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文化と企業文化
249
文化と企業文化
冨 田 光 彦
1.神話の崩壊と文化相対主義
第二次世界大戦後多くの植民地が独立し,経済発展に関する理論が数多く出
されるようになった。これらの理論のほとんどは,西欧諸国の経済発展の経験
1)
をもとに構築されたものといえる。そして,現実に経済発展が行われるには,
①プUテスタンティズムの倫理が広く行きわたっていること,②民主主義が浸
透していること,③白人の居住があること,の三要件が備わっていることが暗
2)
黙の前提とされていた。しかし,これらを満たさない日本がめざましい経済の
復興と驚異的ともいえる発展を成し遂げたのである。欧米諸国は当初これを「奇
跡」と呼んだ。欧米諸国は日本の経済発展の原因を主として以下四つの要因に
求めようとした。すなわち,①GHQによる社会・経済改革と東西冷戦による
GHQの対日経済政策の変更,さらに,朝鮮動乱による特需という「幸運」があ
ったこと。②このような「幸運」によって力をつけてきた円が固定相場制のも
とで徐々に過小評価され日本企業に輸出競争力がついたこと,③「スポンサー
3>
ド・キャピタリズム」ないしは「日本株式会社」と彼らが呼ぶところの政府の
強力な産業保護・育成政策と為替管理および政府と業界との相互依存関係,す
1)例えば,Hirshman, Albert O.,(1958), The Strategy of Economic Develo勿ment, New
Haven: Yale University Press. Rostow, W. W., (1962), The Stages of Economic
Growth, Cambridge University Press.
2) Yoshihara, Kunio, (1979),JaPanese Economic DeveloPment, Oxford University Press,
p. viii.
3)Lockwood, William W.,(1963),勿α腐地ωCapitalism,(三好正也訳(1964),『日本
の新しい資本主義』ダイヤモンド社,第4章)。
250 傳田功教授退官記念論文集(第285・286号)
なわち,日本が「異なる組み合わせのルールに基づいて経済のゲームを行って
4)
いる」こと,そして,④先進技術の模倣によって工業化を図ったこと,の四つ
である。
これらの要因が,戦後の日本経済の復興・発展に大きく寄与したことは疑問
の余地がない。しかし,日本政府も欧米からの貿易の自由化や資本の自由化要
請を受け入れ,1960年代初頭から自由化政策を進めるとともに関税率も順次低
減させる政策をとってきた。日本企業はこれら一連の自由化政策に必死に対応
し,経営基盤の強化につとめた。1970年代には,ニクソン・ショック,変動相
場制への移行とその後のドル評価の弱含みの推移,そして,二度にわたる石油
危機が世界の経済秩序を脅かした。欧米企業は主として人員削減によりこの難
5)
局に対応しようとした。これに対し,日本企業は,できる限り雇用を確保しつ
つ省力化を図り品質の向上と価格の抑制を軸としてこの難局を克服し,欧米企
業に比べ安定した発展を維持することに成功した。そして,精巧なプロダクト
・デザインを持つ高品質な製品を国際市場に供給し,国際的にもその評価を高
めていった。そのため,日本の成功はもはや上記四つの要因では説明できなく
なった。このことはとりもなおさず,キリスト教中心的(Christian−Centric)で
白人中心的(Caucasian−Centric)な「文明」を基礎として構築された経済発展理
6)
論の普遍的妥当性を否定することを意味する。同時に,第二次大戦以後一貫し
て世界市場に強力な力を持ってきた米国企業の経営の普遍的優位性にも疑問を
呈したことを意味する。神話は崩壊したのである。
神話の崩壊が欧米諸国に与えた衝撃は小さいものではなかったと想像される。
このことからくる欧米諸国の挫折感は,ジャパン・バッシングという形となつ
4)例えば“Japan, Inc.:Winning the Most Importa耳t Battle”,(May 10,1971), Time
Maga2ine. U. S, Department of Commerce, Beurau of lnternational Commerce, (1972) ,
JAPAN−The Government−BZtsiness Relationship一(米国商務省編,大原進・吉田豊明
訳(1972),『株式会社・日本一繁栄の構造:政府と産業界の親密な関係の分析』サイマル出
版会)。
5)労働省「昭和52年版 労働白書』53−55頁。
6)このことは,「漢江の奇跡」と呼ばれた1960年代後半からの韓国のめざましい経済発展に
よって補強される。
文化と企業文化 251
て現れる一方,欧米諸国の研究者や実務家に新しい知的挑戦の場を与えること
となった。そして,日本経済の成功が,政府と経済界の緊密な連携と日本市場
の特殊性に起因するという見解を依然根強く留保しつつも,より重要な秘密が
日本企業の経営方式にあるのではないかということに大きな関心が注がれるよ
うになってきた。その結果,日本の経営に対する研究の関心領域が徐々に変化
7) 8)
し,日本企業の経営の優位性を紹介した書物や,日本型の経営を自国の経営を
念頭において分析・評価した研究業績が欧米において多く出版されるようにな
9)
