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XLIV抜刷 - 京都外国語大学・京都外国語短期大学

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XLIV抜刷 - 京都外国語大学・京都外国語短期大学
ガ ン ダ ラ 考
F雨 の中の蜜蜂」 の場合 一
論
平成 7年 3月
/nqξ
ロトP
究
自ハ
研
史
永
彊
京都外国語大学
文学 と映像
叢
XLIV抜 刷
ガ ン グ ラ 考
F雨 の 中の蜜蜂」 の場合 一
文学 と映像
爾
永
史
郎
ガンダラ
一 風変 わ った ポル トガ ル語 らしか らぬ響 きのあ る gandara['9セ dere]と い う語 は ,起 源 を ロ
ー マ化以前 に遡 る と言われ る
1)。
一 般 に辞書 で は「野性植物 におおわれた無人の原野 :荒 野 :砂
2),方 言 としては「 モ ンデーゴ川で ,水 の流れ
地 の不毛 な土地」 とい う普通名詞 として定義 され
が干上 が った とき,露 出 して きた河床」 の ことをも意味す る
3)。
この語 にちなんだ地 名 は「ガ ン
グラ (Gandara)」 あ るいは「ガ ン ドラ (Candra)」 な どの形で ,ポ ル トガル北西部 を中心 に広
くポル トガル全国 に分布 して い る。 プラジルに もみ られ る とい うが ,む ろん これは初期の ポル ト
ガル系移民 の命名 によるもの と考 えられ る。。
本稿 で扱 お うとす る「 ガ ングラ」 は ,こ れ らの地理学的特徴 を踏 まえた普通名 詞で も特定 の地
名 で もな い。 それ は普通名詞 「ガ ング ラ (gandara)」 の地理学的現実 だ けで な く人文地理学
的・ 文 化 的 現 実 を も包 含 した ひ とつ の地域 を さす呼称 であ り,ポ ル トガル語 で は大文字で
Candaraと 書 かれ る固有名詞 である。
筆者 はこの意 味 に対 して とくに「廣野」 の訳 語 をあて る ことにしている。 この地域の定義 はさ
まざまであるが ,本 稿 では「北 をアヴ ェイ ロの リアス式海岸 ,南 をモ ンデーゴ平野 ,東 をフイ ン
の限定地域で有名 なバ イラーダ地方 ,西 を大西洋沿岸の砂丘 で 区切 られた地域 」 とす るモ レイラ
の定義 に従 う こととす る
5)。
この定義 か らも明 らかなように ,廣 野 の境界 は必ず しも明確ではな い。 フイ ンの限定地域 バ イ
ラーダ 自体 ,葡 萄酒 の生産地 として評価 が高 まれば高 まるほ ど西 へ と広が って い く性質 の もので
あろうし,ガ ングラの境界線が曖味である ことは疑 いよ うのない事実 である。 いずれにして もガ
ンダラは地味 の よくな い農耕 に元来不向 きな土地だった ようで ,歴 史的 には ,十 七世紀 以降 ,新
1)
2)
Machado, Jos6 Pedro: Diciondio etiTnoldgico da ltngua Portuguesa,3" ediEio, vol. 3, p. 124,
Liwos HORIZONTE, Lisboa, 1977.
Costa, J Almeida et aliil Dciorwio da Ltngoa Portquesa, 6" edieao, Porto Editora, Porto,
s/d.
3)
4)
5)
Lello Universal, 2 vols. Lello
Machado, Jos6 Pedro: Op. Cit.
& Irmio Editores, Porto,
Moreira, Yilal:. Paisagem botoola - A gAndara
450/1, p.712-728, 1982, Coimbra.
n
1977.
obra de Caios de Olioeia,
iN
VArlice no.
ガ ン グ ラ考
大 陸 よ りじゃが芋 と とう もろ こ しが もた らされ る以 前 は まった くの無 人地 帯 だ った と言 われ る。
このように,日 本でいえば関東地方の「武蔵野」が ,地 理学的にも相当厳密 に範囲を確定でき
るとはい え,ど ちらか といえば,「 ススキの原 に雑木林 の点在す る。」台地 とい う歴史に育 まれ
た典型的風景 によって人々の心 にあるのに似 ている。
カル ロス・ デ 。オリヴェイラの廣野
一 時 自分 のベ ン不― ムに「ガ ン グラ (Gandara)」 に由
来 す る「ガ ンダ (Ganda)」
(Carlos Ganda)」
を使 って「カ ル ロス・ ガ ンダ
として い たほ どオ リヴ ェイラは廣野 に
こだ わ りを持 つ。 それは典型的 な廣野 の姿 を残すカ ンタニ
ェー デ郡 カマル ネイラで育 った ことによるが ,じ つ は出生
地 はプラジルで ある。
カル ロス・ デ・ オ リヴェイラ (本 名 はカルロス・ アルベ
ル ト・ セ ー ラ・ デ 。オ リヴ ェ イ ラ ー Carlos Alberto
SelTa de Oliveira)は
レのパ
