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第60号 - 日本民放クラブ

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第60号 - 日本民放クラブ
2001年 (平成13年)1月 ・民放 くらが ・第 60号
︵T B S
4年 5月 の
1 9 4 6年 に始 ま った ベト ナ ム の対 仏 独 立 戦 争 は 、 5
。
デ イ エンビ エン フー陥 落 で事 実 上 ベト ナ ム側 の勝 利 に終 わ った 前
。
月 か ら開 か れ て いた ジ ュネ ーブ会 議 は 同年 7月 に停 戦を 宣 言 そ こ
、
では 北 一のた め の総選 挙 を 2年 後 に実施 す る こと を 明 記 し そ
南
統
7度線 が南 北 の暫 定 的 な 軍事 境 界線 と さ れ た。 し か し、
れま では北緯 1
冷 戦構 造 の中 で コミ ットを 深 め て いた米 国と南 ベト ナ ムは こ の宣 言
、
、
に調印 せず 主 役 は米 国 に代 わ り 停 戦 は実 現 しな か った 。 そ の後
3年 のパリ 定
ベト ナ ム全 上 で の停 戦を取 り決 め た 7
協 発効 後 も 戦争 は
、
、
5
0
年 に及 ぶ こ の戦争 は ついに
続き 7年 南 ベト ナ ム の崩壊 で前 後 3
、
、
。
終 わ りを告 げ た 以 下は 当 時 サ イ ゴ ン特 派員 だ った藤 原 さ ん の
。
南 ベト ナ ム崩 壊前後 一ヶ月余 の記録 であ る ︵
編集 部︶
三 十 年 戦 争 の終 幕 を 見 る
藤 原 亙
陥 落 直 前 の南 ベト ナ ム に 入 った の
、
。
は 4月 中 旬 だ った 当 時 T B Sは
東 南 ア ジ ア取 材 の拠 点 を シ ンガ ポ ー
、
ル に移 し て いた が サ イ ゴ ン支 局 の
機 能 は 現 地 ス タ ッ フも 含 め て維 持 さ
、
れ てお り 原 沢 支 局 長 と 小 田 カ メ ラ
マ ンが 戦 争 の最 終 局 面 を カ バ ー し て
。
いた
南 政 府 軍 が 総 崩 れ と な った 3月 か
ら は 黒 田 デ ス ク が 応 援 に来 て いた の
、
だ が 状 況 を 統 括 す る た め に本 社 に
、
一
戻り 私 は そ の交 替 要 員 だ った砲
.
3
7年 暮 れ か ら 7年 春 の パ リ協 定 停
戦 の発 効 ま でを サ イ ゴ ン特 派 員 と し
、
て過 ご し て いた の で ほ ぼ 2年 ぶり
。
の ベト ナ ムだ った
ト ンネ ル の向 こ う が 見 え た
戦 闘 ら し い戦 闘 も な いま ま 北 の機
、
甲 部 隊 の南 下 が 続 い て 南 政 府 軍 の
、
。
戦 況 発 表 は 形 骸 化 し て いた 一方
首 都 の タ ン ソ ン ニ ュ ット 空 軍 基 地 内
J
、
、 、
空 が薄 明 から 深 い青 へ変 わ る こ ろ り 早起き で勤 勉 な ﹁
北﹂ の質 実 を に は パ リ協 定 以 来 臨 時 革 命 政 府 と
、
南 ﹂ の精 神 風 土 北 ベ ト ナ ム 軍 の代 表 が 常 駐 し て記 者
街 頭 の スピ ー カ ーが革 命 歌を 流 し 出 誇 示 す る こと で ﹁
、
、
、
。
す ニ ュー スや布 告も 入 るが 概 ね を 矯 め治 そう と し て いるか のよう に 団 と 会 って いた が こち ら も 穏 や か
、
。
。
男女 青 年 の コー ラ スによ る行 進 のリ 感 じら れ た 雑 音 混 じり の行 進 出 は な 雑 談 が 続 く だ け だ った た だ 待 っ
、
。
、
ズ ムが 雨期 が 近 づ いて僅 か に湿 り 変化 への不安 を かき 立 てな が ら 屋 て いた のだ
、
、
。
当 時 北 ベ ト ナ ム は ﹁南 の グ エ
気 を 帯 び た空気 を震 わ せ る
根 や街 路 樹 の上 を 流 れ ま だ 活 動 を
。
新 し い 一日 の始ま り
始 め て いな い街 は息 を 詰 め て何 かを ン ・バ ン ・チ ュー 大 統 領 が 辞 め れ ば
、
⋮
って いた。 私 にと って 1 9 7 5 停 戦 交 渉 に応 ず る﹂ と 繰 り 返 し て い
サイ ゴ ンと 時 の が
する
先
待
計
針
行
。
。
た 首 都 の市 街 戦 は 避 け ら れ な い の
