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開館記念経済講演会 講演録(PDF 331KB)

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開館記念経済講演会 講演録(PDF 331KB)
テクノプラザおかや開館記念経済講演会
【講演記録】
講 師
セイコーエプソン㈱ 相談役 中村恒也氏
―― ものづくり 50 年から何を学んだか
日 時
――
平成 15 年 7 月 1 日(火)
午後 3 時 30 分から 5 時 25 分
場 所
テクノプラザおかや大研修室
主 催
岡谷市
後 援
岡谷商工会議所
岡谷市金属工業連合会
テクノプラザおかや開館記念経済講演会
∼ものづくり 50 年から何を学んだか∼
□日 時
□場 所
平成 15 年 7 月1日
テクノプラザおかや
講師/セイコーエプソン㈱相談役 中村恒也氏
はじめに
只今、ご紹介にあずかりました中村でございます。大変ご丁重なご紹
介にあずかりまして恐縮しております。また本日は、テクノプラザおかや
が開設一周年という記念すべき日に、このような私がお話させていただ
くことになり大変光栄に思っております。
ただ先にお断りしておきたいことがございますけれど、私はある分野
の専門家でもありませんし、また評論家でもございません。長い間セイコ
ーエプソンと共にものづくりに携わってまいりました。 そこからいろいろ
体験したことを、率直に皆様方にご紹介をさせていただくということでご
了解いただきたいと思います。
従いまして、これからお話しますのは、セイコーエプソンまた私のプラ
イベートなことになると思います。お聞き苦しい点があると思いますが
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先にご了承いただきたいと思います。
さて、本題に入る前に、どのようなことをテーマにしてお話をするかという
ことについて、申し上げたいと思います。
先に「技術」、「人」、「共生」それから本題ということになりますけれど、
リーダーとして、また社長として、どういったことが大切なのか「十か条」に
まとめましたので、それを私の体験したことを交えながらお話させていた
だきたいと思います。
それから今、大変経済状況が厳しい中で、いったい日本的経営がど
うなのだろう、というようなことをいろいろ話がされていますけれども、
「日本的経営」について私の私見を申し述べたいと思います。そして最
後に「製造業が非常に大事」であるということで、締めくくらせていただき
たいと思います。
セイコーエプソンの概況と自己紹介
会社の概況と私の簡単な自己紹介を、先にさせていただきたいと思い
ます。セイコーエプソンは、先ほどもご紹介がありましたけれども、この先
月 6 月の27日に東証一部に上場いたしました。
本社は、もちろん諏訪市でございます。
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売上高は今年の3月期が 1 兆3,724億円でございます。
事業内容は、皆様方ご存知かと思いますが、一番大きい売上げはプリ
ンターです。それからスキャナー、最近、非常に伸びております液晶の
ディスプレイパネルを使ったプロジェクターです。これはプレゼンテーシ
ョンに非常に使われております。これも当社がシェア一番でございます。
完成品はそれぐらいで、後はデバイスですね。デバイスとなりますと、
やはり半導体ですね。液晶のディスプレイ。それからデバイスではない
ですけれども腕時計、それから組み立て用のロボット、メガネのレンズ、
大体そんなようなことで先ほどの売上げになっております。
輸出ですが、70%∼80%になっているということでございます。頭で
考えて、70∼80%、ああそうかと言う事になりますけれども、実はこれが
非常に重要な要素を持っております。というのは私たちの作った商品の
7割∼8割は外国人がお客さんだということです。ですから、外国のこと
を知らない、理解しないで会社の経営は成り立たないと、極端な言い方
ですけどそのようになります。
当然大勢の人が海外に赴任しております。この前、数えてみましたが
外国で仕事をして帰ってきた人が1,800人ぐらいおります。それから年
間、これは私も驚いたのですが8,000人の人が海外に出張しておりま
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す。毎日20人以上の人が、海外へ行ったり来たりしているということでご
ざいます。今グローバル企業はどうのこうのとか、何かとありますけれども、
すでに当社だけでなく輸出企業というのは、そういう状態になっていると
いうことでございます。
それから従業員数ですが今7万人を超えております。国内がセイコー
エプソン、エプソン販売それから東北エプソン、その他にも数社あります
けれども、大体 2 万人くらいでしょうか。後は、5 万人以上の人が海外の
社員でございます。ですから国内の2倍以上の人が海外の従業員にな
っているということでございます。
実は、私は先ほどご紹介にもございましたが、昭和20年、終戦の年の
11月に諏訪へ赴任致しました。その当時、大和工業という企業がありま
した。大和工業の人が100人くらいいたでしょうか。そして東京から疎開
してきた人が私を含めまして5∼60人くらいおりました。ということは百数
十人からスタートをして、現在7万人を超えている会社に成長しました。
製造業というのは理屈なしに、いわゆる雇用の創出に非常に大きな力を
発揮していると考えますと、感慨無量です。
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諏訪に根付いた精密
さて、どういう経緯で東京から諏訪に疎開してきたかということなのです
が、私は東京の第二精工舎に就職をしたわけです。少しの間軍隊に行
っておりまして、それで終戦の年の3月10日に東京の大空襲がありまし
た。私はその時は軍隊にいたのですが、終戦で帰ってきまして、それで
会社に報告したわけです。そうしましたら、お前は諏訪に行け、ということ
で昭和20年の11月に諏訪に赴任いたしました。
その時、同じように諏訪のほかに仙台、富山、桐生に疎開したわけです。
諏訪以外の3箇所は1∼2年のうちに東京に引き上げてしまいました。
では、なぜ諏訪だけは残ったのかといいますと、これは非常に重要なこ
とになるわけですが、そのことについて今考えてみまして大体4点くらい
理由が挙げられるのではないかと思います。
一つは、いわゆる今で言う企業誘致です。山崎久夫さんですね。
非常に熱心だったわけです。どうしても精工舎を諏訪に持って来たいと
いう誘致に非常に熱心だったわけです。他の疎開工場は、どんどん引き
上げていくわけです。山崎さんの立場とすれば、引き上げられたら、か
なわないわけです。ひきとめるために山崎さんは、どんなことをやったか
といいますと、もちろんあの頃は食料事情がよくなかったわけです。私た
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ち疎開者に対して徹底的に食べる事に不自由を掛けないように努めて
