃなくて、一つのクラスの中の何人かは、その子が希望すれば、あるいは明らかにその 人
の能力がすぐれていれば、習熟度別に教育をしてやっていただきたい。あるいは、遅れて い
れば習熟度別にやっていただきたい。
お聞き及びの方もおられるかと思いますが、できない人のことを私は「大器晩成型」 と 呼
んでます。いるんですよ、そういうのが。私の東大の博士課程の学生にもね、「なんでこ ん
なこともわかんねえのか、おまえばかじゃないのか」と言ってね、どなりつけたようなこ と
がある。だけど、聞いてみるとね、「いやここがわかんないんです」と。聞いてみると、 な
るほどね、わからない。なかなかむずかしい。
アインシュタインのような天才でも、長い間彼はとうとうわからないで亡くなっちゃ う よ
うな問題があるんですね。そういうとこにつまずくと、もう先へ行けなくなる人がいるん で
すよ。一番いい例が、小学校ですと分数の割り算。なぜひっくり返して掛けりゃいいのか 。
これは難しい。最初は分数の割り算でひっかかる。私もわからなかった。そういうときに 、
少し丁寧に教える。私の学生の場合ですと、もうちょっと高級な量子力学の問題なんです
が、ひっかかっちゃってどうしてもわからない。だから、1時間ぐらい「ここはこうなん だ
ろ、こうなんだろ」と言ってるうちに、「わかった」と。もう翌日からトップですよ。そ う
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いうのが「大器晩成型」。
だから、ある時期にひっかかったら、つまずいたらば、いち早くどこで困っているか 見 つ
けてやって、つまずいてるところを解決してやるということが教育者の義務だと思う。で す
から、単にエリートのように、よくできる人を見て伸ばすということだけじゃなくて、つ ま
ずいているようなところを見抜いて、それを解決していく必要がある。だから、私は、い ろ
んな面で能力別にいろいろやったらどうですかと言っています。特に小・中学校でありま す
と、習熟度別の教育をしたらどうかと言ってるわけです。
ところが、よく誤解を招くのは、シンガポールの例があるから。シンガポールは、今、世
界的にも理数が非常によくできるので有名ですが、どうするか。小学校4年生で一斉に国 家
試 験 を や り ま す 。 国 家 試 験 と 言 っ た っ て 350万 人 ぐ ら い の 国 で す か ら 、 2 、 3 県 の 区 域 の 国
だと思ってください。4年生で一斉に試験をする。そしてAクラス、これは20%ぐらい、 B
クラスが圧倒的に多くて60%、残りの20%がCクラス。Cクラスは労働者、Aは大学に行 く
エリート、Bは一般の市民。そして教えることも違っちゃう。全部英語の教科書ですけど
も、英語の教科書でAクラスは数学はいいよと、よくできるから。数学はほどほどにして 理
科をうんとやろうと。Bクラスは今までどおり。Cクラスは語学が弱いからCなんだ、だ か
ら語学をやれと。これがいわゆる学力によってクラスを分ける編成の仕方です。
私は、これには反対です。これはもう小学校の4年のときから、人に差別がついちゃ い ま
すからね。そして中学校に行くときに、もう1回国家試験をします。そしてAクラスだけ で
はなくて、Bからも上る人もいる、あるいはAからおっこちるのもいる。この試験の結果 、
20%ぐらいは中学校に行かせます。50%ぐらいは職能教育をします。最後はもっと実務的 な
教育をする。こういうことをするからシンガポールは成績いいんですよ。
それで、私は「3割減らした」とよく非難されますけども、シンガポールは、教える こ と
はさっさと3割減らしている。教えることが多過ぎたから「考える力」がないんだと、シ ン
ガポールの国民には。だから、今後、独創性とともに「考える力」を養成しなきゃならな い
って言って、シンガポールは10年前ぐらいから3割教えることを減らしました。そして、 今
のような制度で徹底的に、あえて言えば差別の教育をする。これがいいでしょうか。
私は、教えることを少し減らそうということは大賛成ですが、そういうクラス分けに 対 し
ては批判的。私はシンガポールの文部大臣の教育顧問をやってましたんで、そのときもよ く
その話をいたしました。しかし、彼らはそれで成功してると思ってる。しかし、さすがに 新
しい情報によりますと、少し行き過ぎだったと思っているようです。
こういうことで、習熟度別の教育ということをやっていただけないだろうかと思います。
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これは、学校でやらなくても、土曜日などを使うということもあり得るかと思います。そ し
て、特に数学が好きだとか、理科が好きだというような人に対しては数学クラブや理科ク ラ
ブをやるというふうな、あるいは社会の好きな人は社会クラブをやる。こういう同好の生 徒
諸君が集まって、いい指導者のもとでやりたいだけの勉強をさせるということもいいので は
ないでしょうか。
これ、スポーツでありますと、どなたも文句言わないですよね。だけども、数学でや っ た
り英語でやったりすると途端にしかられるようなところが日本にはあるんです。少し考え て
いただきたいと思います。やっぱり、いろんな意味での才能を伸ばすという意味で、音楽 の
才能を伸ばす、理科の才能を伸ばす、あるいは体力を伸ばす、すばらしいスポーツマンに す
る、こういうような様々な特徴を伸ばしてやるような方針でお進みいただけないものであ ろ
うかというわけであります。
(4)
職業教育が足りない
さて、中学校の2年も終わりごろになりますと敗戦色が激しくなります。昭和19年12月 8
日に浜松地区に大地震があった。その大地震のとき、私は学校にいて、浜松一中のプール の
水がわっと飛び上がったのを覚えてますので、そのときまで学校にいたんですね。ですか
ら、昭和も20年の1月から本格的な勤労動員が始まって、軍需会社で、昼夜3交代で8時 間
ずつ、旋盤を回すという経験をいたしました。その前までは、やはり毎日学校に勉強に行 く
あんきょ
わけにいきませんで、週に1回ぐらいから2回は暗渠 排水であるとか、あるいは田んぼを 耕
すとか、農業の手伝いを随分やらされました。
この旋盤の経験にしろ、農業の経験にしろ、非常に後で役に立ちました。半年以上勉 強 が
できなかったということは大変惜しい、今から考えるともったいなかったとも思うんです
が、同時に旋盤を十分やるとか、農業の経験をすることによって、ものづくりはおもしろ
い、ものづくりは楽しいんだと思ったわけです。
