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ブック 1.indb
原 著
大分大学教育福祉科学部附属教育実践総合センター紀要 No.32,2014
キーワード:地理学,野外実習,教員志望学生,沖縄県
教員志望学生を対象とした沖縄県における
地理学野外実習の教育効果
小 山 拓 志* 土 居 晴 洋** 村 田 翔***
氏 田 洵 悠**** 三戸岡 洋 平*****
(平成27年1月27日受理)
【要 旨】 大分大学地理学教室では,学校教員になることを志望する学生が地理学の技能を
修得することを目的として,地理学野外実習を実施している。この授業は歴史や公民を含む
「社会科」で取り扱われる典型的な場所を実際に訪れ,その場所の体験を積み上げることも目
的としている。今回は地形や産業,文化など,沖縄本島の地理学的に意義のある場所を訪れ
た。景観観察や聞き取り調査,土地利用調査を通じて,学生は地理学的な技能を確実に習得す
るとともに,アジアにおける沖縄の位置や自然条件,歴史的背景が現在の沖縄にどのように投
影されているのか,また米軍基地を含む現代沖縄が抱える課題について,身をもって体験し理
解した。
Ⅰ はじめに
大分大学教育福祉科学部には,地理学の分野で卒業論文を執筆する予定の学部3・4年生を
対象とした,「地理学演習Ⅰ・Ⅱ」および「地理学野外実習Ⅰ・Ⅱ」という授業が設置されて
いる。前者の授業は,主に卒業論文作成に向けて,研究課題や研究方法,研究対象地域を具体
的に設定する方法や手順の習得と位置づけている。一方,後者の授業は,具体的な到達目標
を,①人文地理学・自然地理学の基礎的な調査技法を修得する,②現地において調査技法を適
切に利用することができる,③研究成果を適切に整理することができる,と定めている。すな
わち,後者の授業は,地理学研究の中で最も基本的かつ重要な研究スタイルである,野外調査
(フィールドワーク)における基本的な調査技能と,地域資料の効果的な収集および整理に関
する技能の修得に特化したものと位置づけている。そのため,前期のⅠでは比較的身近な地域
を,後期のⅡでは比較的遠隔地を対象として観察主体の野外実習を実施し,最終的にはフィー
ルドワークとそれにより得られたデータ(成果)の整理,そして報告書の作成(まとめの作業)
によって評価をおこなっている。
* こやまたくし 大分大学教育福祉科学部地理学教室
** どいはるひろ 大分大学教育福祉科学部地理学教室
*** むらたしょう 大分大学教育福祉科学部発達教育コース教育学選修
**** うじたじゅんゆう 大分大学教育福祉科学部教科教育コース社会選修
***** みとおかようへい 大分大学教育福祉科学部教科教育コース社会選修
- 155 -
実習対象地域は,同授業の履修学生がいくつかの候補地を提案したのち,本学の地理学教室
に在籍する他学年の学部生および大学院生らも含めて討議をおこない選定した。また,実習対
象地域での観察地点に関しても,地理学的観点からその妥当性について討議をおこない選定し
た。その結果,2013年度「地理学野外実習Ⅱ」の実習対象地域は,沖縄県に選定された。本稿
では,2014年2月27日~3月2日にかけて沖縄県で実施した野外実習の概要と,現地で実施し
たフィールドワークによる成果の一部を報告するとともに,沖縄県における地理学野外実習が
もたらした教員志望学生への教育効果について評価する。
Ⅱ 実習対象地域の概要
本章では,沖縄県の自然環境や産業,および米軍基地に関する概略を述べる。なお,これら
は履修学生が作成した資料の一部を抜粋し(図は新たに作成),加筆・修正したものである。
1.沖縄県の位置
沖縄県は,日本最西端の北緯24度02分
は てる ま
(波照間島)~27度40分(硫黄鳥島),東経
122度56分(与那国島)~131度20分(北大
東島)に位置し,160の島々(有人島は49)
しょ
からなる島嶼県である(図1)。また,本
土の鹿児島市から沖縄県那覇市までの距離
は約650km,沖縄県与那国島から台湾まで
の距離は約100kmという位置関係にある。
また,那覇市を中心とした半径2,000kmの
範囲には,東京,ソウル,北京,マニラな
ど東アジアの主要都市が含まれているた
め,沖縄県の地理的位置は東アジアの中心
にあるということもできる(堂前,2012)。
沖縄県を含む九州から台湾までの約
図1 沖縄県の位置
1,200kmの海上には,大小の島々が弧状に
連なる島嶼地域(島群)が存在しており,一般的に琉球弧や琉球列島,琉球諸島と呼ばれてい
け
ら
る(以下,琉球弧)。この琉球弧には,水深1,000m以上のトカラ海峡と宮古凹地(近年は慶良
ま
間海裂と呼称される)が存在しており(小西,1965),生物地理学上,大きな境界線(前者は
渡瀬線,後者は蜂須賀線)に相当している(中村ほか,1996)。また,琉球弧は前述したトカ
ラ海峡から南に,北琉球,中琉球,南琉球に区分されており(木崎,1985),現在の沖縄県は
中琉球と南琉球に属している。
2.沖縄県の気候環境
沖縄気象台では,沖縄本島とその周辺離島を合わせて,「沖縄本島地方」と表記している。
ここでは,沖縄本島地方における気候環境の概要として,那覇市の気候環境について示す。
那覇市における年平均気温の平年値1)は23.1℃(東京は16.3℃,大分は16.4℃)で,最寒月
- 156 -
である1月の月平均気温の平年値は
17.0℃(東京は6.1℃,大分は6.2℃)
40.0
400.0
年平均気温平年値: 23.1 ℃
降水量合計値の平年値:
35.0
350.0
30.0
300.0
である。したがって,那覇市は一年
25.0
250.0
を通じて温暖な気候であるととも
20.0
200.0
15.0
150.0
10.0
100.0
という特徴を有する。また,月平均
5.0
50.0
相対湿度は冬場でも70%弱,梅雨期
0.0
に,冬季にあまり気温が下がらない
(℃)
0.0
1月
2月
には80%に達するため,一年を通じ
3月
4月
5月
6月
7月
8月
月降水量の平年値(mm)
9月
10月
11月
12月
(mm)
月平均気温の平年値(℃)
てきわめて湿潤な環境となってい
図2 那覇市における月平均気温と月降水量の平年値
る。那覇市における年降水量は約
(統計期間:1981~2010年)
2,000mmで,とくに梅雨期の5~
資料:気象庁ホームページ(http://www.jma.go.jp/jma/index.
