...

11号 - 北海道医師会

by user

on
Category: Documents
14

views

Report

Comments

Transcript

11号 - 北海道医師会
町
iγ
●
′
第
11号
1990
室 蘭 市 医 師 親 交会 誌
●
′
第
11号
1990
室 蘭 市 医 師 親 交会 誌
ポ ロモシリ︶と エトモ漁港
一
表 祭い大黒島 ︵
竹内 陸 一
加藤 治良
高 田 芳 朗 先 生 ⋮⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ 沢山 豊
カ ット
和男
︱ 先 ラオケを中心として︱ ! ⋮ ⋮ ⋮
夏 の夜 のお し ゃべ り ︲
4
加藤 治良 ︰⋮⋮⋮⋮・ 1
パ ート Ⅲ ⋮⋮ ⋮ ⋮⋮ ⋮ 。安斎 哲郎
貝を中心 に ︱ ! ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ・藤兼
西 ヨ ー ロ ッ パ 飛 び 歩 る 記 ︱︱ 絵 画鑑凸
し
,
野 に 吹 く 風 の ご と く ︱ ︱ 万葉 東 歌 四行 詩
く
く
す
熊谷 弘夫 ´・ 黒光 康夫 ・・鈴木 久雄 ・・曽根 清孝 ・・竹内
大久保 。加藤 ・児玉 。斎藤 ・三村 ・村井 ・沢山︶
編集委員 ︵
隆
聴
高橋 ・小杉 ︶
事 務 局 ︵
18
10
1
次
4
目
M
M
M
C
I
I
歴
史
と
浪
漫
の
街
小
檸
を
訪
ね
て
︰
⋮
⋮
︰
鴨
井
清
広瀬 欽也
第 二十 四回北海道 ドク タ ーズゴ ルフ大会 に参 加 して ⋮⋮ 遠藤 秀雄
I
親 交会親陸旅行
︱
記 ⋮⋮ ⋮
莫
⋮ 。
・
灸
革
上 田 智 夫
⋮ 国本 鎮雄
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
海 の 思 い 出 ⋮⋮⋮⋮⋮・
正 月 は駄 目 よ
▲
雰 口
貝 異 動
後
⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮
元会 員 の方 への編 集 室 か ら のお ね が い
集
親交会 のおもな行事
編
一
27
34
39
■■
`
局田ブ ルー と言 われ て いる 明
いた が 、 そ れ ら は全 て所 謂 一
るく暖 か み のあ る色 が使 われ てあ った 。
彼 の色 に対す る執 念 とも 言 え る こだ わ りは 、 知 る人ぞ 知 る
であ る。毎 年 項 く年 賀 状 の印 刷を 引 き受 け て いる F印 刷 のA
氏 な ども こん な色 にし て呉 れ と言 わ れ気 に入 る色 を 出 す のに
相 当 苦 労 し た と言 う 話を 聞 いた 。
画 家 であ れば 当 然 と言 って了 えば そ れ ま でだ が 、絵 具 の配
合 により色 々な色 が 生 ま れ る訳だ が 、自 分 の気 に入 る色 が出
るま で何 回 も遣 り直 す 、本 当 に納 得 す るま では止 めな い。 そ
のあ る書 斎 を 見 せ て頂 いた 。 アト リ エには先 生 愛 用 のパ レ ッ
の絵 が並 べら れ た アト リ エと、本 棚 には 一杯 詰 め ら れ た資 料
が 私共 夫 婦 を 三階 の仏 間 に案内 し て下 さ り、高 田先 生 の遺 作
去 る 8月 の或 る 日高 田先 生 のお宅 にお線 香 を 上げ にお伺 い
し た 。奥 様 は茶 道 の先 生 で丁度 お弟 子 さん のお稽古 中 だ った
用 し て いた そう であ る。 アト リ エの画 は先 生 が 入院 され るま
く な った ら塗 り潰 し て了 い、 別 な作 品 のキ ャ ンバ スとし て使
も 少 な いの で驚 いた と の こと①完 成 した作 品 でも 気 に入 らな
奥 様 の話 では亡 く な ってか ら見 て みた ら作 品 の数 が 余 り に
ん な所 が芸 術 家 気 質 と でも 言 う も のか。
ト に灰 皿 の吸 い殻 も 生 前 のま ま にな って居 り、本 棚 には資 料
で制作 され て いた も ので、 ち ょ っと見 ただ け では完 成 した も
のと し か見 え な い。譲 って欲 し いと希 望 す る方 も多 いのです
歌 は世 に つれ 、世 は歌 に つれ と言 う が 先 生 の画 も 二 十年 前
四季 を 通 じ て描 き続 け 、 知 利 別 の町を 愛 し 、 そ の画 風 は独 得
景 画 を 描 く よう にな り 、洞 爺 湖 を 、函 館 そ し て室 蘭 測 量 山を
た が 、 どち ら か と言 えば 暗 い感 じ であ った。 そ の後 は専 ら 風
婦を モデ ルにし た濃 いセピ ア系を 主 体 にした百 号 の大 作 だ っ
から会 員 にな ら れ た 昭和 三十 年 代 前 半 に新 日鉄 病 院 の 一階 エ
レ ベ ー ター横 に永 く飾 ってあ った画 は人物 画 で手術 場 の看 護
奥 様 の意 向 で生前 のま ま の部 屋 の姿 を 残 し て居 ら れ る由 、
が主 人 は き っと断 わ る と思 いま す ので差 し上げ て いな いん で
の分類 と予定 表 が 書 かれ た メ モが 貼 ってあ り 、 キ チ ンキ チ ン
申
す よ と奥 様 の話 。
H田
虫
と仕 事 を 進 め て行 く 先 生 の性格 が まざ まざ と思 い出 され るた
たず ま いであ った 。
山
と比 べると微 妙 に変化 し て いるよう に思 わ れ る。 道 展 の会 友
て
1
沢
奥 様 の心情 が痛 い程察 せら れ 胸 が熱 く な った。
先 生 のお部 屋を 見 せ て貰 って いる内 に先 生 の在 り し 日 の こ
と が色 々と頭 の中 に浮 かん で来 た 。
つ
い
アト リ エには先 生 が 描 き掛 け た未 完 の絵 が多 く並 べら れ て
絵
に
のも のが あ り 、素 人 の私 にも直 ぐ彼 の画 と見 分 け る ことが出
、色
来 た。 デ ッサ ンに ついては天賦 の才 能 と し か言 え な いが
彩 に ついては環 境 と か心情 の変化 に対応 し て いる よう に思 え
らな い。
てな ﹂
肺 外 科 ︶専 門
当 時富 士 鉄 ︶病 院 に胸 部 外 科 ︵
彼 が 新 日鉄 ︵
医 とし て勤 務 した のは昭和 三 十 二年 であ る。 当 時 私 も 二十 前
でジ ルバ と か マンボが流 行 って居 り、 浜 町 にも ダ ンスホ ー ル
が あ った 。
彼 は学 生 時 代 アルバイ ト にダ ンス教 師 を し て いた と言 う 触
。
れ 込 み であ った が 、 我 々は マサ カ と言 う気 持 の方 が強 か った
そ の年 の外 科 の忘年 会 は室 蘭 駅前 にあ った本 多 旅館 の レ スト
ラ ンで開 か れ たが 、道 当 に酔 った所 でダ ンス教 師 の腕 前 拝 見
、
と言 う こと にな り、高 田先 生 の出 番 とな ったが 彼 は 自 分 等
の頃 はジ ルバも マンボも無 か った の でと ワ ル ツを 踊 って見 せ
我 々を 煙 に巻 いた。 ダ ンス教 師 の作 は とう とう 判 らず 仕 舞 い
であ った 。
彼 は テ レ屋 と言 う か 人前 で歌 った り踊 った りす る のは苦 手
、
と言 う イ メージが強 か ったが 、 私 共 の結 婚 式 の披 露宴 では
﹁オ タ マジ ャクシは蛙 の子﹂ を 歌 って呉 れ た のを覚 え て居 る。
﹁
古 城 ﹂ も好 きな 歌 の 一つであ った 。 結 局 は気 が向 けば と言
う こと であ ろう 。
、
二十年 程前 の こと であ るが、 或 る 日、 ﹁サ ヮさん 踊 りを
一緒 に習 わな いか﹂ と言 われ た ことが あ る。 余 興 にや る 日本
舞踊 で ﹁
安 木 節 ﹂ は難 し いが ﹁お ても や ん﹂ な ん か覚 え て見
た いが どうだ と言 う 。 私 は と ても そ ん な勇 気 は有 り ま せん と
断 わ った が 、 彼 は薬 剤 のT先 生 と花 柳 衛 信 さん の所 に通 い遂
に物 にし た 。 そ の時 も カ セ ット テ ープ に練 習 の 一部 始 終 を 録
音 し、 自 宅 でも 復 習 を す ると言 う熱 心 さ であ った 。
院 長 就 任後 の忘 年会 で は毎 年 院 長 自 ら宴 会 盛 り上げ に 一役
買 って踊 りを 披 露 し て いた と言 う 。 彼 の ﹁お ても や ん ﹂ は本
式 の髯 に メー クを し て大 受 け であ ったが これ も 見 れ な く な り
誠 に残 念 であ る。
ハダ カ の付 き合 い
今 では胸 部 外 科 と言 えば 心臓血 管 外 科 が主 体 だ が 昭 和 三十
年 頃 は肺 結核 の手 術 が 全盛 期 で長 期療 養 で慮 着 のひど い症 例
が 多 く 、出 血 と の戦 いでも あ り 、十 二時 間 以 上 に及 ぶ手 術 も
稀 では無 か った。 こ の こと に つ いては彼 が 二年 前 に 二回 にわ
、 そ の別 刷
た り新 日鉄 病院 医 誌等 にま と め て発 表 し て いるが
を 貰 い懐 か し さが 甦 った のを 覚 え て居 る。
彼 は御 存 知 の通 り 八十 キ ロを 超 す 巨 体 であ り 手術中 も汗 が
眼 鏡 を伝 わ って術 野 に滴 下 す る ことも ま まあ り 、専 属 の看 護
婦 が汗 拭 きを し て いた 。 手術 後 は 必ず 手術 場 の風 呂 に入 るが
狭 い風呂 場 に良 く 一緒 に入 った も のであ る。
今 の若 い人 は 知 ら な いだ ろう が 、昔 の男 は ト ラ ンク スと か
ブ リ ー フな ど は は かず に越中 揮 ︵エ ッチ ュウ フ ンド シ ︶を し
て いた 。 私 も 学 生 時代 は勿 論勤 務 し てか らも 暫 く し て いた が
当 時 の外 科 で こ の フ ンド シを し て いた のは私 の他 には本 庄 先
、
2
歌
と
踊
し
,
け であ った ろう 。
風呂 場 で彼 は頭 を 洗 っては ﹁サ ワさん こんな に髪 の毛 が抜
生 と高 田先 生 であ った 。 最後 ま で フ ンド シ で通 し た のは彼 だ
会 費 を 先 に貰 ってお いて、 ゴ ル フ場 で の飲 み食 い、途 中 の食
様 も淋 し い思 いを され て居 る こと であ ろう 。
イ ビ キ に ついて先 生 に野暮 な 質 問を した ことがあ るが
こ こ数 年 ゴ ル フ場 や ホ テ ルの料 金 が高 く な り、気 軽 に皆 さ
んを 誘 う ことが 出 来 な く な り 回数 が減 った のが残 念 だ った 。
、奥
では懐 か し い思 い出 であ る。
か った と のクド キだ か、 ヒヤ カ ンも 聞 こえ て いたが そ れも今
高 田先 生 は 一人部 屋 にす るよう に心掛 け た。隣 室 でも 眠 れ無
事 等 も 全 部 賄 おう と言 う も ので大 沼 、旭 川、 釧路 、 ニセ コと
か泊 ま り掛 け で随 分 と出 掛 けた も のであ る。専 ら私 が幹 事 役
を勤 め 、会 費 の徴 収 か ら ホ テ ルの部 屋割 ま で任 せ て貰 った が
けた よ﹂ と言 って洗 い場 にた ま った毛 の束 を 取 って見 せ る こ
と が よく あ った 。 そ ん な時 ﹁
先 生 は抜 け る毛 が あ って い いで
す よ、 僕 な ん か抜 け る毛も 有 り ま せん よ﹂ と言 い返 した も の
であ る。
彼 の頭髪 はふさふさとしナチ ュラルウ エーブが ス マート に
見 え、恰福 の良 さとあ いま って我 々の中 でも若 さと健康 の象
徴 的存在 であ った のであ る。
P M Gと いび き
よう だ った 。
ことが出 来 る のが 良 いの ではな いかと言 う こと で落 ち 着 いた
帯 広中 学 時 代 よ り美 術 の才 能 を 認 め られ、 実 家 の印鑑 彫 り
にも優 れ たも のを 持 ち乍 ら東 大 を 目指 し て頑張 った が 、挫 折
た よう だ 。
医 学 部 同 期 の先 生 や同 門 の古 い先 生 方 は御 存 知 の ことら し
いが 、彼 は医 局 時代 か ら ﹁クドキ のた ︱さん﹂ と言 わ れ て居
ク ドキ のた Iさ ん
昔 、外 科 の外 来 の診 察 台 で昼寝 を し て居 る所 を カ メ ラ に撮
って見 せた ことが あ る。 只 、 イビ キ の大 きな ことが 自他 とも
高 い所 に置 いて居 り 、そ れ が達 成 出来 な い時 に ついグ チが出
彼 の若 さ と言 う か活動 力 は何 処 から出 て来 る のか が 話題 に
な った こと があ る。 結 局 、 そ れ は彼 が何 時 何 処 でも直 ぐ 眠 る
に難儀 し た よう だ 。 講 演会 と か会 議 等 で横 に座 って居 てぐ あ
っと突 然大 き な新 が 聞 こえ た りす ると ち ょ っと恥ず か し い思
るも の のよう であ る。
行 な わ れた外 科 学 会 のシ ンボ ル マー クの デザイ ンを 懸 命 に考
例 えば 少 し差 し さわ り があ るかも 知 れ な いが 、 先年 札 幌 で
し て理 不 尽 な クドキ で無 いよう に思 わ れ た。
私 は良 く 院 長室 にお邪 魔 し ては クド キを 聞 いて いた が 、 決
し北 大 に入 った経緯 か らも判 るよう にそ の理想 は抱 く ま でも
いを し た ことが あ る。
彼 が気 軽 に話 し合 え る メ ンバ ーを 集 め楽 し いゴ ル フを し た
ポ ケ ット マネ ーを は た いてゴ ル フを す
いと始 めた P M Gは ﹁
る会 ﹂ の略 号 であ るが 、本 庄 御 大 や原 田、 高 島 、熊 谷 先 生 等
開業 医 と新 日鉄 病院 勤 務 の医 師 、薬 剤 師 にプ ロパ ーを 入 れ て、
3
え 、 回 り の文 字 の中 に スズ ラ ン、 ライ ラ ックを 入 れ た セ ン ス
、
の高 い マー クを デ ザ イ ンし 出 し た と ころ 回 り の文 字 だ け 使
、
わ せ て欲 し い、 中 に は 別 な も のを 入 れ る と 言 わ れ 出 来 上 が
った も の は 彼 の意 と は か な り 違 った も の に変 わ って 了 った と
言 う よ う な こと であ る 。
彼 は 決 し て自 分 を 自 分 以 上 のも の に見 せ よ う と は し て いな
い。 そ ん な 努 力 は し な いば か り か 、 自 分 の意 に沿 わ な い時 は
、
避 け て引 っ込 ん で居 る と 言 う 所 が あ り そ こが 彼 の欠 点 と 言
う か 、 誤 解 され た 点 では無 か ろ う か と 思 う 。
波久鳥﹂十号
医 師 親 交 会 にも 三 年 前 に や っと 入会 し 前 回 ﹁
、
に ﹁
イ ンド 雑 感 ﹂ を 投 稿 し て貰 い これ か ら 毎 回 投 稿 し て項
く 心積 も り で あ った 。
こう し て私 が 下 手 な 文 章 を 書 く 羽 目 にな ろ う と は 思 いも し
な い こと であ った 。
︱ 絵 画鑑賞 を中 心 に ︱
藤 兼 和 男
世界 に所謂、十大美術館 と言われ るも のがあ る。そ のうち
ニュー ヨー クのメト ロポ リタ ン美術館 と、 レ ニング ラード の
エルミタージ ュ美術館を除 き、他 は西 ヨー ロ ッパ にあ る。
それ は、
オ ラング︶
アム ステルダ ム国立美術館 ︵
ルーヴ ル美術館 ︵パリ︶
ナシ ョナ ル ・ギ ャラリ ー ︵ロンド ン︶
る と私 の学 生時 代 に良 く 通 った質 屋 の三階 に高 田先 生夫 妻 が
後 で聞 いた所 によ
思 え ば 昭和 三十 二年 から 三十 三年 間 、 ︵
間借 り し て居 た と言 う のも奇 遇 であ る ︶私 の人生 の半 分 以上
ウ フィ ツィ美術館 ︵フィレ ンツ ェ︶
プ ラド美術館 ︵マドリード︶
ヴ ァティカ ン美術館 ︵ロー マ︶
ウイ ー ン︶
美術史博物館 ︵
アルテ ・ピ ナ コテー ク ︵ミ ュン ヘン︶
の長 い付 き合 いの中 で先 生 か ら教 え ら れ た こと は非常 に多 く
のも のがあ るが、 到底 、 私 の及ば な いも のを 先 生 が持 って い
た と言 う ことも 心 か ら感 じ て居 る この頃 であ る。
であ り、最近 ︵一九 八六年 ︶印象派美術館 の殆 ど の作 品と、
ルーヴ ル美術館 所蔵 の 一部を移 設したオ ルセー美術館 が、 こ
れ に加わり、十 一大美術館 とな った。
夫 々の美術館 は、絵 画 及び彫像等 、数 に於 て数千 とも数万
4
と も 云 わ れ て いる。
影 によ る立 体感 を 表
いて いるが 、 十 五 世紀 の前 半 に遠 近 法 ︵
人 は 、 二万年 も前 か ら絵 を 描 いてき た と 云 わ れ て いる。 ラ
の エルミ タ ージ ュ美 術 館 、 オ ルセ ー美 術 館 等 が 最適 であ る。
ーヴ ル美 術館 、 民放 の ルネ ッサ ン ス物 語 、 又、 最 近 のN H K
知 っておく 必要 があ り、 これ には曽 て放 映 され た N H K の ル
な る。 そ し て更 に、 レオ ナ ルド、 ミケ ラ ンジ ェロ、 そ し て ラ
の作 品を 発 表 し た ボ ッテ ィ チ ェリが 現 れ盛 期 ルネ ッサ ン スと
いろ な 手 法 が 用 ひら れ る様 にな った。
更 に、 十 五 世紀 後 半 には ギ リ シ ャ時代 の古 典 に基 づ く多 く
古 代 ギ リ シ ャ、 ロー マ時 代 を も 再 認 識 し、絵 画 に捺 ても いろ
ら所 謂、 ルネ ッサ ンスと 云 わ れ る新 し い時代 に入 る。
即 ち 、神中 心 であ った時代 から 人 間自身 の価 値 を 見直 し、
す 画 法 ︶が マサ ッチ ョ等 によ り発 明 され てきた。 この時 期 か
ス コー の洞 窟 画 、 エジ プ ト の貴 族 の墓 、 ポ ン ペイ の追 跡 な ど
ハァ エ ロと続 く ルネ ッサ ンス三大 巨 人 の登 場 とな る。
各 美 術 館 には其 の主 題 にな る コレ ク シ ョンに時代 性 と地域
性 が あ る。 従 って、 そ れ ら の鑑賞 には 予 め基 本 的な絵 画 史 を
は そ れを 裏 付 け て いる。 ポ ン ペイ の追 跡 を 見 る機会 が あ った
︵
1︶ ウ フ ィ ツ ィ美 術 館
が 、人 山 灰 に覆 わ れ て保 護 され て いた せ いか現在 も 鮮 や かな
色 彩 が残 って いる。
であ る。 見終 わ って外 に出 る と市会 宮 殿 の横 に、 ミケ ラ ンジ
には先 に述 べた 前 期 ルネ ッサ ンス のチ マブ ー エ、 ジ ョ ット、
