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はじめに 1990年代からマラッカ・シンガポール海峡(以下、「マラッカ海峡

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はじめに 1990年代からマラッカ・シンガポール海峡(以下、「マラッカ海峡
Nishimura Yumi
はじめに
1990 年代からマラッカ・シンガポール海峡(以下、「マラッカ海峡」)において、また近年で
はソマリア沖海域において、
「海賊」による被害が頻繁に報告されている。日本関係船舶(1)
を例にとっても、1999 年にマラッカ海峡を通航中であった貨物船アロンドラ・レインボー
号が武装集団に強奪された事件や、2008 年ソマリア沖でタンカー高山が襲撃された事件な
どは記憶に新しい。本稿は、両海域におけるこれらの攻撃行為に対する国際的な対応のあ
り方を確認し、そこに含まれる国際法上の問題について若干の整理と検討を行なうもので
ある。
本論に入る前に、海賊とは何か、海賊に対して国家は何をなしうるのかを確認し、問題
点をより明らかにする必要があろう。慣習法規則を反映しているとされる「海洋法に関す
「公海における他の船舶若しくは航空機又はこれ
る国際連合条約(海洋法条約)」101 条は、
らの内にある人若しくは財産」に対して「私有の船舶又は航空機の乗組員又は旅客が私的
目的のために行うすべての不法な暴力行為、抑留又は略奪行為」を海賊行為と定め、加え
て、こうした海賊行為をするという事実を知って船舶・航空機の運航に自発的に参加する
行為、さらには、海賊行為の扇動・故意の助長をも海賊行為にあたるとしている(2)。
ある船舶が以上のように定義される海賊行為を行なっていることを「疑うに足りる十分
な根拠」がある場合には、いずれの国の軍艦・軍用航空機、または政府の公務に使用され
ていることが明らかに表示されておりかつ識別されることのできるその他の船舶・航空機
も、公海上で当該船舶に対して臨検を行なうことができる(海洋法条約 110 条)。さらに、こ
れらの艦船・航空機は、海賊船舶および海賊行為によって奪取され海賊の支配下にある船
舶を拿捕し、当該船舶内の人を逮捕し、財産を押収することができ、自国の裁判所におい
て海賊容疑者を訴追することができる(同 105 条)。
これらの規定は、1958 年採択の「公海に関する条約」のそれぞれ 15 条および 19 条をその
まま引き写していることもあって、
「公海」における行為を対象としている。もっとも、海
洋法条約は、新たに導入した排他的経済水域(EEZ)について、58 条 2 項において「第 88 条
から第 115 条までの規定は、排他的経済水域について適用する」としており、EEZ において
101 条所定の行為を行なった者も海賊と評価されることになる(3)。EEZ において沿岸国に認
められるのは条約が明示的に定める資源管理や環境保全など一定の分野に関する機能的な
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マラッカ海峡およびソマリア沖の海賊・海上武装強盗問題
管轄権に限られており、海賊の取締りについて沿岸国は優先的な立場にないからである。
したがって、国際法上は、101 条が定める海賊の要件に合致する者に対して、あらゆる国
家が特定国の領水外においてであれば、拿捕等の執行管轄権を行使することが認められ、
さらには本国に引致して司法管轄権の対象とすることも認められる。いずれの国家の領域
的な管轄権も及ばない海域において不特定の船舶を無差別に襲撃する海賊は、
「海上交通の
(4)
という意味において、
「人
一般的安全(sécurité générale de la circulation maritime)を侵害する」
類共通の敵(hostis humani generis)」であるとして、いずれの国家も管轄権を行使して取り締
まりうることとしてその規制を図ったものである。
海賊の定義をめぐっては、従来から「私的目的」要件をいかに解釈するかが大きな争点
だが(5)、マラッカ海峡およびソマリア沖の「海賊」については、金銭目的で無差別の攻撃が
行なわれているようであり、いずれにせよ同要件は充たされると考えられる。他方で、こ
れら最近の事例においては、上記の海賊の定義では対処しきれない事態があることや実際
の運用において種々の問題があることが徐々に明らかになってきている。第一に、たとえ
ば、特定国の領海において暴力行為や略奪が行なわれた場合には、上記定義によっては海
賊と位置づけられず、沿岸国以外による管轄権行使が困難となる。また、第二に、国際法
上各国に取締りの権限が与えられるとしても、これが権限付与であって義務づけではない
以上、その具体化は各国の自発的な選択に依るほかはないという限界がある。海洋法条約
は、
「すべての国は、最大限に可能な範囲で、公海その他いずれの国の管轄権にも服さない
場所における海賊行為の抑止に協力する」旨を定めるが(100 条)、テロ関連の国際犯罪条約
などとは異なって条約当事国に具体的な訴追義務を課すわけではない。したがって、海賊
に対していずれの国も管轄権を行使しないという事態が発生しうるのである。さらに、第
三には、国家が海賊に対して管轄権行使を行なう場合にも、これを具体化する際には人権
法を遵守せねばならず、とりわけ自国から遠く離れた海域での「海賊」の拘束には種々の
困難が伴うことが新たに浮上している。以下では、これらの点に留意しつつ、マラッカ海
峡およびソマリア沖の「海賊」事案を例にとって、海賊の規制に関する国際法の現状と限
界を確認する。
1 マラッカ海峡―海上武装強盗の取締りにおける国家間協力
マラッカ海峡は、年間およそ 75000 隻の船舶が航行し、世界の石油輸送量の約半分が通過
するという海上交通の要衝である。1990 年代からこの海峡を中心として航行船舶が襲撃さ
れる事件が相次ぎ、2000 年には年間 242 件のピークを記録している。こうした問題に取り組
むための国際法規範には、しかし、以下のような限界があった。
すなわち、マラッカ海峡は、関係沿岸国の領海にあたる部分が多く、また、公海部分と
沿岸国の領海部分が混在する複雑な地形を有しているため、暴力行為の約 70% がいずれか
の沿岸国の領海または内水内で発生し(6)、さらには、海賊行為が公海で行なわれたとしても、
海賊船がいずれかの沿岸国の領海に逃げ込んでしまうことも多い。上でみたように、国際
法上の海賊は、
(EEZ を含む)公海での行為を対象とする概念であるから、領水内での行為に
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マラッカ海峡およびソマリア沖の海賊・海上武装強盗問題
ついてはそもそも規制の枠外となり、また公海上で行なわれた海賊であるとしても、領水