html)より筆者作成。
6月,台風の影響を受けやすい8~
9月に多い。以上のような気候的特
徴から,沖縄本島は亜熱帯海洋性気候に属する。
3.沖縄県の地形と植生
もと ぶ
いりおもて
沖縄県の山地は,主に沖縄本島北部,本部半島,石垣島,西表島に分布しており,県内最高
お
も
と
峰は石垣島の於茂登岳(526m)で,本島最高峰は北部に位置する与那覇岳(503m)である。
本島北部には,山地の周辺に標高200~250mの定高性を有する丘陵地が広がっており,農地開
発がおこなわれている。また,沖縄本島北部から中南部にかけて,さらに本部半島や宮古諸島
には,琉球石灰岩の海成段丘がみられる。本部半島の山頂には,海抜約300m以下に侵食小起
か
つ
伏面がみられ,全体としてやや西方に傾斜している。その小起伏面上には円錐カルストの嘉津
う
うふどう
宇岳(452m)が立地し,周辺の山里から大堂地区一帯の石灰岩地域には,各種のカルスト地
形が発達している(目崎,1988)。一方,本島における低地は,名護市やうるま市などに比較
的大きな沖積平野が存在する以外は,開析された谷が海岸近くにわずかな沖積地を形成してい
るか,もしくは離水による小面積の海岸平野のみである。
沖縄県の植生は,島嶼環境や亜熱帯海洋性気候,さらには黒潮や特有の地形・地質などの影
響を受けているため多様性に富んでいる。とくに琉球列島のなかでも沖縄諸島や八重山諸島に
は,同地域にのみ分布する固有種が多く,種子島,屋久島以北の植生とは異なった植物区系の
地域となっている。また,河口や河岸の干潮域には,オヒルギ(Bruguiera gymnorrhiza ),
メヒルギ(Kandelia obovata ),ヤエヤマヒルギ(Rhizophora mucronata ),マヤプシキ(ハ
マザクロ:Sonneratia alba ),ヒルギダマシ(Avicennia marina ),ヒルギモドキ(Lumnitzera
げ
さ
し
みや ら
racemosa )から構成されるマングローブ林が分布する。沖縄本島の慶佐次川,石垣島の宮良
ふきどう
うらうち
川,吹通川,西表島の浦内川,仲間川には,規模の大きなマングローブ林が発達しており,特
徴的な植生景観が立地している。
4.沖縄県の農業・水産業
か
き
沖縄県の農業は,とくに亜熱帯地域という気候的特性を活かし,サトウキビや花卉,果樹な
どの生産が多様に展開されている。なかでもサトウキビは,それ自体が価格保証された作目で
あるがゆえに,戦後沖縄では主要な作物のひとつとなり,沖縄の農業構造や社会構造にまで深
- 157 -
く影響を及ぼしたとされる(小川,2012)。現在でも,サトウキビの最大生産量を誇る沖縄県
は,日本における甘味資源供給産地として大きな役割を果たしている。しかし,1990年代に
入って価格の低迷や従事者の高齢化などの影響で生産量が減少し,精糖工場の統廃合が進んで
いるという問題点もある。
沖縄県の水産業は,主に鮮魚生産を中心とした日帰り経営を主体とする沿岸漁業が中心であ
る。また,サンゴ礁沿岸域では養殖などがおこなわれているが,近年は開発に伴う漁場の喪失
や赤土の流入による漁場汚染,さらには資源状態の悪化など,多くの課題を抱えている(小川,
2012)。
5.沖縄県の観光産業
沖縄県の観光産業は,県経
7,000,000
済の基幹産業としての地位を
6,000,000
確立している。ここでは,
5,000,000
1972年以降の国内観光客数の
500,000
11年 東日本大震災
01年 同時多発テロ
98年 沖縄振興地域制度創設
400,000
97年 航空燃料税の軽減措置導入
350,000
300,000
72年 本土復帰
4,000,000
250,000
75年 国際海洋博覧会開催
推移について示す。
3,000,000
観光客数は,沖縄が本土に
2,000,000
復帰した1972年以降増加傾向
1,000,000
にある(図3)。本土に復帰
200,000
150,000
100,000
50,000
0
(人) 1972 1974 1976 1978 1980 1982 1984 1986 1988 1990 1992 1994 1996 1998 2000 2002 2004 2006 2008 2010 2012
した3年後の1975年には,同
年に開催された沖縄国際海洋
博覧会の影響によって大幅な
450,000
09年 新型インフルエンザ流行
年次別入域観光客数(人)
0
(百万円)
観光収入(百万円)
図3 沖縄県における入域観光客数と観光収入の推移
資料:沖縄県(2013)
:『平成25年版観光要覧  巻末統計資料』より筆者作成。
増加がみられる。翌年の1976
年には,沖縄国際海洋博覧会前の1974年の水準に戻るが,その後はゆるやかな増加傾向をみせ,
とくに,航空燃料税の軽減措置が導入された1997年,あるいは観光関連施設を新・増設する際
に優遇措置が受けられる沖縄振興地域制度が創設された1998年頃から急激に増加している。そ
の一方で,米国同時多発テロが起こった2001年,世界的な景気の低迷や新型インフルエンザが
流行した2009年,東北地方太平洋沖地震が発生した2011年には,一時的な減少が見受けられ
る。しかし,近年は,那覇市市街地において,全国チェーンのビジネスホテルの進出がみられ
ると共に,長期滞在やパックツアーなど宿泊の形式も多様化し(上江洲,2012),それに伴っ
て観光客をターゲットにしたレンタカーや観光バス,テーマパークなど様々な業態が発展的に
展開しているためか,再び増加傾向にある。
6.沖縄県の米軍基地問題
日本に設置されている米軍基地の約75%を占めている沖縄県は,離着陸する航空機(とくに
ジェット戦闘機)の騒音や基地跡地の土壌汚染問題,原子力軍艦の寄港や劣化ウラン弾誤使用
