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NO.65 - 平和とくらしを守る北九州市民の会

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NO.65 - 平和とくらしを守る北九州市民の会
門司の環境
2009 年 3 月号・№65
もう少し上の場所で写真を撮っていると、60 代後半くらいの女性が、荒い息を吐きなが
ら坂道を登ってきた。上のほうを指差し、「あそこに住んでいる」と言う。そして、今年に
なって花粉症になったこと、布わらじを仲間と作ってきた帰りだということ、昔は 17∼18
軒あった家が、今は朽ちたり引っ越したりで 4 件ほどしかないこと、関門海峡を見下ろす
この場所かとても美しくて好きだということを話してくれた。(場所は水害公園の上のほう)
○遅くなりましたが去年 10 月の定期総会の報告です・・・・・1∼6
○まちかどウオッチング≪唐人墓≫・・・・・・・・・・・・7∼8
○ミニ学習≪副振動≫・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9
○松ヶ江今昔物語≪幽霊船≫・・・・・・・・・・・・・・・・10
○世話人会報告とインフォメーション・・・・・・・・・・11∼14
○編集後記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・15
発行日・2009 年 3 月 25 日
昨年 10 月に開いた、第 7 回定期総会。大変遅くなりましたが、報告をします。
門司の環境を考える会
第 7 回定期総会
≪報告≫
昨年度の総会は、記念講演を 7 月に松ヶ江市民セ
ンターで、総会を 10 月 18 日に門司生涯学習センタ
ーで開催しました。今頃になって何ですが、総会の
報告をします。なお、記念講演については来月号に
記載します。
2
記念講演
この 1 年を振り返って
■年間テーマは
今年度の年間テーマは、みなさんから
のご意見をもとに、地球温暖化を食い止
めるために、私たち1人1人に何ができ
るかを学び実践する「地球温暖化と私達
にできること」でした。
10 月の「門司の秋を食べよう」では、
地元の採れたて食材に舌鼓を打ちながら、
フードマイレージ(食料の産地が遠けれ
ば遠いほど、運ぶための燃料が増え、自
然環境に大きな負荷を与えます。それを
数値化したもの)の学習や、地産地消の大
切さを実感しました。11 月の「軽子島清
掃と団子汁」では、軽子島に打ち寄せら
れる海のごみを拾ったあと、アツアツの
団子汁を食べながら、なぜごみが捨てら
れるのかを話し合いました。1 月は小倉
のシニアネットさんの事務所にお邪魔し、
ベランダでも気軽にできるダンボールコ
ンポスト「ダンぼっち」の講習を受けま
した。
■テーマから離れた所でも
テーマから離れたところでは、北九州
市の大気汚染の実態を知ろうと、門司・
小倉・戸畑・八幡・若松の住民の皆さんを
訪問し、様々なお話を聞かせていただき
ました。そのなかで、北九州市の大気汚
染は、
「環境問題」というくくりではなく、
北九州市の「公害問題」として認識し、
対応する必要を感じました。
北九州市環境局日明工場の排水から、
基準値の 310 倍というダイオキシン類の
検出問題なども、当局への質問状や話し
3
合いの内容、また、市の対策を、会報で
知らせることができました。
大きな取り組みとしては、環境事業団
地球環境基金や大阪のあおぞら財団のみ
なさんと、昨年の夏から準備を始めた、
九州初の「環境アセスメント講座」があ
げられます。すばらしい講師陣に加え、
地元や他県からの参加者の、それぞれの
得意分野を生かしながらの 3 日間は、た
っぷり環境アセスメントについて学ぶこ
都ができた、貴重な取り組みとなりまし
た。
楽しかった「門司の秋を食べよう」。上は記
念写真。下は自己紹介の様子。
ましたので、この間世話人会で、メリッ
ト・デメリットについて、何度か話しあ
ってきました。「事務手続きが若干面倒。
また、それを上回るだけのメリットをあ
まり感じない」というのが現在の世話人
会の認識です。この問題については、い
ずれ別途資料などをそろえ、会報などで、
報告と確認を行いたいと思っています。
めだたないところでは、世話人会での
ミニ学習があります。世話人会として、
少しでも環境に対する知識や認識を「高
めよう、共有しよう」ということで、毎
月 30 分くらいの学習を積み重ねてきま