つた。そして,経営のブラック・ボックスの中の「文化」的側面について国際
10)
比較の観点からの調査・研究が活発化してきた。その際重要なことは,ある文
化に対する他の文化の優劣を判断する絶対的基準はなく,文化の優劣はそれが
適用される行為(activities)に対して判断することができ,また,判断するべき
であるという文化相対主義のアプローチがとられるようになってきたことであ
7)日本企業の経営は1950年冬の終わり頃から社会学者や労働経済学者などによって研究の
対象とされてきた。しかし,これら初期の研究は日本企業の経営に文化が強く影響してい
ることを強調しているが,それは,西洋の経営に普遍性があることを前提としていたとい
える。例えば,Abegglen, James C.,(1958),The Japanese Factoizy :Aspects of its Social
Organization, Glencoe III.:Free Press.(占部都美監訳(1958),『日本の経営』ダイヤモ
ンド社)。Levine, Solomon B.,(1958),Indzastn’al Relations in Post一 War/dpan, Urbana:
University of IIIinois Press.(藤林敬三,川田寿共訳(1959),『日本の労使関係』ダイヤモ
ンド社)。
8)例えば,Vogel, Ezra,(1979),lapan、As Number One, Cambridge:Harvard Univer−
sity Press.(広中和歌子,木本彰子共訳(1980),『ジャパンアズナンバーワン』TBSブリ
タニカ)。
9)OECDが派遣した調査ミッションの報告はその嗜矢といえる。 OECD(1977), The
DeveloPment of加伽S認α1 Relations System」Some ImPlications(ゾ勿伽6∫θ確認
ence.
10)例えば,Ouchi, William G.,(1981),Theory Z, New York:Addison−Wisley,(徳山二
平炉・訳(1981),『セオリーZ』CBS・ソニー・一出版)。 Pascale, R. T. and A. G. Athos,(1981),
The Art of Japanese〃伽㎎θ〃zθ窺, New York:Simon and Schuster.(深田祐介訳
(1981),『ジャパニーズ・マネジメント」講談社)。Deal, T. E. and A. Kennedy,(1982),
Coiporate Cultures, New York:Addison−Wisley,(城山三郎訳(1983),『シンボリック・
マネジャー』新潮社)。Peters, Thomas J. and Robert H. Waterman Jr.,(1982), In
Search of Ebeellence, New York:Harper and Row.(大前研一訳(1983),『エクセレント
・カンパニー』講談社)。
252 傳田功教授退官記念論文集(第285・286号)
11)
る。そして,文化相対主義の観点から,経営は企業が立地する国の「文化」か
12)
ら自由ではあり得ず,企業はその「文化」的特性を問題解決や経営目的達成に
活用する方向で具象化し,経営理念や経営慣行を構築していることが明きらか
となってきた。
日本においても既に,いわゆる日本型経営といわれるものを,日本文化との
13)
関わりで考察した優れた業績が出されている。しかし,文化が企業目的達成の
ために企業組織内でどのように活用され,どのように創造されてきたかという
視点からの研究は進んでいるとは思えない。このような視点から日本の経営を
考察することは,比較経営の観点からも極め意義のあることであろう。そこで,
本稿では,そのような研究の前提として,「文化」および「企業の中の文化」(以
下「企業文化」)に対する筆者の見解と,日本文化の特徴について筆者の理解す
るところを論述することとする。
II.文化の概念と企業文化の概念
「文化」をどのように理解するかは,哲学,宗教学,社会学,心理学,文化
人類学,社会人類学,言語学などの学問領域によって,また,同じ学問領域で
も関心の対象によって様々である。飯田史彦は,方法論と前提の違いから文化
14)
研究の立場を大きく二つに分けている。その一つは,文化を社会体系と見る立
場であり,それらには機能主義,構造一機能主義,生態的適応主義,歴史的拡
散主義と呼ばれるものが含まれる。今一つは,文化を観念の体系ととらえる立
11) Levi−Straus, Claude and Didier Eibon, (1988), De Pre”s et de loin, Paris: Editions
Odile Jacob (translated by Hofstede, Geert, 1988, p. 229), Hofstede, G., (1991), Cul−
tures and Organizations : Software of the Mind, London : McGraw−Hill Book Com−
pany Europe, p. 7に引用。
12) Hofstede, Geert, (1980), Culture’s Consequence : lnternational Dtlfferences in Work−
Related Values, Beverly Hills: Sage Publications.