ハノイ と の二 つの標 準 時 が残 ってお 年を象 徴す る情 景 であ る
J
2001年 (平成13年)1月 民放 くらぶ ・第 60号
、
か 最 後 の防 衛 ライ ンが 突 破 さ れ る
、
。
前 に 大 統 領 は 辞 任 す る のか ⋮
大 統 領 官 邸 に情 報 源 を 持 つ支 局 ス
、
タ ッ フが も た ら す 動 静 や 交 渉 に よ
る事 態 収 集 を 模 索 す る ″
和 平 派 ″国
会 議 員 な ど の取 材 結 果 を テ レ ック ス
、
送 稿 す る傍 ら 空 軍 基 地 内 の防 空 壕
、
に 住 む 革 命 政 府 代 表 団 の表 情 や 首
てき た 政 策 への理 解
を 求 め る訴 え が 延 々
と 続 く。辞 任 の ニ ュ
ア ン スを 確 信 し て
﹁ト ン ネ ル の 向 こ
う が や っと 見 え た ﹂
と ボ イ ス レポ ー ト を
、
予約 し
終 え た のは
止 で人影 の途 絶 え た
た 回 線 が 切 れ る直 前
c
だ った 夜 問 外 出 禁
空 便 に託 す 日 々が 続 い て 一週 間 目
都 周 辺 にま で流 れ 込 ん でき た 避 難 民
、
な ど の フ ィ ル ム ・スト ー リ ー を 航
、
大 統 領 が テ レビ で演 説 す る と の情 報
。
が流 れた
、
揺 れ る スタ ッフ
迫 る終 幕
て いた
響 く 外 出禁 止 時 間 で
、
は も は やな く な っ
。
ラジ オ の古 電 を 上 げ
。
て いる のだ 一
後の街
に自 分 の足 音 だ け が
街 を 支 局 ま で歩 く 半
、
時 間余 り 演 説 が 途
。
切 れ な か った 街 角
ご と の歩 哨 の兵 士 が
真 っ先 に同 営 ラジ オ 局 に駆 け つけ
、
て 番 組 用 の音 声 回 線 と ス タ ジ オ を
、
。
予 約 し た 日本 と の電 話 は 以 前 の
1年 3 ヶ月 余 の滞 在 中 に繋 が った の
、
が 一度 だ け そ れ も 大 声 で怒 鳴 り あ
って さ え 会 話 不 能 だ った 。 日常 的 な
。
送 稿 は テ レ ック ス 専 用 線 を 持 つ外
、
国 の大 手 通 信 社 を 除 く と 全 報 道 関
係 者 が テ レ ック ス ・セ ン タ ー の 2台
。
に依 存 し て いた 原 稿 を オ ペ レ ー タ
ー に 託 す 際 の心 付 け で順 番 が 入 れ 番
、
わ ってし ま う 程 で キ ー ボ ー ド を 通
チ ュー 氏 に 代 わ って副 大 統 領 が 臨
、
じ て本 社 と の直 接 交 信 な ど 望 む べく 時 大 統 領 と な った が 交 渉 推 進 派 の
、
も な い。 最 新 の動 き に対 応 す る に は 代 表 と 衆 目 が 一致 し て いた ズ オ ン ・
、
番 組 用 の 1本 の回 線 が 唯 一確 実 な 手 バ ン ・ミ ン将 軍 に 代 わ る ま で 実 に
。
ま る 1週 間 が 空 費 さ れ て いる。 そ の
段 だ った
、
間 前 述 の回 線 を 使 った レ ポ ー ト を
、
チ ュー 大 統 領 の演 説 は 自 分 の採 っ 続 け な が ら 小 田 カ メ ラ マ ンと 私 は
、
毎 日 早 起 き し て 北 の機 甲 部 隊 が 南
下 し て いる サ イ ゴ ン東 方 の国 道 1号
。
線 の取 材 に時 間 を 傾 け た
4 日 、 か つて巨 な 米
4月 2
大
軍基 地
、
が 置 か れ て いた ビ エ ン ホ ア で 敗 走
し てく る 海 兵 隊 に道 遇 。 空 挺 部 隊 と
並 ん で最 も 規 律 が 高 い虎 の手 部 隊 だ
警塔盤姦│1守
々卜1子
亀
21X11年
民放 くらぶ 。第 御 号
(平成13年)1月 ・
︶
被 弾 し た マジ ェス テ ィ ック は 最 も
、
格 式 の高 いホ テ ル で 道 路 沿 いは 色
、
鮮 や か な 花 壇 に な って いた のだ が
取 り 除 き き れ な か った ガ ラ ス の細 片
る 国 営 ベ ト ナ ム航 空 の シ ン ガ ポ ー ル
、
便 に 託 そ う にも 殺 到 し た 人 並 み で
。
空 港 に近 づ く こと す ら でき な か った
ラ ジ オ 局 ス タ ジ オ を 使 って のボ イ ス
、
レ ポ ー ト も 人 通 り の途 絶 え た 夜 の
街 を 歩 い て帰 る 経 験 も こ の 日 が 最 後
、
