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ハデス ∼最後のティタノマキア

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ハデス ∼最後のティタノマキア
ハデス ∼最後のティタノマキア∼
底なしコップ
タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト
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ます。小説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。
︻小説タイトル︼
ハデス ∼最後のティタノマキア∼
︻Nコード︼
N5068CX
︻作者名︼
底なしコップ
︻あらすじ︼
かつて史上最強最悪と恐れられたが、その力のほとんどを失っ
た冥王ハデス。
そんな彼の下に新入り裁判官が着任した。
新人研修の最中、ハデスと新人裁判官は突如として世界を揺るが
す大騒動に巻き込まれてしまう。
終わったはずの戦いを、終わった男が終わらせる!
ハデスは実はいい人だ?
1
そんな馬鹿な!
奴は暗くて冷たくて、嫌な奴だ!
※このお話はギリシア神話を題材にした創作物です。
ギリシア神話に強い思い入れがあって﹁こんなもの許せん!﹂
というポリシーの方は、寛大なる御心でスルーして下さいm︵︳
︳︶m
2
第1話 ﹁ようこそ冥府へ!﹂
冥王ハデス。
最強にして最凶にして最恐なる黒き王。
偉大なる黄金王クロノスの子。
あまねく万物に等しく滅びを与える裁定者。
人類史上最高最悪をその身に秘めた男。
彼の名は死を招き、誰も彼もが恐れ慄く。
﹁それがなぜ⋮⋮幼女にボコられてるんだ⋮⋮?﹂
入所初日、着任早々上司が10才にも満たない女の子に折檻を受
けていた。
グーで顔を殴りに殴り、右へ左へフルボッコ。
これは夢か? 幻か?
いやいやそんな筈は無い。
これでも私は冥府の裁判官となるべく高度な訓練を受け、厳しい
試験を突破したエリートだ。
⋮⋮そう、信じたい。
しかし、目の前の光景のせいで、どうにも自信が持てない。
私は不安に駆られ、先輩裁判官のミノスに今一度尋ねた。
﹁あのぉ⋮⋮この、幼女にボコられてるのが⋮⋮﹂
﹁ええ。我らがご主人、冥王ハデス様です﹂
ミノスは淀みなく、にこやかに答えた。
止めなくていいのだろうか?
3
﹁アアッ!? 誰が幼女だ!? コラアッ!!﹂
幼女と言われて幼女が怒った。
幼女はハデスに馬乗りのまま、鋭い眼光でこちらを睨みつける。
怒りのあまり凶悪に顔が歪んでおり、可愛らしさは微塵も無い。
とても子供とは思えぬ剣幕に、私はたじろいでしまった。
﹁ご、ごめんなさい!﹂
取り敢えず謝った。
ここは冥府のど真ん中、オトリュス城の中である。
かつてこの城は、栄華を極めたティタン族の王クロノスの居城だ
った。
しかし、クロノス王は三人の新しき王、雷霆ゼウス、海王ポセイ
ドン、そして冥王ハデスに敗れ、その地位と莫大な富を明け渡した。
その中の一つがこのオトリュス城であり、現在ではハデスの職場
兼お住まいだ。
そんな所にただの幼女がいる訳が無い。
この冥府では不老不死とさえいわれる程のご長寿種族が人口の大
半を占めている。
見た目に惑わされ、うっかり大御所を年下扱いして痛い目をみる
などザラだ。
既に手遅れだろうが、素直に謝った方がいいに決まっている。
﹁⋮⋮⋮⋮チ!﹂
﹁ギャン!﹂
ハデスが宙を舞った。
幼女が舌打ちすると同時にハデスを蹴り飛ばしたのだ。
並みの脚力じゃない。
4
﹁アウチ!﹂
落ちた。
ハデスはされるがまま、一切抵抗しない。
史上最強の冥王が、何故一方的に殴られているのか。
あの幼女が如何程の貴婦人かはわからないが、いくらなんでも天
下の冥王よりも格上ではあるまい。
私が困っているのを察してか、ミノスが口を開いた。
﹁こちらは冥府の女王、ペルセポネ様です﹂
﹁マジで!? これが!?﹂
﹁アアン!!?﹂
激昂したペルセポネが私に飛びかかってきた!
⋮⋮のをハデスが庇ってくれた!
⋮⋮のだが、モロに顔面に蹴りが入り、そのまま横に吹っ飛び、
頭から壁にめり込んだ。
⋮⋮助かった!
しかし今更だが、その小さな体のどこにこんな力があるのだろう
か。
この一見すると人形のような華奢な女の子に。
勿論、この世界において怪力少女など珍しくも無い。
それが女王ペルセポネともあれば、尚更である。
ではあるのだが、私の知る限りペルセポネといえば、ハデスによ
って冥府に閉じ込められた悲運の姫君のイメージだ。
それがこうも凶暴な幼女だとは思いもよらなかった。
﹁今日はこれで勘弁してやる! 次やったらアレだからな!!﹂
﹁ふぇ∼い∼﹂
5
捨て台詞と共に、小さな女王ペルセポネは床にヒビをつけながら
去っていった。
いったい何をしでかしたのやら。
アレとは何だろう?
﹁どうも∼ハデスです!﹂
﹁お、お疲れ様です!﹂
いきなりビヨ∼ンと芸人のコントみたいに起き上がり、冥府最高
責任者はコメディアンの様な動きで握手を求めてきた。
やや反応に困るが、今後お世話になる上司だ。
無視する訳にはいかない。
︵冷た!?︶
一瞬ヒヤッとした。
極度の冷え性なのかとんでもなく冷たい手で、まるで死体の様。
それは手に限った事じゃない。
ボサボサの艶の無い脱色したかの様な白髪に、不気味なまでに青
白い不健康そうな肌。
気怠そうな猫背に、真っ黒な喪服姿。
そしてそのご尊顔には、レンズ越しでは眼が見えない程の瓶底眼
鏡。
ハッキリ言ってダサい。
いったいこれのどこが最強の黒き王なのか。
喪服が黒いだけじゃないか。
死者の王としては納得の成りではあるが。
因みにハデスの着ている喪服は、スーツにネクタイという冥府独
自の礼服である。
6
私もミノスも、同じような黒い礼服を着用している。
世界広しといえど、このデザインの服を身にまとうのは冥府の職
員のみ。
わかり易い冥府職員の制服といえるだろう。
他にも、先ほどの幼女ペルセポネもまた、他では見られない製法
の、ブラウスなる服を着用していた。
この一点をとっても、冥府が他国よりもあらゆる技術面で優れて
いる事がわかる。
そんな事を連想しつつ、私はハデスとの挨拶を済ませた。
﹁ええっと、ハデス様﹂
﹁あ︱︱様、やめてくれない?
なんか恥ずいんで﹂
﹁じゃあ、裁判長?﹂
﹁ん、まあいいかな。で、何?﹂
﹁本日は裁判長に付いて研修との事ですが﹂
﹁そうだったね、うん。
研修といっても軽く職場案内するだけだから、身構える必要はな
いよ﹂
﹁はい! よろしくお願いします!﹂
﹁じゃあ、行こうか﹂
ハデスに連れられ、リニアモーターカーに乗った。
これも冥府以外では見られない機械仕掛けの乗り物だ。
﹁軽く職場案内って言いましたけど、遠出するんですか?﹂
﹁うん、軽く冥府を一周ね﹂
﹁え!? ハードスケジュールじゃないですか!﹂
ガイア
﹁いや∼でもさ∼。
地球に比べたら、この星なんて小さいからねぇ∼﹂
7
﹁いやいやいや!﹂
ガイア
ここ冥府は地球から遠く離れた準惑星、冥王星にある。
ハデスが言うように、星としての規模としては地球にある月より
も小さい。
とはいえ、星である。
星を一周する事が、そんなにお手軽な筈がない。
やはりというべきか、流石は冥府のトップ。
どんなに名前負けして見えても、肝の方は据わっているようだ。
私は研修プランにこれ以上口を挟むこともせず、電車の旅を楽し
む事にした。
﹁私これ、初めて乗りますよ!﹂
﹁へーそうなんだ∼﹂
﹁これって電気で動いてるんですよね?﹂
﹁そう。これも技術革新した冥府ならではだね﹂
﹁確か、太陽の光りで動いてるんでしたっけ?﹂
この星には5つの人工太陽が廻っている。
元は死の星だった冥王星に、命を吹き込んだ莫大なエネルギー。
人類の叡智、科学技術の集大成。
期待の新技術と謳われており、開発にはかの十二神の発明家ヘパ
イストスやプロメテウスが関わったらしい。
なぜ5つなのかというと、それぞれに役割がある。
一番外側の太陽が最も大きく、飛来する隕石から冥王星を守る役
割を担っている。
続いて2、3番目に遠い太陽はほぼ同距離で互いに反対側にあり、
本来極寒の星である冥王星を温め、4番目がその微調整をしている
という。
最後に最も近い太陽が、昼と夜をつくりだす。
8
以上が、冥府職員向けのカリキュラムで得た知識なのだが。
﹁ん∼残念! 窓の外をご覧下さい∼﹂
違った。
窓を覗き込むと、一面真っ青の空と海が見える。
いや、これは海じゃない。
巨大な川だ。
﹁人工大河!﹂
﹁そう。冥王星をぐるっと一周する5つの人工大河。
この電車はこの川の流れを利用して動いているんだよ∼﹂
﹁水力発電ですね!﹂
﹁うん、エコってやつだね。
太陽光発電も考案されたんだけど、雨も降らせなきゃならないか
らねぇ。
これなら雨の日も風の日も、休みなく動いてくれる﹂
5つの人工大河。
確か、ステュクス川、プレゲトン川、レテ川、コキュートス川、
アケロン川という人工的に造られた巨大な大河で、それぞれ冥王星
をぐるりと囲み、循環しているという。
ちなみに、人工の星である冥王星は天候すらも人工的に操作され
ており、環境維持に最も適したスケジュールで雨を降らしたりして
いる。
この星では天気ですら決定事項なのだそうだ。
﹁うっわまぶしっ!﹂
﹁黄金都市だね∼﹂
黄金都市。
9
文字通り金色に光り輝く都市で、かつては世界を支配していたテ
ィタン族の都だ。
生涯成長し続けるティタン族は、3メートルから6メートル程の
巨体である。
その為、立ち並ぶ町並みはやたらとでかい。
言い忘れたが、このリニアモーターカーもティタン族に対応して
いる為、かなり広い。
ちなみに私達のいる車両は2メートル未満の種族向けの造りにな
っているので、椅子が大き過ぎて座れないということはない。
ガイア
﹁大きな町ですねー。全てが﹂
﹁だねー﹂
﹁この町って元は地球にあったんですよね?﹂
﹁そだよ∼﹂
﹁どうやって運んだんです?﹂
﹁こういうのが得意な人がいてねぇ。
ちょっと黄金都市全てを移動させてもらったんだよ﹂
⋮⋮サラッと凄い事言いやがった。
確かにオリンポス十二神をはじめ、強大な力を持った超人がひし
めく世界だが、一つの都市⋮⋮国と言ってもいい。
それを﹁ちょっと﹂で移動させられる人物がそうそういる筈もな
い。
十二神の力は全て一般に公開されているが、そんな事ができそう
なのは万能の力を持つゼウスぐらいだろう。
或いは空間を切り裂くというティタンの王クロノスか、世界を創
造したと云われる原初の巨人しか思い当たらない。
多分ゼウスにお願いしたのだろう。
なにせゼウスはハデスの弟なのだから。
10
﹁お! ここ! ここ!﹂
﹁うわぁ⋮⋮!!﹂
黄金都市の中心地。
美しい町並みの背後に荘厳なるオトリュス城がそびえ立つ。
冥府の観光案内のパンフレットにあった通りの風景だ。
お土産コーナーには同じ風景の絵ハガキも売っている。
ようやく実感が沸いてきた。
やってきたんだ!
冥府に!
憧れの裁判官として!
意気込む私に我が子を見てほっこりする親の様な笑みを浮かべ、
ハデスが手を差し伸べた。
﹁ようこそ、冥府へ!﹂
11
第2話 ﹁嫌われてるのでヨロシク!﹂
私はなんて幸運なのだろう。
尊敬する冥王ハデスに誘われ、夢にまで見た黄金都市に足を踏み
入れる。
子供の頃からの夢だった、裁判官として。
﹁あ! ハデス!!﹂
﹁なにぃ!? ハデスだとぉ!?﹂
﹁ハデス! ハデス!﹂
流石は冥府最高位の王。
街に入ったと同時に歓迎されるとは。
見る間見る間に人だかり。
高貴そうな兵隊達までやってきた。
おそらくガードマン的な人達だろう。
やはり冥府のトップともなれば、破格の待遇は当然ということか。
﹁ゴキン!!﹂
﹁なっ⋮⋮⋮!?﹂
いきなりガードマン的な人が巨大なハンマーでハデスをぶん殴っ
た。
まるで打たれた杭の様に地面にめり込んだハデス。
⋮⋮なぜわざわざ自分で効果音を口で言ったんだ?
いや、問題はそこじゃない。
カードマンが全くガードマンしていない事だ。
12
﹁これはこれは偉大なる冥王ハデス様じゃあございませんかー!﹂
﹁これはこれはコイオス将軍閣下。
素敵なハンマーをお持ちで﹂
﹁優雅に戦鎚と言ってはもらえんかね?
これだからオリンポス族は品性に欠けて困る﹂
﹁あはははは⋮⋮サーセン﹂
コイオス将軍。
ティタン族の重鎮で大戦時には軍を率いていたという猛将。
身の丈6メートルと他のティタン族よりも頭一つ大きく、金ピカ
の甲冑も手伝ってかなり目立つ。
いかにもザ・貴族といった物腰の御仁だ。
﹁ところで多忙な筈の冥王様が、なにゆえ囚人街に?﹂
﹁ちょいと新人に職場案内を⋮⋮﹂
﹁ほぉう。それは丁度いい。
実はこれから我らが女王の舞踏会がありましてなぁ。
是非とも参加されるがよろしかろう!﹂
﹁げ! いえいえ!
結構︱︱でぇええええす!!﹂
ハデスは天高く打ち上げられた。
整理しよう。
ハデスは地面に埋まったまま、コイオスのハンマーにより﹁でぇ
ええええす!﹂の時にショットされたのだ。
ゴルフボールのように。
﹁ナイショット!﹂
﹁裁判長ぉおおおおおお!!﹂
13
﹁さて、我々も行くとしようか。
冥王陛下のお連れだ。丁重にお連れしろ﹂
﹁はっ!﹂
﹁は、はあ⋮⋮﹂
コイオスに連れられて来たのは象牙で造られたコロッセオの特等
席。
そこには鎖でがんじがらめに拘束されたハデスが椅子にくくりつ
けられていた。
﹁あのぉ⋮⋮﹂
﹁シ! 静粛に! 間もなく始まる!﹂
全く状況がわからぬまま、質問すらも許されない。
いよいよもって、きな臭くなってきた。
頼りの上司は私以上に大ピンチだ。
なんとかハデスを助けて逃げる方法はないものだろうか⋮⋮。
﹁みんな∼! 来てくれてありがとう∼!﹂
﹁﹁﹁﹁﹁﹁﹁﹁﹁﹁レアちゃ∼ん!!﹂﹂﹂﹂﹂﹂﹂﹂﹂﹂
﹁ファ!?﹂
﹁な! 何事!?﹂
﹁楽しんでいってね∼!﹂
﹁﹁﹁﹁﹁﹁﹁﹁﹁﹁フォオオオオ!!﹂﹂﹂﹂﹂﹂﹂﹂﹂﹂
何が起こってるんだ?
いきなりライブが始まったぞ? アイドルの。
もしかして、舞踏会ってこれのことか?
﹁ちょ! これは!? 裁判長!?﹂
14
﹁あー! あー! 聞こえないー!
なんにも聞こえないー!﹂
なぜか頑なに目を閉じ、聞く耳持たんときた。
なにやってんの? この王さま。
﹁オラオラ! ハデス様よぉ!
テメエの母君だろおがよぉ! 応援しねえのかよ!﹂
コイオスがガンガンとハデスの椅子を蹴りながら煽った。
さっきまでの貴族然とした雰囲気はどこいった?
品性の欠片もないじゃないか。
酒でも飲んだのか?
﹁ヤだって言ってるでしょ!?
オフクロだよ!?
オ! フ! ク! ロ!
君だって自分ん家のカーチャンがアイドルやってたらイヤっしょ
!?﹂
﹁んだと!?
我らがクイーン! レアタンの歌が聴けねぇってのか!?﹂
﹁ヤメテー! タン言うのヤメテー!!﹂
﹁いいから親孝行してこい!!﹂
﹁NOOOOOOOOOOOOOOOOO!!﹂
﹁裁判長ぉおおおおお!!﹂
﹁ナイスコントロール!﹂
ハデスはまたしても椅子ごとショットされてしまった。
そしてちょうど舞台のど真ん中に着地した。
しかも見事に転がらず。
15
それにしても、さっきからご機嫌取りしてる取り巻きさん達、大
変だなぁ。
まだ﹁いやーさすが!﹂とか言いながら拍手してる⋮⋮。
ウチの上司はどうだろう?
面倒くさく無ければいいが。
﹁みんな∼! 今日はスペシャルゲストが来てるの∼!﹂
﹁﹁﹁﹁﹁﹁﹁﹁﹁﹁フォオオオオ!!﹂﹂﹂﹂﹂﹂﹂﹂﹂﹂
﹁なんと私の息子! ハデスちゃんで∼す!﹂
﹁﹁﹁﹁﹁﹁﹁﹁﹁﹁ブウウウウウ!!﹂﹂﹂﹂﹂﹂﹂﹂﹂﹂
﹁やめちくりぃいいいいいいい!!﹂
うっわぁ、晒し者。
あのアイドル。一応ティタンの女王レアなんだよなぁ?
しかもハデスの母親。
それにしても事前に打ち合わせでもしてたかの様な応用力。
おそらく何百年もライブしてるんだろう。
てか、子持ちアイドルとか、ファン的にはOKなのか?
﹁さあ! ハデちゃんも一緒に∼!﹂
﹁アッ︱︱︱︱!!﹂
その後2時間以上にも渡り、上司が無理やり母親にオタ芸を強要
される様を眺めさせられた。
⋮⋮何の罰ゲームだよ。
マザコンコールが飛び交う中、私たちは逃げるように電車へと駆
け込んだ。
﹁ヒドイ目にあった⋮⋮﹂
﹁⋮⋮お、お疲れ様です﹂
16
﹁あの、言い忘れてたんだけど﹂
﹁なんです?﹂
﹁俺、嫌われてるのでヨロシク!﹂
﹁冥王なのに?﹂
﹁冥王だからだよ﹂
よくよく考えてみればわかることだ。
ティタン族にとって、ハデスは侵略者であり処刑人である。
この世で最も忌むべき対象なのかも知れない。
﹁まあ、しょーがないんだけどねぇ﹂
﹁やはり裁判長がオリンポス族だからでしょうか?﹂
﹁いや、俺が全ティタン族の個人情報把握してるからじゃないかな
?﹂
﹁そっちですか!
てか凄いですね!
全ての囚人を覚えてるのですか!?﹂
﹁まぁ、役職上﹂
やっぱ何気に凄いな、この人。
最初はイメージとのギャップが酷くて若干幻滅したけど、やはり
只者ではなかった。
フォローしておこう。
﹁必要な事かと﹂
﹁けど、自分たちより遥か年下の若造に管理されるなんて屈辱なん
だろうねぇ﹂
﹁若造って、裁判長。おいくつです?﹂
﹁えっと、今年で30かなぁ﹂
﹁思ったよりお若いですね!
17
もっと、ずっと年上かと思ってましたよ﹂
﹁ね? 千年を生きる彼らからすれば、赤子に等しいんだよ﹂
﹁しかし、いくらなんでも裁判長。
一方的にやられすぎじゃないですか?