くれました。ですから食事のことについてはとにかく苦労しないで仕事が
できました。
もう一つこれは非常に重要だったと思いますけど住まいですね。
もちろん、初めは社宅を用意したわけです。ところが社宅には、あまり力
を入れなかったのです。社宅でしたらいつでも東京に戻ってしまえるわ
けですから、社宅には力を入れずに、持ち家に力を入れたわけですね。
お金は会社で貸すので土地を買い、家を造りなさいと。ですから非常に
早い時期に、東京から来た人たちは自分の持ち家に住むことができた
わけです。これがやはり非常に大きなことだったと思います。
それから2番目。これは私に関係があるのですけれども、疎開をして
時計を作っていろんな経歴があります。後で紹介いたしますけれども、
良い時計ができて市場で評判が良かったということで、経営としての実
績が大体5年から10年ぐらいの間にできたわけです。これが2番目の
理由です。
それから3番目、これがやはり非常に大きな力を発揮したと思います。
岡谷地区さらには諏訪地域、いわゆる工場で働くということが高卒であ
っても何の抵抗もなかったですね。高校を出て、普通ですと工場で働く
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ということには何か抵抗があるわけですけれども、長い間の製糸の文化
といいましょうか、風土があったと思うのです。ということはとにかく物を作
る、それで現場が非常に強かったということです。
改善の意欲が非常に強かったということは、比較の問題になりますが
進学率が非常に高かったのですね。ですから中卒が割合少なかったわ
けです。高卒が非常に多かったわけです。その高卒の優秀な人がとに
かく工場で働くということに大きな力を発揮しました。これは、はっきりし
ているのです。東京の親会社からは、なぜ諏訪は中卒を入れないのか
と言われるんですね。それは東京のセイコーは、現場がほとんど中卒な
わけで、こちらは現場の大部分が高卒なわけです。「なぜ給料を沢山払
ってまで高卒を入れるのか。」と、よく言われました。これは給料の差で
はないのですね。とにかく現場が強い、改善の意欲が非常に大きい。
これはやはりその時、我々は気が付かなかったのですが、東京の本社
から言われまして、改善の意欲が強いことを実感しましたね。
それから4番目。そういうことで実績ができてきたということでいわゆる
オーナー、服部家の人たちが他は東京に移しても諏訪はやって行ける
のではないかと理解を示してくれました。これは強引にもっていけばもっ
ていけたのですよ。しかし諏訪はひとり立ちできるということでオーナー
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の理解があったというように私は思います。
原理原則による設計の成功
次に、私が諏訪に来てどんな仕事をしたかということについて、簡単
に説明させていただきたいと思います。まあ今だからお話ができるので
すけれども、精工舎は長い間クロックと腕時計を作ってきたわけですね。
スイスの有名な時計の部品をバラバラに分解して部品図を作ったわけで
すね。ということは組み立て図がないわけです。
私が会社に入った頃に部品図はありましたけれど、工場で図面により
部品を作って組立職場に行っても、これでは駄目だから直してくれと言
われまして、行ったり来たりしたものです。それで、こんなことをやってい
ても仕方が無い。ということで私はこの頃、時計のことが分かってきました
から、上司の課長に「どうしても時計の設計を自分でやりたい」と話しまし
た。その頃、時計を設計するということは考えられなかったことですね。
今だからそんなことがいえるのですけれども、「思い切ってやれ」と言
われまして、それで夢中になって時計の設計をしました。もちろん最初
は苦労して1度図面を出しても設計変更が多くて、とてもこのままじゃ駄
目だということで、その後の2∼3年はじっと堪えてノウハウを溜めまし
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た。
それを一気にマーベルという時計に設計をして出しました。
これが非常に評判が良かったわけです。部品が作り易く、組み立て易い、
誰が組み立ててもちゃんとした時計ができバラつきがなく、市場に出し
たらとても評判で何百万個と売れました。
しかし考えてみますと、マーベルという時計はオリジナリティーがあっ
たかというとそうではなかったのです。いわゆる原理原則に基いて、理屈
通りに設計をしました。そうしましたらマーベルという時計ができました。
あの頃スイスの場合は、すでに自動巻きの時代になっていましたので
完全に後発なわけです。スイスの自動巻きの時計を研究したら、あの方
式では駄目でした。複雑でコストが高くなってしまい、何か新しい方式で
自動巻きができないかと悩み、考えついたのがマジックレバー方式の自
動巻きなのです。自動巻きには必ず重りがあるわけです。重りから歯車
を伝えていき、ぜんまいを巻き上げていく。この歯車を全部取ってしまい、
レバー1本で回転錐が動くとぜんまいを巻き上げるという方式ですから、
部品数が 1/3くらいになった自動巻きができたわけです。それがジャイ
ロマーベルやセイコーマティックのファイブという時計です。
当社の自動巻き腕時計だけで、スイスの自動巻きの全てより上回った
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時代、いわゆるぜんまい時計の全盛時代ができたわけです。
クオーツの誕生
その勢いを駆って、後はクオーツの時代。クオーツに入ってからの話
に入りますと、少し変わりますので普通でしたらぜんまい時計がそういう
風にできたらそれでいいかということになるのですけれども、やはり狂わ
ない時計はいいです。狂わない時計は必ずあるはずだということで研究
をして10年かかり、それでクオーツが世界で一番先にできました。
それは昭和44年12月25日なのです。一番先にセイコーがクオーツ
を発売しました。当然その頃は値段が高いわけですけれども、この時計
は自分でもはめていると狂いませんから、どうしても今のぜんまい時計を
全部クオーツに変えたいという気持ちが出てきたわけです。やはりそれ
で挑戦をしました。挑戦をしたというのが水晶の発振器、CMOS(IC)で
すね。それからモーターです。水晶・IC・モーターそれから液晶を使っ
たデジタルウオッチ。これも世界で最初に出しました。そういったことが
その後の当社の事業の基礎になっています。
一遍にクオーツができたのではなくて、やはり中間にいろいろあった
のですね。昭和39年東京オリンピックの計時をセイコーで担当すること
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になり、東京のセイコーと諏訪とでいろいろと分担を決めました。
当社の場合は、当時大きなクオーツ時計が放送局にあったのですが、
それを何とか乾電池で動かすことができないかと研究し、それで951と
いう時計ができました。それから5年かかって腕時計ができました。
昭和44年でした。5年かけて腕時計ができたという経緯です。
それからもう一つ言いますと、東京オリンピックの時は携帯できるクオ
ーツができたということ。このクオーツはアナログですから、やはり見方で