した。また、その内容は会報に掲載しま
した。
毎年課題に上がる「ホームページの開
設」は、今回も準備段階で終わってしま
いました。
「世話人会内のデーター・役割
の共有化」も一歩踏み出したという所で
すので、新年度はさらに進めて行きたい
と思います。
また、この取り組みの中で、都市計画
道路 6 号線が、曽根干潟のすぐ側を通り、
干潟への悪影響が懸念される計画である
ことを知り、環境アセスメントの方法書
に対する意見書を北九州市に提出しまし
た。私たちは微力ではありますが、この
計画を広く市民の皆さんに知らせ、対案
等も含めた曽根干潟を守る世論作りの必
要性を、感じたところです。
■ちょっと大変でしたが…
残念なことに、今年度後半は、事務局
担当者の体調不良などで、会報の定期発
行ができませんでした。また、毎月の企
画がとどこうったり、本来夏に行う定期
総会もその準備ができず、10 月の開催に
なってしまいました。大変申し訳なく思
っています。しかし、そんな中でも、4
月の「春の戸ノ上登山」
、7 月の「到津の
森公園の岩野園長講演会」を行なうとと
もに、毎月の世話人会は欠かさず行ない
ました。
■越年の課題について
組織として、
「NPOへの切り替え」を
検討することがひとつの課題になってい
新しい 1 年について
今、一番の環境問題は、「地球温暖化」
です。3 年連続となりますが、今年度も
引き続き地球温暖化を主テーマにするこ
とを提案したいと思います。
一昨年は、
「地球温暖化」について学び
ました。昨年は、
「地球温暖化を食い止め
るために、私たちにできること」でした。
今年は「地球温暖化をすすめる戦争の実
態を知ろう」をとり上げたいと思います。
田中優さんの著書「戦争って、環境問
題と関係ないと思ってた」には、≪戦車
の燃費(燃料 1 リットルで)は、わずか 200
メートル。戦闘機は、1分間飛ぶごとに
908 リットルの燃料を消費するので、約
8 時間飛ぶだけで、日本人1人が生涯に
排出する二酸化炭素を使う≫と記されて
います。
具体的にどんな企画を組めるのか、皆
2
さんの意見を参考に、企画を練りたいと
思っています。
そのほか、一貫して取り組んでいる、
北九州市のごみ問題や新門司の海を埋め
たてゴミの処分場をつくる問題も、引き
続き取り組みたいと思いますし、北九州
市の公害「大気汚染」についても、何ら
かの取り組みを考えたいと思っています。
さて、
「門司の環境を考える会」が発足
して、6 年ちょっとになります。準備会
の期間を加えると、8 年近くになります
が、8 年もやっていれば、いろんなアク
シデントも生じます。今度の総会では、
会の活動スタイルのあり方についても、
意見交換を行いたいと思っています。
2008 年の2月に開催した「環境アセスメント講座」。準備は 2007 年8月から始めました。
左が準備の会議。
他は三日間の口
座のひとこま。
会
則
●会の名称…「門司の環境を考える会」とする。
●会の趣旨…門司の環境のすばらしさを、知って・楽しんで・守って・再生するために、
考え行動する。
●会の所在…当分の間、会長宅とする。
●会の構成…会の趣旨に賛同する個人で構成する。
●会の運営…①会の運営は「世話人会」で行う。世話人は若干名とし総会で選出する。
また、必要に応じて増やすことができる。「世話人会」の中に会長と事務局を置く。
②「世話人会」はフィールドワークや学習会などの行事計画、機関紙の発行などを
行う。③年 1 回の総会を開く。必要に応じて臨時総会を開く事ができる。
●会の資金…会費とカンパでまかなう。会費は年間 1000 円とする。
●会則の変更…世話人会で決めて総会で承認を得る。ただし、重要な内容については、
会員全員の声を反映させる。
2
写真で振り返る 07 年度
戸畑区の住民の方に大気汚染の話を伺いに。 軽子島にはいろんなものが流れ着いています。
軽子島で
「若手」だけの記念写真。
ダイオキシン類連続サンプリングシステムの学習会。
9
初めての世話人会新年会
環境局・建設局から、質問状に対する回答をいただ
きました
上下ともに戸ノ上山で。
地元のラジオ番組にも出ました
都市計画道路六号線の環境影響審査会の傍聴
にいきました。
到津の森公園の園長さんか
らは、動物の興味深いお話
を、いっぱい聞かせていただ
きました。
段ボールコンポストの講習会は、
若い人が多く参加しました。
10
長州藩と戦ったフランス兵の慰霊碑
≪唐人墓≫
ポート
本田
実
関門海峡でフランス兵が戦死?!