13)例えば,間宏(1963),『日本的経営の系譜』日本能率協会。岩田龍子(1977),『日本的経
営の編成原理』文献堂。
14)飯田史彦(1991年10月),「企業文化論の史的研究(1)」『商学論集』福島大学,第60巻1
号。
文化と企業文化 253
場であり,それらには認知主義,構造主義,相互同価構造主義,象徴主義とい
ったものが含まれる。前者では集団ないしは組織の社会的・構造的な部分と観
念的・象徴的な部分とは一致することが前提とされ,後者ではそれが必ずしも
一致しないということが前提とされている。
本稿は文化の概念分析を行うことを意図するものではないが,文化の解釈が
多様であるため,経営を「文化」の側面から考察する際,「文化」および「企業
文化」について一定の見解を示すことが求められる。
1.文化の概念
経営学に取り入れられた「文化」の概念の背後には他の学問分野,とりわけ
文化人類学の大きな影響がある。文化人類学者による文化に対する基本的な概
念は,アメリカの著名な文化人類学引解ースコヴィツ(Melvi11e J. Herskovits)
15)
の「文化とは,人間が作った人間の環境の一部である」という定義に包括され
よう。ジュラン(J.M. Juran)は,「文化とは人類学者によると修得された行動の
総体であり,信念,習慣,伝統の集合であり,人々の集団に共有され,その社
会に加入してくる新しい構成員にも引き続いて教え込まれるものである」と述
べ,その研究成果は「職場,工場,店舗などの企業社会に応用できる」として
16)
いる。
経営に比較文化論の視点を取り入れ先駆的な実証研究を行ったホフステッド
(Geert Hofstede)は,「文化」をmental softwareと規定し,これを大きく二
つに分けている。その一つは,彼が「文化(1)」と呼ぶもので,芸術や文学の
ように精神の洗練された産物であり,これを狭義の文化と位置づけ,直接の分
析対象から除外している。今一つは,彼が「文化(2)」と呼ぶところの,より
基本的な人間過程(human processes),すなわち,同じ社会環境にある人間に
よって少なくとも部分的に共有される集団現象であり,それは,ある集団
15)田中靖政(1971),『現代日本人の意識』中央公論社,2頁。
16)飯田史彦(1991年10月),前掲論文 22頁。Juran,」. M.,(1964),砿伽磐θ吻1 Break−
through, McGraw−Hill, p. 142.
