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薄曇輔嚥鱗雛胆二審鰯謎

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薄曇輔嚥鱗雛胆二審鰯謎
鳥栖市轟木町1384の1
編集部
久留米市天神町239
電話②8532・
編集・発行人
鳥 居 重 樹
ロ ド ノ
ダ ノ
日本医師会と
国民健康保険
鯛くなし仁”と喝破している。この文句は佐藤首相にぴったりで、特に感慨を〃
一 ・ 深くするものである・彼はこのころ突然沖縄復帰㌔
@ を”核ぬき本土なみ”と言い出したが、政治家とし門
ゴ が
脇と 、
ての経歴を考えると本気でそんなこと言っているの〃
ゴ
じゃあるまい、うかつに、信用すると背負い投げを吻
,
くわされるという警戒心が国民の多数にある。だが曜
ノ
勢 大衆は峯あ詮落用でき董︼多い三
レ ハ
藤織総総輪麟羅轍総瀬態
卿謡一瓢婆訴鷺爆発蕪蠣纒鍵億謡腹
のうと言・た。彼がいう歓迎とは、小笙が教師に裂されて紙の小三焦
︵ち沿道に並んでいた⋮であ薫れとは沖縄同胞五万人置集合してあげ芝
ら、それで結構だ。その代 引き上げに、脅威を感じて
わり、救急措置、保健所に いる国民大衆は、不愉快き
対する協力、時間外診療な わまりない話である。
ど公共サービスはいっさい 必要経賞を実際より二〇
久留米市東和町回の五、
六の二〇、森憲昭氏の入院
日数を八日間サバを読み、
本件は森氏一人の分だけで
約三万円ごまかしていた。
正事実はもっと摘発できる
厳重に調査をするなら、不
かもしれない。
佐賀市では医療法人聖医
会が経営する藤川病院や、
グリコ診療所などで社会保
険患者九一九六人に対し、
薬価基準にないニクピタン
錠を指定薬のアリナミン錠
として投薬し、佐賀県の社
会保険診療支払い基金事務
所と国民健康保険連合会か
らアリナミン錠による診療
報酬として七八八万円をだ
でも水増し詐取が二件も検
ましとった。その頃鳥栖市
こんな医者の不正が、国
挙せられている。
できないのは痛快だ。
本医師会のカモにされてい
だが、本紙五二号に掲載 るわけだ。主権者がこんな
したように医者には水増し 目に会ってよいだろうか。
力団体である。でも、さし 疑惑が生ずる。と、すると
もの喧嘩太郎も事実を否認 国民は、政府の圧力団体日
やめる。と、すごみをきか %も多く認められておりな 保税の引上げに大いに影響
している﹄︵西日本新聞三 がら、さりとは図々しい圧 しているのではないのかと
のを反省させ医師会の自粛 月二四日の記事による︶
て薬代を請求することに決 筆者は故意に医者を誹寵
めた。そして、申し合わせ するつもりで言ってるので
事項に従わなかったものは はない。医者に対する国民
違反者として医師会で処罰 の反感がこれ以上募らない
うちに、内部で非常識のも
することにした。
いので十二月分までの計。
一二〇六十五七九〇円。
ものであるが、久詔米市が 入によって補うことになる に難点があるなら、京都市
自己審査をすれば、およそ が、実に一四・七%の増税 がやっているように、数名
六百三三万○八百円を要す になっている。わたくしは の嘱託医を置いて事務審査
るところを連合審五は三百 咋年六月の議会でも国保の の他にもう一つ専門的な診
労働部長は医療給付につき
右質問に対し、磯原民生
たまわりたい﹄
市長、助役の御意見をうけ
る民生労働部長、並びに、
八万一千円ですみ、三百二 社会保障面を強調し、国庫 療についての審査を思いき
ってやってみる意志はない
四万九千八百円節約できる 支出金の増額、県、市負担
勘定になる。しかし、審査 をふやすための努力を市長 か。京都では相当の成果を
費用が半分ですんでも、審 に強く要望しましたが、赤 あげている。主管部長であ
号番号のないもの②他の保 四三年度六億二千八百万円
③レセプト︵請求書類︶の みの百失いというおろかな 言い前記の事実を述べた。 適正診療の強化を計ること
四二年度は七五五七件、
一二四一万八〇三五円。
送りかえし。
結果になる。
﹃過誤件数は、石過出来 に熱意を見せ”京都方式”
四三年度は一、二、三月 三、審査
佐藤市議はこの点を厳し ぬ軍需な問題で、これは明 のとり入れに賛意を表した
分︵医者の請求書︶はまだ A、事務審査
く追及した。まず総合的に らかに華語審査会の審査に 井上市長も、増税したく
連合会から返戻されていな 臨時雇いの女子が七名で ﹃医療費支払いの激増は 粗漏がある。五四人の専門 ないが現状ではやむを得な
やっている。
四一年度三億一千五百万円 医が月に六五万件位の審査 いと言い﹃ただ今民生労働
過誤の主なるものは①記 四二年度五億二千九百万円 を四、五日でやっており、 部長からも答えましたが、
f療報酬過誤額
査粗漏によって生ずる損害 字の最大要因は療養費支払
康保険税の減税のために⋮:この二点につき質聾
がそれを大きく上回るなら いに問題があるのではない
したがここでは、②の間題だけ掲載する。
結局、その穴埋めは税金に か。当局はこの点をどんな
②県の審査員は約十日下位 よってなされるので大衆負 に考えていられるか具体的
質問の要点
でおわり、二五日に支払い 担が大きくなる。一文惜し に例をあげて質問する﹄と
競輪とその周辺市民の要求について⋮⋮②国民健
久留米市三月定例議会で佐藤富彦議員は、①市
国保難問題を追及
久留米市議佐藤氏
∈葛≦言≡﹁一≦珪窪﹁≦一H≡一一一一≦萎三一﹁≦≡一一==く≦一一一一E≦≡≡一一一≦≡一一一已≦一一一=一三≦一≡≡=≦一一一=≡≦=三一=一≦一一一一二三≦︻奏三﹁≦一≡一一≡≦﹁喜§≦⋮一一已≦一[養三≦≡≡一﹁一≦巽﹁巽≦一≡≡一一≦§ヨヨ≦一諾≡=一く≦一一一一§≦至壽一≦心一塁慧≦蕃一一ヨ≦塁=三≦⋮≡一≦一三一−
だったのが、盆と正月請求 を心がけてもらいたいから 福田改相は﹃いずれ正常
書を配ることになったので 言うのである。個々の入人 化しなければならないこと
ある。今どきこんなやり方 がいかほど孤高を持してい なので、どんな方法がある
をしていたら医者の要保護 ても、医師会の進んでいる か検討したい﹄と答えた。
在来治療費は患者の任意
磯部外科医院は、同東和町
方向は、国民大衆から離反 蔵相は同時に、この問題が という奥の手がある。
へ
して行きつつある。
医者の強い政治力を背景に
現在医者の必要経費は、 していることから、きわめ
七二%認められている。サ てむずかしい問題であるこ
ラリーマンの源泉課税に比 とを指摘し、四五年度に手
ノ
べると、不公平があまりに をつけるかどうかは明らか
﹃医は仁術なり﹄と昔は 者が出現するかもしれない はなはだしい。
にしなかった。︵三月一九
言った。だから医者の第一 時代錯誤だぞと叱られるに このほど大蔵省がまとめ 日朝日新聞︶同紙はまた、
資格は仁者であることだっ 相違ないが、国民健康保険 た調査によると、医者の収 歯科医の経費率の低いこと