と な って 以 後 は テ レ ック ス に頼 る
こと と な る 。 原 稿 用 紙 の間 に潜 ま せ
る オ ペ レ ー タ ヘの ″
心 付 け ″ の額 は
。
鰻 登 り にな って いた
小 田さんは
取 材 フ ィ ル ム の送 り 出 し を 試 み た
、
か ろう じ て運 行 し て い
、
7
2 日 仏 暁 1 2 2 剛砲 弾 6 発 が
。
撃 ち 込 ま れ た サ イ ゴ ン河 畔 の マジ
ェス テ ィ ック ・ホ テ ル最 上 階 の レ ス
ト ラ ンが 直 撃 さ れ た ほ か 、 中 央 市 揚
。
近 く や 中 国 人 街 の商 店 が 被 災 し た
ゲ リ ラ部 隊 の使 う ロケ ット 砲 や携 帯
、
1
可 能 な 迫 撃 砲 と 違 って 射 程 1 キ ロ
、
の 1 2 2 脚砲 弾 は 正 規 部 隊 に よ っ
。
て包 囲 さ れ た こと を 意 味 す る
包 囲されたサイゴ ン
、
、
6日
った 。 2
早 朝 サ イ ゴ ン市 境 界 の 睡 眠 不 足 によ る疲 れと 寝 冷 え か ら 下 十 分 な も の に し た 他 自 分 の立 場 の
。
橋 のた も と で 1 0 0台 余 り の小 型 ト 痢 が止ま らな か った
曖 味 さ を 記 憶 の シ ミと し て引 き ず っ
。
。
ラ ク タ ー の集 団 を 目 撃 ビ エン ホ ア
て いる
北 東 の省 か ら 避 難 し てき た 農 民 た ち
本 社 と の直 接 連 絡 のた め シ ンガ ポ
。
だ った 難 民 は各 街 道 ご と に市 域 の ー ルにと ん ぼ返 り し て いた 原沢 支 局
、
、
月 内 に出 国 せ よ ﹂ と の本 社
外 に留 め 市 内 の混 乱 を 防 ぐ のが 長 長 は ﹁
。
い戦 争 の期 間 中 堅 持 さ れ た 方 針 だ っ 指 示 を 持 ち 帰 って いた 日本 の報 道
、
た が 正 午 頃 に は ト ラ ク タ ー の列 が 各 社 が利 用を 想 定 し て いた 日航 特 別
、
。
橋 を 渡 った サ イ ゴ ン の陥 落 が 時 間 機 は 予定 を 繰 り 上げ たも の の遅き
、
、7
日 には
に失 し て マ ニラ で足 止 め 2
の問 題 であ る こと を 確 信 し た のは
、
こ の時 であ る 。 同 じ 日 シ ンガ ポ ー サイゴ ンは孤 立 した。
、
、
ル航 空 を 最 後 に 外 国 航 空 会 社 の フ
歴史 の転換 点 を 前 にし て 私 は自
ライ ト が 全 て止 ま った 。
分 の帰 国準 備 を す る気 にな れな いで
、
。
いた そ れ に 取 材 や送稿 及び スタ
、
郊 外 の取 材 か ら 帰 って ボ イ ス レ ッフと の会 話 で睡 眠時 間を 極 端 に切
、
、
ポ ー ト に 出 か け る ま で の夕 方 の時 間 り つめ る毎 日が続 き そ の他 の余 裕
。
支 局 ス タ ッ フと の終 わ り のな い会 話 が な か った のが実 情 でも あ った 内
。
が 続 いた 何 と し て でも 国 を 出 る と 心 では ﹁
結 果と し て居残 る こと にな
、
、
、
。
いう シ ョ ンさ ん ミ ン グ エ ツト
れば 本 望﹂ と 思 って いた 訳 だ が 本
、
、
、
ア ン シ ャ ック の各 氏 ら は 残 る意 志 社 の判 断 は 理解 でき るし 自 分 の思
。
あ る いは 出 国 諦 め ヴ ァ ンさ ん は 迷 いに他 の人を 巻 き 込 む こと は論 外 だ
2年 春 の ″
って いた 。 北 か ら 移 ってき た ウ ィ ン と 考え て いた 。 7
イ ー スタ
、
さ ん は 亡 命 を 拒 否 し な が ら も 怖 が っ ー大 攻 勢 ″ の勃 発 直 後 サ イ ゴ ンか
、
。
て いた 到 着 早 々か ら 出 国 も 考 慮 ら の外 出 禁 止 と いう 本 社 の厳命 に逆
ら つた際 、
一緒 に いた広 瀬 カ メ ラ マ
ンに迷 惑 が 及 び か ねず 、後 に大 いに
。
反省 し た経 験 も あ った 現 地 でも っ
と 議 論 し て明確 な 方 針 を 持 つべき だ
ったと いう 批 判 はあ るだ ろう 。 確 か
、
な こと は 残 る場 合 への備え を し て
、
いな か った答 で 陥 落 後 の取 材 を 不
し て いる ス タ ッ フ の求 め に応 じ て身
、