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(group)または範疇(category)に属する人間を他から区別する精神的プログラ
17)
ム(mental programs)であるとしている。共有されるということは学習過程や
動機が共有されることを意味する。すなわち,文化は生物学的遺伝の所産では
なく,後天的学習の産物であり,社会的遺伝によって形成されたものであると
18)
いうのである。したがって文化とは,「人の行動の総合的な形態であって,思
考,言行および人為結果を含み」,「人が平常いかに行動すべきかを明確に示す
19)
非公式の決まりの体系である」ということができる。文化の概念をこのように
規定すれば,アラブ人が相手を眺めるやり方が,相手を傷つけようなどとは思
20)
いもかけないのに,アメリカ人には敵対的,挑戦的に見えたり,在米日系二世
が,同世代の日本人ともアメリカ人とも異なった思考をするといったことは,
異なった社会環境に育った人間には,異なった精神的なプログラムが組み込ま
れるためであることが理解できる。
このように,文化は人間が創ったものであり,異なった文化の中で生活する
人間の行動を異なる型にはめて行くことは事実である。しかし,「人間は文化を
21)
創造するが,人問の作った文化は人間を拘束する」という相互的関係は不変の
ものではない。文化は経時的に「変わるもの」であり,また,「変え得るもの」
なのである。この点の認識は重要である。
以上から,文化は歴史の過程で人間によって,ごく自然に,あるいは,ある
意図をもって創造され,共有され,あるいは,分有され,累積された,ある任
意の時点における理念,信条,価値,倫理,慣習などの総合的な体系であり,
17) Hofstede, Geert,(1991), Cultures and Organizations:Soflwares of the Mind,
McGraw−Hill Book Company Europe, p.4−5.なお,ホフステッドはgroupを相互にコ
ンタクトを持つ人々の集まり,categoryを必ずしも直接コンタクトは持たないが,ある共
通性(例えば,女性経営者,1940年以前生まれなど)を持つ人々と規定している(同書 p.
18)e
18)Hofstede(1991)ibid., p.5,林周二(1984),『経営と文化』5頁。
19)前掲 Deal, T. E. and A. Kennedy,(1982),訳書 15頁および29頁。
20) Hall, Edward T., (1964), The Hidden Dimension, New York : Doubleday & Com−
pany.(日高敏隆,佐藤信行訳(1970),『かくれた次元』みすず書房,223頁)。
21)田中靖政(1971),前掲書 3頁。
文化と企業文化 255
その体系が社会的組織構造の中に組み込まれたものであると規定することがで
きる。そして,それは,継承され,かつ,変容する。すなわち,それは歴史の
長い期間に育まれたいわば基層文化と,政治・社会・経済・技術環境や国際環
境等の変化に伴い人々が新たな社会的学習過程を経て創造するいわば表層文化
が一体となったものである。表層文化の一部は,あるいは時とともに基層文化
の中へ吸収され,あるいは消滅するという性格を持つものと理解することがで
きる。文化とは以上を包括する時間依存的ないしは時間相対的な規範体系であ
ると概念づけることができよう。
2.企業文化の概念
何らかの目標に向けて機能する組織実体ではなく成員が相互に利害を調整し
合って生活する自然村のような共同体においては,文化は最も「純化」された
形をとり,成員間でその共有度は大きく,そこでは観念的な不一致も小さいと
いえよう。また,経時的に新たに付加された文化に対し成員間に観念的な乖離
がみられてもそれは通常一時的なものにすぎない。しかし,組織が,国家,自
治体,官庁,公企業,私企業といった何らかの目標に向けて機能する実体の場
合には,これら組織体の持つ文化は「純化」された文化と同じものとはいえず,
それぞれの組織目標により異なった文化をもっている。また,組織構成員の間
に観念的な不一致もあり得る。それは,これら組織体は自然村のような共同体
よりもはるかに環境と大きな相互関係をもっているオープン・システムである
ことに起因する。そのため,これら組織体は,それぞれの目標達成に合致した
方向で組織の立地する国や地域の文化を活用する一方,与えられた環境におい
てより有効に組織の目標を:達成するため人為的・戦略的に文化を創造しようと
22)
するのである。その際,社会構造や権力構造といった組織を取り巻く環境条件
や,成員の動機・緊迫感など組織関係者の意識や行動目的を組織目標達成との
関連でどのように位置づけるのか,その重視順位により組織の文化に差異が生
22)聖徳太子の十七条憲法,仏教や儒教の導入,教育勅語,軍人勅語,社是・社訓などは,