時間が違うわけです。それでプリンターが必要ということでプリンターを
開発したわけです。ですからこの東京オリンピックは、当社の原点になっ
ているのです。
技術とは何か―技術そのものには価値は無い
私は長い間、技術関係を担当してきたわけですけれども、いったい技
術というものはなんだろうとやはり考えるのです。とにかく、セイコーエプ
ソンは非常に技術に力を入れてきました。ですが逆の言い方をしますと、
技術そのものには何の価値もないということなのです。これは私だからい
えると思います。
技術など何の価値もない。では価値のないものになぜそんなに力を
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入れてきたのかということです。これははっきりしていることですが、商品
に活かされているということが大事です。商品に活かされてこそいい商
品ができ、お客さんが買ってくださって、「いい商品をセイコーエプソン
は出してくれたな」と、いわれて、初めて技術の価値というものが出てくる。
これは、セイコーエプソンの原点です。長い間、私はそう言ってきまし
た。
これは、大学の研究所ですと、少し違います。製造業には、必ず商品
があります。当たり前ですが、技術は商品に生かされて初めて価値が出
てくるということ。商品と言うものは、時代と共に変わってきますからハー
ドであってもソフトであってもいいわけです。
あるいはパテントが商品になることもあります。今、パテントが非常に
売上げに寄与していますけれども、パテントそのものが商品という解釈
がどんどん広がっています。いずれにしても商品になって初めて価値が
出てくる。
私が会社で、特に研究開発の人達に言っていたことは、「君たちは、
給料を誰からもらっているの?」と、言うことなのです。税金ではないこと
は確かです。「会社からか?会社からでもない、お客さんから給料いた
だいているのだよ。」と、言います。
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ですから開発部が開発します。それで終わりでは駄目なのです。開
発してそれを事業部に移し、よく説明をして、それを工場で商品にしてく
れて、それをお客さんに販売し、お客さんの手に渡った時に開発の人
達も給料がもらえる。当たり前のことなのですけど、これを私は徹底して
おりました。
提案型の商品開発
ここで大事なことは、先ほどからお客さんのためにどういう商品を作っ
たらよいのかということなのです。それではお客さんにどういう商品を作
ったらよいのか、いわゆる市場調査です。もちろん、それはやってもいい
訳ですが、それはあくまで参考です。お客さんに言われたことを作って
出しました。それだけでは駄目なのです。
お客さんがまだ気が付いていないうちに、うちはこういう特殊な技術を
持っている、その技術を持ってすれば、お客さんは気が付いていないと
思うけれど、こういう技術があれば必ず分かってもらえるということを先に
見出すということが大事なのです。
潜在ニーズを先に見つけ出して自分のところの特徴とそれを結びつ
けて、それを商品にしてお客さんに提供するという、いわゆる提案型が
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非常に大事です。お客さんから聞いてそれをそのまま作って、作った物
をどうですか、といわれても、それ以上の物が他社から出ればお客さん
は違うメーカーの物を買うわけですから、気が付かないうちに手をつけ
て潜在ニーズと特殊技術を結びつけます。
セイコーエプソンの特徴
そこで大事なことが二つあります。一つは、必ず自分のところのこれだ
ったらどこにも負けない、というような特徴のある技術を持っているという
ことです。どこでも持っているような技術では、競争には勝てません。自
分のところの会社は、こういうものは負けない、というものを持っているこ
とが大事です。
それからもう一つ、必ずその分野は成長する分野でなければいけな
いということです。せっかく良い物を出しても明日、明後日マーケットが
下り坂になっていくと、お客さんはその商品は要らなくなる。
要らなくなるようなところに力を入れてもしょうがないのです。
自分のところの特徴を将来性のあるトレンドを良く見て、必ずこの分野
は成長するというようなところに提供するということ、これが大事ですね。
では、一体セイコーエプソンの特徴は何かというと、簡単ですが
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小さい「ショウ」、省く「ショウ」の二つなのです。
小(ショウ)というのは腕時計からスタートしておりますが、これはすぐ理
解ができると思います。ただ、それが腕時計はまだこれだけ大きいわけ
です。それが今はどんどん小さく微細技術の方に生かされているわけで
す。一応分かりやすいサンプルを持ってきましたけれども、世界で一番
薄い腕時計です。とにかく「小さいものは任せてくれ」と言うことです。
ガラスとケースを除いたムーブメント、いわゆる機械の厚みが 0.85 ミリ
です。この中にクオーツや歯車やモーターがみんな入っているわけで
す。よくこんな物ができたと、私は驚きました。これはもう14∼5年前にで
きまして、今でもこの記録は破られておりません。参考に申し上げますと、
その当時は100万円でした。500個予約の注文をとったのですけれども
瞬時に500個売れまして、お納めするのに半年掛かりました。
それからロボット。今、盛んにロボットが話題になっていますが、これは
世界で一番小さなロボット、見えないかもしれませんがこんなに小さなロ
ボットです。これも世界で一番小さいということでギネスブックに載ってお
ります。これは分かりやすいから持ってきたのですけども、今活躍してい
る製品はこんなものではありません。
小さいということで活躍している、ご存知の通りインクジェットプリンターの
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カラリオです。これは、本当に小さいところで大活躍しています。簡単に
インクジェットの構造を申し上げますとピエゾ圧電素子を振動させて、
インクを小さな穴から飛び出させて、プリントしていくわけです。
一番苦労したのは、その小さい穴なのです。この穴からインクを飛ば
すわけなのですけど、その穴の大きさが25ミクロンです。25ミクロンとい
っても、そんなに小さいという印象はあまりないですけれども、人間の髪
の毛の1/4 くらいです。
ところがその穴を開けるときにレーザーで開けることが一番簡単なの
です。ところがいろいろやってみたけれど駄目なのです。穴の中がギザ
ギザしてしまうのです。それではインクが飛び出すときに散ってしまうわ
けです。汚くなってしまいます。どうしても昔ながらのプレスで穴を開けな
いといけないということを見つけ出したわけです。
そこまではいいわけですが、一つの穴では駄目ですから、大体カラー
になると7色が必要となるわけです。ですから少なくとも7つの穴が必要
なわけです。それが1列ではスピードが遅くて駄目ですから90列。もっと
多いものもありますけれど90列もあるのです。ということは、25ミクロンの
小さい穴が630個から900個も開いているのです。