和布刈プール駐車場入口より、50
メートルほど関門橋側に引き返すと、
古城山頂から降りてくる道路と交差
する。その歩道わきから山手に向かう
階段を登ると、石碑が見えてくる。そ
れが唐人墓である。上がり口に「唐人
墓」と書かれた表示もあるので、それ
を見つけると分かりやすい。そこには
フランス語で次のように書かれてい
る。
石碑の台座にはこう書かれています
1864 年下関の戦での
セミラミス号とジュプレックス号
兵士の戦死を記念して
彼等の冥福を祈る
人も門司に上陸して、水や食糧を補給
するなどしていた。住人たちは珍しが
って毛唐人とか異人とか呼んでいた
という。
■長州藩が無断で田野浦に砲台
逆に朝廷の後ろ盾のもと、長州藩は
攘夷を実行せんと、たびたび外国船を
砲撃していた。戦果を上げるために、
小倉藩に無断で、田野浦や大川河口に
砲台を築いたりもした。しかしその代
償として、外国船に個別に報復を受け
たこともあり、かなり疲弊していた。
蛇足ながらそのことが高杉晋作の奇
兵隊結成(1863 年)につながってい
このフランス語で語られている戦
死とは、いかなる事情によるものであ
ろうか?
■水や食料を門司で調達
1853 年のペリー来航以来、江戸幕
府は鎖国を解いたが、国内は攘夷派・
佐幕派・開国派などに分かれ、世情は
混乱していた。そんな中、譜代大名で
ある小倉藩は中立的立場をとり、外国
船に対しては自ら攻撃を仕掛けるよ
うなことはしなかった。そのため外国
9
く。その後攘夷派の公家の追放や蛤御
門の変(1864 年)で、朝廷での影響
力が決定的に弱まっていった。長州藩
は、攘夷を実行する政治的な足場を失
いつつあったのである。
■関門海峡に英・仏・米・蘭の連合艦
隊
そんなときに 1864 年 8 月、4 カ国
(英・仏・米・蘭)の艦船が、横浜に
集結して連合艦隊を組んだ。それから
国東半島姫島沖に再度集合した後、あ
る場所へと向かっていった。
その目的は外国船に砲撃を繰り返
していた長州藩を懲らしめようと、関
門海峡周辺を集中砲撃することであ
る。兵力は船が 17 隻、大砲が 288 門、
兵士が 5014 名であったと言う。その
うちフランス兵たちが攻撃していた
中には、下関の前田の砲台があった。
■フランス兵の亡骸を大久保に
かくして、8 月 5 日から 4 日間に及
ぶ戦争は、全ての砲台が連合国側の近
代的な圧倒的戦力の元で攻撃され、長
州藩の敗北となった。しかし連合国側
も戦死者を多数出し、そのうちフラン
ス軍が自らの兵の亡骸を、現在の門司
区大久保海岸一帯に葬った。
それから 30 年ほどたった 1895 年、
この戦で亡くなったフランス人たち
を弔おうと、当時門司の地を訪れたフ
ランス人宣教師ピリオン神父が石碑
を立てた。これが地元の人々によって
「唐人塚」と呼ばれるようになったも
のである。
■二度の引越しで
当初の建立地は大久保海岸で、かつ
て戦った下関の前田の方角へ向けて
立てられていた。しかしその大久保に
貨物鉄道を通すことになったため、
1956 年に門司カトリック教会モーデ
牧師らの手で、そこから 30 メートル
ほど離れた場所に移された。だがそこ
も新関門トンネルの斜坑口(大久保 1
丁目 15 番地)が作られたため、1971
年に現在の和布刈地区に移されたも
のである。
(ほんだみのる)
佐幕…幕末、尊攘・倒幕に反対し、
幕府を支持したこと。または、そ
の党派。「佐」は助けるの意味
【参考文献】
・中山主膳「郷土門司の歴史」㈱金山堂書店
・田郷利雄「門司の歴史ものがたり(下)
」
あらき書店
・古川薫「関門海峡―歴史を運ぶ運河」
ひっそりとたたずむ、ビリオン神父が立てた石碑
10
新日本教育図書株式会社
今月のテーマは