一応、立場はこちらが優位な訳ですし﹂
﹁いやいや、これで飯食ってますから。
お客様ですよ? 彼らは﹂
その発想は無かった。
ガイア
ティタン族は通常の囚人というよりは敗国の民。
彼らに下された罰は母なる地球からの追放。
それ以外に罰則は無く、かなり好き勝手を許されている。
そして私たちは、そのティタン族を管理して給料貰ってる。
そう思えば、確かに彼らはお客様だ。
いささか低姿勢過ぎるとも思うが。
ウチの上司は。
﹁さてと、次行こうか! 次ぃ!﹂
﹁さ! 裁判長!
矢! 刺さってますよ!? 頭!!﹂
﹁や? 痛てぇえええええ!!?
ナニコレ!?﹂
急に痛がりだした!?
気付かなかったのか!?
﹁大丈夫ですか!?﹂
﹁イタタ! へ、ヘーキだよ⋮⋮﹂
﹁顔色悪いですよ!?﹂
﹁ああ、これデフォだから﹂
18
﹁あ、そうだった﹂
﹁そりゃあ、ここまで嫌われてるのかと思うとウツだけどさぁ⋮⋮﹂
精神的に落ち込んでただけか!?
⋮⋮怪我の方を心配したのだが。
何というか、頑丈だなぁ。この人。
あれ? 矢尻に血が付いてない?
﹁危ない!﹂
﹁えっ!?﹂
ハデスが私を押し倒した瞬間、激しい爆発音が聞こえた。
気付けばドアが破壊され、隣の車両が見える。
﹁かくご!﹂
そこには小さな影があった。
子供の声?
同時に複数の矢が私を襲う!
が、その全てをハデスが右腕で庇ってくれた。
﹁裁判長!!﹂
﹁痛い痛い!
まったく! 今日は厄日かなぁ?
オフクロの件といい、子供に殺されかけたり⋮⋮。
身も心も痛いよぅ!﹂
泣き出しそうな口調とは裏腹に、ハデスはゆっくりとした挙動で
子供へと歩み寄る。
19
﹁危ないから取り敢えず、その武器を置こうね∼﹂
﹁うっさい! メガネ! おまえなんてやっつけてやる!﹂
﹁ガーン! 知らない子にまで嫌われた!﹂
﹁おいおい、知らねぇは無えだろう?﹂
子供の背後。
もうもうと上がる煙の中から男の声がした。
それは豪快ながらもどこか気品のある、印象深い声だった。
﹁この娘はオレ等の姪っ子だぜ? 兄貴︱︱!﹂
﹁⋮⋮何の冗談だい? ポー!﹂
ハデスがポーと呼んだその男。
端正な顔に無骨な王冠を頂き、鍛え抜かれた肩には三叉の矛が担
がれていた。
⋮⋮間違いない。
彼こそはオリンポス十二神にして、大海を統べる海王ポセイドン。
ハデスの、弟だ。
20
第3話 ﹁メガネ攻撃は反則でしょ?﹂
﹁冗談? いやいや、マジなんだって!﹂
﹁あーハイハイ。
こないだは息子を拾ったんだっけ? クジラの﹂
﹁聞けって!﹂
海王ポセイドン。
無敵の王ゼウスの兄にして、最強の王ハデスの弟である最高の王。
何が最高かというと、三人の中で一番人気があるらしい。
人気の秘密は色々あるが、とにかく器のデカさとノリの良さに定
評がある。
有名なエピソードが、世界一凶悪な犯罪者とマブダチになったり、
最も醜い化物をペットとして可愛がっている事だ。
彼はどんな人物であろうとも差別せず、家族の様に接するのだそ
うだ。
﹁ゼウスの娘アルテミス!
正真正銘! オレたちの姪だ!﹂
﹁マジで?﹂
﹁マジで!﹂
アルテミス? 聞いたことないな。
オリンポス最高位の王ゼウスに子が生まれたとなれば、即座に知
れ渡るだろうに。
⋮⋮ワケありかな?
﹁で、何で俺は、その姪っ子ちゃんに殺されなきゃならないの?
21
てか! ドア爆破した意味は!?
弁償してよ! マジで!!﹂
﹁あ? だってこのドア押しても開かねぇんだもんよ﹂
﹁引き戸なんだよ!
押してダメなら引いてみろ!﹂
﹁あん?
よくわからねぇが、細けーこたぁいいじゃねーか!
ガーハハハハハハ!!﹂
﹁⋮⋮もうイヤだこの弟!
いっつもそうやって誤魔化す!
バカなフリしてるの、わかってるんだからな!﹂
﹁まぁ、バカ話はこのくらいにして本題に入ろうぜ?
事情は︱︱話せるな?﹂
﹁うん﹂
﹁急に真顔になるな!
そして子供を使うなんて卑怯だぞ!
ちゃんと後で請求するからな! 修理代!﹂
ハデスが喚くのをガン無視して、少女アルテミスは語りだした。
﹁わたしはアルテミス。
ゼウスとレトのむすめ。
じつは︱︱﹂
﹁あー言わなくていいよー!
もう大体わかった﹂
﹁でも!﹂
﹁不肖の愚弟ゼウスが妾と子供つくって正妻ヘラさんはカンカン。
しかもレトはティタン族で、あのコイオス将軍の娘。
大方居場所が無くなってウチに来たってことでしょ?
違う? いった!!﹂
22
あ、また頭に矢が刺さった。
アルテミスは目に涙を溜めて第二撃に備えてる。
伯父さん、大人げないなぁ。
一の情報で十を把握する察しの良さは裁判官としては満点だけど。
﹁⋮⋮イタタタ!
ゴメンゴメン。
おいちゃんが悪かったよ。
でも何でおいちゃんを殺そうとするの?﹂
﹁さいきょうのハデスをたおせば、みんなみとめてくれる!﹂
﹁なーるほど、流石はゼウスの娘﹂
﹁あたしとたたかえ! めいおうハデス!﹂
﹁うん、いいよ﹂
﹁ちょ! 裁判長!?﹂
何を考えてるんだ!? この人は!
最強の王がなに子供のたわ言真に受けてんだ!?
⋮⋮いや、真に受けてるのは私か?
確認しよう。
﹁冗談ですよね? 裁判長﹂
﹁本気だよ?
子供だからって手を抜いたとあっちゃあ冥王失格ですよ。
ポー、立ち会いヨロ﹂
﹁おう!﹂
この人は!
せっかく小声で言ったのに!
23
﹁日取りと決闘場所はどうする?﹂
﹁いますぐ! ここで!﹂
﹁うん、わかった。
話が早くていいや﹂
いいのかよ!?
⋮⋮車内が壊れるんじゃないか?
﹁オリンポスおうゼウスがむすめ!
アルテミス!﹂
﹁そして!
そのおとうと! アポロン!﹂
﹁ちょっと待ってー!
弟!? どっから湧いて出たの!?﹂
ハデスがそうツッコむのも当然だ。
私もそう思った。
アルテミスの後ろから不意に美少年が現れた。
﹁はうぅ⋮⋮!﹂
アポロンを名乗る少年は、ハデスのツッコミに涙目になった。
凛々しい姉とは違い、気弱そうな弟だ。
﹁きさま! よくもおとーとをなかせたな!﹂
﹁ゆるさない!﹂
﹁だからちょっと待っ痛ぇえええええ!!!﹂
ハデスは盛大に爆死した。
いや、死んではいないのだが。
24
アルテミスの矢の乱れ打ちを喰らい、矢が触れた瞬間爆発したの
だ。
どうなってんだ?
﹁みたか! あたしたち、ふたごのちからを!﹂
﹁ぼくはさわったものをバクダンにかえることができるんだ!﹂
﹁アポロンがヤをバクダンにして!﹂
﹁アルテミスがそれをはなつ!﹂
﹁﹁どんなやつでもドッカーンだ!!﹂﹂
実に息のあったコンビネーションと解説だ。
きっと何度も練習して覚えたんだろう。
成る程、ドアを爆破したのはアポロンの能力だったのか。
え? ハデスはどうなったかって?
多分、問題無いだろう。
頑丈だし。
﹁参りました∼!﹂
﹁﹁やったー!!﹂﹂
最強の冥王に双子が勝った。
⋮⋮良かった。
どうやら最初から本気で戦うつもりは無かった様だ。
﹁君たち強いねぇ∼!
ガイア
流石はゼウスの子供だよ∼!﹂
﹁﹁えっへん!﹂﹂
﹁これで安心して、地球に帰れるねぇ∼﹂
﹁﹁⋮⋮⋮⋮﹂﹂
25
ご満悦だった双子の表情が険しくなった。
その理由は察しがつくが。
﹁⋮⋮あたしたちは、おまえにかった!﹂
﹁うん。そうだね。
君たちは勝者だ﹂
﹁だから⋮⋮ここにすまわせろ!﹂
答えたのはアルテミスだった。
ガイア
確かに、いくらハデスに勝ったとはいえ所詮は茶番。
それで地球に帰ったとしても、彼らを取り巻く状況が打破される
とは思えない。
だから双子は選んだのだ。
冥府を安住の地に。
﹁悪いけど、ムリだねぇ﹂
﹁﹁な!﹂﹂
﹁なんでかって?
取り敢えず理由は二つある。
まず第一に、ここは罪人の流刑地だからね。
何の罪も犯していない者を移住させる事はできない﹂
﹁﹁ちょ︱︱!﹂﹂
﹁︱︱第二に。
問題は君達の血統にある。
君らはゼウスの子であると同時に、レトの子でもある。
レトはティタン族の権力者、コイオスの娘。
つまり、オリンポス王の子であり、ティタン軍将のお孫さんだ﹂
﹁﹁そ!﹂﹂
﹁そして、ティタンとオリンポスは、すごーく仲が悪い。
ちょっとでも何かあれば、ケンカしちゃう程にね﹂
26
﹁﹁⋮⋮⋮⋮でも!﹂﹂
﹁だから、君たちを歓迎するのは無理なんだよ。
ゴメンねぇ﹂
﹁﹁⋮⋮⋮⋮﹂﹂
それは正論による、有無も言わさぬ拒絶だった。
確かにハデスが言った事は正しい。
⋮⋮正しいが。
﹁⋮⋮でも!
なら、あたしたちはどうすればいい!?
どこにいけばゆるされる!?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
ハデスは答えない。
彼らの求める答えを持ち合わせていないのだろう。
﹁あたしたちはおまえにかった!
だから! いうことをきけ!!
あたしたちに!
いばしょをくれぇええ!!﹂
涙ながらに訴えるアルテミスと、涙を堪えるアポロン。
私はこの二人が不憫でならなくなった。
こんな年端もいかぬ子供が、なぜ不条理に泣かなければならない?
﹁⋮⋮裁判長!
私からもお願いします!
どうか、この子たちを引き取ってあげて下さい!﹂
﹁だから、無理なんだよ﹂
27
﹁そりゃあ無いぜ! 兄貴!!﹂
ポセイドンも加勢してくれた。
なんだかんだ言って、ハデスは話せばわかりそうな上司だ。
今まで見てきた限りでは、何とか押し切れるはずだ。
﹁すみません。
お引き取り下さい︱︱﹂
﹁﹁﹁﹁⋮⋮⋮⋮!﹂﹂﹂﹂
敬語で押し切られた。
これまでの砕けた感じとは一変、畏まった所作でハデスは続けた。
﹁私にあなた方を救う事はできません。
明日には出立の準備を致しますのでお引き取り下さい﹂
そう言って、ハデスは双子の前にひざまずいた。
﹁せめて、あなた方が私を打ち負かした証明書をお渡ししましょう﹂
⋮⋮なんて人だ。
そんなもの、何の気休めにもならない。
むしろ、それを見る度に、この子らは苦い今を思い出す。
﹁これで、どうか︱︱﹂
パチン。
アルテミスがハデスの頬を叩いた。
いい気味だと思った。
子供を、正論で突き放した伯父の報いとしては生ぬるいが。
28
﹁﹁ひゃ⋮⋮!﹂﹂
なんだ?
二人が怯えた様な声を上げている。
床に眼鏡が落ちている?
ハデスの瓶底眼鏡だ。
アルテミスが叩いた時に、外れたのだろう。
私はふとハデスの顔を見た。
⋮⋮見てしまった。
﹁⋮⋮⋮⋮ッ!!?﹂
全身が凍りついた。
その眼を見た瞬間、心臓が止まったかと思った。
あまりにも鋭く冷たい瞳。
怖くてたまらず、逃げ出したいのに、その視線から目を逸らせら
れない。
いっそ我が身を差し出し、支配されたい。
そんな願望が頭をよぎった。
たった今、この男に対し失望したはずなのに。
﹁ヒドイなぁ︱︱﹂
﹁⋮⋮は!﹂
いったい何がどうなっていたんだ?
気づけばハデスは眼鏡を拾い上げ、かけ直していた。
﹁メガネ攻撃は反則でしょ?﹂
29
そう言ってハデスは去っていった。
呆然とする中、ただひとり平然としていたポセイドンが口を開く。
﹁仕方ねえ!
お前らウチに来い!﹂
﹁﹁でも⋮⋮めいわく⋮⋮﹂﹂
﹁関係無え!
お前ら今日からウチの子だ!!﹂
ポセイドン最高!
ゴチャゴチャ理屈で否定するハデスとは大違いの気持ちよさだ!
こっちが上司だったら良かったのに。
⋮⋮就職先、間違えたかなぁ?
30
第4話 ﹁独裁者じゃないからねぇ﹂
私はハデスに憧れていた。
かつて、世界を二分した大戦、後にティタノマキアと呼ばれる1
0年戦争。
それを終結させた三人の王の中で、最も強く高潔だと云われたの
が、他ならぬハデスである。
戦後、誇り高きティタン族が渋々ながらも若い種族に従ったのも、
彼に依るところが大きい。
なにせ、敗国者の為にひとつの星を開拓し、最先端の技術力を誇
る国家を新たに用意したのだ。
偉大なる種族は奴隷に身を落とすこともなく、身分と住む土地を
保障され現在に至る。
勿論、それでも反発した者もいた。
元十二神のプロメテウスである。
彼は卓越した頭脳と先見の明のある天才だったが、ハデスが冥府
設立を宣言した直後に謀反を起こした。
そして、これも有名な話だが、ハデスとプロメテウスは無二の親
友だったそうだが、ハデスは彼を捕え、極刑に処した。
そして、ここからがハデスの凄いところだが、反逆に関わったテ
ィタン族も連帯責任ではなく、個々に適切な裁きを下した。
種族、年齢、性別、境遇はもちろん、何より受刑者の心情をくみ、
総合的に考慮した上で裁定し、その後の処遇についてまで細かく取
り決めをしたのだ。
なんと公明正大なことだろう。
人類始まって以来、ここまで高度で理解ある裁判官は類を見ない。
冥府のトップとして、彼以上に相応しい者はいないと思った。
私は人生観を変える程の感銘を受けた。
31
その筈だった。
だがそれは、彼に苦悩と葛藤があればこそだ。
そう、私は冥王ハデスに幻想を抱いていた。
まさか身寄りのない親族を見捨てるほど冷たい人物だとは思わな
かった。
ハデスは、自分に子供たちを守る術はないと言っていたが、でき
ない訳がない。
なにせ、最強の冥王なのだ。
できることをせず、見て見ぬふりをする傍観者。
私はハデスに失望した。
彼に慈悲という言葉は無いのだろう。
﹁心が無ければ、簡単だよなぁ⋮⋮﹂
﹁なにそれ? ポエム?﹂
﹁わ!﹂
気付いたらハデスが隣に座っていた!
いつの間に!?
﹁なんでいるんですか!?﹂
﹁いや∼、さっきは何となく空気を呼んで別車両に行ったけど、
色々とスケジュールが詰まっててねぇ﹂
﹁空気読むんなら最後まで読んで下さいよ!﹂
﹁でもまぁ、勤務時間だし﹂
﹁早退します!﹂
﹁まあまあ。
入社前と後じゃ何かとギャップがあって不満もあるだろうけど、
初日からこれじゃあ身が持たないよ?
ガンバレ! 公務員!﹂
﹁⋮⋮はぁ﹂
32
﹁それと、ついでの仕事もできたから、君にも手伝ってもらいたく
てね﹂
﹁どこに行くんです?﹂
﹁カロンの渡し船まで﹂
通称、カロンの渡し船。
﹁さて、君たちにも一緒してもらいたんだけど?﹂
双子はポセイドンにしがみ付き、怯えている。
ハデスの眼は、子供たちにとってかなりのトラウマになってしま
ったらしい。
当然だ。私だって思い出しただけでも身震いしてしまう。
彼は眼鏡攻撃は反則と言ったが、反則なのはあの視線の方だ。
あの眼を一瞬でも見てしまえば、全てを暴かれたかのような恐怖
心と、命を差し出してしまいたくなる衝動に駆られてしまう。
私がハデスに落胆した理由の、もう一つがこれだ。
こんな眼を持っているなら、相手の心の隅々まで見透かし、支配
さえもできるだろう。
類稀な洞察力は、努力と経験の賜物だと信じていたのに。
ともあれ、子供が怖がるのは、ごく自然な反応だ。
﹁まいったなぁ﹂
﹁うーし! お前ら!
宇宙船だぞ! 宇宙船!﹂
﹁﹁うちゅうせん!?﹂﹂
﹁デッカイぞー!﹂
﹁どこでもいけるの!?﹂
﹁おうともよ!﹂
﹁﹁いくー!!﹂﹂
33
﹁おー!!﹂
流石はポセイドン。
子供のあしらい方は上手いとみえる。
﹁慣れてらっしゃいますね?﹂
﹁へへへ!
何せ息子が百人はいるからなあ!!﹂
なお、彼の言う息子とは、養子からペットまで含まれる模様。
渡し舟2号
を擁する巨大航空だ。
冥府の玄関口、ポートアケロン。
冥府の誇る宇宙船
﹁ティタン族仕様なのはわかりますが、必要以上にデカくないです
か?﹂
私達が歩いている回廊の道幅はざっと300メートル程はある。
⋮⋮回廊と呼べるのか? これは。
﹁ここまで広いと流石のティタン族でも不便なのでは?﹂
﹁まぁ、標識見なけりゃ、どこに進んでるのか分かりづらいかもね
ぇ。
でもこの広さは必要なんだよ﹂
﹁そうなんですか?﹂
﹁たぶん、すぐにわかるよ﹂
﹁ええ、たった今わかりました!﹂
巨人だ! 巨大なオッサンがおった!
ティタン族が大半を占める冥府だから巨人がいて当然ではあるの
34
だが、目の前のオッサンはあまりにも巨大だった!
推定10、いや20メートルはあるぞ!?
﹁ハァアアデェエエスゥウウ!!!﹂
﹁あ﹂
巨大なオッサンはハデスを見ると、巨大な手でハデスを握り締め
た!
﹁裁判長ぉおお!!﹂
ダメだ! 喰われる!?
﹁給料上げてくれ!﹂
﹁ダメ﹂
何だ? このやりとりは⋮⋮。
だが瞬時に理解した。
無駄に広大な敷地が必要なのかも、逃げる必要は無いことも。
ついでに、なぜ渡し舟2号なのかも。
多分、1号はこの巨大なオッサンが踏み潰したのだろう。
﹁ちぇっ! テメエ! 冥王だろうがよぉ!?﹂
﹁そういうのは経理に任せてあるんだよ。
俺は独裁者じゃないからねぇ。
なに? 給料足りない?﹂
﹁足りるかボケェッ!!
オレ様は世界最大の巨人カロン様だぜ!?
こんな安月給で腹ァふくれる訳ねぇだろう!!
ボーナスとかねぇんか!?﹂
﹁ウチ、ボーナス無し﹂
﹁マジですか!!?﹂
35
私が叫んでしまった。
﹁あれ? 求人に載ってなかった?
ウチ、公務員だから残業ありの賞与なし。
社会には十分奉仕しないとね﹂
まぁ、私としては勿論そういった心構えではあるのだが、こうい
う風に言われると少し堪える。
﹁ちっ! ⋮⋮しけてやがる!﹂
まったくだ!
﹁ケッ! てかテメエ!
ライブで大活躍だったそうじゃねぇか!﹂
﹁ヤメテー!
その話はヤメテー!!
