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ファインマン20「デビル・エクス・マキナ」

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ファインマン20「デビル・エクス・マキナ」
素粒子戦隊ファインマン
20
— デビル・エクス・マキナ —
(c) Masaya Kasuga
Shaltics 2014
これまでのあらすじ
京都理科大学で素粒子物理学を研究する斎藤教授は、世界の物理学会の統一
を目論む「統一物理協会」からその身を狙われていた。
斎藤研究室の学生たちは、研究環境と研究資金と将来の学位とついでに教授を守
るために、統一物理協会の 変人ども 怪人たちと戦う日々を送っていた。
そして年度末。
「春季年会のときに決着をつけよう」という果し状を受けて、一同はフル装
備で発表会場である筑波山麓へ。
しかし、年会の運営にはすでに統一物理協会の魔の手が入っており、斎藤教
授の身柄は協会の手に落ちてしまった。
敵幹部曰く、「斎藤の身柄は預かった。我々の本部で勝負だ!」
これだけなら、学生たちは「はいはい」「わろすわろす」と、スルーするこ
ともできた — が、そうにもいかない状況になった。無視できない新事実を、
この敵幹部が口にしたのだ。
「協会を作ったひとりは、実は斎藤なのだよ」
「「「な、なんだってー!」」」
学生たちは、教授を救い、敵をシバくため、罠だとわかりつつも、敵の本拠
地へのテレポーテーションゲートを進むことにしたのであった。
京都理科大学の連中
斎藤丈隆(教授)
つかみどころのないマイペース1 な性格。どうやら統一物理協会の幹部と古い
知り合いであるらしい。要するに、「だいたいこいつのせい」。
真田和也(助教)
高次元テクノロジーを駆使して、謎の物理兵器をつくってくれる、優秀な人。
なお、そのテクノロジーは、彼の友人・飛島五郎が統一物理協会から命懸けで
リークしたものだという設定なのだが、多分誰も覚えていないと思う(笑)。
湯川秀男(B7)
情熱の赤。体力馬鹿なので、文字どおりの物理攻撃が大好きである。前回、敵
怪人・モトコを倒すために彼女に好意があるふりをしたはいいが、それが演技
だったと言うタイミングを逃し、モトコを含む全員に誤解されている。
1 最近気づいたのだが、教育関係者の言う「マイペース」は、
「他人の言うことに耳をかさない」「協調性がない」
というネガティブな言葉の言い替えである場合が多いような気がする。
1
朝永振一(D1)
知性の青。とても真面目で一見常識人に見えるが、自分の容姿が大好きで、女
装趣味の変態紳士である。いつも真田を助けて働いている。
江崎玲奈(D1)
高貴の紫。とっても真面目で一見常識人に見えるが、困ったら男を叩けばいい
と思っている女王様である。残念な美人。
長岡半太(M1)
カレーの明朗の黄色。ネタの濃すぎるオタクで、残念なイケメンである。戦闘
では湯川の援助にまわることが多いが、ほとんど「盾」扱いである。
南部陽子(B4)
純真な白。「白の破壊魔」と言うとかっこいい。幼い言動・ツインテール・ド
ジっ娘と、2次元的ポイントは高いが、現実は単に「イラつく小娘」である。
統一物理協会
ホウ教授
統一物理協会の主催者で、大英帝国の産んだ大天才である。不治の病により車
いすに乗っており、機械合成の声で喋る。でも、なぜか漢字。
モトコ(素子)=ジョゼフソン
壊滅した日本支部の残存幹部。今は猫娘怪人……ただし胴体以外が猫。前回の
決戦で敗れて、斎藤研究室に投降中。早く人間になりたい!
中国支部
「三色魔神ヤン」「対称崩しのリー」といった優秀な幹部と、多すぎる戦闘員
と命を使った人海戦術をもとに勢力を拡大中。ついに野望の牙を剥くか!
?
欧州支部&アメリカ支部
欧州支部の「バッタ男・仮面ライダーディラック」とアメリカ支部の「イカ男・
這い寄るコンプトン」。協力して斎藤研究室に決戦を挑み、斎藤教授の身柄を
捕えた。二人の目的は如何に……
おやくそく
科学をネタにしてそれっぽく書いているだけですから、あまり深く考えない
で雰囲気で読んでいきましょう。
それから、
「こんな伏線知るか∼!」ってところがあるかもしれませんが、伏線
のわかりにくさ2 や脈絡のなさも含めてネタとみなして、勢いで読みましょう。
2 初期の話や、キャラ紹介のページでネタ振りしていることもあったり。
2
1
いざ討入り
1.1
薄い霧の立ちこめる暗闇の下、どこまでも続く直線の道があった。
テレポーテーションゲート……日本から統一物理協会本部へと誘う、高次元
の抜け道である。
その中を2台の車が、一発で免許停止になりそうな速さで駆け抜けていた。
前を走るのは真田の軽ワゴン。
湯川と長岡と、なりゆきで行動を共にすることになった猫頭怪人のモトコが
便乗していた。ワゴンの荷物室には、ありったけの物理兵器とそれを操作する
機械が、雑然と積まれている。
大人4人と大荷物の重さに、速すぎる速度が加わって、時おりサスペンショ
ンのきしみが車内に響く。その音は、出口の見えない不安感と緊張感を煽りた
てていた。
真田は汗ばむ手でハンドルを強く握ったまま、自分を落ち着かせるために口
を開いた。
「斎藤教授が敵の手のうちにある以上、待っていても状況は改善しないで
しょう」
その根拠はあまりない。ただ、「敵の元に向かっている」という現状を肯定
することで安心したかった。
助手席の湯川が、同じような気持ちで会話を続けた。
「あのイカ男の口ぶりからすると、命をとるというより、もう一度仲間にし
たがっているのかもしれない—ま、希望的観測だけどね」
と言った。
数々の怪人と戦ってきた湯川が思うに、イカ男・コンプトンは殺戮や破壊を
好んでやりそうな人物には見えなかった。陽子の卒論発表の面倒をみるなど、
学問には誠実であったし、理屈や約束が通じそうな相手ではあった。自分の思
い込みかもしれないが、それに一縷の望みを托してみたかった。
ふと湯川は、
(ああそうだ。組織のことならモトコちゃんに聞けばいいんじゃね?)
