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神経特異的性決定因子 Fruitless による脳の性転換
神経特異的性決定因子 Fruitless による脳の性転換 山元 大輔 fruitless (fru)は、キイロショウジョウバエの同性愛突然変異体 satori の原因遺 伝子である。fru 遺伝子は splicing 因子 Tra の働きによって性特異的 splicing を受け、神経特異的な雄型 mRNA、雌型 mRNA を生ずる。Tra がさらにこの 雌型 mRNA に結合して翻訳を抑えるため、Fru タンパク質(BTB-Zn finger)は 雄にのみ生成される。fru cDNA を雌に強制発現させると神経の雄化が誘導され る。この結果から Fru は神経細胞の雄化因子であると結論された。 有性生殖生物において、その性差は生殖細胞ばかりでなく体の随所に見い出 される。神経系を有する動物では脳の構築にも性差があり、それが行動の性差 へと反映される。行動上の性差として最も顕著なものは、言うまでもなく性行 動の雄型パターンと雌型パターンである。一般に精妙な求愛行動を活発に行う のは雄であり、雌はそうした雄の中から「好みの」者を選んで交尾を許す。雄 が雌にむかって求愛し交尾を試みるのは当然のことと思われているが、はたし て当然なのだろうか。現に同性愛行動が様々な動物で報告されている。我々は キイロショウジョウバエの性行動を遺伝学的に解析する中で、雌よりも雄を好 んで求愛する雄、つまり同性愛突然変異体の satori を発見した 1。その原因遺伝 子、fruitless(fru)の発現解析と個体レベルでの fru 異所性強制発現の実験によって、 Fru タンパク質の存否がニューロンの性を決定し、ひいては行動の性的二型を生 み出すことが明らかになってきた 2。 Female to male sexual transformation of Drosophila neurons by ectopic Fruitless expression Daisuke Yamamoto: Waseda University School of Human Sciences (早稲田大学 人 間科学部 ) ・ fru 遺伝子とその産物の構造 fru 遺伝子はゲノム 150kb 以上にわたって伸びる巨大転写単位で 4 つの異なるプ ロモータを持ち、3’末端のエクソンには alternative splicing を受ける 5 つの異な るタイプがある(type A-E)1-3。一方 5’側では第一のプロモータにより転写さ れる mRNA のみが alternative splicing を受ける。この 5’側(第 2 エクソン)で生 ずる alternative splicing は性依存的で、雌では雄よりも 1590 塩基下流のスプライ スサイトが利用される 3。このスプライスサイトのすぐ 5’側には 13 塩基からな る Transformer(Tra)結合配列が 3 回の繰り返しで存在している 1。Tra は雌となる べき個体にのみ存在する雌決定因子で、スプライシングを促進するタンパク質 である。雌では mRNA 前駆体のこの配列に Tra(及びその補助因子 Tra2)が結 合するため、下流スプライスサイトが利用されるのである。 この性特異的スプライシングの結果、雄では雌に比べ第 2 エクソンに含まれ る ORF が 101 アミノ酸 N 末端側にのびる 3。雌では第 3 エクソンの最初の ATG から翻訳が開始され、N 末端部に BTB ドメインを持つタンパク質が作られる 1。 雌 mRNA において、仮に雄で翻訳開始点となる ATG から翻訳が起こるとすると、 94 アミノ酸のペプチドが生じうる。そうしたペプチドが実在するか否かは不明 である。3’側での alternative splicing により、Fru C 末端部には 5 つ(A-E)の異 なる配列を生ずる。A、B、E はこの C 末端部に 2 つの Zn finger モチーフを持つ が、C、D はそれを欠く 2。この構造から推して、Fru タンパク質は性特異的転写 因子と思われる。 ・ fru mRNA 及び Fru タンパク質の組織分布 性特異的 splicing を受ける第 2 エクソン部分をプローブとして in situ hybridization を行うと、神経系に局在した mRNA の発現が検出される 4。注目す べきことに、こうして検出される mRNA の発現に雌雄差は殆どない 1-4(図 1)。 次に BTB ドメインに隣接する領域にエピトープを持つ抗体で免疫組織化学を行 ってみると、野生型の雄では蛹期の脳、神経節中におよそ 250 対のニューロン が染色された 3。ところが驚いた事に、野生型雌の神経組織には免疫陽性細胞を 全く見い出すことができなかったのである 2,4 。mRNA は雌雄とも同じように存 在しているのであるから、Fru タンパク質が雄にのみ存在し雌で検出できない原 因は、転写後のプロセスの性差に求められる筈である。 ・ Tra 結合による Fru 翻訳抑制 fru mRNA の構造を性差という観点でみると、雌にのみ Tra 結合配列が存在す ることが注目される。しかも Tra 結合配列は、雌 mRNA の翻訳開始点からわず か 81 塩基対上流の位置にある 2。Tra タンパク質は既述のように splicing 因子と して従来認識されているものである。実際、fru mRNA の性特異的 splicing が Tra 結合によって起こることは実験的に確認されている。しかしだからといって、 Tra が雌の fru mRNA に結合し、その翻訳を抑制する可能性を排除することはで きないであろう。