は相互扶助を土台としてで 入に対する実際の必要経費 も指摘している。同じ医者
きてるもので、医者を優遇 の割り合いは平均して五一 の間でも歯科医は圧力団体
するために組織しているの ・二%ということが明らか としての力が不足している
ではない。こういうと医者 になった。
ので冷遇されている。
は﹃医は慈善事業﹄ではな でこぼこだらけの社会を それにしても武見会長の
足る人物が相当いた。
た。もちろん、太鼓持ち同
〃 ⋮
㌔ 膝を合わせて両足を斜めに揃えて掛けてれば、それほど風俗壊乱には思え川
然
の医者も随分沢山いだと
づ ノ
〃ないが、両膝がある程度分離していると間隔次第では太もものあたりまであ励
思うけれど、大体において
”らわである。声帯変調期にある少年の目にはたしかに、軽犯罪に該当する。 瑠 昔は仁者として尊敬するに
ゴ び
憎
明治三十年代までは、治 いというだろう。だが、企 地ならしして、不公平をと 強追がましい不貞腐れぎみ
℃ついてであ・。可愛い少年のえな苦労を無視して、ご当人はいた・て三
療費は患者のほうの心まか 業家であるとしたら、それ り除くのが政治と思ってい の言葉は、じつに柄が悪い。
噺直、ストンキングをはいてるから大事ないと考えてるのか傍若無人である。 脇 せで正月と盆、年二回持っ らしく、患者に接触する態 るのに、これでは正直者が これでは医師会に好意を
ほ ノ
〃 ミニスタイルは政治にもある。佐藤首相の”有言実行”だ。あんなスロー堀
て来るだけだった。かよう 度がもっと丁寧にならなけ ばかを見るという観念を改 よせているもの︵医師会を
瑚ガンを高く掲げながら、公約は一つも実行しない。そして、純真な国民を、 〃 なしきたりは田舎だけで、
ればならない。ところが、
めることは不可能である。 票田にしている者は別︶に
ノ ク
騙巧言令色によってごまかそうとしている。この態度こそミニスタイルに通ず吻 都会は現金主義になってい この点だけは﹃仁者﹄の風 武見太郎会長は﹃税の公
寂しい思いをさしたことで
〃と、筆者は言う・支那︵題の昔︶では紀一兀前華年孔子は〃巧言令色す媚
たことと思う。明治の末期 格をあくまでそなえておき 平の観点から問題にするな あろう。いわんや国保税の
に医師会が申し合わせをし たいらしい人が多い。
蕊 蹴 聡 麟 葦 簾籠鷺駐霧噛鐸旺 鐸 鐡
雪
一
件数五四九九件で、
、
、
﹂
、
福岡市上川端町12番18号
電気のご相談はおきがるに
サービスセンター︵福岡市天神ピル内︶
西悪罵期蘇講会雛
福岡市警固沖田町9の1
、
電 話 ⑭ 7 3 3 5
[
電話大代表⑯3031
福岡市渡辺通二丁目一街区繊号
九躍電力株式会雛
電話大代表⑳2131
、
㌦
一人一日三千−四千件にな よいことはどしどし取り上
げてよい。京都方式につい
てもとり入れてよいと思う
答弁した。
早急に検討させたい﹄と、
〃
・
本 社
りーー8∼ミ、一ご︸ミーー婁
、
薄曇輔嚥鱗雛胆二審鰯謎
㍗
1部30円
二、療養取扱い機関
険
請
求
へ
の
混
入
③
重
複
請
求
四
四年度七億六千六百万円 るから精密審査ができる筈
︵公私立病院︶
B、技術審査
三力年で二・四倍増になっ がない。その結果、請求、
①今月の診療話求書を翌 普通医一人、歯科医一人。 ている。その結果保険財政 支払いが無制限の状態とも
十日目でに連合会に提出、
県連合審査は以上のような の赤字六千二百万円を税収 いえる。市独自の自己審査
μr
、、
㌧
」
醒匿
それから沖縄に行って﹃ヴェトナム戦争の共犯者佐藤帰れ﹄と怒号をあび〃
せられて、高等弁務官邸に逃げ込んだというニュースが伝えられた。 %
ワ
にもかかわらず佐藤首相は﹃沖縄ではたいへん歓迎されて⋮⋮﹄と、のう〃
}〆一q・椰〃齪一%恥颪硝恥㎞〃㌦昭〃」臓り’厩〃”噸8σ〃’8一。り’
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毎月20日発行
昭和44年4月20日
風
(高高高高)
第55号
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となど夜遅くまで話したの
社であったとしても、これ 予備井手嘉一に車をもたせ なか小手先の利くきれ者だ
連絡バス
は興奮気味が、いかほどか
ほどの成果を収め得たのは 六ツ門まで行きたり。然る った。もちろん東邦の重役
’
昭和十三年三月三日、国 敵の計算が一方的で粗雑だ に柿原遅刻にあらす。当時 で九鉄の社長であった。
あったのかもしれない。
ような経緯に基いて、九鉄
の浅野バス乗っ取りには、
佐賀県経済農業
協同組合連合会
国
副会長
常務理事 中江
〃 3 − 4604
佐賀市赤松町農業会館
佐賀413111︵大代︶
夜間413125
佐賀県 総評議会
長北 崎
TEL四一三〇二五
佐賀市千代町労働会館内
労働組合
議
事務局長 野 ロ 昌 敏
、
三光.株式会社
電話代表③8411
久留米市通町3の88
で
‘
ったため、その背景を突か
翌朝、正私服の警官がど 家総動員法案審議申の衆院
彼の背後には東邦という
操
車
係
井
上
充
太
﹄
と
鉛
筆
で
大会社があり、連絡自動車
やどやと十人ばかりちん坐 委員会で、陸軍省軍務課員 れて狼狽した結果である。 走り”甘きしてある。
してきて、一人が紙片をヒ 佐藤賢了が、委員に﹃だま 警察は窃盗容疑で被疑者 こうした左別待遇が、講 株式会社なと蟷嚇︵とうろ
ラヒラさして鳥居を迎えに れ﹄と一喝して問題になっ 全員を検挙したところ、告 会にすぎなかった集会に筋 う一かまきり︶の斧同然で
きた。基山、墓里で小学校 たが、その後、佐藤賢了は 訴人がそれを取り下げた。 金を入れる動磯になった。 ある。進藤社長が目をつけ
のストをやったのが、違反 昇溶して軍務局長になった そして無条復職、この措置 操車係りの井上荒太は三 たのは巡絡バスの路線であ
に岡われ、控訴、上告のし この事実は、当時の軍の には内部の反対が相当あり 指の反組合派の元凶で以来 る。そこで彼が、その路線
ことに操車係りは強硬であ この男と組合はトラフルば をわがものにするためにう
った手段は建絡バスの株買
ったらしい。しかし、柴田 かり起していた。
つぱなしにしていたのが、 国民に対する気持を答弁に
この朝突然乗却になったか 裏書きするものである。
うのが目的の古賀だったか 道株式会社に匿路された。
ら筆者の考えとは大分違う 寿齢系統の移行と同時に会
組合結成の惹思は全然ない 社の方針も徐々に改廃せら 意外に高い犠牲が払われた
次第である。
ただ、ボス的性格の多分 れつつある。−
にある男だったから、自分 進藤九鉄社長は、退職金 進藤氏のように目先のす
が中心になって離開して行
手
当てなどの規定を九欽並 ばやい事業家は、なにをさ
くことは好きである。
みに引き下げる慧向であり ておいても、まず第一番に
けれども思想的解題には 支那事変が勃発しなかった ソロバンをとってはじくの