と、同行している元敵幹部のことを思い出した。
後ろ座席を振り返ると、無表情な猫頭が見えた。ついでに、緊張感なく口を
あけて寝ている長岡も見えたのだが、湯川は呆れてその物体を視界から外した。
3
湯川に質問をされたモトコは、もはや統一物理協会に戻る意志を完全に失っ
ているのか、特に隠しごとをすることなく答えた。
「あたしが聞いたウワサでは、ボスのホウ教授とあのイカ野郎は怪人になる
前からの知り合いだってことだよ。多分、上の人達は古参のメンバーが多いか
ら、もともと知り合いなんじゃないかな」
「その仲間にタカちゃん……斎藤教授がいたと」
「直接的には聞いたことがないけど — あ!」
モトコは何かに気づいたように突然に高い声を上げた。大きい猫頭を天井に
こすりながら、ずりずりと顔を前に出した。
「本部でたまたま聞いたことがあるの。以前、地下にある動力炉のトラブル
がおきたとき、幹部怪人のお偉いさんたちが『サイトー』って言っていたかも
しれない」
それは湯川たちにとって驚くべき新情報だった。
同時に、湯川の心には苛立ちが湧いてきた。
「ああー、『ラスボスが斎藤教授』なんて展開は嫌過ぎるぅ∼」
湯川にとっては、敵は良心の呵責なく、蹴って殴って叩いてシバいて締めて
吊るせる存在でいてほしかった。もしも相手が斎藤教授であれば、そういうわ
けにはいかない。
悩む湯川の気持ちを逆撫でるかのように、悪いタイミングで「ぴーひゃらぴー
ひゃら」と長岡の寝息が聞こえ始めた。
湯川は物理的ツッコミをいれるべく、右手に力を込めた。
が、すぐに「落ち着け、俺の右手よ!」とつぶやいて、長岡に向けたい気持
ちをおさえた。(この怒りは敵にぶつけるまでだ!)と熱い感情を心の棚にあ
げておくことにした。
一方、後ろの朝永車。
ハンドルを握る朝永は、やたら神経をすりへらしていた。
朝永の目に入ってくるものは、ここ数分ずっと真田の車の赤いテールランプ
だけであった。そういった光の点を凝視しつづけていると、意識が散漫になる
ものである3 。
朝永は催眠術にかかりかけていた。赤色以外の全てがかたちを失っているか
のように見えていた4 。
助手席の玲奈はすぐに、朝永の意識が散漫なことに気づいた。少しでも車体
3 無意識的にテールランプにひきよせられて、追突事故がおこることもよくあるらしい
4 ある物を凝視し続けると、その物の部分が独立して見えるようになり、一体感を喪失する錯覚におちいります。
「ゲシュタルト崩壊」ってやつですね
4
がぶれたり、朝永の首がカクカクするたびに、横から朝永の額に目覚し代わり
の裏拳を入れていた。
朝永の地獄は続く。
後ろの席には陽子がいた。寝てくれたらいいのに、こういうときに限って起
きていた。
「眠いときは歌ですよぉ」
と能天気に言った。目の前のテールランプから荷台を想像したのだろうか、
なぜか「ドナドナ」を歌い始めた。
このようなとき、いつもならば玲奈がツッコミを入れて止めさせるところだ。
しかし、ここでは玲奈も赤いテールランプにやられてしまったのか、どこか判
断力がおかしくなっていた。
ドナドナのユニゾン、コーラス、輪唱 — 朝永の苦難は続いた。
1.2
遠くに、うっすらと白い出口が見えてきた。
真田はゆっくりとアクセルを離した。
いきなり明るいところに出てまぶしさで視界を失うことや、出口の先で何か
が待ち構えていることを用心して、十分に車を遅くした。
後ろの朝永もまた、それに続いてスピードをおとした。実のところ、追突せ
ずにすんだのは、ドナドナを歌っていたおかげだったのだが、それを知る由は
なかった。
2台の車は徐行しながらトンネルを出た。
目の前にはヨーロッパ風の大きな屋敷があり、車はその広い庭園の石畳を走っ
ていた。
真っ暗なテレポーテーションゲートから明るく白く見えていた空間は、実際
に足を踏み入れてみると、どんよりとした雲に覆われてうす暗かった。そのこ
とは、高次元空間の中にいることを意味していた。
目の前の屋敷には、明らかに普通ではないところがあった。
屋敷の根元からは何本もの巨大なケーブルが鉄塔とつながっていた。まるで
変電所と送電線のようであり、「地下に何かの施設がある」ことを確信させる
に十分な光景であった。
真田と朝永は、屋敷の入口の近くに車を止めた。
5
一同は車から降りて、トランクを開け、中から物理兵器を取り出して持てる
だけ持った。
学生たちは機動性と攻撃力を考えて武器を選んでいたが、ただ長岡だけは限
度を知らなかった。コマンドーとランボーを足したかのように、両肩に重装備
だった。なぜか右手にはドリルをもっていた。
湯川が自重するように注意したものの、長岡は「漢のロマン5 」と言って、決
して妥協することはなかった。
武器装備も終わって、いざ屋敷に向かおうとしたとき、真田は車のほうをふ
りかえって、懐中電灯のような装置を向けた。スイッチを押すと車の姿は消
えた。
「おぉぉ」
一同は、真田の技術に感服した。
真田は得意そうに、
「駐車違反で捕まらないために密かに開発しておいた車用空間磁力シールド
が役にたつよ。見えないだけでなく、触れることもできない」
とその効力を説明した。
朝永は悪い予感がした。これまで数々の真田の革命的な発明と、致命的なや
らかしを知っているからだ。
「真田さん。多分、別の次元に転送しているんでしょうけど、取り出す装置
が壊れたら、取り出せませんよね」
と質問をしてみた。
今回の真田は、準備周到だった。
「大丈夫です。そんなこともあろうかと取り出す装置は量産してあります
から」
そう言って、手元にあるアタッシュケースから懐中電灯のような装置を取り
出して、一人一人に手渡した。たとえ1台が壊れても、予備がたくさんあると
いうことだった。
朝永は黙ってそれを受け取るも、それでもまだ悪い予感は消えなかった。
1.3
屋敷の玄関には、良く見知った2体の怪人が立っていた。
赤い目が特徴的なバッタのようなお面のディラック。そして、胴体は人間だ
が手足がイカのようなコンプトン。
5 ドリルは漢のロマンだよね
6
先にディラックが口を開いた。
「斎藤は、動力室にいる。取り返して欲しかったら、地下の最下層まで来い」
そう言って、入口の扉をあけた。
コンプトンはうれしそうに多数の手をぬるぬると動かし、
「辿り着ければ、だがな!」
と、そこまでの道のりが困難であることをほのめかした。
湯川は一足前に出て、怪人に見栄をきった。