など,「基地の島」として米軍基地に関する様々な問題と直面してきた。そうした中で起こっ
た1995年の沖縄米兵少女暴行事件を契機に,県内の米軍基地反対運動や普天間基地の返還要求
が強まっていき,2004年の沖縄国際大学米軍ヘリコプター墜落事件がこれに拍車をかけること
になった。また,沖縄では米軍人等による公務外の事件や事故も後を絶たないばかりか,それ
らに対する補償制度の問題や日米地位協定を盾にした捜査規制といった問題も存在している。
- 158 -
さらには,県面積の約10%を米軍基地が占めていることから,まちづくりや交通整備など地域
の開発を進めるうえで,米軍基地は大きな障害ともなっている。
他方で,沖縄県には基地があることで政府からの交付金や補助金等が交付されており,県の
経済が成り立っているともいわれている。また,米軍基地で働く従業員は県内雇用が多く(駐
留軍等労働者),基地に関する施設整備事業などは地元業者(産業)を支えているという意見
もある。さらに,沖縄県では基地の土地が資産として活用されているため,その地代を収入源
としている県民も多い。実際に,県内には基地収入(たとえば,軍用地料,基地従業員所得,
米軍の消費支出)に依存している自治体も少なくない。ただし,県の発表では,現在基地関連
収入の県経済に占める割合は低下しており(県経済への貢献度は5%程度),今後米軍基地の
返還が進展すれば,効果的な跡地利用による経済発展によって基地経済への依存度はさらに低
下するとしている2)。
Ⅲ 野外実習の概要
1.実習の目的と日程
これまで述べてきたように,沖縄県は地理的な位置,あるいは島嶼環境の影響などにより,
本州とは異なる特徴的な自然景観が広がっている。また,農業では,亜熱帯地域という気候的
特性を活かした農作物の生産がみられる。産業に関しては,日本有数の観光立県であるがゆえ
に,第3次産業である観光産業が,県経済の基幹産業になっているという特徴を有する。さら
に,1429年から1879年にかけての450年間は,沖縄本島を中心に琉球王国が存在し,東シナ海
の地の利を活かした中継貿易で大きな役割を果たしていたため,南方文化の影響を受けた独自
の文化が築かれている。戦時中は,米軍と日本軍の地上戦が繰り広げられ,米国から日本へ返
還された後も多くの米軍基地がそのまま置かれているため,沖縄本島は国内最大の米軍基地占
有率を誇る「基地の島」となった。本野外実習では,このような他県とは大きく異なる沖縄県
特有の自然景観や文化景観を,地理学的思考力あるいは方法論に基づき読み解いていく。
野外実習は,2014年2月27日~3月2日の3泊4日の日程で実施し,修士課程1年生1名,
学部4年生1名,学部3年生3名(履修学生),学部1年生1名の,学生6名(学年は当時:
以下,参加学生)と教員2名が参加した。参加者は,2月27日の午前中に空路で那覇空港(福
岡空港発)まで移動し,到着後はレンタカーで沖縄本島北部の本部本島まで移動した。2日目
は本部半島周辺にて実習をおこない,那覇市内まで移動した。3日目は那覇市内の国際通りに
いとまん
てフィールドワークを実施し,その後糸満市にて実習をおこなった。4日目の午前中には,首
里城を見学し,午後に那覇空港から帰路についた。表1に行程表を示し,図4にルートマップ
および観察地点を示す。
- 159 -
表1 野外実習の行程表
日付
時間
2014/2/27
12:30 - 14:20
福岡 ― 沖縄(那覇空港)
行 程(観察地点)
(名護市泊)
15:15 - 16:40
那覇空港 ― 道の駅かでな
17:10 - 18:00
道の駅かでな ― 万座毛
2014/2/28
8:00 - 8:40
(那覇市泊)
10:00 - 10:30
円錐カルスト ― 備瀬崎海岸・フクギ並木
11:50 - 13:00
備瀬崎海岸・フクギ並木 ― (昼食) ― 塩川
13:15 - 13:50
塩川 ― 辺野古岬
14:20 - 15:40
辺野古岬 ― JAおきなわ中城支店
16:30 - 16:35
JAおきなわ中城支店 ― 中城城跡
17:20 - 18:05
中城城跡 ― 嘉数高台公園
2014/3/1
8:30 - 8:55
(那覇市泊)
8:55 - 12:45
2014/3/2
空路
ホテル ― 円錐カルスト
レンタカー
ホテル ― 国際通り
国際通りにて調査(公設市場での昼食含む)
12:45 - 13:45
国際通り ― ひめゆりの塔
15:00 - 15:10
ひめゆりの塔 ― 平和祈念公園
9:00 - 9:45
移動手段
ホテル ― 首里城
ゆいレール
13:40 - 14:10
首里駅 ― 那覇空港駅
15:10 - 16:50
沖縄(那覇空港) ― 福岡
空路
図4 ルートマップおよび観察地点
便宜上,地点①をスタート地点とし,地点⑫を最終地点と
している。地点⑫への移動はゆいレールを使用した。
2.観察地点の概要(1日目)
(1)道の駅かでな(図4地点①)
なかがみ
か
で
な
中頭郡嘉手納町に立地する「道の駅かでな」には,隣接する米軍嘉手納飛行場(以下,嘉手
納基地)が一望できる展望フロアと,基地に関する展示パネルや種々の資料で構成された学習
展示室がある。この道の駅建設以前(2003年以
前)は,道の駅の正面に現存する「安保の丘」
あるいは「安保の見える丘」と呼ばれる小高い
丘から嘉手納基地を展望していた。
嘉手納基地は3,700m級滑走路2本を有する
極東最大の米軍基地であり,戦闘機をはじめと
する多数の軍用機が常駐している。参加学生
は,展望フロアより嘉手納基地を望みながら
(戦闘機離着陸の騒音を聞きながら),沖縄米軍
図5 道の駅かでな展望フロアから嘉手納
基地の概要について解説し理解を深めた(図
基地を眺める参加学生 5)。なお,米軍基地の移設問題に関しては,
  筆者撮影(撮影日:2014年2月27日)。