農業の場合でありますと、手塩にかければそれだけのものが育つ。それから旋盤も丁 寧 に
削ればそれだけすばらしいものができる。大ざっぱにやると寸法の違うものができる。オ シ
ャカとよく言いましたけども、だめなものが出てくる。丁寧にやるときれいにできて寸法 も
ぴしっと合う。ですから、ものづくりというものがおもしろいものだということがつくづ く
わかるわけですね。そういう意味では、中学校の、特に2年生の後半から3年にかけての 、
そういうものづくり体験というのは非常に役に立ったと思います。
職 業 高 校 が 15年 ぐ ら い 前 か ら 人 気 が な く な り ま し た 。 そ こ で 、 何 と か し よ う と い う こ と
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で、文部省の初中局と一緒に「スペシャリストへの道」というものを提案するに至るわけ で
す。それは、高等学校の中で職業を教える、工業高校、農業高校、そういうところをもっ と
活性化しようではないかと努力したわけです。残念ながら、今のところ必ずしも成功して お
りませんけれども、そのとき出しました「スペシャリストへの道」という提案が、現在専 門
高校と名前を変えましたけれども、職業高校の一つの方向づけとして今でも使われている と
思います。これは、やはりその中学校時代の職業体験を自分がじっくり身をもって体験し た
ということが原点にあるわけです。
ここで、私は、今の教育において、職業教育が小学校、中学校では足りないと思うに 至 る
わけです。専門高校へ行って初めて職業のことを習いますけども、普通高校ではそこでも 習
わない。そして大学に行って初めて職業というものを学び始めるわけですね。遅過ぎる。
ですから、私は中学校で、3年間全部でやれとまで言いませんが、2年生なら2年生 の 時
に1、2週間きちっと職業体験をさせるべきであると考えています。あるいは、各学年に 1
週間ずつでもいいです。特に、「総合的な学習の時間」などを使って職業教育を中学校の 時
代にすべきであると言っています。というのは、やはり中学校ぐらいに職業のおもしろさ 、
職業の重要さ、それで自分はどっちに進んでいくのかなということを、ある程度身をもっ て
体験しないと遅過ぎますよね。大学に行ってからやっと何とか考えるなんて遅過ぎます。 い
くら高年齢社会だろうと、やはり一生自分がやっていこうというようなものに対して、何 ら
かの関心を中学校時代から持たすべきではなかろうかと。そのためには「総合的な学習の 時
間」などで少し考えていただけないだろうかと思うわけであります。それは、もともと私 自
身がそういう経験をしたことによるわけです。
この方針に従って、一つやってるところがありまして、それは兵庫県。兵庫県は酒鬼薔薇
事件の後、文化庁の現長官の河合さんが中心になって、兵庫県として心の教育をどういう ふ
うにしていくかという検討をいたします。それがちょうど今から7、8年前のことであり ま
すが、その結果兵庫県は県が4億円を出し、各市町村が残りの3億円を出して7億円ぐら い
で、「トライやる・ウィーク」というのを始めます。「トライやる・ウィーク」というも の
はどういうものかと言うと、中学校の2年生が1週間、スーパーマーケットへ勤めるとか 、
あるいは消防署に行ってホースで水をかける訓練するとか、要するに職業に携わらせるわ け
です。
その結果、おもしろいことが起こりました。まずね、私もちょうど大臣のころですか ら 、
兵庫県に行ってずっと実施状況を見たんですが、子どもたちに聞いてみるとおもしろい答 え
が返ってきました。「自信がついた」「なぜ」「おばさんにありがとうと言われました」
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と。今度は商店の主人に「子どもたちどうでしたか」と聞くと、初めはあいさつもできな き
ゃ、のそのそとしてたけれども、終わりごろになると、「買ってくださってありがとうご ざ
います」とか、お客さんが来ると「こんにちは」とか言うようになって、大変いそいそと 、
八百屋さんでしたがいろんな品物を売ってる。そういうことで大変元気が出てるというふ う
なことを聞いたことがありました。
改めて県の方に聞いてみると、不登校だった子どもたちが帰ってきたという話でした 。 不
登校の子どもたちも、学校は行かなかったんだけど、その「トライやる・ウィーク」とい う
んで、商店街に行ったり、灘の酒屋さんに勤めたりする。こういうところを1週間経験し た
らとても自信がついて、不登校だった子が帰ってきたと言っていました。かなり帰ってき た
ようでしたね。
要するに、そういう職業を実際に体験させることによって、自信がつくということも あ り
ます。単に職業がおもしろいとか以上に、自信がついてあいさつができるようになったり す
る、あるいはお礼を言われてうれしくなると、こういうことがありますので、少し「トラ イ
やる・ウィーク」のようなことをどこでも考えたらどうかと思い、文部大臣の時に、農水 産
省や現在の経済産業省と一緒になって、そういう職業教育を中学校時代に1週間ぐらいや ら
せようというふうな方針立てたんですが、実際実行してるかどうか。その後詳しく私は聞 い
ておりませんけれども、そういう方向に行こうとしていたことは事実であります。
(5)
なぜ教育にもっとお金を出さないのか
中学校3年生の1月に、すなわち終戦の翌年でありますが、4年生の直前に父親が亡くな
りました。それ以後、これはもう大変な苦学の時代に入りまして、アルバイト、アルバイ
ト。もう中学校4年生からアルバイト、アルバイトで、大学卒業して今度は大学院3年間も
アルバイト、アルバイト。学校行くのがやっとで、あとは全部アルバイト。何しに学校に行
くかというと、寝てるようなもんですよ、くたびれちまってますからね。
そのとき一番よかったのは、一番前に座ることですよ。一番前というのは先生の目線 が そ
こへ行かない、後ろの方が見える。よく寝たいと思う人はぜひ前の方へおいでになるとい
い。ある時に実証いたしましてね、私の親しくしていた先生が、「有馬君は熱心だったね 」
と。それは大分たってからですよ、私が助教授か何かになってから。不思議に思うわけで す
よ、こっちは寝てばっかりでしたから。「一番前にいていつもちゃんと聞いとった」と言 う
んですよ。それはそうでしょう、下向いて寝てたんだから。
そんなことで、学校は寝に行くようなとこでありました。中学4年生のときは入学試 験 の
12
ために勉強しないといけないというので、無理やり勉強させてもらいましたけども、もう 高
