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特 集 Ⅱ ビジネス成功の鍵を握るマーケティング力を語る

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特 集 Ⅱ ビジネス成功の鍵を握るマーケティング力を語る
長岡大学地域研究センター 2004年度シンポジウム
ビジネス成功の鍵を握るマーケティング力を語る
−経営のため、従業員のため、社会のためのマーケティングマインドの活用法−
2004年3月11日 会場・アトリウム長岡
主催:長岡大学地域研究センター
後援:新潟県、長岡市、長岡商工会議所、NICOテクノプラザ
――― 次 第 ―――
(総合司会 本学助教授・地域研究センター運営委員長 鯉江康正)
●催者ごあいさつ 本学学長・地域研究センター所長
原 陽一郎
●基調講演Ⅰ 「会社力とマーケティング」
∼力強く利益を出し続けるために、マーケティングの重要性と活用∼
講師 ㈱ニコン・エシロール代表取締役社長兼 CEO
長谷川 和 廣氏
Ⅱ 「商品力とマーケティング−消費者動向の把握」
∼売れる商品づくりのために、マーケティングリサーチの重要性と活用∼
講師 ハウス食品㈱マーケティング本部業務推進部開発企画課主席
岡 本 慶一郎氏
●パネルディスカッション マーケティングマインドの育成と活用事例
<パネリスト> ㈱ニコン・エシロール代表取締役社長兼 CEO
長谷川 和 廣氏
ハウス食品㈱マーケティング本部業務推進部開発企画課主席
岡 本 慶一郎氏
㈲ MCA 代表取締役
小 松 俊 樹氏
<コーディネーター> 長岡大学産業経営学部教授
宝 寄 浩 一
19
特
集
Ⅱ
基 調 講 演 Ⅰ
会社力とマーケティング
−力強く利益を出し続けるために、マーケティングの重要性と活用−
株式会社ニコン・エシロール 代表取締役社長兼 CEO
長谷川 和廣
あるのかということを説明してまいりたいと思います。
はじめに
1 マーケティングの歴史−会社力が
鍵!−
ただいまご紹介いただきましたニコン・エシロール
の長谷川でございます。去年1年間、ご当地の地震を
含め全世界で、本当にいろいろな天然の災害がござい
本日お話しする内容ですが、4つのテーマをもとに
ました。ご当地ではそのような状況の下で、いろんな
進めてまいります。まず、マーケティングの歴史につ
形で頑張っていらっしゃることに敬意を表させていた
いて、2番目はマーケティング力の鍵は何か。3番目
だきたいと思います。
は、実は会社というのは力のかたまりのようなわけで
すけども、その中でマーケティングというのが非常に
実は私、学校を卒業しましてから今日までの43年間、
主に企業の再生、再建という仕事をしてきました。今
重要なポイントだと思います。そのマーケティングと
日ここにお呼びいただいた大きな理由はその経験から
いうのをどう強化していくのか。そして、最後に最近
学んだ事柄が皆様のお役に立つのではないかとの主催
起こっていることの中で皆様方にご参考になるような
者の意図だと推察します。企業の再生、再建はかなり
トピックスをご説明したいと考えております。
機密を要することが多く、従来外に出すべきではない
まず、歴史が、私共に何を教えてくれているのかを
と思っておりました。しかし、その中でいくつか貴重
見てみます。実はマラソンの競技と同じように企業競
な経験をしているものですから、それを少しまとめま
争でも、すこし時間が経ちますと企業の間に企業格差
して皆様のお役に立つことを願って、本を1冊出させ
が起こってきます。
企業の再建・再生として私が関係した会社はた約
ていただきました。
そのような中で、今回皆様方にご興味あるようなお
2400社ぐらいに及びます。その関係した会社を分析し
話が出来るのではないかということで、この講演を引
てみますと、企業格差を起す力は大体500∼600ぐらい
き受けさせていただきました。企業は、先程諸先生か
です。その力を総合して私は、会社力というように名
らお話がありましたけれども、非常に千差万別でござ
づけてみました。
企業間競争に勝って、継続繁栄している会社、又、
います。そういう中で企業が勝ち残っていくにはどう
したらいいだろうかということがいろいろ語られてい
失敗している会社はたくさんあります。成功している
ます。
会社の持っている力、失敗している会社の力、そうい
うものをいろいろ分析しておりますと、衰退するには、
ちょうど今から50年くらい前に、戦争に敗れ、日本
がこれからどう立ち直っていくか、そういうときに新
衰退するなりの理由がありますし、かなりはっきりし
しい経営の手法を日本に導入したらということで、日
た事実が出てまいります。そういうような事をベース
本生産性本部が主体になってアメリカ経営手法の習得
にいたしまして、これから少しご説明させていただき
が実施され、アメリカから経営手法の伝授のミッショ
たいと思います。
ンの来日がありました。実はマーケティングという言
まず、この数字を見ていただきたい。これは、30年
葉がアメリカから日本に渡ってきたことは皆さんご存
ぐらい前と現在の状況を、精密機械と化学品の2つの
知と思います。そこで、これから実務家にとりまして
業界で比べたものです。N、R、C 社とありますが、
マーケティングということがいかに重要な経営手法で
大体、想像できると思います。30年たって、精密機械
20
業界の N 社はほとんど変わらず、 R 社は1.5倍、X 社
先程申し上げましたように、2400社の再生から、会
は4倍になっております。これは、売り上げ、営業利
社の栄枯盛衰は会社力に大きく係わりあいがありま
益でもほぼ同じと考えていただいて結構です。化学品
す。その会社力の中のどの辺が重要なポイントかとい
分野では、L 社はほとんど変わらず、K 社は3倍に伸
うことですが、実は生き残っている会社は、明らかに
びています。
利益を生み出す力、非常に抽象的かもしれませんけど、
これをいろいろ分析してみますと、明らかに、各社
そういう力があります。それからもう1つは環境の変
が持っている数ある会社力の中で、あるものが強化さ
化に対して、「自分の会社を大きく変化させる力」が
れたり、あるものが衰えたりということによって、企
あります。私は、この2つの力がうまく動く、2つの
業間格差が起こっていることがわかってきました。
力をうまく利用する、そういう会社が持っている会社
もう1つ、これは手前味噌になるかも知れませんが、
の力を、超会社力と名づけたわけです。
私は5年前に、今いる合弁会社を作りました。そのと
そのモデルをもうひとつ詳しく見てみます。企業競
きは、2つの会社が一緒になりました。その時の両社
争に生き抜き発展している会社、成功している会社と
の状況ですが、ニコン社の眼鏡事業部は、非常に競争
いうのは、競合者に対して自分の会社を有利に展開す
力が弱くなっていました。もう1つのフランスの会社