まったく無関心だった。
なら、今頃は実行されてい は利潤の誤写。
在来私は、あらゆる運動 たことと思う。しかし、時 ことに彼は、前社長の経
の象会に出席しているが、 局がら待遇改悪を見合わせ 営粗漏を補強し、企画を調
整する使命を帯びて就任し
こんな当てはずれの穿会は ている。
始めてだった。私の話にま 現今、運転庁不足は全国 たのである。
るっきり興味をもつものが 的現象で、業者のすべてが その第一目標が、久留米
は、用地の買収が会社側の
/
6 .“ 眞
レの補ないをしたいと思う。昭和三年前後はいろいろの重大事件がある。普
になると思うので、消費組含までを前半として、一応くぎりをつけることに
し、今回からしばらく、他の地域に発生したできごとについて述へ、時間ス
絶対であると思いあがって
代兵
稿も出てき把ので掲げる。 くって絶対多数を獲得した
きよう。
のである。
釈放された連中は、古賀 連絡バスの諸君
ロ
所詮、小資本は大資本の
の音頭で筆者宅に集ったが 既得権を守れ!
元々、警察から出してもろ 諸君の会社は既に九州鉄 餌食でしかあり得ない。か
らといっておしよせてきた 彼らは衆愚と言って国民 社長は社内の反対を押しき 全員が緊張してきたとこ いしめである。当時四十円
って当方の号口い分を全部受 ろで、言言兼業に呼びかけ くらいしかしていなかった
上告梨却の知らせだけなら を蔑視し“一銭五匝”で兵
連絡株を買いあほり、その
こんなに多人数で朝早く押 は、いかほどでも徴発でき け入れたのである。
て組織の拡大を計画した喝
しよせて来なければならぬ ると豪語した。軍の意見は この一事によってもチャ 組合らしい行動を囲始し ために株価はくんぐん上っ
ージがいかに普遍的なもの たのは、この時が始めてで て九十円以上になった。
であったかを知ることがで その際、配布したビラの原 それを、どんどん買いま
理由はない。
当時の鳥栖署長は野中憲
次といって、組合事務所に
用件があるときは、巡査を
しかし、とにかく私は福岡 感じられなかった。生気と やると不必要な摩擦を起す
に行った。人間の名も藤弁 いうものがまったくなかっ 場合があるといって、署長
の前後に起った固題について出来る限り記憶をたどってみたい。
選第一回の総選挙、三・一五事件、この二つをとりあげただけでも、われわ
れの運動に画期的な影響をもたらしている。この二つの事件を軸にして、そ
﹃渡 政﹄
大正十五年は、その十二 哲夫だけしかおぼえていな
ことだった。それが、かく
などいうことはあり得ない
わないで二階に駆けあがる
慎重にやっていたのである
だから、巡査が案内も晶
た。私は当時四十七、八キ。 自ら出向いて来ていた。組
合本部への対処はそれほど
だったかもおぼえていない 辺の体躯は特に私の目を引
月二五日から昭和元年、従 いが五、六名舞っていた。 しがなかったが、身長もほ
って昭和元年はたった十二 石塔が立ち並んでいたので ぼ同程度と思われる彼が私
場所はお寺の境内だρたに よりもっと回せている。自
日しかなかった。
なかなか多忙な年で二月 相違ない。寺の名など全く 分が人前で苦になるほど貧
十一日第一同建国祭。これ 記憶がない。どんな話合い 弱な体をしているので、渡
は右翼︵代表赤尾敏︶と、
ない組合員や、ろくろく口 思いこんで、大捕物をする
ろ︵大正十、十一年︶南葛 をきいたこともない巡査が 覚悟をして入数をととのえ
彼は、私が東京にいたこ
在郷軍人等によって挙行。 ただ、そのところへ、渡 いた。そして夕景だ。様子 まで逸って二階にちん入七
三月五日、労働農民党結成 辺三之輔が漂然と亮われた がなんとなくおかしい。
たということは、てっきり
ノ
“六礼”が寝ているものと
のだけが印象に残っている いつもはあまり顔を出さ
同二十五日、朴烈に死刑宣
告︵四月五日無期に減刑︶
七月二十九日には、朴烈、
金子ふみ子の怪写真事件が 労働組合の彼の同志、河合 やってきたりした。
て来たのに相違ない。
起った。九月三日、わが国 義虎︵関東大震災の時、亀 組合員を疑うのはよくな でなければ、四七、八キ。
八月五日号に﹃買収行き悩、
む急行人車用地。如例に落
ち着くか、山門郡の一角﹄
というテーマで記事を掲げ
電車拡張予定線路柳川、大
ているが、その轟き出しに
﹃九州鉄道株式会社急行
意のごとく進行せず、昭和
徳益並びに上塩塚の二部落
牟田間、山門郡大和村大字
まが絶好の機会である。
業者が認めている、今、い
男主バスの乗務員諸君! 十三年度中には大牟田まで
;曾。
福岡市明治町3丁目58 電㈹2525
西騒濫掘互銀行
一大牟田間延長の早期完成
いないのである。彼らの私 困惑しているのである。
、最初の普選により浜松市会戸署に不当検束され軍隊に いことであるが、それも時 しかない小男をつれて行く
議員選が実施された。
刺殺された︶らといっしょ によりけりである。危険が だけなら、三人もおれば、
に対する気持ちは、あの急 そういう状態であるにも だ。太・溜息については本紙
十月一日、陸軍省に警備 に、ときどき出会うことが 迫っているのをひしひしと なんぼもがいたとて、ひつ
場を救ってもらって有難い 拘らす、諸君の待遇が貧弱 四二号︵四三年三月二十
日︶ “杭うち”で触れた
局を設置し軍備の近代化を あったから旧知の間柄であ 感じる。永年の体験がこん 抱えてつれて行かれる。
という観念以外にはなんに なのは何故だろう。
璽垂∼亀藁﹀⋮、
それは諸君の団結が足り が、当時筆者が発行してい
はかる。同十七日日本農民 る。彼のスケジュールには な感覚を自然につくりあげ しかし折角、胸を弾ませ
もなかったようである。
た大衆新聞を、このほど発
鉄は熱いうちに⋮・⋮・・⋮ ないからである。
覚結成︵幹事長平野力三︶
鳥栖訪閻は全然なかったが たのであろう。予感の適中 て勢い込んで来てみればだ
同十九日、議会解散請願連 私と顔を合せたものだから 率は不思議に高いのである あいもかわらぬ三つのガン 号令した。大衆の苦しみを 彼らの感謝の念がうすらが 連絡バスの従業員誰君! 見したが、その昭和十二年
動全国協議会結成。
やりくって、明日午後立ち 渡政にもしものことが起
ったら私は責任のとりょう
同二十四日、労農党分裂 よることを約束した。
総同盟箸脱退、十二月四日 約束通り、翌日彼はやっ がない。重松、壷金と相談
日本共産党再建第三同大会 てきた。そして洗湯に行き して、田代へおとした方が
︵山形県五色温泉︶同五日 たいというので案内したが 安全と考え、行く先の環境
昼間のこととて浴客はほと をあらかじめ説明したら、
社会民衆党結成、同九日、
運動ぜ続けているものの立 穿ることにし連中のむだ話
場がどんなものであったか を聞くことにしたが、その
は、とりたてて説明するま ほうは順調に運んだ。
ところか、昭和十三年九
でもあるまい。
首が、蒲団にもぐり込んだ 理解しようとするものは厳 ないうちに、組合結成にこ 奮起せよ!