1921`■ 8月 10日 , プラジフ
ラー州ベ レン市 に生 まれた。 しかし 23年 にはポル トガル
人の両親 とともに祖父 の住 むポル トガル のカンタニ ェー デ
“
カル ロス・ デ 。オ リヴ ェイ ラ
郡 カマル ネイ ラヘ 引 き揚 げ る。 四年後父 が郡指定医師 として隣村 の フェプ レスに赴任 ,カ ル ロ
ス・ デ・ オ リヴ ェイラは同地 で初等教育 を受 けることになる。 か くして幼少期 を過 ごした この砂
地 の噴野 は ,カ ル ロス・ デ・ オ リヴ ェイラが生涯 を通 じて常 に回帰 してい くこ とになる原風景 と
なった。
地理的特徴 に裏付 けられた固有名詞 としての廣野 はオ リヴ ェイラの作品にお いてさまざまな抽
象化 を経てひ とつの心象風景 に収欽 して行 く。作品 の中 で描 かれ るように ,松 林 の散在す る,人
家 もまば らなやせた土地か らは ,絶 え間な く人間が労働力 を投入 して も,と うもろ こしとじゃが
芋 ,そ れに葡萄酒 を得 るのが精 一杯 である。海辺 の砂丘 に立 つ木造 の納屋 ,あ ち こちにある沼
,
未 だに残 る砂地の原野 ,散 在す る松林 ,貧 し く頑 なな人々 ……作者 の内部 で抽象化 され隠喩的な
意味 を帯 びた い くつ ものイメージが作品 の 中で噴野 を作 りあげて い る7)。
オ リヴ ェイラ ,人 と作品
初等教育 を フェプレス で受 けたカル ロス・ デ・ オ リヴ ェイラは 10歳 にな リカ ンタニ ェー デ市
の コレ ジオ に入 学す るが ,二 年後 の 33年 に コイ ンプラの 中等高等学校 に移 り,こ の大 学町 で以
後 15年 間 の学 生生活 を送 る ことになった。
6)小 泉武栄 +小 木新造 F武 蔵野」「大百科辞典 14」 所収 ,P.630,平 凡社 東京 1985
7) 『雨 の中の蜜蜂」 の中 に現れ る地名 は ,カ ンタニ ェーデをモデルに してい る といわれ るコルゴス
をのぞいて ,サ ン・ カエ ターノ,モ ン トー ロ,フ ォンテラーダな どすべて実在す る地名 である。
ガ ン ダ ラ考
コ イ ンプラの 中等高等学校 で は ,先 輩 にあたるフ ェル ナ ン ド・ ナモー ラらと出会 い ,早 くも
16歳 の とき,ナ モーラお よびア ル トゥー ル・ ヴ ァレー ラ との共著で 『上の頭 」 を発表 ,ま た学
生新聞や地方新間 に詩 や記事 を投 稿す る早熟 ぶ りを発揮 した とい う。41年 には コイ ンプラ大学
文学部 に入学 ,の ちに 「四十年世代」 と呼 ばれ るようになる若 い文学者・ 知識人 グルー プ と親交
を深 め ,思 想的 ,政 治的 に彼 らと連帯 しネオ レア リズ ム文芸運動 に関 わ って い った
3)。
か くして ,大 学 町 コイ ンプ ラで過 ご した 15年 間 ,と りわ け大学入学以後 の八 年間 はカル ロ
ス・ デ・ オ リヴ ェイラの思想形成 に とって きわめて重要 な意 味 を持 った こ とは言 うまで もない。
ある対談 で当時 を回想 して ,若 き日の自分 に とって コイ ンプラの文学青年たち との一体感 ,そ の
集 団 へ の帰属意識 が どれ ほ ど魅力的 だったか を熱 っぱ く語 って い る。学友 を含 め周囲の人 々が
「 フ ァシズムの臭 い に どつぶ りと浸 りきって い る」なか ,学 生数一万た らずの大学内で「十名 ほ
どの反逆分子」 のひ とりだった とい うつ。 そ して仲間 との連 帯意識 に支 えられた思想 は大学在学
中 より次々 と発表 された作品のなかに実現 して い った。
カル ロス・ デ 。オ リヴ ェイラの実質的な出世作である詩集 『観光』 は 1942年 「新歌集」叢書
のひ とつ として出版 された。 フェルナン ド・ ナモーラが括 し絵 を描 いた この詩 集 は ,当 時方向を
模索 して いたネオ ンア リズ ム詩 に決定的な影響 を与 えた作品 として知 られ る。翌 43年 には ,は
じめての小説 「砂 丘の家」 を「新散文家」叢書 の第 二巻 として発表。 また同年 ,小 説 「盗賊団」
を発表 す るが ,こ れ はのちに当局 よ り押収 され ることにな る。 45年 には詩集 『哀 れなる母」 を
発表。 これが大学在学中最後 の作品 となった。
コイ ンプラ大学文学部哲学科 を 47年 に卒業。 48年 リスポ ンヘ移 り工 業高等学校 の教諭 となる
が失敗。 49年 ア ンジェラ と結婚。51年 か ら 52年 にかけてある新聞社 の文書管理課 に勤務 し,53
年 か ら 72年 まで雑誌編集 に携 わ るが ,72年 以降 は文筆活動 に専念 した。
大学卒業後 も文 筆業 とは無縁 の分野 で生計 をたてるかたわ ら旺盛 な執筆活動 を続 け ,詩 集 『失
われた収穫』 (48),小 説 『小市民 たち』 (48),詩 集 『調和 の地』 (50),小 説 『雨 の 中 の蜜蜂』
(53)と ,つ ぎつ ぎに作品 を発表 して い った。 53年 以降 は寡作 で ,60年 に詩集 『カンター タ』