「おとなしく教授を返せ!ぐうたらで仕事しなくってあらゆることにルーズ
な、そんな人をお前らの味方にしたところで、メリットはまったくないぞ。」
他の学生たちは湯川に続けて言った。
「そうそう。斎藤教授は教授だからこそ光る人だよね」
「人の下で働く姿が想像できないわよねぇ」
「たにんにやさしく、じぶんにもっとやさしいひとですもんね」
「本当マジ本当。考え直したほうがいいぞ!」
褒めているのかそうでないのか……多分、斎藤が「教授であること」自体は
肯定しているのだから、学生なりに褒めたつもりなのだろう。
学生たちの声を聞いた怪人たちは、プロレスのマイクパフォーマンスのよう
な口上合戦につきあうことはなかった。何も言わずに手で合図をして、扉の奥
へと消えていった。
湯川は仲間たちを振り返り、「よし俺たちもいくぞ!」と叫んだ。
全員はうなずいて、戦闘スーツに身を包んだ。
7
討入り危うし
2
2.1
一行は、おそるおそる屋敷へと足を踏み入れた。
先頭の湯川は部屋の安全を確認して、振り返った。
ふと、真田の格好が浮いていることに気がついた。変身スーツを着た5色の
5人と、猫化しているモトコ。その中で、真田だけは変身スーツを着ずにいつ
もの白衣のままであった。
「真田さん。そんな装備で大丈夫ですか?」
真田の答えは意訳すると、「大丈夫だ、問題ない6 」ということだった。
「戦闘スーツは、その表面で時空を歪ませることで防御力をあげているので
す。逆に、体の表面で時空を歪ませることさえできれば、別に戦闘スーツじゃ
なくてもいいんです」
「「「「え?」」」」
皆は呆気にとられた。ここにきて戦闘スーツの全否定である。
スーツ嫌いの玲奈は膝から崩折れて、床に手をついて、
「悲劇のヒロインポー
ズ」をとった。
「くっ……こんな格好をしなくても良かったんだなんて。私の屈辱を返して!」
その演技に対するまわりの反応は鈍かった。もとより、スーツに対して拒否
反応はなかったからだ。
ただ一人、モトコだけが玲奈に同意した。玲奈の肩に、肉球を重ねる。
「これに勝てば、元の生活に戻れるのよ。頑張りましょう!」
モトコは自分を励ますように、玲奈を励ました。
玲奈は少しだけモトコを見直した。モトコの評価は、「美的センスが壊滅的
な悪人」から「美的センスが壊滅的な普通の人」にランクアップした。
一行は、二列縦列になって屋敷の奥へと進んだ。
登山と同じく、弱い者が中のほうに並んでいた。
体力のある湯川と、道を多少知っているモトコが1列目。
次に武器を装備しすぎて着ぶくれしている長岡が2列目。
真田と陽子が3列目。
朝永と玲奈が最後尾をつとめた7 。
6 「エルシャダイ」はこのセリフの他にもわざとツッコミ待ちのネタを仕込んでいるらしい
7 最近のラノベでは、こういう配置を表現するときに、文章を使わずに絵で説明するものもある。
「そんなのは小
説じゃない」「いやこれも小説の進化系だ」「わかりやすくていいじゃない」とネットで議論がおこっているようだ。
個人的には、小説黎明期にすでに定型から外れた小説が書かれているわけだから(トリストラムシャンディ)、なん
でもありなんだと思う
8
屋敷の中は、外見優雅さとはうらはらに、大学の研究室のようであった。元々、
怪人は研究者であり、戦闘員は物理学徒なのだ。
湯川たちは遠くに数人の黒タイツ戦闘員を見つけた。
「まずい」と湯川は隠れようとしたが、モトコは「待って」とそれを制した。
「いざとなったら勝てるでしょ。ここは事を大きくしないこと」
モトコには策があった。
この屋敷の中では、怪人は決して特異な存在ではない。それどころか、黒タ
イツ戦闘員よりははるかに上の立場にある8 。
モトコは黒タイツたちに、自分の身分証を見せながら、
「ちーっす」
と軽く挨拶した。
「こいつら、あたしの部下の新人ね。見学させてるの」
そのモトコの声と同時に、湯川たちは新人のふりをした。黒タイツに挨拶を
したり、「よろしくおねがいします」と握手をしたりした。
湯川たちは疑われることなく、その場を通り過ぎた。
モトコは、何度かここに来たことがある。
最後に来たのは、先日自分が改造されたときであったから、まだ記憶に新し
かった。
モトコは、自分の身分では入れない場所が、地下の動力室へ行く手がかりに
なると考えていた。
「あたしが入れない場所があるの」
と言った。
湯川と長岡は同時にボケた。
「「男子トイレか?」」
次の瞬間、赤のマスクと黄色のマスクには、猫の爪痕が刻まれた。
2.2
しばらく進むと、モトコは足を止めた。
「ほらあそこ、最高幹部しか入れない場所があるの」
モトコの猫の指の先には、検問所のような扉があり、黒タイツ戦闘員がいた。
湯川たちは物陰に隠れて、戦うべきかどうするのか、少し話し合った。
8 設定では、怪人>=人のまま>黒タイツ
9
「時間をかけるわけにはいかない」ということは明らかだった。
一か八か、力業で突破するしかなかった。
意を決して検問所に向かおうとしたとき、検問所には黒い背中の男が立って
いた。ディラックだった。
ディラックは、その赤く大きな目で湯川たちを見つめて、手招きをした。
湯川たちにとっては、ディラックはいずれ戦わなければならない相手である。
拒否しても仕方がなかった。
湯川たちは、一歩一歩、ゆっくりとディラックに近付いた。
ディラックは余裕の様子を見せた。
「新人さん。見学の経路が違うよ。着いてくるがいい」
と言った。
湯川たちはその言葉を、遠回しに決闘の場所へ導いている言葉だと解釈した。
しかし、ディラックの行動は、その予想に反していた。
一同が立ち止まったのは、パイプスペースの入口だった。ディラックはその
扉を開けて、
「このケーブルの元をたどれ。矢印もある」
と言った。屋敷の外から見えた、太いケーブルがそこにあった。これをたど
れば、動力室にたどり着くという意味であった。
湯川たちは当然の疑問を口にした。
「いったい何のために?」
ディラックの答えは、湯川には返らなかった。
「まぁ小さいことはいいじゃないか、真田」
と、ディラックは答えて、少しだけ真田と目をあわせた。そしてすぐに、
「早く行け!またあとで会おう」
と言い残して、その場を去っていった。
2.3
パイプスペースの中の梯子を降りると、狭い通路に出た。
そこは、部屋と部屋の間にケーブルを通す空間であった。打ちっぱなしのコ