に逃げ込まれてしまえばもはや沿岸国以外の国家には執行管轄権の行使はなしえない。こ
の結果、沿岸国が効果的に取締りを行なわない場合にはこれらの行為の規制は事実上不可
能となってしまうのである。
このような場合、他国領水内における執行管轄権の行使はなしえないとしても、私人が
行なう船舶の安全航行を損なう一定の行為について、いずれかの国の領水で行なわれたも
のであっても対象犯罪とし、これら犯罪の容疑者について締約国に「引渡しか訴追か」の
義務を課す「海上航行の安全に対する不法な行為の防止に関する条約(SUA 条約)」の適用
により事後的に対処することは考えられる。しかしながら、マラッカ海峡に関する限り、
多くの関係沿岸国は同条約を批准しておらず、訴追義務を負っていない(7)。
以上の問題状況に直面して、1999 年来、アジア地域の海上暴力行為に対応する枠組み作
りが試みられ、2004 年には「アジア海賊対策地域協力協定(ReCAAP: Regional Cooperation
」の締結に結実した。同協定
Agreement on Combating Piracy and Armed Robbery against Ships in Asia)
は、英文タイトルからもみてとれるように、海賊に加えて、
「私的目的のために船舶又は当
該船舶内にある人若しくは財産に対して行われるすべての不法な暴力行為、抑留又は略奪
行為であって、締約国がそのような犯罪について管轄権を有する場所において(in a place
within a Contracting Party’s jurisdiction over such offences)行われるもの」等として定義される「海
上武装強盗(armed robbery against ships)」の取締りをその目的としている(1 条 2 項)。具体的
には、締約国は、海賊および海上武装強盗を防止し、これらの行為を行なった者を逮捕し、
関係船舶を拿捕するために、
「国内法令及び適用可能な国際法の諸規則に従ってあらゆる努
力を払う義務を負う」
(3 条)
。領水においては沿岸国のみが執行管轄権を行使しうるという
一般原則を変更せず、沿岸締約国に取締り協力の義務を課すものである(8)。
マラッカ海峡における事案の大半は海上武装強盗が占め、その取締りは沿岸国が行なう
ため、ReCAAP の柱は、それを実質的に支える情報網の構築とキャパシティ・ビルディング
にある。前者のためには「情報共有センター(ISC)」を設立し(4 条)、同センターがハブと
なって各種ソースから寄せられる種々の情報を管理・配布・分析している(5 条、9―11 条)。
また、犯罪人引渡し(12 条)、法律上の相互援助(13 条)、各種能力の開発(14 条)等につい
て締約国間での協力を促進することが求められている。これら対策の直接の成果か否かは
定かではないが、マラッカ海峡における海賊・武装強盗事案は、2008 年には 83 件に、2009
年の 1 ― 3 月期では 13 件に減少している(9)。いずれにせよ、公海上の海賊については普遍的
管轄を肯定する一方で、領水における武装強盗は沿岸国のみの執行管轄権下におかれると
いう伝統的な海洋法上の原則を維持し、その範囲内で技術的な対応と協力によって対策を
講じているのがマラッカ海峡における法的取組みの現状である。
2 ソマリア沖海賊―管轄権行使の根拠と条件
アデン湾およびソマリア沖の海域は、年間 2 万隻程度の船舶が航行する交通の要衝である。
この海域において 2004 年には 10 件であった海賊事件は、その後急増し、2008 年には 111 件
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マラッカ海峡およびソマリア沖の海賊・海上武装強盗問題
の事件が発生し、42 隻がハイジャックされた。日本関係船舶も 12 隻が海賊の襲撃を受け、5
隻がハイジャックされている。
ソマリア沖の海賊事案はマラッカ海峡の状況と異なる特徴をもつ。まず、比較的多くの
事案が公海上で発生しており、これらについては国際法上の海賊として対処可能である。
ただし、海賊はソマリア領土内に拠点を有しており、同国の領水に逃げ込まれてしまえば
一般国際法上は他国による拿捕等がなしえないのは、マラッカ海峡の場合と同様である。
第二に、これら海賊はロケット砲や自動小銃といった重火器で武装し、船員を人質にとっ
て身代金を要求することが多く、犯罪の性質が深刻である。そして第三に、沿岸国ソマリ
アが破綻国家であり適切な対処を望めないことが事態を解決困難にしている。氏族間での
争いが絶えないソマリアは、1991 年以降は事実上の無政府状態となり、その北東部は「プ
ントランド国」として自治地域を宣言している。2004 年には、ソマリア暫定連邦政府(以下、
「TFG」
)が発足したが、その権力基盤は脆弱で反対勢力との間に和平への見通しは立ってい
ない。実効的な取締りを行ないうる当局が存在しないことから、ソマリア近海では外国船
舶による違法操業や有害物質の不法投棄が横行し、これに対して自ら取締り活動に乗り出
した地元の漁民らが「海賊」化し、これに元軍人等が加わり現在の海賊・武装強盗を構成
していると言われている。
こうした海賊・武装強盗事案の頻発に対して、国連安全保障理事会は決議 1816(2008 年)
を皮切りに国連憲章 7 章のもとで複数の決議を採択し、加盟国に問題に対処するように要請
した。米国主導の合同任務部隊、欧州連合(EU)加盟国海軍、さらには、デンマーク、マ
レーシア、シンガポール、ロシア、インド、サウジアラビア、イラン、トルコ、中国、韓
国等の艦船が現地での活動に従事している。日本は、2009 年 3 月 13 日海上警備行動が発令
されたのを受け、海上自衛隊の護衛艦「さざなみ」
、
「さみだれ」の 2 隻、さらにはP-3C 哨戒
機を派遣し、日本関係船舶の護衛と哨戒活動を行なっており、また同 6 月 19 日には、
「海賊
行為の処罰及び海賊行為への対処に関する法律(海賊対処法)」が成立し、同 24 日に公布さ
れている。
ソマリア沖の海賊・武装強盗問題について、国際法の観点からは、安保理決議が出され
一般国際法とは異なる対応がなされている点が特徴的である。また、具体的な活動を通じ
て、拘束した海賊・武装強盗の取扱いが大きな問題として浮上している。以下では、この 2
つの点を中心として検討を進めよう。
(1) 安保理決議の意義
(a) ソマリア領海内における執行措置
ソマリア沖「海賊」問題のひとつの特徴は、上でもみたとおり、沿岸国が破綻国家であ
り、領水内で発生する海上武装強盗に対して、あるいは領水に逃げ込んだ海賊船について
取締りを期待できない点にある。こうした状況下で、2008 年 6 月、安保理決議 1816 は、海
賊・武装強盗事案の多発によるソマリアの状況悪化が「地域の平和と安全に対する脅威」
を構成していることを決定したうえで、国連憲章 7 章のもと、これらと闘う TFG と協力し、