ヴ ェロ ッキ ョの作 品群 にま じ って、 レオ ナ ルド の初 期 の作 品
﹃
受胎 告 知﹄ が さりげ な く 展 示 し てあ る。 又、 ラ ハ ァ エロの
﹃ひわ の聖 母 ﹄ 某 く す リ メーカ ー の広 告 によく使 わ れ て いる
ヴ ィーナ スの誕生﹄ 等 が続 いて いる。 そ
ボ ッテ ィ チ ェリ の ﹃
の他 の時 代 の作 品 も数 多 くあ るが 、先 に述 べた様 な絵 が主 題
イ タリ ア ルネ ッサ ン ス発 祥 の地 フィ レ ン ツ ェに在 る。 こ こ
ゴ シ ック形 式 と は、 高 く 天 上 に讐 え ると いう事 を 意 味 し、
そ れ は さ てお き、 美 術 史 の上 か ら は絵 画 も建 築 と同 様 イ タ
こ の時 代 には数 々 の教会 が建 設 され、 そ の建 造 物 と そ れ に付
ェロのダビ デ の像 ︵
此 処 にあ る のは イ ミ テー シ ョンで本 物 は
リ ア イ 不 ッサ ンス以 前 は、
随 した 調 度 品等 が 、主 な美 術 品 であ る。 そ の代 表 が パ リ の ノ
十 世紀 ︱十 二世紀 ︶
ロ マネ スク ︵
ゴ シ ック ︵
十 二世紀 ︱十 五世紀 ︶
と、 分類 され て いる。
ビ サ ンチ ン ︵
四世 紀 ︱十 三世紀 ︶
ート ルダ ム寺 院 であ り 四世紀 よ り何 度 にも わ た って改築 が行
︵
六個 の九 薬 を 意 味 す る ︶が 見 ら れ る。
アカ デ ミヤ美 術館 内 にあ る︶が建 って いる。 又、 いろ いろな
建 物 に これ ら の芸 術 家 の スポ ンサ ー であ った メジ チ家 の紋 章
わ れ 、 現 在 のゴ シ ック様式 にな った のは十 三世紀 で、南 側 か
ら の全 景 には ロ マネ スク様式 も残 って いる。
こ こは、 ロー マのサ ンピ エト ロ聖 堂 の隣 に位 置 し て いる。
︵
2︶ ヴ ァテ ィカ ン美 術 館
り、
一つの成 律 の下 にあ った 。十 四世紀 の初 め、イ タリ ア北
入 国 の大 広 間 か ら ラセ ン階段 で三階 に上 が る。突 き当 りが絵
し か し、絵 画 に於 て これ ら中 世 の作 品 は 、殆 ど宗 教 画 であ
部 に、 チ マブ ー エ、 ジ ョット等 が 新 形式 によ る聖 母 子像 を 描
5
、
画 館 であ る。中 世ビ サ ンテ ィ ンか ら 近代 に至 る多 く の作 品
、
及び 、 彫像 が収 め ら れ て いる。 し かし 何 と言 っても こ この
主 題 は ラ ハァ エ ロと ミケ ラ ンジ ェロによ って描 か れ た フレ ス
、
コ画 であ る。 ラ ハァ エロの署 名 の間 の正 面 には ギ リ シ ャ文
、
化 はな や かな り し頃 の人文 、 及び 、自 然科 学 者 哲 学者 等 を
描 いた有 名 な ﹃アテネ の学 堂 ﹄ が 遠 近 法を 用 ひ て描 かれ て い
z
e。
、
即 ち 、 そ の中 央 にはプ ラト ンと アリ スト テ レ スを 配 し 左
、
右 には ソク ラテ ス、ピ タゴ ラ ス、 ュー クリ ット等 々数 十 名 が
レオ ナ ルド、 ミケ ラ ンジ ェロ、 ブ ラ マンテ等 を モデ ルにし て
。
描 かれ て いる。 ラ ハァ エ ロ自身 の自 画像 も片 隅 にあ る
この絵 は、当 時 、 法 王 ユリ ウ スニ世 の要 請 によ って ラ ハァ
エ ロが 描 いたも のであ るが 、 そ の頃 マルチ ン ・ルー テ ルによ
って宗 教 改革 が叫 ば れ 、 ロー マ教会 に対 し てそ の波 が押 し寄
、
せ てき た 。 ユリ ウ スニ世 は 、 ﹁アテネ に代 表 され る学 術 と
キ リ スト教 が 必ず し も異質 的 な も の でな く 調 和出 来 るも ので
あ る﹂ と主張 し た為 であ る。
聖 体 の論 議 ﹄ が 描 かれ、 次 の間 に
そ の部 屋 の対面 には、 ﹃
﹃
神 殿 から撃 退 され る ヘ
聖 ペテ ロの解 放 ﹄ ﹃
詩 人 の山
は ﹃
﹄
キ
リ オド ロ﹄ 等 が続 いて いる。 廊 下 の突 き当 り には有 名 な ﹃
、
リ スト の変容 ﹄ が 展 示 され て いる。 そ の他 旧約 聖 書 物 話 が
廊 下 の天丼 画 と し て描 かれ て いる。 これ らを 見終 わ って下 に
も ど ってく ると シ ステ ィナ大 聖 堂 に入 る。 そ この壁 面 及び 天
最 期 の審 判 であ る。下 よ り、
井 は、 ミ ケ ラ ンジ ェロの大 作 ﹃
﹄
、筋 骨 隆 々と し た
地 獄 、 現世 、 天 上 界 と続 き、 そ の中 心 には
キ リ ストが 、 菩 人 と悪 人を 選別 し て いる壮 絶 な る フレ ス コ画
最後 の晩 餐﹄ は
ち な み に、 レオ ナ ルド の有 名 な ﹃
であ る。 ︵
、
ミ ラ ノのサ ンタ ・マリ ア ・テ レ ・グ ラ ツィ エ聖 堂 にあ るが
現 在 修 復 中 であ る。 又、 ラ ハ ァ エ ロの ﹃アテネ の学 生 ﹄ の下
、
絵 は 同 じ ミ ラ ノの ア ンブ ロジ オ絵 画館 にあ るが 私 は未 だ 見
て いな じ 。
これ だ け 見 る と 非 常 に疲 れ る 。 出 口近 く に レ スト ラ ンが あ
る 。 セ ル フサ ーヴ ィ ス であ る が こ こ の アイ ス ク リ ー ム は 素 晴
ら し く 美 味 であ る 。 お そ ら く 尼 さ ん の手 作 り で で も あ ろ う か
、そ
? ロー マの休 日 に真 似 て ス ペイ ン広 場 で も 食 べ て み た が
れ 程 で も な か った 。
、
ロー マで忘 れ てな ら な いの は サ ンピ エト ロ寺 院 にあ る ミ
ピ エタ﹄ であ る。 人 類 の造 った 最
ケ ラ ンジ ェ ロの大 理 石 の ﹃
高 の傑 作 で は あ る ま いか 。 キ リ スト の遺 体 を か か え た 哀 愁 に
一日 見 た ら 忘 れ ら れ な い。 残 念 な こと
満 ち た マリ ア の像 は 、
、観 光 客 に い
に今 年 の春 ロー マに旅 行 し た 某 氏 の話 に よ れ ば
た ず ら さ れ た の で、 ガ ラ ス の ケ ー ス に 入 れ ら れ た と の こと で
あ る 。 誠 に嘆 か わ し い こと であ る 。
こ こで再 び 絵 画史 にも ど る こと にす る。 イ タ リ アルネ ッサ
。 しか
ン ス初 期 の頃 、 北 方 では未 だ ゴ シ ック の時代 であ った
し 、 フラ ンド ル地 方 ︵ベ ルギ ー︶を中 心 と し て フ ァン ・アイ
ク等 フラ ンド ル絵 画 が 発 展 し、十 六世 紀 に入 ると ドイ ツルネ
。
ッサ ンス画 家 と し て、 デ ュー ラー、 ク ラナ ハ、 ホ ルバイ ン等
著 名 な 画 家 の登 場 とな る。 これ らを 北 方 ルネ ッサ ンスと称 す
ZO
、
。
更 に、十七世紀 に入リバ ロック絵画 の時代 とな る バ ロッ
。
クとは、細 か い装節 的技法を重 んず ると いう様式 であ る そ
6
ト マス ・ホ ーヴ ィ ング著 ︶と いう
付 いては、 ﹃
名 画 狩 り﹄ ︵
鏡 の前 のヴ ィー サ
文春 文庫 本 が あ る。 スト ー リ ーは、 この ﹃
侯爵 令 嬢 ﹄ が売 り
ス﹄ と対を な す ベ ラ スケ スの幻 の名 画 、 ﹃
に出 され て、 そ のオ ー クシ ョンを めぐ り世 界 の有 名 美術 館 の
の代 表 は、 ルー ベ ン ス ︵ベ ルギ ー ︶、 ラ ・ト ゥー ル ︵フラ ン
ス︶、 レ ンブ ラ ント ︵オ ラ ンダ ︶、 ベ ラ スケ ス ︵ス ペイ ン︶
、
等 であ る。特 に、 ルー ベ ン ス、 レ ンブ ラ ント は 光 と影 の画
聖大 エ ヨ ハネ﹄
家 と し て有 名 でぁ る。 又、 ラ ・ト ゥー ルの ﹃
真 実 性 があ り 非常 に面 白 い。
そ こに新古 典主 義 、 少 し おく れ て ロ マン主 義 の二大潮 流 が画
人 が有 名 でぁ る。
の美 であ る。 ワト ー、 ブ ー シ ェ、 フラゴ ナ ー ル、 ルブ ラ ン夫
盛 期 であ リ ロ コ コの時代 であ った。 ロ コ コと は、典 雅 な曲 線
バ ロ ック に続 く絵 画 は、 フラ ンス革命 前 期 ブ ルボ ン王朝 全
著 者 は、 元 メト ロポ リ タ ン美 術館 長 であ る ので スト ー リ ー に
コレ クタ ーが 、権 謀 術 数 を く り ひろげ ると いう内 容 であ る。
キ リ スト ︶
︵ルーヴ ル美 術館 所 蔵 ︶ の中 に描 か れ た幼 き 子 ︵
が 手を 添 え てかざ す ロー ソク の光 の表 現 は 見事 であ る。
ウ ィー ン︶
︵
3︶ 美 術史 博 物 館 ︵
ミ ュン ヘン︶
︵
4︶ ア ルテ ・ピ ナ コテ ーク ︵
ロンド ン︶
︵
5︶ ナ シ ョナ ル ・ギ ャラ リ ー ︵
画を 取 り揃 え て いる。
壇 を 支 配 す る こと にな る。
これ ら の美 術館 は、 いず れ も堂 々と した建 物 で各 時 代 の絵
美 術 史 博 物 館 は、名 門 ハプ スブ ルク家 の コレ クシ ョンを 中
心 と した も の であ り 、 アル テ ・ピ ナ コテー クは 近世絵 画 を 集
新古 典 主 義 は 、 ダビ ット ︵フラ ンス︶によ っては じ めら れ 、
フラ ンス革 命 を 境 にし て、絵 画 の メ ッカは パ リ にな った 。
め た ノイ エ ・ピ ナ コテ ー クと対を な し て いる。 こ こで即象 が
変 的 な 理性 に対 す る信 仰 であ る。 グビ ット は、美 術 家 は哲 学
グ ロ、 ア ング ルと続 く 。新古 典主 義 と は、 デカ ルト以来 の不
者 であ らね ば な ら な いと断 言 し て いる。
強 か った のは、 バ ロ ック の次 の時代 、 ロ コ コ画家 、 ブ ー シ ェ
の描 いた 、 彼 のパト ロンであ るポ ンパ ド ー ル婦 人像 であ った 。
ナ シ ョナ ル ・ギ ャラリ ーは、 ト ラ ハァルガ ー広 場 のネ ル ソ
集 にはあ ま り熱を いれ な か った。 十 九 世紀 半ば に、未 だ 美 術
を 核 と し て発 足 し て いる。 し か し、 イ ギ リ ス王室 は絵 画 の収
活 躍 した 、 ル ソー、 ミ レー、 コ ロー等 は バ ルビ ゾ ン派 と し て
いる。 又、 パ リ郊外 の フォ ンテー ヌブ ロー地 方を 中 心 にし て
であ り、 ボ ード ・レー ルは、 新 し い感 受性 の発 見 と定 義 し て
は、 ビ クト ル ・ユーゴ ー によ れば 、 遅 れ てき た フラ ン ス革命
ド ラク ロワ ︵フラ ンス︶ によ って確 立 された 。 ロ マン主 義 と
、
、 ゴ ヤ ︵ス ペイ ン︶
ロ マン主 義 は 、 ジ ュリ コー ︵フラ ンス︶
ン提 督 像 の前 に位置 し て いる。 ルーヴ ル、 プ ラド 、 エルミ タ
品 の購 入 に比較 的容 易 だ った時 代 に、 チ ャー ルズ ・イ ー スト
レー ク卿 によ って大 量 に集 めら れ た 。 イ タ リ アルネ ッサ ンス
一派 を 成 し て いる。
ージ ュ等 ヨー ロ ッパ の大 美 術 館 の殆 ど が、 王室 コレ ク シ ョン
の逸 品を中 心 に、数 こそ少 な いが 、 質 的 には三大 美 術 館 に入
6︶プ ラ ド美 術館
︵
る と言 わ れ て いる。 こ こでは、専 ら王 家 の肖像 画 で知 ら れ る
鏡 の前 のヴ ィーナ ス﹄ が 目を ひく 。 この絵 に
ベ ラ スケ スの ﹃
7
マド リ ード の中 心地 にあ り 、建 築 は ス ペイ ン古 典 主 義 の代
表 フ ァン ・ビ リ ヤ ー ヌ エバ ー の傑 作 であ り、 入 口中 央 には ベ
、
ラ スケ ス の生像 が置 かれ てあ る。 こ この所蔵 作 品 は 六千 点
を 越 え ると云 ひ、工室 コレ クシ ョンが中 心 とな って いる。 こ
宮 廷 の侍 女 た ち﹄
こ の主 要 な 作 品 と し ては、 ベ ラ スケ ス の ﹃
ギ リ シ ャ人画 家 エル ・グ レ コの 一連 の宗 教 画 、 ス ペイ ンの ラ
無 垢 受 胎﹄ 等 であ る。
ハァ エ ロと いわ れた ムリ ーリ ョの ﹃
、﹃
裸 の マ ハ﹄
近代 絵 画 の先 駆 者 と 云 わ れ た ゴ ヤ の、有 名 な
﹃
着 衣 の マハ﹄ 及び ﹃マド リ ード 一人〇 八年 五 月 三 日﹄ な ど
ゲ ル ニカ﹄ は 別
も あ る。 ア メリ ヵょ り返 還 され たピ カ ソの ﹃
館 に展 示 され て いる。
︵
7︶ ルーヴ ル美 術館
。
セ ー ヌの河 畔 にあ る世 界第 一級 の美 術館 であ る この建 物
は、 フラ ン ソワ 一世 によ って建 築 され た 。昨 年 、 フラ ンス革
命 二〇 〇年 を 記念 し て、 入 口にガ ラ スのピ ラミ ッドが建 造 さ
れ た 。 ビ サ ンティ ン時代 より 印象 派 以前 の各 時 代 の著 名 な画
家 の作 品 が網 羅 され てお り、 レオ ナ ルド の ﹃モナ リザ﹄ を は
、
じめ、 ラ ハァ エロ、 ルー ベ ンス、 レ ンブ ラ ント、 ワト ー 次
ナポ レオ
いで、 ナポ レオ ンの宮 廷 画 家 とな った ダ ビ ット の ﹃
ン 一世 の戴 冠式 ﹄ 、 ア ング ル の ﹃オグ リ スク﹄ 、 ド ラ ク ロヮ
、
民衆 を 率 いる自由 の女 榊 ﹄を 始 め とす る 一連 の作 品 が
の ﹃
所 狭 しと 並 ん で いる。 此 の美 術 館 を 訪 れ るだ け で、 印象 派 以
前 の絵 画史 に登 場 す る有 名 画家 のす べ て の作 品を観 賞 出 来 る
と云 っても 過言 では な い。
一九世紀 の前 半 は、新古 典 主 義 の ア ング ル ロ マン主 義 のド
ラ ク ロヮによ って絵 画史 が支 配 され た 。
一八 五 五年 のパ リ万 国博 覧 会 は、 そ の二大 巨匠 に特 別 展 示
一方 で、十 四 の作 品を 送
室 が 与 え ら れ そ の画業 を 称 へたが 、
、
り つけ た が そ の大 部 分 が審 査 員 達 によ って拒否 され た の で
、万国博
会 場 のす じ向 か い側 の建 物 を 借 り て自 ら個 展を 開 き
と同 じ入場 料 ︵一フラ ン︶を 徴 集 し た画 家 が いる。 そ の人 の
名 が 、後 に即象 派 グ ループ の結 集 に決定 的 な 影響 を 与 え た ク
、
ー ル ベであ る。 し か し、 こ こを 訪 れ る人 は少 な く 展覧 会 と
オル
し ては失 敗 であ った 。 彼 は、 自 ら写 実 主 義 者 と名 乗 り ﹃
ナ ンの埋葬 ﹄ 等 が 有 名 でぁ る。
一人七 四年 のパ リ のキ ャピ ュシ ー ヌ大 通 二 五番 地 に
更 に、
あ った ナ ダ ー ル写 真 館 の二階 で 一群 の若 者 達 が展 覧会 を 開 い
、
、
た 。 この時 、か 加 し た のは f 不、 シ ス レー、 ピ サ ロ ド ガ
ル ノ アー ル、 セザ ン ヌを 含 む 三十 名 の画 家 た ち で、 展 示 され
た作 品 の数 は 一六 五点 であ った 。 し かし 、 開会 十 日後 の四 月
二十 五 日、 批 評家 ル ロアによ って酷 評 され た 。 この批 評 の題
即象 派 の展覧 会 ﹄ と いう 見出 し であ り、 そ の意 味 では
名が ﹃
ル ロアが 印象 主 義 を絵 画 史 に定 着 さ せた功 労 者 と も 云 え る。
又、 別 な説 によ れば 、 印象 と云う 言葉 は この時 出 品 され た モ
ネ の絵 ﹃
即象 ・日 の出 ﹄ ︵パ リ ・マル モ ンタ ン美 術 館 ︶か ら
出 た とも 云 わ れ て いる。 現 在 では、 これ よ り少 し早 く登 場 し
た、 所 謂 、浮 世絵 よ り のイ マジネ ー シ ョンを 取 り入 れ た と言
草 上 の昼 食 ﹄
われ る ﹃
笛 吹 き の少 年 ﹄ や 、当 時 非難 を 受 け た ﹃
、
な ど の作 家 マネ 、 及び 、 印象 派 旗 上げ におく れ て登 場 し た
ゴ ッホ、 ゴ ーギ ャ ンな どを 含 め印象 主 義 作 家 と云 わ れ て いる。
︵
8︶ オ ルセ ー美 術 館
こ こは、 セ ー ヌ川を 隔 て て、 ルーヴ ル美術 館 の向 か いにあ
8
る。
一九 八 六年 十 二月 に開館 され た 。 入 国 の右 側 に、 ア ング
ル ︵
泉 ・ほ か ︶、 ド ラ ク ロア ︵ライ オ ン狩 り ・ほ か ︶次 いで、
晩鐘 ﹄
落 ち穂 拾 い﹄ ﹃
左 側 にバ ルビ ゾ ン派 の巨匠 ミ レー の ﹃
が並 び 、 クー ル ベ、 コローと続 く 。 最 上 階 に マネ 、 モネ 、 ル
ノ ァー ル、 ゴ ッホ、 ロート レ ック、 ゴ ーギ ャ ン等 即象 派 を 代
表 す る画家 の作 品群 の展 示室 が あ る。
日本 人 に最 も 親 し み深 いル ノ アー ル の作 品 で、 最 近 、高 額
な落 札 で有 名 にな った ﹃ム ー ラ ン ・ド ・ラ ・ギ ャレ ット﹄ も
こ こにあ る。
多 元 的 な時 代 とな った 。 し か し、芸 術 の根 源 は観 念 や 知 識 で
なく 、感 覚 や 愛情 であ ると訴 え たピ カ ソの有 名 な 言葉 、 ﹁み
ん な 、芸 術 と な ると 理解 した が る。 そ れな ら な ぜ 小鳥 の歌を
理 解 し よう と し な いのだ ろう 。﹂ と嘆 か せた様 に、 所詮 、 そ
れ ら の絵 を 観 す る各 々個 人 の感 受性 が 問 題 な のであ る。
こ こで私 の独 断 と偏 見 とな る。
音 楽 にお いても 、 自 分 の好 きな曲 と、 聞 きた く な い曲 があ
る様 に、絵 画 にお いても数 多 く 見 て いく う ち に何 度 見 ても感
一度 見 れば も う 沢 山 と い
心 す る絵 、 又 は、 心 に訴 え る絵 と、
う絵 があ った 。 私 は、主 義 ・派 を 越 え て何 回 も 見 た いと思 う
絵 は 、 ルネ ッサ ンスでは 、 ラ ハァ エロであ り、 グ ビ ット、 グ
ロ、 ア ング ルに代 表 され る新古 典主 義 の 一連 の作 品 と、 ロ マ
ン主 義 のド ラ ク ロワの ルーヴ ル美術 館 に展 示 され て いる数 点 、
印象 派 の モネ と ル ノ ァー ルであ る。未 だ 見 て いな い作 品 では、
レ ンブ ラ ント の ﹃
夜 警 ﹄ であ る。
﹁
ナポ リを み て死 ね﹂ と いう 言葉 があ る。 そ のく ら いナ ポ
ナ ポ リを 見 て いち いち 死 ん で いた ら かな わな い。 し か し、 ル