ンクリートの壁が、圧迫感を強調していた。
武器で着ぶくれしている長岡には難儀な場所であった。長岡がつっかかるた
びに歩みは止まる。
最後尾の朝永は、
10
「長岡くん、後ろにまわったらどうかな」
とアドバイスした。そうすれば通路に詰まった長岡を放置プレイにして先に
進める。
しかし、順番を変えようにも、そのための空間はなかった9 。
ついには、長岡は前に進むにも後ろに進むにも、どうにもならない状況に陥っ
てしまった。
押してもだめ。引いてもだめ。
しばらく試行錯誤をしたあと、湯川は、原子核もすっぱり切れる「π中間子
ナイフ」を取り出して、
「切ればいいんだよ。根性さえあれば、腕なんてまたはえてくる」
と危険な冗談を言った。
長岡はまだ死にたくなかった。家のオタクグッズを処分しないまま死ぬわけ
にはいかないのだ。
「並進がだめなら、振動か回転っすよ!そうそう、自分を前に倒せば通れる
んじゃないですかねぇ。ほら、『俺の背中を踏んで行け!』ってやつですよ」
どうやら長岡は、そのシチュエーションで格好つけてみたいようだった。
とりあえず、湯川は前から、朝永は後ろから、長岡を前転させようとした。
それはちょうど狭い隙間に厚いくさびを打ち込むようなものだった。
ガリガリと、長岡の装備した武器が壁をこする音が響いた。
力学的な負荷は、長岡でも武器でもなく、横の壁に集中していた。
長岡が45度の前傾姿勢になったとき、パキっと壁にヒビが入った。ちょう
どその場所だけ後付けで壁をつくったのだろうか、コンクリートではなく石膏
ボードの薄い壁になっていた。
さらに長岡を倒すと、ヒビはひろがっていき、壁の向こうをのぞけるくらい
にはなった。
湯川と朝永は、長岡を30度の姿勢で放置したまま、壁の隙間から奥をのぞ
きこんだ。そこには、コンピュータが並ぶサーバ室があった。人はいないよう
だった。
湯川は体力が余り、鬱憤がたまっていた。破壊活動をしたくてしかたがなかっ
た。バールのようなものを手にして、部屋の中で暴れていいものか、皆の許可
をとろうとした。
朝永と真田としては、ここで時間を使いたくはなかったし、音をたてて気づ
かれたくはなかったため、湯川の提案を却下した。
9 物の整理って、必ず物を待避する用の場所がないと無理だよね。いいかえると、ある乱雑さを越えたら急に整理
不可能になる。「ごみ屋敷」ができるのはそういう理由だと思う
11
ただし、ふたりとも統一物理協会のデータには魅力を感じていた。
結局、悲しい学者のサガなのか知的好奇心が勝ってしまい、少しのあいだだ
けコンピュータの中をのぞいてみることにした。
2.4
部屋に入る前に、赤外線スコープで警報装置がないかを確認した。秘密基地
の中であっても、身内しかいない安心感からか、そういった装置や監視カメラ
も皆無であった。
つぎに敵が入ってこないように、サーバ室の入口のカギを締め、ロッカーを
動かして入口を塞いだ。
朝永が目をつけたのは、メールサーバだった。
「モトコちゃんは、協会のメアドがあるから、これを使えるはずだよ」
とログインを促した。朝永は、モトコをコンピュータにログインさせて、そ
こをきっかけに取れる情報を取ろうと考えていたのだった。
モトコ答えは「ダメ」だった。かといって、朝永の計画が無理という意味で
もなかった。
「この手でどうやってキーボードを打つのよ!」
そう言いながら、モトコは毛むくじゃらな手を握り、肉球をわきわきさせた。
—ごもっともなことだ。
結局、モトコがパスワードを口述することで—それは一般的には恥ずかしい
部類の言葉だったが—、朝永はメールサーバに入ることができた。
部屋の監視と同様、コンピュータのセキュリティもかなり甘いものであった。
研究者のあいだは性善説で成り立っている世界なのだ10 。
朝永はまずはじめに、そのメールサーバを使っている人たちの一覧を調べた。
ディラックやコンプトンはもちろん、これまで倒した怪人たちの名前もあった。
ホウ教授の名前も、すぐに見つかった。
「さて、メールの中身を見てみるか」
犯罪行為である11 が、朝永は大正義のためにやむを得ず罪を犯すことにした。
すぐに朝永は違和感を覚えた。
「あれ?ローマ字じゃないんだ?」
メールは文字化けしまくっていた。文字コードは、なぜか中国語だった。
10 だから共著者による論文のチェックも「不正はしていない」という前提で行われているわけで……O保方ェ
11 マジで捕まるのでやめましょう。それはそうと、ベ○ッセの営業は早く詫びに来なさい
12
一方、部屋を物色していた湯川は、
「おい、これすげーわ!」
と、突然に笑いの混じった声をあげた。
何事かと皆は湯川の元に集まった。
湯川は、測定機器のコンピュータの前にいた。
「これと同じやつがうちの大学にあるじゃん。ためしに初期設定の管理者パ
スワードをいれたら、使えちゃったよ12 」
朝永は湯川に席をかわってもらうと、高速のタイピングを始めた。まるで呪
文を唱えるかのようにコマンドを打ち込んだ。—それが何であるかは、しばら
く後になって分かることになる。
一同はサーバ室で10分ほど過ごした。
その間、長岡は前傾姿勢のまま放置され、存在を忘れられていた。
2.5
湯川たちはサーバ室をあとにし、探索を続けた。
ケーブルは、次第に束ねられ太くなっていった。動力室への経路を正しく進
んでいることを示唆していた。
道標となっている矢印に従って角を曲がると、にわかに通路が広くなった。
壁のコンクリートがペンキで塗装されており、何かの施設にたどり着いたこと
が、誰にでも分かった。
湯川はゆっくりと足を踏み入れた。
すぐに違和感に気づいた。足がやたらと重かった。
「止まれ!罠だ!」と声をあげた。
湯川は片足を踏み出したまま動けずにいた。
一同はそれを見て、その足が床にくっついているのだと理解した。
朝永は床すれすれに頭をつけた。床の反射がそこだけ微妙に違っていた。
「これはまさしく、ヒッグスシート」
「なに、知っているのか朝永」
「うむ。かつて、イニシャルGという昆虫13 に悩まされた物理学者がいた。
そこで開発したのが、局所重力場でどんなものでもくっつけてしまう究極のG
ホイホイだ」
「すげぇなそれ。でもなんで実用化されてないんだ?」
12 恐ろしいことに、昔はその状態で全世界につながっていたこともある
13 筆者は猫を飼いだしてから、なぜかゴキブリを見ません。—もしかして食ってるのか?