分 証 明 書 や 避 難 への便 宜 を 要 請 す
、
、
る 文 書 を 作 って いた が 今 ま た 依
頼 状 や 推 薦 状 や 考 え ら れ る 限 り の文
。
章 を タ イ プ し続 け た 気 休 め で し か
。
な いこと を 誰 も が 知 って いた ス タ
ッ フ ヘの私 達 の言 葉 は 無 力 だ った 。
︶
2001年 いr成 13年)1月 ・
民放くらバ ・第 60与
一
、
が 真 昼 の陽射 し にき ら めく 中 で 花 と の達 観 な のか 。 取 材 と いう 立 場 で
。
、
の手 入 れを す る従業 員 の姿 があ った は あ れ 戦 争 ゆえ に や ってき た 私 は
。 自
南 国特 有 のゆ ったり と した物 腰 で
分 の在 り よ う の曖 昧 さ を 質 さ れ た
、
長 い戦争 に慣 れ てしま ったと 言え ば よ う で 額 縁 に収 ま った よ う な そ の
、
。
そ れま でな のか 政 体 の変 化も 庶 民 光 景 が 息 を 呑 む ほ ど 美 し く も あ り
、
、
には無 縁 ま し て 戦争 を 持 ち 込 ん 心 を 落 ち 若 か な く も さ せ た 。
、
だ 外 国 人 が敗 退 し てゆく だ け のこと
原 沢支 局 長
、
、、、
一
小 田 カ メ ラ マ ンと 私 は
、
米 軍 に よ る外 国 報 道 陣 退 去 の手 段 を
。
試 み る こ と を 伝 え た 昼 の マジ ェス
テ ィ ック ・ホ テ ル の光 景 が 萌一
の中 を
。
廻 った
遂に
、
、
停 戦 のた め の切 り
!朝 米 年 ラジ オ か ら 時 な ら ぬ ホ
札 と さ れ てき た ミ ン ワイ ト ・ク リ ス マス の メ ロ デ ィ ー が
。
将 軍 の大 統 領 就 任 は 流 れ た 最 終 脱 出 作 戦 の発 動 の合 図
。
8 国 の夕 。 も は
翌2
刻
であ る バ ス に乗 る よ う 指 定 さ れ た
、
や 企 て が 終 わ って い 場 所 に ゆ く と 集 ま ってく る 日本 人
。
た 就 任 演 説 の途 中 記 者 同 の姿 か ら 状 況 を 容 し た ベト ナ
、
、
か ら 激 し い雨 と な り ム の人 々が そ の何 倍 も の人 数 で群
。
が って来 る 出 発 前 に東 京 で見 た ダ
稲 妻 と 言 鳴 が空 を 覆
、
った 。 1時 間 後 首
ナ ン空 港 で の パ ニ ック が 脳 裏 に浮 か
。
﹁こ の人 た ち と 座 席 を 争 う こ と
感 が 消え
した。
陥 落 後 を 見 屈 け た いと いう 強 い思
、
いを 持 ち な が ら 本 社 の出 目 指 示 を
覆 す こと が でき な いま ま 目 前 の取 材
、
に身 を 委 ね る こと で 私 は 問 題 を 避
、
。
け て いた のだ った 村 残 る と 決 め て
そ れ ま で胃 の辺 り に滞 って いた 不 安
、
空 の青 が 明 る さ を 取 り 戻
は 出 来 な い﹂ と いう 心 の中 の叫 び は
し か し 直 ぐ に消 え た 。 予 定 さ れ た プ
ラ ンは 機 能 し な いだ ろう か ら 。
都 空 港 でも あ る タ ン ぶ
ソ ン ニ ュ ット 基 地 が、
北 側 の手 に渡 った 戦
闘 爆 警 機 に攻 撃 さ れ
。
た
支 局 ス タ ッ フ の多
く は 、 通 信 社 や放 送
局 や 軍 な ど に勤 務 す
る いわ ば ア ル バ イ ト
、
だ った が ク本 業 〃
が 機 能 し な く な って
、
か ら は 自 分 たち の
情 報 交 換 の場 と し て
支 局 に いる 時 間 が 増
午 後 にな って小 田 カ メ ラ マ ンと 合
、
、
。
え て いた 彼 ら に
流 し 取 材 が 再 開 さ れ た のだ が 最 後
2001年 (平成 13年 )1月 民放 くらぶ ・第 60号
革 命 政 府 の旗 を 取 り 出 し て
。
次 に備 え て いた
た
。
の脱 出 拠 点 と な った ア メ リ カ大 使 館 裸 にな った 政 府 軍 兵 士 脱
。
は 敢 え て対 象 に し な か った ど う せ ぎ 捨 て ら れ た 制 服 に混 じ る
、
、
送 信 手 段 が な い のだ か ら と カ メ ラ カ ー ビ ン銃 そ れ を 手 にす
。
が 集 中 す る 場 所 は 映 像 通 信 社 に任 せ る少 年 半 開 き に し た シ ャ