地点⑥の辺野古岬にて解説をおこなった。
- 160 -
まん ざ もう
(2)万座毛(図4地点②)
くにがみぐんおん な そん
万座毛は,沖縄本島の国頭郡恩納村に位置す
る,隆起サンゴ礁(琉球石灰岩)が波食作用を
受け形成された海食崖である(図6上)。隆起
サンゴ礁上の平坦な土地には天然の芝が広がっ
ており,周囲の植物群落も含めて県の天然記念
物に指定されている。
琉球石灰岩は空隙の多い礫質の石灰岩で(図
6下),サンゴ礁の堆積物がその後の地殻変動
によって隆起,台地化したものであり,波食を
受けやすいという特徴がある。琉球石灰岩の海
食崖が波食によって掘り込まれていくと,波食
窪(ノッチ)と呼ばれるへこみが海食崖の下部
に形成されることがあり(図6上),万座毛で
も観察することができる。また,琉球石灰岩は
地下水を浸透させる性質をもっているため,地
下には鍾乳洞が形成されることが多い。そのた
め,県内には玉泉洞をはじめとした鍾乳洞が多
図6 万座毛の隆起サンゴ礁(上)と琉球
数存在している。
石灰岩(下)
参加学生は,万座毛にて沖縄県における隆起
サンゴ礁(琉球石灰岩)の分布と特徴,さらに
筆者撮影(撮影日:2014年2月27日)。
は万座毛でみられる崖が,断層運動によって形成された可能性について解説し理解を深めた。
ざん ぱ
また,ここでは海岸段丘の解説と,万座毛と同じ海食崖が景勝地となっている他の海岸(残波
岬など)についての解説もおこなった。
3.観察地点の概要(2日目)
(1)円錐カルスト(図4地点③)
円錐カルストとは,石灰岩の溶食が進んで円錐形の残丘が広域に分布する地形のことである
(漆原,1996)。既述のように,本部半島の山里地区一帯には各種のカルスト地形が発達してお
り,大堂には長さ1.2km,幅0.5kmの「大堂ポリエ」と呼ばれる三角形の低地が存在する。円
錐カルストは,その周辺に発達している。また,同地域では,コックピットと呼ばれる円錐丘
の間に挟まれた底が平坦でない星形の深い凹地が広がっており,亜熱帯~熱帯地域に分布して
いる円錐カルストときわめてよく似た地形をみることができる(木崎,1985)。なお,日本で
円錐カルストが存在するのは,沖縄県のみであるといわれている。
ここでは,円錐カルストのひとつである本部富士(250m)への登山を計画していた(図7
上)。当初の計画では,「円錐カルスト国定公園遊歩道」の途中にある本部富士登山口から登頂
を試みる予定であったが,地図を確認しても遊歩道上の登山口を見つけることができず,最終
的には遊歩道の散策のみとなった。それを終えたのち,付近のコックピットと本部富士を観察
できる地点にて,山里地区の気候環境や地質の解説,さらにはカルスト地形の概要と円錐カル
ストおよびコックピットの形成過程について解説をおこなった。その後,「本部半島に存在す
- 161 -
る円錐カルストを,本当に熱帯地形と呼んで良
いのか」ということをテーマに,参加学生が
「地形構成物質」,「地形形成営力」,「地形変化
継続時間」の3つの観点から解説をおこなった
3)
。ここでの解説では,解説者以外の参加学生
から質問や意見が相次ぎ,充実した討論をおこ
なうことができた(図7下)。
(2)備瀬崎およびフクギ並木(図4地点④)
備瀬崎は,本部半島の北西部に突き出した岬
である。ここには,ビーチロックと呼ばれる石
灰岩質で板状の砂礫岩が発達している。ビーチ
ロックは,サンゴ礁が分布する砂浜でよくみら
れ,炭酸カルシウムのセメント作用によって,
こう けつ
海浜堆積物が膠 結 されて形成される。また,
ビーチロックが潮間帯で形成されることから,
その高度や堆積物の 14Cを計測・測定すること
で,海岸地域の地殻変動や海水準変動を推定す
図7 本部富士(上)と円錐カルストを観
ながら討論する参加学生(下)
ることができる。備瀬崎に分布するビーチロッ
筆者撮影(撮影日:2014年2月28日)。
14
クの Cを測定した小元(2007)によれば,同
地域のビーチロックの形成年代は,日本のビー
チロックの形成年代として最古の年代(7,760
±90 y cal BP)となっている。したがって,
ビーチロックの高度も含めて考察すると,同地
域における7,760~7,420 y cal BPの海水準は,
同地域で地殻変動がなかったと仮定すれば約-
0.8~-2.8mにあったとしている。参加学生は,
ここでサンゴ礁の生態およびサンゴ礁の地形に
ついて解説したのち,砂浜に発達するビーチ
ロック上で,その形成過程や年代について理解
を深めた(図8上)。
備瀬崎の海岸付近に立地する集落内には,フ
クギ(Garcinia subelliptica )の並木をみるこ
とができる。フクギは熱帯性常緑高木であり,
幹が丈夫で葉が密に付くため,風害や塩害,さ
らには火にも強いという特徴がある。これに加
えて,枝が垂直方向へゆっくりと成長していく
という生態的特徴を有し,周りにはほとんど葉
図8 ビーチロック(上)とフクギ並木の
を広げることがないため,古くから沖縄では防
解説をする参加学生(下)
風林や防火林として利用されてきた。備瀬崎の
- 162 -
筆者撮影(撮影日:2014年2月28日)。
集落でみられるフクギ並木も,海岸地域特有の強風から家屋を守るための防風林として利用さ
れており,集落全体もフクギによって囲まれている。参加学生は,集落内のフクギ並木を散策
し,フクギの生態的特徴や防風林の概要,および沖縄特有の家屋形態について解説し理解を深
めた(図8下)。なお,フクギ並木散策後には,備瀬崎の浅瀬でアオサの養殖を観察すること
ができた。
(3)塩川(図4地点⑤)
本部町を流れる塩川は,全長約300m,川幅
は4m程度の小規模河川である。しかし,塩川
は,湧水が塩水という世界でも珍しい河川であ
り,国内では唯一塩分濃度の高い河川として国