てか! もう知ってんの!?﹂
﹁おうよ! ザマアミロだ!!﹂
﹁流石はカロン大船長!
なら、この子ら見たことある?﹂
ハデスがそう言うと、ポセイドンがアポロンを肩車した。
巨大な眼が迫ってくる。
眼とアポロンの大きさがほぼ同じぐらいの体格差だ。
﹁ひぃい!﹂
﹁見たことねぇな!﹂
﹁ホント∼に?﹂
36
﹁テメエよぉ!
こんなマメガキ、小さ過ぎて見逃しても知らねえっての!﹂
﹁あ! 職務怠慢!﹂
﹁おいおい! 勘弁してくれよ!
俺ァ、ただでさえテメエの手先扱いされてんだぜぇ!?
これ以上イジメられたらストレスでおっちんじまうぜ!﹂
とてもそう簡単には死ぬとは思えないが⋮⋮。
目の前の強大で頑強そうなオッサンの姿をしたそれは。
﹁あっそう、ゴメンゴメン。
じゃあ、ちょいと検めさせてもらおうかな﹂
﹁お! ちょ! ま!﹂
カロンが言う前に、ハデスは船内に入り込んだ。
﹁⋮⋮船長。ナニコレ?﹂
﹁おお、おう?﹂
﹁俺の知らない間にいつから内装したの? これ﹂
﹁おおお! こりゃあ、アレだ!
テメエが言うところのサービスってやつよ! サービス!!﹂
﹁船内に格差社会が広がってんですけど⋮⋮﹂
﹁お! これな!
地獄の沙汰も金次第ってな!
客がチップを払う度にゴージャスな上の階に上がれるって寸法よ
!﹂
﹁うわぁ⋮⋮﹂
思わず引いてしまった私。
37
﹁何でそんなにケチなの?﹂
﹁食費が無えんだよ!!
テメエのせいだろーが!!﹂
﹁⋮⋮ウチに来れば食事ぐらい出すけど?﹂
﹁お⋮⋮おお、遠慮しとくわ﹂
﹁あれま﹂
何となくわかってきたぞ。
このオッサン、ハデスと食事するのが気まずいんだ。
﹁ともかくだ!
用がねえんならとっとと失せな!
仕事の邪魔だ!!﹂
﹁うん、悪かったねぇ。じゃ!﹂
あれ? もう引き下がる?
ろくな取り調べもせずに?﹂
﹁裁判長! いいんですか?﹂
﹁うん。船長はウソ付いてないよ。
本当にあの子たち見たこと無いんだねぇ。
宛が外れたなぁ∼﹂
﹁それって魔眼で見抜いたんです?﹂
﹁はい? マガン? なにそれ﹂
﹁いえ、別に﹂
トボけるんなら別にいいけど。
ハデスがそう言うんならあのデカイオッサンは無罪だろう。
﹁あれ? ポセイドン様たちは?﹂
38
﹁あ﹂
ポセイドンと子供たちが消えた。
迷子の放送をかけ、ポートと電車を隈無く探したが、見つからな
かった。
﹁どうしましょう!?﹂
﹁どうしましょうね﹂
﹁なに落ち着いてんですか!?﹂
そう、意外にもハデスは落ち着いていた。
先程、アポロン、アルテミスは戦火の火種になると危惧した張本
人が、涼しい顔して缶コーヒーを飲んでいやがる。
そう、冥府には缶ジュースも自動販売機なるものも普及している
のだ。
﹁こうなる事はわかってたしねぇ﹂
﹁え? それってどういう?﹂
﹁ポーだよ。
君は俺みたいな冷血人間より、あれの方が理想の上司に見えるか
もだけどさ。
あいつ、メチャクチャおっちょこちょいなんだよ∼。
そりゃあ迷子になっても不思議じゃないって!
あははははは!﹂
﹁いや、笑ってる場合ですか!? これ!!﹂
﹁まー問題ないでしょ。
アレが本当にポセイドンならね﹂
﹁それってどういう⋮⋮?﹂
﹁やれやれ、また寄り道ができた﹂
39
寄り道と言われてどこに行くのかと思いきや、まっすぐオトリュ
ス城に帰ってきた。
﹁寄り道は?﹂
﹁まあまあ、付いてきなさいな∼﹂
ハデスに連れられて城内に入る。
ただし、普段は立ち入りを禁じられている区画だった。
﹁わ! 地震!?﹂
﹁あれ? 乗るの初めて? エレベーター﹂
動く部屋ことエレベーターに酔いそうになりながら、私はうずく
まり必死に耐えた。
この感覚は下へと向かっているようだ。
どうにか慣れてきた頃に、ようやく部屋が止まった。
﹁大丈夫?﹂
﹁⋮⋮大丈夫です﹂
﹁休んどいてって言いたいところだけど。
君にも来てもらわないといけないからねぇ﹂
﹁⋮⋮何をしに行くんです?﹂
﹁話を聞きにね。
俺だけが聞いても証拠能力が低いからねぇ。
裁判官ふたり以上の証人がいるんだよ﹂
﹁⋮⋮誰に、会うんです?﹂
﹁予言者プロメテウス﹂
私の酔いは完全にさめた。
40
第5話 ﹁人は平等だよ﹂
﹁俺じゃない﹂
開口一番。挨拶もすっ飛ばし、顔合わせで最初に彼はそう言った。
その男は檻の向こうで五体を鎖で拘束され、腹部は巨大な槍に貫
かれていた。
その顔は血の気が失せていたが、鋭い眼光を覗かせていた。
そんな彼をハデスは眼鏡を外して見据えていた。
あの、全てを見通すであろう魔眼で。
﹁今回の一件、俺は関与していない。
だが、こうなることはわかっていただろう。
初めからな﹂
﹁うん。だよねー﹂
こんな状況にも関わらず、両者は淡々と会話していた。
執行者と受刑者。かつての決別した親友同士。
通常の生物なら、間違いなく死ぬであろう責め苦を与えながら、
また受けながら、さも﹁久しぶり﹂とでもいうようなノリである。
⋮⋮ついていけない。
﹁で、プーちゃん﹂
﹁何だ?﹂
﹁プーちゃん!?﹂
﹁予言者プロメテウス。
ちょいと長いからプーちゃんって呼んでるんだよ﹂
﹁軽っ!﹂
41
いやいや、事前に聞いてたから彼が誰なのかはわかりますって!
驚いたのはそのふざけた愛称の方で⋮⋮まあいい。
元十二神プロメテウス。
ハデスと同世代のティタン族で、ゆえに背丈は私らとほぼ変わら
ない。
そのあまりに正確な先読みを行う事から予言者と呼ばれる天才。
その先見の明により、一族を裏切りオリンポスについた男。
そして、何故か冥府設立に反対した反逆者。
私個人としても、色々と訪ねたい人物である。
だがまずは、仕事を優先させるべきだろう。
﹁ええっと、プロメテウスさんは︱︱﹂
﹁事情は知らん。
が、おおよそ想像はつく。
ゼウスの子を、ティタンの血族を生贄として
再び戦いが始まろうとしている﹂
﹁何でそんな事がわかるんです?
何の情報も無いのに﹂
﹁ただの当てずっぽうだ。
が、情報が無い訳じゃない。
こいつがここに来た時点でだいたいわかる。
大方ガキが行方不明にでもなったんだろう?﹂
﹁すごい! 当たってる!﹂
私の賛美を眉一つ動かさないどころか、若干面倒くさそうに受け
流す予言者。
成る程、彼は彼で中々厄介な御仁の様だ。
﹁どこにいるかわかる?﹂
42
﹁さぁな。
だが、お前には心当たりがあるんじゃないか?
俺に聞くまでもなくな﹂
﹁まぁそうなんだけど﹂
﹁アテが外れたな﹂
﹁そうでもないよ。
君が関わってないなら安心だよ。
もし君が黒幕だったなら、既にお手上げだったよ∼﹂
﹁フ、よく言う﹂
予言者はため息混じりに笑みを浮かべた。
何か含みありげだったが、悪巧みをしている感じではなかった。
むしろどこか諦めたような、憂いを帯びた印象だった。
﹁だとしたら、俺と話している場合じゃないぞ?
早く黒幕とやらをしょっ引いたらどうだ?﹂
確かに。
本当に彼が無関係だとするなら、ここにいる意味は無い。
﹁まだ、事は起きていない。
なら裁けないし、誰も疑わない﹂
﹁変わらないな、お前は。
事が起こる前に食い止めるのが、筋じゃないのか?﹂
﹁そうしたい所なんだけどねぇ。
悲しいかな、俺は立場に縛られた下らない人間なんだよ。
君と違ってねぇ﹂
﹁⋮⋮ハデス。
お前は正しい。
43
今も、あの時もそうだった。
だがな。
人間は常に正しくはないんだ。
そして人は平等じゃな︱︱﹂
﹁人は平等だよ。
少なくとも、法の前には﹂
﹁不条理な悪法だってある﹂
﹁悪法も法だよ﹂
﹁そこに人の感情があるのか?﹂
﹁法は詰まるところ、感情論だよ。
たとえ理不尽な法だとしても、
大勢が疑問視し、少数が淘汰されてたとしても、
全体が容認してる時点で、それは人類の総意なんだよ﹂
﹁⋮⋮そうだな。
そうだったな。お前は⋮⋮﹂
﹁じゃあ、プーちゃん。
顔が見れて良かったよ﹂
どうやら話は終わった様だ。
よくわからないやり取りだったが、今はハデスに続こう。
﹁新人﹂
﹁はい?﹂
呼び止められた。
何だろう? 何か言い忘れて事があるのか?
それとも、ハデスに言えなかったことでも?
﹁あいつは、ハデスは誰よりも強く、正しい﹂
﹁⋮⋮そうですかねぇ?
44
あんな、魔眼を使うような人が、本当に正しいと?﹂
﹁魔眼?
ああ、ヤツの目の事か。
確かに魔眼かも知れんな。
どれだけ力を手放そうと、目にした者を恐怖させるんだ。
本能的にな﹂
﹁え? 本能的に?
支配する能力とかじゃなくて?﹂
﹁お前はそう思ったのか。
まぁ、わからんでもない。
むしろその方が納得できるだろう。
だが俺の知る限り、あいつの目はそんなに便利なものじゃない﹂
本当か? あの眼がただの目だとは思わないけど。
いずれにせよ。あの目を見て動じない時点で、只者じゃない。
﹁あなたは平気そうですね? あの目を見ても﹂
﹁そうでもない。
俺など、あいつと目を合わそうものなら失禁してただろうよ﹂
﹁⋮⋮チビってるんですか?﹂
﹁⋮⋮何故そうなる。
目が見えないだけだ﹂
﹁え?﹂
いや、別に驚くほどの事じゃないのかもしれない。
これほどの拷問を受けているのだ。
ティタン族特有の再生能力を以ってしても癒えない全身の責め苦。
視力が失われていても不思議ではない。
ただ、違和感があるのだ。
45
﹁その割には、相手の目を見て話すんですね。
それも予言者の特性ですか?﹂
この男。
視線は鋭く、的確にアイコンタクトを送ってくるのだ。
﹁ただの勘だ。癖というのもあるがな﹂
﹁クセ⋮⋮ですか﹂
﹁気を抜けば死ぬ立場なんでな。
弱者は常に、己がどう見られているか把握した方がいい﹂
﹁そ、そうですか﹂
単純に感心してしまった。
確かに今の立場上、彼は弱者かもしれないが全然そんな風には思
えない。
むしろ、何故かこっちが追い詰められているかの様な感覚さえ覚
える。
流石は元十二神といったところか。
このまま彼自身について聞きたい所だが、他に確認すべき事があ
る。
﹁そういえば、先ほど気になることを言いましたね?
裁判長が力を手放したとは?﹂
今の冥府は、ハデスが最強の王だからこそ成り立っている。
さもなくば、プライドの高いティタン族が渋々ながらも従ったり
はしないからだ。
﹁言葉通りの意味だ。
尤も、厳密には違うのだろうが。
46
そこはさほど重要じゃあない。
お前はどこまで踏み込んでいる?﹂
﹁さ、さぁ? 何が何やら⋮⋮﹂
﹁今のハデスにかつての力は無い﹂
衝撃の事実! マジで!?
前提が覆るじゃん!!
﹁だが、そんな事は問題じゃない。
例え力が失せようが、あいつは誰よりも強いんだ。
悲しいことにな⋮⋮﹂
何の根拠があって問題無いのかはわからないが、私如きが心配す
ることではないらしい。
そこは素直にホッとしておこう。
⋮⋮それにしてもこの人。
先読みし過ぎてイマイチ言葉が足りてないな。
何かを隠しているのではないだろうか。
﹁ゼウスには雷を﹂
あれ? 唐突に話題が変わった?
﹁ポセイドンにはトライデントを。
ハデスには隠れ兜を。
原初の巨人は与えたもうた﹂
いきなり話を変えてきた!
でもこの話は知ってるぞ。
てか皆知ってる話だ。
47
大戦時の逸話。
オリンポスの三人の王が、三種の神器で勝利を収める話だ。
﹁しかし、ハデスだけは受け取らなかった﹂
﹁え?﹂
それは初めて聞いた。
てか、私の聞いた話と違う。
三人の王は原初の巨人にそれぞれ神器を貰い、その力で戦争を終
わらせた筈だ。
ゼウスには雷を自在に操る術を。
ポセイドンには無敵の武器トライデントを。
ハデスには姿を消す隠れ兜を。
確かそういう話の筈。
﹁怪訝そうな面持ちだな。
それが正しい反応だ﹂
﹁⋮⋮何が言いたいんです?﹂
﹁話に出てくる三種の神器な。
あれはそれぞれの願望の象徴だ﹂
﹁願望?﹂
﹁雷は誰にも負けない無敵の理を、
トライデントは不変の美を表している。
なら、隠れ兜は何だと思う?﹂
隠れ兜の象徴?
姿を消す事という願いの理由?
何だろう⋮⋮何かを誤魔化すこと?
ずる賢さ?
他二つがヒントだとしてもよくわからない⋮⋮。
48
雷が無敵の理ってのは何となくわかるけど、トライデントが不変
の美ってのがイマイチわからない。
だいたい、ポセイドンが美に執着するイメージが無いし。
﹁ともかくだ。
原初の巨人は三人の願望を見透かし、最も欲するモノを与えた。
だが、ハデスだけは受け取らなかった。
己が願望を拒絶した訳だ﹂
⋮⋮あの人ならそうするだろうなぁ。
何となくそう思うだけだけど。
﹁それがどんなに恐ろしい事か⋮⋮﹂
⋮⋮恐ろしい?
確かに怖い事かも知れない。
人は誰しも欲しいものがある。
それが、自分の一番欲しいものなら、是が非でも手に入れたいと
思うだろう。
でも、多分ハデスは、あの人はそれを我慢したんだろう。
あの人は私情よりも使命を優先させるタイプだ。
今回の一件と同様、そうすべきじゃないと判断したんだろう。
その真意まではわからないけど、たぶん大体あってるはずだ。
﹁確かに人は時に理性で自身を抑制する。
が、あいつは常軌を逸してる﹂
心を読まれた!?
﹁理性は感情を抑制しきれない。
49
それが生物としての、当然の摂理だと俺は思う。
だが、あいつは、そうじゃない⋮⋮﹂
⋮⋮ハデスの自制心が異常に強いということかな?
それは別に悪いことでは?
むしろ正し︱︱。
﹁ハデスは正し過ぎる。
異常な程にな⋮⋮﹂
⋮⋮正しさに異常というのがピンとこないけど。
なんだか悲しそうに言うなぁ、この人。
でも、そんなにハデスが正しいと言うのなら。
﹁あなたは何故、歯向かったのですか?
あの人が正しく、絶対に勝てないとわかっていて﹂
﹁俺じゃなかったからだ﹂
﹁⋮⋮え?﹂
それ以上、彼は答えなかった。
どういう意味だ?
質問したい所だが、話は終わりだと言わんばかりに目を閉じられ
てしまった。
後は自分で考えろって事か?
⋮⋮変な宿題を出されてしまった。
﹁遅かったねぇ∼。
やっと終わった? プーちゃんの説教﹂
﹁ええ、まぁ⋮⋮﹂
50
⋮⋮説教というか、何かを託された様な気分だ。
まるでハデスを頼む! みたいな。
何を頼まれたのか、全然わからないけど。
ただ、私はこの人を誤解しているのかも知れない。
少なくとも、魔眼で人の心を操るとか、そういう人物では無いこ
とだけはわかった。
だが、プロメテウスの言うように、本当に恐ろしい人なのだろう
か?
確かにあの凶悪な視線は悪魔としか言いようがない程におっかな
いけど。
少なくとも、彼の行動そのものには正当性と一貫性があると思う。
ただ、私もこの短い付き合いで、全てを把握できた訳じゃない。
何かあるのだ。
かつて、親友だった彼が危惧する何かが。
﹁さてと、エレベーター動かすけど準備はいい?﹂
﹁ええ、大丈夫です﹂
でも、何だかんだ言って、こうやって部下を気遣うこの人が、そ
んなに異常な人物だとは思えない。
⋮⋮見届けよう。
彼の真意と、その行く末を。
そう決心し、私はハデスを見据えた。
⋮⋮見てしまった!
﹁な! ふたりいる!!﹂
﹁﹁え!? マジで!?﹂﹂
51
第6話 ﹁ビックリしちゃう!﹂
﹁冥王が増えた!﹂
﹁﹁いやいや、そんな訳ないでしょ﹂﹂
二人の冥王ハデスは、全く同じ顔、同じ声、同じ挙動でハモって
いた。
﹁もしかして分身の術か何かで?﹂
﹁﹁俺にそんなスキルは無いよ﹂﹂
﹁仮にできるとしたら?﹂
﹁﹁ビックリしちゃう!﹂﹂
完璧じゃないか⋮⋮!
全く同じ行動しかしてないから或いはと思ったのだが、どうやら
違うらしい。
⋮⋮はてさて、どうしたものか。
﹁だいたい、冥王だからって何でもできると思ったら大間違いだよ﹂
﹁そうそう。そういうのはゼウスに期待すればいいのにねぇ﹂
﹁﹁ねー﹂﹂
﹁自分同士で会話しとる!
あの! どっちかが偽物なんでしょう!?
いい加減ややこしいんでやめてくださいよ!﹂
﹁そんなこと言われてもねぇ?﹂
﹁ねぇ?﹂
﹁おい! 本物の方はそれでいいんですか!?﹂
﹁別にいいんじゃない? 悪いことさえしてなけりゃ﹂
52
﹁もししてたら地獄行きだけどね!﹂
﹁おいおい、ここは冥府だよ﹂
﹁あんれま∼こりゃあ一本取られたなぁ!﹂
﹁﹁あははははは∼﹂﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
長い! ウンザリしてきた!
﹁あのぉ! いい加減に︱︱﹂
して下さい! と言いより早く、﹁1階です﹂とエレベーターに
告げられた。
﹁着いたよ?﹂
﹁降りないの?﹂
﹁ああっ!? ⋮⋮もう!﹂
これ以上まともに相手をするのも疲れるだけなので、これ以上ど
ちらが本物かはこだわらない事にした。
もうどっちでもいいや。
﹁﹁あぶない!!﹂﹂
と、二人のハデスが私を庇った。
何が起きたのかがわからない。
わからないから聞いてみた。
﹁な、にが?﹂
﹁流石は兄貴、固え!﹂
53
﹁な⋮⋮!﹂
まず、その声に驚いた。
聞き間違えるはずの無い勇ましく、どこか大らかな声。
私たちより一回り大きく、さりとてティタン族程の大きさは無い
影。
鍛え抜かれた剛腕と共に繰り出された三又の矛は、私の前方を庇
ったハデスの胸を貫く事無く止まっていた。
﹁ポセイドン様!?﹂
﹁よう! またあったな、新人!﹂
最初に出会った時同様、気軽に声をかけてくるポセイドン。
しかしその表情は不敵に歪み、獰猛な視線を送っていた。
私が戸惑って何も言えないでいると、前方のハデスが切り出した。
﹁何の真似かな? ポー﹂
﹁そりゃこっちのセリフだぜ?