、
て 私 達 は 避 難 に殺 到 し な い人 々 に ッタ ー や ド ア のす き 間 か ら
。
占小
を 合 わ せ る こと にし た 。
佳小
外 を う か がう 人 掲 げ ら れ
米 大 使 館 と も う 一つ の脱 出 口 であ る 南 ベト ナ ム 国 旗 が 減 って
フ ラ ン ス回 旗 が 増 え て い っ
。
知 人 の家 に 入 る と 臨 時
る サ イ ゴ ン河 埠 頭 を 除 く と 街 は 普 段
、
の 人 並 み が 消 え て サ イ レ ント 映 画
を 見 て いる よ う だ った 。 軍 服 を 脱 ぎ
ど のよ う に隠 し 持
って いた のか ⋮ c
私 は ﹁こ れ が サ イ
ゴ ンな ん だ ﹂ と 同
じ咳き を 繰 り 返 し
、
て いた と 小 日 さ
ん が 後 で教 え てく
。
れた
大 規模 な市 街 戦
が 起 こ る 可 能 性 は 少 な いと
、
。
考 え て いた 怖 れ た のは
規 律 を 失 った 政 府 軍 兵 士 や
、
民 兵 の自 暴 自 棄 家 屋 に侵
入 し て の略 奪 や 路 上 で のか
つぱ ら い。 外 国 人 に対 す る
反 発 が そ れ ま で抑 え ら れ て
、
いた のだ と す れ ば ど のよ
う な 状 況 でそ れ が 噴 出 す る
。
か だ った 支 局 は 国 抜 き 通
十
!一
!
一
!
!
立
4
,
一
り に 面 し て いた し 、 こ の時 期 のホ テ
、
ル は 事 実 上 外 国 人 専 用 に な って い
、
た の で 状 況 を 見 通 せ るま で の三 夜
を 日 本 大 使 館 の ソ フ ァや床 で仮 眠 さ
。
せ て貰 った
無血入城
0 、
3 日 未 明 か ら の取 材 手 帳 の走 り
。
書 き ⋮ ⋮ 最 後 の ヘリ コプ タ ー が 去
った 米 大 使 館 前 の路 上 に引 き 出 さ れ
︶
2001年 (平成13年)1月 民放 くらぶ 。第 60号
、
た ソ フ アー で 九 裸 の赤 ん坊 を 抱 え
。
て 眠 る若 い母 親 サ イ ゴ ン河 埠 頭 に
、
集 ま り 続 け る 土 壇 場 の脱 出 を 求 め
。
る 人 々 炎 上 し て漂 流 す る海 軍 舟 艇 。
、
そ こ へ突 然 解 放 戦 線 旗 を 振 って バ
イ ク が 走 り 抜 け る。 ど こか ら と も な
く 解 放 戦 線 旗 を 掲 げ た ジ ープ が 船 着
、
き 場 に走 り 込 み 飛 び 降 り た シ ャ ツ
。
姿 の青 年 が 群 衆 に話 し 始 め る こと
が 終 わ った こと を 説 得 し て いる のだ
。
。
ろう 群 衆 が 散 り 始 め る ⋮ ⋮ 後 に
、
明 ら か に さ れ た と こ ろ に よ ると 私
服 で市 内 に潜 入 し て いた ﹁
特 別攻 撃
、
部 隊 ﹂ の行 動 であ り 彼 ら の任 務 に
、
は 電 力 や水 道 な ど 基 幹 と な る拠 点
、
サ イ ゴ ンを 取 り 巻 く 河 の橋 を 確
や
保 す る こと も 含 ま れ て いた ⋮ 次 の瞬
、 6
ライ フ ルを 乱 射 し な が
間 には M l
ら 走 り 抜 け る 旧 政 府 軍 のジ ー プ 。 身
、
を か が め て建 物 の陰 に避 難 す る と
次 の大 通 り で は 北 の兵 士 を 載 せ た ト
ラ ック を 市 民 が 取 り 囲 む よう に し て
。
対 話 が 始 ま って いる 空 港 お よ び 国
。
道 1号 方 面 に絶 え な い黒 煙 あ ち こ
。
ち で響 く 爆 発 音 市 役 所 前 で市 街 戦
。
の戦 闘 隊 形 に 入 る 北 軍 歩 兵 部 隊 自
。
動 小 銃 の乾 いた 連 射 音 そ う し た 光
景 を フ ィ ル ム に収 め な が ら 正 午 過 ぎ
、
に大 統 領 官 邸 に着 く と 一群 の戦 車
。
が 既 に休 息 体 制 に入 って いた
、
私 達 は残 念 な が ら 無 血 入 城 す る
≡
鶴
■革 な 章
≡
て いた
。
通信途絶
前 日ま で の洪 水 のよ う な
ニ ュー ス発 信 が 途 絶 え た サ
、
イ ゴ ンか ら 陥 落 の状 況 を
伝 え る ﹁日本 人 記 者 団 発 ﹂
、
の原 稿 が 東 京 に 眉 き 世 界
。
中 に転 電 さ れ た キ ッカ ケ
は 私 達 を 含 め大 使 館 に避 難
、
、
