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開発経済学の動向 - 立命館アジア太平洋大学

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開発経済学の動向 - 立命館アジア太平洋大学
開発経済学の動向:収斂か拡散か-アジア経済論を中心として-
井 草 邦 雄
立命館アジア太平洋大学 アジア太平洋マネジメント学部
―――――――――――――――――
はじめに
1960 年代までの開発経済学
1970 年代の開発課題と政策
経済発展の進展と国際協力の拡大(1980 年代の経験と理論)
経済開発論の分化と深化(1990 年代の課題)
21世紀への開発課題―不確実性の中の模索―
おわりに
―――――――――――――――――
はじめに
社会科学者ミュルダールが 1960 年代「アジアのドラマ」と題する書を刊行し、アジアにおいて如何に「貧困」
問題が深刻であるか、途上国にとって経済発展の制約が如何に大きなものであるかを訴えた。当時、この論評
は経済開発や援助のあり方をめぐって大きな論議を呼んだものであった。これから半世紀、時代は変わっても
開発をめぐる「ドラマ」は、途上国全体を舞台としてさまざまな筋書きと交錯しつつ政治・経済、国際協力の主
要な課題でありつづけた。そして、アジアの一部において悲願であった経済発展が現実のものとなり「奇跡」と
まで言われるダイナミックな発展が示された一方、「貧困」と「低開発」という経済的現実は多くの国・地域にお
いて当時と変わらぬ重荷として人々の生活を悩まし続けている。
「開発経済学」は、これら後進地域の「負の遺産解消」と「発展可能性」に取り組むことをめざして誕生したも
のだった。そして、70年代、80年代を通じて国際場裏における経済政策と国際協力のあり方を示す主要な
「政策科学」分野として定着し、多くの分析と理論を生んできた。とりわけ、今日のようにグローバル化と技術革
新が進む中で人類全体がどのように発展や繁栄に取り残された後進地域の問題に取り組むのかを問うことは、
世界経済のバランスの維持と社会的安定に欠かせなくなっている。そこでは経済発展のあるべき道筋を検証
すると同時に、蔓延する飢餓や貧困、地域紛争や社会問題、環境の悪化にどのように立ち向かっていくのか、
貧富の差や不平等をどのように解消していくのか、弱小な産業基盤を確かなものにするシナリオは何か、その
ための国際協力は何かといった総合的な政治経済課題に答えることである。
しかし、時代によって、経済開発の捉え方、重点の置き方やアプローチ、政策の基礎となる考え方、論理はさ
まざまに異なっている。経済規模の拡大・成長に目標を置くもの、所得分配、貧困の緩和などに人間生活に重
1
点を置く主張、工業化の過程に目を向け理論化しようという試み、援助や国際協力のありかたを中心に議論を
展開するものなど幅広い広がりを持つ。今日多く用いられている「経済開発」の定義を下にかかげたが、比較
的狭い解釈からより広いものまで含めて多岐にわたる。 狭義では経済成長と同義語に使われることが多いが、
より広い意味としては、経済構造の深化、所得配分、貧困の解消、生活水準の向上などを含む総合的な概念
となっている。現在では、より広く「開発」の問題をとらえることが多くなっている。
<第1表 経済開発の狭義と広義の定義>
経済開発の定義
コメント
狭義の解釈
・長期的な経済成長の持続的加速
・ 成長志向
・資本蓄積の重視
広義の解釈
より広義の解釈
・高い生産性へ向けた生産構造の転換
・経済基盤の多様化
・より広く高い品質の生産物、サービスへのシフト
・失業、貧困、疫病、幼児死亡等の要因除去
・清潔な水へのアクセス、基礎的医療サービスの提
供と教育
・より平等な所得分配
・収入源に結びつく資産取得の平等な機会
・構造的変化の強調
・一時的な成長実現より永続的な成長へ
・経済的独立
・政治的な独立
・依存的発展より自立的発展へ
・価値観と態度の近代化
・生活の全分野(経済社会政治的)選択幅の拡大
・生活の質の向上
・開発のより見えにくい側面への関心
・質的な変化の強調
・社会開発、ベーッシックニーズの強調
・経済成長の成果配分への強調
・非経済的側面の開発を強調
・成長過程の質に注目
Source: “The Economic Development of Asia” by Gerald Tan (Times Academic Press,1997) p.3
この論考では、開発にかかわる各種の論議が時代をおってどのように変化してきたか、根拠となった理論的
なフレームワークはどんなものであったか、途上国への援助や支援の重点や考え方がどう展開されたのか、な
どを考察することを目的としている。 同時に、今日の多元化する社会と価値観の変化、グローバル化の加速
する世界経済と技術革新、分節化する国家と錯綜した地域関係など、「不確実性」がますます高まろうとしてい
る世界の中で、途上国を中心とする「開発」の課題がどのような方向に向かおうとしているのかを「開発経済学」
の論調を通してみてみようという試みである。特に、アジアにおける 1970 年代以降の経済発展の経過と背景、
構造的な問題点に焦点を当てつつ「開発」の問題を考えてみたい。
2
1.