ぎつけねばならぬと焦慮し 当面の旗印を退職金の現
まま起きようともしないの 重に取りしまった。
で、あてがはずれてがっか 軍人が肩で風をきって歩 たが、一向に油の乗る気配 行規定固守におき、自信を
ド
りしたことだろ。しかし、表 くご時担は、大衆は泣きの は認められない。そのうち もって組合結成に踏みきれ
向きはあくまで鳥届に関す 涙で暮らさなければならな に、古賀の発案で講︵お互 団結の偉力は、佐賀線の
る聞題だから、余計な質岡 かった。軍には反省すると い同士の金融で入札金額が チャージ事件で十分了解が
一番安いものに落札︶をつ できるはずである。
いうことが全然なかった。
こんな状況のもとで革新 くって、月一回、筆者宅に 会社に先手をうたれたか
らでは遅い。諸君の存在を
日本労農党結成、同二十五 んどなくゆっくり入浴がで かまわぬというので埋金が をするわけにはいかない笑
日、大正天皇没、摂政裕仁 きたが、彼の裸体をみてお 案内して、当時、駅前にあ 止なことである。そこで私
った旅館でない一郭に送り は考えた。何れにしてもで
どろいた。
親王三頭、昭和と改元。
われわれに関連がありそ 洗面道具やカミソリなど 込んで、翌朝迎えに行くま きるたけ時間をかせがねば
で動かないよう注意した。 ならぬ。おたずね者がゆっ
うな問題の一部を摘録して 所持品はしゃれたものだっ
みても、ざっとこんな調子 たが、肉体は実に貧弱で、 少し慌てすぎたかな、と くり姿をくらますことがで
吉井行一番六時二二分︵柿 進藤甲兵氏は、松永安左衛
門氏の四天王の一人、なか
石
驚 ■
昭和三年前後の こと
鳥
重
ノ
高柳支部は立毛押えをうけるまでまだ、話は続くのであるが、全体の動き
ノ
についての順序を考慮しないと、筋がバラバラになってかえって表現が晦渋
樹
〆
闘通する計画になっている
かようにひつ饗している 月施行﹃連絡自動車駅前二 諸君の奮起を望む!
ので、請負人箸に至るまで
中で、警察沙汰になった事 軍規定﹄をこのほど発見し
件の該当者を、無条件復職 たら、その裏に﹃九月一日 九州鋭道株式会社の社長 焦り気味である﹄と⋮⋮
せしめたことは、たとえ、
対象が吹けば飛ぶような会 原︶発出に遅刻せりとて、
、 馬
A回
(52)
でまことに忽忙であった。 お尻のあたりにふくらみを いう気もいく思しないでは きるように。そこで咋日は
昭和二年二月か三月、年 認められなかった。頭の角 なかったが、一晩中、おち いったばかりだが、長いこ
月日は不詳である。どんな 刈は官憲の目をくらますた おちして熟睡できぬよりも と入浴していないといって
用件があって行ったのかも めであったたろうが、その ましであると考え、スパイ 無理矢理了解させ、おどろ
故に”渡政”らしい感じを の嫌疑をかけた組合員のこ くほど長く朝湯に浸った。
もちろんわからない。が、
噸T▼ミ
ゴ
八三実
東平雄
,・設備と機能
起 雲 天
一鋤一一川ハ四一一愚…W一一
塀立
。広島
●岡山
●兵庫
●愛媛
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東邦・九鉄漿
居
唖・・.匿.ρ噂・ .顧幽・・幽・.,・⋮,,・脚,・噸O噸,・・9.曹・⋮.・・.・..閲・ ■幽・・O・⋮O・■...・■.・.,.,9・噸⋮曜噛 ■・■・.隙,畠■噛. ..噸O吻■.9・⋮.・・..9職・.■...・層陽圃脚曜・吻・﹁幽. .圃 .圃.虐.・唱.・.﹂.隔﹁一.・﹁■脚層圃圃噂..・・ ﹁噂O.噂.虚O・..・.・一・...囑..闇鴫■噂層噂噂喝曜匿圃圃賢暉繭噂.虐噛・吟.・.・・...隔凸凹ロ巴.・剛・.山門・剛噂・.・吻⋮噛 ・胃胃噂幽 陶,・■■ . .嘔・の・曽噂・・開園 ・ロ﹂・闘・巳唱膚画噂■■・.・..・.口..・■...・■■..■..哺..閲謄■胃﹁.圃昌●隔昌曜.昌昌.陶冒..回..齢..O幽吻・・■
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のことについて斉藤参考人 その点に対しまして、私ら す。ところが、その後講和 りまずけれども、これは、
にお尋ねしますが、どうで は非常に遺憾に考えておる 発効後の新論準によります 原則としては、その後にお 戸叶委員 こういう重大
とこの契約をやります際に いていつまでも黙って使っ な問題がこのようにあいま
いにされているということ
しょうか。
は、私は石過できないこと
だと思うのです。も一度市
さんの方は何も御存じない
長さんに伺いますが、市長
えて参りましたときに、福 のですね。
岡の飛行場に対しましては 小西参考人 非常に問題
斉藤参鶏人 この問題に 田中委員 そうすると、
そういう申入れがあったに ていいというのではなく、
つきましては、裏年の造言 耕作権の関係につきまして もかかわらず、従前の賃貸 できるだけ早く合同委員会
発効後、新しい補債荊度に は、福岡県の農地部、それ 借の相手方と新しく契約を にかけるべきものであると
から農林省、こういうとこ 更改したいという事態があ いうように私は了承してお
ろでは、あなたの今おっし る。この問題につきまして りまず。そういうふうに考
基いて契約か結ばれる﹂う
なっておりまして、それに
は、はっきり、手落ちがあっ
たかどうかということは、
私ども調萱いたしている次 合同査員会におかけになっ の核心に触れた脂質聞で、
第でありまず。
て、そうしてあらためて飛 たいへんけっこうに思うの
ですが、私の今の記憶では
田中委員 それでは、こ 行場の使用をなされたか、
よりますと、耕作権のある ゃることを認めて、これを
小作地に対しては、小作人 支持しておる、こう解釈し
と契約を結ばれる所有者、
てよろしゅうございますね
地主が承諾するという形に 斉藤参考人 はあ、そう
なっておるそうでこぎいま でございます。
か承りたい。
と思います。
れ以上追究しますと他の方 それとも、そのままずっと そういう公文書を受取った
に迷惑でありますが、今お 何の通告もなしに継続使用 覚えはまったくありません
話を聞きましても、福岡調 をせられているか、どちら 十二分にお調べを願いたい