の天然記念物に指定されている4)。
同地点に設置された解説板によれば,この塩
川の湧出機構は岩塩層説,サイフォン説,地下
空洞説など様々あるが,未だ解明されていない
とのことである。渡部(1995)によると,現在
は,那覇港の潮位と塩川の水位(湧出量)は
図9 塩川の水を口に含む参加学生
比例関係にあり,また,湧出量と塩水濃度は
筆者撮影(撮影日:2014年2月28日)。
逆比例の関係にあるということ,さらに1日
200mm以上の雨が降ると,1日遅れで水位が急上昇し,塩分濃度が低下するということが明
らかになっている。このことは,海水と混合する塩川湧水の淡水の供給源が,降雨に由来する
鍾乳洞の水が主であることを示唆する。参加学生は,実際に塩川の水を口に含み,塩分濃度が
高いことを体感した(図9)。
(4)辺野古岬(図4地点⑥)
辺野古岬は名護市の南東部に位置し,付近に
米軍基地であるキャンプ・シュワブが立地す
る。実習当時(2014年2月)は,このキャンプ・
ぎ
の わん
シュワブの沖合いに,宜野湾市に設置されてい
る普天間基地の代替施設建設案が持ち出されて
いた。施設建設予定の海域が,絶滅危惧種であ
るジュゴンの生息域ということもあり,辺野古
埋め立てに対する反対運動が,地元住民の一部
や自然保護団体,反戦運動団体を中心に繰り広
げられていた。
図10 辺野古岬で米軍基地移設問題に
ついて考える参加学生
参加学生は,辺野古岬において,米軍基地が
筆者撮影(撮影日:2014年2月28日)。
もたらす様々な問題や危険性と,一般的にいわ
れている基地が設置されていることによる経済的メリットの二つの側面を解説した。さらに,
辺野古埋立てに関連してメディア等で頻繁に使われる,「ジュゴンの命と人間の命(普天間基
地の周辺は住宅地)のどちらを取るのか」という文言を紹介し,普天間移設問題について討論
- 163 -
した(図10)。
なかぐすく
(5)JAおきなわ中城支店(サトウキビ収穫の観察と聞き取り調査:図4地点⑦)
本実習では,JAおきなわ中城支店のご好意
によって,サトウキビ収穫の様子を観察するこ
とができた。また,農協関係者や生産者から,
サトウキビに関する収穫方法やサトウキビ農家
の現状などについての説明を受け,それに対す
る簡単な聞き取り調査をおこなった(図11)。
サトウキビの植付には「春植え」と「夏植え」
があり,植付時期や生育期間,労働力,収穫量
などに違いがある。サトウキビの収穫時期は1
月~3月だが,収穫した後も最初の苗から再び
芽が出てくるので,新たに植付をおこなわなく
図11 参加学生による農協関係者への
聞き取り調査の様子
筆者撮影(撮影日:2014年2月28日)。
ても3~4回程度収穫することが可能である。
このような栽培方法を「株出し」と呼び,毎年
植付をおこなう必要がないため労働力の軽減に
つながっている。また,サトウキビには幾つか
の品種があり,それぞれ糖度はもちろんのこ
と,収穫時期や収穫量,あるいは病原体への抵
抗力などが大きく異なっている。そのため,各
農家は早期高糖性などを組み合わせ,高糖度・
多収量となるよう工夫している。
実習時は2月末であったため,サトウキビの
収穫期であった。近年は,労働時間の大半を占
める収穫作業の省力化や生産者高齢化への対応
図12 ハーベスタによるサトウキビ収
穫の様子
筆者撮影(撮影日:2014年2月28日)。
策として,国庫補助事業などを活用したハーベ
スタの導入が推進されている。そこで,参加学生は,中城村で3台所有しているハーベスタに
よる収穫(図12)と昔ながらの手刈りによる収穫の両方を観察し,収穫作業の流れやハーベス
タの仕組みなどについて説明を受けた。また,参加学生からの活発な質問(聞き取り調査)に
よって,中城村のサトウキビ農家は現在兼業農家が多いことや,他の地区と同様に生産者の高
齢化が進んでいることなどを知り得ることができた。
(6)中城城跡(図4地点⑧)
中城城は,2000年に世界遺産に登録された,県内のグスク5)の中で最も原型を留めている
山城である。中城城は標高150~170mの石灰岩丘陵上の縁辺部に立地しており,城壁には琉球
石灰岩が使用されている(図13)。また,中城城の南東側は15m以上の切り立った断崖となっ
ており,さらに北西側は急勾配の斜面となっているため,守りやすく攻めにくい地に築かれて
さち
いるという特徴を有する。なお,中城城の築城年代は不明ではあるが,14世紀後半に先中城按
司の初代が台城に居城を構え中城城を築き始めたとされ,その後一族が数世代で南の郭,西の
- 164 -
郭,一の郭,二の郭を築造したと伝えられてい
る。その後,1440年頃に護佐丸が王命により移
封し,北の郭,三の郭を当時最高の築城技術に
よって増築したとされている(現在は6つの郭
からなる)6)。
参加学生は,中城城の歴史について解説した
のち,城内でみられる3種類の石積み(野面積
み,布積み,相方積み)について観察をおこ
なった。また,中城城跡の最高地点からは,中
城村を一望することができるため,そこでサト
ウキビ畑や住宅(集落)の分布といった中城村
図13 琉球石灰岩で造られた城壁を観
察する参加学生
筆者撮影(撮影日:2014年2月28日)。
の土地利用について考察した。
か かず
(7)嘉数高台公園(図4地点⑨)
宜野湾市の南部に位置する嘉数周辺地域は,
1945年の沖縄戦の際に,最初の大規模な戦闘が
おこなわれた激戦地である。そのため,嘉数周
辺には,住民が避難した洞窟や日本兵が利用し
た水場(ミーガー)が存在し,公園内には弾痕
が無数に残っているトーチカや弾痕の塀が現存
している。また,公園の高台には展望台が存在
し,そこから普天間基地を一望することができ
る。参加学生は,ここで沖縄戦に関する概要を
解説したのち,展望台から普天間基地および基