を発表 して以 来 ,68年 に二冊 の詩 集 『左側 に就 いて」,「 微小景観」 が上 梓 され るまで ,か な り
の空 自がある。 しか しなが ら,こ の間 ジ ョゼー・ ゴメス・ フェレイラと共編 で 「ポル トガル伝統
短編選 」 (57)に 注解 をほ どこし,既 刊 の 自分 の詩 を校閲 し「詩集』 (62)と して まとめ ,「 砂丘
の家 」 を大幅 に改訂 して第 二版 (64)を 発表するな ど,新 作 に直接結 びつかぬ とはいえ,相 変わ
らず活 発 な文筆活動 を続 けて いた。
8)大 雑把 に言 えば ,一 九二 〇年代末 に興 った文学 の社会性 を自覚 した文芸 運動 であ り,こ れ は ,第
二 期近代 主義 を代表す る雑誌 「存在」 に依 る作家 たちの 高踏的 な芸 術 至上主 義 に対 す る反動 とし
て現 れた ものである。 は じめは「新人文 主義 」 とも呼 ばれたが「ネオ レア リズム (新 写実主義 )」
が定着 した。 い ずれ も フ ァシス ト政権下 で 言論 の 自由のなか った 当時 のポ ル トガルで 考案 された
「 社会主義 レア リズム」 の言 い換 えで あ り,検 閲逃 れの便 法 であ る。
9) Seabra‐ 1)iniZ, JOaquiln: Sbb%′ Cン 拓
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S ′′ 0″ υ
″″
´, in: ン ″′
ε
´no. 450/1, p. 584-585, 1982,
Coimbra.オ リジナル は O DiariO紙 1.11.81.の Maria Chaby Caladoの イ ンタ ピュー記事。
i′
ガ ンダ ラ考
70年 には 「砂丘 の家」 の時 と同様 ,「 小 市民 たち」 を大幅 に改訂 して第 二版 を発表。71年 に評
論・ 随筆集 「見習 い魔術師」 お よび詩集 rふ たつの思 い出 の狭間 で」 を公 に した。 76年 には既
刊 の詩 を改訂 した うえ ,未 発表 の 「牧歌」 を含 め ,自 作 の詩 を網羅 した 『詩集」全 二巻 を上 梓。
つづいて 78年 には小説 「最果 ての地 」 を発表。 カル ロ ス・ デ・ オ リヴ ェイラに とって最後 の小
説 となった『最果 ての地 」 は ,ふ たたび噴野 を舞台 に繰 り広 げ られ る人間 と大地 との不可思議な
関わ り合 い を描 く巧致 を極 めた作品 として ,発 表後ただち に大 きな反響 を呼び ,翌 79年 には リ
スボン市文学賞受賞作品 となった。 1981年 7月 1日
,か ねて よ り健康 を害 して いた カル ロ ス・
デ 。オ リヴ ェイラは 59年 間 と 10か 月 の生涯 を閉 じる。
代表作 『雨の 中の蜜蜂」
廣野 を舞台 とした一連の作品 ,小 説 『砂丘 の家」 (43),小 説 「小市民たち」 (48),小 説 「雨の
中 の蜜蜂』 (53)「 最果 ての地』 (78)を 総称 して廣野五 部作 と呼 ぶ試 みがあるが ,じ つに的 を得
た もの と思 う。 いずれの作品 もオ リヴ ェイラに とっての廣野 をみ るうえで興味深 いが ,こ こでは
とくに 『雨の中の蜜蜂』 について詳 し く考察 した い。
この作品 は 1950年 代 当時の ポル トガル にお ける主要な文芸思潮 ,ネ オ ンア リズ ム文書の宿年
の課題 ― 内容 か形式 か ― を上揚 させた小説 として発表 い らい注 目を浴 びてた。 またギ リシア
悲劇 の形式 を意識 した ,文 体的 に もきわめて洗練 された作品 として現在 にいた るまで読み継 がれ
てい る。 日本語 Ю〉
,英 語 , ドイツ語 ,フ ランス語 ,ス ペ イ ン語 ,ロ シア語 ,ハ ンガ リー語 ,ポ ー
ラン ド語 な ど多 くの外国語 に も訳 されてお り,ポ ル トガル現代文学 の古典的名作 として内外 に知
られ てい る。 1972年 には同名 のタイ トル で映画化 されてい る。小説 の梗概 は以下の とお りであ
る。
『雨の中の蜜蜂」梗概
物語 は主人公 アル ヴ ァロ・ シル ヴ ェス トレ
が コルゴスの街 に入 って い く情景 か らは じま
る。 アル ヴァロ は町の新聞 に 自分 の罪 を公 に
しようとい う魂胆である。 その罪 とは ,妻 の
教唆 によって弟 レオポル デ ィーノの松林 を無
﹁週 麗
断 で売 り払 って しまった ことだ。
霙
弟 は植民地 ア ンゴラに行 った きり音信不通
由
だ った。 ところが その弟 か ら手紙 が届 き
,
近 々帰国す る,そ れ もア フ リカで宝の山を捜
し当てた とい う。弟が まさに故郷 に錦 を飾 る
lo)『 雨 の 中 の 賓 蜂 』 彊 永 史 郎 訳
み,2α αι´物
c)]iveira: こ
,′
彩流社
東京
映画 「雨 の 中の蜜蜂」 よ り
1992.な
お 底 本 は以 下 の とお り。 Carlos de
α ttυ α14a edtao,I´ ivraria Sa da(30Sta lEditora, 1979,Lisboa.
