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第9回飯田高等学校生徒刺殺事件検証委員会 会議録要旨

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第9回飯田高等学校生徒刺殺事件検証委員会 会議録要旨
第9回飯田高等学校生徒刺殺事件検証委員会 会議録要旨
日 時:平成15年1月30日(木)13:00∼17:00
場 所:長野県庁西庁舎 401号会議室
出 席 委 員:小野寺勝 古原正之 田中善二 日垣隆 保髙喬雄
三浦久 毛利正道 山口恒夫 山口利幸 (以上9名敬称略)
いじめや集団暴力が原因で子どもを亡くした親とその関係者:
前島章良・文子夫妻
馬島直樹氏(前島裁判を支援する会事務局長)
宮田幸久・元子夫妻
HK氏
後藤孝志氏
飯田高校関係者:K元校長 N元教頭 I教諭 Y教諭
(当時の校長及び教頭、加害者の担任、被害者の担任、敬称略)
事務局出席者:母袋高校教育課長 他
会議資料
「前島裁判経過報告」
(馬島直樹氏提出資料)
「前島君の死をムダにしない取り組みを」
(馬島直樹氏提出資料)
「怒りと悲しみの中で ―池田町少年集団リンチ事件を―」(宮田夫妻提出資料)
「いじめを越えて(6)
」
(信濃毎日新聞 1986 年5月 12 日付)とレジュメ資料
(HK氏提出資料)
会 議 録
佐藤高校教育課教職員係長
それではただ今より、第9回飯田高校生徒刺殺事件検証委員会を開催したいと思います。
毛利委員長、宜しくお願いいたします。
毛利委員長
長野県では最も寒い時期であります。風邪も流行っておりまして、小林委員さんからは、風
邪で欠席という連絡を伺っております。
1
本日は、当時の飯田高校関係者の方々に加えて、校内のいじめや少年の集団暴力が原因で、
お子さまを亡くされたご家族の方々3組においでいただいております。本事件の検証にあたっ
て、欠かすことのできない論点、すなわち事件が発生したときの学校の対応、マスコミの対応
はどうのようなものであったか、このことについて体験を通じてのご意見等をお聞かせいただ
きたく思っております。どうぞ宜しくお願い申し上げます。
まず最初に、意見聴取の主旨を確認しておきます。事件発生時における情報提供を主とした
被害者遺族に対する学校の対応の問題、マスコミに対する学校の姿勢、マスコミの動き自体に
関する問題点、以上の3点に絞っていただき、それぞれのご遺族から、前島さん、宮田さん、
HKさんの順でお話を伺いたいと思います。それぞれ30分を目途にお願いいたします。
なお映像取材につきましては、飯田高校の関係者については、これまで同様個人が特定でき
ないようなご配慮をお願いいたします。またHKさんについても同様な配慮をお願いいたしま
す。前島さん、宮田さんについてはそのような制限は必要ないということです。
それでは早速ですが、前島さんの方からお願い申し上げます。
前島章良氏
須坂市から参りました前島章良と申します。私は、学校に起因する問題の結果、遺族となっ
てしまいました。その遺族の悲痛な叫びを聞いていただく機会を設けていただきまして、本当
にありがたく思っております。なかなかこのような機会がありませんでした。是非、私たちの、
悲しい苦しい思いを聞いていただきたく思います。
我が子は、1997年1月7日、我が家の軒先で、縄跳びのロープを首に巻いて自死してお
りました。雪が30センチほど積もった寒い日でしたが、それは迷いのない自殺でした。横に
大きな庭石があってそこに足を掛ければ助かったはずなのですが、そのような形跡は全くあり
ませんでした。
我が子は、須坂市立常盤中学校の1年生でしたが、病院に担ぎ込まれた時、校長と担任が駆
けつけました。警察もやってきました。まだ集中治療室で治療を行っている間に、須坂警察署
の事情聴取が行われました。悲しい思いは、ここからスタートしたと思います。警察官は、あ
ぐらをかいて、まだ命が助かるのか助からないのか、はっきりしない状況の中で、死亡したご
とくの事情聴取が始まりました。そこには、校長、担任も同席していました。ポケットの中か
ら遺書が出てきたわけですが、
「ぼうりょくではないけど、ぼうりょくよりもひさんだった。
かなしかった。ぼくはすべて聞いていた。あの4人にいじめられていた。ぼくは死ぬ。
」とい
う遺書の内容を、校長たちはメモして、1時間ほど病院にいてから、学校に帰って行きました。
警察と学校の対応はここから誤ったのではないか、と私は考えております。
1月8日、校長は、遺書のことは何も話さず、全校集会を開いて、命の大切さを訴えられま
した。それだけで終わってしまいました。その後、遺書の内容も明かさずにアンケート調査を
してゆく。遺族の自宅には何人かの先生は訪ねてくるのですが、ただ「わからない」を繰り返
すばかりでした。私たちの悲しみをその場で理解して下さいましたら、まず遺書の重さを取り
上げて、遺書の内容を明らかにしながら生徒に調査してくれたはずです。そして、その内容を
2
すべて明らかにしてくれたならば、私たちはこれほどまでに苦しまなかったのかもしれません。
私は、1月7日が生涯最大の苦しみを負った日だと思いました。しかし、そうではありません
でした。その大きな悲しみ、苦しみをもっと大きくする事態が、その後に待っていたのです。
学校の隠蔽体質と言わざるを得ないのですが、学校は、
「一生懸命調査したのだが、わからな
い。
」ということを繰り返すばかりでした。
あの遺書の中に、いじめた者の名前が書かれていなかった、それを前提にして学校の対応は
されていったと考えています。再三調査する中で、その年の10月1日のアンケート調査の中
に4人の生徒の名前が出てきました。ところが、無記名の調査ため、これを書いた生徒がわか
らないから、これは不明瞭な回答なのだ、ということで、調査は中止されてしまいました。私
たちは、我が子がどんな辛い思いをして亡くなっていったのか、それが知りたいだけです。そ
して謝罪をして欲しいだけです。我々に対しての特効薬というのは謝罪だと思います。もし学
校が謝罪の教育をしてくれていたら、私どもに対して、いじめた4人は謝りに来てくれたと思
います。我々も被害者ですが、謝罪の機会を奪われたこの4人も学校当局の被害者ではないで
しょうか。今も、同じ学校区ですので、近所にこの4人は生活をしています。その4人の親も
います。この4人、そしてその親たちは道で会っても、逃げるようにして私の前を去ってゆき
ます。これは、学校の対応によって引き起こされた2次被害ではないでしょうか。
私たちは、学校にさまざまなことを求めましたが、ほとんど何も知らされませんでしたので、
公文書非開示処分取消請求訴訟とか、損害賠償訴訟とか裁判を繰り返しておりますが、私たち
は、お金が欲しくて裁判を起こしているわけではありません。我が子がなぜ死ななければなら
なかったのか、ただそれが知りたいだけです。裁判などというものは本来、教育になじまない
もので、そこから何も生まれて来ないことは重々承知しています。しかし、何も知ることがで
きない、そこで損害賠償訴訟を起こさざるを得ませんでした。賠償額は1円だって構いません。
当時関わった人たちが謝罪をしてくれればそれでいいのです。
このような経過の中で、私は、その年の4月に、勤めていた会社を去らなければなりません
でした。私は、その会社の役員だったわけですが、役員がテレビに出て、自分の子どものこと
で騒いでいるということになれば会社も成り立たない、ということでしょう。妻と私が会社に
呼ばれて、社長と常務から、会社を取るか自分のことを取るか、どちらかにして欲しいと申し
渡されました。どちらも頑張りたいと申し上げたわけですが、二者択一しかないということで、
会社を辞め、我が子のことに専念する決意をいたしました。
わたしは、その後、そこにおいでの小野寺委員と「いじめ・校内暴力で子どもを亡くした親
の会」というものを作りまして、同じ悲しみを繰り返さないために日本各地を歩いて参りまし
た。どこの現状もすべて同じで、
「わからなかった」
、
「知らなかった」
、
「いじめはなかった」
と学校の説明を聞くばかりでした。
ここにいる県の教育委員会の皆さんにお聞きしたい。我々のように苦しむ遺族をあと何人作
ったら、心を変えて下さるのですか。きちんと一つ一つの事件を検証して、それを今後の教育
に生かしていただきたい。それが私の偽らざる気持ちです。
3
マスコミについてのことですが、この事件がマスコミの方に取り上げていただかなかったな
らば、息子の死は「いじめが原因ではない」と断定されて終わっていたことでしょう。文部省
の統計では、いまだに私の息子の死は「その他の死」というところに分類されています。学校
の中で起きたいじめが原因で亡くなったのだということを明らかにしたい、ということで頑張
っております。
静岡の小学校を訪問したときのことです。私と同じ様な被害者に同行して、何とか真実を明
らかにして欲しいとお願いに行ったわけですが、そこの校長が、悲しんでいる遺族に対して「あ
なたは私を『校長』と呼び捨てにするが、私を『校長先生』と呼びなさい。
」と言いました。
私は、その校長に怒鳴りました。
「あなたは、正三角形のトップにおられるつもりでいるのか。頂点に教育行政があって、その
下に校長がいて、教頭がいて、先生がいて、そして最後に生徒と保護者がいるのと考えている
からこういう事件が起きるのだ、と指摘しました。むしろ逆三角形ではないのか。生徒がいて、
保護者がいて、そして教師がいて、そして自分がその下にいると考えていれば、おそらくこん
な事件は起こらなかったはずだ。
」
と述べました。たぶん私の子どもがいた中学も、そうだったのではないかと考えています。
繰り返すようですが、お願いしたいのは、子どもの命、子どもの人権が守られる教育現場を
早く作って欲しい、マスコミにお願いしない限り情報が明らかにならないような状況を改善し