まさか、プーの旦那と結託してたとは見過ごせんぜぇ。
このオレから可愛い姪っ子甥っ子を取り上げやがって。
人質でも取ったつもりか? あ?﹂
何を言っているんだ? ポセイドンは?
あの双子が裁判長に攫われた?
そんな馬鹿な話は無い。
そもそも、今の今までその双子とポセイドンをセットで探してい
た最中だったというのに。
﹁その情報の出どころは何処だ? ポー。
お前の事だ。
54
今度は誰に踊らされてる?﹂
﹁ハ! あくまでシラァ切るみてぇだな!
面白れえ!
久しっぷりにケンカしようぜ! 兄貴!!﹂
﹁任せた!﹂
﹁おっけ∼!﹂
ポセイドンが有無も言わさず襲ってきた!
前方のハデスは、もうひとりのハデスに私を突き飛ばして逃がし
た。
その咄嗟の連係プレイは正に双子の様なシンクロ率だった。
もう何が何やら。
﹁裁判長! いったい何が!?﹂
﹁どうやら動き出した様だね﹂
﹁何が!?﹂
﹁敵︱︱っていうのがわかりやすいんだろうかなぁ。
あんまり敵対したくはなかったんだけどね∼﹂
﹁敵⋮⋮?﹂
いつもと変わらない口調で曖昧な事を言うハデス。
全く事態が呑み込めない。
いきなりポセイドンが襲ってきたのもそうだが、だいたいふたり
のハデスのどちらが本物かも断定できていない。
そんな状況で、偽物かもしれないハデスと一緒にいる事自体が危
険なのではないのか?
⋮⋮今、ポセイドンと戦っているであろうハデスは、無敵の矛ト
ライデントを弾いた。
ならばあちらが本物で、こっちが偽物なのか?
しかし、今私を、私程度の小物を騙すメリットがあるのだろうか?
55
先ほどの会話も、ハデスなら言いそうな独特の返しそのものだっ
た。
﹁おっと! 伏せて!﹂
﹁わ!?﹂
ゴチャゴチャと疑っていると、急に目の前が真っ白になった。
幸いハデスが身を盾にしてくれたので特に怪我などは負っていな
い。
だが、例え大怪我を負ったとしても、それが二の次になる程の衝
撃を受けた。
﹁雷霆ゼウス︱︱様⋮⋮!?﹂
雷霆ゼウス。
雷霆
そのもので
雷霆とは雷帝の誤植ではなく、無尽蔵のエネルギーを自在に操る
神の武器であり称号である。
その名を冠するゼウスは文字通り、神の武器
あると云われている。
仮に雷帝と呼ばれても問題はなさそうではあるが。
⋮⋮直にお目にかかれた事は無いが、公開されている姿と全く同
じいで立ちだ。
と、そんな説明はどうでもいい。
問題は、何故そんな大物が冥府にいるのかということだ。
﹁ゼウ。
ポーはともかくお前まで来るとはね﹂
やはり少しも動揺したそぶりを見せず淡々と尋ねるハデス。
彼にとってポセイドンは﹁ともかく﹂扱いらしい。
56
⋮⋮てか、ゼウって言うんだ。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
一方問われたゼウスは一言も語らず、左腕を掲げた。
﹁あーマズイ! ごめんね!!﹂
﹁ちょ! わああああああああ!!?﹂
攻撃の意図に気付いたハデスが私を持ち上げて投げ飛ばした。
直後、凄まじい発光に続き激しい轟音が耳をつんざいた。
恐怖を感じた私はとりあえず走って逃げた。
逃げて逃げて、訳もわからずどこに向かっているのかもわからず
必死で逃げた。
そして扉の空いている部屋を目にした瞬間飛び込んだ。
ヒーヒーフーと深呼吸。
更にひとつ深呼吸をして一言。
﹁投げる事ないだろう!!﹂
叫んでしまった。
意味もなく。
今尚絶賛錯乱中である。
﹁うるせえええええええ!!﹂
あまりのうるささに思わず耳を塞いだ。
﹁ご、ごめんなさい!﹂
57
そして思わず謝った。
すごい迫力だった。
恐る恐る怒られた方を見る。
⋮⋮誰もいない?
﹁コッチだマヌケ!﹂
﹁うを!? あなたは!?﹂
目線より少し下。
そこにはオレンジがかった金髪にほっぺを膨らませた美しい幼女
が私を睨みつけていた。
﹁し、失礼しました女王陛下!﹂
果たして私は脅威から逃げ切れたのか、袋のネズミか?
ここは最強の冥王ハデスをも殴り飛ばす暴力女王ペルセポネのお
部屋だった。
⋮⋮いったい私はどんな風に殴られるんだろう。
いや、ひょっとしたら蹴られるのかも知れない。
一般的に脚力は腕力の三倍の力があると︱︱。
﹁⋮⋮ち﹂
舌打ちされた!
てか、舌打ちで済んだ!
いや待て!
﹁な、何で舌打ち!?﹂
﹁⋮⋮オマエ、ハデスの手先だろ?﹂
﹁いや、手先って⋮⋮﹂
58
そう言やカロンも似たような事を言ってたような⋮⋮。
﹁出てけ﹂
﹁いやぁ、その⋮⋮﹂
﹁何だ? ハッキリしろ!﹂
﹁その⋮⋮現在謎の襲撃にあってまして⋮⋮﹂
﹁ハア? 訳わかんねーぞ? テメエ﹂
﹁すすす、すみません⋮⋮。
私にも何が何やら⋮⋮﹂
﹁フン! どうせ、またあのバカのせいなんだろ?﹂
あのバカとはハデスの事だろう。
ペルセポネはいい気味だとでも言いたげな笑みを浮かべて吐き捨
てた。
⋮⋮別に庇う訳じゃないけど。
﹁いえ、今回は裁判長のせいではありません。
突然オリンポスの︱︱﹂
﹁うっせーなわかってるよ。
アイツは何も悪くない。
でもアイツのせいなんだよ。全部な﹂
その言葉は要領を得なかったが、どこかで聞いたような台詞だっ
た。
あれだ。
既に他者の理解を諦めた様な、それでも心の中でくすぶり続ける
本音の吐露。
プロメテウスが、ハデスに対して投げかけていた言葉の様に思え
た。
59
﹁オマエもこの際だから覚えとけ。
アイツは、暗くて、冷たくて、嫌なヤツだ⋮⋮﹂
⋮⋮確かにハデスは時に冷徹で感じが悪い時もある。
しかし、それは冥府全体を慮っての、統治者としての優れた判断
でもあるはずだ。
それを一方的に負の三段活用で片づけられては、部下として立つ
瀬が無い。
それに普段のハデスは、おちゃらけててノリの軽いフレンドリー
な上司だ。
彼女との間に何があったのかは知らないが、一応は夫婦だろうに。
夫婦⋮⋮。
今一度ペルセポネを見ると﹁見てんじゃねえ!﹂と言わんばかり
のふくれっ面の幼女が映っていた。
⋮⋮よく考えたらロリコンなのだろうか? ハデスは⋮⋮。
⋮⋮⋮⋮。
深く考えるのはよそう。
前にも、この方達は見た目と年齢が意味不明の種族だから気を付
けろと自分で結論付けたばかりだった。
と、ここまで考えて気になった。
﹁あのぉ⋮⋮女王陛下はおいくつで?﹂
﹁ア?﹂
しまった! つい失礼な事を聞いてしまった!
何か緊張が解けてしまい、うっかりミスを!
﹁⋮⋮今年で24。
あと、その女王陛下ってのはヤメロ﹂
60
﹁はい⋮⋮ペルセポネ様﹂
﹁様も要らん。さんも付けるな。
なんかムカつく﹂
﹁はぁ⋮⋮﹂
何というか、意外と怒られなかった。
何気にハデスと同じ事言ってるし。
動機は違うけど。
それにしても24歳か⋮⋮。
私とタメぐらいか。
それにしても幼い。
もしかして、オリンポス族は成長が遅いのだろうか?
ハデスが30になると言っていたから、年齢的にはロリコンでは
無いということか。
ともかく、様もさんも要らないと言われはしたが、呼び捨てもど
うかと思うのだが。
﹁ポネ様﹂
﹁ポネさまアー!?﹂
﹁だ、ダメでしょうか!?﹂
﹁もうめんどくさい! 好きに呼べ!﹂
﹁ありがたき幸せ! ポネ様∼!﹂
﹁フン!﹂
あれ?
もしかしてポネ様。
結構話せるタイプなのか?
初対面での乱暴狼藉っぷりのせいで怖いと思っていたが、案外会
話ができている気がする。
61
﹁で、オマエ。
こんなコトしてていいのか?﹂
﹁は! 確かに!﹂
危機を回避した事に加え、ペルセポネが予想外に喋ってくれるの
でスッカリ和んでしまっていた。
とはいえ、今から何をどうすればいいのか皆目見当がつかず動け
ないのも事実。
そう、けして忘れていた訳じゃない。
﹁うわあああああああ!!﹂
﹁!!?﹂
などと、言い訳を思い浮かべていたらハデスが壁を突き破って落
ちてきた。
﹁裁判︱︱﹂
﹁ハデス! テメエ!!﹂
﹁ファ!? 君の部屋!? ごめんご︱︱!?﹂
取り付く島も無く、ポネ様はハデスの足首を掴むと、ブン! と
大きく素振りをし、壊れた壁を粉砕した。
﹁裁判長ぉおおおおお!!﹂
﹁ピクピク⋮⋮﹂
また効果音を自分で言ってるし⋮⋮。
痛いという意思表示なのか?
もっとも、これまでの経緯から殆どダメージが無い事は薄々わか
ってはいるが。
62
﹁⋮⋮オマエか? このバカとハシャいてるのは?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
相変わらずゼウスは応えない。
代わりに、かざした手の平から雷がほとばしる。
﹁無視か?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
あ、もう少し下がってよ。
﹁テッメ!!﹂
﹁あ∼れ∼!﹂
ついにペルセポネがキレた!
そしてブンブンと振り回されるハデス。
最強の王を武器に戦う冥府の女王。
無敵の王ゼウスを相手にどうかと思うが、考えようによっては十
分対抗できるのかも知れない。
﹁ギャン!!﹂
﹁な!?﹂
と、驚いたのは私!
ハデスの頭がゼウスの頭を叩き割った!
しかし本来なら非常にグロテスクなはずだが、血が飛び出さない。
﹁何だこりゃ!?﹂
﹁⋮⋮人⋮形?﹂
63
﹃あらあら、バレちゃったわねぇ∼﹄
ふざけた女の声。
壊れたゼウス人形から聞こえてくる。
﹃でもでもでもぉ∼。
もしもぉ、本物だったらどうしてたつもりぃ∼?﹄
あからさまなバカ女の口調で挑発してくる声。
聞かれたのは我々だろうが、直接手を下したのはポネ様だ。
そのポネ様は﹁それがどうした!?﹂という表情のまま黙して語
らず。
なので、仕方なさそうにハデスが代わりに応えた。
﹁まぁ、初めから偽物だろうと思ってたからねぇ﹂
﹃あらん? 初めっていつからぁ?﹄
﹁ポセイドンと再会してからだよ。
あいつ、自分のことをオレ様、俺のことは、にーちゃんって呼ぶ
からねぇ。
勉強不足だよ﹂
﹃え∼? そんなことでぇ?﹄
﹁それに、あの程度でゼウスがどうにかなるハズないし。
そもそも、あのゼウスがこんな所に出向く訳ないじゃん!﹂
あはははは、と苦笑するハデス。
毎度思うのだが、この人は不気味な愛想笑いしかできないのだろ
うか?
﹃うふふ。
そうねぇ、笑えるわねぇ。
64
でもぉ。これを見てもまだ笑えるかしら?﹄
﹁!!?﹂
女の笑い声と共にゴゴゴゴゴ! と地響きが鳴り響いた。
ハデスはポネ様と私を抱えると、ハイスピードで城の中庭に退避
した。
中央噴水が弾け飛ぶと、地面から巨大な物体が轟々と音を立てて
出現してきた。
﹁まさか! カロン船長!?﹂
突如現れたのは身の丈15メートルを誇るティタン族最大の巨人、
カロンだった。
あまりの大きさゆえに、未だ瓦礫か上から落ちてくる。
﹁ちょ! カロンさん!!
あなた! 裏切ってたんですか!?﹂
叫ぶ私の声が届いていないのか、全く相手にされない。
もう一度問いかけようとした時、ハデスに肩をポンと手を置かれ
静止された。
﹁船長、眠ってるね。
おそらく声の主に眠らされたんだろうね﹂
﹁⋮⋮また人形という可能性は?﹂
﹁あんな大きな人形そうそう用意できないと思うよ?
それより、船長の肩の所﹂
﹁あ! あれは⋮⋮!﹂
ハデスに促されるままにカロンの肩を見ると、右肩にはアポロン、
65
左肩にはアルテミスが立っていた。
二人とも、出会った時とは異なる衣装を身にまとっている。
﹁⋮⋮裁判長、あの出で立ち﹂
﹁ティタンの民族衣装だねぇ。それも、王族を表す意匠が施されて
る。
どうやらティタンも本気の様だねぇ﹂
﹁⋮⋮それはつまり!﹂
﹃ティタン再興の時よ︱︱!﹄
女の声が響き渡る。
反響のせいで、どこにいるかは特定できない。
﹁えっと、そろそろ事情を聴きたいんだけど?
古の魔女モイラさん﹂
取り乱す私をよそに、ハデスは落ち着き払ってそう言った。
すると目の前に、奇妙な格好をした女が現れた。
ハッキリ言おう、痴女である。
﹁いにしえなんてヒドイじゃなぁい?
おねえさんのことは、ミス・モイラと呼んでね、ボクぅ?﹂
﹁じゃあ、ミ・ス・おねえさん。
ボクゥにもわかるように君らが何をしたいのか説明して欲しいん
だけど?﹂
﹁説明より見た方が早いわぁ。そ∼れ∼﹂
﹁わ! 何だコレ!?﹂
モイラがグルグルと踊りだすと体が勝手に動き出した。
流石にハデス達は操られて︱︱。
66
﹁さぁ、踊りましょぉ﹂
﹁わー目が回る∼﹂
操られている!!
しかもポネ様に至っては、ジト目ながら結構楽しんでらっしゃる
! 意外!!
﹁ご来場の紳士淑女の皆さま!
大変長らくお待たせしました!﹂
﹁は? 皆さま?
わ! いっぱいいる!?﹂
城外を見ると、城壁をぐるりと無数の巨人が押し寄せていた。
なぜ今まで気が付かなかったのかが不思議なぐらいに。
﹁我らが黄金王! クロノス陛下です!!﹂
﹁えっ!? マジで!!﹂
大歓声と共に沸き立つ城外。
それと同時にサラッと踊るのを止めたハデス。
やはりふざけてただけだったのか、こいつ⋮⋮。
﹁⋮⋮違う。
あれは偽物だ!﹂
﹁は! そうか!!
モイラの人形ですか!﹂
﹁うふふふふ⋮⋮なんちゃって!﹂
偽物を看破した直後、モイラはいやらしく笑うと人形が一瞬霞ん
67
だ。
それと同時に同じものにすり替わる。
いや、アレは同じモノではない。
アレと同じモノなどこの世に存在しない。
なぜ私は、そんな不遜な事を思ってしまったのか。
いっそ死んで許しを︱︱!
﹁そこまで!!﹂
﹁ハッ!﹂
ハデスに肩を叩かれ我に返った。
何だったんだ? 今のは⋮⋮。
まるで幻術にでもかかったかの様な⋮⋮。
⋮⋮この感覚を前に一度⋮⋮。
そう⋮⋮確か、ハデスの視線の様な⋮⋮。
﹁︱平伏せ︱﹂
平伏した。
当然の事だ。
あの存在がそれを望むならば、そうするべきなのだ。
何故などと理由を考えるまでもない。
何故なら、あのお方こそは︱︱!
﹁︱クロノスである︱﹂
68
第7話 ﹁いきがると、後でイタイよ?﹂
﹁︱クロノスである︱﹂
存じておりますとも⋮⋮!
そのご尊顔を拝謁致しましたのは初めての事でございますが、一
目で理解いたしました⋮⋮!
きっと貴方様の事は、私が生まれる以前から遺伝子に刻まれてい
たのでありましょう⋮⋮!
﹁︱長きに渡る苦境、よくぞ耐えた︱
︱大儀である︱﹂
⋮⋮なんと勿体無いお言葉!
私はティタン族ではありませんが、その労いに深い感銘を受けま
してございます⋮⋮!
ガイア
﹁︱今宵、そなたらの労は報われる︱
︱これより、予は、故郷へ還る︱﹂
なんと⋮⋮なんと素晴らしい事か!
こ⋮⋮!
﹁ちょいタンマ!﹂
誰だ!?
クロノス様の有難いお言葉に水を差す奴は!?
⋮⋮ハッ!
69
⋮⋮私は今まで⋮⋮いったい何を考えて、いた⋮⋮?
﹁いきがると、後でイタイよ? オトーサン!﹂
ハデスだ。
いつの間にあんな所に?
そしてこちらに降りてきた。
ハデスが折角の⋮⋮。
⋮⋮⋮⋮違う!
⋮⋮ハデスが止めてくれた?
クロノス様を見た時に感じた⋮⋮敬いの心を?
ん? 様?
私は、あのお方にお仕えした事が無いのに?
あれ? 何であのお方の事を連想すると、バカ丁寧な言い回しに
なってしまうんだ?
実際に喋っている訳でもないのに?
ということは、あのハデスが本物か!
なら私のそばにいるのは偽物か?
ウインクしてきた!?
⋮⋮絶対偽物だ!
ハデスのノリじゃない⋮⋮。
﹁︱ハーデース︱﹂
ああ、何ていい声なんだ⋮⋮!
その特有の発音は、それこそが本来の正しい呼び方だと思わせる
程しっくりとくる。
では何故、皆そう呼ばないのか。
畏れ多いからだ。
かの王の許しも無く倣うことが。
70
⋮⋮あれ?
やはりおかしい⋮⋮。
私は、いったい、どうした?
﹁︱世は、再び予を求めておる︱。
︱さむなくば、かような事態が起ころうか?︱﹂
﹁それは、親父の体質でしょ?﹂
﹁︱それが全て決定付ける︱﹂
・・・・
﹁それが全てじゃないと思うけど?
そんな事で、脱獄は見逃せない﹂
﹁︱ならば是非も無し︱
︱カローン︱﹂
﹁うをっ!!?
おお! こりゃあ! 御大将!!﹂
クロノス様が声をかけるとカロンが目覚めた。
同時に頭を下げて城郭を破壊⋮⋮。
⋮⋮コントだ。
﹁な? ハデス?
はっはーん?
そーいう事か!
なら仕方ねえ! 仕方ねえよなぁ!?﹂
何が仕方ないのかわからないが、カロンはクックと笑いを堪えな
がら肩に乗っていた双子を下した。
実に楽しそうに。
そしてスゥーっと息を吸い込み、こちらに向き直った。
﹁ハアアアアアアアデエエエエエエエスウウウウウウウウ!!!
71
退職金貰うぜェエエエエエエエ!!?﹂
カロンの声に大地が震える!
二本の巨大な手が、大地を串刺しめり込む!
﹁失業手当はァアアアアアア!!﹂
浮いた!?
地面が浮いた!?
﹁これで勘弁してやらアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!
!﹂
私たちが立っていた地面が宙に投げ出され、そのまま投げ飛ばさ
れた!!
地面に必死にしがみつく私は、ハデスに引き剥がされ助けられた!
死ぬかと思った!
ガイア
﹁︱いざ参ろうぞ! 地球に!︱﹂
そうこうしている間にクロノス様は号を発され、行ってしまわれ
た⋮⋮!
⋮⋮ついて行きたかった、私も⋮⋮。
じゃない!