外務委員においてである。訴訟のほうは、三一年二月二五日に提超された
その間、説明員の言明に対する措置は如何なされたか、委員はその後、問題
貫しまして銭貸借契約を取
達庁と所有権者との間に一
達局の方の悪急でなくても
人に補償するのでこぎいま
しょうか。それともその地
申でございますし、農林省 岡調達局におきましては、
しまったわけでございまず
主に補償するのでこぎいま と、それからそういう耕作 とにもかく離作料といった
そして、これの金の支払い
権者の権利の消滅というく ものを、 一般論としまして
しょうか。
に対しましても疑義がある
大石説明員 今度の特別 あいにわけていたしておる は支払うことになるわけで
ということで、公文書をも
損失補償法におきましては 次第であります。御指摘の あります。これをどんな形
ちまして、私の方ではこれ
三業経営上の経営いかんで 板付飛行場の耕作権の聞題 にするか、それから現在負
ございますから、その場合 でごさいますが、これは私 貸借契約をいたしておりま に対する支払いの中止方の らもお話がありましたよう
申請をいたしましたところ に私どもの方、それから福
は地主というよりも、耕作 ども調達庁が福岡県の契約 す場合に、そういう小作権
が、それに対しても握りつ 岡県庁の方におきまして、
を消滅させるかさせないか
権者と申しますか、耕作者 をそのまま引継ぎまして、
ぶしてしまって、もう地主 はっきりと耕作権者のこと
いろいろ吟味いたした次第 といったような点で、いろ
でござい ま す 。 ・
さんへ支払ってしまったと もそれから具体的な該当人
ありますが、具体的に申 いろ種類があるわけでござ
福田委員 そういたしま で
いうような次第でございま という問題につきまして、
すと、ここにおかしな例が し上げますれば、調達の段 いますが、はっきりした線
げたのであります。
います。
とになっておりますので、
村には通知していただくこ
究を続けたわけだろうか。
は空しかった。因って最後
なく使ったか、あるいは何 者である市長さんの方へは がれの遁辞に唱んじて、肝
らかの手を打って政府と交 通告なさらないのでしょう ・いの詰めということを怠っ
ている。小作人は外務委員
渉した結果使ったか、その か。
辺の消息は私承知いたさな 関説明員 都道府県知事 会が参考人を召喚したこと
い、こういう趣意を申し上 を通じまして、関係の市町 にある程度の期待をかけて
いたと思う。ところが期待
して今そのまま何の了解も な答弁をしておられますが 府の重大なミスを看過でき
なしに現在まで使用されて 外務省の方では、そうでは ないと言って石過していた
いる、こうおつしゃつたよ なくて、確かに閣議で決定 心理状態をどう解釈したら
うに存じま双が、その通り した’こうおつしゃるので よいのだろう。
でしょうか。
すけれども、閣議の決定事 派手に見えをきる場所さ
小西参考人 何の了解も 項というものは、市の責任 え与えてもらえば、一時の
と占領中も使われて、そう 自分は知らないというよう
最初に使っていたのがずっ
この飛行場として使われて 位にある市長さんが、だれ るけれども、最高裁の答え
おりますのは、日本の軍が かに交渉があったかどうか が出るまで、研究の経過に
は知りませんけれども、御 ついて不問にしていた委員
の心境が不可解である。政
んにお尋ねしたいのですが 戸叶委員市の責任の地 参考人を召喚した主旨は分
戸叶委員 福岡の市長さ
。佐賀
o福岡
●
陛﹄
階聖
域122
本1下
新地地
新し
事務所鳥栖市鎗田町
諺議臨松本英一
灘A鋼臨久原忠夫
’
灘議臨細谷治嘉
社長坂井哲夫
電話鳥栖2310
’
電話⑯443一∼9
福岡市大名二丁目12番1号
正金糖互銀行
、
鳥栖青果株式会社
こういう方面から研究いた 益を保存できますように、
いますが、第一回の提供分 さんは堂々としている。各
しておる次第であります。 調達庁としても責任を持っ
の申に入っておるわけであ 個会員はこれほど、説明員を
ただ具体的な事実問題とし て苫処していただきたい。 ります。はっきり合同委員 追い込みながら、最後の一
ましては、今斉藤参考人か 上塚委員長 次は戸叶里 会を通じて、閣議決定を経 手を忘却していた。
て、使用されたものでござ 綿々と十六年、政府は研
子君。
一般的な問題の取扱い方に の農地部長、蔑林省の関係 すが、論罪条約ができまし 説明員を追及してすごみ﹁
補償もきまったということ ような耕作権者とわけて考 それから福岡県の農地部、 それを握りつぶしてしまい
でございますが、耕作地に えねばいかぬといったよう 私どもの出先機関等におき まして、そしてたった一名 つきましては、私ども中央 局課においてみな認めてい てからすっと作巣をいたし も一度市長さんに伺います
対する補償は、耕作する本 な健前になりまして、現在 ましていろいろこれを研究 の地主との電話交渉により において農林省と十分打合 るのです。牌林省の方から まして、合同委員会でまと が﹂と再確認を求めたほど
の方法としましては、買収 中でございますので、はっ まして、耕作権がないもの せをやっておる次第であり 厳重な語があったと思いま めて、非常にたくさんのも である。それに対し”質問
として新しく地主と結んで まして、これは全国的な問 すから、ひとつ板付ム地関 のあご時に改府施設、区域 が核心に触れた”と言って
の場合などは、これを地主 きりと申し上げかねますが
題にも関係がありますので 係の耕作者がその⋮稚利と利 として提供したものでござ 皮肉をまじえて答えた小西
了解事項によって、補償の 田委員からのお話のように
概略の垂準がきまったとい 昨年講和発効以来の新しい
うお話でどざいました。た 方法によりましては、これ
とえば、耕作地に対しての は地主とそれからそういう
重ねてお伺いいたします 結んでおった次第でこいま 貝体策をもってお答えいた から最高知事までの証明を 大石説明員 今斉藤参考 確かに事務上疎漏がある。 関説明員去年の旧PD × ×
いただきまして、聞違いな 人のお話になった点につき 過誤があったということは 地区で、垢在も岡崎.ラス 福田、田中両委員は、大