≪副振動≫
今年 2 月 24 日から 26 日にかけて、
長崎港など九州各地で観測された異常
な潮位変動を、「副振動」といいます。
この現象自体は珍しいことではない
ようですが、今回は係留されていた船
や養殖場が被害を受けるなど、大規模
な「副振動」となり、注目を集めまし
た。
今回、観測された規模は熊本県天草
市で約2m、長崎港で1m57cm、鹿
児島県枕崎市で 1m43cm。
通常の潮汐や津波などで発生する
ものを「主振動」と呼び、それ以外の
潮位の変化が「副振動」と定義されて
おり、異常潮の一種です。
副振動は、一定周期の港湾内での振
動で、長方形の容器に水を入れて、片
方を持ち上げて、水平に戻すとしばら
く水全体が左右に揺れるのと同じ現象
です。
その発生原因ははっきりしていない
といいます。気圧の変動や湾の地形、
風などが複雑に影響していることが要
因と考えられています。今の技術では
予測は困難と言われています。
「副振動」が発生する地域として長
崎港は有名で、副振動は「あびき」と
呼ばれています。語源は漁の網が流さ
れることから「網引き」のようです。
■1979年3月末に発生した「あびき」は
波の最大ふり幅が約2m80cmにも達
し、湾奥では5mにも迫る波が押し寄せ
たと推測されているといいます。 ■
「あびき」の特徴は、台風の通過時に
はあまり発生せず、 春先の晴天時に通
過する気圧の変動によって励起される
ことが多く、また奥まった長崎湾では
副振動の振幅が大きくなるといいます。
そのため、他の地域より大きな被害が
出ることがあります。
(しばたつよし)
励起(れいき)…量子力学で、原子や分子
が外からエネルギーを与えられ、もとの
エネルギーの低い安定した状態からエ
ネルギーの高い状態へと移ること。
ふる里門司 松ヶ江今昔物語
元
門司郷土史会副会長
吉岡成夫(故人)
第 63 話 幽霊船
ショウエ
私は門司商業学校を昭和16年に卒
業した第21回生だが、平成元年ごろ、
同級生たちによって「あれから半世
紀」という同窓会誌が発刊されたとき、
編集者から同窓生全員に在学中の思
い出の一文を寄せるようにとの要請
があり、私も「幽霊船」という一文を
寄稿した。その寄稿文を記して本稿を
草してみることにした。
『母校の丘の上から海峡を眺めてい
たら、青い船体の外国船が音もなく入っ
てきた。雨を伴い海峡を出入りするこの
船のことを誰が言い出したのか「幽霊
船」と呼んでいた。
ここまで書いて私はふと東大寺二月
堂のお水取り行事のことを思い出して
いた。お水取り行司の中で同寺に貢献し
た人たちの過去帳を読み上げる行事が
あるが、聖武天皇を初とする過去の精霊
の御名のなかに〔青衣の女人〕という謎
の人名が出てくるが、初めの過去帳の中
にはこの女性の名はなく、在るときのお
水取りのとき、〔青衣を着た女人〕の幽
霊が現れ、過去帳を読み上げていた僧侶
に「私の名をぜひ書き込んでくれ」と告
げると消えたので、それからの過去帳の
中に〔青衣の女人〕と記されるようにな
ったということである。ところで学者の
ショウエ
ショウエ
ショウエ
説によると〔青衣
〕は死者の着る衣装で
ショウエ
〔青衣の女人〕とは、つまり女の幽霊の
ショウエ
ことであるという。勿論、
〔青衣の女人〕
が誰のことを指すのか未だ謎である。青
い船体の船を「幽霊船」と呼んだ奇妙な
一致を思うと同時に、青色が死と青春を
現す矛盾の解決に私は今、大きな関心を
寄せている』
。
□以上が寄稿
文の全文である。その後、いろいろな
本を読んでいたら清水只夫氏著〔関門
海峡百話〕の「海峡に雨を降らす船」と
いう一文の中に「幽霊船」のことが出
ていた。それによると、私たちが「幽
霊船」という船はイギリスのブルーサ
