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こちら - 北海道師範塾

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こちら - 北海道師範塾
北海道師範塾「教師の道」・研究紀要
北の教師道
■師範塾副塾頭
鈴木重男
第3号
「K-Sonar の活用」
「我が国のインクルーシブ教育システム」
~障害者を包容するあらゆる段階の教育制度~
■札幌市立元町北小学校教諭 齊藤振一郎 「クロス面積図」は様々に発展する
「体育ノート」で体育をより知的に
「集合知授業システム」で歴史授業に取り組む。
■師範塾塾頭 吉田洋一
「学力調査結果の公表を如何に受け止めるか」
■藤女子大学教授 太田眞
「PTAと一体になった学校経営実践」
■小清水町立小清水中学校校長 長野藤夫 「校長として職員に何を語るか」
「校長として卒業していく生徒達に何を語るか」
■北海道釧路養護学校教頭 佐藤暢洋
「指導の「コツ」を考察する」
-視覚に障害のあるの児童・生徒に運動技能や動作を効
果的に身に付けさせるために-
■北海道札幌手稲高等学校教諭 河村真一郎「授業改善のための評価方法の工夫・改善の実践例」
~授業評価及び研究授業について~
■北海道美深高等養護学校校長 佐々木誉之「いつの時代にも選ばれる学校づくり」
北海道美深高等養護学校あいべつ校教頭
~授業評価及び研究授業について~
櫻田拓也
■北海道師範塾監事 近田勝信
「夢 の 学 校」
■七飯町立七飯中学校教諭 佐藤圭佑
「平成 25 年度渡島教育局指導主事訪問音楽科学習指導案」
「小学校音楽科教育における、スピーキングコーラスを
用いた音楽づくりの実践」
「第 54 回北海道音楽教育研究大会釧路大会に参加して」
■乙部町立明和小学校教頭 佐々木朗
「教頭として取り組んでいることと心得」
「町内陸上のICT化の試み」
「DIYで楽しみながら学校を便利にしましょう」
■北斗市立石別中学校教頭 小山内仁
「音楽を教える教師の仕事」
■札幌市幼児教育センター 幼児教育研究員
森直樹「学級経営に行き詰まったら・・・」
■小清水町立小清水小学校校長 寺本聡
「子どもが熱中するボールあそび(体育・低学年)」
■北海道有朋高等学校副校長 山本周男
「地域と農業の力を活用し「生きる力」を育む学校運営」
■北海道師範塾教師養成講座塾生 岡さおり 「我が国の教育課題への私の考え」
~教員採用での小論文を通して~
■恵庭市立和光小学校教諭 松野浩毅
「歴史教育の現状と,本来あるべき姿についての一考察」
「学習効果を高めるためのTT指導のあり方について」
■北海道北見柏陽高等学校教諭 斉藤満幸 「2014 年 見学旅行事前資料・広島編1~3」
「韓国、慰安婦・竹島問題を授業する」
「学級通信 『16歳』」
「新米教師 1 年目の振り返り」
「初任者としての一年間」
「新米教師 1 年目の振り返り」
~へき地だからこそできること~
■平取養護学校静内ペテカリの園分校教諭 伊藤淑芳
「新米教師1年目の振り返り」
■七飯町立七飯中学校音楽科教諭 佐藤圭佑 「新米教師1年目の振り返り」
■鷹栖町立鷹栖中学校教諭 上杉明広
「新米教師1年目の振り返り」
■札幌市立明園中学校教諭 小畑 愛
「新米教師1年目の振り返り」
■苫小牧市立啓北中学校教諭
榛伸悟
■苫小牧市苫小牧東小学校教諭 鬼頭早春
■伊達市立大滝中学校教諭 橋上清香
北海道師範塾「教師の道」編集・平成26年8月
-1-
巻頭言
北海道師範塾「教師の道」
塾頭
吉
田
洋
一
研究紀要というネーミングには、アカデミックな装いが感じられるように、大学や
研究機関の研究者の研究成果の発表の場という印象が強いと思います。
ただ、北海道師範塾「教師の道」は、研究者ではなく教育実践者の集団です。だか
ら、この研究紀要は、研究成果の発表というより、教育実践の振り返りといった方が
良いと思っています。
北 海 道 師 範 塾 「 教 師 の 道 」 は 、「 共 に 学 び 、 共 に 成 長 す る 」 と い う 思 い を 共 有 し な
がら活動しています。しかし、実はこの「共に学び、共に成長する」という事は、口
で言う程簡単ではありません。
教師の皆さんは、日々、目の前の課題と向き合って必死に頑張っていると思います
が、忙しい中で頑張れば頑張る程周りが見えなくなってくる、自分の事しか目に入ら
なくなってしまうという事は避けられません。ですから、時々は、自分は今どのよう
な位置にいるのか、何処を向いているのか、何をしようとしているのか、立ち止って
振り返る事が大切だと思っています。
研究紀要の原稿をまとめる事は、それまでの自分の教育実践を再構築する事になり
ます。それを活字にして発表するというのは勇気のいる事ですが、そうする事で、自
分の振り返りは確かなものになるでしょう。
私達は、常に実践者として現在進行形です。だから、研究紀要で発表している中身
は、教育実践の完成型ではありません。それを互いに持ち寄って学び合う、そうする
事が教師としての成長の糧となるはずです。
「共に学び、共に成長する」というのは、そういう事だと思っています。
勇気を持って原稿を寄稿してくれた皆さん、また、編集にご苦労頂いた齊藤満幸先
生に感謝いたします。
-1-
K-Sonar の活用
北海道師範塾「教師の道」 副塾頭
1
鈴 木 重 男
K-Sonar とは
K-Sonar は、超音波メガネ Sonic
超音波発射部
Guide を発明した Lesley Kay が、
2003 年、Sonic Guide の環境構成物
超音波受信部
までの距離を音のピッチ情報で表示
する技術及び環境構成物の表面素材
白杖差込部
骨導ヘッドホン
から超音波が反射してきた情報を音
色情報に表示する技術をそのままの
システムとして導入した手持ち型の
視覚障害児・者用超音波環境把握器
である。
本稿は、本会理事沓澤整治先生(北海道高等盲学校勤務)、坪川寛司先生(北海道立特別
支援教育センター勤務)、楢山正太先生(北海道札幌盲学校勤務)、米沢 新先生(北海道
旭川盲学校勤務)、神野紋子先生(北海道札幌盲学校勤務)等と共に、視覚的情報を得る
ことができない全盲児といわれる児童生徒に対して、K-Sonarから得られる聴覚情報を活用
して、視覚的な環境情報を得させるため、平成22年、23年、24年度の3年間にわたり共同で
行った実践研究を整理したものである。
K-Sonar の概観
1 K-Sonarの特性
(1)K-Sonar が表示する距離情報
K-Sonar が表示する距離情報は、環境構
成物が 1m 前にあると 1000Hz、2m 前 2000Hz、
3m 前 3000Hz、4m 前では 4000Hz の音で比例
的に表示される。したがって、聴覚的情報
処理に長けている視覚障害児には非常に分
ビンビンビンと「三
点ハ音」の高さで聞
1000Hzの音が
かり易い表示であり、特に音感が優れてい
こえます。
ビンビンビン
る視覚障害児にはピアノの音と対比して指
導することもできる。
(2)K-Sonar が表示する環境構成物情報
壁等までの距離1m
K-Sonar は、視覚障害児の周囲にある例
えば「電信柱」は「電信柱」としての独特
の音色「ピンピンピン」という音色で表示
する。鈴木らは、かつて普通中学在籍中にフォン・ヒッペル・リンドウ病 VHL で中途失明
した生徒に対して、Sonic Guide を指導したことがある。その中途失明した生徒は、Sonic
-1-
Guide が表示する環境構成物の独特の音色を分析して、周囲の環境構成物を視覚的情報と
して想起できると述べた。鈴木らは、この中途失明生徒に Sonic Guide で環境構成物を観
察させた後に、レーズライター(視覚障害児用凸図作成器)を用いて描画させてみた。下
図は、その描画と実際の場のイラストなどである。
鈴木は、この実験の後、昭和 60 年(1985 年)、国立特殊教育総合研究所での長期研修に
おいて、Sonic Guide の各種環境構成物が表示する音色のソナグラム波形と音色の擬声
音を、静止時と移動時での両方の音色により
分析したものをマトリックスとして整理(下
超音波が
表)した。
凸部で反
Sonic Guide(K-Sonar も後継器種として、
射し、ブ
同じ音色情報を表示する。)は、例えば工事中
ォョと反
応する
の建物などの道路に張られている波板鋼板で
は、静止して鋼板に正対した時は、
「リョンリ
ョン」と表示し、鋼板に沿って歩くと「ブォ
ョブォョブォョ」と表示する。このように静
止時と移動時の音色情報をマトリックスにすると、環境を構成する具体的な物体をある程
度特定することができる。そのマトリックスが、下表である。
区分
動
ピンピン!~
的
ジョアジョア~
状
ピンピン!!!~
態
声
ビュゥビュゥ~
ブォョブォョ!!!
~
シュフィン
シュフィン~
ビュフビョフィ
音
シュアシュア~
の
擬
静
的
状
態
ピン
ビン
ピン~
ビン~
標識ポール
コンクリー
街灯ポール
ト電柱
トタン看板
コンクリー
ト塀(つな
ぎ目有り)
工事用鋼板
防護壁
の
擬
リョン
リョン~
モルタル塀
レンガ壁
ブロック塀
波型トタン
塀
声
音
リョシュ
リョシュ~
ショヤ
ショヤ~
ジョヤ
ジョヤ~
金網フェン
スナイロン
ネット
金属フォン
ス
アルミフェ
ンス
多種樹木の
生け垣
-2-
(3)K-Sonar が表示する環境物体の方向
環境構成物の方向を特定するには、Sonic Guide はス
物体の方向は、手首のス
キャニングで
テレオと同様の両耳間強度差として両耳からの音の効果
により、特定の環境物体のある方向を理解することがで
きたが、K-Sonar はこの仕組みがないので、K-Sonar を保
持する手首を左右にスキャニングして環境構成物の方向
を特定することになる。
手首を左右にスキャニングすることにより、環境構成
ピンピンピンと両耳か
物が K-Sonar の正面にある時は、両耳からのモノラル音
ら入ってくる音が頭の
中心で一つになる
が「頭の頂点」で、一つの音として聞こえる。
また、この両耳へのヘッドホンは、通常のヘッドホン
では外耳道から鼓膜を通して視覚障害児に伝えられる。しかし、この通常のヘッドホンを
使うことにより、安全な歩行に欠かすことのできない車の音などの交通音等の聴覚情報と
K-Sonar が表示する聴覚情報が競合して、時として危険な状況に遭遇しかねないとの危惧
もあることから、本指導実践においては、K-Sonar からの聴覚情報は骨伝導ヘッドフォン
を使用して、直接、内耳の蝸牛に表示する入力方式にした。このことにより、交通音等の
外音と K-Sonar 音は鼓膜からの競合することない、別々の情報音として認識できることに
なった。
2
K-Sonar を活用するための基本的な指導
視覚障害児が K-Sonar で表示さ
れる「距離に係る情報」や「環境
構成物の特定に係る音色情報」を
自分自身の感覚器からの情報と似
たような感じで認識するには、遊
びの中で楽しく、それから情報の
理解等が身につくよう仕組むこと
が大事と考え、道内盲学校 5 名の
教師の協力を得て、「距離情報を
身に付ける遊び 7 事例」「素材情
報を身に付ける遊び 2 事例」「距
離情報及び方向情報を身に付ける
遊び 18 事例」「距離情報及び素材
情報を身に付ける遊び 3 事例」
「素
材情報及び方向情報を身に付ける
遊び 3 事例」「距離情報及び方向情報、素材情報を身に付ける遊び 8 事例」、計 6 カテゴ
リー41 事例を収集した。
この事例で最も評判が良かったのは、上に掲げたエアガンで大太鼓やホワイトボードを
狙う「射的」ゲームであった。この「射的」ゲームは、当該視覚障害児と視覚に障害のな
い兄弟間のゲームとしても両者が競い合うなどの遊びにまであったようである。
3
K-Sonar を活用してジオラマを作成する
鈴木は、Sonic Guide の指導では、視覚障害児が確実に環境構成物を把握できたかどう
-3-
かを評価する方法として、左図にあるように電信柱や街路
樹、コンクリート塀、金網フェンス等の環境構成物のミニ
チュア模型を作成し、そのミニチュアの下に磁石を付け、
Sonic Guide で観察した環境をジオラマのように鉄板の上
に構成させた。これは、Sonic Guide が最も得意とする環
境構成物の音色情報を確実に把握しているかどうかを知る
ための評価でもあった。
Sonic Guide の音色情報を引き継いだ K-Sonar は、当然
このような環境構成物を特定の環境構成物として把握する
ことができる視覚障害児用の教具である。
道内盲学校 5 名の教師も視覚障害児に対して、作成した
各種の環境構成物のミニチュア模型でのジオラマ構成を試
みた。
事例 1 指導者名:坪 川 寛 司
指導対象者名:A児(7歳)
視力状況等:(眼疾:網膜芽細胞腫、視力程度:光覚不弁、失明時期:4歳時)
ジオラマ構成の情景写真
ジオラマ構成のイラスト
当該視覚障害児のジオラマ構成の写真
-4-
事例 2 指導者名:沓澤 整治
指導対象者名:K・S(17歳)
視力状況等:(眼疾:視神経萎縮 視力程度:両眼0、失明時期:出産時)
当該視覚障害児のジオラマ構成の手続き写真
5
おわりに
K-Sonar は、環境構成物に超音波を発射しその反射音を「距離情報」
「音色情報」として、
固有の聴覚情報に変換する機器であることから、視覚的情報を得ることのできない視覚障
害児に対して有為なツールと位置づけることができる。さらに、本稿で述べたようにジオ
ラマ構成を工夫したことにより、視覚障害児の空間把握に係る能力の向上にも寄与するこ
とのできるツールということもできる。今後は、沓澤先生をはじめとした道内盲学校の教
師が、視覚障害児の空間概念をより一層発達させる指導の一環として、K-Sonar の視覚障
害児への活用実践を進めて頂きたいものと願っている。
引用・参考文献
鈴木重男、木村浩一、坪川寛司、楢山正太、沓澤整治、米沢新、神野綾子
視覚障害児の超音波機器の活用Ⅰ
2011
~K-Sonar™の指導プログラムの開発~
北海道文教大学平成 22 年度及び 23 年度共同研究費による研究成果報告書
鈴木重男、佐藤治人
1984 年
「ソニックガイドを利用した描画指導」
北海道高等盲学校昭和 59 年度研究紀要
鈴木重男
1986 年
p141-149 北海道高等盲学校
ソニックガイドの音色分析
心身障害児教育論文集第 12 巻
p75-83 (財)心身障害児教育財団
鈴木重男、木村浩一、坪川寛司、楢山正太、沓澤整治、米沢新、小野寺綾子、森田浩司 2013
視覚障害児の超音波機器の活用Ⅱ~K-Sonar™指導の工夫~
北海道文教大学平成 24 年度共同研究費による研究成果報告書
-5-
我が国のインクルーシブ教育システム
~障害者を包容するあらゆる段階の教育制度~
北海道師範塾「教師の道」 副塾頭
鈴 木 重 男
我が国は、障害者に関する条約(1)(以後、
「障害者権利条約」とする。)を平成 26 年 2014
年 1 月 20 日に批准した。このことにより我が国は、国際的に、障害者を包容するあらゆる
段階の教育制度 an inclusive education system at all levels を確保することを確認し
たことになる。いわゆる障害があってもなくても一般的な教育制度の下で教育するという
インクルーシブ教育システムを採用することを確認したことになる。
本稿は、このインクルーシブ教育システム「障害者を包容するあらゆる段階の教育制度」
について、特に平成 19 年 2007 年度から実施された特別支援教育制度から、平成 25 年 2013
年 9 月の学校教育法施行令の一部改正(2)による認定特別支援学校制度実施による障害のあ
る児童生徒の就学・修学などについて教師が知っておくべきことを整理したものである。
1
障害者権利条約と就学制度
我が国の特別支援教育制度は、平成 19 年 2007 年、障害のある児童生徒等の教育を小学
校及び中学校等においても可能にする教育制度として整備されたものである。しかし、こ
の時点での特別支援教育制度は、従来の特殊教育制度から引き続いて、学校教育法に示さ
れていた障害の種類と程度に応じた就学基準を前提にしているため、障害者権利条約第 24
条 2 項(a)「障害者が障害に基づいて一般的な教育制度から排除されないこと及び障害の
ある児童が障害に基づいて無償のかつ義務的な初等教育から又は中等教育から排除されな
いこと。」の視点においては、障害を理由にした一般的な教育制度から排除する教育制度
でもあった。
障害者権利条約を批准するためには、この改善が必要となることから、文部科学省は、
平成 25 年 2013 年 9 月、学校教育法施行令を一部改正して、同施行令第 22 条の 3 の表に就
学基準として規定していた障害の種類と程度を、認定特別支援学校就学者制度のための参
考資料に位置づけた。この認定特別支援学校就学者制度は、特別支援学校への就学者以外
の保護者に対し、翌学年の初めから 2 月前までに、小学校又は中学校の入学期日を通知し
なければならないとした就学制度である。したがって、この就学制度は、児童生徒の障害
の程度がたとえ重度であっても認定特別支援学校就学者として、市町村教育委員会が認め
た者以外の児童生徒は小学校又は中学校に就学するとした制度である。この就学制度によ
り、障害者権利条約に規定された「障害者が障害に基づいて一般的な教育制度から排除さ
れないこと及び障害のある児童が障害に基づいて無償のかつ義務的な初等教育から又は中
等教育から排除されないこと。」の視点においては、障害を理由にした一般的な教育制度
から排除されないとした教育制度への改善ということができるものであった。
また同改正学校教育施行令では、
「障害のある児童生徒の就学先を決定する仕組み」の改
-1-
善とともに、
「児童生徒の障害の状態の変化のみならず、その者の教育上必要な支援の内容、
地域における教育の体制の整備の状況その他の事情の変化によっても、特別支援学校と小
中学校間」を柔軟に転学できるとした改善、
「児童生徒の居住する都道府県の設置する特別
支援学校以外の特別支援学校への区域外就学」も可能とした改善、さらに「小学校、中学
校又は特別支援学校への就学又は転学に係る通知をしようとするときは、その保護者及び
教育学、医学、心理学その他の障害のある児童生徒等の就学に関する専門的知識を有する
者の意見聴取」についても改善が図られた。
2
インクルーシブ教育システムと特別支援教育
障害者権利条約の批准により、我が国のインクルーシブ教育システム「障害者を包容す
るあらゆる段階の教育制度」は、障害者権利条約第 24 条「教育条項」に規定されている内
容を確保するために、今後、円滑に推移しなければならない。第 24 条「教育条項」には、
この内容が次のとおり示されている。
1 締約国は、教育についての障害者の権利を認める。締約国は、この権利を差別なしに、かつ、機会の
均等を基礎として実現するため、障害者を包容するあらゆる段階の教育制度及び生涯学習を確保する。当
該教育制度及び生涯学習は、次のことを目的とする。
(a)人間の潜在能力並びに尊厳及び自己の価値についての意識を十分に発達させ、並びに人権、基本的
自由及び人間の多様性の尊重を強化すること。
(b)障害者が、その人格、才能及び創造力並びに精神的及び身体的な能力をその可能な最大限度まで発
達させること。
(c)障害者が自由な社会に効果的に参加することを可能とすること。
2 締約国は、1 の権利の実現に当たり、次のことを確保する。
(a)障害者が障害に基づいて一般的な教育制度から排除されないこと及び障害のある児童が障害に基づ
いて無償のかつ義務的な初等教育から又は中等教育から排除されないこと。
(b)障害者が、他の者との平等を基礎として、自己の生活する地域社会において、障害者を包容し、質
が高く、かつ、無償の初等教育を享受することができること及び中等教育を享受することができること。
(c)個人に必要とされる合理的配慮が提供されること。
(d)障害者が、その効果的な教育を容易にするために必要な支援を一般的な教育制度の下で受けること。
(e)学問的及び社会的な発達を最大にする環境において、完全な包容という目標に合致する効果的で個
別化された支援措置がとられること。
3 締約国は、障害者が教育に完全かつ平等に参加し、及び地域社会の構成員として完全かつ平等に参加
することを容易にするため、障害者が生活する上での技能及び社会的な発達のための技能を習得すること
を可能とする。このため、締約国は、次のことを含む適当な措置をとる。
(a)点字、代替的な文字、意思疎通の補助的及び代替的な形態、手段及び様式並びに定位及び移動のた
めの技能の習得並びに障害者相互による支援及び助言を容易にすること。
(b)手話の習得及び聾社会の言語的な同一性の促進を容易にすること。
(c)盲人、聾者又は盲聾者(特に盲人、聾者又は盲聾者である児童)の教育が、その個人にとって最も
適当な言語並びに意思疎通の形態及び手段で、かつ、学問的及び社会的な発達を最大にする環境において
行われることを確保すること。
4 締約国は、1 の権利の実現の確保を助長することを目的として、手話又は点字について能力を有する
教員(障害のある教員を含む。)を雇用し、並びに教育に従事する専門家及び職員(教育のいずれの段階
において従事するかを問わない。)に対する研修を行うための適当な措置をとる。この研修には、障害に
ついての意識の向上を組み入れ、また、適当な意思疎通の補助的及び代替的な形態、手段及び様式の使用
並びに障害者を支援するための教育技法及び教材の使用を組み入れるものとする。
5 締約国は、障害者が、差別なしに、かつ、他の者との平等を基礎として、一般的な高等教育、職業訓
練、成人教育及び生涯学習を享受することができることを確保する。このため、締約国は、合理的配慮が
障害者に提供されることを確保する。
したがって、この教育条項で示されている内容が、今後、担保された具体的な教育制度
としてインクルーシブ教育システムが構築されることになる。
このため、障害者権利条約で示されているインクルーシブ教育システムを構築する方向
性などについて、中央教育審議会初等中等教育分科会は、平成 24 年 2012 年、
「共生社会の
形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進」報告(3)をと
-2-
りまとめた。
本報告では、インクルーシブ教育システムは、
「同じ場で共に学ぶことを追求するととも
に、個別の教育的ニーズのある幼児児童生徒に対して、自立と社会参加を見据えて、その
時点で教育的ニーズに最も的確に応える指導を提供できる、多様で柔軟な仕組みを整備す
ることが重要である。小・中学校における通常の学級、通級による指導、特別支援学級、
特別支援学校といった、連続性のある「多様な学びの場」を用意しておくことが必要であ
る。」という、個別の教育的ニーズに基づく指導の提供を行うための柔軟な仕組みの制度で
あることを提言した。また現行の特別支援教育は、
「共生社会の形成に向けて、インクルー
シブ教育システム構築のために必要不可欠なものである。」として、インクルーシブ教育シ
ステム構築に向けた経過的な教育制度として位置づけた。
3
特別支援教育からインクルーシブ教育システム構築への道筋
次表は、平成 19 年 2007 年の特別支援教育の実施から、基本的には全員が一般的な教育
制度化での教育を受けることができるとした認定特別支援学校就学者制度実施に至る施策
等を整理したものである。障害のある児童生徒等の教育制度が障害者権利条約批准による
施策方向で変化しているのがよく分かる。
表「特別支援教育、さらにインクルーシブ教育システム構築への動向」
区 分
平成 19 年
2007 年
障害者権利条約批准に係る施策等
平成 20 年
2008 年
・「障害児支援の見直しに関する検討会
(報告書)」で、地域での放課後や夏休み
等における居場所の確保を提言。
平成 21 年
2009 年
・内閣府「障がい者制度改革推進本部」
及び「障がい者制度改革推進会議」を設
置。
平成 22 年
2010 年
平成 23 年
2011 年
平成 24 年
2012 年
平成 25 年
2013 年
文部科学省の施策等
・
「学校教育法」等の一部改正で、小中学校等での特別支
援教育の実施、特別支援学校の複数の障害種の対応とセ
ンター的機能の発揮、就学先の決定に係る保護者の意見
聴取の義務化を規定。
・幼稚園教育要領、小・中学校学習指導要領が改訂。障
害児等についての教育の実施と、特別支援学校等の助言
又は援助を活用することを規定
・障害のある児童及び生徒のための教科用特定図書等の
普及の促進等に関する法律が施行、教科書発行者へのデ
ータ提出の努力義務を規定。
・高等学校学習指導要領が改訂。障害児等についての教
育の実施と、特別支援学校等の助言又は援助を活用する
ことを規定
・特別支援学校学習指導要領が改訂。個別の教育支援計
画、個別の指導計画の作成を義務化。自立活動は、6 区分
26 項目
・高等学校における特別支援教育の推進について(高等学
校ワーキング・グループ報告)で、高等学校での特別支援
教育の充実を提言。高等学校在籍生徒に2.2%の発達
障害生徒がいることを報告。
・中央教育審議会「特別支援教育の在り方に関する特別
委員会」を設置。
・
「障害者虐待の防止、障害者の養護者に
対する支援等に関する法律」が公布、学
校は障害者虐待の早期発見に努めること
などが規定。
・「障害者基本法」一部改正、「可能な限
り障害者である児童及び生徒が障害者で
ない児童及び生徒と共に教育を受けられ
るよう配慮する」ことなどが規定。
・内閣府「障がい者制度改革推進会議」
を廃止し「障害者政策委員会」を設置。
・
「障害を理由とする差別の解消の推進に
関する法律」
。
・7 月 23 日、中央教育審議会「特別支援教育の在り方に
関する特別委員会」による「共生社会の形成に向けたイ
ンクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の
推進」が報告され、短期的「障害者権利条約」批准まで
の施策と中長期的「同条約」批准後の 10 年間程度に向け
た取組方策が提言。
・12 月、小・中学校の通常の学級に在籍する児童生徒の
6.5%に学習上及び生活上の困難さが見られると中教審初
等中等教育分科会が報告。
・3 月、
「障害者の雇用を支える連携体制 ・8 月、改正障害者基本法第 16 条に「適切な教材等の提
の構築・強化について」厚生労働省通達。 供」が追加されたことから、文部科学省検討会は「障害
就労支援機関、特別支援学校等を巻き込 のある児童生徒の教材の充実について」を報告。
み地域全体で障害者の雇用を支える取組 ・9 月、学校教育法施行令の一部改正で、平成14年に制
を実施。
度化した第 5 条「認定就学者」を廃止し、
「認定特別支援
・4 月、障害者自立支援法を障害者総合支 学校就学者」に変更。用語的には、認定就学者制度から
援法と変え、
「障害者の日常生活及び社会 認定特別支援学校就学者制度に 180 度転換。
生活を総合的に支援するための法律に変 ・10 月、文科初第 756 号「障害のある児童生徒等に対す
-3-
平成 26 年
2014 年
更し、施行。
・6 月、
「障害を理由とする差別の解消の
推進に関する法律」公布。障害の有無に
よって分け隔てられることなく、相互に
人格と個性を尊重し合いながら共生する
社会の実現に向け、障害を理由とする差
別の解消を推進することを目的として制
定。
・12 月、障害者権利条約を国会が承認。
・1 月、障害者権利条約を国連に寄託。
・2 月、障害者権利条約の効力発揮。
る早期からの一貫した支援について」で学校教育法施行
令改正の留意事項を通知。
・10 月、文部科学省初等中等教育局特別支援教育課は、
「教育支援資料~障害のある子供の就学手続と早期から
の一貫した支援の充実~」で、
「学校教育法施行令改正に
よる市町村教育委員会の修学手続におけるモデルプロセ
ス、障害種毎の障害の把握等」を詳細に解説。
4
特別支援教育の現状
障害のある児童生徒の教育が一般的な教育制度において行われるというインクルーシブ
教育システムであるが、実際には、障害のある児童生徒の教育の場は、従前の特別支援学
校及び特別支援学級、通級による指導といった特殊教育制度において整備された場への就
学者が急増している。図 1 は、我が国の児童生徒数の推移であるが、少子化の影響も受け
ずに特別支援学校就学者数が平成 10 年代から増加している。
図1
我が国の幼児児童生徒学生数の推移(4)
図 2 は、特別支援学校及び特別支援学級、「通級による指導」に在籍している者の平成
15 年 2003 年度と平成 24 年 2012 年度の 10 年間のそれぞれの在籍者数の比較である。
図2
特別支援教育対象の児童生徒数(5)
-4-
筆者は、保護者の皆様方が特別な指導の場を就学の場として選択する理由を、次の 6 点
として考えている。
① 保護者は、障害児は恥ずかしいものではなく、どの家庭にでも生まれるものとの「障害児」観を持つ
ようになり、障害のある児童生徒に応じた適切な教育の場を求めるようになってきた。
② 保護者は、障害を理由にした通常の学級でのいじめや、いじめなどによる不登校を回避するため、少
人数で手厚い教育をする特別支援教育の場を求めるようになってきた。
③ 保護者は、地域の保健福祉関係者の早期発見と早期のかかわりによる個別の教育支援計画及び個別の
指導計画のきめ細かな障害児への対応やその必要性を理解すると共にその支援から得られる効果を理
解してきた。
④ 保護者は、保護者自身の高齢化した後の子どもの将来の自立を念頭に、特に知的障害や発達障害の場
合は施設設備や専門的な指導人材や卒業後の支援体制が分かりやすい特別支援学校高等部を就学の場
として求めるようになってきた。
⑤ 国及び各地方公共団体が通学費、給食費、教科書費、学用品費、修学旅行費等を補助する特別支援教
育就学奨励費の仕組みが、保護者に理解されるようになってきた。
⑥ 障害児が通常の学級に措置されたとしても、その障害児を通常の学級で指導担当する教師の資質が低
いことから、当該障害児の持つ可能性を最大限に発揮させることができないことも、特別な指導の場
を選択する理由になってきた。
5
学び続ける教師(管理職)の姿を
障害のある児童生徒と障害のない児童生徒が学びあい、共に価値ある自己実現が可能な
教育制度においては、障害があるなしに関わらず、児童生徒等一人一人が持っている顕在
化している力と、まだ顕在化していないが潜在化しているその可能性を最大限に伸長させ、
地域社会の中の一員として、地域の中で自立させ、社会参加させることが重要である。こ
のため、上述した 6 点目の何よりも障害のある児童生徒の教育を担う通常の学級の教師の
資質向上が最も重要といえる。
児童生徒等を担当する教師、それ以上に校長・教頭は、時代と共に変わりゆく教育的ニ
ーズや児童生徒等が示す個々の困難さの状態等に的確に向き合うためにも、積極的に各研
修会等に出席すること、新しい知見や教育実践を整理した刊行誌を学ぶことなどを通して、
常に最新、最良の知識と技能を持つよう学び続ける教師(管理職)の心根が大事になる。
この心根を培うのは、児童生徒等への教育愛であり、教育的使命感である。
教師は、何よりも自らの教育愛と教育的使命感をはぐくむ努力をする必要がある。この
努力こそ学び続けることである。教師は学び続けることにより、円環的に児童生徒等への
教育愛と教育的使命感という教師の心根を培うことができるものである。
学び続ける教師こそ、インクルーシブ教育システム~障害者を包容するあらゆる段階の
教育制度~構築に向けて求められる教師像といえる。
引用・参考文献
(1)障害者に関する権利条約
平成 26 年 2 月 21 日
厚生労働省ホームページ
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinken/index_shogaisha.html
(2)文部科学省初等中等教育局 2013「学校教育法施行令の一部改正について 25 文科初第 655
号通知」
(3)文部科学省中央教育審議会初等中等教育分科会 平成 24 年「共生社会の形成に向けたイン
クルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進(報告)」
(4)首相官邸
第 14 回 教育再生実行会議 配布資料
平成 25 年「我が国及び諸外国の学制に
関する基礎資料」 より引用
(5)文部科学省
2013 「特別支援教育資料(平成 24 年度)」より引用
-5-
「クロス面積図」は様々に発展する。
札幌市立元町北小学校 教諭
齊藤振一郎
「クロス面積図」については北海道師範塾研究紀要『北の教師道 第2号』で報告した。
詳しくは、そちらを参照していただきたい。
もっとも、その紀要を持っていない方もいると思うので再度簡単に紹介する。
「クロス面積図」とは算数の問題で立式する時に使うものだ。例えば、次の問題。
みどりさんの学校の5年生の人数は80人で,サッカークラブに入っている人は
12人です。5年生の人数をもとにした,サッカークラブの人数の割合を求め
ましょう。
※ 東京書籍『新しい算数5下』54頁より
これをクロス面積図にすると以下のようになる。
80人
12人
1
□
長方形の面積=縦(の長さ)×横(の長さ)
12
=
80
×
□
これを□を求める式に変更し、
□
=
12
÷
80
=
0.15
この様に、クロス面積図では長方形の面積の求め方を応用して立式する。長方形の面積
の求め方は小学校低学年で習うので、大半の子供たちが簡単に立式できる事となる。全て
の子供たちが使えるとは限らないが、これは大きな「武器」になると言えよう。
このクロス面積図だが、かけ算に関係した問題であれば大半の問題で使う事ができる。
そのため、小学6年生では子供たちにとっての大きな壁となる「比と比の値」「速さ」「比
例と反比例」などでも使う事ができるのだが、その際には幾つか工夫が必要だった。
そこで本稿では、平成25年度に担任していた6年生での実践を基に、クロス面積図の
工夫について報告したい。
まず「比と比の値」。例えば、以下の様な問題があった。
ケーキを作るのに,小麦粉と砂糖を重さの比が7:5になるように混ぜます。
小麦粉を140g使うとき,砂糖は何g必要ですか。
※ 東京書籍『新しい算数6上』67頁より
-1 -
これは通常のクロス面積図にはならない。何故なら、「もとにする量(=1)」に対する
「比べられる量」が2つある(7と5)からだ。そこで、授業では次のようにクロス面積
図を変形させて書かせた。
□g
140g
1
7
□g
:
5
もちろん、このままでは計算できない。そこで、
□g
140g
1
7
□g
:
5
…のように下敷きや手などで右側を隠させた。そして、見えている部分だけで立式させる。
すると、
□
=
140 ÷ 7
=
20
…と判る。
この20を□に入れさせ、今度は真ん中を隠させた。
20g
140g
1
7
□g
:
5
これにより、
□
=
=
20 ×
100
5
…と正解が求められる。
この方法だと、
「2回計算をしなくてはならない」や「クロス面積図を隠す必要がある」
などの弱点がある。はっきり言って手間がかかるのだ。
しかし、クロス面積図に慣れている子であれば、この手順で簡単に立式できる。手間さ
え惜しまなければ、間違いなく正解に到る事もできる。そのため、私の学級の子供たちで
もクロス面積図で解くのに慣れている子(算数の苦手な子が多い)は、この方法で解いて
いる事が多かった。
次に「速さ」。基本的には普通のクロス面積図で解ける問題がほとんどだが、例えば以
-2 -
下の様な問題では工夫(と言うより指導)が必要だった。
A,B2つの自動車工場があります。A工場は1時間で62台生産し,B工場は
5分で6台生産します。
自動車を生産する速さは,どちらの工場が速いでしょうか。
※ 東京書籍『新しい算数6上』91頁より
これをクロス面積図にすると以下のように書く子がいた。
62台
6台
1時間
5分
おそらく、1を基準にクロス面積図を書く…という事だけ頭にあったので、こういう作
図をしてしまったのだろう。ここでは 、
「A工場とB工場は別々にクロス面積図を作るん
だよ」と「A工場は1時間あたりの数が62台と判ってるから、もうクロス面積図は書き
ません」という指示を与えた。これで、
B工場
□台
6台
1時間
5分
…というクロス面積図が書けた。この後、1時間と5分では単位が異なっていて計算でき
ない事を指摘し、単位を揃えさせた。
B工場
□台
6台
1時間
5分= 5 時間
60
ここまで来れば、
□
=
6
÷
=
6
×
=
72
5 1
6012
12
1
-3 -
…と求める事ができ、A工場とB工場を比較する事が可能となる。
この様に、6年生も後半の問題となるとクロス面積図だけでは解くのが難しい。これま
で学習してきた事を、いかに上手に組み合わせられるかがポイントとなってくる。この例
で言えば、「分を時間に換算する」「時間を分数で表記する」「約分する」「分数の割り算を
解く」といった事ができなければ、クロス面積図を知っていても解く事はできない。
その点をどうフォローしていくかが、教師として重要になってくるだろう。
最後に「比例と反比例」を紹介する。例えば以下の問題だ。
同じ種類のくぎ15本の重さをはかったら,26gありました。
このくぎを,全部数えないで135本用意するには,どうすればよいでしょうか。
※ 東京書籍『新しい算数6下』15頁より
これは1本あたりの重さを求めようとすると難しい。15本を1単位と考え、135本
は何倍かを考えさせなければならない。
そこで、「15本を1と考えて計算します」と指示を出し、以下の様なクロス面積図を
書かせた。
15本
135本
1
□
これを計算すると、
□
=
=
135
9
÷
15
…となる。そこで、
26 g
□g
1(=15本)
9(=135本)
…というクロス面積図を書いた。少々ゴチャゴチャしているが、これだとgをどこに書け
ば良いか判る。また、カッコでくくる事により、実際の計算に使うのは9だという事も判
りやすくなる。
これで、
□
=
26 × 9
=
234
…と計算する事ができた。
この解き方だとクロス面積図を2回書かなければならない。手順としては面倒だが、考
え方はスッキリ頭に入る。面倒でも徹底させたいところだ。
-4 -
この様に、学年が進むにつれて教科書の問題は複雑になってくる。そして、平行して解
き方も複雑になってくる。そのため、クロス面積図も単純に当てはめる事ができなくなっ
てしまう。
しかし、教師が的確に関わっていく事でクロス面積図を有効活用する事ができる。算数
を苦手とする子にとって強い「武器」となるよう、クロス面積図の有効活用の仕方を今後
も研究していきたいと思う。
なお、今回の実践でも原実践を行った河田孝文先生の論文を参考にさせていただいた。
基本は前回も紹介した、
河田孝文・編著
『子どもが“面積図”を使いこなす授業-算数の超強力回路をつくろう-』
明治図書出版株式会社
ISBN 978-4-18-540221-7
…である。この他、河田先生は様々な教育雑誌などでクロス面積図の論文を書いており、
それらは実践する上で非常に役立った。やはり、素晴らしい実践を学んでいく事は大切だ
と強く思った次第である。
-5 -
「体育ノート」で体育をより知的に。
札幌市立元町北小学校 教諭
齊藤振一郎
小学校で体育の授業をする場合、問題となるのが「関心・意欲・態度」と「思考・判断」
の評価だ。もっとも「関心・意欲・態度」は、どの教科でも問題となる。だから、体育だ
けで問題となるのは「思考・判断」だと言える。
「知識・理解」はペーパーテストで判断するし 、
「技能」は実際に運動をさせてみれば
判る。鉄棒で逆上がりができるかできないかや短距離走で100mを何秒走ったかは、見
れば誰でも判るからだ。
もちろん、ある程度は「思考・判断」も見れば判る。サッカーの試合中どの様に動いて
いたかを見れば、その子が何を考えていたか予想できるからだ。
しかし、全ての子供について見取るとなると至難の業だ。ましてや、小学校の場合は審
判や指導をしながらなので見取る事ができても記録できない事もある。
そこで、小学校では多くの場合、カードを印刷して子供に書かせる事が多い。実際、私
が定期購読している『楽しい体育の授業 』
(明治図書)でも毎号必ず授業で使うカードが
付録(?)として掲載されている。これは、それだけ需要があるという証拠だろう。
ただ、この体育の授業で使うカードに対し、常々私は「いずさ」を感じてきた。その理
由は3つある。
a.カードを使う授業と使わない授業があるため、授業のパターンがバラバラにな
る。端的に言うと、教師が(子供も)書かせるのを忘れてしまう事がある…と
いう事だ。
b.多くの場合、カードは学年で共通して用意される。そのため、細かい授業の変
化(差異)に対応できない。例えば、カードが3試合分しか記録できない場
合、4試合目は記録しないか記録欄を自作するしかない。
c.カードは紛失しやすい。子供が無くしてしまったり破ってしまったりする事も
あるし、教師が無くしてしまう事もある(恥ずかしながら私にも経験がある)。
理由の1や3は教師自身がしっかりすれば防げる内容だ…と言われれば、その通り。
だが、失敗やミスをするのが人間だ。精神論だけで失敗やミスを防ぐ事は難しい。やは
り、失敗やミスをしない工夫をする事が必要だろう。
そこで、3年ほど前に思いついたのが「体育ノート」だ。カードの代わりにノートへ記
録させる…たったコレだけの事だが、この違いは大きい。先ほどの3つの問題点が全て解
決できる。
A.毎回ノートを書かせる事ができるため、授業のパターンが同じになり安定して
くる。記録し忘れる事が無くなるし、発達障害の子も授業の見通しをもつ事が
できる。
B.自分の学級の授業に合わせて書かせる事ができる。仮に学年でカードを使うと
した場合でも、それをノートに貼れば良いので問題は無い。
C.教室の本棚に置き場所を作り授業後は回収して保管すれば、まず紛失する可能
-1 -
性は無いと言える。
実際の「体育ノート」を見てみよう。写
真は昨年度担任していた6年生の「体育ノ
ート」である。
①と②は平均的な「体育ノート」だ。そ
の日取り組んだ内容を前半に、振り返って
考えた事などを後半に書いてある。
前半部分の書き方は、その時に取り組ん
でいる内容によって異なる。マット運動で
は取り組んだ種目名を書かせ、成功したか
どうかを記号で記入させた。バスケットボ
ールでは対戦相手を書かせ、双方の得点を
記入させた。
ただ、同じ内容の時には同じ書き方にす
るよう気をつけた。書き方が同じであれば、
毎回細かく指示を出さなくても 、「前のペー
ジを見て書いておいて」と言うだけで済む
からである。
後半部分は、今回のポイントである「思
考・判断」に関わる部分だ。実践してみて
判ったのは、ここを的確に書かせるのは難
しい…という事。充分な指示を与えずに書
かせると 、「今日の体育は面白かった 」「今
日の体育は楽しかった」のオンパレードと
なる。
また、①のように「○○できるよう頑張
る」という書き方も多かった。精神論が悪
いとは言わないが、もっと具体的に考えな
いと改善にはつながらない。ここは、その
子供の考える問題点を「体育ノート」で具
体的に見取り、次の時間に指導していく必
要がある。
そういう意味では、「体育ノート」は自分
の指導を見直すためにも役立つと言えるだ
ろう。もっとも、私の場合は充分に役立て
ていたとは言いにくいが…。
次ページの③は2回分である。前述の通
り、毎回同じ書き方なので子供たちも安定
して書いていける。
-2 -
④は保健の授業のノートである。保健の授
業の場合、
「知識・理解」的な事を記録でき、
後から学習内容を確認するのにも使える。体
を動かす授業以上に「体育ノート」は有効で
はないかと思う。
また、時には⑤のように子供から質問など
が来る事もある。子供と教師との間で双方向
のコミュニケーションをしやすいという点か
らも 、「体育ノート」は有効ではないかと考
える。
「体育ノート」の実践をして、ほんの少し
だが体育の授業が知的になったように感じて
いる。あくまでも個人的な印象だが 、「体育
-3 -
ノート」の方がカードよりも子供たちの考察が深まっているように感じるからだ。
これまでの私の体育の授業では活動をさせただけ…という事が多かった。カードを使用
している場合でも、その時によって書かせたり、書かせなかったりという事があって授業
が安定していなかった。
ところが、そこに「体育ノート」を導入した事で、子供たちは毎回活動を振り返るよう
になった。私自身も、カードはハンコを押して終わりという事が多いが、「体育ノート」
だとコメントを入れたり、書かれた内容について声をかけたりしている。それが、子供た
ちの考察にも影響してくるのではないだろうか?
