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血液凝固のメカニズムとその対策シリーズ

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血液凝固のメカニズムとその対策シリーズ
N―138
日産婦誌5
2巻7号
〔血液凝固のメカニズムとその対策シリーズ〕
癌と血液凝固
福岡大学医学部
産婦人科学教室講師
江本
精
1
8
6
5
年に T
ro
u
s
s
e
a
ue
ta
l.が,内臓癌の患者さんに静脈血栓が多いことを初めて報告
して以来,癌と血液凝固との関連について多くの研究がなされてきた.その結果,癌患者
の血液は過凝固状態にあることが明らかとなり,血栓症の要因と考えられている.また,
癌患者には播種性血管内凝固(d
is
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tio
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IC
)の合
併も多く,D
IC
の基礎疾患として重要である.さらに,癌患者の血液凝固・線溶機構は
腫瘍の増殖・浸潤・転移にも影響を及ぼすことがわかってきた.
癌と血液凝固活性
腫瘍細胞が血液凝固系を活性化させる機序としては,1
)腫瘍細胞が凝固促進物質を産
生・放出したり,腫瘍細胞膜表面に露呈する,2
)腫瘍細胞の壊死により,凝固促進物質
が産生され放出する,3
)腫瘍細胞がサイトカイン(IL
-1
,T
N
F等)を誘導し,血管内皮
における組織因子の産生を亢進させる,4
)腫瘍細胞による血小板凝集が凝固を促進する
などが考えられる.凝固促進物質としては組織因子が最も重要である.組織因子は膜貫通
性糖蛋白質で,第 因子および a因子と結合し, aとの複合体が第 および第 因子
を活性化し,凝固反応を始動させる.組織因子は正常組織に広く分布し,腫瘍細胞には大
量に含まれる.癌細胞からは,組織因子のみならず,第 X因子を直接活性化する癌プロ
コアグラントも放出される.
癌と血小板
ある種の癌細胞が血小板を活性化することはよく知られており,血小板は腫瘍血栓形成
や血行性転移に関与している.つまり,癌細胞は種々の血小板凝集物質を放出し,血栓形
成や過凝固状態を促進し,自らを巻き込んだ形で血栓を形成することにより,血行性転移
を助長する.また,癌患者の血小板はさまざまの質的異常を来しているため,血栓や出血
等の血液凝固障害を起こしやすい.つまり,凝集能が増加又は減少し,接着能が修復され,
凝固感受性も亢進する.これに似た血小板の質的異常は化学療法中の薬剤によってももた
らされる.癌細胞は A
D
Pやトロンボキサン A
2
,
トロンビンの放出に働くことによって,
また,システインプロテアーゼを通して血小板を活性化することが inv
itroで示されてい
る.それらが一度活性化されれば,血小板は接着・凝集し,フィブリノーゲンや v
o
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ille
b
ra
n
d因子,フィブロネクチン,トロンボスポンジン等の多くの接着蛋白を放出するよ
うに働く.これら各種の凝固因子の増加は血小板の増加を促進する.一方癌患者ではしば
しば血小板の減少もみられる.その原因としては,D
IC
による血小板の消費以外に,放
射線療法や化学療法後の骨髄障害や,骨髄転移による血小板産生の障害があげられる.
癌の血液凝固活性と血管新生
凝固経路の活性化は腫瘍の増殖と転移を助長する.血管新生に伴うプロコアグラントは
組織因子とトロンビンである.V
E
G
Fは間接的なプロコアグラントであり,血管透過性
を亢進させ,血管内皮細胞での組織因子の発現を増加させる.血管透過性の亢進は,プロ
K
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・
D
IC
N―139
2000年7月
(表1) 癌と肺梗塞(肺血栓・肺塞栓)
誘 因;悪性腫瘍による血液過凝固状態,骨盤内腫瘍による静脈系圧迫,長期安静臥床,動注化学
療法,手術,肥満,加齢,長期の中心静脈カテーテル留置
基礎疾患;深部静脈血栓症が最も多い
臨床所見;胸痛,呼吸困難,過喚気が 3 徴
鑑別診断;虚血性心疾患,無気肺,胸膜炎,食道疾患,および胆・肺疾患等
発症時期;外科的侵襲後や第 1 歩行後などに突然発症
確定診断;肺血流シンチグラム,肺動脈造影
治 療;急性期の呼吸循環管理,血栓溶解療法,慢性期で内科療法が無効の際は,血栓内膜除去術,
再発予防に下大静脈フィルター挿入
トロンビン,フィブリノーゲン等の血漿蛋白の細胞外器質への漏出を引き起こす.プロト
ロンビンは活性化された凝固経路によってトロンビンに変換され,血小板の活性化とフィ
ブリノーゲンからフィブリンの産生をもたらす.癌患者では,血小板の tu
rn
o
v
e
rが亢進
している事実より,血小板は V
E
G
Fを輸送し分泌していることが最近明らかになった.