て欲しい。マスコミが知っていて、遺族が知らないということが数多くありました。情報を閉
ざすということは、遺族の気持ちを考えればあり得ないことです。管理責任を問われるという
ことで、
「なかった」
、
「わからなかった」で終わらせて欲しくないために発言させていただき
ました。
続いて、妻が一言述べさせていただきます。
前島文子氏
子どもが亡くなりまして、それ以後他人様の前では決して泣くまいと思いながら生きて参り
ましたが、本日このような機会を設けていただき、外の雪の様子などを眺めていますと、つい
当時のことが思い出されて涙が流れてしまいます。すみません。
心に思うことは、対応を早くして欲しかったということです。もっと早く対応して下さった
ら、こんなに悲しまなくても済んだのではないか、主人が職を失うこともなかったのではない
かと思っています。毎日、毎日、先生方は焼香に来てくれました。しかし、おっしゃることは
「わからない」ということばかりで、それが私たちには本当に辛かったのです。遺書の重みを
もっともっと認識して対応していただきたかったのです。私は、今泣いていますが、一番苦し
かったのは、息子だと思います。ですから、いくら苦しくても真実を明らかにしたいと思って
います。以上です。
4
馬島直樹氏
馬島と申します。
「前島裁判を支援する会」の事務局長を務めております。その立場から発言
させていただきます。
『よみがえれ、学校 ― 子どもと先生の死をムダにするな ―』という書籍があります。編
集は、
「長野県の教育を考える会」
、発行所は「信州の教育と自治研究所」です。私はその両方
に関係しておりますが、この本は約1万冊売れました。残部はあと数冊しかありません。前島
さんの親戚で、この本のことを知っている人が
「うちの前島が困っている。学校は、わからないとしか言わない。何とか力になってはくれな
いか。
」
といって来られました。かねがね私たちは、この本を出して 10 年になるが学校はいっこうに
甦っていない、と考えていました。甦らせない張本人は誰か、私は、それを教育委員会と信濃
教育会だとみています。それはそれとして、学校を甦らせるためにも前島さんを支援しなけれ
ばならないと考えました。私どもの教育研究所のスタッフもそう思いました。本を出しただけ
で終わってはならない、という思いでした。
前島裁判とは、学校を甦らせるための裁判です。一つは、
「公文書非開示処分取消請求」です。
資料を渡すと言いながら、約束を破った須坂市教育委員会に資料を開示せよという裁判でした。
二つ目は「損害賠償請求」という形ですけれども、目的はわが子の死をムダにしないためのも
ので、賠償額は問題ではありません。前島さんは、賠償額は1円でもいいと言っています。学
校が本来の姿を取り戻し、子どもの学習権を保障する場となることを願う裁判である、と前島
さんは発言されておられます。
さて『よみがえれ、学校』には、ここにおいでのHKさんのことも書かれておりますが、そ
の他、本に書かれているものの中から、幾つかの事例を簡単に紹介します。二人の先生の自殺
の事例が書かれています。この二人の真面目で、立派な先生方がなぜ自殺しなければならなか
ったのか。それは、信濃教育会も関係していた公開研究授業の研究指定校になり、その研究授
業のために追いまくられて有能な力を発揮することができず、努力し研究していた仮説実験授
業も認められず、身も心も徹底的に痛めつけられた結果でした。二人の先生は、研究授業とい
う妖怪に殺されたのです。ところで、前島君の担任がこうした公開研究授業指定校の研究主任
であったとうことが符合するのですね。
次に生徒の自殺についての事例が分析されています。いじめの犠牲になった尾山奈々さんの
心の叫びを聞いて下さい。
「学校なんて大きらい。みんなで命を削るから。先生はもっときらい。弱った心を踏みつける
から。
」
藤本三郎元教育委員長が遺言のように残していった言葉も掲載しておきました。
「本県教育
五つの課題」というもので、議会で発言した言葉です。藤本氏は、その第1に「学校に対する
親の信頼感の回復をはかること」と述べました。
私たちは、
『よみがえれ学校』の運動を進めなければならない、という観点で前島裁判を支
援しているわけであります。前島君の悲劇は、信濃教育会の研究指定校の研究主任の学級で起
5
きているのです。前島君の担任は、信濃教育会のエリートなのでしょう。大学院を卒業してす
ぐに常盤中学校の担任となった。それがこともあろうに学年主任兼研究指定校の研究主任です。
常盤中学校には、何年もこの学校にいて地域や生徒の状況をよく把握している教員がいたでし
ょうが、そうした教員を差し置いて、このエリート教員がいきなり研究主任になった。研究指
定校になると学校が荒れるというジンクスがあります。子どもの本音が大切にされる授業や学
級経営ができなくなるのです。教育には、教科指導と教科外指導の二つの側面があります。教
科外活動の主眼は、自治能力を育てるということなのですが、信濃教育会のエリートたちに欠
けているのは、教科外活動における指導だと考えています。自治能力を育てるということにつ
いて、このエリートたちは無力です。自治能力を育てる手だてを知らない。飯田高校の先生た
ちもそうだったのではないでしょうか。
また、いじめに対する有効な指導ができていない。
「①するを許さず。②されるを責めず。
③第三者なし。
」という「いじめ指導の3原則」を理解していない。特に「第三者なし。
」が全
く指導されていない。正義の告発をする者がいないという見通しの中でいじめはエスカレート
してゆくのです。
「自分は見ていただけ。自分は関係ない。
」という立場を絶対に許さない、傍
観者は加害者である、と訴える指導ができていないのです。中学校は、傍観者の指導をしませ
ん。それから加害者指導が全然ダメですね。
前島裁判がなぜ起きたかというと、不誠実極まりない市教委、県教委が原因なんです。須坂
市では、前島君の自殺と同じ年度の96年6月に、いじめが原因で子どもの自殺事件が起きて
います。成績優秀で、気働きのできる子で、学級長に選ばれたが、しばしば過呼吸の発作に襲
われ、結局通信制の高校に行かざるを得なくなった。そして卒業後、遺書を残して自殺したの
です。この生徒が在学していた中学校の校長が今須坂市の教育長なのです。いじめ指導を促す
文部省の通達が出されました。そしてそれを受けた県教委の通達も出されました。須坂市教育
委員会や校長が96年6月の自殺事件の重大性を認識し、文部省や県教委の通達をもっと真摯
に受け止め、中学校の総点検がされていたなら、前島君の事件は防ぐことができたはずです。
須坂市で起きた前島君の事件も含めた、この二つの自殺事件ですが、いじめによる自殺であ
ることは明白なのです。ところが、市教委も県教委もそれを認めず、いまだに「いじめによる
死と断定すべきでない。
」と言っているのです。県教委の出した通達には「本人がいじめと感
じたら、それはいじめです。
」と書かれているのですよ。にもかかわらず、市教委も学校も優
作君の死をいじめとは認めない。これについて私は、県教委の教学指導課長に糺したことがあ
ります。すると答えは、
「長野県教育委員会は、須坂市教育委員会を指導する立場にない。
」と
いうものでした。自分の出した通達に反していても、この有様です。校長は20回も、教頭は
18回も、市教委に報告して指示を受けています。長野県教委の面々も常盤中学校に出向いて
指導しています。その挙げ句が「わかりません」でした。この耐え難い教育委員会の仕打ちに
対して、ついに前島さんは裁判を起こすに至ったのです。
私の所属している「いじめ・不登校を共に考える須高の会」では、常盤中学校に、尾木直樹
『いじめ防止実践プログラム』
、正高信男『いじめを許す真理』
、福田博之『いじめのない自分
づくり』の3冊を寄贈しました。これらをいじめ指導に役立てて欲しいと思ったからです。尾
6
木直樹氏については、講演会を行い、常盤中学校にも案内状を出しましたが、校長以下一人も
来ませんでした。尾木さんの本は、いじめ学習につながるアンケート調査を提案したもの、正
高さんの本は、傍観者指導の重要性を訴えたもの、福田さんの本は実態調査を生かす作文指導
を重視するものです。
常盤中学校では、前島君の事件の後、追悼文を書かせました。追悼文ではみんな「お上手」
を書きます。それを読んでみますと、優作君の学校祭までの活き活きした姿だけが書かれてい
ます。前島優作君は、エネルギーに溢れ、スポーツマンで、学校大好き人間でした。ところが
学校祭以後、優作君のエネルギーがどんどんなくなって、ストレスがたまって、孤独になって
無力になってゆく。そうした姿は、追悼文には出てきません。どんなに優作君が苦しんでいた
かは書いていないのです。つまり、いきなり作文を書かせてもダメなのです。きちんと学習を
した上で書かせなければ意味がありません。私どもはそういう提案をいたしましたが、やって
はくれませんでした。
遺族いじめの事例もありました。前島君のお母さんがスーパーに行くと皆避けるように姿を
隠してしまう。学校が「わかりません」を繰り返す中で前島さんは苦しんでいる、その中で前
島さんが職を失う事態に追い込まれたとき、学校は、それだけは止めて下さいと会社に行って
言うべきではないですか。やむにやまれず真実解明を求めている動きを搦め手から妨害しよう
とする動きがあったとも聞いています。
窓口一本化、という名目で、事実上の口封じが行われました。教職員の口を封じるのではな
く、校内で十分な論議をした上で方針を出し、マスコミやPTAや地域住民に対し、学校の建
て直しに協力を要請すべきであると思います。近隣のある学校の管理職が「常盤中学校の校長
はヘボいから新聞に出た。
」と言ったそうです。
マスコミの功罪についてですが、功は大いにありました。しかし、残念なこともありました。
「あの4人にいじめられていた」という遺書の文が「あの4人にいじめられた」と誤って記載
した新聞がありました。これではだいぶニュアンスが違ってしまいます。ある新聞社は、不正
