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女王の石器時代

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女王の石器時代
社会
26
NO.
〈解答〉
1 1 打製
2 遺跡:ウ 県:オ(両解)
3 ア
4 はにわ
5 イ
6 エ
7 天皇:聖武(天皇) 倉庫:正倉院
8 〔例〕天皇が幼いときには摂政,成人後には関白となって行った政治。
配点 18は2点,他は各1点 10点満点
〈解説〉
1
1 石を打ちかいてつくった打製石器に対して,みがいて形を整えた石器を磨製石器とい
う。旧石器時代にかわって縄文時代が始まると,磨製石器や土器が使用されるように
なった。
2 アの岩宿遺跡は,群馬県にある旧石器時代の遺跡,イの登呂遺跡は,静岡県にある弥生
時代の遺跡,エの吉野ヶ里遺跡は,佐賀県にある弥生時代の遺跡である。
3 日本で邪馬台国が栄えていたころの中国は,魏,呉,蜀の三国が争う三国時代であった。
邪馬台国の女王卑弥呼が3世紀に使いを送ったのがこのうちの魏である。イの秦は,紀
元前3世紀に中国を統一した王朝である。この秦が短期間で滅んだのちに中国を支配し
たのが,ウの漢である。エの殷が成立したのは,紀元前 16世紀ごろのことである。
4 はにわには,人物をかたどったもののほか,動物や家,船をかたどったものや,円筒形
のものなど,さまざまな形のものがある。はにわからは,古墳時代の人々の服装の様子な
どをうかがうことができる。
5 中大兄皇子は,645年に大化の改新を始め,天皇中心の国づくりを進めた。このころの
663年,日本は友好関係にあった百済を助けるために朝鮮半島に兵を送り,白村江の戦い
で唐と新羅の連合軍に敗れた。こののち,中大兄皇子は朝鮮半島から兵を引き,西日本の
守りを固めるとともに,大津に都を移して天智天皇として即位した。アとエは,聖徳太子
について述べている。ウの大宝律令が定められたのは飛鳥時代末の 701年のことである。
6 大宰府は律令制のもとで九州地方の政治や外交に当たった役所で,現在の福岡県に置
かれた。
7 奈良時代には,唐の文化と仏教の影響を強く受けた国際色豊かな文化が栄えた。聖武
天皇が即位していた天平年間を中心に栄えたことから,この文化を天平文化という。こ
の文化が栄えたころには,さかんに派遣されていた遣唐使によって,大陸のさまざまな文
化が日本に持ち帰られた。東大寺の正倉院に収蔵された聖武天皇の遺品の中には,西ア
ジアやインドなどの文化の影響が色濃く認められる品々がある。
8 藤原氏は,娘を天皇のきさきとし,そのきさきが産んだ子を次の天皇として立てて,天
皇が幼い間は摂政,天皇の成人後は関白として政治を行った。この政治を,摂政・関白と
いう役職名から1字ずつをとって,摂関政治という。
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