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福島ロータリー・クラブ会報 20081211vol22

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福島ロータリー・クラブ会報 20081211vol22
DIST.NO.2530 創立 1951.1.1 承認 1951.3.23 登録番号 7734
W E E K L Y
R E P O R T
O F
F U K U S H I M A
R O T A R Y
C L U B
福島ロータリー・クラブ会報
http://www.fukushima-rotary.com/ E-mail:[email protected]
例会日■ 2008 年12 月11日(木)
会 場■ホテル[辰巳屋]8F 開会点鐘■12:30
会長挨拶
2008 ∼ 09 年度 会長
阿部 力哉
家族月間
12 月は家族月間(family month)です。
ロータリーの規定する家族とは、自分の家族、クラ
ブ会員、元会員など全てのロータリアンとその家族、
インターアクト、ローターアクト、米山奨学生、青少
年交換学生など、ロータリーに係わりをもつ全ての
人々がロータリー家族であると規定されています。
1995 ∼ 96 年 に 家 族 週 間 が 設 け ら れ ま し た が、
2003 ∼ 04 年度 RI 会長 Jonathan B. Majiyagbe が貧困
の緩和などと併せてロータリー家族の推進を強調し
て、12 月が家族月間に指定されました。
1982 ∼ 83 年度 RI 会長向笠広次氏はテーマを「人
類はひとつ、世界中に友情の橋をかけよう」とし、
「人
類はひとつの大きな家族―すべての国民は大きな家
族であり、全家族の平和と幸福がなければ、個人の
平和も幸福もありません」と 20 数年前にロータリー
家族の重要性について言及しています。
次回の例会でお話しすることになりますが、個人
を主体とする近代市民社会の中でわが国では古くか
ら独自の家族制度が大きな重みをもってきました。
しかしながら現代はその伝統的な心の拠り所となる
べき家族が崩壊しつつあると言われています。
学生を中心に 1993 年に道徳的行為や非行行為に
関する国際比較が東洋大学で調査されました。その
中の一例をとってみますと、子供と親との心理的距
離が最も遠いのが日本で、父に親近感を感じている
のは日本では 13%、米国 78%、中国 71%、韓国 47%
でした。これは 15 年も前の古いデータですが、現
ソングリーダー
渡邊 又夫 会員
22
Vol.
在はもっと離れているのかもしれません。
このような結果は私達の年代では考えられないこ
とですが、これを認めるのは悲しいことです。家族
→クラブ→職場→地域社会→国→世界の構築の基礎
となる家族については改めて見つめ直すのに 12 月
は絶好の月であると考えます。
次々週は家族親睦夜間例会です。福島で独り暮ら
しをしていらっしゃる会員の方々も奥様や子供さん
達を呼び寄せて、ロータリー家族の一員として是非
ご参加いただきたいものです。
本日は日本銀行福島支店長豊田猛夫会員の新入会
員スピーチがあります。
お客様並びに来訪ロータリアン紹介
亘理 RC 会長(RI 第 2520 地区)
丸谷 由郎 様
*バナーの交換
交換
換
プログラム
■開会点鐘
阿部力哉 会長
■ロータリーソング「福島ロータリーの歌」
ソングリーダー
渡邊又夫
会員
■お客様並びに来訪ロータリアン紹介
■会長挨拶
阿部力哉 会長
■幹事報告
安藤健次郎 幹事
■各委員会報告
古俣 猛 委員長
社会奉仕小委員会
ニコニコ BOX 小委員会
永澤俊二 委員長
プログラム小委員会
浅輪和夫 委員
雑誌小委員会
村井千昭 委員
ロータリーワークショップより 丹治正博 会員
■本日のプログラム
日本銀行福島支店長 豊田猛夫 会員
新会員スピーチ
■閉会点鐘
阿部力哉 会長
1
新会員スピーチ
日本銀行福島支店長
豊田 猛夫 会員
みなさん、こんにちは !