1960 年までの開発経済学―古典的アプローチの時代―
アジアの多くの国が 1940 年代から 50 年代にかけて政治的独立を果たして後、最初に取り組んだのは、国
の統一へ向けた政治社会条件の整備と自立的な経済体制の確立であった。とりわけ、経済的な発展の道を探
ることは、緊急且つ重要な課題であった。多くのアジア諸国は、それまで近代的な経済部門は欧米宗主国の
統制下にあり、経済発展に必要な資本、技術は欧米の独占的な支配下にあって、当時の新興アジアには、発
展の芽となる生産要素、資本・技術は乏しく、経済発展、工業化への初期条件は著しく不利な環境であった。
また、多くの国は、独立当初の理想とは裏腹に、低開発と貧困から抜け出す道からは著しく遠く険しいもので
あった。アジアの開発には悲観的なものが多く、アジアの長期停滞論や宿命論さえ世の論調の一部をなして
いた。
こういった中で、アジアを含む途上国の経済をいかに向上させ、発展への契機を見いださせていくかが、開
発経済学に課せられた大きな命題であり、各種の理論や政策、援助や国際協力の枠組みにかかわる提言が
出された。 この時代の経済開発論としてはシュルツとルイスのものが代表的である。シュルツは成長の要因と
して人的資本の重要性をあげ、ルイスは農業・工業の二部門間の人口移動を通じた発展の可能性を理論づ
ける努力を行った。(注 1)また、ライベンシュタインは「臨界的最小努力」(Critical Minimum Effort)を達成する
ことで発展の契機が得られると主張した。ときにW.W.ロストウが新興国を念頭に置いて発展段階としての「テ
イク・オフ」の重要性を主張したのも同じ時期 1960 年代である。 一方、ミュルダールらは、アジアの経済的現
実を悲観的にとらえ「貧困の罠」からの脱却の困難さを訴え、国際的協調と支援を求める主張を行っている。(注
2)
これらを前提として、実際の経済政策の面では、政府の果たす主導的役割が不可欠であるとされた。政府
は、経済運営に関して「経済計画」などよる国家目標の実行することが重要視され、それにもとづいて国内の
経済資源を動員し、外国援助も導入して大規模な工業化プロジェクト実施に移した。民間の経済力は弱く、必
要な産業インフラストラクチャーの整っていない段階では当然の政策であった。 ここでは「余剰労働力を活用
し、政府主導で主要産業に最小臨界努力水準を超える投資を物的資本および人的資本に対して行うことで
貧困の罠から脱却すること」が目標とされたのである。(注 3) そして、工業化戦略としては、国内産業保護による
輸入代替工業化がめざされた。 また、基本的な政策のフレームワークは、資本の投入による経済の拡大・成
長であり、所得分配などの構造問題には関心が薄かった。これらは、経済の成長と共に広く国民全体に行き
渡るもの(トリクルダウン)と考える楽天的な見解が支配的であった。 しかし、60 年代までの開発への試みは、
当初著しい進展をみたが、その後の行き詰まりと内部矛盾を深刻化させることとなる。
一方、アジアを含む途上国の経済開発問題は、東西の冷戦構造が激化する中で政治的にも重要な課題と
してもうかびあがってくる。新興国は、植民地主義の「負」の遺産からの脱却、積極的な経済援助の呼び込み、
企業の国有化と資源ナショナリズム、貿易条件の改善をかかげて非同盟主義のもとでその存在感を大きくして
いった。「南北問題」というタームで途上国問題が取り上げられることが多くなったのもこの頃である。これらを反
映して、アメリカの「ポイントフォア提案」による「共産主義」封じ込めのための途上国への積極的援助を開始し
た。また、途上国自身も、これらを利して「南」の経済権益の主張をつよめていった。こういった中で、国連は
1961 年「開発の10年」を決議して、途上国援助のための枠組みを準備すると共に、経済開発の基本的目標
3
を提示して、国際機関として経済開発に本格的にとりくむ姿勢を示す。世銀による途上国開発のためのシナリ
オ作りと理論的な枠組み作りも同じ時期に始まることになる。
2.1970 年代の開発課題と政策
1960 年代までの経済開発への取り組みは一定の成果をもたらしたものの、(注 4) 多くの途上国にとって貧困
問題の深刻化、人口過剰と労働機会の消失、貿易の不振、経済成長の鈍化が顕著になり、開発政策そのも
のに対する批判が大きくなっていく。一つの批判は、60 年代中頃から強く主張されるようになった途上国の経
済「従属説」である。貿易の不均衡が途上国側に不利に働き、先進国による富の独占が途上国の発展を妨げ
ているという主張である。
UNCTADの議長でもあったプレビッシュによって概念化された「中心周辺論」がその一つである。そして、
戦後形成されたIMF、GATT体制に代わって「新国際経済秩序」を作るべきだと訴えた。先進国に対しては、
一次産品国が著しく不利な国際貿易にさらされているとして、“援助より貿易”をとなえた。また、途上国が不利
にならないような市場構造を前提にして途上国開発を支援すべきだとした。(注 5)