﹁裁判長! 追わないと!!﹂
﹁そうなんだけどねぇ⋮⋮﹂
﹁何をもたついているんです!? このままでは⋮⋮!﹂
﹁うふふ、やあっぱり∼﹂
72
いやらしい声が耳に絡みつく。
⋮⋮古の魔女、ミス・モイラ。
﹁冥王はあ∼。
未遂事件を取り締まれない。
民衆の意思を無碍にできない。
そして、決して罪の無い者を傷つけられない﹂
﹁何ですか? それ⋮⋮?﹂
﹁冥府設立時の誓いだよ。
まあ、俺が言い出した事だしねぇ﹂
﹁だからクロノス様を追えないとでも!?
おかしいでしょ!!﹂
﹁おかしくはないわぁ!
だってぇ∼!
無理して追うとぉ∼!
まだ何の罪も犯していないティタン族を押しのけなければならな
いからぁ∼!﹂
くっ! やられた!
そうか! そういうことか!
ようやく私にも状況がわかってきた!
だが遅すぎた!
⋮⋮何てことだ!
﹁クロノス様の復活に合わせティタン族を集結⋮⋮まさか人形を利
用して!?﹂
﹁うふふ。
主だったティタンのお歴々は、既にクロノス様と一緒に行ったわ
よぉ?
ここに見える軍勢の大半は人形だけどぉ。
73
本物かも知れないのに攻撃できるかしらぁ?﹂
﹁ひ、卑怯な!!﹂
⋮⋮我ながら、月並みで情けない小物っぷりだ。
しかし、そう言う他はなかった⋮⋮。
こんな状況で、私にいったい何ができるというのか⋮⋮。
﹃これまでの様ですね﹄
また女の声が聞こえる。
モイラとは別の声だ。
あのミス・バカ女とは格の違う、気品あるマダムな口調だった。
﹃ごきげんよう、冥府の皆さま。
わたくしは、ヘカテ。
冥土の土産に参りましたわ﹄
暗闇から、大きな淑女が現れた。
全身黒一色の喪服姿で、顔すらも黒いベールで覆われており、よ
く見えない。
更に扇で口元を隠し、よりミステリアスさを醸し出している。
5メートルを超えるということは、ティタン族の中でもかなりの
年長者であろう。
それ以前に、彼女の纏うオーラには、身体の大きさ以上の底知れ
なさを感じさせられる。
﹃全ては終わりました。
あの人が再び君臨すれば、世界は再びティタンのもの。
あなた方の役目は終わったのです﹄
﹁いやいや。
74
まだ終わってないでしょ?﹂
既に敗北感に打ちひしがれていた私だったが、ハデスが反論して
いた。
期待!
﹁確かに現状のままじゃ動けないけど、親父が冥府を出たら話は別
だよ。
そういう決まりだからね﹂
﹃フフフ。
そういうと思いました。
なら、やってご覧なさい︱︱﹄
そういうヘカテは、ただ目を閉じただけだった。
ハデスは構わず、城壁の外に向かって駆けだした。
流石、電車並みの速さだった。
にも関わらず、何故か城を抜けた反対方向から戻ってきた。
﹁あり?﹂
﹃ウフフ。
どうしまして?
遠慮なさらずに、向かわれてはどうです?﹄
﹁ええ、まぁ⋮⋮﹂
再度ハデスは城外を目指すも、また戻ってきてしまった。
どうなっているんだ?
﹁⋮⋮あのぉ、すんません。
この変な術を解いてくれません?﹂
﹃変な術とはいやですわ。
75
わたくしはただ、道と道とを繋いだだけ。
そして、あの人の邪魔をされたくないだけなのです︱︱﹄
道と道を繋ぐ⋮⋮空間を操る能力か?
なんて厄介そうな力だ。
不敵にほほ笑むヘカテだが、﹁あの人の邪魔をされたくない﹂の
部分には、かなり強い圧が込められていた。
﹃あなたがどう動くかは予測できていてよ? ハデス。
あなたの実力ならば、例え敵に指一本触れずとも、あの人を追え
ましょう。
だからこそ、参りましたの。
あなたを、この城に閉じ込める為に、わたくし自ら、ね﹄
﹁あ∼あ、困ったなぁ∼。
打つ手が無いや∼﹂
﹁ちょっ! 裁判長!!﹂
嘘だろ!?
諦めちゃったよ! この人!!
そりゃあもう、どうすればいいかなんてわからないけど!
だからと言って諦めていい理由にはならない。
﹃ウフフ、懸命だ事。
これで我らの勝利は確定しました。
あなたさえ⋮⋮あなたさえ封じてしまえば世界は戻る!
輝かしい! 黄金時代に︱︱!!﹄
﹁うっわ! 眩し!!﹂
目も眩む七色の発光!
ヘカテが今、黒に包まれたベールを脱ぎ棄て輝きだした!
76
すごく⋮⋮けばい!
そして⋮⋮すっごい胸!
黒くて気が付かなかったが、物凄い巨⋮⋮いや、爆乳だった⋮⋮!
﹁ヘカテさまぁ!!﹂
モイラも感激してヘカテに飛びついた。
ヘカテは我が子をあやす様に、頭を撫でる。
⋮⋮モイラもデカイな。
﹃よくぞ務めを果たしてくれました。
ガイア
我が愛弟子よ。
地球に戻った暁には︱︱おっと、わたくしとした事がはしたない。
気が逸ってしまいましたわ。
さて、あの人は今いずこに︱︱﹄
渡し舟2号
で冥府を脱していた。
ヘカテが扇で仰ぐと空中に別の場所が映し出された。
それは、宇宙だった。
既にクロノス様達は、
﹃あら、冥府を立つ所の様ですね。
ご覧なさい。
使命を果たせぬのはどんな心持ですか?
無力なる冥王よ︱︱?﹄
ハデスはじっと宇宙船が飛び立つのを見ていた。
大地から離れ、大気圏を突破し、そして︱︱。
﹁ならまずは夜を返そう﹂
77
ぎょっとした⋮⋮!
唐突にハデスが言った言葉に⋮⋮!
意味はわからない。
だが、あまりにも無感情だった。
その声音に、一切の感情が無かった。
﹁空に﹂
瞬間、世界は闇に包まれた。
夜だ。
だが今は黄昏時。
日が暮れてもおかしくはないが、陽の光が急に途絶えたのは明ら
かにおかしい⋮⋮。
⋮⋮空には4つの太陽が見える。
この星の宙域を温める為だけに存在する4つの人工太陽。
だが、冥府を巡る太陽は全部で5つ。
ひとつ足りない。
昼を生み出す、最も小さく近い太陽が。
﹃︱︱︱︱!!?﹄
ヘカテは言葉を失った。
そこには、それまでの優雅なる淑女の余裕は無い。
だが、絶句したのはヘカテだけではない。
魔女モイラも、偽ハデスも、そして私も。
ペルセポネだけが、忌々しげに睨みつけていた。
﹃⋮⋮まさか⋮⋮そんな⋮⋮有り得ない⋮⋮!﹄
空間をも操る高位の魔女が、理解できないといった表情を露にし
78
た。
その理解できない存在を見つめながら。
私は⋮⋮直視できないでいた。
⋮⋮それは⋮⋮あまりに恐ろしい姿をしていた。
恐る恐る足元から少しすつ視線を上げていく。
怖い⋮⋮!
恐ろしい⋮⋮!
悍ましい⋮⋮!
だが、一瞬目に入ったアレは、紛れもなく⋮⋮。
⋮⋮⋮⋮ハデスだった︱︱。
79
第8話 ﹁眼鏡が無いと目が見えないよ﹂
冥王ハデス。
最強にして最凶にして最恐なる黒き王。
大海を統べる海王ポセイドンの兄。
生けとし生ける者に等しく恐怖を与える断罪者。
人類史上最強最悪の肉体を持つ男。
彼の声は死を齎し、誰も彼もが恐れ慄く。
⋮⋮初めて、それを実感した。
ハデスを知らずとも、その恐怖を理解するのは容易い。
ただ、見ればいい。
脱色したかの様に白かった髪は漆黒に染まり、死体の様に青白か
った肌は闇の様に黒い。
一目見ただけで、いや、もしかしたら、その場に立ち会うだけで
思い知る事になるだろう⋮⋮。
あれは、邪悪そのものだ。
理由などない。
本能が、そう告げている。
﹃ヒトが⋮⋮! ヒトの身で⋮⋮! ⋮⋮そんな⋮⋮!?﹄
魔女ヘカテが慌てふためく。
だが、この場において取り乱せるのは余程の実力者である証とい
えよう。
さもなくば、私の様に怯え固まり、ガタガタ震える他は無い。
﹃あなたは⋮⋮! 何者です⋮⋮!?﹄
80
ヘカテの言っている意味が、わかってしまう。
冥王ハデス。
最強の王。
かの黄金王クロノス様の息子。
戦争に負けて捕虜となったティタン族を管理する看守長。
法廷における最高責任者。
非常に頑丈な身体と、強固な精神を持つ。
普段はひょうきんだが、有事には冷酷な判断を下す厳しい性格。
そして、私の上司。
名前は知っている。
どういう人物かも知っている。
だが、知らなかった。
いや、正しく認識していなかった。
ハデスが何故最強と呼ばれ、どんな力を持つのか。
その由来を、全くわかっていなかった。
﹁ハデスです。じゃあ、ダメみたいだねぇ⋮⋮﹂
それはハデス自身もわかっているのか、そんな風に答えた。
おそらく、私たちを怖がらせないよう普段の口調で喋ったのだろ
うが、そんな事は何の効果も無く、ただただ恐怖を感じるだけだっ
た。
﹃⋮⋮違う! そうでは無い!
今のあなたの形態など問題ではありません!
今のあなたの状態が、理解⋮⋮できない⋮⋮!﹄
ヘカテの言っている意味に、理解が追い付かない。
形態と状態。
その違いは何か?
81
・・・・
・・
その事を考えるより先に私の思考を占めたのは、あの魔女はハデ
スの肉体自体には恐怖を感じていないという驚きだった。
いや、それも違うのか?
恐怖は感じてはいるが、それを上回る何かに気付いたのか。
﹁あの、ヘカテーさん?﹂
﹃その呼び方でわたくしを呼ぶな!!﹄
空間が震えた。
あの老練な魔女が、初めて感情に任せて激昂した。
だがわかる。
なぜかわかってしまう。
あの呼び方は、正しい呼び方。
クロノス様が発するべき本来の発音だ。
それをハデスが同じように呼ぶと、名前を穢された様に錯覚させ
られる。
クロノス様からの賜り物を踏みにじられた様な。
正論を言われて反感覚えるような。
ともかく、部下であるはずの私でさえ、そう感じてしまう。
﹃⋮⋮いいえ! できる訳がない!
たとえ可能だとしても! そんな事を!
生物である以上! 出来る訳が無い︱︱!!﹄
ヘカテは必死だった。
必死に、自身に言い聞かせている様だった。
あの自答を正確に読み取る事はできない。
あれ程の知性と力を持った魔女が、自身の数世紀年下の男を前に
動揺している。
しかしそれでも、この場にいる誰よりも、彼女は冷静なのかも知
82
れない。
恐怖の対象であるハデスと、傍観しているペルセポネを除いて。
﹃⋮⋮どちらにせよ。
あなたは消えるべき存在です。
今、ここで、わたくしの手で︱︱!!﹄
バッとヘカテが両手を仰いだ。
空に大きな穴が開く。
そこから巨大な隕石が降ってきた!
ハデスはそれを受ける!
更に隕石が降ってくる!
それを受け止めた隕石を投げつけて相殺する!
周囲に破片が散乱する!
ヘカテの攻撃は止まらない!
私は! うずくまる事しかできない!
﹃この程度では傷一つ付けられませんか⋮⋮。
流石はあの人の御子⋮⋮。
⋮⋮だからこそ許せない!
偉大なるティタンの血を引き裂き貶めた!
人類の天敵よ!﹄
ヘカテは叫びながらハデスを握りしめる。
対するハデスはされるまま、何の反応もない。
魔女の身体がブレる。
半透明に光る、もうひとりの小さなヘカテ。
いや、けして小さくはない。
私たちと同じぐらいの大きさだ。
その半透明のヘカテがハデスに迫る。
83
﹃その本性を! 見せなさい︱︱!!﹄
頭を両手で抑えられたハデスは尚も無反応だった。
いったい何が行われているのか解らない。
ヘカテが両手に力を込める。
私の位置からでも凄い圧を感じる。
おそらく凄まじい魔術的な何かが行われている様だ。
ハデスの瓶底眼鏡が割れる。
あの恐ろしい凶悪な視線。
しかもおそらく、以前よりも一層凶悪さに磨きがかかっているで
あろう視線。
だが、ヘカテは怯まない。
あの至近距離で、怯まない。
ほとんど動かない両者だったが、これは間違いなく真の強者同士
の戦いだ。
﹃ひやああああああああああああああ!!!?﹄
悲鳴と共にヘカテが燃えだした。
半透明のヘカテが身体に戻る
しかし、同時に燃えだした肉体は完全に火だるまだった。
痛ましい叫び声と共に、魔女ヘカテは消滅した。
﹁⋮⋮終わった、のか?﹂
思わずそう声が出た。
﹁いや、まだだよ。
これでようやく親父を追える﹂
84
﹃お待ちなさい︱︱﹄
ハデスの声にギョッとし、それを遮った声にハッとした。
その声は、先ほど焼け死んだはずのヘカテだった。
やはり空間から穴が開き、半透明のヘカテが現れる。
小さい、我々と同じ大きさの方だ。
更に、あの派手なドレスではなく、最初に着ていた黒い喪服の姿
で戻ってきた。
﹃最早わたくしに、貴方と争う意思はありません。
むしろ、あの人を、クロノスを止めたいと存じますわ﹄
﹁え?﹂
ハデスと私は顔を見合わせ︱︱。
﹁わあああああああああああ!!!?﹂
⋮⋮⋮⋮数分後。
ようやく意識を取り戻せた。
ハデスの視線に充てられてしまっていたらしい⋮⋮。
めっちゃ怖かった!!
﹁ゴメンゴメン!
でも困ったなぁ。
眼鏡が無いと目が見えないよ﹂
そこに︵ハデスの目を我々が︶と付け加えるべきだ。
以前に見た視線が可愛く思える程の、途方もなく邪悪な眼をして
いた。
これでは会話する事すら困難である。
85
よくヘカテは耐えられたものだ。
敵ながら尊敬してしまう。
﹁⋮⋮しょうがない。
これでどう?﹂
細目になった。
⋮⋮慣れた為か、辛うじて顔は見られる。
すごく怖いが、問題無いといえば無い。
﹁な⋮⋮なんとか!﹂
﹁じゃ、これでいこう!﹂
⋮⋮なんだか、どんどんキャラが変わっていくなぁウチの上司は
⋮⋮。
﹃よろしいですか?﹄
﹁あ、そうだ。
ヘカテーさん、無事だったね! いやぁ良かった良かった∼﹂
﹃ええ、まぁ。
肉体の殆どを失い、最低限の臓器を移し、肉体再生に努めている
現状を無事だというのであれば﹄
おお、こわいこわい⋮⋮。
ニッコリ笑ってウフっと答えてくれたのが、余計にこわい。
﹁で? ヘカテーさんは何で心変わりしたんです?﹂
﹃⋮⋮全ては、ティタンの為です﹄
﹁え?﹂
86
不意に声がついた。
﹃何でしょう?﹄
ヘカテがこちらを向いてきた!
どうしよう!
とにかく! 頑張れ! 私!
﹁えっと、ヘカテ、様は⋮⋮﹂
﹃ヘカテで結構ですよ﹄
﹁⋮⋮ヘカテさんは、ティタン族の為に裁判長⋮⋮ハデス様と敵対
したのですよね?
それがどうして今になって?﹂
﹃といいますか、今回の計画を立案したのは、わたくしです﹄
事件の張本人だった!
﹃浅はかでした⋮⋮。
まさか、貴方がそれ程の存在だったとは︱︱﹄
ヘカテはハデスを見た。
見つめている?
というか、さっきからハデスを見る目が変わっている?
﹁あなた﹂の言い方も、どこか変わった気がする。
何となくそう思うだけだが。
﹃ティタンの時代は終わりました。
いいえ、既にあの時終わっていたのです。
クロノスが敗れた瞬間から⋮⋮。
ならばこれ以上、あの人には甘えられない。
87
わたくしの我がままに、世界を巻き込む訳にはいきません。
ハデス。
貴方に同行する事をお許し願います︱︱﹄
ヘカテは深々と頭を下げた。
ハデスは困った表情︵と思うのだが、怖くてよくわからない︶の
後、承諾した。
﹁さて、それじゃあ張り切って行きますか!﹂
﹁ちょっと待って下さい!﹂
﹁え? どしたの?﹂
﹁今回の件。いまいち全容が掴めないのですが⋮⋮﹂
こんな事を聞いている暇はないとは思うのだが、できれば教えて
欲しい。
﹁わからない?﹂
﹁ええ﹂
﹁そんな時は﹂
﹁そんな時は?﹂
﹁プーちゃんに聞いてみよう!﹂
﹁えっ!? なんでそこでプロメテウス!?﹂
﹃わたくしもそれが良いと思いますわ﹄
﹁いやでも、あの人は関係無いじゃないですか!﹂
﹁でもプーちゃんに聞くのが一番早いんだよ。
ねぇ? ヘカテーさん﹂
﹃ええ。
天才ですから、あの子﹄
﹁そう。天才だから仕方ない﹂
88
⋮⋮よくわからないが、天才だから仕方ないらしい。
仕方がないから、私たちは稀代の天才。
予言者プロメテウスを訪ねる事になった。
89
第9話 ﹁答え合わせよろしく!﹂
﹁何で俺だ?﹂
全くもってその通りである。
予言者プロメテウス。
先の反乱の首謀者として現在服役中の彼だが、今回の事件には全
くの無関係である。
にもかかわらず、天才だから仕方がないという事で事件の全容を
彼から説明してもらう事と相成った。
﹁一応言っておくが、受刑中の身なんだがな﹂
﹁俺がいるから問題無いよ!﹂
﹁いや、痛いんだよ。腹が﹂
サムズアップするハデスに呆れて返すプロメテウス。
腹を槍に貫かれてあの淡々とした返しもどうかとは思うが。
全然痛そうには見えないが、そうか、痛かったのか⋮⋮。
﹁それにしても何てザマだ?
クロノスには逃げられるは。
ティタンにはコケにされるは。
おまけにオリンポスの密偵に成りすまされたときた。
無様過ぎて話にならん﹂
﹁ははははは⋮⋮﹂
﹁す、すごい⋮⋮!
まだこちらからは何の情報も提供してないのに。
てか、オリンポスの密偵!?﹂
90
﹁⋮⋮気付かん方がどうかと思うぞ?
ハデスがふたりいる時点でわかるべきだ。
おい、いい加減ヘタな変装を解いたらどうだ? ヘルメス﹂
﹁おや? バレちまったかい?﹂
﹁へ、ヘルメス?﹂
そういえばいたな、偽ハデス。
偽ハデスがサッと上着を脱ぐと︱︱おんな!?
﹁ちょ! ヘルメス様って女性!?﹂
﹁時には男! 時には女!
それがアタシ! ヘルメスさ!﹂
⋮⋮知らなかった。
本当に私は、知らないことが多すぎる⋮⋮!
﹁納得できない顔だな?﹂
﹁いや、だから⋮⋮その⋮⋮﹂
﹁なんで何も知らない無関係の、それも目の見えん俺が、お前らと
向き合っただけで事の詳細を把握できたのか。
その説明も無しでは俺の言を信じられんと言うのだろう?﹂
﹁そ、その通りです⋮⋮﹂
この人スゴイよ!
凄いけど! 絶対に友達になりたくないよ! こんな人!