13
「実験中に、シートにくっついて取れなくなる研究者が続出したんだ……」
強すぎる接着剤が使いにくいのと似たような理由だった。
湯川は剥がれない片足を振動させて、
「これ、どうやったら取れるんだ∼!」
とヤケ気味に言った。
長岡は、先に湯川がやったネタを逆手にとった。
「足を切ればいいんですよ、さっきのナイフで。スパっと惨状、スパッと
解決!」
湯川はバールのようなものを振って長岡に物理的ツッコミを入れようとした
が、足が固定されているせいでリーチが足りなかった。
いつものふたりの漫才を冷たい視線で見ていた玲奈が、ふとひらめいた。
「そういえばスーツは飾りなんですよね。ねぇ真田さん」
スーツを着ることを根にもっている玲奈は、少し誇張気味に言った。
真田は答えた。
「飾りってわけじゃないですけど、少し穴があったところで、大きな影響は
ありません」
「だったら、靴を脱いだり、靴底を削ればいいんじゃない?」
玲奈の提案に、皆は賛成した。
湯川ははじめに靴を外そうとした。が、靴を外そうとすると下半身の服が全
部もっていかれそうだった。こうなると、靴底をスライスするほかなかった。
π中間子ナイフを取り出して真剣に作業をする湯川、それを見守る一同。—
ただ、長岡はその静寂に耐えきれず、要らぬツッコミを入れてしまった。
「ここで体勢をくずしてつんのめったら、笑いがとれますよ」
湯川は少し苛立ったが、それで集中を乱されることなく、長岡のフラグをへ
し折って、無事に復帰することができた。
落ち着いてまわりを見てみると、この重力異常地帯は距離にして3メートル
ほどであることがわかった。
向こうの壁には道案内の矢印が見える。矢印の横に書かれた「ここ」の文字
が、挑発しているかのようだった。
ゴールまであと一歩、最後の試練だった。
14
3
討入りの日
3.1
屋敷の地下の動力室。
そこには重低音をあげて回転する大きな動力炉があった。
「すばらしい。これぞ究極のエネルギー源だ!」
傍らに立っている科学者はいくつもの触手をばたばたさせた。イカ男コンプ
トンがそこにいた。
「君は天才だった。そして今でも」
そう言って、椅子に座る白髪頭の男を見た。
そこには斎藤教授が、軽く拘束されていた。
「わしの若気の至りじゃ。悪夢なんじゃ」
斎藤教授は目の前にある巨大な現実を否定するように言った。
コンプトンはとりあわなかった。
「そう悪夢だ。君が悪魔とあったという非科学的な夢。その夢を君が研究仲
間にしたとき、はじめは誰も信じなかった。しかし、それが具体化しているの
を見たとき、私はそれを信じざるをえなかった。私だけじゃない、君を信じた
科学者がここに集まっている」
「単にわしは、ゴキブリと掃除が嫌いだったからじゃ」
「1つめの願いが『宇宙最強のゴキブリホイホイ』。そして2つめの願いが
『マイクロブラックホール無限ごみ箱』。」
そう言って、再び動力炉を見た。
動力炉の中心では、小さなごみ箱が上下を軸にゆっくりと回転していた。
ごみ箱には数秒に一回、ペレットが投下されていく。それは運動エネルギー
を増し、七色に変化する激しい光を出して、ごみ箱に落ちた。事象の地平面14 の
向こうから、二度と戻ってくることはなかった。この装置は、ブラックホール
への落下にともなう電磁波をエネルギーとしてとりだすものだった。
コンプトンは振り返って斎藤教授を見た。
「確か、君は3つめの願いを言っていなかったはずだ。もし今でもそうなら
ば、その3つめの願いで我々に協力してほしい。この動力炉はもう寿命なのだ」
統一物理協会が斎藤教授を狙っていたのは、動力炉のためであったのだった。
斎藤教授は、いくら旧友の頼みであっても、聞くことはできなかった。
「この世にあってはならないものは、それが亡びるがままにすればえぇ。そ
れが自然の摂理ってもんじゃよ」
14 ブラックホールのまわりにある、そこより内部からは光も脱出できないという境界面
15
それ以上は会話が続かなかった。巨大な空間を、機械の重低音が響いた。
3.2
ふたりの沈黙を破るように、動力室の入口の重い扉が開かれた。
扉からは世界征服の煙がもうもうと流れてくる。煙がおさまると、そこには
車いすの男がいた。—ホウ教授である。
その車いすの後ろには、中国支部のヤンとリーがひかえていた。
コンプトンは、うやうやしく挨拶をした。
「ホウ教授、この通り斎藤を捕らえてきました。教授も斎藤を説得してくだ
さいませんか?」
と、ホウ教授にお願いした。
ホウ教授の答えは、コンプトンの意に沿わないものだった。
「否!否!否!世界征服 優先事項也」
ゆっくりと機械の声が響いた。
続けてヤンとリーが、教授の意向を詳しく翻訳した。—もっとも、教授の本
当の意向かは確かめる術はないのだが。
「そういうことネ。あきらめるネ」
「それはそうと、相手にこの重要機密を見せたこと、万死に値するなりよ」
コンプトンは「死」という言葉を聞いて、不安を覚えた。
「ちょっと待ってくれ。斎藤はもとからこのごみ箱を知っているのだ。機密
も何もない」
しかし、ヤンもリーも聞く耳をもたなかった。手を上げて合図をすると、そ
の後ろからぞろぞろと黒タイツ戦闘員があらわれた。
斎藤教授は、この状況下でもマイペースだった。
「あぁそうか。あのごみ箱からエネルギーを取り出せるようにしたのは、誰
かと思えばホウ先生か」
と言った。旧友と出会ったことで、昔の記憶が少しずつよみがえってきていた。
「しかし、ホウ先生はブラックホールの専門家。この程度のメンテナンスは
自分で簡単にできるはずじゃがな」
旧友だから知る、素朴なツッコミだった。
その疑問が、疑惑を生んだ。
そう言われると、最近のホウ教授は自分の知っている研究者とは違っている
ように、コンプトンには思えてきた。
ヤンとリーは、