一方、経済の拡大によっても一向に改善されない貧困や福祉水準をより直接説的な方法で取り組むべきだ
とする見解が次第に強まっていく。楽観的な開発論に則った経済成長・拡大によるトリクルダウン説は、現実に
は、該当しないとされたのである。1960 年代に始まった「開発の10年」が必ずしも理想どおりに進まなかったこ
とを示している。 そして、1970 年世銀によるベーシック・ヒューマン・ニーズ(BHN)が援助協力の推進、各国
の開発重点施策として浮上してくることになる。また、ILOもBHNの支援プログラムを推進させていった。(注 6)
地域的に見ると、1974 年の「石油危機」の発生によって、産油国と非産油国の格差が顕著になると共に、
60 年代に続々と独立していったアフリカは経済困難を増幅させ、南アジアは貧困と人口過剰の悪循環から低
迷を繰り返し、ラテンアメリカは一時的なブームの後、債務の累積、インフレの昂進に苦しむことになる。また、
所得格差の激化、農村の疲弊と都市化、スラムの増加などの社会問題も次第に深刻化していく。
こういった中で、マクロの経済開発戦略は、これまでの国有企業や政府主導による工業化路線から次第に
民間による市場経済活動を重視する方向に変わっていった。貿易産業の重点も、輸入代替工業から輸出志
向型工業に転換している。この中心となったのは、先進国による海外直接投資である。とりわけアジア地域に
おいてはこの傾向が顕著であった。このため、多くの東アジア地域において海外投資の奨励策が相次いでと
られるようになる。 この背景としては、60 年代の開発の失敗による反省から、政府による経済介入を最小限に
おさえ、市場の調整に多くをゆだねるべきであるという「新古典派」開発論の台頭があった。また、ガーシェンク
ロンの「圧縮された工業化」や「雁行工業化論」といった主張も、この間の経済開発の行方について一定の方
向性を示すものといえる。(注 7)
したがって、70 年代は開発にかかわる多くの論題が原初的な形で一挙に提示された時期といえる。
4
3.経済発展の進展と国際協力の拡大(1980 年代の経験と理論)
開発経済論の面で、1980 年代に目立ったのは発展途上国による地域的な格差の広がりと債務問題、国内
の経済構造問題の歪みとその調整、そして国際的にはIMF世銀の「構造調整政策」をめぐってのさまざまな
論議が展開されたことである。この中で、市場経済調整の優位性を説く新古典派の主張が 70 年代以上に影
響力を強めることとになったのが大きな特徴である。一方、80 年代から加速した東アジアの著しい経済成長は、
途上国経済発展の一つのモデルとして注目を浴びることになった。
しかし、1970 年代の国際機関や様々な二国間援助、途上国自身による様々な経済発展、産業振興の試み
にもかかわらず、一部地域を除いて途上国全体から見ると、80 年代を通じて「低成長」と「貧困」の悪循環から
抜け出すことは著しく困難な状況であった。とりわけ困難に見舞われたのは、アフリカ、南アジアなどである。こ
ういった中で、先進地域と低開発地域の所得格差は広がるばかりであった。
国連開発計画(UNDP)によれば、地球全体で見た高所得層上位 20%と最下位 20%の差は、1960 代の
30 対 1 から、1980 年には 45 対1、1991 年にはさらに 61 対 1 に拡大している。また、1989 年時点の1日一ド
ル以下の「絶対的貧困」の人口は、世界全人口の 23%、12.3 億人、アジアでは 6.7 億人、アフリカでは 3.2 億
人に達している。とりわけ、サハラ以南のアフリカは人口の 62%が絶対的貧困以下の生活を余儀なくされてい
る。
<第2表 地球全体で見た所得格差>
地球全体の所得に占める割合
最下位 20% 最上位 20%
所得の比率
最下位 20%vs 最上位 20%
1960
2.3
70.2
1970
2.3
73.9
32 対 1
1980
1.7
76.3
45 対 1
1991
1.4
85.0
61 対 1
30 対 1
出所:「M.トダロの開発経済学」p.51
経済協力や開発政策の面で見ても、70 年代に提唱されたBHN(ベーシック・ヒューマン・ニーズ)の枠組み
も、問題の深刻さに比べて対応力は弱かく問題解決の手段とはならなかった。 あわせて先進工業国も、二度
にわたる石油危機の後遺症と景気後退などにより、援助や国際支援の余力を次第に失っていく。また、途上
国の多くは、農業の不振と過剰人口に悩まされた。一時好調に推移したかに見えたラテンアメリカ諸国やアジ
アの産油国なども、公的部門の不効率、過大な公共投資と政府財政の悪化、産業基盤を整備する目的で
次々に実行された巨大プロジェクトにより政府財政は大幅な赤字となり、国際収支も急速に悪化していく。 さ
らに、途上国全体において、失業や農村の疲弊、インフレの昂進、社会不安や紛争の広がりが顕著となって
いった。経済政策では、次第に放漫財政や国営部門の不効率、対外債務の累積が問題視されるようになる。