それができたので、うちのインクジェットプリンターは今世界でシェア
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ナンバー1なのです。シェアでナンバー1になるということは、ちょっと言
い過ぎかも知れませんが、当然だと思っています。どういうことかと言い
ますと結局写真です。大抵写真はカラーですが写真を超えているわけ
です。写真は引き伸ばしますが、プリンターの場合は引き伸ばしません。
デジタルカメラで撮り、ものすごく細かい所まで記憶して、それをプリンタ
ーから出します。引き伸ばしはしませんからものすごい大きなものまでプ
リントできるわけです。
それで7色ですから、どういうインクを7色にしたら良いのか徹底的に
研究しました。そうしましたら今までにない、カラー写真を超えたプリント
ができるようになりました。しかも大きさが小さい物から大きな物までプリ
ントできるわけです。一番売れているもので、1m10cmの幅で長さはい
くらでも長くできるわけです。サンプルを持ってきましたので、ご覧下さい。
人間の肌の色がとても苦労したわけです。これは写真を超えています。
小さい方の小(しょう)の話を致しました。
次に省(ショウ)のほうの話をいたしましょう。ぜんまい時計からクオーツ
にする時に一番苦労しましたのが低消費電力ICです。当時、大手半導
体メーカーにこういった半導体を作ってくれと、私も何回か頼みに行った
のですが、全然受け付けてもらえないのです。専門の会社が駄目でした
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ら、あきらめるのが普通ですが、うちはそうじゃないのです。他社で作れ
ないのなら、うちで作ってしまおうということなのです。そして挑戦をしまし
た。結局世界で真っ先にCMOS(IC)を作りました。そのICが今、いろん
なところで活かされているわけです。
いわゆる携帯電話・携帯機器、当然のことながら消費電力が少ない
方が良いに決まっているのです。今、携帯機器の約5割がうちのICを使
っています。それから液晶のディスプレイです。これもほとんどうちのもの
です。世界的にもそうです。
小(ショウ)と省(ショウ)の話をしました。いずれにしましても、自分のと
ころの特徴をこれから伸びていくところにそれを使うと言うことが大切で
す。「大は小を兼ねる」という言葉がありましたけれども、これからは「小は
大を兼ねる」という時代になっていくと思います。今の世の中、物が溢れ
ております。同じ性能であれば、小型の方が良いわけです。場所もとりま
せんし、それから身につける場合は軽くて薄い方が良いに決まっていま
す。「小は大を兼ねる」、必ずそういう時代に入って行くと思います。うち
は二つの小・省がまさしく入っているわけです。
実は私が先ほどからセイコーエプソンの特徴を言いましたけれども皆
様方、岡谷地区それから諏訪地区に、このことは共通して言えると思い
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ませんか。この地区はなんといっても製糸です。製鉄であるとか造船、そ
のような産業が発達できるわけがなかったわけです。信州の場合は、結
局、原料が少なく付加価値をいかにして高くつけるか、それだけです。
ということは、セイコーエプソンだけではなく皆さんにも共通しているこ
とではないかと思います。私もよく新聞などで拝見しているのですけれど、
ナノテクノロジーですね。そういったものを見て、よくやっているなと思い
ますし、小さな穴をエンジンの噴射に使っている会社もありますよね。こ
れは、本当に諏訪の特徴がうまく生かされているように思います。ですか
ら自分のところの特徴をもう一度原点に戻ってよく掴み考えて、これは必
ずこの分野で伸びていくというところに技術を生かして行く、これが大事
ではないかなと思います。
人について
今は技術ということでお話しましたけれども、今度は人ということにつ
いてお話をしましょう。私は技術関係でやってきました。ですから自分で
好きな分野をやったわけです。一人で全部できるなんてことは、ありえな
いのです。これはやはり一人一人の自分の得意とするところを素直に生
かしていくと、好きこそものの上手なれです。
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神様は非常に上手に作っていると思いますけれど、自分が嫌いなこと
は別の人が得意なのです。ですから自分で好きなことは一生懸命にや
って、自分で不得意だったらこれは他に得意な人がいるわけですから、
ここはひとつ得意な方に任せてやっていただく。私はそれを長くやって
来ました。
だから技術関係のことについては私が、またアドミ関係のことについて
は別の人に任せました。何の心配もせずお金の心配も要らないですし、
自分の得意とするものが何かということを見つけだしてそれを生かしてい
く。そして自分が不得意なところを一生懸命やるよりは、それを得意とす
る人がいるわけですからその人を採用する。採用をしなければ社内の中
で見つけてきて、これをひとつやってくれと任せればいいのです。その
逆のことを言います。逆ということは、自分が不得意なことを一生懸命に
やっても、効率は悪いわけです。神様は、うまく考えてくれていると思い
ます。
大体、人それぞれには10の能力、5の能力、3の能力の人がいるわけ
です。これはしょうがない。10の能力を持っている人が5しか発揮してい
ない。3の能力しか持っていない人が頑張って5の力を発揮している。
どちらを選ぶか、それは3を頑張って5を発揮している人を選びます。
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10を持っている人が5の力しか発揮していない、しかもそれが0になるか
もしれない。0だったらまだいいのですが、マイナスに働くことが結構多
いのです。10の人はいろんなことを経験して知っていますが、先のこと
が見えすぎて駄目なのだと分かってしまい、可能性を潰してしまうことが
あります。
それから優秀な人の場合には議論をやり発想がなかなか出にくい。
優秀の人ほど駄目だと言っているわけではないのです。それだけは誤
解されては困るのですが、いろんなことを知っている人が創造力を発揮
して、先ほど言ったような技術をどのように活かしていくのか。活かしてい
けるのならば一番いいに決まっています。
ところが往々にして、私が今申し上げたようなこともあるということです。
一芸に秀でる。これがやはり大切で、それを上司や社長が認めるという
ことです。これが大事です。
先ほどから私が言っておりますけれども結局一芸に秀でる。少し変わ
っているような人を認める、可能性を信じる。そういう集団。ということは、
ここで大事なことはやはりチームワークです。初めから自分ひとりではで
きないのですから、「周りと一緒にやりましょう」というチームワークが大事
です。チームワークが大事ということは総合力も発揮でき、会社全体が
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成長していくということです。私はいろんなことで経験しております。
