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ジャパネットたかた

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ジャパネットたかた
改革の軌跡
ジャパネットたかた
情報漏えいを反省しモラル強化へ
「誠実なプロ集団」への自覚促す
2004年3月に顧客情報漏えいが発覚して、49日間、営業活動を全面的に自粛した。
機会損失により2004年の売上高は前年割れしたものの、2005年は過去最高の売り上げに。
信頼回復のプロジェクトを進める陰で、経営トップは、若手社員中心の組織におけるモラル向上に
心を砕いていた。
(文中敬称略)
プロジェクトの概要
テレビ通販会社、ジャパネットたかた
(長崎県佐世保市)
は主力業務であるテレビ・ラジオ
通販を2004年3月9日に突然、自粛した。この日、同社は「顧客情報が漏えいした」
と発表。
営業停止期間は49日間に及び、この間、約150億円の機会損失を招いた。
犯人は元社員2人で同年6月末に逮捕。情報漏えいの背任罪は公訴時効が成立し、12月
に商品の窃盗罪について有罪判決が下された。
同社は対策および捜査の進ちょくに伴い、4月にテレビ番組、5月にネット通販、11月にカタ
ログ発送を順次再開。幸い、会社の売上高は2005年、飛躍的に伸びた。
だが高田明社長の心には、組織作りのミスから会社存続が危ぶまれる事態を招いた危機
感が今も重くのしかかる。20代が多い社員の心を動かす高田社長の長い挑戦が始まった。
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日経情報ストラテジー
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朝9時半からの生放送中に、若い社員の司会ぶりをスタジオ隅のブラウン管越しにじっと見
つめる社長の高田明
ジャパネットたかたの高田明社長といえば、誰
社員は、元社員も含めて6人。漏えい規模は少な
もが、テレビに映るはつらつとした姿を思い浮か
くとも当時の顧客の半数の30万人分以上を超え
べるだろう。明るく語りかけるかん高い声。まっ
ると推定された。
すぐな眼差し。分かりやすく商品の特徴を説明す
ぼくとつ
る朴訥とした語り口。そこには、仕事の悩みも家
会社を大きくすることが目標ではない
庭の悩みも一瞬忘れさせて視聴者の視線を引き寄
せるさわやかさがある。
「あの番組が始まると歌に
事件を知った晩、高田と妻で副社長の惠子は2
合わせて子供が踊り出す」という手紙が同社には
時間ほど話し合った。
「漏えい規模も犯人も何も
しばしば寄せられるという。
分かっていない状態で売り続けるべきではない」
だが今、経営者としての高田は「自分自身が憔
──営業自粛について、2人はすぐに意見が一致
悴しきっている瞬間をこの年(57歳)になって初め
した。もし1年間自粛することになったとしても、
て感じるんです。僕はあまり疲れない人間だった
また一からやり直せばいいじゃないか。
「お客様と
んですが」と打ち明けるほど、重く時間のかかる
周囲が幸せになれば十分。会社を大きくすること
課題に向き合っている。
が目標じゃない」と常々公言してきた。目先の売
2004年3月9日、同社は個人情報の漏えいを公
表した。1998年7∼9月当時のリストだと推定さ
れた。当時の顧客データベースにアクセスできた
り上げにとらわれて顧客と周囲の信頼を失うこと
こそ高田にとって最も耐え難いことだった。
高田は惠子と常務執行役員である吉田周一の3
写真撮影:矢野 豊
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てメーカーとの数十億円の買い取り分の返品交渉
に追われた。
3月から4月にかけて高田や吉田らは、連日、夜
中の1∼2時まで会社にこもり、個人情報が持ち
出された98年当時の状況を詳しく調べた。当時の
状況は顧客に説明するには恥ずかしいことがたく
さんあった。当時は100人規模の中小企業だった
とはいえ、顧客情報を保管する部屋にその気にな
れば簡単に入れる状態だったこと、誰かが勝手に
データベースをコピーしても後からそれを追跡で
きる状態になっていなかったこと──。
その後、1カ月ほどで監視カメラや、システム
室の入り口へのICカード認証、全社員のパソコン
へのキー操作の記録ソフトなどの導入を手配した。
さらに、個人情報を扱う専用部屋を作って、生体
認証や、パソコンへの暗号化ソフト導入など設備
面では万全を期した。
社長の高田明。2004年の個人情報漏えい時に営業自粛の決断を下し反
響を呼んだ
営業自粛を始めた1∼2週間後から手紙やメー
ルが届き始めた。
「あの番組にエネルギーをもらっ
ていました」
「きちんと対策を練ってください」
「企