5
特に、1982 年に発生した「メキシコ経済危機」は、これまでの開発シナリオや産業振興のあり方に大きなインパ
クトを与えることになる。
この中で、世銀やIMFは「ワシントンコンセンサス」に基づく「構造調整」を開発支援政策の軸として提起しは
じめ、その後の援助の仕組みや経済開発のあり方に大きなインパクトをあたえることとなる。(注 8)この基本的立
場は、これまでの政府の過剰な市場介入をあらため、援助の見返りとして効率的な経済運営をめざし、民間経
済主体を主力とする市場メカニズム介して経済発展を実行させようという新古典派の考え方を継承するもので
ある。国際収支を重視した経済財政政策、経済介入度の縮小、国営企業の民営化などが主な課題とされた。
このため、一定の条件をつけた「構造調整融資」を実施し、一連の改革プログラムにより援助国の経済構造を
改善しようという試みであった。そこでは、「規制緩和」「自由化」「分権化」「民営化」がキーワードとなっている。
この政策は、途上国にとって、一面ではマクロの経済バランスを取り戻す効果をもたらしたが、一方では、急激
な変革要求が、脆弱な経済に過剰な負担を課すものとなった面も否めない。「途上国には市場メカニズムを機
能させるための条件が十分育っていない」状況下での性急な「調整」の実行は、受入側の経済矛盾を拡大さ
せることがしばしばであった。
こういった中にあって、アジア地域、特に、東アジア地域は、1980 年代から民間投資を追い風とする工業投
資が加速し、後に「東アジアの奇跡」(1993)といわれるまでの経済成長を実現したことは驚きをもって受け取ら
れた。これらの地域は、1960 年代、1970 年代を通じて築かれた産業インフラをベースとし、国内産業保護を
基準とする輸入代替産業から、海外投資をテコとする輸出志向型工業化に切り換え、コスト競争力を生かした
国際貿易への進出が功を奏した形となって高成長を実現した。ここでは、政府の介入度強い「産業政策」を軸
としながらも、自由な競争と開放政策の実施がうまくかみ合って成長を促したものと考えられている。
こういった中で、開発経済論の中では途上国自身の主体的な経済能力形成に着目した「内生的経済発展」
の理論が注目された。そこでは、途上国の市場形成能力、人的資源、技術、直接投資の受容能力、を求める
アプローチが中心となっている点でと特徴があった。東アジアの現実とも符合する有力な主張でもあった。
80 年代に顕著となったもう一つの課題は、急速に進む工業化の中で発生した悪化した「環境問題」への取
り組みである。この問題は、1972 年にストックホルムで開かれた国連「人間環境会議」によってすでにクローズ
アップされていたが、80 年代に入ってより深刻かつ緊急の課題となっていった。これらをふまえ、1981 年には
プルントラント委員会などによるグローバルな環境問題へのアプローチが提唱され、開発経済の分野でも「持
続可能な開発」が主要概念として登場することとなる。そして、これら諸問題は 1990 年代へより大きな課題とし
て引き継がれることとなる。(注 9)
6
4.経済開発論の分化と深化(1990 年代の課題)
1990 年代前半は東アジアを中心とした経済発展が注目され、途上国工業発展のモデルとされる一方、後
半には「アジア経済危機」を招来、一転してその経済構造の脆弱さが明らかになった点でも開発戦略のあり方
に多くの問題を投げかける契機となった時期である。また、前述の「環境問題」は、より一層グローバルな広が
りを持つ課題と位置づけられ、同時に国際的な枠組みの中でどう取り組んでいくかのより具体的な方策の段階
に入っていった。 しかし、一方では「環境問題」への対応は、途上国と先進工業国の立場が大きく異なり、「開
発」が先か「環境」保護を優先か、といった対立ともなり、国際機関や様々な場面で政治問題化しているのも事
実である。1980 年代に提唱された「持続可能な開発」も総論では異議はないものの、個別事項では何を優先
させるかの選択肢は定まっていない。
また、比較的良好な経済発展のパフォーマンスを示す東・東南アジア、ラテンアメリカに対し、サハラ以南の
アフリカ、南アジアの一部、南西アジア諸国などでは、飢餓と貧困、難民問題、スラムの膨張、エイズや感染症
の蔓延など、人間の尊厳を損なう事象が様々な地域でより顕著になっている点が深刻であった。
1990 年代は、これら諸問題が複合した形で表出している点に特徴がある。これら錯綜する問題に総合的な
視点でどう立ち向かっていくかは、開発経済にたずさわる政策当局、援助関係者や国際機関にとって、今まで
以上に重要となってきた。 別表参考資料に世銀銀による 1990 年代以降の「世界開発報告」に載せられた主
要テーマをかかげておいたが、開発の課題もこれまで以上に大きな広がりと深化をとげていることがわかる。こ
れらの課題が国境を越えたグローバル化の進展と大きな技術革新の中で起きているという点に近年の大きな