リは美 し いと いう こと であ ろう が 、 ナポ リを 見 た が た いし た
ことは な い。 グ ラバ ー邸 よ り 見 た 長 崎 と そ れ程違 いは な い。
展 示し てあ る。
一度 見 た ら 又、 見 た く な
な と いう のが 、 今 の感 想 であ るし、
一つの主題 の
有名 な絵 が 二枚あ ると いう事 は、 よくあ る。
も のを同時 に二枚描 いた例 は、 いく つかあ る。グ ロ作 ﹃アル
コル河 のナポ レオ ン は、 ルーヴ ル美術館 と エルミタージ ュ
﹄
ナポ レオ ン 一世 の戴冠式﹄
美術館 にあ る。 又、グビ ット の ﹃
は ルーブ ル美術館 と ベ ルサイ ユ宮 殿 にあ る。山梨県立美術館
で買 い入れた、 ミレーの ﹃
種まく人﹄ は、 ボ スト ン美術館 に
落ち穂拾 い﹄も大 小それぞれ数点あ る。 パリ郊外
もあ る。 ﹃
房が現存 し て いる。
フォンテー ヌブ ローの近く にミレーの工一
落 ち穂拾 い﹄ の下絵 のデ ッサ ンなどが
小 さ い部屋 であ るが ﹃
ついで、有 な モネ の水道 の大作 は、 ルーヴ ル美術館 より
名
一室 が連
歩 いて十分ぐら いのオ ラ ンジ ェリー美術館 にあ る。
私 は数 回 訪 れ てみた が 、 そ の度 に感 動を 引 き起 こし てく れ
る。 ルーヴ ル、 オ ル セ ーは訪 れ た 人を 決 し て裏 切 らな い。
ると いう のも 実感 であ る。
ーヴ ルを 、 オ ルセ ーを 、ヴ ァテ ィカ ン美 術館 を 見 るま で死 ぬ
一見 に値 す る。
続 的な水遵 の絵を円形 に展示し て いる。
二十世紀 には いると、 アー ル ・ヌーボ ー ︵クリムト等 ︶、
キ ュービ スム ︵レジ ェ等 ︶、 フォービ スム ︵マチ ス等 ︶、更
に、 エコー ル ・ド ・パリ ︵モジ リ アー ニ、 ユトリ ロ等 ︶、ピ
カ ソに代表 され るシ ュー ルレ アリ スム、 と続 いてきた。正 に、
9
聴くくす
︱ 卜 Ⅱ
郎
安 斎 折口
パ
歩 く音 楽 辞 典 ﹂ を
て疑 わな いのだ が 、 そう 言 わ れ てみ る と ﹁
自 認 す る僕 とし て いさ さか心 配 でも あ る。多 分真 相 は 日本 人
の誰 に でも 親 し み のあ る メ ロデ ィを ク ラシ ック音 楽 に仕 立 て
誰 かが童 謡 に仕 立 てたも のと信 じ て いた し、今 でも そう 信 じ
曲 の メ ロデ ィ に日本 語 の歌詞 を 付 け た も のだ と信 じ込 ま れ た
、
ら し い。 僕 はそ のC Dシ リ ーズ の目録 を 見 た わ け ではな いが
僕 の知 る限 リ ド ジ ョ ッコフナ ッコはあ く ま でも ド ジ ョ ッコフ
ナ ッ コであ って、東 北 某 地 方 のわ ら べ歌を も と に中 田喜 直 か
聴 く とも な し にそ の C D シリ ーズ を 片 端 か ら聴 いて いるう ち
に、 ド ジ ョ ッヨフナ ッ コが出 てきた の で、 多 分 これ ま で 日本
詩と信 じ て疑 わな か った この歌 が 、 実 は ク ラシ ック の名
の童 一
音楽 療 法 シ リ ーズ ﹂ の C D の中 にド
と、某 音 楽 ソ フト社 の ﹁
ジ ョッ コフナ ッ コの メ ロデ ィを オ ー ケ スト ラで演 奏 した も の
が あ る のだ と言 う 。 A先 生 は 別 に解説 を 読 んだ わ け ではな く 、
某 日 A先 生 と杯 を 交 しな が ら の会 話 の途 中 、 A先 生 いきな
ドジ ョ ッコフナ ッ コ って ぇ のは ク ラシ ックな んだ ね え 、
り ﹁
俺 は じ め て知 った よ﹂ と お っし ゃる。何 ご と か と聞 いてみ る
り
てオ ー ケ スト ラ演 奏 を し てみた も のだ ろう と思 う 。 この テ の
四季 ﹂ を も
演 奏 が かな り流 行 って いて、ヴ ィヴ ァルデ ィ の ﹁
じ って、 ﹁さく ら さく ら﹂ や ﹁おぼ ろ月 夜 ﹂ な ど の メ ロデ ィ
を イ タ リ ア ・バ ロ ック の様式 、 ス タイ ルで組 立 てた 早 川正 昭
作曲 ﹁
日本 の四季 ﹂ な ど と いう曲 が桐 邦 学 園 オ ーケ スト ラ の
海 外 演 奏 旅 行 で取 上げ ら れ、 ヨー ロ ッパ で大 喝 条 を 博 し た こ
と もあ る。 僕 自身 、 七年 ほ ど前 に南 部 十 追 い唄 、大 漁 歌 い込
み、島 原 の子守 唄 、 ソー ラ ン節 を 組合 わ せた ﹁チ ェロとピ ア
ノ のた め の四 つの日本 民謡 ﹂ と いう 曲 を 作 って室 蘭 市 民音 楽
祭 で自 作 自演 し た こと が あ る。他 人様 の作 った メ ロデ ィを 拝
借 す る のは創 作 の才 が 不要 だ か ら誰 に でも出 来 る し、 あ と は
ハー モ ニーを つけ る と いう 数 学 的な 作 業 で、 おま け に自 分 で
弾 き易 いよう に技 術 的 な 手加 減 が幾 ら でも出 来 るか ら大 変 楽 一
0
1
な のであ る。 さ ら に、 民謡 な ら著 作権 料 を 支 払 う 必要 も な い。
五年 ほど前 に札 幌 のあ る弦 楽 合 奏 団 を 引 率 し て台湾 に演 奏 旅 一
行 に行 った時 には 、 これを さら に オ ーケ スト ラ用 に編曲 し、
そ の中 に中華 民国 の民 謡 の幾 つかを 同 じく オ ーケ スト ラに編
華 国 民謡曲 集 ﹂ と銘 打 って、
曲 した も のを 交 互 に配 列 し て ﹁
現 地 のオ ー ケ スト ラと こち ら のメ ンバ ーと の合 同演 奏 を 指 揮
し て結 構 好 評を 戴 いた ことも あ る。 こ の楽 譜 は 手生 産代 り に
現 地 のオ ー ケ スト ラに進 呈 し て来 た 。
和 歌 や俳 句 の盗 作 だ の、 ポ スタ ー の写真 の盗 作 、 は ては某
文学 賞 受賞 作 品 が 全 面盗 作 だ った な ど と いう 話 は時 折 聞 く し、
推 理 小説 のプ ロ ット の盗 用な ど と いう 話 も あ るが 、音 楽 の世
界 ではあ ま り盗 作物 語 は聞 かな い。 モー ツ ァルト の最後 の作
品 ﹁レ クイ エム﹂ は未 完 に終 った が 、 これ は音 楽 が好 きだ が
才 能 ゼ ロのあ る金 持 ち が何 が し か の謝金 で モー ツ ァルト に作
曲 を 依 頼 し、完 成 の暁 には自 作 と し て発 表 し よう と いう 魂 胆
だ った と いう 。依頼 人 が匿 名 だ った た め 、 死 期 の迫 った モー
ツ ァルト は テ ッキ リ地 獄 の使 者 だ と思 い込 んだ と いう 有 名 な
、
逸 話 は オ マケだ が 、 この時代 には著 作権 知 的 所 有権 と いう
思 想 は まだ 無 か った から 、 この金 持 ち は 別 に悪 事 を す る と い
う 意 識 は無 か った のであ る。
盗 作 と は別 に、既 成 の音 楽 に瓜 二 つの メ ロデ ィが 偶 然出 来
てしま う こと は よく ぁ る。 ベ ート ーヴ ェン作 曲 交響 曲 第 二番
﹁エ ロイ カ﹂ と いえ ば 、 別 に鳥賊 の猥 談 な ど では な く 、 誰 知
英 雄﹂ だ が 、 そ の出 だ し の メ
ら ぬ 人も いな い名 曲 中 の名 曲 ﹁
、
し たが って全篇 の主 題 ︶ は モー ツ ァルト作 曲 歌劇
ロデ ィ ︵
﹁
バ スチ ア ンと バ スチ エン ヌ﹂序 曲 の主 題 と完 全 に 一致 し て
いる。 ド ー ミド ー ソド ミ ソド ーと いぅ単 純 明快 な る こと この
自 然倍 音 ︶
上 な いメ ロデ ィ で、 昔 の軍 隊 ラ ッパ でも 吹 け る音 ︵
ば か りだ か ら 、 モ先 生 も べ先 生も き わ め て自 然 に 口づ さ み つ
つ五線 紙 に書 き込 んだ も のだ ろう 。 同 じ交 響 曲 の終 楽 章 では
プ ロメ テゥ スの創 造 物 ﹂ の メ ロデ
べ先 生 自作 のバ レー音 楽 ﹁
ィが そ っく り使 わ れ て いるが 、 これ は自作 だ か ら盗 作 では な
く 、流 用と言 う べきだ ろう 。 べ先 生 こ の メ ロデ ィが ぃたく 気
に入 って いた ら しく 、他 にピ アノ の為 の大 変 奏 曲 でも 同 じ主
英 雄 変奏 曲 ﹂ と呼 ん で いる
題 が使 わ れ て いて、後 世 これを ﹁
が 、作 曲 年 代 か ら言 えば 変 奏 曲 の方 が 先 であ る。 な お ベ ート
献 堂式 ﹄ と いう曲 には ヘンデ ル の ﹃メサイ ァ﹄
ーヴ ェンの ﹃
の中 の ﹁ハレ ルヤ﹂ と瓜 二 つの部 分 が あ る。
、
音 楽 仲 間 が集 って弦 楽 四重奏 曲 を弾 きま く って いると き
﹁
次 は何 を や ろう か﹂ ﹁シ ョシ ョジ にす べえ﹂ な ど と言 う こ
、
とが あ る。 モー ツ ァルト作 由 の数 あ る弦 楽 四 重奏 曲 の中 に
コンョ ッ、 シ ョ ッ、 シ ョシ ョジ﹂ と全 く 同 じ メ ロデ ィ で始 ま
る曲 が あ る のだ 。 同 じく モー ツ ァルト作 曲 のバイ オ リ ン協 奏
。
曲 第 五番 を 楽 隊 仲 間 は ﹁コガネ ムシ﹂ と呼 ぶ 終 楽 章 のト ル
カネ グ ラタ ー テ タ ク ラタ テタ﹂ と いう 一
コ風 ロンド の中 に ﹁
ふしが あ る のだ 。 これ ら は共 に時 代 から言 えば モ先 生 の方 が
、
先 で、 おま け に東 洋 と遠 く 離 れ た ヨー ロ ッパ で の ことだ から
全 く の偶 然 と し か言 いよう が な く 、 ま た 日本 の童 謡作 曲 家 だ
って別 に モー ツ ァルトな ど意 識 し た わ け ではな か っただ ろう
から 、 マ、 人 間 性 の自 然 に根 ざ した旋 律 だ と解釈 す る のが 良
知床 旅情 ﹂ も盗 作 だ と いう 論 議 が
か ろう 。森 繁 ブ シ の代 表 ﹁
英 雄﹂ の主 題 と同 じく き わ
あ った が 、 あ の メ ロデ ィは前 述 ﹁
め て自 然 で、 ﹁ソド ー ミ ソード⋮ ﹂ とゃ は り自 然倍 音 だ け の
知 一
出 だ し で始 ま るが 、そ のあ とを ﹁ド ラド ソー﹂と続 ければ ﹁
■
ド ー ラー﹂ と続 ければ ﹁
早春 譜 ﹂ にな り、
床 旅 情 ﹂ にな り、 ﹁
﹁ソー ミ ー﹂ と続 け れば モー ツ ァルト の歌曲 ﹁コムリ ー ベ ル 一
来 た れ 五 月 よ ︶﹂ にな る のだ 。 いま偶 然 モー ツ ァルト
マイ ︵
ば か り引 合 いに出 た が 、類 似 の例 は他 の作 曲 家 にもあ るだ ろ
う 。 だ が 、斯 く も モー ツ ァルトが引 合 いに出 され ると いう こ
とは 、 いか に彼 の メ ロデ ィが無 理 のな い自 然 の旋 律 であ るか
と いう 証左 かも 知 れ な い。
。
さ て、 話 が盗 作 や ソ ックリ サ ン談 義 にな ってし ま った そ
、
もそも ﹁
聴 く く す リ パ ートⅡ ﹂ と言 う から には前 号 の続 編
音 楽 療 法 談義 を 繰 り広げ る つも り で原 稿 用紙 を ひろげ た ︵い
、
や、 キ ーボ ード の前 に座 った ︶ のであ った。某 日 あ る音 楽
ソ フト屋 の回 し者 が ロー タリ ー ク ラブを 襲 って卓 話 の時 間を
占 領 し て宣 伝 し た のだ が 、 マン マと師 され て大 金 を 投 じ て C
Dシ リ ーズ を 購 入 され た A先 生 が ドジ ョソ コフナ ッ コを 発 見
され た と いう 所 か ら この文章 が始 ま った の であ った 。 ﹁
脱線
自 在 な僕 の筆 の こと故 、 結 論 は保 証 の限 り では な い﹂ と前 号
にも 警 告 し た でし ょう 。警 告 と言 え ば 、
ど口楽 療 法 と称 し て
レ コード や C Dを 売 り込 む い い加減 な商 法 も あ る からご 用 心
が 肝 要 だ ﹂ とも前 号 に書 いた でし ょう 。 尤 も 、 A先 生 が C D
を 購 入 した のは波 久 鳥 前 号 発行 よ り先 だ った か な 。 A先 生購
曲 を 発 見 し てそ れを 聴 けば 健 康 を 回復 す る﹂ と言 う のだ 。占
星 術 思 想 そ のも のであ る。 ピ タゴ ラ スが宇 宙 の第 一原 理 は 人
間 の耳 には聴 こえ な い天 体 の音 楽 の ハー モ ニーだ と言 った と
いう ことだ が 、 これ は 三千年 前 の哲 学 ではあ っても 二十 一世
紀 の科 学 では な い。 マユツバ音 楽 療 法 の第 一は 一見科 学 的 に
見 え るが実 は我 田引 水 的 な 理論を 展 開 す るも の。 た とえば 、
音 楽 を 流 した 時 と そ れ 以 前 とを 比較 し て乳 量 が増 加 し た のは
であ り な が ら モー ツ ァルト が好 き でな い者 は カ タ ワだ ﹂ な ど
と いう 暴 論 が あ る。 た し か に畜合 に B G M ︵
バ ックグ ラウ ン
ド ・ミ ユージ ツク、 つま り 環境 音 楽 ︶ と し て モー ツ ァルト の
入 のシ リ ーズ と は別 の某 社 のシ リ ーズ のカ タ ログ が 手元 にあ
るが 、 ﹁
憂 鬱 症を 吹 き飛 ば す
悲 し みを や わ らげ る音 楽 や ﹁
﹂
音 楽 ﹂ は まあ音 楽 療 法 の 一部 と認 め てや る にし ても 、 ﹁
愛の
夜 を 演 出 す る音 楽 ﹂ ﹁スリ ムな美 人 にな るた め の音 楽 ﹂ な ど
と言 う に至 っては マユツバ ど ころ か、 これ が音 楽 療 法 だ と誤
﹁
乳 牛 で さえ畜 合 に音 楽 を 流 せば 乳 の採 取 量 が 増 加 す る のだ
から 、牛 には モー ツ ァルト の音 楽 が わ か る のだ 。 ま し て人 間
解 され ては甚 だ 迷惑 で、 日本 に正 統 な音 楽 療 法 が育 ち にく い
も 一定 にし てあ る のだ と は思 う が 、牛 には モー ツ ァルト の音
本 当 で、 そ こま では科 学 的実 験 結 果 だ し 、餌 や 水 な ど の条 件
僕 は決 し て音楽 療 法 の権 威 な ど ではな く 、漸 く 文献 を 漁 り
理由 の 一端 を 垣 間 見 る思 いだ 。
始 め たば かりな のだ が 、 そ の生 半 可 な 知識 でも 結構 重宝 され
う なも のも甚 だ多 い。 そも そも音 楽 療 法 の弱 点 の 一つは理論
ひそ か に思 う には これ は単 な る マスキ ング 効 果 であ ろう 。 拘
禁 状 態 にあ る牛 にと って、畜 合 の扉 開 閉音 そ の他 も ろも ろ の
め て人 間 的 な文 化 価 値 が 、前 頭葉 の未 発 達 な 乳牛 にどれ ほど
理解 や鑑賞 が でき る か は 、 知 る よ しも な いの であ って、 僕 が
デ ィ ックと いう 物 理 的 な音 の配 列 条 件 の違 い、 そ の他 クリ ア
し な け れば な らな い課 題 は沢 山あ る筈 だ 。音 楽 美 と いう き わ
楽 が わ か ると いう 証 拠 には な らな い。 モー ツ ァルト と ロ ック
を 比較 した かも 知 れ な いが 、音 量 の違 い、 リズ ミ ックと メ ロ
て これ ま で アチ ヨチ で講 演 な ど し て来 た し 、 この秋 も某 研究
会 の発 足 十 周年 記念 講 演 な ど依頼 され て いる。 いき お い本 屋
に入 っても音 楽 療 法 に関 す るも のを 見 つけ次 第 買 ってし まう
的根 拠 に乏 しく 、 経験 論 的 、暗 中 摸索 段 階 とも 言 え る時 点 を
出 て いな いこと な のだ が 、他 の各 種 心 理療 法 だ って、 理論 よ
内 外 の雑 音 は スト レ ス因 とな って いる であ ろう こと は想像 に
習 性 が出 来 上 って いるが 、 そ の中 には 買 ってから後 悔 す るよ
りも 実 践 が 先 行 す る こと は多 いのだ か ら これ は止 むを 得 ま い。
難 く な いか ら 、道 度 の環 境 音 楽 によ ってそ れを 逃 蔽す るだ け
で牛 の情 動 鎮 静 作 用が あ ると考 え る方 が 自 然 であ って、音 楽
白 ネ ズ ミ の迷 路学 習 実 験 で環 境 音 楽 と し て モー ツ ァルトを
的価 値 と は無 関係 だ 。
し か し せめ てそ の効 果 の判 定 や 予測 には科 学 的 態 度 は必 要 だ
と 思う のだ 。 非科 学 的 マユツバ音 楽 療 法 の第 一は ﹁
神 が かり
音 楽 療 法 ﹂ で、 こん な 例 があ る。 ﹁
人 は そ れ ぞ れ生 ま れ た 星
によ って固有 の振 動 数 を 持 って いる。 そ の振 動 数 に合 致 す る
―- 12 -―
流 し た 場合 と白 色 雑 音 とを 比較 す ると、 前者 の方 が学 習 成 績
本 に余 ろう か と いう 電 線 を つけ ら れ て、 恐 ろ しげ な器 械 の隣
り の鳥 籠 みた いな暗 い狭 い部 屋 に 一人 で入 れ られ 、 覗 き窓 か
脳波 を 取 りな が ら音 楽 を 聴 か せ て、 α波 が 誘導 され る音 楽 が
﹁
健康 に良 い﹂ と いう のだ 。 だ が どう も変 だ なあ 。 僕 ら病 院
で シ ョッチ ュウ脳 波 検 査 を し て いるが 、 サ ル のグ ルー ミ ング
が向 上 し た 、 と いう 実 験報 告 も あ る。 と ころが デ ー タを よく
見 ると 、 モー ツ ァルト と 対 照 ︵
無 音 ︶と の間 には統 計 的 な 有
意 差 は な く て、 ﹁
白 色 雑 音 が学 習成 績 を 低 下 さ せ る﹂ と いう
のが こ の実 験 の唯 一の結 論 であ る。報 告 者 は モ先 生 贔 戻だ か
ヽ
ら つい マウ スでさえ モー ツ ァルト が わ か ると思 い込 んだ のだ 。
﹁
そ れ では貴 公 が前 号 にバ ロ ック音 楽 が胎 教 に良 いと書 い
ら監 視 され ると いう スト レ ス フルな条 件 の中 で脳波 検 査 を し
ても 、 α波 が 得 られ る のは当 り前 。 α波 が素 直 に出 てく れ な
よ る しく 頭 髪 を 分 け て電極 糊 を塗 り つけ、 ︵
そ れ も前 夜 洗 髪
さ せた上 整 髪 料 の使 用を 禁 じ てあ る ︶そ こと耳 た ぶ に合 計 十
た のも 怪 し いこと にな るぞ ﹂ と いう声 が 聞 こえ る よう だ 。 な
る程 、胎 児 にバ ロ ックか ロ ックかな ぞ 解 る筈 は な い。だ が 、
胎 児 は母 親 の情 動 と いう フィ ルタ ーと 通 し て胎 教 の影 響 を 受