文化の創造を意図したものということができる。
256 傳田功教授退官記念論文集(第285・286号)
じる。しかし,ある目標をもった組織体の文化に共通することは,歴史の過程
で形成されてきたいわば基層文化と,ある任意の時点における組織の行動目的
と組織をとりまく環境条件との相互作用により創造されたいわば表層文化の複
合体であると理解できることであろう。以上を前提に,企業文化をどのように
理解すべきかを考えてみよう。
企業はゴーイング・コンサーンとして,その組織を維持・拡大することを目
的とした組織体であるとされる。企業の一次的利害関係者といわれる人々の内,
資本家の行動目的は通常企業から最大のインカム・ゲインやキャピタル・ゲイ
ンを得ることにあるといえよう。経営責任者は,新古典派経済学の立場からい
えば,資本家の意を体して利潤の最大化を図ることを行動目的とする。企業成
貝は企業に所属することを通じて,個々の経済的・社会的効用を充足させるこ
とを行動目的とする。需要家は企業の提供する製品・サーヴィスから満足を得
ることを行動目的とする。これら企業関係者の行動目的の間のバランスを抽象
化したものが経営理念や経営目的といった企業文化の観念的部分を形成すると
いえる。そして,これを具象化したものが,経営諸制度・諸慣行に体化された
企業文化の構造的部分を構成するといえよう。経営諸制度・諸慣行を具体的に
運用する経営方式は企業文化の社会的部分を構成するといえる。企業文化とは
観念的部分,構造的部分,および社会的部分の三つの文化範疇を包括したもの
であるということができる。このように考えれば,企業文化はデニソン(Daniel
R.Denison)が規定するように「組織の経営システムの基礎をなす価値,信条,
原則と,これらを具象化し強化する一連の経営諸慣行と経営行為である」とい
s. . .. JL . 2.3)
っことができよっ。
ここで注意しておかなければならないことは,企業文化は要素賦存の状態や,
社会体系の中での権力構造,階層,所得分配,教育分布などによって異なると
いうことである。権力構造や階層構造などが明確に分割された社会では,組織
内で優位な地位にある資本家や経営者は彼らの行動目的を唯一の達成目的とし
23) Denison, Daniel R,, (1990), Coiporate Cultzare and Organizational Effectiveness, New
York : John Wiley & Sons, p. 2.
文化と企業文化 257
た企業文化を積極的に創造しようとするであろう。これを企業文化といえるか
どうかには異論もあろうが,資本家や経営者はそれを組織成員全員に強要する
24)
傾向が強い。この場合,資本家や経営者の立場かちは,このような企業文化の
観念的な側面と構造的・社会的側面は完全に一致する。しかし,一般従業員の
観念体系との矛盾・乖離は極めて大きい。このような状況では,一つの企業組
織内で異なった範疇(category:経営者,管理者,一般従業貝,現場労働者)に
よって,それぞれの行動目的に沿って,それぞれ異なった文化が分有されるこ
とになる。このように,一つの企業組織内に複数の文化が存在する場合には,
範疇間の力関係により,ある範疇に属する人々によって創造された文化が他の
範疇の文化を圧倒したり,相互に摩擦を起こしたり,融合したりするという現
象を起こす。それこには,あたかも同一空間内に複数の文化が存在する複合社
会に似た文化現象が観察されることがある。一方,民族構造,権力構造などが
文節化されていない社会においては,組織の関係者が観念的に一致可能な企業
文化が創造される可能性が高い。
III.日本文化の特徴
日本の文化については様々な角度から研究がなされているが,その特徴を詳
述する資格は筆者にはない。しかし,日本の経営を文化の観点から考察する前
提として最小限必要と考えられる特徴を筆者なりの理解にもとづいて述べてお
きたい。
文化は人間と人間を取り巻く環境との相互作用を通じて人間によって創造さ
れ,継承され,あるいは変容する。それは大きく地理的環境を含めた自然環境
の産物と頭脳ないしは人為の産物に分けることができよう。自然環境の産物と
しての文化は,その自然環境の中で生活する人々の深層にビルト・インされた
基層文化を形成することが多い。一方,人為の産物としての文化も,ある国や
地域に固有の社会・政治・経済・国際環境などとの相互作用により創造される
24)産業革命期における英国の炭坑経営,植民地における宗主国企業の経営,南北戦争以前
のアメリカにおける綿花栽培などがこの好例である。
258 傳田功教授退官記念論文集(第285・286号)
ため,一般に特定の国や地域の基層文化に統合される。しかし,同時にその文
化に接した他の国や地域の人がそれにある程度の理解を示す場合,それは空間
を越えて普遍的に人々に受容されることもある。また,人為の産物としての文
