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芸術のメタファーとしての女性登場人物 Female Characters as a

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芸術のメタファーとしての女性登場人物 Female Characters as a
日本大学大学院総合社会情報研究科紀要 No.12, 103-108 (2011)
芸術のメタファーとしての女性登場人物
―カズオ・イシグロの『夜想曲集―音楽と夕暮れをめぐる五つの物語』―
高梨 光子
日本大学大学院総合社会情報研究科
Female Characters as a Metaphor of Art:
Kazuo Ishiguro’s Nocturnes: Five Stories of Music and Nightfall
TAKANASHI Teruko
Nihon University, Graduate School of Social and Cultural Studies
Kazuo Ishiguro’s Nocturnes: Five Stories of Music and Nightfall (2009) includes five short
stories, “Crooner,” “Come Rain or Come Shine,” “Malvern Hills,” “Nocturne,” and “Cellists,” which
form a unified work concerning art and artists. In this thesis, I would like to discuss the three main
female characters: Jan’s mother in “Crooner,” Lindy Gardner in “Crooner” and “Nocturne,” and Eloise
McCormack in “Cellists.” They metaphorically represent various aspects of art such as consolation in
life, culture to be appreciated by people, and inspiration to drive people regardless of their talent, that
is, the role of a Muse.
序
ング・ライターである。スイス人の音楽家夫妻と出
Kazuo Ishiguro の『夜想曲集―音楽と夕暮れをめぐ
会い、その夫の姿に音楽家としての自らの行く末を
る五つの物語』(2009) は独立した五つの短編からな
見る。“Nocturne” では、“Crooner” に登場したリン
るが、一つの物語に登場した女性が別の物語に再登
ディ・ガードナーが再登場する。才能はあるが容姿
場し、その後日談が語られるなどの展開があり、短
が劣っているために、テナーサックス奏者として成
編集全体を一つの小説として読むこともできる。ベ
功できないと思い込む語り手と、芸能界で名声を得
ネチア、ロンドン、ビバリーヒルズ等、物語を様々
たリンディ・ガードナーがシュールな物語を展開す
な地域に設定し、さらに、アメリカ、イギリス、ハ
る。
“Cellists” はチェリストの若者と彼を指導するチ
ンガリー、ポーランド、イタリア、スイス等、出身
ェロを弾かないチェリストの物語である。音楽家が
国も様々な老若男女を登場させている。また、若い
目指す理想の世界と現実が対比されている。
頃ミュージシャンを目指したこともあると言われて
イシグロはこれまでの長編小説において、芸術の
いるイシグロの分身とも思われるミュージシャンが
様々な意味を物語化してきた。
『夜想曲集』でも音楽
それぞれの短編に登場している。
と文学を交差させ、女性登場人物を媒体にして芸術
“Crooner” は、老歌手トニー・ガードナーとその
の多面性を描いている。音楽で「夜想曲」
(ノクター
妻リンディの物語だが、そこに語り手であるギタリ
ン)とは、ある種の「気分」を表す、短い独立した
ストのヤンが回想する母親の物語が入れ子式に語ら
小曲を言う。これに従えば、イシグロの『夜想曲集』
れている。
“Come Rain or Come Shine” では、大学時
は音楽家の懊悩、不安、焦慮、夢と憧れといった「気
代の親友夫妻の不仲を取り持とうと悪戦苦闘する一
分」の変奏曲を悲喜劇的に奏でる、言葉による「夜
人の男の姿を通して、人生の不条理が喜劇的に描か
想曲」と言える。
れている。
“Malvern Hills” の語り手は、シンガーソ
本論では、3 人の主要女性登場人物、
“Crooner” に
芸術のメタファーとしての女性登場人物
登場するヤンの母親、“Crooner”と“Nocturne” に登
場するリンディ・ガードナー、
“Cellists” に登場する
She put on your records and sang along. All those long
エロイーズ・マコーマックを取り上げ、芸術のメタ
winters, in that tiny apartment of ours, she’d sit there,
ファーとして考察する。
knees tucked up under her, glass of something in her
第 1 節では、ヤンの母親が「慰め」としての「音
hand, and she’d sing along softly (24).