「思考・判断」を見取る方法として思いついた「体育ノート」。
だが、体育の授業をより知的にする方法としても活用できる可能性がある。今後も実践
を深めていきたいと思っている。
-4 -
「集合知授業システム」で歴史授業に取り組む。
札幌市立元町北小学校 教諭
齊藤振一郎
1.「集合知授業システム」とは
平成25年度の社会科は久しぶりの歴史。全般に言える事だが、社会科は授業するのが
難しい。中でも歴史は、教える事が多いので一層大変さが増す。
そこで、どう授業するかを考えた。
できれば、教師が知識を注入するだけの授業にはしたくない。できるだけ、子供たちが
自分で調べたり考えたりしながら進めて行きたい。
そうやって様々な本を読んでいた時、次の本に出会った。
TOSS/Advance 江口儀彦 編著
『子どもが燃える 河田流 歴史討論の授業』
明治図書
この本の中で触れられている、河田孝文先生の「集合知授業システム」。これなら、自
分が狙っている授業に近くなりそうに感じた。
この本によると、「集合知授業システム」とは教師が一方的に知識を与える授業では無
い。子供たちが持っている知識や調べて得た知識を交流し合う中で、互いの知識を深めて
いく授業…のようだ。どうやら、子供たち個人の知識で考えさせるのではなく、学級集団
全体で交流する事で知識量を増やし、その上で考えさせる授業…らしい。
ここで「のようだ」や「らしい」と書いたのは、この本の中に明確な定義が出てくる訳
ではないからだ。だから今後は、上記の私の解釈を基にして話を進める。
ちなみに、明治図書オンラインで「集合知」で検索すると3冊の本がヒットする。その
内の1冊は上記の本だ。残りの2冊は以下の通り。
TOSS/Advance 信藤明秀 編著
『子どもをわしづかみにする教室づくりのヒミツ』
明治図書
河田孝文 著
『あなたの授業力が大変身! 河田孝文の授業ナビ講座3
河田孝文・授業力の正体を紐解く』
興味のある方は読んでみると良いだろう。
2.自分流「集合知授業システム」の流れ
-1 -
明治図書
前述の解釈を基にし、自分なりに「集合知授業システム」の流れを考えてみた。4月段
階での流れは以下の通り。
1.課題を提示する。
例えば、「聖徳太子の行った政治で最も重要なのは何だろう?」のように、
その時間で扱う内容に関わる課題を与えた。
2.資料を調べさせる。
調べる資料としては教科書や資料集、国語辞典(勤務校では高学年教室の
ある廊下に置かれており、自由に使う事ができる)などを使った。
時間的な制約から、図書室の本は使う事ができなかった。
3.資料から得た情報を分析させる。
4.意見を立てさせる。
分析した事を基にし、課題に正対する自分なりの意見を立てさせた。
5.討論させる。
6.最終的な意見をまとめさせる。
討論の時間が終わったら、最終的な自分の意見をノートにまとめさせた。
こんな感じの授業を続けていた6月12日(だと思う)。印象深い出来事があった。
この日は指導主事訪問。教頭先生に連れられた指導主事の先生が教室に来た際、偶然に
も歴史の授業をしていた。
入ってきた教頭先生も指導主事の先生も驚いた表情だった。2人とも子供たちのノート
をしきりとチェックしたり、教室の様子を確認したりしている。
残念ながら、指導主事の先生とお話しする時間は無かった。
だが放課後、教頭先生から話しかけられた。「いい事やってるね」と。
その後、しばらく授業について教頭先生とお話ししたのだが、その中で「あれなら子供
たちも調べざるを得ないからね」との発言が教頭先生からあった。最後には、「久しぶり
に討論の授業を観た」とも言っていただいた。
この出来事から、方向性は間違っていないという感触を得た。と同時に、問題点も強く
感じた。
最大の問題点は、意見を言う子が限定されているという事だ。例えば、聖徳太子の授業
の時に意見を述べたのは32名中8名だけだった。全体の25%では、いくら何でも少な
すぎるだろう。
そこで実践を見直してみた。すると、上記3~4の流れに問題点があると感じた。
本来、「集合知授業システム」では判らない内容があっても、子供たち相互の関わりの
中で判るようになっていくはずだ。ところが、上記3~4の流れでは子供たち相互の関わ
りが発生しない。個々の子供たちが個人として取り組む感じとなる。そのため、判らない
内容が分からないままになってしまうのではないか。
実際、それを裏付けるような発言が子供から出ていた。その子が討論の終わった時に呟
-2 -
いた言葉を聞くと、冠位十二階が何なのか判らないようだったのだ。
もちろん、資料集には詳しい説明が書いてある。そこを読めば良いのだが、その子は、
その資料を見つける事ができなかった。しかも、後で書いてある説明を読ませた時も、書
かれている内容を充分には理解できなかった。補足して説明する必要があったのだ。
個々の子供たちが個人として取り組むと、能力差が出てしまい全員が同じ土俵に上がる
事ができない。これでは、討論にならないのも当たり前だ。
授業を修正する必要がある。
3.修正版「集合知授業システム」の流れ
資料を調べる、分析する、意見を立てる、討論する…を1単位時間で行うためには相当
に高度な能力が必要となる。悔しい事だが、今の自分の実力では子供をそこまで鍛えるに
は相当な時間がかかる。6年生の残り期間での達成は難しい。
そこで授業の形を変更する事にした。
教科書では時代毎に大単元が幾つかあり、その大単元を幾つかの小単元に分けてある。
そして、その小単元は更に小さな項目に分けられている(大抵、見開き2頁で1項目にな
っている)。そこで、小単元全体で1個の授業と考え、最後に討論を持ってくるようにし
た。つまり、
A.1つ目の小項目について調べ、考えさせる。
a.その小項目を象徴するような資料を提示する。
b.その資料を読み取らせる。
※ここで補助資料を提示したり、裏付け資料を見つけさせたりすると
更に良かったと思う。
これは次回の実践へ向けた反省点。
c.読み取った事を板書させ、交流させる。
d.その時間で判った事をまとめさせる。
※ここまでで1単位時間(=45分間)。
B.2つ目の小項目について調べ、考えさせる。
※進め方はAと同じ。
以下、小項目の数だけ繰り返す。
C.その小単元の小項目を全て扱い終わったら討論させる。
a.その小単元全体を考えさせるような課題を提示する。
b.課題に対する意見をノートに書かせる。
※必要に応じて追加の資料を調べさせる。
c.意見を板書させ、討論させる。
d.討論の後、学級全体としての傾向を確認する。
e.小単元全体で考えた事をまとめさせる。
※ここまでで1単位時間(=45分間)。
…という流れだ。
-3 -
これだと、A~Bの段階で相互交流がなされ、お互いの知識で知識量全体を増量する事
ができる。「集合知」の状態になる訳だ。その後で討論に入るため、これまでより討論に
参加しやすくなる…と予想される。
江戸時代に入ってから、この修正版で進めてみた。
この時、特に気をつけたのがCで出す課題だ。子供たちの意見が出やすく、検討しやす
いという事を考え,基本的に課題は二者択一になるようにした。また、子供たちの本気を
引き出すため、あえて挑戦的な表現も使うようにした。例えば、
・江戸時代の町人と平安時代の貴族、どちらが楽しい人生か?
・明治維新において「四民平等」「廃藩置県」「富国強兵」などを急速に推し
進めた事は正しかったか?
間違っていたか?
・神風特別攻撃隊は無意味だったのか?
何か意味はあったのか?
…といった感じだ。
大人の感覚や論理では、無茶な比較や失礼と受け止められる内容があるかもしれない。
その点は今後の反省点だ。
しかし挑戦的だった事もあってか、子供たちは集中して課題に取り組んでいたと思う。
必ずしも意見発表につながった訳では無いが、子供たちのノートを見ると、掘り下げた思
考をしようという努力が感じられた。
この写真は、AやBの段階での板書である。日付と教科書の関連頁を左上に書き、子供
たちが資料を読み取る時に必要なヒントなども書いていく。ただ、それは極力少なくし、
できるだけ黒板全体に子供たちが読み取った事を板書させるようにした。
これは西南戦争に関わる授業の板書だが、10名の子供たちが発表をしている。32名
の学級なので全体の30%程であり、これだけを見ると、修正前と比べて大きく発表する
子供が増えたとは言えない。
ただ、この子供たちが発表した時に質問したり、意見を述べたりする。その中には板書
していない子もいたので、全体としては40%程が発表していた。これだと、修正前より
多少は発表する子供が増えたと言えるだろう。
また、その時の資料によって発表する子供は変わってくる。この授業だと、「けむりが
出ている」の板書をしている子は普段あまり発表をしない子だ。そういう子も資料によっ
ては発表しようとする。その時、その時で活躍する子は異なるが、小単元全体で見れば多
くの子供たちが発表したと言えるように思う。
次頁の写真は、Cの段階で実際に討論をした時の板書である。黒板の中心に課題が書か
れ、それを挟んで左側と右側に対立する意見が書かれる。基本的に、左側は肯定的な意見
-4 -
で右側は否定的な意見だ。意見は子供たちが直接板書し、発表の際に私がポイントとなる
事を書き込んでいく…討論は毎回、こんな感じで板書していた。
こちらも10名が板書をしている。この後の討論でも、この10名を中心に意見の遣り
取りが行われた。だから、全体の30%程の子供たちで討論は進められたと言える。これ
は少し残念な結果だった。
討論の場合、自分の意見に自信が無いと発表しにくい。そのため、AやB段階に比べる
と発表する子供が偏る傾向が強かった。多少自信が無くても発表する子供を育てる…難し
いが、今後の大きな課題だろう。もっとノートを活用すると良いのかもしれない。
4.「集合知授業システム」の発展
1年間実践して思ったのが、やはり歴史の授業は難しい…という事だ。
子供たちには全くと言って良いほど歴史の知識が無いが、討論などをするためには知識
が必要となる。そのため、知識を与える(深める)段階が必要になってくる。そこで重要
なのが「集合知」となるのだが、私の研究不足、実力不足もあって、今回の実践では充分
な展開ができなかった。
ただ、この「集合知授業システム」は歴史に限らず、様々な授業で応用可能と感じる。
他の様々な授業でも取り入れていく事で 、
「集合知授業システム」の経験が増え、より応
用範囲が広がっていくだろう。
今後は、歴史の授業に限らず取り入れていき、どの様に展開できるか調べていきたいと
考えている。
-5 -
学力調査結果の公表を如何に受け止めるか
北海道師範塾 塾頭 吉田洋一
平成25年11月29日、文部科学省は、全国の中学3年生と小学6年生の全国学力テス
トについて、来年度から学校別の結果を教育委員会の判断で公表する事を認めると発表しま
した。
この文部科学省の方針転換に対しては、既に市町村教育委員会や学校関係者から懸念の声
が出ています。私も、単純に公表すれば良いとは思っておりませんが、同時に、学校はもっ
と保護者に対して主体的に説明責任を果たす努力をすべきだと思っています。
調査結果の公表に懸念(反対)の理由を拾い集めて見ると、概ね「学校間の順位付けや序
列化が進む」
「子ども達が傷付く、劣等感を持つ」という二つに集約できる様に思います。
学力調査は学校の順位付けの為に行われているものではありませんが、調査結果の公表に
よって「学校の序列化」が進む可能性がある事は、私も否定しません。ただ、
「学校の序列化」
というものは、調査結果の公表を云々する以前に、それぞれの地域においては既に、学校に
対し一定の評価がなされているのが現実ではないでしょうか。調査結果を公表すれば、その
事がより明確になってしまう訳で、学校や教師が公表に反対する理由の一つはそこにあると
思われます。しかし、この様な理由で調査結果の公表に反対している学校は、国語と算数(数
学)という一部の教科による評価を跳ね返すだけの力のある教育実践が行われていないので
はないか、というのは言い過ぎでしょうか。
また、学力調査の結果を公表すると、成績の悪かった学校の子ども達は、
「傷付いたり、劣
等感を持つのではないか」という事も良く聞かれます。
勿論、そういう子もいないとは限りませんが、教師に求められているのは、出来る子はも
っと伸ばし、勉強の苦手な子には学習に興味を持たせ、少しでも伸びる様に指導し、確かな
学力を身に付けさせる事であり、現実を曖昧にして「みんな一緒」で済ます事ではない筈で
す。
順位付けをし、競争を煽ったからといって子ども達の学力が上がるとは、私も思っていま
せん。しかし、学校には子ども達に確かな学力を保障する責任があるのであり、例えば、四
則計算も満足に出来ない状況で中学校に心太の様に押し出す、そんな事で小学校は責任を果
たしていると評価できるでしょうか。
結局のところ、調査結果の公表に反対する教師の方々は、子ども達のためと言いながら、
実は「自分の実践力が問われ、評価される」事を恐れているからではないのか、と思えてな
りません。
「子ども達のため」というけれども、それはもしかしたら思い込みかも知れないと疑って
みる必要があるでしょう。
その上で、どうする事が本当に子ども達の為になるのかを考え、実践する事が、教師の皆
さんに、今求められている事だと思っています。
PTAと一体になった学校経営実践
藤女子大学
太
田
眞
1
■はじめに
現在、生徒の学力低下や教師の指導力低下など公立学校の危機が叫ばれており、学校の
活性化も言われ続けているが、もはや学校の中だけで改善・推進できない状況がある。学
校が今後、新たな活性化を目指すためには、従来とは異なったアプローチを模索していか
なければならない。筆者は開かれた学校づくり、信頼される学校づくりの観点から PTA と
学校評議員の学校経営への参加を学校改善戦略の一つと位置付け実践した。
一般に、高校における PTA 活動は後援や援助の団体としての色彩が強く、学校経営に意
識的に取り入れることは少ない。その要因には、校区が定まっている小・中学校と違っ
て、高校では PTA 役員の継続性が難しいことや活動内容の相違などがあげられる。さら
に、地域との具体的な連携活動が取りにくいことも要因の一つになっている。
ここでは、地域や家庭をとおしての PTA の積極的な活動が学校を変えていく事例として
紹介する。
■なぜPTA活動に注目したか(校長)
公立高校が、これまでの伝統的な学校経営を継続していくことも、また教育改革による
新たなシステムを取り入れていくことも、そのいずれも今の学校が持っているパフォーマ
ンスでは解決が難しいと考える。特に、都市部大規模校では何事にも前例踏襲が多くなり、内
部からの学校課題を解決していく動きは弱く、課題解決を遅らせている現状もある。
後にも紹介するが、筆者が着任当初に開かれた PTA 総会における会員と事務局員の質疑応答の
場面に接したことが、PTA 活動に着目することになった。その総会の事業報告のなかで、研
究大会・各種研修への派遣数や参加数の根拠は何か、などいくつかの質問があったが、事務
局は明確な回答を出せなかった。これは、教職員にも保護者にも PTA の会員としての十分
な理解や認識がなく、まさに「例年どおり」の運営が行われていることを示しているので
ある。
そこで、学校改善のためには PTA 活動を学校経営に取り入れ、活性化させることが学校
運営上有効な手段になると考えた。1年目は、PTA ができることとしなければならないこ
と、さらには PTA 活動を学校の教育活動と併せて広く会員に周知することを目標とした。
2年目は1年目の事業に加え、PTA に学校と地域社会をつなぐ役割など、学校経営の一翼
を担う働きを期待して、年間3回開催される学校評議員会議にはオブザーバーとして PTA
役員全員に出席を依頼した。
この2年間、PTA では学校と家庭、地域を結ぶ次のような事業がなされた。PTA 会報の
年2回発行と地域版「会報」の町内会全戸配布、本校生徒会図書局との共催で PTA 版「月
高生に勧める本」を制作し、全校生徒へ配布した。また、PTA 役員による定時制課程の授
1
元北海道札幌月寒高等学校長
業参観のほか定時制保護者への公開授業を提案し、実施した。さらに、ブルネイ高校生訪
日団やモンゴル教育視察団との対応をとおして交流・意見交換したのも PTA の主体的な活
動であった。
特筆すべきは、PTA 主催の講演会の開催である。開催までには会場や時間、講師の招聘
など多くの困難があったが、PTA 会長はじめ役員の実行力が会員相互や小中学校・町内会
等地域の協力を得ることにつながり、独自の価値を創り出したと考える。
ほかにも PTA 役員の文部科学省への研修、札幌白陵高校や岩見沢農業高校の PTA との研
修交流や愛知県立明和高校への視察交流も行った。さらに、学校評議員会議には PTA 会長
が学校評議員として出席するほか、役員全員がオブザーバーとしてほとんど毎回参加し、
活発に意見を述べた。PTA 役員の方々の実践意欲と実践力は筆者の期待に十分応え、地域
との協力・協働を具体的に推進することになった。
■PTA会員に伝えたかったこと(PTA会長)
会長になる 1 年前、母校でもある本校の学校評議員を引き受けました。学校祭準備中の
校内や部活動を見学したほか、定時制の授業参観のあとに、給食を共にいただく機会もあ
りました。そこでの子どもたちの明るく生き生きとした表情との出会いが、全ての始まり
であったような気がします。おそらく、家庭ではあまり見せないであろうそのキラキラし
たかけらを、ほかの方々にも分けてあげたいというような気持ちであったと思います。た
だ、そんな生徒の姿も、先生方には、長年見慣れた子どもたちのありふれた日常の姿でし
かなく、私のような“感激屋さん”をいぶかしく思っていたのではと推察いたします。
しかし、言うまでもなく、この3年間は子どもたちにとっても、私たち親にとっても一
生に一度しかない一瞬一瞬の積み重ねであり、それらは決して「例年通り」でも「毎度」
のことでもありません。その温度差を埋める役割も、PTA が担う必要があると思いまし
た。「もう高校生だから」ではなく「高校生だからこそ」関わることのできる最終段階。
保護者や先生方に、PTA として関わりを持ち、子どもの成長を、学力の面からだけではな
く、人間性や生きる力を身につけ、自分たち親を乗り越えていかんとするその過程を、見
届けてほしいと強く思いました。
忙しい保護者は、PTA に関心がないのではとも言われますが、決してそうではなく、学
校のプリントや、子ども、親同士の口からもたらされる少ないその情報でさえ強く欲して
います。PTA はそのような方々に対して、子どもたちの姿はもちろん、基本的な情報とと
もに PTA、そして学校の姿そのものを地域も含めてどこからも見渡せるよう、明らかにす
ることが必要です。
■実際に学校がどう変わってきたか(校長)
教育の課題を解決する方策の一つとして開かれた学校づくりがある。これは今日の教育
改革の大きなテーマとなっており、開かれた学校づくりを進めるためには、保護者一人ひ
とりが高校をつくる当事者であり、高校をつくりあげている責任ある存在であるという認
識が必要になる。
1949(昭和 24)年に開校した本校を「月高丸」というタンカーにたとえると、超大型
のマンモスや新型の専用船が建造されていく中、就航 60 周年を迎える古いタイプの「月
高丸」は、校内体制をはじめ、PTA や地域との連携の面で制度疲労がみられる。このよう
な中で、本校の PTA と学校評議員には、潮流の激しい海峡を水先案内するパイロットボー
トや天候や港の状況を見ながら導くタグボートの役割を果たしてほしいと考えた。
2008(平成 20)年夏、全国高P連大会愛知大会において小竹知子会長は、「新米会長
奮闘記-夢あり人あり地域あり-」と題し本校の PTA 活動について提言した。帰札後、会
長には札幌市内で開催された北海道高等学校教育経営研究会(高経研)シンポジウムにお
いて、全国提言と同じ内容・要領で発表していただいた。このシンポジウムに自主的に参
加し発表を聞いた本校教員が、翌朝筆者に対し「研修の一環としてぜひ校内で再現してほ
しい」と申し出てきた。「生き生きとした子どもの姿を一人でも多くの保護者に見てほし
い」という夢を熱く訴えた 20 分間の発表が一人の先生を動かし、PTA 活動をテーマとし
た校内研修会の開催へとつながった。
その結果、本校教職員は改めて PTA の存在を考えることになり、一人ひとりの生徒を新
しい目で見つめることになった。こうして校内研修における PTA 会長の発表が、先生方の
意識と行動を変化させることになった。これこそ職員室からのボトムアップである。
地域・家庭・学校を融合させる数多くの PTA の取組は、「信頼される学校づくり」の礎
となった。本校では PTA が学校づくりの「パートナー」として教育活動や学校運営に参加
したり、また、学校が PTA の活動に対して「パートナー」になったりするという関係も生
まれてきている。これからの学校経営には月寒というフィールドのなかで、パイロットボ
ートやタグボートの役割をする PTA と学校評議員会議は欠かせない。
■学校づくりのパートナーとして1(PTA会長)
保護者の PTA 活動に対する意識は、「もう子どもは高校生なのだから」という漠然とし
た理由のもとに、非常に低いものになっているように思え、一部には不要論もあるようで
す。
そういった保護者の意識は、PTA が学校にとってはある意味、都合の良い後援会的な組
織としてだけその存在価値があるように言われてしまう状況を生んでいます。また、大ス
ポンサーの幹部でもある PTA 役員は、学校側からは大変丁重に対応してもらっているもの
の、どこかお飾りになっている面もあります。今振り返れば、そのような少々「いびつ」
な空間に風穴を開け、本来の存在意義を取り戻すために強力なリーダーシップを発揮した
のが、本校の太田校長だと思います。
2年前、校長先生が着任されて1か月半後に開催された PTA 総会でのことです。ある一
人の会員から高P連各大会・研修への役員の参加の実態、さらには PTA 会費の使途につい
て矢継ぎ早の質問があり、それに対して事務局が明解な回答を出せないまま予定終了時刻
は大幅に過ぎるという事態が起こりました。総会は混乱に陥る一歩手前でしたが、校長先
生が「このことについては後日、早急に臨時役員会議を開き充分に審議し会員の皆様にそ
の報告を約束いたします」と冷静に対応し、その場が収まりました。その後も多少ざわめ
く中、私が PTA 会長に選出されたわけですが、就任の挨拶をしながらそこで、私もまた何
か覚悟めいたものを心のどこかに置いたのかもしれません。
こうして、「総会での質問に対して確かな答えを出す」という使命を帯びた、新体制の
PTA が始動しました。とはいえ役員経験歴ゼロの新米会長である私は、何をどうすること
がその答えにたどりつけるものなのか皆目見当がつかず、周囲の方々に教わりながら何と
かこなしているという状況でした。途中、家族の入院などアクシデントもあり、その意気
込みが空回りすることもありました。
そうして、自分の仕事や家事、PTA と時間に追われながらも、8月下旬、高P連埼玉大
会に参加しました。総会で追及された参加人数は教員・役員合わせて総勢8名。前年度に
比べて2名少ないとは言え、やはり根拠が問われます。「ここで答えを持ち帰らなければ
ならない」という強い意志をより強くお持ちだったのは、校長先生の方だったのかもしれ
ません。2泊3日の行程で「1 秒たりとも無駄にはしまい」と、1日目早朝に出発、東京
に到着後すぐに文部科学省への訪問。教科書企画官の方に講話をいただき、夜には教育関
係者と懇談。2日目は大会への参加、その後、本誌「月刊高校教育」編集担当の二井豪氏
から、全国のさまざまな高校の情報をいただきました。3日目午前中は分科会へ参加し、
午後には帰札…と、物見遊山は一切なしのハードスケジュールであったにも関わらず、私
は心地よい疲労感と満足感で満たされていました。
この行程を練り上げた校長先生の調整力とその背景にある人脈、そして随所に見られた
心配りに感嘆し、私はそこで揺るぎない信頼感を抱いたのです。この信頼感こそがその後
の PTA 活動において非常に重要なファクターとなり、そこを出発点として互いをパートナ
ーとして認め合う成熟した関係に発展していったと考えています。
■学校づくりのパートナーとして2(PTA会長)
全国大会後まもなく、本校 PTA 研修や高P連支部視察研修会があり、そこから持ち帰っ
た成果を会員の方に還元しなければなりませんでした。ところがその時点では、それらを
伝える媒体が本校 PTA にはありませんでした。当初予定していたA4判のプリント程度で
は、到底伝えきれるものではないと判断し「PTA 会報を増刊しては」と思い立ちました。
しかしここ数年、年1回しか発行していなかった会報の年度途中の急な増刊は、編集委
員の方々にとってはまさに寝耳に水。その職を委嘱された時点ではまったく予定されてい
なかったことであり、「事務局側が無理難題をつきつけてきた」と会報編集委員の方々
に、総スカンを食らっても仕方がないようなことでした。ところが調整能力に優れた役員
の方による編集委員長への働きかけなどが功を奏し、誰ひとり異議を唱えることもなく、
それどころか、すぐさま熱心に編集作業に取りかかってくれたのです。
おかげで会報はその1か月後に完成しました。そこに至るまでには多くの対話が重ねら
れ、さまざまな場面で先生方の協力や励ましの言葉をかけてくれたことにより、素晴らし
い成果を残すこととなりました。総会での答えをここに示せたのです。このことが大きな
一歩となり、その後も学校との協力・連携、そしてその根底に流れる 1 本の道筋=信頼感
が確立されました。そしてこの信頼感があったからこそ、PTA 活動にやりがいを感じるこ
とができたのだと思います。特に会長となって2年目の全国高P連大会愛知大会では、北
海道高等学校 PTA の代表として、「学校が PTA を『学校づくりのパートナー』として認め
ていることが、私たちの充実感につながっている」という内容で発表させていただきまし
た。
またその1か月半後に開催された、初めての PTA 主催の講演会という大変難しい局面
も、パートナー(=学校)の強力なバックアップがあったからこそ乗り越えられました。
講演会開催にあたっては日程の調整、各学年主任の先生への協力の要請、関係機関への周
知、広報活動、当日までの準備、手配すべきことが山積みでした。
途中、挫折しそうな気持ちを持たなかったと言えば嘘になります。そこでもまた私は、
多くの仲間の力に助けられ、無事に当日を迎えることができました。講演会では、オープ
ニングセレモニーとして我が校伝統のマンドリン部が演奏。保護者の方々だけではなく、
講演会に参加してくださった多くの地域の方々にも、学校とその主役である子どもたちの
姿を見てもらい、大変良い評価を得られました。
こうしたことが結果的に「開かれた学校づくり」の一助となったことは、思いがけない
ご褒美をいただいたような気持ちです。陰になり日向になってくださった、パートナーで
ある先生方に心からの感謝を申し上げます。
特に、PTA がその力を発揮するためには、それをけん引してくれるリーダーが必要であ
り、本校では太田校長がこの2年間その役割を担ってくださいました。優れた対話力、広
い度量、柔軟な発想、迅速な判断と対応、さらには細やかな心配りによるスムーズな人間
関係の構築などリーダーが持つべき資質をすべて兼ね備えた校長の存在が、PTA を“お飾
り”から“ホンモノ”へ近づけてくれ「学校づくりのパートナー」に押し上げてくれたの
です。
■おわりに
よりよい学校づくりのためには「保護者の参画」と「地域との連携」が欠かせない。こ
の二つを柱に、あらゆる機会をとおしての啓発活動や参加の価値観づくりを進める必要が
ある。このことは改正教育基本法でも「学校、家庭及び地域住民その他の関係者は、教育
におけるそれぞれの役割と責任を自覚するとともに、相互の連携及び協力に努めるものと
する」と示されており、今後、学校と家庭・地域との連携がより重要だとし、その取組が
ますます活発になることが求められている。
これまで筆者は校長として「アンテナを高くし、意識改革を」と機会を見つけては繰り
返し先生方に訴えてきたが、今は、「アンテナ(頭)を低くすること」も大切だと言いた
い。それにより学校にとっては都合の悪い、あるいは聞きたくない情報が入ってくること
になるかもしれないが、地域や保護者、生徒そして先生方の「なぜ?」「どうして?」へ
の説明責任を果たすためには大切なことだと考える。
PTA 会長の全国大会提言のまとめや評議員会議における発表にかかる感想等については
本校の「研究紀要第 18 号」に掲載されている。高校がまとめる校内研究紀要に PTA 会長
が寄稿したり、PTA の実践活動が詳細に掲載されたりすることは極めて珍しい。このこと
は PTA の存在がサポーターから「パートナー」へと変わってきた表れであると考えてい
る。なお、小竹知子 PTA 会長の実践は、平成 20 年度管内教育実践奨励表彰として石狩教
育局長より表彰されている。
私もこの2年間、会長から次のようなアドバイス受けてきた。
「校内をもう少しゆっくり歩いて、生徒の活動を、教室の様子を見てみませんか?
新
しい発見ができますよ」
(注)
本編は『月刊高校教育』学事出版
2009(平成 21)年5月号(pp.36~41)に掲載
されたもので、北海道札幌月寒高等学校 PTA 会長であった小竹知子氏との共著である。
校長として職員に何を語るか
副塾頭
長
野
藤
夫
(小清水町立小清水中学校長)
職員に訓示する。これは、一校を預かる立場にあるものとして、当然のことである。
私は、年度当初、大きな行事が終わった後、学期末等の節目に文書とともに語ることにしている。
以下、今年度の2回分を示す。
なお、「校務運営委員会」というのは主任会議のことである。
1
●平成26年度・特にお願いしたいこと
26.4.2校務運営委員会/4.3職員会議
長 野
全体的なものとして示した「学校経営方針」と合わせて熟読し、具現化に努めていただきたい。
1.我々は「プロ」であるということ
我々は、教育の「プロ」である。「教育」という行為を「生業」としている、つまり教育という仕
事を「成し遂げた結果」として給与を得ているのである。「プロ」に決まっている。断じて「アマチ
ュア」ではない。
プロとアマチュアの違いというのは歴然としている。
相撲界では、アマチュア横綱として三冠王になっても、プロの大相撲では幕下10枚目という米粒
ほどもない番付からのスタートである。それでも大相撲の横綱まで到達した人はほとんどいない。
我々も、教育の「プロ」である。教育のアマチュアが逆立ちしてもかなわないほどのレベルにいな
くてはならない。
プロ野球選手は、キャンプが始まる前、つまり正式な「勤務」が始まる前に自主トレを行っている。
プロとして、「勤務」に備えて自費で「研修」を積んでいるわけである。
教師もプロであれば、自費で研修するなどということは当然のことである。全国各地で開催されて
いる研究会等に参加する程度のことはしなくてはならない。教育雑誌の定期購読や、教育書の20冊
30冊読んでいないような教師に指導される生徒は、間違いなく可能性を大きく縮められている。
当然のことながら、職員全員がこれらの認識を持っているはずであるが、改めて意識化していただ
きたい。
2.「中学校教師」であるということ
我々は中学校教師である。小学校教師でもなく、高校教師でもない。
小学校教師は、基本的に「学級担任」である。「教科担任」という性格は薄い。
高校教師は、学校の性格や授業内容のレベルから考えて、むしろ「教科担任」の比率が高い。
- 1 -
中学校教師は、その中間に位置する。「学級担任」も「教科担任」もできなくてはならない。つま
り、それだけ高度な技能を必要とする校種であると言うことができる。それは、「どちらかしかでき
ない」という人は、中学校には向かないということでもある。
学級担任でなくても、学級担任のつもりで教育活動に当たるというような覚悟で、この1年、全力
を尽くしていただきたい。
3.「学び続ける」ということ
学び続ける教師だけが、生徒の前に立つことを許される。
これは当たり前の話である。「学ぶ」ことを教える立場にある我々が学び続けずして、教師たる資
格はない。
大相撲では、「三年先の稽古」という言葉がある。「学び続ける」ことの意味を物語る言葉である。
最初にも書いたとおり、研究会等への参加や、教育雑誌の定期購読、教育書の2、30冊程度は「最
低ライン」と考えなければならない。それが「自分を磨く」ということでもある。
4.特別支援教育の充実
支援学級の生徒、一般学級に在籍している支援の必要な生徒への充実した全校体制づくりに努める。
学校の評価基準は、「
「 支援学級の子供」「支援の必要な子供」が明るく、楽しく、生きる力を付け
ているかどうか」である。支援学級こそが学校の中心の中の中心である。そのために、すべての教育
活動の「目標・ねらい」等に「支援学級の子供」「支援の必要な子供」への対応を明記し、あらゆる
場面で全職員が支援教育にかかわっていく。
「自分は特別支援の免許を持っていないので専門家ではない」と考える人がいる。これは、完全な
誤解である。特別支援の免許が必要なのは、支援学校である。「法で定められた状態を超える児童生
徒」に対する教育は、特別支援の免許を持った専門の教員が支援学校で行うことになっている。
一般学校の支援学級を担当する場合の免許要件はない。つまり、支援学級の児童生徒の教育につい
ては、特別支援の免許を所有していない教員も「専門家」なのである。
ただ、特別支援の免許を取得することは、支援の必要な生徒へのより充実した教育に確実に繋がっ
ていく。教員実務経験3年で、放送大学の通信教育で特別支援の免許が取得できる。専門的な知識・
技能の向上のためにも、多くの方にお勧めしたい。
しかも、法令の改正により、今後は支援学校と同程度の生徒が入学してくることが予想される。そ
の覚悟が必要である。「自分には担当できません」ということはできない時代となっていることを、
改めて認識していただきたい。
5.道徳授業の充実-今年度も全校体制で取り組む
道徳の「教科化」は、もはや既定路線である。『心のノート』が大幅に改訂され、『私たちの道徳』
となった。これは、準教科書という位置づけに等しい。
道徳の「教科化」は、まさに世情の反映である。詳細に述べるまでもない。
小清水も決して例外ではない。昨年度も、生徒指導上「大事件に発展し得る事件」「大事件になっ
ていてもおかしくなかった事件」は少なからずあった。ヒヤリ・ハットの法則は、常に意識していな
くてはならない。
また、「いじめ」の問題も残念ながら未だその根を断ち切れていない。「いじめ」は生徒の命にかか
わる重大な問題である。生徒の命が危機に晒されるようなことは、万に一つもあってはならない。
- 2 -
そのような問題を未然に防ぐためにも、道徳教育は重要である。当然、道徳教育の要としての道徳
授業を充実させることは、学校の、教師の責務である。
昨年度は、道徳公開研修会も含めて、大変充実した形をつくることができた。もちろん、それで満
足するわけにはいかない。道徳授業をさらに充実させるために、今年度も全校体制で取り組んでいく。
思春期の中学生は、さまざまな価値観を学ぶ必要がある。そのため、全教員が定期的に授業を担当
する。もちろん、管理職も全学級で道徳授業を行う。所属学年部の壁を越えることも大切である。道
徳教育推進教師の計画の下、35時間きっちりと道徳授業を実践していく。
なお、税金で運営されている公立学校として、学校の4領域の教育活動(各教科、道徳、特別活動、
総合的な学習の時間)は、すべて納税者に公開する義務がある。よって、3回の授業参観の中で必ず
1回は道徳の授業を公開する。
6.学力向上のための指導の工夫
授業の改善、授業力向上はもちろんであるが、それだけでは中学生の学力は向上していかない。家
庭学習が決定的に大切である。「家庭学習の手引き」は作成したが、それだけでは「仏作って魂入れ
ず」で終わってしまう。家庭学習時間の確保、家庭学習の具体的な仕方の指導、保護者との連携、学
習委員会による生徒の取り組みなど、多くの場で指導をしていく必要がある。
また、放課後や長期休業中の補充学習を引き続き実施し、その中でも家庭学習の習慣化の指導を重
ねることで、相乗効果を高めていく。
7.小中連携の推進
小中ジョイントプロジェクトは終了したが、巡回指導教員を活用した小中連携事業は引き続き実施
していくことになっている。町教振の場を中心に、さらに充実を図っていく。
8.「組織」としての学校運営の充実
校務分掌の各部、各学年部ともに、主任を中心としてさらに組織的・機動的な運営をしていく。そ
のための全体的な連絡調整は校務運営委員会の場で行う。
得手不得手は誰にでもある。それぞれの個性や得意分野を生かし、互いに支え合い、補い合いなが
ら、各業務を推進していく。
9.いじめ防止対策推進法への対応
同法に基づき、小清水町立小清水小・中学校いじめ防止基本方針が策定されている。この方針に従
い、いじめ対策主任を中心に実効性のある対応を図っていく。
2
■「全国標準」ということ
26.06.13 校務運営委員会/06.23 職員会議
1.体育祭での国旗掲揚
体育祭の開会式での国旗掲揚、閉会式での国旗降納は、昨年度より実施している。
国旗及び国歌に関しては、学習指導要領で以下のとおり示されている。
- 3 -
長 野
入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱す
るよう指導するものとする。
この「など」について、「学習指導要領解説」では次のように説明されている。
入学式や卒業式のほかに、全校の生徒及び教職員が一堂に会して行う行事としては、始業式、
終業式、運動会、開校記念日に関する儀式などがある
つまり、入学式と卒業証書授与式以外に国旗掲揚、国歌斉唱を実施する場面を、学習指導要領では
「全校の生徒及び教職員が一堂に会して行う行事」としているわけである。具体的にどの行事で実施
するかというのは校長の判断となるが、私は、
1)
保護者も含めて外部から多数の来客があり、来賓をお招きする。
2)
開会式、閉会式などの儀式がある。
という条件を満たす行事である体育祭を対象としている。
抑も、体育的な行事の開会式での国旗掲揚、閉会式での国旗降納は常識である。国民体育大会然り、
甲子園大会然り、高校総体然り、中学校体育大会然り、プロ野球然り、サッカー然り。当然のことな
がら、小中高校等の運動会・体育祭での実施も常識中の常識なのである。地域によっては、地区の小
さなスポーツ大会等でも実施している。「全国標準」という所以である。
このような「当たり前のこと」を実施していない(知らない)のは、北海道など極一部に限られる。
しかし、最早そのような時代ではない。税金で運営されている公立学校として、全国標準の状態を
実現するのは当然のことである。
体育的な行事における国旗の扱いは、通常、
①入場行進で係の生徒が国旗の四隅を持ち、先頭を歩く。
②最後の整列行進でそのまま掲揚塔に行き、中央ポールに掲揚の準備をする。
③国歌に合わせて、「苔の生すまで」で止まるよう、ゆっくりと掲揚する。
という流れであるが、本校では昨年度から始めたばかりでもあるため、①を省略とした。
我々は「公教育」の担い手たる教育公務員として、こうした「常識的なこと」を生徒にきっちりと
教えていくべき立場にある。学んだことをどう生かしていくかは生徒の生き方・考え方であるが、教
えられないことほど不幸なことはない。今後とも教えるべきことを確実に教えていく。
なお、本校では国旗を常時掲揚としている。全国的には、毎日の国旗掲揚を児童生徒の委員会活動
や日直当番活動としている学校も多いが、本校では当面、公務補業務にしている。
2.吹奏楽部による国歌演奏
学校の式典における吹奏楽部による国歌演奏は、全国標準である。特に中学校、高校では、吹奏楽
部による演奏が当たり前の風景なのである。本校では、入学式・卒業証書授与式等で平成24年度よ
り、体育祭で平成25年度より実施している。小清水小学校も、昨年度の卒業証書授与式から児童の
- 4 -
金管による演奏を始めている。
吹奏楽部がない場合は、体育祭等の室外式典ではCDによる伴奏、入学式や卒業証書授与式等の室
内式典では教員によるピアノ伴奏が標準となる。
3.教師として「全国標準」たること
公教育に携わる公立学校の教師である我々自身が、考え方も力量も「全国標準」でなければならな
いというのは自明の理である。
言うまでもなく、「全国標準を知らない」というのは恥ずかしいことであり、「自分は全国標準でな
くていい」「全国標準が理解できない」というのは「公教育に携わる公立学校の教師」として許され
ることではない。
なぜならば、それは「自分が教える生徒は全国標準以下でいい」ということと同義だからである。
「全国標準を目指して努力したけれど、結果的に達しなかった」というのはあり得ることであるが、
初めから「それでいい」というのは、絶対にあってはならない考え方である。そのようなことでは、
教師としての資質に問題ありと言わざるを得ない。
そんな教師に習う生徒は不幸である。「全国標準」に達していない教師が、「子供を教育する」とい
う恐ろしい仕事を担ってよいはずがないのである。
4.学力向上
「学力だけが教育ではない」「数値だけが学力を測る尺度ではない」という考え方がある。だが、
それは「数値で測れる学力をきっちりと付けてから、初めて言うことが許される言葉」である。しか
も、「学力も、その他も」という文脈で使うべき言葉である。
よって、「学力向上の前にやることがある」という言い方はあり得ない。少なくとも、教師が口に
すべき言葉ではない。我々は、教師である以上「学力向上のためにやることがある」「学力向上とと
もにやることがある」という意識を持たなくてはならない。「それよりも」ではなく、
「合わせて」「そ
の上に」ということである。
公教育である以上、「どこに住んでいるかで学力格差が生じる」ということはあってはならないこ
とだが、現実問題として生じてしまっている。であれば、その格差をなくしていくのが教師の使命で
あり、第一の職務ということになる。個別に見ればさまざまな現実や事情というものはあるにしても、
それを以て是とせず、弛まぬ努力をしていかなければならない立場にある。
特に、我々中学教師は「教科」で採用されているという事実を踏まえると、免許教科の学力を保障
するというのが何よりも優先されると心得る必要がある。
5.「TPO」ということ
「TPO」とは、Time(時間)、Place(場所)、Occasion(場合)の頭文字である。
「時」と「場所」、「場合」に応じた方法・態度・服装等の使い分け、つまりは行儀であり、礼儀で
あり、作法ということになる。
勤務時の服装については、教科等の特性にも依拠するため、十把一絡げに言うことはできない。も
ちろん、毎日スーツを着用せよとまで言うつもりもない。
しかし、社会人として、来客時には来客時の服装や態度というものが求められる。寒い時には寒い
時に合わせた服装や準備を、暑い時には暑い時に合わせた服装や準備をしなくてはならない。場面に
応じた服装である。
- 5 -
我々教師は全員、生徒に対してそのような指導をしている。
たとえば、なぜ「テストの日は制服登校しなさい」という指導をしているのか。生徒に制服で登校
するように指示していながら、自分はジャージ姿で……では筋が通らない。
当然のことながら、来客がきちんとした服装をしているのに、自分は……というのも恥ずかしいこ
とであり、礼を失することである。
私は、新採用以来「ノーネクタイで授業をした」ということは一度もない。ここ数年こそ、省エネ
クールビズを取り入れているところではある。
また、本校では名札を用意している。常時着用とまではしていないが、少なくとも出張・外勤時や
来客時には言われずとも着用するのが社会人としての常識である。勤務時に名札を付けて自分がどこ
に所属する誰であるのかを明示するというのは、自らに責任をもつという意思の表れなのである。
昨年度、初任者研修で6名の来校があったが、誰も名札を付けていなかった。私は、参加した初任
者に対して、
「手元に名簿があっても、このような状態では誰が誰なのか、私にはまったくわかりません。勤務校
で名札の用意がないのであれば、自分で作って付けてきてください」
と指導した。
つまり、「名札を付けるというのは、相手に対する礼儀でもある」ということでもある。
このようなことは、自分で適切な判断ができなくてはならない。生徒に名札着用の指導をしている
立場にある者として、自分はどうすべきなのかということを自分自身で考えなくてはならないという
ことである。私自身を含めて、改めて考え直したい。
要するに、「生徒に指導する立場であれば、教師もまたその体現者でなくてはならない」というこ
となのである。これは、「生徒への指導は自分への指導でもある」ということに他ならない。自分が
していないこと、できないことを生徒に求めることはできない。だからこそ「教える師」なのである。
6.「名刺」を持つということ
教師も、学校に籠もっていればいいという時代ではない。総合的な学習や外部人材活用、児童生徒
の学習環境整備などで、学校外の方々と会う機会が格段に増えている。相手から名刺をいただいたの
に、自分から渡す名刺がなかった……では、相手に対して失礼であると言わざるを得ない。「名刺を
用意する」というのは、これもまた自分のためというよりも、むしろ「相手に対する礼儀」であると
心得たい。
名刺用紙は用意してあるので、各自工夫を凝らして作成していただきたい。
名刺もまた、重要なTPOの一つなのである。
7.任命権者や服務監督者等による学校視察
北海道教育委員会の関係者が授業を視察するというのは、我々の任命権者という立場として当然の
業務であって、特段の理由は不要である。同様に、町教育委員会関係者による視察も、服務監督者と
して当然の業務ということになる。
今年度も、オホーツク教育局・田中局長、中野企画総務課長、佐藤教育支援課長による視察が予定
されている。TPOに留意して、お迎えしたい。
8.「言語環境」づくりの必要性
日本語の乱れというのは、いつの時代でも指摘されていることである。そのため、ついついオオカ
- 6 -
ミ少年のような存在になってしまいがちである。
時代とともに少しずつ言葉が変化していくのは当然であり、時代の流行があるというのも理解して
いる。しかしながら、「変化」と「乱れ」「流行」は違う。また、「乱れた言葉」や「流行している言
葉」が無意識に飛び交うというのは「学ぶ場」として適切かどうか、ということも考える必要がある。
生徒にとって、最も身近で最も重要な言語環境は教師である。「起きている時間」のうち、最も長
い時間を過ごすのが学校であるということを考えると、「生徒の言葉は学校で育つ」と言っても過言
ではない。であれば、我々教師は「言葉(言語)」というものを意識していかなければならないとい
うことになる。
もちろん、故郷訛りや方言というのは別である。これは我が国の大切な文化なのである。私も、標
準語を使っているつもりではあるが、もしかしたら少しは茨城弁や茨城訛りが出てしまっているかも
しれない。