日本銀行・福島支店長の豊田と申します。新会員
スピーチということですので、少しお時間を頂戴し
ます。まず、自己紹介のあと、日本銀行における私
の経歴を紹介することで、
「私の職業」を理解して頂
ければと考えています。
それでは、まず、簡単な自己紹介をさせて頂きます。
福島支店には、本年 5 月の初めに鉢村の後任として着
任しました。前任地は大阪支店です。なお、当福島ロー
タリーには、渡辺健寿先生のご紹介を頂き、6 月 19
日に入会のお許しを頂いています。
特段の趣味といえるほどのものはありませんが、
子供の頃から格闘技系のスポーツに親しんできまし
た。中学と大学では、柔道に親しみ、中学時代は町
の柔道大会でいつも優勝をしていました。段位は大
学時代に取得した 2 段のままです。一方、高校時代は、
地元のアマチュアレスリング部への入部を強く要請
され、公立高ながら高校チャンピオンを多数輩出し
ている名門レスリング部で多くの経験をしました。
しかし、多感な時期であったことに加え、練習の苦
しさにも負け、恩師の制止を振り切って、レスリン
グは 2 年生の半ばで辞めてしまいました。この体験は
私にとって、とてもとても苦いものがあり、当時に
戻れるなら、辞めずに当時の仲間とともにレスリン
グを続けるところからやり直したいと今でも後悔し
ています。
こうしたことがあり、どんな苦しいときでも「逃
げない、逃げるな」をモットーとして、今でも大切
にしています。
私の横顔紹介は以上として、次に、現在勤務する
日本銀行における私の経歴をお話しすることで、
「私
の職業」のご説明に代えたいと思います。
私は日銀に昭和 56 年に入りました。現在、27 年目
になりますが、一般的な日銀マンに比べると、私の
キャリアは異色です。職人気質的なところもあるせ
いか、ひとつの部署に 10 年以上在籍したことが 2 度
もあり、日銀ではとても珍しい存在だと思っていま
す。
まず、日銀での実質的な最初の仕事は大分支店で
した。新人として本店勤務を半年ほど経験したあと、
大分支店へ配属となりました。当時の大分県は「一
村一品運動」で全国から注目され、また「きっちょむ」
という焼酎のブームが始まり出した頃のように記憶
します。大分では、新人研修的な位置付けのもと、
現場実務と経済調査を計 2 年間担当し、その後、本店
のシステム部門へ異動となりました。この異動は、
2
私の希望が適った異動だったように思います。結局、
システム部門が合っていたのか、以来、10 年間にわ
たり情報システムの開発や運用事務に携わることに
なりました。振り返ってみると、実務部門だけにと
ても新鮮で、やりがいのある充実した 10 年間だった
と感じています。
こうした中で最も印象に残っていることは、
「日銀
ネット」の開発 PJ チームに参加し、C/0 の感激を味
わったことです。日銀ネットとは、わが国における
最も重要かつ中核的な決済インフラであって、企業
活動や国民生活にとって不可欠な社会基盤となって
いるものです。
もう少し具体的に説明しますと、例えば、商店と
お客様との間の資金決済が現金のやり取りで完結す
るように、金融機関同士の決済は、実は日銀におけ
る当座預金を移動させることで最終的に完結します。
この役割をコンピュータ上で実現したものが日銀
ネットと言われるもので、日銀自らが運営をしてい
ます。因みに、日銀ネットを使った 1 日当たりの資金
決済額は、120 兆円にも上っています。
このシステムが日銀内で稼働したのが昭和 63 年で
したが、この日に向けて行内では、PT が組成されて
検討が始まり、その後、多数の有識者や若手が集めら
れ、私もその一員として加わりました。当時の日銀内
における機械化は市中に比べ大きく遅れていたため、
機械化を強力に推進すべく、日銀ネットの開発を目的
とした PJ が組成された訳です。しかし、日銀ネット
の開発 PJ は、当初計画よりも大きく遅れ、最終的に
稼働まで 5 年半強を費やすものとなりました─現在の
システム開発では考えられないことですが…。
この間、当 PJ は、要件確定作業の遅れ、要件の肥
大化、技術面の制約などの多くの困難な問題が生じ
る都度、関係者の英知を集めながら、対象業務のス
リム化や開発リスクの削減を重ねることで PJ を前進
させていきました。私も PT の一員として汗を流すこ
とで、大規模開発 PJ 運営の難しさ、そうした中で PJ
管理技法や開発リスクのコントロール手法と出会い、
それを実践し、また大規模チームならではのコミュ
ニケーションの重要性も痛感しながら、もの造りの
醍醐味である楽しさと厳しさ、そして C/0 の感激と達
成感を味わうことができました。
次に異動したのが、考査局というところです。考