楽/芸術」を表象していることを述べる。ヤンの母
親は冷戦体制下の共産主義国にあって、資本主義社
トニー・ガードナーの歌はアメリカの大衆音楽に過
会アメリカの人気歌手のレコードを心の拠り所とし
ぎないのだが、イデオロギーと社会体制を超えて、
ていた。第 2 節では、リンディ・ガードナーが消費
人の心を癒すものであるということだ。1
文化としての「音楽/芸術」を表象する一方、芸術
トニー・ガードナーは人気歌手として脚光を浴び
の真贋を見極めうる者へと変容していることを述べ
ていた時代もあったのだが、初老を迎えた頃には人
る。第 3 節では、
「芸術の女神・ミューズ」としての
気も衰えてしまった。妻と別れ、若い女性と再婚す
エロイーズ・マコーマックについて述べる。彼女は、
ることでカムバックを図ろうとする。アメリカのシ
一人の若者を鼓舞し、理想の音楽の世界へ導こうと
ョー・ビジネスに生きる人間である。しかし、ヤン
する。
の母親にとっては、そんなトニー・ガードナーの歌
こそが心の「慰め」であり、拠り所であった。共産
第1節
ヤンの母親
圏社会にあって、心理的・物理的に抑圧された日々
イシグロは、“Crooner” で「慰め」としての「音
を過ごすヤンの母親にとっては、情緒的な大衆向け
楽/芸術」をヤンの母親の物語として描いている。
の歌曲であってもその価値は大であった。
「音楽/芸
27年間の結婚生活に終止符を打つ決心をし、思い
術」の価値が受け手と、その環境によって生じるも
出の地ベネチアを訪れたアメリカ人の老歌手トニ
のであることも示唆されている。
ー・ガードナー夫妻と出会ったヤンは、妻にセレナ
ヤンにとっても母の思い出につながるトニー・ガ
ーデを捧げるトニー・ガードナーの為にギターの伴
ードナーの歌は「慰め」となっている。ヤンは演奏
奏をする。それは、ヤンに母親を思い出させる。
しながら、母親がトニー・ガードナーのレコード・
ヤンとその母親は、1989 年以前の共産圏、ポーラ
ジャケットを眺めていたことを思い出す。広大な道
ンドと思しき国で暮らしていた。非共産圏アメリカ
路とアメリカ車、豊かな別世界への憧れを抱く母の
の物品を求めることが困難な時代と社会にあって、
姿を想う。
ヤンの母親はトニー・ガードナーのレコードをほぼ
全部集めていたほどの大ファンであった。母親は生
…and I guess I was thinking too of my mother, the
活に疲れ、あるいは男に裏切られて、落ち込むたび
way I’d come into the room and see her on the sofa
に彼の歌を聴いては慰められていた。
gazing at her record sleeve with its picture of an
American road, or maybe of the singer sitting in an
American car (27).
And for a moment it was like I was a boy again, back
in that apartment, lying on the carpet while my mother
トニー・ガードナーの為に演奏していたヤンは、い
sat on the sofa, exhausted, or maybe heartbroken,
while Tony Gardner’s album spun in the corner of the
1
room (14-15).
Tom Fleming も The Observer 紙の書評で同様の指摘
をしている。“…his records, he tells Gardner effusively,
狭いアパートでグラスを片手に膝を抱え、トニ
were one of the only sources of comfort to his beleaguered
ー・ガードナーのレコードに合わせて歌を口ずさむ
single mother as she was raising him in communist
母親の姿はヤンの脳裏に刻まれた。
Poland.”