16
「なんのことかネ?」
「今のも万死に値するなりよ」
と反論したが、少し声がうわずっていた。
突然に、上のほうから「その通りだ!」と声が聞こえた。
皆が上を見上げると、クレーンには黒ずくめの怪人・ディラックがいた。
ディラックはホウ教授のすぐそばに飛び降りた。着地と同時にホウ教授の肩
を軽く倒すやいなや、コンプトンと斎藤教授のいる動力炉の前へと素早く跳躍
した。その動きには誰も対応ができなかった。
ホウ教授は、重量がないかのように、簡単に車いすから前に倒れた。そして、
床に落ちたとき、その手足はばらばらの部品に分解した。
「「こ、これは人形!」」
ホウ教授は、ただの物体であった。
ヤンとリーは思いもせぬ展開に、本音を隠す余裕もなかった。
「こうなったら仕方ないネ」
「オーダー666、発動なりよ」
二人はなりゆきで、ずっと狙っていた統一物理協会乗っ取り計画を発動した。
扉の奥からあらわれた戦闘員が、動力炉の前にいるコンプトンとディラック、
そして斎藤教授を遠巻きに囲んだ。
3.3
一方、ヒッグスシートの前では、湯川たちが思案を続けていた。
朝永は、
「真田さん。竹とんぼ式反重力装置とか、便利なものはないんですか?」
と聞いてみたが、真田の答えは煮えきらなかった。
「あることはあるのだが……このヒッグスシートの近くでは、使えないみた
いなんだ。反重力の効果が負けてしまう」
竹とんぼのような機械を手にして、軽く空に浮かばせてみたが、それは力な
くゆっくりと下に落ちていった。
物理兵器が使えなければ、力業に頼るしかない。
壁づたいに移動したり、ロープを張ったりするなどのアイデアが出たものの、
このメンバーでそれができる体力があるのは湯川だけだった。
万策尽きた。
朝永は開きなおって冗談を言った。
17
「じゃあ、湯川くん。あとはまかせた!」
そう言われた湯川は、自分だけが犠牲になることは避けたかった。他人を巻
き込みたかった。悪知恵となると、急に頭の回転が速くなる。すぐに回転灯が
ピコピコと点滅した。
「ヒーローになるチャンスだ」
と長岡に向かって言った。
朝永と玲奈は瞬時にその意味がわかった。
「さっき、『俺の背中を踏んで行け!』って言ったわよね。」
「自己犠牲はドリルよりも漢のロマンだよねぇ」
皆は鬼畜だった。
ここでは一番の人格者であるはずの真田も、
「渡ったらすぐに助けてあげますから」
と止めなかった。
長岡は観念して、重装備の武器をおき、格好つけたイケメンボイスで
「俺の背中を踏んで行け!」
と叫んで、ヒッグスシートに向かってダイブをした。
皆は、少し気の毒な気持ちで、ゆっくりと長岡の黄色い背中を越えていった。
ここに至っても長岡は、
「もっと踏んで」
「きもちいい」とボケることを忘れ
なかった。
皆の罪悪感は消え去った。心おきなく長岡を踏んだ。
湯川は最後に渡った。
湯川が背中のあたりに登ったとき、真田の声が響いた。
「湯川くん、背中に切れ目を入れるんだ。長岡くんが出てこれるように」
湯川は薄皮一枚をつまむようにして、ナイフでうまく背中の戦闘スーツを縦
に切り、長岡から跳び降りた。
黄色いスーツの背中の隙間から、めりめりと「中の人」が出てきた。まるで、
サナギが羽化するかのようだった。
「超力招来!15 」
長岡は地面にひっついたままのスーツから脱皮して、立ち上がろうとした。
その瞬間、朝永は「女子はあっち向いて」と指示した。
真田はあらかじめ準備していた予備の白衣で長岡の身を隠した。
それらは長岡がいろいろ晒す前に間に合い、2人の女子と1人の腐女子は目
のやり場に困らずにすんだ。—もっともモトコは困らなかっただろうが。
15 サナギマンの姿は、生理的に受け付けない
18
4
4.1
ファインマンチーム討入り
↑ちなみに元ネタは NHK の元禄繚乱。「討入り」で4週も引っ張った
全員がヒッグスシートを突破したところで、湯川は目の前の重い扉を開けた。
扉をあけると、そこは動力室だった。
湯川たちが出現したのは、斎藤教授と中華戦闘員たちの中間であった。一触
即発な空気のまっただ中にあった。
湯川は場違いな空気をごまかすために、
「俺、参上!」
と言ってみた。とりあえず、敵を数秒間だけ動揺させることはできた。
その間に皆はきょろきょろと左右を見わたした。
巨大な動力炉の前に、斎藤教授を見つけた。斎藤教授のまわりに怪人が二人
いるが、その存在の是非について考える余裕はなかった。皆は斎藤教授を守る
ために動力炉の前へと駆け寄った。
戦闘が始まった。
湯川たちは、バールのようなものやハリセンやムチを手にして優勢に戦った。
特に、湯川はこれまで溜っていたフラストレーションを爆発させるように、
ここぞとばかりに暴れまくった。
「破壊だ!破壊だ!俺は破壊の神だ!」
どこかネジがふっとんでいた。
今回は敵の本拠地だけあって黒タイツ戦闘員がやたらと多かった。湯川たち
は個々の強さはあったものの、数の力に押されるのは時間の問題だった。
なりゆきで味方になっているコンプトンはそれなりに強かったが、イカの触
手の数以上の戦闘員による飽和攻撃をうけてしまっては、どうしてもダメージ
を受けざるをえなかった。
また、ディラックはというと、ライダーキックで一人一人をちまちまと倒し
ている状況であり、ジャンプキックをする体力が尽きるのは時間の問題だった。
そのうちに、状況はもっと悪くなった。「オーダー666」を受けて、怪人
たちもこの場へと集まり始めたのである。
朝永は隙をみて、後ろにいる真田に助けを求めた。
しかし、真田は真田で必死であった。斎藤教授の側で、モトコや陽子と一緒
に防戦中だった。
朝永は、目前の戦闘員をハリセンで乱打しながら、作戦を考えた。「来る敵
を倒す」という正攻法を取っている限り、ラチがあかないと思った。発想の転