﹁⋮⋮いいだろう。
ひとつひとつ解説してやる。
まず、この場にいるのは俺を除いて6人。
ハデス、コレー、ヘカテ、モイラ、ヘルメス、そしてお前だ﹂
91
﹁だから何で目が見えないのに︱︱って、コレー?﹂
﹁ああ、忘れてた。
名前変わったんだよ、ウチの嫁。
今後はペルセポネって呼んであげてね﹂
﹁⋮⋮そうか。
で? なんだ?﹂
﹁いや、その、だから目が見えないのに何でわかるのかと⋮⋮﹂
﹁簡単な事だ。
まず、声でわかる﹂
﹁あ、そうか﹂
﹁まぁ、お前ももうわかっただろうが、ハデスについては声を聞く
までもないだろう﹂
確かに、今のハデスはその場にいるだけで嫌でも他者にその存在
を認識させてしまう。
恐怖の対象として⋮⋮。
﹁これでハデスとお前は断定できたな。
次にペルセポネだが、子供の足音がした。
こんな所に来る子供は他に思いつかん。
それに、ハデスがその成になった以上、傍に連れていると思った
からな﹂
﹁⋮⋮足音はいいとして、裁判長が今の姿だと何故ポネ様が?﹂
﹁それは︱︱当人に聞け﹂
﹁うん、決まりだからね﹂
﹁ほらな?
続けるぞ。
そしてヘカテだが、実態の無い気配を感じた。
はっきり言ってただの勘だったが、容易く霊体化できる奴はそう
はいない。
92
そこにいる霊体はヘカテで当ってたか?﹂
﹃ええ、わたくしです。イアペトスの息子よ﹄
﹁⋮⋮ふん。
ヘカテがいて更に義体の奴がいるなら、そいつは人形遣いモイラ
で決まりだ﹂
﹁義体!?﹂
﹁あらん? わかっちゃうぅ?﹂
﹁全身を常に魔力で動かしてる時点でわかる﹂
﹁すごぉい! あなた、大魔術師だったのね∼!﹂
﹁いや、少しかじった程度だ。
魔法は使えん﹂
⋮⋮つくづく、天才としか言いようのない人だ。
﹁で、ヘルメスは簡単だ。
ハデスと全く同じ挙動の癖を持つ気配がもう一人。
世界広しといえど、ここまで猿真似が上手いのはあいつだけだ﹂
﹁いやぁ、こいつは手厳しいねぇ!﹂
﹁どうだ? 納得したか?﹂
﹁⋮⋮ま、まぁ、はい﹂
﹁霊体を感じるのが胡散臭いか?
それはティタン族特有の鋭敏さとしか言いようがない﹂
ピンポイントで心を読まれた!
﹁そ、そうなのですか? ヘカテさん?﹂
﹃ええ、ティタン族なら子供でもわかるでしょう。
何かいる、程度でしょうが﹄
﹁納得して頂けたか?﹂
﹁わ、わかりました﹂
93
納得云々はともかく、一応理屈は通っているとは思う。
﹁ここまでわかったなら後は考えるまでもない。
ガイア
ハデスがその姿になったという事は、クロノスが脱獄した以外に
考えられん。
クロノスが開放されればティタン族は地球を目指すだろう。
お前ら、追わんでいいのか?﹂
﹁ヘカテーさんがいるから大丈夫だよ。
ねぇ? ヘカテーさん﹂
﹃ウフフ、お任せ下さい。一瞬ですわ。
その為に、同行しましてよ?﹄
﹁⋮⋮確かに、どんな宇宙船でも地球まで三日は掛かる。
急ぐ必要は無いという訳か。
だが⋮⋮いや、まぁいいか﹂
﹁え? なになに?
君がそう言うと滅茶苦茶気になるんだけど?﹂
﹁気にするな。
俺が言ったところでどうしようもない事だ﹂
﹁う∼ん。
じゃあいいか﹂
﹁そういう事だ﹂
ん?
今一瞬、プロメテウスがイタズラっぽく笑った?
こんな顔もするのか、この人。
﹁それじゃあ、答え合わせよろしく!
現状はわかっているつもりだけど、誰がどういう経緯で今回の件
に関わったのかが知りたい。
94
後で事情聴取しないといけないしね﹂
﹁それはお前の仕事だろう⋮⋮﹂と顔をしかめつつ、観念した様
に予言者は語りだした。
﹁事の発端は先の大戦にまで遡る。
戦に負けたが、ティタン族はクロノスの復権を諦めてはいなかっ
た。
冥府に閉じ込めようとも、水面下では常に逆襲の機会を窺ってい
た。
そして今になって、そのチャンスが訪れた。
クロノスの血を引くオリンポスの王子。
つまりゼウスの子なら誰でもよかった訳だが、それを担ぎ上げ冥
府に散らばるティタン族を集結させた﹂
﹁あーそれで今回、ウチのポーが乗せられたのか⋮⋮﹂
﹁ポセイドンも利用されたのか?
全く、今のオリンポス勢は揃いも揃って無能しかいないのか?﹂
﹁⋮⋮うっ! 返す言葉もありません﹂
﹁⋮⋮まぁ、あいつについてはいつもの事だから別に考察の必要は
無いな。
どうせ今回も敵にいい様に使われたんだろ?﹂
﹁そう。当然の様にね﹂
﹁あの! 質問!﹂
﹁何だ? 新人﹂
﹁ポセイドン様は偽物じゃなかったんですか?﹂
ここをハッキリとしておきたい。
今回私たちが見たポセイドンは、そもそも本物だったのか。
モイラの人形だった可能性もあるし、ヘルメスの変装だったかも
しれない。
95
﹁あれは本人だよ﹂
ハデスが答えた。
流石にプロメテウスといえど、ここに本人がいない以上確認のし
ようがないと見た。
しかし、まだ疑問が残っている。
﹁確か裁判長に変装していたヘルメス様が、ポセイドン様の口調が
違うと。
ええっと、一人称がオレ様なのにオレ、にーちゃんを兄貴と言っ
ていたので偽物だとか﹂
﹁あいつ、日によってコロコロ変わるよ?
気分屋だからねぇ∼﹂
﹁えっ!? じゃあ⋮⋮﹂
﹁ああ、あれはアタシの遊び心さ。
どうだい? まんまと騙されたろ?﹂
余計な事をしてくれる!
﹁そんな目で見ないでおくれよ。
あれはあれで意味があったんさー﹂
﹁はぁ⋮⋮﹂
まぁ、その件にまで気にし出すとキリが無いから置いておこう。
﹁話を戻すぞ?
ポセイドンを利用したのは冥府側を攪乱する為だろう。
オリンポス側の足並みを崩す狙いもある。
だが、リスクもある。
96
あくまでポセイドンは巻き込まれただけだ。
だから計画の全容を悟られてはならない。
そこでポセイドンの目を盗んで子供を攫い、各地のティタン族を
集める餌にした。
その一役を担ったのが、そこのヘルメスだ﹂
﹁そうなの?﹂
﹁ああ、スパイだからねぇ。
ご要望とあらば今すぐお縄に付きますがねぇ?﹂
ヘルメスはいやらしく笑った。
﹁それについては後にしようか。
プーちゃん。続けて﹂
﹁ポセイドンを上手く転がし、ヘルメスを使い、いよいよクロノス
を開放しようとした﹂
ああ、だからあの時、ハデスに変装した上で地下牢にいたのか。
﹁ところがここに来て誤算が生じた。
地下牢を開けられるのはハデスのみ。
そうだろ?﹂
﹁うん、俺だけだよ。
俺の生体情報をスキャンしないと鍵が開かない仕組みになってる﹂
﹁やはりな。
ティタン族の時代には無い新技術を想定してなかった為に、連中
は次の策に打ってでた。
このバカ
モイラの人形を使ってクロノスが脱走した様に見せかけた。
その真偽を確かめる為に、ハデスは牢を開けた。
それを魔術探知していたヘカテの力で本物と人形を入れ替えた。
後はクロノスの言霊の力を使ってティタンを先導し、多数決至上
97
主義のハデスを封殺しようとした。
仕上げとして、俺ならヘカテの能力で亜空間に閉じ込めるかな。
後はクロノスがオリンポスを制圧すれば、晴れて悲願達成って訳
だ。
しかし︱︱﹂
プロメテウスはヘカテの方を向いた。
﹁お前はここにいる﹂
﹃⋮⋮⋮⋮﹄
﹁それは何故か?
当ててやろうか?
お前はティタンの為だと言うだろう。
だが、それは正確ではない﹂
﹃⋮⋮⋮⋮﹄
見えない筈の目を見開き、挑戦するかの様に魔女を見据えて弁舌
を振るう。
﹁お前は気付いてしまったんだ。
例えクロノスが返り咲いたとしても、冥王ハデスがいる以上意味
は無いと。
だから今度は、クロノスを止める為に寝返った﹂
﹃⋮⋮⋮⋮﹄
対してヘカテは反論もせず、黙って聞いていた。
さも罰を受けるかのように。
﹁そうしなければ、世界が滅ぶ。
そんな風に思ったんだろう?
98
だから世界を守る為に、かつての自分をかなぐり捨てて、ハデス
を選んだ﹂
﹃⋮⋮⋮⋮﹄
ヘカテの眉がピクリと動いた。
驚愕、ではなく、関心しているかの様な表情だ。
﹁世界の為、と言えば聞こえがいいが、要するに今ある社会を壊さ
れたくないだけだ。
クロノスを内包し、ティタンが辛うじて許される今の世界の在り
様を、守りたい。
その為なら、クロノスに、同胞に拒まれようと構わない。
違うか?﹂
﹃⋮⋮⋮⋮﹄
問いかけを否定しない。
その沈黙こそが答えだと言わんばかりに。
・・・・・・
﹁ハデスの内側を見たんだろ?
こいつの真の恐ろしさを。
そしてお前は、その考えに至った﹂
﹃⋮⋮⋮⋮﹄
気付けばプロメテウスはジワリと汗をかいていた。
追い詰める様に論じておきながら、自身を問い詰める様に。
﹁俺もそうだったから、よくわかる⋮⋮﹂
﹃⋮⋮⋮⋮﹄
そして目を閉じ、小さく息を整えた。
99
﹁というのが俺の憶測だが、大体合ってるか?﹂
﹃⋮⋮見事です。
プロメテウス。
正にあなたの言う通り、付け加えるものさえありませんわ︱︱﹄
讃える様に、ヘカテは両手を広げた。
﹃まさか我が胸の内さえも見通すとは、ティタンは惜しい才能を失
っていたようですね﹄
﹁⋮⋮お褒めに預かり﹂
ヘカテは、慈しむ様にプロメテウスを眺めていた。
我が子を誇らしげに見つめる母親の様に。
それが居心地悪かったのか、プロメテウスが目線を逸らした。
⋮⋮目、見えてないんだよな?
﹁⋮⋮解せんのはヘルメスがここにいる事だが失態だったな﹂
唐突に話を変えてきた。
どうやらヘカテが苦手らしい。
哀れヘルメスに矛先が向けられた。
﹁隙を見て子供を助けるつもりだった様だが、クロノスの威光で役
に立たんかったと見える﹂
﹁⋮⋮本当に、手厳しいねぇ﹂
﹁俺からは以上だ。満足か?﹂
﹁ありがとう! 助かったよ∼﹂
﹁ありがとうございます!﹂
100
流石は予言者プロメテウス。
お陰で知りたい事はおおよそわかった。
後は︱︱。
﹁さて、そろそろ親父を追うとしますか﹂
﹃その前に、少し時間を下さい﹄
﹁え?﹂
﹃すぐに済みますわ。
プロメテウス。
貴方の気高さを見込んでお願いがあります﹄
﹁いやだ﹂
まだ何も言ってないのに、プロメテウスは即答した。
この人の場合、どんな頼み事もこうやって断りそうではある。
まぁ、どうせどんなお願いかもわかるんだろうけど。
﹃そう言わずに、お願いします﹄
﹁なんで俺なんぞの過去に興味がある?﹂
やっぱりわかってた。
こうなると最早ギャグである。
﹃ウフフ。
やはり、貴方は、素晴らしい︱︱。
貴方のその類稀なる頭脳が必要なのです!﹄
尚も強引に食い下がるヘカテ。
先程プロメテウスに全てを暴露された事を根に持っているのか?
﹃さあ!
101
このわたくしに!
あそこまで意見したその胆力!
今一度見せて下さいな︱︱!﹄
﹁だ・か・ら! 何で俺なんだ!?﹂
この日、私は思い知った。
天才では熟女に勝てない事を︱︱。
102
第10話 ﹁俺は、幸せだ﹂
﹁結婚おめでとう!﹂
え!? 結婚するの? 私!
突然見知らぬ誰かから、人生最大イベントの祝辞を頂いてしまっ
た。
﹁ありがとう!﹂
男の声が自分の中から発せられたかの様な未知な感覚。
私の戸惑いなど構わず、私とは別の意識が頭の中で幸福を噛みし
めていた。
︵俺は、幸せだ。
俺の様な根暗が、結婚できるとは思っていなかった。
誰かを愛せるなど、信じていなかった。
クリュメネと出会うまでは。
俺は生涯彼女を守り、生きていきたいと願っている。
昔の、ロジックにしか興味の無かった俺からは、想像だにできな
いだろう。
皆から天才だの持てはやされ、自分は特別だと疑わず、他人を低
能だと見下していた。
性交渉を、本能に縛られた人ならざる情事だと、嫌悪感さえ抱い
ていた。
だが、彼女のお陰で思い知らされた。
俺も、たかがひとりの男だったんだ。
そんなごく当たり前のことを、教えてもらった。
103
俺は、幸せ者だ︶
私の中で別の意識が独白する。
これが、予言者プロメテウスの過去の記憶なのか?
﹃ええ、その通り。
あなたは今、彼の記憶。
彼の精神の内にいるのです﹄
そう。
現在私はヘカテの秘術とやらで、予言者プロメテウスの記憶の住
人となっている。
嫌がる彼を強引に説得⋮⋮というか、早々に諦め応じてくれただ
けだが、何故か私も彼の過去を見る羽目になった。
あのぉ、ヘカテさん?
私がご一緒する意味、ありますか?
﹃大いにありますとも。
あなたの様な、普遍かつ凡庸な人格による観測が必要なのです。
わたくしでは、価値観がティタンにより過ぎてしまいます﹄
⋮⋮それって褒めてないですよねぇ?
﹃ウフフフフ。
そんな事はありません。
ハデスに選ばれた事を、もっと誇りに思うべきです﹄
⋮⋮まあ、いいですけど。
何か話辛いですね⋮⋮。
104
﹃では、あなたにだけ見えるよう霊体化しましょう︱︱﹄
ヘカテさん!?
何故幼女に!?
﹃時とは移ろい易いもの。
過去に意識を飛ばした為に、わたくしの在り様も変化したのです。
さも、月の満ち欠けの様に、ね﹄
過去に遡って幼児化するということは、じゃあ未来では⋮⋮。
﹃知りたいですか?
何人たりとも知ってはならぬ、おぞましき未来を︱︱﹄
⋮⋮遠慮しておきます。
﹃ウフフ︱︱﹄
ロリなのに、何て色っぽいんだ⋮⋮。
⋮⋮幼熟女め。
そ、それはともかく!
こうして喋らず意思疎通できるということは、私の意識は筒抜け
だと?
﹃安心なさい。
個人の精神に土足で踏み入る様な野暮はしませんよ﹄
それって、意識して出来るものなのですか?
﹃容易いことです。
105
わたくしに語り掛ける意志がある場合に限り、わたくしの意識の
届く秘術です﹄
⋮⋮ご配慮どうも。
えっと、私は今、プロメテウスさんの体を借りているんですよね?
﹃正確には、彼の視界と意識を覗いているに過ぎません﹄
⋮⋮どうしてそんなまどろっこしい事を?
ヘカテさんみたく霊体になって眺めるだけじゃダメですか?
﹃あなたを一から霊体化させるのは少々手間でしてね。
それに、わたくし達が知るべきは、当時の彼が何を思い何を成さ
んとしたのかです。
その為には彼の目線に立った上で、その心情を読み取らねばなり
ません﹄
ということは、裁判長の中も見るんですか?
﹃あなた正気?
そんな事をすれば、魂ごと焼かれましてよ?﹄
げっ! そんな感じなんですか!? 裁判長!
﹃見たでしょう? わたくしの肉体が燃えたのを。
彼は何も拒んでいないというのに、単なる防衛本能が異物を焼き
尽くしてしまうのです﹄
ウチの冥王、マジ冥王!
どんだけおっかないんだよ⋮⋮!
106
でも、それじゃあ裁判長の心情がわからないのでは?
﹃あの人の過去は覗くまでもありません。
おそらくあの人は、いつだって、あの人なのですから﹄
ヘカテの物言いには確固たる確信と共に、劣情の香りが紛れてい
る。
⋮⋮いつハデスに惚れたんだろう? この熟女。
まぁ、言いたい事はわかりますよ。
﹃あの人は使命にのみ生きる人。
ならばそれを、正確に読み取れば良い。
幸いにして、この子以上の適任はいないでしょう﹄
⋮⋮予言者プロメテウスをこの子呼ばわりとは。
流石は最古の魔女ヘカテ。
﹃本当に優秀な子です。
イアペトスも鼻が高いことでしょう﹄
あ、本当に伝えようとしないとヘカテには聞こえないんだ。
上機嫌でいらっしゃる。
﹃さて、安心したところで続きを見物しましょうか。
彼らの、過去の軌跡を﹄
え!? ちょっとヘカテさん!?
さっき私が思ったこと、聞こえてませんよね!?
﹃ウフフフフ︱︱﹄
107
こっわ!
なんて意地の悪さだ。
余計な事は考えないでおこう。
﹁︱プロメーテウス︱﹂
﹁陛下⋮⋮!﹂
思案にふけっていたプロメテウスを、雄々しい男性の声が覚醒さ
せた。
しびれる程に心に響く声音に感激し、深々と礼を尽くす。
奥さんのお陰で会心したであろう今の彼でも、ここまで素直に頭
を下げる人物はいない。
全ての種族の頂点に位置する、黄金王クロノス様以外には。
﹁︱まずは目出度い︱。
︱お前は利口だが、その分朴念仁だからな︱。
︱少々案じておった︱﹂
﹁⋮⋮ご心配お掛けしました﹂
﹁︱よい︱。
︱皆を案ずるのが、予の務めだ︱﹂
﹁⋮⋮ありがたきお言葉!﹂
クロノス様の労いに、プロメテウスはのみならずその場にいた全
員が感謝し頭を垂れた。
やはりクロノス様の言霊は絶大ですね。
﹃これこそが、世のあるべき姿です。
ご覧なさい︱︱﹄
108
ヘカテに促され周囲に意識を向けた。
都合プロメテウスの視野以外は見えないが、目に入るそれは、こ
の世のものとは思えない程美しい光景だ。
人も、都も、空も大地も、空気さえも光り輝いている様だ。
この光景を目にしてしまえば、ティタン族が過去の栄華にしがみ
つくのも分かろうというものである。
それにしても美しいですね、ヘカテさん。
﹃⋮⋮⋮⋮⋮﹄
おや? 聞こえていないのか?
ヘカテさん!
﹃⋮⋮失礼。何か言いまして?﹄
クロノス様、格好良いですよね∼!
﹃当然でしょう!
何をわかりきった事を言うのです!
ええ、あの麗しいご尊顔!
聳える山脈の如き逞しい肩!
天空をも平伏せたる堂々とした佇まい!
家臣を気遣っての少し砕けた振る舞い!
大地さえも踏み貫く力強いおみ足!
特に足! そう! 足が良い!
足とは人にとって最も︱︱︱﹄
⋮⋮どうやら、クロノス様に見惚れていた模様。
聞いてもいないのに、よくもこれだけペラペラペラと口が回る。
もはや狂気を感じるレベルである。
109
しかも途中から何故か足の話になってるし⋮⋮。
あのぉ⋮⋮ハアハアしながら脱線するの、やめてくれませんか?
﹃あらいやだ。わたくしとした事がはしたない﹄
常からエロい雰囲気を出しているが、クロノス様が関わると更に
変態度5割増しは固い。
本当に肉体を失っているのだろうか? ⋮⋮この人。
むしろ身体があった頃より悪化してはいないだろうか?