し た 口刊 2紙 通 信 1社
T V 2社 の 6人 が 大 使 館 の
テ レ ック スを 借 り て外 務 省
″
経 山 で本 社 に 送 った 必 要
最 小 限 の 々短 信 だ った のだ
、
が 聞 き 知 った 他 社 も 加 わ
、
って 送 稿 ■ を 押 さ え る た
め プ ー ル制 に し た も のだ っ
。
た 後 に ﹁共 同 取 材 に頼 る
悪 梓 ﹂ と 誤 解 に基 づ く 批 判
一
一
癖
を 受 け た こと が あ る の で記
。
機 甲 部 隊 が 大 統 領 官 邸 の鉄 門 を 突 き し て おき た い
破 る 象 徴 的 な 瞬 間 を 日 撃 す る こと は
大 使 館 の テ レ ック ス使 用 を 断 ら れ
、
、
、
、
でき な か った が 代 わ り に 舞 台 が て こ の方 式 も 2 日 間 し か 続 か ず
転 換 す る サ イ ゴ ン の典 型 的 な 状 況 は 後 に英 仏 語 に 限 って の電 報 が 認 め ら
、
。
れ る ま で サ イ ゴ ンは 世 界 の日 か ら
取 材 でき た のだ と 思 う
、
。
進 駐 部 隊 が 要 所 で 野宮 し 照 明 弾 姿 を 消 した
、
の曳 光 に取 り 囲 ま れ あ ら ゆ る 物 音
支 局 スタ ッフの死
、
が 消 え た 夜 に な って 新 し い頁 が 繰
、
、
ら れ た こと を 実 感 し た 。 深 夜 大 通
街 で は 主 だ った 建 物 の接 収 が 始
り の露 店 が 一軒 、 兵 士 に飲 物 を 供 し ま り 、 犯 罪 人 の公 開 処 刑 が 何 件 か 続
2001年 (平成13年)1月 ・
民放 くらぶ ・第 60号
、
い て 処 刑 さ れ た 死 体 が 日暮 れ ま で
サ イ ゴ ン地 区 を 統 括 す る 年事 管 叫
、
、
。
公 衆 の日 に晒 さ れ た 市 民 は ジ ュ 委 員 会 のお 披 露 H は デ ィ ンビ エ ン
4
ネ ー ブ 協 定 で南 北 が 分 断 さ れ た 5
フー陥 落 記 念 日 の 5月 7 日 に 設 定 さ
年
、
。
。
扉 れ た そ の意 味 は 当 然 市 民 に理 解
以 来 の履 歴 の申 告 を 求 め ら れ た 一
、
さ れた。
を 閉ざ し た
は
的と見な
商
店
す
一週 間 余 り 後 に 行 わ れ た
敵
対
、
な ど の布 告 に よ って 日常 活 動 の維 持
﹁
解 放 祝 賀 式 典 ﹂ で は 壇 上 中央 に
、
が 図 ら れ て いた が 高 級 品 店 は 従 来 北 ベト ナ ム のト ン ・ド ク ・タ ン大 統
、
、
の商 品 を 並 べ る 訳 にも いか ず 小 さ 領 労 働 党 南 部 地 区 担 当 の フ ァ ン ・
、
な 椅 子 を 並 べた だ け の俄 か 喫 茶 店 が フ ン書 記 総 参 課 長 の バ ン ・テ ィ エ
、 、
、
。
急 増 し た 一方 で 旺 盛 な エネ ルギ ン ・ズ ン将 軍 ら 北 の政 府 党 軍 の
、
。
ー
は
に
ち
た
間
で
の
て
い
の
北
兵
市
満
最
高 幹 部 が 居 並 ぶ そ れ ま で 北 ベト
、
。
ナ ム が ﹁南 の 民 族 同 地 と ア メ リ カ
士 が 群 が って いた
及 び そ の愧 儡 政 権 と の戦 争 であ る﹂
、
、
支 局 ス タ ッ フは毎 日 変 化 に直 面 と の立 場 を 崩 さ ず 当 事 者 と し て前
し た 庶 民 レ ベ ル の実 態 を 一
異話 を 交 え
、
、
ても た ら し た が そ う し た 中 支 局
の ウ ィ ンさ ん がピ スト ル で撃 た れ て
。4
亡 く な った 5年 に 北 の体 制 を 嫌 っ
、
て避 難 し てき た た め 最 も 神 経 質 に
、
。
な って いた と こ ろ が 一人 だ け 解
放 戦 線 に身 を 投 じ た 兄 が サ イ ゴ ン進
、
駐 部 隊 の幹 部 だ った こと が 判 って
急 に表 情 が 明 る く な って いた のだ が
治 安 維 持 に協 力 す る こと に な った の
、
が一
暴目 に 出 て ト ラ ブ ル に巻 き 込 ま
。
れ た よ う だ った そ の葬 儀 で支 局 一
、
同 が 顔 を 揃 え た 中 で 政権 中 枢 に強
い情 報 源 を 持 って いた ア ンさ ん の惟
。
眸 が 激 し か った
﹁仮 の 衣 ﹂ を 脱 ぎ 捨 て る ?