結局、経営あるいは技術といっても元は人なのですから人の能力をど
のように発揮させるかということ。いろんなことを知っているということだけ
では駄目で、いわゆる発想力と言いましょうか。そういった人を起用して
いくことが大事だと思いますね。
共生について
それでは次に移りましょう。「共生」。先ほども話をしておりますけど、一
人では何もできませんから、必ず相手と共に生きるということです。という
ことは、それを広げていけば自社だけではなく他社とどうしたら共生でき
るかということ、もっと広げていけば日本と外国です。
日本だけでは食料が無い。資源が無いわけですから、絶対日本だけ
では生きていかれない。とすれば当然、外国との関係をうまくしなければ
いけない。それから自然との共生、これは最近良く言われておりますけ
どやはり共生ということは非常に大事だと思います。
それでどうして私が共生という考えになってきたかといいますと、私は
時計会社に入り、技術関係ですから理想の時計が、常に頭の中にあっ
たわけです。それで結構良い時計ができました。そして段々と高い地位、
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役職になり、社長になりました。
良い商品だけをただ作っていれば良いというわけにはいかないなという
場面が非常に出てきたわけです。それが共生です。自分も良い、他人も
良い、自分の会社も良い、他社も良い。そういう面がやはり出てきたので
す。
これは例を挙げますと、山崎さんのことに戻りますが、先ほどの話で精
工舎がどんどん大きくなってまいりました。高卒の人達がうちに入るよう
になりました。そうしたらうちに地元からクレームが来たわけです。高校の
良い成績の人達はみんな精工舎が持って行ってしまうと。
それで山崎さんは考えたのです、それならその高校のある所に工場
を作ろうと言うことです。これはやはり発想が良かったと思います。富士
見に作り、伊那に作り、塩尻にも作りました。それからプリンターが大きく
なり松本、広丘、豊科に作りました。
しかも大切に考えたのが通勤圏。大体 1 時間くらいで通えるところに
作ったのです。つまり住まいを変えなくても良いですから、通勤圏 1 時間
以内くらいの所に 1 万人以上の社員がいるわけです。
当然のことながら初めは諏訪から松本まで通っていたわけですけれど
も、若い人は諏訪に家を建てなくても塩尻に建て広丘に建てることもで
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きるわけです。それに東京から転勤の場合も割合スムーズに行われまし
た。これがやはり基本的には迷惑をかけてはいけないということです。
それからもう一つ諏訪湖が汚れてきている。それは大きな工場から汚
水を流しているというようなことを言われた時代がありました。それで山崎
さんが「徹底的に絶対汚水は諏訪湖に流すな」と言ったのです。
それで、どういうことをやったかといいますと、必ず工場には池を作りまし
た。浄化した水はその池に流すわけです。そこへ魚を放し、きれいな水
を諏訪湖に流していくということをやっていたわけです。
それからもう一つ火事です、火事になったら大変ですから防火用水は
その池の水を使うということです。富士見にしても広丘、塩尻にしても必
ず池があります、あの池にはそういった理由がありました。
それから自然との関係ですけれども、私が社長のときにフロンを沢山
使っていました。けれども使うのを止めようということを決めたわけです。
1985年頃から、フロンがオゾン層を破壊するということが言われ出した
のです。
その頃うちでは、洗浄作業をするのにあらゆるところでフロンを使って
いました。人体に無害で、洗浄能力が非常に高いということから、値段は
高いですけれどもフロンを使っていました。日本全体の1.3%をうちで、
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日本で一番多く使っていたのです。それがオゾン層を破壊するという。
それで1987年、モントリオール議定書により正式に、フロンはオゾン層
を破壊するということが分かったのです。
そのとき私は5年後、全廃しようということを決めたわけです。それでフ
ロンレスのチームを作り委員会を持ちプロジェクトを作って発足したわけ
です。ところがプロジェクトの場合はあまり力が入らない。それでやはり組
織の中にフロンレス推進室を作りました。それが組織の変更ということで
新聞に出たわけです。それが1988年12月23日だと思いますが、セイ
コーエプソンがフロン全廃することを決めた、ということが信濃毎日新聞
の一面トップに大きく取り上げられました。
ところが翌年、東京の中央の新聞のお正月トップにセイコーエプソンが
フロンレスを宣言した、ということが載ったわけです。
実は、半導体にしても液晶にしても、どこの会社でもたくさんフロンを
使っているわけです。ですから通産省あたりからは、「セイコーエプソン
静かにしてくれ」と、言われたのです。ところが新聞に出てしまいまいした。
それがワシントンの環境省に取り上げられ、フロン全廃を宣言をしたとい
うことで私はワシントンで表彰されました。
ところがフロンを5年で全廃しようと挑戦したところ、3年半でゼロにし
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たのです。ゼロになったということでまた表彰されました。そこで大事なこ
とはフロンレスに関するパテントそれからノウハウは全部、無償で公開し
ました。しかもこちらから講師を派遣して、どのようにセイコーエプソンは
フロンを使わないでやったのかを紹介いたしました。やはり共生、自分
の所だけではなく素晴らしい技術というものは公開してみんなで共有す
る、社会のためになるという考え方が大事なのです。
それからクオーツもそうです。クオーツも数百程度の特許を出しました
が全部パテントを公開しました。フロンレスは無償でしたが、もちろん、こ
の場合は有償です。良い商品が出来たのですから自分のところだけで
作るのではなくて、各メーカーで作ってもらった方が社会のために役に
立つというような思いがあったわけです。いただける物はいただくわけで
すし、共生ということはそういうことではないかと思います。
ゆとりについて
それからISO14001、これは国際環境基準ですね。皆様方にも取ら
れているところがありますけれども、当社の場合は国内・外全事業所が
取得しております。考えてみました。こういうことができるのはやはりゆとり
があるから。ゆとりが大事だと思います。明日会社がどうなるか分からな
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い、仕事が無くなるかもしれない。
これで今のようなことが出来るかどうか、これはやはり難しいと思います。
いつの場合でもゆとりは大事だと思います。
それではゆとりとは何かということですが物心ですね。お金と心です。
確かにセイコーエプソンは、ゆとりがあったから出来たと思います。ゆとり
というものは、常に持ち続けなければいけないと思います。
ただ、ここで大事なことは、ゆとりというものは与えられるものではない
ということです。セイコーエプソンが他からゆとりを与えられたのか。そう