事実、tra mRNA の性特異的 splicing を制御する「splicing 調節 因子」の Sex lethal (Sxl)が、性染色体遺伝子量補正(雄の X 染色体活性の倍化) においては male-specific lethal2 (msl2)遺伝子 mRNA からの翻訳を抑制することが すでに知られている 5,6。我々は Sxl 同様、Tra も splicing 因子と翻訳抑制因子と いう 2 つの顔を持つ可能性を考え、培養細胞の stable transfection によってそれを 検討した。レポーターとして用いる luciferase 遺伝子の翻訳開始点上流に Tra 結 合配列を挿入すると、Tra、Tra2 存在下で luciferase 活性は著しく抑えられること がこの実験で示された 2。しかし in vivo での免疫組織化学的観察とは異なり、レ ポーター活性が完全に抑制されることはなかった。in vivo ではこれとは別のメ カニズムも働いているのかもしれない。例えば雌の mRNA が disistronic な構成 をとっているために、5’側の短い ORF のみが翻訳され、肝心の BTB-Zn finger タンパク質がつくられない、といった可能性が考えられる。いずれにせよ、そ のメカニズムの如何に関わらず、Fru タンパク質発現の有無が Tra タンパク質の 存否に依存することは確かである。tra 変異体の脳− 神経節には Fru が発現しな いからである 2。 これまで fru 遺伝子の性特異的機能は、Fru タンパク質 N 末端構造の性差に基 づくと思われていた。それに対し今回の実験結果は、Fru タンパク質が雌には存 在せず雄にだけあることが、その性特異的作用の根拠であることを示している 2。 ・ fru 正常型 cDNA 強制発現による satori 変異体表現の救済(遺伝子治療) satori 突然変異体は性行動における雄の性指向性が同性愛化することに加え て、成虫の雄に特異的な腹部縦走筋、Muscle of Lawrence (MOL)の欠如という明 瞭な表現型を有する 1。MOL 形成の有無は、この筋肉を支配する運動ニューロ ンが雄であるか雌であるかによって決まる。同性愛形質が脳の介在ニューロン の性と関連するとすれば、satori 変異体の 2 つの表現型はどちらもニューロンの 性決定の不全によるものとして理解可能である。type A-type E のそれぞれの cDNA を satori 変異体に導入し、その強制発現によって MOL が回復するか否か を調べた。その結果、Zn finger を持つ A、B、E の 3 タイプが有効であることが わかった 2。さらに重要なのは、 「雄型 Fru タンパク質」(図 2)に固有の N 末端 101 アミノ酸部分を欠いた「雌型 Fru タンパク質」の強制発現によって、satori 変異体雄に MOL を回復させることができるという発見である(図 2)2。この事 実は、雄の形質を発現させる上で Fru タンパク質の構造が「雄型」か「雌型」か はどうでもよく、どちらの型であれ、Fru タンパク質が存在することが重要だと いうことを示している。ただし雌では、上述の通り fru mRNA からの翻訳が抑制 されているため、「雌型 Fru タンパク質」は cDNA 強制発現によってのみ生成さ れ、天然には存在しないか、ごく微量にしかないと思われる。 ・ Fru 強制発現による雌の雄化 Fru タンパク質の存否が神経細胞の雌雄を分つのであれば、もともと Fru タン パク質を欠く雌に fru cDNA を強制発現させることによって、発現細胞を雄化で きるはずである。そして実際、雌の運動ニューロンに fru を発現させると雄特異 的であるべき MOL が雌に形成されることがわかった(図 2)2。すなわち、雌の 運動ニューロンは Fru タンパク質がありさえすれば雄へとその性を転換するの である。 ・ 今後の展望 本来雌となるべきニューロンであっても、Fru タンパク質の存在によって性分 化のスイッチが雄へと切り換わることがわかった。しかし Fru タンパク質がいか にしてこの作業を実行するのか、そのメカニズムは全く不明である。Fru タンパ ク質の協働因子や標的遺伝子の探索を通じてこの問題解決への糸口が得られる ことが期待される。 ここに紹介した成果は、科学技術振興調整費総合研究「改変遺伝子導入昆虫 を用いた環境調和型害虫防除法に関する基礎研究」の一環として当研究室の薄 井(青木)一恵、伊藤弘樹(現・理研) 、高橋邦明らが中心となり、日本医科大 学の程久美子、Zheng Fu Piao の協力を得て行ったものである。 文献 1) Ito, H. et al. : Proc. Natl. Acad. Sci. USA 93: 9687-9692, 1996. 2) Usui-Aoki, K. et al. : Nature Cell Biol. 2: 500-506, 2000. 3) Ryner, L.C. et al. : Cell 87: 1079-1089, 1996. 4) Lee, G. et al.: J. Neurobiol. 43: 404-426, 2000. 5) Kelley, R. L. et al. : Nature 387: 195-199, 1997. 6) Bashaw, G. J. and Baker, B. S. : Cell 89: 789-798, 1997. 本稿出版後に出された関連文献 Baker, B.S., Taylor, B.J. and Hall, J.C.: Cell 105: 13-24, 2001. Lee, G. and Hall, J.C.: J. Neurosci. 21: 513-526, 2001. Lee, G., Villella. A., Taylor, B.J. and Hall, J.C.: J. Neurobiol. 47: 121-149, 2001.