間 に押 し 出 し て いた
、
解 放 民族 戦線
の グ エ ン ・フ ・卜 議 長 や南 ベト ナ ム
臨 時 革 命 政 府 を 代 表 し て パ リ休 戦 会
議 で活 躍 し た グ エ ン ・チ ・ビ ン女 史
、
ら の姿 は 横 に長 く 延 び た 壇 の左 右
。
の端 の方 で や っと 見 つけ ら れ た
、
驚 き を 隠 せ な い私 に ハノ イ を 取
材 拠 点 に し て いた 日本 電 波 ニ ュー ス
、
の鈴 木 さ ん が 北 か ら 見 た ベ ト ナ ム
。
戦 争 史 観 を 改 め て語 ってく れ た
、
祝 賀 の H ﹁独 立 と 自 由 よ り 貴 い
も のは な い﹂ と いう 故 ホ ー ・チ ・ミ
、
ン首 席 の言 葉 長 い ベト ナ ム 戦 争 の
シ ンボ ルと な った ス ロー ガ ンが 文 字
。
通 り 街 中 を 処 め 尽 く し た 夜 に入 っ
、
て 川 岸 に出 る と 祝 賀 の花 火 と 警 戒
の た め の照 明 弾 の曳 光 が 交 錯 し て い
。
た 私 は 2年 前 の パ リ協 定 停 戦 施 行
、
、
の 日 同 じ 場 所 に立 って 間 を 払 う
照 明 弾 だ け の光 の帯 を 見 て いた こと
。
を 思 い出 さ ず に は いら れ な か った
ハノ イ で は 盛 大 な 花 火 で 祝 って いた
と いう の に。
報 道 陣 用 の航 空 便 への登 録 受 付 が
。
始 ま った のは そ の 翌 朝 であ る か ね
、
て電 報 に よ る 原 稿 の中 に そ の後 の
行 動 に つ いて の質 問 を 忍 び 込 ま せ て
、
いた のだ が 本 社 か ら 届 い て いた 返
、
電 は ﹁小 田 カ メ ラ マ ン は 残 って 取
、
藤 原 は 最 初 の機 会 に帰 国
材を続 け
︶
2001年 (平成13年)1月 ,民放 くらぶ .第 60号
︶
︶
、
、
し て特 別番 組 を ﹂ と いう も のだ った。番 安 く 食 べ る には 路 上 で 香 菜 を の 荷 物 検 査 で ﹁非 公 式 ル ー ト に 託 し
、
魚 醤 ︶ て東 京 に 送 る﹂ と いう 誘 惑 を 退 け て
私 達 は ベト ナ ムが自 ら発 信 し よう 一せ た ど ん ぶり 飯 に ニ ョク マム ︵
、
と す る宣 布 行事 以外 には 外 国 の テ を か け る。 土 地 の人 は 道 に し やが む た め 込 ん で いた フ ィ ル ムを 持 ち 出 せ
、
レビ 取 材 を 受 け 入 れ る態 勢 には無 い のだ が ど う にも そ れ は 出 来 か ね て た のだ か ら 。 未 現 像 ス テ ィ ル フ ィ ル
、
、
と 判 断 さ れ る ので 小 田 さ んだ け残 立 った ま ま か き 込 ん だ 。 意 気 阻 喪 し ムを 没 収 さ れ た 仲 間 も いた が 私 達
っても 現 実 的 な意 味 は少 な いと 思 わ な いよ う にと 夕 食 は 食 堂 に 入 った の は 新 聞 以 外 の印 刷 物 の携 行 を 拒 否 さ
、
。
。
。
れ る こと を 伝え た こ の フライ ト に だ が 弱 った のは 嗜 好 品 であ る 煙 れ た
、
ビ エ ンチ ャ ン の 日本 人 大 使 館 でビ
登 録 す ると 外 務省 に出 頭 し て ﹁出 草 一箱 と 小 ビ ン のビ ー ルが 同 じ 値 段
、
、
。
ザ 手 続 き を 済 ま せ メ コ ン河 を 船 で
発 は 明 日 にも ﹂ と いう 係官 の説 明を で そ れ は 昼 食 代 の 二倍 にも な る
、
、
開 く 朝 が 九 日間も 繰 り返 さ れ る こ チ ェー ン ス モ ー カ ー の小 田 さ ん と 呑 タ イ 側 に渡 り バ スが バ ン コク に着