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高梨
光子
つしか母を想い、母の為に演奏している。このとき、
再登場する。リンディは3回目の整形手術の回復の
ヤンは母親を理解し、母親の思いを追体験している。
為に宿泊したビバリーヒルズのホテルで、同じく術
後の回復を待つ語り手、サキソフォン奏者のスティ
第2節
リンディ・ガードナー
ーヴと出会う。リンディはスティーヴの CD を聞い
“Crooner” に登場するトニー・ガードナーの妻リ
て彼の才能を認め、同じホテル内で開催予定の授賞
ンディは消費文化としての「音楽/芸術」を表象し
式会場から、年間最優秀ミュージシャンに送られる
ている。男を信じては裏切られたヤンの母親とは対
トロフィーを持ち出し、スティーヴこそ受賞に値す
照的に、彼女は自己実現のために男達/音楽家達を
るミュージシャンであると言って、彼に差し出す。
利用していく女性である。リンディは、アメリカ、
その後二人は、顔を包帯で覆ったまま、迷路のよう
ミネソタ州の小さな町に生まれ、子供の頃は「歌っ
なホテル内を歩き回わり、トロフィーを元の場所に
て踊れる女優」を夢見ていた。学生時代から野望を
戻そうとする。授賞式の会場に入るとスティーヴは、
抱き、ハリウッドを目指す。しかし、結局、自分に
次の日に開かれる華やかな表彰式の場面を想像する。
は才能が無いと気づき、ロサンゼルス郊外でウエイ
厨房で警官や警備員に出くわした二人は、トロフィ
トレスをしながらスターとの結婚のチャンスを狙う。
ーを七面鳥の中に隠し部屋に逃げ帰る。最優秀ミュ
彼女は、策略をめぐらし、6 年目に音楽家ディーノ・
ージシャンに送られるトロフィーを巡る、この奇妙
ハートマンと結婚する。だが、彼女にとってディー
な物語について Michiko Kakutani は芸術家の焦燥を
ノは頂点に登るための一つのステップに過ぎない。
描いたものであると述べている。
やがてディーノが落ち目になると、当時のスター歌
手トニー・ガードナーと結婚する。打算的な結婚に
Perhaps this is all meant to be some sort of weird
始まるが、彼女はいつしか本当にトニーを愛するよ
dream sequences ― detailing Steve’s subconscious
うになる。だが、トニーとの結婚も彼女にとっては
fears about being a loser…
到達点ではなかった。
1960 年代、音楽界はビートルズやローリング・ス
確かに『充たされざる者』の終わりのない夜の彷徨
トーンズ等の時代を迎え、それまでのフランク・シ
を想起させるエピソードは、芸術家として成功でき
ナトラ、トニー・ベネット等のクルーナー(Crooner)
ないのではないかという芸術家の焦慮、潜在意識を
スタイルは流行遅れとなり、リンディにとってもト
文章化したものと言えよう。トロフィーはスティー
ニーはもはや無用となる。Christian House は、トニ
ヴを翻弄し窮地に追い込む。賞を目指して悪戦苦闘
ー・ガードナー夫妻の絆は市場の力によって断たれ
する芸術家の姿がここにある。
たと述べている。“…whose bond is broken by the brute
その一方で、リンディとスティーヴは芸術家の才
商品価値の無くなったト
能と評価、富、名声を巡って言い争い、そこに芸術
ニーの歌は、もはや夫婦の絆を繋ぎ止めることは出
の本質を表面化させている。リンディは、才能と評
来ない。
「音楽/芸術」の消費文化としての側面であ
価は必ずしも一致していないと言う。
strength of market forces.”
る。
ヤンは、トニー・ガードナーの歌を聴いたリンデ
‘You don’t see there’s a whole lot of other people
ィがすすり泣くのを聞いて、トニーの思いがリンデ
weren’t as lucky as you who work really hard for their
ィの心に届いたと確信する。しかし、リンディがす
place in the world.’ (166)
すり泣いたのは、愛し合いながらも、互いの商品価
値を高めるために別れなければならないことに対し
一方、スティーヴは、リンディこそが才能とは無関
てであった。
係に「富と名声」を得ている者だと言う。
リンディはトニー・ガードナーとの離婚後、芸能
界やメディアを賑わす celebrity として“Nocturne” に
‘No prizes? No prizes? Look at you! Who gets to be
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芸術のメタファーとしての女性登場人物
often, they play in a misguided way.”(197)
famous? Who gets the fancy houses.’(166)
そして、
芸術家を開花させるのは、レコード会社の誰かでは
そして、賞の選考にも疑問を投げかけ、芸術の評価
なく、彼らの才能に気付く誰かだと言う。市場性を
そのものがご都合主義であると言う。自分のような
重要視した消費文化としての「音楽/芸術」の在り
芸術家は上を目指して頑張っている。それでも評価
様を批判しているのである。
ギリシャ神話では、ゼウスと記憶の女神ムネモシ
されるのは才能とは無縁の者達である、才能が有り
ュケとの間に生まれたムーサイと呼ばれる 9 人の姉
ながら評価されないのは不公平だと言う。
妹がいた。詩人たち、音楽家達にインスピレーショ
‘Look, all I’m saying is that the wrong people end up
ンを与えるのがこの女神達である。古代ギリシャで
with the awards. That’s all.’ ...‘I sweat and heave and
は、詩人達はムーサイ達が自分達の内に詩を吹き込