特徴があるといってよいだろう。また、中国やベトナム、東欧などの旧社会主義国の「市場経済化」への動きも、
1980 年代から 90 年代にかけて大きなテーマの一つであった。
こういった中にあって、開発経済論の分野では、新古典派流の市場経済論が依然優勢ではあるが、市場を
形成する制度や能力、産業育成にも目が向けられるようになっている。2001 年の世銀報告でも、「市場の制度
形成」が主要なテーマとなっているほか、「インフラストラクチャー」(1994)の充実、「開発における政府の役割」
(1997)といった事項が取り上げられた。
一方、発展から取り残された地域での「貧困」問題、低開発への基本的取り組みとして、単なる量的な経済
拡大、所得の分配を越えて「人間開発」が優先される開発戦略を提唱するようになっているのも最近の特色で
ある。UNDPによる「人間開発報告」の刊行もこの方向に沿っている。そこでは、「貧困の撲滅」「人権と人間開
発」「ジェンダー」といったテーマが取り上げられ、人間開発のための経済成長という観点を強く打ち出してい
る。
近年の世銀や援助機関の主要な関心は、「貧困撲滅」に集中しており、このためのグローバルなアプローチ
を主張している。この中で、特徴的なのは、「参加型の経済援助」「ミクロの主体的開発努力」が優先されている
こと、「セーフティーネット」による直接アプローチが増加していることであろう。また、2015 年において実現す
べき「人間開発」の目標を具体的にかかげ、国連、世界銀行、各国援助関連機関が協力して取り組む姿勢を
示している。
7
<第3表 発展途上地域の地域別経済規模>
<第4表 地域別所得貧困の状況 1987-98 年>
8
<第一図> 開発と貧困撲滅へむけたミレニアム宣言
5.21世紀への開発課題―不確実性の中の模索―
こうして取り上げられた 90 年代の開発の難しい課題は、多くが今世紀 2000 年以降に引き継がれることとな
った。時あたかも、世銀の「世界開発報告」の課題テーマは「21世紀はどうなるか」(Entering the 21st
Century)であった。
そ し て 、 開 発 の 新 し い ガ イ ド ラ イ ン と し て 「 開 発 の 包 括 的 フ レ ー ム ワ ー ク 」 (CDF: Comprehensive
Development Framework)を提唱している。今まで個別に扱われてきた課題を、現実にあわせつつ開発に
かかわる様々な事項を実践的に、実施過程の補完性に重点をおいて取り扱う方向を示唆したものである。開
発がうまくいくためには、「政府、民間部門、援助機関、市民社会のコーディネートされた良好且つ効率的な関
係構築」が重要であり、このための制度作りが大切であるという認識に立っている。また、「自由競争にもとづく
グローバル化した社会の中で、その恩恵を活用しつつ、そのポテンシャルをローカルな地域制度にもとめる立
場」も強調している。 そこでは、これまで開発政策の主要な議論だった“政府”と“市場”の役割がどちらか大
切かといった議論を越えて、「開発にかかわる教育、保健、資本市場といった個別の政策分野においても互い
に補完しあうことが最も望ましい」としている。この補完関係がうまくいいたときにはじめて、経済開発が真に実
9
現され効果をあらわす」との考え方を示している。(注 10)
このCDFで認識された開発の課題と政策の考え方は、(1)開発には多くの異なった目的(所得の増加のみ
でなく、健康や教育、生活の安定や自由の享受など)がありうること、(2)開発政策は個別政策の単なる集合で
はなく相互補完的であるべきこと、(3)政府の開発への関与は重要であるが、実施する政策の内容以上に、政
府自身が公正に且つ十分な行政能力が重要である、点に集約できる。これらは、開発経済論の主流であった
従来の新古典派の認識をこえた新しい実践的な開発論を提示するものであった。
しかし、この実践的な開発への考え方も実際には、様々な問題点を内包していた。第一に、発展から取り残
された地域の「貧困」「飢餓」「社会問題」は、その救済努力を越えたスピードで悪化しており、様々な地域でこ
れらを原因とする種族対立や社会対立が進行しつつあること。第二に、グローバル化は、途上国一般にその
恩恵を及ぼすより、実際には先進工業国の強力な企業群による経済の囲い込みを促進していること、また、技
術革新によって、途上地域と先進地域の差は従来以上に拡大していること、第三に、今世紀に入っての世界
経済は経済の後退期にはいっており、先進諸国もCDFに代表されるような包括的な途上国援助を十全に実
施する余力を失って、自国の問題に専念せざるを得ないような状況にあること、である。
一方、近年の東アジア地域は、「経済危機」の後、様々な後遺症をともないつつも、除いて徐々に危機前の
水準にもどり、新たな発展への経路を見いだそうとしている。 経済危機を免れた中国は、社会主義の道から
離れて20年「市場経済化」による経済発展・工業化の実をあげつつあり、韓国も経済の急回復の過程にある。