確な取材を元に、
「模範生、自信失い思い悩む?無理な究明、犯人づくりの危険」という評論
を載せました。優作君のことを勝手に模範生と称しています。優作君は、学校大好き人間で優
しかったけれども、模範生というタイプの生徒ではありませんでした。この評論の最大の問題
点は、いじめ指導の中心は加害者の指導であってはならないと主張している点です。加害者、
そして消極的な加害者である傍観者への指導なしに、いじめの指導は考えられません。そうで
なければ被害者が救われるわけはありません。心からの謝罪の指導がなければなりません。
長野県の教育界はつまらない公開研究授業をやっています。その研究目標がいかに下らない
か。また信濃教育会の機関誌『信濃教育』を読んでみても、いじめ問題、不登校問題について
ろくなレポートがない。信濃教育会のエリートたちが教育委員会の事務局に入って、この連中
が指導主事として各学校へ行く。そして本質から離れた、下らない指導をしている。私は信州
大学教育学部第1期生ですが、教育委員会の指導主事がいかにダメか骨身にしみています。学
校をいかに甦らせるか、藤本元教育委員長の言葉をもう一度吟味する必要があるのではないで
しょうか。
7
毛利委員長
続いて、宮田さんお願いします。
宮田幸久氏
池田町からお呼びいただきました宮田幸久と申します。今日は、夫婦二人で出席させていた
だいております。本当に、ありがとうございます。大変衝撃的で、残忍な飯田高校の刺殺事件、
ご本人ご家族の怒り、憤りを、私は推し量ることができません。この事件に対する長野県の対
応について、最高裁の判決が出た後とはいえ、真摯に反省され、また小野寺さん宅を訪問され、
直接謝罪されるなど、心を持った行動をとられている田中康夫県知事に、まず、心から敬意を
表したいと思います。さらには、今日の県政改革を押し進めるため、田中康夫氏に白羽の矢を
立てられた方、また田中氏を選任された良識ある県民の方にもこの場をお借りして御礼を申し
上げたいと思います。また画期的で先進的、先駆的な検証委員会の委員の皆様が真剣な議論を
進められていることに感謝を申し上げたいと思います。
具体的な話に入る前に、基本的な事柄について申し述べさせていただきたいことがございま
すのでご了承下さい。先日のNHKの「人間ドキュメント」という番組で、親御さんが自殺を
され、その後育英会などの援助を受けながら大学に通っておられる方々の様子を見ました。年
に1回、集まって話し合いをされているのですが、その子どもたちが、あの時自分がこうして
いれば、親は自殺などしなかったかもしれないと何年も自問自答を続けているのです。飯田高
校事件でも関わり合った皆さんが、それぞれの立場で、このような自問自答をされてきたでし
ょうか。私自身も、自分の子どもがこんなことにならなければ気付かなかったことです。
私は、学歴もなければ、知性もない、浅はかな人間です。ここでお話しするような人間では
ないかもしれませんが、是非お聞きいただきたいと思います。今年、年が明けて阪神大震災か
ら何年、被害を被った人々が未だに癒されていない、という報道が相次いで流されております。
癒しというのは、病気や飢え、悲しみなどの肉体的精神的苦痛を直すこと、と辞書などには記
されています。拉致事件でも20数年、中国残留孤児の方々でも50数年経過しておりますけ
れども、時間の経過は癒しとはならない。ですから、ここにもマスコミ関係者の方々が大勢取
材に見えられておりますけれども、癒しなどということは軽々に完了するものではない、とい
うことを肝に銘じていただきたい。では癒しはいつ訪れるのか、それは、遺族が死んだときで
しかありません。この委員会がどういう結論をもって教訓とされていくのか、それが小野寺さ
んの3次4次の被害を生まなければいいが、と個人的には心配しております。
それともう一つ、こういう形で遺族になってしまいますと、どうしても真実が知りたいとい
うことになります。今朝の報道でしょうか、四国で、橋から飛び降りて自殺したのだ、と警察
で結論づけられていた事件について、結論に納得できない遺族が証拠集めをして、マスコミの
方にもお手伝いいただいて、自殺の事件ではなかったと結論が修正され、事件としての捜査が
いよいよ始まるようです。少年法改正の運動を進めているときに、法学部の先生方やあるいは
弁護士の皆さんと話し合いをする機会がありました。どうして世の中が変わっていかないのか、
という話をしたときに、三重短期大学の法経学科の佐々木助教授に
8
「あなた方にとっては大変な事件だろうけれども社会の大勢の皆さんにとって所詮は他人事
なのです。
」
と率直に状況を指摘され、いろいろ思うこともありました。私たちはそうした状況を十分認
識しているつもりです。しかし、真実を明らかにしたいという思いは変わりません。このこと
を是非ご理解いただきたい。
私どもの事件のことで明科高校を訪ねたとき、当時の学校の教頭先生が、
「私は先輩の皆さんに教育界というところは一般社会の常識など通用しないところですから、
と教えられて教師の道を歩んできました。
」
とおっしゃいました。
「何というバカな教頭だ」と、個人の資質や責任の問題と限定して片付
けたい皆さんもいらっしゃると思いますが、私は現在の学校社会の体質と考えています。学校
には学校の裏社会、警察には警察の裏社会があるのだなぁ、と感じました。しかし、21世紀
を迎えた今日、やはり欺瞞に満ちた裏社会はあってはならないとも感じました。
病院が患者や遺族から訴えられるケースがあります。これらをどうすればなくすことができ
るのか。このことについて検討してきた結果、一つの結論が出ました。それを紹介したいと思
います。長野県の教育界にも十分適応できることだと思っていることです。第1に、何よりも
患者さんの人権を尊重し、患者やご家族に真実を告げること。第2に、原因究明に当たっては、
誰が起こしただけでなく、なぜ起きたのかという観点に立って、背景となる人、技術や機械、
情報やシステム、管理運営に関わる問題を多角的に分析し、再発防止に向け、安全防御機構を
作り上げること。そして第3に、情報を公開し経験や教訓を広げる、というものです。これが
病院に限らず、日本中すべて通用するものとして考えております。
最後に申し上げたいことは、人間にとって、命を授かることと、死んでいくということは、
最大にして唯一無二の二大事件であります。これも昨日のテレビ報道なのですが、70代、8
0代、90代、申し訳ない言い方をすれば、いつ寿命が尽きてもおかしくない年齢の方々が、
それでもガンと闘病する。人はどんな状況になっても、まだ生きたい、もっともっと生きたい
と葛藤するものだそうです。それが未成年の段階で、直接的に他人から命を奪われる、あるい
は耐えきれなくなって死を選ぶ。寿命でない死、自然災害や労働災害あるいは交通事故でない
死など、遺族にとってはどんなにしても到底認めることはできません。私たちにとっては、真
実を知ることで、はじめて死そのものを理解することができます。真実を知ることが、全ての
始まりなのです。しかし、死という事実は永久に納得することはありません。この重みを本当
に受け止めてもらったならば、と思うことがあります。うちの子どもが、そこで死にはしなか
ったのですが、意識不明になった現場というのは小学校の校庭でした。松本サリン事件と重な
ったというのが警察の言い訳ですが、松本に人手を取られて鑑識の手が回らなかったというこ
とで、多量の流血が校庭に残されたまま、学校の授業は始まってしまいました。鑑識が終わら
ないから、始末するわけにはいかない。学校は、ビニールシートで覆いをしました。しかし、
学校がやったのはそれだけでした。学校ではしばしば、命の貴さを訴える集会を開くそうです
が、自分の学校の校庭がそういう状況になっても、特に何も行われなかったようです。小学校
であろうが、自分の学校の校庭でこのような事件が起きたのです。何らかの対応があってしか
9
るべきだと思った次第です。命を大切にしようと言いながら、身近に事件が起きたら手も足も
出ない、こういう状況が私にとっては非常に歯がゆい。このような基本的、根本的なことを心
にとどめていただきながら、後はご質問等にお答えする形でお話をさせていただきたいと思い
ます。
毛利委員長
ありがとうございました。それでは続いてHKさんお願いいたします。日垣委員から質問を
するという形で、お話を伺うことになっています。
日垣委員
宮田さんの事件が94年で、前島さんの事件が97年ですが、HKさんの事件は86年に発
生しています。私の方からHKさんにお願いしたのは、問題とするべき共通した学校体質とい
うのは、かなり遡らなければならないという観点からでした。HKさんは最初出席を辞退され
たのですが、無理をお願いして、本日出ていただきました。まず最初に、この委員会に出席す
ることに乗り気でなかった理由を、差し支えなければお話しいただけますか。
HK氏
加害者より被害者の方が悪いというような雰囲気がありまして、いまだに何か後ろめたいよ
うな気持ちが拭えていません。ここで聞かれたり、話したりすることに勇気が持てませんでし
た。
日垣委員
事件は、
お子さんが篠ノ井高校在学中にご自宅で電気コードで自殺されたというものですが、
1986年の2月12日のことだと思います。当時のことを思い出すのは、辛いことだと思い
ますが、まず学校の対応についてお聞きしたいと思います。
HK氏
まず先生に電話しなければいけないということで電話をしたわけですが、先生は「あっそう
ですか。それなら後で行ってみます。
」という感じでした。あまり驚いた感じではありません
でした。
日垣委員
時間としては、何時ぐらいでしたか。
HK氏
朝の4時ぐらいでした。先ず警察が来てその対応に気を取られていましたが、学校からは、
校長先生と担任の先生が、割と遅くなってからおいでになったと思います。学校では対応につ
10