9.「教壇に立つ」ということ
これが「まとめ」であると言うことではないが、結局はこういうことなのである。
学び続ける教師だけが、教壇に立つことを許される。
成長し続ける教師だけが、子供を成長させることができる。
「公教育」である。「私教育」ではない。
よって、我々は「生徒のため」に存在している。決して「自分のため」ではない。
また、我々は、「生徒の理想実現のため」に存在している。決して「自分の理想実現のため」では
ない。
さらに、我々は「組織人」である。「個人事業主」ではない。
しかし、教師とて人間である。失敗もすれば、間違いもある。勉強不足の部分も少なくない。だか
らこそ、学び、改善し、成長する姿を生徒に見せることが大切なのである。
そのためにも、生徒に対して、保護者に対して、地域社会に対して、恥ずかしくない自分でいなく
てはならない、というのが教師としての気持ちの持ち方である。
「自分は全国標準でなくていい」「全国標準が理解できない」という教師に習う子供は不幸である
と、先に書いた。同様に、「学ばない」「成長しない」教師に習う子供は不幸であるということが言え
るのである。
10.「全国標準」を満たして、然る後に初めて「独自」
本校は、多くの改革を実施した結果、かなり「全国標準」に近づきつつある。が、もちろんこれで
十分という段階ではない。また、北海道全体もさまざまな経緯を経て改善が進みつつあるが、まだま
だ不十分である。
一歩ずつ、一つずつ、我々自身も学びながら前進していく必要がある。
本文書で繰り返し述べているとおり、「公教育」である。「公教育」であるからには、まずは「全国
標準」に立脚するというのは、改めて語るまでもない。
ただし、「全国標準」というのは、到達目標ではない。「最低基準」である。つまり、「そこに達す
ればよい地点=ゴール」ではなく、
「ものごとを始めることができる地点=スタート」に過ぎない。
(そ
の意味で「立脚」である)
- 7 -
これを満たして、初めて「独自性」というものが生かされるのである。
- 8 -
校長として卒業してゆく生徒たちに何を語るか
副塾頭
長
野
藤
夫
(小清水町立小清水中学校長)
卒業証書授与式で、巣立ちゆく生徒たちに語る。それは、校長にのみ許された最後の授業である。
ゆえに、「春の日差しが……」とか、「流氷も去り……」だとかいう言葉には、何の興味もない。
私にとって、「校長式辞」というのは「道徳の授業」に他ならない。
以下、平成24年度および平成25年度の式辞を示す。
また、それらが北海道新聞にも取り上げられ、オホーツク版の記事となった。それも合わせて掲載
するが、私自身は、私の式辞に関する批評や評価にはまったく関心がない。
1
平成24年度
式
卒業証書授与式
辞
早いものです。ついにこの日がやって参りました。
まずは、ハレの日を迎えた卒業生諸君、そして保護者の皆様、誠におめでとうございます。
さて、今年度は、卒業生諸君に道徳の授業を四時間ずつ行いました。この卒業証書授与式における
式辞は、五時間目、校長としての最後の授業であると思ってください。
幕末に我が国にやってきた外国人たちが、腰を抜かさんばかりに驚いたことが二つあったそうです。
まず第一に、最も貧乏なのが支配者階級だったということです。
支配者である武士が、下の身分とされていた人たちから借金をして、ぎりぎりの質素な生活をして
いるという姿が、外国人には信じられないことでした。外国では、支配者になったら私腹を肥やし、
人々から搾れるだけ搾り取って贅沢に暮らし、支配される者は食うや食わずの生活をするというのが
常識だったからです。
それとはまったく反対に、支配している者の方が貧しくて、支配されている者の方が豊かな暮らし
をしているという国は、世界じゅうでただ一つ、日本だけだったというのです。
二つ目です。トロイの遺跡を発掘したシュリーマンは、幕末に我が国を訪れたときのことを、旅行
記に次のように書いています。
「横浜港に着いたとき、税関の係員は私に「中身を調べるから荷物を開けるように」と指示した。荷
物を解くとなると大仕事だ。ぜひ免除してもらいたいと、二人の係員にそれぞれおよそ六万円ずつを
賄賂として差し出した。
ところが、何と彼らは「自分たちは日本男児である」と胸を叩き、お金の受け取りを拒否したので
- 1 -
ある。日本男児たるもの、お金につられて決まりをねじまげ、義務を蔑ろにするわけがあるまい、自
分たちをバカにするな、というのだ。おかげで私は荷物を開けなければならなかった。
彼ら武士に対する最大の侮辱は、たとえ何かを頼む場合であっても、お金を贈ることである。また、
彼らもお金を受け取るぐらいなら、切腹を選ぶのである」
その当時、世界じゅうで賄賂が通用しない国はただ一つ、日本だけだったというのです。
評論家の日下公人さんが、日本に帰化した友人の話を本に書いていました。
「日本に帰化して赤いパスポートをもらって心底驚いたが、このパスポートを見せると、世界じゅう
どこへ旅行しても「やあ、いらっしゃい。ゆっくりしていってください」と歓迎される。日本人は世
界じゅうから愛されているとわかった。以前の国籍の時は、そんなことがまったくなかった。日本人
であるというだけで、こんなにも違ってくる。しかし、この赤いパスポートのありがたさを、当の日
本人は知らない」
我が国は、そして我々日本人は、世界の人々からこのように評価され、賞賛されているのです。
諸君の体の中には、そのような日本人の血が流れているのですよ。
初代の神武天皇に始まり、第百二十五代の今上陛下を戴く我が国が如何にすばらしい国であるか、
日本人が如何に優れた民族であるか、決して虚言に惑わされることなく、その事実をしっかりと自覚
してください。そして、心が寒くなるようなニュースを耳にすることが多い今日こそ、世界じゅうか
ら称えられる日本人たるの伝統を取り戻し、受け継ぐとともに、我が国を愛する心と、深い意味のあ
る国歌「君が代」、国旗「日の丸」に誇りを持ち、我が国の名に恥じない、武士の如き品格のある、
堂々たる人生を積み上げていって欲しいと願っています。
それにいたしましても、このような日本を作り、我々に残してくれた先輩方やご先祖様には、本当
に頭が下がります。本日、駆けつけてくださった全小清水・中学校同窓会の役員の皆様も、お母さん
やお父さんも、そのような先輩方のお一人なのです。この場をお借りして、改めて御礼申し上げます。
本日は、自衛隊の方々にもお出でいただきました。美幌駐屯地/小隊長・竹口晃男様、網走地域事
務所長・中島敏隆様であります。
さらに、小清水駐在所長・上野英樹様にもお越しいただきました。
今更申し上げるまでもなく、自衛隊や警察の皆様は、東北の大震災のときにはご自身の危険も顧み
ず、昼夜の別なく救援活動にあたってくださいました。美幌駐屯地からも、多数の方々が赴かれてい
ます。国民として、どんなに感謝しても感謝しきれるものではありません。
また、我が国は現在、中華人民共和国による尖閣諸島への領土侵犯、巡視船への漁船体当たり、自
衛隊への攻撃用レーダー照射といった野蛮な挑発や、大韓民国による国際法、条約などの国際的な約
束事を無視した卑劣な行為、竹島の不法占拠などの外交危機にあります。とりわけ私たちは、大東亜
戦争後にロシアに略奪されたままになっている国後、択捉、歯舞、色丹の北方領土を目の前にしてい
ます。
もちろん、北朝鮮による日本人拉致事件、度重なる弾道ミサイルの発射や核実験という、絶対に許
せない未解決の問題も忘れてはなりません。
諸君はもはや義務教育を終えるという成長段階にあるわけですから、そのような現実も見据えなく
てはいけないでしょう。
- 2 -
我が国が、そのような度し難い無法国家に取り囲まれ、日本国憲法の前文で語っている「平和を愛
する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持」することが絶望的な状況の中で、
自衛隊や警察の皆様は命を懸けて我々国民を守ってくださっているのです。
我が国の誇りであり、まさに武士道精神を体現されている自衛隊や警察の方々をこうしてお招きで
きましたこと、大変うれしく存じます。
本校も、自衛隊の方々には大変お世話になっているのです。
グランド横の道路を挟んで反対側に石碑が建っているのを、本日ご来場の皆様は先刻ご承知のこと
と存じます。
昭和四十六年の町内中学校再編にあたり、現在の校舎を建設するために、無償でこの敷地の造成を
してくださったのが、他ならぬ陸上自衛隊美幌駐屯地の方々でした。石碑は、それを記念して建立さ
れたものなのです。
この度の新体育館の完成、そして近く始まる新校舎の建設を機に、改めて自衛隊の皆様と本校との
絆を固くしてまいりたいと願っております。新校舎落成後、外構工事にて記念の石碑を校舎前に移設
することが決まっております。その際には、美幌駐屯地の皆様はもちろんのこと、多くの方々をお招
きし、新校舎竣工の記念の意味も込めて、記念碑除幕式を挙行したいと考えております。
小清水町教育委員会委員長・鬼塚茂様、PTA会長・更科浩司様、全小清水・中学校同窓会会長・
木戸寛治様、北海道教育庁オホーツク教育局/義務教育指導監・齋藤秀之様をはじめとするご来賓の
皆様、本日はお忙しい中、ご臨席を賜り誠にありがとうございます。本日、小清水中学校を卒業して
いく生徒たちは、ここ小清水町の宝であり、何物にも代え難い財産であります。必ずや、将来の小清
水町を、北海道を、そして我が国を背負って立つ人材となるはずです。今後とも温かいお力添えを、
よろしくお願い申し上げます。
そして、保護者の皆様。
大切な、大切なお子様を、本日、確かにお返しいたします。
皆様と「共に育てる」と書く「共育」を展開することの重要さを、ますます実感しているところで
あります。
本校職員一同、力を尽くして教育に邁進してきました。もちろん、あんな山もあればこんな谷もあ
りましたが、学年部を中心に、保護者の皆様とが力を合わせて乗り越え、今日この日を迎えることが
できました。今となりましては、すべてが思い出ということになりましょう。深く、深く感謝してお
ります。
最後に、もう一度、卒業生諸君。
今回の卒業証書授与式から、卒業生の歩く道にはすべて赤絨毯を敷き詰めました。これは、三年間
にたった一度だけ、卒業証書授与式でのみ歩むことが許される、夢溢れる未来へと続く道の象徴です。
新たな気持ちで自分の未来を考えながら、この赤絨毯を踏みしめ、小清水中学校から旅立っていっ
てください。
そして、ふるさと・小清水を大切にしてください。
「すべては子供たち一人一人のために」
北海道教育委員会の掲げるこのスローガンを、私は今、改めて心に刻んでいるところです。
- 3 -
論語の中に、「吾日三省吾身、爲人謀而不忠乎、與朋友交而不信乎、傳不習乎」という一節があり
ます。
果たして自分は「すべては子供たち一人一人のために」という学校づくりができていたであろうか
と反省する毎日ですが、ご来場の皆様におかれましては、「小清水の子供を育てる」という共通の目
的の下に、今後とも中学校へのご協力と、中学生へのご支援をお願い申し上げ、式辞といたします。
平成二十五年三月十五日
小清水町立小清水中学校長
長 野 藤 夫
2
平成25年度
式
卒業証書授与式
辞
早いものです。ついにこの日がやって参りました。
まずは、ハレの日を迎えた卒業生諸君、そして保護者の皆様、誠におめでとうございます。
さて、まずは卒業生諸君。私が小清水中に赴任して、初めて迎えた新入生でした。あの日の光景を、
今でもはっきりと覚えています。それだけに、私にとっても大変な思い入れのある学年なのです。
そんな君たちに、これまで六時間の道徳の授業を行ってきました。この卒業証書授与式における式
辞は、七時間目、校長としての最後の授業であるということになります。そのつもりで聞いてくださ
い。
私は、今からおよそ二十年前の、当時マレーシアの首相であったマハティール氏の演説を忘れるこ
とができません。マハティール首相は、香港で開かれた欧州・東アジア経済フォーラムで、世界各国
の代表を前にして次のような演説をしたのです。
「質を落とさずにコストを削減することに成功し、かつては贅沢品だったものを誰でも利用できるよ
うにしたのは、日本人である。魔法も使わずに、奇跡とも言える成果を創り出したのだ。
日本の存在しない世界を想像してみたらよい。
もし日本という国がなかったら、ヨーロッパとアメリカが全世界を支配していたであろう。欧米が
基準と価値を決め、欧米だけにしか作れない製品を買うために、世界中の国々はその値段を押し付け
られていただろう。
また、日本の成功がなければ、東アジア諸国は模範とすべきものがなかった。ヨーロッパやアメリ
カに、自分たちは永久に太刀打ちできないと信じ続けていたはずだ。
東アジア諸国でも立派にやっていけることを証明したのは日本である。日本の姿を見て、他の東ア
ジア諸国も挑戦し、世界各国どころか自分たちでさえ驚くような成長を遂げた。
もし日本という国がなかったら、世界はまったく違う状況になっていただろう。裕福なヨーロッパ
とアメリカはますます裕福になり、貧しいアジアやアフリカは、ますます貧しくなっていたに違いな
- 4 -
い。ヨーロッパやアメリカは、永遠に世界を支配したことだろう。マレーシアのような国は、ゴムを
育て、錫を掘り、それを裕福な工業国の言い値で売り続けるしかなかっただろう。もし、日本という
国がなかったら」
マハティール首相は、日本という国がなかったら、アジア諸国は未だにヨーロッパやアメリカの奴
隷であったというのです。それを救ったのは、日本であるというのです。
また、『立ち上がれ日本人』という著書の中でも、マハティール氏は書いています。
「日本人は、日本固有の文化にもっと誇りをもつべきです。もし当事者であるあなた方がそう思って
いないとしたら、私の口からお伝えしたい。あなた方の文化は、本当に優れているのです。日本の力
を忘れていませんか」
一月二十四日には、池間哲郎先生のご講演を拝聴いたしました。
長年、アジアの子供たちへの支援活動を続けていらっしゃる池間先生も、諸君に仰いましたね。
「日本は、アジアの国々から本当に慕われ、愛されているんだよ」
と。
我が国は、そして我々日本人は、世界の人々からこのように評価され、賞賛され、期待されている
のです。
諸君の体の中には、そのような日本人の遺伝子が溢れているのです。
天皇陛下は、今年の年頭所感で次のように仰せられました。
「昨年も、多くの人々が様々な困難に直面し、苦労も多かったことと察していますが、新しく迎えた
この年に、国民皆が苦しい人々の荷を少しでも分かち持つ気持ちを失わず、助け合い、励まし合って
いくとともに、世界の人々とも相携え、平和を求め、良き未来を築くために力を尽くしていくよう願
っています」
これこそが、我が国が世界じゅうから愛される源なのではないかと、私は思っているのです。
思想的に偏り、公平・公正ではない報道機関や、不当に我が国を貶める勢力の少なくない今日、決
して虚言に惑わされてはなりません。
自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の頭で考えて、何が事実なのか、何が本当のことなのか
を、きっちりと理解することが大切です。
そして、我が国が如何にすばらしい国であるか、日本人が如何に優れた民族であるか、その事実を
しっかりと自覚し、自信を持って受け継いでいってください。今日歌った国歌「君が代」、ここに掲
揚されている国旗「日の丸」についての学習もしました。この国旗と国歌に誇りを持ち、我が国を愛
する心と、その名に恥じない、品格のある、堂々たる人生を積み上げていって欲しいと願っています。
本日は、自衛隊網走地域事務所長・竹口晃雄様、そして斜里警察署小清水駐在所長・上野英樹様に
もお越しいただきました。
今更申し上げるまでもなく、自衛隊や警察の皆様は、我々国民の安全・安心のために、日夜奮闘さ
れています。
本校は、東北の大震災を忘れないために、毎年大震災の授業を実施しています。今年は、実際に宮
城県で救援活動に当たられた竹口所長様を始めとする自衛官の方々をお招きし、実に大きな勉強をさ
せていただきました。
我々の安心した暮らしというのは、このような方々のお陰で成り立っているのだということを、改
めて感じてくれたものと思います。
- 5 -
また、我が国は現在、中華人民共和国による尖閣諸島への領土侵犯、大韓民国による竹島の不法占
拠などの領土危機にあります。とりわけ私たちは、ロシアに不法占拠されている北方領土を目の前に
しています。
もちろん、北朝鮮による日本人拉致事件、度重なる弾道ミサイルの発射や核実験という、絶対に許
せない未解決の問題も忘れてはなりません。
そのような野蛮な国々に囲まれる中、最前線で我々を守ってくださっている自衛隊や警察の皆様に、
心より感謝申し上げるとともに、我が国の誇りであり、まさに武士道精神を体現されている自衛隊や
警察の方々をこうしてお招きできましたこと、大変うれしく存じます。
小清水町教育委員会委員長・鬼塚茂様、PTA会長・下山順一様、全小清水・中学校同窓会会長・
木戸寛治様をはじめとするご来賓の皆様、本日はお忙しい中、ご臨席を賜り誠にありがとうございま
す。本日、こうして小清水中学校を卒業していく生徒たちは、ここ小清水町の宝であり、何物にも代
え難い財産であります。必ずや、将来の小清水町を、北海道を、そして我が国を背負って立つ人材と
なるはずです。今後とも温かいお力添えを、よろしくお願い申し上げます。
そして、保護者の皆様。
大切な、大切なお子様を、本日、確かにお返しいたします。
毎年申し上げていることでありますが、皆様と「共に育てる」と書く「共育」を展開することの大
切さを、ますます実感しているところであります。
本校職員一同、力を尽くして教育に邁進してきました。もちろん、山あり谷ありの日々でしたが、
遠藤、市川、土井の三年部を中心に、保護者の皆様と力を合わせて乗り越え、今日この日を迎えるこ
とができました。深く、深く感謝しております。
最後に、もう一度、卒業生諸君。
ご覧のとおり、卒業生の歩く道にはすべて赤絨毯を敷き詰めてあります。これは、三年間にたった
一度だけ、卒業証書授与式でのみ歩むことが許される、夢溢れる未来へと続く道の象徴です。
新たな気持ちで自分の未来を考えながら、この赤絨毯を踏みしめ、小清水中学校から旅立っていっ
てください。
さて。
「すべては子供たち一人一人のために」
とは、北海道教育委員会の掲げるスローガンです。
私はこれからも、本日お出でくださったすべての皆様とともに、このスローガンを心に刻んでいき
たいと考えています。
ご来場の皆様におかれましては、「小清水の子供を育てる」という共通の目的の下に、今後とも中
学校へのご協力をお願い申し上げ、式辞といたします。
平成二十六年三月十四日
小清水町立小清水中学校長
- 6 -
長 野 藤 夫
北海道新聞・オホーツク版
平成26年6月3日(火)
- 1 -
指導の「コツ」を考察する
-視覚に障害のあるの児童・生徒に運動技能や動作を効果的に身に付けさせるために-
北海道釧路養護学校
佐
藤
暢
洋
体育では子どもの運動技能の指導に当たり、実態から課題を見い出し指導を進める
が、指導者によって子どもの課題の捉え方や指導の方法は異なることが多い。指導に
正解はないのだが、いわゆる指導の「コツ」を心得たものは、子どもに効果的に技能
を習得させることができる。
私たちが子どもの指導について話をしようとする時には、基礎となる概念を共有し
ていることが必要となる。指導の「コツ」は指導者の暗黙知に属する一種の技能であ
るが、子どもの指導についてお互いに話をしていくためには、指導の「コツ」を人に
伝える形で言語化していく必要がある。
本研究では、視覚に障害のあるの児童・生徒に運動技能や動作を効果的に身に付け
させるために、先行研究や文献をもとに指導の「コツ」を構造的に捉え整理すること
を試みた。
1
はじめに
盲の子ども達は、乳幼児期から運動経験が少なくなりがちで、視覚による模倣と運動
の視覚によるフィードバックの手掛かりに欠けるため、運動技能の習得に時間が掛かり、
技能も低い傾向にある。
私たち指導者にとって、子ども達に運動技能(以下技能)を効率的に身に付けさせて
いくことは重要な課題である。
2 研究の目的
盲の子どもに技能を身に付けさせるためのいわゆる指導の「コツ」の成り立ちを分析
的に捉え、子どもの指導に生かせる形に整理をすることにより指導の質を高め、子ども
の技能の向上を図る示唆を得る。
3 研究仮説
指導者が、子どもに技能や動きを指導する時に、その運動及び運動全般に関する知識
や指導に関する観点を持つことにより、適切な指導がなされ、子どもに技能を効果的に
身に付けさせることができるだろう。
4 研究の方法
先行研究や文献をもとに技能の構造及び技能を指導する際の観点を整理する。
5 内容
(1) 運動技術の構造
技術発生の臨界線
ア 技能と技術について
指導書に載っているように人
に伝えられる形で一般化され、
言葉で表されたものを技術とい
う。技術が個々の人間に合った形
で身に付き身体化したものを技能
a技術要素に課題
b技術要素相互の協調性に課題 c技術の発生
という。
(図1)技術発生の概念図
-1-
イ
技術の構造
一つの技術は、それを構成するいくつかの技術要素が協調して発揮されることによっ
て成り立つと押さえる。
(2) 運動技能の習得・改善の過程
キーワード
スポーツ動作の習得・改善過程
阿江 2)のスポーツ動作の習得・改 Ⅰ「観る」
運動の観察・動作の評価
善ループの過程を3つに整理し、それ Ⅱ「見抜く」
制限要因や技術的欠陥の
らをキーワードで表した。
究明
Ⅲ「見立てる」 トレーニング法のデザイ
ンと選択
(3) 指導者の「目の付けどころ」
松川 3)はボール運動の集団技能指導において、①指導者にとって教材や運動の知識
が子どものプレイの評価にプラス要因となる。②子どものプレイを見る観点を持つこと
が、子どものプレイを的確に判断するのに有効。③体育未熟練者の方が熟練者よりも観
点提示に伴うプラスの変化率が大きいとしている。
技能の指導において指導者が子どもを見る観点を持つことの有効性が示唆されている。
(4) 指導の際の観点について
技能の習得・改善の過程で表した三つの過程における指導の際の観点について考察す
る。
ア 「観る」・「見抜く」ための観点について
(ア) 陸上競技の指導者である織田幹雄は形による技術指導の欠陥を機会あるごとに力説
し、技術は形ではなく動きの働きであり、同じ動きが個性を通じて様々な異なる形とな
って現れることを説明している。8)
(イ) 小林は、運動において、力の効果が動きとして目に見えてくるには時間的な遅れが
あることから、目に見える動作の形と力の向きが反対になることがあることを理解し指
導に当たることの重要性を説いている。4)
(ウ) 筋肉の働きを誘導するフォームの働き、例えば鉄棒で逆手にすると肩が胸側にすぼ
み胸筋が緊張し背筋が脱力するので屈伸しやすくなり、頭をおへそが見えるように曲げ
る(腹屈頭位)と腕を曲げる力が強くなる。この様にフォームによって筋肉の働きが誘
導される。4)
また、関節の角度により筋にスイッチが入り筋力が発揮される。5)
(エ) 2重振り子の運動
身体運動におけるパワーは筋力のみで出されるのではなく、適切な筋の緊張による関
節の固定と脱力によって形成された2重振り子の運動によって発揮される。
(オ) 運動動作が持続性反射によって抑制されていることがある。4)
イ 「見立てる」ための観点について
(ア) 初心者の運動イメージ
運動イメージは、「見ているイメージ」と「行うイメージ」に分けられる。見ているイ
メージは外的イメージと呼ばれ、視覚的なイメージである。「行うイメージ」は、内的イ
メージと呼ばれ、視覚、聴覚、筋感覚など運動に伴う種々の感覚による複合的なイメー
ジ想起である。
初心者は外的イメージが優位であるが、技能に習熟するにつれ、内的イメージ優位へ
変化すると言われる。6)
(イ)盲の子どもの外的イメージを形作る指導
指導者や他の子どもの身体の動きを手本として触らせる指導が挙げられる。
(ウ) 盲の子どもの内的イメージを形作る指導
-2-
子どもの腕を持って動きを教えるなどの「手引き指導」は、内的イメージ形成をする
ために行われる。この「手引き指導」は、受動的に動作が行われるために通常の能動的
な動きとは筋肉の動きに質的な違いが生じる。
手引き指導は、動作の課題習得において、観察学習や、概念的手掛かりを先に与える
指導よりも効果が劣るという示唆が筒井 7)らによってなされている。
織田 8)は、身近な用具を用い、自然に目的の動きが現れるようなトレーニングの有効
性を指摘している。例えば、子どもの腕の回旋を指導する場合、手引きによる指導より
も、壁に設置したフラフープを触らることで能動的な動作となり、子どもの内的なイメ
ージを形成させることができ、経験的にこの指導の方法は手引き指導よりも有効であっ
た。
(エ) 適切な補助によって目的の技術を経験させることで、技術の内的イメージを形成さ
せることは盲の子の指導において特に有効と考える。
(オ) 言葉による指導について
a 技術がまだ身に付いていない初心者に、技術を発揮した時の運動感覚を言葉で教える
ことはできない。つまり、この段階で内的イメージを言葉で伝えることは困難である。
b 技の要領を言葉で教えることの弊害
言葉で指示されることにより、子どもは感覚を自由に働かせて技を体で覚えることが
抑制される(言語の強制)ため、技の要領を言葉で教えるのは、特に学習の初期におい
て望ましいことではない。4)
例えばなわとびで脇をしめさせるために、腕の構造に着目し、手のひらを返すよう指
示することで改善させるというように、目的の動きをさせるために、意図的に別のポイ
ントを指示することによって目的の動きを改善させるような指示が有効である。
c コーチング用語
例えば「ふんわり」「ゆっくり動かす」のように、運動の動きに着目し、その技術的要
点を言葉で指示することは、運動者には動きの感じとして直感的にとらえられやすい。4)
このことは技術要素間のリズムやタイミングなどの調整に、動きの指示が効果的に働く
場合があることを示していると解釈する。
d 内的イメージを形成する比喩的表現や言葉(いわゆるコツ)を持つことの有効性や必
要性は多く指摘されている。
盲の子どもの場合、身体感覚を動作に結びつける言葉の理解の問題から、晴眼者より
も「コツ」により技術要素間の協調性を修正し技術を習得させることは難しいと考えら
れる。
子どもに目的の技術、または技術要素が発生した時に「そう、今の感じを覚えておこ
う」と指示するとともに、続いて本人の言葉や動作でその身体の運動感覚を表現させる
ことが有効である。(4
(カ) 運動動作の獲得に当たって持続性反射を活用することは有効である。(4
(5) 運動技能の習得・改善の過程における観点の整理
観
点
○運動の知識
○運動の構造
観
(技術を形成する技術要素及び技術的要素間の協調の観点から捉える)
る ○形ではなく動きに着目
○動きと力の方向が反対である場合が多いことの理解
-3-
見
抜
く
見
立
て
る
○課題を部分(技術要素)と全体(技術要素相互の協調関係)から見抜く。
○課題を姿勢反射による抑制の観点から見抜く。
○課題を筋の働きに関するフォームや関節角度の観点から見抜く。
○2重振り子の原理
○外的イメージの形成
・見本の体の動きを触らせる。
・言葉による動きの説明。
○内的イメージの形成
・適切な介助により目的の技術における動き全体を体験させる指導。
・全体性を確保した技術要素のトレーニング。
・目的の動きが現れるような用具を用いた指導。
・適切な補助。
・内的イメージを言葉で伝える困難性
・「言語の強制」の理解と、重要なポイントを意図的にはずした指示による課
題の改善。
・運動の動きに着目したコーチング。
・「今の感じ!」を言葉や動作で表現させる。
・「コツ」として有効な言葉。
○姿勢反射の活用。
7
研究の成果
運動技能の習得・改善過程を指導者側から「観る」、「見抜く」、「見立てる」の3つの
キーワードにまとめ、それぞれについて指導者が持つべき観点を整理した。
これらの観点を持つことは、それまで単に見えていただけの子どもの動きを、指導者
が意図的に「観る」、そして的確に課題を「見抜き」、適切な指導方法・内容を「見立て
る」一助となるだろう。
これらの過程を個々の子どもの指導に際し、柔軟に展開していくことで、指導の「コ
ツ」を生み出していけるのではないだろうか。
8 今後の課題
観点の内容や整理の仕方は今後、実践を通して検証し修正していく必要がある。
今後、視覚に障害を持つ子ども達の外的イメージと内的イメージの形成について考え
るとともに、今回の観点をもとに指導の工夫を重ねていきたい。
<参考文献>
1)額谷修二 人はいかにして新しい運動を覚えていくのか(PART Ⅳ) バケツに水がた
まって いくプロセスをヒントに考察
2)阿江通良 動きのコツをさぐる 体育の科学 49 868 ー 869 1999
3)松川淳二 ボール運動の集団技能指導における教師の「目のつけどころ」に関する研
究
4)小林一敏著 「スポーツの達人になる方法」オーム出版局より
5)平成9年度公認C級コーチ養成講習会小林一敏トレーニング科学 バイオメカニクス
6)猪俣公宏 イメージトレーニングの応用原理体育の科学 41 119 ー 121 1991
7)筒井清次郎他 両手協応課題の学習 運動学習研究会報告集 8 36-38 1998
8)織田幹雄著 陸上競技わが人生 P78
9)宮丸凱史 投げの動作の発達 体育の科学 30 465-471 1980
-4-
授業改善のための評価方法の工夫・改善の実践例
~授業評価及び研究授業について~
北海道札幌手稲高等学校 教諭 河 村 真一郎
1
はじめに
私が以前勤務した、北海道札幌拓北高等学校(以下、拓北高校)では、平成18~20
年度の3か年、北海道教育委員会の北海道学力向上推進事業(高等学校学力アッププロジ
ェクト)の推進協力校として、さらに平成21~22年度の2か年、北海道教育委員会の
確かな学力を育む高校教育推進事業の推進校として指定を受けた。推進協力校になるにあ
たっては、拓北高校が新しい取り組みを始めるためということではなく、既存の取組を見
直し、また再構築を図るということを目標とした(資料1参照)。つまり学校全体の取組
として何ができるのか、ということに主眼を置いた。その後2か年の推進校では、拓北高
校の授業テーマである「わかる授業」の実践のため、「どのように授業改善を図っていく
べきか」という研究テーマのもと、数学科が取り組んだ。
ここでは、授業評価や研究授業に関わる取組について、平成18年度以降に新たに始め
たもの、また既存の枠組みの中で工夫・改善をしながら平成24年度まで取り組んだもの
について取り上げる。
2
授業評価の実践例
拓北高校では平成17年度に授業に関するアンケートを実施したが、それ以外には授業
や生徒の学習状況を把握するためのアンケートなどを実施してはいなかった。また生徒側
も自分の学習状況について省みる機会がほとんどなかった。そこで、授業評価という形で
はなく、生徒側の視点で日頃の学習状況や授業に対する取り組み状況について振り返り、
その結果を生徒だけでなく教員にもフィードバックし、アンケート実施後の生徒側の授業
に取り組む姿勢の向上や教員側の授業改善等を図るため実施した。
平成18年度後期に教務部内でアンケートの内容や実施方法について早急に検討を開始
した。生徒自身が自分の学校での授業を中心とする取り組みを省みるという観点での設問
とし、回答については、設問数が多いためマークシート形式(一部自由記述形式)とした。
また質問項目等については経年比較が可能となるように、ほぼ同じ内容としている。
同年11月の職員会議でアンケート実施についての了承を得た後、12月に1~3年生
24クラスの全校生徒を対象に実施した(平成19年度以降は第1学期(前期)終了時に
実施)。なお回収率は全校で95%程度となっている。実施後は教務部で集計し、データ
速報版と結果分析版については全教職員に配布し、説明等も行った。また生徒に対しては
「教務部通信」という形で、データのうちのいくつかを紹介し、生徒自身の授業に取り組
む姿勢の意識向上などを促すものとした。
その後形式等を変更し、現在では生徒による授業評価を年2回、教員による授業評価を
年1回行っている。教員による評価は自己評価形式のもので、授業運営等についての設問
について4段階で到達度を記入するものとなっている。なおこの集計については教務部で
行っている。
ここからは生徒による2つの授業評価について述べる。(資料2-1・2参照)
(1)「自分の『学び』に関するアンケート」
1回目は9月上旬(1学期)に行われるもので、名称は「自分の『学び』に関する
アンケート」とし、従来の授業のみを評価するものとは異なるものとなっている。基
本的には生徒自身が各教科の授業に対する取り組み等を振り返るとともに、合わせて
授業評価を行うというスタイルになっている。4段階評価をする表面に対し、裏面で
は特に授業運営等についてコメントが必要な場合に書くことができるスペースを設
けている。集計については教務部で行い、その結果の概要は全教職員に示し、10月
以降(2学期)の授業改善につなげていただくものとしている。
(2)授業評価アンケート
2回目は年度末の各教科の最終授業において実施している。この集計については教
員自身で実施し、その結果を各教員、又は教科会議等で検討していただき、次年度の
授業改善に役立ててもらうというねらいである。ただ、一斉実施ではないため、実際
に授業評価アンケートを実施した後に集計まで行われているかについては、完全とま
では言いきれない状況にある。教務部からは「集計結果だけを知らせてほしい」とア
ナウンスしているが、全ての教科・科目からデータを頂いているわけではない。
例年、4段階で評価しているデータについては教務部でまとめたものを全教職員に公表、
裏面のコメントについては、集計し、教員名を伏せた形で全教職員に公表している。それ
らの結果をもとに各自で授業改善に役立てていただいている。
3
研究授業週間について
拓北高校では6月と11月の年2回、「研究授業週間」として各3週間の期間を設けて
実施している(資料3-1・2参照)。平成18年度以前より「公開授業週間」というこ
とで同様の取組(年2回、各3週間)を行っていたが、3週間という長さや教員の多忙感
により、日を追うごとに参観者数が減少し、「公開授業週間」という取り組み自体の形骸
化の傾向も強まった。
そこで、教務部内で「公開授業週間」の在り方について再検討を行い、より多くの教員
が「わかる授業の実践」という大テーマのもとで授業参観等を行うことが出来ないか、と
いうことになり、平成22年度より名称を「研究授業週間」に変更し、取組についても一
部変更した。
「研究授業週間」の主な取り組みについては次のとおりである。
①
この3週間に行われるすべての授業を公開授業とし、時間割上空いている教員が教科
に関係なく自由に参観できる。
②
参観した教員、また授業を参観された教員がともに、授業内容や生徒の状況、反省点
や改善点などをコメント用紙に記入する。
③
特定の授業だけを参観するのではなく、同一学年のフロアを複数見るという「巡回」
も参観としてカウントする。つまり、自分の授業のときと違った生徒の様子を見ること
で、教員がよりよい生徒の関心・意欲の引き出し方などを学ぶことができる。
④
各学年の集中研究授業を、年1回ずつそれぞれの学年で設定する。
⑤
必ず3週間の間に1回(つまり年2回)、各教科主任が主管して研修会(授業者を指
定し、それ以外の先生は全員参観する)と合評会を行う。
特に取組の④についてであるが、例えば1年生のある日の6時間目を集中研究授業の時
間帯として設定し、他学年は放課させる。この時間については、他学年の先生もすべて該
当学年の集中研究授業を参観することができる。また、取組の⑤などの機会を設けること
で、なお一層各教科で授業改善に向けた取り組みを進めているところである。なお、11
月の研究授業週間には学校教育指導(第2次訪問)も行われるように調整し、この期間に
各教科が改めて「授業とは何か」ということについて考えていただけるようにしている。
なお、今年度6月に行われた研究授業週間の実施状況や課題等については別紙のとおり
である。(資料4-3参照)
4
振り返りシートの活用について
これは平成21年度より数学科で行われている取り組みである。それまではこのような
振り返りの機会を設けてはいなかった。生徒の理解度については、授業の雰囲気と定期考
査の点数でしか図ることが出来ないという現状を踏まえ、新たな試みとして数学科内で検
討された結果、導入となった。
基本的には、各単元(章)の学習終了後、生徒に対して実施している。シートの内容と
してはそれぞれの単元を学習項目(各セクション・節)ごとに4段階で評価するとともに、
その単元を学んだうえでの感想や今後の学習への決意などを文章で表現するというものに
なっている(資料4参照)。シートの記入は授業時間内に行うものとしているが、家庭学
習の一部として取り組むこともある。
このシートの特徴としては、学期末に総括的に行う授業評価とは異なり、短いスパンで
自らの学びを振り返ることができる。 また、提出されたシートを教科担任が目を通し、生
徒の学習(理解)状況を早い段階で把握(図)「小さな」PDCAサイクル(概念図)
するとともに、授業改善に役立てていた
だくものとなっている。生徒は自分の学
びを振り返り、教員は学習指導内容の到
達度を知ることにより、そのあとすぐの
授業運営に生かすことができる。つまり、
即座に改善可能な「小さな」PDCA
サイクルを作ることが可能となった。
シート自体は教科担任のチェック(コ
メント記入)後に生徒へ返却し、生徒が
自分のノートに貼ることで、生徒自身が
いつでも自分の学びを振り返ることもで
きるようになっている。
なお、教員の集計方法については定めてはいないが、生徒が記入した感想やコメントに
ついては読むことだけでなく、疑問等があれば次の授業以降で個別に対応していることが
ほとんどである。また学習項目ごとの4段階評価については、各教員がエクセルファイル
などで集計し、評価点の低い分野などについて、後日改めて指導を行ったり、課題等で対
応している。また、生徒は考査返却時に「振り返りシート(定期考査用)」を記入し、各
観点別に自分の得点を集計することで、自分の学力がどのように点数に反映されているの
か、また、観点別に3段階で自己評価し、感想等を記入することでその定期考査について、
どの観点についての学習が進んでいるかなどについて振り返り、次回への課題を見つける
ことができるようにしている。定期考査を受けっぱなしにさせないような工夫として実施
していると同時に、定期考査問題の改善・充実にも寄与している。
5
成果と課題
(1)授業評価について
実施については問題なく行われており、今後も継続して実施していくことになるだ
ろう。1学期末に行われる「自分の『学び』に関するアンケート」では、生徒自身に
もよい振り返りの機会となっているが、全科目を一斉に実施するため、それぞれの科
目ごとの学びまで振り返りを十分に行えているかという点については課題である。2
学期末に行われる「授業評価アンケート」については、授業者である教員自身が集計
するという点では、即効性があり次年度の授業に生かしていただいていると考える。
しかし、教務部へのデータ提出率が100%にはなっておらず、まだまだ教員間の意
識の面で課題があると考えられる。
(2)振り返りシート
教科(数学)の中では共通して実施されており、意識が十分に高まったといえる。
また各教科担任が集計を行うことで、その単元での理解度を即座に把握することが出
来、授業改善に生かすことが出来ている。課題としては、どのように教科全体で集計
し、教科としてどのように授業改善に役立てていくのか、またそれらの結果を生徒に
フィードバックするのかということがある。また、このシステムを他教科にどう波及
させていくのかということも挙げられる。
6
終わりに
拓北高校では平成18年度に「高等学校学力アッププロジェクト」の推進協力校になっ
たことを契機にして、校内での様々な取り組みについてのスクラップ&ビルドが進んだ。
ここには記載していないが、シラバスについても配布方法や掲載内容などで大幅な改訂を
行った。今回紹介した授業評価などについては、本来実施すべき授業評価とは内容的に異
なるところもあるとは思うが、過渡期の取り組みとして見ていただきたい。今後も継続し
て授業改善や評価方法などの工夫・改善を進めていくことで、生徒の実態を反映した授業
改善や評価につながるだろう。様々なご意見をいただき、よりよいものにしていきたい。
※
本原稿は「平成24年度石狩管内高等学校教育研究会 研究報告書」(北海道札幌拓北高等学校(担当
教諭
河村真一郎))に掲載されたものを一部加筆・訂正したものである。
資料1
高等学校学力アッププロジェクト会議資料 別紙(北海道札幌拓北高等学校)
本校における実践事項の概念図
「学ぼうとする力」の育成<学習に対する意欲・関心・態度>
・朝読書、コラム学習(国語科)
・忘れ物チェック(地歴公民科)
・各種実験授業(理科)
・VTRを用いた授業、読書(家庭科)
・各種模擬試験の実施・基礎力診断テスト・実力診断テストの実施(進路
指導部)
・朝テストの実施、朝読書の実施、成績不振者に対する面談指導(2学年)
「学ぶ力」の育成<学習活動を行うための環境・方法>
・選択科目・小論文、小論文講習・模擬試験(国語科)
・総合的な学習の時間を活用した「巡検学習」(地歴公民科)
・進学講習における基礎クラスの設置(数学科)
・選択制導入(体育科)
・ALTとのチーム・ティーチング(外国語科)
・チームティーチング(TT)(情報科)
・成績不振者に対する強制補習、考査前学習会(2学年)
・総合的な学習の時間を活用した「進路別特別講座」(3学年)
学んだ力の育成<学習により得られた知識・技能・思考力・判断力・表現力>
・小論文添削指導(国語科)
・「日本史事件簿」の冊子を作成、用語チェックテスト(地歴公民科)
・週末課題の実施(数学科)
・課題研究(理科)
・スキー授業、救急救命講習(体育科)
・単語テスト(外国語科)
・藍染、調理実習、織物の組織づくり、新聞記事の活用(家庭科)
・情報Bにおける資格教育(情報科)
・各種進学講習の実施、公務員・就職講習の実施(進路指導部)
・土曜学習会の実施(1・2学年)
資料2-1
平成23年 8月24日
教
2011年度
1 目
的
務
部
「自分の『学び』アンケート」の実施について
・昨年度まで同時期に実施した「学習状況に関するアンケート」と前期末に各教科・
科目の授業で行っていただいた「授業評価アンケート」を統合し、新たに「自分の
『学び』アンケート」を回答することで、本校生徒が高校入学後の自分自身の学習
状況を振り返り、反省するための機会とすると同時に教員の授業改善等に役立てる。
・その結果を集約し全校生徒に公表することで、本校の学習状況の実態を教職員・生
徒ともに理解し、今後の学習状況の改善につなげる。
2 主
管
北海道札幌拓北高等学校 教務部
3 実 施 方 法 ・必要な用紙等については教務部で印刷・準備する。
・9月15日(木)5 時間目のLHRの時間を利用して担任が実施する。
・回答紙(A4版1枚、表:択一式、裏:自由記述式)を生徒に配布し、所定の袋に
入れ、教務部に提出する。
・説明・回答の時間を合わせて50分とする。
4
質 問 項 目 ・各科目の学習について、生徒が授業への意識や取り組みを振り返り、また授業内容
や説明の仕方などについて評価できるような質問項目とし、詳細については別紙の
通りとする(15問×科目数)。
・回答については、表面については択一方式(4つから1つ選ぶ)とし、裏面は自由
記述とする。
5 当日の流れ ①13:30~13:33 出席確認・アンケート趣旨説明(3分)
6 集
計
②13:33~13:35
アンケート用紙配布(2分)
③13:35~14:18
アンケート実施
④14:18~14:20
アンケート用紙回収(2分)
・回答紙の表面(択一式)、裏面(自由記述式)の集計については教務部で行う。
・教務部での集計・集約が終了次第(10月下旬を予定)、教職員にアンケート結
果を公表する。同時に生徒にも提供できるようなデータを用意する(形式未定)。
7 そ の 他
・実施当日に何らかの理由で欠席の場合は実施しない。
・何か不明な点があれば実施担当グループ(河村・伊藤康・大川)まで
資料2-2
資料3-1
平成22年
教
平成22年度
6月 9日
務
部
研究授業週間の実施について
一昨年度まで実施していた公開授業週間や、各教科主管で実施していた研究授業(教科内研修会)を
時間的な保障をした上で、内容をより実効的なものとするために年2回「研究授業週間(各3週間)」
を設定し、今までの形態に「学年研究授業」を昨年度より加え、これにより教職員相互の研鑽の活発化
を図り、本校のさらなる授業力の向上に努める。
1
実施概略
(1)学年ごとに授業を公開する。授業者以外の教員は参観者となる。(当該学年以
外は放課とする、講習は実施しない、部活動は最小の顧問の配置に留める)
(2)参観後に報告書(授業者・参観者ともに)を提出する。
(3)各教科又は学年で研究授業科目を決定し実施。
(4)「研究授業週間」実施のスケジュール
1週目
[学年研究授業]+[公開授業]
2・3週目[教科部会・研修会(全ての教科で実施)]+[公開授業]
2
実施日時
(1)1学年…6月25日(金)6時間目
(2)2学年…11月9日(火)6時間目
(3)3学年…未定(第2期)
※研究授業週間 第1期
第2期
3
授業の扱い
6月21日(月)~7月9日(金)
11月8日(月)~11月26日(金)
(例 6月21日~25日の場合)
月~木 全学年
金
1時間目
授業
授業
授業
授業
2時間目
授業
授業
授業
授業
3時間目
授業
授業
授業
授業
4時間目
授業
授業
授業
授業
5時間目
授業
授業
授業
授業
6時間目
授業
研究授業(8cl) <放課>
1年生
金
2年生
金
3年生
<放課>
放課後
4
そ の 他
(1)授業公開(参観)や授業巡回については従前どおり実施していただきたい。
(2)授業時間内で教科部会・研修会を実施する場合は、教務部時間割係に前もって
連絡するものとする。
(3)基本時間割の6時間目を研究授業とするが、教科等から要望があれば変更して
実施する。(11日までに時間割係まで)
(担当
教務部
河村)
資料3-2
平成23年10月24日
教
務
部
平成23年度 第2期 研究授業週間について
1
目的
生徒の学習状況・授業態度などの現状を把握し、今後の指導に活かす。相互に授業を公開
し、授業改善や授業の質の向上に努める。また、生徒の授業に臨む姿勢の改善に役立てる。
2
3
期間
方法
(第2期)平成23年11月7日(月)~11月25日(金)
(全体研究授業)3年生
11月16日(水)6時間目 ※他学年は放課
(全体研究授業)2年生
11月17日(木)6時間目 ※他学年は放課
・全ての時間の授業を公開とすることを原則とする。
・16日(水)・17日(木)6時間目の該当学年以外で、特に授業を公開する時間があ
れば、全体に連絡する(朝の打合せ票などを活用する)。