等学校に入って以来、全然勉強らしい勉強ができなかった。
そこでどういうことを考えたかというと、二つ考えました。当時は中学校というのは5
年。でも4年で当時は行けたんですよ高等学校に。これを「4修で行く」といいます。必 死
で勉強して4修で武蔵高校に入れるわけですね。ありがたかった。まずここで経験したこ と
は、飛び入学ということは可能ではないかということ。何も中学校を5年までやらなくた っ
て、1年サボって4年で高校に入ったって、結構5年やってきた連中と一緒になってやっ て
けるのだ、飛び入学は可能であるという信念を持つわけですね、それが一つ。
それからもう一つは、武蔵高校に入ったときは、入学金は、借金か何かして、母親が 払 っ
てくれましたけども、後はほとんど授業料はただでありました。東大入りまして、それも 入
学金は最初払わされた。しかし、そのころの国立の大学の授業料というのはただみたいな も
んだった。でも、そのただみたいなものを、またただにしてもらったんですからね。
そこで第2の私の信念は、授業料をただにすべきである、安くすべきである、そして 奨 学
金を徹底的に充実させるべきであると。私も何とかアルバイトと奨学金でやってましたけ ど
も、大変ありがたかった。奨学金というのはよかったし、それから授業料を免除してもら う
というのは大変うれしかった。ですから、信念といたしまして、大学の授業料免除をふや
せ、大学の入学金や授業料をふやすべきではないと。闘いに闘ったんだけども、財務省は 強
いですな、今度も上げるそうで。
なぜ文句言いたくなるかというと、皆さん御存じかどうか知りませんが、日本の大学ほど
金を分捕る国はないんですよ。フランスはただ。ドイツもただ。イギリスが少し取るよう に
なった。金をふんだくるところは韓国と日本、そしてアメリカ。でも、アメリカは授業料 は
高いけれども、入学金はないんですよ、授業料だけなんです。韓国は入学金も授業料も取
る。日本と韓国が入学金、授業料が多いとこです。アメリカの場合は奨学金が徹底的に充 実
してる。だからちょっと貧乏であれば、すぐにもう奨学金がもらえる。場合によっては借 り
るんじゃなくてもらえるのもある。
ですから、日本の高等教育ほど、あるいは小・中から含めて日本ほど教育費に苦労す る 国
はないんです。少子化を加速してる原因の一つは、授業料を取り、入学金を取るようなそ う
いう制度にある、こういうことを私は訴えたい。どうして日本は教育に金出さないのか。 高
等教育で言いますと、日本はGDP当たり0.4%、よく見ても0.5%しか国は金を出さな い。
県も含めてですが。公的支援をしない。公的財政支援の0.4%、少しひいき目に見て0.5%で
す。アメリカは1%以上です。ヨーロッパもほとんどすべての国が1%。GDP当たりに し
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て2倍の金をヨーロッパ、アメリカは使っている。だから、お父さん、お母さんは自分の と
ころの子どもが大学へ行くなんて何とも思わない。ただみたいなもんですから。アメリカ の
場合はハーバードなんか高いですけども、そういうところに行くときには奨学金制度が非 常
にしっかりしている。
やはり、日本はこんなに教育の好きな国民のくせにそういうところが極めて原始的です
ね。ひとつ教育長さんもよくこの辺をお考えになって、静岡県だけは特別であるというふ う
になっていただければありがたいと思います。
(6) 正しいと思ったことはしっかり守れ
教育の話を専らいたしましたけども、そんなことで、大学の時代に原子核物理学、あ る い
は、今、高エネルギー物理学と言われているものの理論物理学を勉強しようと思うように な
ります。そして、大学院1年生、大学出たその年のちょうど今ごろですね、その時に、原 子
核の磁石の性質について、ある意味では根本的に考え方を変える理論をつくりました。堀 江
さんという、後に東京工業大学の名誉教授になった私の先輩がいて、その人と2人でその 理
論をつくります。それが「有馬堀江理論」あるいは「有馬堀江効果」と言われて、今でも 世
界的にその方面の研究する人は使っている理論をつくりました。それがちょうど今から51年
前の1954年の今ごろであった。それで、それからちょうど50年たったというので、この2 月
の初めに諸外国から、そんな大きな国際会議ではありませんけれども、仲間が50人ぐらい と
日 本 人 が 100人 ぐ ら い で 、 そ の 「 有 馬 堀 江 効 果 」 を 記 念 す る 国 際 会 議 を 開 い て く れ る と い う
ようなことになったわけです。
この理論を発見するときも、あっと思いついたんですね。世界的な人がどうしてもわ か ら
ないと言って、いろいろな論文が出てるころでありましたけども、ある時に、はっと思い つ
いたことがあって、堀江さんと2人でこうじゃないかと言ったのが、ある意味で大穴だっ た
わけでありまして大成功になりました。
ここでまた褒めるということが出てくるんですが、日本の人はほとんど褒めてくれな か っ
た。朝永先生が少し褒めてくださったかな。湯川先生はちょっと分野が違うので、黙って 聞
いておられてにこにこしておられましたが、我が友達たちは、あるいは先輩は一切無視。 要
するに、日本人はね、にこっと笑って無視する。悪口も言わないんですよね。にこっと笑 っ
て、それで無視する。というわけで、日本では認められなかった。
ところが、それから3年ぐらいたってから、1957年ごろ、イスラエルの大研究所がありま
して、そこの研究所から来いという手紙が来た。それからもう一つは、全く同じころに、 現
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在の原子構造を解明したニールス・ボアという人及びその息子のオーエ・ボア、両方とも ノ
ーベル賞もらってますが、そのボア一家が中心になっていた原子核物理学のもう一つのメ ッ
カであったコペンハーゲンから、留学というか研究に来いよという、そういう招待を受け た
わけですね。
ですから、褒めてくれたのは外国人。そして、結局はアメリカの国立研究所の人が認 め て
くれて、アメリカの方が給料もよかったものですからアメリカに行くことになりました。
ここにもやっぱり褒めてくださいということがある。要するに、研究した結果が非常 に よ
かったので、私は「しめた、これは」と思って論文を発表したんだけど、日本の人は全然 認
めない。学会で話しても「ああそうか」で終わっちゃう。だけど外国では非常に評価して く