タガが外れているにも程がある。
﹁︱皆、楽にせよ︱。
︱今日の主役は予ではない︱﹂
クロノス様の気遣いで、ようやく全員がおもてを上げた。
周囲が再び笑い合う中、プロメテウスはずっと花嫁を見つめてい
た。
⋮⋮ヘカテさん。
クロノス様をガン見してるところ悪いんですが、そろそろ⋮⋮。
﹃え? もうですか?﹄
私たちの目的は?
﹃あらいやだ。わたくしとした事が﹄
⋮⋮クロノス様が出てきてからこの人、同じ事しか言わなくなっ
た気がする。
ともあれ、正気に戻ったヘカテの術で、プロメテウスの記憶を早
送りで観ていった。
110
体感的には一瞬だったが、彼の記憶を我が事の様に思い出せる。
プロメテウスは城仕えの冷めた男だったが、妻クリュメネを心の
底から愛していた。
天才特有の理屈家で、口喧嘩にでもなろうものなら正論をもって
相手を問い潰す彼だが、彼女の前ではただの屁理屈を並べたがる子
供と変わらなかった。
そして最終的には妻の一言で意見を曲げ、甘える不器用な男に過
ぎなかった。
彼女と出会う前の彼からは想像だにできないと、彼の意識が事あ
る毎に反芻していた。
彼の日々は穏やかだった。
仕事では常に一番の成果を出し、外では同僚にからかわれ、家で
は妻にからかわれる。
そんな毎日だった。
﹃さて、ここからの様ですね。
わたくし達が知るべき、彼の、在りし日の真実は︱︱﹄
ヘカテの言葉は、そんな穏やかな彼の日常の終わりを示していた。
﹁山がおかしい﹂
誰かが言ったのか、そんな噂が広まった。
名も無き山の一つが、大きくなっていった。
初めは誰も気にしなかったが、日に日に肥大化していく山を不気
味に思っていった。
民衆の不安に心を痛めたクロノス様は、勇士と名高いアトラスに
山の調査を命じた。
アトラスは身の丈6メートルを誇るティタンの中でも大柄な男だ
った。
111
そしてなんと、プロメテウスの兄でもあった。
この力自慢の兄は、知恵者だが偏屈な弟の良き理解者で、年の離
れた弟を誇りに思っていた。
だが、立場上同じ現場で働く機会が無かったため、ここぞとばか
りにプロメテウスを調査団の副隊長に任命した。
﹁お前と轡を並べるのは初めてだったな﹂
﹁ああ﹂
﹁よろしく頼むぞ? 副長殿﹂
﹁俺の出番が無いことを祈るさ﹂
共に口数は少ないものの、特に不仲という印象はなかった。
少なくとも、プロメテウスは兄の事をある程度尊敬しているよう
だ。
この、ある程度という所が、実に彼らしいといえるだろう。
調査団はアトラスを筆頭に副長プロメテウス、他三名といった構
成でいずれも翼竜に乗っていた。
旅は順調に進み、早駆十日ほどで目的の山に辿り着いた。
﹁ここか。どう見る?﹂
﹁この臭いは⋮⋮山が活発化している様だな。
それと土﹂
﹁土?﹂
﹁明らかに他とは違う。
詳しく調べていないから何とも言えんが、山の肥大化に関係があ
るだろう﹂
﹁成る程な。
よし、ここからは徒歩でいこう﹂
アトラスの指示で一人を翼竜と荷物の番として残し、山中への探
112
索を開始した。
探索を開始して半日、彼らは最初のキャンプで調査の結果をまと
めていた。
第一に生き物が見当たらず、木々のほとんどは枯れ果てていた。
この黄金時代の山々といえば、木々が生い茂り様々な動植物が命
を育み、生命に溢れていた。
ここは、明らかに異様な場所だった。
それに、山全体から妙な圧迫感を全員が感じていた。
なんというか、誰かから拒絶されている様な、漠然とした不安感
があるのだ。
明朝、彼らは更に山の奥深くへと入っていった。
﹁⋮⋮何かいる﹂
アトラスが小声で警戒を促す。
プロメテウスは無言で頷くと、二人の部下に指で合図を出した。
何かあった時の為に事前に取り決めていたジェスチャーである。
プロメテウスが部下と共に影に潜むと、アトラスは音を立てて走
り出した。
それに気づいた何かは、獣の動きでアトラスから逃げ出した。
しかし、隠れていたプロメテウスらによって取り囲まれ、捕らえ
られた。
唯一体の大きいアトラスを囮とした作戦は、功を奏した様だ。
﹁⋮⋮なんだ? これは﹂
四人はギョッとした。
捕まえたそれは、異形の化物だった。
その化物を見た直後、彼の、意識本流が私に伝わってきた。
﹁この時までの俺は、幸せだった﹂と︱︱。
113
第11話 ﹁怖かったんだよ⋮⋮!﹂
予言者プロメテウスの知られざる過去、その隠された真実の一つ
がそこにあった。
それは、今まで見たこともない、異形の化物だった。
まず目に付くのは左右非対称不揃いの手足。
右腕が三本、左腕は無く、代わりに左足が二足あり、右足は一足。
大きさは150から200センチ程で、歪な胴体を地面に這わせ
ながら蠢いている。
頭部はひしゃげた様に醜く歪んでおり、思わず目を背けたくなっ
た。
﹁なんだ? こやつは?
布を纏っているのか?﹂
そう、化物は衣服を身に着けていた。
それも、ただ体に巻き付けたという風ではなく、明らかに衣服と
して着用している様だった。
これではまるで⋮⋮。
﹁まるで人間の様だな﹂
﹁⋮⋮人間? こやつがか?﹂
プロメテウスの発言にアトラスは訝しんだ。
それは当然だった。
この時代の人間は、全て美しい姿をしていたからだ。
﹁おそらく、俺たちとは別種の人類なのだろう。
114
危険を感じ逃げ出すも、無駄だと悟る判断能力に加え、俺たちの
会話を聞いている様にも見える。
ただの獣には無い知性を感じたが?﹂
﹁かように醜きこれが、人といえるのか?﹂
﹁⋮⋮確かに、見た目は人とは思えん。
だが⋮⋮﹂
﹁ぬ! なんだ!? この⋮⋮悪寒は!?﹂
プロメテウスが言いかけて止まった。
急に体が動かなくなった。
それは、初めての体験だった。
プロメテウス達が動けないでいると、捕らえていた化物が逃げて
いった。
その逃亡先に辛うじて動く視線を向ける。
するとそこには、恐ろしい男が佇んでいた。
⋮⋮ヘカテさん。
あれって⋮⋮。
﹃ええ。あの姿の彼は、あなたもご存じでしょう?﹄
黒い肌に鋭い目つきのそれは、クロノス様を止める為、力の一部
を開放した時のハデスとそっくりだった。
だが、私にはもっと恐ろしいものに見える。
それでも直視できるのは、プロメテウスの記憶を介しているから
なのか?
プロメテウスは、初めて見る黒い男に戦慄していた。
ただただ、怖くて怖くてたまらなかった。
そして同時にあれはこの世で最も邪悪な存在だと確信した。
理由は無い。
115
︵死ぬ︱︱︶
見た瞬間、直観が、恐怖が、思考が、そう告げていた。
あれに直接殺されるのか、間接的要因によって死ぬのかは判然と
しないが、とにかくこのままでは死ぬと思った。
﹁うをおおおおおおおおおおおお!!!﹂
鬨の声が上がった。
アトラスの咆哮だ。
6メートルもの巨体から発せられたその雄叫びは、大地をも震え
させ、何重にも衝撃波を発生させた。
それを目視した時、すでにアトラスの剛腕は黒い男を粉砕しよう
としていた。
﹁うをおお!!﹂
アトラスの巨大な鉄拳を、黒い男は片手で受け止めた。
その直後、アトラスは反射的に後ろに飛んだ。
未だ動けぬ部下たちを庇うように。
﹁ハァ⋮⋮! ハァ⋮⋮! ハァ⋮⋮!﹂
勇猛で知られるアトラスが、たったあれだけのやり取りで満身創
痍にまで消耗していた。
プロメテウスは状況を把握しつつも、全く動けずにいた。
﹁︱去れ︱﹂
直後、プロメテウス達は必死で逃げ出した。
116
泣きながら、全速力で山を下った。
あのアトラスでさえ、追われる獲物の如く取り乱していた。
それでも、誰よりも速く走れる彼が、部下たちを先に逃がしたの
は大したものだった。
彼の人格の程がよく窺える。
プロメテウスは恐怖で我を忘れつつも、心の底から兄に感謝した。
そして彼の勇ましさを、かつてない程に尊敬した。
あんなにも邪悪な存在に立ち向かうなど蛮勇にも思えたが、それ
以上に男として、一人の人間として憧れた。
見張りのもとへと逃げおおせ、彼等はティタンへと取って返した。
オトリュス城が見えると、アトラスは竜から転げ落ちる様に倒れ
込んだ。
﹁見るな!!﹂
心配し、駆け寄る部下たちを下がらせ、プロメテウスは必死に自
身を落ち着かせようとした。
︵⋮⋮髪がほとんど抜け落ちている!
顔色も発汗も尋常じゃない!
今、一体何が起こっている!?︶
並外れた自然治癒力を有するティタン族、その中でも優れた肉体
を持つアトラスをこうも憔悴させたもの。
彼はそれを必死に考えた。
︵⋮⋮原因はわかりきってる!
あの黒い男だ!
だが、今究明すべきはそのメカニズム!
あの男は何をした!?
117
アトラスは何をされた!?
どういう仕組みで身体が消耗している!?
それが解らなければ⋮⋮クソ!︶
プロメテウスは自分だけでアトラスを救おうとしていた。
︵思いつけ! 考えろ!
アトラス
何の為に人払いした!?
こんな姿の英雄を⋮⋮人には見せられん⋮⋮!︶
彼は悩んだ末、自宅にアトラスを運んだ。
彼の屋敷は使用人はおらず、妻とふたりきりだった。
彼女なら最も信頼でき、隠し事をするつもりもなかった。
﹁お義兄さん!?
あなた⋮⋮これは!?﹂
﹁⋮⋮すまん!
何も聞かず看病を手伝ってくれ!
考えをまとめたいんだ!﹂
突然の事にクリュメネは慌てたが、すぐに事態を受け入れた。
﹁まあ! 大変!
すぐに先生を呼ばないと!﹂
﹁駄目だ!﹂
﹁え!? どうして!?﹂
﹁こんな状態のアトラスを他人に見せる訳にはいかん!
アトラスは英雄だ。
それを壊す様なことなどあってはならない!
なによりアトラス自身がそう思う筈だ!﹂
118
プロメテウスは必死に落ち着こうとして、まくし立てた。
﹁何言ってるの!?
お義兄さんが死んじゃったらどうするの!?
私、先生を呼んでくる!﹂
普段慎ましい妻に怒鳴られ、彼はハッと我に返った。
言われてようやく、自身がかなり混乱していることに気が付いた。
﹁クソ! 馬鹿か俺は!
すまん! クリュの言う通りだ!
アトラス! 人を呼ぶぞ! いいな!?﹂
アトラスは呻きながらも僅かに頷いた。
﹁⋮⋮手の施しようがありません﹂
医者は青ざめた顔でそう告げた。
﹁そんな! 何とかならないのか!?﹂
﹁まず、原因がわかりません。
一体何をどうすれば、この様な容態になるのか⋮⋮。
人には負傷しても瞬時に肉体を再生する治癒力が備わっている。
他の生物では致命傷になりうる深手であろうと何ら問題無く。
それが我らティタンの血の賜物﹂
そう。
この頃、人︱︱人類とはティタン族しかいなかった。
正確には人として認められていなかった。
119
死ぬまで成長し続け巨人と化し、例え手足が身切れしようと再生
される黄金種と呼ばれる超人たち。
本来病気や怪我とは無縁の彼等に医者など不要だった。
だからここでいう医者とは私が便宜上そう言っているに過ぎない。
この時代の医者とは、ティタン族の生態を研究している学者の事
を指す。
それが証拠に、クリュメネも先生と呼んでいる。
さて、その先生が言うにはアトラスは彼自身の自然治癒力で回復
に向かっているとのことだった。
ただ、自身にできることがなかったのが後ろめたいのか、申し訳
無さげに部屋を後にした。
プロメテウス夫妻は、ひとまず整った寝息のアトラスに安堵し寝
室へと向かった。
二人きりになってプロメテウスの緊張が解けた。
そして縋りつく様に妻を抱いた。
﹁クリュ⋮⋮!﹂
﹁プーちゃん?﹂
﹁俺⋮⋮! 俺⋮⋮!
怖かった! 怖かったんだよ⋮⋮!﹂
プロメテウスは子が母に泣きつく様に甘えた。
﹁あんなバケモノ⋮⋮!
⋮⋮どうしようも⋮⋮ない⋮⋮!
どうしようもなかったんだ⋮⋮!﹂
嗚咽と共に押し出されるうわ言は脈絡の無く稚拙だった。
普段の彼からは似つかわしくない姿を見て、相当にまいっている
のがわかった。
120
﹁アトラスがいなければ⋮⋮死んでいた⋮⋮!
だからアトラスに死なれたら⋮⋮俺⋮⋮!!﹂
クリュメネは頭を泣きつく夫の頭を撫でながら、黙って聞いてい
た。
そして、視界が急に暗くなった。
ヘカテさん?
これって⋮⋮。
﹃よい子はここまでです﹄
ああ、やはりそういう事⋮⋮。
ですよねー。
⋮⋮それにしても意外ですね。
ヘカテさんってこういう濡れ場とか好きじゃないんですか?
﹃男女の秘め事は、そのふたりだけのもの。
他者が入り込む余地はありません﹄
まともな事言ってる!
ただの変態淑女かと思っていたが、一応彼女も弁えてるらしい。
﹃あなた、わたくしを何だと思っているのですか?
わたくしが欲情するのは、あの二人だけです!
それをさも尻軽女のように⋮⋮!
心外です!﹄
そんな欲情するとか堂々とおっしゃられても⋮⋮。
やっぱ変態じゃねーか!
121
﹃⋮⋮あなたとは議論の余地があるようですね?
これ以上は大人げ無いので控えますが﹄
もう十分大人気無いです。
まあでも、少し見直しましたよ。
その気になれば見たい放題でしょうに。
﹃あなたはまだお若いからわからないでしょうけど。
彼らはわたくしにとって孫の様な子供たちです。
それを淫らな対象として悦しむことはありません﹄
確かに、そう言われれば何となくわかります。
﹃それに、秘した方が綺麗だと思いませんか?﹄
そう言うヘカテの眼差しは、子を慈しむ母親の様だった。
確かに、ただの変態ではないらしい。
それはともかく。
明朝、プロメテウスは報告の為、オトリュス城に登城した。
﹁︱おお、プロメーテウス︱!
︱此度の遠征大儀であった!
︱して、アトラースの容体は?︱﹂
﹁⋮⋮未だ立つこともままならず﹂
﹁︱そうか︱。
︱しかし、あのアトラースがな︱
︱いったい、何があった?︱﹂
﹁⋮⋮異変の中心部と思しき山にて、異形の生物を確認。
そして、我々の前に⋮⋮!﹂
122
言葉に詰まるプロメテウス。
その原因は漠然とした恐怖心。
そんな曖昧なものに躊躇う人格は持ち合わせていないはずだ。
それでも、感情を殺しても、言い淀む。
﹁︱どうした?︱﹂
しかし、言わなければならない。
人類の主、クロノス王の忠誠を示さんが為に。
かの王を、心配させてはならない。
﹁⋮⋮黒い⋮⋮男⋮⋮!
⋮⋮が! 異形のモノたちを率いて現れました!﹂
言い切った。
まるで、合戦から逃げ延びた様に息を荒くするプロメテウス。
それほどに、あの存在を口にする事そのものが、彼を蝕んでいた。
そんな彼の様子を見て、周囲はどよめいていた。
﹁︱黒い男?︱
︱異形のモノたち?︱
︱よくわからんな︱﹂
ただ一人、クロノス様だけが、平然と会話を続けた。
何の事は無い。
ただの素朴な疑問と言わんばかりに。
その偉容に、周囲も落ち着きを取り戻し始めた。
プロメテウスもまた、正常な思考を取り戻し始めた。
123
﹁あれは⋮⋮! 人類の、敵です!
目にした瞬間、そう確信しました!﹂
﹁︱その根拠は?︱﹂
﹁⋮⋮わかりません。
しかし、直観、いや、おそらく本能的にそう思わずにはいられま
せんでした。
⋮⋮少なくとも、私はそうです﹂
﹁︱して、どうすれば良い?︱﹂
﹁⋮⋮あれを野放しにしては、世界が滅ぶでしょう﹂
再び周囲がざわついた。
﹁︱ほう?︱
︱大事だな︱
︱それも直観というやつか?︱﹂
﹁⋮⋮は!﹂
﹁︱成る程︱
︱にわかには信じられんが、他ならぬお前の言う事だ︱
︱間違いはあるまい︱
︱しかしプロメーテウスよ︱
︱ならば予はどうすれば良い?︱﹂
﹁それは⋮⋮﹂
﹁何もなさらずともよろしゅうございます﹂
他を威圧する様な声が横切った。
あの偉そうな態度には見覚えがある。
それはまだ将軍じゃない頃のコイオスだった。
﹁世界が滅ぶ事などあり得ませぬ。
陛下のお手を煩わせる程の事が、この世にありましょうや?﹂
124
﹁しかし!﹂
﹁貴公は疲れておるのだ!
一体何を見たのかは知らぬが、要領の得ぬ妄言を陛下の御前で吐
きよって!
もう良い!
下がって良い!﹂
﹁な! 陛下! お待ちを!﹂
コイオスを無視してクロノス様に取りなそうとするも、プロメテ
ウスは締め出されてしまった。
仕方なく、彼は城を後にした。
125
第12話 ﹁じゃあ、行ってくる﹂
あれから数日後、謹慎中のプロメテウスはアトラスの看病をして
いた。
幸いアトラスは順調に回復し始めており、心配されていた髪もフ
サフサと生えてきた。
妻クリュメネの支えもあり、随分落ち着きを取り戻していた。
そんな折、突然謹慎が解かれた。
さる貴族の鶴の一声があったそうだ。
ただ、その貴族というのが誰あろう、謹慎を言い渡した張本人。
あのコイオス卿だった。
コイオスはプロメテウスを屋敷に招いた。
プロメテウスは嫌な予感がしたが、出向かなければ角が立つため
従者も付けず、単身コイオス邸を訪れた。
﹁おお! 待っておったぞ!﹂
﹁お招き頂き恐縮です﹂
﹁ささ! 遠慮せず上がってくれぃ!﹂
︵⋮⋮歓迎されてるとは意外だな。
ご当主様御自らお出ましとは恐れ入る。
いや、これは前フリか?
何時間も説教食らった挙句、お高いだけの不味い飯を食わされる
ってとこか?︶
﹁どうした? おお! わかっておる! わかっておる!
当家自慢のシェフたちが、すでに腕をふるっておる!
そなたは痩せ気味だからな!
今宵はたっぷり肥え太るが良い!﹂
︵なんだこりゃ?
126
公の場とはえらい違いだな。
もっとも、何かやましい事があるのは顔を見ればわかるが⋮⋮︶
プロメテウスは若干警戒を解いていた。
彼の危険予知能力は自他共に認めるものであり、そういう勘は外
れた事がない。
まぁ、彼自身はただの臆病者の被害妄想だと自嘲しているようだ
が。
コイオスに促され、食事の席に着いた。
そこにはコイオスの一族が席を囲っていた。
あのアポロン、アルテミスの母レトも、会釈とお辞儀を返してき
た。
﹁さあ、好きな物から食べてくれぃ!﹂
﹁それでは、頂きます﹂
︵この用心深いおっちゃんが、俺に一族を引き合わせるとはな。
意外を通り越してガッカリした。
もう少し叩き甲斐のある老害だと踏んでいたが。
大方俺に、いや、アトラスを手前の派閥に引き入れろとか言う腹
か?
それとも、恩を売って無理難題を吹っ掛ける気か?