ではないのです。特許をはじめ、全社員が皆でゆとりを作り出して、社会
の役に立つようなものに還元したといったように考えたほうがいいと思い
ます。
身近な話ですと、また今年も秋から小澤征爾のサイトウキネン・フェス
ティバルが始まりますが、これもやはりセイコーエプソンにゆとりがあるか
らそのような支援もできたわけです。今は多くの会社と協賛していますけ
れども、これもやはりゆとりがあったからできたことで非常に良かったなと
思います。
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リーダーとして何が大事か−10のポイント
時間が大分たちましたけれども、実はこれからが本題なのですがキー
ワード 10(テン)。いわゆる社長として、リーダーとして何が大事であるか
を10にまとめてみました。申し上げます。①ビジョン ②部下を信頼する
③情熱④説得の技術 ⑤常にEND USER---お客様のために ⑥決
める ⑦真実に謙虚 ⑧常に前向き ⑨三現主義 ⑩加点主義 これで
10です。
①ビジョン
ビジョン、これは先ほども申し上げましたが、私は時計会社に入りまし
たから、常にいい時計を作りましょうと、理想の時計が頭の中にありまし
た。結局ビジョンというのはそういうことなのです。その時その時で良いで
す。社長になったら、いい会社というのはどういった会社なのか、売上げ
や利益だけ追求しても仕方がない。そこで共生の思想が入ってくるわけ
です。夢中になるものを見つけ出すということ、それがビジョンです。
②部下を信頼する
部下を信頼する、当たり前です。自分ひとりでは何も出来ません。
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部下にやってもらうわけです。部下を信頼することによって自分が信頼さ
れる。そこでどういうことが生まれるかといいますと、相互信頼が生まれま
す。これが非常に大事です。製造業の場合は、相互信頼が出来れば総
合力が発揮できるというわけです。
③情熱
それから次は情熱。黙って俺について来いでは駄目です。先ほどの
ビジョン、それから部下を信頼していれば必ず声は大きくなります。叱る
こともあります、褒めることもあります、当然そうなるはずです。
情熱の無い人は、リーダーが務まらないと思います。社長も務まらな
いと思います。部下を信頼することは当然ですが、ビジョンや情熱が大
切です。
情熱。それが今になるとすっかり忘れてしまっているのですけれど、会社
を長い間勤めて退職の挨拶に来る人が、「相談役から前にこういうことを
やって怒られましたが役に立ちました。」と言われると、ほっとするわけで
す。これが情熱。
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④説得の技術
次に説得の技術ですが、ただガンガン言ったって、頭で理解しただけ
では駄目で行動には移らない。人の心を動かす。これも一つの技術で
す。説得の技術、あるいは説得力と言ってもいいのか分かりませんけれ
ど、これは大事です。
例を挙げるとたくさんあるのですが、その説得の技術の前に最終的に
自分で決めることができればよいのですけれども、大抵のことを一人で
決められないわけです。そうした時に誰かに報告をして決めてもらわな
ければいけない場合の一つの技術ですが、一つの案に対して、あの人
は前に駄目だったからもっていくのをやめよう。これは一番良くないこと
です。
続いて二番目は、自分がどうしてもやりたいことがあって上司や社長
に持っていく場合、駄目だといわれてあきらめて帰ってくる、これも駄目。
一回で駄目なら二回行く、どう考えても自分は良いと思うのでやりたいと
言う気持ちを伝えに二回行く。それで駄目なら仲間を増やす。自分はど
うしてもやりたいのだという強い意志を伝えて、仲間と再度申し込みに頭
を下げにいく。大抵の場合上司は、それほどまで言うのならやらせて見
るかとなるはずです。
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その場合に上司の立場になりますと、これは失敗するかもしれない、
でも失敗してもたいしたことがないのならやらせてみようという気持ちに
なると思います。
私の例ですけれども、東京のセイコーの頃から、もちろんエアコンなど
ない時代のことです。工場の建物は必ず西日を避けるように並列して建
てていました。本社の工場そして村井。やはり村井工場も西日を避ける
ように建てられております。これは私の上司が、施設関係をずっとやって
きたのです。しかし、私を含め施設の関係者はこれでは駄目だという思
いが出てきたのです。国道や鉄道から見て建物が真正面からみえたほ
うがいいに決まっています。
それで出来たのが広丘の工場なのです。国道から見て真正面に芝生
があり建物があります。何故そのように建てたのかといいますと、私や担
当者もちゃんとしたものをどうしても作りたかったのです。そのときの代表
は施設を統括されていましたから、西日を真正面から受ける建物など
とても認めてくれませんでした。
それでどうしたかといいますと、並列しているものと真正面を向いてい
るものの2つの案をつくり、社長に許可を得に行こうと考えていましたら、
社長は幸か不幸か風邪を引いて入院をしてしまったのです。正直私は
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しめたと思いました。そして2つの案を持っていきまして、次の建物は真
正面向きでやらせていただきますといって、すっと帰ってきてしまったの
です。そして広丘の工場ができたわけです。
恐らく上司の立場になれば、今更、自分から西日に真正面でいいよと
言えなかったと思います。ですから一つのきっかけで正直私は良かった
なあと思います。あきらめて行かなかったら真正面の建物は立っていま
せんでした。やはり当たって砕けろということなのです。そういうことが沢
山ありました。
とにかく頭を下げて頼み込めば大抵の場合は通ります。一回で駄目
なら二回、三回仲間を連れて頭を下げに行けばよいのです。社長にな
ったときにそういうことをやって失敗してもたいしたことないなと私は思い
ました。本人がやってみたいと思うのならやってみればいい。広丘の建
物はどうかというと全面ガラス張りで西日が注ぎます。エアコンを使って
も暑いわけです。ちょっと失敗したかと思われましたが、建物の裏側が工
場でしたから西日は当たらないわけです。事務スタッフは少し暑いでしょ
うが、やはり真正面から見た建物はいいです。
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⑤常にEND USER---お客様のために
それから END USERです。常にEND USER、これが大事です。
特に完成品の場合は、中間ではなくてEND UESRが大事です。一番
分かりやすいのはクオーツです。クオーツの開発をして出しました。そう
しましたら時計屋さんも販売の方も服部時計店も力が入らないわけです。
当然です。時計屋さんは、クオーツが出てきたら狂わず、こわれません
から修理が必要でなくなり、商売にならないわけです。
どういった現象になったかといいますと、期待に反し、安価なぜんまい
時計が売れだしたのです。こんな素晴らしいクオーツを作れる会社だっ