TFGが国連事務総長に事前通報する諸国が、①海賊に関して公海上で認められる行為と合致
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マラッカ海峡およびソマリア沖の海賊・海上武装強盗問題
する方法で、海賊・武装強盗を抑圧することを目的としてソマリア領海内に入り、②海賊
に関して公海上で認められる行為と合致する方法で、ソマリア領海内で海賊・武装強盗の
(10)
抑圧のために「あらゆる必要な措置(all necessary means)」をとりうる旨を決定した(7項)
。
さらに、決議 1851(2008 年)は、海賊・武装強盗と闘うすべての国・機関に対して、これら
の者の身柄を引き受ける意思をもつ国との間で乗船協定を締結することを推奨し(3 項)、
TFGが国連事務総長に通知する諸国・機関が、TFG の要請に基づいて海賊・武装強盗の抑圧
を目的としてソマリア領土内において人道法・人権法に合致する「適当なあらゆる措置(all
」をとりうることを決定した(6項)。
necessary measures that are appropriate)
これら決議の意義は、海洋法条約上の原則を超えて、領海内の海上武装強盗や領海に逃
げ込んだ海賊についても沿岸国以外の国家が管轄権を行使する基礎を作った点にある。マ
ラッカ海峡の海上武装強盗については、沿岸国が自国領水内で他国が管轄権を行使するこ
とを認めず、沿岸国による取締りを軸とした協定が締結されたこととは対照的である。一
連の決議は、あくまでも TFG が同意した場合に限って他国の管轄権行使を認める構造にな
っており、さらにこうした措置はソマリア沖の事態について特別にとられるものであって、
海洋法条約や慣習法を修正するようなものではないことが強調されてはいるものの(11)、領水
における他国の管轄権行使を認める内容は画期的である。
(b) 措置の性格―執行管轄権行使と武力行使
海賊・武装強盗に対する取締りは、通常、執行管轄権の行使として位置づけられる。こ
れに対して、決議 1816 および 1851 は、加盟国に対して「あらゆる必要な措置」
「適当なあら
ゆる措置」をとることを許可するが、これらのフレーズは、従来の国連の実行においては、
湾岸戦争時の対イラク決議 678(1990 年)以来、加盟国に対して本来であれば国連憲章 2 条 4
項によって禁止される武力行使(use of force)を授権する場合に使われてきたものである。
海賊取締りにおける実力行使をどう理解すればよいのだろうか。
この点については、決議 1816 が加盟国に授権しているのは、
「海賊に対して公海上で認め
られる行為と合致する方法」による措置である点にも注意しなければならない。この趣旨
は、従来、国際法上、海賊に対してとることが認められてきた態様と同じ措置をソマリア
領海内でとることを加盟国に許すことにある。上記のとおり、海賊に対して従来認められ
てきたのは、執行管轄権の行使であることに照らせば、本件決議も場所的拡大はなされた
ものの措置の性質上は加盟国による執行管轄権行使を認めたものと解することができる(12)。
他方で、関係国にソマリア領土内において「適当なあらゆる措置」をとることを認めた決
議 1851 は、当該措置をとる際には人道法を遵守することを要請している。人道法は武力紛
争が存在することを前提として適用される規範であるから、この決議は海賊対策を執行管
轄権の行使ではなく武力行使の文脈に位置づけているようにも読まれうる(13)。そうした性格
づけは妥当なのだろうか。
実力の行使が執行管轄権行使の文脈で行なわれるのか、武力行使として行なわれるのか
は、
「海賊」対策にあたってどのような性質・限度の武器使用が認められるか、あるいは拘
束した「海賊」の処遇がいかなる枠組みのもとにおかれるか、といった現実問題にも影響
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マラッカ海峡およびソマリア沖の海賊・海上武装強盗問題
を与える。海上における武器使用を伴う措置の性格づけは、このように重要でありながら
従来ほとんど研究されてこなかった分野である(14)。海洋法条約は、武力行使を禁止する
(301 条)傍らで、締約国による各種の執行管轄権行使を認めており、両者を異なるものとし
て捉えるが、執行管轄権行使とこれに伴う実力行使が国連憲章が禁ずる武力行使とは問題
の位相を異にすることは、その区別のメルクマールがどこに求められるのかについて明確
に意識されないままに当然視されてきたとも言える。両者の異同をどのように理解すれば
よいのだろうか。
この点について検討するにあたっては、それぞれにおいて海上における武器使用の性格
づけが問題となった以下の 3 つの事例が手がかりとなろう。第一に、サイガ号(No. 2)事件
において、国際海洋法裁判所は、沿岸国ギニアがセント・ヴィンセント船舶に対して行な
った武器使用を法執行活動と位置づけたうえで、当該措置が国際法に反することを認定し
ている。裁判所によれば、海洋法条約には執行措置に伴う「実力行使(use of force)」に関し
て具体的に定める条文は存在しないが、実力行使は可能な限り避けねばならず、避け難い
場合にも状況に応じて合理的かつ必要な範囲を超えてはならない、という国際法上の原則
が、
「海上における法執行活動(law enforcement operations)」を規律する(15)。ここでは、法執行
活動に伴って「実力行使」が行なわれうることは前提として、その限度が問題とされてい
ることがわかる。
もっとも、サイガ号事件においては、武器使用が武力行使にあたるという主張は当事国
によってなされていないため、双方とも英語では同じ “use of force” で表現される、法執行活
動に伴う「実力行使」と、国連憲章 2 条 4 項が禁じる「武力行使」の異同については、正面
から問題となってはいない。これに対して、両者の区別は、次の 2 件ではより明確に争点と
なった。まず、カナダによる公海上でのスペイン漁船の取締りに端を発するエスタイ号事
件においては、カナダが国際司法裁判所(ICJ)の管轄権を受け入れる自国の受諾宣言に
「保存管理措置及び当該措置の執行から生じ……る紛争」を除外する旨の留保を付している
ことから ICJ は管轄権を有しないとの抗弁をなしたのに対して、スペインは、カナダ海軍に
よる武器使用は国連憲章 2 条 4 項に反する武力行使にあたり、執行にかかわる紛争を除外す
る留保の対象外であると反論していた。こうした両国の主張の対立を受け、ICJ は、漁船を
検査し、拿捕に必要と判断する場合に実力行使を許容するような法令は、漁業資源の保存
管理措置の執行について定める国連公海漁業実施協定や諸国の漁業法令に典型的であり、
本件紛争はカナダが付した事項的留保に該当するため、裁判管轄権は成立しないと判示し