け て いる に違 いな い。多 分文 化 的 に進 化 し た 人 間 に のみ音 楽
購 入 した が 、僕 の嫌 いな 電 子楽 器 と リズ ム マシ ンによ る単 調
にし て思 わ せ ぶりな音 の洪 水 で、 逆 にイ ライ ラが募 るば かり
で、 どう も α波 説 には論 理 の飛 躍 があ るよう に思 え る。 そ の
い脳 が 異常 な んだ と教 え ら れた 。 最 近 の レ コード屋 には ﹁α
波 ミ ュージ ック コーナ ー﹂ な るも のが あ って、 この テ の ソ フ
ト が 沢 山並 べら れ て いる。 僕 も 眉 に唾 を つけ つ つCDを 1枚
意 味 は無 いの では な いか。学 者 ぶ って硬 い表 現を す れば 、 生
物 学 的進 化 と文化 的 進 化 と は同 じ過 程 の部 分 であ る。従 って
他 に f分 の 1説 な るも のも あ るが 、 いず れも ド グ マの域 を 出
な いよう だ 。 ゲ シ ュタ ルト 心 理学 でも 最 近 の認知 心 理学 でも 、
が あ る の であ って、 わ れ わ れ は小鳥 の声 を 美 し いと思 って聴
く が 、 小鳥 にと っては縄 張 り宣 言 や セ ック ス アピ ー ル以外 の
われ わ れ が音 楽 と呼 ぶ人 間 の文 化 の部 分 は文 化 的基 礎 と とも
に生物 学 的基 礎を も って いる こと にな る。 これを 敷 行す れば 、
あ る いは人 工頭 脳 の研 究 でも音 楽 認 知 の本 態 はま だ説 明 でき
て いな いよう だ か ら 、 ド グ マを 避 けた いな ら早急 に理論 展 開
を 急 ぐ べき では な か ろう 。 そも そも 先述 のご とく数 多 あ る心
理療 法 は いず れ も 理論 よ り経験 が先 行 し て、試 行錯 誤 を 経 て
人 間 の神 経 組 織 は単 な る動 物 的順 応 を 超 え て 的構 成 体 を 生
美
み、 そ の形 成 か ら は離 脱 でき な い。 かく し て ﹁
美 的 体 験 は環
境 への道 応 や順 応を 助 成 す る最 善 の工夫 の 一つにな り 得 る し、
そ れ無 し では人 間 は不完 全 だ と いう こと であ る。 人 間 の健 康
結 局音 楽 療 法 は ヒト の情 動 と感 情 に働 き か け るも ので、単
純 に ク スリ の代 り にな る シ ロモ ノではな いか ら、個 人 の嗜好
を 無 視 し て画 一的 な 処方 を押 し つけ る べきも のではな いのだ 。
そ の点医 学 的 心 理学 を も ま た音楽 を も よく識 る者 が息 者 個 人
ご と に曲 を 選択 し 、効 果を みな が ら フィード バ ックを 重 ね て
定 着 す ると いう 経 過を 取 る のが む し ろ当 り前 な のだ 。
と幸 福 にと って必要 な こと は ﹃
人 間 的 であ る﹄ と いう こと で
あ り 、音 楽 は 人 間性 の エ ッセ ンスな の であ る﹂ と いう 大 原 理
が 成 り立 つ。断 っておく が 、 これ は僕 の我 田引 水 的 、 飛 躍的
議 論 ではな く 、 ガ スト ン先 生 と いう 教 育 哲 学 者 の高 邁 な る説
を 引 用 し た ま で の こと。
エセ科 学 的音 楽 療 法 理論 の 一つに α波 説 と いう のが あ る。
―- 13 -―
治 療 を 進 行 さ せる べきも の で、単 な る BG Mす な わ ち マス対
、
。
象 の環境 音 楽 利 用 と は基 本 的 に異 な る のだ し か し 一方 人
、
の音 楽 嗜 好 は そ の人 の人 生観 の縮 図 とも 言 え る か ら 漸 進 的
︱十 万葉 東 歌 四行 詩 ︱︱
≧瞳一
筵<護
躍一
憧一
達一
睫一
塵娃達一
治
良
でく る。
、
、
そ れ は さ てお き 、 万葉 の魅 力 と いわれ る素 朴 おお ら か
東 歌﹂ の世 界 に こそ息 づ いて いる。
は巻 十 四 ﹁
の ハング ル母 語説 な ど 興 味 深 い日本 列 島 の古 代 史 とも か らん
この こと は大 和 朝 廷 の任 那国植 民 地政 府 説 、 さら には 日本 語
が でき ると いう 明快 な指 摘 ︱︱ が 発表 され つ ゝあ るか ら で、
これ で、 ど う にも 詠 めな か った 、あ る いは意 味 不 明 と さ
ま
古 代 朝 鮮 語 ︶ でな ら 読 み解 く こと
れ て いた 歌 が 、 ハング ル ︵
桂本 ﹄ が 一
家 持 と いわれ 、 八世紀 末 の成 立 。平 安 時代 中 期 の ﹃
4
最古 の写 本 。 歌 心 は素 朴 、世 々愛好 者 が多 い﹂ 1
、
﹃
万葉 集 ﹄ は と聞 か れ た ら 、 こう 答 え て い いだ ろう が こ こ 一
。
数年 、 万葉 学 は大 きく ゆ さ ぶられ て いるよう だ
古 代 日本 の和 歌 集 。 天皇 、宮 廷 人 か ら農 民 、遊 女
︼
﹄
]
馨
曲
糾
孵
申
す
﹂
鞠
呻
陣
﹁
平 城京 遷 都 の前 後 、 飛鳥 ・白 鳳 ・天平 の百 数 十 年 にわ た る
、乞 食 ま で
加 藤
に音 楽 嗜 好 を 改善 さ せる ことが息 者 の人生 観 、 生 きが いを 書
。
き かえ ると いう 心身 医 学 の終 局 目標 にも適 う こと にな ろう
医 者 であ って多 少 は音 楽 も わ か ると いう だ け では容 易 には取
り つけな い領 域 であ る に違 いな い。
一方 、医 者 ではなく て医 学 を 目 の敵 にし て いる自称 音 楽 療
音 薬 療 法 入 門﹂ と いう本 を 出 し て いる。老 眼
法 家 の 一人 が ﹁
の僕 は う っかり音薬 を 音楽 と読 み間違 え て買 ってし ま った の
医 者 の薬 は百害 あ って 一利 な し。薬 は全廃 し て
だ が、要 は ﹁
。
音 楽 で病 気 を直 そう 。﹂ と いう 趣 旨 であ る な るほ ど老 人性
痴 呆 と思 わ れ て いる患 者 の中 には鎮 静 剤 ・精 神 安 定 剤 の使 い
過 ぎ によ る仮 性痴 呆 も た ま にはあ る か ら全面 的 に嘘 と は言 え
。医 師 の
な いが 、 でも これを 以 てす べてを 律 す る のは暴 論 だ
一人 と し て断 固 論破 した い。
そ ん な こと で、 、 折角 音 楽 療 法 を 普 及 さ せよう と努 力 し て
いる人達 が いる 一方 、 足を 引 張 って誤 解 を 助 長 す る輩 も 少 く
な いと いう のが 現状 ら し い。 そ れ も音 楽 ソ フト商 売 と ペー パ
ーバ ック出版 業 とが中 に立 って いるか ら コト は余計 厄 介 にな
る。芸 術 と医 療 と経済 市 場原 理 と の三 つ巴 の暗 闘 と いう 様 相
であ る。 日本 に本 当 の意 味 の音 楽 療 法 が 普 及す る のは まだ 先
の こと ら し い。
。
〓 優 へ寄
刈
4
卿
ィ
”
沌
ギ
抑
剤
p
御
朧
側
田
]
肋
猟
こ
p
柳
呻
”
帥
醒
こ
古
へ
な
︲
な 歌 も 少 な く な い。 まあ 、好 みと いう 問 題 はあ るだ ろう が
た ぐ いが当 然 考 え ら れ るわ け で、男 女 間 の相 聞 も赤 裸 にし て
﹁
東 歌 ﹂ 二三 〇首 の作 者 た ち はす べ て名 も な い農 民 か地 方 の
下級 役 人 、 いう な れば 土臭 い雑 草 の歌 であ る。 信濃 ・駿 河 か
ら東 、陸 奥 ま でが 舞 台 と な る。 背景 に民謡 ・作 業 歌 ・伝 承 の
触 れ て み た や な さら さら
手 作 り の布 は さ ら さ ら
* 多 摩 川 の水 は さ ら さ ら
せ
背ろに
○ 武蔵 野 の
は な ふよ
を ぐ き が雉 工
立ち 別 れ 去 に し夕 よ り
あ の児 いと し や さ ら さ ら
こ こだ 愛 し き
かを
○ 多 摩 川 に 晒 す 手作 り さら さら に な にそ この児 の
率 直 、 時 代 を 越 え て生 き 々 々と愛 す べき いのちを 描 く 。
﹁
国 な ま り﹂ が露 骨 さを 薄 め、詩 を 生 む 。 これ は千年 の昔 も
今 も か わ ら な い。音 頭 にも甚 句 にも残 って いる し、 ヨイ ト マ
ケ の歌 にし ても 、 つい此 の間 ま で町 のあ ち こち から 聞 こえ て
あ な た は来 な い
あ の夜 か ら
雉 も 鳴 かな い
野 を わ た る 風 の音 だ け
ま ま つ
○ 馬 来 田 の 嶺 ろ の笹 葉 の 霜 露 の 濡 れ て我来 なば
あ だ にす ま いぞ
あ だ に す ま いぞ
濡 れ て来 た ぞ や 笹 露 に
* た っぷ り と
汝 は恋 ふば そ も
や
○ 足 の音 せず 行 か ん駒 も が 高 節 の 真 間 の継ぎ橋
止 まず 通 はむ
* 馬 のひづ め に
藁沓 はか せ
夜 ご と あ の児 に
通 いた や
―- 15 -―
逢あ
*
きた よう な気 が す る の であ る。
かな しき児 ろが
いく つかを 四行詩 に歌 い変 え てみた 。酒 興 、座 興 の つも り
だ か ら読 み流 し て いただ きた い。短 歌 の読 み下 し は小 学館 。
日本 古 典 文 学 全 集 をか 考 と し た。
筑 波 嶺 に 雪 かも降 ら る 否 を かも
ぬのほ
布 乾 さ るかも
* 雪降 る と 見 た れば
いや いや あ れ は白 い布
筑波 嶺 に
娘 ら が乾 す 白 い布
さあ ふ た り き り
ふた り き り
山 を 下 り た ぞ 皆 の衆
* 音 は 止 ん だ ぞ 民 掛 け の
児 ろ我 紐 解 く
○ 足 柄 の 注
込面 此 面 に さ す 民 の か な る 間 静 み
○
かみ へ
伊香保嶺 に 雷 な鳴 り そね 我 が 上 には
児 ら に よ り てそ
らば か
○ 人妻 と あ ぜ かそを 言 はむ 択い
借 着 とな
故 はな けども
隣家 から の借着 とな
借 り て着 な はも
* 人 の妻 な ら な ぜ 悪 い
同 じ ことだ わ そう じ ゃろが
納 め てく れ や い
げ ゆまう まや
れ のぐも
善ぬ
隣 の衣 を
布 雲 の あ ぜ か絶 え む と
* い つま で も い つま でも
言 ひし児 ろ はも
○ 夕 さ れば み 山 を 去 ら ぬ
ま 、 そ れ も か わ いや の
ご つた ら いや じ ゃと ぬ か す
一
さあ 一
柔 床 に仕 上 げ てな
やわど こ
* 草 刈 り払 う て
あ や に愛 しも
○ 赤 見 山 草 根 刈 り除 け 合 はす が へ 争 ふ妹 し
とを り や
雷 ど の 後 生 ぞ や
お び え る のだ わ 死 ぬ る ほ ど
* あ の児 が な
と
○ 鈴 が音 の 駅家 の 催耗の 水を鍵 へな 飛が醜干よ
りに
お れ の作 と お ま え の娘
お 山 離 れ ぬ 夕 の雲 と
よう 似 合 う と 思 う が な
仲 良 う さ せん か や
そ れ な のに
* 来 る はず も な い あ の人 は
ころ く と そ 鳴 く
○ 鳥 と ふ 大 を そ 鳥 の ま さ に でも 来 ま さ ぬ 君を
う そ つき 児 ろ め
ヨ つた わ
一
よう も 一
取 り て嘆 か む
あ こ よひ
⋮ ︰ わ か るか や
との わくご ・
朝菜 洗 ふ児 汝も我も よちそを持 てる
* 聞 こえ るぞ 鈴 の音が
早馬宿 の 鈴 の音 が
う ま いぞや 甘 いぞや
あ の児が汲ん でくれ る水
│
○ 稲 掲 けば か か る我が 手を 今 夜 も か 殿 の若 子が
つ
い こ
で の
子 川
*賜 患に
* いた わ し や のう
若殿が
と ん ま な 鳥 が 鳴 い て いる
荒れたや の
言 う てく れ た わ
若殿が
ころ く と 鳴 いて いる
ころ く サ
撫 で てく れ た わ
―- 16 -―
○
○
いも ぬ
○ 妹 が寝 る に 岩 ぐく る
床 のあ た ′
ね 入 り て寝 まく も
*
水 にな り た や
ひそ と 流 れ て
O
水 にも が も よ
都 武賀 野を 駆 け る 次 郎 君 の狩 の鈴
あ れ は 鷹 の尾 羽根 に つけた鈴
あ の音 は お館 の次 郎 君 の鷹 の鈴
* 風 に乗 せら れ て 。 ・・ ・ ・ ・
か む しだ の と の のな かち し とが り す ら しも
可牟 思 太 の 殿 の仲 郎 し 鳥 狩 りす ら しも
つむ が の に すず のお と き こゆ
○ 都 武 賀 野 に 鈴 の音 聞 こゆ
凛 と した響 きが い い。爽 や かな 歌 であ る。
最後 に、 私 の 一番 好 きな 歌を 。遠 い遠 い野面 の彼方 か ら、
万葉 乙 女 の情感 が鮮 や か に伝 わ って来 る よう だ 。
一音 一音 の
末 の枝 葉 が枯 れ るま で
柳 摘 み /ヽ 待 ってます
* そ れ ほ ど思 う てく れ るな ら
柳 摘 み /ヽ 待 ってます
我 立 ち待 た む
恋 し けば 来 ま せ我 が背 子 垣 内柳 末 描 み枯 ら し
ひそ と 染 みた や
顔 見 たや
し も
そ と触 れ た
あ の児 ろ は
柵 越 し の子 馬
? らや な いと し や な
あや
清 水 は汲 まず
危 ほ か ど 人 妻 児 ろを
相 見 し児 ら し
妹 の素 肌
く へ越 し に 麦 食 む 子馬 の は つは つに
鶴 の遠 鳴 き
千 里 の思 い
○ 昨 夜 こそ は 児 ろ と さ寝 し か 雲 の上 ゆ 鳴 き行 く鶴 の
ま遠 く思 ほ ゆ
* つい昨 日 逢 ったば か り が
○
あや に
あ ず
○ 崩 崖 の上 に 駒 を つな ぎ て
息 に我 が す る
馬 の背 はら ヽ
ら
* 崖 の細 道 はら ら
死 ぬ る思 いぞ
人妻 な れば
O 青 柳 め 萌 ら ろ 川 門 に 汝 を 待 つと
宮
立 ち処平す も
* 青柳 の芽 ぶく 川 辺 に
あ の児 ろ は
水 汲 む ふり よ
ほ れ 行 き つ戻 り つ
―- 17 -一
愛ど
*
黒
光
竹
曽
根
-18-
鈴
木
熊
谷
内
曽 根 先 生 は も と よ り でご ざ います が 、 は
で した 。 竹内 先 生 も いら っし ゃ います 。
で次 々 にあげ ら れ た のが先 生 方 のお名 前
カ ラオ ケを中 心 と し て﹂ と いう
加藤 ﹁
のが今 夜 の テー マな ん です が 、編 集会 議
竹内 レパ ート リ ーね 。 す ご いね !
曲 ぐ ら い。 は い、ご 覧 あ そば せ。
曽 根 は い、 ち ゃん と書 いてき ま し た 。
初 期 は 四 、 五曲 だ った け ど 最後 は五十 五
︱︱ 最初 の頃 は ど ん な 歌を ?
笑︶
れ た 、 あ っは は は。 ︵
だ 、 連続 で。 も う 来 な いでく れ って言 わ
合 一曲 だ け。 最盛 期 には 二十 曲 歌 った ん
った け ど今 はも う 歌 わな い。 な にか の場
る のかな 。
な どが あ るん でし ょう 。演 歌 は ど こに入
そ の中 間 に ニ ュー ミ ュージ ツクや ロ ック
熊 谷 ク ラシ ックが あ って民謡 が あ って
竹内 源 流 は昔 の催 馬 楽 、か 様 です ね 。
現れ た け ど。
黒 光 演 歌 師 の演 歌 な ん で し ょう ?
流 し ﹂ のね 。 艶 歌 と いう 文 字 も
加藤 ﹁
ー ジ ック⋮ ⋮ と か 。
リ ー、 フ ォ ー ク、 ポ ップ ス、 ニ ュー ミ ュ
流 れ てく れ る の ではな いか、 と いう 趣 向
でご ざ いま す 。気 軽 な お し ゃ べり でよ ろ
し く お願 い いた します 。 まあ 、 な には と
も あ れ 一口し め ら し てから 。
の主 流 は や は り演 歌 、 演 歌 調 です か?
大 久 保 最 近 は違 ってき てるん です 。 た
人 生 の哀 歓を う たう 歌 です ね 。 カ ラオ ケ
大 久 保 そ れ 先 生 の オ ハ コで し ょう 。
や り 歌 、 ナ ツメ ロを 話 題 にしな が ら大 正
黒光 ぼ く が聞 いた 頃 はね 、 手帳 持 って
いて二十 四曲 ぐ ら い って言 ってた も の。
竹内 と もあ れ 日本 的 人情 の機 微 、裏 町
昭 和 の歌 謡 風俗 史 みた いな も のが楽 し く
曽根 誰 が ?
ほう 梅 酒 ⋮ ⋮ 暑気 払 いに い い⋮ ⋮ ︶
︵
黒光 先 生 さ。 歌 い出 した ら止 ま ら な か
ったも ん ね 。
こな いだ函 館 旅 行 に行 き ま し てね 、 夜
の宴 会 のあ と下 のサ ロンに十 二、 二 人集
笑︶
曽根 覚え てな い。 ︵
とえ ば 鈴 木 先 生 な ん かが 歌 う 歌 には演 歌
は全 く な いん です 。 す べ て新 し い歌 な ん
です 。
竹内 演 歌 って言 い出 し た のは何 時 頃 か
はや り歌 ″ でし
らな の? も と は流 行 歌 ″
陶 酔 しな いと⋮ ⋮ 。
張 の再 現だ と思う 。 だ から 自 分 が 歌 って
三村 ボ クは です ね 、 カ ラオ ケは自 己主
た でし ょう 。
まず は演 歌 か ら
ま った ん です 。 そ こで修弥 先 生 の歌 ︱︱
す ば ら し く う ま いね 。他 を 圧 し てま した 。
っん 、う ま い。 う ま く な った んだ
黒光 >
あ の人 。 場 慎 れ した からね 。
集 ま ら ん ら しく て、 ど このバ ー にもあ る
でし ょう 。 置 いてな い飲 み屋を 選 ん で行
加藤 演 歌 と言 う 言 葉 は前 か らあ った ん
曽 根 は い、 これが俺 の話 る べき眼 目 な
の。俺 の信 条 な の。後 で誰 か読 ん で。
熊 谷 いま、 カ ラオ ケ置 いてな いと客 が
く んだ け ど 、 な かな か。
でし ょう 。 わ れ わ れ 子供 の頃 は流 行 歌 で
ク ラシ ー の影響 を 受 け て いたわ け です か
笑 ︶大 正 デ モ
竹 内 私 は 一番 年 少 だ し ︵
︱︱竹内 先 生 は流 行 歌 の時代 です ね 。
大 久 保 そ ん な 話 を 伺 って いた ん で 先 生
曽 根 先 生 は カ ラ オ ケ何 時 か ら ?
に も 是 非 入 って頂 き た か った ん で す 。
︱
す よね 。 ﹁はや り歌 な ん か歌 う ん じ ゃな
いの っ﹂ って叱 ら れ た 。今 の大衆 歌 謡 は
ジ ャ ンルが多 いです ね 。 ロ ック、 カ ント
曽 根 昭 和 五 十 四 、 五 年 か な 。 ハシ リ だ
―- 19 -一
の子守 歌﹀ も 淡 谷 のり子 のブ ルー スも皆
赤城
テイ チ クから レ コードが出 てね 、 ︿
あ る人 は歌 わな か った の。 ポ リド ー ル、
て歩 く アレです か?