したがって,血小板が癌の血管新生に重要な役割を果たしていると考えられる.
癌と血栓形成機序
血栓形成機序は,V
irc
h
o
w
'stria
dとして知られているように,1
)血管壁の変化,2
)
血流の変化,3
)血液成分の変化,の 3要因があげられる.静脈では血流の緩徐化あるい
は鬱滞と血液の過凝固状態が主因とされている.静脈血栓は,主に凝固系の活性化により
起こりフィブリンと赤血球が主成分の赤色血栓である.下肢の深在静脈・骨盤内静脈に好
発し,深部静脈血栓と呼ばれる.静脈の血栓症は血栓性静脈炎と静脈血栓症に大別される.
前者は静脈壁の炎症に伴って起こり,血栓は壁に付着する.後者は心不全や手術後の臥床
時に発生しやすい.静脈血栓は血流方向に成長し,この部は壁への付着も弱く,剥離して
肺に血栓性塞栓症を起こす危険が高い.癌患者にみられる血栓の頻度は,報告者によって
異なり1
%から1
1
%と幅広く,癌のなかでは消化器癌,膵臓癌,肺癌に高く,乳癌,睾丸
腫瘍,膀胱癌では低い.また,一般的に遠隔転移を有する進行癌患者は早期癌患者に比べ
て血栓を起こしやすい.また,化学療法を受けている癌患者は受けていない患者に比べて
血栓が発生する頻度が高い.さらに,動脈血栓や血栓性心内膜炎からの塞栓症もしばしば
みられる.
癌と深部静脈血栓症
深部静脈血栓症は,何らかの原因によって静脈鬱滞が起こることにより発症し,手術や
長期臥床後などが誘因となる.特に婦人科や整形外科の手術後に多く,下肢の深在静脈,
次いで骨盤内静脈に好発し,深部静脈血栓症(d
e
e
pv
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inth
ro
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b
o
s
is
)と呼ばれる.
下肢では,脛骨・腓骨・大腿静脈に多い.左右差もあり,左下肢が圧倒的に多い.骨盤内
では,左腸骨静脈は右腸骨動脈や S状結腸で圧迫を受けやすいため,血栓を発生しやす
い.症状は突然の患肢の腫脹で始まり,しばしば 痛も強い.下肢の深部静脈血栓症は,
血管ドプラ法のみで診断可能であるが,依然として静脈造影法に頼ることが多い.重篤で
広範囲の血栓症では壊死となり,早急に治療を行わねばならない.肺梗塞の合併は,欧米
に比べ本邦では低いとされているが,最近では本邦でも増加傾向にあるといわれている.
悪性腫瘍の経過中にみられる静脈血栓症は T
ro
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s
s
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a
u症候群としてよく知られている.
婦人科悪性腫瘍のなかでは,卵巣癌に多い.重症例は手術の絶対的適応であり,著しい緊
満と 痛が強い場合は血栓除去術を積極的に行う.一般に急性静脈血栓症に対する治療に
関して緊急血栓除去術か,薬物による血栓溶解療法かについては一定の見解はないが,近
年,血栓溶解療法が原則として第一選択となりつつある.血栓溶解療法は,主にウロキナー
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日産婦誌5
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ゼやヘパリンを使用する.さらに,血
栓溶解療法に引き続いてワーファリン
による抗凝固療法を行うことが推奨さ
れている.下肢の腫脹や 痛が強くな
い症例には血栓溶解療法や患肢挙上,
弾性包帯などの保存療法で充分な効果
が得られる.慢性期では弾性ストッキ
ングなどの支持療法が中心であり長期
にわたる着用が勧められる.
癌と肺梗塞(肺血栓,肺塞栓)
がん細胞
血小板凝集物質
単球/マクロファージ
サイトカイン サイトカイン
凝固促進物質
(組織因子)
血小板
癌プロコアグラント
血管内皮細胞
第X因子
組織因子
第VII因子
凝固亢進
血小板凝集能亢進
血栓
悪性腫瘍による血液過凝固状態や骨
盤内腫瘍による静脈系圧迫,長期安静
臥床,動注・手術等による安静,肥満, (図 1)担がん患者の血栓形成の機序(参考文献 2)
より改変)
加齢等の因子は,癌患者に肺梗塞(肺
血栓,肺塞栓)を起こりやすくする.