ている(16)。カナダ海軍による行為は武力行使ではなく、執行管轄権の行使にあたるという判
断である。
他方、ガイアナ対スリナム事件において、海洋法条約に基づいて設置された仲裁裁判所
は、両国間の係争海域において、ガイアナとのコンセッションに基づき大陸棚の試掘を行
なおうとしていた民間船舶に対して、スリナム巡視船が行なった警告―「12 時間以内に立
ち去らなければ、その結果に当方は責任をもてない(the consequences will be yours)」というも
「単なる法執行活動というよりも軍事的な行為(military action)による威嚇に類似
の―が、
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マラッカ海峡およびソマリア沖の海賊・海上武装強盗問題
する性格を有する」として、国連憲章 2 条 4 項に反する武力による威嚇にあたると判示して
いる(17)。
明確な基準が示されているとは言えないものの、これらの事例からは執行措置と武力行
使の基本的な違いは、権限行使の文脈が国内法令違反に対する取締りなのか、対等な他国
に対するものなのかにあることがみてとれるように思われる(18)。執行管轄権行使に伴う実力
行使の問題として捉えられたサイガ号事件、エスタイ号事件において、それぞれの当局は
関税法や漁業法といった国内法令に則った執行措置をとっていたのに対して、ガイアナ対
スリナム事件においては、スリナムは鉱業法違反に言及してはいるものの、係争海域にお
けるガイアナによる鉱業活動がスリナムの主権の侵害であることを強調している(19)。また、
スリナム海軍の出動は、同国大統領が「領域を保全するために」ガイアナ大統領との間に
行なった電話交渉が不調に終わったことを受けて命ぜられている(20)。こうした事情に照らせ
ば、本件は、両国の大陸棚に対する主権的権利の所在そのものをめぐる対等な国家間の紛
争として評価されたものと推測される(21)。これら事件における武器使用の性質決定を分けた
のは、それが国家が有する法令執行権限の文脈で行なわれたのか、直接に国際法上の権利
が衝突する事例であったのか、であると言えよう(22)。
従来、執行管轄権行使は通常であれば実力の差がある対象者に対して行なわれるもので
あったのに対して、ソマリア沖事例においては相手の重武装に伴って実力面である種の
「対等性」があるようにみえるかもしれない。しかしながら、ここで問題とされるべきなの
は法関係における対等性の有無である。決議 1851 が授権するソマリア領土内での措置が、
TFGの要請を受けて行なわれる点も、本来ならば同国が有する執行管轄権を他国が代替的に
行使することを念頭においているように思われる。同決議は、海賊をソマリア領土内まで
追跡し捕捉したフランス海軍の実行を参考として採択されているが、この事案においてフ
ランスは拘束した容疑者を本国に移送して船舶のハイジャックおよび身代金目的誘拐の容
疑で司法裁判にかけている(23)。こうした先行実例からは、警察権限の行使として実力行使が
行なわれていることがみてとれるのである。海賊の取締り措置は対等な主体間での紛争に
はあたらず、以上に照らせば、取締りに際しての武器使用は執行管轄権行使に伴う実力行
使として評価すべきであると考えられよう。
(2) 司法管轄権の根拠と行使条件
(a) 司法管轄権行使国の確保問題
以上のように、海賊・武装強盗の取締りは管轄権行使の文脈で捉えられる。こうして管
轄権を行使して拘束に踏み切った場合には、その後の手続をどのように確保するかが、相
互に異なる 2 つの観点から問題となる。
(i) 負担の配分
第一に、海賊に対する司法管轄権行使をいずれの国が負担するか、という問題である。
たとえば、2008 年 9 月、デンマークは海賊容疑者 10 人を拘束したが、デンマークでの裁
判については同国の国内法上の困難があること、死刑判決が下される危険性がある現場
近隣諸国への引渡しは国際法違反と評価される可能性を孕むため不可能であったことか
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マラッカ海峡およびソマリア沖の海賊・海上武装強盗問題
ら、武器を没収したうえで容疑者を釈放せざるをえなかった(24)。この事案は、海賊を拘
束した後の処理の難しさを浮き彫りにしている。前述のように、国際法上は海賊を拘束
した国はその者を逮捕し訴追する管轄権をもつことが認められているが、刑事手続を遂
行するためには国内法上の根拠が必要となる。海上犯罪の起訴・処罰は、容疑者個人の
法益にかかわり、構成要件と刑罰について明確性と法的安定性が必要である以上、あら
ためて国内措置をとることが必要とされるからである(25)。国内法上、海賊罪を法定して
いる国には、米国、英国、ベルギー、ギリシャ、イタリア、オランダ、ロシア、シンガ
ポールなどがある。これに対して、多くの国は既存の刑法を前提として対処する可能性
を確認するにとどまっている。この場合には、たとえば、海賊対処法が成立・発効する
前の段階での日本を例にとれば、日本を旗国とする船舶において行なわれる行為(刑法 1
条 2 項)、日本人による(同 3 条)あるいは日本人に対する(同 3 条の 2)一定の犯罪行為
―殺人や傷害、傷害致死、逮捕および監禁、身代金目的略取、強盗等―については
刑事管轄権を行使しうるが、これら以外については管轄権を行使する国内法上の根拠を
欠く。刑法 4 条の 2 は、刑法を「日本国外において、第 2 編の罪であって条約により日本
国外において犯したときであっても罰すべきものとされているものを犯したすべての者
に適用する」旨を定めるが、この規定は条約が訴追義務を課す場合への対応を措置した
もので、訴追の義務ではなく権限が認められるにとどまる海賊については対象外である。
同様に、自国と関連のある一定の場合についてのみ司法管轄権の設定が予定されている
国内法をもつ国は多い。
また、普遍的管轄権を定める国内法をもつ国のなかにも、具体的事案において当該管
轄権を行使するか否かは検察当局が裁量的に決定しうるとする国もあり、こうした裁量
権の行使にあたっては自国法益と関連のない容疑者を訴追するインセンティヴは低いこ
とが予想される。コストをかけて訴追を行なう必要性を国民に対して説得的に説明でき
るかが問題となり、また、諸国は、刑期を終えた海賊によって難民申請がなされる事態
を恐れているともされる。国内法上、司法管轄権行使の根拠がない場合や、訴追の意思
をもたない場合には、したがって前記の事例のように海賊容疑者を拘束してもこれを釈
放せざるをえないという事態に陥るのである。
この点、自国の司法管轄権は設定できない、もしくは特定の事件について訴追する意
思がないとしても、拘束した海賊容疑者の身柄を関係国に法律上あるいは事実上引き渡
すことによって訴追を確保する試みがなされている。たとえば、オランダ領アンティル
諸島船籍の貨物船が攻撃された例では、海賊を拘束したデンマーク艦船は容疑者をオラ