はや り歌 ″は死 語 にな っ
加藤 ほう 、 ″
た の?要 す る に大衆 歌 謡 な んだ け ど 品格
生意 気 盛 り の中 学 二、 三年 頃 。
三村 は や り歌 って、 ギ タ ー持 って歌 っ
あ れ はまだ 歌 います も ね 。 歌 いは じ め は
枯 れす す き﹀ ね 、
ら昭 和 じ ゃな く大 正 ︿
大 久 保 い っの間 にか歌曲 が な く な り ま
た よ。
い こな せ る 歌 いぶ り じ ゃな いと 駄 目 で し
二 人 、 も っと も 当 時 は 歌 曲 でも 立 派 に歌
プ ロも ず いぶ ん 出 ま し た ね 。 室 蘭 か ら も
加 藤 そ れ と N H K のど 自 慢 出 身 の ノ ン
た ん です よ ね 。
謡 が 一世 を 風 靡 し た で し ょう 。
大 久 保 歌 声 喫 茶 で ロシ ア民 謡 が 広 ま っ
の流 行 歌 を 拾 って ね 。 そ のう ち ロシ ア民
ペ ー ソ ス のあ る や つ、 そ れ に戦 前 、 戦 中
ラージ ン︶ なんかね。それが三十年前 な
ステ ンカ ・
サーカ スの唄︶ とか ︿
分﹀ ︿
に窓 開け っ放 し でね。 ︵
笑︶ ︿
りんご追
て下 さ いよ ﹂ って。 午 前 三 時 さ 。 お ま け
い く って いた ら 、 お巡 わ り が 入 って き
ま
て ﹁
何 時 だ と 思 って る の、 い い加 減 に し
加 藤 浜 町 のあ る 飲 み屋 で悪 友 二 人 と 歌
ん かも出 ま す しね 。
大 久 保 あ れ も 近頃 は いろ いろ ハイ テ ク
が使 わ れ て いるん で年 配 の人 は操 作 でき
すね 。
大 正 ロ マン
シ ア民謡 。
黒光 ず いぶん 歌 わ れ ま した も ん ね 、 ロ
せん か﹂ って言 う の。 ど こにし ま いこん
だ も のや ら ︱︱ と いう わ け。 時 代 ね 。
んだ けど、去年 ノンプ ロの ア コージ ョン
ひきが ﹁
誌の楽譜あ りま
先生、 ロシ ア民一
はや り歌 な の。
した ね 。 か わ り に演 歌 が ふえ た 。
に ハヤ サ カ と いう 先 生 が いま し てね ︵
曽
根 ︱︱ あ あ 、 知 ってる、 知 ってる ︶歌曲
加藤 昭和 二十 二年 だ った か、室 蘭 でも
のど自 慢 があ った ん です 。市 立 病 院 内 科
三村 古 い町を 訪 ね ると ギ タ ー の流 し は
ま だ いま すね 。
曽 根 浜 町 にも 居 た 。大 正 琴 の名 物 じ い
さ ん死 ん で六、 七年 にな るかな 。
ント︶ を 歌 って鐘 二 つ鳴 ら し ま した よ。
曽 根 俺 も出 た よ。 映 画 館 であ った の。
な いです って。 入 っては みた け ど カ ード
帰 れ ソル レ
の部 に堂 々と出 た ん です 。 ︵
笑︶
黒光 へえ ︱信 じら れ な い。 ︵
三 つの歌 ﹂ だ った かな 。 でも鐘
曽根 ﹁
竹 内 新 内 の流 し が源 流 です ね 。 三味 線
弾 いて ⋮ ち
鳴 ら した んだ 。
と いわ れ よう と若 い人 じ ゃな いと駄 目 な
鈴 木 アイ 。ジ ョージ も流 し出 身 。
よく 見 せ てま すね 。 最 近 は オ ペラ歌 手な
わ れ る よ リ ボ ック スの方 が は るか に い い
の使 い方 も わ か らな い。 だ か ら悪 の温 床
鈴 木 カ ラオ ケ ・ボ ック スが出 てき てま
竹 内 今 の人 よ く泣 きます ね 、合 格 の鐘
が鳴 る と。
ん だ って。 でも窓 開 け て三時 三時 ま で歌
階 か ら お ひね リ ポ ー ンと、 そ れ
加藤 一一
大 久 保 学 校 に いた 頃 、 す す き 野常 連 の
う ま いのが いる、
先 生 が いま し てね 。 ﹁
熊 谷 紅 白 歌合 戦 な ん かも 時代 の風潮 を
を 扇 子 で受 け て。
き っとプ ロにな るよ﹂ って予言 し て いた
ホ ウ ー︶
のが北 島 二郎 な の。 ︵
加藤 私 の場合 は、戦後 問もなく は軍国
愛馬行進曲﹀ など
歌謡、 ︿
麦 と兵隊﹀ ︿
―- 20 -―
飲 み に来 た ん で下 手 な 歌 聞 き に来 た ん で
曽 根 あ るあ る、だ か ら い いのさ。 オ レ
絵 が流 れ て いるん です よね 。
か ら最後 ま で歌 の文 句 とあ ま り 関係 な い
鈴 木 でも 、 あ ま り値 段 が高 いから今 は
C D にな ってる でし ょう 。 C Dだ と最初
ん だ から 、 そ れも い いん だ 。
黒光 歌 わ な い人 は 画面 を 見 てれば い い
リ ー スで借 り てるか ら金 取 るわ け。
ー デ ィ ス クさ。あ の大 き い立 派 な 機 械 を
曽 根 昔 は 8ト ラだ った け ど今 は レーザ
ん です 。
も そう です け ど⋮ ⋮ こ こに疑 問 点 が残 る
六百 円 も 払 わ な く ち ゃ いか ん のか、 札 幌
一曲 六百 円 です ね 。 自 分 が 歌う の にな ぜ
三村 あ の ︱新宿 事 情 です け ど カ ラオ ケ
と 思 っては いるんだ け ど。
五十 いく つにな って。 ︵
ホ ォー︶先生が
エレ クト ー ンにと っついた わ け です よ、
何 か と思 っても ピ ア ノは 駄 目 でし ょう 。
笑 ︶そ れ で私 も
た のは尺 人 でし ょう 。 ︵
オ ヤジ は楽 器 な にも 出 来 な い。 昔 や って
コピ ーを さ せら れ て腹 は立 つん です が、
し そ う に歌う ん です よ 。 さんざ ん楽 譜 の
子供 た ち が ピ アノ弾 きな が ら け っこう楽
され ても 逃げ て いた ん です 。 と ころ が 、
︱︱ 鈴 木 先 生 のは ど んな 歌 ?
鈴 木 私 は歌 も宴 会 も 嫌 いだ った し指 名
した。 ︵
笑︶
踊 る でし ょう 。だ から ネ 、嫌 いにな り ま
を 立 たな い、前 に座 ってる。 ︵
笑 ︶ ムー
ド のあ るや つを 歌 う と目 の前 で他 の客 と
う にす るん です 。 そう す る と女 の子 は席
ージ ック のガ チ ャガ チ ャした のを 歌 う よ
のかしら。 ︵
うん、そうだよ︶だから、
わざと邪魔して早 いテンポの ニューミ ュ
出 す ん です 。 わ た し の歌 は グ ン スに合 う
わ た し が 歌 い出 す と 女 の子 が みん な 踊 り
った の。
加 藤 私、童 謡 歌 手 と いわれ た時 期 が あ
は知 って いても童 謡 は知 りま せん よ 。
大久 保 今 の子 は 人形劇 の テ ー マソ ング
鈴木 や っぱ り、 い い歌 が多 いです ね 。
立 派だね 。
0% は知
あ あ いう と ころ で歌 わ れ る歌 の8
ってます ね 。 小学 唱歌 って のは い いね 、
﹁
赤 い靴 コンサ ート﹂ へ行 って来 た ん で
す が ね 、 いわ ゆ る日本 名 歌 百 選 と いう か
熊 谷 僕 は軍 歌 です がね 。今 でも酔 っ払
っても海 軍 の軍 歌 な ら歌 え る の。 この間
から演 歌 には縁 が な か った ん です 。
止 め てし ま って最 近 の歌 は全 然 知 ら な い
ん です 。 子供 と つき合 って覚 え た歌 です
て いるう ち 、殆 ど覚 え てし ま った ん です 。
を 視 て いた り車 の中 で録 音 テ ープを 聴 い
そ の ころ 子 供 が 中 学 か ら 高 校 、 テ レビ
の ″
歌 の ベ スト テ ン々 に夢 中 でね 、 そ れ
ん です 。
る よ う に な った と いう のが 、 き っか け な
笑︶
ん じ ゃな い。 ︵
な い って人 いる から ね 。 歌が 始 ま るとす
毎 週 一回見え て、次は これや ります から
黒光 だ いぶ増 え てき ま し た よね 。中 島
町 にも 三 か所 あ るん で 一回行 って みよう
ぐ 帰 ってた ん だ 。 し か し カ ラオ ケ好 き な
竹内 昔 の話 にな ると ″ここは御回を何
百里″ ってあ の歌、あれは物語 よね。私
達が軍国教育を 受けた頃 には厭戦的な歌
っん 、 そ う だ った 。
邑日根 >
でも 先 生 が室 蘭 を 離 れ 、 エレ クト ー ンも
同志 が集 ま ると ま た楽 し いんだ 。 ゴ ル フ
仲 間 と似 た よう なも ん さ。
て歌 って いるうち、 い つとはなし に歌え
覚 え てお いてくだ さ い、それ三年 くら い
続 けたん です。あちら の有名 な曲 が みな
レ ッスンに入 って いるわけ です よ。弾 い
三村 わ た しが カ ラオ ケ嫌 いにな った 理
由 はね ︵オ ヤ、嫌 いにな った の? ︶え ぇ
―- 21 -―
魅 力 と は思 え な か った け ど、 おも し ろ い
いう 楽 器 ︱︱ 電 気 に乗 った 不 思 議 な音 を
加藤 わ れ われ は、あ の エレキ ギ タ ーと
代 だ と 思 う んだ けど。
熊 谷 斎 藤 先 生 な ん かはビ ート ルズ の時
o演 歌 は 日本 の フ ァド であ る
読 みま す 。
ぢ ﹂で曽 根 先 生 の メ ッセ ージを
大久 保 サ
笑︶
出 され た ろう ね 。 ︵
加藤 あ ん な と き歌 な ん か歌 った ら追 い
なあ 。
会 こそ な か った け ど みんな 熱 心 に習 った
よ 。 あ の時 代 の人達 みん な 居 な く な った
スが は や った頃 さ。医 師 会 でも ダ ンス部
曽 根 チ ケ ット 手 に入 れ て札 幌 ま で聴 き
に行 った んだ 、 グ レ ンミ ラーを ね。 ダ ン
真 珠 の首 飾 り﹀ 。
ラー の ︿
け ど 、 みんな オ ペ ラ ティ ックな 発声 で、
屋 根 の上 のヴ ァイ オ リ ン弾 き﹂
た。 例 の ﹁
のジ ャ ン ・ピ アー スな ん か は有 名 な んだ
あ るんだ け ど、 ユダ ヤ歌 謡 に惚 れ ち ゃ っ
加藤 F M に世 界 の民族音 楽 と いう 番 組
笑︶
ね。 ︵
逃げ た 女房 に″ って
も演 歌 な んだ よ。 ″
曽 根 いや いゃ、 男 が 女 に泣 か され る の
好 き で女を 泣 か せ て⋮ ⋮ 。
候 の せ いでち ょ っとジ メ ッと し て裏 町 が
そ し て日本 は演 歌 と いう こと です ね 。気
、
加 藤 フ ラ ン スは シ ャ ン ソ ン イ タ リ ア
竹 内 じ つは 私 イ ス ラ エルに行 ってじ か
に見 聞 き した んだ けど 、音 楽 にし ろ絵 に
は カ ン ッオ ーネ 、 ポ ルト ガ ルは フ ァー ド
音 だ な ぁと聴 いて いた の。今 あ ら た め て
o演 歌 には哀 愁 が あ る
ア ルトな ん かも素 晴 ら し いの。
であ ると し てね ⋮⋮ あ の叙 情 性 ね 。
あ あ 、 あ の顔 であ の声 で々な
大久 保 ″
ん て のは景気 が悪 く てね 。 子供 心 にも 戦
聴 いてみ ると、 き れ いだ な ︱と思 う 。違
o演 歌 には大 正 ロ マンが あ る
し ろす ご いです よ。 ほ ん とう に神 の選 民
争 は負 け るん じ ゃな いか、 と思 った な。
笑︶
兵 隊 を 送 る のにあ の情 けな い歌 。 ︵
和 感 感 じ な いんだ 。 バ ロ ック の ルー ツだ
勲章 も ら った しね ︶
も んね。 ︵
o演 歌 は浪 花 節 調 であ る
だ ね 、 彼 ら は。
o演 歌 は 日本 的 であ る
ジボ タ ル ︵
笑 ︶ じ ゃな いヒカ ルゲ ンジ 、
o演 歌 は し ん み り聴 く も のであ る
グ ループ サ ウ ンズ と いえば 、今 のゲ ン
あ あ いう のから 一匹 タ レ ント が結 構 出 ま
熊 谷 演 歌 の楽 譜 を ね 、本 格 的 な リ ード
○最 近 は そ う いう 味 のあ る演 歌 が なく な
る け ど 、 そ れ 以 後 の ニ ュー ミ ュー ジ ツク
に対 す る感 覚 は 此 処 に いる 人 た ち は 持 っ
○心 に太陽、唇 に歌
拍 手︶
以上 です。 ︵
o演歌 の最盛 期は五年前 であ った
o大声を出 す ことは健康 に良 い
心 配 な のは 、若 い人達 はま た演 歌を 歌 っ
方 が好 みだ け ど。
つた
し たね 。
てな いん じ ゃな い? ま あ 、 斎 藤 、 三 村 先
で歌う と と ても い いんだ な あ 。僕 はそ の
生 ぐ ら いか な 。
大久保 演 歌はしん みり歌うも の ではな
笑︶
いそう です。 ︵
熊 谷 一九 六 〇 年 か な 、 も う 三 十 年 に な
加 藤 歌 じ ゃな いけ ど ム ー ド音 楽 華 や か
煙 が 日 にし み
な り し 時 代 が あ った ね 。 ︿
竹内 いや ぁ、な かな か詩 人 ですね。
笑︶
曽根 歌わな い! ︵
″
別れ″
三村 歌詞 カードを見ますと、
てく れ るだ ろう か って こと。
三村 私 達 は演 歌 が身 にお みます よね 。
る﹀ ︿ス タ ー 。グ スト ︶ と か 、 グ レ ン ミ
―- 22 -―
わ かり やす い言葉 を 上 手 に並 べかえ て、
メ ロデ ィ ー っけ て ︱︱ あ の作 詞 家 って の
大 久 保 ぼ く はね 、 日常 普段 のた い へん
が演 歌 の原 点 だ と思う の。
に心 のゆ と りを 求 め る オ アシ ス、 そ れが
熊 谷 経 済 効 率 一点 張 り の高 度 成 長 時 代
青 春 時 代 ﹀ な ん です 。 ︵ほ ぅ︶
す ね、 ︿
そう とう 年 配 の人 で特 に多 か った のが で
抗 戦 があ った し、今 な ん かは津 軽 三 味 線
の五十 人大合 奏 も あ るけ ど、 私 は リズ ム
が騒 ぐ の。昔 か ら村 々で コンクー ルや 対
加藤 津 軽 の血 を 引 いて いる か らだ ろう
け ど 、 ジ ョンガ ラ節 な ん か聞 く とね 、血
黒光 や は り東 北 さ。
ん じ ゃな いかな 。 それ か ら関東 は上 州 の
青春 時 代 だ と思 う んだ け ど。
アレ、 ほ ら、 アレさ。西 のほら 、 ど じ ょ
は尊 敬 しま す ね 。
一つも 入 ってな いよ。 結 局 、 カ ラオ ケ の
時 代 は終 った ん だ 。
う掬 い⋮ ⋮ あ れな ん かも リズ ムが 生命 で
民謡 だ と思 ってる の。 ド ラムが よく合 う
鈴 木 演 歌 の時代 でし ょう 、 カ ラオ ケ で
曽 根 テ レビ 週 間雑 誌 に のる ベ スト テ ン
笑︶
はな く 。 ︵
にも 、 わ れ わ れ が 知 って いる昔 の演 歌 は
﹃
梁 塵 秘 抄 ﹄ にほん とう に似 た のが あ る
の。 は や し言葉 と い い、繰 り返 し と い い
竹 内 う ん、室 蘭 な ん と か って歌 が新 聞
に出 てた でし ょう 。 歌 詞を 見 てび っく り
ち ょ っと変 え れば そ っく りな ん だ 。 現代
す よね 。
一
一
う のを ネ
[
児 玉 先 生 、 アレ、 アレ って 一
笑︶
まだ ら呆 け って言 う んだ って。 ︵
今様 ﹀あ の
し た んだ け ど、 十 一世紀 の ︿
歌 謡 の原 点 は古 い昔 にあ るんだ なあ 、 と
曽 根 あ 、 そう か。う ん 、 そう な んだ 。
加 藤 いま演 歌を 作 って いる人達 が いな
黒光 や っぱ り大 正 ロ マンな んだ 。
ジ ー ンとく る よう な文 句 ば か り です よ。
はや り 歌 です ね 、 そ れを 広 め各 地 の民謡
と溶 け合 って現代 に生 き て いる ん です か
今様﹀
まあ ジ プ シ ー です よね 、 彼 ら が ︿
く ぐ つ︶た ち 、
竹 内 日本 でも愧 儡 子 ︵
黒光 韓 国 の アリ ラ ンや ト ラジ 。台湾 だ
って歌 ってく れ ます よ、 彼 ら の古 い歌 。
メリ カ のオ ー ルド デ ィーズ のよう に。
く な った ら終 わ り でし ょう 。 そ し て名曲
だ け が残 ってナ ツメ ロにな り ます よ。 ア
三村 青 森 の街 で飲 ん でた ら ︱︱ 何年 も
昨 日 で い いよ、笑 い︶
前 の話だ け ど、 ︵
笑 ︶南 部 は静 かだ け ど。
な いよ。 ︵
大 久 保 あ ん な 賑 や かな の、子供 は眠 れ
語 り と大 人 の男 と女 。
ら耳 に聞 いて身 体 にし み込 ん で るんだ 。
加藤 ただ 、西 の土 地 に残 って いるよう
感 心 し ま した 。
大 久 保 鈴 木 先 生 、 沢 山 先 生 、演 歌 イ コ
ー ル ﹁カ ラオ ケ﹂ じ ゃな いでし ょう 。大
正 ロ マンではな い方 のお話 し て下 さ い。
らね。
三 味線 持 った流 しが来 ま し てね 。 そ れが
すば ら し いの。金 いく ら払 っても いい、
黒光 津 軽 のは 明 る いよね 。 子供 の時 か
沢 山 テ レビ番 組 の ア ンケ ートな ん です
熊 谷 民 謡 と いえ ば 、北 海 道 は宝 庫 な ん
︱︱ 黒光 先 生 の好 きな 歌 のジ ャ ンルは?
と思 いま し た。
三村 演 歌 の歌 詞 を 読 ん で みる と、胸 が
が 、 カ ラオ ケ で 一番 歌う 曲 の中 に若 い人
でし ょう 。
な 、 ま とも な 子守 歌 はな いの。 リズ ムと
では演 歌 が 一つも 入 って いな いん です 。
加藤 う ︱ん、宝 庫 と は言 え な いね 。
民 謡 と美 空 ひば り
これ は、 あ た り ま え と は思 う ん です が 、
―- 23 -―
から ね 。
鈴 木 そう 、 あ れ は 日本 の ク ラン ックだ
が あ るん じ ゃな い?
でし ょう 。だ か ら尺 人 の素 朴 な 味 の影響
島 二郎 のも のだ な 。
熊 谷 先 生 の弟 さん は尺 人 の名 手だ った
ら ネ 、 ど っち かと いえば サ ラ ッと し た北
歌 は歌 わな いな 。 僕 は 小節 が 回 ら な いか
け ど ま さ か の気 持 ち が強 か った も んね 。
た。初 め てだ し 、 い い歌 だ な ぁ、 コー ラ
スにな る歌 だ な って聞 いてた ら終 わ って
″ひば り さん の歌 でした ″ と いう んだ 。
へぇ︱と おも った 。似 てる声 ではあ った
あの ︵
川 の流 れ のよう に﹀ が 聞 こえ てき
不
く車 の中 で ラジ オ の スイ ッチ入 れ た ら ヽ
横 を 向 いて いた の。 お と と し聾 学 校 に行
初 期 は楽 し か った け ど途 中 からず ︱ っと
いと 二種 類 の人 達 が いた と思 う の。 私 も
も合 め てね 。 そ も そ も 彼 女 には好 き と嫌
本 人 が う ま過 ぎ るんだ よ。 プ ロの物 真 似
屋 だ って何 人も いな い、 コミ ックな も の
殺 寸 前 に。彼 女も だ いぶ お酒 が好 きだ っ
、
ヤ飲 む 酒 でし ょう 。 アブ サ ンな ん か は 自
な ん です よ。 ビ ー ルな ん か は皆 でガ や ガ
った なあ 、 日本 のシ ャ ン ソ ンを 。
こま か いと ころが違 う んだ 。 これ が プ ロ
な ん だ と思 った けど 、彼 女 に歌 わ せた か
でし ょう 。 ︵
悲 し い酒 ﹀ な ん かも歌 う 度
異声 の使 い方 あ れ が 、 美空 ひば り
加 藤 一
竹 内 さ っき斎 藤 先 生 も お っし ゃ って い
た け ど 、 ″
川 の流 れ ″な ど歌 う 彼 女 の顔
には死 相 が 現 れ てま した ね 。
黒光 飲 みなが ら では演 歌だ け ど、 ド演
年 齢 な んだ ︶
し ゃ べ った から帰 る。 ︵
時 々気 にし て いた ら死 ん じ ゃ った 。 そ
九 時 に寝 るんだ 。朝 五時 に起 き る。 さあ
燦 々﹀ とか ︿
川 の流 れ のよう に︶ とか。
ひば り の佐渡情 話﹀ や ︵
車屋さ
加藤 ︿
ん﹀ も彼女 でな いと唄えな い。
鈴木 彼女 の歌、うた ってみた いと思 っ
愛
た ことはな か ったんだ けど、最近は ︿
た よう だ から ″
川 の流 れ ″歌 った ころ は
そ ん な酒 飲 ん でた ん じ ゃな い?
ね、
一人 で飲 む酒 は スピ リ ッツ、蒸 溜酒
を 飲 ん でた のかな 。 ︵
ケ ンビ シ? ︶あ の
竹 内 ひと り酒 場 で飲 む酒 は、 ど ん な酒
︱ 曽 根 先 生 の ベ スト スリ ーは?