人だけの役員会を開くと、営業自粛の決断を告げ
業経営のスピードが上がり過ぎたのでは」──激
た。吉田は即座に「賛成です」と答えた。
励と叱責に高田らは元気づけられた。その総数は
吉田はもともと高田の裏表のない人柄にほれて
大日本印刷の九州地区営業本部長の職を辞して
2000通に達した。事件から2年をへた今でも年に
1度は、高田はそれらの手紙を読み返す。
まで中途入社した。
「前の職で九州を回っていろ
いろな企業のトップに会ったけれども、高田は特
モラル向上に着手
別だった。いつも心の底から言葉を発して、口先
だけで理念を語ることをしない」
。営業自粛は高田
らしい決断だと受け止めた。
数日後の社員向け説明会では、営業再開のメ
表し、テレビとラジオ番組を再開。ネット通販は
5月に再開した。
ドは言わなかった。その場で泣き出す女性社員も
だが、対策はまだ終わっていない。吉田は高田
いた。だが、高田には感傷に浸る余裕すらなかっ
に「情報の持ち出しにつながる私物は一切オフィ
た。直ちに、テレビの番組枠のキャンセル、そし
スに持ち込むのを禁止にしましょう。デジタルカ
写真撮影:矢野 豊
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4月25日、同社はセキュリティー・ポリシーを発
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あのプロジェクトの舞台裏
メラや携帯電話などです」と進言した。
「携帯電
を書かせた。
話まで禁止する?」と高田は一瞬、驚いた表情を
こうしたやり方は、のどかな田舎で家族的な経
見せた。さすがにそこまでやらなくても、と高田
営をしてきた同社では元来あり得ないことだった。
には思えたのだ。だが、吉田は続けた。
「確かに
だが、
「事件再発を防ぐためなら自分が進んで悪
携帯電話は若い人にとって生活必需品ですが、カ
役になる。高田は『それはやり過ぎだよ』と言う
メラが付いています。安易にデータを盗める職場
役回りでいい」というのが吉田の気持ちだった。
環境を作らないことこそ、本当の意味で社員を守
高田はそんな吉田を「この人は一番厳しくて一番
ることになるんです」
優しい人だよ」と評する。
その説明を聞いて「そうだね」と高田も納得し
高田は6月から自分の出演を再開した。それで
た。社員の良心を信じることは、これまでと変わ
も売り上げは前年比7∼8割のペースにとどまっ
りない。だが、簡単に盗める環境があれば、ふと
た。元社員の自供により漏えい規模を確認でき
魔が差すこともあるのが人の心だろう。そうした
て、お詫び状入りのカタログ発送を再開したのは
人間の弱さにも考えが及ばなければならないのだ
11月だった。
──事件を契機に高田の考えは少しずつ修正を迫
られつつあった。
同社の2004年の売上高は前年比6%減の663億
円に終わった。営業自粛の機会損失約150億円が
吉田は抜き打ちで「社内の情報グッズの棚卸
響いた結果だった。だが翌年の2005年は前年比
し」を実施した。社員全員の机の中や、社員の持
37%増の906億5000万と過去最高となった。大型
ち物をすべてチェックした。
液晶テレビに力を入れたことが奏功した。それで
2回目以降は携帯電話などは強制没収して一室
に展示し、真っ青になっている社員に是正対策書
も、高田は以前通りの努力を重ねただけの結果だ
と淡々と語る。
「2004年がマイナスに終わった時、
●ジャパネットたかたの個人情報漏えい事件からの復活の足取り
2004年3月
3月9日顧客情報漏えいを公表。営業活動を自粛
4月
セキュリティー対策を発表し4月25日よりテレビとラジオ番組を再開(ネット
通販は5月再開、
カタログ発送は自粛継続)
6月
システム担当者とその上司だった元社員2人が逮捕
6月
社内でセキュリティー関連の知識理解度試験制度を発足
9月
吉田常務がセキュリティー関連のBS7799の資格を取得
10月
元社員2人が書類送検される。背任罪は公訴時効で不起訴
11月
顧客への通販カタログ発送を再開
12月
2004年12月期の売上高は前年比6%減の663億円に終わる
2005年4月
システム担当役員を新たに採用
11月
大型液晶テレビの月間販売台数が1万台の大台に乗り業績を牽引
11月
ISMS(情報セキュリティーマネジメントシステム)認証取得
12月
2006年6月
2005年12月期の売上高が前年比37%増の906億5000万円で過去最高に
社員の向上心喚起策として「アイデアマラソン」制度を発足
液晶テレビはいま同社の主力販売商品の1つ。この需要を
逃すまいと高田自ら視聴者に語りかける
写真撮影:矢野 豊
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2年間くらいは売り上げは横ばいでも仕方ないと
思った」とさえ言う。
と感じている。