れ て 、 そ れ で そ の 後 10年 ぐ ら い は そ の 理 論 で 、 今 で も そ れ で 食 っ て る と こ ろ も あ る ん で す
が、10年ぐらいは特にそれで食べてました。ですから、今でも「有馬堀江効果」の有馬と い
えばそれで大体通じるんですが。
そして1959年から61年にかけて1年半、それでそれ以後1年半とか3か月とか年中ア メ リ
カへ出かけるようになったのもその理論のおかげであった。そして、今度は1971年から、 も
ちろんその前にも行ったり来たりしてるんですが、特に長く1971年から73年にかけて、ア メ
リカのニューヨーク、ケネディエアポートのあるロングアイルランド島ですが、そこの中 心
にあるニューヨーク州立大学の教授として出かけてまいります。
そこで、アメリカに対して感謝するのは、そういう、特に1959年出かける時なんて、 全 く
論文一つしか知られてなくて、あとはどんな人間かわかんないようなのをちゃんと招待し て
くれて、しかも給料は20倍でした、日本の。当時の日本の私の給料、アメリカへ行く直前 は
助 手 で し た が 、 そ の と き の 給 料 が 月 給 1 万 5,000円 ぐ ら い で す 。 ア メ リ カ の 給 料 が 26万 円 か
な、30万円近かった。29か30歳ですよ。でも、そのくらいばんと金を出して雇ってくれた 。
こういうところで自由に研究させてくれたということが、アメリカに私が感謝をする理由 で
すね。
そして、「ジャップ」だとか言われたことはほとんどなかった。そして一研究者とし て 平
等に取り扱ってくれた。そういう意味で、私は自分の学生に「どこから留学生が来ようと 研
究者が来ようと、差別するな」ということを強く言うんです。どんな小国であろうと、研 究
者として、教育者としてちゃんとした人であれば、若僧であろうと年取ってようと平等に 扱
うべきであると。
そ し て 、 1971年 か ら 73年 に 、 さ っ き 申 し ま し た ニ ュ ー ヨ ー ク 州 立 大 学 に 参 り ま す け れ ど
も、そこでまた新しい面を開きます。ある理論をつくり出す。でも、これは日本人もなか な
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か認めなかったし、世界中の仲間も認めなかった。間違ってるんだろうというのが、1972年
に出した理論でありました。絶対自分が正しいと思ったら、頑として頑張るべきだと私は つ
くづく思うんですが、100人研究者がいたら99人は敵でした。
それから、85年ぐらいにコロラドで国際会議がありました。私が最初に私の理論を話 す 。
後は全部それの批判です。最後に私の友人がコンクルーディングリマークス(まとめの短
評)をする。そのコンクルーディングリマークスに、私が牢屋に入ってる漫画が書いてあ っ
てね。なぜ牢屋に入ったかというと、「こいつ外に出すとうるさくてしようがない」と。
「何か言うと、あいつかみつくからね、こんなかみつくやつは牢屋に入れとけ」と。
というんで、それ以後、1985年から10年ほど牢屋に入ってました。それが完全に私の 勝 利
に終わるのが1993年ごろです。ですから、絶対負けたと言っちゃいけないんで、特に世界 を
相手にするときは、正しかったら絶対負けたと言っちゃいけない。先ほど私の理論の50周 年
のお祝いがあったという話をしましたが、そのときにもその話が出てきて、ほかの理論に つ
いてはだれ一人、触れないくらいですよ。結局、私たち東京グループの理論でほとんど解 決
するということになってしまったのです。
自然科学というのは、哲学と違って、いくら正しかろうと正しくなかろうと、すべて実験
によって勝負が決まる。どんな豪壮なすばらしい理論体系をつくっても、実験によって間 違
いだと言われればもうそれで終わり。逆に、どんなに批判を受けようと、実験によって正 し
いことが証明されればそれで終わり。こういうところが非常にすっきりしてるんですね。 で
す か ら 、 そ れ が 私 が 自 然 科 学 が 好 き な と こ ろ 。 10年 た と う と 100年 た と う と 、 最 後 に は 実 験
で決まるわけですよ。科学の歴史を見るとよくそういうことがありますね。ギリシャのと き
に言ってたことが後で見ると正しかったとか、あんなすばらしい理論だと言われてたのが つ
ぶれたとか、よくありますが、そういうところに自然科学のおもしろさがあるということ を
申し上げておきたいわけです。
そしてまた、皆さん方にはお釈迦様に説法で申し訳ありません、ここに若い学生諸君がい
れば大いにそれを言うんですが、自分が正しいと思ったら、人が何と言おうと世界中が何と
言おうと自分の信念を突っ走る。そうすれば、本当に正しければその証明がいつかできる、
証明される、ということを私は今でも信念として持ってるわけです。
いろいろ教育のことについても言ってまいりましたけども、やはり、場合によっては間違
うことがあるんですね。でも、正しいと思ったことはしっかり守ればいい。文部科学省が 余
りおたおたしてるようだから、おたおたするなと言ってるんですよ。「総合的な学習の時
間」がどうのこうのといって動揺するのはよくない。やはり、自分が正しいと思ったこと を
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決めた以上、そしてその良い効果がはっきり見えてきていれば絶対自分の信念を守ってい く
べきだと思います。
(7) 大学の教育の仕方を変えなきゃいけない
もう一つ、最後に最近の問題点をお話しして終わろうと思います。
私は、アメリカの大学で自分自身が教育に参画していた時にいくつか思ったことがあ る 。
もちろん、先ほど申しましたように日本の大学の教育費が少ないとか研究費が少ないとか 、
大学施設が非常に貧弱だとかいうことも大いに身にしみて感じて、何とかそれを改善しよ う
と 思 っ て こ の 15年 努 力 し て ま い り ま し て 、 多 少 い い 方 向 に 動 い て き た と 思 い ま す 。 そ れ に
は、科学技術基本法というものが1995年にできたということが大変ありがたかったし、そ れ
に基づいて科学技術基本計画というものができて、今、第2期の計画になってますが、1996
年第1期、2001年に第2期、そして2006年から第3期に入る。こういうところで大変大き な
研究費が出されるようになったということが日本の科学技術に大変貢献した、そして大学 の
改善に貢献したということもお話をしてみたいんですけども、それはもう省略させていた だ