アセアン諸国は、国より明暗を分けつつも、徐々に構造改革を進め活力を取り戻しつつある。また、ベトナムの
「市場経済化」政策も定着しつつある。アジア経済の 1970 年代からの発展と「危機」後の回復過程にみられた
経済政策とその実践は、新しい開発の方向へも大きな示唆をあたえるものである。ある面では世銀の述べる開
発フレームワークの線にそった「制度能力」の向上、市場と政府の補完関係を示すものといえよう。
しかし、アジア経済が工業化のキャッチアップ過程を終え、新たな地平での産業高度化を志向するとき解決
しなければならない課題はまだ多い。また、「経済危機」で示された経済構造の脆弱さや工業基盤の弱さ、技
術や人的資源の不備、多数の失業者層と限定された雇用、多くの貧困層の残存と所得格差、投資環境を妨
げる様々な制度要因は依然として残っている。多元化する社会とグローバル化の進行により、21世紀がますま
す不確定要素の増す世界経済のなかで、80 年代 90 年代の好調な経済発展と突然の危機、そしてその後の
回復という過程をたどったアジア経済が今後どのように、今後開発・経済発展のシナリオを描いていくかは、当
のアジア地域のみならず途上国全体の、また、先進国を含む世界全体にとっても重要な関心事である。
こういった中で、今年2003年1月、世銀は、今後の東アジアの経済ダイナミズムを予測して、研究プロジェク
ト「東アジア;新たな奇跡へのビジョン」”Innovative East Asia; the Future of Growth”を開始すると発表し
ている。開発経済論に対する新たな概念提示に結びつくことが期待される。
10
おわりに
これまで、1950 年代から開始された発展途上国地域の「開発」の問題について、その時代的課題と開発経
済学理論に関する諸説を概略述べてきたが、このおよその流れは、別表参考資料に述べたとおりである。
1950-60 年代の政府主導の開発論と政策が優先された時代、70 年代の新古典派を中心とする市場機能重
視の開発戦略への傾斜、80 年代の「構造調整」の時代、90 年代はグローバル化が加速する中での経済構造
論、「人間開発」「環境」へ関心のたかまり、そして、今日21世紀へ向かっては不安と希望を併せ持った「不確
実」要因のもとでの開発戦略模索への動きとつながる、長い道程に集約できる。また、これまで示されてきた開
発経済学の理論系譜が、それぞれの時代を背景にして「開発問題」への解釈、理論、政策指針に影響を与え
つつ今日にいたっていることは上記表によってもあきらかだろう。
それらは、ある体系的で一貫した論理体系を持つ理論や実践へ収斂させていく過程というよりは、時代の必
要に応じて課題を選択し、重点を移し、論点を広げて現実の問題に取り組んできた経過を示すものといえるだ
ろう。2000 年を期してこれまでの「開発」を振り返った世銀も「開発思想は過去 50 年間、グルグル同じ道を歩
いてきた」とのべ、「市場の失敗、市場の成功、介入者もしくは受動的な政府、貿易の開放、貯蓄と投資、金融
的安定、知識の普及、マクロ経済安定」など様々な課題を扱い、強調点を変化させてきた、と記している。(注 11)
21世紀を迎えた今日、世界は、グローバル化が進行する一方、ますます国と国との関係が複雑化し、地域
経済も多様化するなかで途上国の直面する開発問題もいよいよ深刻且つ多岐にわたってきた。「貧困」「飢
餓」「紛争」「環境」「難民」「人権」「自由」、単に経済問題に限らず政治社会問題をも含む課題が、解決不可能
のまま今世紀に持ち越されている。今や、経済を拡大し、所得を上昇させることだけでは解決不可能であると
みるのは当然で、各地で、頻発するテロや紛争、反グローバリズム、原理主義運動の存在などはこれら問題の
深刻さを示している。開発経済の扱う範囲は、このうち極狭い範囲ではあるが、多くの問題が「貧困」の問題に
起因している以上、その役割は大きいといわざるを得ない。
また、この30年間一定の経済成長の成果と「貧困」の解消に取り組んで成功しあり失敗したり事例も多く見
いだせる。これらの経験と理論を他に生かす努力は重要である。
21世紀に直面する複雑な「開発」問題をいかに解決するかの一つの鍵は、方向性のまだ定まっていない
「不確実」な現状の中から、「開発」につながる確かな光明を求めて地道に糸を探り、問題を整理し、政策形成
を行っていくことであると思われる。
2000 年を期して刊行された世銀「世界開発報告書」の中で「21世紀における政策立案者は、経済的、政治
的、社会的環境が変容し続ける状況の下で、開発政策のゴールをみいださなければならない」と述べているの
は問題の難しさを示唆すると共に、今後の開発論のあるべき姿勢を示しているといえよう。
(了)
11
注記:
――――――――――――――――――――――――
(注1)黒崎、山形「開発経済学―ミクロ的アプローチ」(経済セミナー2001 年 4 月)に 1940 年代から 60 年代にかけての主