・全ての先生が必ず(複数回)授業を参観又は校内を巡回する。
※教科別研究授業(教科研修会)は次のとおり。(全教科参観可)
●国語 17 日(木)4 校時 1-5 国総現文(○○)、●地歴公民(授業者 ○○、日時未定)、
●数学 16 日(水)4 校時 1-7 数学ⅠA(○○)、●理科 18 日(金)3 校時 2-6 生物Ⅰ(○
○)・4 校時 3-1 生物Ⅱ(○○)、●保健体育(未定)、●英語 18 日(金)3 校時 2-8 英
語Ⅱ(○○)・4 校時 3-7 ライティング(○○)、●情報 18 日(金)6 校時 3-456 情報 B
(○○・○○)(※敬称略)(芸術科は同時展開のため実施不可、家庭科は1名体制の
ため設定せず)
4
報告
・別紙<研究授業週間報告用紙>で教務へ報告する。
--------------------------------------------------------------キリトリ-------------------------------------------------------------研究授業週間報告用紙
月
内容
日 ( )曜 日
(
参観
・
巡回
校時
・
授業公開
氏名
)←該当する所を○で囲む
参観→参観クラスと科目、授業者名を記入、巡回→巡回場所、階を記入、 公開→公開授業クラスと科目、参観者名を記入
状 況 (生徒の様子や内容,気づいたことなど)
感 想 ・ 要 望 など
資料3-3
平成24年11月26日
教
務
部
平成24年度 研究授業週間(第2期)について(まとめ)
1
実施期間
平成24年11月5日(月)~11月22日(木)
2
実施内容
(1)1学年(7クラス)全体集中研究授業(11月
6日6校時)
(2)3学年(8クラス)全体集中研究授業(11月
8日6校時)
(3)2学年(7クラス)全体集中研究授業(11月14日6校時)
(4)教科別の公開授業の実施(兼 教科別研修会)
(5)研究授業(従来からの公開授業)
(6)学校教育指導第2次訪問
3
実施実績
・提出枚数
11月16日 地歴公民科・数学科
113枚(参観57、巡回26、授業公開30)
※昨年度同時期実施に比べて68枚増(参観31増、巡回25増、授業公開12
増))
・教科別研究授業実施(2次訪問含む)
※今年度第1期
4
全教科(芸術科以外)
全教科(芸術科・家庭科以外)
コメント(「研究授業週間報告用紙」より一部抜粋)
<参観>
・ところどころの発問によってメリハリもつけられている様子。反応の良い生徒じゃない生徒をどう動
かすか。(これは自分の課題でもある)
・全体を静かに集中させないまま授業に入っていき、途中集中した場面、部分もあったが、終始落ち着
かないまま終わった。
・授業に入る前の環境整備ができない生徒が多い(机上の整理、教科書の準備等)ため、授業への集中
に多少時間がかかる。
・「聞く」「書く」「見る」等の行動にメリハリが効いている授業だったと思います。
・一緒に学ぶ雰囲気がある。質問しやすい雰囲気である。
・個別の対応を全体で共有することで、集団としての理解度を高めることが必要。
・1時間一杯、生徒の注意を引きつけ、それでいて和やかな雰囲気を保っている授業であった。
・補足説明などするときは作業をやめさせて注目させるといいかもしれません。
・自分のクラスを客観的に見れて良かった。
・同じ単元でも教える人によって違う、というのは面白いと改めて感じました。
・ある意味大変でしょうが、生徒にとっては参加型の授業で集中できる展開だったと思います。
・説明後、文を書く指示をしたが、手さえつけられない生徒が多数。質問をするでもない。ただじっと
している。時間が来て、当てれば「わからない」。これは学校全体の
課題でもある。
・普段からきちんとされている様子が伺える。勉強しようという雰囲気を作っている点が良い。
・先生方の熱のこもった指導に感心しました。
・なかなか学習能力・成績を伸ばすことは難しいですが、1人でも伸ばせるよう、あきらめずに頑張っ
ていきたいと思います。
<巡回>
・それぞれの先生が個性を生かした授業をしていて面白い!声の大きさ、板書の大きさ等の工夫もあり
参考になった。
・板書の仕方や色分け、さらには教材など、基本的なことですがとても勉強になりました。
・3階2年生が廊下で騒がしく注意をした。スマホでのゲームも多数、注意する。
・ともすると脱線しがちであったが、生徒は積極的に授業に参加し、活気のある授業が多かった。
・理解が十分でない生徒もいるが、全体的にくいつきのよい学年である。
・たくさんの先生に見られていると思うと緊張感があるようなので、たびたびこのような刺激を与える
とよいかと思います。
<授業公開>
・特別な準備はしなかったが、ありのままの日常の授業を見てもらえたと思う。
・生徒は緊張もせず、いつもと同じようにやってくれました。
・いつもより落ち着きがなかった。何度も説明していたはずだったが、プリント学習をすると、定着不
足が予想より多かった。
・先生方が出入りする度に、いちいち反応する生徒もいたが、いつもよりも積極的に発言し、授業に参
加する姿勢は概ね良好だったと思う。
・おだっていて、いつもは静かな生徒まで、生き生きしていた。
・より発問内容を吟味していかないといけない、かな。どうですか、では何も答えてくれないんですよ
ね。
※詳しいコメントについては教務ロッカーにあるアンケートの原本をご覧ください。
5
今後に向けて
・研究授業や公開授業などは、学校教育の根幹である「授業」をより良くするもの(授業改善の一つ)
としても必要不可欠と考える。
・1時間に同時に同学年の授業を公開する「研究授業」は引き続き実施していきたい(短い時間で一斉
に多くの授業を参観できる)。
・日頃から授業の様子(生徒の学習活動)なども今まで以上に、学年での巡回などを通して行っていく
べきである。授業参観は教科別のものも含めて絶対数としては増加しているが、まだまだ巡回につい
て低調であった。特に担当している学年については積極的に巡回をお願いしたい。
※なお次年度においては、今回と同様に学年ごとの研究授業(各1回)も実施します。
資料4
2011年度
2年「数学Ⅱ」学習振り返りシート
≪数学Ⅱ 第6章
微分法と積分法≫
(記入日
2年
Ⅰ
組
月
日)
番 氏名
キーワードで振り返る
※評価については次の基準で学習項目ごとに○をつけること。教科書等も参照しながら回答すること。
4:よく理解できた、3:理解できた、2:あまり理解できなかった、1:理解できなかった
学習項目
キーワード・記号など
評価
1 微分係数
平均変化率、極限値、微分係数、
4・3・2・1
2 導関数とその計算
導関数、関数の微分、いろいろな関数の導関数
4・3・2・1
3 接線の方程式
接線の方程式、グラフ上にない点から引いた接線
4・3・2・1
4 関数の増減と極大・極小
5 関数の増減・グラフの
応用
6 不定積分
関数の増減と導関数、関数の極大・極小グラフ、対
数関数の特徴、対数関数を含む方程式・不等式
関数の最大・最小、方程式への応用、不等式への
応用
導関数と不定積分、不定積分を求める、いろいろな
関数の不定積分
4・3・2・1
4・3・2・1
4・3・2・1
7 定積分
定積分、定積分の性質、 f (t ) の定積分
4・3・2・1
8 図形の面積と定積分
定積分の図形的な意味、2 つの曲線の間の面積
4・3・2・1
Ⅱ
この章を学んでの感想、今後の学習への決意など
教科担任確認印
いつの時代にも選ばれる学校づくり
~北海道美深高等養護学校あいべつ校の開校初年度の取り組み
北海道美深高等養護学校
校長
佐々木
誉
之
北海道美深高等養護学校あいべつ校
教頭
櫻
拓
也
田
1
はじめに
北海道美深高等養護学校あいべつ校は、石狩川と愛別川が流れる自然の恵に囲まれ、き
のこの一大生産地でもある、心豊かで笑顔がつながる町、愛別町に北海道美深高等養護学
校の分校として平成26年4月に開校した。
あいべつ校は愛別町の各方面の方々による熱心な誘致活動の結果、旧愛別高等学校の空
き校舎を活用することにより開校し、町民、企業、行政の方々の力強い御支援をいただき、
学校と企業とが互いに連携し就労に必要な学習を進める「デュアルシステム」などを中核
とする教育活動の充実に努めている。
第1期生14名を迎え、教育活動はすでに始まっている。全職員が一丸となって、家庭
や地域から信頼される学校づくりを目指すとともに、生徒の社会参加と自立を促す高い専
門性に基づいた質の高い教育活動に取り組み、共生社会に生きる教育実践を進めたいと考
えている。本稿は、この新たな学校づくりを推進する初年度の構想について述べる。
2 あいべつ校の概要
(1)校訓「思考・実践」
「思考・実践」は旧愛別高等学校が制定していた校訓である。あいべつ校の教育目標に
掲げる自分自身を発見する過程を「思考」、よりよく生きる生き方を具体的な形で表すこと
を「実践」と捉える新たな意味を込め、伝統ある校訓を継承する。
(2)学校経営の基本理念
① キャリア教育の推進
教科等の学習や作業学習、現場実習等の教育活動全般を通して、社会生活能力の確立と、
自分自身を見つめ、将来に向けてよりよい選択・決定できる力を育てる。
② 地域とつながる教育の推進
愛別町をはじめ上川中部地域での体験学習やボランティア活動、他校との交流や共同学
習を積極的に行うほか、地域から外部講師を招いて行う授業や、作業学習で製作した製品
を地域で販売するなど、開かれた学校を目指す。
③ 特別支援教育の推進
教育や福祉と連携し、困り感を抱える児童生徒や、幼稚園・保育所、小・中学校、高等
学校への積極的な支援を行う、上川中部地域における特別支援教育のセンター校としての
役割を果たす。
(3)教育目標
生徒が自分自身を見つめ、自己を認識すると共に、新たなことに挑戦する中で、新しい
自分を発見できる教育活動を保障したい。そのキャリア教育は、単に職業生活への移行を
目的とするだけではなく、自己の「生き方」「在り方」を見つめ、周りとの関係の中でよ
りよく選択・決定できる力を育むことが重要となる。このような考察から、教育目標を「自
分らしく、よりよく生きる人を育てる~自分自身を発見する~」と設定した。
(4)特色
① 産業総合科の利点を生かした教育課程の編成
作業学習としては、食品、流通・サービス分野(調理・食堂サービス、清掃・カークリ
ーニング)
、栽培、加工、製作分野(食品栽培・乾燥、印刷、木工)
、環境整備分野(除草、
除雪)等の多様な内容を設定し、生徒のニーズや時節に応じた活動を柔軟に選択できるよ
うに工夫している。
② あいべつ校デュアルシステムの導入
学校と企業が連携し、将来の職業自立に必要な働く力や生活する力を最大限に高めるた
めに、愛別町内の企業や公的施設において、1年生後期から2年生前期までの期間、毎週
火曜日に企業内作業学習を実施する。現在、その円滑な実施のために愛別町において企業
等連携協議会の設立準備を進めている。
③ 自主通学による社会性の伸長
愛別町内限定での自転車通学や路線バス、JRといった公共交通機関を活用した通学を
行うことで、自立や社会参加に必要なスキルを身に付ける。
(5)基本データ
学
校
名
北海道美深高等養護学校あいべつ校
所
在
地
上川郡愛別町字南町27番地
開
校
日
平成26年4月1日
科
産業総合科
学
入学者数(H26年度)
14名(旭川市13名、他1名)
教職員数(H26年度)
18名
※2間口16名定員
校長1(兼務)、教頭1、事務長1(兼務)、教諭8、
養護教諭1、実習助手2、事務職員2、介護員1、
公務補1
3 学校づくりの3つの観点
(1)いつの時代にも選ばれる学校づくり
道内の知的障がい特別支援学校高等部(職業学科設置校)の出願者数については、年度
を追って増加し、今後もその傾向は続くだろうと予想されている。平成27年度公立特別
支援学校配置計画案(平成26年6月 北海道教育委員会)においては、平成28年度の
見通しとして道北地区で「3学級相当の間口の確保を検討」と明記されている。当面、あ
いべつ校において受検希望者が定員を極端に下回るという状況は想定できないが、例えば
10年後あるいはその先に道北地区の間口が過剰となる可能性はないとは言えない。
開校初年度より、このような危機感を学校職員や愛別町関係者と共有しながら、生徒を
しっかりと社会自立へ導けるよう愛別町と学校が連携した教育活動を充実させ、いつの時
代にも選ばれる学校づくりを進めたい。
(2)共生社会の形成に繋がる学校づくり
「共生社会」とは、誰もが相互に人格と個性を尊重し支え合い、人々の多様な在り方を
相互に認め合いながら、社会に積極的に参加・貢献していく全員参加型の社会である。共
生社会の形成に向けては、障害者の権利に関する条約に基づくインクルーシブ教育システ
ムの理念が重要であり、その構築のため、特別支援教育を着実に進めていく必要がある。
あいべつ校を共生社会の理念を体現し、その在り方を具体的に示していくことのできる学
校としていきたい。
(3)ユニバーサルデザインをベースとした学校づくり
「いつの時代にも選ばれる学校づくり」と「共生社会の形成に繋がる学校づくり」を具
体的に推進するための中心的な手だてがこのユニバーサルデザインをベースとした学校づ
くりである。ユニバーサル・デザインの7原則と3付則から、その原理・原則を適切に読
み取り、学校づくりを進めたい。その際に、生徒の現在・過去・未来に寄り添いながら3
年間の在学期間において、継続的、発展的な教育活動を保障する秩序化と、学校の特色あ
る取り組みを明確にする個性化に充分留意していきたい。
4 学校づくりの方策
(1)あいべつ校 Start up policy(平成26年度)
新年度初回の職員会議で校訓「思考・実践」を礎とし、学校教育目標を達成するために、
学校経営方針と共に、次の3つのCを「あいべつ校 Start up policy」としてまとめ、新
しい学校づくりに邁進する全ての職員の心構えとして共通理解した。
○ Challenge ~ 挑戦・行動
・新たな歴史と伝統 ・柔軟な発想と独創性 ・試行錯誤 等
○ Creation ~ 構築・実現
・教育活動 ・学習活動 ・業務推進 等
○ Collaboration ~ 参加・連携
・地域連携 ・ケース会議 ・合意形成 等
(2)ユニバーサルデザインから学校づく
りの3つの視点
6月上旬の開校式終了後、本格的に学校
づくりを進めて行くにあたり、職員会議に
おいて、ユニバーサルデザインをベースと
した学校づくりの視点を3つ職員に示し
た。(図1参照)
① Cool/かっこよくの視点について
共生社会の形成に繋がる特別支援教育を
ユニバーサルデザインの原則に基づいて考
えるとき、その教育が如何にも障がいのあ
る生徒向けに特化した方法ではなく、生徒
に障がいがあってもなくても過不足なく意
欲的に学ぶことができる教育の場を作り上
げていくことが大切である。ユニバーサル
デザインは物理的障壁の除去や緩和を目指
すと同時に、精神的な障壁を含めて対処す
ることを要求するものであるので、あいべ
つ校で教育を受けようとする生徒もそうで
ない生徒も、そこで学ぶことに躊躇したり、
引け目を感じたり、差別意識を持つことの
ないように、学校の内外においてあらゆる
図1 職員会議資料6/20
配慮と取り組みを進めることが必要である。
② Friendly/親しみやすくの視点について
全員参加型の共生社会は、人々の多様性を公平に優しく受容する社会環境の創造を目指
すものであり、ユニバーサルデザインの理念にも適合する。あいべつ校は、まず第1に教
育相談に訪れる生徒や保護者にとって、敷居の高さを感じさせない学校でなければならな
いし、さらに地域の教育資源として、関係者や地域の皆様にも親しまれる学校づくりをし
ていきたい。特に、生徒や保護者の教育的ニーズを丁寧に見出し共通の理解に立ち、その
ニーズに徹底的に応えながら、生徒の将来の人生に確かな道筋を見いだしていくことが、
親しみやすい学校づくりの要と考え、特別支援学校におけるホスピタリティの向上を推進
する。
③ Easy/分かりやすいの視点について
特別支援学校の本分である「分かる授業」「できる授業」をユニバーサルデザインの視
点を取り入れて展開する。本校においては、分からない、できない経験を積み重ねてきた
生徒も在籍している。分かる・できる授業により、生徒が「生きる力」を高め、自信を持
ち意欲的に自らの生活を営んでいく態度も養っていきたい。ユニバーサルデザインによる
分かる・できる授業づくりは、これまで特別支援教育において実践されてきた各生徒の理
解の程度を高めるための個別的な支援を、一般的な教育手段として恒常的に取り込んでい
こうとするものでもある。経済面や効率面などで一定程度の制限が生じる現状ではあるが、
授業のねらいを達成するために分かりづらい部分を改善し、分かりやすい授業を追究する。
(3)自己目標シートの活用
あいべつ校の自己目標シートの「学校設定項目」では、
「今年度の具体的な目標」を「ユ
ニバーサルデザインをベースとした学校の創造」と設定した。今後、面談をとおして職員
それぞれの取り組みをサポートし、授業づくり、学校の情報提供や業務推進など、学校の
活動全てを対象として、ユニバーサルデザインの理念を取り入れた学校づくりを職員一人
一人の意識改革と創意工夫をもって推進していくために、自己目標シートをそのツールと
して活用する。
(4)研修
教育実践に関わるユニバーサルデザインの在り方について、情報収集や研修を進める。
現在、以下の研究会に職員の派遣を検討中である。
①第6回授業のユニバーサルデザイン研究全国大会 9月13日(土)~14日(日)
②第2回授業のユニバーサルデザイン研究アカデミー 9月15日(月)
※①②主催:授業のユニバーサルデザイン研究会 会場:筑波大学附属小学校
(5)あいべつ校UDアワード
校内におけるユニバーサルデザインに関わる意図的な取り組みを集約し、優れた取り組
みを見出すものである。その過程では、公平性、柔軟性、単純性、直感性、安全性、認知
性、効率性、経済性、持続可能性、審美性などの要素に照らし合わせ検討しながら、学校
におけるユニバーサルデザインに必要な要素や勘所を明らかにし、取り組みの促進をねら
いとしている。ユニバーサルデザインによる学校づくりの全校的な状況を全ての職員で共
通理解し共有化することで、取り組みの観点や成果などを学び、次年度の取り組みをより
充実させる。
(6)学校評価の活用
共生社会の形成に繋がる特別支援教育をユニバーサルデザインの理念を踏まえ具体化し
ていく過程では、独りよがりの自己満足に陥ることのないように注意することが大切であ
り、そのために第三者の客観的な評価が非常に重要である。学校評価では、その自己評価
や学校関係者評価、第三者評価にユニバーサルデザインに関わる項目を取り入れ、今年度
の成果や次年度に向けての課題を客観的に把握する。その評価の際には、今年度の学校づ
くりの取り組みを出来るだけ詳しく紹介し、評価の一助となるように配慮したい。学校評
価の活用により、学校運営を改善しその教育水準の向上を図りながら、適切に説明責任を
果たし、保護者や地域住民等の理解と参画を得ながら学校づくりを進めていく。
(7)60点主義
初年度、新たに配置された職員は、それぞれが新設校を積極的に希望し異動してきた。
人事を進めた前校長の配慮もあり、新しい学校づくりに必要な人材が揃っていると感じて
いる。教育活動や分掌業務に関わることなど何から何まで新たに作り上げなければならな
い状況で、どの職員も妥協することなく、完成度にこだわり仕事に取り組んでいる。
私は、常に100点以上をねらって仕事進める職員集団の性質を踏まえ、あえて今年度
は仕事の仕上がりは60点でいいと伝えている。そのねらいは、2つある。ひとつは、評
価と改善を繰り返すスパイラルなプロセスを業務ルーティンに取り入れ、成長し変わり続
ける姿勢を身に付けてほしいこと。もうひとつは、職員同士が意見を交わしながら、互い
に良い点を認め合い譲り合いながら合意形成をすすめるチームワークを学校文化として根
付かせていきたいということである。
5
さいごに
美深町にある本校と分校の距離は、片道約80㎞である。4月の開校以来、週1回ペー
スであいべつ校で勤務するようにしている。私は、今回の異動で2つの学校を校長として
兼務することになった。学校経営にあたっては、「教育に正解はない」ということを念頭
に置き、学校の特色をそれぞれに最大限に生かしていきたいと考えている。学校の特色を
一言で述べるとすれば、美深町の本校である北海道美深養護学校は開校31年目を迎え、
持続可能な選りすぐりの教育活動を展開する歴史と伝統のある特別支援学校の老舗であ
り、その分校であるあいべつ校は、21世紀型の新しい特別支援教育の創造を目指すベン
チャースクールである。
本校は6間口の大規模校であり、社会自立に向けて生徒を教育する様々なシステムが有
機的に機能している。職員集団は大きいが、平均年齢が若く、初任者、期限付が半数以上
を占めている。そこで、自己目標シートの学校設定項目は、テーマをDiscover Bifuka ~
開校31年目を迎えてとし「改めて学校の生徒、職員、組織、自らの良さを発掘する」
と設定した。良さを言語化し再確認し、それを戦略的に活かしていきたいと考えている。
一方のあいべつ校は小規模校である。あいべつ校の少数精鋭とは、少数の精鋭が集って
いるのではなく、少数だからこそそれぞれが精鋭として育つ職員集団である。あいべつ校
の職員には、新しい学校づくりに精力的に取り組み、将来はその経験やスキルを他校にお
いて発揮し、共生社会の形成に繋がるキャリア教育を深化させながら、北海道の特別支援
教育の充実を担う人材としての活躍を期待している。
参考・参照資料・文献
・
「北海道美深高等養護学校あいべつ校の概要」記者配付資料 北海道教育委員会
・
「平成27年度公立特別支援学校配置計画案」平成26年6月 北海道教育委員会
・
「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進(報告)」
平成24年7月23日 中央教育審議会初等中等教育分科会
・「ミッションマ・ネジメントによる特別支援学校の経営」鈴木重男他 情緒障害教育研究紀要第26号2007
・「ユニバーサル・デザインの7原則と3付則」http://media.nuas.ac.jp/~robin/Jpn/note/universal.htm
・
「ユニバーサルデザインの研究報告」環境複合研究所 http://envcom.jp/index1.html
・
「ユニバーサルデザイン授業実践事例集」岩手大学教育学部付属学校
www.edu.iwate-u.ac.jp/file/UDjissenjireisyuu.pdf
・
「ユニバーサルデザイン授業」京都府総合教育センター
www.kyoto-be.ne.jp/ed-center/cms/index.php?key...179
・「ユニバーサルデザインの視点を取り入れた授業づくり」山形県教育センター www.yamagata-c.ed.jp/
・
「任せ方の教科書」出口治明 角川書店2013
夢 の 学 校
北海道師範塾「教師の道」監事
近田
勝信
夢の学校
小高い丘の上にその高校は建っている。町内には保育園、幼稚園、小学校、中学校、高
校が各1校(園)ある。専門学校や大学はなく、高校はその町の最高学府であり、町の教
育や文化そして生活を創り出す大切な教育機関である。勉強のできる子もできない子も、
地元の子どもはよそに出さないで自前の教育力で賄う。頼まれれば近隣の生徒も預かる。
朝、小高い丘の上からは大きな鐘の音が町中に聞こえてくる。それを合図にしたように、
園児も小学生も中学生も高校生も小高い丘に向かって行く。小高い丘にはつづら折りの坂
があって、坂の一番下は保育園と幼稚園、その上に小学校、そして中学校、高校がある。
子ども達は一人で登校する子は一人もいない。みんな誰かと一緒、それも必ず年上の誰か
が付き添っている。お兄さんやお姉さんと一緒に歩いている子、お母さんの自転車に乗せ
てもらっている子、お爺さんやお婆さんと手をつないでいる子、中学生と歩いている高校
生は先輩ぶって話しながら歩いている。そして、それぞれ園や学校に入って行く。中から
は元気のいい挨拶が聞こえてくる。お爺さんとお婆さんは、子ども達を送り終えてもまっ
すぐ帰らない。丘の坂道の途中から隣の道へ曲がっていった。その先には仲間が集まって
いて、もうパークゴルフが始まっていた。
昼、保育園、幼稚園、小学校の給食は、すぐ隣の給食センターで食べる。そこにはパー
クゴルフを終わったお爺さんやお婆さんも一緒になる。なんと町内で仕事をしているお父
さんやお母さんも来ている。配膳もみんなで手分けして、大きな円卓で和やかな食事が始
まる。中学生、高校生は少し時間をおいてからの給食、地元でとれたお米でみんなたくま
しく育つ。この給食センターは道の駅と棟続きで、土日には高校生の調理した料理がレス
トランメニューとして提供される。
高校の授業は6時間と7時間、生徒の希望でコース選択ができる。どちらの授業も午前
中は座学が中心、午後は、6時間コースは実技・実習が主体、7時間コースは科目選択に
よって座学と実技・実習が入る。同じ科目でも、生徒の実力に応じて到達目標の選択幅が
あるのでじっくり学習できる。中学校までの基礎学力が身に付いていなかったり、勉強嫌
いな生徒でも午前中はがっちり勉強する。午後からは、手職を身に付けて自立して生きて
いくための実務の勉強をする。正直、机に向かっての勉強は好きでないけど、ゴルフ場の
グリーンのことなら任せてください。3.5mmダブルカット、日本一の職人なってみせ
ます。こんな生徒がいる。同じ時間、7時間コースの生徒は座学で難しい勉強をしている。
将来、医者や政治家、行政マンとして働いてほしい人に、それに見合った勉強をして町を
支えてほしい。勉強ができる人も、できない人も一緒になって一つの学校で学び、お互い
を人として尊敬でき協働できる人を育てるのがこの学校の特色である。
放課後は部活動の時間。小高い丘の裏側には、誰もが羨ましがるスポーツ公園と文化芸
術ホールがある。ここは町民の活動の場であると共に、子どもたちや生徒の部活動の場所
でもある。だから、小学生が先に練習していて、その後から中学生、高校生が加わる。学
校種を越えての部活動、指導する先生方も専門家もいれば素人もいる。学校の会議や出張
で部活動に付けないときは、お互いに面倒を見合う。小学生は中学生、高校生をお手本と
して、中学生、高校生はそれぞれ年下の面倒を見ながら競技力も社会性も育つ。
勉強ができない、勉強がいやだ、非行事故を起こした、高校に行っても何にもならない、
いろんな理由で何人も中退していった。教師としての力のなさを感じた。しかし、高校で
生きるすべを見つけ巣立っていった生徒も何人も見てきた。おらが町でおらが子供を育て
る。
こんなことを夢見て校長になった。今、我が道を振り返ってみたい。
序
平成4年4月、高校教師として3校目の勤務となった。新卒で離島に9年、本土に戻っ
て夜間定時制7年、教師生活16年目に入る。離島では、担任4年間、生徒指導部長2年
間などをはじめ、学級・学年経営、分掌業務、部活動指導そして地元の人との付き合いな
ど教員生活のイロハを経験した。定時制では、隣の学校が1学級減の影響で一挙に34人
の1年担任となった。経済苦、低学力、近隣校退学やり直し組、そして不登校の生徒たち
であった。家庭環境も様々で、世の中の歪みを凝縮したように見えた。目の前の生徒には
真正面から向き合っていたつもりでも、心の中には全日制の教員が羨ましい気持ちもあっ
た。
そして、ようやく念願の全日制高校への異動である。しかし、体育教師としてのあこが
れとはほど遠い現実が待っていた。
追分町(現在は合併して安平町追分)、人口約6千人、基幹産業は農業、それに室蘭本線
と夕張線が交差する交通の要衝として栄えた町である。しかし、炭鉱閉山により石炭輸送
はなくなり、室蘭からの石油輸送もトラックに代わり、さらに国鉄民営化に伴い町は衰退
していく。町内には小学校、中学校、高校が各1校である。中学校の卒業生の内3分の1
は苫小牧市へ出ていく。管内屈指の進学校、工業高校、部活動の盛んな私学などに流れる。
学力的にも経済的にも恵まれた層の生徒たちである。
当時の追分高校は、1、2年生普通科3間口、3年生普通科3、家政科1間口で、2次
募集でほぼ定員が埋まる生徒数だった。入学者は、地元追分町と早来町から3割弱、他は
苫小牧市から7割、千歳市が若干名である。地元の生徒は大人しく穏やかな気風であまり
手はかからないが、苫小牧から来る生徒はいわゆる落ち武者意識で、低学力、生徒指導で
余され組、不登校など何らかの問題を抱えた生徒達だった。千歳から来る生徒もほぼ同様
で、JRで2駅20分の通学であった。
学校は荒れていた。当時は全道でも生徒指導困難校といわれる学校がいくつかあり、追
分高校もその5本の指に入っていた。まずは、見かけが良くない。男子はパーマ、リーゼ
ント、短ランにボンたん。女子は短い上着、長いスカート、化粧、赤いヒールの生徒もい
る。昭和50年代に見かけた光景が今でも残っているのかと思う程だった。通学列車の中
はタバコの煙だらけ、駅のトイレもタバコだらけ、駅の売店で買ったカップラーメンの器
は汁が入ったまま捨てられる、柄が悪く喧騒とした雰囲気で一般のお客さんは目をしかめ
て遠ざかる。通学路でも平気で車道に広がり、ごみを散らかして歩く。このような風体だ
から、町民からは当然非難の目で見られる。
学校の中はどうだったか。授業中は、廊下に出歩くことはなく教室には入っている。何
もないときは平穏に授業が進められていく。しかし、教科書を忘れた、課題を提出しない
などの注意や指導で時間を費やし、気が乗らないと先生の話を聞かない、しゃべりだすな
どなど、授業が上手くいかない学校でよく見かける光景になる。真面目な生徒は迷惑そう
な顔をしているが、ことが治まるのをじっと待っている。面と向かって注意できる生徒は
ほんの僅かである。このような中でも、授業を成立させられる先生がいる。反面、同じク
ラスに行っても全くと言っていいほど授業が成立しない先生もいる。何故なのか、これに
ついて次の機会に触れたい。
授業がこのような状態であるから、全校集会もまた然りである。始まるまでに時間がか
かる、話を聞いていない、姿勢がだらしない、先生方は集会の間中、列の中へ入って指導
する。毎月1回頭髪服装指導がある。全校集会の隊形のまま学年ごとに一人一人見ていく。
直さなければならない生徒にはそれぞれ支持が出る。納得しないものは、なんとか自分の
意を通そうとごねる。先生方も妥協しないから、ひと悶着がだんだんエスカレートして怒
鳴り合いになることもある。そして翌日からは再点検が何日も延々と続く。
昼休みになると、一目散に売店をめがけて走ってくる。驚いたことに、昼休み一時帰宅
を許可していた。家庭の都合で弁当やパンを買うお金も持たせられない生徒には、昼休み
の時間だけ帰宅が許されていた。これが生徒の都合のいいように利用されて、関係のない
生徒がついて行って誰の目もはばからずタバコを一服してくる。流石に翌年からは取りや
めとした。
学校のトイレはタバコの煙がもんもんである。先生方は毎休み時間ごと巡回するが、ち
ょっとでも出遅れるとその間隙をついてくる。先生方が煙のあるところに行っても、生徒
は知らぬ存ぜぬの一点張りである。
放課後になると一斉に生徒が帰っていく。苫小牧行の列車は16時、17時、その次2
0時を過ぎる。ほとんどの生徒が帰宅部である。部活動に加入しているのは、地元追分町
と早来町の何人かである。私が受け持った女子バレー部も練習が週3日、あとはアルバイ
トがあるから部活動はなし。当然、このことを当たり前と思っている生徒と古典的体育教
師の溝は埋まらなく、ほどなく休部状態となる。
生徒の非行事故も途切れることなく、放課後は毎日職員会議、停学の申し渡しと解除、
それに家庭訪問に追われ、補習も講習もできない、部活動にもつけない日々が続いた。
まあ何ともひどいことかと思いつつも、生徒指導で苦労した島の後半戦と定時制を足し
て、時間と場所を移せばこのようにもなるかとの思いでじっくり見ていた。
そして1年、大きな転機が来た。(つづく)
平成 25 年度 渡島教育局指導主事訪問
音楽科学習指導案
七飯町立七飯中学校
音楽科 教諭 佐藤 圭佑
今 年 2月 に、初 任 者 研 修 を担 当 してくださった大 井 結 厘 子 指 導 主 事 の学 校 訪 問 があり、
その際 授 業 を公 開 いたしました。卒 業 式 に向 けての歌 唱 (合 唱 )の授 業 で、式 典 で取 り扱 う楽
曲 の指 導 を中 心 に行 い、国 歌 指 導 の在 り方 と、校 歌 や式 歌 との関 連 性 を意 識 させながら、
学 校 教 育 の儀 式 的 行 事 における、音 楽 科 の存 在 意 義 を示 す授 業 展 開 を目 指 しました。
音楽科 学習指導案
日 時 平 成 26年 2月 14日 (金 ) 第 4教 時
生 徒 第 1学 年 C 組 男 子 16 名 女 子 15 名 計 31 名
指導者 教諭 佐藤圭佑
Ⅰ.題 材 名 「声 部 の役 割 を生 かして、歌 詞 の内 容 を味 わいながら歌 う」
Ⅱ.題 材 の目 標
(1)歌 詞 の内 容 を理 解 し、主 旋 律 の表 れ方 を理 解 して表 現 する。
(2)旋 律 のまとまりや強 弱 の設 定 を生 かして、表 現 を工 夫 する。
(3)声 部 の役 割 を理 解 し、それらの働 きを生 かして表 現 を工 夫 する。
Ⅲ.題 材 設 定 の理 由
本 題 材 では、本 校 の卒 業 証 書 授 与 式 で歌 唱 する、楽 曲 3曲 を教 材 として取 り上 げる。
国 歌 「君 が代 」は、小 学 校 学 習 指 導 要 領 第 2章 第 6節 「音 楽 」第 3指 導 計 画 の作 成 と内 容 の取 扱
い、1(3)において
〈国 歌 「君 が代 」は、いずれの学 年 においても歌 えるよう指 導 すること〉と明 示 されており、中 学 校 学 習 指 導
要 領 第 2章 第 5節 「音 楽 」にはその記 載 がないものの、第 5章 「特 別 活 動 」には国 歌 「君 が代 」についての
取 扱 いが明 示 されている。中 学 校 においては、国 歌 「君 が代 」をより音 楽 的 に歌 唱 できるよう、その成 立 の
歴 史 、明 治 期 の日 本 人 がどのような思 いで国 歌 を作 ったかを知 る学 習 内 容 を盛 り込 んだ。学 習 内 容 とし
ては、① 歌 詞 は『 古 今 和 歌 集 』 の 読 み 人 知 ら ずの 和 歌 か らとら れた も のであること 。② 楽 曲 の 雰 囲 気 は 、
日 本 の最 古 のオーケストラである雅 楽 の音 楽 を模 したものであること。③我 が国 の平 和 と繁 栄 の願 いを 込
められた国 歌 であること、を学 習 する。また、国 歌 「君 が代 」を歌 唱 する際 に、音 楽 的 に留 意 する点 である
①強 弱 、②ブレス、③間 についても学 習 し、それらの活 動 を通 して国 歌 を歌 う意 義 や意 味 を考 えさせていき
たい。
「旅 立 ちの日 に」では、校 内 合 唱 コンクールで学 習 した、歌 唱 、合 唱 の基 本 事 項 を確 認 しながら、混 声
三 部 合 唱 の醍 醐 味 をさらに深 めていく。より伸 びやかに声 を出 していくための発 声 法 の習 得 と、楽 曲 表 現 を
深 めるために①言 葉 のまとまりをとらえること、②言 葉 のアクセント、③発 音 、④楽 譜 に書 かれている強 弱 を
意 識 することが大 切 であることを、本 楽 曲 の学 習 を通 して学 ばせたい。その過 程 において、生 徒 の知 覚 ・感
受 、表 現 する活 動 のサイクルや、自 らの思 いや意 図 を表 現 することを、楽 譜 や学 習 プリントに書 きこんだり、
それらをもとに他 者 と話 し合 い、より良 い音 楽 表 現 を目 指 す姿 勢 を育 んでいきたいと考 える。
学 習 指 導 要 領 との関 連
中 学 校 学 習 指 導 要 領 第 2章 第 5節 「音 楽 」
第 2 各 学 年 の目 標 及 び内 容
〔第 1学 年 〕 2 内 容 A 表 現
(1)歌 唱 の活 動 を通 して、次 の事 項 を指 導 する。
ア 歌 詞 の内 容 や曲 想 を感 じ取 り、表 現 を工 夫 して歌 うこと。
イ 曲 種 に応 じた発 声 により、言 葉 の特 性 を生 かして歌 うこと。
ウ 声 部 の役 割 や全 体 の響 きを感 じ取 り、表 現 を工 夫 しながら合 わせて歌 うこと。
中 学 校 学 習 指 導 要 領 第 5章 「特 別 活 動 」
第 3 指 導 計 画 の作 成 と内 容 の取 扱 い
3 入 学 式 や卒 業 式 などにおいては、その意 義 を踏 まえ、国 旗 を掲 揚 するとともに、国 歌 を斉 唱 するよう指 導 す
るものとする。
Ⅳ.教 材
国 歌 「君 が代 」 (『古 今 和 歌 集 』 読 み人 知 らず /林 古 渓 作 曲 )
「七 飯 町 立 七 飯 中 学 校 校 歌 」(寺 沢 煕 泰 作 詞 /三 浦 俊 郎 作 曲 )
「旅 立 ちの日 に」 (小 嶋 登 作 詞 /坂 本 浩 美 作 曲 /松 井 孝 夫 編 曲 )
本 教 材 において指 導 する共 通 事 項
〔音 色
リズム
速度
旋律
強弱
抑揚〕
Ⅴ.題 材 の評 価 規 準
音 楽 への関 心 ・意 欲 ・態 度 〈観
音 楽 表 現 の創 意 工 夫 〈観 点 2〉
音 楽 表 現 の技 能 〈観
点 1〉
点 3〉
歌 詞 の内 容 や曲 想 、声 部 の役 割
速 度 、旋 律 、強 弱 などを知 覚 し、それらの働
歌 詞 の内 容 や曲 想 、声
と全 体 の響 きとのかかわりに関 心 を
きが生 み出 す特 質 や雰 囲 気 を感 受 しなが
部 の役 割 と全 体 の響 き
もち、音 楽 表 現 を工 夫 しながら合
ら、歌 詞 の内 容 や曲 想 を味 わって曲 にふさわ
とのかかわりを生 かした
わせて 歌 う 学 習 に 主 体 的 に 取 り 組
しい音 楽 表 現 を工 夫 したり、声 部 の役 割 と
音 楽 表 現 をするための
もうとしている。
全 体 の響 きとのかかわりを理 解 して音 楽 表
必 要 な技 能 を身 に付 け
現 を工 夫 したりし、どのように合 わせて歌 うか
て歌 っている。
について思 いや意 図 をもっている。
Ⅵ.指 導 計 画 と評 価 計 画 (6時 間 扱 い)
時
○学 習 活 動
評価規準
評価方法
第
○国 歌 「君 が代 」の成 立 背 景 と、明 治 期 の日 本 人 がどのような願 いを
観 点 〈1〉①
観察
1
込 めて国 歌 を定 めたかを知 る。
時
○国 歌 の旋 律 を歌 う。
観 点 〈3〉①
学 習 プリント
○「旅 立 ちの日 に」を楽 譜 を見 ながら鑑 賞 し、楽 曲 全 体 の雰 囲 気 をつ
自 己 評 価 シート
かむ。
○女 声 パート、男 声 パートがユニゾンである箇 所 を歌 唱 し、歌 唱 する際
の発 声 法 、基 本 姿 勢 を確 認 する。
第
○前 時 の学 習 内 容 を確 認 する。
観 点 〈1〉
観察
2
○ソプラノ、アルト、男 声 の各 パートに分 かれ、それぞれの声 部 を確 認 す
②③
パート練 習 の取 組
・
る。
3
○全 体 で合 唱 し、声 部 のバランスやつられてしまう箇 所 を確 認 し、次 時
観 点 〈3〉
時
への学 習 課 題 をとらえる。
②③
演奏
自 己 評 価 シート
観 点 〈1〉④
観察
第
○前 時 までの学 習 内 容 を確 認 する。
4
○各 パートの旋 律 の動 きと言 葉 のリズム、アクセント、抑 揚 とのかかわり
時
を考 えながら、パート練 習 に取 り組 む。
観 点 〈2〉①
自 己 評 価 シート
第
○前 時 までの学 習 内 容 を確 認 する。
観 点 〈1〉⑤
観察
5
○旋 律 の動 きや強 弱 、言 葉 の扱 いに留 意 しながら歌 う。
時
○言 葉 のまとまり、発 音 や言 葉 のアクセントを工 夫 しながら、楽 曲 表 現
本
を深 める。
演奏
時
○全 体 で合 唱 し、本 時 のまとめと次 時 への学 習 課 題 を確 認 する。
自 己 評 価 シート
第
○前 時 まで学 習 内 容 を確 認 する。
6
○旋 律 の動 きと強 弱 との結 びつきをとらえる。
学 習 プリント
時
○言 葉 のまとまりや、発 音 、言 葉 のアクセントを生 かして歌 唱 すると、楽
演奏
演奏
生 徒 の発 言 内 容
観 点 〈2〉②
観 点 〈1〉⑥
パート練 習 の取 組
観察
観 点 〈2〉③
曲 の表 現 がより深 まることを知 る。
自 己 評 価 シート
○まとめの合 唱
Ⅶ.本 時 案
(1)本 時 の目 標
・声 部 の役 割 や全 体 の響 きに関 心 をもち、合 わせて歌 う学 習 に主 体 的 に取 り組 もうとしている。〈観
点 1〉⑤
・言 葉 のまとまりを意 識 し、発 音 や言 葉 のアクセントを工 夫 しながら、楽 曲 の表 現 を深 める。〈観 点
2〉②
(2)本 時 の展 開
指導内容
前 時 の振 り返 り
導
入
○学 習 活 動
●評 価 規 準
○校 歌 を、姿 勢 と発 声 を意 識 しながら
・歌 唱 の活 動 に取 り組 む際 の
歌 う。
基 本 である、頭 声 発 声 や姿
勢 、ブレスコントロールを意 識
歌 唱 活 動 の基 礎 事 項
の確 認
・指 導 上 の留 意 点
○国 歌 を、ブレスと強 弱 を意 識 して歌
し、無 理 のない発 声 で伸 びやか
う。
な声 を出 すことを意 識 させる。
・国 歌 の成 立 や、国 歌 を歌 う
意 義 と 意 味 を理 解 させながら、
活 動 に取 り組 ませる。
本 時 の学 習 課 題 の提
○これまでの学 習 活 動 を踏 まえ、全 体
・合 唱 した後 、パートごとに課 題
示
で合 唱 をする。
を確 認 することを理 解 させ、気
●音 楽 への関 心 ・意 欲 ・態 度 ‐⑤
展
開
導 する。
課 題 解 決 に向 けての手
立て
歌 唱 表 現 の創 意 工 夫
づいたこと楽 譜 に書 きこむよう指
○全 体 で合 唱 した際 に課 題 となった箇
所 をパートごとに確 認 し、それらの課 題 と
・パートごとに話 し合 いをする
言 葉 のまとま りと発 音 、ア クセントを 意 識
際 、話 し合 いがスムースに行 え
しながら、パート練 習 に取 り組 む。
るよう、机 間 支 援 と助 言 を行
う。
●音 楽 表 現 の創 意 工 夫 -②
・自 ら表 現 したいという思 いや表
現 意 図 をもてるよう助 言 を行
う。
成 果 の共 有
○全 体 で合 唱 をし、学 びを共 有 する。
し、自 分 達 の演 奏 への興 味 ・
ま
と
め
・パート練 習 後 の合 唱 を録 音
自己評価
○本 時 の自 己 評 価 をする。
関 心 を高 め、本 時 に学 んだこ
と 、 課 題 を 確 認 させ 、 次 時 への
学 びの喚 起 を行 う。
小学校音楽科教育における、
スピーキングコーラスを用いた「音楽づくり」の実践
‐岩見沢市立中央小学校第5学年での実践‐
七飯町立七飯中学校
音楽科
教諭
佐藤
圭佑
平成25年2月に、日本学校音楽教育実践学会第6回北海道支部例会において、
実 践 報 告 を 行 い ま し た 。前 任 校 、岩 見 沢 市 立 中 央 小 学 校 第 5 学 年 に お け る「 音 楽
づくり」の実践です。
日本学校音楽教育実践学会
第6回北海道支部例会
実践報告
平成25年2月23日
岩見沢市立中央小学校
佐藤
圭佑
1.
実践目的と学習計画
平成20年改訂学習指導要領から、音楽科においては【共通事項】の新設に
より、各領域で児童に知覚・感受させていくべき事項がより明確化された。教
科 担 任 制 が 基 本 で は な い 小 学 校 で 、 音 楽 を 専 門 と し な い 教 員 で も 、【 共 通 事 項 】
の登場により、音楽の授業を展開しやすくなったようにも思える。しかしなが
ら、
「 音 楽 づ く り 」だ け は 未 だ に 取 扱 い に く い 、ま た は 取 り 扱 わ な い ケ ー ス が 多
く存在するようである。
本校においては、高学年(今年度は第5・6学年)音楽の授業を専科担任が
受 け 持 っ て い る が 、児 童 は 高 学 年 以 前 で「 音 楽 づ く り 」を 経 験 し て い な か っ た 。
今年度は、岩見沢市教育委員会、岩見沢市教育研究所、北海道教育大学岩見沢
校が連携して行っている事業である遠隔学習を利用し、
「音楽でえがこう~雨の
表 情 を 表 現 し よ う ~ 」に 1 学 期 取 り 組 ん だ 。
「 音 楽 で え が こ う 」で は 、ト ー ン チ
ャイムとハンドベルを用いて「音楽づくり」を行った。そこで2学期は、声を
用いたスピーキングコーラスで「音楽づくり」に取り組ませたいと考え、本実
践を行った。
学習計画は3時間計画で行い、
第 1 時 間 目 様 々 な 声 に よ る 作 品 の 鑑 賞 、「 音 楽 づ く り 」 カ ー ド の 表 現 練 習 、
習作1の創作
第2時間目 習作1の発表、習作2の創作
第3時間目 作品発表会とまとめ
という計画で授業を行った。なお第2時間目の授業に関しては、地域連携特設
公開授業として授業を公開した。
2.
児童の実態
本校は各学年2クラスで編成されている。今回「音楽づくり」に取り組んだ
5年生は、
「 こ ん な 風 に 演 奏 し た い 」、
「 も っ と よ く 演 奏 し た い 」、
「この音楽を聴
いてみたい」など、音楽科の諸活動に極めて積極的に取り組む学年である。
特に、歌唱や合唱の活動に関しては積極的かつ意欲的に取り組み、今年度は
学習発表会において、北海道教育大学岩見沢校出身で、現在東京藝術大学大学
院で学ぶ、新進気鋭の作曲家の新作合唱曲に取り組んだ。
高学年になると思春期特性が少しずつ表出し始め、音楽科の活動における声
を出すこと、歌うことに苦手意識を持つ児童も見られるようになってくる発達
段階であるが、学年・学級として前述したような雰囲気であることから、今回
スピーキングコーラスに取り組ませたいと考えた。
3.
学習経過
6月→「音楽でえがこう」~雨の音楽を表現しよう
(岩見沢市教育研究所と北海道教育大学岩見沢校による遠隔学習)
8~10月→学習発表会に向けて(合唱、器楽の発表に向けての練習)
11月→言葉のイメージから音楽をつくろう‐スピーキングコーラス
(本実践)
6月に「音楽づくり」に取り組んでから本実践に至るまで、夏休みを挟み約
5か月時間が空いてしまったが、その間に様々な音楽体験をしたことにで、本
実践での児童の活動が非常に質の高いものになった。
学 習 経 過 の 詳 細 に つ い て は 、別 紙 資 料( 学 習 指 導 案 )と 児 童 の 創 作 し た 作 品
を用いて行いたい。
4.