が、昨年の七月四日の閣議 すところが、ただいま、福 だきたいと思います。
大石説明員 申し上げま く耕作しておったというこ ましては、私の方も書類、そ 明らかである。至急これは ク協定に差いて保謂になっ 石説明員を急追して、斉藤
したように、目下いろいろ
とを出しております。にも れから口頭によりまして前 御調査になりまして、そう ている分ではございません 参蔦入の陳述を認めさした
具体的な資料をとりまとめ かかわらず、この地元の福 に連絡を受けております。 して真の耕作者がいるので それは去年の七月のたしか 百叶委員は政府の怠慢をつ
ただ申し上げましたように あります。しかもそれは県 第=口のリストだと思いま いて、石過できないと、関
福田昌子委員
両氏によって、あらましは尽されている。そしてそれは第一六回国会衆院の
馬
す。でございますので、私 田中委員 では大石さん
をどう追及したか。筆者はその点も検討していきたいと君えている。
の方では、耕牢の反別、ま にお尋ねしますが、今の斉
ような処置をとるつもりで たは字、その池一切のもの 藤参コ入の話には間違いな
あるか。金銭的なこまかな と、それに対する末端部落 いでしょうか。
いて掲載する。城、河波、島崎の三氏が残っているけれども、小西、斉藤の
庁不動κ部次長︶と、戸叶委員一関説明員︵外務事務官︶との質疑応答につ
今同は田中稔男、福田昌子両委員と、説団員大石孝章総理府事務宮︵調達
席田耕作者組合斗争記録
ノ
ございますから、誰が作っ 過誤といいますか、疎漏が
ていないように聞くのでご 明したあかつきにおいては 大石説明員 取急いでお
ておったかということさえ あったように考えられるの
ざいますが、これはどうい 何らかはっきりした形に薗 ります。 ︵
明確になれば何ら調査、す でありますが、調達庁の方
うわけでなされていないの さねばいかぬだろうという
田中稔男委員
る必要もないし、また延引 としては、その点はお認め
ふうに考えておる次第であ
でございましょうか。
される必要もないかと思い にならぬのですか。
関連して。今特調の説明
上塚委員長 福田君に申 ります。
ます。これがだれが耕表し 大石説明員 講和発行後
し上げます。時間が到来い 福田委口貝 も・つ一占⋮だけ 員のお話によりますと、板
お伺いいたしたいと思いま 付の補償の問題について、 おったかということが闘催 に、斉藤参石人のお話を前
たしましたから⋮・⋮・。
何かその辺に行き達いがあ の手段に訴えると、政府は
ったのではないかと思いま 地主と共同戦線をはった。
これは私の方でも、こんな 最高裁のこ老入たちが、 一
す。も一度よく調へま写。 そして最も古いと思った
間違いがあると何ですから 番良識家であったというわ
も一回よく調べますが、大 けになる。
、
、
。長崎
。熊本
。宮崎
。大分
。鹿児島
り
・
して、耕作しておったとい は、いろいろ資料をとりそ
あるのでございます。たと 階がまだ全部終了していな につきましては、申し上げ
う事実が明確になっておる ろえて研究中であります。
えば板付の飛行均賂地の閻 い、しかしながら、私ども ましたように、研究が十分
のでこぎいますし、また農 田中委員 いろいろ私聞
題でありますが、この飛行 これは農林省とも相談して できたあとで詳しく御連絡
地であるということが決定 きますと、どうも福岡の調
場設置のために農地を接収 の上でございますが、大体 申し上げます。
された以上、耕作権者がお 達局の方で、調査及び公文
されました小作農民に対し におきましてはっきり現在 福田委員 いつごろまで
るということを認めた上で 書の作成について、若干の
ては、何らの補憤もなされ の耕作者権というものが判 にですか。
第55号
(3)
西乳質
7
「
風
、
(第三種郵便物認可)
になり次第に、ただちにそ に私.小つたのでありますが 戸叶委員 そこで、外務
福田委員 もう一点でや す。耕作者、ことに小作農 農林劣とも相談をした上に
民に対しても補憤するとい というお話でありますが、 の耕作者に支払うべきでは いろいろこういう関係で、 省の協力局の方にお伺いし
めます。
ないか、こう考えますのに 現在の賃貸借契約の相手方 たいのですが、占領申から
大石説明書 こく箇単に うお話てこざいますが、そ 私の聞いているところでは
いたずらに福岡の調達局と 以上に耕作権利者があるの の基地については、講和が
お答え申し上げます。米軍 の補憤の仕方につきまして 農林省の方には聞題はない
と本省との関係や書類のいろ であるということを、私ど 発効いたしましてから九十
が進駐以来接収いたしまし 今少しく具体的に、ことに のであって、特調の本部 いろな関係だという名目の もの出先の福岡調達局の方 日間に合同委員会できまら
た農地の上の賃貸借契約は 板付飛行場の小作農民に対 それから現地との間の交渉
もとに、今日まで支払われ に、十分書類でもって申入 ないとき は、 一応継続使
従来都道府県、あるいは調 する且ハ体策としてどういう がまだ済んでいないという
’
♂︾∼F 隔蔵
「
4
雪
表現の自由について
ゲバ蕪汀と﹃君が代﹂
二
て、奥田京大総長をボロク
るのである。この事実は、
憲法第一条に﹃天皇は日
しられたものと考えるべき 統合の象徴であって、この
で、万一、そうでないとい 地位は、主権の存する日本
﹃君が代﹄斉唱を拒否して 天皇自身の意思によって発 本国の象徴であり日本国民
良識家は気が弱い。坂田 卒業式の際、先生たちが、
文相もときどきそれらしい
ようすをすることがあるが 問題になったことである。
花島佐賀県教委教育課長
またすぐ、かちかちになる は、 ﹃⋮⋮学習指導要領で うものがあるならば、それ 国民の総意に基く﹄とあり
誰かにつきあげられては、
▽九大、井上法学
部長の﹃警察は
敵﹄闇題について
筆者なりの考えか
ら、過剰警備及び
国民が天皇の地位を決めて 人権侵害を相当突っ込んで
名目的、儀礼的な存在とし 書いていたら、あの、福岡
形式的事務的行為をなす権 地裁真庭裁判長の名判決が
能のみを認めて、国政に関 下った。また、井上法学部
