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ドイツ写真の現在: かわりゆく現実と向かいあうために

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ドイツ写真の現在: かわりゆく現実と向かいあうために
Kobe University Repository : Kernel
Title
ドイツ写真の現在 : かわりゆく現実と向かいあうため
に(Zwischen Wirklichkeit und Bild : Positionen deutscher
Fotografie der Gegenwart (The National Museum of
Modern Art, Kyoto, 6 January-12 Feburary, 2005))
Author(s)
今岡, 竜弥
Citation
美学芸術学論集,2:57-59
Issue date
2006-03
Resource Type
Departmental Bulletin Paper / 紀要論文
Resource Version
publisher
DOI
URL
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81002316
Create Date: 2017-03-29
美学芸術学論集
神戸大学芸術学研究室
5
7
2
06年
展評 :「ドイツ写真の現在
-かわりゆく現実と向かいあうために-」
今 岡竜弥
2
0
05年 1
0月 25日-1
2月 1
8日 (
於 東京国立近代美術館)、2006年 1月 6日-2月 1
2日 (
於 京
、2
0
0
6年 3月 1
2日-5月 7日 (
於 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館)
都国立近代美術館)
日本における 「ドイツ年 2005/2006」の一環 として企画された本展覧会は、 ドイツ現代写
真の範型 とされるベルン ト&ヒラ・
ベ ッヒヤー (
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he
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,
1
931
1
,1
9341
)を筆頭に、
近年台頭 しつつある多 くの作家が名を連ねている。本展覧会はそのタイ トルが示すように、時
代的 ・地理的 ・方法論的状況を越えて、「ドイツ」とい う枠で括 りうる十組の作家の活動を概観
9
5
0年代末から主に ドイツで活躍 しているベ ッヒ
するものである。そのため、本展覧会では、1
ヤー夫妻に始ま り、 ドイツを離れ、イギ リスを起点 とするヴォル フガング ・テ イルマンス
(
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n S,1968) に至るまで、種々異なるコンテクス トを持つ ドイツ出身の作家
が招聴 されている。
まずは本展覧会で紹介 された作家を展示順に記 してみよう。ベ ッヒヤー夫妻のセクションに
始まり、次いでテイルマンス、アン ドレアス ・グルスキー (
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,1
9551
)、 ミハエ
Mi
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t
,1
945)
、 トーマス ・デマン ド (
Tho
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nd,1
964)
ル ・シュミッ ト (
を経て、ロレッタ・
ルクス(
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x,1
969)、
ハイデ・
シュベ ッカー (
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,1
962)、
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,1
961
)、 リカルダ ・ロツガン
-ンス-ク リスティアン ・シンク (
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n ,1972a
)、ベアテ ・グーチ ョウ (
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w,1970)- と至る構成にな
っている。
9
9
0年代の ドイツ写真をリー ドしてきたベ ッヒヤー派の作家がほ
上記の並びを一瞥すると、1
とんど見あたらず、これまでの ドイツ写真の文脈から考えれば、全 く様子が異なっているとい
える。90年代以降、主に ドイツ写真の言説を形成 してきたのは、ベ ッヒヤー夫妻及び、デュッ
セル ドルフ美術アカデ ミーで彼 らに師事 した 「
べ ッヒヤー派」 と呼ばれる作家達である。 これ
9
9
0年のヴェネツィア ・ヴィェンナ- レにおいてべ ッヒヤー夫妻が金獅子賞を受賞 したの
は、1
を契機に、彼 らの教え子達もまた注 目され、その評価が高まったことに起因する。彼 らの共通
項 として挙げられるのは、出自はもちろん、「
大判のカラー作品」
、「
社会的 ・歴史的主題」、「
シ
リーズ化」などであろう。1