な開発経済学の理論が紹介されている。また、「トダロの開発経済学」第3章開発と概念に詳しい。See Theodore
W. Schultz, “Investment in human capital”, American Economic Review 51 (March 1961), W. Arther
Lewis, Economic Development with unlimited supplies of labor” Manchester School of Economics and
Social Science, 22 1954)
(注 2)この項については、G.M.マイヤー著松永訳「国際開発経済学」勁草書房 1955 の 2.B.1「開発経済学の進化」を参
考にした。 See H. Leibenstein “Economic backwardness and economic growth” John Wiley & Sons, 1957,
W.W. Rostow, “The Stages of Economic Growth” Cambridge Univ. Press, London, 1960
(注 3)黒崎・山形 同上文献
(注 4)アジアにおいては、韓国、台湾などが 8%内外の成長率を示し、フィリピンでも 4%、タイでも 5%程度の生産規模の
拡大がったほか、産業基盤の整備、緑の革命などによる農業生産生産の向上がみられた。「アジア経済 2000」(経
済企画庁編)など
(注 5)西垣・下村「開発援助の経済学」(有斐閣)p.53
(注 6)同上書 p.56,
(注7)渡辺利夫「成長のアジア停滞のアジア」東洋経済新報社 1985 p.32-61
(注 8)「構造調整」政策の背景となったワシントンコンセンサスは、いかのような政策目標をかかげている。その後の、IMF
コンデショナリティー、政策対話の基礎となっている。①財政節度、②公的支出の目的限定、③税制改革、④市場
が決定する利子率、⑤競争的為替ルール、⑥貿易自由化、⑦外国投資への門戸開放、⑧国有企業の民営化、⑨
規制撤廃、⑩財産権保障 (「世銀開発報告 2000」 p.108
(注 9)西垣・下村 同上書 p.70-80
(注 10)世界銀行「世界開発報告―21 世紀はどうなるか-」(東洋経済新報社 200)p.2-3
(注 11)世界銀行 同上書 p.47
参考文献:
――――――――――――――――――――――――
西垣昭、下村恭民「開発援助の経済学」有斐閣 1993
大野健一、桜井宏二郎「東アジアの開発経済学」有斐閣 1997
原洋之介「開発経済論」岩波書店 1996
渡辺利夫編「開発経済学入門」東洋経済新報社 2001
朽木昭文、野上裕生、山形辰史編「テキストブック開発経済学」有斐閣 1997
速水佑次郎「新版開発経済学―諸国民の貧困と富―」創文社 2000
高木保興「開発経済学の新展開」有斐閣 2002
Gerald M. Meier “Leading Issues in Economic Development”7th ed. Oxford Univ. Press, 2000
12
World Bank “World Development Report”
UNIDO “Human Development Report”
「特集・現代開発経済論の争点」(アジ研ワールドトレンド 2000 年 12 月号)
黒崎卓、山形辰史「開発経済学―ミクロ的アプローチ」(経済セミナー2001 年 4 月~2002 年 3 月)
参考資料 1
時代区分による主な発展途上国の開発課題と経済開発論の流れ
年代
時代課題
戦前
プロローグ
主要な開発課題
・植民地経済構造、モノ
カルチャー構造
・ 独立後の経済的自立、
初期工業化
・ 独立後の経済的自立、
初期工業化
・ 幼稚産業保護
・ 「開発の 10 年」提案
・ 農業開発
・ 人口問題、雇用問題
・ 貿易不均衡の是正
・ 一次産品価格の安定
国際機関等の開発援
助構想
・ワシントンコンセンサス
開発経済学のおもな考え
方と理論
ブーケ等「二重経済論」
アジア地域の主要な
開発政策・重点
・ 戦後復興支援、マー
シャルプラン
・ ポイ ントフ ォ ア、食糧
援助など
・ 途上国への資本移転
目標の提示
・ IDA ( 国 際 開 発 協
会)」設立
・ ヌルクセ「低開発国の資
本蓄積」(1953)
・ A.ルイス「二部門成長モ
デル」
・ W.W. ロストウ「経済成長
の諸段階」(1960)
・ 「ビッグ・プッシュ」論
・ ハーシュマン「経済発展
の戦略」
・ T.W.シュルツ「教育の経
済的価値」
・ ミュルダール「アジアのド
ラマ」
・ プレビッシ「従属論」、「新
経済秩序 NIEO」
・ 比較優位による貿易振興
・ ベラ・バラッサの「貿易と
経済成長」論
・ ティンバーゲン報告
・ ピアソン報告
・ 新古典派の「市場調整ア
プローチ」
・ 「持続可能な開発」提起
・ 雁行経済論
・ 植民地資産国有化
・ 経済開発5カ年計画