する機能と区別している。 長の談話も報道された。折
憲法は、統治権の日射者 角書いた原稿も的をはすれ
いからである。国の諸本で う意味は、恰も国旗のよう
一部の書きなおしをした。
ある憲法を弁えていない人 な物的象徴に似た存在であ 毎度のことながら大骨ばか
り折っている。
間が、佐賀県の県教育委員 ることを表明している。
が自然のように思うのは、
としての天皇の地位を否定 てはいなかったものの、こ
主権在民の憲法をご存じな し、天皇が象徴であるとい れじゃ台なしだから慌てて
政府・与党は、国民感情 も”祝日学校行事のさいは こそ天皇を傷つけるものと
より、自分たちの意思を押 国旗を掲揚し、君が代を歌 いわなければならない。
しつけることが大切と考え うことが望ましい”となっ 第一、この歌には吉言が
﹃警察の職務執行は適法 全く反対である。政府・与 しては﹃まだしも、加藤東 ているようで、従って、そ ている。 ﹃歌え﹄と強制す なく、歌詞は荒唐無稽であ
んな政権のもとには、表現 ることはできないが国民感 る。封建主義専制時代の君
惰としては歌うのが自然で 主を礼賛する歌をうたうの
の自由はあり得ない。
は根拠がない﹄と、福岡地 長の判断は、具体性を無視
といえないQ機動隊の出動党、特に荒木国家公安委員 大代行がまし⋮:・﹄と言っ
憲法第二一条は﹃集会、
裁真庭裁判長は、エンター して主観的観測を述べてい ソにこきおろした。
はないかと思う。県教委と
プライズ阻止博多駅事件の る。そんな乱暴なことがあ これは両大学が自己改革 結社及ひ言論、出版その他 しては地教委と相談し、指
に努力して、政府の意思に
るはずがないというのは、
被告に無罪の判決をした。
一切の表現の自由は、これ導要領の方針で指導するほ
荒木氏の希望であって、博 従わないから腹立ちまぎれ を保証する﹄となっている かはない﹄
に悪口ついたのである。
しかし、鯨尺︵和裁用の 杉山佐賀敏組書記長の話
︵十一日午前十時の開廷︶
自由、人権、議会主義擁 V福岡事件冤罪死刑囚再審
護、福祉国家の実現、国民 運動本部の古川泰龍氏から
全体の利益のための諸政一 次のような手紙が届いた。
ンが開催されました折に、
べ平連の九州テイーチ・イ
たをご紹介いただきました
作家の小田実氏から、あな
私ども、九年閥にわたっ
て福岡事件の再審運動をつ
づけておりますが、たまた
ま小田実氏も積極的にご協
力下さるということから、
た。いずれ拝眉の上くわし
あなたのご紹介となりまし
上げました。ご高覧下さい
﹃福岡、中国人闇ブローカ
ませ。、以上。
ー殺し、殺人請負、強盗殺
米ん
り
い
留
久け
月
匿﹂祝
︵
⑦
3
祝
︵
−,剛
4置1︵
方 克 憲
庭石、植木、造園
緑地建設清
電 話 3 8 6
’
∼
∼
電話⑯6631。⑯4661
福岡市天神町12の1福岡ピル内
西日本鉄道株式会社
(日)
鳥栖市安楽寺
1
蒐
新などとご託宣は立派であ 謹啓唐突にお手紙さし上
るが、やることは議会政治 げる無躾け、何卒おゆるし
に絶望するようなことばか 下さい。実は先般拙宅にて
り仕出かしている。
悪になる一方であろう。
る知恵をもってるのかと、
貴墨入を見なおしました。
よって、おばアちゃんと
ところがどうでしょう。縁 人事件、真相究明書﹄
0
10
風
九大の井上正治法学部長 多駅のできごとは、衆人環
は﹃博多駅事件の”過剰警 視の申でまことに堂々と行 九大学長事務取扱の上申 ものさし︶一尺は約三八セ
﹃君が代﹄は日の丸や建国 会学校課長のポストにある
備”を目撃した私が福岡法 われた。荒木大臣の発言が が受理されない点に至って ンチであるが、メートル法 記念日とともに教育の反動 ということは、成長ざかり
は、文部省の犬糞的態度は に変った世の中を、鯨尺で 化、軍国主義化につながる の児童に如何なる彩響を与
務局に人権侵犯の申し立て 主観的であればあるほど、
はかり、換算することもな もので、これを卒業式で生 えるであろうと考えると、
をしたことが、私の学長事 現実ばなれのした非常識さ まったく鼻もちならぬ。
務取扱の発令が遅れている が、客観的である国民の興 これについて九大側では く尺即メートルとあくまで 徒たちに押しつけるのは賛 末恐ろしい気がする。
味をつのらせることになる 十一日午後、評議会を開き 言いはり、寸法のズレを指
原因だと確信している﹄
そもそも、さざれ石が岩
成
で
き
な
い
﹄
︵
三
月
十
九
日
”井上問題については、発摘するものは不心得者であ 西日本新聞︶
に成長するということは、
︵西日本新聞4・11夕刊︶ ﹃学問は自由の中におい
十一日の衆院法務委員会 てのみ栄える﹄学問が権力 令がなくても法学部長とし
で、社会党はこの博多駅事 に追従すると、御用学者ば ての任期がある六月三十日
件の判決にからめて機動隊 かりのさばって、真理は歪 まで、学内では正式の学長
の過剰警備問題を取上げた 曲される。政府は今、その 事務取扱とする”と決めた
このところ坂田文相のが
これに対し、荒木国家公安 危険を犯しつつある。
は納得しないと思う。
ると独断している。
﹃君が代﹄とは﹃天皇の
﹃桃から生れた桃太郎﹄の お茶の会じゃあるまいし
鯨尺とメートル法の次元 御代﹄ということで、戦前 童謡にも劣るもので、桃太 国民は器を嘗めてばかりは
の相進が理解できなくて、 は、天皇を現人神︵あらひ 郎の方はまだしも、桃から おられない。肝心なのは中
あくまで、鯨尺︵権力︶で と神︶として尊崇した。こ 股を連想してユーモアがあ 身である。大学当局が学生
ねじ伏せようとしておると の歌は天皇の世を永久に祝 るが、さざれ石が、いわお の意見を入れて、民主化を
福したものであるが天皇は になるなんてナンセンスだ はかろうとすると、それに
先生はこの歌の矛盾をいか 文句をつける政府・与党。
に説明すればよいのか、非 ゲバルトには論理があると
科学的な説明では現代っ児 力む学生とは、ますます険
二十一年一月一日﹃人間宣
言﹄をし、同十一月三日憲
法公布記念式の勅語は閥ら
松浦郡玄海、肥前軽風学の かに、君が世を辞退してい
委員長は﹃警察官がそんな 荒木国家公安委員長は、 んばりは、かって大工法相 ころに、大きなギヤソプが