ることに優れています。有利に展開する会社力です。
は日本市場に進出を企てていましたが、充分な営業力
ここが重要なポイントになります。
がなかったために目標を達成できないでいました。し
この会社力の構成要素約500∼600を帰納的な方法
かし、両者の裏側には、かなり強い競争力があるのに
で、30にまとめ、10にまとめ、3つにまとめ、1つに
活用されていないという状況でした。ニコン社は、技
まとめて、実は会社力にしたわけです。しかし、会社
術力、品質力にすぐれ、それからもう一方のエシロー
力の裏側には非常に重要なものが控えている。それは
ル社は、価格競争に対応できるコスト競争力に優れて
何かとということですが、自分の会社をいかに有利に
いた。バブルがはじけて、いろんな会社が価格競争を
展開するか、ここが非常に重要なポイントになってき
していたわけでが、エシロール社は、十分勝てるよう
ます。マーケティングという言葉は曖昧模糊としてい
に労賃の低い東南アジア充分な工場が展開されていま
る言葉ですが、それを裏返しして、今のように解釈し
した。この2つの会社が一緒になれば、強みを持ち寄
ますと非常に理解しやすいものになると思います。
もう少し掘り下げてみます。マーケティング的な精
って新しい会社力を発揮することができる、と合弁会
神で武装された会社力の要素が500あるといいました
社の設立になりました。
実は、この合併で次のような好結果を達成すること
が、その500を集約すると、3つの基本力と、それを
ができました。これは私共の片方の親会社がフランス
分解した10の具体力になります。このくらいに集約す
の会社ですので、ゴーンさんの日産の経営結果と比較
ると、実際のビジネスのうえで非常に利用しやすいも
されます。日産の会社の伸びは素晴らしい。実は経営
のの考え方になります。3つの基本力とは、第1に
分析をしますと、私共の会社のほうが少し良いという
「経営の力」、第2に「組織の力」、第3に「生存の力」
ような状況です。会社力をしっかり磨けば業績は回復
となります。その裏側に、分解した10の力があります。
第1の「経営の力」は、明らかに経営者そのもので
する。こういう事実にぶつかったということです。
す。会社を経営していくことです。第2の「組織の力」
2 会社力から超会社力へ
は集約いたしますと、「競争力を作っていく力」とご
理解いただきますと非常にわかりやすいと思います。
事例を振り返ると、折々に働いた会社力と、働かな
組織、社員、それから物の考え方、それからいろいろ
ければならない会社力とかございますが、そのへんは
な物を作るときのものの考え方、それから販売する力
おいおいご説明さしていただきます。数ある会社力の
です。
中で、なにが大切な力なのかということが、これから
ご存知のように、企業で非常に大切なことの1つは、
のテーマになってゆくわけです。そこで、会社力のい
組織力です。それからもう1つは企業は、客観的に分
ろいろな働き具合というものが、どういうふうに係わ
析しきれない不確定な要素があります。そのために会
り合いをもってきているかということをこれから見て
社が危機に陥る場合があります。今回ご当地で起こっ
まいります。
た地震による経営上の問題は計り知れないものがある
21
と推察します。その起こっていることに対してどのよ
第4は、利益を生み出すものの考え方です。今日こ
うに対応するか、そのことが非常に重要なポイントに
こにいらっしゃる方々は殆どが企業なり、組織なりで
なってきます。
非常に重要なお仕事をなさっている方だと思います。
このような考え方を、経営の上で考えるのと考えな
私の調査では、社員が会社に収益をもたらすために、
いのでは、かなり違いがでてくるのではないかと思い
自分はこういう仕事をしているのだと理解して仕事を
ます。どういうことかと申しますと、これから非常に
している会社はかなり少ない。逆にいえば、経営者の
厳しい経営環境が私共に襲ってくるからです。よくグ
方はそういう考え方が出来る人達、利益をどうやった
ローバルソサエティー(国際化社会)と言われますが、
ら生むかということに関心がある社員をいかに作りあ
最近まではあまり、身近ではなかった。しかし、グロ
げるか、というのが経営者の役割だと思っております。
ーバルソサエイティーは、私共の日々の生活に大きく
第5に、しがらみを断ち切ることです。会社が変化
する力が非常に大切だというお話しましたが、その変
関係してきている。
5年、10年前までは眼鏡レンズは、国内で年間3400
化をするためには、しがらみを断ち切らなければなり
万枚ぐらい作られていた。それが、この5年間ぐらい
ません。これをやらない限り企業というのは変化する
の間に、中国、韓国からの輸入がすでにその3分の1、
ことができません。例えば、松下電器に中村さんとい
1000万枚になっています。日本のレンズを作っている
う社長が出てきて、松下幸之助翁が、「これは私が死
メーカーからみますと、会社の経営に及ぼす影響は計
んだ後も非常に重要なことなんですよ」といった事業
り知れないものがあります。そういう環境下で、自社
部制を打ち破って新しい会社に仕上げていった。3∼
の会社力をどのように変化させなければならないか、
4年前までは大赤字であった会社がすばらしい会社に
経営課題が山積しています。その環境を乗り切るため
変わった。しかも、まだ途中で止めないで、一歩踏み
にどういうふうに私共が力を付けていくのか、非常に
込んで、約4000人のリストラを発表しています。リス
重要なポイントになると思います。
トラがいいとは思いませんが、しかし、そういう執着
心を持って過去を断ち切ってものを進めて行く、これ
3 グローバル市場下で生き抜く会社
−その特徴と条件−
が非常に重要だと思います。このへんのところが会社
では、この環境下で生き抜いている会社はどんな特
4 マーケティングとは何か−企業競
争に勝ち抜く方法−
が生き抜く秘訣だと私は考えています。
徴を持っているのでしょうか。
まず第1に、会社のトップが非常に明確な具体的な
方針をもっています。経営者の方は皆持っているとお
今申し上げたことは、会社が生き抜くために、総合
っしゃるかもしれませんが、もう1度ご自分の会社を
力である会社力の中の部分的な力を強めていくという
振り返ってみてください。必ず、何か気づかれるはず
ことになります。その中で非常に重要なマーケティン
です。これについては、かなりの会社で私いろんなこ
グの力をどのように強化していったらいいか、次に説
とでやりまして、有効であるということが実証されて
明したいと思います。
います。
まず最初に、マーケティングは何かというところか
2番目は、他社に負けない武器、得意分野を充実す
ら始めましょう。どこの本屋さんに行きましても、ビ
ることです。当たり前なことではありますが、これを
ジネス書の3分の1はマーケティングの本で棚が埋ま