きます。
1971∼1978年にアメリカにいて、教育してて、今言ったように施設の問題とか研究費の問
題ももちろんあるんですが、同時に、日本の大学の教育はなってないということを私は感 じ
たわけです。それは、きちっとした準備して、教育をきちっとやっていくかというと、私 も
含めて私の仲間はそうでもない。むしろ、研究を中心にという気持ちが非常に強かった。
当時はまだそれでもよかった。大体大学へ行く進学率が18歳人口の20%∼30%だった 。 そ
のころはまだよかったんだけど、今のように45%になるような時代に、昔の大学の教育の 仕
方、研究中心の仕方ではだめだということを感じました。当時、既にアメリカでは18歳人 口
の35%以上が大学に行くという大衆化の時代でありましたから、いわば日本の現在の状況 を
既に実現してたわけで、そこでアメリカの大学の教育の仕方はどうか、いかに授業に対し て
熱心であるか、そういうことをつくづく感じたんですね。
そして、学生による授業評価というのがある。これを日本でもやるべきだと思いまし た 。
それからまた、大学の教育及び研究施設の第三者評価。これは絶対やるべきだと私は思っ た
わけです。ですから、1980年に入って、今から22∼23年前ぐらいから、日本の大学の教育 の
仕方も徹底的に変えていかなきゃいけないし、外部評価というものを導入すべきである、 そ
して産学共同をやるべきだと言ったんですが、これはまた大変な反対がありました。
やっとその時代が来たようであります。でも、これはもうこれ以上申し上げないこと に し
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たいと思います。また何かのときにその辺の話をさせていただきましょう。
(8)
調査に基づかないで学力を議論してはいけない
今から10分ないし15分でお話をしてみたいと思いますことは、きちんとした調査に基 づ か
ないで教育について議論したり学力について議論したりしてはいけませんということです。
この10年近く、学力が落ちた落ちないという議論が行われてましたけども、ほとんど デ ー
タなしで言ってたことだった。大学人が特に言ってる。大学生は、さっきも申しましたよ う
に、18歳人口の30%が45%になりますから、どんどん学生の質が変わってきた。だから大 学
生の学力が落ちてることは当然でありますが、小学校、中学校についての調査というのは ほ
と ん ど な か っ た 。 私 が 中 教 審 の 会 長 に な り ま し た 1996年 の こ ろ は な か っ た 。 あ っ た の は 、
94、95年に1回調査して、それを見てどうのこうの言ってたんですが、1999年とか2000年 、
そして現在の学力というのはわからなかった。
幸い、2002年になって学力調査を文科省がいたします。その学力調査の結果どうだっ た か
ということをまず最初に申してみましょう。
理科離れかどうかということをよく言われますけども、理科というのは小・中学校で は い
ろんな科目の中で一番好きなんだということを2番目に申します。
そして3番目に、国際比較。去年の末に発表されましたTIMSSでどうだったかと い う
と、日本では理科が一番好きなんだけど、問題は国際比較をすると日本の子どもは理科嫌 い
が世界の中で一番多いんだと。だから世界では確かに日本の子どもは理科離れ、理科嫌い が
多いと。しかし国内では理科が一番好きなんだと、この二面があることを申します。
4番目に、去年の末に二つの重要な国際比較が発表され、中山文部科学大臣が学力低 下 じ
ゃないかとおっしゃる根拠であるTIMSSとPISAが発表された。そしてそのTIM S
SとPISAについても申します。それで果たして学力低下であるかどうか、それはそう だ
と言える面がPISAの中に一つある。しかしTIMSSの方はほとんど変わってないと い
う話を今いたします。
そして5番目に、TIMSSで第1回、第2回では世界で一番理科ができた。その一 番 理
科ができた人々が大人になるとどうなるかという話をいたします。
まず最初に、2002年の学力調査、それから1994∼1995年の学力調査の比較をいたします。
これは両方とも2002年以前の旧教育課程、今の一つ前の教育課程で勉強した人々の比較で あ
り ま す 。 例 え ば 国 語 で 見 ま す と 、 こ れ は 3 回 分 が 書 い て あ り ま す が 、 こ の 真 ん 中 が 1994∼
1995年、一番左側の方は1980年のもの、10年置きぐらいと思ってください。これが一番新 し
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い 2002年 。 こ れ が 小 学 校 5 年 、 小 学 校 6 年 、 中 学 1 、 2 、 3 、 ほ と ん ど 変 わ っ て な い で す
ね。むしろ、場合によっては上がってるのもある。というわけで、ほとんど変わってない。
そして、おもしろいことに、この分析を読みますと、小学校の国語は、「いずれの学 年 で
も、設定通過率との比較では、上回る又は同程度と考えられるものが半数以上。漢字力に つ
いては、同一問題での比較で前回を有意に上回るものもあり、低下傾向は見られない状況 。
一方、記述式の同一問題では、9題中4題で前回を有意に下回る状況」。つまり、漢字に つ
いては、2002年の調査では小学校並びに中学校で余り変わってないという結果だった。先 々
週でしたか、新たな調査を見ますと、「落書き」を、「楽しむに書く」と書いたようなの が
出てきて笑い話がありましたけども、それにしてもこのときの調査ではそれほど変化がな か
った。これは今の国語であります。
同じように数学と理科についても見てみますと、数学は、2002年の調査を比べると、各学
年やや下がってるというふうに見えないわけではないけども、3年生なんかほとんど変わ ら
ない。有意に下がってるとも言えないくらいの、いわば同程度ぐらいだろうと思っている わ
けでありますが、現に分析をいたしますと、例えば今度は中学校の数学で見ますと、「い ず
れの学年でも、設定通過率との比較では、上回る又は同程度と考えられるものが半数以上 。
同一問題での比較では、第1、2学年で前回を有意に下回るものが過半数」ですから、ま あ
まあ変わらないんだけども、時には少し下回るかなと、こういうような程度のものであり ま
した。
こういう調査をちゃんとやって初めて、本当に子どもたちがどんな実力を持ってるかがわ