ンネル商会の持ち船で、欧州航路の定
期貨物船、毎月一回、関門海峡に入港
しており、ブルーサンネルとは青い煙
突ということである。また、この船に
は〝後家さん船〟という別名でも関
門の人たちに親しまれていた。それは
ひと頃、この船の持ち主が未亡人だっ
たことから名づけられたものという。
またこの船と対照的に「赤い船体の
船」も定期的に門司港に入港していた
と記されているが、私には「幽霊船」
の印象が強く残っていて「赤い船」は
記憶にない。
世話人
会から
3 月の世話人会では、いろんな話が出ました。たとえば、
世話人の入駒さんの元同僚の話、シンポジウムのパネラー
や、他団体の幹事の話などです。共通しているのは、「他
の団体からの依頼」ということでしょうか。よそ様から、
少しずつ、「門司の環境を考える会」に声がかかるように
なりました。そのほか、毎月の企画や会報の内容について
も、話し合いました。
こんなことを
話し合いました
3月3日の世話人会は、
「指一本で大きな釣鐘が
なぜ動くのか」の話も
でました。
□ミニ学習は、「COP14 とアメリカの変化」
世話人会冒頭のミニ学習、3 月のテーマは、「国連気候変動枠組み条約第 14
回締約国会議(COP14)とアメリカの変化」。都城先生が用意してくれた新聞
の切抜きをもとに、都城先生に解説をしてもらいました。以下が、その学習の
内容です。
☀よく耳にする「京都議定書」は、1997 年に京都で開催され<COP3>で採択
されたもので、2008 年から 2012 年までの、先進国の温室効果ガスの平均排出
量を、1990 年比で、EUは8%、日本は6%など、全体として5%減らそうと
いうものです。
☀昨年 12 月、ポーランドのポズナニで 2 週間にわたって開かれた<COP14>。
会議では、途上国側が先進国に、中期目標を設定し責任を果たすように求めた
のに対し、日本やカナダなどは、消極姿勢に終始。途上国への技術移転や資金
メカニズムの問題でも、途上国と先進国の意見の隔たりは埋まらないなど、進
展のないまま閉会しました。今年 12 月にデンマークのコペンハーゲンで開か
れる<COP15>では、2013 年以降に世界が削減する枠組みを決めるようにな
っています。
☀ブッシュ前大統領は、温暖化の原因が人為によるものとの科学的見解さえ疑問
視して、京都議定書からも離脱していましたが、オバマ大統領は、
「私の政権は(温
室効果ガスの悪影響という科学的な)事実を否定しない。むしろ事実に導かれる」
と、2050 年までに 1990 年比で 80 パーセントの温室効果ガス削減の目標を掲げ
ています。オバマ大統領は、経済問題と環境問題を セットにして考え、いろい
ろな経済政策を打ち出しています。
また、カリフォルニア州が独自に定めた、自動車ガス規制(2016 年までに、空
気中の排ガス量を 30%削減)を不許可としたブッシュ前政権の決定を覆し、同規
制を認める方向での再検討を指示するなど、具体的に動き出しています。
☀日本は、産業界の圧力を受けて、温暖化ストップに道をつける中期目標を、い
まだに決めていない唯一の先進国です。
というような事を勉強しました。
、
□世話人の入駒さんが、元同僚から声をかけられました。
世話人の入駒さんが、元同僚の方から「温暖化の会をつくりたいと思ってい
る。一度話しに来てほしい」と、声をかけられたそうです。
「俺は話なんかし
きらん」というので、
「都城先生に行ってもらったらいいね」ということにな
りました。
□「北九州市民の会」から「幹事に」と依頼がありました。
北九州のさまざまな住民運動の推進と交流を目的とする北九州市民の会から、
「幹事に」との声がかかりました。3月 27 日(金)の市民の会主催のシンポジ