し て追 悼 番 組 でし ょう 。う ま い、 な ん と
曽 根 さあ 、あ と五 分 で定 刻 だ よ。 おれ
二人酒 ﹀ と か ︵一人酒 ﹀ そ れ に
曽根 ︵
︿
釧路 の夜 ﹀ 。 ド演 歌 だ 。 う ら ぶれ演 歌
も う ま い。 し かも い い顔 にな って いる。
を 描 き 切 ってるんだ な ぁ︱。
死 相 が出 てま し た ね ︶完 全 に自 分 の絵
︵
だ よ。
熊 谷 み ん な 二 、 三 曲 づ つ歌 った ら 面 白
いね ぇ。
は彼 女 のた め に喜 ん で いるん だ 。
晩 年 いく つか のす ば ら し く い い歌 、 私
加藤 先 生 、 そ ろそ ろ、 あ れ は?彼 女 の話
っま いまず いではな いんだ ナ。 な
黒光 >
にかを 越 え ち ゃ ってさ、 ただ の演 歌 歌 手
大 久 保 と にかく し ゃ べ ってくだ さ い。
出 しま せん か。
曽 根 そう いえば俺 、 美空 ひば り の歌 、
鈴 木 読 め る読 めな いは関係 な い。 天 才
じ ゃな いも の。
熊 谷 譜 が 読 め な いんだ って。
しと いてね。
こ っちが泣 くんだ。⋮⋮ と いう わけ で、
お先 に失礼 します。あ と、 よろしく編集
悲し い酒﹀だ な ぁ。
三村 ぼく は ︿
っん、あれ は泣く よ。 いや いや、
曽根 >
あ ん ま り歌 わ な いんだ な あ 。
的 な音感 の持 ち主 だ か ら。
加藤 じ ゃ、 美空 ひば り論 な ん だ け ど、
一周 忌 だ からね 。
加 藤 そう でし ょう 、意 外 と少 な いの。
―- 24 -―
鈴 木 歌 い続 け ら れ る歌 は結 局 、 歌 詞 な
オ ケだ と思う の。 ︵
な るほ ど ︶
せた り し て歌う の。 個 性 的だ し粋 な カ ラ
も あ るんだ け ど 、 生 ま れ て初 め て指 名 さ
れ た みた いに、 調 子落 と した り 間 延び さ
も 味 が な い。 ウ マ ヘタと いう のは 歌 唱力
は下 手 な んだ け ど物 真 似 が う ま いの。 で
鈴 木 演 歌 の古 典 か い? 僕 は演 歌 に は 戻
黒 光 ナ ツ メ ロに戻 る ん じ ゃな い?
ん だ ろう 。
ラブ に 入 る頃 の カ ラオ ケ は ど う な って る
者 い人 優 先 です よ ね 。 そ の人 達 が 老 人 ク
笑︶
とね 。 ︵
﹂う な る と安 斎 先 生 お 呼 び し な い
児 玉 フ
カ ラオケ
大久 保 話を カ ラオ ケ に戻 し ます けど 、
ん でし ょう か、 そ れ とも メ ロデ ィ ーな ん
ら な いと 思 う 。 残 る も の は残 る け れ ど も
ら 私 は い つも無 伴奏 。
チも 一定 な んだ よね 。 自 分流 に酔 え な い
ん だ 。 ″の︱む さ ︱けを ︱ ︱″ って気 分
よく仲 ば せな いんだ 。 せわ し いの。 だ か
加藤 カ ラオ ケ で困 る のは テ ンポ もピ ッ
鈴 木 そう 。 私も そう 思う 。
です よ 。
感 教 育 だ と思 う んだ け ど。 上 手下 手 は 別
ん です 。 下 手 なピ アノだ 何 だ って いう よ
り い いでし ょう 。 ヒ アリ ング が 最高 の音
大久 保 七昔 階 の組 み合 わ せ です し作曲
ってそ んな と こあ るん じ ゃな いです か。
沖縄 の歌 だ って、も う 下 が るかな 、 と 思
か ってるん だ け ど 。
にし た よう でも な いし、 いまだ に気 にか
曲 と テ ー マが同 じ な の。中 田 さん は音 大
のピ アノ の先 生 だ った し⋮ ⋮ 誰 かが 話 題
う。ヽ
ンョパ ンの フ ァンタジ ー ってピ アノ
沢山 似 て いる曲 は結構 あ り ます ね 。
雪 の降 る町︶ って歌 あ る でし ょ
加藤 ︿
く ん じ ゃな い?
語 ってる のか わ から な け れば 半 分 は横 向
鈴木 何曲 もな いでし ょう。 ︿
銀座 の恋
うも ん ですね。 ︵
笑︶
し て お いて、 本 格 的 な 声 出 し にそ な え る
にね 。 だ か ら 一曲 デ ュ エ ット で声 を な ら
︱︱ デ ュ エ ット は 何 曲 ぐ ら いだ ろ う ?
声 な ら し ″ な の。 女 性
黒 光 あ れ はね ″
が 先 に歌 う で し ょう 、 次 に男 性 が 、 半 々
え た の。 と に か く 、 歌 は ど う って こと な
い、 音 楽 に は 音 痴 だ か ら ね 。
児 玉 僕 は 歌 わ な い。 指 名 さ れ る と 心 臓
が キ ュー っと な る の 。 だ か ら マジ ック覚
加 藤 音 楽 、 こと にポ ピ ュラ ーな も の は
小学 生 か ら カ ラオケや ら せた ら どう でし
ょう 。 と いう のはね 、 家内 の親 父 さん が
でし ょう か。
そ の時 代 の歌 が 現 れ て来 る も の。
黒光 酔 う と誰 でも 間 延 び す る よ。
う と下 が る でし ょう 。 ︵
笑︶
節 も 3小節 も 。 ︵
笑︶
の物語﹀ に⋮⋮有名な のは三曲ぐ ら い?
大久保 銀座 の前 にもあ った でし ょう。
三村 ほう ︱、カ ラオケも通 にな ると違
わ け さ。
︱︱ 児 玉 先 生 の歌 は ?
︱ 村 井 先 生 、 歌 った ことは ?
熊谷 五吉 階 から七音階、十 二音階、不
った ん です 。毎 日聞 いて いるう ち 歌 え る
よう にな って、 レ コード買 ってく る よう
にな って、 つま り は昔 痴 が な おち ゃ った
ス タ ン ダ ー ド ・ナ ン バ ー
眼 鏡 屋 でし てね 、向 か いが レ コード屋 だ
加藤 私 は歌 詞 だ と思 ってる の。細 川 た
かしを 聞 いて いても 、 何 を 歌 ってる のか
村 井 いや 、 な い。 ⋮ ⋮ ヘタ ウ マと ウ マ
協和昔 なん て増 え てるけどね。
大 久 保 先 生 は仲 ば しす ぎ るも の。 2小
ヘタとあ る でし ょう 。 ヘタ ウ マと いう の
―- 25 -―
あ る け ど 、 あ れ は い いな 。 ま あ 、 お か し
愛染 か つら﹀
んかが歌われ てま した。 ︿
みた いな のは歌う と叱られま した。意味
沢山 僕 はね、流行歌 と いう と小学生 の
青 い背広 で﹀な
頃に ︿
丘を越 え て﹀ や ︿
エリー﹀。
どあまり普遍化 された ので、ち ょ っと。
そう ですね⋮⋮時代をす こし若く しまし
愛し の
て、 サザ ン ・オー ルスターズ の ︵
大 久 保 さ っき から出 な いん で変 だ な と
児 玉 忘 年会 で歌 った ら?
す ね ︱︱ いや今 日はや め と き ま し ょう 。
を 持 つん です が ね 。作 詞 家 って のはあ ら
か じ め そ の事 を 考 え て作 って いるん で、
面 影﹀
の レ パ ート リ ー です ね 。 そ れ と ︿
﹁G メ ン﹂ の テ ー マ曲 です 。
村 井 私 はね 、替 え 歌 にな る歌 な ら 興味
は み ん な い い。
な のも あ る け ど 。
はわからな いまま にレ コードかけ て振 り
湖 畔 の宿 ﹀ 小学 校 の
思 ってた んだ け ど ︿
ど、谷村新司⋮⋮ ︿
昴︶ は いいん ですけ
ナイ ト ク ラブ﹀ さ。
を つけたりし て。音域 から いう と僕 の声
五年 生 でした 。
松 尾 和 子 と フラ ンク永 井 のが 。
大 久 保 いゃ ぁ、 さす が デ ュエ ット !
竹内 あ れ は、 いい歌だ ね 。
で歌 いやす いのは渥美 二郎なん です。だ
東京
フん、 フラ ンぞ 水井 のは ね ︵
黒光 >
津軽 海 峡冬 景色 ﹀ これ は名 曲 だ
黒光 ︿
いん です 。 歌 え な いん です 。 歌 詞 も 見 な
映画 の ﹁
連合 艦隊 ﹂ の テ ー マ曲 な んだ け
ど、 い い歌 です よ。 でも 非常 にむず かし
てお り ます の で、 よ ろしく お願 い いた し
が 、 だ いじ に ︵
笑 ︶ し て参 り た いと思 っ
波久鳥 ﹄
加藤 今 回 か ら マダ ム斎 藤 に ﹃
のお手伝 いを し て項 く こと にな り ま した
熊 谷 ほん とう に歌 は 人生 です ね 。
笑 ︶た と え ば で
Hな のも あ るん です 。 ︵
三村 そう です ね 、 チ ョウ ・ヨ ン ・ピ ル
加 藤 ど う です か、古 い新 し いとり混 ぜ
てカ ラオ ケ の スタ ンダ ード ・ナ ンバ ー に
から ︿
そう いえば
夢追 い酒︶ ですね。 ︵
鈴 木 そ の時 代 を 思 い出 す も のね 。
あ った ?誰 よ りも 君を ?骨 ま で? ︶
︵
ぜ ひ入 れ ておき た い、 と いう 歌 。
似 てる︶ウ ン、 それを言 いたか ったんだ
笑︶
けど。 ︵
今 日は おも し ろ か った な ぁ ︱︱ 。
。
熊 谷 男 性 コー ラ ス あ り ま す ね 女 声 も
東京 ラプ ソデ ィー﹀ 。
私は ︿
群青 ﹀ 谷対 新 司 ね 。
鈴 木 好 きな 歌 は ︿
風雪 な が れ歌 ﹀ 。
な。 ︵
北 の旅 人︶ 彼 のは
三村 石原 裕 次 郎 の ︵
いとち ょ っと出 て こな い。 歌 いた いのは
ま す 。 そ れ では 。
熊 谷 ︿マイ ・ウ エイ ︶ は 入 れ る べきだ
ね 、外 国 のだ け ど。
演 歌 と若 い人 の歌 と の接点 です 。
︵アド ロの歌﹀ 、 これ は エレ クト ー ンを
黒 い花 び ら﹀ 水 原 弘
加藤 そう いえば ︿
が いた 。
大久 保 あ と は カ ラオ ケ実 技 教室 と いう
︱ 終わリ ー
ことですか。 ︵
拍手、笑 い︶
ん です 。
や って いる と き、 あ あ 、 い い曲 だ なあ ︱
故 郷﹀ が い いです ね 。
熊 谷 僕 は ︿
。
窓 を 開 けれ ば ″淡 谷 のり 子
竹内 ″
長良 川演 歌 ﹀ 五木 ひろ し。
黒光 ︿
旅 愁 ﹀ も い いです ね 。 小学 唱歌
竹内 ︿
沢 山 あ れ は三十 年 代 の歌 です ね 。
斎 藤 歌 は好 きな方 です か ら、軍 歌 から
と思 って いた ら歌 詞 のあ る のが わ か った
ニ ュー ミ ュージ ツクま でな ん でも です け
―- 26 -―
残 り の後 発組 は午後 の便 で釧路着。我 々
が旅装を 解 いた パシ フィ ックホ テ ルは釧
路川 に面 し、裏 手は夜 の繁華街 と大変地
の利を得 て いる。幣舞 橋 の袂を横 切れば
ず 、前 半 二 回後 半 一回 3パ ット し てしま
う 。 私 にと って初 め て の コー スであ った
が 、 距離 は そ れ程 長 く感 じな か った が 、
適 当 に起 伏 があ り面白 いレイ アウト にな
って いる。 プ レー の進 行 は毎 度 の こと な
ウト後 大 急 ぎ で入浴 し て いた ら、 役員会
が ら ス ロー ペー スで五時 間 余 、 ホ ー ル ア
ば ん や﹂ で先 発 組 と合 流 し て、 ジ ョッキ
片 手 に腹 ご し ら え 、 明 日 の健 斗 を 誓 い合
招 集 の アナ ウ ンスを 受 け てし ま った。
花
フ ィ ッシ ャ ー マ ン ズ ワ ー フ 、そ の 中 の ﹁
う 。 そ の後 斎 藤 成 樹 先 生 の御 世 話 で釧 路
別れ てホ テ ルを 出 発 。原 田、 児 玉 、斎 藤
大 会 当 日 は スタ ート時 間 によ り 二班 に
北 海 道 医 師会 に置 き、北 海 道医 師会 員 で
し て いる。 こ の規 約を 見 ると 、事 務 所を
クタ ーズ ゴ ル フ協 議会 と いう 組織 が主 催
遠 藤 秀 推
先 生 と共 に、 六時 前 に低 く 垂 れ籠 め た霧
組織 され 、会 貝 間 の親睦 を 図 る ことを 目
この大会 は昭和 六十 一年 か ら北 海 道 ド
今年 の大会 は七月八 日、釧路市医師会
の中 を 鶴 居 へ向 う 。車 中 段 々と 帰 り の飛
の夜 を 満 喫 した 。
の当番 で釧路カ ント リークラブ ・西 コー
スが会 場とな った。組合 せは ハンディキ
ャップ別 ではなく、年令 別 でシ エア組 ︵
昭
室蘭 市医師会 からは原 田、児玉、斎藤
十 二組が各 々 アウトとイ ンに別れ スター
トす る組合 せであ った。
らず 寒 からず のゴ ル フ日 より とな る。霧
九 時 近 く な って薄 日が さ し、 微 風 で暑 か
寒 い。 セ ー タ ーや ベ スト姿 が 目 に つく 。
てき て 一安 心 。 し か し 釧 路 の夏 の朝 は肌
フ場 で朝 食 を と って いるう ち に霧 が晴 れ
お蔭 で眠気 は フ ッ飛 ん でし ま った 。 ゴ ル
行機 の こと が 心配 にな り 、 飛 ば な い場合
は どう した も のか と頭 の中 は フル回転 、
行 わ れ る ことが 決 ま り、平 成 四年 の二十
新会 長 と な り 、第 二十 五 回大会 は旭 川 で
役 員会 で北 海 道医 師会 長 の吉 田信 先 生 が
二郎 先 生 が御 他 界 にな った ので、今 回 の
きた い。昨 年 ま で会 長職 にあ った 小原 啓
北 海 道 医 師会 の苦 肉 の策 と お考 え いただ
組 織 であ るよう な玉虫 色 であ ると ころが 、
北 海 道 医 師会 そ のも の であ るよう な 、 別
的 と し て本 大会 を 行 う こと にな って いる。
︵
成 ︶、遠藤 、木下、森 川、安藤先生が
参 加 された。折り悪 しく医師親交会 の函
の町 釧 路 に ふ さわ し く コー スの芝 は非 常
昭和 三∼
和 二年 以前生 ︶九組、壮年組 ︵
館 旅行 と日程が重 な ってしま い心配 され
に良 い。 グ リ ー ンは 、 し っと り霧 に濡 れ
説 し てく だ さ るが 、 我 が 腕 思う にま か せ
て仲 々手 強 い。 釧路 の先 生 方 が親 切 に解
て重 い所 が あ る か と 思う と速 い所 が あ っ
あ るが 是 非御 協 力 を 給 り た い。
苦 労 を か け る こと にな り、大 変 恐縮 では
六 回大会 は室 蘭 に内 定 した 。順 番 か ら し
て予 想 は し て いた が 、再び 各 先 生 方 に御
九年 生 ︶十組、青年組 ︵
昭和十年 以降生 ︶
たが、遠方 にも かかわらず 七名 の参加が
あ った ことを考え ると、 この大会 の意義
七月七 日昼 の飛行機 で児玉、木下両先
をあ らた め て感ず る次第 であ る。
生が出 発し て コー スの下 見を された由 。
一- 27 -―
ズ
遠 隔 地 であ り、 帰 路を 急 ぐ先 生 方 に配
慮 し て、表 彰式 は予定 時 間を 早 め て始 め
られ た 。各 自 に弁 当 が 用意 され、 オ ード
ブ ルと し て花 咲 ガ ニと果物 、 生 ビ ー ルは
飲 み放 題 と 心尽 く し の持 て成 し のう ち に
各 組 の表 彰 が 行 われ 、当 医 師 会 では 、壮
成 ︶先 生 が 七
年 組 で遠藤 が 二位 、斎 藤 ︵
位 に入賞 した 。 恒例 の各 組優 勝 者 の弁 を
面 白 く 拝 聴 し、 三時 前 に来 年 旭 川 で の再
会 を 約 し閉会 とな った 。
心 配 し た霧 も無 く 、 帰 路 も 全 く 順 調 で
七月 七 ∼八 日
例 年 通 り和 気 あ いあ いト リ ンケ ンが始 っ
て行 く 。 八雲 、大 沼 を 経 て夕 方湯 の川 着 。
今 年 は少 数 のた め か個室 の割 当 が多 く ゆ
っく り休 ま せ て頂 いた 。
懇 親会 は例 の如 く でカ ラオ ケも出 な い。
只接 待 の コンパ ニオ ンは何 れ も若 く 、 ピ
チピ チ のギ ャ ル、惜 しむ らく は洋 服 の制
服 であ った の で少 々ガ ッカ リ。出 来 る事
な ら夏 でも あ り浴 衣 姿 で来 て欲 し か った 。
二次会 は 七夕 の函館 へと出 た 先 生 、 又 は
ホ テ ルのバ ー に繰 り出 し逆 に コンパ ニオ
ンを 接 待 し た先 生 も 居 て御 苦 労 様 でした 。
翌 日も 好 天気 。 ホ テ ルは由 緒 あ る庭 園
の所 有 地 に建 てら れ た由 、樹 々や池 の配
置 は 見事 で翌朝 の散歩 は 心地 よ か った 。
ゴ ル フ組 は早 朝 ゴ ル フ場 へ、観 光 組 は
註記 ︶
︵
函 館 K Gカ ント リ ー ク ラブ
函 館 駅 へと向 う 。海 峡 線 一時 間 半 で吉 岡
湯 の川 湯 元 啄木 亭
青 函 ト ンネ ル 士[岡海 底 駅
海 底 駅 に到 着 、案 内 はな かな か の饒 舌 ガ
と え親 睦 が 目 的 であ ろう と 、北 海 道医 師
願 って いる。 た かが ゴ ル フと言 わず 、 た
を みな い。 この大会 が 今後 も続 く ことを
は恵 ま れ て居 た が窓 外 の景 色 は既 に知 り
り と テ ーブ ルを 囲 ん で席 に着 く 。 天気 に
人数 は少 な め、 お陰 でバ ス の中 は ゆ っく
タ ーを 経 て函 館 へと向 う 。
一行 二十 三名 。
例年 の様 に、室 蘭 駅を 始 発 に保 健 セ ン
レビ で地 上 の風景を リ アルタイ ム で大 画
、竜 宮 スー パ ービ ジ ョン ︵テ
ンプ で示す ︶
斜 抗 、立 抗 、本 抗 、 横 取基 地 等 位置 を ラ
宮 水 族 館 、 ト ンネ ルジ オ ラ マ ︵
海底 駅、
分 に歩 か せられ る。 ト ンネ ル内 には、竜
活魚 み か ど荘
会 員 が大 同 団 結 す る ことが 、 これ か ら の
イ ド ︵J R駅貝 ︶ でト ンネ ルの中 を 十 二
医 師会 活 動 に色 々な意 味 を 持 つよう にな
―- 28 -―
七 名 の先 生 方 各 々楽 し い思 い出 を つく ら
れ た こと と 思う 。 こ こ数年 の大会 を 振 り
る のに比 べ若 い先 生方 の参 加 が 少 い傾 向
返 ってみ ると、年 配 の先 生 方 が熱 心 であ
にあ る。 同窓会 的雰 囲気 と言 う べき か、
こ の事 は役 員会 でも 取 りあげ ら れ たが 妙
案 無 く 、仲 々難 か し い問 題 であ る。 不参
加 の理由 は色 々あ ろう が 、都 道府 県 単 位
広 瀬 欽 也
面 に放 映 す る ︶ト ンネ ル掘 削 体 験 コーナ
ル
吾 く し 、 ガイ ド の案 内 も も のかわ 、 早速
の親 睦 のた め のイ ベ ント は全 国 的 にも例
食 光 フ 泊 時
ると考 え るが どう であ ろう か。
昼 観 ゴ 宿 日
︱、 そ れ に 一万 人も の メ モリ ア ルボ ード
が壁 に嵌 め込 ん であ り、 ゾ ー ン5 3 9と
5
0
称 し、 全 長 3
5 ・8 k m海 面 下 2百 4 mに
達 す る世 界 一の海 底 ト ンネ ルであ る。
昼 食 はう にと じ コー スで海 の幸 に満 足 。
途 中 ゴ ル フ組を 迎 え て帰途 に着 く 。 例年
の如 く 競 馬 ト ト カ ルチ ョ、 ビ ンゴ ゲ ー ム、
I MMMC I 紀行
を 範 と し た、 北 一ガ ラ ス三 号館 、 ベネ チ
ヤ美 術館 とを 訪 ね 、
一般会 場 は何 処 も 見
る人 買 う 人 の波 が続 き、其 の熱 気 に溢 れ
て いた 。特 に美 術館 内 の、英 国 チ ャー ル