break my balls to come up with something worthwhile,
んで歌わせてくれていると信じていた。(『ギリシ
something beautiful, then who is it gets the
ャ・ローマ神話文化事典』
)これがミューズの原型で
recognition? Jake Marvell! People like you!’ (166)
ある。
そのミューズによって鼓舞されたかのように、エ
ロイーズの前で奏でられるティボールのチェロの音
イシグロは、リンディとスティーヴによって、消
はこれまでにない深みを持ち、含蓄を増す。
費文化としての「音楽/芸術」の商品価値と芸術本
来の価値とを対比させている。そして、芸術の評価
のあり方に疑問を投げかける。何らかの賞を受賞し
her presence, drew from him notes that held new
て始めて社会で認められるという現実に対して、受
depths, new suggestions. … He played some more,
賞しなければ本物の芸術ではないのかと言う疑問で
she talked again. Her words would always strike him
ある。
initially as pretentious and far too abstract, but when
he tried to accommodate their thrust into his playing,
第3節
エロイーズ・マコーマック
he was surprised by the effect. Before he realised,
“Cellists” に登場するエロイーズ・マコーマック
another hour had gone by (201-202).
は芸術家を鼓舞し、芸術家にインスピレーションを
与える「芸術の女神・ミューズ」であると理解され
エロイーズに指導されたティボールは、その効果に
る。自らを virtuoso(大家)と名乗るエロイーズ・
驚く。彼は未知の感覚を覚え、エネルギーと希望を
マコーマックは、チェリスト達に美しい演奏をさせ
与えられる。エロイーズ・マコーマックは、ミュー
る使命があるのだとして、ハンガリー出身の若いチ
ズが詩人達に詩を吹き込んで歌わせたように、ティ
ェリスト、ティボールを指導する。彼女は、ティボ
ボールに語りかけ、
「理想の音楽」を奏でさせようと
ールのチェロの演奏を聴き、彼の可能性を認める。
するのである。
しかし、理想の音楽が実現不可能であることは、
そして、ティボールに必要なのは、自分のように彼
の才能に気付き、開花させてくれる指導者だと言う。
エロイーズ・マコーマックがチェロを弾かないチェ
ロの大家であるという設定に逆説的かつ皮肉に示唆
‘No, I mean the person who’ll make you blossom. The
されている。Tom Fleming は、
“Crooner” の登場人物
person who’ll hear you and realise you’re not just
達やエロイーズ・マコーマックにとって、音楽は彼
another well-trained mediocrity. That even though
らの理想の自己を表すものであり、現実とは無関係
you’re still in your chrysalis, with just a little help,
であると指摘している。
you’ll emerge as a butterfly.’ (196)
…music represents an ideal self that has little to do
彼女は、音楽家達は誤り導かれていると言う。“So
with reality. …This is, perhaps, what most binds these
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高梨
光子
stories: the conflict between what music promises and
in the years before and during World War Ⅱ, and who
what life delivers.
later found that his politics had stranded not only him
but family members too (Kakutani).
エロイーズ・マコーマックは空想の世界では、理想
の自己 vertuoso であるが、現実にはゴルフ用品の事
第二次大戦後間もない日本を舞台に、絵画を通して
業で成功したアメリカ人と結婚することになる。一
戦争に関与した戦争画家の過去が語られる。語り手
方、ティボールはエロイーズに鼓舞され、一時期は
小野鱒二は老いを迎え、自分に都合の良いことだけ
天才チェリストとしての自己を夢想するものの、そ
に耳を傾け自己正当化する。一方、自分の過去が娘
の行き着く先はホテルのレストランに雇われた一介
の縁談の妨げになっているのではないかという自責
のチェロ弾きである。Kakutani が指摘するように、
の念に駆られる。
『夜想曲集』の登場人物は芸術家として達成できな
『充たされざる者』では、崩壊の危機にある街の
かった者たち、才能や将来について自らを欺いてき
再生を担う音楽家の物語によって芸術と社会の関係、
た者たちでもある。
芸術家の役割が取り上げられている。中央ヨーロッ
パの小都市を訪れたピアニスト、ライダーは、街を
All concern aspiring or failed musicians (or music
救う人物として期待されるが、状況に翻弄されるば
lovers), who delude themselves about their talents or
かりで何も達成できない。芸術の力が求められる一
their prospects.