地周辺における住宅の立地状況を観察し(図
図14 展望台から普天間基地や住宅の
立地状況を観察する参加学生
筆者撮影(撮影日:2014年2月28日)。
14),普天間基地移設問題について再考した。
4.観察地点の概要(3日目)
(1)国際通り(図4地点⑩)
あ さと
国際通りは,那覇市の県庁北口交差点から安里三叉路にかけての約1.6kmの通りを指す名称
である。現在こそ,観光客向けの土産物屋や飲食店が建ち並ぶ那覇市最大の繁華街であるが,
まき し
那覇市の旧市街地である西町と首里地区を結ぶための県道(牧志街道)として整備された当
つぼ や
時(1934年)は,人家は少なく畑や湿地帯が広がっていた。戦後,壺屋・牧志の開放地に形成
された闇市場は,市営の公設市場に移され,これを核として那覇の商業中心地域が形成されて
いった。その後,公設市場に近接して商店街がいくつか形成されたが,戦前の牧志街道を都市
計画事業として1953年から54年にかけて改修した国際通りは,最大の商店街となった(堂前,
1997)。国際通りは整備後,急速に中心商店街として成長したため,「奇跡の1マイル」とも呼
ばれている。
国際通りでは参加学生が2班に分かれ,フィールドワークを実施した。その詳細とフィール
ドワークの様子については,Ⅳ章に記す。
- 165 -
(2)ひめゆりの塔・平和祈念公園(図4地点⑪)
第二次世界大戦末期の1945年4月から6月まで続いた沖縄戦では,看護訓練させられた沖縄
県下の女子中等学校の生徒が戦場動員を強制させられ,多くの生徒や職員(教員)が戦死・行
方不明となった。その中で,沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女子学校からも,生徒と
教師合わせて240名が戦場に送られた。この両校から動員された生徒や教師を,戦後「ひめゆ
り学徒隊」と呼ぶようになった。ひめゆり学徒隊は,沖縄戦において救護活動などに従事した
が,最終的には教師と生徒合わせて200名以上の死者を出した。糸満市の沖縄戦跡国定公園に
建立されている「ひめゆりの塔」は,ひめゆり学徒隊の犠牲者を弔う慰霊塔として,さらには
平和を希求する慰霊の塔として今日まで残され
ている。
平和祈念公園は,「沖縄戦終焉の地」とされ
ま
ぶ
に
る糸満市摩文仁の丘陵地に立地している。公園
の整備は,1972年から本格的に進められ,沖縄
戦の遺品や写真などを展示した平和祈念資料館
や,沖縄戦で亡くなられたすべての人々の氏名
いしずえ
を刻んだ「平和の礎」などが建立されている。
それゆえに,国内外の観光客をはじめ,慰霊
図15 「平和の礎」に献花する参加学生
団,修学旅行生等が多く訪れる聖地として,観
筆者撮影(撮影日:2014年3月1日)。
光の要所にもなっている。
参加学生は,ひめゆり平和祈念資料館と平和祈念資料館を観覧し,沖縄戦の詳細とその悲惨
さについて学んだ。また,平和祈念公園では,「平和の礎」に献花をおこなった(図15)。
5.観察地点の概要(2日目)
首里城(図2地点⑫)
首里城は,那覇市首里に立地する琉球王朝の
王城で,2000年には「首里城跡」として世界遺
産に登録された。ここでは,首里城の沿革に関
する簡単な概要のみを示す7)。
首里城の創建年代は明らかではないが,首里
城の内郭は15世紀初期に,外郭は16世紀に完成
している。首里城は国王とその家族が居住する
「王宮」であると同時に,王国統治の行政機関
「首里王府」の本部でもあったが,1879年の琉
球処分によって首里城から国王が追放され「沖
図16 教材開発用に全天球カメラで守
礼門を撮影する参加学生
筆者撮影(撮影日:2014年3月2日)。
縄県」となった後,首里城は日本軍の駐屯地や
各種学校に使用された。1930年代に大規模な修理がおこなわれたが,沖縄戦において日本軍が
首里城の地下を掘削して地下壕をつくり,そこに陸軍の総司令部を置いたこともあって,1945
年にアメリカ軍の攻撃によって焼失した。戦後は,跡地に琉球大学のキャンパスが建設された
が,大学移転後に復元事業が推進され,18世紀以降をモデルとした首里城が復元されている。
参加学生は実際に首里城内を散策し,琉球王朝の詳細を学ぶことで沖縄の歴史・文化に対す
- 166 -
る理解を深めた。また,首里城の守礼門では,本実習で持参していた360°撮影可能な全天球
カメラ(RICOH THETA)を試用した(図16)。このカメラの特徴は,スマートフォン等に撮
影画像を取り込むことで,撮影場所を360°自由な方向に回して見渡すことができ,臨場感を
感じることができる。ここでは,全天球カメラの特徴を踏まえて,教材開発の可能性を検討し
た。
Ⅳ 国際通りにおける土地利用と建物用途の特徴
図17 国際通りにおける土地利用と建物用途の特徴
履修学生がQGISを使用して作成した。 地理学の研究手法の習得において,フィールドワークは必須である。本野外実習では,那覇
市中心部の国際通りの土地利用の特徴を把握するための調査を実施した。国際通りとその周辺
地域は,観光立県としての沖縄県を象徴する場所であるとともに,県庁所在都市のCBD(中
心業務地区)の一角をなしており,那覇市の土地利用の特徴を把握するのに適している。
調査対象地域は,国際通りの中央部とその両側の地域を対象地域とした。調査対象地域は国
際通りの北側では,沖映大通りとニューパラダイス通りに挟まれた区画,南側では,睦橋商店
街,ガーブ川中央商店街,浮島通りに挟まれた区画である。その理由は,集合住宅や戸建て住
宅などの一般市民の居住機能と商業・業務機能とが共存する様子に,沖縄県の土地利用の特質
があるのではないかと考えられたことによる。また,現地で記録をおこなう建物用途・土地利
用分類は,観光客が多く集まる中心商業地帯であることを考慮した。現地での調査記録用の地
- 167 -