ンダに引き渡した。旗国が司法管轄権行使に同意した例である。しかし、便宜置籍国の
問題も含め、どれほどの旗国が管轄権行使を引き受けるかは未知数であるし、旗国が地
理的に遠く離れて所在しているような場合には、具体的な手続にさまざまなコストがか
かる。他方、海賊の本国による訴追については、フランス、米国等がソマリアのプント
ランド自治地域当局に拘束した容疑者を引き渡した例があるが、同自治当局が十分な刑
事手続を整備しているかは疑わしい面があるとされる。他の周辺諸国のうち、イエメン
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マラッカ海峡およびソマリア沖の海賊・海上武装強盗問題
には死刑制度があるため死刑廃止国にとっては引渡しは困難であり、多くの艦船派遣国
が地位協定を交わして拠点としているジブチについては、普遍主義に基づいて海賊処罰
について定める国内刑法をもたないこともあり訴追の根拠を欠く。
そこで、米国、英国、EU は、ケニアと犯罪人引渡しに関する合意を締結している。EU
とケニアの間に交わされた交換公文においては、引き渡された容疑者の待遇に関する細
かな規定がおかれ(3 条(a)―(h))、死刑を科さないことが定められ(4 条)、人権関連機関
が拘束中の被疑者への面会を要請した場合には、ケニア当局がこれを認めることが定め
られている(5 条(f))。こうして、一定程度の人権保障に配慮しつつ、周辺国での処罰を
目指す枠組みが作られているのである。
しかしながら、具体的な刑事裁判の実施については検討すべき点が多く残されている。
たとえば、手続の過程においては、被害船舶関係者や拘束を行なった軍関係者に証人と
しての出頭を求めることが考えられるが、その確保をいかに効果的になしうるかは問題
となろう(26)。また、訴追の過程において、被疑者から拿捕や拘束の違法性の問題が提起
された場合の責任の所在と分担についても検討する必要がある。さらには、そもそもケ
ニアが各国艦船が拘束した海賊容疑者を無限に引き受ける能力を有するわけではないこ
とにも注意しなければならない。一部の国からは、特定の周辺国に負担を押し付けるの
ではなく国際裁判所を設置すべき、あるいは規程を改正して国際刑事裁判所で裁きうる
「海賊」問題が今後も多発・長期化
ようにすべきであるといった意見も出されている(27)。
する場合には、司法管轄権の分担について再検討する必要が高まろう。こうした状況が
示唆することについては、
「おわりに」で再び触れる。
(ii) 海上武装強盗に対する司法管轄権
前述のように、関連安保理決議は、TFG の同意を得た国家が逃走する海賊・武装強盗
をソマリア領水やさらに領土内まで追跡したうえで、これらの者を拘束することを認め
る。このうち、海賊については、前述の海洋法条約 105 条においても確認されているよう
に、拘束国が司法管轄権を有するため、領域国ソマリアが執行に同意すれば国際法上は
管轄設定に問題はない。しかし、ソマリア領海内で発生する海上武装強盗については、
国際法上の海賊ではないため、本来、普遍的管轄権行使の対象として認められない。旗
国主義や受動的属人主義等によって正当化しうる場合はともかくとして、これら以外の
場合に、海上武装強盗を拘束した各国は当然には司法管轄権を行使しえないのではない
だろうか。
この点、あらゆる国家に海賊の逮捕・訴追権限が認められる背景としては、無差別な
攻撃によって「海上交通の一般的安全」を害する「人類共通の敵」である海賊について
は、ある時点でその攻撃対象とされている船舶が他国のものであったとしても、その事
態を放置すれば別の機会には自国船舶が攻撃対象とされる可能性は否定されず、あらゆ
る国家がその鎮圧と処罰に利害関係を有するという事情を指摘することができる。海上
武装強盗は、発生海域がたまたまいずれかの国の領水内であるということによって法的
には海賊と区別されるが、その行為の実態は法的意味での海賊と同一であるから、以上
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マラッカ海峡およびソマリア沖の海賊・海上武装強盗問題
の性質において海賊と変わるところがない。両者が異なるのは、いずれの国の領域的管
轄にも属しない公海上での行為とは異なって、領水内で起きる海上武装強盗行為につい
ては沿岸国のみが執行管轄権をもつという点である。そうであるとすれば、ソマリア沖
事例において、TFG が執行管轄権の行使を他国に要請するのであれば、当該他国による
司法管轄権行使をも認めてよいのではないかという議論もありえよう。すなわち、海上
武装強盗について海賊並みの管轄権行使が認められないのは、沿岸国管轄権との関係に
おいて理解されるのであって、沿岸国の同意さえ得ることができ、拿捕・逮捕をなしう
るのであれば、それに続いて拿捕国が司法管轄権を行使したとしても旗国その他の関係
国との関係において国際法上は特段の問題は生じないという考え方である。
こうした考え方が妥当か否か自体についてはさらなる検討が必要であるが、しかし、
仮に国際法上はそのように言えるとしても、なお国内法上の対応の観点からは問題が残
る。前記のように、関連安保理決議はソマリア沖にのみ適用される特別規則を定めたも
のとして位置づけられるため、決議が認める新たな管轄権根拠は立法化にはなじまない。
そうしたなかで司法管轄権行使を前提として海上武装強盗の身柄を拘束した場合、後述
する法律に基づく身柄拘束という人権法上の要請を充たしえないからである。安保理決
議によって海上武装強盗の拘束については諸国が行なう基礎が与えられたとしても、そ
の後の訴追をどのように確保すべきかは今後の検討課題であると考えられる。
(b) 人権保障
(a)
では、司法管轄権の設定そのものにかかわる問題点を挙げたが、拘束した容疑者に対
して司法管轄権が設定されうることを前提として自国に引致する場合にも、現場と本国と
の間の距離等の特徴に起因して刑事手続上の人権保障が問題となることがある。
(i) 時間的制限
第一に、拘束した容疑者を自国に引致する場合、刑事手続上の時間的制限に関する制
約が生ずる。欧州人権条約 5 条 3 項は、身柄の拘束を受けた者は司法権を行使することが
法定されている官吏の面前に「速やかに連行される」ことを定めている。この規定をめ
ぐっては、麻薬取締り事案についてではあるが、海上における身柄拘束の合法性が欧州
人権裁判所において争われた例がある。スペインが麻薬密輸に従事していたパナマ船を
拿捕し、16 日間の航行を経て本国まで引致したことについて、裁判所は、拿捕海域から
スペインまでの距離(5500km)や被疑船舶による抵抗、またスペインの港に到着後は速や
かに航空機で裁判所に連行していることに鑑みて、欧州人権条約 5 条 3 項違反を構成しな
いと判示した(28)。また、カーボベルデ沖の公海でコカインを輸送していたカンボジア船
