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自殺急増前の対策を振り返る - 自殺総合対策推進センター

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自殺急増前の対策を振り返る - 自殺総合対策推進センター
自殺急増前の対策を振り返る
日本自殺予防学会理事長
日本いのちの電話連盟理事
齋藤
友紀雄
まず戦後60年余の自殺統計を見て欲しい。
自殺はその時代のバロメーターであると言われるが、大きく三つの山があるの
が特徴であって、それぞれの社会的状況を物語っている。1950年代、19
80年代、そして最近15年間である。1950年代は圧倒的に青年期の自殺
が多く、戦前戦後の価値観のギャップがもたらした変動が指摘されているが、
これは十分解明されていない。1960年代に入ると高度経済成長という未曽
有の社会的活性状況が、自殺を低減させたというべきか、1965年前後の自
殺数は 15,000 人、自殺率も15前後と戦後最低であった。
この戦後最も自殺が少なかった時代に、自殺予防にかかわる二つの組織が成
立したことを覚えていただきたい。
1970年に当時目黒保健所長であった増田陸郎が今日の「日本自殺予防学
会」の前身である「自殺予防行政研究会」を組織、1971年に自殺予防目的
の「いのちの電話」が設置されたことである。そしてわずか1年半後の197
3年1月に、
「いのちの電話精神科面接室」が設置されたのだが、前述した増田
氏とともに、いのちの電話創設にかかわった稲村博が、この面接室の責任者と
なり、これをわが国最初の“自殺予防センター”として位置づけた。二人とも
故人となったが、終生自殺予防研究と臨床に努め、また社会啓発的な発言を続
けたことを高く評価したい。社会啓発活動の一つとして挙げたいのは、
「自殺予
防シンポジウム」の開催である。1973年に始まったが、今年は栃木県宇都
宮市で開催予定だが、実に37回となる。最近10年間は厚生労働省の補助事
業となっている。
なお1971年は、電気通信に関する法令が改訂され、それまでの天気情報
や時刻サービスだけでなく電話メディアを電話相談のような事業に利用するこ
とが可能となった。このため、いのちの電話ばかりでなく、「ヤングテレホン」
(警視庁)、「こころの電話」(愛知県)、「育児相談」(民間)などが続々と開設
されていた。
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さて上述した二人の医師は、
「日本自殺予防学会」と「社会福祉法人いのちの
電話」
(東京)双方の理事者として、自殺予防に関わる研究と実践という役割を
果たしつつ、また対外的には、自殺予防活動への支援と協力を訴えた。最初は
1971年11月、いのちの電話が開設されたわずか1か月後に東京都宛の要
望書であった。次は当時の厚生省はじめ関係省庁への要望書で、日本いのちの
電話連盟が結成された直後の1977年10月であった。(パワーポイント)
こうした要望書は子どもの自殺の連鎖が発生した場合など、マスメディアは
じめ各方面に発信した。あるいは海外から来日した自殺予防・精神保健関連の
著名な学者らを折あるごとに関係省庁、マスメディア関係者を案内し、表敬訪
問するとともに、行政に対しては国家的な自殺対策の必要性を訴えた。
その後1970年代末から再び若い世代の自殺が顕著になり、子どもの群発
自殺が発生したのが大きな特徴であり、自殺者数としては、1986年には戦
後最高で25,000件を越えた。実は子どもの自殺が多発したことを受けて、
国が初めて動いたのである。それは1979年10月、当時の総理府青少年対
策本部に設置された「青少年の自殺予防問題懇話会」(座長:勝部真長、委員:
増田陸郎、稲村博他)自殺予防に関する提言を内閣官房長官に提出され、この
中で特に「いのちの電話」の拡充などが提言された。
この提言の骨子は、自殺の低年齢化現象と平均的な家庭環境にある子どもの
自殺増加の原因や背景を分析したうえ、子どもの発達段階に応じた教育方法や
家庭、学校、社会が一体となった防止策を提言している。当面の施策として、
次の3点が提案された。
① 「自殺防止月間」を設け、生命の大切さを幅広く啓発する
② 「いのちの電話」などの自殺防止活動を拡充するため、当面各都道府県に本
格的施設を一か所以上設置する
③ 自殺防止の基礎研究を行うため「異常行動研究所」(仮称)を設置する
なお1981年3月には、総理府青少年対策本部は『子どもの自殺防止のため
の手引書』を発行している。以上の提言自体は画期的ではあったが、予算は一切
考慮されていなかった。これが実現されるまで、20年も待たなければならなか
った。
ただし東京いのちの電話は、1982年に東京都からはじめて補助金を受け
ることができた。その後全国的に拡大され、地方センターの数も50に達した。
その他の民間相談機関、行政が実施する危機介入的な相談機関も多数組織され
ていった。
この間注目すべき現象は、青少年世代間に発生した異常なまでの群発自殺で
あった。1986年1月に中野富士見中生徒の自殺、そして4月に発生した十
代の女性アイドル歌手の自殺に端を発した自殺の連鎖は止まるところを知らず、
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この一年間における少年自殺は八百件を越え、大きな社会問題として今日まで
記憶されている。日本自殺予防学会はその後、1994年11月に愛知県での
少年自殺後の群発自殺の発生に際してもそうであったが、この時関係各方面へ
要望書を送付した。(パワーポイント)
その後少年を中心とした群発自殺は減少傾向を示していたが、1998年に
は一気に上昇し、今日まで続いているのは周知のところである。言うまでもな
