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函館土木・産業遺産フットパス(A3版:約4.0MB) - 地域景観ユニット
本冊子は、以下のウェブサイトからもダウンロードしてお使いいただけます。 ・ 独立行政法人 土木研究所 寒地土木研究所 http://www.ceri.go.jp/contents/news/20110223.html ・ 一般社団法人 函館国際観光コンベンション協会 http://hakodate-kankou.com/guide-download/ 函館どつく前 (函館市電) ■記号の見方 函館駅前より 函館どつく前行き(5系統)乗車約12分。 函 土木遺産 (函館開発建設部) 土 北 遺 北海道遺産 (北海道) 北 産 北海道産業遺産 (北海道) 推 推奨土木遺産 (土木学会) 土 近 近代土木遺産 (土木学会) 土 P 案内看板 経 産 近代化産業遺産 (経済産業省) P 記念碑 ぼ う は て しののめちょう 東雲町 明治32年に完成した石積みの防波堤は、ほとんど改良 工事が行われていないのにもかかわらず、現在も現役で 活躍。監督技士の広井勇博士は土木の父として有名。 函館どつく 函 館 港 2 歩道無し 通行注意 景観形成指定 建築物 多い 太刀川家 沖之口 番所跡 3 ・ 函館市 臨海研究所 横断注意 館 市 常磐坂 やよいちょう 弥生町 元町公園 船見町 高龍寺 文 園 へ イ ウェ プ ー ロ 山 675 薬師山砲台 ViewPoint 晴れた日は遠くに 青森を望む 11 こどもの国 市立函館博物館 距離:710m 所要時間:13分 文 青柳町 函館公園 こどものくに 11 12 拡大図参照 旧函館図書館 日本最古の 観覧車 山頂 至 谷地頭 4 すみよしちょう き ゅ う さ ん ば し 旧桟橋 0m 旧桟橋(東浜桟橋)は、青函航路の船着き場として明治 43年まで利用されていた。そばには、北海道第一歩の地 碑も立っており、まさに当時の北海道上陸の第一歩の場 所である。 5 100m 200m 300m 400m し ち ざ い ば し 谷地頭町 に ほ ん さ い こ で ん ち ゅ う 7 日本最古のコンクリート電柱 し で ん そ う し ゃ と 谷地頭 う 市電操車塔 8 北 北 遺 産 昭和14年に、ポイントの切 り替え等を手動による遠隔操 作をするために建てられたも ので、現存する路面電車の操 車塔では国内最古といわれて いる。当時は市内に6基あった が、施設の自動化により順次姿を消し、この操車塔だけが 平成7年まで使用されていた。 距離:80m 所要時間:1分 函館はかつて火災が頻繁に発生してい たため、当時まだ稀であった木柱ではな く角錐形のコンクリート電柱にしたと言 われている。この電柱は大正12年に建て たもので、現存するものでは日本最古の コンクリート電柱で、現役最古としても 函 活躍している。また、建物を挟んで同形 土 のものが作られたため、夫婦電柱とも呼ばれている。 距離:270m 所要時間:5分 距離:340m 所要時間:6分 距離:400m 所要時間:7分 明治15年より堀割工事が始ま り、明治17年に竣工した橋で、 名の由来は工事監督の石川七財 の名をとっている。明治期には この橋の下をくぐる艀(はしけ) で賑わったという。現在の橋は昭和44年に改修されたも のであるが、風貌の美しさより、数多くの映画のロケ地 として使われているため、観光スポットとしても有名。 住吉町 やちがしらちょう 500m 6 七財橋 か わ ば し は こ だ て こ う え ん 近 函 土 土 も と ま ち は い す い ち 元町配水池 推 近 函 北 経 土 土 土 産 産 初の近代水道施設で、現在もそ ゴール! 御殿山第一砲台 観覧車 わ 池は日本人の設計監督による最 文 函 函館山 近 北 北 土 遺 産 し 上経過している。特に中区配水 青柳小学校 館 白川橋 12 ゃ あり、どちらも建設後100年以 あおやぎちょう 通行 注意 至 十字街 旧函館博物館2号 し と明治29年完成の高区配水池が 青柳町 函館護国神社 潮見中学校 ViewPoint 噴水と 函館山 ん 明治22年に完成の中区配水池 通行注意 青柳町電停へ 旧函館博物館1号 10 所要時間については、見学時間を除く、移動時間の目安です。 ※ 近 北 北 土 遺 産 白川橋 10 イ ェ ウ プ ー ロ 山 館 函 函館公園 拡大図 電 山麓 拡大図参照 ViewPoint 函館市街を一望 ら 距離:550m 所要時間:10分 青 柳 坂 公 ん 白川橋(函館公園) 宝来町 あ さ り 坂 元町配水池 館 か ほうらいちょう 675 函 こ 宝来町 市 P 山麓駅 10 い 館 通行注意 元町配水池 さ 函 護 国 神 社 坂 石積岸壁 明治時代の名残が残る石積岸壁。向かいには近代人工 島の「緑の島」もあり、新旧の調和が絶妙。