こと︵過激な行動︶をする 衆院予算委で”東大の確認 が、吉田首相の意を受けて 生じているのである。
はすがない﹄と否定した。 書は法律無視である”と強 佐藤栄作逮捕の許諾請求を そのもっとも適切な例は
調した。また京大が機動隊 拒否したときの心境に似て 去る三月十五日、佐賀県東
︵四月十二日の朝日新聞︶
を持し、いかに美声をはり 氏の欲情をますますかき立 心もち頭をななめにして
あげても、絶対に求愛に応 てたわけで、ある朝、ひと こときれてるような有様が
じません。彼は私が買った きわ激しい騒動が起りまし 可愛そうで、胸がいっぱい
のに比べると毛なみもよく たが、また、始めおったわ になりました。いま一つに
は、赤貧だったので賠償の
ことを考えると、この窮迫
と思い、とても憂うつだっ
からどう算段したらよいか 彼女を入れ替えてみました
カソプルができあがってし 古川氏は、死刑囚のえん
は異なものとよく言ったも 一九千万人のなかの孤独一
ので、今度は彼女の方が積 という浩鴻な著書を贈与し
極的です。たちまち二組の ていただいた。
ていられる。そしていま、
まいました。まったく、思 罪を訴えて東奔西走しつつ
うようにいかないものだと ある。父も母も子も一家挙
って全霊をこの運動に捧げ
つくづく感じました。
美声で姿のよい父親と、
12
O
(月)
(土)
0
(4)
客観的に事物を見る目が を導入しなかったことに対 るんじゃないかと思う。
赤カ ナ リ ヤ
も返答に窮したらしく優秀
さかだてて声高に鳴きたて
いから卵は生むだろうと思 可愛そうでしたが、もう我 ていどむけれど、貴婦人は とをはじめて知りました。 れもなく、足を縮めてあお しはじめたのです。こうな 目のさめるように鮮やかな また、べ立−連のために、そ
い大事に飼ってたのですが 慢が出来なくなって、巣か その切ない愛情をうけ入れ そして、貞操堅固な彼女 むけにひっくりかえってい るとてのひらにのせてはい 色の母親との間にできる子 の純潔な斗志を燃やしてい
一日中ふくらんで元気がならはなれようとしないのを まぜん。日に何回となくど に感心しながら閉口しまし るんです。全然動かない。 られないので、そうっと、
は、いったいどんなものだ る。上のお嬢さんは九大の
ゆるうく握りしめました。 ろうとわくわくしながら大
﹃十の日デモ﹄にもときど
心配さすのにもほどがあ きな期待をかけていたのに き出かけているそうであ
ると思いながらも、ひらい まったく失望しました。へ る。
たつぶらな目を見てると、
んな取り合わせになったが 内死刑囚再審特例法案の議
きょろきょろ頭を動かして 鳥どもは至極円満です。
会通過を叫ぼう。
,
■
編集後記
8.=邑竪=一−縄二・﹄監=−■鴨■葦葺一:¶﹄=7﹄7・嘲.巳轟=・塾噂=﹃﹂=.臣・唱.薩=一業.=﹃﹂=胃幽=−﹂18=7﹄[噂騨隔ヨ=噂匹・亀﹂﹃.=[雪。﹄恩昌凹・一・.o﹄・﹂.n︻.=匡魁卿3︻■.●︼・3鳳﹃=−監2一’■=皇=・﹃B.=6ヒ=3■=﹄1=・5吻ニコ駈=・ロ﹃■■7臨1■−・﹂隆・=1︻=回書
く申し上げたく存じており
そく鳥屋に行って談判しま
私の手からのがれようとす ますが、まずはとり急ぎ書
したら血統書なんかあるは
るのです。ほっとしました 面にてご挨拶まで。
ずがないもんだから、鳥屋
小鳥でも、こんな才覚をす 別途拙著などお届け申し
という、大したふれこみの
褒賞をもらったこともある
メスですけれども、見れば
見るほど、しょんぼりして、
おばアちゃんらしいですよ がないのです。とうとう予
おまけに指が一つ半ばから 定の倍ぐらい経過しても、
切れてるじゃありませんか 卵を抱いて身じろぎもしま
それでも、生れがよいらし せん。親鳥の真剣な表情は
く、毎日のぞいては艀化す ました。オスはとてもよく みかかるので、人間の場合 たのかなアと考え、期待し たのです。
る予定日を楽しみにしてい 鳴くし、メスは真赤で貴婦 なら、引っかく、くいつく ながら、のぞきに行きまし 途方にくれながら、真っ
なぐりとばす、押えつける たら彼女の姿が見えません 赤な死骸をてのひらにのせ
ました。けれども予定日は 入のようにきれいでした。
すぎたがヒナはかえる様子 オスが止り木の上で地団 まア、こんな形容があては 巣箱は、普通の鳥かごの て、丁寧にカゴから出して
太を踏み、両翼を心もち羽 まるでしょう。それでもど ようにどこからでもまる見 左手の指先で軽くなでてい
ばたくようにして、のどを うしても言うことをきかな えというわけにはまいりま たら、貴婦入がバッチリ、
ふくらまし、頭の毛を少し いのです。小鳥にも好き嫌 せん。不審に思いながら、 目をひらいたじゃありませ
いがこんなにあるというこ 箱の底を見ると彼女はあら んか、そして、頭をうこか
なオスと色のきれいなメス 鳴くのが数等すぐれていて いと考えのぞきもせずにお
来
月
を﹃ひな﹄ができるまで貸 なかなかのハンサムです。 りましたら、まもなく、ひ
すからということで妥協が このハンサム氏、嫌わる っそりとなりましたので、
ところが、血統書があり に抱いてるさまがいじらし 成立し、巣箱を買って帰り れば嫌われるほど執拗に挑 さては貴婦人求愛を受諾し
口
いんです。でもしかし、そ 無理に手を入れて卵をとり たんばたん、いや、カナリ た。なんとかして、この美 さてはツ!死なしたのか!
のうち一つだけ産みました 出したら、なんと無精卵だ ヤだから羽ばたきの音です しい彼女に卵を産んでもら 激しい羽ばたきの時、な
よ。だが、それっきり、あ ったんです。私もですが子 そのうちには仲よくなる いたいので、エサも特別気 ぜ見に来なかっただろう。
とは産みません。しかし、 供の方ががっかりしました だろうと思っておりました を配って栄養価の高いのを 何しろ預りものを死なし
たった一つの卵を一心不乱 腹がたちましたネ。きっ が、貴婦人はあくまで孤高 与えましたので、ハンサム たとなると責任重大である
〆
立
発売開始11時30分
園
町
4
\
5
農
9
4
鼻
風
〆
昭和44年4月20日
(第三種郵便物認可)
第55号
障
、
7
Fly UP