個人情報漏えい事件を契機に芽生えた、若手
確かに同社は2005年も組織の強化を続けた。事
社員とのコミュニケーションへの不安がよぎるの
件を契機にシステム系の人材不足を痛感していた
だ。その葛藤はどこの企業の創業者も抱えるもの
高田は、付き合いの深かったコンピュータ会社の
かもしれない。だが、高田はどうしても、
「人に誠
社員を口説き、4月にシステム担当役員として引
実な企業だけが存続できる」という理念を次代に
き抜いた。ISMS(情報セキュリティーマネジメン
託しつつ証明したいのだ。
トシステム)認証取得の活動も続けて、11月に取
得した。
「性善説を信じているのは変わらない。でも優
しく接するだけでは社員は成長しない。厳しい面
もなければ、結果として社員を守ることにならな
社員に思いが伝わっていなかった
いと思うようになった。そこが事件後に一番自分
が変わった部分ですね」と高田は言う。
いずれ高田は、自分がテレビ出演するのは週に
何を目指す会社なのかという信条を明確にしよ
1回程度にして、販売の「顔」の座を降りるつも
うと、事件以来、何百回も社員に語り続けてい
りだ。その時は社名から名字の「たかた」を取り
る。例えば、福岡のコールセンターに勤める社員
たいと言う。だが、今はまだそうできない状態だ
を25人ずつ生放送の現場に呼んで見学させた後、
30分ほど話し合う。
そこで語るのはこんなことだ。
「お客さんのため
にどうするかだけを思って仕事をしていれば結果
的に自分に返ってくる。仕事が厳しくても、そう
して改革に打ち込むと変わっている自分に気づく。
そうすると人生がものすごく変わります。独身の
人は手を挙げて──仕事を本当にお客さんのほう
を向いてやっている人は、男性も女性もすばらし
い人にめぐり合えるよ」
。社員の大半が20代独身
で、社内結婚が増えていることを踏まえ、若手社
員の心をつかむ言葉を探し続ける。
「今最優先するのは売り上げでも利益でもない。
会社の中身・・・マインドを持った人を作っていき
たい。お客さんから『ジャパネットに電話すると
めちゃくちゃ気持ちがいいよね、こういう会社が
「管理強化の悪役は自分がやる。高田は私の抑え役でいてほしい」
。個人
情報管理を指揮する常務執行役員の吉田周一
写真撮影:矢野 豊
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ないと困る』と言ってもらえる会社を作れるか。
誠心誠意なプロ集団を作ってお客さんに尽くして
改革の軌跡
あのプロジェクトの舞台裏
それが自分に返ってくると
感じる社員をどれだけ育て
られるか。日本一のコール
センターを一緒に作ろうと
いう夢を持ってくれるか。
これは本当に難しい。めち
ゃめちゃ理想的ですよね。
努力がめちゃくちゃいりま
すね。自分自身が憔悴しき
っている瞬間を感じるのは
今の歳になって初めてなん
ですよ。やっぱり今、それ
だけ会社が一番大事なとこ
ろに来ているんだろうなと
感じています」
自己実現を仕掛ける
今年6月から
「アイデアマラソン」活動を開始。
社員全員で年内に10万件のアイデア出しを
目指す。すでに1万件を超えた。アイデアは
社員同士でお互いに伝え合ったり、総務部人
事課の事務局に提案する
社員の意識改革の一環
として、同社は今年6月、アイデアが浮かんだら
私が信条を堅くしゃべるだけではなかなか社員の
すぐにその場でノートに書きとめ、とにかく毎日
心を具体的に動かせませんから」
アイデアを出し続けるという活動を始めた。
本社そばの自社スタジオで高田の周囲にいる社
常にアイデア帳を持ち歩いて「映画館の座席は
員を見わたすと、父と子ほどに年の離れた20代の
こんなレイアウトがいい」などと仕事に無関係な
若手社員が圧倒的に多い。この4月は、新卒・中
ことでもとにかく書きとめてもらう。早速、社内
途を合わせて90人もの社員を採用したという。も
のエレベーター乗り場には、提案から生まれた電
ちろん社員380人の平均年齢は27∼28歳と若い。
気代節約のポスターが張られた。ある社員は1カ
月で200ものアイデアを出して高田を喜ばせた。
そんなスタッフに囲まれて、30代前半の司会者
をブラウン管越しにじっと見つめる高田。
「もっと
「アイデアを出し続けることは常に向上しようと
気づきの力を身につけて早く会社の顔になってほ
いう気持ちを持つこと。そして、それを人に伝え
しい」と期待している。その顔に、自らの理想を
ることは共に栄えようという気持ちです。そうす
次代に託そうと真剣に心を砕く経営者の厳しい表
ることで自己実現ができていく。非常に面白いし
情が浮かんでいた。
こういうやり方のほうが若い人は自然に入れる。
井上 健太郎 [email protected]
写真撮影:矢野 豊
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