4
,
ガ ンダ ラ考
勢 い なのを知 り,元 来小心者 のアル ヴァロはすっか り不安 に駆 られて しまう。不安 で気 が
おか しくな りか けたアル ヴァロは妻 ,マ リーア・ ドス・ プラゼー レスの監視 の もとで 自宅
に閉 じ籠 もっていた。 しか し度重な る神父へ の告解 で も心 は晴れず ,つ いに 自分 の罪状 を
地方新間 に公 にして心の平安 を取 り戻 そ うと決意 し,邸 を抜 け出 しコルゴスの新聞社 に乗
り込 む。 ところが ,告 解 の内容 は ,妻 に対す る日ごろの恨 みをも清算 しようとい うものだ
った。新聞 の編集長 が告解 の原稿 を見 せ られて対応 しかねてい る とき,ア ル ヴァロは妻 に
居所 を突 き止 め られて しまい ,こ の計画 はご破産 となる。
アル ヴ ァロ・ シル ヴ ェス トレはモ ン トーロ村 の大地主 で食品店 を経営 して い る。 その妻
マ リーア・ ドス・ プラゼー レスは没落貴族の末裔 で ある。 ふた りは ,い わば富 と血統 をめ
ぐる政略結婚 によって結 ばれた仲 だ った。 マ リーア・ ドス・ プラゼー レスの 日常 は結婚 に
よって踏 み躙 られた 自尊心 と腑甲斐 ない夫 へ の失望 に支配 されてい る。 そんななかで ,夫
とは正反対 の豪放 な性格 で蕩 児 の名 をほしい ままにして いた義弟 の帰国 は ,彼 女 に とって
ひ とつの救 いだった。
邸 に連れ戻 されたアル ヴァロ 。シル ヴ ェス
トレは夕食後 の夜会 の ころか ら,い つに も増
してプラ ンデ ィーに溺れ ,訪 問客 の引 き揚 げ
たあ と,酔 った勢 いで妻の実家か ら譲 り受 け
F '
た 由緒 ある画面の肖像画 を目茶苦茶 に壊す。
我 に返 る と寝室 に閉 じ籠 もる妻 に詫 び ,憐 れ
みを乞 うが ,い つ もの ように寝室 の扉 は鍵で
閉 ざされた ままだった。
仕方な く自分の書斎の安楽椅子 で一夜 を明
か し,夜 明 け ころ幼少期 の 回想 に導 かれなが
映画 「雨 の 中の蜜蜂」 よ り
ら邸 の外 へ 出 てい く。 しば らく行 くと納屋 の中 で人の声 が した。聞 き耳 を立てると,そ れ
は邸 の駅者 ,赤 毛の ジャシン トと盲 目の陶エ アン トニ オ親方の娘 クラーラだった。納屋 の
藁の上で取者の若者 と同会す る娘 はすでに子 を宿 していた。 そ して ,ふ た りが妻の性的欲
求不満や 自分 たち邸 の夫婦 の生活 を笑 い ものにして い るのを耳 にする と,ア ル ヴァロの心
には もうひ とりの冷酷な自分 が頭 を もたげて くる。 そ して ,こ の屈辱感 の復讐 の対象 に駅
者の ジ ャ シン トを選んだのだった。
朝 ,店 に行 くとクラーラの父 ,陶 工 のア ン トニ オ親方 を呼 び付 け ,「 お前 の娘 は疵 モ ノ
だ」 と告げ る。盲 目の親方 は娘 を土地持 ちの農家 に嫁 にや ることで貧困か ら抜 け出す こと
を夢見 ていた。 しか し,そ の夢 が 断ち切 られそ うになった今 ,ク ラーラに思 い を寄せてい
る 自分 の助手 ,小 僧 の マル セーロ を使 ってジャシン トを葬 り去 ることを決意す る。
その夕刻 ,水 汲み場 で娘 とジャシン トが逢 い引 きす るのを察 したアン トニオ親方は ,小
僧 を連れてジャシン トを待 ち伏 せ する。 マル セー ロはクラーラ を嫁 に貰 うとい う条件 でジ
ガ ン グ ラ考
ャシン トに こん棒 で一 撃 を浴 びせ る。
夕食後 ,ふ たたび親方 はマル セー ロ と連 れだ って ,雨 の 中 ,ロ パ の背 にジャシン トを載
せて海 に捨 てに行 く。暴風雨 の吹 き荒れ る中 ,砂 丘の上 を稲妻の光 をた よりに行 くふた り
は ,途 中でジャシ ン トが まだ生 きて い ることに気 づ くが ,つ い に海 に投 げ入れて しまう。
い っぼ うクラーラは ,ジ ャシン トが約束 したに もかかわ らず水汲み場 に も納屋 に も現れ
なかった ことが気掛 か りで一睡 も出来ず にいた。 が ,夜 が明 け ,窓 か ら外 を見 ると父 とマ
ルセーロがや って くるのが 目に入 り,す べ てを察知 した。 まさか と思 って邸 の馬小屋 の二
階 にあるジャシン トの寝 ぐらへ行 つてみるとベ ッ ドに入 った形跡 さえな い。 クラーラは気
が狂 った ように金切 り声 をあげて走 り去 ってい く。
ふたたび眠れ ぬ夜 を過 ごしたアルヴ ァロは ,書 斎の窓 か らその姿 を目にし,良 心の呵責
に苦 しみはじめる。「連 中が ジ ャ シン トを殺 した。 が ,そ れ は俺 のせ い だ」 と。
しば らくして検察官が事件 を知 らせ に来 ると,邸 の 中庭 は物見高 い群衆 で温れ返 った。
これを見たアル ヴ ァロは怖 じ気づ い て ,殺 され るもの と思 い込み ,裏 口か ら密 かに抜 け出
し教会 に駆 け込 もうとする。 が ,そ の とき妻が現れ ,貴 族の出 自 らし く威圧的な態度 で検
察官 をあ しらい群衆 ともども邸 か ら追 い出す。 アル ヴ ァロは間一 髪の ところを妻 に救われ
たのだが ,群 衆 の投石 で邸 の窓 ガラスの割れた こ とが気掛 か りで しかたがない。 ようや く
群衆 が立 ち去 つたのを知 る と,安 堵感 か らどっと疲れ に襲わ れ安 楽椅子 で眠 り込んで しま