、
。
と にな る。
兵 衛 の私 が 到 達 し た 解 決 策 は 煙 草 いた の は 日付 が 変 わ って か ら だ った
。
の 日と ビ ー ル の 日を 交 互 にす る こと 電 話 レ ポ ー ト や打 ち 合 わ せ で ホ テ ル
耐乏生活
、
、
一日 お き に小 ビ ンを 分 け 合 い 吸 い の ベ ッド は 遂 に使 う 暇 も な く 朝 一
5
″
状 況 に合 わ せ て 残 留 願 望 ″ を 呆 つな ぐ と いう 誠 に健 康 的 な 生 活 を 送 番 の便 で 羽 田 に帰 った のは 2 日も 夜
、
。
、
。
た し た 私 は 計 画 的 に準 備 し な か っ る こと が でき た そ ん な あ る 日 旧 に 入 ってか ら であ る 一
。
た 結 果 を 刈 り 取 る は め にな った 物 知 の中 国 系 ベト ナ ム 人 が チ ョ ロ ン中
。
。
特 別 番 組 は ﹁サ イ ゴ ン ・陥 落 と 変
価 高 騰 に よ る 生 活 苦 であ る 実 は か 華 街 の レ スト ラ ン に招 待 し てく れ た
、
5
7
0日
な り のド ル紙 幣 を 身 に つけ て いた の し か も 私 の物 欲 し げ な 視 線 が 隣 の 革 の 3
﹂ ︵7年 5月 2 日 放 送 ︶ と
、
、
、
、
だ が 緊 急 事 態 に備 え て あ る いは 卓 に向 いた のを 気 付 か れ た のだ ろう 題 し た が 視 点 の中 立 性 を 保 つた め
、
。
如 何 な る 形 であ れ フ イ ル ム送 り の機 出 回 り 始 め た 高 価 な ド リ ア ンを デザ の苦 肉 の選 択 で 正 確 で は な い 番
、
、
、
会 を 逃 さ な いた め に 無 為 に費 う わ ー ト に取 ってく れ 記 憶 す る 最 高 の 組 内 でも 述 べ た と お り 体 験 し た の
、
。
。
。
は 変 革 への地 な ら し 段 階 に 過 ぎ な い
け に は いか な い と は 言 え 当 面 の 食 事 と な った
、
私 は ベト ナ ム の人 々 の生 き 方 や感
宿 所 は 安 全 確 保 と 情 報 に接 す る た め
最 後 の難 関 を 無 事 に
にも 外 国 報 道 陣 の多 い高 級 な キ ャ ラ
受 性 に でき る だ け 自 分 を 近 づ け な が
、
。
4日、各 国 道 陣 を の た
5月 2
報
せ 特 ら 迫 り 来 る 変 化 を く み 取 ろう と し
ベ ル ホ テ ルが 望 ま し い 一部 屋 を 小
、
。
田 さ ん と シ ェア し た が 小 田 さ ん は 別 機 が ラ オ ス のビ エ ン チ ャ ン ヘ向 け て いた のだ った ラ ウ ド スピ ー カ ー
、
、
。
、
汗 っか き 私 は 寝 冷 え が 怖 く 互 い 離 陸 し た と き 主 に 西 欧 の記 者 た ち の行 進 曲 に圧 倒 さ れ な が ら
。
か ら 拍 手 が 起 こ った そ れ に和 す る
、
。
写真 は T B S提供 サイゴ ン陥
気 持 ち に は な れ な か った が 深 い安
、
。
落 後 に小 田カ メラ マンが撮影 し
堵 感 を 持 った のは 確 か だ こと に
。
た フ ィ ル ムか ら
出 国 にあ た って の最 大 の不 安 だ った
に 相 手 が 寝 静 ま ってか ら 温 度 の調 節
。
を 繰 り 返 し た も のだ った 後 に は 幾
て
。
晩 か を 支 局 の ソ フ ァー で過 ご し た
。
朝 食 を 抜 く のは簡 単 だ 昼 食 を 一
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