実践結果と考察
こ の 題 材 に 取 り 組 む に あ た っ て 、児 童 に は 自 ら の「 思 い や 意 図 」を 持 っ て「 音
楽づくり」に取り組み、その過程においては、どうしたら自らの思う音楽にな
るか思考・判断・表現を繰り返しながら創作してほしいと考えていた。
児童は作品を作る際、自らの「思いや意図」を持って、音から音楽に構成し
てく過程を楽しみながら活動に取り組んでいた。また、これまで音楽科で学習
してきたことや音楽経験を活かして、自らの思いや、イメージした場面を表現
するには、どのようなカードを用いれば聴く人に伝わるか、思考・判断・表現
を繰り返しながら作品作りにあたっていた。その姿勢は演奏する際にも見られ
た。音色、強弱、抑揚など、自らが表現したいものを聴く人に伝えるには、ど
の よ う に 演 奏 し た ら よ い か 、試 行 錯 誤 を 繰 り 返 し な が ら 演 奏 を 作 り 上 げ て い た 。
グループ活動であったことから、1人で取り組むには難しいと考えていた児
童も取り組みやすかったように見受けられた。またカードを用いて音楽を作る
という活動であったので、ある程度見通しを持って取り組むことができたよう
だ 。 加 え て 、 児 童 の 「 こ う し た ら ど う だ ろ う 」、「 こ ん な 表 現 カ ー ド を 作 っ て み
た ら ど う だ ろ う 」、 と い う 意 欲 も か き 立 て 、「 ま た や っ て み た い 」 と い う 次 へ の
学習意欲も高める題材であっったようで、児童は「音楽づくり」を身近なもの
に感じられるようになったようだった。
5.今後の課題
平成20年改訂学習指導要領から、各領域を相互関連させて指導することが
求められている。今回の学習で、児童は歌唱、器楽、鑑賞のそれぞれの授業で
知 覚・感 受 し て 身 に 着 け て き た も の と 、日 頃 の 音 楽 経 験 を も と に「 音 楽 づ く り 」
に取り組んでいた。各領域が単独で完結するのではなく、領域間に関連性を持
たせ、児童の音楽経験を深めていくことが重要であることを実感した。
また近年、義務教育9年間を意識した教育活動の展開が求められている。音楽
科 教 育 の「 音 楽 づ く り( 創 作 )」分 野 に ス ポ ッ ト を 当 て て 考 え た と き 、中 学 校 で
は3年間継続して「創作」に取り組んでいると思われるが、冒頭でも述べた通
り、教科担任制ではない小学校では、取り組みにバラつきがあるケースが多い
よ う に 思 う 。小 学 校 に お い て も 第 1 学 年 か ら 第 6 学 年 ま で 継 続 し た 指 導 を 行 い 、
中学校との接続を意識していかなければならない。そのためには、専門教育を
受け、知識・技能を有する教員を中心に、学校全体としてカリキュラム構成、
指導方法と体制の確立が必要である。
児 童 生 徒 の 「 生 き る 力 」、「 音 楽 す る 心 」 を 育 む 重 要 な 手 立 て で あ る 「 音 楽 づ
く り 」を よ り 効 果 的 に 行 っ て い く た め に 、今 後 も 研 究 と 実 践 を 行 っ て い き た い 。
第 54 回北海道音楽教育研究大会釧路大会に参加して
七飯町立七飯中学校
音楽科
教諭
佐藤
圭佑
前 任 校 、岩 見 沢 市 立 中 央 小 学 校 で 期 限 付 き 教 諭 と し て 勤 務 し て い た 際 に 、地 域
連 携 研 修 と し て 北 海 道 音 楽 研 究 大 会( 全 道 音 研 )に 視 察 派 遣 し て 頂 き ま し た 。研
修 完 了 後 、参 加 レ ポ ー ト の 作 成 と 研 究 授 業 の 公 開 が 課 せ ら れ て お り 、こ の レ ポ ー
ト は そ の 際 に 作 成 、 提 出 し た も の で す 。 平 成 24 年 度 の も の で す が 、 北 海 道 に お
ける音楽科教育の実際と課題が見えてくる内容となっています。
平 成 24 年 11 月 2 日
岩見沢市立中央小学校
教諭 佐藤 圭佑
全道共通主題
音楽教育
釧路大会主題
音楽のよさを生かし、豊かな心と確かな力をはぐくむ
伝えあい
ひびき合う
よろこび
去 る 11 月 2 日 、釧 路 に 於 い て 第 54 回 北 海 道 音 楽 教 育 研 究 大 会 釧 路 大 会 が 行
われた。
大 会 は 釧 路 市 立 青 陵 中 学 校 の 音 楽 集 会 で 幕 を 開 け 、公 開 授 業 と 研 究 討 議 、津 田
正 之 氏 の 公 演 、歌 声 と と も に と 題 し て 大 会 を 振 り 返 る ア ト ラ ク シ ョ ン の 4 つ の
催しを柱として、盛大に行われた。
以 下 そ れ ぞ れ の 項 目 に つ い て 、私 見 を 交 え な が ら レ ポ ー ト を 行 っ て い き た い 。
1.音楽集会 -釧路市立青陵中学校 の取り組み
大 会 は 、釧 路 市 立 青 陵 中 学 校 の 音 楽 集 会 で 幕 を 開 け た 。同 中 学 校 は 、校 下 の
小 学 校 3 校 と 連 携 し た「 地 域 連 携 交 流 合 唱 祭 」を 生 徒 指 導 部 が 主 体 と な り 、こ
の 活 動 を 展 開 し て い る 。各 小 学 校 の 6 年 生 と 、学 年 縦 割 り で 分 け た グ ル ー プ( ブ
ロ ッ ク )で 練 習 し た 合 唱 を 地 域 に 披 露 す る も の で 、単 な る 合 唱 交 流 、披 露 と い
うレヴェルに留まらず、社会性の基礎であるコミュニケーション能力の育成、
中 1 ギ ャ ッ プ へ の 対 応 な ど 、多 く の ね ら い と 願 い を 含 ん だ 活 動 で あ る と 紹 介 が
あった。
今 年 度 は 、研 究 大 会 の 3 日 前 に 合 唱 祭 を 終 え 、大 会 で は 中 学 生 の ブ ロ ッ ク 合
唱 の み の 披 露 で あ っ た が 、少 し ず つ 大 人 の 声 に 近 付 い て い る 中 学 生 特 有 の 混 声
合 唱 の 響 き が 体 育 館 全 体 に 響 き わ た り 、生 徒 1 人 1 人 が ひ た む き に 声 を 出 す 姿 、
人 の 声 と 歌 の 持 つ 力 に た だ 感 動 す る の み で あ っ た 。学 校 教 育 に お い て 音 楽 科 の
果たすべき役割の一端を、改めて提示していただいたように思う。
2 . 公 開 授 業 研 究 討 議 - 中 学 校 第 3 分 科 会 (3 年 ) 釧 路 市 立 阿 寒 湖 中 学 校
小・中 義 務 教 育 9 年 間 の 連 携 し た 教 育 活 動 の 展 開 が 求 め ら れ て い る 近 年 、私
も ま た「 義 務 教 育 9 年 間 の 音 楽 科 教 育 の 展 開 」を 意 識 し て 、日 々 の 授 業 作 り を
心 が け て い る 。今 回 は 義 務 教 育 9 年 で 辿 り 着 く べ き 姿 を 参 観 し た い と 考 え 、中
学校3年生の授業を参観した。
本 授 業 は 6 時 間 構 成 で 、公 開 授 業 で は 第 5 時 を 取 り 扱 っ た 。内 容 は 、三 部 形
式 の 楽 曲 の 第 三 部「 旅 立 ち 」の イ メ ー ジ に 合 う 表 現 方 法 を 、個 人 、パ ー ト ご と
に 考 え 、全 体 で 考 え を 交 流 し 、思 い や 意 図 を 持 っ て 表 現 を 工 夫 し 曲 を 作 り 上 げ
る と い う 内 容 で あ っ た 。授 業 の 展 開 は 、生 徒 に 思 考・判 断・表 現 さ せ る 過 程 を
大 事 に し た 、素 晴 ら し い 授 業 展 開 で 、生 徒 と 教 師 の 日 頃 か ら の 信 頼 関 係 の 構 築
が感じられる授業であった。
ま た 授 業 の 様 々 な 場 面 で 、生 徒 た ち が こ れ ま で 受 け て き た 音 楽 教 育 の 積 み 重
ね を 感 じ さ せ ら れ た 。箏 を 弾 く 技 術 も さ る こ と な が ら 、音 楽 (音 )を 知 覚・感 受
し 、思 考 ・ 判 断・ 表 現 し 、自 ら の 言 葉 で 他 者 に 発 信 す る 、と い う こ と が 授 業 の
中 で 頻 繁 に 行 わ れ て い た 。こ れ は こ の 題 材 の み で 習 得 し た 力 で は な く 、小 学 校
か ら 中 学 校 、中 学 1 年 か ら 2 年 、中 学 2 年 か ら 3 年 へ と 、学 び が 積 み 重 な っ て
形 成 さ れ て き た 結 果 だ ろ う 。義 務 教 育 9 年 の 音 楽 教 育 で 目 指 す 一 つ の 姿 を 、こ
の授業は示してくれたように思う。
最 後 に 教 材 に つ い て 触 れ て お き た い 。本 授 業 で 取 り 扱 っ た 教 材 は 、ア イ ヌ 古
式 舞 踊《 鶴 の 舞 》の テ ー マ を 元 に 、教 育 大 学 岩 見 沢 校 の 尾 藤 教 授 が 書 き 下 ろ し
た 作 品 で あ る 。《 鶴 の 舞 》 は 、 阿 寒 湖 の ア イ ヌ コ タ ン で 踊 ら れ る 古 式 舞 踊 で 、
生 徒 に は 馴 染 み の あ る 音 楽 で あ る そ う だ 。そ の よ う な 地 域 素 材 を 用 い て 、専 門
教 育 を 受 け た 作 曲 家 に 作 品 委 嘱 を し 、教 材 と し て 扱 っ た と い う 事 前 準 備 も 、こ
の授業では特筆すべき点であった。
中学校第三部会
表現・器楽
3年
釧路市立阿寒湖中学校
曲想を味わって表現しよう
教材: 丹頂鶴そして旅立ち~サロルンリムセのテーマによる(箏二重奏)
丹頂鶴の旅立ち~サロルンリムセのテーマによる(箏三重奏)
※教材は、北海道教育大学岩見沢校
尾藤 弥生 教授
作曲の委嘱新作
3 .講 演 - 津 田 正 之 氏 (文 部 科 学 省 初 等 中 等 教 育 局 教 育 課 程 課 教 科
調査官)
午 後 か ら は 会 場 を 移 動 し 、講 演 が 行 わ れ た 。津 田 氏 は 釧 路 出 身 で 、北 海 道 公
立 小 学 校 教 諭 か ら 東 京 学 芸 大 学 博 士 課 程 を 単 位 取 得 満 期 退 学 し た 後 、琉 球 大 学
准教授を経て、現職。
「 こ れ か ら の 音 楽 教 育 に 期 待 す る も の 」と 題 し て 講 演 さ れ た 。主 に 、音 楽 教
育 が 学 校 に お い て 果 た し て い る 役 割 、こ れ か ら の 音 楽 教 育 に 求 め ら れ て い る こ
とという流れで講演された。
音 楽 教 育 の 本 質 で あ る「 共 同 体 験 」、
「 感 動 の 共 有 」が 、学 校 教 育 に 大 き な 影
響を与えていることに触れられ、
「 生 き る 力 」を 構 成 す る 要 素 の 1 つ で あ る「 豊
か な 心( 人 間 性 )」は 音 楽 に よ っ て 育 ま れ る と 強 調 さ れ て い た 。そ の た め に も 、
音 楽 科 の 授 業 に お い て 、 音 楽 を 知 覚 ・ 感 受 す る 過 程 を 大 切 に し 、〈 音 楽 的 な 感
受 〉 を 高 め 、「 感 性 」、「 情 操 」、「 想 像 力 」、「 創 造 力 」 と い っ た 美 的 情 操 の 育 成
の重要性を、資料や全国の実践例の映像などを交えて解説された。
加 え て 、 21 世 紀 と い う 多 様 な 価 値 観 と グ ロ ー バ ル 社 会 で 生 き て い く 子 ど も
た ち が 、日 本 の 伝 統 音 楽 を 学 ぶ 意 義 に つ い て も 触 れ ら れ て い た 。自 国 の 伝 統 と
文 化 を 大 切 に す る 態 度 の 育 成 は 、自 己 及 び 日 本 人 の ア イ デ ン テ ィ テ ィ の 理 解 と 、
文化の多様性を理解する力によって形成されていく。
地 球 規 模 で 考 え 、行 動 し て い く こ と が 求 め ら れ て い る 現 代 人 に と っ て 、必 要
な力の育成―グローバルな視点での思考、文化の多様性の理解― の一端を音
楽教育は担っていると、講演を通じて感じさせられた。
4. 歌声とともに - 合唱とともに大会を振り返る
講 演 終 了 後 、釧 路 市 立 景 雲 中 学 校 合 唱 部 、北 海 道 釧 路 湖 陵 高 等 学 校 合 唱 部 に
よ る 演 奏 と と も に 、大 会 を 振 り 返 る ス ラ イ ド シ ョ ー が 上 演 さ れ た 。歌 声 に 始 ま
った大会が、歌声によって締めくくられるという演出であった。
こ こ で も や は り 、子 ど も た ち の 歌 声 の 持 つ 素 晴 ら し さ に 聴 き 入 り な が ら 、学
校 教 育 に お い て 音 楽 教 育 の 果 た す べ き 役 割 の 大 き さ と 、音 楽 そ の も の の 持 つ 力
の偉大さを実感させられた。
2 0 世 紀 ア メ リ カ を 代 表 す る 指 揮 者 で あ り 、作 曲 家 で 教 育 者 で も あ っ た レ ナ
ー ド・バ ー ン ス タ イ ン は「 音 楽 は 言 葉 で 表 現 で き な い 深 い 感 情 を も 、表 現 す る
こ と が で き る 」と 述 べ て い た 。ま た 、シ ラ ー の 詩 と 一 部 自 ら の 言 葉 も 盛 り 込 ん
だ 、ベ ー ト ー ヴ ェ ン の 交 響 曲 第 9 番 の 歌 詞 に は「 す べ て の 人 は 兄 弟 と な る 」と
いう部分がある。
音 楽 に 目 に 見 え な い 力 が あ る と す れ ば 、音 楽 教 育 の 第 一 義 的 目 的 は「 見 え な
い も の へ の 感 性 を 養 う こ と 」な の で は な い か と 思 う 。そ れ は 、人 類 の 宝 で あ る
偉 大 な 芸 術 作 品 に 触 れ 、美 し い も の を 美 し い と 感 じ る 心 を 育 み な が ら 、ひ い て
は 人 の 痛 み や 思 い を 想 像 す る 力 、他 者 と 関 わ っ て い く コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 能 力
の育成へとつながっていくのではないだろうか。
そ の よ う な こ と を 考 え な が ら 会 場 を 後 に し 、幣 舞 橋 か ら 見 え る 釧 路 の 夕 闇 に 、
ふと中央小の子どもたちが歌う合唱が頭をよぎった。
教頭として取り組んでいることと心得
乙部町立明和小学校 教頭 佐々木 朗
1
はじめに
現在教頭になって2校目で6年目を迎える。もう「何をやっていいのかわからない。」と
いう時代は遠い昔となっている。
(もちろん今でも悩みながら毎日やっているという状態は
あるが。)
2校のいずれも複式校で、現在は、児童数13名、教職員5名(校長、教頭、教諭2名、
養護教諭)のいわゆる 3 学級4定員であり、教頭も学級(1・2年生)を持っている。
このような職場環境で、教頭として校長の意を体して、どのような心得で学校運営を進
めていくかを振り返ってみた。
2
仕事の流れを止めないこと
昨年まで、学級担任はなかったが、本年度は、3名の児童減となり、教員の定数が減り、
教頭も学級を持つことになった。したがって、教頭の仕事は子どもたちが帰ってからとな
る。年度当初の学校運営に関わる会議では、できるだけ全教職員で仕事の再分担をし、従
前教頭がやっていた業務も職員で割り振りをしてもらった。しかし、事務職員の配置がな
いため、そちらの業務のいくつかもこなすことになり、やはり、やってくる仕事が多けれ
ば、がんばり方を高めて仕事を処理していかなければならない。特に、ミスや仕事の未執
行などは、即、学校の評価を落とすことにつながっていく。
そこで、私は今年、「仕事の流れを止めない。」ということを心して仕事をしている。つ
まり、「その日に来た仕事はその日のうちに処理する。」ということである。一度後回しに
すると、次から次へと、新しい仕事がやってきてしまうからである。
それでも、できない場合は、本来的ではないが、週末を使って処理するという現状もあ
る。
どこの学校の教頭も、調査物の多さには苦労していると思うが、私は、できるだけその
日のうちに回答を作成し、次の日の朝に、校長に決裁をもらい、すぐ発送するようにして
いる。また、校長から、意見を求められたこと、資料作成の指示を受けたことも、翌日ま
でには、大筋をまとめて、校長にみてもらうようしている。
時には、夜が遅くなることがあるが、できるだけ週末の休養はしっかり取ることができ
るよう日々の業務を流れるようにこなしていくよう努力をしている。
3 地域に感謝する気持ちをもって仕事をすること
「地域に根ざした学校をめざす。」というのは、私が教頭になってから、また、一般教諭
時代からずっと自分の教育指針としてもっていたことである。特に、教頭になってからは、
校長とともに、学校の顔として町の行事や地域行事に顔を出す機会も多くなった。
できるだけ、地域の行事には参加する、地域の商店で買い物をする、地域の草刈りをす
る、地域を散歩して(ちょうど我が家では犬を飼っている)住民とのふれあいを多くする、
などを心がけている。また、学校に来た来客全てに、丁寧に対応していくことも心がけて
いる。
また、本校の学校通信は地域全てに配布して学校の様子を伝えている。学校ホームペー
ジも、今年は多忙で更新がままならないが、学校の経営方針や子どもたちの様子を発信し
ている。
4
町の教育発展のために力を発揮すること
私の勤めている乙部町は、小学校が3校(単式校1校、複式校2校)、中学校が1校であ
る。教頭は4人である。学校数が少ないことから、町の教育も比較的小回りが利く状況に
ある。
私は昨年、乙部町学習・生活習慣向上プロジェクトの副委員長を受け、教育委員会やプ
ロジェクトの先生方及び保護者らと、協力してプロジェクトを推進してきた。その中で、
学習のてびき作成やアンケートの作成・集約・まとめ、PTA研究大会での発表などリー
ダーシップを執りながら事業をすすめることができた。
自校の学校運営を大切にしながら、町の教育発展のために努力することも大切にしてい
きたい。
5
自分の専門性を生かしていくこと
私の専門は、情報教育である。大学時代からコンピュータに触れているのでキャリアと
しては30年を越えることにある。早いものである。教頭として忙しい中ではあるが、自
分の専門性を生かしての発信は常にしていきたいと考えている。
ここ2000年あたりから問題になりつつある情報モラルについては、檜山情報教育研
究会の事務局長として、管内に啓発紙を発行したり、管内の中学校で講演を行ったりして
きた。
また、校務の効率を上げるための、校内の無線ネットワーク化、校内文書のPDF化な
ども行ってきた。さらに、ここ数年は、エクセルのマクロを活用した、教材作成にも時間
を見つけて取り組み、町内の学校出も活用してもらっている。
町内の陸上競技大会では、昨年から改善しつつある陸上競技大会用ソフトウェアを開発
し、プログラムの作成から、順位判定、入賞者一覧作成、賞状作成までをボタン一つでで
きるシステムを作った。それまで手書きで記録していたものをVBAを使って自動計算を
させた。まだ、荒削りなソフトであるが、さらに改善を進め完成度を上げると共に、誰で
もが使えるソフトウェアにしていきたい。
時には、「学校のネットワークがおかしいから見てほしい。」とか「二階の教室でインタ
ーネットを使えるようにしたい。」などという相談も来るが、そういう頼みも大切にしなが
ら、檜山管内でのコンピュータ利用の第一線者と認めてもらえるよう自分の専門性はいつ
でも磨いておきたい。
6
最後に
教頭は、学校の中で一番忙しい職種であることは間違いなさそうだ。さらに学級担任も
ちながらは、相当忙しいのは現実である。そういう中でも、教頭には、あらゆる企画につ
いて、自分でプランを考え、中心になって仕切り、進めることができると醍醐味や楽しみ、
そしてうまくいったときの充実感もある。それが教頭のやりがいでもある。次の世代の若
い先生を引き込みつつ、企画力や行動力、調整力を育てていくことも、大切にしながら、
職員室の担任として、これからもがんばっていきたい。
町内陸上のICT化の試み
乙部町立明和小学校 教頭 佐々木 朗
1.はじめに
公式の陸上競技大会では、プロの編成からエントリー、計時、判定、賞状の印刷まです
べて、コンピュータネットワークで行われている。しかし、ローカルな競技大会において
は、全て人手に頼っているところが多い。乙部町においても、プログラム作りから手作業
により行われてきた、
そこで、今回の研究では、これらの一連の作業をエクセルのマクロを使い、自動化を試
みた。 私は、以前勤めていた町においてもこの構想を密かに温めており、誰に頼まれた
わけでもないが、プログラム開発を行って、翌年に提案しようと思っていた。ところが転
勤がかかり、幻のプログラムになってしまった。
一昨年度乙部町に転勤して、陸上大会に参加したが、状況は同じようなところがあった。
選手名簿を作成のために、何回も氏名を打ち込む、順位を出すのは、タイムを見ながら、
人手により速い児童から番号を付けていった。本部記録の入賞者リストも手書きであった。
それを見て、私のプログラマーとしての血が騒いだというか、何とか電子化できないか
という使命感みたいなものが、高まってきて、翌年の大会で使ってもらおうと、開発を進
め実践的にプログラムを組んで、実際場面で利用することができた。
本年度も、昨年度の試行の反省をもとに、若干の改善をして、当日、このソフトで記録
を集約することになった。私は、トラブルに備えて、そばにはいたが、作業は全て、この
ソフトに初めて触れる先生に入力してもらい、便利さを体感してもらった。
プログラムは、関数とマクロを組み合わせ作っている。開発者だから使えるのではなく、
誰でもが直感的に使うことができて、便利であるというコンセプトで作ってみた。
2.プログラムの特徴
①ゼッケンによる氏名、所属などの管理
短距離のプログラムにゼッケンを入れることにより、氏名、読み仮名、所属が児童的に入
るようになっている。
(vlookup 関数の利用)
②短距離はタイムを入れると、その組での順位、学年での順位が児童的に算出される。(rank
関数の利用)
③結果をボタン一つで、ゼッケン順、所属校順、記録順にソートすることができる。
(マク
ロの利用)
④新記録の判定をしている。(countif 関数の利用)
⑤中距離では、ゴールした順にタイムとゼッケン順に入力することができる。
⑥全ての競技の結果を男女別に一覧表にまとめることができる。
⑦入賞者リストを作成することができる。
⑧賞状印刷用に、全ての競技の結果一覧を作成することができる。
⑨新記録があると、その場でタイムに色がつき、知ることができる。
⑩その他にも小さなしかけが数々ある。
3 実施の流れ
(1) 事前作業
①3つの小学校において、ゼッケンと名前、よみがな、
エントリーする種目を入力してもらい、事務局へ送
付してもらう。メニュー一覧より「選手名簿作成」
をクリックすると、トラック短距離、トラック中距
離、フィールド種目がそれぞれ、男女別に選手名簿
が作成される。
②短距離プログラムは、さらにプロの編制が必要とな
る。参考記録を元に、速い子は最後の組の方に、さ
らに各組で、速い子が中央に配置することになる。
ここも自動化したいところだったが、これからの私
の課題である。
③それぞれの競技の新記録を入力しておく。
(2) 当日の作業
①短距離走で、決勝審判と計時審判から届いたデータ
をプログラムに打ち込む。するとリアルタイムに当
該レースの順位及び、学年全体の順位を計算する。
さらに新記録の場合はタイムを入れた瞬間にセル
に色が付き、わかりやすくしている。
②その学年の競技終了次第、結果一覧に結果を転送し、
順位でソートし、プリントアウトして、放送係に回
し、結果の速報をしてもらう。
③中距離、フィールドについても、同じように結果をプログラムシートに入れていく。
(3) 事後の作業
①男女に全種目の6位までの入賞者を一覧にした表を自動作成する。
②男女別に全種目の全ての記録を一覧にした表を自動作成する。
③全種目の全データを学校ごとに振り分ける。
④賞状、記録賞を作成するための一覧表を作成する。この表をワードで読み込み、差し込
み印刷をかけると賞状のできあがりである。
4
プログラムについて
マクロの部分はVBA(visual basic for application)で書いている。VBAを使う
と、ボタンを押すと自動作業をするとか、違うシートから振り分けながら転送するなどと
いう、関数のみでは絶対にできないことができてくるので、非常に重宝である。ある程度
のプログラミングの基礎と、関数的なひらめきが必要であるが、これもプログラム作りの
おもしろさというか醍醐味である。
5
今後の改良点
自分でプログラムを作っていて常々、次の二つのことを思う。
一つは、「プログラムには完成はない。」ということ。「このへんがいいところかな。」と
いうところで一応の完成版としている。やはりプログラマーとして、プログラムの美しさ
に目がいく。同じような命令がいくつも並んでいるとそこを関数にしたくなる。美しいプ
ログラムは動作も速く、打ち間違いも少なくなるものである。あれこれ機能を増やしてい
きたいのもプログラマーの思いである。今回も短距離の走順を過去データに基づきながら、
児童の数から計算して、回数や一組ごとの選手数、コース順などをプログラム化しようと
思っていたが、次年度の課題になった。
そして、もう一つ、本番で使う時のバグの怖さである。バグ(つまりプログラムミス)
による誤った結果が出てしまうことである。プログラムの文法的な間違いであれば、エラ
ーが出てとまってしまったり、無限ループに入ってしまったりし、そのことがわかる。し
かし、正常に動いたようにみえて、まったく違う結果を出してしまうことが一番恐ろしい
のである。銀行のATMが混乱したというニュースをよく耳にするが、その時のプログラ
マーの気持ちがよくわかります。いろんな想定をして、データを突っ込んでみて、エラー
が出ないかをチェックしています。それでも、実際やってみると、思いも寄らないところ
でエラーが出てしまうものである。今回の私の作ったプログラムにも、0.1 の位が 0 の場
合の処理にミスがあった。実際出くわさないとわからないようなプログラムミスだったが、
発表前に気づくことができ、胸をなでおろすと共に、すぐにプログラムを修正した。
2年間使ってみて、自分自身、少し悔いが残ったところ、そして、実際プログラムを走
らせてみた上で、改良点などが新たに見えてきた。しかし、プログラムを全く知らないユ
ーザーも使ってもらい、高い評価をもらえる仕様になった。次年度に向けて、同順位の処
理など、一部手作業も入ってしまったところを改善し、誰にでも操作できるプログラム開
発をして備えたいと思う。
6
最後に
自分にとっては、半分以上自分の趣味の追求というか、自分の研究領域の推進というこ
とであったが、それを現場で利用させてもらった事務局校の担当の先生には感謝している。
教育の情報化は、私が教員としての生涯にわたる研究テーマである。教材開発とはちょ
っと違った場面での、プログラム開発であったが、小さなトラブルこそあったが、競技全
体の運営に微力であるが、貢献できたことは自分にとっても一つの自信となった。
今後も、自分自身の研究を進めていくと共に、若い世代への教育の情報化に関わるノウ
ハウを伝えていくことも大切にしていきたい。
DIYで楽しみながら学校を便利にしましょう。
乙部町立明和小学校 教頭 佐々木 朗
1
はじめに
私は、根っからの工作好きである。子どもの頃から、工作用紙、木のコッパと釘、モー
ターとギア、そして小学校高学年からは、もっぱら半田ごて、テスターが必需品というよ
うなマニアックな子どもであった。電気が好きで得意というのが、アマチュア無線につな
がり、そしてコンピュータにつながっているのだから、子どもの頃、いわゆる「ラジオ博
士」(今で言う「オタク」)と呼ばれたが、それは、ほめ言葉としてとらえておくことにす
る。
さて、本校に来てから、まだ工作の芽が再び育ってきた。電動ドライバーから始まって、
ドリル、丸のこ、カンナ、サンダー、グラインダーと電動工具が増えてきた。最近は、木
工などのDIYの楽しさにはまっている。最近必要にせまらせて製作した3つの作品を紹
介する。
1 水噴出装置付き窓ふき
学 校 の 窓 掃 除を
する時は、長い柄の
つ い たス ポン ジワ
イ パ ーと バケ ツが
セットであった。特
に柄が長くなると、
上げて拭いたり、降
ろ し て水 につ けた
りと、腕も疲れてく
る。
何とか水が、自動
的 に でな いか とい
うことで、噴霧器と
窓 ふ きワ イパ ーを
合体させた。
圧 縮 空 気 を 使う
除草剤散布器(1000
円程度)に交換用ス
ポ ン ジ付 き窓 ふき
ワイパー(600 円程
度)を用意した。水
の制御レバーは、噴霧器のレバーをそのまま使い、レバーとワイパーを合体させた。この
想定していない使われ方をする時に、ぐらぐらしないように確実に留めるのは、長年やっ
てきた「職人技(?)」である。水の吹き出し口は、パイプに小さな穴を2方向に開けた。
先端は、ねじを接着剤で留めて、ふさいだ。
実際にタンクを肩に背負い、二階の窓を中から手を出して拭いてみた。それまでは、ス
ポンジを一回一回バケツにつけながらや
っていたので、時間はかかるし、回りは
水浸しになってしまったが、面白いよう
に水がでて、あっという間に楽しみなら、
窓掃除ができた。私は、
「明和君1号」と
名付けた。
その1週間後、やっぱり長い柄のバー
ジョンも作ろうと、柄付きのワイパーを
買ってきた。1600 円ぐらい。
「どうやって
レバーをつけようか」と楽しみながら悩
み、水道管を留めるアダプターを利用す
ることにした。棒とレバーが一体化して
いなので、操作しづらいといえば確かに
そうだが、実際の使い心地としてはさほ
ど悪くなかった。心配なことはもう一つ
あった。柄を伸ばした時の水圧は大丈夫
か。先端まで水が届くかどうか。強気で
いけば大丈夫。一番伸ばしても水は勢いよく吹き出た。「明和君2号」と名付けた。
手の届くところは1号で、高いところは2号で、と海に面した高台に位置する本校にと
っては、手前味噌ながら、とても使えるグッズができたと思う。
興味がありましたら、安価でできるので、挑戦してほしいと思う。
2 逆上がり練習台
小学生のうちに必ずできるようにしてあげたいと私が勝手にこだわっているのが逆上が
り。私の高校時代の苦い思い出の中で、「練習すれば必ず結果がでる。やればできる。」を
学んだのは、鉄棒の「蹴上がり」であった。
以前勤めていた学校には、練習台があった。この学校にはなかった。ベルトも試してみ
たが、はやり練習台にはかないそうもない。買うと数万円もする。
ゴールデンウィーク中のことである。学校で仕事をしていると、受け持ちの一年生の女
の子がお母さんと一
緒にグラウンドの鉄
棒で逆上がりを練習
している。コンパネを
持っていって練習に
つきあってあげた。
「あれ、つくれない
かなあ。」私は、教材
カタログを見て、設計
図も何もなしに、思い
つくままコンパネを
曲線に切って、「何と
かなるさ」の精神で製
作にかかった。その日
の午後である。
夕方には、それらし
き形に仕上がった。木で作ったので、それだけでは、子どもの蹴る力で動いてしまう。次
の日、チェーンを買ってきて、鉄棒に固定して位置を調整するようにした。
さっそく、受け持ちの子どもたちに、やらせてみた。練習台を使うと、おもしろいよう
にトントントンと駆け上がって、逆上がりができた。
子どもたちの逆上がり熱は一気に上がって、休み時間の度に逆上がりの練習をするよう
になった。忘れもしない5月15日、2年生の男の子が練習台なしにくるりとあがった。
とびきりの笑顔である。それに続いて、6月12日、2年生の女の子も逆上がりができた。
残るは1年生。今でも一生懸命逆上がりの練習をしている。
「3人ともできたらパーティーをしよう」という約束を果たす時も近い予感がする。
3 台形テーブル
本校は小さな学校なので、図書館の
専用教室ではなく、2階の一角に図書
コーナーを設け、そこに本を整理して
ある。今までは全て椅子であったが、
子どもたちにゆったりと本を読ませよ
うと言うことで、一部に古い畳を敷き、
カーペット敷きにした。
そうするとやはりテーブルがほしい。
以前勤めていた学校で、6個合わせる
と台形になるすてきなテーブルがあっ
た。いくらぐらいするかとカタログを
見ると、とっても今帰る値段
ではない。
「つくっちゃおう。」今度は
きちんと設計図を書いて、製
作に取り組んだ。天板にはお
金をかけたかったが、ここは
あるものでがまんということ
で、コンパネを用いた。その
他、足になるところ、支えの
木材も全て、倉庫にあった材
木を使った。お金をかけたの
はニスをぬるところだけ。
ちょっとおしゃれなミニテ
ーブルができました。6個く
っつけても、それぞれで離しても使うことができる。
子どもたちがテーブルの前で本を読んでくれるのを見ると、制作者としてはやはり感激
がある。
「予算がない→無理」ではなく、
「作れないかな」の発想である。物作りの楽しさと教育
環境のまさに一石二鳥のDIYであるが。これからも、技術を磨いていくと共に、子ども
たちに物作りの楽しさを教えていきたい。
音楽を教える教師の仕事
北斗市立石別中学校教頭
小山内
仁
ズバリ、義務教育に音楽は必要なのか。
義務教育とは何か。それは、日常生活をしていく上で、必要最低限の知識と技能を身
に付けること。
「音楽」が出来なかったからと言って社会生活上不便を感じることはない。
せいぜい「つきあいカラオケ」で、恥ずかしい思いをするだけである。
このように、音楽科不要論が根強い原因の一つに、音楽科が保証する学力が不鮮明で
あったことがあげられる。義務教育9年間における学習の結果、音楽を生活に活かすよ
うになったのか、楽譜が読めるようになったのか、こうした問いに答えるべく、教育の
成果を充分に説明なされなかったのである。
音楽科無用論まで含めた、ここ数年来のマスコミにおける音楽教育批判を背景として、
今回の改訂を迎えた時、ここで問われるものは教育における音楽の果たす役割である。
◆音楽教育の現状を直視する
音楽教育は音楽美による情操の教育であり、このような情操が人間形成に欠くべから
ず一面を成すものであるとされている。
音楽科の指導における「何を」「どのように」という内容や方法論もさることながら、
授業も含めて音楽科のいちばん基本的な問題は、内容や方法を「どんな考えで」するの
か、扱うのかという理念的なものにあると言える。
例えば、学校の音楽教育は数年来厳しい批判にさらされている。興味のない授業や古
くさい教材も、つきつめればその背後にある考え方・姿勢に問題があるといったことに
なる。
昭和22年以来、学習指導要領は何度も改訂されているが、多少の字句や表現こそ違
え、この目的として書かれた内容の意味するところに大きな違いはない。高等学校にお
いてもその理念的な趣旨は同じである。
我が国の音楽教育もすでに百年以上の歴史もっている。創設当時は「徳性の涵養に資
する」をもって要旨とし、戦前までに至った。戦後は、一転して情操陶冶による人間形
成という考え方になったのである。
音楽が人間の感情に関する芸術であって、音楽による、あるいは音楽を通しての教育
が子どもの審美的情操の育成を意図する教科だということは多くの人が納得するところ
であろう。
◆最近の研究会から
各地区で行われる音楽教育に関する研究会や音楽部会で助言を求められることが多く
ある。数多い現在の研究会に触れてみると、その果たしつつある役割は十分に評価する
として、そこにはいくつかの問題が及んでおり、破らねばならない壁が見えていると考
える。
音楽教育を改善し、向上させる研究にはいくつかの段階と種類がある。教育目的観の
確立、カリキュラムの改善、教材・教科書の研究と作成、楽器、施設の改良などである。
これらのうち、教師個人による研究として最も広く行われ、日常の音楽教育に密着し
て研究の実をあげているものは、いわゆる研究授業を中心とした研究会、研究発表会で
ある。
多くの職業のうち、我々教師ほどこのような現職研修の機会の多いものはないのでは
あるまいか。
音楽教育にこのような研究が必要であるのと同様に、研究会そのもののあり方にも不
断の改善がなければならない。それは研究会がややもすると形式化し、固定化し行事化
しつつあることである。
本来の趣旨が忘れられて、一種の「研究会」の型だけが習慣的に踏襲されるようにな
ると、そこにはもう研究的な気迫も失われ、単なる地区の季節的な教育行事、あるいは
お祭り的行事となってしまう。
これからの音楽教育は、これまでのように優れた指導者の経験だけに頼るような時代
の流れではない。現場における研究の最も重要な手段である研究会においても、我々音
楽教育者が各々の経験の範囲内でだけ研究するのではなく、子どもの教育をめぐる広い
立場から検討する心構えが必要なのではないか。
当たり前のことだが、音楽教育の研究会では、音楽的な観点からする検討が必ず加え
られなければならないということである。子どもの音楽性が対象であるところの音楽教
育の研究で、肝心の音楽性そのものが二次的になってしまったり、まして方法上の形ば
かり残って音楽性が忘れ去られたりすることがあってはならないのである。
合奏指導の研究会で、その基本的なリズムの音楽的な検討が忘れられて、単なる楽器
の形式的な組み合わせだけが討議されたり、創作指導の研究会で、子どもの創作した美
しい旋律よりも、形式的な旋律作曲の作曲法だけが優先されて討論されたのでは本末転
倒である。
技術的な面ばかりではなく、技術を土台にした音楽的な感動や創造的な面がこれまで
以上に取り上げられてよいことである。
もちろん音楽学習において、読譜やリズムなどについての技術面の指導法は大切な内
容に違いない。しかし、研究がこのような面だけに限定されたり片寄ったりすることは、
音楽学習を単なる技術の学習に方向づける恐れがある。
音楽教育の進歩、改善は、もっと我々に身近な日常の授業、そして最も身近な研究の
機会である、我々の研究授業や研究会の中から根をおろしてゆくものではないか。
◆音楽科教育の直面する最大の問題点は何か
それは到達点を高めることもさることながら、むしろ出発点をいかに捉え、それを伸
ばすかにあるといえる。
音楽教育とりわけ学校音楽についての多くの批判にもかかわらず、戦後の音楽教育の
レベルは非常に上がっている。音楽的にも戦前では考えられなかったような程度の高さ
になった。ヨーロッパの有名な少年合唱団にもひけをとらないような合唱団が小学校に
いくつもある。合唱や合奏のコンクールではこうした見事な成果がたびたび披露される。
しかしながら、現在の音楽教育は質の上から確かに素晴らしいものになった。今日、
世界のどこに出してもひけをとらない素晴らしい子どもの合唱団、合奏団はいくつもあ
る。そしてその多くはまぎれもなく現在の学校教育が基礎となり、学校の音楽教師が指
導したものである。
立派な合唱や合奏が子どもたち自身に経験できることは、何といっても音楽教育の目
標に直接つながる学校教育の見事な成果だといってよい。にもかかわらず問題であるこ
とは、同時に音楽カリキュラムから疎外された子どもたちも少なからずいるということ
である。
伝統的に教育には祖先から積み重ねられてきた学問や文化を子孫に伝達し継承させる
機能が課せられている。音楽教育で我が国や西洋の素晴らしい音楽文化を子どもたちに
伝えることは重要な使命である。そして熱心で優秀な教師ほど、日頃から発声練習や読
譜訓練を重ねて、少しでも高い音楽技能をもたせようとする努力こそが、すばらしい合
唱や合奏をもたらすのであって、このような教師は大いに評価されてよい。
その陰に、ドレミも満足に歌えない子どもたちが置き去りにされてはいなか。リコー
ダーもろくに吹けないようなクラスがありはしないか。
もちろん、集団の中で能力の低い者があるのはやむを得ないが、問題はその割合であ
る。学校でかかげる水準にまで達し得た子どもたちは立派に「音楽性を培われて」いる
が、多くの達し得ない子どもたちは授業が難しい、わからない、だからそっぽを向く。
「音楽愛好の心情」が文字面だけのタテマエ化にならず、実際の授業実践の上に生か
されるためには、各学校のカリキュラムを、教材を、指導法を、この方向で具体的に見
直してみることが必要だろうし、それは今後の我々の課題とすべきである。
◆打開への道
子どもたちみんなの自然な音楽的表現をたくみに捉える授業
・音楽に乗った授業。(歌は心である)
・手のこんだ授業プランはいらない。
子どもが同感する素朴なリズムや旋律から出発し、しかもこれを伸ばす指導につなげ
る。
出発点を捉えることはやさしいことかもしれない。だが、これを到達点に向けて伸ば
し、そして遂にはゴールに到達させることはたやすいことではないが、ここに音楽を教
える教師の仕事があると考えたい。
学級経営に行き詰まったら・・・
森
直樹
師範塾 理事
1.子どもが言うことを聞かなくなる、授業が騒がしい・・・
こんな苦労をしている若い先生を何人も見てきました。若い先生だけでなくベテランの
先生にも同じような苦労をしている姿を見ることがあります。このように書いている私も、
若い頃には同じような経験をしてきました。すでに乗り越えている先生もたくさんいるで
しょうし、今年の春に担任になって苦しみのど真ん中にいる先生もいるでしょう。
ここでは、私が過去に疲れ切っている若い先生と一緒に取り組んだ経験を、まとめてみ
ます。そのため、小学校での話ばかりです。しかし、他の学校種にも共通するものがある
と思います。いま、学級経営に苦しんでいる先生がそれを乗り越えるヒントにでもなれば
幸いです。
2.荒れた学級の共通点
○教室が汚い。机や椅子が整頓されず、床にもゴミが目立つ。黒板もきれいに消されて
いなく、掲示物も半分はがれたものがあったり破れているものがあったりして、雑然
としている。
○子ども達同士のけんかや言い争いが多い。言葉遣いが荒っぽく、とげとげしい。いた
わりの言葉よりも、冷やかしの言葉や否定的な言葉(やめろ!~しないでください!
いやだぁ~!)の方が目立つ。温かな笑い声が聞かれなくなり冷笑が増える。
○授業中に私語が多く、課題に対してやる気の無い雰囲気が漂う。
○当番活動や係活動では、一部の子どもだけが頑張り、他の子どもは、遊んでいる。
○先生の指示や注意に対して、従おうとしなかったり、口答え・ふて腐れた態度をとる。
○先生が注意したり叱ったりすることが多く、時間も長い。
○先生は疲れていて、教室の汚れに気づかなくなっている。気付いていても、子ども達
が片付けないからと、あきらめている。
○学年で集まる時など、子ども達が先に来て、先生は遅い子どもと後から来ることが多
い。そのため、多くの子どもは先生の視野の外にいる。
○「ちゃんと、しなさい」など、抽象的な指示が多い。
○子どもにまかせてしまうことが多く、その結果、一部の我がままな意見に流され、全
体が沈滞した雰囲気となる。
子どものだめなところが目に付くので、仕方なく注意したり叱ったりする事が多くなり、
注意されたり叱られた子どもは、口答えしたりふて腐れたりします。そのため、さらに関
係がぎくしゃくします。教室の中がとげとげしくなり、教室環境も荒れていきます。先生
も次第に疲れてきて、授業にも日常活動にも根気が続かなくなるとともに、子ども達にも
あきらめに似た雰囲気が広がり、まとまりが無くなっていきます。つまり、子どもと先生
の関係、教室の雰囲気が負の連鎖に陥っています。子どもの口から教室の様子を聞いて、
心配になった保護者が口を挟むようになり、ますます悪化していきます。
- 1 -
3.学級を立て直すのは、明日からではなく今から行動を!