・国有企業の戦略的
運営
・ 輸入代替工業化
・ 農業技術普及
・ 「緑の革命」
・ 家族計画の推進
1950-60
開発の始ま
り
1960-70
政府主導の
開発手法
1970-80
新古典派の
台頭
・ 第二次「開発の 10 年」
・ BHN 概念の登場
・ 「石油危機」
・ 「環境問題」の登場
・ 成長率などマクロ目標
の提示
・ 社会セクター援助
1980-90
「構造調整」
の時代
・ 債務問題の発生(メキシ
コ債務危機 1983)
・ 途上国間の格差拡大
・ 「環境問題」の深刻化
・ワ シント ンコ ンセン サ
ス・IMF、WB の「構
造調整」・コンテショナ
リティ-策
1990-00
グローバル
化の時代
・ グローバル化時代の開
発課題
・ 累積債務問題
・ エ イ ズ、貧 困 、難 民 問
題の深刻化
・ WTO 成立
・ UNDP「 人 間 開 発 報
告」刊行
・ セーフティーネット策
・ 「参加型開発」/「ジェ
ンダー」問題への取組
み
2000-
不確実性の
時代
・「グローバル化とローカ
ル化の同時進行の中で
の世 界経 済」 (世 銀 開
発報告2000)
世銀「包括的開発のフ
レームワーク」の提唱
13
・ 世銀「東 アジア の奇跡」
(1993)
・ クル ーグ マン「 アジア 奇
跡の“神話”」
・ 「内生的経済成長論」
・ アマティア・セン「経済の
不平等」論
・ 「政府と市場」「制度」論
・不確実時代の不確実な
開発シナリオ?
・ 輸出志向工業化へ
の転換
・ 外国投資奨励策
・ 国営部門の民営化
・ 規制緩和、自由化推
進政策
・中国の「市場経済
化」
・ アジア産業の急成長
・ AFTA の成立
・ 金融自由化の推進
・ 「アジア経済危機」の
発生
・新しい「東アジアの奇
跡」へ向けて?
参考資料2
世界銀行「世界開発報告」にみられる年次毎の開発課題
1990
1991
1992
1993
1994
1995
1996
1997
1998
1999/2000
2000/2001
2001
2002
2003
貧困
(市場志向型政策の課題を補完するものとして、所得移転とセイフティーネットを貧困層に均霑させる必
要 )
開発の挑戦
(安定したマクロの枠組みと開放貿易体制が開発に必須であることを強調)
開発と環境
(持続的な開発を確保するための環境問題の重視、貧困と環境悪化の関連などを指摘)
人々の健康に対する投資
(健康維持のための効率的支出と政府の役割、保健制度などの充実)
開発とインフラストラクチャー
(開発促進のためのインフラ整備、民間の参入による効率的運営を提案)
統合を深める世界における労働者
(労働者所得保障の手段、労働者の適応、労働移動について考察)
計画経済から市場経済へ
(民間部門を振興させるための方策、契約、競争のルール、民営化の方法などを指摘)
開発における政府の役割
(市場を育成するための自由化、規制緩和、産業政策の役割などを分析)
開発のための知識
(情報技術の普及、電気通信事業のプライオリティーを強調)
21世紀への入り口
(21 世紀へ向けた新しい開発戦略などを提起、これまでの開発戦略・考え方なども整理分析)
貧困との闘い
(包括的開発戦略の核となる貧困の撲滅へ向けた様々な諸条件について分析)
市場の制度形成
(市場形成のためのルール、法制度、行政組織・民間組織のあり方などに関する分析)
貧困人口に対するサービス
(上記貧困問題解決のためのセイフティーネットのあり方などに対する問題)
ダイナミック社会の持続可能な開発
(グローバル世界での持続可能な開発戦略のあり方に関する問題提起)
UNDPの「人間開発レポート」のテーマ
1993
1994
1995
1996
1997
1998
1999
2000
2001
2002
人々の参加 People's Participation
人の安全への新しい局面 New dimensions of human security
ジェンダーと人間開発 Gender and human development
経済成長と人間開発 Economic growth and human development
人間開発と貧困撲滅 Human Development to Eradicate Poverty
消費と人間開発 Consumption for Human Development
人の顔を持ったグローバリゼーション Globalization with a Human Face
人権と人間開発 Human rights and human development
人間開発のための新しい技術 Making new technologies work for human development
細分化する世界のデモクラシーDeepening democracy in a fragmented world
14
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