図は,『ゼンリン住宅地図 沖縄県那覇市②[西
部]』(2013年9月発行)を利用することとし,
該当ページを拡大コピーして現地に持参した。
調査当日は参加学生を2班に分け,それぞれ
国際通りの北側と南側を担当した。学生は通り
を歩きながら,建物用途・土地利用分類に照ら
して建物の用途・階数と公園や墓地などの土地
利用を記録していった(図18)。地図上の建物
が通りに面した建物の奥にあるなど,直接視認
しにくいケースもあり,地理的情報を入手する
ことの難しさを感じながらも,現地調査はおよ
そ4時間で終了した。野外実習終了後,GISを
用いて調査記録を整理し,地図化した(図17)。
観光で訪れる国際通りは,色とりどりに装飾
された土産物店や飲食店が軒を並べ,若者の店
員の賑やかな呼び込みもあり,近代的で活気溢
れる空間である。とくに夕方以降,イルミネー
図18 国 際通りにおけるフィールド
ションをまとった国際通りはいっそう華やかな
ワークの様子(上下)
空間へと変化する。しかし,その華やかな空間
のすぐ背後は集合住宅や戸建て住宅が密集して
筆者撮影(撮影日:2014年3月1日)。
おり,さらに建物の背後に隠れるように,小高い丘陵の斜面を利用して,沖縄特有の形態の墓
地が多数存在していることが明らかになった。今回の調査地域の一角にある牧志公設市場は那
覇市の一般市民の台所でもあるが,そのような沖縄の伝統的な物産や景観,情緒は多くの観光
客を引きつける魅力をも有している。学生は自らの目で観察して得た情報から,調査対象地域
が庶民と観光客,沖縄の伝統と現代,現世の空間と死後の空間がまざりあう,まさに“チャン
プルー”の空間であることを,身をもって確認したことは大きな成果であったといえる。
Ⅴ 教員志望学生を対象とした本実習の教育効果
本実習では,フィールドワークにおける基本的な調査技能と,地域資料の効果的な収集およ
び整理に関する技能の修得を目標にした。また,地理学的観点によって実習対象地域,すなわ
ち沖縄県の自然景観や文化景観を読み解くことで,地理学的思考力の向上を目指した。ここで
は,参加学生や解説担当学生の事後レポートを踏まえながら,教員志望学生を対象とした本実
習の教育効果について評価する。
1.事前準備における教育効果と地理学的技能の修得
実習対象地域を選定する際には,履修学生が候補地(観察地点も含む)における地理的事象
やそれに関する地理学研究の成果を十分に吟味し,地理学野外実習を候補地で実施する意義に
ついてプレゼンをおこなった。このプレゼンのために,履修学生は一地域を対象として,各々
が専門とする分野(自然地理学,人文地理学など)以外についても関連する論文を読み,資料
- 168 -
の収集に励んだ。このような経験は,履修学生の幅広い知識の習得に寄与できたといえよう。
また,本実習では,履修学生に対して当日使用する実習資料の作成と現地(観察地点)での
解説を義務付けた。そのため,履修学生は,教員や大学院生からの添削を受けながら31頁に及
ぶ資料(添付地図:地形図7枚,旧版地形図6枚)を作成した。履修学生は,実習資料の作成
を通じて,エクセル(Excel)やGISの利用方法,あるいは本文のレイアウトの方法や文献の
検索方法,文献リストの作成方法などを学ぶことができた。このような実習資料の作成は,卒
業論文作成のための基盤的能力の育成につながったと考えられる。
フィールドワークにおける基本的な調査技能の修得という点に関しては,サトウキビの収穫
を観察した地点において,ごく簡単ではあるが「聞き取り調査」という地理学の分野では一般
的かつ重要な調査手法を経験することができた。また,国際通りにおける土地利用と建物用途
に関する調査では,記録用に使用した住宅地図の見方を学ぶとともに,自らの観察により地
理的情報をデータ化することの意義を学んだ。さらに,参加学生は実習終了後にフィールド
ワークで得られたデータを整理し,QGIS(Quantum GIS)を使用して作図もおこなった(図
17)。このようなフィールドワークにおける一連の作業の経験は,高い教育効果があったとみ
なされる。
2.沖縄県における野外実習の教育効果
本実習では,履修学生を中心として学生自らが各観察地点の解説を担当し,場所によっては
他の参加学生と討論しながら,あるいは身を持って体験することで理解を深めていった。現地
での解説は,履修学生が教員志望学生ということもあり,地理教育に対する指導能力の向上を
目的としている。そのような中で,解説を担当した学生のレポートには,「自らが担当する解
説地点については事前に勉強をしていたが,実際に現地で解説をして質問に答えることは想像
以上に難しかった」という記述がみられた。このような体験は,各学生の地理教育における指
導能力向上につながったのはもちろんのこと,見方を変えれば,解説や指導する側の基礎知識
の重要性や「素朴な質問・疑問」に答えることの難しさを体験できたともいえるため,教員志
望の参加学生にとってはきわめて有意義な経験になったに違いない。
実習開始時は観光気分であった参加学生も,実習が進むにつれ観察地点以外において,たと
えば沖縄県特有の家屋形態について質問が出たり,庭先に咲く花や街路樹から亜熱帯地域の植
生景観に気が付いたりする学生が出てきた。また,観察地点で学んだ歴史や文化なども踏まえ
ながら,様々な自然景観や文化景観を読み解こうとする姿勢も,徐々にみられるようになっ
た。実際に,参加学生のレポートには,「実習が進むにつれ,地理学的見方や考え方が少しず
つ理解できるようになった」との記述がみられた。実習を通じてこのような傾向が出てきたこ
とは,少なからず参加学生の地理学的思考力が向上したと判断できる。
ところで,本実習では中城城跡や首里城など,いわゆる琉球王国に関連する場所も観察地点
に含めた。本実習に参加した学生の多くが中学校社会の教員免許を取得することを踏まえれ