どうするかという努力が大切ですね。「ユニクロ」の
っていると思います。しかし、マーケティングとはど
ファーストリテーリングという会社がありますが、柳
ういうことだと具体的に説明している本はかなり少な
井さんが今の形まで作り上げたんですが、最初のモデ
い。実務家としては自分自身が理解する、マーケティ
ルと今のモデルとはかなり違ってきております。後程、
ングの概念をしっかり持つことが大切です。私がマー
時間がありましたら説明したいと思います。
ケティングにいきあたったのは、日本生産性本部がア
第3に、経営資源の利用の仕方です。この経営資源
メリカからミッションを受けいれて行ったゼミナール
は実はやはり戦略的に考えなければならないと思って
でして、初めて、日本では「マーケティングというの
おります。
はどういうことだ」と伝えられた。
22
非常に原始的な考え方ですが、マーケティングとは、
それから消費者志向を体得した戦略を理解する人材、
企業競争に勝ち生き抜くために生まれた手法である
これはなかなか難しいことなんですが、1人のマーケ
と、言えます。日本にだってそういう考え方はたくさ
ティングマンですね。企業者、本当の意味で企業が市
んある。大阪の商人のど根性というのは、みんなそこ
場で勝ち抜く競争力を作る戦略家です。これを作り上
から生まれているわけです。ですから何もマーケティ
げるということは並大抵のことではありません。ふた
ングという言葉を金科玉条のようにする必要は毛頭な
つの要素がありまして、ひとつはそういう「ケーバブ
い。自分自身がお考えになるマーケティングが必要だ
ルな」というんですが、しっかりした資質を持った人、
と思います。
そういう資質を持った人にしっかりした専門的な教育
その中味ですが、競争者と比較して、消費者や顧客
すること。それが非常に重要になります。
の皆さんに満足される、優位な差別化をする、こうい
第3に、マーケティングを実際に自分の事業で実行
うふうに考えると気が楽になります。また、もう一歩
するためには、マーケティングを実行するマネージメ
進んで具体的に自分は何をすれば良いか、自分の企業
ント、これが必要になる。マネージメントの内容は、
が何をすればいいか、ということがおわかりいただけ
調査と計画、実行、ここのところが非常に重要になっ
ると思います。そのために、誰よりも市場を知るとい
てまいります。
う企業活動をして競争を勝利に導く。それがベースに
第4に、マーケティングを強化するための具体的な
なる。私は、実務家ですし、企業をなんとか生き長ら
戦略です。
えさせるが職業でございます。マーケティング的な考
もっとたくさんあると思いますが、この4つを皆様
え方というのをこういうふうに解釈しています。
はご記憶ください。皆様方の組織でご活用いただきま
すと非常にお役にたてると思います。第1の点は、競
5 マーケティングを実践する−4つ
の柱−
争ですから優位な差別化が非常に重要になるわけで
す。他社とは異なる製品や、サービス、非常に簡単な
言葉ですけども、これがあれば必ず勝てるはずです。
これは私が作った言葉ですが、私は、マーケティン
今は他社と異なるということなんですが、業界を見渡
グ的な考え方というのは、企業が短期、中期、長期に
しまして、他の業界から自分の業界に入ってくること
渡って、市場での地位(シェア)、利益を最適化する
がある。そのへんも気を付ることが大切ですね。それ
すべての事業活動をマーケティング的なものの考え
から価格です。これはもう時代を問わず非常に重要な
方、と定義しております。企業活動はすべてにわたっ
戦略ですね。価格というのは、裏側にコストがありま
てマーケティング的なものの考え方によって進められ、
して、この2つの価格とコストの割合を間違いますと、
そして企業を永続させていく。こういうように考えて、
収益性に大きな影響がございますのでお気を付けにな
マーケティングを実行するときに使っております。
っていただきたいと思います。市場関係や新製品を出
次にどういうことを考えなければならないか。マー
すとか、新しい事業に出るとかになりますと、集中と
ケティングのため、マーケティング志向の事業を推進
隙間作戦が必要です。その特定市場で勝負するのか、
するためにはどうしたらいいのかということがある。
細分化された市場のどこに自分達の隙間があるのかを
これは決して特殊な言葉ではありません。皆様方にも
見つける。今申し上げた4つと皆様方の会社のいろん
う1度ご記憶を新しくしていただきたいために申し上
な疑問、これをマトリックスの表として作り上げます
げます。
と、皆様方の、地域の差別化にお役にたつと思います。
まず、消費者志向の経営をする。もし違うところが
6 マーケティングの重要ポイント
あるとすれば、そういう経営を理解する経営者かリー
ダーがいなければならない。これは結構、なかなか難
今申し上げましたマーケティング・マネージメント
しいことでございまして、このへんが非常に大きな問
は非常に大切なことです。その中の重要なポイントは、
題になります。
次は、消費者志向の組織ですね。今、 CS とか言わ
組織ですね。この組織は10社ぐらいに適用してまいり
れていますが、これは昔からお客様を満足させるとい
まして、非常にうまくいっておりますので、皆様方に
うのは、日本の商業の基本中の基本になるわけです。
お薦めいたします。業種により、又は製造業なのか、
23
それから販売業なのか、両方合わせた会社か、いろい
させる。最終的に利益を作ることですね。
ろあると思います。ですが、大体会社というのは、6
それから収入は自分の努力の結果であることを理解
つの組織に分かれます。基本的にマーケティングマネ
させる。よく私が再生会社にいきますと、給料は天か
ージメントを実行しようと思いましたら機能組織にす
ら降ってくると、ほとんどのところがそういうふうに
ることが非常に重要です。
考えています。それを変えるわけですので。私が最初
それからもうひとつ重要なことですが、この6つの
に再生会社に行ってやることは、人間の再生です。要
機能に対してもう1つ非常に重要な機能があります。
領や人当たりがいいということで収入は増えない。精
これはブランド・マネージメントとかビジネスユニッ
一杯の仕事の取り組みは会社や個人の成功をもたらし
ト・マネージメントとかある意味での事業部制とか、
ます。他方で、もうひとつの大切なことがあります。
です。事業部制は悪いわけではない。いろいろな弊害
皆様方の会社でおやりになっていると思いますが、信
はありますが。縦の機能に対して横の機能、これが非
賞必罰です。誉めるときは心の底から、叱るときは徹
常に重要になります。この横の機能というのはふたつ
底的に、社員の過信を率直に指摘するということがリ
の重要なポイントがあります。ひとつは会社を動かす、
ーダーには大切なことだと思います。
計画を作る機能、もうひとつはその結果を十分責任を
7 市場をつかむ超会社力を!