うのだった。 この投石事件 につ いては ,そ の夜 の夜会 で もネ ト医師 が ,真 剣 に議論する。
翌朝 ,日 曜 の ミサのあ と,興 奮醒 めや らぬ村人 の間 では事件 の ことで持 ちきりである。
ネ ト医師 が診察 を終 えて ,ク ラー ラのいたいけな少女時代 を回想 しつつ陶工の工 房のほう
へ と散策 をはじめると,医 師 を呼びに来た女たち と出 くわす。 クラーラが井戸 に身投 げし
た とい うのだ。 ネ ト医師 の必死 の手 当て も甲斐 な く,ジ ャシン トの子 を宿 した ままクラー
ラは死 ぬ。
家の庭 に戻 ったネ ト医師 は ,折 か ら降 りだ した雨の 中 ,い つ もの習慣 で蜂 の巣 に 目をや
る と,蜜 蜂 が一 匹飛びたつ のを見 る。蜂 は雨 に打 たれ ,地 面 に落 ち ,つ い には泥流 に飲 み
込 まれて しまうのだった。
映像的文体
主人公アル ヴァロが コルゴスの町 に姿 を見 せ る場面か ら,ク ラー ラの死後一 匹 の蜜蜂 がネ ト医
師 の 目の前 で雨水の流れ にさらわれ る場面 まで ,こ の小説 の中 で実際 に経過す る時間 はわずかに
二 日間 である。全体 を通 じて外面描写 はきわめて限 られてお り,話 の筋 は主 に登場人物 どうしの
対話 あるい はある人物 の独 自 によって展開 してい く。
この小説の大 きな特徴 は ,こ の独 自の部分 にある。文法的 には描 出話法 として分類 され る ,直
接話法 と間接話法 を折哀 した ともい える独特 の話法 を頻繁 に用 い る ことによ り話 しの筋 が展開す
る。 いわゆる地の文 か ら描 出話法 による独 自を経 て ,説 明的な導入抜 きで じかに独 自の主 の心理
ガ ング ラ考
描 写 に切 り込 んで い く方法 は ,と きに理 解 を困難 に す る こ とが あ るにせ よ ,ス ピー ド感 の あ る文
章 を可 能 にす る と ともに ,読 者 を登場人 物 の心理 に否 応 無 く引 きず り込 む強 力 な手段 とな って い
る。
緊張感 の高 い 「雨の 中の蜜蜂」 の文章 を評 して ,メ ーノ・ ジ ュデ ィスは「抗 い難 い力 でイメー
ジに引 き込む文章 」 と言 い ,こ の作品 に「映画的構成 を意図す ることか ら必要 となる緻密 さ」 を
・
指摘 した
)。
換言すれ ば ,映 画 における時称 ,す なわち映像 による時間設定 の方法であるフラッ
シュバ ックの技法 を小説 に取 り入れ ,こ れ を描 出話法 を縦横 に駆使す る ことに よって じつに巧 み
に実現 してい る とい えよう。 フラ ッシュバ ックとはジェームズ 。モ ナ コによれば「 ある映画上 の
F現 在』 にお ける場面 に挿入 され ,そ れ に対 して過去の出来事 を扱 う一 場面 あ るい は場面連鎖
(一 本 の映画全体
とい う こと もある)を い う。 フラ ッシュバ ックは映像的叙述 に とっての過去時
称 である」 と定義 され る12)。
小説 r雨 の 中 の蜜蜂」 では ,た とえば第十 四章 のマ リーア・ ドス・ プラゼー レスが ひ とりでベ
ッ ドに入 ってか ら眠 りにつ くまでの描写 は典型的なフラ ッシュバ ックによる場面転換 を利用 した
叙述 である。寝室 の凍 てついた雰囲気 を軸 に叙述の上での 「現在』 に対 して つい先刻 ので きごと
である夜会 での会話 が 回想 され る。 その後 回想 は自らの幼少期 ,ア ル ヴァ家 の屋敷 で過 ごした幸
せ な時代 へ と移行す る。 その移行 の方法 はまさに映像的 で ある。
(…
…)そ れ は ともか く,ア ル ヴ ァ家 の私 の寝台 は どうだったか しら ?細 かい刺繍 ,ク リ
スタルの食器 ,銀食器 ……庭 の本 々の あ いだか らシーツの折 り返 しの戸頃 に差 し込んで く
る木洩 れ 日の ような ,取 戻 しようのない もの …… もう時間 です よ ,マ リー ア・ ドス・ プラ
ゼー レス ……花 をつ けた木 々の あ いだで汗 を光 らせたわむれ る馬たち。娘 よ ,こ の ままず
っ と続 けばいいんだがなあ ……誕生 日のパ ー テ ィー ,七 十人 か らの招待客 ,シ ャ ンペ ング
ラスを手 に した父の姿。単なる刺繍 よ りよほ ど精緻 な細工 をしてある狩 猟用手袋 ,泡 の よ
うに拶 く壊 れやす い磁器の数 々。 そ して温か い部屋。何 もか もが遠 い音 の こと。 (… …)13)
マ リーア・ ドス・ プラゼー レスがベ ッ ドの中で眠 りに陥 る前 の状況 を述 べ た部分 である。 ここ
では意識 の上での 「現在」 に位置付 けられ るふたつのモ ノ ロー グ ,す なわ ち「それは ともか く
,
ア ル ヴ ァ家の私 の寝台 はどうだったか しら ?」 お よび「何 もか もが遠 い音 の こと。」 にはさまれ
た叙述が ,き わめて映像的な描写 によってい る。 い くつ ものイメージが提示 され るが ,実 家の調
度 の描写 か ら少女時代 の朝 の情景 ,そ れ に彼女 を呼 び起 こす召使 の姿 と声 にいたる映像 に加 えて
11) J`dice,Nunol Car10s de oliveira: レ
「″g′,η ′ %ο zα ′θ″″η ε
,"´
ο′
′in:Jomal de Letras,Ano
`ク
l,no.8, 1981,I´ isboa.