表紙を見る とわかるように、運河は埋め立てられているものの、殆 どは当時の海岸線を残している。当時、この付近には水 上警察や外国人居留地や税関などがあり、特に税関(現 海上自衛隊)辺りには古い石積岸壁が残っている。 675 ひと休み 谷地 坂 P i 南部 坂 函館西高等学校 FMいるか い し づ み が ん ぺ き 船魂神社 ん 函館公園は明治12年に多 くの市民の手で造られた北 海道初の洋式公園。公園内 にある白川橋は、北海道で 最初の洋式石橋と言われて いる。築園監督者の浅田清 次郎が寄付した。 銀 座 通 アクロス十字街 地域交流 景観形成指定 まちづくりセンター 建築物 多い 9 チャ チャ 登り 3 距離:730m 所要時間:13分 東本願寺 函館別院 ∴ 旧函館区公会堂 元町配水池 拡大図 元町 i 東川町 東北以北最古の エレベーター 二十 間坂 船見 公園 もとまち 11 ひがしかわちょう 市電操車塔 7 8 大三坂 ふなみちょう 山上大神宮 3 P 十字街 6 279 27 景観形成指定 建築物 多い ほ 距離:100m 所要時間:2分 日本最古の コンクリート電柱 末広町 457 末広町 実行寺 東本願寺 船見支院 旧ロシア領事館 日本初ストーブ 八幡坂 称名寺 P 日和坂 基 坂 善福寺 入舟町 ∴ すえひろちょう 西中学校 いりふねちょう 5 箱館運上所跡 坂 東 文 栄町 豊川町 赤レンガ 倉庫群 に 日本最古の観覧車 戦後の復興のため、昭和25年に造られた 北海道初であり、また現役最古の観覧車で ある。ゴンドラのかたちも日本では珍しい 長いす型である。元々は大沼公園湖畔に「 空中観覧車」と呼ばれ設置されていたが、 昭和40年に本園に移設された。 さかえちょう 魚市場通 とよかわちょう 北海道 第一歩の地碑 歩道狭い 4 ViewPoint 元町公園 函館山 弥生小学校 文 海上自衛隊 電 弥生坂 坂 幸 姿見坂 船見 坂 ViewPoint 函館漁港と函館山 旧桟橋 函 大町 千歳坂 道内初の下水道 明治29年に函館港改修にともない、弁天砲台を取壊し その埋立地に設置された下水道施設。鉄蓋しか見ること は出来ないが現在も現役で活躍している様子をうかがえ る。弁天砲台に使用されて いた石材を暗渠の蓋に使用 しているが、現在はアスフ ァルトに埋もれて見ること は出来ない。付近に数カ所 点在する(図中の◆印が目 印です)ので探してみるの もおもしろい。 石積岸壁 おおまち 魚見 坂 2 七財橋 ViewPoint 天気良ければ 駒ヶ岳まで 石畳の道路 赤レンガ倉庫 新島襄 海外渡航の地碑 大町 スタート! 279 27 ViewPoint 横津岳をバックに ともえ大橋や摩周丸 新 島 橋 457 厳島神社 函館どつく前 う 12 緑の島 石積岸壁 ∴ 箱館丸 1 ど 旭町 べんてんちょう 距離:410m 所要時間:8分 い あさひちょう 弁天町 函館漁港船 入澗防波堤 す 距離:220m 所要時間:4分 おおてまち 大手町 北海道警察官 派出所発祥の地 げ 函館駅前までは 湯の川行き(2系統)乗車約12分。 市役所前 西ふ頭 弁天台場跡 つ 青柳町 (函館市電) 100年以上経つ現在も 推 土 第1号乾ドック 現役で活躍! 道内初の 下水道 は ゴール 函館市役所 推 近 函 北 経 土 土 土 産 産 い ∴ 青函連絡船記念館摩周丸 景観形成指定建築物は ↓このプレートが目印です! い 函館漁港船入澗防波堤 ど う な フットパス FootPath 函館駅前 通 ま 土木・産業遺産 i 高砂 り 観光案内所 函館 トイレ とも え大 橋 1 い JR函館駅 N 距離:360m 所要時間:7分 な i 有料駐車場 ビューポイント は こ だ て ぎ ょ こ う ふ 景観形成指定建築物 無料駐車場 GOAL ※見学時間等は除く START 総距離:4,720m 所要時間:86分 至 札幌 スタート と う ほ く い ほ く さ の役割を果たしている日本最古の配水池である。 距離:260m 所要時間:5分 9 ひ が し ほ ん が ん じ は こ だ て べ つ い ん 東本願寺函館別院 明治40年の大火で焼失したた め、耐火建築にて再建すること となり、大正4年に完成した現 在の本堂は、日本最初の鉄筋コ ンクリート寺院である。建築当 初は構造的に不安に思う人も多 かった。 距離:290m 所要時間:5分 い こ 東北以北最古のエレベーター 大正12年に丸井今井デパートとして建てられ、昭和9年に今の 手動式エレベーターとして設置された。その後、函館市の分庁舎 として使用されていて、平成19年まで現役として活躍し続けた。 このエレベーターは2台設置された内の1台であり、日本で使用し ている手動式エレベーターとしては、東北以北で最古と言われて いる。現在は地域交流まちづくりセンターとして利用されており 施設スタッフに見学を申し出れば、エレベーターに乗り上階まで 行く事も可能。