籍の貨物船について、拿捕したフランス海軍が本土に引致するまで同船上に被疑者を 13
日間拘束したことが問題とされたメドヴェージェフ事件においても、拿捕海域からフラ
ンスまでの距離(3500km)や天候等によって十分な速力を出せる状況ではなかったという
事情に照らして、同様に 5 条 3項違反は存在しないと認定されている(29)。
これらの事例は欧州人権条約の解釈適用にかかわるものであるが、より一般的な射程
をもつ「市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約)」も 9 条 3 項において同内
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マラッカ海峡およびソマリア沖の海賊・海上武装強盗問題
容の規定をおいている。諸事情に鑑みて合理的な範囲内で拘束が長期にわたること自体
については、正当と判断される可能性が高いと言える(30)。
(ii) 拘束の法令上の根拠と司法機関の関与
被疑者の身柄拘束は、さらにその法令上の根拠と司法機関の関与の観点からも問題と
なりうる。この点については、フランスによる公海上での麻薬取締りが、
「何人も……法
律で定める手続によらない限り、その自由を奪われない」ことを定めた欧州人権条約 5 条
1 項の違反にあたると判示された前記のメドヴェージェフ事件が参考となる。
「麻薬及び
向精神薬の不正取引の防止に関する国際連合条約(国連麻薬新条約)」を受けて制定された
フランスの法律 94 ― 589 は、巡視船の司令官は、フランス領海外において麻薬不正取引に
従事している疑いがある船舶に対して、
「同法および国際法が定める強制的措置」の執行
を命ずることができるとしていた(13 条)。同法上、執行の対象となる船舶は、フランス
船のほか、麻薬新条約の締約国を旗国とする船舶、同条約締約国に通常登録されている
船舶、または無国籍船である(同 12 条)。同法は、同条約の当事国たる旗国の同意のもと、
容疑船舶に対して、臨検、不正取引の証拠の確保・押収、引致を行なうこと(同 14 条)、
同様に条約当事国たる旗国の同意のもと訴追を行なうこと(同 15条)を定めている。
本件において、フランスは、旗国であるカンボジアから執行管轄権行使の許可を得た
うえで、容疑船舶の拿捕・引致に踏み切っている。しかしながら、カンボジアは麻薬新
条約当事国ではなかった。このため、本件における拿捕・引致は上記法律の条件に合致
しておらず、したがって法律に定める手続に従って拘禁が行なわれたとは言えないとし
て 5 条 1 項違反が申し立てられたのである。欧州人権裁判所は、麻薬取締りという目的の
正当性を認めつつも、欧州人権条約 5 条が人権保障に対して有する根本的重要性に照らし
てその遵守は厳格になされなければならないとする(31)。そのうえで、フランスによる執
行管轄権の行使は、上記法律の要件に則っていないことから法律に基づく拘束にあたら
ないことを認定し(32)、さらに、上記法律自体―とりわけ、拘束に司法機関(autorité judiciaire)の関与が予定されていないこと―が身柄拘束の根拠法としてはその内容が不十
分であることを指摘して、本件における拘束は 5 条 1 項の違反にあたることを判示してい
る(33)。
この判断は、麻薬取締りに関して、かつ欧州人権条約 5 条 1 項について下されたもので
はあるが、海賊の拘束についても問題状況は同一であり、さらに日本を含めより多くの
国が当事国となっている自由権規約も 9 条 1 項において同内容の規定をおいている。この
ことからは、管轄権行使対象に関する関係国内法を整備して、拘束の根拠を明らかにす
るとともに、その手続内容を関連人権条約が要求するレベルのものに整えておくこと
―とりわけ、拘束手続における司法機関の関与を確保すること―が不可欠であるこ
とがわかる。
おわりに
本稿は、マラッカ海峡およびソマリア沖の海賊・武装強盗事例において現実に問題とな
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マラッカ海峡およびソマリア沖の海賊・海上武装強盗問題
っている諸点を洗い出すことによって海賊等の取締りに関する国際法規範の現状と問題点
の検討を試みたものである。海洋法においては海域別アプローチ(zonal approach)がとられ
ていることから、同じ海上での暴力行為についても、発生海域および容疑者の逃走先によ
って管轄権を行使しうる国の範囲には大きな差が出てくる。とりわけ、関係沿岸国が十分
に機能しない場合に、武装強盗の取締りをいかにして実現するかは、執行については安保
理決議や関係沿岸国の同意によって確保しえても、そもそもの立法・司法管轄権の根拠を
欠く点で大きな問題を残している。このことは、武装強盗、さらには海賊自体の取締りが
テロ関連等の条約犯罪とは異なって国家の義務とはされていないことの意味について再検
討を迫るように思われる。
国際法上、普遍的管轄が認められる国際犯罪のなかには、その根拠・基盤において異な
るものが混在している。たとえば、武力紛争中の犠牲者の保護を目的としたジュネーブ諸
条約やジェノサイド条約等における対象行為の犯罪化は、国際社会に共有された価値(universal value)を害し、人間良心に反する行為の処罰を目的とする。これらの犯罪は、たとえ
一国内で完結し他国に直接的な被害をもたらさないとしても、あるいは自国と関係せずに
行なわれた犯罪であっても、人間の尊厳を害するような犯罪行為が処罰されない状態を認
めてはいけないという配慮から国際犯罪化がなされたものであり、条約当事国はこうした
普遍的価値の実現のためのいわば機関として機能して、刑事手続の一端を担うと考えられ
る。これに対して、容疑者の訴追または引渡しを行なう締約国の義務を設定するテロ防止
関連条約においては、たとえば「テロリストによる爆弾使用の防止に関する国際条約」3 条
にみられるように純粋な国内犯は条約の規律対象外とされる。このことからは、国際的含
意をもつテロを処罰し、ひいてはこれを抑止することが諸国に共通の利益であるとして締
約国に訴追義務が課されたことが示唆される。これらに対して、従来、あらゆる国家が海
賊を拿捕・訴追しうるとされてきたのは、海賊がいずれの国家の領域的管轄も及ばない海
域の行為であること、
「人類共通の敵」であるとしていずれの国家の保護も受けないことか
ら、任意の国の管轄権を肯定しても国際的な問題が生じなかったからである。公海におい
て無差別に船舶を攻撃するという点に特異性はあるものの、海賊は所詮は強盗にすぎず、
これを処罰することが共通利益、ましてや普遍的価値であるとは捉えられてこなかった。
したがって、海賊の訴追は各国に認められる権能ではあっても義務ではなかったのである。
ソマリア沖「海賊」について、司法管轄権を行使する国の同定・確保が問題となっている