12)MOnaCO,JameS:F'′ ″
■σ
/,″
G′ο
Sy″,in:C,″
quence(sometimes an enti“
Orま〕
`
ι
″η%′ ヱ イ,IMicrosoft Corp.1994.“
that deals,″ ith tha past.■ he inash back is the past tense of filni narrative."
13) F雨 の 中の蜜蜂』爾永史郎訳
A∝ ene
`η into a∝
film)that is in∞ rted
ene in“ pre∞ nt"time
彩流社
東京
7
1992,83ペ
ー ジ。
and
,
ガ ンダ ラ考
没落 以 前 の状 況 を暗示 す る精 得 な馬 の映像 ,誕 生 日の情 景 ,父 親 の嘆 く姿 ,狩 猟 用手袋 .優 く壊
れ や す い磁 器 ,昔 の 自分 の 部 屋 とい う数 々 の イ メー ジが 提 示 され て い く。 そ して マ リー ア・ ド
ス・ プ ラゼ ー ンス の意識 上 の F現 在 」 に は さ まれ た これ らの映 像 は時 間的位 置付 けの 明確 で な い
フラ シ ュバ ック として交錯 して あ らわれ て くる こ とに よ り,眠 りにつ くまえの朦 朧 とした状 態 を
巧 み に表現 して い る。 と くに「細 か い刺 繍 ,ク リス タル の食器 」 とい う具体 的 な物 か ら情 景 の描
写 へ 入 って い く導入部 は実 際 の カ メ ラの動 きが 目 に浮 かぶ ほ ど鮮 や か で あ る。
小説 の映像化
小説 F雨 の 中 の蜜蜂』 は ,ポ ル トガル映画界 の俊英 とうたわれ
る フェルナ ン ド・ ロペ ス監督 l。 によ り 1972年 に映画化 された。
この映画 は ,四 年間の歳月 をかけて製作 され ,専 門家 の間 で高 い
評価 を得 ている15)。 原作者 オ リヴ ェイラ も,少 な くとも映画 に収
められた廣野の情景 は気 に入 っていた ようである16)。
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一般 に ,原 作 に忠実 であるか どうかが映画 の評価 に直接結 びつ
くこ とはあ りえない。 しか し小 説 に描 かれた世界 をどれだけ美 し
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わす と言 って も過言ではなかろう。 その意味 では ロペ ス監督の描
いた導入部分 ,と りわけ主人公アル ヴァロがカフェーで火酒 を一
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一
く視覚化 で きるかは ,や は り監 督 の技量 を もっとも直接的 にあら
フ ェル ナ ン ド・ ロペ ス
気 に飲 み干す場面 か ら新聞社 での告 自広告の掲載 を依頼 ,妻 に企
みを阻止 され る第 一 章の ところまでは ,脚 本 もほ とん ど原 作 のダイア ロー グをその まま用 い ,原
作 の雰囲気 をきわめて忠実 に美 しく表現 して いた。欲 を言 えば原作 の導入部分 の情景描写や主人
公の風体 と体 を揺す りなが らある く様子 ,コ ツ コツ と石畳 に響 く靴 の音 がほ しか った。
しか しなが ら主人公 アル ヴァロが屋敷 に戻 った時点 あた りを境 に映画 のス トー リー は原作 か ら
離 れて い く。原作 と対比す るため ,映 画 のス トー リーの梗概 を以下 に示 そう。
14)フ ェル ナ ン ド・
ロペ ス Femando
Lo"s(1935∼ )ロ ン ドン映像技術学校 に学 び 1960年 よ リリ
スボ ンで監督 ,編 集 に活躍。 60年 代 よ り映 画改革 を推 進 す る若手映画人 の代表。後進 の 指導 の
ほか「ベ ラルミ ー ノ」 (64)な ど長 編作 品 も多 い。
15) UIna abelha na chuva, 1972, PortugaL, Realizacao: Fernando I´
4edia Fil‐
opes. Prodllcao: ヽ
ines. Fotografia: Manuel Costa e Silva. Misica: Manuel Jorge Veloso. Conl: Laura
Soveral, Jo五 o Guedes,Zita I)uarte, Rui Frutado,Carlos Felreiro, Fernando de()liveira.75
min.こ の 映 画 は 日本 で は 1993年 10月 京都 外国語大学 主催 ,日 葡友好 450周 年記 念「 ポル トガ
ル・ シ ネ マ・ ウィー ク」 にお い て初公 開 された。
16) `( .)A paisagem dO filme l bOa,cOnl muita c01■ espOndoncia com os poeinas.''in:Adrien
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Va‐ tice no.450/1,p.611-626,1982,Coinlbra.