持って進めるために、個々の人達に利益の責任を持た
せることです。先程申しましたように、マーケティン
グは市場でシェアをとる、利益を最大にする、最適化
先程ユニクロの話をしましたので、最後に、ご理解
する、そういうことですので、それを考えた人が会社
いただけるようにお話ししたいと思います。ユニクロ
にいなければならんということですね。大きな会社で
のマーケティングがなぜ成功したのか。非常に価格が
は、中小企業の社長様の考え方と同じ人がここに座る
安い製品を、品質の面では通常売れている物と同等か
ということです。また、中小企業の方でしたら、ここ
それ以上のもの、しかもそれを継続して供給できるよ
に社長さんなり腹心である人を座らせれば機能は非常
うなモデルを作り上げた。その生産基地を中国に作っ
にうまくいきます。
た。これが第1期ですね。なぜユニクロが低価格で成
マーケティング・マネージメントの方法ですが、経
功したかということですが、実はバブルがはじけて世
営幹部がマネージメントを理解することが重要です。
間全体がデフレの状況ですね。低価格傾向のマーケッ
今、私が申し上げましたようなことでございますけれ
トになった。スピードよりもそれにまさる低価格が出
ど、少なくともそこのところを理解して実行していか
せるようなモデルを作った、これが第1期の成功のも
なければいけない。また、有機的な組織運営をするこ
とです。第2期ですが、低価格ではもう駄目になった
と。これは当り前なことです。それからマーケティン
のではないかと考え、世界進出という新しいコンセプ
グ担当者は深く広い知識を持つということですね。マ
トを作り上げました。価格は決して安くはない。それ
ーケティング担当者というのはかなりの調整能力を必
を達成するものの考え方として世界進出という考え方
要です。調整能力、このへんが味噌になります。
を導入してございます。
そのためには、社員を育てるときの経営者、リーダ
先日の新聞発表で、カルフールが日本から撤退する
ーのための知識が必要です。マーケティングを実行し
ということを決めたようです。その決めた理由は、日
ている会社、マーケティングをやっている会社には違
本の消費者の好みやニーズを十分把握できなかったと
いがあります。やっていない会社では、一部の人だけ
いう。実は把握はしているのですね。把握はしている
で、ほかの人は遊んで歩いているというようなところ
のですけれども自分達の従来の成功体験を日本に押し
がたくさんあるわけですが、実はやる気のある社員で
つけた。これが失敗の原因だと思います。ウォルマー
溢れているようにしなければなりません。そのために
トも同じですね。西友を買い取ってやり始めましたけ
は何をするか。理論武装が必要であることを会社とし
れども、アメリカのビジネスモデルを日本に導入して
て納得させることですね。それから何をすべきかとい
きたため、うまくいっていない。そう思います。
うことを納得させることです。自分で仕事を作り出せ
皆様方ひとつひとつの会社には、ご本社自身の会社
るという認識を持たせること、自営業者の感覚を持た
の力ございます。その力を超会社力というところまで
せること。自営業者の感覚とは何かということを理解
昇華させる、強める、そのときの武器はマーケティン
24
グ力である。では、そのために自分の会社はどうすべ
<講師略歴>
きかということをここでご検討いただきますと、より
長谷川 和廣(はせがわ かずひろ)
よいこれからご経験が出来るのではないかと思います。
もういくつか例がございます。私共の業界内でのい
1939年千葉県佐倉市生まれ。十条キンバリー、
わゆる業態の変化です。メガネのチェーンで「パリミ
ゼネラルフーズ、ジョンソン等でマーケティング、
キ」というお店を皆さんご存知と思います。このパリ
プロダクトマネジメントを担当。ケロッグジャパ
ミキというお店は従来パリミキという名前でやってお
ン、バイエルジャパンなど食品・化学品を中心と
ったわけですけども、東京のほうにすでに業態を変え
した外資系企業で代表取締役社長を含めた要職を
まして、名前もパリミキと呼ばないお店が出始めてき
歴任。93年会社力研究所を設立。95年バリラック
ております。また、小田原にある「メガネスーパー」
スジャパンの代表取締役に就任。03年㈱ニコン・
というところですが、こちらも同じように新しいお店
エシロール代表取締役社長兼 CEO に就任、現在
の名前でブランド志向の強い女性に向けた。それから
に至る。著書 超・会社力(04年)
テナント関係でいきますと、テナント内でも専門性を
どう変えていくかなどもあります。
マーケティング的にモノを考える。市場をしっかり
見据えて他社に負けないものの考え方を作り上げてい
く。そういうことを考えますと市場には常に行き詰ま
ることはないものの考え方があるというふうに思います。
実は私は手前味噌になりますけど、この合弁会社を
作りまして、この5年間で新製品を25点市場に出して
おります。メガネの業界というのはもうこれ以上何か
新しい物が出てくるか、出てこないかという状況です。
皆様方お掛けになっているメガネも、レンズはプラス
チックでできていて、表面にはだいたい25層ぐらいの
膜が掛かっています。この膜ひとつひとつが実はいろ
いろなテクノロジーの固まりです。このプラスチック
も、今この市場では1.5、1.6、1.70、1.74という屈折率
によってレンズの重さ、厚さが変わります。まだまだ
いろいろな組合せをすると、いろいろな製品が出来る。
それからもうひとつ、市場のセグメンテーションとい
う言葉があります。今後本当に限られたお客様を相手
に商売していくということを考えますと、まだまだい
ろいろな可能性がある。また、ご当地と東京のこの2
時間という時間差ですね、時間差の中にどういう可能
性があるか、マーケティング的なものを考えますと、
まだまだたくさんあると思いますね。そういうふうな
ことを余談にいたしまして、終わりにしたいと思いま
す。貴重なお時間有難うございました。
25
基 調 講 演 Ⅱ
商品力とマーケティング−
消費者動向の把握
ハウス食品㈱マーケティング本部業務推進部 開発企画課主席 岡本 慶一郎
はじめに
ハウス食品の岡本です。よろしくお願いします。
私はハウス食品でマーケティングリサーチセクションに所属しております。今日は最近取り組んできた調査を中
心に話しを進めていきたいと思います。我が社のマーケティングリサーチの調査エリアは、商品の需要の40%前後
が首都圏であること、そこの消費者が消費の先行性があるということから、大半の調査は首都圏で実施しています。
今日お話することは首都圏の消費者がどうなっているかというお話になるかと思います。首都圏市場を視野に入れ
ておられる皆様の参考になればと思っています。
1 時代認識(戦後からの3つの時代)
まず、「時代認識」についてお話します。今日の消費者を理解しようとするとき、その人達が育った時代背景を理
解することで、
「変化しつつある消費者」が理解しやすくなると考えています。
今日、我々が生活している消費社会が成立するようになるまでの時代を3つの時代に分けて考えています。(表1
参照)
スタートは昭和20年です。スタートを昭和20年に置くのは、終戦のときの日本の生産力とは明治維新以前になり、
江戸時代末期レベルに一瞬なっています。昭和20年にエンゲル係数は64%です。東京でも1日に一人、二人と餓死