ことは、こうした前提が現在も維持されているのかについて疑問を投げかけている。交通
の要衝において頻発する「海賊」行為を抑圧することは共通利益とは言えないのか、上記
の諸条約とどのように異なるのか、という問題である。さらには、安保理決議が、
「海賊」
の横行によるソマリアの状況悪化が、
「地域の平和と安全への脅威」を構成する旨を決定し
たことによって、
「海賊」対策の法的基盤が変わるのか、という点も以上との関連で検討を
要しよう。
最後に本論では触れられなかった問題に言及して本稿を閉じたい。第一に、本稿では、
自国での訴追であれ引渡しであれ、司法手続を前提として逮捕・移送が行なわれる場合に
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マラッカ海峡およびソマリア沖の海賊・海上武装強盗問題
遵守すべき人権上の保障を検討した。しかしながら、現実には、司法手続の一環としての
引渡しや移送ではなく、事実上の拘束や引渡しが行なわれることも考えられる。たとえば、
日本が容疑者を周辺国に引渡す場合には、いったん拘束した容疑者を刑事訴訟法203 条に基
づいて釈放し、船員法 26、27 条に基づく必要な措置として、沿岸国で下船をさせて引き渡
すという手順が想定されている(34)。ここでの手続は、司法手続としての逮捕に至る前段階の
拘束であって、その後に行なわれるのも司法上の引渡し(extradition)ではなく、事実上の身
柄の移送(transfer)であろう。このような場合に、関係国際法や国内法がどこまで及ぶか、
国際法上は保護が求められるとして現行国内法上これに十分対応した行動をとりうるかは、
なお検討の余地があろう。第二に、ソマリア沖「海賊」問題については、TFGや通航船舶の
運航企業等が民間軍事会社(PMC)と契約して対策を講じる例があるという。PMC に対し
て国際法上の規律がいかに及ぶか、という点もまた今後の課題である。
( 1 ) 日本船籍の外航船(90隻程度)に日本の事業者が運航する外国籍船舶を合わせたものを指す。
( 2 ) なお、引用条文にもあるように、船舶のみならず航空機も海賊行為をなしうるが、現在までのと
ころその実例はなく、可能性も低いとされるため、本稿では船舶による海賊行為を念頭におく。
また、101 条は公海に加えて「いずれの国の管轄権にも服さない場所」での暴力行為も海賊とする
が、これも実例に乏しく問題とならない。
( 3 ) S. N. Nandan and S. Rosenne, United Nations Convention on the Law of the Sea 1982: A Commentary, Vol. 3
(1995)
, p. 202.
( 4 ) 山本草二『国際刑事法』
、三省堂、1991年、248ページ。
( 5 ) たとえば、環境 NGO(非政府組織)による調査捕鯨船に対する暴力が海賊行為を構成するかと
いった問題の検討に際しては、この要件の充足の有無が焦点となる。同要件について詳しくは、
、海上
森田章夫「海賊行為と反乱団体―ソマリア沖『海賊』の法的性質決定の手がかりとして」
保安協会『海洋権益の確保に係る国際紛争事例研究』第 1 号(2009 年)、44 ― 58 ページ; Akio
Morita, “Piracy Jure Gentium Revisited : For Japan’s Future Contribution,” Japanese Yearbook of International
Law, Vol. 51(2008)
, pp. 76–97を参照。
『国際法外交雑
( 6 ) 梅澤彰馬「アジア地域の海賊対策に向けての法的枠組み―海洋法秩序の展開」
誌』103巻1 号(2004年)
、115ページ。
( 7 ) フィリピンおよびシンガポールは 2004 年に当事国となっているが、2008 年 12 月 31 日現在におい
て、インドネシア、マレーシア、タイはいずれも加盟していない。
( 8 ) もっとも、この点については、マラッカ海峡が国際海峡であることに照らして、沿岸国の取締り
権限について通常の領海におけるそれと同様に考えてよいかという問題はありうる。協定交渉過
程においては、そうした議論はいずれの関係国からも出されず、一般的な領海に関する国際法規
範を前提として条文作成が行なわれたとされる(梅澤、前掲論文
〔注 6〕
、122 ページ)
。このことか
ら、協定交渉参加国間についてはこうした取扱いが同意によって正当化されるとしても、その他
の国を旗国とする船舶が拿捕された場合には争点となる可能性は残されている。
( 9 ) ReCAAP-ISC, Annual Research Report 2008, pp. 13 and 32; Quarterly Report: 01 January 2009–31 March
2009, p. 2. なお、ReCAAP の枠組みを離れても、インドネシア、マレーシア、シンガポールによる
共同パトロールの実施や日本による関係沿岸国に対する巡視船の供与、海上保安専門官の教育を
目的とした留学生の受け入れ等の支援も行なわれている。
(10) この決定は、決議採択から 6 ヵ月間の効力をもつとされていたが、6 ヵ月が経過した同年 12 月に
は、決議1846(2008年)によって、さらに12 ヵ月間延長されている。
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マラッカ海峡およびソマリア沖の海賊・海上武装強盗問題
(11) たとえば、決議 1816 は、同決議 7 項が定める仕組みは、海洋法条約を含む既存の規範によって認
められる諸国の権利義務に影響を与えるものではなく、あくまでも TFG の同意のもとに作られた
特別の制度にすぎないことを確認している(9 項)
。こうした限定性強調の一因は、インドネシア
等がソマリア沖事例がマラッカ海峡にとっての先例として位置づけられる可能性を危惧したから
であるとされる。A. Panossian, “L’affaire du Ponant et le renouveau de la lutte internationale contre la pira, t. 112, 2008, p. 666.
terie,” Revue Générale de Droit International Public(RGDIP)
、三省
(12) 森川幸一「海上暴力行為」
、山本草二編集代表『海上保安法制―海洋法と国内法の交錯』
堂、2009年、312ページ。これに対して、武力行使を容認したものとして決議を受け止めたうえで、
私人たる海賊に対する武器使用を武力行使の枠組みで捉えることを疑問視するものとして、A.
Panossian, “Poursuite de la lutte internationale contre la piraterie,” RGDIP, t. 113, 2009, p. 182.