化は,しばしばある任意の時点における環境からの「挑戦」に対する「応戦」
として創造されることがある。そして,それは基層文化に組み込まれる場合と,
一定の時間を経て消滅する一過1生の文化に終わる場合がある。
このような理解を前提として,第二次世界大戦までの日本の基層文化の特徴
を見ておこう。自然環境との相互作用によって創造された文化としては特に次
の二つが重要である。その一つは,日本は海によって地理的に隔離されている
ため民族の等質化が進み地域等質的な文化が創造されたことである。そして,
徳川幕府の鎖国政策による異質文化との接触機会の制約と参勤交代等による国
内の人的交流の促進や交通網の整備等により,等質性はかなりの程度日本全域
に広がることになった。
今一つは,四季のある水稲耕作を通じて形成された文化があげられる。林周
二はその文化的特性として四点を指摘している。第一に,稲作そのものが単独
作業ではなく集団作業であり,意志決定基準が個人の成員よりも全体のそれに
価値をおいていること。そのため,単独主義個人主義でなく,全体社会が自
ずから発生すること。第二に,稲作作業は狩猟作業のように各種作業間の分業
が成り立たず,各人はゼネラリストとしてすべての作業にかかわらなくてはな
らないこと。このことが日本においてゼネラリスト的な人の使い方がなされる
根拠となっているのではないかということ。第三に,狩猟の場合は相手との知
恵比べで,毎回手を変え品を変え狩を試みるが,水稲耕作は毎年同じことの繰
り返しであること。そのため,本年は凶作でも来年も同じやり方をしなければ
ならない。このようにして「辛抱第一」の精神が生まれたこと。さらに,第四
に,水稲民には隣人の成功ぶりを見たら早速そのやり方を我が田でも真似した
25)
いという心理が働く。そのため「右へ模え」という行動特性が生まれるという。
この行動特性との関連で付言しておかなければならないことは,日本の水稲
25)林周二(1984年),前掲書84−86頁。
文化と企業文化 259
耕作がインドネシアやタイにおける水稲耕作とは異なるということである。明
確な四季のないインドネシアやタイでは種蒔きや刈り入れば適宜個人の都合で
行っても収穫にさしたる差は生じないが,四季のある日本では時期を逃すと収
穫に大きな影響がある。そのため,個人は異なった行動をとることは出来ず,
全員同一時期に同一作業をしなければならないのである。このことが,集団で
行動することに安心感を持つ行動特性を生みだしたと考えられる。第五に,四
季のある水稲耕作では乾期における水の補給が死活問題となる。従って,村落
は一致協力して水の確保につとめる。その結果,村落内の結束は強固なものと
なるが,水利に利害をもつ他の村落集団に対しては極めて排他的ないしは反目
的となる。このことが,人々が所属集団を一つの運命共同体とみなす傾向を持
つ根拠となっているといえよう。第六点として,一定の季節に一定の作業をし
なければ,収穫が確保できないため,病人などがある家に対しては,共同して
これを助けるという習慣が定着すること。すなわち相互扶助・相互依存の精神
が酒養されることが指摘される。もっとも,インドネシアには,ゴトン・ロヨ
26) 27)
ン,フィリピンにはウタンナ・ローブといった相互扶助・相互依存や恩義の貸
借に対応する価値が人間生活上極めて重視されていることから,相互扶助は伝
統的な稲作地域にかなり共通した価値といえよう。しかしながち,エンブリー
(John F. Embree)が同じ水稲耕作においても四季の明確でないタイの社会の
特徴を「緩やかに結びついた社会システム(loosely structured social system)」
であるとしたのに対し,四季の明確な日本の社会の特徴を「強く結びついた社
28)
会システム(tightly structured social system)」と規定したように,日本人は
四季のある水稲耕作の影響を強く受け協調的で,かつ,同調的・状況即応的な
26)アりフィン・ベイ著,奥源造訳(1975),『インドネシアの心』文遊社。
27) Lynch, Frank, (1973), “Social Acceptance Reconsidered” in Lynch, F. and Alfonso
de Guzman II, (eds.), Four Readings on PhiliPPine Values, 4th, ed., Quezon City:
Ateneo de Manila University Press, pp. 1−68.
28) Embree, John F., (1969), “Thailand, A Loosely Structured Social System” in H. D.
Evans (ed.), Loosely Structured Social System, New Haven: Yale University South
East Asian Studies, pp. 3−15.