一度崩れた学級を立て直すのは簡単ではありません。3ヶ月かかって崩れた学級は、立
て直すのにそれ以上の時間がかかります。半年たってから立て直すのは、とても年度内に
は立て直せません。ですから、できるだけ早いうちに手を打つことが肝心です。もし、学
級経営に苦しんでいると感じたら、今すぐに行動を起こすことです。
一生懸命やっているのに学級経営がうまくいかない、子ども達との関係が悪くなってき
ている、と感じたら2つのことをまず勧めます。1つは休み時間に子どもと一緒に遊ぶこ
と、もう1つは一緒に掃除や当番活動をすることです。
4.子どもと毎日遊ぼう
子どもと遊ぶのは、同等の立場で共感し合え、教師と子どもの距離感を縮められる貴重
な機会です。4 月当初は中休みや昼休みに子どもと共に体育館やグラウンドに出て遊んで
いたのが、いつの間にかしなくなっていませんか?理由はいろいろあるでしょう。次時の
準備に追われたり、テストの採点に忙しかったり、個別に子どもの指導をしたり、疲労回
復に一息き入れたり・・・。でも、これが子どもの気持ちと離れ、溝になっていきます。大
変でも、子どもと遊ぶことを続けることで、先生と子どものよい人間関係が築かれていき
ます。積極的に先生に寄ってくる子どももいれば、本当は一緒に遊びたいのだけれども近
寄れないでいる子どももいます。どちらの子どもにも声をかけ、一緒に遊ぶ輪を広げてい
きます。夏の暑い日には、遊んで汗だらけで教室に戻ると、一息入れてから学習を始める
ちょっとの時間の大切さが共有できます。一緒に遊んだからこそ「急いで戻るよぉ~」の
かけ声にも、子どもは素直に従います。子ども達がどんなに休み時間を楽しみにしている
かがわかると、授業の終わりの時間を守ってあげる大切さもわかります。時間になったら
大好きな遊びができるから、子どもは学習時間に努力したり我慢もできます。子どもと一
緒に遊び続けることは、何よりも優先する価値があります。次第に学級の雰囲気が一つに
まとまってきますし、毎日子どもと遊ぶうちに、一人一人の個性が見えてきます。そうす
ることで、子どもへの接し方も多様になり、よりきめの細かい指導ができるようになりま
す。毎日が無理な週でも、半分以上の3日は遊ぶようにしましょう。
5.子どもと一緒に掃除や当番活動をしよう
当番活動は、みんなが生活していくときに、毎日やらないと困る仕事です。誰かに押つ
けたりがんばる子に頼るのではなく、順番に交代して全員でやっていきたい仕事です。そ
れを支えるのは、先生の努力にかかっています。教室が次第に汚れていき、ゴミが落ちて
いても誰も気にしない雑然とした教室になるか、いつもすっきりと整頓され落ち着いた環
境の教室になるかは、先生が目をそらすか、子どもと一緒に汗を流しきれいにする努力を
続けるかで決まります。
まず、子どもと一緒に掃除をしましょう。一緒に給食の配膳をしましょう。一緒に植物
の世話とか、牛乳パックのリサイクルとかの当番活動をしましょう。すると、一生懸命働
いている子が見えてきます。決して目立たない活動かも知れませんが、一緒に当番活動を
しながら、声をかけ励ましましょう。先生が一緒に汗を流し一生懸命働く姿を、子どもは
きちんと見ています。まじめに努力する子どもほど、きちんと見ています。目立たなくて
もまじめに努力する子どもは、子ども達の間でも信頼されています。その子たちが、先生
- 2 -
を認めるようになることは、学級の雰囲気をやがて一変させます。
同時に、子どもに仕事の流れと終わりの見通しをはっきり示し、だらだらしないように
します。掃除に時間がかっているグループには、役割分担を明確にしてから始めさせまし
ょう。例えば、
「掃き→雑巾かけ」
「黒板ふき→机ふき」
「ゴミ集め→ゴミ捨て」などです。
掃除当番や給食当番には、目標時間やきれいさなどの「目安」をいくつか決めます。努力
の成果は、目で見てわかるようにし、常に意識させるようにします。掃除は、教室がきれ
いになるので成果がすぐにわかります。子ども達の意欲も高っていきます。
6.教師も進んで整理整頓をしよう
子どもと一緒に当番活動を毎日続けると同時に、先生は率先して自分の机の上や引き出
しの中、さらには教室にある棚などの整理整頓を行いましょう。先生の机の上は、次の時
間に使う教具以外、何も無い状態を常に保ちます。もし、前の時間の物が残っていたら、
すぐに片付けましょう。黒板は、授業に集中できるよういつもきれいに消しておきます。
日直の子どもに任せるのではなく、一緒に消します。一緒に消しながら、授業の始まりに
はきれいな黒板の状態を毎時間の習慣にしていきます。
放課後、子ども達が帰った後に教室を一度見てから帰宅することも大切です。その時、
箒やモップで床を簡単に掃き掃除しましょう。子どもの机の間を掃除をしながら一回りす
ると、学級の一人一人の子ども達の生活が見えてきます。翌日に個別に声をかけたり、全
体に指導する必要が出てきたり、学級づくりの基本が見えてきます。
朝、登校してきた子ども達がきれいに整頓された教室に入ることは、落ち着いた学級の
雰囲気を作る第一歩です。まさに一石二鳥です。また日中は、教室の床にゴミが落ちてい
ないか、常に目を光らせます。落ちていたら、先生が進んで拾って捨てます。「割れ窓理
論」というのがありますが、建物の窓が壊れているのを放置すると、誰も注意を払ってい
ないという象徴になり、やがて他の窓もまもなく全て壊され、さらに進むとゴミも捨てら
れ廃墟となってしまうとの考えです。教室の汚れも、同じことが言えます。
床がきれいになってきたら、教室の掲示物を一度見渡してみましょう。掲示物が古くな
ったり、画鋲が外れていたり、ごちゃごちゃと掲示されていたりしていませんか?教室全
体の雰囲気に影響を与えます。教室の正面は、子ども達が授業に集中できるような配慮が
されているでしょうか?ごちゃごちゃしていると、子どもが黒板に集中できません。すっ
きりとさせておきたいものです。
教室の背面や側面の掲示板には、子どもの作品などが、適時に貼り変わるようにするこ
とが大切です。子どもの手による掲示物や作品は、たとえつたないものであっても教室の
雰囲気が温かくなります。子ども達は、自分の作ったものが貼られると、照れくさい反面、
満足するようです。
7.遊びと清掃当番活動の次に、授業を変える
私が学級経営に苦労している先生に、まず勧めるのは上記の2つです。毎日の授業がう
まくいかずに保護者から不安の声も上がってきている先生に、「まずは、子どもと一緒に
遊ぼう」とか「他のことはいいから、子どもと一緒に掃除や当番をしよう」と言うのです
から、反応は大きく2つに分かれます。毎日の授業のことや学級事務、行事の計画など多
くの仕事があるのに後回しにすることに不安をつのらせる反応と、「つい、大事なことを
忘れていました」と4月の初心に戻る反応です。反応は反応として、私はとにかく2つを
勧めます。精神的に疲れてきている先生は何も手に付かなくなっている状態で、どれもこ
- 3 -
れも中途半端になっています。悩んでいる先生と一緒にいろいろ取り組んできた経験から
たどり着いたのが、1に「子どもと一緒に遊ぶこと」、2に「子どもと一緒に掃除や当番
活動をすること」、その次に「授業を変える」でした。
8.みんなが参加できる授業にするには・・・
4月には、授業でみんなが勢いよく手を挙げていたのに、数が減ってきたり、手を挙げ
る子どもが固定してきたりしていませんか?子どもが授業中に発言することは、学習に参
加する意欲に関係しています。もう一度、みんなが意欲的に発言する学級を目指して、授
業を変えていきましょう。
発言を増やすには、二つ大切な要素があります。一つは、先生の発問です。単に答えだ
けを言わせるのではなく、「わかる人は、理由も話してくれるといいね」と、自分の考え
の根拠も言わせると、同じ答えでも考え方の違いが表れて複数の発言につながります。ま
た、「同じ答えでも、発表してね」と、同じ意見を持っている何人かにも言わせます。子
ども達の意見がまとまってきたのが見えてきたら、「つまり、みんなの考えは・・・」と、ま
とめてやります。こうすると、一つの発問で数名の発表につながります。
もう一つは、子どもに「発言すること」の価値を分からせることです。学校で勉強する
よさは、家庭での勉強とは違い、みんなで知恵を出し合い、よりよい答えを見つけ出して
いくことにあります。自分では思いつかなかった考えや方法を聞くことができ、学習が深
まります。そのためには、一人一人が自分の意見を持ち、発言することが前提となります。
全員が発言することは当たり前という学級の雰囲気を作っていくことが大切です。「発言
すると、気持ちがいいんだ!」と思ってもらえたら最高ですね。
9.板書で授業を分かりやすく・・・
子ども達は45分の授業時間を、一言も聞き漏らすまいと集中しているわけではありま
せん。何かに気を取られたり、ある考えにこだわり、一人で考えをめぐらしている場合も
あります。しかし学習はどんどん進み、その子どもは取り残されてしまいます。そんな時
でも、黒板を見れば今は何をすべきか分かるようになっていると、すぐに学習に参加でき
ます。
「○○を考えよう」「○○は何だろう?」など、課題は必ず板書しましょう。
板書は、途中で消さずに授業の終わりまで残しておきます。一時間の授業が終わった頃
に、板書が完成するくらいでよいと思います。
また、チョークの色遣いも大切です。文字を書いて見やすい色は、白や黄色で、赤や青
色のチョークで書かれた文字は見えにくいので気をつけましょう。特に赤色は、医学で言
う色覚異常の子どもには見えにくいので、学級にそういう子どもがいる時は、白と黄色で
板書を構成しましょう。
色チョークは大事な事柄を強調する時に使うと効果的です。「先生が黄色で書く所は大
切だから、みんなは赤色でノートに書くんだよ」などと、約束として決めておくとよいで
しょう。
また、自分の板書を時々チェックしましょう。教室の後ろに回ってみると、文字の大き
さや色の使い方、分かりやすい構成になっているかなど、反省できます。
10.教師の指示や発問を一回で聞き取らせる習慣をつけよう。
とにかく一回で聞き取ることができるように、子ども達の集中力を高めていくことが肝
- 4 -
心です。何度も言わなければ全員の子どもに伝わらないような雰囲気では、集中力がどん
どん低下します。そのためには、おしゃべりする暇を与えないほどテンポのよい授業をし
なくてはなりません。その方が、「授業中のおしゃべりは禁止」と、注意するよりも、効
果があります。
また、授業中は友達や先生の話を静かに聞き、みんなに聞こえるように話すことは基本
です。ところが、これが徹底されていない様子もたびたび目にします。作業をしながら聞
くということは、できる子どももいますが難しい子どももいます。ですから、教師は指示
を出す時、必ず作業を止めさせて、全員を集中させてから指示を出すようにします。そし
て、一回の指示は一つの作業に限ってください。二つ以上になると、混乱やばらつきが始
まります。他の子どもの発表を聞く時も同じようにします。そして、分かったら、うなず
くなどの意思表示をさせることで、聞く時のリズムを作ってやることも効果があります。
低学年と高学年では子どもの状態も違いますが、高学年だからと言って全員が作業をしな
がら指示を聞き取れるわけではありませんし、二つ以上の指示を必ずこなせるわけではあ
りません。子どもの成長に合わせて、より高度な指示の出し方に変えていくのはよいです
が、学級経営に苦労し始めたら、基本に戻ってやり直して下さい。
11.先生が変われば、学級が変わる
先生の姿勢は、敏感に子ども達に影響を与えます。先生の変化が子どもの目に映らなけ
れば、子どもは先生の努力を意識できません。ですから、変化を形に表すことが大事です。
今までの習慣を、先生は一度白紙に戻し、同じ取り組みでも新しい方式にあらためましょ
う。今までの学習や生活の仕方をやめ、子どもが「あれ、雰囲気が違う?」と感じる再出
発の変化です。それには、教室環境を一変させるが一番です。放課後に、教室の掲示物を
全て外し、再度、吟味して最低必要な物だけを掲示し直します。その際に、黒板の周りは
すっきりが基本です。次に、教卓の上もすっきりさせ、できるだけ物を置かないようにし
ます。さらに、教室の棚や後ろにも物をできるだけ置かないようにします。子どもが4月
に初めて教室に入った時のような状態です。これだけで、翌朝、子どもが朝教室に入った
ときに、雰囲気がずいぶん変わったと感じます。
その上で、先生も自分の生活を一度白紙に戻してやり直します。4月の頃の初心に戻り、
子ども達と一緒に汗だくになって遊び、掃除し、子ども以上に整理整頓をします。叱る言
葉を少なくし、指示も必要最小限に絞り、守ってほしいことは必ず事前に示し、子ども達
を減点法ではなく加点法で評価します。「○○ができていない」ではなく、「今までできな
かった○○ができるようになった」と、子どもの伸びを小さな事でもたくさん探すように
見ていきます。先生が今まで見過ごし気がつかないでいた子どものプラス面を多く意識で
きれば、子どもを見る目が変わります。それは同時に子どもも、先生の変化に気付きます。
先生と子どもの関係が変われば、学級は変わります。学級経営に詰まったと感じたら、
ぜひ初心に戻って実践してみて下さい。
- 5 -
子どもが熱中するボールあそび(体育・低学年)
小清水町立小清水小学校
校長
寺
本
聡
0.プロローグ
新採用1年目の終わり頃から、幸運にも「教師の勉強会(サークル)」に参加する機会
に恵まれた。正に本師範塾と同様に、出会いであり、サークルでの学びが無ければ、今日
の私は無いと思っている。そこで学んだことこそ、次のことである。
学び続ける教師だけが、子どもの前に立つことができる。
管理職になってからも、このことは肝に銘じている。そして、次のようでありたいと考
えている。
授業のできる、授業の事実で語ることのできる管理職(校長)
私が学んだ、そして尊敬する校長先生は、皆、授業の上手い方ばかりであった。幸いに
して、現在も身近にそんな校長先生が居ることを嬉しく思うと共に、自分自身の刺激にし
ていきたいと思っている。
さて、本稿である。管理職になってからもずっと、何らかの形で授業(公開含む)を行
ってきている。以下は、教育実習生参観授業の指導案内容に一部追加・加筆したものであ
る。対象は小学校2年生22名(うち1名は特別支援学級(肢体不自由)の児童)、体育
館での実践である。
1.教材について
低学年のうちに、運動の「基礎感覚・基礎技能」を身に付けさせることが、体育では極
めて重要である。しかも、それは子どもにとっては遊び感覚で、楽しいものであることが
ポイントとなる。楽しいからこそ、子どもは夢中で取り組み、その結果、先の基礎感覚・
基礎技能が身に付いていくのである。
※基礎感覚とは→逆さ感覚、高さ感覚、空中感覚、平衡感覚、腕支持感覚、回転感覚等
※基礎技能とは→例えば「ボールを投げる」「ねらったところに投げる」「捕球する」等
本教材は、学習指導要領に示されている内容「E ゲーム」の中の「ア ボールゲーム」
に属するものである。
ボールゲームはさらに「ボール遊び」と「ボール投げゲーム」
、「ボール蹴りゲーム」で
構成される。ここで扱うのは「ボール遊び」の内容であり、手でボールを扱う遊びを通し
て、ボール投げゲームにつながる運動づくりをねらいとするものである。
2.体育授業における留意点
体育の苦手な先生にもできる体育の指導法として、次の3つのキーワードがある。
-1-
①システム(何をどれだけするのかが子どもにわかる)
②変化のある繰り返し(スモールステップになっている)
③個別評定(自己評価を含む)
さらに、体育の授業を行うに当たり、次のことが大切なポイントとなる。
1.安全への配慮
2.汗をかくほどの運動量を確保する
3.技術の習得がある
4.仲間との関わり合いがある
5.何らかの発見がある
以上のことに留意して授業を行うことで、子どもは熱中して活動し、できない子ができ
るようになっていく。上記のことは、向山洋一氏の実践に学んだことである。
3.実践のねらい
①ねらった所(かご)にボールを投げることができる。
4.授業の実際
(1)準備運動
本時の運動につながる運動や動きとして、次の内容を行う。
①リズム太鼓に合わせて体育館の中を自由に動く(テンポ良く、スキップ、ギャロップ、
バック走等を取り入れて行う。)
指示1
太鼓の音に合わせて、体育館の中を自由に動きます。できるだけ、人の居な
いところに行くのですよ。
ここでは、
「空いている場所を見つける能力」「そこに自分の意志で動く能力」を養うこ
とを意図している。
②ボールを手で操作する簡単なゲームをする
その場で次に示すボール操作をしてから、数メートル先に置かれたコーンにタッチして
戻ってくる。次の人に、ボールとボールでタッチして交代する。列による競争を行う。
操作する内容は、1)の競争の後に 2)の競争というように、テンポ良く行っていく。
1)ボールをその場で投げ上げてキャッチ。
2)ボールを投げ上げ、その間に手打ちをしてキャッチ。(回数を変えて数回行う)
3)その場でボールをついてキャッチ。(つきかたを変えて数回行う)
4)ボールを投げ上げ、床についたボールをキャッチ。(床に着く回数を変えて行う)
(2)2年1組を救え!爆弾回収ゲーム
爆弾に見立てたボールを体育館にばらまき、それをクラスみんなで協力して時間内にボ
-2-
ールかごに回収するゲームである。かごは、バスケットボールコートのサークル内に置く。
【方法】①体育館全体にボール(爆弾)をばらまく。
②合図と共に爆弾を取りに行き、かごの中に回収する。(かごは2~3個設置)
③一人1個ずつしか爆弾は回収できない。
④かごに回収するときは、サークルの外から投げて入れる。
⑤外した爆弾は、自分で拾いに行き、回収する。
⑥制限時間内に爆弾をすべて回収できれば良い。
ボールを体育館全体にばらまいた後、上記の方法を実際にやって見せて説明する。そし
て、明るく楽しそうな声で次の指示をする。
指示2
2年1組を救え!爆弾回収ゲーム。1分30秒以内に爆弾を回収します。一
人で何個回収しても良いです。よーい、ドン(太鼓)。
見事、時間内に回収できたら「すごいなぁ、さすがに2年1組だ」と、大いに褒める。
そして、「あー、ここで悪者怪獣がやって来たぁ」と、言って回収された爆弾を再度、体
育館全体にばらまき、次の指示をする。
指示3
2年1組を救えパート2!爆弾回収ゲーム。1分30秒以内に爆弾を回収し
ます。やり方はさっきと同じですが、今度は、爆弾を運んでくるときにドリブ
ルをして来ます。よーい・ドン(太鼓)
子どもたちは、夢中になって爆弾(ボール)を拾いに行き、かごに投げ入れる。
入ったことが「プラスの自己評価」となり、更なる意欲になる。外した場合も自己評価
となる。
また、自分で拾いに行くことから「運動量の確保」にもつながる。
パート1・パート2は共に、回収かごは定位置に設定されたものである。つまり、動か
ない的をねらうものである。
次のステップとして「決まった範囲を動く回収かごに、爆弾(ボール)を投げ入れる」
とする。これにより、動く的をねらう運動(例えば転がしドッジボール等)につながる。
子どもは楽しみながら、基礎技能を身に付けることができるのである。
5.エピローグ
実際の授業では、手でボールを扱う遊びの後に、足でボールを蹴る遊びも行っているが、
その実践については別の機会にしたい。
私が願うのは、次のことである。
体育好きの教師と、体育好きの子どもによる、楽しい体育の授業
今回示した内容は、至って簡単なものである。しかし、そこには教師の意図があり、子
どもに付けさせたい力が含まれている。簡単な運動だからこそ、どの子にもできる。でき
るから、次の意欲に繋がる。その意欲を喚起するために、ほんの少し「変化」を付けて課
題を与える。リズムよく、テンポ良く行うことで、授業は楽しくなる。
また、「汗をかくほどの運動量」を確保するのが、体育の授業である。最近、汗のかか
ない体育授業をよく見る。小学校の体育は、「楽しくなきゃ体育でない」のである。その
ためにも、やはり、教師は学び続けなければならないのである。
-3-
地域と農業の力を活用し「生きる力」を育む学校運営(平成22年)
北海道有朋高等学校 副校長 山 本 周 男
(元北海道幌加内高等学校教頭)
町職員(常勤) 事務長1
事務生1
1 はじめに
実習助手3(農業・情報・家庭)
(1)設置状況
養護教諭 1 副舎監2 寮管理人1
上川管内北部、旭川市からおよそ 50 km
町職員(臨時)
農場管理 2 講師 1 ALT1
に位置する「そば」の町、幌加内町(人口
(3)沿革
1800 人)に設置された町立、昼間定時制、
昭和29年「北海道幌加内農業高等学校」
農業科1間口(定員40名)の高等学校
(昼間定時制1間口)として幌加内町が設置
昭和63年「北海道幌加内高等学校」に改称
平成 元年 寄宿舎「渓雪寮」新築
平成 2年 校舎移転改築落成
平成14年 学校設定科目「そば」を導入
平成14年 全国定通生活体験発表大会
文部科学大臣賞受賞
平成19年 ホクレン夢大賞受賞
平成21年 空知管内教育実践表彰受賞
平成22年 支庁再編により上川管内に編入
2
(2)生徒・教職員(平成22年)
①生徒数
1年 男子19 女子 3 計22名
2年 男子 8 女子 6 計14名
3年 男子 5 女子 5 計10名
男子32 女子14 計46名
※4年生は現在、在籍無し
幌加内町2名、旭川地区21名、
札幌地区17名、その他道内3名、
道外2名(愛知・大阪)、外国籍1名
渓雪寮 寮生44名(全校生徒の 96%)
②教職員数 24名
道職員 校長1 教頭1 教諭9(期付1)
-1-
地域から見た本校
日本最大の人造湖である朱鞠内ダム工事の
ため人口が爆発的に増加し、町内の人口が 1
万2千人を超えた昭和30年代初め、全校生
徒数は180名を超えていた。昭和50年代
には100名を切り、平成5年前後で一時生
徒増で120名程度になったが、ここ数年間
は全校生徒数は40~50名となっている。
町民の中には多くの本校卒業生がおり、町
の高校として地域住民や同窓生からも温かい
支援を受けている。しかし、平成10年頃よ
り町内の生徒が減少し他地区からの生徒が増
加したことにより寮生活での生徒指導上の問
題が増加した。また、同時期に教職員の若年
化等で、指導力が弱体化し、町民からは苦情
や様々な指摘がなされるようになり、学校の
信頼は薄れる時期もあった。
現在は寮生活も改善され「そば」の町幌加
内を代表する「そば」授業や行事の展開によ
って町の活性化を担う存在として期待が高ま
って来ている。
3 現状を踏まえた取組
(1)中学校訪問、学校見学会、説明会、体験入
学を通した不本意入学者の抑制
※地元の中学校は1校、各学年の生徒数は
7~8名で今後も大きく変化しない。
①中学校訪問:旭川、札幌等 40 校程度
第1次(管理職+教諭)7月
第2次(管理職+教育長、次長)11 月
②学校見学会・説明会 8月 2日(日)
③1日体験入学
9月18日(金)
(2)「農」や「食」に関する体験を通し創造の喜び
や成就感から生徒を育てる実習
①全校生徒による学校田植え
生徒、教職員ともに汗を流す時と場所を
共有
②農業体験実習
町内農家26戸で全校生徒が4日間実習
実習後は受け入れ農家でアルバイト有り
③「そば」授業と「素人そば打ち段位認定」
(全国麺類文化地域間交流推進協議会主催)
事や各種運動の企画と実施(携帯マナー向
上、いじめ撲滅運動、除雪ボランティア等)
③一斉学習時間の固定化と課題提示による
学習習慣の確立及び基礎学力の定着
※現在(H22)、全校生徒の96%が寮生で
あることから、寮における生活指導、学
習指導は本校教育の生命線の一つ。教職
員は交替制で宿直や日直に入り、24時
間体制で献身的な教育を実践している。
4
特色ある教育課程
平成22年度入学者 教育課程
標準
単位
国 語 表 現 Ⅰ
国
国 語 表 現 Ⅱ
語
国 語 総 合
詳細は4特色ある教育課程の(1)に記載
(3)地域住民、小中学校、他校種等との連携・
交流事業による心の教育の実践
①町内一斉合同清掃
小中高、自治会、婦人会、老人クラブ
②「町内花いっぱい運動」
各施設へ本校栽培の花の定植
③高等養護学校との「そば打ち交流」
本校生徒が「そば打ち」を指導
④学校祭と「新そば祭り」の連続実施
本校店舗で 3000 食販売(H22)
⑤交通安全宣言・交通安全キャンペーン
農場で収穫した作物を国道 275 号で配布
(4)保護者巻き込み型の学校行事による学校運
営基盤の強化
①学校農場の収穫祭で PTA との連携強化
② PTA 役員会、PTA 地区懇談会の内容の
充実と交流の促進
③ PTA 戸数減少を補う PTA の OB による
「幌高応援団」の結成
(5)寮生活を通した社会性の獲得と自主・自律の
精神や態度の育成
①寮生会役員生徒を中心とした寮生活上の
規則の策定
②生徒の企画・運営・評価による寮生会行
4
史
A
2
本
史
A
2
公民 現
代
会
2
学
Ⅰ
3
学
A
2
理 理 科 総 合 A
科 生
物
Ⅰ
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
3
2
2
2
2
3
3
健
2
1
1
Ⅰ
2
外国 オーラル・コミュニケーションⅠ
語 英
語
Ⅰ
2
家庭 家
4
芸術 書
道
庭
総
合
3
3
農 業 科 学 基 礎 3~6
2
3
2
4
題
研
究 2~6
農 総
合
実
習 4~8
3
農 業 情 報 処 理 4~6
2
草
業 食
品
製
2
3
課
野
1
1
4
2
2
12
2
2
菜 6~8
2
花 6~8
2
造 4~8
2
植 物ハ ゙ イオ テ クノ ロ シ ゙ー 2~6
そ
ば 4~5
2
2
4
2
2
2
発 達 と 保 育 2~6
1
4
2
1
2
家 家 庭 看 護 ・ 福 祉 2~6
庭 フ ー ド デ ザ イ ン 2~8
調
4年
3
育 7~8
保健 体
体育 保
-2-
3年
2
界
社
2年
2
地理 世
歴史 日
数 数
学 数
1年
2
2
4
2
理 4~15
2
小計
27
26
26
総合的な学習の時間
2
2
2
合計
29
28
28
特活 ホ ー ム ル ー ム
1
1
1
18
(1)学校設定科目「そば」
1年次 2単位
実習:そばの播種、栽培、収穫、そば打ち
座学:そばの歴史・食品としての特性等
2年次 1単位
実習:そば栽培、そば打ち、そば店舗出店
3年次 1単位
実習:そば栽培、そば打ち、経営、講習会
そば打ちの実習では、本校教諭のみならず
町内から5~6名の講師を招き、全国麺類文
化地域間交流推進協議会(全麺協)の「素人
そば打ち段位」資格認定に向けて技術を身に
付ける。卒業までに全員が「素人そば打ち段
位」初段位以上を取得する。
そば段位認定合格者(上段合格者、下段受験者数)
H16 H17 H18 H19
合格 35 21 11 20
初段位
受検 40 21 11 20
合格
16 13 9
二段位
受検
16 16
9
合格
3
3
三段位
受検
4
5
H20
15
15
12
16
3
5
H21
20
20
7
10
2
2
※平成18年度の3段位の合格は高校生とし
て全国初
※平成21年度の3段位は一般の方を含める
と95名が受験し60名が合格。本校生徒
はその中で優秀賞3位と4位で合格
(2)柔軟な教育課程の運用
各学年段階での週あたりの授業時数は、前
項の教育課程表にあるように、1年次30単
位時間、2年次と3年次は29単位時間であ
る。(1単位時間50分)1年次の総合実習
は時間外で実施するため、基本的には全学年
とも週29単位時間となるが、実際には週3
0単位時間の授業を実施している。農業系の
実習が多いことと、学校設定科目「そば」も
時期に応じて週実施時間を増減させなければ
ならないことから、固定時間割ではなく週毎
の時間割を作成し実施時間数の標準化を図っ
ている。
(3)教育課程編成および実施上の課題
①学校設定科目「そば」の増単と総合化
②多様化する生徒に対応するリメディアル教
育の組込と学力上位生徒への対応の充実
③生徒の進路実現を支えるキャリア教育の充
実
5 学校経営上の今後の課題
(1)本校の教育内容を理解し、就学意欲が高い
生徒の確保と在校生徒の進路指導
(2)町に活力を与えるような、生徒が生き生きと
した学習活動の実践
(3)生徒に誇りと自信を持たせる指導を行える教
師集団の形成
中学までに「いじめ」や「不登校」の経験
がある生徒、LD・ADHD 等の特別支援が必
要と認定された生徒の入学が徐々に増加して
きている。受験倍率もほとんど無い中で、特
別支援教育を踏まえつつ本校への就学意欲が
高く、実習への学習能力を持ち、寮での生活
が可能な生徒の確保は重要課題である。
上記のような入学生の増加により、寮指導
を含め生活指導面に、多くの労力と時間が割
かれる現実があり、ともすればそれらによっ
て各教師の専門教科での指導意欲低下につな
がってしまう場面もある。教師個々人のコミ
ットメントを引き出し、インセンティブを高
めるような管理職側のリーダーシップを発揮
することが求められる。
また、このような中で、学校の軸となる授
業を構築することは特に重要であり、それを
可能にする教育課程の編成と実施、さらに時
宜を得た評価をもって改善して行くマネージ
メントサイクルを確立することも課題であ
る。
6
-3-
まとめ
生徒には困難に立ち向かう力、やりきる力
を身につけさせたい。日々の授業、農業教育、
寮生活指導を通し自己肯定感・自己有用感を
育む中で、地域の力・農業の力が「生徒の笑
顔」を作り、さらにそれが地域の信頼に応え
る相乗的な営みとなって行く。
これらを具現化するために、教職員の協働
意欲の高揚と資質・能力の向上を図り、地域
とともに歩みながら生徒が自己実現を図って
いくことが本校の目指す学校経営のあり方で
ある。
我が国の教育課題への私の考え
~教員採用での小論文を通して~
北海道師範塾「教師の道」教師養成講座
塾生 岡
さおり
私は、北海道師範塾「教師の道」教師養成講座等で学んだことを生かして、いくつかの
論題で 800 字程度の教育小論文を執筆しました。
北海道師範塾「教師の道」の皆様方からのご指導とともに、私の後輩のためにもと思い、
この場を借りて発表させてもらいます。
1
これからの教育に求められる教員の資質・能力
先ず、教科指導力の向上である。教員は授業が勝負であるから、生徒に「確かな学力」
を身につけさせるには、専門的知識を絶えず深め研究と修養に励まなければならない。更
に、生徒一人ひとりが理解でき楽しい授業を心がける。その為には、生徒の反応を見極め、
理解度を把握し、授業の導入や展開を工夫する。生徒の興味を引き出し、個性・適性・能
力を見出して伸ばす指導力が不可欠である。研修や授業改善の講座等に参加する、教材研
究に努めることを怠らず自己の授業力を高めたい。
次に、生徒指導力の向上である。生徒はそれぞれ性格・個性も違い、一人ひとりに合っ
た指導が大切である。私は、日頃から生徒に話しかけ考えや悩みを聞き生徒理解に努め個
に応じた指導を心がけたい。更に、生徒同士がより良い人間関係を育めるよう相手を思い
やり、尊重する態度を育てたい。その為に、日頃から生徒友達同士協力させ仕事を分担さ
せる、例えば、係り活動では生徒が互いに、助け合いながら活動することにより相手の意
見や気持ちを聞いて受け入れ、それぞれの個性や良さを見つけ協力し合う態度を育てる事
となる。また、生徒の小さな変化も見逃さず生徒の成長を支援したい。
生徒を指導するには教員自身の人間性が豊かであり多様な価値観を受け入れる器を持ち、
進んで協調する態度が大切である。私は、教員として生徒の事を第一に考え、教育的愛情
を持ち生徒と共に学び、成長し続け信頼される教員を目指し自己の資質能力向上に努めた
い。
2
健やかな体の育成
近年、生徒の体力・運動能力の状況は、昭和 60 年の頃よりも下回っており、肥満などの
生活習慣病の増加が深刻な社会問題となっている。体力は、人間の活動の源であり、健康
の維持のほか意欲や気力といった精神面の充実に大きく関わっており、
「生きる力」の重要
な要素である。健やかな体の育成の為に、体力の向上と、健康で安全な生活習慣を実践す
る事が重要である。その為に実践したいことを次に述べる。
先ず、運動の大切さを教え楽しさを味合わせ、そのことによって生徒の生活に運動を取
り入れるきっかけを作りたい。その為には、私も生徒と一緒に体を動かす事を心がける。
-1-
例えば、休み時間に一緒に運動する、授業の間にストレッチをするなど運動を習慣づける
ようにしたい。体育行事では、クラスが一丸となって練習した成果を出すべく目標に向か
って仲間と力を合わせ充実感や感動喜びを味あわせたい。
次に、各家庭の協力の下、食習慣を含む生活習慣の改善を図りたい。例えば、生徒一人
ひとりの生活ノートを作り、生徒自身に規則正しい生活とは何か考えさせ自分で生活リズ
ムの表を書かせる。その際に、早寝早起きを心がける。朝食は必ず食べる。スナック菓子
などの間食はなるべくしない。夜型の生活をしている子は朝型に切り替える。など適切な
指導を行っていきたい。また、日本各地の名産物や伝統料理を調べて世界の料理と比較す
るなどの題材を授業で取り上げ生徒に正しい食習慣への興味を喚起したい。
体力・運動能力調査の結果に基づき生徒一人ひとりに合った目標を立て、日頃から生徒の
様子に配慮し具体的な取り組みを考えたい。その際保護者や地域の方の協力が必要不可欠
であり学校全体で取り組み健やかな体の育成に努めていきたい。
3
特別支援教育の推進
近年、特別な支援が必要な生徒が増加している。それに伴い、特別支援教育に関わるニ
ーズも多様化している。通常の学級においても発達障害など特別な支援を必要とする生徒
の増加が顕著となりこれらの事から教育内容・指導体制の充実や教育的ニーズに応じた適
切な指導、必要な支援を行う事が求められている。
先ず、特別な支援が必要な生徒の障害の状態把握に努め、特別支援教育コーディネータ
ーの協力を得て個別の教育支援計画・個別の指導計画を作成する。それを学校全体で共有
化して、適切なきめ細かな指導を図る。次の学年や進路先に引き継ぎ、一貫した指導・支
援を行う。本人の教育的ニーズや保護者の願いや不安な思いを丁寧に聞き、共に育ててい
くという視点で協力する。
また、発達障害を正しく理解し、一人ひとりの障害特性に応じた教育環境の構造化や視
覚支援などの適切な支援を全教職員で共通理解し、学校全体で指導・支援を行う。小学校
と連携を図り、個別の教育支援計画を踏まえて適切な配慮や支援を行う。課題解決が困難
な場合には、特別支援学校や地域療育センターなどの協力を仰ぎ、教育・医学・心理学な
どの専門的見地からの意見を求める。
学級経営では、日頃から一人ひとりの違いを認め合い、他者を思いやり互いに支え合え
る学級づくりを心がけたい。例えば、学級での係りや当番活動、体験的な活動で、相手の
意見や気持ちを聞いて受け入れ、それぞれの個性や良さを見つけ協力し合う態度を育てる。
私は、生徒の持てる力や可能性を最大限に伸ばし、自己肯定感を育て「自分は役に立っ
ている」
「必要とされている」と実感させ、自立や社会参加に向けて生徒一人ひとりに合っ
た指導と支援に努めていきたい。
4
学びの意欲を育む
近年、生徒の学力と学習意欲の低下が問題視されている。これらは全国学力・学習状況
調査からも明らかである。生きる力の要素である「確かな学力」を育む上で、学びの意欲
を高めることが重要な視点だと私は考える。その為に、生徒の興味や関心を引き出し、分
かる授業の実践に取り組みたい。
まず、生徒の興味や関心を引き出すため、生徒の身近にある事例や日常生活の中から教
-2-
材や題材を取り上げる。自分の将来に役立つ内容や実用的な例題と問題によって、生徒の
興味・関心をより高める工夫が必要だと考えるからである。例えば授業の導入の際には、
身近で親しみのあるキャラクターや有名なスポーツ選手を取り上げる。また、ALT と一緒
に本時で学ばせたい言語材料を使って寸劇などをして、何を言っているのかをクイズにし
て当てさせたりする。言語活動では、生徒同士で既習や新出の言語材料を使って「お互い
に質問し合う」、
「自分の考えや気持ちを述べる」などの活動を行う。これにより、
「自分に
当てはめた場合はどう言ったらいいのだろう?」と生徒に考えさせ、積極的にコミュニケ
ーションを図ろうとする態度を育成する。
また、わかる授業の実践の為に丁寧な指導を心がける。そのため、説明する際には、英
語と日本語を使い分けて生徒全体に理解させる。何よりも生徒個々の理解度を把握し、指
名を繰り返すなどして分かるまで指導し、できたら誉める。会話や発音では、ALT の協力
を得てネイティブの発音を生で聞き取らせ、分かる喜びや自分の言った言葉が伝わる喜び
を味あわせる。さらに、知識の定着の為、教科書に触れる機会を多く設けるなど、
「教科書
を読む」
「問題を解く」
、
「自分の事を書く」といった活動を増やすなどの指導も行う。その
際、生徒が出来た事を褒め、生徒の満足感を高めて良さを引き出したい。
このように私は、生徒の興味や関心を引き出し、分かる授業を心がける事で、学びの意
欲を育て、生徒にとって有意義で学力を高める授業に努めたい。
5
情報社会を生き抜く能力の育成
技術革新により ICT の利用が急速に普及した。それに伴い、生徒の間にも携帯電話等を
通じたインターネットの利用が増え、SNS などネット上での誹謗中傷やいじめ、出会い系
サイトを利用して殺害されるなどの痛ましい事件が起こっている。こうした事から学校で
は、情報モラルを踏まえた情報活用の実践力、情報の科学的な理解、情報社会に参画する
態度の育成が求められている。
まず情報モラル・マナーを身に付けさせる為、総合的な学習の時間の「個人情報と人権
尊重を考えよう。
」という単元で Web ページに他人の名前や悪口を書くことでどのような問
題になる可能性があるかを考えさせる。
1.掲示板の書き込み例を読み、グループで話し合う。
2.問題と思われる表現を考え発表する。
3.掲示板の特徴を話し合い、発表する。
4.Web 上の書込みは世界中から閲覧でき、書込んだ事は完全には消せないことなどを事
例を基に説明する。
5.掲示板を利用する上での留意事項をまとめる。
こうした授業により、顔が見えないからこそ、安易な書き込みは時には法に触れる事に
もなる事を教える。また発信記録から、発信者を特定できることにも、事例を基に指導す
る。
また道徳の時間では、実際に起きた事件から簡単にネット上の相手を信用してはいけな
いことや、SNS に自分が書込んだ個人情報が悪用されたり、相手に騙されたりする事を、
ポリスチャンネルの映像教材等を通して教え、命の大切さと ICT を正しく活用する事の重
要性に気付かせ、ネット上には有益な情報もあるが、犯罪や違法・有害情報が氾濫してい
る事を教える。
私は、情報化の光と影を十分に理解させた上で、情報活用の実践力、情報の科学的な理
-3-
解、情報社会に参画する態度の育成を図っていきたい。
6
学校と家庭・地域との連携
近年、核家族化や少子化、情報化、地域における人間関係の希薄化など、社会が急速な
変化を遂げ家庭、学校、社会がそれぞれの役割を自覚し、連携・協力しながら、地域社会
全体で生徒の教育を支援していく必要がある。このため、
「親への学びの支援と情報提供」
「地域の各機能・施設の活用」が重要である。
先ず、家庭教育との連携では親への学びの支援が必要となる。生徒の基本的な生活習慣
や生活能力、健康な心身の育成、他者に対する思いやりや善悪の判断などの倫理感、自制
心や自立心を身に付けるなど家庭は重要な役割を果たす。そこで家庭教育の意義や役割を
親自身が学習する機会を提供したり、家庭教育をテーマとした学習会を設ける。また学校
をよく知ってもらう為、
学校通信や学級通信を活用し、生徒の活動や取り組みを公開する。
学校で授業公開週間を設け、授業、給食の時間、部活動等を公開する。学級では、懇談会
などで親の悩みや想いを聞き生徒を一緒に育てる意思を伝え協働する。
地域との連携では、総合的な学習の時間に地域の高齢者施設や障害者施設、保育施設等
の社会福祉施設を訪ねたり、地域の公園の清掃や空き缶拾いといった体験的ボランティア
活動を行う。図書館やプールなどの学校施設を市民に開放する。また、命の大切さ、人権
などをテーマに地域の有識者から話を聞く。その際、保護者や地域にも呼びかけ、講演を
聞いた感想の発表会を開く。
これからの学校が、家庭や地域社会と一体になり、それぞれが持っている固有の機能を
連携・協力しながら、地域社会全体で生徒の教育を支援していく必要がある。私は家庭や
地域社会に対して積極的に働きかけを行い、家庭や地域社会とともに生徒を育てていくと
いう視点に立った学校・授業づくりを心がけていきたい。
7
いじめへの対応
近年、いじめの実態は陰湿で多様化するなど生命又は身体に重大な危険を生じさせる恐
れがあることから、大変深刻であり学校においても喫緊に解決しなければならない重要課
題である。いじめの解決は迅速かつ正確に行なわなければならないことが指導の鉄則であ
る。では、いじめが実際に起こった際にどのように対処するか次に述べる。
先ずは、事実の確認を行う為、他の教員や養護教諭、カウンセラーなどの協力を得て事
態の把握に努める。次に管理職や学年主任などを含め、学校に報告する。その際に、決し
て一人で抱え込まず他の先生や専門家と協力して学校全体として方策を立て早期解決に努
める。
いじめられている生徒には「あなたは悪くない。絶対に守る」という強い意思を伝え、
その立場や気持ちを配慮し親身な指導を行う。丁寧に聞き取りをして生徒と保護者の意見
を尊重し、場合によっては保健室登校などを行う。
いじめている生徒には、いじめは絶対に許されない卑劣な行為であり人権侵害だという
事を理解させる必要がある。いじめられた生徒が心に深い傷を負う事を教え、自分がいじ
められたら嫌だという事に気付かせ、二度とあってはならないと徹底指導し、再発防止に
努める。
いじめに直接関わらず、はやし立てたり、見て見ぬふりをする生徒に対してもいじめて
-4-
いる側と同様に加害者であることに気付かせ、勇気を持って仲裁するなど正しい行動が出
来る指導をする。
学級会などの場を利用していじめをどのように受け止めるべきかを考えさせたり話し合
わせたりしながら、一人一人がかけがえのない存在であり、仲間なのだからお互いを大切
にしなければならない。という事に気づかせる。日頃の生活や授業で生徒がお互いに協力
し助け合う活動をさせる。
日頃から、生徒の様子をしっかりと見て、様子の変化やサインを見逃さない。生徒同士
の人間関係づくりに努めお互いを尊重し、いじめのない学級づくりを目指したい。
8
豊かな心の育成
近年、子どもの生命尊重の精神や自尊感情の乏しさ、規範意識の低下、人間関係形成能
力の低下が問題になっている。文部科学省による平成 24 年度の調査では、いじめの認知
件数 19 万 8 千件と前年度より爆発的に増加した。また、暴力行為や不登校などの増加が
問題になっている。こうしたことから学校教育では、子どもの豊かな心の育成が課題にな
っている。
豊かな心とは、相手を思いやり助け合う心、自他の生命や人権を大切にする心、美しい
ものに感動する心などである。それらを育てていくためには、道徳教育の充実や人権尊重
の精神を育む教育、体験活動の充実が重要である。
豊かな心の育成は、道徳の時間だけでなく教育活動全体を通じて行うものである。道徳
の時間には相手を思いやる心や命の大切さをテーマとした題材を扱い子ども自身に問いか
け考えさせる活動を行いたい。更に、相手を思いやり助け合う心は、学級での係りや当番
活動、体験的な活動を通して実感し身に付いていく。例えば係活動では、相手の意見や気
持ちを聞いて受け入れ、
それぞれの個性や良さを見つけ協力し合う態度を育てる事となる。
その為に、私自身が生徒をよく理解し、生徒相互のより良い人間関係を育むことに努めな
くてはならないだろう。
科学技術の進歩により子どもたちの生活には、間接体験が増えた。ゲームなどの仮想世
界の物が氾濫し、現実との区別がつかない子どもさえいる。命の大切さや、本物の素晴ら
しさを体験する機会がなくなったのである命の尊さや感動する心は、自然体験活動などの
直接体験を通して育まれるものである。その為に、体験活動を効果的に設定することが大
切である。
以上の事から豊かな心を育成する為に私は、自然と触れ合い感動する心、人と関わり思い
やる気持ちを育む教育に重点を置いた指導を行っていきたい。
-5-
歴史教育の現状と,本来あるべき姿についての一考察
恵庭市立和光小学校
教諭
松
野
浩
毅
はじめに
歴史の見方は,国や立場によって大きく変わる。アメリカ合衆国初代大統領ジョージ・
ワシントンの評価は,アメリカとイギリスでは正反対である。アメリカでは独立戦争の英
雄として讃えられるが,イギリスにおいては反逆者の扱いである。一つの史実が国や立場
によって評価が異なるのは珍しいことではない。それは,歴史認識が国益をも左右しかね
ない,国民にとっての重要課題だからであろう。
日本と中国・韓国における歴史認識の隔たりが,昨今の報道により多くの国民に周知の
事実となった。領土問題や慰安婦問題がその典型である。しかし,不思議なことに戦後教
育において多くの日本人に培われた歴史認識は,中国・韓国側に立つものであった。日本
は常に加害者として,中国・韓国は常に被害者の立場で認識される。それ故,常に日本人
は自国の歴史に対して後ろめたさを感じ,胸を張れないでいるのではないだろうか。
グローバルに活躍する日本人の育成が叫ばれて久しい。しかし,歴史認識が仇となり,
日本のことを誇らしく語れない日本人を生みだしていることは,大きな問題である。これ
までの自分の指導も振り返りつつ,日本の子どもたちが日本人であることに自信を持てる
ような歴史教育のあり方について,この小論において述べていきたい。
1.歴史教育の目的と現実
歴史を学ぶと言うことは,単に知識の享受に止まらない。前述した通り,歴史の見方は
多面的であり,史実のとらえ方如何によって複線化する。歴史を学ぶためには,史実を見
る目をできるだけ多様化し,複合的な観点によって判断する力をつけなければならない。
小学校学習指導要領解説社会編,第6学年の目標及び解説には次の記述がある。
(1)国家・社会の発展に大きな働きをした先人の業績や優れた文化遺産について
興味・関心と理解を深めるようにするとともに,我が国の歴史や伝統を大切に
し,国を愛する心情を育てるようにする。
【解説】より抜粋
先人によってつくられてきた我が国の歴史や伝統を大切にしようとする態度
や,国を愛する心情を育てるようにすることが大切である。このことは,日本
人としての自覚をもって国際社会で主体的に生きていくために必要な資質や能
力の基礎を培うことにつながるものである。
中学校社会科歴史分野についても同様の内容である。
学習指導要領から読み取れる歴史教育の目的は,決して自国の歴史を,加害者としての
反省と謝罪という視点で捉えよというものではない。しかし,学習指導要領に準拠し,検
定合格しているはずの教科書記述から,日本人としての誇らしさを感じられるものが少な
いのが現状である。特に近現代史の記述においてその傾向は顕著である。戦後教育を受け
た世代の歴史認識が,反省・謝罪という非常に一面的なものになっていることの要因だと
考えられる。
-1-
2.近隣諸国に配慮した教科書検定
国の未来を担う子どもの育成という,国益をも左右する課題に対して,自分の生まれ育
った国を愛し,誇りを持つための歴史教育は絶対条件であろう。しかし,歴史認識の根本
となる教科書の記述がそれに適わないのは,いったい何故か。そこには,日本が独立国家
でありながら,自国の歴史教科書の内容に対して,他国からの検閲とも言える制度に縛ら
れているからに他ならない。
1982年以降,いわゆる「近隣諸国条項」により,中国・韓国に関わる記述に関して,
教科書検定における配慮をしたのである。すなわち,中国・韓国の意向に沿う記述にする
という国際公約である。日本人の歴史認識が中国・韓国の立場に立つものになるのもうな
ずけるであろう。
では,実際の記述はどのようなものか。いわゆる「日本の中国侵略」の始まりとされる
満州事変とリットン報告書についての,東京書籍の記述である。中学歴史で50%を超え
る採択数の教科書である。
満州の日本権益を確保するため,満州を中国から分離することを主張していた現
地の軍部(関東軍)は,1931(昭和6)年9月18日,奉天郊外の柳条湖で満
鉄の線路を爆破し,それを機に軍事行動を開始しました。
(満州事変) 【中略】
いっぽう,国際連盟は調査団を派遣して満州事変の調査を行い,1933年の総
会で,満州国の建国を認めず,日本軍の撤兵を求めました。これに反発して,日本
は国際連盟を脱退しました。
日本人の多くが認識する満州事変の内容であろう。この記述からは,一方的な加害国=
日本の姿しか読み取れず,満州事変に至る日本の状況を鑑みることは無いだろう。
当時の満州と日本はどのような状況だったのだろう。
3.満州事変の背景
中国では,易姓革命による王朝の交代は,統治者たる民族の交代を意味する。現在の中
華人民共和国は,漢民族が統治する国である。それまでの漢民族による王朝は,前漢・後
漢,宋,明,中華民国のみで,それ以外の王朝期はモンゴル族による元や,満洲族による
清など他民族による統治である。
漢民族は,遊牧騎馬民族の侵入から国土を守るために,「万里の長城」を作る。即ち,
漢民族にとって長城の外側(満洲)は,自国の統治の及ばない化外の地であった。その上
1896年,清の李鴻章(漢民族)は,ロシア・清が日本と対戦する場合の相互扶助条約
=露清密約を結ぶ。ロシアは,清を軍事支援する見返りとして,満洲権益を手に入れる。
言わば李鴻章は,漢民族にとっての化外の地=満洲をロシアに売ったのであり,満洲全土
はロシアにより実効支配されていたのである。
日露戦争に勝利した日本は,ポーツマス条約により,ロシアから満洲南部の鉄道に関わ
る権益を,正当な手続きのもと手に入れる。清がロシアに売った満洲権益を,ロシアから
正式に譲り受けたのである。
満洲に渡る満蒙開拓移民は増え続け,「満鉄」による沿線一帯の都市づくりも始まる。
1930年には日本人20万人,朝鮮人(当時は日本国民)80万人が満州で暮らすよう
になる。しかし,当時の満洲は,匪賊と言われる武装騎馬集団が略奪・放火・破壊・誘拐
の限りを尽くしていた。また,当時の中国には,いくつもの政府が乱立し,統一政府が存
在しないため,法外な額の重税はもとより,徴収された税が国家の中央金庫に達しないよ
うな無秩序な混乱状態が続いていた。公権力による,匪賊からの保護もままならない状態
-2-
の中,中国の租税制度・裁判・法律に服従して暮らす在満日本人に不利益や身の危険が生
ずるのは,火を見るより明らかだった。
さらに,在満日本人に追い打ちを掛けるように,激しい排日・侮日運動が起こる。国際
法に則った合法的な日本権益に対して,中国は執拗な攻撃を続けたのだ。満鉄と並行する
ように条約違反の鉄道敷設をしての満鉄つぶし,日本製品の不買運動も起こる。日本製品
を買わないばかりか,日本人には物を売らない。さらに,日本人経営の鉱山爆破,商店主
への脅迫。群集心理は排日運動をエスカレートさせ,日本人への肉体的加害,商業家屋の
破壊・焼き討ちも始まる。日本人への投石,果ては誘拐や暴行殺人までが行われる中,日
本政府は抗議するだけで,中国側は何の対応もしない。それどころか,国民党執行部は飛
行機で排日宣伝文書の撒布,演説により,排日運動を煽るのである。
日本政府の弱腰外交に業を煮やした在満日本人は,
「全満日本人連合会」
「満洲青年同盟」
等を組織し,関東軍に直接働きかけるようになる。司令部に押しかけ「なぜ立たないの
だ!」と強談判を繰り返す。ついに関東軍は,日本居留民保護のためには,満洲を国民党
統治下から分離させることが必要と考え,軍事行動を起こす。これが満洲事変の背景にあ
る,多くの日本人には周知されていない史実である。
一昨年の,尖閣問題に端を発した中国人暴徒による破壊・暴行・略奪の報道に,脅威を
感じた日本人は多いはずである。80年前の満洲でも,このままではここで生きていけな
いと感じるほどの日本人排斥・迫害が起こっていたのである。
さらに,満洲事変後の『リットン報告書』は,日本の「満洲侵略」に対し国際社会がこ
ぞって非難した報告書だと認識する日本人が多い。しかし,リットン報告書は,「日貨不
買」ボイコットに対する日本の苦情が正当であることや,満洲権益を清・ロシア・日本間
で譲渡していた事実等,単純な侵略行為とは言えない特殊権益の実情に言及している。報
告書の記述を一部紹介する。
【リットン報告書 第9条「解決の原則及び条件」より,一部抜粋】
問題は極度に複雑だから,いっさいの事実とその歴史的背景について十分な知識
をもったものだけがこの問題に関して決定的な意見を表明する資格があるというべ
きだ。この紛争は,一国が国際連盟規約の提供する調停の機会をあらかじめ十分に
利用し尽くさずに,他の一国に宣戦布告したといった性質の事件ではない。また,