する方がでたというふうに聞いております。ゼロからのスタートということに近かったとおもいます。そこから約
10年間たつと国民総生産が戦前を越え戦後復興がすんだよ、というふうに言われるようになります。これが第1期
です。
昭和33年頃になるとインスタントラーメンが登場します、前の年にダイエーができています。インスタント食品
ブームというのも昭和35年前後に起こってきて、インスタントコーヒーとかできて、今の暮しの中でわりと主流を
占めるものがこのあたりから始まっています。これが15年間ぐらい続きます。これが高度成長期と言われます、こ
れが第2期になります。
私は丁度団塊の世代といわれる世代で青春時代をこの時代に過ごしています。この頃にはエンゲル係数は30%ぐ
らいになります。日本人の90%が自分は中流だと思うようになっています。高度成長は実際は1975年あたりに実は
終っていますが、バブルまではなんとなく成長が続いたものですから、成熟期になった実感のようなものは食品業
界にいた自分はあまり感じませんでした。しかし、1975年頃にゼロサム時代とかゼロサム市場とか、差別化の時代
だとか、市場が「成熟した時代」にすでに入っていたことの議論が盛んにされていました。バブルがはじけてみる
と、突然、あ、そうなんだゼロサム時代なんだ、成熟した時代なんだとしみじみと感じながら10年過ぎました。こ
の大衆消費社会というのが成立して成熟してしまったのが今が第3期ということになります。
最初にこの説明をさせていただくのは、私どもがお客様の暮らしを理解しようとするとき、今日の実態の分析や、
瞬間的な行動分析だけでは不十分で、こうした変化の激しい大衆消費社会の成立していく各段階をどのように人が
26
過ごしてきたかということと、今日のお客様の意識や行動が密接に関係しているということが前提になると考えて
いるからです。
表1 時代の認識(3つの時代)
1925
1935
1945
1950
1955
昭和元年
昭10
昭20 終戦
昭30
0からのスタート 明治以前の暮らし
エンゲル係数60%強
復興期
国民総生産が戦前を越える
大衆消費社会化
1960
昭35
1965
昭40
1970
昭45
アメリカナイズ化
伝統崩壊
の
ライン
高度経済成長(10年間で平均10%近い経済成長)
人口の都市流入
郊外の発展
世界代二位の経済 エンゲル係数30%
90%が中流
高 度 成 長
消費者意識の高まり
スーパー台頭
オイルショック 高度成長から安定成長へ
消費社会の成熟
1975
都市化
戦後復興期
多様化
の
ライン
昭50
市場の成熟
ゼロサム市場
差別化
1980
消費者の多様化
1985
1990
1995
2000
昭60
平2
バブル景気
その後の不況
新製品の多発
CVS台頭
国際化
大衆消費社会成熟期
平12
終戦をゼロとしてスタートし、復興期までの期間、大衆消費社会の開始と高度成長期の期間、その
後の確立した消費社会以降の期間の3つに区分できる。
27
2 人口の都市流入とその痕跡
次の図1のグラフですが、人口の都市流入の話です。
東京圏(東京、神奈川、埼玉、千葉)の転入超過者グラフです。昭和28年から昭和45年位までに、東京圏には毎
年30万人前後の人たちが地方から流入しています。地方と都会の格差が非常に大きく人口の都市流入がこの時代に
集中的に起こっています。首都圏に住んでいる人の500万人ぐらいはこの時代に流入した層と考えられます。
図1 人口の都市流入
次のグラフ(図2)は去年のハウス食品が首都圏で調査を実施したときのデータです。首都圏在住の主婦の出身
地を聞いたものです。世代別にみていくと若い世代96%が首都圏生まれです。団塊の世代、1番下の世代、モーレ
ツ世代は、実は半分ぐらいが首都圏以外からの出身です。50年ぐらい前の首都圏というのはおそらくちょっと郊外
にいけばローカルだったと考えますと、実は東京の主婦は、若い方は殆どが首都圏生れで、年寄りの過半数は地方
育ちというようなのがまだ痕跡として残っています。
首都圏の主婦を理解しようとするとき、年齢別で考えることは、出身地別を考えることも大きく関係してそうと
いうことが、このことからも推測できます。特に、食を考えるときは重要と考えています。
図2 世代別に見た首都圏在住の主婦の出身地
世代別出身地構成(問26)
35
65
全体
21
79
団塊JR世代
26
74
ばなな世代
30
70
ハナコ世代
42
59
すきま世代
団塊世代
4
96
プリクラ世代
モーレツ世代
N=800
55
45
44
56
首都圏以外
首都圏
28
3 世代の形成
状況の変化が人の暮らしや意識を変えます、人の意識や変化が状況を変えます。市場も同様に戦後の時代の大変
化の中で、暮らしぶりや考え方を変化させ、それがまた市場を変化させて北のではないかと思います。特に食生活
は生活の中心であるだけに、強く感じます。
今、3つのことをいいました。先に戦後の時代が3つに区分できるといいましたがその時代に合わせて、人がど
の時代に育ったかということが人の消費行動というか、暮し方、生活意識、考え方全部影響及ぼしているだろうと
いうこと考え、その関係を表にしてみました。
表2 世代の形成
1925
1935
1945
1950
1955
大衆消費社会成熟期育ち
1960
1965
1970
1975
1980
1985
1990
1995
2000
2005
現在年齢
戦後復興期育ち
70-78
58-69
高度成長期育ち
53-57
45-52
40-44
34-39
29-33
24-28
(2004年)
消費行動の確立する青年期を、3つのどの時代で育ったかで、価値観、家族観、消費態度が違う。今は「世代」
的な特色が大きくでる。
特に、昭和一桁・モーレツ世代と団塊・すきま世代とハナコ世代以降で大きく違う。
1番左が昭和1ケタ世代といわれる世代です。1925年頃に生まれています。10歳ぐらいは子供ですから、もの心
ついてなにか考えだすのが1935年ぐらいからです。というふうに考えると、昭和1ケタ世代というのは、多くは戦
後復興期にいろいろな消費経験を積んだ人達だったということになります。第2番目のモーレツ世代は1935年頃に
生まれています。自我が確立した後の1945年ぐらいからの暮らしが今に影響していると思います。モーレツ世代と
いうのも、戦後復興期から高度成長期育ちだったということになります。
この人達が結婚して家庭を持ち出すのが「高度成長期」です、今の暮らしや食生活で言えば、今のスタイルの主
婦の元祖がこの世代です。地方から都市に流入し、それまでの暮らしとは断絶するような家庭や食生活を始めたの
がこの年代の主婦達です。
団塊世代今58歳位になっています。大半の団塊の世代というのは、高度成長期に消費を覚えています。新しい消
費の時代の最初の人達です。ニューファミリーといわれるようなこれまでにない家庭をつくりはじめた層です。人
数も多いためこの層が常に新しい消費の中心にいました。すきま世代も高度成長期育ちです。
大衆消費社会が成熟した3番目の時代に最初に登場するのがハナコ世代です。今先頭が48歳ぐらいです。雑誌の
ハナコを読み出した層なのでハナコ世代という名がついています。重要なことのひとつに、戦後復興期育ちで都市
29
流入の中心になった昭和一桁世代の子供であり、いわば都市移民Ⅱ世とでもいえる最初の人たちになります。
いろいろなことを調べていくと、ハナコ世代以前とハナコ世代以降では大きく考え方や暮らし方が違ってきます。