(13) 森川、前掲論文(注 12)
、312ページ。
(14) P. Jimenez Kwast, “Maritime Law Enforcement and the Use of Force: Reflections on the Categorisation of
Forcible Action at Sea in the Light of the Guyana/Suriname Award,” Journal of Conflict and Security Law, Vol.
13(2008)
, pp. 52 and 61. もっとも、米国によるいわゆる「テロとの戦争」については、同様の問題
意識による研究が種々なされているところである。
(Saint Vincent and the Grenadines v. Guinea)
, Judgment(Merits)of 1 July 1999,
(15) The M/V “Saiga”(No. 2)
paras. 155–156.
(16) The Fisheries Jurisdiction(Spain v. Canada)
, Judgment(Jurisdiction)of 4 December 1998, paras. 81–84.
(17) The Arbitral Tribunal Constituted pursuant to Article 287, and in accordance with the Annex VII, of the United
Convention on the Law of the Sea in the Matter of an Arbitration between Guyana and Surinam(Award of 17
September 2007)
, para. 445.
(18) Kwast は、同趣旨のことを権限行使の「機能的目的(functional objective)
」という視点で分析して
いる。Kwast, supra note 14, pp. 49–91. なお、拡散防止構想(PSI)や海上阻止活動(MIO)の性質決
定を含めてより包括的にこの点についての検討を行なったものとして、森川幸一「国際平和協力
、金沢工業大学国際学研
外交の一断面―『海上阻止活動』への参加・協力をめぐる法的諸問題」
究所『日本外交と国際関係』
、内外出版、2009年、243–281 ページ。
(19) Rejoinder of Suriname, Vol. 1, para. 4.40.
(20) Ibid., paras. 4.43–4.44.
(21) 森川、前掲論文(注 18)
、271―275ページ。
(22) なお、武器使用の文脈を判断する際に、行為主体が軍であるか法執行機関であるかは決定的では
ない。諸国の海軍は警察機能をも果たすことがままあり、海洋法条約自体も海上警察権を公船と
ともに軍艦に認めている(107、110、111 条等)
。エスタイ号に対して管轄権を行使したのもカナ
ダ海軍であった。また、対象船舶の類型についても、3 事案においてすべて民間船に対する措置が
とられたにもかかわらず、ガイアナ対スリナム事件では 2 条 4 項違反が認定されており、民間船に
対する措置であれば常に法執行活動と位置づけられるわけではないことが示される。他方で、措
置の対象が、他国の軍艦等である場合については、基本的に武力行使の問題として評価しなけれ
ばならないとする見解が示されている(F. Francioni, “Use of Force, Military Activities, and the New Law
of the Sea,” A. Cassese ed., The Current Legal Regulation of the Use of Force, 1986, p. 371)
。このことは、軍
艦および一定の公船は他国の管轄権から免除され、領海において違法行為を行なった場合ですら、
沿岸国の管轄権行使は認められず、保護権の対象となるか、本国の国家責任が追及されるにとど
まることと平仄を合わせる。
(23) 2008 年 4 月、フランス軍は、公海上でフランス船籍の le Ponant 号を襲撃しその乗員を人質にとっ
た海賊を、TFG の同意を得てソマリア領まで追跡のうえ、拘束してパリに移送した。本件の詳細に
ついては、Panossian, supra note 11, pp. 661–662; “Piraterie, suite,” RGDIP, t. 112, 2008, p. 883.
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マラッカ海峡およびソマリア沖の海賊・海上武装強盗問題
(24) たとえば、国連規約人権委員会は、死刑が科されないという保証なしに死刑廃止国から死刑存置
国へ引渡しを行なうことは生命に対する権利を定める自由権規約 6 条 1 項に反するとの見解を示し
ている。Judge v. Canada(No. 829/1998)
, View adopted on 5 August 2002, para. 10.3.
(25) 山本草二「海上執行をめぐる国際法と国内法の相互関係」、山本草二編集代表『海上保安法制
―海洋法と国内法の交錯』
、三省堂、2009年、15ページ。
(26) EU―ケニア交換公文では、EU 側は証人の出頭または宣誓証言提出に「努力する」ことが定めら
れるにとどまっている(6 条
(b)
(3)
)
。なお、この点については、従来、麻薬取締りや PSI に関する
二国間協定に入れられてきた「乗船(ship-rider)
」規定を利用することが考えられる。条約当事国
の取締官が相手当事国の取締船に同乗することを定めるこの規定は、本来、取締船が同乗取締官
の本国領海における、あるいは本国を旗国とする船舶に対する管轄権を行使することを可能にす
る機能を果たすものである。ソマリア沖事案においては、安保理決議によって管轄権行使の国際
法上の根拠自体は確保しうるが、司法管轄権を行使する可能性がある関係国の取締官を同乗させ
ることによって、当該取締官に拿捕に続く司法手続を任せることが可能となる点で、なお乗船規
定を含む条約の締結は意味をもつと考えられる。麻薬取締り分野において乗船規定を活用してき
た米国の実行については、J. E. Kramek, “Bilateral Maritime Counter-Drug and Immigrant Interdiction
Agreements: Is This the World of the Future?” University of Miami Inter-American Law Review, Vol. 31, 2000,
pp. 152–160参照。
(27) 国際裁判所の設置について、たとえば下記を参照。“Germany Calls for International Court to Try
Somali Pirates,” International Herald Tribune, 23 December 2008.
(28) Rigopoulos c. Espagne,(Requête no 37388/97)Arrêt du 12 janvier 1999.
(29) Affaire Medvedyev et autres c. France,(Requête no 3394/03)Arrêt du 10 juillet 2008, paras. 67–69.
(30) 日本の法令上も、司法警察員は被疑者が拘束されてから 48 時間以内に検察官に送致しなければ
ならず(刑事訴訟法 203 条)
、検察官は、被疑者の拘束時から通算して 72 時間を超えずに裁判官に
勾留を請求しなければならないが(同 204 条、205 条)
、やむをえない事情がある場合には裁判官の
認定を経て延長しうる(同 206条)
。
(31) Affaire Medvedyev et autres c. France, supra note 29, para. 49. もっとも、この事件は大法廷に付託され
ており、判決内容は覆る可能性が残されている。
(32) Ibid., para. 57.
(33) Ibid., para. 61.
(34) 大庭靖雄内閣官房総合海洋政策本部事務局長答弁(平成 21 年 4 月 17 日衆議院海賊・テロ特別委
員会)
。
にしむら・ゆみ 東京大学准教授
[email protected]
国際問題 No. 583(2009 年 7 ・ 8 月)● 19
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