260 傳田功教授退官記念論文集(第285・286号)
文化を創造したといえよう。
人為の産物としての文化は,与えられた環境の中から徐々に形成されたもの
と,既に存在する文化をふまえ,ある時点の社会・政治・経済等の環境に対応
する目的で積極的に創造されるものがあるといえる。これらの内で日本の基層
文化の形成に特に大きく関わったと考えられるものに,氏神,十七条憲法,仏
教および儒教の導入があると考えられる。氏神は,農耕社会における共同体の
核として五穀豊穣を祈る観念的対象であると共に,そこで執り行われる諸々の
儀式は集団求心力を維持・強化する観念的象徴として広く人々の内部にビルト
・インされてきたといえよう。そこでは,氏子達は理屈抜きに氏神に従わなけ
ればならないことが暗黙裡に合意されているのである。仏教と儒家・法家の思
想を統合して制定された十七条憲法は,「和を以てと尊しとする」という規範を
君臣および諸人の内部に醸成する上で大きな影響をもったといえよう。仏教の
導入は,その宗派に関わらず,念仏を唱えることにより何人も極楽往生ができ
るという観念を人々に植え付けることに成功した。このことは自分の運命を仏
に委ねるという文化が創造されたことを意味する。日本の組織において,個人
の処遇や意思決定を上司や集団に「一任」ないしは「白紙委任」する傾向があ
るのは,来世志向を誘導しつつ巧みに現世秩序の確立をめざした日本仏教の規
範が基層文化として人々にビルト・インされているのと無関係ではないように
思われる。儒教は忠・孝・仁・儀・礼・知・信など人間の行動規範を示したも
のと理解できるが,日本においては政治的な目的があって特に「忠」に重きが
おかれてきたようである。森嶋通夫によれば,中国では「忠」は自分の良心に
背かぬ誠実さをもって君主に仕えること,すなわち自分を裏切ってはならない
という「個の尊重」を基本に据えた概念であるという。しかし,日本では「忠」
2.9)
は自分の良心を犠牲にしてすべてを主君に捧げることを意味しているといっ。
これは,人々が「没自我的」であることを狙って「忠」という概念を人為的に
操作したものと理解することが出来よう。このように操作された「忠」は,明
治時代になって教育勅語や軍人勅諭によってさらに強固な倫理規範として広く
29)森嶋通夫(1984),『なぜ日本は成功したか?』TBSブリタニカ,14−19頁。
文化と企業文化 261
国民に共有されるようになったといえる。以上のように日本では明治期以前に
環境および人為の産物として等質性,集団志向,協調,同調,状況即応的そし
て献身といった規範を総合した基層文化が創造されたということができる。
日本は明治維新による大政奉還と幕藩体制の崩壊,廃藩置県,四民平等,徴
兵制度等,諸制度の大改革を経験した。しかし,それは主として社会・政治・
経済の与件ないしは制度の変革であり,基層文化に対する精神的な大きな変化
を伴ったものではなかった。むしろ,開国により日本の後進性に危機感がつの
り,富国強兵,殖産興業が強調され,献身,勤勉,努力といった倫理を重視す
る方向へ基層文化が誘導されていったといえる。一方,コインの両面をなす次
の二つの環境変化により,「競争」という概念が既存の基層文化に矛盾なく組み
込まれていった。その一つは,国力の増強という国家目標達成のため,国家と
しても能力のある人間を登用する必要があったこと。今一つは,四民平等,徴
兵制などの制度改革により,観念的にはともかく,制度的には平民でも能力に
より社会的上昇機会が与えられたことである。競争という概念は,敗戦による
国体変革(象徴天皇・主権在民),軍部および財閥の解体,基本的人権の保障,
農地改革,教育改革等の一連の改革により,階層構造や所得分配が平準化され
るにつれてさらに増幅されることになる。一方,敗戦による挫折感と諸改革に
より,従来の基層文化,特に国家が意図的に強化してきた自己を犠牲にしてす
べてを主君に苛げるという「忠」の概念のよりどころとなっていた制度的基盤
は互解した。しかし,「忠」は個人が利害を有する集団内においては,集団への
没自我的な献身ないしは忠誠という形で,協力,同調,状況即応,競争などと
一体となって現在でもなお日本の基層文化を形成しているといえよう。
ここで注意しておかなければならないことは,競争という概念は,欧米の二分
法的な解釈にしたがえば,協力,同調,状況即応的といった概念の対立概念で