ば,本実習において歴史的に重要で,かつ教科書に載っているような史跡を実際に観察し,歴
史学の観点から理解を深めることができたのは非常に良い経験であったと考えられる。これ
は,沖縄戦に関連した史跡や資料館の見学,さらには現代史や公民の中で重要な意味を持つ米
軍基地の観察に関しても同様であろう。実際に参加学生のレポートには,「将来教師になる身
として,沖縄戦の歴史や米軍基地の現状を知ることができたのが良かった」という感想が多数
- 169 -
みられた。他方で,地理学の視点から歴史的史跡を捉えれば,それらが立地する地域の自然的
特徴や社会的特徴,あるいはそれらの空間的な広がりの特徴から,歴史学とは違った観点から
理解を深められることも忘れてはならない。本実習では,参加学生の幅広い思考力の向上を目
的に,歴史的に重要な史跡などを歴史学の視点のみで捉えるのではなく,地理学の視点からも
アプローチし,その背景や特徴などを考察するよう指導した。独自の文化や歴史を有する沖縄
県は,このような歴史学的視点と地理学的視点の相違点や融合の重要性を理解するのに適した
地域であるため,教員志望学生への教育効果はより高かったと推測できる。
謝辞
JAおきなわ農業事業本部の島袋 泰幸氏,JAおきなわ中城支店の比嘉  康博氏は,サトウキ
ビ収穫の見学を直前にお願いしたにも拘わらず,快く引き受けてくださった。さらに,学生へ
の解説をしていただいただけでなく,聞き取り調査にも応じてくださった。末筆ながら,記し
て感謝の意を表します。
注
1) 気象庁(http://www.jma.go.jp/jma/index.html)の平年値は,1981-2010年の30年間
の観測値の平均をもとに算出している(最終閲覧日2014/11/22)。
2) 沖縄県庁のホームページ(http://www.pref.okinawa.jp/index.html)には,米軍基地
に関するページが用意されており,普天間移設問題に関する県としての考えや沖縄振興
計画に関する詳細が示されている(最終閲覧日2014/11/22)。
3) 尾方 隆幸・仲里 健・田代 豊・千村 次生(2011)
:島々のジオツアー―本部半島の石 灰岩とカルスト(http://www.geo-ryukyu.com/_src/sc566/Geotourguidebook_
Motobu.pdf)を参照した(最終閲覧日2014/11/22)。
4) 塩水の流れる河川は,世界でも塩川とプエルトリコの二ヶ所しかないといわれる。
5) グスクとは,「城」の字で表記される沖縄や奄美諸島に数多くある史跡の一種である。
6) 沖縄の世界遺産 中城城跡(http://www.nakagusuku-jo.jp/)を参照した(最終閲覧
日2014/11/22)。
7) 首里城(http://oki-park.jp/shurijo/about/187)を参照した(最終閲覧日2014/11/22)
。
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覧日2014/11/22
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Education Effect of the Field Excursion of Geography in Okinawa
Island for Students Intending Schoolteacher
Takushi KOYAMA Haruhiro DOI Sho MURATA
Junyu UJITA Yohei MITOOKA
Abstract
The department of geography, Oita University gives the field excursion of geography
so that the students intending schoolteacher may improve their skills of the geographic
education. The excursion also aims at acquiring their place experiences of the typical
places handled by the social studies including the history and the citizens. They
visited valuable places of the Okinawa Island in the geographical perspectives, such as
geomorphology, industry, history and culture. The students improved their geographic
skills by the landscape observation, the interview with the local farmers and the land
use research. They also understood the actual situations and its meanings of the
contemporary Okinawa affected by its geographical location in Asia, physical conditions
and historical background.
Key words:Geography, Field excursion, Student intending schoolteacher, Okinawa Island
- 171 -
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