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当日のレジュメはこちら - 東北大学法学研究科・法学部

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当日のレジュメはこちら - 東北大学法学研究科・法学部
2005 年日本政治学会研究会
分科会F「世界政治における EU」
拡大 EU の連続性/非連続性
―クーデンホーフ=カレルギーの構想と活動を中心に―
戸澤 英典(東北大学法学部)
http://www.law.tohoku.ac.jp/~tozawa/
1. はじめに
「EU-NATO-CE 体制」
その「前」と「裏」
→ 両大戦間期
→「忘却」されたクーデンホーフ=カレルギー
2. 戦間期再訪
2.1.「相互依存」の進展とヨーロッパ域内行政協力
19 世紀末から 20 世紀にかけての「相互依存」の進展
→ エンジェル、ソルター、ミトラニー
2.2. 第一次世界大戦の衝撃
「ヨーロッパの自殺」← テクノロジーの進展
ウィルソン米大統領の 14 カ条
*ヨーロッパの「三重の危機」
世界の中心であった時代の終焉/ヨーロッパ域内の国家間体系の動揺/各国の国内体制の危機
→これを克服する処方箋として広域秩序再編構想
2.3. 大陸ヨーロッパ経済の再編――ナウマンの『中欧論』
、ルシュール、マイリシュ
ナウマンの『中欧論』
(1915)
- 独墺という核に中間にある小国を引きつけて広域経済圏に再編しようという構想
-「中欧」に、ドイツ主導の経済圏を核とする共同体という新しい意味づけ
2.4. クーデンホーフ=カレルギーの『パン・ヨーロッパ』とブリアン提案
『パン・ヨーロッパ』(1923)
- 世界を五大ブロックに分け、各ブロックで「統合」
-「不倶戴天の敵」である仏独和解の必要性
- ドナウ川を中心とした諸国家・地域の「再統合」
*現実の政治運動化→ ブリアン提案(“une sorte de lien federal”)
2.5. ナチズムのヨーロッパ、ファシズムのヨーロッパ
ヒットラー自身は「ヨーロッパ統一」については常に否定的(“everybody’s bastard”—Zweites Buch)
ナチスの政治・経済体制の具体的構想には痕跡
-「広域経済圏(Grossraumwirtschaft)」(ダイツ)
-「ヨーロッパ国家連合」
(リッベントロップ外相)
-「ヨーロッパ経済共同体(Europäische Wirtschaftsgemeinshaft)」(フンク蔵相)
→ 「プロパガンダ」として用いられ一定の影響力
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3. クーデンホーフ=カレルギーの構想と活動(1930 年代以降)
3.1.「苦闘の三〇年代」
- 全ヨーロッパ大の統合運動の棚上げ-独墺関税同盟構想
- 第3回パン・ヨーロッパ会議(1932 年 10 月)以降、 「ドナウ連邦」への傾斜
→ オーストリアの「生存可能性」=アンシュルスに代替する外交オプション
- ドルフス首相/ムッソリーニへの接近
3.2. 亡命時代
1938-40 スイスとパリでの活動
オットー・フォン・ハプスブルク(オットー大公)の知遇を得る
1940-45 米国亡命
- カーネギー平和財団の援助;ニューヨーク大学での寄付講座
- アチソンやダレスといった米国の要人へのアプローチ
→第2次大戦後の米国外交への影響?
- チャーチル英首相への熱心なアプローチ
- オットー大公との協同(オーストリア亡命政府の樹立構想)
3.3. 第二次大戦直後
新たな統合推進勢力の叢生
- レジスタンス運動の叢生
- チャーチルのチューリッヒ演説(1946 年)
1947 年にヨーロッパ議員同盟(EPU)の結成
1948 年 5 月のハーグ会議→欧州評議会(CE)の創設
3.4. 1950 年代以降
フランス主導の「欧州建設」が進む
ク伯は自らの運動の差異化に腐心
- 反共姿勢を強める
- ヨーロッパの歌や旗といったシンボル作り
- シャルルマーニュ賞の受賞(1952 年)
→懐古的な保守と見なされる
1960 年代~
ドゴール仏大統領への接近=見るべき成果なし
3.5. ク伯とパン・ヨーロッパ運動の評価と論点
[研究史]
同時代的なもの/西側史料の公開による新たな研究/東側諸国の文書(1990 年代以降)
ク伯の個人文書
[論点]
(1)パン・ヨーロッパ運動の社会秩序観--「新貴族主義」
(2)「パン・ヨーロッパ」の境界
(3)各国の政治家との関係-「権力者への盲従」?
(4)ク伯のパン・ヨーロッパ運動への関与のあり方
4. 結びに――「新しい戦間期」?
「EU-NATO-CE 体制」の終焉?→「戦間期」とパラレルな状況
「戦間期」の有意性
「公定史観」の書き換え/社会・経済アクターの評価が持つ難しさ
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