ウムに、八記さんがパネラーとして参加します。世話人会では、
「世話人はで
きるだけ参加しよう。幹事の件は、4月の世話人会で検討しよう」ということ
になりました。※北九州市民の会のホームページには、先月号の「門司の環境」
や、当会の生い立ち・活動紹介などのコーナーもあります。
URL:http://siminnokai.sakura.ne.jp
□世話人会の「ミニ学習」4月5月は当日のおたのしみ
4月と5月の「世話人会冒頭ミニ学習」は、4月を柴田さん、5月を本田さん
が担当するようになりました。テーマはお楽しみ。さーて、どんなテーマの学習
会なのか、楽しみです。来月の世話人会は4月7日(火)大里柳市民センターで
18 時から開かれます。
3月の企画
行先は早春の「豊前街道」
3月 29 日(日)
10 時に西鉄の黒川バス停集合
(門司の環境を考える会の緑の旗を目印に)
高砂町から山越えして平山観音を通り、畑の山門で解散します。
※前号では「猿喰」まで歩くとお知らせしましたが、
帰りのバスを考えて、畑まで歩くことにしました。
お弁当持参。
トータルで 1 時間半くらい歩くと思います。
ちょっとした山道もあります。
集合と解散の場所は離れていますので車で来ると後が大変です。
お問い合わせは、最寄りの世話人や裏表紙まで
私が
ご案内します。
変電所奥の森のなかに 11 基の五輪塔が祀られ
ている。大内氏の武将・柳田弥九郎一族の墓とい
われている。
4月の企画
4月 19 日(日)現地に 10 時集合
※ 雨天の場合は「軽子島の雨を楽しみながらモンカカ汁を食べる会」にしま
すので、手前の地蔵面に集合してください。
※ 必要なもの…軍手・お椀×2・箸・400 円
※ 場所等、わからないことのある方は、最寄りの世話人か裏表紙まで。
前月号のお知らせでは、食べることが印象に残ったかと思いますが、
メインは清掃です
2005 年の第 1 回目
2006 年の第 2 年目
2008 年の第 3 回目
清掃の後の、暖かい汁が本当
においしいんです。
※2007 年は雨で
中止でした。
編集後記
映画「男はつらいよ」には、たくさんのマドンナが出てきました。寅さんとの
からみや、出演回数からいくと、やはり浅丘ルリ子演じるところのリリーさんが
その筆頭ですが、これを、この会報の「まちかどウオッチング」にあてはめると、
筆頭は関門海峡ということになりそうです。
今月号の「わがまちウオッチング」には、関門海峡で戦死したフランスの兵隊
さんの話が出てきます。前回は、関門海峡で溺れ死にそうになった秀吉の話でし
たし、戦時中、関門海峡にたくさんの機雷が落とされた話もありました。
また、1 日に 700 隻の船が行きかうこの海峡は、その昔、源平合戦の末に、幼
い安徳天皇を抱いて、平家の女たちが入水した海でもあります。
私の職場は、正面玄関から眼下に関門海峡を眺めることができます。いっぱい
に広がる青い空と、海に浮かぶように見える対岸の下関との間の青い海峡は、ど
れだけ眺めていても、見飽きることはありません。(y)
発行:門司の環境を考える会
〒800-0114 北九州市門司区吉志 5-12-14
【連絡先】森下
森下宏人方
宏人…TEL.093-481-6778
お問い合わせは
FAX.093-481-6778
この【連絡先】の
[email protected]
いずれかまで
八記久美子…TEL.080-1730-8895
お気軽に
FAX.093-571-7567
[email protected]
※郵便物は…〒803-0816 小倉北区金田 1-3-32308 八記方
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