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合成染料

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合成染料
物を通して見る世界史
一気に「モーヴ狂い」となる。ヴィクトリア女王
も万国博覧会など公式の場でモーヴ色のドレスを
合成染料
着用し、露帝ニコライ2世に嫁した女王の孫アレ
クサンドラは、宮殿に「モーヴの部屋」までつく
神奈川県立横須賀大津高等学校
佐藤雅信
らせた。
赤そして藍 パーキンはその後、茜・赤の合成
青への憧れ 歴史的にみると青(藍色)への思
染料「アリザリン」をつくるが、ドイツのグレー
いは興味深いテーマだ。ラピスラズリ(ツタン
ベとリーバーマンに1日遅れて特許を取られた。
カーメンのマスク)と「世界商品」を生み出した
2人の会社がBASF(バーデン・アニリン・ソー
元明の染付(青花)に用いられたペルシア産コバ
ダ・ファブリク)である。合成インディゴの発明
ルト(景徳鎮、有田・伊万里、さらにマイセン)
。
者もドイツ人。アドルフ=フォン=バイヤー(1835
そして中世後半にインド産のインディゴ染料が登
〜1917)は、尿酸研究からインディゴの完全合成
場し、アメリカの綿花と黒人奴隷、蛇除けデニ
に成功しノーベル化学賞を受けた。グレーベらは
ム・ジーンズもこの流れのなかにある。
彼の弟子であった。この時代、ドイツの化学およ
軍服と染料 火器が主力となって封建騎士の甲
び化学工業が世界をリードした背景には大学での
冑は無用になる。17世紀から(グスタフ=アドル
化学実験教育があり、パーキンもイギリスに招い
フ軍が始まりという説あり)次第に各国で軍装の
たドイツ人教官ホフマンの弟子であった。
統一が進み、19世紀には軍服は「国民国家」の必
合成染料と医薬品と合成肥料 バイヤーはドイ
需品となる。Navy BlueやPrussian Blueは合成イ
ツの化学工業の発展に寄与した偉人である。彼の
ンディゴ染料で染められ、そして学生服は軍服を
インディゴ合成技術は染料・医薬・肥料という分
モデルにして(
「戦闘服」でなく「礼装服」
)生ま
野へ広がった。初期の合成染料(タール色素)の
れる。濃紺の詰襟はプロイセン軍服、セーラー服
殺菌作用が製薬業へ、インディゴ溶剤である尿
はイギリス海軍水兵服というのは有名だ。
酸・ ア ン モ ニ ア 合 成 は 人 工 肥 料 へ と 広 が り、
産業革命というニーズ イギリスの産業革命は
BASF、ヘキスト(染料・製薬)、バイエル(製薬
綿工業から始まり、糸、布、織の機械化のウラに
「アスピリン」)、アグファ(メンデルスゾーンの息
はインドの綿製品への対抗がある。大量生産と均
子が創立、染料・写真・映画)のような化学会社
一品質で勝った世界商品がイギリスを「世界の工
が誕生した。またアンモニア合成に必要な高圧力
場」にする。綿工業は製品の漂白に漂白粉、捺染
を、クルップ社の大砲技術が供給し軍事産業とも
に媒染剤を使用し、酸・アルカリ工業を端緒とす
結びつく。合成染料は化学工業の中核産業だった。
る化学工業の発展も促した。安価で軽くて薄いモ
染料会社と戦争 第二次世界大戦前のドイツ化
スリンスカートが流行するが、在来の天然染料
学産業を独占したトラスト「IGファルベン(染料
ウォード(大青)では追いつかない。
工業利益共同体)
」は、BASF、バイエル、ヘキス
パーキンの偶然 化学染料の発明は、紫(1856)
、
ト、アグファなど8社が1925年に合同し、のちナ
赤(1869)
、藍色(1880)の順になる。15歳でロ
チスの戦争協力企業となった。有毒ガス「ツィク
ンドン王立化学カレッジに入ったウィリアム=ヘ
ロンB」は子会社デゲッシュ社製で、アウシュ
ンリー=パーキン(1838〜1907)は、コールター
ヴィッツ近郊の工場でユダヤ人を酷使するなどし
ルからマラリア薬キニーネをつくるはずが、たま
た。戦後、IGファルベンは戦争犯罪で有罪となり
たまベンゼンを抽出し、すみれ色のアニリンパー
解散、バイエル、ヘキスト、BASF、アグファな
プル「モーヴ」をつくる。時代のファッション
どに戻った。イギリスで1926年に設立されたイン
リーダー、ナポレオン3世の皇后ウージェニーが
ペリアル・ケミカル・インダストリーズ(ICI)も
クリノリン・ドレスをこの色に染め、女性たちは
また染料会社を中核とした戦争協力企業であった。
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