方、芸術家および芸術の無能・無力であることが示
されている。
結論
『わたしを離さないで』では、クローン人間に情
インタビューでイシグロ自身が述べているように、
操教育を施し、芸術創作活動が可能か否かによって、
この短編集は5楽章からなる一つの楽曲、一編の小
彼らに魂があるかないか、人間か否かが判断される。
説である。(Fleming) 中心テーマは芸術であり、女
寄宿学校ヘールシャムでは、クローン人間である子
性登場人物によって比喩的に展開されている。
供たちに絵画他の創作活動が奨励されている。これ
“Crooner” のヤンは、一人の老歌手の歌によって生
らに比べると、
『夜想曲集』では、作家から音楽家へ
きる希望を与えられた母親を回想するが、そこでは
の虚構化はあるものの、より日常的かつ個人的な設
「慰め」としての「音楽/芸術」が評価されている。
定となっており、イシグロがその素顔を垣間見せた
一方、リンディ・ガードナーの造形は、「消費文化」
自伝的作品であると言うことができよう。
としての「音楽/芸術」を風刺する。 “Nocturne” で
のスティーヴとリンディの対話は、現代社会におけ
参考資料
る芸術の評価のあり方についての議論である。
“Cellists” は、二人のチェリストを通して、芸術家が
目指す世界が、到達し得ない世界、憧憬と理想であ
一次資料
ることを語っている。このように、
『夜想曲集』はイ
Ishiguro, Kazuo. An Artist of the Floating World.
シグロの芸術をめぐる思索とも解釈できる。
London: Faber and Faber Limited, 2001.
イシグロは長編小説においても、様々な形で「芸術」
をテーマとして取り上げてきた。
『浮世の画家』では、
戦意高揚のプロパガンダとしての芸術が画家やその
------. Never Let Me Go. London: Faber and Faber, 2005.
------. Nocturnes: Five Stories of Music and Nightfall.
London: Faber and Faber, 2009.
家族を窮境に追い込んでいく。
------. When We Were Orphans. London: Faber and Faber,
2000.
“An artist of the Floating World” depicted a painter
イシグロ・カズオ
who became a propagandist for Japanese imperialism
107
飛田茂雄訳 『浮世の画家』 中
芸術のメタファーとしての女性登場人物
央公論社 1988
------ 古賀林幸訳 『充たされざる者』 中央公論社
1997
------ 土屋政雄訳 『夜想曲集―音楽と夕暮れをめぐ
る五つの物語』 早川書房 2009
------ 入江真佐子訳 『わたしたちが孤児だったころ』
早川書房 2000
------ 土屋政雄訳 『わたしを離さないで』 早川書房
2006
二次資料
Fleming, Tom.“Heartbreak in Five Movements.”
The
Observer, 10 May 2009.
〈 http://www.guardian.co.uk/books/2009/may/09/kazuoishiguro-nocturnes〉
House, Christian. “Nocturnes, By Kazuo Ishiguro.”
The
Independent, 17 May 2009.
〈 http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/book
s/reviews/nocturnes-by-kazuo-ishiguro-1684420.html〉
Kakutani, Michiko. “Two Storytellers, Singing the
Blues.”
Books of The Times,
22 October 2009.
〈 http://www.nytimes.com/2009/10/23/books/23book.h
tml?ref=kazuoishigro〉
Shilling, Jane. “Nocturnes by Kazuo Ishiguro: Review.”
Telegraph, 23 April 2009.
〈http://www.telegraph.co.uk/culture/books/bookreviews
/5208340/Nocturnes-by-Kazuo-Ishiguro-review.html〉
『ギリシャ、ローマ神話文化事典』
ン監修
原書房
ルネ・マルタ
1997
(Received:September 30,2011)
(Issued in internet Edition:November 1,2011)
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