19
換が必要だった。
ふと、単純なことに気づいた。
(たまたま、斎藤教授を守るために動力炉の前に陣どってはいるけど、動力
炉そのものを守る義務は全くないんだよなぁ……)
4.2
朝永は湯川に近寄り、自分の思いついた作戦を伝えた。
湯川はそれを了解し、長岡に指示をして敵をひきつけてもらおうとした。
長岡は黄色のスーツではなく白衣に身を包んでいる。真田用の白衣だけあっ
て、やたらと高機能だった。そのうえ、武器は重装備である。おとりとしては
最適であった。
湯川と朝永は、動力炉前の斎藤教授の元に駆けつけ、通り過ぎ、背後にある
動力炉のコントロール台の上に飛び乗った。
朝永の作戦の始めは、陽子による音波攻撃だった。
陽子は拡声器のような兵器を口元にあて、大きく息を吸った。
すぐに、狂気の笑い声が敵も味方も区別せずに襲いかかった。味方はある程
度の慣れがあるため、敵のほうが大きなダメージをうけた。
敵の手がとまった。
湯川は陽子から拡声器を受け取り、啖呵をきった。
「おい、おまえら!これ以上抵抗するとこいつをぶっこわすぞ!」
バールのようなものをふりあげて、コントロール台に叩きつけるふりをした。
敵集団からはもちろん、今は協力下にあるコンプトンからも「それはやめて
くれ」と情けない声が聞こえた。
湯川は、「効いてる効いてる」とマスクの下でほくそ笑み、拡声器を朝永に
渡した。
「統一物理協会の皆さん、よく聞いてください。皆さんのサーバに仕掛けを
しておきました。今日中にデータが抹消されます。これを外せるのは私だけで
す。私に何かあると大事なデータが消えますよ?いいんですか?」
それは朝永がサーバ室でいたずらしたときに仕掛けておいた罠であった。
学生たちは鬼畜であった。そこには「悪」も「正義」もなかった、ファイン
マンチームは正義の味方ではなく自分達の味方なのだ16 。
16 ヒーローは「正義の味方」じゃなくて「人間の味方」なんだ
20
この脅しは効いた。
敵の怪人や戦闘員は、大切な研究のデータをバックアップしようと、一目散
に自分の研究室へと走り去った。
首謀者であるヤンとリーとその近衛戦闘員は最後まで残っていたが、逃げて
いく人の波につられて、一人また一人と背中を向けた。
最後に、
「覚えておくネ」
「次がおまえたちの最後なりよ」
と定番の捨て台詞を残して、去っていった。
4.3
湯川たちは一息ついた。
敵がデータのバックアップを終わってまたここに駆けつけるまで、少しだけ
時間を稼ぐことができた。この間にいろいろ片付けなければならない。
まずは、斎藤教授からこの動力炉についての昔話を聞いた。
学生たちは、
「だいたいこいつのせい」と、正しく認識した。それと同時に、
「3つの願い」の悪魔についての疑問が残った。
その悪魔については、真田と湯川と長岡が良く知っている17 。
「これのことかな」と、真田はアタッシュケースを開き、中から瓶をとりだ
した。研究室から持ってきていたのであった。
フタをあけると、ぽんと軽い音がして、マックスウェルの悪魔が現れた。
Ψ x ((ρ∇∇ ρ))x Ψ∗
「呼ばれて飛び出て、異次元から遊びに来てやったで∼」
と軽いノリだった。
悪魔は斎藤教授のことを覚えていたようだった。カオスな方言で語りかけた。
「あんさんの3つめの願いが、まだだべさ。はよぅしてちょ」
皆の視線が斎藤教授に集まった。3つめの願いを何と言うかに注目した。
コンプトンは、斎藤教授をここにつれてきた目的を改めて言った。
「『この動力炉を完全なものにする』と言ってくれ。人類の科学のためだ」
斎藤教授は、以前と変わらず否定的だった。
「なぜそこまで、この動力炉にこだわるのかね?」
と、質問を返してみた。
17 12巻など
21
コンプトンの答は明解だった。
「この動力炉こそ、高次元物理学を実現させる強大なエネルギーの源。みん
なも見ただろう、すばらしい高次元テクノロジーを。テレポーテーションをし
たり、物質をカプセルの中に閉じ込めたり、夢の技術がそこにある」
コンプトンは続けた。真田に向かって言った。
「そこの若い学者さん。あなただって、この夢の技術を実際に手にした喜び
はあっただろう」
真田は「しかし……」と言おうとしたが、良い反論を思い付かなかった。高
次元物理を利用した兵器をつくることは、確かに楽しかったのだ。
真田のかわりに、斎藤教授が答えた。
「再現できない科学。誰にも直せない技術。それにどんな意味があるんかい?」
と言った。さらに、
「我々は学者だ。そして君も」
と付け加えた。
コンプトンは斎藤教授の意志が堅いことを理解し、溜息をついて「夢は終わ
りか」とつぶやいた。
学生たちは、斎藤教授がそれまで見せることのなかった意外な一面に驚き、
感服していた。
結局、斎藤教授は3つ目の願いを「面倒くさい」ということで、考えないこ
とにした。
悪魔は、契約が先伸ばしになることに嫌そうな顔をしながら、
「死ぬまでにはよろしくたのんまっせ」
と言って、異次元の世界へと帰っていった。
4.4
動力炉は修理されることなく、そのまま寿命を待つこととなった。
動力炉さえなくなれば、高次元テクノロジーを支えるエネルギーがなくなる。
高次元空間は消え、物理兵器はがらくたになる。統一物理協会は機能不全で解
散となり、怪人は元の研究者の姿に戻る。
遅かれ早かれ、統一物理協会は終焉を迎えることが運命づけられた。
あとは、それがいつになるかだった。
湯川たちは、せっかくここに来ている以上、すぐにでも引導を渡すべきだと
考えた。しつこそうな中国支部を相手にしたくはなかった。
22
もはやコンプトンは抵抗する気力を失っていた。
「好きにすればよい。君たちに恨みはない」
と、反対しなかった。そして、
「夢が壊れるのを見たくない」