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ガ ンダ ラ考
ス トー リー梗概
ポル トガル 中部 ,噴 野 (ガ ングラ)の 架空
の町 コルゴスの とあるカフェー。主人公 アル
ヴ ァロがプランディーを飲 み干す シー ン。男
は町 の新聞 に 自分 の罪 を公 に し,日 頃の妻 に
対 する恨 みを晴 らそうとい う魂胆だ。妻 マ リ
ーア・ ドス・ プラゼー レスの教唆 によ り弟の
松林 を売 り払 って しまった とい う。編集長が
原稿 を見 せ られ対応 しかねて い るとき,妻 に
居所 を突 き止め られ計画 はご破算 となる。
屋敷 へ の帰路 ,馬 車 の 中で居眠 りし寄 りか
映画 「雨の中の蜜蜂」 よ り
かかる夫 へ の敵意 に満 ちた妻の眼差 しに この夫婦 の冷 えきった関係が暗示 され る。政略結
婚 で結 ばれた新興成金 の夫 と没落貴族 の妻。回想 に耽 っていた マ.リ ー アは突然抑 えようの
な い怒 りに とらわれ御者 の鞭 をもぎ取 り,怪 我 で弱 った馬 に執拗 な鞭 を浴びせ るのだった。
凄絶 な夫婦 の争 い は屋敷 に戻 ってか らも続 く。酔 いが醒 め我 に帰 ったアルヴァロ は妻 に
詫 びるが寝室 か ら締 め出されて夜 を明 か す。
夜 の明 ける ころ屋敷 の台所 で御者 ジャシ ン トとその情人 の女中ク ラー ラが 自分 たち夫 婦
の関係 をに笑 い ものに して い るのを耳 にはさむ。 この屈辱 の報復 としてアル ヴァロは女 中
の父 にふた りの関係 を暴露する。娘の結婚 により貧困 か ら抜 け出すのを夢見て いた盲 目の
陶工 ,父 ア ン トニオは娘 に心 を寄 せ る見習 の小僧 マルセー ロに御者 のジャシ ン トを撲殺 さ
せ る。瀕死 の御者 の体 を乗 せた感馬 と闇夜 をさまよったす え ,と どめの数撃 を与 え海 に捨
て る。夜 の 自む ころ泥 まみれで戻 って きた親方 と小僧。前夜密会 の場所 に現われなかった
情人 の身 を案 じ探 し回 るクラーラ と出 くわす。
御者 の死 を知 るや ,物 見高 く口さがない村人 たちの評 判 を恐れ ,良 心の呵責 に苦 しむア
ル ヴァロ。 自尊心 を踏 み躙 られ夫 に絶望的 な怒 りをぶつ けるマ リーア。逃 げ場のな い閉塞
した噴野 (ガ ンダラ)の 社会的状況 が クローズア ップされた蜜蜂や陶上の層 に暗示 され る。
以上 のように映画 の筋 は原作 とかな りずれて い る。 その こと自体 はすでに述 べ た とお り映画の
評価 には関係な い。 しか し陶 工のア ン トニ オ親方 の娘 クラーラがアルヴ ァロ家 の女中 として登場
した こと,物 語 りの展開の うえで重要なシー ンで ある夜毎の夜会 の場面 を省 いた ことは,原 作 の
筋 の重 要な部分の欠落 を意味 し,映 画をわか りに くくさせていた。 また陶工のアン トニオ親方が
盲 目であるとい う決定的な フ ァクター も映画 では相当話 が進 まない と理解 しに くい。屋敷 に群衆
が抗議 にあ らわれ る場面 も具体的 にはな く,い わゆる村人 の群像 が ドキ ュメンタ リー的 に最後 の
場面 にあ らわれ るだけである。 この場面 も原作 を知 らぬか ぎ り意味不明 にちがいないので ある。
ガ ング ラ考
とはい え ,何 よ りも不 足 を感 じるの は ,ア ン トニ オ親 方 が ,娘 クラー ラの情 人 ,屋 敷 の御者 の
ジ ャ シン トを殺 害 す る こ とを決意 す る ,そ の動機 を提 示 し損 な って い る点 で あ る。 原作 で はア ル
ヴ ァロが遠巡 のす え ,わ ざわ ざ親 方 を呼 び出 して こ う暴 露 す る。
「事実 を語 るに大演説 をぶつ必要 はない ,と い うわ けで簡単 にい こ う。要す るにお前 さん
とこの娘 がキズ物 になっちまってる とい うことだ」17)
娘 の結婚 によ り悲惨 な現状 か ら逃れた い と切望 して していたア ン トニ オ親方 は逆上 し,ク ラー
ラ と深 い仲 になった ジャシン トに対する怒 りはアル ヴ ァロの巧妙 な説得 で殺意 に変化す る。
「お宅の取者の野郎 には危 ない綱渡 りをしてもらい ますぜ ,シ ル ヴェス トレの旦那」 (…
…)「 綬 んだ綱 の上で踊 ってみせてもらおうじゃないか。 ついでに地獄で喉が渇いたらど
18)
れほどた くさん水が要るか ,よ くわからせてやる」
こうして,ま んまとアン トニオに明確 に殺人を決意 させ ,お まけに死体の行 き場 さえ「た くさ
んの水」で暗示 させるのに成功 したアルヴァロは,し かしながら,の ちに
「連中がやつを殺 した。が,悪 いのは俺なんだ」19)
とひ と り言 を言 い ,妻 には
「 (… …)爺 いのや つ ,殺 しちまったんだ。で も悪 いのは俺 なんだよ,マ リー ア。 (…
…)」 20)
と告 白 し,後悔 の念 に苛 まれ るのである。
この物語 りの展開 の原点 ともい える,ア ン トニオ親方 の殺意 には ,こ れ らの さまざまな情念が
凝縮 して い る。筋書 き上の きわめて重要な出来事 が映像化 する際 にまった く排除 されて いては
,
作品 の理解 にも支 障 の ある ことは明 白である。 この点 だけは原作の解釈 についていかに も無頓着
と思われた。
また原作か ら期待 され るさまざまな場面 での フラッシ ュバ ックの交錯す る映像 はまった くな く
,
時称 の転換 を登場人物 のモ ノロー グによつて処 理 して しまった点 も解 せない。 ア フ リカか ら届 い
17)
『雨 の中の蜜蜂」彊永史郎訳
18)
Op.cit.p.118-119.