査とは「調べて評価すること」ですが、日本銀行の
考査とは、日銀と当座預金取引を行う金融機関に対
して、ある程度の周期をおいて日銀職員がチームで
立ち入り、内部の経営資料を閲覧したり、事務の現
場を実地に調査すること等によって、資産内容、各
種リスクの実態やその管理状況、業務運営、収益、
自己資本の充実状況などを調べ、必要に応じて経営
上の要請を行う事務を目指します。こうした実務を
通じて、中央銀行である日本銀行は、金融機関経営
の健全性の維持を促し、それによって信用秩序の維
持を図っています。この部門に、先程のシステム部
門よりもさらに長い 13 年ほど所属しましたが、私が
いた期間は、今とは違い、まさしく日本経済がバブ
ル崩壊によってどこまでも下降する局面でした。そ
こで金融機関の資産内容の悪化を目の当たりにし、
地域経済の疲弊や大都市と地方との経済格差等を実
感することとなりました。
結局、80 回強、考査チーム員として、全国の金融
機関へ出向いたことになり、大手銀行から小規模信
金まで、また経営上問題がある金融機関などを含め
て多様な考査に従事しました。そうした中で学んだ
ことは、第一に、企業は経営トップによって大方が
決まること、第二に、リスク管理の重要性でした。
経営者にも色々なタイプがおられますが、自分がす
ばらしいと感じた経営者とは、私欲がない、自分に
厳しい、方針が明確、現場や実務を疎かにしない、
というような特徴があるように思います。そうした
方々と接することができたことも、この仕事に従事
したことによる役得であったように感じます。また、
リスク管理を徹底するということは、金融機関経営
に止まらず、事業会社の経営でも、個人の生活をお
くるうえでも、最も基本的なことだと思います。
もちろん、利益を上げていくためにはリスクテイ
クが必要ですが、継続企業であるためには、決して
過大なリスクをとらないということが鉄則だと思い
ます。すなわち、自社の身の丈にあったリスクテイ
クを徹底する(換言すれば、許容可能な範囲のリス
クに収まるようリスク管理を徹底する)ことが事業
継続の鍵であることを、考査事務を通じて多数の失
敗事例に触れることで学びました。
今回の世界的な金融危機についても、高い成長率、
安定した物価、低い金利という非常に居心地の良い
経済状態が昨年まで長期間続いた結果、金融機関や
投資家のリスクに対する警戒感が希薄となってしま
い、気付いたら過大なリスクをとってしまっていた
ということだと理解されます。そして、その調整に
追われているのが現状です。結果として、多くの関
係者のリスク管理が不全であったと言えます。
こうした 2 度にわたる異例な勤務ののち、平成 18
年 7 月末に、全く畑違いの大阪支店・発券課長として
関西へ赴任しました。発券とは、お札(日銀券)を
発行するということで、日本銀行は、わが国で唯一
の発券銀行として、お札を独占的に発行しています。
このお札には、これを用いて支払いをした場合、相
手がその受取を拒絶できないという「強制通用力」
を法律(日銀法)によって付与されているほか、当
たり前のようですが、お札を取引相手に引き渡した
時点で当事者間の決済が完了する性質があります。
こうした特徴をもつお札の発行や流通、管理にか
かる仕事を担っているのが発券課と呼ばれる部署で
す。特に、大阪支店の発券課は、100 名近くの課員を
抱えて多様な業務を行っている本店に次ぐ大規模拠
点でした。
大阪支店・発券課長を務めて感じたことは 2 つです。
第一に、日常業務を通じてお札を巡る様々なドラマ
が垣間見えたことです。具体的には、経済構造の変
化を映して銀行券が大都市圏に集まるようにその流
れが変化していること、銀行券が火災に遭ったり腐
食したという理由で個人から常識をはるかに超える
規模の引換依頼が持ち込まれるケースがあること、
外国人による超大口の損傷貨幣引換ビジネスが横行
していること、偽造券や偽造貨の抑止に向けた関係
者の戦いが日々続いていることなどです。第二は、
発券銀行として銀行券を確実に供給する責任の重さ
や、公共機関として不測の事態に備えた対応の大変
さとその重要性も痛感しました。
関西生活は、1 年 9 ヵ月弱で終わり、本年 5 月に生
まれ故郷に近い福島支店に着任しました。お陰さま
で着任して丸 7 ヵ月が過ぎましたが、
「東北初の日銀
支店」として地元に親しまれ、信頼されている姿に
驚くとともに、責任の重さを痛感する日々です。こ
れも地元・福島の皆様のご支援並びに私どもの先輩
方の地道な取組みがあったからこそだと感じます。
来年は、当店開設 110 周年の節目に当たりますので、
引続き、信頼の維持・発展に努めるとともに、地元あっ
ての福島支店ということを職員全員が忘れないよう