たら今出ている時計もよいだろうと。高いクオーツなどいらないというわけ
です。それにはこちらも挑戦をして、クオーツを今の時計の値段と同じに
してみせようということで、技術の見せ所です。クオーツが自動巻きと同
じ値段になりました。
ここに二つの時計があるとします。値段、デザイン同じです、こちらの
時計は狂います。こちらの時計は絶対に狂いません。あなたでしたらど
ちらの時計を選びますか。当然お客さんは値段、デザインともに同じで
すから狂わないほうを選びます。そしてクオーツの時代になったわけで
す。
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ところが困ったのはやはり時計屋さんです。時計屋さんに来て頂いて
クオーツの講習を3日間∼1週間やったわけです。そのために諏訪の
立石に研修所を建てました。研修された方は、ほとんどが二世でした。
それは国内だけでなく海外からも研修に大勢来ました。
それで日本の場合は短期間でクオーツの時代になりました。やはり良
いものはできるだけ多くの方に使っていただきたいという気持ちでした。
常にEND USERです。
⑥決める
それから決める、これが大事です。決めることはリーダーあるいは社長
が決めなければならないのです。大抵決める時は、「成功の確率が
70%∼80%になったら決める。」これでは駄目です。他社はみんなや
っております。50%∼60%でもって決めるということです。
必ずこういった時代になるから先回りをしてここで決めてしまおう、早く
決めてしまうこと、これが大事です。大決断で決めるのでは遅いのです。
小決断で決めていけばよいのです。小変革で決める。部下から上を見
ますと上は迷っているわけです。部下は、どちらでも良いから早くきめて
くれという気持ちがあると思います。
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そこで大事なことは先ほどの相互信頼です。相互信頼がなければ駄
目です。会社の場合はいろいろあります。会社対組合の場合など組合
にしてみれば立場上いろんなことを言わなければなりませんが、会社で
決めてしまいます。後は協力をするのですが、普段の相互信頼が大事
です。他より先に決めることです。
⑦真実に対して謙虚
それからその反対で真実に謙虚。一度スタートしてどうしても駄目なら
こだわらずに止めるということも、決めるということです。これを私は真実
に謙虚と言っております。
理由をつけて長期にわたってやっていてもこれは駄目です。止めると
いうことを決めることも大事です。そこでセイコーエプソンの結果がどうな
ったかといいますと、他社より先に決めますから世界で一番先のクオー
ツ、プリンターというようなものが沢山あります。
それから逆に面白い例ですが、先に決めて1年あるいは2年して見込
みのないものは思い切って止めました。すると他ではこれからスタートし
ているところがあるわけです。あれは苦労する、失敗するよということがあ
りました。
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これが真実に謙虚です。それからさらにいえば小決断、小変革の連
続。日々決めていく、変革していくことが大事です。逆に言えば大決断、
大変革をしない経営が理想です。
今、他社を考えて見ますとトヨタが大変革、大改革したということを聞
いたことはありません。しかし日産の場合は大改革をしまして、今に至り
ますが。
日々小変革、改善することが私は理想的な会社と考えます。ですから
新聞に載らないような会社、それで10∼20年が経ちあの会社は随分成
長したなという会社が良い会社だと思います。あるいは経営者、社長が
目立たない会社、こういう会社は良い会社だと思います。小変革ですか
ら社長は目立ちませんが全社員が燃えていて常に成長している、そうい
う会社が理想です。
⑧常に前向き
常に前向き、これは当たり前ですけれども、私は済んだことに興味はあ
りません。現在と明日のことだけです。
そこで大事な事は、済んだ事は興味が無い。これは分かります。自分
の力では変えられません。しかしこれからのことは全部自分の責任、そう
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は行きません。自分の力で出来ないものは全部ほっておくことです。
為替の問題で円が高くなった、安くなった。こんなことは自分の力で
為替を変えられません。高くたって安くたって、会社はやっていかなけ
ればならないだけのことです。
ですから出来ることと出来ないことを整理して、そして自分の出来る
範囲については、全責任を持つということです。つまり常に前向きという
ことは自助努力、自己責任です。
これについて、私は東京の会社と地方の会社で、はっきりしていると
思います。東京の会社ですと、同業他社が大勢いますが、地方の会社
は同業他社があまりいませんから、全て自助努力、自己責任で進めて
いかなくてはならないわけです。余計なことは気にせずに、本業に徹す
ることができるのです。
トヨタや浜松の自動車各社、それと京都の会社なども、みな自助努力、
自己責任で経営されており、景気が悪くなりますとよけいにこうした会社
の良さが目立ちます。セイコーエプソンもその仲間に入っていると思いま
す。結局自助努力、自己責任です。
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⑨三現主義
それから三現主義。これはあたり前です。皆さんご存知の通りの現場
主義です。現実、現物とにかく私は時間のある限り工場を回り、物を見
人の話を聞きました。ですから現役の頃、このように外で話をするという
機会を持てなかったわけです。このような時間があるのなら社員と話をし
ようと現場へ行っていました。
三現主義で決めたことについて部下は納得するのです。決めてから
の行動が早いわけです。これがアメリカと違うわけ。アメリカの場合ですと
トップだけで進めてしまいます。部下がどう考えようが、トップがこうだと思
えば決めることは早いかもしれませんが、部下が分かっていないわけで
すから時間がかかるわけです。
さらに三現主義に、先を見ること、三現主義プラス先見で完璧な経営
が出来ると思います。
⑩加点主義
それから加点主義。加点主義の反対は減点主義です。失敗をしない
で年齢序列で偉くなっていく会社は駄目になります。加点主義というの
は、今やっていることはゼロで、自分がプラスしなければ上がって行かな
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いわけです。
そこで大事なことがあります。燃えている人、意欲のある人は失敗が
裏腹にあるわけです。会社のために良いと思って失敗をした場合、それ
は失敗ではないということです。これはたくさん経験しております。社員
が仕事で失敗して、よく謝りに来ます。しかし済んでしまったことは仕方
がないのです。
常に前向きですから、エプソンが急成長していた時はよくありました。
なかには常務でしたが、こういうことで失敗しましたと辞表を持って来たこ
とがありました。私は、つき返しました。取り返せばよいのだからと、結局、
何十倍と取り返しました。