どの時代に育ってきたかで先の3つの時代区分で大きくわけられます。1番大きな線は、すきま世代とハナコ世代
の間ですね、ここでいいますとこの世代、ここのところで大きな断層があり、ハナコ世代以下というのがかなり様
相が変わってきています。
今世の中の着目されているマーケットは熟年市場ですが、10年後には年を取ってしまうので、消費からみれば、
次の時代の主人公はハナコ世代になると思います。ハナコ世代というのは、とんねるずの世代になります。花の女
子大生といわれて夜の番組、オールナイトフジという番組が非常に盛んだった時代。彼女達の大学生、女子大生と
いう言葉を作ったこの人達はいつも流行の先をいきます。海外旅行もそうだし、何年か前だんご3兄弟という歌が
流行りましたけど、あれのブームを作ったのもそうです。今はハナコ世代のお母さんがジュニアファッションといっ
て渋谷の109に中学生や小学生低学年向けの高い服をこの買いに行っています。いつも流行を作ってきた世代です。
付け加えると、今後にこのハナコ世代の子供が中学生に入るちょっと手前にきています。、この世代が都市流入層
の孫の世代になります。たぶんそこがまた大きな世代変化の断層になると思います。またそれを裏付けるような話
しも出てきています。
我々は食品会社ですから、以上のような観点から、世代的にどのように食卓が変わっているだろうといろんなこ
とを何年か前から調べています。その話しを、次にいいたします。
4 食卓に見る世代の変化
4−1 お正月の食卓
今お見せするのは3,4年前のお正月の食卓の写真です。お正月のような儀礼的なときとか、晴れの場面になると、
伝統的な意識というのが食卓に表われるだろうということで調べたものです。セゾン総合研究所と一緒にしました
ので、西武沿線沿いの少し豊かなほうの家庭が多いです。
4−1−1 昭和一桁・モーレツ世代の食卓
(写真1)これは今お見せしている写真は68歳夫婦ですね。
先程言った昭和1ケタ時代の世代の食卓です。
長女と二男がいます。これは半分ぐらいは自分で調理した
ものを作っておられて、後は買ってきたものが入っています。
(写真2)同じく昭和1ケタからモーレツ世代に入る世代で
すが、モーレツ世代のお正月の元旦の朝食です。
写真1
今や普通になった買ってきたおせちです。
写真2
写真3
(写真3)その次がやっぱり66歳モーレツ世代、ここは二女しかいません。長女はお嫁にいって少し引退期には
いった家庭ということになりますけど、ここのお正月のやはりおせちをきちんと並んで、どうもおせち
は食べる分だけを容器に盛って食べている様子が見られます。ご飯も赤飯というふうになります。
30
今、戦後復興期を通過してきた世代のお正月の食卓は、「形」として伝統的な正月の食卓のスタイルをとっていま
す。デパートなどのおせちを購入しているので、昔からの自分家庭で作っていた伝統的なおせちを作っているとは
思えないのですが、「形」は伝統的です。
4−1−2 団塊世代の食卓
(写真4)Eさん31歳が、お正月の元旦の朝食を団塊世代
の実家に食べに出かけたときの物です。
従って、団塊世代の食卓です。
朝食はこうなります。かろうじて右の写真にか
まぼこと伊達巻きがあってお雑煮がありますの
写真4
で、そこがお正月かなあという食卓です。
(写真5)では31歳のEさんはというと、その日家に帰っ
て夕食で、これが元旦の夕食です。
元旦から普通の食事です。お正月らしさはあま
り感じません。
お雑煮ではなくごはん、お酒ではなくビール、
形式的なお正月らしい雰囲気はみられません。
写真5
(写真6)30歳になるとこうなります。Bさんです。
もう少し若い世代になります。世代は団塊ジュ
ニアになります。これも盛りつけが上手とは言
えませんが、ちょっとおしゃれなグラスに日本
酒を入れて、寝起きの昼食ですから、朝食兼用
ですけれど。お正月のお酒がついている、自分
の好きな肉系と好きな料理が入っていて、おせ
写真6
ちとは言いにくいけれど、お正月とも言えない
こともない。
(写真7)は、Bさんのその日(元旦)の夕食です。
お正月なのでワインが出ています。若い人の暮
らしではピザとワインでお正月は不思議ではな
いようです。
写真7
こうみると、伝統が表に出てくるお正月の食卓でさえ、高齢の世帯でも「おせち」はでるが買うものになりつつ
あり、団塊の世代で形が崩れだし、若い世代では特別な食卓になるが、ではあるが伝統的でない食卓になっていっ
ています。そうすると、日常の変化はさら変化していると考えられます。
5 メニューの変化からメニュー分析を(食の構造的変化の様相)
マーケティングリサーチサービスというメニューの調査を20年以上している大きな調査会社があります。そこの
データの10年分入手して分析してみました。そこで世代を昭和一ケタからプリクラまで並べてみています。その結
果のごく一部を紹介します。
31
(表3)は、さしみの世代別食卓登場別頻度です。食卓に100世帯当たり月にどのくらい出てきたかというのをグ
ラフにしています。
表3 刺身の世代別食卓登場頻度
250
200
150
100
50
0
全
体
昭
和
一
桁
モ
ー
レ
ツ
団
塊
世
代
ハ
ナ
コ
す
き
ま
ば
な
な
団
塊
ジ
ュ
ニ
ア
プ
リ
ク
ラ
(93−94) (96−97) (98−99) (00−01) (02−03)
各世代毎の5本の棒グラフは、2年毎の5回分の調査結果を現します。例えば全体で見ると、刺身はわずかです
が検証トレンドにあります。
それより、世代間の食卓登場頻度に注目してください。昭和1ケタ、モーレツ団塊世代は、1ヵ月100世代で大体
150回(赤線の部分)ぐらいさしみが食卓に登場しています。すきま世代は移行期に入るので、それを除いて、その
下の先程いった消費が成熟した時代に育ったハナコ以下を見ていただくと50回ぐらい(赤線の部分)です。ですか
ら1/3です。さしみを食べる率は年寄りの1/3になっています。もちろん子供が小さいとか、別の理由もあるの
で、このままそれが世代的な理由が原因だとはいうふうには断言できないけれども、大きな差がでています。
(表4)これは赤飯です。これは年齢別でみていますが、右上がりということは、赤飯は年齢が高い世帯ほど食
べている世代間で差のある食べ物です。それから年代の中では右下がりになっています。どんどん赤飯を食べなく
なっています。赤飯は、各世代でも食べなくなり、特に若い層が食べなくなっている、という意味で家庭から消え
てゆきそうなメニューです。
表4 赤飯の世代別食卓登場頻度
50
45
40
35
30
25
20
15
10
5
0
全体
20代
30代
40代
50代
(93−94) (96−97) (98−99) (00−01) (02−03)
32
60代
(表5)もっと気になったことはご飯の動きです。ご飯は表側の数字を見ていただくとわかるように100世帯あた
り1ヶ月間2500回食卓登場しています。食卓登場頻度ですから1日2,3回でてくるということで高い数字です。従
って、グラフはなだらかに見えますけれども、かなり影響ある動きではあります。全体で見ていただいたらわかる
ように下降トレンドです。40代、50代、60代、だいたい2000のところのラインのところにきています。20代、30代
はざっと言ってしまえば1500です。要するにお米の食べ方が25%違うんです。
量でなく登場頻度ですけれど25%違うということは食卓に構造的に変化が起きているように思います。それも