いて話し合っていたのだと思います。学校内でいじめはなかったことにしようという対策が練
られたみたいです。
日垣委員
「みたい」とおっしゃいましたが、それはどの程度の根拠があるのでしょうか。
HK氏
校長先生と担任の先生の言うことが、皆同じでしたし、この時点ですべて校長先生を窓口に
して、という話ができていたのではないかと思いました。
日垣委員
担任と校長の言うことがすべて同じだったということですが、どんなことでしたか。具体的
な例を2、3挙げていただけますか。
HK氏
いじめはなかったということを言っていました。それから校長先生は、学校の不名誉になる
という意識が大変強かったと思います。名誉、メンツのことばかりが前面に出ていて、息子が
死んだということは二の次という感じがしました。
日垣委員
「不名誉」という言葉が実際に校長の口から出たわけですか。
HK氏
直接には言われてはいないのですが、夜中の1時頃に電話が来て、
「学校に出て来い。
」とい
うことがありました。
「なぜですか。
」と聞いたら、
「息子のことを洗いざらい話してやるから
出て来い。
」ということでした。そこで、行く、行かないのすったもんだがあったのですが、
受話器の向こうには、周りにたくさんの人がいるようで、その人たちに向かって、
「冗談じゃ
ない、こんな不名誉なことを。
」と話す声が聞こえてきました。そこではじめて、息子の自殺
は不名誉なことだったのか、という思いを持ちました。
日垣委員
マスコミと接触するな、とも言われたわけですね。
HK氏
いろいろなことを校内では無かったことにしようとしていたわけですから、マスコミに話を
するといろいろなことが出てくるのが恐ろしかったのだと思います。
11
日垣委員
息子さんがいじめられているという事実をご両親はご存じだったのでしょうか。
HK氏
知っておりました。1年生の1学期の終わり頃、直接息子が「いじめにあっているので転校
したい。
」と申しましたので、そのことを担任の先生に相談すると、
「僕に任せてください。心
配ありません。
」ということでした。その言葉を信じていました。
日垣委員
1年生の1学期の終わり頃には、ご両親、そして担任もいじめの事実を知っていたわけです
ね。にもかかわらず、事件の時に校長が「いじめはなかった」と言い切るのは、どういうこと
なのでしょうか。自殺の事件の後、何度か学校と接触する機会があったと思いますが、その時、
1年の1学期の終わり頃にいじめの事実を担任に話したことは当然話題にしたわけですよね。
HK氏
担任の先生がおっしゃるには、
「そういうことを伺っていたので注意して見ていましたが、別段いじめの様子もないし、
『シ
カト』されているなどということは、今はじめて聞きました。
」
ということでした。
日垣委員
息子さんは、手記というか、メモを書いていたわけですよね。そこにはいじめの事実が明確
に出ているのですか。それは担任には伝えられていたのですか。
HK氏
はい、そうです。誰にいじめられているのかということも伝えてありました。
日垣委員
一般論として言えば、担任の先生に「いじめがあるから転校したい」と言って、担任の側か
らすれば、見ていたけれどそうとは感じられないというのは、可能性が全くないとは言えない
でしょう。しかし、事件から3ヶ月経った1986年の5月19日付の信濃毎日新聞の記事に
は「体育大会で男子全員が選手になるはずなのに彼だけが外された、二人一組で体操をすると
き、はみ出ることが多かった、全校集会で整列するとき彼の後には並ばないので列が途切れた、
などと証言する友人、教師もいた。
」と書かれています。新聞記者の取材でこのような事実が
出てくる。この質問は、本来その担任の先生にお聞きしなければならないものですが、
「僕に
任せて下さい」といいながら「見ていたけれどその事実に気が付かなかった。
」と言ったそう
ですが、うそをついていたのでしょうか。それともきちんと見ることを怠っていたのでしょう
12
か、それとも、実際担任にはわからなかったのでしょうか。
HK氏
わたしもよくわからないのですが、いじめられている子どもがどんな辛い思いをしているの
か、ということを先生は理解していなかったのだと思います。ちょっとした行き違いぐらいの
認識しかなかったのではないでしょうか。事態が思いがけず大事になってしまったので、
「な
かった」
、
「知らなかった」と言ったのだと思います。
日垣委員
マスコミに接触するなと校長が怒鳴ったというのは、信濃毎日新聞の記事が出る前のことで
すね。
HK氏
この記事が書かれている段階で、記者の取材が校長や学校側にもあったと思うのですが、そ
のことで私どものところにも取材が来ていると察知して、このことが表沙汰になったら困ると
いうことで再三電話で脅すようなことをしてきました。私どもも最初はマスコミに出ることを
避けようという意識があったものですから、そのことを校長先生に話すと、とたんに「大変で
したね。
」と優しい口調になったり、記者の取材があるとまた脅すような口調になったりでし
た。そしてさっき言ったような電話になったわけです。
日垣委員
校長が「マスコミに接触するな。
」と言うとき、どういう理由を持ち出すわけですか。
HK氏
学校の不名誉になる、ということばかりでした。電話口で脅すような口調で、息子にも問題
があったというようなことを言いました。それなら電話口で今言って欲しい、と言うと、
「電
話ではダメだから出てこい。
」ということでした。
「出てきて下さい。
」ではなく、
「出てこい。
」
という命令口調でした。うむを言わさない態度でした。息子は良くもなく悪くもない、本当に
普通の子どもでしたので、行く必要はないと思い、行きませんでした。
日垣委員
その後、校長は接触してきましたか。
HK氏
その日の早朝、5時頃だったと思いますが、再び校長から電話がかかってきて、出ていかな
かったこと、そしてマスコミにいろいろ話したということで、口汚く罵られ、大変いやな思い
をしました。その後校長との接触はありません。
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日垣委員
信濃毎日新聞以外に取材をしていたところはなかったのですか。
HK氏
何社か取材の申し入れはあったのですか、私たちの方で応じませんでした。
日垣委員
信濃毎日新聞だけ取材に応じたのはどのような理由からですか。
HK氏
どうしてそう思ったのか自分でもよくわからないのですが、記者の方をパッと見たとき、こ
の人には話してみたいという気になったのだと思います。
日垣委員
信濃毎日新聞に出た翌々日ぐらいに学校が追悼式を開いていますよね。常識的には、追悼式
というのは、亡くなった直後に行われるものですよね。それが2月の事件から、3カ月も経っ
て、新聞報道が出た直後の5月になって追悼式というのは非常に不自然な気がします。
HK氏
死んでから後もバカにされるよね、と話したものです。
日垣委員
私も学校の対応のまずさという点でいろいろ調べました。息子さんの件で学校が最初に職員
会を開いたのが3月4日だと思います。1カ月あまり経っているわけですが、生徒が亡くなる
という重大事にもかかわらず、いかにも対応が遅いですね。この点について何か思い当たるこ
とはありますか。
HK氏
担任の先生は、私たちに学校のことを何も話してくれませんでした。学校で何が行われてい
るのか、私たちには全くわかりませんでした。もちろんその職員会で何が話し合われたのか、
一切わかりません。
日垣委員
どんなことが話し合われたか、質問はされましたか。
HK氏
担任の先生には、お聞きしたように思います。
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日垣委員
1年の1学期の終わり頃、バスケット部を辞めたい、学校を辞めたいということで担任の先
生に相談されたわけですよね。それは先生を信頼されてのことだと思うのですが、その信頼感
が揺らぎだしたのはいつのことでしょうか。
HK氏
先生にお話ししたのは、息子にとって最後の賭のようなものだったと思います。ところがそ
の後何も変わりませんでした。息子は今日こそは何かしてくれるだろう、という思いがあった
のでしょう。その後一日も休まず学校に通っていました。数カ月経っても結局何もやってくれ
ず、息子は、先生も親も頼りにならないと思ったのではないでしょうか。私は学校に行ってく
れているから大丈夫だ、などと思い込んでしまいました。バカな親でした。聞くのが少し怖か
ったのですが、それでもと思い、
「最近、どんな調子?」と聞いてみたことがありました。
「相
変わらずだ。
」と息子が答えるものですから、先生は何もしてくれなかったのだな、と思うよ
うになりました。
日垣委員
もし学校の対応がこうであったならこんなに苦しまなくて済んだのに、と思うことはありま
すか。
HK氏
加害者の方たちの心は病んでいたと思うのです。彼らはそのまま人の親になっていると思う
のですが、こんなことでいいのだろうか、という思いがあります。被害者にも問題がある、と
いうことばかりで、加害者の指導は何もありませんでした。
日垣委員
前島さんも、宮田さんも謝罪のことをおっしゃいましたけれども、学校側の謝罪ということ
についてご意見を伺いたいと思います。
HK氏
謝罪の形というのは何だろうと思うのですが、同じクラスだった人、関わった先生方、その
人たちと静かに息子のことを偲んでみたかったです。たったそれだけのことも実現できなかっ
たということが私としては許せない思いがしています。
日垣委員
担任は、任せなさいと言いながら何もせず、それが理由だと遺書に書いて自殺しても、いじ
めはなかったと言い張る、ということが不信感の最大の原因なのでしょうか。
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HK氏
校長先生も、担任の先生も、自分の任期中には何もなく無事に済ませたいと思うものなので