19)
()p.cit.p. 149.
20)
()p.cit.p.154
彩流社
東京
10
1992,116ペ ー ジ。
ガ ング ラ考
た レオポル デ ィー ノの手紙 は登場人物 が音読 し,マ リーア・ ドス・ プラゼー レスの回想 は本人 が
独 自す るとい うあつけな い手法 で解決 して しまった ことに失望 を禁 じ得なかったのは私だ けでは
あるまい。原作 の熱心な読者 でオ リヴ ェイラ自身が相当 の映画好 きだった ことを知 る者 な らば首
をか しげた くなるはずである。
総 じて ,映 画 の観客 が原作 を相当 に詳 し く読 んで知 って い る ことを条件 にすれ ば ,不 足 な感 は
否 めな い とはい え ,観 客 は自らのイメージが画面 で具体化 してい くのを追 い なが らロペス監督 の
解釈 を鑑賞 してい く楽 しみはある ,そ うい う映画である。 しか し原作 に深 く関わ り,原 作 の圧倒
的な視覚的 ス トー リー展開 を楽 しんだ者 としては ,イ メージが さらに飛翔す るはずの映像化 によ
って ,か えってイメージの羽 はもぎとられ地 を這 って い るような印象 を受 けざるを得な い。
とはい え劇中劇 としてカ ステー ロ 。プラン コの『破滅 の恋 」 を挿入 して ,い かに も素人芝居 と
い った演 出でバ ルタザール殺害 の場面 を映 し出 したのは興味深 い試 みだった。舞台 の場面 が最高
2,「
潮 に達 して い くのに同調 しなが ら,映 像 とは逆 に貴族的雰囲気 のプ ェル ディの交響曲 を重ね
その煽情的な旋律 の高揚 とともに ,マ リー ア・ ドス・ プラゼー レスの表情 と舞台 とが交互 に映 し
出され ,彼 女 の感情的葛藤 の高 まりが きわめて効果的 に表現 され る。割合 に耳 に馴染んで い る音
楽 であるがゆえに ,目 指 す効果 は十二 分 に得 られて いた。
それ に個 々の映像 のつ くりは入念 で美 しい。映像 を細 か く見 れば見 るほどフェルナ ン ド・ ロペ
スの演出 の周到 な配慮が明 らかになる。連続 した動 きのある映像 を仮 に静 止 させて も,ひ とつひ
とつの画像 が独立 した絵 になって い るのである22)。
音楽 の趣 味 もよか った。 マ ヌエル・ ジョルジ ュ・ ヴ ェロー ゾの哀愁 に満 ちた ワル ツも,沈 んだ
暗 い雰囲気 の映画の結末 に ,や るせな い余韻 を漂わ せつつ ,ひ とつの作品 を美 しく仕上げるの に
大 きな役割 を果た して い る
23)。
21)
22)
ciu∞ ppe Verdi「 運命 の力」序曲。
はか らず もシネマ ウイー クの資料作成 の段階で画像 をハー ドコピーす ることにな り,映 画 のひ と
コマひ とコマ を静止 させて見 る機会 を得た。 こうした作業 をつ うじて ,監 督 の計算 ,俳 優 の演技
カメラの撮影 などが一体 となったひ とコマが それぞれ入念 な画像 を産みだ し,そ れ らの積 み重ね
,
23)
がひ とつの映画 とい う作品 に結実す る仕組が非常 によ く理解で きた。
テーマ曲が映画 のために作 曲 された ものか どうか確かめる術がなかった。素朴で情感溢れ るその
ピアノ曲を以下 に示す (筆 者が採譜 したので原譜 とは若干異なる可能性 がある)。
2ι ,`雄 多
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ガ ン ダ ラ 考
Su:γ16rio
GAndara em Uma abelha na chuoa: literatura e cinema
Shiro Iyanaga
A definiEio da Gandara € examinada e apresentada com base no trabalho
de Vital
Moreira. Esta denominaqdo que caracteriza geograficamente uma zona especlfica em Por-
tugal toma significag6es metaf6ricas nas obras de Carlos de Oliveira. Focaliza'se a uma
das novelas principais de Oliveira, "Urua abelfu. na chuua" para verificar a funEio
aleg6rica da G6ndara na sua literatura. O seu estilo chamado "cinematogrAf ico"
6
analizado sob o ponto de vista do emprego de discurso indirecto liwe e da realizaEio do
flashbach na literatura, t6nica que coloca o tempo passado ao longo das imagens no filme.
Apresentam-se o sumario da novela bem como o sinopse da versdo cinematizada para es"
tudar as duas realizaqdes diferentes. Breve consideragio critica sobre a obra do realizador
Fernando Lopes em contraste com o original litar6rio.
参考文献
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