ただ倫理に反すること、会社に致命的な打撃を与えることは絶対許す
わけにはいきません。そのようなことはあまりないです。部下が失敗して
会社が潰れるということはないです。大抵、許してあげればよいのです。
これが加点主義。セイコーエプソンが、長い間ここまで積み上げてきた
歴史です。
日本的経営について
最後に日本的経営について、今の世の中、いろいろなことで景気が良
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くないということで、日本的経営がどうなのだろうかと批判され反省されて
いますね。
では、世界に通用するグローバルな経営というものはあるのだろうか。
日本的経営にも長所、短所があるわけです。自分のところの長所を充分
生かして、マイナスなところは外国の良いところを取り入れたらよいと思
います。
私は日本的経営の長短は7割から8割が長所だと思います。
一つの例を挙げましょう。アメリカは1980年代に製造業がとても弱くなっ
たことがありました。日本はその逆でした。MITが調査団を日本に派遣
して、何故日本は製造業が強いのだろうと2年の歳月をかけ、日本の企
業を徹底的に調査しました。当社にも来ました。そして1985年に調査
結果の本をだしました。それがMADE IN AMERICAという本で出
ているのですが、我々にとって大変自信になります。アメリカが日本を調
査して、日本がアメリカと違った良さを持っていたということを率直に書い
てあります。その後アメリカは元気になりました。
その例を四つとり挙げましょう。人的資源の軽視、人を軽く考えていた
ということです。日本の場合は長期雇用といったように人を大事にし、愛
社精神があるわけですが、これは非常に大きな特徴です。当然会社で
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は社員を大事にする。アメリカは人的資源を軽視したということです。
二番目は協調体制の欠如。皆で力をあわせてやりましょうという協調
体制の欠如です。これは先ほどから話をしておりますが、総合力、チー
ムワーク、一体感であるということです。
それから生産技術が弱い。アメリカの場合はノーベル賞の人など開発
陣には力を入れて社会的地位も高いです。ところが、日本の場合はQC
活動、改善、Just in Timeですとか、とにかく現場が強いわけです。
そして短期的視野の経営。アメリカの場合、今業績を上げなければ首
になってしまうので明日、明後日のことは考えない。ところが日本の場合
は先のことを考えて、手を打っているのです。私はこの四つというのは
日本的経営の宝と思います。
これを捨てることは決して無いです。これが日本の7割から8割の長所。
では弱いところは何か。それはもたれあい、談合、護送船団。
これが日本のマイナスになりやすい点です。
そして個人の能力が埋没する危険性がある点です。そうならないように
社長が個人を大事にすればよいのです。最近ですとパテントの問題が
言われるようになりました。パテントを個人に還元することは基本的に良
いことなのですが、日本の場合は少し難しいのです。
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ブレインストーミングという手法がありますが、ブレインストーミングといい
ますのは、皆で一度に言いたいことを言いますので、誰が発明したかが
分かりにくいのです。アメリカの場合は、自分で大事な時にきちんと言い
ますので、それを誰が発明したかが分かります。日本の場合は皆で討論
して、結果が出てきますから、それを個人に還元するのは難しいと思い
ます。ですが基本的に発明者に還元するということが、これから大事だと
思います。
それから年功序列。年功序列といいますのは、能力に関係なく年齢と共
に地位が上がっていくことをいいます。これは良くないと思います。しか
し長期雇用について私は良いと思います。自分はこの会社で力一杯働
きたい、そして会社もそれを期待している。そこで愛社精神が出てきます。
その結果、長期雇用が出来てくる。
私は長期雇用については、良いと思います。ただ、年齢だけで地位
が上がって行くことは良くないと思います。50代位になってきますと能力
が低下することもあるでしょう。低下してきたところを下げなくてもよいから、
せめて同じにしておくこと。その代わり話し合いで、まだ働きたいというの
であれば定年を延ばし、多少給料が少なくても仕事を続けることは良い
と思います。
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終わりに−私のものづくり50年
最後に締めくくりたいと思います。私はものづくりを50年やってきまし
た。製造業の社会的な責任、価値というものは、今までもそうでしたが、
これからも決して低くなる事はないと思います。それは製造業の不変の
理念だということです。「原理原則を技術に代え、それを商品に生かす。
その行為が、働く場を創り出していく。商品と雇用の創出です。以上によ
り、人類の役に立ち世界経済の発展に寄与する。」 これは製造業の不
変の理念だと思います。
良い商品をお互いに作りましょう。そのことによって雇用は拡大してい
きます。製造業が強い国、強かった国は必ず栄えております。これは歴
史が証明しております。
イギリスで起こりました産業革命。早いうちから労働者が不足しました。
自動車、機械産業は大陸に移り、ドイツで花が咲きました。それからイタ
リアでケミカルが加わりました。その当時のヨーロッパは燃えていたわけ
です。そして自動車産業がアメリカに来て、更にエレクトロニクスが加わり
ました。アメリカの良い時代でした。
それから製造業は日本に来まして、そして今、中国、韓国、東南アジア
に移っています。必ず東南アジアは栄えます。これは良いことではない
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ですか。それで、こちらが空洞化になってはたまりませんから、彼らがで
きない、新しいことを生み出していく以外に打つ手はないのです。
ですから自分たちの特徴は何か、これからの将来にどのように活かして
いくか、そのことによって雇用の創出、仕事を確保していくのです。
当社でいいますと、彼らがつくれないもの、例えばプリンターヘッドで
す。ヘッドなど彼らには作れないわけです。諏訪と酒田の事業所で、全
面的に作っているわけです。それからICもそうです。特殊なICなどは、
海外へ持ち出してはいけないのです。それから後は、新しい物を見出し
てやっていくことです。
今日は資料を持ってきていませんが、今非常に注目されているのは、
古い色あせた写真をエプソンで開発したスキャナーにより、きちんと前の
色鮮やかな写真に再現できるというものです。何故そのようなことが出来
るのか私でも理屈は分かりませんが、そのようなことを考え出すことによ
って新しいマーケットが出来てくるのです。
ということで空洞化を恐れないで、セイコーエプソンも岡谷も諏訪地域も
同じですから、自信を持って、やっていきましょう。
ご静聴ありがとうございました。
(拍 手)
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