しょう。この事件はなかったことにして欲しいという気持ちがあったのだと思います。その後、
教育委員会の方も、篠ノ井高校の他の先生も、真相を聞きに来るということはありませんでし
た。
日垣委員
実際にお焼香に来たのはどのような人だったのでしょうか。
HK氏
一応、校長と担任の先生とクラスの人たち全員は来てくれましたが。しかし、私が真相を知
ろうとして生徒さんに近づくと、担任の先生が、この子は何々のクラブで明日試合があるとか
いろいろな理由をお話しになって、結局生徒さんにお話を聞くことができませんでした。それ
を聞いていた生徒たちは「俺はバスケットだってさ。
」
、
「俺は卓球だってさ。
」などと言ってい
るのが聞こえてきました。きっと先生がシナリオを作って、今日はご焼香だけしてさっさと帰
ってくるんだ、ということになっていたのでしょう。
日垣委員
何かあったときに学校が何か隠したいと思うことは、心情的にはわかります。事を荒立てた
くないという気持ちがあるのでしょうが、結果的に見ると、むしろ問題は大きくなって遺族と
の溝は却って深くなってしまっている、そういう気がします。
HKさんの事件が起こった86年当時は、世間の関心もまだ薄かったですね。マスコミとの
接触ができていなかったらどうなっていただろうか、その辺の意見を聴かせて下さい。
HK氏
マスコミの方が真実を明らかにしてくれたからこそ、多少なりとも皆さんにわかっていただ
けたのですから、本当に良かったと思っています。
日垣委員
生徒の配役まで決めるような箝口令が敷かれたというお話でしたが、生徒や先生がそれぞれ
の立場で、遺族やマスコミに責任を持って対応しなさい、という方針が貫かれていたらどうだ
ったでしょうか。もっと端的に言うと、箝口令というのは不信感の原因になったのでしょうか。
HK氏
それはよくわからないのですが、何か事件があったら、こうしなさい、ああしなさいという
マニュアル本でもあるのかと思いました。
16
日垣委員
遺書のような手記がありましたが、それは公表してくれるな、という要請が学校からあった
のですか。
HK氏
一切しゃべるな、
というのが校長先生の言い方なので、
当然それも含まれていたと思います。
日垣委員
息子さんの事件から17年近く経過しました。その間にも、似たような事件が数多く起こっ
ています。その度に、心を痛めていると拝察申し上げますが、長野県で起こった幾つかの事件
についてどのような感想をお持ちでしょうか。
HK氏
このような事件を聞く度に、何も変わっていない、今頃はこんな風にされているのでは、と
遺族の状況も想像できて、自分の息子の死は何の役にも立っていないのか、と暗い気持ちにな
ります。
日垣委員
先ほど、前島さんの付添人である馬島さんが、教育委員会と信濃教育会に問題があると発言
されました。馬島さんは、長野県教組、長野高教組の教育団体で運動されている方ですよね。
しかし、篠ノ井高校の先生方は、ほとんどが組合員です。組合の先生が特に何かしてくれたと
いうことはありますか。
HK氏
誰が組合に入っているとか、いないとか私たちにはわかりませんでした。特に組合がという
ことはなかったです。
日垣委員
私の方の質問は以上です。特に何か言い残したことがあれば、おっしゃって下さい。
HK氏
大人の世界からも、子どもの世界からも、いじめということはなくなって欲しい、ただそれ
だけです。
日垣委員
HKさんの隣に座っている後藤さんには、送り迎えをお願いしたのですけれども、当時、生
徒会長をおやりになっていた方ですから、この場にも出ていただいたのですが、当時生徒会主
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催の全校集会を開いていますよね。全校集会を開くことは、スムーズにいったのですか。
後藤孝志氏
私たちは、事件があった年の3月6日に生徒会主催の全校集会を開きました。事件があった
2月12日直後から、私たちも正確な情報を知って事態を真剣に受け止めたいという思いがあ
りました。生徒会の顧問の先生を通じて状況を知ろうと思ったのですが、顧問の先生にも情報
が入っていないのです。それで、少し待っていなさい、という指導があり、そのまま時が過ぎ
て3月6日まで伸ばされた、という状況でした。
日垣委員
なぜ学校は、生徒集会の開催を止めたのでしょう。
後藤孝志氏
当時彼が「シカト」されている、といううわさは生徒間ではささやかれていたわけです。そ
うだとすればそれは自分たちでもしっかり受け止めなければならない、と私たち生徒会役員は
思い、先生方にもそのようにお話をしました。その時、返ってきた言葉は、今、担任がいろい
ろと対応しているからという答えでした。
日垣委員
生徒会として集会を開催していく課程で、彼に対するいじめの事実を詳細に知っていったと
思います。また担任の対応に関して、相談を受けながらいじめを認識することができず、また
いじめはなかったと公言していたこともわかったと思いますが、そのことついてどう思います
か。
後藤孝志氏
箝口令が敷かれたときの言い方は、混乱を与えてはまずいからというものでしたが、それは
違う、これは、何か隠したいことがあるのだな、ということは17歳、18歳の我々にもよく
わかりました。
日垣委員
以上です。ありがとうございました。
毛利委員長
ありがとうございました。ここで休憩を取りたいと思います。休憩中に委員の方々、質問事
項等整理しておいて下さい。
――――――――――――――――休憩――――――――――――――――――
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毛利委員長
それでは再開したいと思います。本日も、当時の飯田高校の関係者の方々に来ていただいて
おります。まず最初に、折角の機会ですので、感想のようなものをお聞かせいただければと思
います。
K元校長
一番心に染み込んだのは、時の流れが癒しにはならないという言葉でした。箝口令という言
葉が出ましたけれども、職員がそれぞれマスコミに対応すると情報に混乱が生じるのではない
かという判断で、校長、教頭に窓口を一本化するという措置をとったことは事実です。情報の
提供を拒むつもりはありませんでした。それが箝口令が敷かれていると受け取られたわけです
が。窓口一本化というのは、特にマスコミに対しての措置でした。
日垣委員
ということは、マスコミ以外の、遺族に対してなら、職員が自由に情報を提示しても良かっ
たということですか。
K元校長
いや、不正確で、主観的なものではまずいという意識はありました。県からの指導もあり、
窓口一本化は、私としても必要だと思っていました。
毛利委員長
特に今回、こういう機会を設けた理由の一つは、今のやりとりにもあったのですが、学校に
よる情報の窓口一本化についての是非を検証したいからです。長野県教育委員会教学指導課が
各学校に出している「生徒指導上特に配慮を要する事項」という文書があるのですが、そこに
職員会の協議が外部に漏れないようにする、報道などに対する窓口は校長などに一本化する、
事件に対する学校の調査や警察権の導入にあたっては、職員の意識の同一化をはかるとともに
生徒にも主旨を十分説明する、警察の事情聴取に当たっては職員が立ち会う、などの記載があ
り、窓口一本化が明確に指示されています。情報が錯綜して混乱を招く事態も当然想定されま
すから、情報窓口の一本化という対応を一概に否定するわけにはいきません。しかし、それが
往々にして行き過ぎたやり方になり、情報を閉ざしていると認識されるという問題があります。
またその一方で、マスコミが正確な報道をしない、中立的な報道がなされないという思いから
マスコミとは関わりたくないという問題もからむと思います。学校側が情報の一本化を図る背
景にはマスコミの問題もありますので、そのことも考えてみたいと思います。
それでは、具体的な質問に入ります。前島さんにお尋ねいたします。前島さんの事件で、学
校は、遺書の内容を父母や生徒たちには話したわけですか。
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前島章良氏
先日公判が開かれまして、当時の担任が証言に立ちました。1月9日の時点で、報道された
から公表したと述べました。ですから事件後2日間は、遺書のことを伏せたまま作文を書かせ
たわけです。
毛利委員長
どういう知らせ方をしたのですか。
前島章良氏
アンケートの中に入れるという形でした。
保髙委員
保護者会を開いて父母に説明をするということはありましたか。その内容についてどんな感
想を持ちましたか。またそれはマスコミには公開されましたか。
前島章良氏
私たちとすればマスコミにも公開でやってもらいたかったのですが、非公開の形で行われま
した。体育館に全員集めて行われました。そこで思ったことは、事実を伝えて欲しかったとい
うことです。まず遺書の内容を報告すべきではなかったか、それを怠ったために、その後遺族
のほうが責められるという状況ができてしまったのではないかと思います。
日垣委員
飯田高校の関係者の方に、もう少し発言してもらえますか。
Y教諭
遺族の方々のお話を涙が出るような思いで聞いておりました。自分も被害者の担任だったわ
けですが、驚くようなお話しもあり、自分だったらどうしただろうか、と自問自答しておりま
した。一番大事なのは遺族の方々と学校の信頼関係の構築だと思います。本音で語れるような
仕組みがないことがこじれていく原因だと思います。飯田高校でもこの部分に問題があったと
思います。
日垣委員
Y教諭に伺いたいのですが、先生は飯田高校の職員の一人ですから、学校の情報一本化の方
針に従うという立場であることは理解できます。先生は、校長と一緒に小野寺さん宅を訪れて
何も喋らないことが多かったようですが、後で個人的に訪問したり、電話をかけたりしようと
思ったことはなかったのですか。そこで知っていることを遺族に伝えるということがあれば、
遺族の気持ちはだいぶ和らいだのではないですか。遺族にとっては、担任が一番近い存在です