9
97年に同館で開催 された 「ドイツ現代写真展
《
遠/近》-ベ ッ
ヒヤーの地平-」で紹介 された九組の作家 【
ベ ッヒヤー夫妻を除く】は、いずれもベ ッヒヤー
派の作家であり、まさに 90年代半ばに ドイツ写真エペ ッヒヤー派 とい う枠組を提示 したもので
5
8
あった。言い換えるなら、この展覧会は 「
ベ ッヒヤー以後」 エペ ッヒヤー派 とい う一枚岩的な
枠組で ドイツ写真を捉える試みであったといえる。
それに比べて、本展覧会において招碑 されたベ ッヒヤー派の作家はグルスキーただ一人で、
前回の展覧会 と比較すると圧倒的に少ない。たしかに、展覧会導入部の作品配置が示唆するよ
うに、ベ ッヒヤー夫妻の作品は依然 として ドイツ現代写真を代表 しているといえる。 しか し、
展覧会の内実に目を向ければ、本展覧会は、これまで十数年に渡って一国を代表 してきたベ ッ
ヒヤー夫妻及びベ ッヒヤー派 とい う枠組では収ま りきらず、「
ベ ッヒヤー派以後」の状況を呈し
ていることが伺える。本展覧会のタイ トル 「ドイツ写真の現在一変わ りゆく現実 と向かいあ う
ために-」は、作家による主題の共通性だけでなく、従来の 「ドイツ写真」 とい う文脈が、ま
さに変化 しつつあることをも主題化するものといえるだろう。
このような 「
ベ ッヒヤー派以後」 とい う枠組を意図する本展覧会において、その流れを示す
いくつか注 目すべき作品に触れてみたい。 ミュン-ン造形芸術アカデ ミーで絵画を学んだルク
スは、近年、専 らデジタル技術を用いる多くの作家の うちの一人である。個別にデジタル撮影
された人物は、同様に撮影あるいはコンピューター上で描かれた背景に、デジタル合成 ・処理
される。陰影の薄いパステルカラーの画面に現れる少年少女は、画面全体からのズレ、あるい
は自らの身体の各部分からズレを生 じさせながら立ち現れてくる。一見親 しみやすそ うな作品
が、その実、居心地の悪いもの- と印象を変え、デジタルイメージの、あるいは 「
少年」「
少女」
とい うイメージの可変性を表 しはじめる。
ルクスとは逆にデジタル技術を用いない作家 として、デュッセル ドルフ芸術アカデ ミーで彫
刻 ・建築模型を学んだデマン ドが挙げられるだろう。例えば、乱雑に破壊 された様子を写 した
作品 「
部屋」 (
1
994 年)は、正面からの強いフラッシュが当てられ、あたかも事件現場を捉え
た報道写真のようである。 しか し、破壊された壁や椅子の表面には使用あるいは破壊による人
の痕跡がほとんど無い。その上、画面左奥上方の天井 と壁の繋ぎ目は歪んでお り、奇妙な非現
実感が漂 う。 この感覚を惹起する要因の一つは、その制作方法にあるだろう。彼はマスメディ
アに流通 し遍在する歴史的な事件現場のイメージを、模造紙で実物大に再現 している。上記の
奇妙な非現実感は、私たちの認識がイメージや模造紙 とい う厚みのない表面に留ま り、それよ
り奥-進み得ないことによるのかもしれない。
上記の二人 とは異な り、その活動開始時期をベ ッヒヤー夫妻 と近くにし、本展覧会で彼 らと
表裏の関係 として設定されているのがシュミットである。彼の作品は、専らその活動拠点であ
るベル リンとい う都市の歴史的 ・社会的特異性を軸 としている。作品 『
統 ・-』(
1
991
-1
99
4年)
60枚の写真は、彼 自身によって撮影された写真 とマスメディアに流通するイメ
を構成する約 1
ージ両方が同等のフォーマ ットに統一され、等価に扱われている。黒い枠に覆われたイメージ
群は、鑑賞者を取 り囲むように並び、ベル リンとい う都市が膨大に蓄積 してきた陰撃な記録/
5
9
記憶を提示 している。
ここで取 り上げたルクス、デマン ド、シュミットはそのアカデ ミックな経歴や方法論におい
て、代表的なベ ッヒヤー派 とは多分に異なっている。すなわち、その経歴や方法論が、アメリ
カにおける写真史の文脈、例えばニュー ・トポグラフィックスやニュー ・カラー といった動向
に繋がっていることを鑑みれば、 ドイツ国内のみで 「ドイツ写真」の起源や枠組を求めること
は困難であろ う。また、べ ッヒヤー夫妻それ 自身に目を向けてみても、これまで彼 らを論 じる
際にクリシェとされてきたタイポロジーを一旦留保することが提起 されている1
。言い換えるな
ら、これまで 「ドイツ写真」の代名詞であったベ ッヒヤー夫妻が、非ベ ッヒヤー派の台頭 とい
う理由だけでなく、その理論的基盤からの再考を促 されているのである。
前述 したように、本展覧会で展示 される 「ドイツ写真」は、決 してこれまでのようにベ ッヒ
ヤー派に焦点を合わせたものではない。い うなれば、「ドイツにおける、あるいは ドイツに関わ
る写真」 とい うように、その二つの語童 (ドイツ/写真)を切 り離す、あるいは緩やかに結び
つける展覧会である。本展覧会は従頑なに保持 されてきた枠組に対 して、まさにベ ッヒヤー夫
妻が行ったように 「
適切な距離を置き」
、ドイツに関連する作家達を再考する新たな契機 となる
といえよう。
※ なお、筆者が観覧 したのは京都国立近代美術館における展示である。
(
いまおかたっや :
神戸大学文学研究科修士課程)
L
『ドイツ写真の現在-かわ りゆく 「
現実」と向かいあうために-』、東京国立近代美禰 告 丸亀市猪熊弦-Bl
視 代謝 布 /財団
法人 ミモカ美術振興財団 読売新聞社、2005年、p99
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