また,手術操作による血管系の障害,
動注化学療法における血管障害,長期の中心静脈カテーテル留置等も誘因となることがあ
る.血栓が最初から肺血管内に生じることはまれであり,多くは深部静脈血栓症から生じ
る.肺梗塞(肺血栓)の臨床所見は胸痛,呼吸困難,過換気が 3徴であるがそろわない
非典型例も多い.鑑別診断は虚血性疾患,無気肺,胸膜炎,食道疾患,および胆 ・肺疾
患等である.肺梗塞(肺血栓,肺塞栓)の発症時期は外科的侵襲後や第 1歩行後などに
突然発症する.肺血流シンチグラム,さらに肺動脈造影が確定診断となる.シンチグラム
にて楔状の陰影欠損像を認めれば,まず本症と診断してよい.初期治療が極めて重要であ
るため,心臓血管外科,循環器内科,麻酔科に連絡する必要がある.広範な血栓が生じる
と急性右心不全,ショックなどに陥り,予後不良であるため,急性期の呼吸循環管理と血
栓溶解療法が重要である.肺梗塞の予防事項としては,1
)術前に深部静脈血栓症の既往
があるかどうか調べ,2
)周術期管理;早期離床,血液過凝固状態のチェックを行うこと
である.また,深部静脈血栓症をもった患者や既往歴のある患者に対しては肺塞栓症を予
防するために,術前に下大静脈フィルターの留置なども行われている.
癌と DIC
癌患者は凝固亢進状態にあり,凝血学的検査所見の異常が高頻度にみられる.スクリー
ニング検査で異常を示す頻度は,癌患者全体で5
0
%以上,広範な転移例では9
0
%以上と
されている.D
IC
を発症すると,F
D
Pおよび安定化フィブリノン分解産物(D
ダイマー)
の増加,可溶性フィブリン(フィブリンモノマー)の上昇,血小板数の低下などを来す.
固形癌では他の疾患に伴う D
IC
に比較し,細小血管障害性溶血性貧血を合併しやすく,
末梢血塗抹標本で赤血球破砕像が高頻度に認められる.また,
肝障害あるいは肝転移を伴っ
た患者は血漿アンチトロビン濃度の低下を来しやすい.さらに,末期癌の患者は慢性 D
IC
の状態に陥りやすい.したがって,D
IC
を初発症状として診断される婦人科悪性腫瘍の
報告も散見される.
1
)D
IC
の誘因
誘因としては,感染症,とくにグラム陰性桿菌敗血症,抗癌剤投与による癌細胞の崩壊,
手術,ショック,アシドーシス,脱水などがあげられる.固形癌のなかでは腺癌に多く,
とくにムチン産生腺癌は D
IC
を発症しやすい.とくに骨髄転移を伴った腺癌では D
IC
は
極めて高頻度に併発する.婦人科悪性腫瘍のなかでは,卵巣癌に多い.
2
)D
IC
の臨床症状
出血症状とともに血栓症状も出現しやすい.重症型では高度の出血を来すが,慢性に経
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a. 治療前
b. 治療後
(図 2)婦人科手術後に発症した肺塞栓症の肺血流シンチグラム像
(自験例)aは治療前の多発性肺塞栓像,bは治療後の像.血流が
著明に回復されているのがわかる.
過したり(C
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icD
IC
)
, 比較的程度の軽い lo
w
-g
ra
d
eD
IC
として経過する例も多い.
したがって,中心静脈栄養カテーテルの挿入,抗癌剤の動注などの処置の際には,出血に
対する注意が必要である.卵巣癌では線溶促進物質も産生されやすいため,線溶亢進によ
る出血傾向が前面に出ることが多い.
3
)D
IC
の診断
D
IC
の診断には,出血症状,臓器症状に加え,凝血学的検査所見,とくに F
D
Pおよび
D
ダイマーの上昇, 血小板の低下が重要である. フィブリノーゲンは必ずしも低下せず,
その絶対値は D
IC
の診断には役立たない.しかし,絶対値が正常でも急激な減少をみた
場合には D
IC
を疑う必要がある.
4
)D
IC
の治療
基礎疾患に対する治療が最も重要で,原疾患に対する治療が抗癌剤などで奏効すれば,
D
IC
は軽快あるいは終息する.逆に原疾患に対する治療がうまくいかないと,抗凝固療
法のみでは改善しにくい.また,C
h
ro
n
icD
IC
や lo
w
-g
ra
d
eD
IC
の状態で原疾患に対
する治療が困難な場合には,低用量のヘパリンないし低分子ヘパリンの皮下注,又は抗血
小板薬の投与も考慮する.
癌と線溶
多くの癌細胞は u
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P
A
)を高発現し,さら
に細胞表面での u
P
A
受容体の発現により,細胞表面での u
P
A
によるプラスミノーゲン
の活性化効率,すなわちプラスミン産生を増幅させている.このような癌細胞表面の線溶
活性亢進の結果,癌細胞周辺では局所的な蛋白分解が生じ,組織破壊が起きる.これが癌
細胞による浸潤・転移につながるものと考えられている.また,子宮頸癌や卵巣癌では癌
組織中の u
P
A
量と予後との相関が示唆されている.
《参考文献》
1
)小林 隆夫.癌と血液凝固.M
e
b
io1
9
9
7;1
4:8
7
5
―8
8
0
2
)原 信之,古藤 洋,桑野和善.血栓性動静脈疾患の病態:悪性腫瘍.日本臨床 1
9
9
9;
5
7:1
8
8
―1
9
2
3
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