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よね。校長とは、今まで話したこともないのに、事件が起こると目の前に現れるわけで、一番
信頼していたはずの担任は、窓口一本化を理由に突然よそよそしい存在になる。これは遺族に
とっては、大変当惑する事態だと思うのですよ。このことについて先生はどうだったのですか。
Y教諭
私は、何度も小野寺さん宅をお訪ねしました。食事を頂戴したこともありました。学校との
パイプ役をある程度の果たせればいいな、という思いはありました。小野寺さんの意向に、で
きるだけ添うように努力はしていたつもりでした。不十分だったと言われれば弁解はできませ
んが。
小野寺委員
前島さん、HKさんの事件の場合と飯田高校の場合に共通しているのは、担任の先生との信
頼関係の問題です。今Y教諭が発言されたわけですが、それに関して発言させていただきます。
担任の先生というのは、我々に最も近い存在です。私たちの気持ちを最もわかってくれている
人だと全幅の信頼を置いていた人です。その先生が真実を語ってくれない、それは最高裁の判
決が出るまでの10年間にわたって続きました。私は管理職の先生方にはいろいろなことを申
し上げました。時には思い余って行儀の悪い形で迫ったこともありましたけれど、管理職の先
生と、一般の先生とは明確に区別して対応したつもりです。とりわけY教諭には、この先生が
事件解決の糸口を見つけてくれるのではないのか、という期待を抱いておりました。しかし、
ついつい最後まで私たちの気持ちを理解していただくことはできませんでした。先日8月の事
情聴取の際には、
「小野寺さんのやっていることについていけない。
」という発言をされていま
す。被害者の悲しみを理解できないということです。Y教諭が被害者に真実を語ってくれなか
ったというのは、もちろん管理職や同僚の先生との関係でそれができなかったということもあ
るでしょうが、そればかりでなく、Y教諭がご自分でもそうしようと思わなかったということ
にも原因があったのだと思っています。
どうも学校の先生たちは、お線香をあげて弔意を示すことと、謝罪するという二つのことを
混同しているようです。仏前で手を合わせている後ろ姿を見ているとその内心が手に取るよう
にわかるのです。学校側の言い分では、何度も足を運んで詫びたというのですが、やれるだけ
のことをやったというのですが、お線香をあげるというのは、本当の謝罪をしないためのごま
かしに過ぎません。遺族はそれを見抜いています。
日垣委員
Y教諭、今の小野寺さんの発言について、つまり、謝罪と哀悼を混同するという指摘につい
て、当事者としてどう考えますか。おそらくY教諭は主観的には一生懸命やったのだと思いま
す。学校とのパイプ役を果たそうとも考えたし、小野寺さんのお気持ちを尊重しようとも考え
た。しかし、結果は、一番近いはずの担任でありながら、小野寺さんの信頼を得られなかった
わけですね。どうしたらよかったとお考えですか。
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Y教諭
私も最大限努力はしたつもりでしたが、学校の職員である以上、自分だけかけ離れて学校の
方針から逸脱した行動をとることは難しいという感覚はあります。その板挟みを当時、感じた
ことも事実です。
小野寺委員
確かに先生は、私の家に来たとき、自分は教師を辞めるわけにはいかないし、他の先生との
兼ね合いもあるし、つらいと言っていました。それでも我々の苦しみを見て、いつかは、心を
開いてくれるのではないか、と思っていました。しかし、最後まで正義感とか、個人の意志に
基づく行動を見ることはできませんでした。そして転勤と同時に、記憶から霞んでゆく存在に
なってしまいました。でも先生というのは、そうであってはならないと思います。自分の意志
で、正義感で行動できる先生であったなら、解決の糸口もあったのでしょうし、事件もこんな
に長引くことはなかったのではないか、と考えております。
事件の真実をきちんと明らかにして謝罪をすることと、花を捧げてお祈りをすることは、全
く別のことなのです。責任の所在を明らかにして私の所にきちんと謝りに来い、ということで
すよ。一生懸命やったという感覚は、ちょっと違うのですよ。学校は、碑を建ててくれました
よね、ありがたいという気持ちはありますが、その一方で、碑まで建ててやっているじゃない
か、という意識を感じたこともあります。私は、子どもを返してくれれば、碑なんかいらない
ですよ。
日垣委員
「学校事故報告書」も被害者に明らかにしないで、遺族が見たいと思ったら開示請求しなけ
ればならないわけで、本当だったら、遺族に見せてから教育委員会に提出してしかるべきもの
だと思います。このことは後で議論したいと思います。
どうして自分は一生懸命やったということを先に言われるのですか。それは聞いている者に
とってマイナスに響くのですよ。教頭先生の感想を聞かせてくれますか。
N元教頭
飯田高校の事件と重ねながら、遺族の方々のお話をお聞きしていました。遺族の気持ちを理
解するというのが、いかに難しいか、頭で理解することと心情で理解することは違うというこ
とが身に染みました。
I教諭
遺族の方々の苦しみや悲しみは、想像を越えたものである、ということが身に染みました。
なかなか語る言葉を持たず、つい弁明の言葉が出るということがありました。
22
毛利委員長
これまでの委員会を通じて、学校が把握している情報は、遺族には、未確認の情報も含めて、
もちろん未確認である場合には、未確認であることを確認しながら、全部言うべきだ、という
ことは、ほぼ共通の認識ができていると思います。このことについては、今日おいでの遺族の
方々にとっても共通の思いであると感じています。
宮田幸久氏
今、鋭いやりとりをお聞きしましたが、我々が最も望んでいるのは、真実を明らかにして欲
しいということなのです。そうしてくれることで信頼関係が確保されるのです。今、委員長さ
んが指摘されたように、それは、全部すっかり明らかになってからというものではないのです。
事件が起こった段階から、お通夜だ、葬式だ、と次々にやらなければならないことが目の前に
迫ってきます。そういう段階で学校から先生方がお見えになったとしても、話す余裕もありま
せん。そうしたあわただしい状況の中ですから、その後、時間をかけてじっくりと話してくれ
る機会が欲しいのです。背景も含めて真実を明らかにしていくという努力を積み重ね、わかっ
たものはすべて明らかにしてゆく、そういう姿勢が重要だと考えています。
馬島直樹氏
集まった情報を明らかにすることは、
当たり前のことなのですが、
情報の集め方も問題です。
子どもたちにアンケートをするとき、聴きとろうとする並々なならぬ熱意が伝わるかどうかが
重要だと思います。アンケートに、
「不確かなことは書いてはなりません。
」と但し書きを付け
てしまうことがありますが、これではダメです。とにかく情報を得たいわけですから、調査の
糸口をつかみたいのですから。
また、調査に対して、先生に熱意があるかないかは、生徒にはわかるのです。我々「共に考
える会」では、無記名のアンケートをしろと再三にわたって要求しました。卒業する前にやっ
と実施されましたが、アンケートの但し書きに「これまでの調査ではよくわかりませんでした。
そこでお聞きしますが、
」などと書いてあります。これでは子どもたちは、みんな口を閉ざし
ているんだな、自分だけ言うわけにはいかないな、と思うではないですか。
「もう一息です。
真実を語って下さい。
」と心底訴えかけるアンケートがなぜできなかったのでしょう。子ども
にも、職員にも十分に説明もせず、論議もせず、箝口令を敷いておいて校長、教頭だけが喋る。
十分に職員会議で討議して、それでマスコミに対応しようとすれば、先生方はそれぞれの立場
で、それぞれが答えられるではないですか。事態をきちんと受け止めず、学校再建の意志がな
いからこうなるのだと思います。
日垣委員
それでは、馬島さんがおられた中学で同じ事件があったとしたらどうだったですか。馬島さ
んがおられたらそうならなかったという自信があるのですか。馬島さんは旧態依然の教育委員
会と信濃教育会が事件の原因だ、とおっしゃるけれど、私が見た限りでは、教職員組合だって
23
きちんとやってないですよ。
馬島直樹氏
その通りなんですね。前島事件があった須坂上高井地区の教職員組合の執行部は、真実を語
るのを押さえるような姿勢をとったのですね。そのことが組合を育てることにはなりませんで
した。
日垣委員
馬島さんはかつて中学校の教員をなさっていたわけですが、学校組織の一員でありながら、
ご自分の意志と良心に基づいて行動できるというためには何が必要だと思いますか。
馬島直樹氏
職員全員での徹底した討議ですね。徹底した討議の末に職員の意思統一をしておけば、窓口
一本化というような箝口令は、意味がなくなりますから。
古原委員
この検証委員会の提言は、これからの長野県の生徒指導の在り方に重要な影響を及ぼすもの
ですから、ここは確認をしておきたいのですが、窓口を一本化することと箝口令をしく事とは
まったく違うことだと思います。
保髙委員
事件が起きたときに全体像を把握しているのは校長であって、職員は部分はわかっても全体
はわからない。そこで校長に聞いてくれということになって、自然と窓口一が本化してしまう。
現実にはこんな感じではないですか。
日垣委員
私が問題だと思うのは、親にとって一番近いのは担任ですよね。ところが事件が起こったと
たん、普段は挨拶もしたことがない校長が突然出てくる。窓口一本化ということを言って、最
も近い存在である担任の前に立ちはだかる、こういうことはまずいのではないか、何とかなら
ないのか、ということです。担任が保護者と密に連携を取るということは不可能なのですか。
古原委員
それはできることだと思います。ここ1年、県下でさまざまな事件があり、私はそれに関わ