かるわけでありまして、私は中教審のときにも、それから大臣になったときにも、もっと き
ちっと、毎年とは申しませんけども、2、3年に1回ぐらいはちゃんとそういう評価をし よ
うよということを言ったわけであります。やっとそれが2002年に実現し、そしてまた現在 の
教育課程でさらにまた調査をしているところで、やがて発表されるだろうと思います。
その次に、理科離れだろうかということについてお話をいたします。理科離れだというこ
とは、日本の中で見ますと、ありません。日本の中では国語、社会、算数、数学、理科、 英
語と、こういうふうな科目で好きか嫌いかを聞いてみますと、理科が一番好きだという証 拠
がここにあります。ただ、中学校の1年生では、この年だけ英語が一番好きで、理科がち ょ
っとそれよりも下がる。でももう2年生になりますと理科がまた一番好きになり、3年生 は
理科が明らかに一番好きであると。
こういうデータを見ますと、日本の子どもたちが理科離れだと言い切れないところが あ る
わけです。そしてまた、実験の器具を持って子どもたちに話しに行きますと、子どもたち は
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大変理科好きだということがわかります。この科目の中で、「嫌い」が一番多いのは数学 で
す。例えば、中学校の2年生でありますと、数学は43%の子しか「好き」だと言わないわ け
です。しかし、これまた決して悲観する数字ではないということを、強調しときましょう。
一番悲観すべきことは、「全般に勉強が好きですか」という質問をいたしますと、小 学 校
で一番よくて40%、中学校になりますと1年で20%、2年になりますと16%の子しか勉強 が
好きだと言わない。ですから、残りの84%は勉強嫌い。本当ですかねというのが私の疑問 な
んですね。今日、おうちにお帰りくださって、お子さんやお孫さんおられたら、ぜひ「本 当
にこんなに勉強嫌いなの」とお確かめください。不思議だと私は思う。だけどもこういう デ
ータが出てくる。
今回の国際比較でも、同じように、数学ができても嫌いだという人が多い、理科ができて
も嫌いだという人が多いというデータが出てまいります。さっき申しましたように、国の 中
では理科が一番好きなんだけれども、国際比較をすると、ほかの国に比べると理科が嫌い な
人が多いということをお示しいたしましょう。
これは数学でありますが、数学が世界で一番できるのが、これは1999年のデータです が 今
回 の も 同 じ よ う な も ん で す 、 99年 を 見 ま す と シ ン ガ ポ ー ル が 1 番 、 韓 国 が 2 番 、 台 湾 が 3
番、香港4番、日本が5番でありました。アメリカとかイギリスはもう40か国中、真ん中 ご
ろの成績です。しかし、問題はどこかというと、数学が「好き」「大好き」と答えた人が 、
世界で、モルドバに次いで日本がビリから2番目です。48%の子しか数学が好きだと答え な
い。さっきの日本の中の調査と非常によく似た答えです。
日本の中では理科は一番好きであった、その理科はどうであろうか、これ見てみましょ
う。同じくそのTIMSSという1999年の国際比較で理科の得点を見ますと、1番が台湾 、
2番がシンガポール、ハンガリー3番、日本4番、韓国5番、ここまではすばらしい成績 で
ありまして、アメリカが真ん中ごろでありますが、「大好き」及び「好き」の合計を見ま す
と、これも先ほどの日本の中での調査と非常によく合う数字でありますが、日本の子ども の
55%しか理科が好きだと答えない。これが、日本の子どもたちは理科嫌いが多い、数学嫌 い
が多いとよくマスコミに言われる数字であります。
ただ、私が申し上げたいことは、よく見てくださいと。一番できた台湾も下から5番 目 。
日本より少し多いけども、世界的に見ると理科の好きな人が少ない。韓国は日本の次に5 番
目に世界で理科ができる国だけれども理科好きのパーセンテージではビリ。好きな人が一 番
少ない。こういう状況が国際比較でわかってくる。
それで皆さんにお聞きしたいのは、なぜでしょうかと。韓国、日本、台湾、こういう国々
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の子どもが理科が嫌いである、算数が嫌いである。だけども一番成績がいい。なぜでしょ う
かと。ここに日本の教育だけではなく、台湾及び多分中国もそうだと思う、韓国に共通し た
問題があるのだということを強調したい。なぜか。私の答えは「教え過ぎだから」。「覚 え
ろ、覚えろ、覚えろ」と公式を徹底的に覚えさせたり、計算ばっかりやらせるからつまら な
いんですよ。
そして、成績はせっかくこういうふうにいいんだけれども、嫌いな人が多いということ
と、大人になるとぱっと忘れてしまうんだということを今から証拠立ててお話をいたしま
す。
そこで、今回の一番新しいTIMSS、及びOECDでやった2回目のPISAという調
査がどういう結果であったかについて申し上げます。TIMSSというのは先ほどお見せ し
たのが1999年のデータでありますが、その前からずっとありました。そして今回2003年に あ
った。PISAというのは第1回が2000年、そして今回2回目をやりました。TIMSS の
方は小学校及び中学校、PISAは高等学校の1年生について調査をいたします。
結論的に言いますと、TIMSSは余り変わらなかった。PISAの方は数学、理科は余
り変わらない。特に理科は全く同じであった。しかし、「総合的読解力」というものがかな
り下がった。これが私としてもどうしてか心配になる点であります。今、専ら「下がった、
下がった」とよく言うのは、理科も数学も下がったと言うんだけど、そうじゃなくて「総合
的読解力」がはっきり下がったということが問題なんだということを強調しておきます。
特に、どの調査を見ても浮き彫りになりますのは、先ほどの勉強嫌いということに関係す
ることですが、勉強への意欲が日本の子どもたちは非常に低い、それから勉強することへ の
動機づけが非常に弱い。そういう意味では、今、文科省が「理科わくわくプラン」という よ
うなことをやって、盛んに理科好きを何とか多くしようという努力をしてきたことは大成 功
でありました。事実、こういう調査を見ますと、理科好きのパーセンテージがふえてきて い
ます。そういう意味で、文部科学省に対して、私はもっと積極的に「勉強わくわくプラン 」
をおやりなさいと。中山文部科学大臣の新しい方針としてでいいから、「理科わくわくプ ラ
ン」を超えて、「勉強わくわくプラン」をやってくださいということを言ってるわけです。