先に述べた40歳代のハナコ世代あたりを境としてです。
表5 ごはんの年齢階層別の食卓登場頻度トレンド
2500
2000
1500
1000
500
0
全体
20代
30代
40代
50代
60代
(93−94) (96−97) (98−99) (00−01) (02−03)
6 食卓メニュー継承の断絶
600メニューぐらいを整理して、減っているメニューをリストアップしたものです。赤飯、漬物、魚料理、野菜料理、
要するに出てくるのは全部「和」です。数十年前家庭の食卓で定番だったメニューは軒並み減少し、若い層に伝わっ
ていない。原因か結果かわかりませんが、ご飯の減少と「和」メニューの減少は年齢や世代の変化として現れています。
和風メニューのなかでも、数十年前定番であったようなメニューは軒並み「年寄り」のメニューになり若い層に
伝わっていない
赤飯
にぎり寿 司
ちらし 寿司
お汁粉
草餅 焼 き 餅
か けう どん
か け も りそ ば
魚介 す ま し 汁
みそ漬け
わ さ び漬 け
なめ 味 噌
ピーナッツみ そ
とろろこんぶ
肉水 炊 き
や まか け
魚生 あ え も の
魚介 煮 物
魚 すの も の
魚の 蒸 し も の
魚南 蛮 漬 け
魚介 油 漬 け
おか き
か りんと う
もち菓 子
甘納豆
その 他 和 菓 子
野 菜 ク リーム 煮
水炊き
魚 練 製品料 理
野 菜 の オ イ ル焼 き
野 菜 料理 そ の他 塩 も み
野 菜 料理 そ の他 あ え も の
野 菜 そ の 他蒸 し 物
野 菜 料理 そ の他 炒 め 煮
み つまめ ・ あ んみ つ
水ようかん
33
湯豆 腐
豆 腐 と野 菜 の 煮 物
あ え もの
ご ま豆腐 そ の 他
油揚・ 厚 揚料 理
高野 豆 腐の 煮 物
野菜 天 ぷ ら
佃煮
野菜 と 魚の 天 ぷ ら
甘酒
びわ
パ パ イヤ
くり
7 都市移民Ⅱ世の時代
私は、都市移民Ⅰ世の時代から都市移民Ⅱ世の時代になっているふうに表現しています。例えば、ブラジルなら
ブラジルに移民したⅠ世は、現地で日本語で暮して片言の現地語で買物する。Ⅰ世の人々は移動しても日本文化を
捨てない。次に現地で生まれたⅡ世は、家では日本語で外では現地語でしゃべる。両方しゃべる。Ⅲ世になると現
地語でしゃべり日本語は片言になる。3世代かけて文化や伝統習慣が入れ替わる。
それと同じように、昭和30年代から昭和40年代中頃までに都市に流入した人々は、意識としては育った地方時代
の捨てきれずに、形として地方の食文化を断ち切り新しい文化を取り入れ、団地に住んでハウスのカレーを取り入
れて都会暮らしをはじめたのではないでしょうか。その子供、移民Ⅱ世、都会生まれの子どもは家では、家の風習
に合わせていますけど外ではもうすっかり都会暮らしというふうになります。要するに、実は日本語をしゃべって
るので移民とか移民Ⅱ世とかいわないんですけれども、実は感覚的には、かなり親と文化が違う人間が混在してい
るのが今ではないかと思います。そのうちハナコ世代(48歳)以下が主婦全体の主流を占めてきています。これま
での食卓の常識は50代以上の常識で、全く違う価値を持った主婦が登場しているのではないでしょうか。これから
は都市移民Ⅱ世の、Ⅲ世の時代になってきている、と感じます。それがメニュー変化にも現れているのでは無いか
と思っています。
8 典型的な都市移民Ⅱ世の家の食卓
そこで、都市移民Ⅱ世の食卓を何件か1週間の食卓実態を調べてみました。そのうちの1例だけを紹介します。
この世帯は主婦年齢が30代後半で同じ年齢の夫、自分も勤め人ています。子供は10歳、4歳、親はわりと近居です。
東京都の区部のマンションに住んでいます。埼玉にいる両親は地方から都会流入層です。
1月28日朝(写真8)
ロールパンを切ってきゅうりポンと入れて、あとマヨ
ネーズを挟んでロールサンド、プリンをカップのまま
出して、あとコーヒーです。
ロールパンに具を挟んだので手をかけた、右上にニコ
ニコマークが書いてありますけど、上手に出来た食事。
お昼はなぜかこの日は食べなかったようです。
写真8
夕食です。
(写真9)夕食はカレーとサシミです。
それから冷凍の枝豆ですね。キムチの漬物、きゅうり
の漬物です。それから総菜屋さんで買ってきた煮物で
す。作ったのはハウスのカレーだけです。
子供がカレーを食べて、お父さんとお母さんはサシミ
と枝豆とキムチでお酒を飲むんですね。カレーなども
時々つまみます。全員満足したので、良く出来たといっ
写真9
ています。ニコニコマークがついている。
1月29日土曜日(写真10)
マンションの階下がコンビニなので、朝、子供に買物
にいかせたパンとヨーグルトとコーヒーで朝食。
サラダ代わりのバナナ?
写真10
34
お昼です。(写真11)土曜日休みのお昼です。
総菜屋さんのコロッケです。同じで総菜屋さんで買って
きた赤飯です。で、お父さんに悪いかなというんでお皿
に移してプチトマトを乗せた。
その日の夕方です。(写真12)総菜屋で買ってきたさつ
まいも。
作ったのはブリの照り焼き。白焼きして、いつも焼き鳥
写真11
を買うのでタレがあまっていて、そのタレをかけてブリ
の照り焼きです。おいしかったです。この日もマルです。
1月30日です(写真13)
。
日曜日は日曜日で食事は作らない。それが私の主義です。
それでも朝、ピザトースト、お昼はコンビニの弁当です。
夜は、4歳のお嬢さんがいなり寿司が食べたいというの
写真12
でいなり寿司を買っています。
息子が食べたいといったので冷凍のたこやきと、冷凍の
ハンバーグををチンしました。手をかけたのは付け合わ
せのサラダのみ。お父さんお母さん達は、たこやきがビー
ルにあうんで夕食のたこ焼きは歓迎です。
誰もが不満のないメニューです。ですからたこやきを食
べながら団欒しているというふうになってます。
写真13
1月31日月曜日です。
朝はクリーム菓子パンをポンとだした。お父さんに悪いのでインスタントのコーンスープをちょっと付けました。
お昼は、スパゲッティでソースと麺がセットになっている常温のレトルト入りのものを温めて食べました。
夜はこの日はわりと頑張って作りました。
(写真14)
下のコンビニに息子を買いにいかせてお豆腐を買ってきて
温めた、コンブも何も入れてないんですけど湯豆腐です。
それから、かぼちゃの煮物、それからお肉を焼いており
ます。スライサーでシュシュしたキャベツ、それから干
物を焼いた。肉も魚も揃っているのでこの日はニコニコ
写真14
マークです。
というような。少し過激な例といえば例なんですけど。何世帯か調査しましたがだいたい似たり寄ったりです。こ
れが首都圏の先程いった都市Ⅱ世の食卓です。
荒れてると思わないでください。子供が大好きな物を用意していますから子供は楽しそうです。残すようなモノ
は食べさせない、好きなモノだけ食べさせます。それから旦那さんと一緒に飲んでいます。この家庭の食卓はすご
く明るく楽しい食卓のようです。メニューは作らないで惣菜を利用すれば、居酒屋でみんなで好きな物を注文した
と同じように、食卓にメニューが並びます。
消費の成熟時代の家庭料理の世界というのは「作るというのは意味がなくなって選ぶ」時代になっているのでは
ないでしょうか。「作る」から「選ぶ」になると、主婦の役割も考え方もかなり変わってきます。
35
9 「料理をつくる」から「料理を選ぶ」への役割変化
家庭料理を作る価値が、「作る愛情(手をかける愛情)」「合理性(たくさん作り、みんなで同じものを食べる経済