ってきたわけですが、教育委員会の生徒指導の立場では、管理職と対応することが多いのです
が、情報を提供するということに関して、3つのことをお願いしています。
1つ目は真実を語ること。2つ目は、知らないこと、分からないこと、曖昧なことは語らな
いこと。3つ目は、生徒のプライバシーに関わることは、事情を説明して語らないこと。
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日垣委員
曖昧なことは語らないこと、というのは、結果的には何も語らないことと同じになるのでは
ないでしょうか。結局それが被害者と学校との信頼関係の喪失の原因となってしまう。不確か
なことは、不確かなことと確認したうえで、被害者あるいは遺族にだけはきちんと明らかにす
る、というのがよいのではないかと思います。北朝鮮の拉致問題も、
「5人を除いて死亡」と
の報告や曖昧な死亡診断書を含めて「事実関係は未確認」と伝えたうえで、全てを政府が被害
家族側に伝えたからこそ信頼関係が前進したわけでしょう。
古原委員
その部分は、この検証委員会の議論で深めてゆく必要がありますね。
三浦委員
担任の先生が、学校の方針に逆らって真実を明らかにしてゆく、というのは実際には難しい
と思うのです。
3つのケースについてお聞きして信じがたいのは、HKさんの場合でありまして、遺族に対
して夜の1時に学校に出てこい、などと言うのは考えられない状況ですね。これは信頼関係以
前の暴挙だと思います。前島さんから、被害者家族にとっての特効薬は謝罪である、というお
話がありました。加害者4人に対しても謝罪するチャンスを学校が奪ってしまったのだ、とい
うお話もありました。これらを聞いて思うのは、学校の方針に逆らって担任が語るということ
では、問題は解決しないということです。学校自体が積極的に遺族に対して真実をあきらかに
してゆくように変わっていかないとダメだということです。学校がどうしても真実を明らかに
しない方向で対応してしまうのは、事件を学校にとって不名誉なことと考えてしまうことと、
加害者のプライバシー等を守ろうとするためでしょう。しかし、そのことがかえって信頼関係
を崩してしまうことになり、また加害者にとってもいい影響を及ぼさないということになれば、
学校自体が被害者に対して真実を明らかにするように動くということが取るべき道であろう
かと思います。これを、この検証委員会の提言に盛り込むことができれば、画期的なものにな
ると考えます。
私はずっと遺族と学校との和解ができないものか、と考えてきました。以上のことが、その
きっかけになればと思います。
前島章良氏
情報は提供されるのですが、曲げられた情報が提供され続けるのです。私の場合でしたら、
私の子が、4人の子にいじめられて自殺に追い込まれた、という事実を否定するような情報ば
かりが提供され続けるのです。つまり、調査をしたがわかりません、という情報ばかりを提供
され続けるのです。それが我々の傷をさらに大きくしていった。管理責任を問われるとまずい、
などとは思わないで、子どもを亡くした親の気持ちになってもらって対応すればもっと違った
ものになっていたと思います。
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事件当日、病院で警察の事情聴取を受けた時、警察の方は遺書の内容を見て、
「4人を特定す
るのは難しい。
」と言いました。それを同席していた校長が聞いていたのです。それで学校に
帰ってすぐ先生方と相談を始めています。
日垣委員
校長や教頭にその立場を捨てて対応しろというのは無理だと思います。大事だと思うのは、
学校という組織の立場で真実を明らかにしてゆく仕組みを構築してゆくことだと思います。
「学校事故報告書」を常盤中学校の校長は、市教委、県教委に提出しているわけですが、前島
さんは、これを学校を通じて見たわけではなく、資料開示請求をしてやっと見たわけですよね。
それから検討会議が設置されたことも信濃毎日新聞の記事から知ったわけですよね。その辺に
ついてどうだったのですか。
前島章良氏
遺族を疎外したまま情報が流れているな、という感覚は事件当初から感じておりました。
「学
校事故報告書」というものがあることすら、私には知らされておりませんでした。そういうも
のがあると教えてくれたのは、支援してくれていた元教員の方々でした。最初それを校長に請
求したのですが、いったん市教委に提出したものは、公文書であるから開示請求して欲しい、
ということで、それを情報開示請求をして読んだわけですが、情報を誠心誠意提供するという
態度をとっていながら、裏でやっていることは、全く違うのだという感想を持ちました。検討
委員会も私には全く知らされず開催されました。そういうときの親の感情というのは、これで
我が子のことは伏せられてしまうな、という感覚でした。
田中委員
篠ノ井高校の当時の生徒会長さんがみえていますが、篠ノ井高校の自殺事件について、生徒
会は、自発的に問題にしようと立ち上がったわけですね。それを当時の校長が止めたそうです
が、高校教育の主眼の一つに、自治能力を育てるという目標があると思うのですが、これは学
校にとって重要な機会だったと思うのですよ。生徒をサポートしてゆくというのが本来の姿だ
と思うのです。自治能力を育てようとする観点がないから、そもそもクラスにあったいじめの
問題にも気付かず、それに対処することもできなかったのだと思います。その辺について当時
の生徒会長さんはどう考えていますか。
後藤孝志氏
生徒の中から自発的にそのような声があがってきたというのは、自分で言うのも何ですが、
当時の篠ノ井高校では、生徒に自発的、自治的な能力が備わっていたと思うのです。不登校問
題、高校中退問題が取り沙汰され始めた頃でした。私たちの要求で最終的には3月に追悼集会
が開かれることになりましたが、ある意味、それは学校のダブルスタンダードであったような
気がします。遺族の方々には真相を何も明らかにせず、また校長や担任が遺族に与えた心的な
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被害ということについては、何の謝罪もしていないわけです。その一方で、生徒の追悼集会を
行わせたということとなる。見方とすれば、悪質だと言えるかもしれません。
ついでに私の意見を述べさせていただきますが、学校は真実を語るべきだ、というのは当た
り前のことだと思うのですが、その「真実」というのが本当に真実なのかどうかそれが問題な
んですよね。ですから、たとえば「学校事故報告書」を出す場合、あらかじめ遺族の方と内容
を検討する、遺族の方から疑義が出された場合、それにきちんと学校側が対応する。そういう
システムを作ることが大切だと思っています。それから学校や教育委員会がまだまだ開かれて
いないとすれば、第三者的な機関が必要になってくると考えます。人権問題に詳しい弁護士の
方など2人ぐらいでもいいと思うのですが、事件・事故が起こったときに、学校の説明が真実
であるか否かを監査してくれるようになれば、いろいろな問題が解決できるのではないでしょ
うか。
HK氏
このような事件が起こったとき、どういうふうに県教委に報告があがってゆくのか、私には
わからないのですが、校長先生は3月に退職されて県短期大学の先生になっているのです。次
の校長先生が訪ねてこられて、
「何があったんですか。
」とお聞きになりました。何も引き継が
れていないわけです。事情を説明したところ、大変驚いておられました。この点はどうなって
いるのでしょうか。引継ぎが行われないのは、普通のことなのでしょうか。事件があって説明
もできず、責任も取れず、引継ぎもできない、というような人は校長になって欲しくないと思
いました。
毛利委員長
曖昧な情報でも伝えるべきか否か、その点が論点になっているわけですが、未確認な情報を
提示した場合のマイナス面を検討すると、宮田さんの場合、最初事件は1対1の喧嘩だと報道
されたわけですよね、そして報道は、その1回限りでした。
「被害者の宮田というのも、そう
とうなワルだ。
」という情報が瞬く間に広がっていったというのも事実なのです。初期の報道
が事実に基づく報道ではなかったわけです。この事例の体験者として、曖昧なままの情報公開
については宮田さんは、どうお考えですか。
宮田幸久氏
「そうとうなワルだ。
」という誤ったうわさは、加害生徒のいた大町北高から流されたもので
した。私どもは、真相を確かめようと、大町北高を訪問しました。その時、大町北高の担当者
が大変反発しましたが、どうも学校には真実を明らかにしよう、という姿勢があまり見られな
い。情報公開に関して日本は先進国から20年遅れていると言われているのですが、日本では
社会的にも、法体系的にも「被害者」が認知されていない。その縮図が学校にもあるのでしょ
う。私どもの事件のように加害者が幾つかの学校にまたがっていて、学校では加害者の言い分
だけを聞いて、加害者の指導教育だけが行われる、それで終わってしまうわけです。そして加
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害生徒から聞いた一方的な情報だけがドッと広がっていった。そういう情報を流すのだったら、
学校側は被害者側にもきちんと調査を入れるべきだったですね。
日垣委員
加害者と被害者が同じ学校の場合、違う学校の場合、事件が校外、校内などケースはさまざ
までしょうが、宮田さんの場合、加害者は他校の生徒なのですから、情報を聞こうとする場合
その学校に出向かなければならないわけですよね。そして加害者の学校には何のコネクション
もないわけです。どのようなシステムになっていればいいと、宮田さんはお考えですか。
宮田幸久氏
学校から県教委に上げる報告書が、詳細にわたって真実に立脚したものである必要がありま