ズ 皇 太 子 と ダイ アナ妃 が 乗 られ た 王家 の
ゴ ンド ラは華 麗 圧 巻 で、黒洋 服赤 ネ ク タ
の拍 手 に迎 え ら れ、 ゴ ンド ラ に揺 られ な
イ で、 長身 歌 手 のカ ン ツオ ーネ を 聞 きな
が ら 、 運河 両 岸 の家 々 の窓 か ら送 る祝賀
霞 立 ち 風香 る、 六 月十 日朝 九 時 に出 発
果 ては疲 れ て眠 り込 む 先 生 、 行 きも 帰 り
も 元気 で飲 み続 け る先 生 と様 々、途 中 大
憶 しな が ら館 内 を 回 った が 、 其 の他 にも
碑を 見 な が ら 、 運河 を散 策 し て、大 戦後
右 に小檸 の過去 現在 未 来 の青 銅 レリ ー フ
そ し て次 に、左 に歴 史 的 石造 倉 庫 群を 、
であ った 。
分 には会 場 の 一心太 助 に到着 した 。
高 速 道 路 を 走 り 、 早 く も十 一時 四十 五
数 々 の技 巧 ガ ラ ス美 術 品 に満 ち て いた 。
が ら の、新 婚 幸福 絶 項 の御 二人 の姿を 追
か つて十 年 位 前 の函 館 の史 跡 巡 り にく
ら べ歩 き 回 る距離 が 少 な く楽 な 旅 行 でし
上
た。
註 歴 史 の重 味を 感 じ さ せる庭 園
千 九 百 坪 ︶ の広 さが あ る。 多 く の
方米 ︵
経済 人故 松 岡 陸 三氏 が大 正 末 期 に丹精 こ
め て作 った 日本 庭 園 で約 六千 三百 十 二平
ら 談笑 す る のも 又格 別 で、 時 間 の経 つの
立 、 鮪 、雲 丹 の大 盛 り で、
一杯 飲 みな が
か り の北 海 の珍 味 、海 老 、飽 、 毛 蟹 、帆
和 風桟 敷 小 上 り様 式 で、新 鮮 で漁 れ た ば
て いた 。
途 に つき、帰蘭 した のは夕 方 七時 を 過 ぎ
の遥 し い努 力 に敬意 と喝余を 表 し つ つ帰
観 光 の遺 産 を 以 って、 見事 復 興 した市 民
鈴沈 した 市 勢 を 、歴 史 的建 造 物 、浪 漫 的
樹 木 が 函 館 市 の保 存 樹 木 に指 定 され 、 小
も忘 れ 、 最後 に出 され た紅 鮭粗 の三平茶
J R ツ アー で有 名 な 店 と聞 いて いた が 、
な り と 云 え ども森 林 公 園 さな が ら の庭 園
漬 も 乙 な も の であ った 。
池 、 日本 庭 園を 大 事 に保 存 し、 新 し い時
オ ルゴ ー ルの会 堂 、 次 に アド リ ヤ海 の女
王 と呼 ば れ る、 水 の都 ベネ チヤ の千年 の
伝 統 と歴 史を 有 す る其 のガ ラ スエ芸 美 術
市内 観 光 は、 世 界各 地 よ り集 め ら れ た
であ る。 十 分 に歴 史 の重 味を 感 じ さ せ る。
プ リ ンス の野 口社 長 は ﹁
由 緒 あ る温泉 、
大 正 よ り 昭和 にか け函 館 に て活 躍 し た
今 回 は繁 華 街 駐車 難 の為 、観 光 バ ス旅
行 とな った次 第 でし た 。
し た のは、 三十 八 人 の会 員其 の他 の方 々
清
沼 、 長 万 部 に停 車 お土 産 を 買 い 一路室 蘭
へと向 った 。
井
代 のホ テ ルと連 動 した形 で保 存 し た い﹂
と言 って いる。
々7μ
―- 29 -―
弔
島
国 本 鎮 雄
一
基 盤藝 嚢 轟
羹 留心
義
麺一
﹁齢脇
﹂
昭 和 十 八年 末 、軽 巡 洋 艦 阿武 限 は厚 岸
港 に入港 し よう と、北 上 し て いた 。 あ と
一時 間 も す ると 入港 と いう と き、 艦 の前
を流 し なが ら 、 艦 尾 の方 へ去 って行 く 。
た 。 ホ ッケ の大 群 が 、 此 所 に産 卵 し て行
果 は 、 な ん と 、 魚 の卵 に よ る も の で あ っ
上 田 智 夫
は 、 こ の紅 い海 域 を 抜 け 出 し て、 元 の美
し い蒼 い海 を 走 って いた 。
った も のら し いと 分 った 頃 に は 、 阿 武 隈
艦 には幸 い何 も 被 害 は無 か ったが 、 お か
ボ
し な鯨 だ なあ ! 病 気 か呆 け で、 よく 動
けな い鯨 だ った の であ ろう か。 少 尉 の国
本 航海 士 は 、暫 く の間 、 小首 を か しげ て
いた 。
﹁
紅 い海 ﹂
昭和 十 九年 早春 の こと であ った ろう 。
﹁
一
前 方 三千 米 、海 面 の色 が お かし い。
軽 巡洋 艦 阿武 限 は千島 列島 の最北 端 の
な 、年 末 正 月 し か旅 に出 ら れな い。 因 果
高 い、 混 雑 、 サ ービ ス悪 い︶ で有 名
悪 ︵
﹁
月 日 は百 代 の過客 にし て⋮ ⋮﹂ と言
う が 、 元来 腰 の落 ち着 かぬ寅 さん は、 又
面 に紅 く 見 え ま す ﹂ と の見張 員 の報 告 に
艦 橋内 は 一瞬 緊 張 にざ わ め いた 。薄 曇 り
守 占 島 の防 備 に付 く た め に、津 軽 海 峡 を
な 話だ 。
々旅 に出 てし ま った 。渡 世 人 の寅 は、 三
東 へ出 る と ころ であ った 。 対潜 水 艦警 戒
o真 昼 のジ ョージ
な が ら午後 の蒼 く 美 し い海 面 が 、 水 平 線
を厳 重 にしな が ら、 二十 ノ ット の高 速 で、
の部 分 でピ ンク色 に染 ま って いる。
艦 は 間 も な く 、 この紅 い海 へと進 入 した 。
シ ヤ の案 内 人 は ジ ョージ ︵アテネ の男 の
方 二千米 程 の所 に、 ぽ っかり と大 きな鯨
が浮 かび 上 った 。 長 さ 二十 米 も あ り そ う
て いて、 も う そ ろそ ろ避 け るだ ろう と言
ど ん ど ん と海 面 の赤 さは深 ま り、直 径 三
な鯨 が 、 頭 を左 に尾を 右 にし て、黒 光 り
った感 じ で眺 め て いた が 、 ち っとも鯨 に
・四粁 の血 の池 であ る。海 上 生 活 の永 い
、
名 前 はジ ョージ が多 い︶。 頭 の禿げ 具合
年 格 好 な ど で親 近感 を も った のか 、 ﹁お
友 達 ね ﹂ と か言 って ︵日本 語 が上 手 ︶、
馴 れ馴 れ しく よ って来 て安 物 の栓 抜 きを
艦 長 も航 海 長も 、鯨 は こち ら に気 付 い
のす る背 中 を 、 こち ら に見 せ て いる。
動 く気 配 が な い。激 しく汽 笛 を 鳴 ら し た
面
が 、 動 かな い。 航海 長 は、あ わ て て ﹁
艦 長 、 航海 長 にも 、 こん な 経験 はな いら
軍医 長 、
し い。 ﹁
海 水 を 汲 み取 れ ﹂ 。 ﹁
プ レゼ ント した りす る。
フラ ンク フルト経由 で アテネ ヘ。 ギ リ
舵 一杯 ﹂ の号令 を か けた が 間 に合 わ な か
った 。 ド スー ンと、 可成 り のシ ョ ック で
艦 橋 へ来 た れ﹂ 。
少佐 の軍 医 長 が急 いで海 水 を 調 べた 結
衝 突 し てし ま った 。
鯨 は、 かわ いそう に背中 に傷 を し て血
―- 30 -―
アテネ と言 えば ヘレ ニズ ム文 化 の華 だ
が 、 掠 奪 され て空 っぽ の アク ロポ リ ス の
丘 、 アゴ ラ、何 処 も 同 じ シ ョー化 し た王
宮 の衛 兵 交 代 な ど、絵 ハガ キ のと おり 。
真 昼 のジ ョージ﹂ に つき
日差 し の中 、 ﹁
、英
が 一人 で、ギ リ シ ヤ語 ︵
だ ろう な ? ︶
喜 劇 でした 。 美 し いピ レ ウ スの港 と
が 、 同 時 にギ リ シ ヤ人気 質 と か、 ギ
リ シ ヤ女 の天 衣無 縫 が ょく出 て いた
語 、 ドイ ツ語 、 日本 語 で観 光 のポイ ント
ガイ ド○ ○ さん の 一行 ︵ツ
案内 。更 に ﹁
か、主 題曲 、主 演 の メリ クー リな ど
今 でも 強 く 印象 に残 って いま す 。
間 も 2時 間も ね ば る観 光 ギ ャ ルに聞 か せ
タ ー に座 り 込 ん で、寿 司 2 つ3 つで 1時
え 、 何 、 ロブ ス タ ーね え 。 た し か に で
このく れ え 理路整 然 と答 え ら れな け り ゃ
上
L。
どう だ い兄弟 、 人 様 に物 を 聞 か れた ら
アテネ のホ テ ルは良 か った 。 丁度 泊 ま
てや り た いよ。
ま と わ れ て暑 い。
った夜 が 、 ニ ューイ ヤ ー ・イ ブ。夕 食 は
味 は 今 いち だ ってね 。
アー の名 前 では な い︶ の方 食 堂 へどう ぞ 、
食 事 お済 み の方 は次 の人 が待 っており ま
す ので、 お早 目 に席 を お立 ち下 さ い﹂
ま い った 、 ま い った 。寿 司屋 のカ ウ ン
ド レ ス ア ップ し て地 元 ワイ ンを 飲 んだ が 、
ラの島 の様 子 は 、 ピ スタ チ オ でも か じり
の馬 わ ら じ ス テ ー キ は 食 い切 れ ね え し 、
ク ルーズ のあ と の夕 食 は、ピ レウ スの
構 う る さく 、 パ スポ ート の スタ ンプも き
っち り 。国 境 通 過 で、 わざ わざ スタ ンプ
o舞 踏 会 の手帖
広 間 に出 てみ ると タキ シ ード、 イ ブ ニン
グ に着 飾 った 人達 の群 れ 。在 アテネ外 交
な が ら ガ イ ド ブ ックを 読 ん でく れ。
フ ル、 今 イ スタ
o昔 の コン スタ ン チ ノ ー゛
ンぃ
フー ル
け え ん だ が 、 言 う じ ゃね え か 、 ア メ リ カ
官 、 経 済 人 、行 政 関係 者 な のだ と の事 。
○日曜 は駄 目 よ
一般 に外 人 は ホ テ ルで馬 鹿
らず 、残 念 。
港 の ロブ スタ ー屋 。 ﹁日曜 は駄 目 よ﹂ の
興 奮 を 思 い出 す のだ が 、 昔 の事 で細 か い
観 光 ね え 、 まあ エギ ナ、 ポ ロス、 イ ド
一度 踊 ってみた か った が 、 パ ート ナ ーお
騒 ぎ は しな いのだ が 、 この日 は別 。 あ ま
所を 記憶 し て いな い。 そ こで地 元 の映 画
を押 し てく れ と頼 む 人も いると いう から 、
イ スタ ンブ ー ルと数 奇 な 運命 と共 に名 前
ビ ザ ンチ ウ ム、 コンスタ ンチ ノーブ ル、
まあ 記念 には良 いわ な。
イ スタ ンブ ー ル ヘ。 ギ リ シ ヤ出 入国 は結
大 層 な御 名 前 で︶
オ リ ンピ ック航空 で ︵
り の騒 ぎ に、 同 行 の若 夫 婦 、奥 さん が隣
評 論家 、上 野誠 一郎 さん に手紙 を出 した 。
日曜 は駄 目 よ
の部 屋を 電 話 で呼 び 出 し ﹁シ ャー ラ ップ﹂
と怒 鳴 った と言 う から 、 シ ャイ だ と言 わ
れ た 日本 女性 も 、大 和 撫 子七 変 化 だ わ さ。
日本 上 映 時 期 昭和 三十 六年
女優 メリ ナ 。メ ルクー リ。 ギ リ シヤ
o エーゲ 海 にさ さぐ
寅 の旅 行 の ク ラ スでは エーゲ海 は ミ ニ
を 変 えた この都 に ついては、塩 野七 生 の
﹁
イ スタ ンブ ー ルの陥 落 ﹂ に詳 し い。 余
談 だ が塩 野七 生 って のは、 最 近乱作 のキ
政 府 の文 化 大 臣 にま でな った 。
ス ・グ ツシ ン監督 が ギ リ シ ヤ で製 作 。
ライ はあ るが 、俺 は好 きだ な 。 考 証 も し
そ の他 アメリ カを 追 われ た ジ ュー ル
アメリ カイズ ム ヘの痛 烈 な 風刺劇 だ
ク ルーズ 、 乗船 ヘル メ ス号 は超 スシ詰 め。
座 席 ど ころ か、立 って いる人を よ け て歩
く 。定 員 数 え て いる のか、本 当 に。
船 内 放 送 にはビ ックリ。 結構 な おば ん
-31-
モ スク、 ト プ カピ 宮 殿 と決 ま って いる。
日 の コー スは 、 ソ フイ ヤ寺 院 、 ブ ルー ・
ラム の文 化 が交 錯 す る この都 市 も 、短 時
せ作 品 に花 を 添 え て いる。
地 ロケ の効 果 によ って、 異国 情 緒 を 漂 わ
群 の面 白 さ で、 イ スタ ンブ ー ルな ど の現
リ ーズ の最 高 傑 作 。 娯楽 映 画 と し ても抜
そ の他 0 0 7シ リ ーズ 第 2作 。 同 シ
主 題 歌 歌 手 マツト ・モ ン ロー
女優 グ ニ エラ ・ピ ア ンキ
日本 上 映 時 期 昭 和 三十 九年
長 く白 い上 衣 は あ の人 にと ても よ く
あ の人 は私 のも の 私 はあ の人 のも の
誰 の知 った こと でも あ り ゃしな い!
まだ ね む た そう
あ の人 は 目 が覚 めたば かり 、 そ の眼 は
ヽ
らけ にな ってしま った
私 の愛 す る人 の上 衣 は長 く 、裾 は泥 だ
に雨 が降 って来 た
ユスキ ユダ ルを歩 いて いた ら 、 にわ か
っかり し て いるし、 男 勝 り の文 章 を書 く
レ
ふ。
ただ 、 ト プ カピ では、馬 鹿 でか い宝 石 や
○ウ スクダ ラ は るば る尋 ね て みた ら
ト ル コ、 ギ リ シヤ、 キ リ スト教 、 イ ス
ハレ ムより は、世 界 一と言 わ れ る古 伊 万
市 場 は い いね 、市 場 は。大 部 分 が ニセ物
だ った り、 法外 な値 段 を ふ っ掛 け てか ら
を は さん でイ スタ ンブ ー ルの向 う岸 、漁
ウ スクグ ラ ︵ユスキ ユグ ル︶ は、海 峡
を す るな あ 。
物 でな く 、旅 行 業 者 の証 明書 、 セ コイ事
書 を く れ るが 、 よく 見 る と ト ル コ現地 の
マンが ミ ケ ーネ で発 掘 し た黄金 仮 面 、 サ
広 場 から道 を 聞 きな が ら歩 く 。 シ ェリ ー
再 び アテネ に戻 り、 フリ ー タイ ムを 利
用 し て国 立 考古 学 博 物館 へ。 シ ンタグ マ
O正 月 は駄 目 よ
知 ら せ てく れ た便 せん は ロー テ ンブ ル
グ か ら 。彼 女 には旅 が よく似 合 う 。
似合 う ︵2番 略 ︶
里中 心 の陶 器 に圧 倒 され た 。
o ロシ アよ り愛 を こめ て
商 売 を 始 め る のも気 に い った 。 な ︱ に、
師 や庶 民 の街 で、 バザ ー ルも 小 さ い。 フ
ボ スポ ラ ス海 峡 を 渡 ると、 アジ ア、 ヨ
ー ロ ッパ 2大 陸 の間を 渡 った と言 う 証 明
バ ナ ナ の叩 き売 り で鍛 え た腕 だ 、俺 も 一
丁葛 飾 柴 又 か ら足を 洗 って、 ト ル コで売
も う 一つの目 玉 は、 グ ラ ンド バ ザ ー ル、
人を し よう かなあ 。咬 呵売 な ら負 けな い
サ ント リ ー ニ島 出 土 のボ クシ ングを す る
も う 一個 所 、 地下 宮 殿 が あ る。 ユスチ
キ も ど ち らも いけ るが 、好 み で言 えば 、
寅 さん の与 太 話 にし ては酒 が出 て こな
い って。 ギ リ シ ヤ のウゾも 、 ト ル コの ラ
正 月 は駄 目 よ と わ か って いても 、 た と え
少年 な ど、 見 た い物 は多 く 時 間 は少 な い。
ラミ ス の海 戦 を 記念 し た ポ セイ ド ンの像 、
が 、 ト ル コ語 と蛇 の のめく った様 な字 は
ェリ ーは イ スタ ンブ ー ル ヘ入 る のは無 料 、
出 る のは有 料 。昔 、 江 利 チ エミが 、 ﹁ウ
高 く ても 、混 ん で いても 、 サ ービ スが 悪
困 るな あ 。
ス クグ ラは るば る尋 ね てみた ら 、 世 にも
不思 議 な 物 語 り⋮ ⋮ ﹂ と歌 い、 髭を はや
し堂 々た る体 躯 の案 内 人 ベダ ツトも 、 可
く ても 、 又来 た い所 ではあ った 。
ユスキ ユグ ル 大島直政 訳
乗員 小島 直 子 さん によ る と恋 の唄 だ と言
>。
,
愛 い い声 で歌 ってく れ た が 、 ツ アー の添
エア ヌ スの作 った地下 水 路だ が 、 イ ア ン
・フレ ミ ング の小説 ﹁ロシ アより愛 を こ
め て﹂ と、 そ の映 画化 で有 名 とな った 。
再 び 上 野 さん に解 説 し て貰 う 。
ロシ アより愛を こめ て 日本 題 名 0 0
7 危 機 一発 ︵セ ンスな いなあ I ︶
―- 32 -―
ギ リ シ ヤ のウゾ で、 ト ル コのシ シケ バ ブ
ピレウス・ ロブスターはまだ
を 食 べた いな あ 。
親 切 に教 え て いただ いた上 野 さん 、有
ツ アー で御 世 話 にな った 上 に、 旅 先 か
―- 33 -―
難 う ご ざ いま し た。
アテ ネ 。国立考古学博物館
ら ウ スクグ ラ の歌 詞を 教 え て下 さ った 、
イスタンブール・地下水路
小 島直 子 さん、 又何 か の ツ アー で お目 に
か かり た いです ね 。
エー ゲ海 ・ヘ ル メス号で
波 久 鳥 一〇 号御 贈 呈 に接 し い つも乍 ら
の御 厚 情 に厚 く厚 く御 礼 申 し上げ ます 。
景 を 生 々しく 思 い浮 べて居 り ます 。
記念 日 に当 り 、室 蘭 で迎 え た当 日朝 の光
今 日 は十 二月 八 日 ″大 東 亜 戦 争 の開 戦
養 成 所 出 身 者 の第 一回 同 窓会 が 、 愛 知県
た。
能 登 半島 を 観 光 バ スで 一周 し て参 り ま し
子 四名 に再会 出 来 て大 喜 び 致 し、序 で に
が 、本 庄 先 生 も 御出 席 され て 一年 振 り の
って大盛 会 で招待 を 受 け て出 席 し ま し た
分 、室 蘭 、 君津 、名 古 屋 から 四 十 名 程 集
知多 半 島南 端 の内 海 町 で開催 され て、大
又、十 月 には、室 蘭 製鉄 所 病 院 看 護 婦
波 久 鳥 ﹂ 第 一〇 号を 御 郵 送
此度 は又 ﹁
下 さ って、 な つか しく嬉 しく 受 取 り ま し
波久
た 。親 交会 に相 応 し い内 容 の雑 誌 ﹁
鳥 ﹂ を 十 年 も続 け て発 行 し て居 ら れ る編
集 委 員 の先 生 方 や 、 そ れを 支 え る親 交会
御 地 を 離 れ ま し て二十 数 年 とな り老 令
と共 に身 心共 に老 い、 足腰 も弱 ま り老 妻
再会 を喜 び合 ひま した 。序 で に犬 山市 の
明治 村 を 案 内 され て見 学 し 、札 幌 市 内 に
の諸 先 生 の根 気 よ い御 努 力 に対 し て深 く
敬 服 し て居 り ま す 。畑 仕 事 も 一段 落 しま
し た ので、 これ から 日向 ぼ っこしな が ら
あ った 石造 の電 話 局 の建 物 にはな つか し
さ 一入 でした 。
日頃 の御 無 沙汰 を 御 詫び 申 し上げ 親 交
会 の諸 先 生 には 呉 々も 御 自 愛 下 さ って御
ラカ ラに乾 いた 異常 天 候 で、朝 晩 は相 当
こち ら は 二十 日間 以 上 も晴 天続 き でカ
楽 し み に読 ま せ ても ら ひま す 。
と共 に山 の中 で静 か に生 活 いた し て居 り、
過 ぎ し御 地 生 活 の事 も 唯 々夢 の如 く 思 い
出 と な って居 り ます 。
皆 々様 の御 健 康 を祈 り ます 。 以上
鎌 倉 市 浄 明寺 六 二八
今井 寅 雄
冷 え 込 ん で来 ま し た が 、 日中 は 風も な く 、
送 り いただ き有 難 う ご ざ いま した 。久 し
波久鳥 ﹂御
御無 沙 汰 し てお り ます 。 ﹁