性、時間的合理性)」「素材を選ぶ技量」「母さんの味(繰り返し同じメニューを食べる、調理技術との関係)」「何が
作れるかの技量や知識、調理ノウハウ」ということから、選ぶ事の価値に変わり、「どこにどんな惣菜があるか」
「どんな味のソースがあるか」「新しい変化を見逃さないか」「同じメニューを続けない、あきさせない」「家族の好
みに合わせた選択ができるか」「食卓の演出力」というような情報力に価値が移ります。「作ってくれた」が愛情で
はなく、「好きなモノを選んでくれた」が愛情になります。モノの問題ではなく、好きなモノを選んだ食卓でのコト
にウエイトがかかってきています。
10 商品開発の4つのレベル(商品力のレベル)
メーカーの商品開発というのは機能的なモノのベネフイット開発から、モノが創出する情報的な価値開発とやモ
ノが一部をになうコトのベネフイット開発になってきていると思います。消費の成熟時代に育った世代はモノを求
めない。モノは手段です。実現しようとする生活そのもの(コト)を求めている。ですからモノづくりとしてのメ
ーカーの有り方が問われていると思います。
その商品開発については、次のような4つのレベルで考えています。
表6 商品開発の4つのレベル(商品力のレベル)
4つの新製品タイプ
製
品
①革新的技術型新製品レベル
エコナ・ヘルシア
②新価値型新製品レベル
黒豆ココア
③イメージ差別化型新製品レベル
伊右衛門
④価格差別化型新製品レベル
とろけるカレー、アクエアリス、
森の水だより
革新的技術型新製品というのは食品でいうと、エコナとかヘルシアっていうものがでています。これは両方花王
さんですけども、技術的な革新レベルのものですから、競合は何も入れない。ですからかなり強い状況になります。
ここが1番大事。しかし、食品業界で革新的技術がそうそう作れる状況に有るのも事実です。
2番目も同じようなものになります。ただし、新価値、ココアに黒豆の健康要素を少し加える、あるいはそういっ
た新しい価値を加えることで、今まで違った機能を付加するという形で黒豆ココア。これはハウス食品の商品です。
ところが実際にやる仕事は3番の仕事が多いんです。ここで最近注目するのが、伊右衛門ですね。お茶の業界で
もう数百億円売っているかと思いますけども。この伊右衛門のイメージの差別化の狙いが興味をひきます。
例えば、東京から旅行者が新潟の醸造元に買いに来たときに、醸造元の庭の縁側に座らして、お酒の説明をしな
がら、何かしゃれたおつまみで商品のお酒を、東京にはない落ちついた雰囲気で飲んでいただき、あ、日本酒って
こんなふうに飲むのかっていうシーンを実感させた後に、出口でお酒を買っていっていただく。それは「売れるの
を待つ」のではなく「売る」ということだと思います。そのために、使う場面まで仕掛けする。それが「選ぶ時代」
の売り方になるんじゃないかと思います。では、伊右衛門はそうしたかというと、それは大量生産、大量販売の製
品ですのでそうはしていないんですが、こういうコトだと思います。お茶というのは、元来日本人にとって、落ち
ついた所でほっとするために飲むものであった。
それを、缶入りやペットボトル入りのお茶が、ソフトドリ
ンクのようにガーッと飲む気軽な飲料としてお茶の新しい需要をつくりながら広まったのだと思います。そのお茶
36
をもう一回落ちついてじっと座って飲んでみたらどうですかと、いわばお茶の新価値でなくて旧価値新製品みたい
なものをもう1回説得しなおしたのが伊右衛門ではないでしょうか。缶やペットのお茶がで忘れてしまった、本来
のお茶のもたらすコトを、素直に製品に仕立てたら伊右衛門という新製品が生まれたのではないでしょうか。イメ
ージ差別型のありかたのヒントにはなります。
4番目に価格差別化です。これはいろいろな商品カテゴリーで「安売りブランド」があります。今の時代消費者
はそういう、これは安いやつでいいと考えているふしがあります。しかし、景気が回復し、価格を気にしなくなる
ような事態になったとき、安売りブランドには戻らないとだろうと考えています。
11 調査の態度
今の消費市場を言えば、一番目は大衆消費社会が成熟期にはいってお客さんが皆賢くなってずいぶんレベルが高
くなっていることです。二番目はまだ不況が続いていること。三番目は生活者の変化(中心の交代)がかわりつつ
あること、今は熟年だけど10年もすれば若いほうに移る。
そういう環境で今の調査はどうすべきかと考えると、
「N分の1から、1分のNへ」ということを今考えています。
Nというのは調査のサンプル数、対象者あるいは母集団のことと思ってください。
N分の1で市場を見る考え方
N分の1で市場を見る考え方です。Nのサイズの市場の何%がどうなのかを問題にする考え方です。シェアや評
価のボリュームを気にします。100人に聞きました。60%はこれが良いといいました。40%は良くないといいました。
あるいは100人の平均点で100人中何点でしたと平均点で考える考え方です。レベルの高い同様の製品が市場に出回
り、消費者のレベルでも多様化・多層化が起こっているときに(市場が成熟期に入り本当に細分化しだした時に)
「どちらが多い」
「平均で見る」ということは本質を見逃します。
環境 大衆消費社会の成熟期
つづく不況
生活者の変化(中心の交代)
調査の態度
1 N
N 1
市場は、全体からのかけ算 にプラスして 個のたし算 で 見つめ直さないと、これまでの常識や通念では間違える。
1分のNで市場を見る
1分のNというふうになります。これは、こういうふうに実はぼんやり思っていたんです。という問題ではもう
なくなってきている。
これも、今月の初めの頃か先月のでしたか、テレビで見ていましたら、阪神大震災を経験に防災を研究するとい
うことで、被害に遭われた方のケーススタディを時間をかけて集めているは話しがありました。被害にあった思い
出したくないような話しをコト細かく聞くには理由があります。N分の1のデータ、こういう状態で倒れたのが
何%、家が倒れたのは何%、といっても、そのデータは防災の大まかな方向付けは出来るけれど、具体的には役に
立ちにくい。1分のNやらないと被害がゼロを目指せない。原因を一つに特定するのではなく、ああなって、こう
37
いう状態で、こういう状況のときに倒れて、というケースを全部集めて、それで出来ることを考えないと本当の防
災にならないというお話をしているのを見て、同じなんだなあと思いました。
市場が成熟期に入り、企業力あるもの同士で競う状況で、消費者は十分に消費経験を通過した「賢い」消費者で
あり、自分にあった生活に商品を上手く活用する人の要望に応え、本当に喜ばれる商品の開発は、全体の中の多数
の支持する評価の平均の高いものの中にあるのではなく、1分のNで見つめて見る中に、実は売れる実力有る製品
の開発ヒントがあるのではないかと考えています。(もちろん、まずサーベイでの確認作業は当然ですが)
ちょうど時間になったので、ここで終らせていただきます。
<講師略歴>
岡本 慶一郎(おかもと けいいちろう)
1947年愛知県刈谷市生まれ。市場調査代理店を経てハウス食品㈱入社。長年に亘り広範囲な分野で多様な調査
手法を活用。主に消費者の活実態や生活関連品、商品開発に関するマーケティングリサーチを担当。現在、マー
ケティング本部業務推進部開発企画課主席。
38
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