すね。私も「学校事故報告書」を開示請求して見てみましたが、自分の学校の生徒だけ事情聴
取して作ったもので、何の教育的配慮もない。こんなものなら作らなくてもいいようなもので
した。このような事件を2度と起こさないためには何が必要か、という観点は、
「学校事故報
告書」には何もないですね。被害者の遺族は、なぜこんな事になってしまったのか、育て方が
間違ってしまったのか、などと自問自答するのです。決して自分のことを棚にあげて非難を繰
り返しているのではありません。
特にマスコミに対する情報の提示は、よほど注意してもらわないと被害者をさらに傷つける
ことになりかねません。私たちの事件では、先ほど話したような当初の誤った報道があったわ
けですが、その後、裁判があって、私たちもさまざまな運動をしてきたわけですが、最初の報
道の内容が未だに拭えないという状況です。加害者に対して家庭裁判所では、
「こんな事件の
ことでいつまでもくよくよしないで、前向きに生きて行きなさい。
」と言っているんです。
「こ
んな事件」と言っているのです。人の命は軽いものだなぁ、とどこに行っても感じますね。
毛利委員長
宮田元子さんは、何かありますか。
宮田元子氏
曖昧な情報について問題になっていますが、よくわかっていない段階で、リンチ事件であっ
たにもかかわらず、喧嘩だと報道されて大変苦しみました。報道関係者は、警察発表を鵜呑み
にせず、独自取材などで真実をはっきりさせるような調査をすべきだと思います。私の息子が
在籍していない学校のことなのですが、加害者だけの言い分を聞いてそれを報道に流すという
のもまずいですよね。少なくとも曖昧な情報は、マスコミには流すべきではない、ということ
は言えると思います。
馬島直樹氏
私は、東京在住の孫がいじめから不登校になるという体験を持っています。3回上京して、
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校長、教頭、担任から事情を聞いたことがあります。私がお願いしたのは、いじめについての
授業をやって下さい、ということでした。尾木直樹の『いじめ防止実践プログラム』を示して、
これで授業をやって下さいとお願いしました。信濃教育会には、いじめについて授業をやった
という実践報告はないのですよ。アンケート調査や事実調査に基づいて授業をやる、そういう
ことが必要だと思います。傍観していることがいかにひどい行為かということをわからせる授
業をやるべきです。学校の教師には、子どもたちに豊かな学校生活を過ごさせる義務があるの
ですから。そういう授業の提案を検証委員会の提言に是非盛り込んで欲しいですね。
それから、先ほど話しに出た、生徒の自治の問題ですが、常盤中学校の生徒会は実に良かっ
た。前島君の幼なじみが人権委員長になり、小学校時代に前島君がいじめから守ってやった子
が放送委員長になり、彼らが中心になって追悼集会をやりたいと申し出てきました。また学園
祭でいじめ問題を取り上げる、また校内放送番組でいじめについて取り扱うなど、さまざまな
ことが行われました。生徒会は大変いい活動をします。上田第6中学校の実践もあります。こ
ういう、生徒の自主的、創造的取組みを生かすような提案も提言に盛り込んで欲しいですね。
宮田幸久氏
すみません。質問に答えていませんでした。やはり第三者による組織が必要だと思います。
このような委員会が常設されていればいいと考えます。そうすれば事件が起こるたびに検証を
していけると思いますし、事件の被害者側との対応もスムーズにいくと考えます。
日垣委員
そういう仕組みは是非作りたいと考えています。それと宮田さんが、加害者の学校を訪れた
とき、前向きにいろいろ対応してくれればそんなには腹も立たないわけでしょう。
「学校事故
報告書」にしても、公文書だからなどと杓子定規なことを言わないで見せればいいですよね。
そのほうが学校にとってもいいはずなのですが。
それから、マスコミのことが話題に出ました。今日もここに報道の方が来ていますが、そち
らからも発言してもらえばありがたいですね。例えば、学校が窓口一本化などと言って情報を
閉ざせば閉ざすほど取材をしたくなります。それは学校にとってもよくないですよね。
毎日新聞西田記者
毎日新聞の西田と申します。神戸、岡山と事件の取材をした際に感じたことなのですが、学
校側が情報源を一本化して正しい情報を伝えようとする意図はわかります。しかし、一本化す
ることがかえってマイナスになる面も感じています。さまざまな情報源を複数取材することで
その重なる部分から真実が明らかになるということがあると思うのです。一本化という形で情
報源が限られると情報をチェックする手段がなくなってしまうのです。記者という立場からで
なく、真実を追求するという意味からもそう思います。それが被害者のご遺族が求めているこ
とでもありますから。
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毛利委員長
新聞記事にもいろいろあって、HKさんのことをきちんと取材して書いた記事もあれば、宮
田さんの事件のように警察発表を鵜呑みにするという記事もある。マスコミよってこういうば
らつきがあるということに関してはどう思いますか。
毎日新聞西田記者
事件が起こったときその原因は何かということを必死に探ろうとします。警察としては軽い
気持ちで言ったことに、こちらが飛びついてしまうということがあると思います。真実とは異
なる報道をしてしまうということについては真摯な反省が必要です。
信越放送高島記者
信越放送が、飯田高校の事件を取材したのは、事件から4年から5年経った後でした。ご遺
族にとっては当然不幸な事件ではありましたが、学校にとっても大変不幸な事件で、学校はな
にをやっていいのかわからなかったのだと思います。学校に非があるとは感じているのだけれ
ど、それをどういう形で表したらいいのかわからない、というのが実情だったのではないでし
ょうか。何とかしたいと学校は思いながら何もできず、その中で民事裁判だけが続いてゆく状
況でした。
遺族の方も、地域の中で疎外され苦しい思いをされているのだが、それが伝えられていない。
まずそれを伝えなければならないと思いました。田中知事の登場ということがあると思います
が、こういう場が設けられたというのは、大きな成果だと思います。
それからもう一つ、この検証委員会に当時の先生方も出席されていますが、未だに小野寺さ
んのわだかまりは消えていない感じがします。それが何に起因しているのか。学校の体質なの
か、よくわかりませんが、そのわだかまりが消えてゆくことがこの検証委員会でできたとすれ
ば、それは大きな成果だと思います。
毛利委員長
それでは、以上をもちまして、3組の方々に対する質問は終わりにしたいと思います。長時
間本当にありがとうございました。思い出したくないようなことをお聞きすることになり、大
変申し訳なく思っております。皆さんからお聞きしたことは無にすることなく、検証委員会の
提言の中に生かしてゆきたいと思っております。
――――――――――――――被害者遺族関係者退出―――――――――――――――
毛利委員長
応援団に関する調査について、原案をお配りして字句等の修正をいだだきました。これで実
施したいと思いますが、宜しいですか。
・・・・・・・それではそのようにお願いします。
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議事録は、第7回まではホ−ムページに掲載済です。8回目の議事録について、修正のある
方は、早め目にお願いします。
次回の第10回検証委員会は、合宿になります。当初と予定が変わって、2月22日午後1
時から23日の午後2時まで昼食をとらずに行いたいと思います。2月22日の午後1時から
5時までの間に、今日も来ていただいている飯田高校の関係者の方に出席していただき、また
合わせて生徒指導上の個別指導がどのように行われているか、義務教育の関係者にも出席いた
だくようにお願いし、問題を起こした生徒に対して現実にどのような指導を行うべきか考えて
ゆきたいと思っています。中学校で事件が起こる可能性もあるわけです。その場合、学校長、
市町村教育委員会、県教育委員会との権限の関係をはっきりさせておく必要もあります。それ
を22日に検討したいと思います。
会議を公開するのはここまでにして、その後の7時から、翌日の午後2時までは提言の方向
を検討してゆきたいと思っています。ここからは委員間のフランクな懇談ということで非公開
にしたいと思います。
22日7時から翌日2時までの議論の内容ですが、これまでの議論を二人の副委員長の方と
も相談して一応私の方でまとめます。それを予め各委員の方にお配りしますので、各自それを
検討して会議に持ち寄って下さい。できれば23日の午後2時の時点で、ほぼ骨子の部分が策
定できるようにしたいと思います。もしそれができたらパブリックコメントを聴取するという
意味で、その内容をホームページに掲載したいと考えています。
また、学校の先生方に直接私たちの真意を伝える場を設けたいと思っています。現実に生徒
に対応している先生方に受け入れてもらえる提言でなければ意味がないですから。その上で最
後のまとめを行いたいと考えています。うまくいけば、5月か6月に最終的な報告ができれば
いいと思います。その方向での努力をお願いします。
学校の先生方のご意見をお聞きするという機会と委員会を合わせて3月25日(火)に行い
たいと考えています。まだ流動的ですが、一応この日は予定をしておいて下さい。またパブリ
ックコメントと先生方との懇談会を踏まえた委員会を、3月29日(土)に開きたいと思いま
す。29日は、午後1時30分から松本で行います。以上の件についていかがですか。
・・・・・・
それではそのように宜しくお願いいたします。
本日は、大変ご苦労さまでした。
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