く中高年自殺の多発現象であり、まさにバブル崩壊後の経済破綻に端を発した
中高年世代を中心とする群発自殺となった。ここで初めて政府が自殺防止対策
を構築する機運が生じたといえよう。
前後するが、1980年代の半ばに、新潟大学医学部精神医学教室の高橋邦
明氏らを中心とする、うつ病をてがかりとした「新潟県東頚城郡松之山町にお
ける老人自殺予防活動」は自殺予防の歴史にとって記念碑的な研究と実践であ
った。自殺予防に先立って老年期うつ病の疫学的調査が実施され、治療と共に
保健婦らによるきめ細かいケアが実施されたのであるが、劇的な自殺の減少を
見たのである。この成果は国際的にも高い評価を得たのである。これはわが国
の自殺が多発する過疎地における自殺防止対策のモデルとも言われ、各地でも
成果が現れつつある。こうした地道な取り組みは、今日最も必要とされよう。
さて以上述べてきたような、関係者による地道な自殺予防活動や行政、マス
メディアへの訴えが、2000年代以降の国家的な自殺予防戦略の構築に繋っ
たと信じている。
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最近の自殺研究と予防活動略史
1965年 米自殺学者エドウィン・シュナイドマン来日
65年 大原健士郎:日本の自殺、誠信書房
1969年
大原健士郎他訳:ファーブロウ&シュナイドマン原著;孤独な魂の叫び、誠
信書房
1970年 増田陸郎氏により自殺予防行政研究会発足
1971年 いのちの電話発足(東京)10月1日
71年
自殺予防行政研究会・いのちの電話が共同で自殺予防に関する要望書を東京
都知事美濃部亮吉宛てに提出 11月
1973年 稲村博、いのちの電話精神科面接室を設置 1月
73年 東京在住外国人が「東京英語いのちの電話(TELL)を結成
73年 いのちの電話が厚生省から社会福祉法人格を取得 12月
1974年 平山正実:
「いのちの電話」について 日本医事新報、No.2599
74年 田村健二他:新潟県東頚城郡における自殺者の実態、東洋大学社会学部紀要
74年 田多井吉之介・加藤正明編著:日本の自殺を考える、医学書院
74年 いのちの電話主催、初の国際会議が東京で開催、8か国230人が参加
1976年 チャド・バラ―(英国サマリタンズ創立者)初来日、厚生省精神衛生課長目
黒克己氏を表敬訪問、いのちの電話と自殺予防学会で講演 2月
1977年 いのちの電話における「自殺予防と危機介入の研究」に対してトヨタ財団か
ら 2 年間にわたって大型の研究助成金を受ける
77年 稲村博:自殺学―その治療と予防のために、東京大学出版会
77年 日本いのちの電話連盟(FIND)が結成され、東京、東京英語、関西、沖
縄および北九州と、5センターが加盟した。8月16日(現在は51センタ
―が加盟)
1978年
日本初の自殺予防国際シンポジウム開催
米国ロサンゼルス自殺予防センタ
ー所長ノーマン・ファーブロウらが講演
6か国200人、一般聴衆を含む
参加者は1000人を越えた。
なお自殺予防研究会はその後日本自殺予防学会と改組、初代理事長に加藤正
明(国立精神衛生研究所長)を選任した。
1979年
総理府に設置された「青少年の自殺予防問題懇話会」が子どもの教育の充実
や「いのちの電話」の拡充などについての提言を総理府総務長官に提出した。
79年 いのちの電話編:電話相談と危機介入、学事出版
79年 日本自殺予防学会編:学会機関誌「自殺予防と危機介入」創刊号発刊
1980年 カレ・アクテ(ヘルシンキ大精神科教授、国際自殺予防学会会長)来日
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80年
板橋区の要請で、いのちの電話と自殺予防学会が自殺が多発している高島平
団地内で自殺予防研修会を開催、また団地内に“孤独なこころにいのちの電
話”としるした自殺予防のステッカーを掲示した。
1986年
青少年による群発自殺が相次ぎ、最終的には800人を越えた。日本自殺予
防学会は理事長名で、子どもの自殺報道に関する要望書をマスメディアに送
付した。
86年 日本自殺予防学会編:日本自殺関連文献目録、いのちの電話発行
1990年
シンシア・フェッファー(コーネル大学精神科教授)子どもの自殺をめぐっ
て自殺予防学会で講演 7月
1992年 高橋祥友:自殺の危険;臨床的評価と危機介入、金剛出版
92年
横浜での国際会議のために来日したアイリ・バルニック(エストニア精神科
医)、アレックス・モコビコフ(ウクライナ・オデッサ医科大学精神科教授)
らが東京都庁を公式訪問 それぞれ自殺予防学会で講演
93年
国際自殺予防学会会長デイビッド・レスター教授
東京都庁に金平輝子副知
事を表敬訪問した 7月
1995年
オランダ・クローニンゲン大学精神科教授ジャック・ジェナー「自殺しない
契約」をめぐってセミナー
95年
I.オーバック(イスラエルの精神科医)日本学術振興会の招請で来日、子
どもの自殺について自殺予防学会で講演
1996年 ザイ・シュ—・タオ(南京医科大学教授、国際自殺予防学会中国代表)初来日、
96年
ヤコブ・ギリンスキー博士(ロシア科学アカデミー・社会学者)日本におけ
る自殺状況を調査のためザンクト・ペテルブルグより初来日 11月
1997年 齋藤友紀雄、国際自殺予防学会よりリンゲル賞受賞 3月
1998年 ジョン・マッキントッシュ教授(インディアナ大学教授、自死遺族研究で著
名)初来日 10月いのちの電話全国研修会で講演
1999年
1998年中の自殺数が3万人を越えたことが明らかとなり、しかもこの年
以来現在まで3万人の大台が続いている。
2001年 厚生労働省 自殺対策事業を構築
2002年
自殺防止対策有識者懇談会が招集され、12月には「自殺予防に向けての提
言」が厚生労働大臣に提出された。
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