あるということである。従って,対立する概念が併存する形で一つの文化を形
成することは一つの論理矛盾であるといえる。それにもかかわらず対立概念が
併存することが出来た理由は何か。それは,農耕社会には集団内において敵対
的な競争という概念が育つ土壌がほとんどないこと。そして,集団間において
262 傳田功教授退官記念論文集(第285・286号)
も,競争よりもそれぞれの集団の結束ないしは共同防衛が重要であったことに
起因するところが大きい。すなわち,それぞれ個人がある集団内において生活
を円滑に行うためには結束と同調が重要な規範であったということであろう。
また,歴史を通じてたびたび起こった合戦等においても,一部の支配階級や野
心家を除き一般の民には競争という概念は顕在的にはなく,彼らは保身ないし
は「個」の利害をふまえ,状況即応や同調,あるいは,操作された「忠」とい
う規範にもとづいて行動していたと考えられる。したがって,日本における競
争の概念は「友好的競争」という性格を持っている。そのため,それは,状況
即応や同調と併存する形で基層文化体系の中に吸収されることが可能になった
と理解することが至当であろう。以上は,文化は人間によって創られるが,同
時に創られた文化によって人間が作られる,あるいは,「訓化」されるというこ
と,すなわち,文化には二元的性格があることを示唆している。この示唆は経
営を文化との関連で考える上で特に重要である。
等質性,同調,状況即応性,友好的競争等の総体としての日本の基層文化の
特徴を考える場合,今一つ注意しておかなければならないことがある。それは,
個人を機能別に分類するのではなく,個人を全入的に扱うという特徴を持つ文
化であるということであろう。このような文化は,「部分の和は必ずしも全体に
あらず」あるいは「全体は部分の和以上のナニモノかである」という観念をも
たらす。毛利元就の「三本の矢」の例えや,「三人よれば文殊の知恵」といった
認識はその好例といえる。それは,ユークリッド幾何学やデカルトの科学的方
法論のように「部分の和は全体である」という前提で全体を部分へと分解・分
30)
点し真実を究明しようとする欧米の文化とは異質のものであるといえる。上述
のホフステッドの「文化(1)」に例をとればこのことはより明かとなろう。例
えば欧米では,サッカーやラグビーのように機能別の役割を重視した競技が発
達したのに対し,日本では綱引のような役割分担が不明確な競技が生まれた。
また,音楽においても,欧米では各パートの音階が明確な合唱やオーケストラ
が普及したが,日本では音階が不明で単調な雅楽,田植え歌,馬子歌などが一
30)林周二(1984年),前掲書 69頁。
文化と企業文化 263
般的であった。このような差は空間の利用に対する認識にも見られる。欧米人
がかなり個室にこだわるのに対し,日本人は共同浴場や大部屋にさほど抵抗を
感じないといったことがこの具体例として指摘されよう。このような相違は経
営に対するアプローチにおいても観察される。典型的な例は,テーラーの科学
的管理法のように,人間の作業を分解して評価するというやり方や,技能や資
格を重視して人を評価するというやり方にみられる。このような評価の仕方は,
日本において学歴,人物,年功といった個人属性や集団による成果をかなり重
視する評価方法が長い間支配的であったことと対比されよう。
IV.課題
以上の例は,文化が企業文化の構造的側面に与えるほんの一つの例にすぎな
い。基層文化が戦後の日本の経営にどのような形で反映されてきたのか。そし
て,戦後日本が直面したさまざまな環境からの挑戦に対し,日本企業はどのよ
うに新たな経営文化を創造してきたのか。戦後の日本企業の経営文化の形成過
程とその機能を,企業文化の三つの側面,すなわち,観念的側面,構造的側面
および社会的側面から考察することが今後の課題となる。さらに,日本企業の
経営に体化された文化が,空間を越えて異質な文化的土壌において人々を「訓
化」することができるのか,あるいは,できないのか。それぞれ上記三つの側
面から考察することが求められる。日本企業の海外におけるプレゼンスが増大
している今日,日本型経営の異文化融合の研究は研究者・実務家双方にとって
特に緊要の課題となっている。近い将来これらについて研究を進めたい。
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