と言って、静かにその場を立ち去った。
学生たちは、これで最後とばかりに暴れた。
コントロール台は破壊され、基板は煙を吹き、ケーブルからは火花が飛んだ。
そのうちクリティカルな回路が壊れたのか、動力炉が低い唸りをあげた。そ
の音は次第に低く、小さくなった。動力炉中央にあるごみ箱の回転がゆっくり
になり、永遠に止まった。
天井の電灯が半分消えた。非常用電源に切り替わったのだった。
湯川と長岡は、両手をバンザイして「オワタ」と喜びながら、諸悪の根源の
ごみ箱を回収した。ごみ箱の中には小さな黒い点があった。暗闇で真空にして
おけば、そのうち蒸発してしまうであろう。
不思議なことに、動力炉が止まってもまだ変身は解けていなかった。コンプ
トンもディラックもモトコも、怪人の姿のままだった。
皆が不審に思っているところに、破壊活動を遠巻きに見ていたディラックが
説明を入れた。
「非常用電源さ。今日中には切れるだろう。切れないうちに帰るがいい」
皆はその言葉に促されるように、速やかにその場を脱出しようとした。
そのとき、扉のほうで大きな物音がした。
動力炉の異変に気づいた戦闘員たちが、駆けつけてきたのだった。
湯川たちは、にわかに走って扉に近寄り、鍵をかけた。
扉の外からはドンドンと叩く音が響いた。外から中に力をかけて、扉を壊し
てでも開けようとしていた。
皆は、扉を支えるために、何か重いものを探した。しかし、サーバ室の入口
をロッカーで塞いだような、適切なものは見つからなかった。
湯川は、とりあえず「重いもの」を考えた。
すぐに、車のことを思いついた。急いでいたため、深く考えることなく、懐
中電灯のような機械を取り出して、扉に向けた。
扉の前には、朝永の車があらわれた。車は扉が開こうとするのを、その重さ
で押しとどめた。それでしばらくは時間が稼げそうだった。
朝永は呆然とした。
23
「えぇ?僕の車?」
あまりにも急な展開すぎて、湯川を責める余裕がなかった。もっとも、この
ような緊急の場では使える物を使うしかないわけだから、湯川のことを責める
気にもなれなかった。
斎藤教授は、自分を助けにきてもらったことに責任を感じていた。
「よし。無事に戻ったら、わしが新しい車をプレゼントしてやるわい」
と約束した。斎藤教授にはめったにない大サービスだった。
朝永は「絶対ですよ」と念押しして、扉の前に近寄った。自分の車から必要
な荷物を救出して、車から離れた。
4.5
一同は、来た道を引き返した。
屋敷の中は、少し騒然としていたようだったが、動力源がなくなってしまっ
た以上はどうしようもなく、厭世的なあきらめムードが支配していた。
屋敷の裏の庭園までたどり着くと、真田は懐中電灯のような機械を取り出し、
自分の軽ワゴンを出した。
帰りは、真田の軽ワゴンだけが頼りだった。行きと比べて、物理兵器を積む
必要がなくなったとはいえ、斎藤教授と朝永車の3人が増えている。
朝永車に乗っていた3人と、比較的体が小さいからという理由でモトコが荷
物室へと押し込まれた。—まさしく、ドナドナ状態だった。
真田はディラックと別れる前に、どうしても聞きたいことがあった。
「なぜ、死んだふりをする必要があった?」
真田は、ディラックの正体が、命をかけて自分に高次元物理を教えてくれた
親友であると確信していた。
ディラックは正体を名乗ることなく、しかし分かるように答えた。
「俺は、高次元物理の誘惑に負けて協会に入って研究者の道を踏み外した。
こんな俺はお前にあわせる顔も名前もない」
真田は、「飛島」と呼びたかったが、それを呼ばないことで友情に応えた。
ディラックは、
「ほら行け。ぼやぼやしてるとテレポーテーションゲートが閉まるぞ」
と言って真田の肩を叩いた。
学生たちは戻ってきた。日常が戻ってきた。
24
5
これがやりたっかんかい……
5.1
4月の大学は、1日目から忙しい。
健康診断と教科書販売、新入生に向けた勧誘活動……やたらと無駄な活気に
満ちていた。
その人混みや雰囲気は、斎藤教授が苦手とするところだった。
「嫌な季節だ」
とつぶやいた。無性にこの混雑する大学から離れたくなった。突然に学生部屋
を襲撃して「花見がしたい」と言った。
いつものわがままな教授だった。そこには動力炉で見せた科学者らしい威厳
は微塵もなかった。学生たちは心の中で(返せ、俺の感動を返せ)とツッコむ
と同時に、(これこそが我が教授)という妙な安心感がこみあげた。
学生たちは教授の相手をするのが面倒くさいため、
「明日健康診断だから」と
やんわりと断ってみるが、それで逃げきれる相手ではなかった。
5.2
研究室の面々は春の甘い香りの中、大学近くの古田神社へと向かった。そこ
は、定番の花見場所であった。
途中のコンビニに寄って、花見の食糧を買いあさった。コンビニでは、人間
の姿に戻ったモトコがレジのバイトをしている。
モトコは、レジに並ぶ湯川に、
「昼間から酒呑みって、良い身分ね」と呆れた。
湯川は怒ることなく、「そう、大学生は天職さ」と答えた。
古田神社のふもとには、すぐに着いた。
山の頂上へは長い階段があった。
湯川は体力が有り余っているのか、小学生の遊びのように階段を全速力でか
けあがった。階段の途中で振り向いて、下から登ってくる朝永たちを待った。
眼下には、京都理科大学の構内が見える。修士課程になった湯川は、「今年
は真面目に研究するぞ」と新年度の誓いをたてた。
「俺はようやくのぼりはじめたばかりだからな。このはてしなく長い研究坂
をよ……」
そんな気分新たな学生たちを、総合人間・環境学部の織田先生は、正義のヒー
ロー・ヤキソバンの姿となって応援するのであった。
25
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