一国の国境が隣接国の武装軍隊によって侵略されたといったような簡単な事件でも
ない。なぜなら満洲においては,世界の他の地域に類例を見ないような多くの特殊
事情があるからだ。
リットン報告書が我々の認識に反し,満洲事変における日本の立場を相当程度認めたも
のであることが読み取れる。軍事行動による解決が,「在らざるべきこと」なのは当然で
あり,日本の過ちとして学ぶべきことである。しかし,そこに至るまでの,日本が持つ満
洲権益の正当性や,それを害するように国民党政府が煽動したボイコットの不当性を鑑み
ない,一方的な日本断罪はあまりにも不公平ではないだろうか。
4.占領政策と歴史教育
日本の歴史の捉え方が,一面的なものに変わってしまったのは何故か。それは,敗戦後
の占領政策にある。GHQ(連合国軍総司令部)による教育政策の一つに「国史」の廃止
がある。戦前の日本では「国史」という科目で日本の歴史を学んでいたが,戦後「国史」
は廃止され,代わりに社会科という教科の中の「日本史」に変わった。これは,単に名称
が変わっただけのことではない。
-3-
ナショナル
ヒストリー
アメリカの国民は,「National History(国史)」を,中国でも同様に「国史」を学ぶ。そ
れぞれの国民は「アメリカ史」「中国史」なる科目は学ばない。世界各国の国民は学校教
育において,それぞれの「国史」を学ぶのである。「国史」とは,自国の建国からの歴史
を,自国民としての誇りをもって学ぶものであり,「アメリカ史」「中国史」とは,他国の
人が第三者として他国の歴史を学ぶものである。日本人が「日本史」を学ぶということは,
まるで他人事のように,第三者として極めて客観的に,傍観者的に他国の歴史を学ぶよう
なものである。
また,その内容が問題である。GHQによる占領統治の最大の目的は,日本人に戦争へ
の罪悪感を徹底的に植え付けることだった。そこで,「戦争贖罪宣伝計画(ウォー・ギル
ト・インフォメーション・プログラム)」が実施された。日本側の主張に対する報道統制
や,戦争に至る経緯を記した書籍等刊行物の没収により,国民への情報は遮断された。さ
らに,連合国側の歴史観に基づいた歴史記述「太平洋戦争史」が,全新聞掲載や,ラジオ
放送を通じて全国民に周知された。いわば,日本国民が連合国への罪悪感を持つべく記述
された歴史観である。それが終戦直後の学校教育用教材として使用され,戦後使用された
「日本史」教科書も,この「太平洋戦争史」が原典となっているのである。
日本の歴史教育は,戦後70年を経てもなお,この傾向が顕著に見られるのである。
ひ
と
し ょ く ざ い
5.外国の歴史教育
世界どの国においても,歴史教育とは自国の将来を担う次世代を育成する上で最重要で
あり,国民を育てる学問と言ってもよいだろう。世界の国々は,自分の国に誇りを持つこ
とを目的として,自国の歴史を学んでいる。現にアメリカの学校では,歴史の授業を大変
に重んじており,週に5~6時間も教え,教科書も分厚い。
では,アメリカの子どもたちはどんな教科書を使って歴史を学ぶのか。日本の都市への
空爆と,2発の原爆投下により30万人に及ぶ日本の民間人を死に至らしめたことをどう
記 述 し て い る の か 。 以 下 の 記 述 は ,『 ア メ リ カ の 小 学 生 が 学 ぶ 歴 史 教 科 書 ( James
M.Vardaman)
』からの抜粋である。
【ヒロシマ,ナガサキ,日本の降伏】
ドイツが敗北したにもかかわらず,日本は降伏を拒みつづけていました。あらゆ
る戦線で敗北を喫した日本は,中国と東南アジアで征服した領土から撤退していま
した。しかし,依然として本土には200万の兵士がいたのです。日本の民間人も,
侵攻に抵抗するため武装していました。トルーマン大統領は日本人が死ぬまで戦う
よう訓練されていることを知っていました。また日本に攻め込めば,多くのアメリ
カ人が犠牲になると確信していました。ですから,日本に降伏させるために2発の
原子爆弾を投下するよう命じたのです。
1945年8月6日,最初の爆弾が広島市に投下されました。巨大な火の玉の一
度の閃光で,8万人もの人が一瞬にして亡くなりました。火傷や放射能の影響で,
何万人もの人が後に亡くなりました。市の大部分は焼失してしまいました。
広島の爆撃のあとでさえ,日本政府はアメリカの要求する降伏を拒否しました。
3日後には2発目の爆弾が投下されました。今度は長崎市です。ここにきてやっと,
国中が破壊されるのを恐れた日本政府は連合国に降伏することを承諾しました。
第2次世界大戦は終わりました。6年にわたる戦争で,世界中で約4000万の
人が命を落としました。世界史上もっとも過酷な戦争の一つが,恐るべき新兵器に
よって終焉を迎えたのです。
-4-
アメリカが原子爆弾を投下したのは,降伏を拒み続けた日本の責任であり,アメリカ兵
の犠牲を防ぐためのやむを得ない措置だったと捉えられる記述である。
果たして,それが真実であろうか。以下に,日本側から見た史実を挙げる。しかし,残
念なことに,これらは多くの日本人にとって周知されていない隠された史実である。
●日本は,中立国のソ連に,アメリカとの和平調停仲介を依頼していたこと。
●ソ連は,和平調停仲介を依頼されながら,8月9日の参戦を目論んでいたこと。
●アメリカは,ソ連参戦前に,原爆投下による戦争終結を望んでいたこと。
●20億ドルの巨費を投じたマンハッタン計画完遂のため,残った2発の原爆投下
により,政治的に計画の成果を示す必要があったこと。
●2発の原爆投下は,ポツダム宣言発表前の7月25日付け大統領命令で既に決定
事項であり,日本が降伏した場合の,投下命令解除の指示は無かったこと。
●8月3日以降の晴天時,爆発の効果・被害が目視で観測・記録可能な状態で投下
する旨の命令であったこと。
●7月26日発表のポツダム宣言には,草案には書かれていた降伏後の皇室存続に
関する記述があえて削除され,日本が降伏を選択しずらい内容になっていたこと。
●原爆を使用する前に,戦争が終結せぬよう開発を急がせたこと。
●本州上陸による米兵の想定死者数50万人を救うためやむなく投下とされるが,
沖縄上陸作戦から算出した想定死者数は四万人に過ぎず,人数は口実であること。
●ウラニウム製爆弾・プルトニウム製爆弾2発の,破壊力比較や被爆者に対する人
体実験目的があったこと。
●広島・長崎に設置した「ABCC(原爆障害調査委員会)
」と呼ばれる米軍施設で,
被爆者を治療せずに観察し,原爆症の研究をしていたこと。
●日本政府に対し,国際赤十字からの医薬品の支援申し出を拒否させていたこと。
原爆投下は,日本の降伏意志に関わらず,実験のための既定路線だった。
これらの史実を知ったときに,アメリカの子ども達が自国にどのような思いを抱くか,
想像に難くない。日本人としては居たたまれない思いである。しかし,国の教育において
は,子ども達が国民としての誇りを失ったり,卑屈になったりしないようにという配慮が
されるのは常である。自国の未来を担う国民育成という観点からすると,自国の歴史の
「影」の部分に手心を加えた記述も致し方ないことだろう。外国の教科書は,基本的に自
国の歴史を肯定的に捉えようとする。先人の労苦を共感的に捉えようとするのが,世界の
標準である。独立国家において,国益を度外視するような教育は有り得ないからである。
しかし,日本では逆である。上に挙げたような,何故原爆が落とされたのかという問に対
する答えは知らされることはない。それどころか,原爆投下の理由として,鈴木貫太郎首
相のポツダム宣言『黙殺』が際だって指導されることになる。つまり,日本が悪かったの
である。
6.歴史教育のあり方と教師の姿勢
以上述べてきた通り,歴史とは国や立場により大きく見方が変わる。言うなれば,主観
的なものである。歴史教育とは,一面的な知識を一方的に伝えることではない。まして,
年号を丸暗記するだけの学問であるはずがない。過去の多くの史実を根拠として積み上げ
判断すること,自分なりに解釈し自らの歴史観を培っていくこと,過去を見つめ現在・未
来に生きる知恵を身につけることである。自らの生き方を考えることにもつながるだろう。
故に,判断の根拠となる史実は,公平で偏ることなく提示されるべきだ。それ無くして,
-5-
歴史教育の目的は果たされない。
ところが,日本の歴史教科書に見られる歴史教育の現状は,日本国家の悪は徹底的に糾
弾する反面,日本人の不幸については極力伝えぬことを目的としているかの如きである。
満洲事変一つとっても,日本人にとって大切な史実が隠蔽され,一面のみが示されてきた
事実がある。近隣諸国への配慮であるといえば聞こえがよいが,歴史を学ぶことは,国民
や国家の命運をも左右するのだ。自国の歴史をどのように教えるかは,国家の主権の問題
であり,他国からどうこう言われる問題ではない。歴史認識が,外交カードとして利用さ
おもんばか
れる昨今である。他国を 慮 ることに終始し,本来、教育の主体であるはずの日本の子ど
も達が卑屈になるような歴史教育など論外である。子ども達は歴史を通じ,先人の苦労や
過ちを学び,その偉業を学び,そして国民としての誇りを学ぶのである。
「日本人は,自国の伝統・文化や歴史についての認識に欠けている」これは,日本人を
知る外国人にとって、常識といえるほどの日本人観である。自国の歴史を恥じ,自国の伝
統文化を学ばず,後ろめたさで日本を語れない子ども達が、どれだけ不幸なことか。日本
人でありながら,日本を知らない「根無し草」のような存在である。外国の人に,日本が
素晴らしい国であると自信と誇りを持って語ることができる日本人を育てることが,我々
に課せられた急務であろう。そのためには,日本人としての自尊感情を低下させるような
歴史教育を,本来あるべき姿に戻していくべきである。
子どもの発達段階に応じて,立場の違う多様な資料を揃えることも必要だろう。可能で
あれば,複数の教科書を読み比べることもおもしろい。また,ディベートの手法を取り入
れ,肯定・否定の立場で討論する実践も増えている。大切なのは,子ども達の多様な見方
を生み出す授業であろう。
しかし,歴史認識は否応なくイデオロギーという視点に左右されがちである。故に教師
は、バランスよく史実を見つめるためにも、広い視野を持ち常に学び続けるべきである。
今までとは違う立場の文献を読むことも必要だろう。これまで定説とされてきた歴史認識
を今一度見つめ直し、自身の歴史観を構築することも,子どもに真実を伝えるべき我々教
師にとって喫緊の課題であろう。
おわりに
過去に私が行ってきた指導は,これまで批判してきた『歴史教育』に他ならなかった。
転機は,3年前,震災被災者が世界から絶賛された報道だ。「厄災の中,譲り合いの精神
を忘れぬ気高き日本人」の姿と,私が過去に指導してきた日本人の好戦性や残虐性とが結
びつかなかった。それからというもの,近現代史を学び直し,戦後教育の弊害についても
知ることになる。30年近い教員生活で培った自身の歴史認識が,音を立てて崩れるよう
であった。浅薄な知識しか無かったにも関わらず,何もかも知ったつもりでいた自分の傲
りを悔やんだ。どの国の歴史にも,光と陰の部分がある。それを,極力バランスをもって
伝えるのが我々の役目だろう。考えるのは子ども達である。真理を見極め,偏ることのな
い判断力を持つ,そんな子ども達を育てるためには,自分が変わらなければ,もっと学ば
なければと思った所以である。今回の学び直しで,多くの日本人に知らされることの無か
った史実の多さに驚くと共に,日本のことを今までとは違った視点で見つめられるように
なった。今は,日本人として誇らしい気持ちでいっぱいである。
「日本に生まれてよかった」と感じ,日本人である自分に自信を持つことができる子ど
も達を育てなければならない。それが,我々日本の教師の責務であることを強く感じてい
る。そんな気持ちを一人でも多くの方に知ってもらいたいと,拙稿をつづった次第である。
なにぶん,歴史については門外漢の教師による一考察であり,認識違いも多いことと思う。
ご批判・ご意見は真摯に受け止める所存である。
-6-
恵庭市立和光小学校
教諭
松
野
浩
毅
はじめに
これまで8年間にわたって,TT指導を担当した。初めてのTTを経験した十数年前,
その年度当初しばらくは,授業の大半を,T1が進める授業を教室の後ろで眺め,習熟時
間に数名児童の個別指導と,学級半数児童のまるつけをする。担任時代とのギャップに,
何かしらの物足りなさを感じる毎日であった。TT加配教員として,これで十分に役目を
果たしたと言えるのか?学習効果は上がっているのか?TTを活用した授業のあり方はこ
れでよいのか?そんな思いが頭から離れず,「TT指導について学ぶこと」の必要性を強
く感じたのがきっかけであった。これまで,TT担当として心がけてきたことや,担任と
の連携の中で進めてきた実践などを紹介する中で,学習効果を高めるための方策について
述べていきたい。
Ⅰ
毎時間が研修の場
1.人の授業を見て学ぶ
毎日,3~4学級でT2を担当するため,人の授業を見る機会が格段に増えた。T2の
立場で授業に臨むと,今まで自分で授業を進めていた時には見えなかったものが色々と見
えてきた。
まずは,自分の授業との違いが新鮮だった。児童を引きつける話術や笑いの入れどころ,
教師の表情や雰囲気,指名の仕方や板書方法 ,学ぶべきものは多い。
また,T2の立場でいると,毎時間の授業の中で,教師の発問や課題設定に対する児童
の反応がつぶさにとらえられる。教師の意図に反して児童の反応が今ひとつという時もあ
る。教師の説明が,児童にストンと理解されないこともある,そんな時に,「自分だった
ら授業をどう組み立て,どんな発問をするだろう。」「どんな言葉で説明し,どんな教具が
あると理解を助けることができるだろう。」等と思考を巡らすことが多くなった。(これは
本来,担任時代から,常に考えなければならない事だったはずだが・・・)
2.より深い教材研究の必要性
授業を見てわき出す疑問への答えを求めるには,やはり教材研究である。幸い,1日1
~2時間ほどの空き時間がある。学級担任が毎日全教科の教材研究をしなければならない
のに比し,1~2学年分の算数だけでよい。毎日2単位時間分の教材研究である。時間を
かけて,深い教材研究ができる。児童のつまずきどころや,その時の対応の仕方について
心づもりをもって授業に臨むと,効率的により多くの児童への個別指導が可能である。短
時間での効果的な支援のあり方は,T2としての重要課題であろう。
3.絶好の研修の場としてとらえる
TT担当4年間を経た時点で,全学年の算数を経験した。それも各学年複数学級に入り,
各担任の個性や児童の特性,指導方法の違い等を見て自分なりに学んだ。算数についての
みで考えれば,担任をしていた二十数年間に匹敵する,いやそれ以上の濃密な研鑚ができ
-1-
たのではないだろうか。以前は,研究授業に参加する回数と言えば,年に数回が関の山で
ある。しかし,TT担当として,毎日数教室におじゃまする。毎時間,目的意識を持って
臨めば,これほど有意義な研修の場は他にないだろう。自分にとって貴重な時間だった。
算数科の全学年,全単元について,そのポイントや児童のつまずきどころ等,指導を通じ
て感じたことは,かなり蓄積されてきたが,それを担任に発信していくこともTT担当と
しての新たな課題ととらえている。
Ⅱ
TT担当としてできること
教師一人での一斉指導は,児童の個人差が大きいほど難しくなる。その弱点を克服する
ためのTT指導である。しかし,個別指導に止まることなく,指導効果を上げるために何
ができるかを探り,実践している。次に挙げるのは,指導効果をあげるための,T1T2
による指導・支援の分担である。
◆授業前に
○教材教具,ワークシート,習熟プリント等の作成協力
◆導入,課題提示の場面で
◎教師のかけ合いや劇化による問題や課題の提示
→ 問題の理解や意欲化に効果大
◎複数教師が,違う考え方や疑問点を提示することで子どもの内面に葛藤を与える。
→
質問の意味やポイントが明確化し,学習課題が焦点化できる。
◎複数の課題や解決方法を選択し学習したり,取り組む順序を選択し学習したりする。
→ 授業の複線化が可能
◆展開場面で
(1)指導時間での役割分担
◎授業の前,後半で,T1T2の役割交代
→ 全体指導時の様子と個別指導時の様子の違い等,児童の実態把握
◎単元,時間によってT1T2の役割交代
→ 若手教師に授業の進め方や指導法等を見てもらう。
(2)発問等と作業分担 → T1は児童の興味関心を高める発問に集中し,T2はその他の作業を行う。
T1
○発問指示説明
T2
○机間指導による支援,個々の試行錯誤や理解状況の把握
○資料配付などの作業
○視聴覚機器の操作
◎黒板に図示,板書等
◎演示による説明補足
(3)全体交流 → 児童の意見を万遍なく採り上げ,練り上げ,高めていくために。
◎T1 から指名されなかった,埋もれそうな考え方,意見を,T2 が拾い上げ全体交流へ促す。
○自力解決時の,T2 による児童観察記録をT1 へ伝える。
(練り合いを高めるための情報提供)
-2-
(4)学級(学年)を分割指導
○単元の中で,コース選択によるグループ指導を行う。
○学力差(学習到達度)
,学習速度,興味関心等によるグループ指導を行う。
○授業時間を,前後半に分け,内容に応じて教室移動させて指導する。
○T1 →自分の考えを持てた児童の指導,T2 →自分の考えを持てない児童への指導
○小グループに分かれての学習活動時に,複数の教師で別れて指導
◎コース別学習で,教室内で①計算問題コース②文章問題コースなどに別れて指導
◎学習課題解決に向けた学習空間,学習活動の工夫
(①自力解決コーナー,②操作活動コーナー,③協力相談コーナーなどを設けた指導)
(5)机間指導時の分担
○T1 全体の机間指導,T2 重点的な個別指導を行う。
○左右,前後,列,班を決めて分担して机間指導。
○T1 援助が必要な子どもへの全体補充指導,T2 発展学習する子どもへの指導
(6)指名・指示
◎T1 全体交流の進行,T2 児童のつぶやきから新たな視点や考え方を全体に提示
◎T1 全体指名,T2 机間指導で児童の考えをつかみ,両者の打ち合わせにより意図的指名
◎T2 が座席表に書き込んだ子どもの考えをもとに,T1 が意図的な指名
◎T1 が全体指導をする中,T2 は発表している子どもの発言内容を補い,賞賛,紹介する。
(7)評価・見取り
○T1,T2 ともに,答え合わせ,まる付け,その結果に応じた個別指導をする。
◎T2 は,個々の課題解決の進み具合・考え方を座席表等にチェックし,T1 に渡す。
◎T2 は,埋もれがちな児童の考え方やよさ,つぶやきをT1 に知らせ,全体に交流に促す。
◎T1,T2 で児童の到達度,解決状況について情報交換をし,授業後半や次時の授業改善に生かす。
◆まとめの場面では
○T1 一斉指導によるまとめ,T2 個々の到達状況により,不十分な児童への個別指導
○一方の教師がテスト監督時,他方の教師は別教室でプリント等の教材作りをする。
◎T1 が授業をまとめ,T2 がまとめを板書する。
◎T1 がまとめ,T2 は教室のコーナーで遅れた子ども達対象のミニ授業や個別指導をする。
◎コース別学習で,T1 は計算問題,T2 は文章題のように,内容によりまとめを分担する。
◆授業後の打ち合わせでは
・学習進度や理解度,児童の様子の交流による学級間のバランス保持。
Ⅲ
担任とのコミュニケーション
1.授業や児童の話題を日常的に
前項で,TTの効果を上げるための様々な指導・支援の技術について述べた。しかし,
それが実践されるためには,超えなければならないいくつかのハードルがある。担任とし
-3-
て自分が仕切っていた学級に第三者が入ってくるのである。不快や不都合を感じる人がい
るかもしれない。授業を見られる緊張感を感じることもあるだろう。まず,それを克服す
るための人間関係づくりが第一である。T1T2の日常的なコミュニケーションが不可欠
であり,授業や児童の話題で盛り上がれるようになればしめたものである。そんな中で,
翌日の授業のポイントや授業の流れについて打ち合わせができるようになることが大切で
ある。
2.授業について共通のビジョンをもつ
授業時間中の,T1T2のコミュニケーションが深まると,自然な流れの中で両者が入
れ替わって授業を進めることも増えてくる。まさに,「あうんの呼吸」が必要である。し
かし,授業前の短時間の打ち合わせで,互いの動きを事細かく考えることには無理がある。
そこで,前提になってくるのが,両者の教材研究の深さであろう。授業のポイントや授業
展開に共通のビジョンをもっていることが必要である。「○○のように,進めていきたい
のだな。」と相手の思いをくみとれれば,それへの対応の仕方を先読みし行動できる。
3.「ともに授業をつくる」というスタンスで
ときには,T1が説明に困り,すかさずT1T2が入れ替わることもある。T1である
担任側からネガティブに見ると,「自分が進める授業に,他者がささり込む。」という状態
である。とかく教室は,閉ざされた空間になりがちで,TT指導は今まで当然と思ってし
てきた指導法や指導技術を第三者にさらし,他者の評価を受ける場と捉えられがちである。
TT指導の効果を上げるためには,複数教員間のオープンな連携が必要である。
特に緊張しがちな若手教師との授業の場合は,
「自分の授業を見られているのではなく,
2人で授業をつくっているんだと思って!」と話している。お互いの指導法や,指導観の
違いをとらえ,学んでいくには,格好の場である。
「ともにつくる授業」というスタンスをとり,計画段階からさまざまな提案をしている。
お互いにそれを受け入れられるコミュニケーションがとれていれば,遠慮せずに授業に関
わっていくことができるはずである。
Ⅳ
児童の学習意欲を高める授業
1.「やってみたい,考えてみたい」という意欲
解決の見通しがもてない。自分の解決方法や考え方に自信が持てない。そんな不安感は,
学習への意欲を削ぐことにつながる。学ぶ意欲の喚起には,学習内容がわかり,わかるか
ら楽しいと感じることが大切である。そして,児童が問題場面に興味を示し,こちらの意
図する土俵に乗ってくれることで,学習が成立するといえるだろう。問題場面を明確にし
「楽しそうだな。やってみたい!」と言う気持ちを高めるために,教師によるかけあいや
劇化の場面を多く取り入れることも有効である。
2.キャラクターの登場
各単元で学習内容に合わせたキャラクター(T2が扮する)による導入をすることもあ
る。導入場面でのキャラクターによる問題提示や課題の焦点化,学習意欲の喚起という面
で効果が上がる。困っているキャラクターの代わりにみんなの知恵で問題をといてあげる
設定や,悪役キャラの間違いを正す設定など,単元や学習内容に応じて使い分けている。
3年生を例に挙げると,
「わり算」の学習でお菓子を分ける問題が多く,
「スイーツマン」
というお菓子の星の住人という設定のキャラクターを登場させた。お菓子を扱うので,児
-4-
童に人気のキャラである。
3.知的好奇心を喚起する活動
算数の学習で大切な,実生活との関連を図り,作業的・体験的な活動を取り入れること
にも取り組むことがある。T1T2による,模擬買い物体験で授業への導入を図る。その
後は,児童に身近な遠足のおやつの買い物を想定しながらの買い物ごっこ。お店屋さんの
中なので,既習の2桁の筆算は使えないという状況設定。そこで,暗算の必要性をとらえ,
その方法を考える授業である。意図的に,児童の思考が必要な状況に追いやること,それ
が学習の必然性を生み出す。「面白そうだな!」「やってみたい!」「参加したい!」とい
う場の設定をすることで,知的好奇心が喚起され,児童にとって取り組む価値のある問題
となっていく。
Ⅴ
個に応じた指導・支援
1.取り出し指導の充実
解決の見通しがもてず自力解決に取り組めない児童を救うのが,TT指導の大きな使命
である。しかし,学級内のあちこちで,その都度個別指導をしていても,限られた時間で
指導できるのは,ほんの数名である。そこで,教室後方に,古い給食配膳台を利用した補
充指導コーナーを設けている。解決の糸口となるヒントを出したり,問題解決に必要な既
習事項の復習から入ったりと,ミニ授業形式の指導をする。
注意しなければならないのは,そこに来ることが恥ずかしいと感じる気持ちを無くすこ
とである。T2がその単元のキャラクターでいるときには,キャラクターの名を取って,
「○○塾」と命名するなど,ストーリーの延長にあるような楽しい雰囲気も有効だ。
しかし,何よりも大切なのは,間違うこと,分からないことは悪いことではない。誤答
を大切にする教師や学級の雰囲気作り,分からないことをそのままにすることを問題視で
きるような,学級経営の地盤が整っていることが大切である。
2.補助教具の充実
自力解決時に,念頭操作による思考で解決方法をノートに表現していく児童がいれば,
手がかりがつかめず,活動が停滞してしまう児童もいる。補充指導コーナーに来る児童は,
概してそのような念頭思考の苦手な児童である。そこで,児童が実際に操作して,考えを
まとめることができるよう,コーナーには具体物,半具体物,九九表など,解決の手がか
りとなるグッズをそろえることも大切である。
Ⅵ
自作教材教具の活用
1.抽象概念のイメージが苦手な児童のために
文字や言語情報からは,問題文理解や指導内容のイメージが苦手な児童がいる。そんな
児童にも,確実に問題場面がとらえられるよう,視覚イメージに訴える教材教具を自作し
て授業に臨んでいる。数式や言葉での表現と比べて,鮮やかな色彩で目を惹く教材教具は,
それだけで児童の印象に残りやすい。
次ページ掲載の写真は,3年生の「時刻と時間」の単元で使用した教具である。時間と
いう目に見えないものを,視覚情報として捉えやすくし理解につなげるために作成した。
割ピンで留めた時計の長針を動かすと着色された扇形が針の進んだ分だけ文字盤に現れ,
時間の経過を見ることができるようにしたものである。また,時間の長さを表した矢印を
-5-
併用し,数直線上に提示することで,時間を量として捉えやすくした。時間の長さは,正
時を境にして,正時前の時間と正時後の時間を合わせて考えるのがわかりやすい。そこで,
正時前の時間と,正時後の時間も分けて提示できるようにした。作成したものは,ラミネ
ートでカバーすることで丈夫にし,次年度以降も長く使用できるようにしている。
2.やってみたい,動かしてみたい,さわってみたい教具
授業の中では,補充指導コーナーだけでなく,教具を操作させる活動を多くしている。
教材教具には,職員や身近な人物も登場する。校長先生にお菓子を分けるなど,「やって
みたい」と感じる活動に児童は飛びつく。教材教具から,意欲を高めることも可能である。
しかし,全教科の教材研究や,プリントのまる付け等に追われる担任には,難しい面もあ
ろう。その点,TT担当者にはわずかではあっても,空き時間が存在することが,何より
の強みである。
終わりに
TT指導を通して感じていることを,思うままに書き連ねた。
児童にとって楽しい学習の条件は,
「分かること」であろう。
「わかるから楽しく感じる」
「楽しいから意欲が高まる」のである。複数で指導する強みを生かして,児童に力をつけ
ていきたい。
また,TT指導は,複数の教師が知恵を合わせて創り上げる授業形態であり,工夫次第
で,その可能性はひろがるものだと感じている。特に学習への動機付けでは,さまざまな
工夫ができるであろう。学習のスタートは,児童の興味関心に基づいた内発的なものであ
りたい。児童の気持ちをつかむ問題場面の設定をすることで,児童が生き生きと学習でき
る場へ誘うことが可能であろう。
そして,TT指導を,教師にとっての研修の場ととらえることで,教師力の向上にもつ
ながる貴重な時間となっていくものだと考えている。
-6-
2014 年 見 学 旅 行 事 前 学 習 資 料 ・ 広 島 編 1 ~ 3
北海道北見柏陽高等学校
教諭
斉藤満幸
本校は例年10月末に広島への修学旅行を実施する。
その時、該当学年の地歴公民の教師が事前資料を作成し生徒へ配布する。今
年は私が担当となったのでその内容を以下に記す。
「 基 本 理 念 」 は 学 年 教 師 用 に す で に 作 成 配 布 し た も の で あ り 、『 新 ヒ ロ シ マ
・ ノ ー ト 1 ~ 3 』( 2 0 号 ま で の 予 定 ) は 生 徒 2 4 0 名 + 教 職 員 6 0 名 に 9 月
以降に配布する予定のものである。
基本理念
1.平和学習の意義
私は大学2年の時に、原水協主催の原水爆禁止世界大会へ大学学生代表とし
て 参 加 し た 。そ の 後 も 授 業 や 市 民 活 動 家 と し て 約 4 0 年 あ ま り「 平 和 学 習 」「 平
和活動」をおこなってきた。しかしその内容は実に「情緒的」であったとの反
省 に 立 っ て い る 。「 多 く の 犠 牲 者 が 出 て ひ ど い 、 だ か ら 戦 争 は 駄 目 だ 。」 と い
うところに、過去の「平和学習」はほとんど集約されていた。
戦争のこわさを教えるのは大切だが、それだけでは不十分だ。
戦争には、独立戦争もあれば、民族解放戦争もあれば、独裁者打倒の戦争も
ある。アメリカ独立戦争はいけなかったのか、明治維新の戦争はいけなかった
のかという問いにも答えなくてはいけない。
柏陽高校の場合どういう経緯で「広島」へ行くこととなったのかを私は知ら
ない。だから今こそ「平和学習」の共通認識を持つべきである。
2.視点に一貫性を
原爆のことでは「戦争の犠牲」をのみ教え、
加害者アメリカについてはふれていなかった。
日 本 は 「 東 京 大 空 襲 」「 ヒ ロ シ マ 」 で 、 数 十 万 人 の 非 戦 闘 員 を 亡 く し た 。 こ
れは、ハーグ陸戦規定違反の「戦争犯罪」である①。日本は賠償請求権を持つ
が、将来の日本のため請求権を放棄した。この視点はしっかり伝えたい。
① ハ ー グ 陸 戦 規 定 :「 防 守 セ サ ル 都 市 、 村 落 、 住 宅 又 ハ 建 物 ハ 、 如 何 ナ ル 手 段
ニ 依 ル モ 、 之 ヲ 攻 撃 又 ハ ア 砲 撃 ス ル コ ト ヲ 得 ス 。」
-1-
2014 年見学旅行事前学習資料・広島編
新ヒロシマ・ノート
事前学習研修委員会編集 (文責・斉藤満幸)
1
2014.9.
(木)
原爆を投下するまで
日本を降伏させるな①
8年前、見学旅行前に「ヒロシマ・ノート」
という名前で事前資料を配付した。
今回は2度目。
8年前に中学校の教科書で「原爆」の記述を
確認した。
以下のようになっていた。
(ポツダム会談
アメリカは戦後の世界でソ連より優位に立
つためもあって、8月6広島、8月9日長
崎に、原爆を投下した。死者は被爆後の死
者も含め、広島20万人以上、長崎が10
万人以上におよび、街は廃墟となった。
(『中学社会・歴史』P207 教育出版)
※アンダーライン
チャーチル・トルーマン・スターリン)
明らかに意味が違ってくる。
前者は
アメリカの戦略により使われた原爆
後者だと
引用者斉藤
日本が黙殺したために使われた原爆
ポイントは
さて、真実はどちらか?これは、先の戦争を
とらえる重要事項のひとつである。
アメリカは戦後の世界でソ連より優位に立
つためもあって
もう少し、資料を提示する。
我が校で使っている教科書『高校詳説日本史
B』の記述は「ポツダム宣言に対して、黙殺す
ると評した日本政府の対応を拒絶と理解した」
(『詳説日本史 B』P368 山川出版)
となっている。
である。
今年知り合いの中学社会科教師に教科書を借
りてその箇所を確認した。
すると、教科書会社が変わり以下のようにな
っていた。目が点となった。
ところが、別の高校教科書を調べると原爆投
下の記述が違っていた。
以下「清水書院」の記述。
ポツダムの会議では、アメリカ・イギリス
・中国の名前で日本の無条件降伏をうなが
す共同声明を出しました(ポツダム宣言)。
しかし、この宣言を日本が黙殺したため、
戦争の早期終結を望むアメリカは、8月6
日に広島に、8月9日に長崎に原子爆弾を
投下しました。
(『中学生の歴史 P213 帝国書院』)
※アンダーライン
日本政府は国体護持(天皇制の維持)の保証
がないとして、ポツダム宣言を黙殺した P238
実は、この時日本は戦争終結を進めていた。
その時ゆずれないのが「天皇制の維持」の保証
であった。くわしい話は次号に。
引用者斉藤
決定的なのは教科書「桐山書店」の記述だ。
なんと、原爆投下の理由が
原子爆弾の開発に成功したアメリカは、戦
後の国際社会での優位を確立するためにも
ソ連参戦の前に戦争を終わらせようと、原
爆を投下したといわれる。
P199
日本が黙殺したため
になっていた。
続く
-1-
2014 年見学旅行事前学習資料・広島編
事前学習研修委員会編集 (文責・斉藤満幸)
新ヒロシマ・ノート
2
原爆を投下するまで
日本を降伏させるな②
2014.9.
(木)
ダグラス・マ
ッカーサー
Ì
高校教科書「清水書院」の記述を再度のせる。
日本政府は国体護持(天皇制の維持)の保証
がないとして、ポツダム宣言を黙殺した。 P238
黙殺とは「広辞苑」によると「あるものを無い
もののように扱うこと。
」となる。
当時日本指導者の最大の関心事は「天皇制の維
持」にあった。そのことはアメリカも知っていた。
天皇自身は最高戦争指導会議で戦争終結の意志を
伝えている①。この時点でアメリカと「天皇制の
維持」の約束ができれば、終戦である。
ところが、日本に降伏を要求してきたポツダ
ム宣言には「天皇制の維持」の文言がなかった。
厳密に言うと
途中で削除された
のである。
アメリカのトルーマン大統領は、日本政府が
強く望んでいた「天皇制の維持」をポツダム宣
言に入れる案をつくっていた。草案づくりはグ
ルー国務次官、スティムソン陸軍長官。
ところが、ポツダム会談中の 7 月 21 日、アメ
リカが原爆実験に成功した。24 日、トルーマン
のもとに「原爆投下が可能」との連絡が入る。
そして、その時トルーマンの判断で、
2 戦後日本を占領した GHQ の最大の方針は
軍部解体でもなく、新憲法の制定でもない。
日本人の精神を骨抜きにする
ことにあった。
それは、教育と報道で徹底的に行われた。こ
れを War Guilt Information Program( 日本人に戦争
犯罪の意識を刷り込む情報宣伝計画)という。
このなかで、原爆による民間人大量殺戮とい
う「戦争犯罪」を帳消しにするため、日本軍の
侵略を誇張することに全力をそそいだ。歴史界
ではそういう解釈も成立している。
そして、そのなかに「天皇の神格性や愛国心
に対する擁護が厳禁④」されたのである。
3 明治天皇の玄孫竹田恒久氏(慶応大憲法学
講師)がいうには「現存する国家のなかで世界
最古の国家は日本である。(引用者中略)今上天
皇(現在の天皇陛下)は第125代目⑤」にな
るという。
4 台湾の評論家黄文雄氏によると、天皇に対
する世界からの尊敬は日本人が考える以上のも
のがあるようだ。昭和天皇が亡くなった時は、
「世界 164 か国の元首相や弔問使節が参列し、
そのレベルは史上例のないもの⑥」であったと
いう。「アメリカ大統領のホワイトタイ・ディナ
ー(大統領が最上級儀礼を示す)でもてなすの
は、英国女王、ローマ法王、天皇陛下だけであ
る⑦」という。
続く
天皇制維持の「約束」は削られたのである。
よって、時の鈴木総理大臣が記者団との会見
で「この宣言は重視する要なきものと思う。と
答弁し、新聞報道で「黙殺」という言葉が使わ
れた②。」
日本政府はどうしてそこまで「天皇」に拘っ
たのか。少し調べてみた。
①『敗戦前後の日本人』 保坂正康著
②『黙殺・上』仲晃著
③ 『日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期
1 戦後、アメリカの上院では「天皇を戦争犯罪
人として処罰する」ことを全会一致で決めた。
ところが、日本占領の最高責任者マッカーサー
は「天皇を戦争犯罪人として裁判にふせば、日
本全国に暴動がおこる ③。」 と判断し、上院の決
定を拒否している。
におこなったこと』高橋史朗著
④『この国のけじめ』藤原正彦著
⑤ 『旧皇族が語る天皇の日本史』竹田恒久著
⑥『世界が憧れる 天皇のいる日本』黄文雄著
⑦ 同上
-2-
2014 年見学旅行事前学習資料・広島編
事前学習研修委員会編集 (文責・斉藤満幸)
新ヒロシマ・ノート
3
2014.9.
(木)
を聞きだすことにエネルギーをかけたのだ。
原爆を投下するまで
日本を降伏させるな③
何故か? 簡潔に言うと、「ソ連が参戦する前
に日本を降伏させてしまわなければならなかっ
た②」からである。
第3号では、高校教科書「桐山書店」の以下
の記述の意味を考える。
ソ連が参戦して、日本が降伏することを恐
れていたのである。
原子爆弾の開発に成功したアメリカは、戦
後の国際社会での優位を確立するためにも
ソ連参戦の前に戦争を終わらせようと、原
爆を投下したといわれる。
P199
おかしな話である。
柏陽高校2年生に聞く。
なぜ、アメリカは日本の降伏を恐れていた
のか。
1945 年に入り、日本の敗戦が濃くなってきた 2
月、ソ連のクリミヤ半島の保養地ヤルタで会談
を開く。この時の出席者は、アメリカ・ルーズ
ベルト大統領、ソ連・スターリン首相、イギリ
ス・チャーチル首相。
ここで、アメリカとソ連は世に名高い「ヤル
タ密約」を結ぶ。
その内容は、
キーワードは高校教科書「桐山書店」の記述
にある。そこにはこう書いてある。
アメリカは、戦後の国際社会での優位を確
立するためにもソ連参戦の前に戦争を終わ
らせようと、原爆を投下したといわれる。
ソ連が日本に参戦すること(日ソ中立条約違反)
この3行はものすごく意味が深いのである。
アメリカはソ連が参戦すれば日本は降伏する
との確信があった。
しかし、「ソ連の対日参戦」という切り札を回
避して、「原爆の投下」というカードを切った。
その結果が無抵抗の30万人以上の被害者であ
る。これは国際法違反なのである③。
原爆投下の後の声明で、トルーマン大統領は
こう述べた。「我々は歴史上最も重大な科学上の
ギャンブルに20億ドルも費やしてきた。そし
て我々は成功した④」。
当時、日ソ間には中立条約が結ばれていた。
日ソ間は「相互不可侵」、つまり戦争はしないと
いう約束である。しかし、それはヤルタ密約に
よって破られた。明らかに条約違反である。
しかし、敗戦濃厚となった日本政府は、中立
条約を信じソ連に和平の斡旋を展開する。
1944.9.16 に中ソ大使佐藤尚武は、外務首脳の
モロトフに会い、両国間の討議を申し出る。し
かし、相手にされない。
当然である、そこには「ヤルタ密約」があっ
た。
この言葉を忘れずに広島へは行くべきだろう。
そして、その2カ月後にルーズベルトが急死。
副大統領だった「トルーマン」が大統領となっ
た。
「そしてポツダム会談が
始まるが、その前日に原
爆実験が成功する
、
。。 そ
して直ちにポツダムのト
ルーマン大統領に伝えら
れた①。」
それを知ったトルーマ
ンはソ連の対日参戦期 日
※ とりあえず3号まで書いた。問題提起のつ
もりで書いている。よって感想や疑問を以下に
連絡してほしい。名前があっても匿名でもいい。
そのままこの通信に載せる。
一方通行にはしたくない。 [email protected]
続く
①『開戦と終戦』五百旗頭真・北岡伸一編
②『原爆を投下するまで日本を降伏させるな』
鳥居民著
③ハーグ陸戦規定:「防守セサル都市、村落、住宅
又ハ建物ハ、如何ナル手段ニ依ルモ、之ヲ攻撃
又ハア砲撃スルコトヲ得ス。」
④朝日新聞社説
-3-
2006.8.6 日付
韓 国 ・「 慰 安 婦 」「 竹 島 」 授 業 案
北海道北見柏陽高等学校
教諭
斉藤満幸
1.はじめに
英 国 放 送 協 会 ( BBC) 調 査 ( 2012 年 ) に よ る と 、 日 本 は 「 世 界 に 良 い 影 響 を
与 え て る 国 」 の ト ッ プ で あ り 、 そ の 割 合 は 58 % と な っ て い る 。
と こ ろ が 、 中 国 と 韓 国 の み が 極 端 に 低 い 数 値 が 出 て お り 、「 日 本 が 世 界 に 良
い 影 響 を 与 え て い る 」 と の 解 答 は 、 中 国 16 % 、 韓 国 38 % と な っ て い る 。 こ れ
は非常に気になる数値である。そこで、今回は旅客船沈没事故で連日ニュース
を 賑 わ せ て い る「 韓 国 」に し ぼ り 、現 在 問 題 と な っ て い る「 慰 安 婦 」と「 竹 島 」
の問題について、その歴史的事実関係を調べ授業にかけることとした。
韓 国 は 、 1910 年 の 日 韓 併 合 か ら 45 年 の 終 戦 ま で の 朝 鮮 半 島 の 日 本 統 治 時 代
を「 日 帝 36 年 」と 呼 び 、日 本 人 が 悪 逆 非 道 の 行 い を し た と 非 難 し 続 け て い る 。
日本政府がいくら謝罪を重ねても、韓国人の反日感情が静まるところをしらな
い。特に問題なのは「従軍慰安婦問題」の執拗な賠償請求である。
1945 年 8 月 の 終 戦 時 、韓 国 は 日 本 の 一 部 で あ り 、日 本 と 同 じ 敗 戦 国 で あ っ た 。
従 っ て 、 日 本 は 韓 国 に 賠 償 す る 義 務 は 必 要 無 か っ た 。 し か し 、 あ え て 1965 年
に「日韓基本条約」を結び、当時の韓国の国家予算の 2 倍もの経済援助をして
いる。加えて、この時点では「従軍慰安婦」の問題は話題にもあがっていなか
っ た 。 韓 国 が 慰 安 婦 問 題 を 言 い 始 め た の は 、 90 年 代 に 入 っ て か ら で あ る 。
慰 安 婦 と は 売 春 婦 。 売 春 は 商 行 為 。「 従 軍 慰 安 婦 」 は 戦 後 の 作 家 千 田 夏 光 の
造語。戦時中なら、どこの国でもあったと言ったのが歴史家の秦郁彦氏(産経
新 聞 2013.5.23)。
慰安婦問題の核心はそこに日本軍による「強制連行」があったかどうかの1
点にある。しかし、その証拠となるものは今日に及んでも明らかになっていな
い。わかっているのは「元慰安婦」といわれる人達の「証言」のみである。
し か し 1993 年 の 「 慰 安 婦 関 係 調 査 結 果 発 表 に 関 す る 河 野 内 閣 官 房 長 官 談 話 」
に よ っ て 、「 慰 安 婦 の 募 集 に つ い て は 、 軍 の 要 請 を 受 け た 業 者 が こ れ に 当 た っ
た 、( 中 略 ) 心 か ら お 詫 び 申 し 上 げ る 」( 朝 日 新 聞 1993.8.4) と 日 本 軍 の 「 強
制連行」があったととれる内容で謝罪をしている。
一 方 、近 年 竹 島 の 不 法 占 拠 の 問 題 が 遅 ま き な が ら 日 本 国 民 に 認 知 さ れ て き た 。
2012 年 8 月 10 日 、 韓 国 の 李 明 博 ( い み ょ ん ば く )前 大 統 領 が 竹 島 を 訪 問 し た 。
韓国大統領の同島訪問は初めてであった。日本側の中止要請を無視する形で訪
問が強行されている。その後現大統領の朴槿惠(パク・クネ)も竹島の韓国領
土 を 主 張 し て い る 。日 本 政 府 見 解 に よ れ ば こ れ は 、韓 国 の「 不 法 占 拠 」で あ る 。
-1-
日本人として、竹島領有の歴史的事実を明らかにし、問題の所在、解決策を授
業にかけ、正しい知識を日本人の一般認識として定着することは焦眉の課題で
ある。
よって、本授業ではこれらの歴史的事実関係を「根拠となる資料」に基づき
明らかにし、日韓の友好関係を維持していくのを目的とした。
2.本時の授業(慰安婦)
「ライダイハン」と「コピノ」
ライダイ 韓国男性+ベトナム
女性間の子ども
ハン
ライダイハンとは、韓国男性とベトナム女性の
間に生まれた子どもです。
ベ ト ナ ム 戦 争 時 に お き た 強 姦 の 結 果 、 3 0 0 0 コピノ
人~3万人いると言われています。
○国男性+フィリピン
コ ピ ノ は 、 韓 国 男 性 と フ ィ リ ピ ン 女 性 の 間 に 生 女性間の子ども
まれた子どもです。
韓国からフィリピンへ語学留学する大学生が年間2万人います。彼らがフィ
リピン女性をだまして生んだ子どものことです。1万人を超えたと言われてい
ます。
韓 国
その韓国で今問題になっているのがこれです。
●発問
→
ソウルの日本大使館前の様子
1.この像を、どこかで見たことある人
2.この像は何の像か
3.彼女らは何を要求しているのか
慰安婦像であり、彼女らは日本に賠償金を求めています。
ソウル日本大使館
前の慰安婦像
これはいわゆる「従軍慰安婦問題」というものです。
慰 安 婦 と は 売 春 婦 。 売 春 は 商 行 為 。「 従 軍 慰 安 婦 」 は 戦 後 の 作 家 千 田 夏 光 の
造語です。
戦時中なら、どこの国でもあったと言ったのが歴史家の秦郁彦氏です。
( 産 経 新 聞 2013.5.23)
●指示 その記事、みんなで読みます。
「第二次大戦中ばかりでなく朝鮮戦争やベトナム戦争中にも、参戦諸国が慰安
所 な い し 、 類 似 の 施 設 を 運 営 し た の は 紛 れ も な い 事 実 。」
●発問
韓国軍には慰安婦はいたと思うか、いなかったと思うか。
1いた 2いなかった
正解は1の「いた」です。
-2-
東亜日報に次のような記事があります。
「国連軍に相対慰安婦13日から登録実施」
東亜日報
国
連
軍
13
日
か
ら
登
録
実
施
と書いてあります。朝鮮戦争時のものです。→
そ れ で は 、何 故 日 本 軍 の 慰 安 婦 が 問 題 に な る の か 。
それはこの1点につきます。
相
対
慰
安
婦
そこに日本軍による「強制連行」があったとされ
たから。
●発問
強制連行あったと思う人
なかったと思う人
事の発端は
い わ ゆ る 「 河 野 官 房 長 官 談 話 」 で す 。 ( 朝 日 新 聞 1993.8.4)
正式名 「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内
河野官房長官談話・全文
1993.8.4
閣官房長官談話」といいます。
宮沢喜一内閣の官房長官の談話です。
いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまと
まったので発表することとした。
今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが
認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦
の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を
受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集めら
れた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所
における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めて
いたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて
本人たちの意思に反して行われた。
これがその全文です
全文
いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政
府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、
心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、
そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今
後とも真剣に検討すべきものと考える。
→
われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。わ
れわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないと
いう固い決意を改めて表明する。
なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政
府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。
大事なところをあげるとこうなります
慰安婦の募集については、
①軍の要請を受けた業者がこれに当たった
②心からお詫び申し上げる
朝日新聞
「慰安婦強制認め謝罪」記事
( 朝 日 新 聞 1993.8.4)
→
とこうなります。
ところが、産経新聞によって、①②の文言は日韓
のすりあわせであることがわかりました。
① の 日 本 側 原 文 は 「 軍 の 要 請 」 で は な く 、「 軍 の
意向」でした。
( 産 経 新 聞 2014.1.1)
②は日本案にはない言葉です。
1993.8.5
こ れ は 共 同 声 明 で は あ り ま せ ん 。「 官 房 長 官 談 話 」 で す 。
すりあわせは明らかにおかしいできごとです。
●指示 そこで第一次安倍首相は次のことを閣議決定をします。全員で読みま
す。
-3-
「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示
すような記述は見当たらなかった」
2007年3月のことです。
安倍内閣 閣議決定 2007.3
●指示 ところが、朝日新聞の取材で河野洋平氏は
のように述べています。全員で読みます。
「政府が法律的な手続きを踏み、暴力的に女性を狩
出したと書かれた文書があったかといえば、そうい
こ と を 示 す 文 書 は な か っ た 。( 中 略 ) 強 制 性 の ケ
ス が 数 多 く あ っ た こ と は 明 ら か だ っ た 。」
( 朝 日 新 聞 1997.3.31)
「政府が発見した資料
の中には、軍や官憲
によるいわゆる強制連行を直接
示すような記述は見当たらな
かった。」
安倍内閣の閣議決定では「見当たらなかった」となり、河野証言では「明ら
かだった」となっています。
これは明らかにおかしなことです。
河野元官房長官取材に答える
朝日新聞1997.3.31
互いに逆のことを言っています。
●発問
河野氏が言う「明らかだった」とは何を
根拠にしていると思いますか。
「暴力的に女性を狩り出し
た
と書かれた文書があった
あ
かといえば、そういうことを示す文書は
なかった。(中略) 強制性のケースが
数多くあったことは明らかだった。」
それは慰安婦の証言です。
それでは、その証言について考えます。
・慰安婦証言の問題点①
第三者の目撃証言がないということです。
これは「被害届」をだしただけで有罪になること
と同じです。
・慰安婦証言問題点②
証言に裏付けがなかったということです。
( 産 経 新 聞 2013.10.16)
●発問
「強制連行について」
・安倍内閣閣議決定「見あたらない」
・河野元官房長官「明らかだった」
河野元官房長官の言う「明らかだった」
とは何を根拠としているのか
慰安婦の証言
産経新聞が元慰安婦16人から聞いてわかったことは次のどれだ
と思いますか。
①生年月日が記載されているのは半数の8人だった。
②出身地は13人が不明・不詳である。
②同一人物が複数の名前を使い分けていた。
実はすべて正解なんです。
そ も そ も 1965 年 の 「 日 韓 基 本 条 約 」 韓 国 に 対 す る 戦 後 補 償 は す べ て 解 決 済
みです。
-4-
「日韓基本条約」原文
第二条「両帝約国は、両締約国及びその国民の財産
権利及び権利並びに両帝約国及びその国民の請求権
に関する問題が、千九百五十一年九月八日にサンフ
ランシスコ市に署名された日本国との平和条約第4
条 ( a)に 規 定 さ れ た も の を 含 め て 、 完 全 か つ 最 終 的
に 解 決 さ れ た こ と と な る こ と を 確 認 す る 。」
第三者の目撃証拠がないこと
●指示 アンダーラインのところを全員で読みます。
日本は「日韓請求権協定」に基づき、韓国に8億
ドルの経済協力をしています。
これは、当時の韓国国家予算の2倍以上です。
慰安婦証言の問題点2
慰安婦証言の問題点1
証言に裏付けがないこと
元慰安婦16人に聞いて分かったこと
(産経新聞 2013.10.16)
●発問
この時、慰安婦問題は話題になったと思
いますか、ならなかったと思いますか。
① 生年月日が記載されていない 8人
② 出身地が不明 13人
③ 同一人物が複数の名前を使い分け
なっていません。
韓国が慰安婦問題を言い始めたのは、90年代に入ってからです。
●発問
あなたは、河野談話を信じますか?