に努めて参りたいと考えています。
県内景気は、残念ながら悪い指標が目立つという
のが足もとの動きですが、首都圏に最も近い東北、
広大な県土と豊富な労働力、恵まれた自然や豊富な
観光資源、整備された交通インフラ、そうしたもと
での進出企業等の集積など、福島県のポテンシャル
は高いものがあると感じますので、来る景気回復局
面を見据えつつ、本県のポテンシャルの高さを活か
したさらに活力ある福島県の実現を期待したいと思
います。私も微力ながらその実現に向けて支援を惜
しまないつもりです。
以上、私の経歴を通じて「私の職業」や人柄を理
解して頂ければ幸いです。ご清聴ありがとうござい
ました。
㈶ロータリー米山記念奨学会より
●加藤 義朋 会員
累計 1,700,000 円
感謝状 伝達
●中村 忠司 会員
累計 1,000,000 円
感謝状とルビー入りピン伝達
●白岩 康夫 会員
累計 458,000 円
感謝状 伝達
3
幹事報告
安藤健次郎 幹事
例会変更のお知らせ
●福島北RC、16日(火)の例会は夜間家族クリスマス会
の為、18:00よりローゼンケラーに変更しております。
その他のお知らせ
●本日12 月理事会議事録を配布しておりますのでご
確認下さい。
社会奉仕小委員会報告
古俣 猛 委員長
チャリティ基金のお願いにつ
いて
プログラム小委員会報告
浅輪 和夫 委員
渡邊 又夫 会員
亘理ロータリー・クラブ会長丸谷由郎さんを歓迎し
て。来年のあぶくま清流協議会の河口域事業について
ご協力をお願いしております。
佐藤 篤 会員
年末ジャンボ宝くじ 19 日(金)までです。お買い
忘れないようにお願いします。今年度最後にあなたの
運を試してみてください。
佐々木光政 会員
仙台に先がけてイルミネーションを点灯した福島の
イルミネーション「光のしずく」
。来年も様々なこと
に先がけてがんばっていきましょう。篤姫、最終回の
あとは天地人を宜しくお願い致します。
佐藤 克三 会員
ドコモの携帯電話に新シリーズが登場しました。是
非体験してみてください
豊田 猛夫 会員
本日、新会員スピーチの予定です。宜しくお願い致
します。
1 月プログラムのご案内
雑誌小委員会報告
村井 千昭 委員
「ロータリーの友」12 月号紹介
丹治 正博
内池 浩
加藤 義朋
中村 忠司
佐藤 虔一
海野 卓哉
加藤 眞司
渡辺 健寿
勢島 昇
三宅 喬
氏川 守義
佐藤 武彦
山田信一郎
白岩 康夫
森岡 幸江
浅輪 和夫
小林 仁一
永澤 俊二
安藤健次郎
増子 勉
安藤 静之
12月11日(木)ニコニコBOX投入額
ロータリーワークショップより
¥51,000/累計¥1,014,000
丹治 正博 委員
「年忘れ家族会」に向けての
ワークショップ開催のご案内
ニコニコ BOX
永澤 俊二 委員長
丸谷 由郎 様(亘理 RC 会長)
あぶくま清流事業の成功をお祈りします。本日は答
礼訪問させていただきました。
12 月例会プログラムのご案内
25 日 「年忘れ家族会」
18:30 ∼「辰巳屋」
2009 年 1 月 5 日(月)
「市内 7 クラブ新年合同例会」
1 月 8 日(木)を振り替えます。ホスト・福島東 RC
12:30 ∼「辰巳屋」
三和 千之
会員
東山温泉のとある旅館のお風呂に、【あいづっこ宣言】
なる看板が掲げてありました。
【人をいたわります】とか【ありがとう・ごめんなさ
いを言います】など、《青少年の心を育てる市民行動プ
ラン策定会議》が中心となって策定した子供向けの 6 箇
条の人生訓が記されているもので、その宣言内容を学校
や地域が一体となって実践しているそうで、日本全国で
こういう取り組みが為されれば、いじめや非行もかなり
減るんじゃないだろうかと、いたく感銘したのです。
因みに、この宣言文の三項には、【がまんをします】
と書かれていたので『これは使える !』と思って、横に
居た部下に「ほらっ、がまんせぇ書いてあるやろ、子供
でもできることなんやからサラリーマンなら当たり前の
ことや、上司に言われたことはがまんせにゃあかんのや」
と言いましたら、「でも支店長、一番最初に【人をいた
わります】って書いてありますよね」とツバメ返しにあっ
てしまいました。
今週号の編集長 川瀬 秀哉 会員
事務所 : 福島市栄町 5 の 1 ホテル辰巳屋 7F TEL:024-524-1010 FAX:024-524-1011
例会日 : 木曜日 12:30 例会場 : ホテル辰巳屋 8F TEL:024-522-5111
「文書」「写真」などの送付先:[email protected](会報委員長)
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