の気 候 が案 じ ら れ ま す 。
倉 に住 ん で初 め て の経験 です 。 今後 の冬
二月 と は思 え な い気 候 で、 こんな冬 は千
さ で未 だ 人 の気 な し で過ご し て居 り 、十
︵一 ・ 一二 ・ 一 一︶
健 勝 で良 い新年 を 迎 え て下 さ い。
振 り で皆 様 方 の御 活 躍振 り に せ っし大 変
本 年 も残 り少 く な り ま した 。
一筆 受 取 の御 礼 を 申 し上げ ます 。
家 の中 は 二十 度 を 越 す ポ カ ポ カ した暖 か
な つかしく 思 いま し た。 小 生 まだ 凡 々と
庭 の温 州 み かん の実 も 色 づ いて、収 穫
を 待 って居 り 、 さざ ん花 、椿 の花 も 見 頃
波 久 鳥 ﹂ 第 一〇 号を 御 送 り下 さ
会誌 ﹁
いま し て誠 に有 難 う ご ざ いま し た 。 な つ
御 無 沙汰 申 し上げ てお り ます が 、 益 々
︵一
・一二 ・八 ︶
高 橋 清 歳
千葉 県 千 倉 町瀬 戸 三二 六〇
勤 め 人生 活を し ており ます 。
静 岡市 大 谷 三 八〇 〇 十九 二
益 々 の御 発 展を 祈 り ま す 。
御 清 勝 の こと と存 じ上げ ます 。
真 岡 第 二小 学 校 の同窓 会 が富 山市 で開催
にな り ま し た 。
去 る 六月 には、 昔 、教 顎 を 取 った樺 太
一方井 卓 四郎
一
一
︶
︵一 。 一二 ・ 一一
され招 待 を 受 け て、喜 ん で出 席 し 、教 え
―- 34 -―
か し い皆 様 方 の御 活 躍が 眼 に浮 かび 、大
す。
常 に楽 しく 拝 読 さ せ て いただ いてを り ま
居 ま し た 。 そ れを 尻 目 に稚 内 迄 帰 って来
ま し た ら昨 年 一年 分 位 の大 雪 が積 り未 だ
室 蘭 を 離 れ てから 早 や十 三年 を 経 過 致
降 り続 いて居 ます 。
波久鳥 ﹂ 十
留守 中 の書 類 の山 の中 に ﹁
変 嬉 しく 拝 見 さ せ て いただ きま し た 。御
蔭 様 で小 生 も 元気 で過 し ており ます 。当
し ま し た が 時 々 テ レビ にう つしだ され る
出 し乍 ら 御 札 状 を 書 いて居 り ます 。本 当
号を 見 つけ出 し早 速会 の皆 様 の顔 を 思 い
地 方 お いで の節 は御 立 寄 り下 さ い。 まず
室 蘭 の景色 に懐 か し さを 感 じ てを り ま す 。
どう ぞ 諸 先 生 方 にも 健 康 に留 意 され よ
に有 難 う ご ざ いま した 。
波久鳥 ﹂を
そ ろ そ ろ恒 例 の忘 年会 で ﹁
めぐ ってま た 話 の花 が 咲く と思 います 。
遥 か に皆 様 ま た会 のご隆 昌 を 祈 って居 り
ます。
国療稚内 病院
稚 内 市 こま ど り 二丁 目 七 十 一
小 囲 親久
前 略 こ のたび はま た波 久 鳥 第 十 号を
一
一
︶
︵一 。 一一一。 一一
でく る頃 と な ってき ま し た が 、 どう ぞ皆
函 館 市 海 岸 町 二四番 四 号
ます 。 草 々
のご 健 勝 を 心 よ り お祈 り申 し上げ て居 り
室 医 親 交会 の益 々 のご 発 展 と会 員 諸 兄姉
平 成 元年 も あ と余 す と ころ旬 日 です が、
﹁
十 年 一流 れ﹂ では歴 代 の編 集 委 員 の方
々 のご 苦 労 が ま ぶた に浮 ぶ様 です 。
お送 り頂 き、 な つか しく拝 読 致 しま し た。
諸 先 生 方 のご 活 躍 の程 が 偲ば れ 、座 談会
々で他 出 し帰 札 し て大 雪 に 一驚 〃除 雪 し
た苦 労 も束 の間 ⋮ ⋮ 朝 には見事 に積 って
アジ ア ・オ セ ア ニア学会 出 席 そ の他 諸
ハ︶
︵一 。 一二 ・一
七 大 坪 一昌
札 幌 市豊 平 区 清 田六条 一丁 目 一六 十 一
々様 御 自 愛 の程 を 心 か ら祈 念 申 し上げ ま
す 。御 礼 ま で。 敬具
白 鳥 湾 にも厳 し い冬 の便 りが舞 いこん
し上げ ます 。
き誠 に有 難 う ご ざ いま した 。 厚 く 御 礼申
拝 啓 此 度波 久 鳥 十 号 を お送 り いた だ
ハ︶
︵一 ・一二 ・ 一一
久 保 茂 俊
横 浜 市 緑 区荏 田北 二丁 目 十 六 十六 四
ま す 。 草 々
いお年 を お迎 え な さ る様 お祈 り し てを り
は右 御 礼 ま で。 草 々
斉藤 幾 久 次 郎
静 岡 県 田方 郡中 伊 豆 町 上白 岩 一〇 〇 〇
中 伊 豆 温泉 病 院
︵一 ・一二 。一一一︶
大 部 寒 く な り ま し た 。御 当 地 は雪 の世
界 でし ょう か。諸 先 生 御 変 りな く 御 過 し
の こと と存 じま す 。
﹁
波 久 鳥 ﹂ 十 号御 贈 り頂 き、嬉 し く拝
見 致 し ま し た。 今 後 ます ます の御 発 展を
祈 り居り ます。
稲葉 眼科医 院
日立 市 大 久 保 町 一丁 目 三 の 一四
稲 葉 真
︶
︵一 ・ 一二 ・一一一
御 無 沙 汰 致 し てを し ます が 、 そ の後 皆
様 方 には御 健 勝 にお過 し の事 と存 じま す 。
この度 は波 久 鳥 十 号を お送 り いただ き
真 にあ り が とう ご ざ いま す 。
お送 り いただ く たび に先 生 方 の作 を 非
一- 35 -―
函館検 疫 所
山本 健 二郎
︶
一二 。一一一
この度 は波久 鳥 を お送 り下 さ いま し て
誠 にあ り が とうご ざ いま した 。
当 院 で の研究 資 料 と し て大 いに活 用 さ
せ て いただ き ます 。
厚 く お礼 申 し上げ ま す 。
貴 会 のます ます の御 発 展を 心 よ り祈 念
致 し ます 。
登 別 市 登 別東 町 三 十九
北 海 道大 学 医 学 部 附 属 病 院 登 別 分 院
阿岸 祐 幸
︵一 ・ 一二 ・五 ︶
暖 い冬 と のんび り し て居 り ま し た ら急
にお寒 く な りあ わ て ヽおり ま す 。
波久 鳥 ﹂ お
い つも お 心 にかけ て頂 き ﹁
贈 り項 きあ りが とう ご ざ いま し た 。
編 集 の諸 先 生 のお心使 い、 な ご や かな
座 談会 な ど伝 って参 りな つか しく 拝 見 致
し主 人 にも親 告 致 し ま し た。
お寒 き折 呉 々も御 自 愛 な さり御 活 躍下
今年 も 早 や師 走 とも な り ま し た。
さ いま せ。 先づ は御 礼 ま で。
水 戸市 千 波 町 三 九 五 十二
松 岡 志げ 子
︵一 ・ 一二 ・ 一一
一
一
︶
クリ ス マス の飾 り付 けが街 を 掩 ひ人出
も 一段 と繁 く な り平 成 元年 も残 り僅 か と
な りま した。
波 久 鳥 ﹂ お送 り下 さ いま し
此度 は又 ﹁
て、 厚 く御 礼 申 し上げ ま す 。
貴 親 交会 の先 生 方 を は じ め ﹃
編 集室 へ
な る ことも あ るか と存 じ ます ので、何 と
ぞ よ ろ しく お願 ひ申 し上げ ま す 。
何 卒 諸 先 生方 良 いお年 を お迎 えな さ い
ま す様 念 じ上げ ま す 。
御 礼 ま で。 可 し こ
札 幌 市 北 区 新 琴 似 七 十二
新 琴 似 ハイ ツ一三 六
木 谷 静 子
︵一 ・ 一二 ・ 一四 ︶
り か ら そ ろ そ ろ小雪 に見 舞 わ れ 、冬 への
参 秋 は割 合 暖 く す ご し ま し たが 昨 日辺
行 進 が は じま り ま し た。
諸 先 生皆 々様 には御 清 祥 に御 多 忙 の毎
のお便 り﹄ に先 生 方 の御 消 息 も 総 て懐 し
く 拝 見 さ せ て頂 き想 ひ出 多 い室 蘭 を 想 ひ
何 卒 諸 先 生 には御 白 愛 下 さ いま し て佳
出 し て居 り ま す 。有 難 う 存 じ ま し た。
き新 年 を お迎 へ下 さ います 様 。 御 健 勝 と
寒 気 加 わ り ます 硼、御 大 切 に住 いお年
から御 礼 を 申 し上げ ます 。
諸 先 生 の御 厚 情 深 く感 謝 致 し ま し て心
た。
亡 き主 人 に代 り お懐 しく 拝 読 致 し ま し
前 にお供 え 致 し ま し て報 告 致 しま した 。
亡 く な り ま した年 で奇 し き思 いに早 速 佛
昭和 五十 五年 創 刊 と 承 り ま し て、 丁 度
た。
届 け下 さ いま し て誠 に有 難 う ご ざ いま し
日を おす ご し の事 と御 拝察 申 し上げ ま す 。
波 久 鳥 ﹂ 第 十 号を 御
本 日思 いが けず ﹁
御 発 展を 祈 り上げ ます 。 可 し こ
東京 都大 田区 蒲 田 四 。 一 ・ 一 一
青 山 芳 江
一
︶
︵一 ・一二 。 一一
一
波久鳥﹂が
一年 を 締 め 括 る か の様 に ﹁
い つも お 心 に お 懸 け 頂 き あ り が と う ご
訪 れ ま し た。
ざ いま す 。
こ の度 御 縁 が ご ざ いま し て息 子 が 日 鋼
グ ル ー プ に参 り ま し た 。 何 か と お 世 話 に
―- 36 -一
を お迎 え 遊 ば し ます様 御 祈 り申 し上げ ま
す 。 可 し こ
有賀 多賀
室 蘭 市 東 町 二丁 目十 二番 十 二号
︵一 。 一二 。 一︶
拝 啓 時 下 益 々御 清栄 の こと と お慶 び
きました。
そ し て加藤 先 生 の編 集 後 記 の最後 のひ
略儀 な が ら 取 敢 えず 御 礼 申 し上げ ます 。
敬具
︵一・一二 ・一三 ︶ 事務 局
礼 の電話を いただ きました。
知利別町 の工藤富美様 から波久鳥 のお
︵一 ・ 一二 。二〇 ︶
室 蘭 市幕 西 町 一番 一号
す 。今 後 共 よ ろ しく 。
と こと、実 によく効 いて いてう れ し いで
渡 島医 師 会
さ て、 こ の度 は波 久 鳥 第 一〇 号を 港 の
稲 月 螢介
上 磯 郡 上 磯 町中 央 三丁 目 二番 二〇 号
︵一 ・一二 ・四 ︶
時 下 、 ま す ます ご 清祥 の こと と存 じ、
このたび は 、波 久 鳥 第 一〇 号を 御寄 贈
文 学 館 へご 恵 贈 賜 り 、 厚 く お礼 申 し上げ
お喜 び申 し上げ ます 。
下 さ いま し てあ りが たく 厚 く御 礼 申 し上
ます 。
申 し上げ ます 。
げ ます 。
―- 37 -―
早 速整 理保 存 のう え 、 広 く 市 民 の方 々
にご 利 用頂 く 所 存 でご ざ います 。何 分 に
も 、 皆 様 お 一人 お 一人 のご協 力 で成 って
おり ま す この港 の文学 館 でご ざ います の
で、 今 後 とも よ ろ し く お力 添 え くだ さ い
ます よう 、 よ ろ し く お願 い申 し上げ ま す 。
あ り が とう ご ざ いま し た 。
市 立 室 蘭 図書 館
館 長 山 口 智
︵一 ・ 一二 ・二九 ︶
平 成 元 。10∼ 平 成 2・ 9
貴 重 な 研 究 資 料 と し て永 く 保 存 し利 用
さ せ て いただ き ます 。
な る、 今 後 とも 発 行 の折 は御 恵 送 く だ
さ いま す よう お願 い申 し上げ ます 。
砂 川市 西 四 条 北 二丁 目 六番 地 一
砂 川市 立 病 院
院 長 南 須 原 浩 一
︵一 ・ 一二 ・八 ︶
拝 啓 時 下 益 々ご 清 祥 の こと と お慶 び
申 し上げ ま す 。 このたび は、波 久 鳥 第 一
〇 号 を 当 医 師会 にご 恵 送 いただ き誠 に有
﹁
波 久 鳥 ﹂ 第 一〇 号 あ りが とうご ざ い
ま す 。 我 が 主 治 医 の阿部 先 生 は じ め 、上
田先 生 、斉 藤 先 生 な どう れ し い顔 振 れ の
方 々の エ ッセイ た のし く よ ま せ て いただ
高 田 芳 朗
逝去
2・ 4・ 15
名
氏
事由
日
月
年
難 う ご ざ いま し た 。
本 会 に保 存 し貴 重 な資 料 と し て活 用 さ
せ て いた だ きた いと存 じ ます 。
会 員 異 動
皆 様 お変 りご ざ いま せん でし ょう か。
い つも 親 交会 に励 ま し のお言葉 を いただ
波
き有 難 う ご ざ います 。 お陰 様 で昨 年 ﹁
久 鳥 ﹂ も 十 号を 発 行 でき ま した 。
親 交会 か ら は創 刊 以来 、 旧会 貝 の先 生
とご 家 族 に発 行 の都 度 、本 誌を お送 り し
、
会 に皆 様 の希 望 を 知 り た いので、 返 信 用
の ハガキを 同 封 さ せ て いただ き ます 。
若 し 、今 後 も継 続 し て希 望 され る場合
は、 お断 り の連絡 が あ る ま で送 り ま す し、
次 号 か ら 不 要 の場合 は本 号を 以 って終 ら
せ て いた だ き ま す 。 そ し て何 ら返事 が無
け れば 退会 後 三年 ま でお届 け し て、 そ の
あ と送 付 を 打 ち 切 ら せ て いただ く こと に
致 します。
本 誌を 受 け取 ら れ て喜 ん で いただ け る
今 後 も 増 加 す る 一方 の旧会 貝 とご 追 族 に
どう ぞ遠 慮 な く 連絡 し て下 さ る よう にお
不要 な も のを 押 し付 け て いた と した ら 、
のが編 集 委 員 と し ては望 ま し いのです が
これ ま で通 り進 呈 す る のは場合 によ って
願 い致 し ます 。 どう か忌 憚 のな い回答 を
以前 は 旧会 員 の先 生 か ら 度 々、本 誌 ヘ
り ま せん 。室 蘭 在 住 の会 員 と し ては先 生
の近 況 や 、 趣 味 、 エ ッセイ な ど 是 非 お聞
親 交 会 のお も な 行 事
○ 受賞 祝賀 会 及び 忘 年 パ ー テ ィ
2月 5日
平 成 元年 1
1
於 室 蘭 プ リ ンスホ テ ル
○ 平 成 2年 度定 期 総会 ・懇 親会
5日
平 成 2年 5月 2
於 ホ テ ルサ ンルート室 蘭
○ 親睦 旅行
函 館 ・湯 の川 。吉 岡海 底 駅
平 成 2年 7月 7日 ・8日
○ 秋 の行 楽会
o月 1日
平 成 2年 l
於 蘭 亭
―- 38 -―
て来 ま し たが 、編 集 委 員会 の話 の中 で
は 、寧 ろ迷惑 ではな いだ ろう か と の反省
玉稿 を 寄 せ て いただ きま し たが 最 近 は有
お知 ら せ下 さ い。
の声 が有 り ま した 。確 か に既 に室 蘭 を 離
れ て幾 年 も 経 ち、 親 交会 と のか か わ り も
編集
薄 ら いだ 方 も居 ら れ ま し ょう し、 ﹁
室 へのお便 り﹂ 欄 を 設 け て いる の で、 お
礼 の挨 拶 を 催 促 し て いる よう に感 じら れ
か せ いただ き度 いと 思 いま す 。
か つては先 生 方 に育 て て いた だ いた親
波 久 鳥 ﹂ です ので、 現会
交会 であ り 、 ﹁
員 と同 じく 、本 誌 へ投 稿 し て いた だ いて
る方 も いら っし ゃる かも知 れ ま せん 。
この事 に ついて会 長 、 副会 長 、編 集 委
てから 三年 は従 来 通 り に本 誌を 進 呈 し 、
発 展 、継 続 し て行 く よう に協 力 し て下 さ
員 と で話 し合 いを 行 い、会 員 が 退会 され
そ れ 以降 は本 人 の希 望 を 受 け るよう にし
る ことを 切 にお願 い申 し上げ ます 。
茎 貝 大 久 保 洋 平︶
︵
てみ ては、 と の意 見 で纏 り ま した 。
取 り 敢 えず 今 回十 一号を お届 けす る機
ん
ウ
も う 一年 が過 ぎ てし ま いま し た 。 地 球
の回転 が だ んだ ん速 く な った のではな い
でし ょう か。
紅 い海 ﹂ は、 ま る で洋 画
国本 先 生 の ﹁
の シ ー ンを 思 い浮 べる光 景 です 。
だ きました。
得意 のと ころで本 号 の前半を飾 って いた
性 委 員 の登 場 です 。 そ の活 躍を大 いに期
て貰 いま した 。 最 も若 く 、 は じ め て の女
れ 、今 年 から斎 藤 美 知 子 先 生 に加 わ わ っ
少 し は読 み易 く な った でし ょう か。
紙 も光 沢 の少 な いも のに替 え てみま し た。
ま た本 号 から活 字 を 一級 大 きく し て、
鳴 井 先 生 の モー タリ スト ク ラブ の小樟
藤兼先生、安斎先生、加藤 先生 にはお
紀 行 、遠 藤 先 生 の第 二十 四 回北 海 道 ド ク
待 し て下 さ い。
いま し た 。共 産 圏 諸 国 の変革 、 新 ドイ ツ
いただ きま し たが 、宿 泊 し た 啄木 亭 の庭
広 瀬 先 生 の親 睦 旅 行 記 に註釈 を つけ て
いただ き有 難 う ご ざ いま し た 。
伝 いを し て いただ いてお り ます 。
稿 の清 書 、 配本 な ど 、 い つも大 変 な お手
ま た医 師会 事 務 局 の皆 さん には座 談会
の録 音 や、 最 新 の ワープ ロを 使 って の原
四 号 から の編 集 委 員 榊島 章 先 生 が 退 か
ターズ ゴ ル フ大 会 参 戦 記を 本 誌 に寄 せ て
の誕 生 、中 東 のきな臭 い現況 等 々。 そ の
たび に日本 もあ っち へこ っち へと振 り 廻
園 が由 緒 あ るも のと は知 らず 、 じ っく り
あ のあ と世 界 は目 まぐ るしく 変 って了
され て いる 一年 でし た 。 こ の地 球 の遠 心
と見 て来 な か った のを 後 悔 し て います 。
し た 。 お 二人 のご 冥福 を 心 か ら お祈 り し
蘭 印 刷 の幸 松 元 三氏 も 五 月 に他 界 され ま
刊 以来 ず う っと お世 話を し て下 さ った室
先 生 の力 作 です 。 既 に幾 枚 か の画 が 用意
蘭 の海 岸 の景色 を 貼 り絵 で表 現 した 加藤
り ま した 。 原 画 は変 化 に富 んだ 美 し い室
十 一号を 契 機 と し て表 紙 が色 刷 り に成
大久 保 記 ︶
︵
力 で何 処 か へ飛ば され てしま わ な いよう
次 回 も 是 非 お願 いし ま す 。
海外 篇 ︶
上 田先 生 の寅 さん シ リ ーズ ︵
心境 です 。 こんな 世 相 に目 を つぶり、 耳
に必死 に へば り ついて いる のが や っと の
を 塞 いで十 一号を 編 集 しま し た 。
夏 の夜 のお し ゃ べり﹂ は カ ラ
座 談会 ﹁
オ ケ嫌 いの演 歌 好 き 、演 歌嫌 いでカ ラオ
ケ上 手、艶 歌 お ま か せ の方 にも 集 って い
四 月 に高 田芳 朗 先 生 が 亡 く な ら れ ま し
ま す 。高 田先 生 に つき ま し ては お付 き合
され て いる ので、 次 号 からも つぎ つぎ と
ただ いて 国か ら出 ま か せ、 勝 手気 儘 にし
ゃ べ っても ら った 次 第 です 。
いの長 か った 沢 山 先 生 に エピ ソードを紹
登 場 し ま す 。乞 ご 期 待 。
た 。前 回 ﹁
イ ンド雑感 ﹂ で素 晴 ら し い絵
と文 章 で本 誌を 引 き立 た せ て いただ いた
波久鳥 ﹂創
の に、 誠 に残 念 です 。 ま た ﹁
介 し て いただ き ま し た 。
―- 39 -一
﹁
波久 鳥 ﹂十 一号 編 集 委 員
霙 会拿
波
久
鳥
Fly UP