これはTIMSSの方でありますが、前回との比較で、算数は小学校では3位が3位 、 理
科は2位が3位。これは少し下がったと、こういうことを細かく言う人は言うんですが、 私
はほとんど変わってないと思います。中学校の数学は、5位が5位。それから理科が4位 か
ら6位。これは新しく参画してきた国があって、その国が割り込んできましたのでちょっ と
下がったように見えますけれども、前回の平均得点と全く同程度である。つまり、算数・ 数
21
学は、5位は5位、3位は3位、理科も2位が3位とか、4位が6位と、この程度の変化 で
あるということに御注目いただきたいと思います。
そして、今ちょっと申し上げたように、好き嫌いについて見てみます。これが問題なんで
すね。「将来希望の職業につくために、数学でよい成績をとる、これが重要だと思ってる か
どうか、そうでないと思うか」。こういう質問をいたしますと、数学が将来の職業につく 、
いい職業につくために極めて重要だと言った子どもは日本では47%にすぎない。それに比 べ
て、例えば南アフリカだと84%であるとか、あるいはロシアだと78%、アメリカも77%と、
非常に多くの子どもたちが希望の職業につくために数学でよい成績をとらなきゃいけない と
思ってるわけです。
それからまた、「数学の勉強は楽しいと思うか」。日本は9%の子が「強くおもしろ い と
思う」「まあまあそうだ」というのが30%、やっぱり世界で最低ですよ。理科も同じよう な
データがあり、理科でも役に立つと思ってないんですね。自分が将来、商売をするときに 、
あるいは何かの職業につくときに、そういう数学や理科をちゃんと勉強しといた方がいい と
思わないというところが問題であるわけです。
高等学校の方について問題点を申します。OECDは高等学校の1年生に対して、数学的
な問題をどのくらいよく理解し、本を読んだり文章を読めるか、科学についてどうか、こ う
いうふうなことを調べます。そして、全体的な総合的な読解力はどうかということを調べ て
ます。数学的リテラシー、数学的な読解力、科学的な読解力は、そしてまた問題解決能力 に
ついては依然として1位グループであると。
ただし、非常に丁寧に申しますと、数学的なリテラシーが1位から6位に下がった。これ
が「下がった下がった」と言うとこでありますが、丁寧に見ますと、2000年に調べた問題と
全く同じ領域の問題については今回も全く変わってない。ただ前回聞かなかったような分野
についての問題に対して日本人は弱かったので、1位だったのが6位に下がった。しかしな
がら、世界的に見て40か国ぐらいの中で上位の方にちゃんといるということが言えます。そ
れから理科は2位が2位になっただけで全く変わらなかった。ですから、理科は文科省の
「わくわくプラン」のようなこともあって、効果があって、ほとんど成績が変わっていな
い。
問題は、一般の読解力であって、前回もそれほど芳しくなかった8位でありました。グル
ープ分けでは2位グループでした。それが今回は14位になって、2位グループどころかも っ
と下のグループになってしまった。読解力が弱いということが問題であり、これに関して
は、私も確かに読解力という点では日本は考えなきゃいけない、もっと努力をしなければ い
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けないということに同意をするわけであります。
では、どこが悪くなったかと言うと、成績を各段階で分けていて、その1番いいのを 5 レ
ベル、2番目を4レベル、3番目を3レベルというふうに分けていきますと、前回の2000年
の P I S A で は 1 番 い い レ ベ ル の パ ー セ ン テ ー ジ は 、 世 界 平 均 が 9.5 % に 対 し て 日 本 は
9.9% 。 こ れ が そ も そ も 少 な い ん で す 。 フ ィ ン ラ ン ド が 圧 倒 的 に 成 績 が い い ん だ け ど 、 そ こ
は 18 % も い る 。 い わ ば 、 平 た く 言 っ て し ま え ば 、 エ ー ス の 子 ど も が 18 % い る の に 日 本 は
9.9% に す ぎ な い 。 ア メ リ カ も 12% い る 。 だ か ら 、 も っ と エ ー ス を ふ や さ な き ゃ い け な い と
私は言ってた。でも、レベル4、レベル3のパーセンテージは圧倒的に日本は強かった、 前
回では。ですから、経済的に我々は中流だと言いますが、同じように知的レベルでも中流 で
ある。これが日本の産業力を急激に伸ばせた理由であると、私は威張ってました。ちょっ と
それにエリートクラスをうまく養成していけば、知識水準において日本は世界に冠たる国 に
なると言っとったわけです。
ところが、今回の調査を見ますと、レベル5のパーセンテージは変わってません。問題
は、レベル3がかなり減って、下の方のレベルの2、及び1の方へなだれ込んでいった。 お
わかりいただけましたか。上位は変わらないんだけれども、下の方のレベルの人が増えた 。
だから平均点が下がっちゃう。ですから、前はまあまあ世界的に見て2位の学力レベルだ っ
たのが今回3位レベルになってしまう。要するに、少しレベルの低い人が増えてきたので 、
何とかそれを解決しなきゃならない。
(9) 「総合的な学習の時間」をうまく使えば新しい学力が生まれる
これだけお見せして終わりにしましょう。授業時間を増やしゃ勉強できるようになる と お
思いですか。みなさんそう思ってるんじゃないでしょうか。土曜日の休みやめましょうと 。
土曜日も勉強させた方がいい、教えることうんと増やした方がいいと。確かに瞬間的には そ
れでいいんです。しかしながら、長期に見てそうだろうかということについて、今からお 話
をいたします。
先ほど話をいたしました第1回のIAE(TIMSSの元祖)調査は1970年に行われてま
す。先ほどは中学校2年生でしたが、そのときは中学校3年生について行われてます。1970
年に15歳だった人ですから、今2000年になってますから30ぐらい足します。15に30を足す 、
45歳以上の人、その人々は戦後の歴史の中で一番数学と理科を勉強した人です。圧倒的な 時
間、長い時間数学と理科を勉強した。ですから中学校を終わった瞬間には世界で理科の学 力
は一番だった。それから10年ぐらいたって同じようにIAE(TIMSS)の試験をやり ま
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す。その結果どうであったでしょうか。