それとも阿倍内閣閣議決定を信じますか?
3.本時の授業(竹島)
・竹島の位置を確認する。
・不法占拠していることを確認する。
・竹島は、国際法の「無主地先占」の原則に従い、
1905年に閣議決定を行い、島根県に編入したこ
とを確認する。
●発問
竹島の位置が明記されている次の告示は
①東経何度何分と明記されていますか。
②誰が告示したものですか。
③何年のものですか。
①東経131度52分
②島根県
③明治38年(1906年)
・金大中元大統領は「日露戦争当時の我が国は事実上、日本の支配下にあり反
論できなかった」と述べています。しかし、日露戦争(1904年)以前に発
-5-
行していた教科書「大韓地誌」によるとこのようになっています。
日露戦争以前に発行していた教科書・「大韓地誌」
●発問
大韓民国の東端は東経何度何分と明記さ
ていますか。
130度35分となっています。よって、竹島は韓
国領とはなりません。
竹島は東経131度52分にあることを確認する。
・2003年度版韓国の高等学校の地図帳
我大韓国位置
130度35分
●発問
韓 国 は 竹 島 の 古 い 名 称 を 「 宇 山 ( う ざ ん )」
と主張していますが、宇山はどこにあります
か。
竹島=東経
131度52分
東経
・宇山は鬱陵島の北東に隣接していることを確認する。
これは竹島にあたりません。
・ 韓 国 政 府 が 1951 年 の 「 サ ン フ ラ ン シ ス コ 平 和 条 約 」 の 署 名 を 前 に 、 ア チ ソ
ン米国務長官(当時)宛に、日本の放棄する領土に「竹島」の放棄を盛り込む
よう要求します。
それに対するアメリカ側責任者のディーン・ラスク国務次官補の回答が以下
のものです。
「 独 島 、も し く は 竹 島 ま た は リ ア ン ク ー ル 岩 に 関 し て 、こ の 普 段 無 人 の 島 嶼 は 、
我々の情報によれば、韓国の一部として扱われたこと
ラスク書簡
は 一 度 も な く 、 1905 年 頃 か ら 日 本 の 島 根 県 隠 岐 島 庁 の
管轄下にあります。この島は、韓国によって権利の主
張がなされていることが、これまで明らかになってい
ま せ ん 。」
●発問
「竹島」は韓国の一部として扱われたこと
がありますか、ありませんか。
「竹島は1905年以降、島根県の管轄下にあり、
韓 国 か ら 過 去 に 領 土 権 の 主 張 は な さ れ て い な い 。」 と 韓
国帰属を否定しています。
●発問
最後に聞きます。竹島はどこの国のもの
だと思いますか。1.日本 2.韓国
3.わからない
-6-
竹島はどこの国のものか
1.日本
2.韓国
3.わからない
-7-
慰安婦問題は話題にもならない
1965年
慰安婦問題を言い始めたのは
1990年代
-8-
北海道北見柏陽高等学校1年1組・学級通信
16歳
第31号
平 成 25.11.25( 月 )
天下の慶應義塾大学に現役合格した中田
敦彦が言ったことばだ。
オホーツクから峠を超えた向こうの人達
は馬力が違う!
いよいよ中間試験
「勉強を一生懸命してきたことが、お
笑い芸人としての個性になっている」
全国で学力調査をした
( 讀 賣 新 聞 10.19)
と言ったのはオリエ
ンタルラジオのお笑い
芸人、中田敦彦。
慶應義塾大学に現役
合格。私大のトップ大
学だ。
「 16 歳 」 の 頭 を 極 限 ま
で使った者は将来の土
台を築くことができる。
57 歳 の 今 だ か ら よ く わ か る 。
小学 6 年と、中学 3 年が対象。
北海道は全国的に平均値は下まわる。
4 7 都 道 府 県 中 4 6 位 だ 。( 文 科 省 発 表 )
46位
北海道
正 解 率 59.9 %
その北海道の中でも、オホーツク管内は
常に道内平均値を下まわっている。
■先週の放課後、相当数の者が教室で勉強
し て い た 。ど の ク ラ ス も 電 気 が つ い て い る 。
未来ある若者のがんばる姿はいい!
おもわずカメラ持参で1-1の教室へ入
る と 、 阿 部 弘 幸 、 大 場 公 介 ( 写 真 ) ら 10
数名が残って勉強していた。
6 時過ぎに 3 階から降りてきた平井晃太
は 、「 先 生 、 図 書 室 で 勉 強 し て い る と 、 3
年生の受験生がいるのでものすごく緊張感
があります!」と言っていた。
緊張感 これだ!
■ 道 内 14 支 庁 管 内 比 較 A = 基 礎 B = 発 展
○オホーツク管内小学校
国 語 A: 13 位 B: 14 位
算 数 A: 13 位 B: 13 位 ( 14 位 = 最 下 位 )
○オホーツク管内中学校
国語 B 以外はすべて道内平均以下
(『 学 力 危 機 北 海 道 』読 売 新 聞 社 編 )
柏陽生にとっての大学受験とは、日本で
最低レベル地域の子が、いきなり全国大会
にでるようなもの。
■ 北 海 道 新 聞 ( 11.18 付 ) で 常 に 上 位 の 「 秋
田 県 」 と の 比 較 が 出 た 。( 上 段 が 小 6 、 下 段
が中3)
■ここ数年、3年生の道教育大志望者の小
論文指導を担当してきた。面接指導も毎年
おこなっている。
先週、面接指導の場で「やる気が全然伝
わってきませんよ。何が何でも合格したい
という気持ち、本当にあるの?」と静かに
聞いた。すると泣き出す女子がでる。
秋田と北海道の比較表(一部抜粋)
■ 過 去 、教 育 大 受 験 者( 推 薦 )で 平 均 評 定 4.9
で も 落 ち た 。 こ の 日 の 子 は 4.7。 が 、 ア ピ
ール力がないと評定が高くても落ちる。
企 業 の プ ロ 面 接 官 は 0.5 秒 で 判 定 で き る
と 本 で 読 ん だ 。『 人 は 見 た 目 が 九 割 』 の 続
編。人間のやる気は瞬時にわかるのだ。
この日面接した子は、定員 5 名に志願者
が 19 名 の 学 科 。 よ っ て 、 14 名 が 落 ち る 。
受験はサバイバルなのだ。
全国
道内
秋田
授業以外で平日
1時間以上勉強
100
79.9
90.5.
114.6
112.5
家で学校の復習
をしている
100
132.9
120.3
285.2
257.6
ここの違いがスゴイ
外は真っ暗
放課後の1組
教室 →
本当にできるやつは、馬力が違う
-1-
海道北見柏陽高等学校1年1組
16歳
2014. 3.10( 月 ) 第 42 号
そう心に決めてからこの3月で38年が
過ぎる。何よりも生徒達といっしょにいる
ことが楽しくて「担任」にこだわってきた
が、このクラスが最後の担任となる(と思
う )。 数 え て 2 9 回 目 の 担 任 。
友達がいて
学校へ行けて
毎日が笑える
こんな幸せ
なこと他にあるか?
最後に本当にいいクラスを持てた
と思っている。
5日・6日と高校の入学試験があった。
試験監督をしながら緊張気味の中学生を見
ていると、今から38年前のことがよみが
えってきた。
3月20日は
1年1組解散行事
合唱コンクール
大学入学当初、私は教師になるつもりは
なかった。そんな私の気持ちを変えたのが
5週間おこなった「教育実習」先の中学生
達だった。
その時、バリバリのちょうどハタチ。
決定的なことが実習最後の日にやってき
た。実習仲間男女7人に生徒達は、
●実行委員 平井晃太
●指揮者
裏あかり、板垣風花
●伴奏
門脇奏美
●課題曲
柏陽高校校歌
●1年1組・自由曲『時を超えて』
サインを求めて長蛇の列をつくった。
そ の 時 間 が 1 時 間 、2 時 間 と 過 ぎ て い く 。
若く未熟な私達には、目の前の生徒達の
行動が理解できなかった。教師達が中学生
を帰宅させてくれた。
私達実習生7人は最後に、誰もいない職
員室に入った。歩くとみしみしと床の音だ
けが響く。
そして背筋伸ばし、みんなで唄った。
「蔦のからまーるちゃぺーるの・・♪」
こぼれ落ちる涙を拭おうともしなかった、
20歳の男4人に女3人だった。
作詞・作曲の栂野知子(とがのともこ)
さんからのメッセージ。
こ の 曲 を つ く ろ と 思 っ た の は 、 10
代という多感な時期に、迷ったり悩ん
だり傷ついたりしながらも少しずつ成
長していく生徒たちの姿に、私自身が
熱い感動を覚えたことがきっかけでし
た。そして、自らの意志で未来を切り
拓いていこうとしている彼らへのエー
ルを、この曲に託しました。
(以下省略)
【銀賞をとった後の記念撮影・いい顔してる】↓
やっとタクシーで帰ろうとした時だ。ま
だ残っていた生徒達が、
私達のタクシーの後を手を振りながら
走って追いかけてきたのである。
今 振 り 返 る と 、 青 春 TV ド ラ マ の 主 人 公
を地でいっている。
薄暗いアパートに戻ってから、驚くほど
涙が出て止まらなかった。私の人生で一番
長 く 泣 い た の が こ の 時 。声 を 出 し て 泣 い た 。
今にして思うと、私はこの時初めて教師
になることを決めたのだと思う。
-2-
-3-
新米教師1年目の振り返り
苫小牧市立啓北中学校山なみ分校
教諭 榛 伸悟
平成25年4月から採用され、初任者としての一年が終わり、教師として二年目を迎えた。
子どもたちとの距離感がわかってきたのと同時に、コミュニケーションをとっていく上で
の課題や困っていることなどが少しずつ見えてきており、対応していく中で難しさを感じ
ている。現在、情緒学級在籍1名、知的学級在籍3名の担任をしており、そのうち知的学級
の3名については養護学校適の答申を受けている。そのため、情緒学級の生徒と同じクラ
スとして共存することが難しく、個別での対応が多い。そこで、事例を交えて自己の指導
を振り返り、今後自分が教師として何を目指していくのかを述べていきたい。
①ケース及び対応、課題
ケース1 知的学級在籍 14歳男子 自閉性障害 IQ35(ビネー検査)
・未経験の行事や、見通しの立たないことに対しての不安が強い。
→板書やカードなどを利用して事前に指導、約束事の確認をした。
・登下校時に交差点付近で立ち止まり、何度か青信号をやり過ごす。行事の前になるとそ
の傾向は顕著に出てくる。
→毎日立ち止まりそうな場所で登校指導を行った。通学前後に生徒に変化はなかったか、
保護者と確認をした。
・パニック時は大人一人ではおさえきれないほど大きな力で暴れることがある。
→約束事を決め、座らせてクールダウンできるように声かけをした。落ち着いてからど
う行動するべきだったかを確認し、約束した。
・独り言が多く、好きなフレーズや歌などを口ずさんでいる。
→場所や状況を説明し、静かにしなければならない時を指導した。
・気分によって、学習の進度や行動の速度が変わり、何も言わずに止まってしまうことが
ある。
→細かく声をかけ、集中力が学習に向けられるように指導した。また、できないことを
無理強いするのではなく、授業内で「がんばり目標」を一つ設定し、クリアできたら
一つごほうびをあげるよう、配慮した。
課題
・表情や行動から心情や困り感が読みにくく、こだわり行動もその都度変わっていってい
るため、どこが困り感を生んでいるのか理解が難しい。
・指示をしても理解度が低く、定着させるまでどのように指導するべきか難しい。
・パニック時や興奮時の自己対処法を定着させたいが、感情をコントロールできる段階ま
ではいっていない。
・作業能力は高いが、指示を正確に聞いて行動することが難しい。
ケース2知的学級在籍 14歳女子 プラダウィリー症候群 IQ37(ビネー検査)
・特性上、肥満や糖尿になりやすく食事量を減らしている。
→「もっと食べたい」と要望してくるときも、体のためにやっていることを説明し指導
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した。本児も小学校の時から取り組んでいることもあり納得して食事することができ
た。
・合併症として、脊柱側弯、睡眠時無呼吸も併せもち、寿命も短いと医師に診断されてい
る。
→保護者と連絡を密に取り、体調を観察した。年々体力も減退傾向にあるため、身辺の
処理や移動に時間がかかるようになってきており、体力・体調を考慮して、学習しな
ければならない。
・誰とでも仲良くなることができるが、適切な距離感で接することができず、自分だけ楽
しくなりすぎて友達を叩く、暴言を吐くなどのトラブルが起こることがある。
→個別に呼び出し、事実確認後に被害生徒へ謝罪をするように指導している
・上記トラブルを指導しても、事実を認めずに頑なにごねて、指先をくわえ、黙り込んで
かい離状態になる。
→目を見て話すように心がけ、一つ一つ状況を確認し、認められるようになるべく柔ら
かく対応している
・気分が乗らなかったり疲労が溜まると廊下に座り込んでしまい、指示も聞けなくなって
しまう。
→しばらく落ち着くまでそっとしておいて、自発的に動けるのを待ち、出来たら褒める
ようにしている。かい離状態に強い指導を行っても、指導が通らないばかりか、余計
殻にこもってしまい次の行動に進めないことがよくあったため、不適応行動について
は一旦「無視」し、落ち着いて話ができるようになってから正しい行動について確認
した。
課題
・寿命と向き合いながら、進路設定や今後を見つめ、楽しい学校生活を送らせるために許
してしまうところと、指導しなければいけない所の境目が難しい
・体力が減退傾向にあり、一日を通して集中力が続かなくなってきている
・本児の特性を踏まえた上で嘘や手が出てしまうことを止める際にどのように指導するべ
きか
②特別支援教育の現場からの気付き
・一番伝えたいことは褒めて伝える
→できなかったことや失敗したことを責めても根本的な解決にはならないと気付き、不
適応行動があった場合はまず、落ち着いて行動ができたことから褒めた。生徒には「こ
れをすれば褒められる」という気持ちが芽生え、不適応行動が少しずつ減った。
・「あれしろ」「これしろ」はあれもこれもしたくなくなる
→一指示一行動を基本とすること、T1が指示や説明をしている場合は、つまずきがな
い場合は横から口を出さないように心がけた。いろんな方向からたくさんの人間から
言われることは、どんな人間にもストレスになりうることである。
端的に、要点を説明できるように声掛けを工夫した。
・できないことややらないことには理由がある
→特別支援教育において(私の経験上)場面緘黙や拒否行動には必ず根底には理由があ
る。「やりたくない!」となっている場合にはどこかに拒否の原因があり、止まって
いる場合にも何らかの原因が考えられる。そこで、できないことを無理に取り組ませ
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るよりも原因に向き合うように努めた。そこから生徒の傾向が分かってくるようにな
り、課題提示に必要な配慮や提示方法も個に応じて対応することができた。それぞれ
に設定した課題を提示することで、学習のレベルに差異があってもストレスなく学習
に取り組むことができるようになってきた。
・生徒の活動を待つのも重要な成長の時間
→周囲の人間に合わせて行動することはとても大切なことだが、それ以上に生徒自身が
考え、行動し、達成することも見守ることはもっと大切だと考える。自分の力で未知
に挑んだり、課題解決をしようと努力しているときに、教師の一言で歩みを止めさせ
てしまう可能性もあるのではないかと感じた。
③これから目指すべき教師像
・テストのための授業ではない、その先の社会に向けて「活きる力」をつける授業を
→課題に「どう」取り組み、「どんな」考え方で、「何」がわかったのか、課題解決を通
して探究する授業へ。
・教師はファシリテーター
→ファシリテーター=促進者 教師は、主体的に取り組む生徒の活動を促進する役割で
いること。教えすぎないことも大切な役割であり、失敗→解決への方法の模索→成功
を導くことで課題解決学習が成立する。
・「わかりやすい」は見えることから
→本時の課題、授業の流れは導入時に視覚化して伝える。見本は生徒から出す・ポイン
トを伝えることで課題を炙り出す→課題となる動きをVTR化し上映して次の活動に
活かす→「できた」が生まれる
・「ほめる」「認める」「励ます」
→生徒指導の3機能(①自己存在感・自己有用感の醸成②共感的人間関係の育成③自己
決定の場の設定)を指導の随所に意識する。生徒同士が互いを「ほめ」合って、共感
的人間関係を築き、生徒を「認め」て自己有用感、自信を持たせ、生徒の活動を「励
まし」て自発的な活動の背中を押す。
生徒への前向きな関わり方が生徒の自発的な活動を促し、自ら考え、自ら学ぶ姿勢を
生む。
以上が新米教師として一年間駆け抜けた中で見えてきたものである。何より私が大切に
したいのが、生徒一人の為にどれだけのことをしてあげられるかということ。その工夫や
支援がやがて生徒自身や周囲の人間にも良き変化を与えられるのではないかと考えてい
る。まだまだ知識も経験も少なく、絵空事で終わってしまっていることが多いが、出来る
ことは何でも挑戦し、失敗も含め自分の経験値としたい。「学び続ける教師」とは、生徒
のそばで生徒の為に奔走することであると私は考える。私たちにとって「教える」今は何
度でも巡ってくるが、生徒にとって「学ぶ」今は一瞬一瞬が一度きりである。そこに深く
かかわらせていただける感謝の気持ちを何年たっても忘れずにいたい。それだけ尊く責任
のある仕事だということをこの振り返りで再認識した。
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初任者としての一年間
苫小牧市立苫小牧東小学校
教諭
鬼頭早春
中学生の時から夢だった、
「教師」という職業。夢の大学を卒業したはいいものの、
一発で教員採用試験に合格することができなかった。社会人一年目は、ある町で、教
育委員会から派遣されるTT教員として、色々な学校と関わってきた。そして、2,
3年目は、学校に所属しての期限付き教員として働いてきた。働きながら、教員にな
るという夢を追い、師範塾で勉強し、「今年こそは」という気持ちで、必死に毎日を
過ごしてきた。
そして、昨年度、念願かなって教員になることができ、初任者としての一年間が始
まったのである。一年目を振り返ると、正規の「教員」としての自覚が足りなかった
ように思う。そう考える理由は、2点挙げられる。
まず一つ目は、期限付きでの「経験」である。大学を卒業してからの3年間は、正
規教員ではないが、学校との関わりの中で、多くの方から色々なことを学んできた。
特に、授業のこと、子どもとの関わり方、保護者との関わり方等は、社会人一年目の
時の自分よりも、確実に経験が実になってきたと思う。しかし、それは、あくまで長
い教師生活の中での、ほんの一部の経験であり、まだまだ経験できていないことがた
くさんある。それを、変な自信として持っていたように感じる。汚い言い方をすれば、
「なめていた」と思う。そんな自分だったおかげで、昨年度の1学期は特に、学級が
うまくまとめることができない場面が多々あった。自分なりに、一生懸命やっていた
つもりでも、子どもにしっかりと指示が通らない時が何度もあった。また、勤務校の
校長先生には、「『期限付き』と『正規教員』とでは、責任の重みが違うんだよ。」と
言われてはいたが、正直、その実感が湧かなかった。
二つ目は、「恵まれた環境」である。私が勤務している学校は、ベテランの先生が
多い。また、加配のTT教員がいることで、一緒に授業に入ってくださり、子どもた
ちの支援だけでなく、私へのアドバイスも熱心にしてくださる。このことに関しては、
この一年、本当に勉強になることが多く、周りの支援のおかげで自分自身の成長に繋
がったと考える。「初任者」ということで、先生たちにはたくさんの配慮をしていた
だけたのは、とても幸福なことである。しかしながら、今考えると、それが当たり前
のような生活になり、周りに甘えていたように思う。
以上が、私の初任者としての一年である。この一年をマイナスに捉えたような書き
方をしてしまったが、逆に、この一年があったおかげで、今現在は、とても充実した
生活を送れている。初任者としての一年でできなかった、「自分のカラー」を出すこ
と。受動的ではなく、意欲的に、積極的に仕事に取り組むこと。この二点を常に念頭
に置き、生活をしているところである。まだまだ自分自身が未熟なため、周りの先生
方の手助けをいただきながらの生活は変わってないが、手助けしていただく点は、去
年の自分とは少し違うように感じる。
今後は、できる仕事をさらに増やして、子どもたちのために、また、自分の成長の
ために毎日を楽しく、大切に過ごしていきたいと強く思う。
新米教師1年目の振り返り
~へき地だからこそできること
伊達市立大滝中学校
教諭 橋上 清香
「完璧だ・・ロボットみたいだ・・。指導することなんて何もないじゃん!」
これが昨年の着任式での生徒の第一印象です。こんなに礼が全員揃っていて、集会中も
一言も私語をせず、背筋がピンと伸びていて、極めつけに校歌はもちろん、国家まで元気
よく歌うものだから音楽の先生に「もっと厳粛に歌いなさい!」と注意されている生徒を
私は今まで見たことがなかった。後に、言われなくても大人がそうあるべきだと思うこと
を汲み取って動く子たちなのだと知ることになる。だから私は見落としていた。できるか
ら指導することはないと油断していた。彼らがどのような力をつけなければならないかを
見取ることができていなかった。今回は、学校内でこの一年、そして現在も気を付けてい
ること、学校外で気を付けていることの二つに焦点を絞って書きたいと思う。
自分が3年間の臨採や非常勤時代にしてきたことは「生徒を自分が引いたレールに乗せ
て動かすこと」だった。授業でも行事やその他の活動でも「○○しなさい。」という言葉
や生徒が考えて動く前に指示を出していた。その感覚でここに赴任したものだから、最初
は(今も時々・・)何を指導したらよいのか、どう指導したらよいのか全くわからなかっ
た。「静かにしなさい。」や「ちゃんと並びなさい、ちゃんと座って聞きなさい。」という
台詞が必要ないので言葉を発する機会が少なかった。授業も同様で、今までは一方的な授
業だったと思う。私が英語の文法や知識をすべて説明し、生徒はそれをせっせとノートに
取り、その後に音読や言語活動を行っていた。今思うと、臨採時代の授業は顔から火が出
るほど恥ずかしい。今よりもさらにつまらない授業だったと思う。しかし、ここに赴任し
てそのやり方では通用しないことを肌で感じた。ここで求められていることは“言われた
ことができる人間ではなく、言われなくても自分で考え動ける人間”を育てること、授業
においては“受験英語力”ではなく“使える英語力“を付けさせることだと地域の人との
飲み会で知った。
これらのことから「私のレールに乗せるのではなく子供たちに考えさせ、自分たちでレ
ールを引かせること、私はその助言役」ということと「授業では説明は最小限に、練習は
最大限に」という二つをモットーにやってきた。指示を出したり、説明をすることは簡単
だが、いざ生徒たちの力で創り上げようとなるととたんに難しくなった。失敗した時のフ
ォローや軌道修正を考え、一緒に取り組んでいるペアとの仲が険悪になった時にどう声か
けをするか、どう気持ちを乗せるか等、説明する時の何倍も様々なシチュエーションを考
えなければならなかった。私のシミュレーション不足で失敗することが多かったし、伝え
たい想いはあるのにうまく言葉にできずしどろもどろになることが大半だった。しかしそ
の中でも、生徒たちは指示をせずとも自分たちで考えて見栄えは良くないけれど、ペアと
協力して課題を達成することができていた。私の説明は最小限に、練習の時間をたくさん
取り、一人一人の発音や口元を見て指導することができた。そして、生徒ができた時には
オーバーなくらい、授業中でも廊下でもトイレでも褒めるようにしている。少しくらい下
手くそでも頑張っている時には褒めるようにしている。そこからほんの少しずつだが、話
しかけてきてくれたり、弱音をこそっと吐きにきたり、好きな人を教えてくれるようにな
った。そんな些細なことが本当にうれしいし、これからも続けていこうと思う。
また学校外で必要なことは、「地域に信頼される人間になること」だ。大滝に住んでい
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ると自分の知らない間に私の個人情報が一人歩きする。例えば、昨日は何時に帰ってきた
か、いつゴミ出しをしたか、これらは序の口で、コンビニで買ったお菓子の銘柄、家に訪
れた人の車のナンバーまで全てを見られているのだ。次の日学校で生徒を出迎えていると、
昨日買ったお菓子の銘柄を当てられることは日常茶飯事である。これは空恐ろしいことだ
と思う。学校内でも外でも教育公務員としての言動に注意しなければならないと思い知っ
た一年だった。逆に、学校にそれだけ興味を抱いてくれていて、行事や PTA 活動では積
極的に参加してくれることは本当にありがたいと思う。また、地域や保護者の信頼を得る
ことができれば、生徒指導もグッとしやすくなった一件もあった。
すでに二年目に入っており毎日猪突猛進の日々だが、生徒一人ひとりのためになってい
るかを常に考え、教師橋上ではなく人間橋上を前面に出していくこと、地域を大切にする
こと、この二つを毎日意識しながら過ごしたいと思う。
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新米教師1年目の振り返り
平取養護学校静内ペテカリの園分校
教諭 伊藤 淑芳
教師になり、一年が過ぎた。期限付き教諭として働いて学校から、現在の学校に赴任し、
始めは同じ知的障害を主とする学校でもこんなに違うものかと、驚かされることがたくさ
んあった。自分としては、期限付き教諭として働いていたときと採用された今とで、児童
生徒に向き合う気持ちは変わらないつもりだが、教師一年目として感じたこと、学ぶこと
ができたことを以下に示す。
1.子どもたちの成長を数年間見守ることができる幸せ
これまで、自分が子どもたちと関わることができる時間は、一年という限られた時間で
のことだった。もちろん、担当した子どもたちを次の年も見守ることができるという保証
はないが、何年か継続して子どもたちの成長を見守ることができるということ、責任をも
てるということに、喜びを感じた。責任を果たすことができるよう、教師として必要な知
識を取り入れるべく、学び続ける必要があると実感している。
2.判断することの難しさ
現在、自分が行っている子どもたちへの指導に、授業づくりに対し、振り返り、向上を
はかっていくための判断をしていくことの難しさを感じた。「周りの教師がやっているか
ら良い」ではなく、子どもの実態に合っているか、その時間に何をねらい、何をさせるべ
きかを、しっかりとした根拠の下に行うことができるようになりたいと感じている。
3.具体的な目標の設定
一年間で意識して取り組んだことが、目標を具体的に設定し、授業に臨むことである。
目標をより具体的にすることで、活動における子どものねらうべき姿が明確になり、より
充実した手立てをとることが可能になると考える。そして、授業での改善点が明確になる。
まだまだ、目標設定への課題はあるが、子どもにとって二度と同じ時間は返ってこないと
いうことを忘れず、一時間に全力を注ぎたい。
今回挙げたことだけではなく、一年間で、子どもと信頼関係を築くことの大切さ、子ど
もの興味関心に基づく授業の工夫、言葉掛けや身体支援の工夫などたくさんのことを学ぶ
ことができた。自分を支えてくれている、先輩の教師、同期の仲間に感謝したい。
そして、新米教師として一年間を過ごすことができたのは、師範塾でお世話になった先生
方、仲間たちの力があってこそのものだということを忘れず、学び続ける教師として頑張
りたい。
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新米教師1年目の振り返り
七飯町立七飯中学校
音楽科 教諭 佐藤 圭佑
1.はじめに
昨年4月、私は渡島管内の七飯町、七飯町立七飯中学校に新採用の音楽教諭として着任
しました。七飯中学校は、町内の拠点校であり、管内でも大規模校と呼ばれる学校規模で
す。新採用の音楽科教諭が入ることは初めてだったそうで、何かと考えさせられ、学ぶこ
との多かった1年であったと思います。1年間を振り返り、この場を借りて総括をしなが
ら、今後の課題を明確化して行きたいと考えます。
2.1年目で学んだこと
昨年、私の校内組織での役割は、
所属:第1学年 副担任
教科:音楽科(主任)、数学 TT、道徳、総合的な学習の時間
分掌:生徒指導部、南渡島青少年指導センター指導員(校外)
部活動:吹奏楽(主顧問)
というものでした。
新採用という立場でありましたが、担当教科の特性上、学校に1名しか音楽科教諭は
おりませんので、必然的に学校行事等でチーフや取りまとめ役を担うことが多くありまし
た。しかしながら、学校規模としては中堅の先生方が多く、チーフとしてそういった先生
方に仕事を振るというのは、なかなか神経を使うものでした。それでも、学校組織という
ものを考えたとき、また学校行事等を円滑に進めることを意識した場合、チーフや取りま
とめを行う立場にある教員は、的確に業務の割り振りを行い、調整を行うことが重要であ
る、ということを、様々な場面で学びました。
また、保護者との関わり、地域との関わりについて考えさせられた1年であったように
思います。学級担任ではありませんでしたが、吹奏楽部の主顧問ということで、保護者と
関わる機会が大変多くありました。期限付き教諭としての勤務していた時との大きな違い
であったと思います。生徒の教育は、学校と家庭と地域で行うものであると、採用試験時
から知っていたものではありましたが、実際正採用の教諭として、いざ保護者と接する時
は自分自身の経験の少なさを痛感し、反省することばかりでした。
3.学び続ける教師として
1年間はあっという間でありました。新しい学校のシステムに慣れること、生徒の実態
をつかむこと、教科経営、部活動の運営を円滑に行うことに追われ、1つ1つの出来事を
じっくりと検証することは、僅かなものしかできなかったように思います。初任者研修も
あり、教科関係の研修にも参加できず、部活動のコンクール等と重なり師範塾の講座にも
参加できない1年でした。
しかし、これは教師として皆が抱えているものであり、それを押しのけ時間を捻出し、
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学び続ける教師としての姿勢を持ち続けるかが重要であると考えた1年でもありました。
業務に圧倒されそうになっても、学び続ける教師として授業を公開し、音楽人として
僅かでも修行を積むことができたことは、今後へつながる行動ではなかったかと振り返り
ます。
採用2年目の教師として、間もなく1学期が終わろうとしています。時代や社会、学
校の雰囲気にのまれることなく、より教師としての崇高な使命を意識し、職責を全うして
いく所存です。
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新米教師1年目の振り返り
鷹栖町立鷹栖中学校
教諭 上杉 明広
中学校教諭として一年目を担当させて頂いた教科指導について【a:教科指導の概要】【b:
反省】【c:次年度へ向けて】【d:もう一度1年目ができるなら 〜これから新米教師になら
れるかたへ〜】の4つにまとめました。
【a:教科指導の概要】
■2学年3クラスの保健体育科を担当
■体育分野の領域
・体つくり運動(新体力テスト含む)
・陸上競技(短距離走、リレー、長距離走、ハードル走)
・ソフトボール
・剣道
・バレーボール
・器械運動(マット運動、跳び箱運動)
・スキー
・ダンス
■保険分野
・健康と環境
【b:反省】
○2学期に入ってから、授業の始まりと終わりの挨拶の「気をつけ」の姿勢を徹底して指
導することにより、授業全体にも引き締まりが見られた。
○2人の先輩保体教員の授業を参観し、自分の授業に活かせる部分はスピーディーに取り
入れることができた。
×これまでに保健体育科の教科指導の経験がなく、普段の業務の大部分を授業の準備に割
くこととなった。
×剣道など実際に自分で取組んだことのない運動種目もあったため自信のない指導になっ
てしまったこともあった。
×ペア学習や、グループ学習など協同学習の機会の設定の仕方が行き当たりばったりで一
年を通した見通しを持つことができていなかった。
×効果的な見本や演示の提示の仕方にかけていた。
×授業内容の表記、授業の狙いの書き込みなどホワイトボードの活用が不十分であった。
×領域を通した4観点のねらいが明確になっていないことが多かった。
×各領域への時間の配分計画が甘く、2学期後半から3学期にかけて実施した単元の時数
を圧迫してしまった。
×1時間1時間のねらいの設定に甘さがあり、1時間でなにを身につけさせたいのかぼや
けることが多かった。
-1 -
×評価基準が不明確であり、よって効果的な形成的評価を行うことができていなかった。
×生徒の運動後の動線の取り方など、安全への配慮とその対策に不十分さがあった。
×「心と体は一体である」ということを保体の授業の中で伝えたかったのだが、それを教
えるための手立てを講じられていなかった。
【c:次年度へ向けて】
・昨年度の教育課程計画における領域の配列と時数の配分については、実態にそぐわない
部分もあった。1年を見通し、各領域の授業数を確定し単元計画につなげる。
・学習指導要領の各領域の目標を深く理解することにつとめ、「何を教えるのか」という
ことを自らの中で明確にした上で授業の計画を立てる。
・単元計画に4観点それぞれの目標、目標に対して A 〜 C 評価の具体例を必ず盛り込む。
・4観点の評価のタイミングを計画する。
・各領域において映像、写真資料、演示などを用いることにより必ず見本を見せる。
・1時間1時間必ず「本日の授業のねらい」を明示する。
【d:もう一度1年目ができるなら
〜これから新米教師になられるかたへ〜】
・学習指導要領解説保健体育編をすみずみまで勉強する。
→教育公務員として、法的意味を持った指導内容をきちんと押さえておくこ
とで、いくばくかの自信を持って教科指導にあたれることと思います。
・ 学 習 規 律 に つ い て 、学 校 の 生 徒 指 導 方 針 を ふ ま え た 上 で 自 分 の 考 え を 整 理 し 、
生徒の指導にあたる。
→学習規律を徹底して指導すると、生徒が安心して授業に参加できる環境を
整えることにつながります。
・保健体育教育の意義を自分の中で見いだす。
→「自分は保体を通して生徒に何を伝えたいのか。」学習指導要領に書かれていること
にプラス@されることで、魅力的な授業にすることができると考えます。
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新米教師1年目の振り返り
札幌市立明園中学校
教諭 小畑 愛
私が昨年度初任者として勤務する上で心掛けていたことは、「真似してみる」というこ
とだった。同僚の先生の実践はもちろん、期限付きとして3年間勤務する中で出会った先
生の実践や、研修で学んだ実践など、とにかく自分が良いと思うことは積極的に真似をす
るよう心掛けた。
他の人の実践を真似してみることで気づいたことを、(1)教科指導と(2)学級経営
に分けて振り返っていく。なお、昨年度は中学1年生の担任、教科は1学年4クラスの国
語科を担当した。
(1)教科指導
・「書く」ことを中心とした授業作り
これは、先輩教師の実践を真似したものではなく、2回目の教員採用試験の集団討論で
一緒のグループになったある受験生の発言をもとに、実践した。授業の中で、自分の意見
をノートやプリントに書いて隣の人と交換したり、グループで見せ合ったりする活動を多
く取り入れた。はじめのうちは、交流することに抵抗を感じている生徒も多くみられたが、
授業の中で書いたものを見せ合うことが徐々に定着していくと、スムーズに作業を行うこ
とができた。ただし、全く自分の意見を書くことができない生徒たちをどうするか、とい
うのが課題として残った。
授業でタイマーを使う
これは、初任者研修の一環として他校参観を行った際、キッチンタイマーで生徒に時間
を意識させながら活動を行わせている先生の実践を真似した。これまでは、時計を見なが
ら何分と指示をするだけだったが、ずるずると前の活動が長引いてしまって、なかなか次
の活動に移行することができないことが多々あった。しかし、タイマーを使うようになっ
てから、生徒たちも時間を目で見て耳で聞いて実感できるので、次の活動にスムーズに移
ることができ、授業にメリハリがついた。
・指導案の追試
初任者研修や札幌市教育研究推進事業などで紹介された指導案の追試を行った。また、
昨年度は全日本中学校国語教育研究協議会の札幌大会にも参加し、そこで紹介された指導
案の追試も行った。研究授業の実践の追試は、普段の授業の中では時数的に難しいことも
あり、ほとんど実施できなかった。また、自分の準備不足で行えなかった授業もたくさん
あったので、1年間の計画をしっかり立てることが大切だと改めて実感した。
(2)学級経営
・学級組織づくり
教科指導は期限付き教諭として経験があったものの、学級担任は初めてであったため、
-1 -
学級組織や学級のルールなどはすべて学年主任の先生や、副担任の先生の真似をさせてい
ただいた。学年の考え方が「1学年1学級」のつもりで、なんでも担任任せにしないで学
年教師団で一つ一つ考えていくというスタイルであったこともあり、学年の先生には随分
支えていただいた。前期は右も左も分からないまま学級組織を作っていったが、後期には
自分なりに工夫を交え、生徒とも相談しながら学級組織を作ることができた。1年生の新
学期は、どんな生徒が入学してくるかもわからない中だけれど、小学校の引き継ぎや、自
分が生徒と接してみて感じたことなどをヒントに、学級代表や、委員、係などを決めてい
くことが大切であるということを学んだ。
・一行日記
毎日生徒に学校から帰ったあとの出来事で一番印象に残ったことと、家庭学習の教科と
時間を書かせ、点検した。これは、同僚で同じ初任者の先生の実践を真似た。実は、期限
付き時代にも生徒の日記を毎日点検している先生の実践を拝見し、自分でも実践してみた
いと考えていたのだが、空き時間でクラス全員分の日記に目を通し、かつコメントも書く
ということを毎日自分で実践できる自信がなかった。そこで、一行日記というものを紹介
され、これなら私にもできるかも知れないと思い、実践した。毎日のコメントのやり取り
の中で、生徒の家での様子を知ることができ、生徒への声がけのきっかけにもなるので、
今年度も続けて実施している。
・行事への取り組み
担任として一番大変だったのは、学校祭や合唱コンクールでどう生徒達を団結させ、よ
り良いものを作り上げるかということだった。学校祭は本当にどうして良いのか分からず、
自分が副担任でつかせていただいた担任の先生が実践していたことを思い出しながら真似
をしてみることからはじめた。夏休みにプロジェクトを作り、学級を担当ごとにグループ
に分け、指示はすべてリーダーたちから下ろさせるつもりだったが、結局自分があれこれ
と指示をしてしまい、生徒の活躍の場を奪ってしまったように思う。合唱コンクールでも、
担任が張り切り過ぎてしまった。生徒主体で行事に取り組ませるためには、担任は何をす
るのかというのが今年度の課題である。
【まとめ】
昨年度1年間は、初任者として多く研修が設定されており、その中で学ぶことがたくさ
んあり、日々の実践に活かすことができていた。失敗しながらも、一年間「真似をし続け
る」ことで得たことが多くあった。これからは、「真似をする」だけでなく、そこに自分
の色をつけていく作業が必要であると思う。2年目以降も自分から学びの場を求め、日々
の実践に活かしていきたいと思う。
-2 -
編集後記
私は、月刊の教育雑誌を4冊定期購読しています。
年間読書量は120冊。 1 ヶ月平均で10冊程度。しかし、イメージしている量の半
分にも満たないのです。当然、自慢にはなりません。この程度で自慢したら相手にも
されない世界がたくさんあることを知りました。
こ の 2 年 間 は 、 月 1回 平 均 で 札 幌 、 苫 小 牧 、 函 館 、 釧 路 、 そ し て 道 外 へ と 教 師 の 研
究会、セミナー、そして学会に参加してきました。学会以外は高校教師はごくわずか
です。いつも小学校の教師が多いです。
そこでは必ず、研究発表か模擬授業発表をしてきました。足が震えます。
プレゼンの練習は、日常が忙しいので、行きのJRか都市間バスの中、そしてホテ
ルの一室です。PCを使って何度も何度も練習して頭にたたき込みます。はたから
見ると異様に映ると思います。
その時にものをいうのが「圧倒的な読書量」。一つのテーマを調べて、ものにな
るのは本棚一つ、「身の丈ほどの本を読め」と言われます。アウトプットすることは、
インプットするより数倍力がつくのです。
研究紀要の原稿執筆も同じではないでしょうか。
今回、北海道師範塾の研究紀要「北の教師道」第3号を作成致しました。
創刊号は16名の方から18本の原稿が届きました。第2号は14名の方から22
本の原稿が届きました。そして今回3号は、26名から36本の原稿が届いています。
お忙しい中、原稿をご執筆下さった先生方、本当にありがとうございました。
今 回 の 特 徴 は 、 教 師 養 成 講 座 の 卒 業 生 7 名 か ら 「 1年 目 を 振 り 返 り 」 の 原 稿 が 掲 載
されていることです。質量共に充実した内容になっていますので、是非御一読なさ
れることを願って編集後記の言葉と致します。
研究紀要「北の教師道」編集担当
斉藤満幸
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