ハッキリ言って不気味以外のなにものでもない︶
気持ち悪い程に好意的なコイオスを警戒するも、特に問題無く客
間に通された。
︵陛下も泊まられた部屋と言っていたが、本当に破格の待遇だな。
⋮⋮30分もの自慢話を聞かされて疲れはしたが。
まぁ、あのオッサンにしてはかなり手短だったかもしれん。
コイオスも、随分と俺に気を遣ったとみえる︶
127
コイオス邸での最初の夜は、終始拍子抜けの心持で就寝した。
明くる朝、コイオス自慢の庭園にて、これまた得意げに自慢しな
がら散歩に付き合わされていた。
﹁どうであろう? この彫像の栄えたる事!﹂
﹁素晴らしい造形ですね。
製作者の技巧の高さが窺えます﹂
﹁それもそうだが︱︱﹂
﹁勿論、モデルあっての出来栄えですが、言うまでもないと思いま
してね﹂
﹁フハハハハハ! わかっておる! わかっておる!
そう褒めるでないわ! ワッハッハッ!!﹂
︵朝からよくもここまではしゃげるものだ。
まぁ、接待だと思えば大した負担でもない。
接待されているのは俺なのだがな︶
庭園はティタン族らしく広大で、いくつもの森や川があった。
散策を初めて30分、ようやくプロメテウスは異変に気付いた。
いや、正確には初めから何かあるとは予見していたが、それが確
信に変わったというべきか。
﹁コイオス卿。ここは?﹂
﹁⋮⋮入ればわかる﹂
︵錆びれた建物。根の張り具合からいって十数年程前に放棄された
ってとこか︶
無言のコイオスに促され、プロメテウスは屋内に入った。
ティタン族にしてはこじんまりとしていて大した広さは無い。
128
︵このオッサンでも黙る事があるんだな。
さぞ厄介な代物を俺に押し付けたいらしい︶
﹁少し待て﹂
真っ暗な部屋で十数秒程待っていると、どこからともなく灯りが
ついた。
かなり広い部屋だ。
しかし、間取りは幾つにも区切られており、ひとつひとつは手狭
だった。
これはまるで︱︱。
﹁牢獄︱︱の様であろう?﹂
﹁⋮⋮そうも、見えますな﹂
﹁よい。
⋮⋮ここはかつて牢であった。
あるお方をお隠しする為のな⋮⋮﹂
﹁あるお方?﹂
﹁そなたの見た黒い男。
・・
かつて儂も、目にした事がある﹂
︵⋮⋮やはり、アレの関係者だったか︶
﹁アレは⋮⋮陛下の⋮⋮御子だ︱︱﹂
﹁な!?﹂
全身に衝撃が走った。
クロノス様に御子が生まれていた事もあるが、それ以上に、あの
悪魔の如き存在がと思うと到底信じられなかった。
︵それは流石に想定外だ!︶
﹁驚くのも無理はない⋮⋮。
陛下の御子が誕生された事は公表しておらんからな。
129
儂が止めていた。
万が一を思ってな⋮⋮﹂
︵確かに⋮⋮。
ティタンの王子が流産でもしようものなら、民の動揺は計り知れ
ない。
一介の家臣が出過ぎた真似だったが、結果功を奏したという事か。
なる程、どおりで俺に突っかかる訳だ︶
﹁しかし⋮⋮まさか⋮⋮﹂
﹁まさか⋮⋮あの陛下の御子が、かように悍ましきものとしてお生
まれになろうとは⋮⋮。
いったい誰が想像できよう⋮⋮?
そして誰が、受け入れられよう⋮⋮?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮質問しても?﹂
﹁⋮⋮うむ﹂
﹁王子⋮⋮は何故、あの山にいるのです?
ここで隠し通すおつもりではなかっ︱︱﹂
﹁そのつもりであったわ!!
⋮⋮一生。
隠し通すつもりであった⋮⋮。
民からも⋮⋮。
家族からも⋮⋮。
クロノス様さえも⋮⋮!
⋮⋮⋮⋮。
⋮⋮処分することも、考えた。
だが⋮⋮出来なかった⋮⋮!
出来よう筈もなかった⋮⋮!
陛下の御子を殺すなど!!
⋮⋮かように恐ろしき存在を滅ぼすなど!!
出来よう筈もない⋮⋮﹂
﹁⋮⋮そして世に出したと?﹂
130
﹁違う!!
御子は⋮⋮。
⋮⋮⋮⋮自ら出て行かれた。
⋮⋮焦ったが、肩の荷が下りた心地だった。
⋮⋮⋮⋮すまぬ⋮⋮!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
︵俺に謝って済む問題ではないが、こいつひとりを責める事は出来
ない。
おそらく誰が同じ立場でも、同じ道を辿っていただろう⋮⋮︶
﹁⋮⋮プロメテウス殿!
この事、委細他言無用に願う!
この通りだ!!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
あのコイオスが土下座をした。
決してクロノス様以外に下げないであろう頭を、賢しき若造に垂
れながら。
だが、そんなに請われずとも、誰にも言える訳もなかった。
﹁そして重ねて頼む!
陛下の御子を!
⋮⋮あの悪魔を!
この世界から葬ってくれ!!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮!﹂
プロメテウスは動揺し、何も言えなかった。
そんな事を言われても、どう答えればいいかわからなかった。
﹁無茶は承知の上!
頼む!
131
どうか!
ティタンの為⋮⋮!
クロノス様の為に⋮⋮!!﹂
﹁⋮⋮できるかどうかわかりませんが、最善を尽くしましょう⋮⋮。
知ってしまった以上、私も⋮⋮無関係ではいられない⋮⋮!﹂
ハッとコイオスは頭を上げると、心底安堵した顔で感嘆した。
泣いていた。
あの悪代官の様な権力者が、目に涙を浮かべて。
﹁⋮⋮ありがとう!
⋮⋮ありがとう!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂
しばらく後、客間に戻ったプロメテウスは、ベットに横たわりな
がら頭の中を整理していた。
︵⋮⋮大変な事になってしまった。
だが、後には引けない。
あの後、施設内を見たが、見事にもぬけの殻だったな。
コイオスが言うには、あの仕切られた部屋は実験の為に区切られ
たものだと言っていたが。
⋮⋮まだ何かを隠しているな。
この期に及んでまだ後ろめたい事があるらしい⋮⋮。
黄金郷に潜む、ティタンの暗部⋮⋮。
考えただけで憂鬱になる。
だが、それも含めてコイオスの、ティタンに対する忠誠心は本物
だといえるだろう。
その使命感ゆえに、自身が外道に堕ちる事も厭わない。
俺はゴメンだが、それはそれで認められるべき人の業というもの
132
だ。
とにかく、まずは情報が欲しい。
人の手も借りたいが、今回は俺ひとりで事に当たらねばならない。
⋮⋮やれやれ、気が遠くなりそうだ︶
後日、丁重に見送られ、コイオス邸を後にした。
屋敷に戻ると妻が出迎えてくれた。
﹁ただいま﹂
﹁お帰りなさい、あなた﹂
﹁アトラスは?﹂
﹁まだ、休んでいるわ。
でもね! 大分食事も取れる様になったのよ!﹂
﹁⋮⋮そうか﹂
﹁どうしたの?﹂
﹁いや、何でもない。
様子を見てくる﹂
プロメテウスはアトラスの寝室に入った。
静かに寝息を立てる大きな兄。
それを眺めながら、小さくかき消えそうな声で呟いた。
﹁⋮⋮なぁ、兄上。
どうやら俺は、トンだ貧乏クジを掴まされたらしい⋮⋮。
アンタだったら、恐れず立ち向うのだろうか?
いつもの様に⋮⋮﹂
俯いたまま、心細い声で独白を続ける。
﹁俺はさ、自分にわからない事は無いと思ってた。
133
何でもわかるし、何でもできる。
いや、できなくても理解できるから別にいいって。
ガキの頃からそうだったから。
⋮⋮そう信じて疑わなかった。
でも、違ったよ⋮⋮。
俺、ホントは最初から、アンタに憧れてたんだよ。
でもそれが恥ずかしくて、くやしくって、ずっと反発してたんだ。
兄上は腕力だけの根性バカだって。
そう思わないと、俺は自分が嫌になりそうだった。
屁理屈だけはいっちょ前の、口先ばかりで何もやろうとしないク
ソガキだったから。
俺は、アンタの様になりたかった︱︱﹂
顔を上げ、立ち上がりプロメテウスはアトラスを見下ろした。
﹁こんな風に思える様になったのは、クリュのお陰だ。
彼女は、俺の知らなかった世界を教えてくれる。
もちろん、アンタもな。アトラス⋮⋮!﹂
語り終え眠る兄の顔を見つめると、深呼吸して背を向けた。
﹁⋮⋮じゃあな﹂
﹁⋮⋮無事で戻れ。
我が自慢の弟よ⋮⋮!﹂
彼は片手を上げると、照れくさそうに部屋を後にした。
明朝、プロメテウスはコイオスの命で任務に着く事になった。
たったひとりの任務である。
表向きはただの調査だが、その行き先は、あの化物の巣食う名も
無き山だった。
134
﹁じゃあ、行ってくる﹂
﹁本当にひとりで行かなくてはならないの?﹂
﹁心配するな。
ひとりでできる、簡単な仕事ってやつだ﹂
﹁そう⋮⋮﹂
︵⋮⋮ごめんな、クリュ。
でも、お前にだけは心配を掛けさせたくない。
お前が日々を穏やかに過ごしてくれるだけで、俺はどんな困難に
も立ち向かえるんだ︶
﹁アトラスを頼む﹂
﹁⋮⋮ええ。
いってらっしゃい⋮⋮!﹂
馬を携え、見送る妻を尻目にプロメテウスは旅立った。
旅の共に馬を選んだのは、なるべく目立たず行動する為。
頼れるものは己ひとり。
今はただ、馬を駆ける。
135
第13話 ﹁驚いた﹂
︵この辺りだったか?︶
暗殺の命を受け、独りで例の山まで登ってきたプロメテウス。
彼は今、かつてあの黒い男と対峙した場所にいる。
︵アトラスの覇気で削られた大地。
あの男が立っていた場所だけ無傷だったのか。
奴
は去れと言った。
この土地の地盤の固さから推察しても、あの攻防の凄まじさが伝
わってくる。
⋮⋮あの時、
つまり、交渉の余地があるという事だ。
自分たちの領域に踏み込まなければ、手出しはしないと。
おそらく、ここが境界線。
この先に進めば、命の保障は無いということか⋮⋮。
⋮⋮⋮⋮︶
﹁はは⋮⋮! 震えてるのか? この俺が?﹂
︵⋮⋮情けなさ過ぎて声に出た。
そういうやつを見て、腹の中で馬鹿にしていた俺が?
笑い種だな⋮⋮!︶
自分への嫌悪感をバネに、無理矢理一歩を踏み出した。
周囲を見渡しても、特に変わった所は無い。
油断なく警戒しつつ山頂を目指した。
︵⋮⋮空気が薄いのか身体が重い。
俺とてティタン族の端くれ。
136
小動物ならいざ知らず、山の高低差程度でここまで体力を取られ
るとは思えない。
⋮⋮やはり何かあるのか? ここには︱︱︶
思考にふけっていると、突然意識が途絶えた。
どれ程眠っていたのだろう。
気が付くと何かに背負われていた。
ゴツゴツした人間の背中だ。
﹁お? 起きたかい?﹂
﹁!?
⋮⋮ああ。
すまんが降ろしてくれ。
自分で歩ける﹂
﹁お? そうか!﹂
﹁いて⋮⋮!﹂
言われて男はいきなりプロメテウスを降ろした。
⋮⋮落としたといった方がいいかもしれない。
かなりぞんざいな扱いだった。
﹁⋮⋮助けられた様だな? 礼を言う﹂
﹁ぬぁあに! イイッてことよ!﹂
男はガハガハと呵々大笑。
かなり豪快な人物のようだった。
が、それに見合わず、見た目は線の細い、かなりの美形だった。
⋮⋮声と姿が全くかみ合っていない。
﹁プロメテウスだ。
137
恩人の名を知りたい﹂
﹁ポセイドンってんだ! ヨロシク!!﹂
ちょっと待て!!
ねえ!? ヘカテさん!
どういう事ですか!? コレ!
﹃何か不都合でもあって?﹄
いや不都合っていうか⋮⋮。
明らかに別人ですよ? これ⋮⋮。
﹃まぁ、言いたい事はわかりますが。
時とは残酷という事では?﹄
⋮⋮そういう問題ですか?
⋮⋮⋮⋮。
別に今のポセイドン様が駄目という訳ではないんですが⋮⋮。
そう、けして駄目という事は無い。
むしろあれはあれで、見てくれはワイルド系のイケメンである。
ああいうのが好きな女性ならイチコロなぐらいの⋮⋮。
⋮⋮もうやめよう。
先が進まない。
﹁しかし運が良かったぜ、アンタ。
ちょっと前に変な連中がこのヘンをうろついてたっぽいからなあ。
の弟か?
にーちゃんが追っ払ったつってたけどよー﹂
奴
︵にーちゃん!?
こいつ⋮⋮
⋮⋮別段恐怖は感じないが。
138
もし、こいつが本当に
事になる⋮⋮。
奴
の弟だとすると、陛下の御子という
流石にコイオスも伝えてただろうから、血縁関係には無いという
ことか?
義兄弟とか。
⋮⋮まぁあいい。
こいつから色々聞き出すか︶
﹁その、にーちゃんってのは強いのか?﹂
﹁おう! あたぼーよ!!
強えー! 強えー! 世界一強ええ!
よくは知らねーけどな!!﹂
﹁おいおい⋮⋮。
知らないってのはどういう事だよ?﹂
﹁だって、にーちゃんが戦ってるトコ、見たことねーんだもんよ!﹂
﹁それでよく強いと言えるな?﹂
﹁それがわかっちまうんだよなー! へへへ!﹂
・・・・・
である信憑性が出てきた。
ならば、見ただけで強いとわかる。
奴
︵⋮⋮おそらく、こいつの言っていることは本当だろう。
奴
これでその、にーちゃんとやらが
⋮⋮嫌という程にな︶
ポセイドンはこの頃から人懐っこい人物だった様だ。
よそ者に対し何ら警戒心を出さず、気さくに接して世話を焼いた。
そのフレンドリーさは、色々と気を張っていたプロメテウスも呆
れる程だった。
ポセイドンに半ば強引に肩を組まされ歩かされること数時間。
ついに、目的地らしき場所へと辿り着いた。
﹁ようこそ! オレたちの楽園へ!!﹂
﹁おおー⋮⋮﹂
139
﹁どうでぇ? 驚いたろ?﹂
﹁ああ⋮⋮大したもんだ﹂
そこは、山を削り取って拓かれた集落だった。
石で組んだ家に、簡素な農場がまばらに点在する。
お世辞にも美しいとは言えない、原始的なものだった。
しかし、プロメテウスの感想は違ったようだ。
︵遠目からはわからないよう隠れ家として造ったのか。
山そのものを利用したカモフラージュに、それを実現する技術力。
基の地形を活かした家造りに、意図的に引いたであろう水源。
その全てが巧妙に計算し尽くされている。
ティタンの建築家でも舌を巻くこと請け合いだな︶
﹁ちょいとここで待っててくんな!
オォーイ! 帰ったぜぇえ!!﹂
ポセイドンが大声で呼びかけると、家の中から何人か出てきた。
それは、あの時見た異形の化物だった。
︵⋮⋮やはりそうか︶
﹁んお? あんま驚かねーのな?﹂
﹁いや、驚いた﹂
﹁そうかぁ? ま、いっか!
紹介すんぜ! こいつらぁオレの家族!
ちょいとブサイクだが気のイイやつらさ!
よう! みんな!!
こいつぁオレのマブダチ!
プロテウスってんだ! ヨロシクしてやってくれよな!﹂
﹁プロメテウスだ。
ひとつ足りない。
140
俺を爺さんにするつもりか?﹂
﹁おーわりぃわりぃ∼!
じーさん?
アンタ、じじいなのか?﹂
︵海の長老プロテウスはご存知無いと。
ここの連中の情報網はこの集落止まりらしい︶
﹁年の割によく老けてるとは言われるな。
見た目は年相応だが、若者らしく無いとさ﹂
﹁へぇーそーなのか。
ま! 気にすんなって!﹂
ガッハッハ! と背中をバシバシ叩く。
特に気にしてはいなかったが、背中がヒリヒリしている方が余程
気になっていた。
︵⋮⋮まぁ、悪い奴ではないが。
それより、こいつらはジッと俺を見てるな。
警戒しているのだろうか?
こいつ
それが普通の反応か。
ポセイドンが無邪気過ぎるんだ︶
﹁よう、マブダチ?
こいつらは話せるのか?﹂
﹁おう?﹂
︵どう聞けば正解だ?
返答によっては警戒されかねん︶
﹁アンタの家族なんだろ?
その割には恥ずかしがり屋のようだからな﹂
﹁おう、そういうことか!
わりぃなぁ。
こいつら、声が出ねえんだわ﹂
141
﹁声が出ない?﹂
﹁おう。
でも言葉は理解できるぜぇ?
よぉ! あれ、やってくれよ!﹂
ポセイドンが化物に指示を出すと、その中の一人が地面に何かを
書き始めた。
︵⋮⋮規則性のある図。
独自に作った文字か?︶
﹁な? すげーだろ!?
よくわかんねーけど、こいつらこれ使って色々できんだぜぇ?
忘れがちな約束覚えてたり、ムズイ計算しちまったりな!﹂
﹁凄いな﹂
﹁な! だろ!? だろ!?﹂
化物を褒められ、ポセイドンは子供の様にはしゃいだ。
あの淡泊な称賛からは想像つかない程、我がことの様に喜んだ。
︵本当に驚いた。
おそらく何の教育も受けてないだろうに。
これは自力で文字を発明したに等しいぞ?
⋮⋮彼らは化物なんかじゃない。
優れた知性ある、人間だ⋮⋮!︶
どうやら淡泊に見えただけで、彼の胸の内は違ったらしい。
﹁ん? そうだな!﹂
彼らのひとりがポセイドンに耳打ちした。
142
︵声は聞こえんが、何かを伝えているのか?︶
﹁あいつは話せるのか?﹂
﹁いんや。
でも何となく伝わんだよ。
長げー付き合いだからなぁ∼﹂
︵なるほど、こいつらしい︶
プロメテウスはおかしそうに微笑んだ。
﹁スッカリ忘れてたわ!
オレらのリーダーをよう!
会ってみるかい?﹂
﹁会おう。
世話になった礼を言いたい。
もしかして、アンタのにーちゃんか?﹂
﹁チッチッチッ! 違うんだなぁコレが!
確かに、にーちゃんがリーダーっぽいんだがよぉ。
やってるのはオレの弟だ!﹂
﹁弟もいるのか?﹂
﹁ウッシッシッ!
一番若いんだぜぇ?
新しいだろぉ∼?﹂
﹁それは楽しみだ﹂
︵本当に、ここの連中には驚かされる。
年功序列を尊ぶティタンとは真逆だな︶
﹁ヘッヘッヘッ!
普段はリーダーには会わせねぇんだがよぉ∼。
アンタはイイやつだから特別でぃ!﹂
﹁そいつはご光栄の至りだ。
143
今後の参考までに、俺のどの辺が気に入ったんだ?﹂
﹁あいつらを見てもヘンな目で見なかったからな∼!
ここに迷い込むやつは何人かいたがよ。
どいつもこいつもシケた面しやがる。
まるで汚ねぇもん見るようななあ﹂
ポセイドンの横顔に陰りが滲んだ。
それは、大切な仲間を侮辱された憤りなのか。
だが、それも一瞬。
﹁でも! あんたは違う!
あいつらをスゲーって褒めてくれた!
オレはそいつがうれしくてよー!!﹂
ガシガシ! と、楽しそうに背中を叩く。
プロメテウスも慣れたのか、フッと笑う。
心なしか楽しげに。
﹁あんたも気に入ると思うぜ!
オレらの兄弟!
世界一優しいゼウスをよお!!﹂
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PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n5068cx/
ハデス ∼最後のティタノマキア∼
2017年3月30日16時48分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
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