1983年に、今度は同じように中学校2年生に対して試験をいたします。先ほどの1970年以
前に比べたら少し時間が減ってはいますけれども、今と比べたら圧倒的に算数と理科を教 わ
った世代。そして、その人々が中学校3年のときには世界で第2位の理科の力を持ってい
た。今、35歳から40歳ぐらいの人々です。その人たちに1991年に基本的な科学知識に対す る
調査をいたします。世界的な調査、OECD20か国ぐらいで国民の理科力についての質問 を
します。「地球の中心は熱いかどうか」「我々が吸っている酸素は植物から発生するのが 正
しいかどうか」「喫煙は肺がんをもたらすが正しいかどうか」。こういうふうな常識の質 問
をいたします。1991年に大体35歳ぐらいの前後の人、下の方は25歳ぐらい、それから歳と っ
た方は50歳ぐらいの人々が試験の対象になります。その試験を受けた対象の中心の人々は 理
科や算数を一番勉強した人々であり、中学校終わるときには世界で一番ないし2番の人々 で
した。だから、皆さんはすばらしい成績であろうと思うじゃないですか。ところが、1番 ア
メリカとデンマーク、オランダ、イギリス、フランス、ドイツ、ベルギー、全然日本なん か
出てこない。ビリから2番目が日本でありました。
あんなに教えて、あんなに勉強して、しかも中学校を終わるときには世界で1番2番 だ っ
た人々のなれの果てがこの調子ですよ。皆さんもその仲間ですよ。私も含めて自己反省し な
きゃ。もっとも、私のときはそんなに教育を受けてないから、痛くもかゆくもないけども。
私は文部大臣になり、科学技術庁の長官になりました。OECDの下請けでこの調査 を し
てたのが、科学技術庁のもとにある科学技術政策研究所。だから、その連中に「もう1回 や
ろうや」と、「1991年によっぽどできない人ばかり集めたに違いない。どこへ行ってやっ て
きたんだ、もう一回やろう」と。そしたら、「自分たちも心配で実はやってるんです」と 。
「じゃあ答えを持ってらっしゃい」と。ちょうど最初にやった、日本がビリから2番だっ た
調査をもう一回やって、その結果、少し国がふえたせいもありますが、もうちょっと上に 上
がると思ったら、5番ですよ、ビリから。以上、終わり。
要するにですね、いろいろ学力の問題で、「TIMSSが下がった」とか「PISAが上
がった」とか「いや下がった」とかいろいろ言うけれども、まず第一に、徹底的な調査を し
て、子どもたちが本当に勉強が好きになるかどうかを見て、その上で手を打たなきゃいけ な
い。そしてまたTIMSSの小学校、中学校の成績が少しぐらい上がったって一喜一憂し ち
ゃいけないんです。要するに大人になったときに本当に世の中で役に立つ十分な学力を持 っ
てるか、知識力を持ってるか。教育の上で、これが私が「考える力」を養成しなさいと口 を
酸っぱくして言っていることなんです。覚えた学力とか、その知識はそんなにたくさん教 え
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込まなくても、使えるものであればいいんで、使える知識を十分身につけるよう教えてい た
だきたいのです。
今日は要するに、自分が受けてきたりやってきたりした教育・研究というふうなものから
どういうことを感じてるかをお話しし、また現在問題の学力論争というのはどこに一番重 大
な問題があるか、たくさん教えればいいというもんじゃないよということを申し上げ、ま た
「考える力」を養成することが教育の上で最も重要なことであるということを結論にいた し
まして、お話を終わらせていただきましょう。どうも長くなりまして申し訳ありませんで し
た。
「ゆとり教育」とは、サボれと言ってるんじゃないんですよ、一言もサボれとは言ってい
ません。要するに宿題もどんどん出しなさいよと言っています。教えるべきことを厳選し て
基礎、基本に限りました。ちょっと教えるべきことの量を減らしました。3割減らしたっ て
いわれますが、そんなに減らしてないんですよ。その基礎基本をともかくきちっと覚えて 、
「考える力」を養成して、40、50歳になっても昔勉強したことをちゃんと覚えて使えるよ う
にする。それが「ゆとり教育」なんです。
それからもう一つ誤解があるのは、教えることが3割減ったとよく言われますけども、実
際、五日制導入で授業数が減ったのはですね、7%だけなんですよ。7%とよく言われる 3
割の違いというのは、「総合的な学習の時間」の導入のためです。だから、「総合的な学 習
の時間」をうまく使えば、そこで新しい学力が生まれる。「総合的な学習の時間」をどう 使
うかが問題です。
ちょっと文部科学省も私も、「総合的な学習の時間」をこういうふうにやってくださ い よ
というようなことをしっかり申し上げなかったこともあって、どうも「総合的な学習の時
間」がもたもたしたところに問題がありましたね。ですから、今回の学習指導要領で「総 合
的な学習の時間」を少し減らす方向にはなるでしょう、残すとは思いますけども。
それにしても、「総合的な学習の時間」をうまく使うということが、今、問題になっ て る
いわゆる「ゆとり教育」の中の問題点。それをうまく使えば「ゆとり教育」が成功するし 、
使わなかったら失敗です。
じゃあこれで終わらせていただきます。御清聴ありがとうございました。
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教育次長謝辞
有馬先生、本当にお忙しいところありがとうございました。
今日は会場の皆様方も思ってらっしゃると思いますけれども、多岐にわたる議論、一粒で
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二度おいしい御講演を聞けたのかなと。ちょっとつながりが悪くなるかもしれないという お
話もありましたが、私が聞いた限り、先生の原点というものがまさに「ゆとり教育」、あ る
いはその教育論議につながってるんだなと。きちっとしたデータに基づいて、正しいと信 じ
たことをはっきり言うというところに先生の原点を改めて拝見した思いがいたしました。
そうそう
重ねて、我々にとっては「確かな学力育成会議」で、本当に錚々 たる論客がたくさんお 集
さば
まりになられる中、座長としてお捌 きいただいた、何か有馬節を久々に聞かせていただい た
思いで懐かしい思いもいたしました。
本日は本当にお忙しい中ありがとうございました。改めて御礼を申し上げます。
(文責:静岡県教育委員会生涯学習企画課)
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